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最高裁判所第二小法廷 平成8年(オ)852号 判決 2002年3月08日

上告人

甲野太郎

同訴訟代理人弁護士

弘中惇一郎

鈴木淳二

渡邉務

加城千波

被上告人

福島民友新聞株式会社

同代表者代表取締役

黒埼精三

同訴訟代理人弁護士

手塚裕之

矢嶋雅子

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告人の上告理由について

1  本件は、被上告人が発行した新聞紙に掲載された記事が上告人の名誉を毀損するものであるとして、上告人が被上告人に対して不法行為に基づく損害賠償を請求する訴訟である。原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

(1)  被上告人は、日刊紙「福島民友」を発行する新聞社である。

被上告人は、昭和六〇年九月一八日付けの福島民友紙に、「大麻に狂った“乱脈”甲野」、「女性を口説くエサ」、「自宅に大量に隠す」などの見出しを付して、第一審判決別紙記載の記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

(2)  本件記事は、原告が妻帯者であるのに複数の女性と交際するという倫理観に欠けた生活をしており、女性とのそのような交際と大麻の吸引とが五、六年前から深く結び付いていたことを読者に強く印象付ける内容のものであり、上告人の社会的評価を低下させ、その名誉を毀損するものである。

(3)  本件記事の内容は、公共の利害に関する事実に係るもので、その記事掲載は専ら公益を図る目的に出たものである。

(4)  被上告人は、社団法人共同通信社の社員であり、本件記事は、被上告人が同社から配信を受けた記事(以下「本件配信記事」という。)を、裏付け取材をすることなく、そのまま掲載したものである。

(5)  共同通信社は、昭和二〇年一一月一日に設立された我が国の代表的な通信社であり、平成七年四月現在、日本放送協会及び全国の新聞社七〇社を社員とし、全国紙等の大手新聞社一一社、全国の民間放送局一二五社等と記事の配信契約を締結している。

同社は、東京本社内に政治、経済、産業、金融証券、社会、外信、運動、内政、科学、文化、写真、グラフィックスの各部を置き、国会、中央官庁、経済団体、警視庁、裁判所などに設けられた記者クラブを拠点に取材活動をし、更に札幌市、仙台市、名古屋市、大阪市、及び福岡市に支社を、その他の府県庁所在地や海外の都市に支局を設置するなどして、整備された取材体制で活動をし、国内及び国外のニュースを編集し、作成した記事を社員及び報道機関等に配信している。

(6)  共同通信社の社員である新聞社は、定款により、①共同通信社から配信された記事を新聞紙面への掲載以外の目的に使用すること及びこれを社員以外の者に利用させることはできない、②上記記事を新聞紙面に掲載するに当たっては、記事の内容について変更又は修正を加えることは原則として認められない、③記事を掲載する新聞社は、ニュースごとに共同通信社の配信記事であることを明記することになっている。

(7)  被上告人が裏付け取材をしなかったのは、被上告人が警視庁の記者クラブに加入していないため、警視庁が行う定例会見、記者発表に参加できず、警視庁に対する直接の問い合わせにも応じてもらえない実情にあり、共同通信社の記者の取材源に直接事実関係を確認することも、同社による取材源の秘匿、多くの報道機関からの取材の殺到によって被る取材対象者の迷惑に対する配慮、地方報道機関の経済的、人員的制約などから不可能ないし困難であり、共同通信社からの配信記事については裏付け取材や問い合わせをしないのが一般的な取扱いであるためである。

2  原審は、次のように判断して、被上告人には名誉毀損による不法行為が成立しないとし、上告人の請求を棄却すべきものとした。

(1)  本件記事は、共同通信社の配信記事に基づくものであるが、同社は、我が国の代表的な通信社で、配信に係る記事の真実性については同社が責任を負い、これを掲載する新聞社は裏付け取材をしないとする前提の下に配信記事に基づく報道がされている。このような報道システムは、地方の報道機関が物理的、経済的及び人的制約を越えて世界的ないし全国的事件を報道することを可能にするものであって、報道の自由に資するものである。したがって、報道機関が、正確性ないし信頼性について定評のある通信社の配信記事に基づいて記事を作成して掲載する場合には、その配信記事の内容が社会通念上不合理なもの、あるいはその他の情報にかんがみてこれを虚偽であると疑うべき事情がない限り、同記事に摘示された事実の真実性を確認するために裏付け取材をすべき注意義務はなく、配信された記事の内容が真実に反し、特定人の名誉を害する結果となっても、報道機関には、配信記事が真実を伝えるものであると信ずるについて相当の理由があると認められ、過失がない。

