最高裁判所第二小法廷 平成8年(行ツ)227号 判決 1997年12月19日
東京都千代田区霞が関三丁目二番五号
上告人
三井石油化学工業株式会社
右代表者代表取締役
幸田重教
右訴訟代理人弁護士
花岡巖
新保克芳
同弁理士
小田島平吉
深浦秀夫
江角洋治
オランダ王国
ゲリーン
被上告人
スタミカーボン ビー ベー
右代表者
イエー・ハー・イエー・デンハルトグ
右訴訟代理人弁理士
川口義雄
中村至
船山武
伏見直哉
右当事者間の東京高等裁判所平成五年(行ケ)第一九一号審決取消請求事件について、同裁判所が平成八年六月二七日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人花岡巖、同新保克芳、同小田島平吉、同深浦秀夫、同江角洋治の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 根岸重治 裁判官 大西勝也 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)
(平成八年(行ツ)第二二七号 上告人 三井石油化学工業株式会社)
上告代理人花岡巌、同新保克芳、同小田島平吉、同深浦秀夫、同江角洋治の上告理由
原判決には以下述べる通り、民事訴訟法第三九五条一項六号に定める理由の齟齬ないし不備があり、破棄を免れない。
一 原判決までの審理の概要
上告人は、被上告人の有する発明の名称を「ポリエチレン延伸フイラメント」とする特許第一六〇一一七一号(以下本件特許という)について、その無効の審判を特許庁に求めていたところ、口頭審理を経た上、本件特許を無効とする審決(以下本件審決という)を得た。これに対し、被上告人より審決取消訴訟が提起され、東京高等裁判所は、本件審決を取り消すと判決した。
本件審決と、原判決では、最終的に、甲第三号証(西独特許第一〇二四二〇一号。以下西独特許という)の実施例4の理解について判断に差があり、これが結論を左右している。しかし、以下述べるとおり、原判決の認定には理由の齟齬ないし不備がある。
二 西独特許発明の発明の特徴
西独特許は、クレーム1が溶液紡糸後凝固浴に導入するまでを対象とするが、クレーム2は、
「新しく紡糸したヤーンを2段階で、即ち、第一段階では九〇~一〇五℃の温度で延伸し、第2段階では一一〇℃以上の温度で最終延伸することを特徴とするクレーム第1の方法」
というものであり、二段階延伸することを規定している。明細書中でも、
「紡糸した直後の糸は二段階で延伸できる。即ち、第一段階では九〇から一〇五℃の温度で予備延伸を行い、第二段階では一一〇℃から軟化点近傍の温度で最終的に延伸を行う。」
と記載されている通り、西独特許発明は、この二段階延伸を行うことに特徴がある。この点は、被上告人まり西独特許の解釈を依頼された言語学者も「本来のクレームは、二段操作に関する」(甲第一二号証訳文五頁)と明確に述べているところであるし、当事者間にも争いがなく、原判決も認めている。
三 西独特許発明の各実施例の延伸条件の記載内容
西独特許明細書の実施例1~3のの延伸条件を見ると、
第一段延伸 第二段延伸 合計
実施例1 約3倍 3倍 9倍
2 2・5倍 3・6倍 約9倍
3 2・4倍 3・3倍 7・92倍
となっている(直接の記載のない部分があるが、右の内容であることに争いはないし、原判決二一~二二頁もこれを認めている)。
ところが、実施例4は、
「低圧法で得られた分子量一五〇、〇〇〇のポリエチレン粉末一五〇gを実施例3に従って白油(ホワイトオイル)一kgに溶解して一五%紡糸溶液とした。紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する。1:9の最終延伸(einer Endverstreckung)後に得られたフィラメントは、三・八%の伸びにおいて一二五Rkmの強度を示した。個々のフィラメント繊度は1・8デニールである。」
というものであって、延伸条件についての直接の記載は「1:9の最終延伸」に限られる。そこで、この「1:9の最終延伸」が、最終段階での延伸即ち二段目の延伸なのか、第一段と第二段の延伸を合わせたものなのか、本件の争点はこの用語の意味内容に尽きる。
四 原判決の理由の不備ないし齟齬(一)
原判決は、
「甲第3号証に記載されている実施例1の延伸倍率は9倍、実施例2のそれは約9倍、実施例3のそれは7・92倍であるところ、仮に実施例4の全延伸倍率が21・6倍とすると、他の実施例の場合と比べて際立って高率のものとなり、「低圧法による高分子量の脂肪族ポリオレフインの細いフィラメントの製造法」に係る甲第3号証の発明において、フィラメントの延伸倍率が重要な要素であることは明らかであるのに、上記のように他と著しく均衡を失するものを実施例として何らの説明もなく挙示するとは考えられない」(二三頁末行~二四頁八行)
との理由から、実施例4の「1:9の最終延伸」を二段目の延伸ではなく全延伸倍率(一段目と二段目の延伸比の積で求められる、トータルの延伸比の意味)を意味すると判断している。
しかし、そうする士、実施例4において一段目、二段目の延伸の具体的内容は全く不明となる。なぜなら、実施例4には、「実施例3に従って」「紡糸溶液の引続いての操作は実施例3と精確に一致する」との記載があり、延伸比も実施例3に従うとすると、実施例3の延伸比は、右に見た通り、第一段の延伸が2・4倍で第二段が3・3倍であるからトータルでも7・92倍にすぎず、全延伸倍率9倍を何ら示さない。そのため原判決は実施例3と実施例4の延伸条件は違うと認定するのであるが、そうだとすると、ますます実施例4の第一段、第二段の延伸条件は不明となってしまう(実施例1、2の延伸倍率は、右に見た通り内容が異なるから、それらから、実施例4の全延伸倍率9倍の内容を推測することも出来ない)。従って、「1:9の最終延伸」という記載を「全延伸倍率9倍」と解釈すると、二段階延伸を特徴とする西独特許の実施例4が、二段階の各延伸比を一切特定していないという不当な結論となるのである。
この点を意識してか、原判決は、
「また被告は、甲第三号証の実施例1ないし3には、第一段階及び第二段階の各延伸倍率が明示されていることもその主張の根拠としているが、前記認定のとおり、実施例2では第二段階の延伸倍率について明示されているわけではない。」(二五頁七~一〇行)
と述べているが、実施例2には、第一延伸が2・5倍であるしとと、「最終段の通過後の延伸比は合計でもとの長さの約9倍である」ことが記載されているから、第二段の延伸が3・6倍であることは一義的に決まる。このように第一段、第二段の各延伸比が特定されている実施例2を引き合いに出して、実施例4において各延伸比の特定・開示がなくてもかまわないかのような原判決の認定は論外である。
明細書本文中で「本方法で製造したフィラメントは透明で光沢を有し、最大一二五RKmの強度を達成する」(甲第三号証訳文五頁一〇~一二行)と記載されている通り、右実施例4は、西独特許において最も重要な実施例なのである。
原判決は、西独特許について「フィラメントの延伸倍率が重要な要素であることは明らかである」(二四頁六~七行)との理由で、審決が認定する二一・六倍という延伸比が正しければ何らかの説明があるはずであるとする。その一方で、原判決は、西独特許の最も重要な実施例4が二段延伸の各延伸比を全く示していないとの結論を導いているのである。これは、明らかな理由の不備ないし齟齬である。
五 原判決の理由の不備ないし齟齬(二)
原判決は、実施例4の「最終延伸(einer Endverstreckung)」という用語がクレームや明細書中の第二段の延伸に当たる最終