(2)  本件においては、本件配信記事の内容が社会通念上不合理なもの、あるいは虚偽であると疑うべき事情があったとは認められないから、被上告人が本件配信記事に摘示された事実が真実であると信ずるについて相当の理由があり、本件配信記事に基づいて本件記事を作成して掲載したことについて、被上告人には過失がない。

3  しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

民事上の不法行為である名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合には、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があれば、同行為には違法性がなく、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、同行為には故意又は過失がなく、不法行為は成立しない(最高裁昭和三七年(オ)第八一五号同四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。そして、本件のような場合には、掲載記事が一般的には定評があるとされる通信社から配信された記事に基づくものであるという理由によっては、記事を掲載した新聞社において配信された記事に摘示された事実を真実と信ずるについての相当の理由があると認めることはできないというべきである(最高裁平成七年(オ)第一四二一号同一四年一月二九日第三小法廷判決・裁判所時報一三〇八号九頁参照)。

4  そうすると、本件において、被上告人には本件記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があり、過失が認められないとした原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そこで、被上告人の上告人に対する損害賠償の額について更に審理をさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。

よって、裁判官梶谷玄の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官河合伸一、同北川弘治の各意見、裁判官福田博、同亀山継夫の意見がある。

裁判官福田博、同亀山継夫の意見は、次のとおりである。

私たちは、次の理由により、多数意見のとおり、本件において被上告人の損害賠償義務を否定した原審の判断には違法があると考える。

1(1)  原審の認定によれば、被上告人が発行した新聞紙に掲載された本件記事には、これが共同通信社から配信を受けた記事に基づくものであることを示す何らの表示も付されていない。このように、掲載記事に通信社から配信を受けた記事に基づく旨の表示(以下「クレジット」という。)が付されていない場合には、記事を掲載した新聞社は、掲載記事が通信社から配信を受けた記事に基づくものであることを理由とするいかなる抗弁も主張することができないというべきである。

(2)  報道の自由は、民主主義国家において、国民が多様な情報を入手し、国政に関する的確な判断と意見を形成するために不可欠のものであるからこそ、表現の自由を規定した憲法二一条の保障の下に憲法上優越的地位が認められているのである。

報道のそのような機能は、国民が、当該報道記事がいかなる社の責任によって作成されたものであるかをきちんと認識できて初めて十分に発揮される。クレジットは、そのような要請を端的に満たすものであり、その存否は、上記のように報道の自由について高度な保障が要請される根幹にかかわっているといえる。

国民の側からみると、クレジットが付されていない報道は、客観的にみれば、記事の出所が読者に対して明確にされていないというだけではなく、通常の読者であれば、それが当該報道機関自らの責任において取材作成されたものであると受け取るのはごく自然なことであって、読者に対して誤った情報を伝えることにもなるのであり、国民の「知る権利」に十分に奉仕しているとはいい難い。

なお、付言すれば、当該記事について名誉毀損の問題が生じた場合のことを考えると、クレジットが付されていない場合には、記事を作成した加害者として責任を負うべき者が明らかでないことから、被害者に不必要な負担を掛けることになり兼ねないことはいうまでもない。

(3)  被上告人は共同通信社の加盟社であるところ、記録によれば、同社の定款施行細則一〇条には、「社員が本社から供給を受けたニュースを新聞紙に掲載し、有無線で放送し、または通信に使用するときは、ニュースごとに『共同』のクレジットを付けなければならない。」との明確な規定がある。記事の配信を受ける加盟社に対するこのような義務付けは、クレジットに上記のような重要な機能があることに照らすと、合理的なものであるということができる。他方、通信社から記事の配信を受けた新聞社にとって、クレジットの表示を要求されることが特段不当な負担を強いられることになるものでないことは、本来、上記のように共同通信社の加盟社にはクレジットを付することが定款施行細則で義務付けられているのみならず、契約に基づいて共同通信社から記事の配信を受ける報道機関等も、契約条項によって、ニュースごとに「共同」のクレジットを明記しなければならないとされていること、国外ニュースについてはクレジットを付する実務が支障なく行われていることが記録によりうかがわれることなどから、明らかである。

(4)  掲載記事が通信社から配信された記事に基づくものであることを理由とする抗弁の存在が肯定されるためには、先決問題として、配信記事を掲載した報道機関の行為が外形的にも実質的にも正当な行為として認められるものでなければならない。一方では紙面が煩雑になるなどとの理由を述べて定款や契約によって義務付けられたクレジット表示をしないでおきながら、他方では、国民の知る権利を標榜し、記事が通信社から配信を受けたものであることを理由とする抗弁を主張するというのは、いかにもフェアでなく、そのような記事掲載は、到底名誉毀損行為の違法性を阻却するに足りる正当な行為とはいえない。要するに、当該報道機関は、クレジットのない、自社の独自取材記事と誤解され兼ねない記事を掲載することによって、営業上の便益を享受しつつ、自社の従来の実績に基づく読者の信頼を通じて名誉毀損の損害を拡大したともいえるのであって、このような立場にある者が、報道の自由の名の下に配信記事であることを理由とする免責を主張することは、被害者との関係において著しく公正を欠くものであるのみならず、国民一般の報道に対する信頼感をも傷付け兼ねない。

確かに、国内ニュースについては、クレジットを付さないのが長年の慣行となっており、共同通信社の側にあってもこれを定款違反の問題として取り上げていないのであるが、クレジットを付することの意味が上記のように、報道の自由が優越的地位を有することの根幹に関係し、また、国民の知る権利にとっても重要な意味を持つことからすると、そのような慣行があることによって、通信社から配信を受けた報道機関がクレジットを付していない場合でも損害賠償義務を免れることができるとする見解には、賛同することができない。

2  以上によれば、本件記事にクレジットを付していない被上告人は、本件記事が共同通信社から配信された記事に基づくものであることを理由とする抗弁を主張することは一切できないというべきである。したがって、いわゆる配信サービスの抗弁も、記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由が通信社にあることを掲載紙が援用することも、いずれも掲載記事が通信社から配信された記事に基づくものであることを理由とする抗弁であるから、本件で被上告人が主張し得るものではない。

そうすると、本件記事は被上告人がその責任において作成、掲載した記事として扱えば足りるのである。本件記事に摘示された事実は真実ではないところ(最高裁平成一〇年(オ)第七五八号同一四年一月二九日第三小法廷判決)、被上告人は、同事実について何らの取材もしていないのであるから、これを真実と信ずるについて相当の理由が認められないことは当然である。

したがって、本件において被上告人に損害賠償義務があることは明らかであって、原判決は破棄を免れず、損害額を審理するため本件を原審に差し戻すべきことになるのである。

裁判官北川弘治の意見は、次のとおりである。

私は、本件において、上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断に違法があるとする多数意見の結論に賛同するものであるが、その理由について、若干説明しておくこととする。

1  新聞社が通信社から配信を受けた他人の名誉を毀損する記事を、裏付け取材をしないままその内容に変更を加えずに掲載した場合、記事を配信した通信社が一般的に定評のあるものであっても、その一事をもって記事を掲載した新聞社の損害賠償責任が否定されるとする根拠はない。しかしながら、配信記事に関し、通信社において記事に摘示した事実が真実であると信ずるについて相当の理由(以下、これを「相当の理由」という。)がある場合には、その配信記事をそのまま掲載した新聞社についても、損害賠償責任が否定されることがあると考える。その根拠は、次のとおりである。

共同通信社の配信記事の取扱いは、共同通信社から記事の配信を受ける加盟社(社団法人である共同通信社の社員)が、配信された記事については自ら裏付け取材をしないという前提で、配信記事を自社の発行する新聞紙等にそのまま掲載することとしている。すなわち、加盟社は、共同通信社から配信を受ける記事に関しては、その取材及び記事作成をすべて共同通信社にゆだねているのである。共同通信社と加盟社との関係がこのようなものであることを前提にして考えると、両者は報道機関としては別個の独立した主体であっても、当該配信記事の取材、作成、配信、掲載という一連の過程においては、共同通信社と加盟社とは、実質的に報道主体としての同一性があると見ることができる。そして、共同通信社に配信記事について相当の理由があり、名誉毀損行為について共同通信社の過失が否定される場合には、その配信記事を掲載した加盟社も、共同通信社の相当の理由を援用することにより、損害賠償責任を免れることができると解すべきである。このように解さないと、一方において、共同通信社には相当の理由があるため不法行為が成立しないとされるのに対し、他方において、自らは何らの裏付け取材をしていない加盟社は、記事の真実性を立証しない限り、損害賠償責任を免れないこととなり、均衡を失するといわざるを得ない。

2  このように考える根拠の一つは、自らすべての世界的、全国的ニュースを取材する能力を持たず、通信社からの配信記事に依存せざるを得ない報道機関の実情に対する配慮にあるから、このような主張をすることができる場合には、おのずから限界がある。通信社と記事の配信を受ける新聞社との間に、上記の実質的同一性があるというためには、まず、通信社と当該新聞社相互の関係、通信社から当該新聞社への記事配信の仕組み、記事の内容の実質的変更の可否等、配信記事に関する両者の内部関係が、実質的にみて、報道主体としての同一性があるということができる程度に密接なものであることが肯定される必要がある。それに加えて、その掲載記事が通信社から配信を受けた記事に基づくものであることが一般読者に認識できることが必要であるというべきである。けだし、掲載記事からはうかがい知ることのできない事情に基づく免責事由によって、損害賠償責任が否定されるとすることは、その記事による名誉毀損を主張する者の立場からみて、相当でないと考えられるからである。掲載記事中に当該記事の配信元の表示(クレジット)が付されている場合には、記事自体から通信社と加盟社とが報道主体として実質的に同一性を有することの架橋がされているものとみることができる。しかし、クレジットが付されていない場合であっても、記事の内容自体や記事を掲載した加盟社の規模等から、掲載記事が通信社からの配信記事に基づくものであると推認できる可能性があるときは、両者が実質的に同一性を有することを肯定して差し支えないというべきである。

3  以上の点を本件についてみると、次のとおりである。

共同通信社と被上告人との間には、前記1のとおり、配信記事に関しては、報道主体としての実質的同一性があるということができる程度に密接な関係があった。

また、本件記事は、当時いわゆるロス疑惑の当事者として全国的な話題の的となっており、警視庁に殺人未遂罪の被疑者として逮捕された上告人の過去の行動をその内容とするものであり、被上告人が独自に取材し得た記事でないことは、本件記録からうかがわれる被上告人の規模等から、容易に想到することができる。そうすると、本件記事に接した一般読者は、本件記事が通信社からの配信記事に基づくものであると推認できる可能性があったということができ、本件においては、共同通信社と被上告人が本件記事掲載に至る過程において実質的に同一性を有することを肯定することができるといってよい。

しかしながら、本件配信記事に摘示された事実が真実ではなく、共同通信社には相当の理由が認められないとする判決が当審において確定していることは当裁判所に顕著であるから(最高裁平成九年(オ)第一三七一号同一四年一月二九日第三小法廷判決・裁判所時報一三〇八号一四頁、最高裁平成一〇年(オ)第七五八号同一四年一月二九日第三小法廷判決)、被上告人が本件記事について共同通信社の相当の理由を援用することによって損害賠償責任を免れる余地はないといわなければならない。

したがって、原判決は破棄を免れず、被上告人の上告人に対する損害賠償の額について更に審理をさせるため、本件を原審に差し戻すべきことになる。

裁判官河合伸一は、裁判官北川弘治の意見に同調する。

裁判官梶谷玄の反対意見は、次のとおりである。

私は多数意見とは異なり、被上告人に損害賠償義務がないとした原審の判断は是認することができると考える。その理由は、次のとおりである。

1  多数意見は、本件のような場合には、掲載記事が一般的には定評があるとされる通信社から配信された記事に基づくものであるという理由によっては、記事を掲載した新聞社において配信された記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があると認めることはできないという理由により、原判決を破棄し、本件を原審に差し戻すべきであるとした。

しかしながら、私は、次のとおり、この多数意見は正当ではなく、本件においては、いわゆる配信サービスの抗弁を認めて、被上告人の損害賠償義務を否定すべきであると考える。

2  言論等の表現行為により名誉毀損を招来する場合には、人格権としての個人の名誉の保護(憲法一三条)と表現の自由の保障(同二一条)とが衝突し、その調整を要することとなるが、当審の判例は、刑事上及び民事上の名誉毀損に当たる行為について、当該行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合には、当該事実が真実であることの証明があれば、同行為には違法性がなく、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実であると誤信したことについて相当の理由(以下「相当の理由」という。)があるときは、同行為には故意又は過失がないとする法理をその調整の基準としている(前掲昭和四一年六月二三日第一小法廷判決、最高裁昭和五六年(オ)第六〇九号同六一年六月一一日大法廷判決・民集四〇巻四号八七二頁参照)。

本件で問われているのは、通信社から配信を受けた記事が他人の名誉を毀損するものであった場合に、これを裏付け取材せずにそのまま掲載した報道機関が損害賠償義務を負うべきかどうかである。

今日、いわゆる地方紙の紙面は、世界的、全国的なニュースについては、その大部分は通信社から配信された記事に頼っている。原審のいうとおり、共同通信社は、整備された取材体制を持つ我が国の代表的な通信社で、配信に係る記事の真実性については同社が責任を負い、これを掲載する新聞社は裏付け取材をしないとする前提の下に報道がされているところ、このような報道システムは、地方の報道機関が物理的、経済的及び人的制約を越えて世界的、全国的事件を報道することを可能にするものであって、報道の自由に資するものである。

このように、共同通信社の加盟社としての地位又は同社との記事配信契約に基づき同社の配信システムに基づいて配信記事を自社の発行する新聞紙に掲載している報道機関(以下「加盟社等」という。)に当審判例が定立した上記の調整基準を機械的に当てはめた場合、加盟社等は、掲載記事について、共同通信社が配信した記事であるからその内容が真実であると信じたにすぎず、自らは何らの裏付け取材もしていないのであるから、相当の理由を厳格に判断する当審の判例(最高裁昭和四六年(オ)第六九九号同四七年一一月一六日第一小法廷判決・民集二六巻九号一六三三頁、最高裁昭和四八年(オ)第七四四号同四九年三月二九日第二小法廷判決・裁判集民事一一一号四九三頁、最高裁昭和五三年(オ)第九四〇号同五五年一〇月三〇日第一小法廷判決・裁判集民事一三一号八九頁参照)に照らすと、加盟社等に故意又は過失を阻却する事由である相当の理由があると認めるのは困難であるといわざるを得ない。いかに定評のある通信社であっても、その配信した記事に、捜査機関の公式発表や刑事裁判所の認定事実に準じるような真実についての信頼性を認めることはできないからである。

3  しかしながら、上記の調整基準を機械的に当てはめて出したこの結論が不当であることは明らかである。

民主制国家は、国民が一切の主義主張を表明するとともにこれらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としているから、公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならず、報道機関の報道は、国民に重要な判断の材料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである(上記昭和六一年六月一一日大法廷判決、最高裁昭和四四年(し)第六八号同年一一月二六日大法廷決定・刑集二三巻一一号一四九〇頁参照)。そして、当審の判例は、正当な表現行為をしようとする者を萎縮させることが表現の自由を不当に制限する結果をもたらすことを認識し、公権力が取材を含む報道活動を萎縮させる危険を生み出さないように、大きな注意を払ってきたといってよい(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁、最高裁昭和五五年(オ)第一一八八号同六二年四月二四日第二小法廷判決・民集四一巻三号四九〇頁参照)。

この萎縮効果という観点から、加盟社等の責任を考えてみる。もしも、通信社から配信を受けた記事であることの一事をもって相当の理由を認め難いということになると、加盟社等としては、記事の真実性を立証できない限り、損害賠償義務を負う、又は、場合によっては担当者が刑事罰を課されることを覚悟の上で記事の掲載を決断せざるを得ないことになる。このように、公共の利害に係る事実を公益目的で公表した場合であっても、真実性の証明がない限り常に責任を負わなければならないということになれば、万一の責任を問われることを危惧して、このような事実に関する表現を自己抑制してしまうおそれがあることは明らかである。

責任を免れるために、すべての加盟社等に対し、通信社から配信された記事について独自の裏付け取材を義務付けることは、不可能を強いるに等しく、現実的ではない。どの記事について裏付け取材が必要なのかはその取材を担当していない加盟社等には見分けの付かないことが少なくなく、速報性の要請から来る時間的制約と配信される情報量の多さから配信記事の真実性を確認することは物理的に不可能である。また、多くの場合配信記事の取材源は明らかでなく、通信社からも取材源の秘匿を理由にその確認が取れないが、多くの加盟社等は警視庁記者クラブに加盟していないため、その記者会見に参加できず、捜査官に対する直接の取材もできない状況にある。したがって、地方紙としては、政界、官庁等の汚職に関する記事、有力団体の不正に関する記事等内容が真実でなければ名誉毀損責任を追及される可能性が高い記事については、その掲載を断念せざるを得ないことになる。

その結果、加盟社等である地方紙が世界的、全国的なニュースの報道を断念し、自らが直接取材することが可能な純粋にその地方の出来事についてのみ報道せざるを得ないような事態になれば、憂慮すべきことであるといわなければならない。加盟社等に通信社からの配信記事の利用を躊躇させることは、情報入手の源を制約するという点で、取材活動に対して規制を加えることと効果において異ならず、また、加盟社等の紙面における自由な表現や報道活動に枠をはめるだけでなく、新聞紙に掲載される記事の量を減少させることによって、豊かで多様な情報に接することを阻害するという点で地方の住民の知る権利をも侵害する結果を生ずることになる。また、地方紙は地方で取材し得る記事のみ掲載すればよいとすると、地方紙だけを購読している読者にとっては世界的、全国的ニュース等多くの情報を新聞を通じて知る機会を奪われることになるし、地方紙と全国紙を併読している読者にとっても関連記事を相互に比較しつつ多様な情報や意見を知る機会を奪われることになる。

さらに、通信社の側における萎縮効果にも無視できないものがある。上記のように、もしも加盟社等が世界的、全国的なニュースの掲載を断念するようなことになり、純粋に地方に関する記事に特化することになると、通信社から脱退し、又は記事の配信契約を終了させることを考えざるを得なくなるのであるから、通信社としては、その存立の基盤を脅かされることにもなり兼ねない。また、配信サービスの抗弁が否定され、加盟社等が不法行為による損害賠償責任を負わなければならないことになると、記事を配信した通信社は、記事を掲載した加盟社等と共同不法行為者となるのであり、通信社は、記事を掲載した各加盟社等が負う損害賠償額を累計した額について不真正連帯債務を負うことになるのである。共同通信社の加盟社及び記事の配信契約を締結した報道機関は相当な数に上るのであるから、配信記事が他人の名誉を毀損するものであった場合に、共同通信社が負担する損害賠償の合計額は、一本の記事であっても巨額なものになる可能性があるといえる(昨今の慰謝料額高額化傾向の下にあってはなおさらである。)。このような事態は、記事を配信する通信社に対しても相当な萎縮効果を生じさせるということができる。

4  以上のような報道に対する憲法上容認し難いほどの萎縮効果を生じさせないようにするため、加盟社等が通信社の配信システムに基づいて報道を行っている場合には、その社会的実態に応じた抗弁を認めることが必要である。

いわゆる配信サービスの抗弁(wire service defense)とは、報道機関が定評ある通信社から配信された記事を実質的な変更を加えずに掲載した場合に、その掲載記事が他人の名誉を毀損するものであったとしても、配信記事の文面上一見してその内容が真実でないと分かる場合や掲載紙自身が誤報であることを知っている等の事情がある場合を除き、当該他人に対する損害賠償義務を負わないとする法理であり、米国では確立された判例であるといえる(Layne v. Tribune Co., 146 So. 234 (1933) ; Waskow v. Associated Press, 462 F.2d 1173 (1972) ; Gay v. Williams, 486 F.Supp. 12 (1979) ; Zetes v. Richman, App.Div., 447 N.Y.S.2d 778 (1982) ; Mehau v. Gannett Pacific Corp., 658 P.2d 312 (Hawaii 1983) ; Appleby v. Daily Hampshire Gazette, 478 N.E.2d 721 (Mass.1985) ; Nelson v. Associated Press, Inc., 667 F.Supp. 1468 (S.D.Fla.1987) ; Brown v. Courier Herald Pub. Co., Inc., 700 F.Supp.534 (S.D.Ga. 1988) ; O'Brien v. Williamson Daily News, 735 F.Supp.218 (E.D.Ky.1990) ; McKinney v. Avery Journal, Inc., 393 S.E.2d 295 (N.C.App.1990) ; Howe v. Detroit Free Press, Inc., 555 N.W.2d 738 (Mich.App.1996) ; Cole v. Star Tribune, 581 N.W.2d 364 (Minn.App. 1998))。この法理を認める実質的な理由は、AP社(Associated Press)やUPI社(United Press International)のような報道機関は報道業界を通じて正確な記事の発信者であるとの定評が認められているので、ここから記事の配信を受けた新聞社は独自の調査をすることなく記事を掲載するのが通常であり、それら新聞社の資源や人員からして、公表前に配信記事の真実性の確認を要するとすることは、ニュース価値のある素材を伝達する新聞社に重い負担を課し、小さな新聞社の記事を地方に関するものに制限し、余裕のある新聞社と競争することを著しく困難ならしめることになることから、報道の萎縮効果をもたらし、米国憲法修正一条に違反すると考えられていることにある。

また、ドイツにおいても、定評のある通信社から配信された写真や記事をそのまま掲載した場合には、掲載紙が損害賠償責任を負わないとする裁判例がある(LG Mfile_9.jpgnchen in AfP 1975,S.758, LG Hamburg in AfP 1990,S.332)。

私は、この配信サービスの抗弁は、我が国においても、公共の利害に係り、専ら公益を図ることを目的としてされた報道に関し、定評のある通信社の構築した記事配信システムに基づいて、通信社から配信された記事を掲載した報道機関の行為は、特別に憲法二一条の要請により、正当な行為とみることができ、違法性を阻却するとの理論的根拠によって、肯定することができると考える。このような抗弁を認めるべきであるのは、社会的な実態として長年にわたって形成された定評のある通信社の記事配信のシステムを制度として保護し、記事の配信を受けた報道機関の報道の自由及び国民の知る権利を保障することにあるから、この抗弁は、定評ある通信社の配信記事について適用されるものである。そして、原審認定事実によれば、共同通信社は我が国の代表的な通信社でその記事の正確性、信頼性については定評があるということができるから、同社の記事配信システムに基づいて同社から記事の配信を受けた加盟社等が裏付け取材をせずに記事をそのまま掲載した場合には、配信サービスの抗弁を主張することができるというべきである。

ところで、記録によれば、共同通信社の定款施行細則一〇条には、加盟社は、ニュースごとに共同通信社からの配信記事であることを示す「共同」のクレジットを付けなければならないことが規定されているところ、クレジットを付していないことをもって、配信サービスの抗弁を認めないとする福田、亀山裁判官の意見があるが、賛同できない。共同通信社の加盟社等が国内ニュースの配信記事にクレジットを付さないことは、長年の実務慣行となっており、共同通信社からも問題とされておらず、また、国内の地方新聞の紙面のかなりの部分に共同通信社の配信記事が用いられており、個別の記事にクレジットを付すことは紙面を煩雑にするだけであると考えられている。クレジットがないと、その記事によって名誉を毀損されたとして訴訟を提起しようとする者は、掲載紙に対して訴訟を提起してしまい、配信サービスの抗弁が認められて、記事を配信した通信社に対して更に訴訟を提起しなければならないときには、二重の負担となり、被害者の救済に欠けることになるのではないかという点については、被害者は訴訟を提起する前に掲載紙と何らかの交渉を行うのが常であろうから、その時点で当該記事が配信記事であり、訴えるべき相手方は配信をした通信社であることが判明することとなり、被害者の救済に欠けるところはないというべきである。したがって、配信記事にクレジットが付されているかどうかは、同抗弁の成否に関係する要素ではない。

5  我が国において配信サービスの抗弁を認めることについては、消極的な見解があり、前掲平成一四年一月二九日第三小法廷判決・裁判所時報一三〇八号九頁も、私人の犯罪行為やスキャンダルに関連する事実の報道については同抗弁を否定しているので、これら消極説がいう根拠について、一言する。

(1)  消極説は、加盟社等は配信記事を掲載するかどうかを自由に判断することができ、自己の責任と危険負担において、その裏付け取材を省略して通信社からの配信記事を掲載することによって紙面を作成するシステムを利用して利益を上げているだけのことであるから、その記事が他人の名誉を毀損することによる損害賠償義務のリスクを負うのは当然であるというが、このような考えは、地方紙の報道の中で配信記事が現実に占めている大きな割合、報道の自由と国民の知る権利への貢献において通信社の配信システムが果たしている積極的な役割と効用を無視するものというべきである。

(2)  また、消極説は、加盟社等は損害賠償を命ぜられても、通信社に求償すればよいから、配信サービスの抗弁を否定しても、加盟社等の報道に対する萎縮効果はないというが、通信社に相当の理由が認められるときには通信社に対する求償が認められず、通信社がAP社やUPI社のように外国の会社であるときにも求償が困難であり、求償をめぐって通信社と加盟社等との間に紛争が生じる可能性も考えられるし、また、求償が認められてもそれにより加盟社等がした賠償の全部が回復されるわけではなく、加盟社等には裁判手続にかかる各種の金銭、時間、労力の負担、さらには賠償を命ぜられたことによる社会的評価の低下などが発生するのであって、求償が可能であることが萎縮効果を無視し得るほどに低下させるということはできない。

なお、通信社に相当の理由が認められるときは加盟社はこれを援用することができるとする北川裁判官の意見(河合裁判官同調)があり、加盟社の損害賠償義務を免れさせるための理論として一定の評価はできるが、このような場合にしか加盟社等を免責しないという点で不徹底であるし、通信社と加盟社は飽くまでも独立した別個の報道機関とみるべきであり、加盟社が他社の故意又は過失という責任要素を援用できるとすることには、賛同することができない。通信社に相当の理由が認められる場合に、通信社には賠償義務がないが、配信記事を掲載した加盟社等は賠償義務があるという結果は、極めて問題であるのであり、これまでの判例の枠組みによっては、この結論が避けられないのであれば、配信サービスの抗弁という新たな違法性阻却事由を認めることにより対処すべきであるというのが私の意見である。

(3)  結局、消極説の実質的理由は、通信社の違法行為に加担した加盟社等を免責すべきでないということにあるのでないかと考えられるが、被害者救済の観点からいうと、私も通信社の責任は従来の当審判例のとおり厳しく審査することで差し支えないと考えているのであり、配信サービスの抗弁を採用しても被害者救済に欠けるところはないのである。通信社に加え、加盟社等に対し制裁的に不必要な賠償義務を課すことにより、現代社会において不可欠の役割を担っている通信社による記事配信システムを阻害してはならない。

6  以上によれば、本件について、被上告人の賠償義務を否定した原審の判断は、結論において是認することができるので、本件上告を棄却すべきである。

(裁判長裁判官・北川弘治、裁判官・河合伸一、裁判官・福田博、裁判官・亀山継夫、裁判官・梶谷玄)

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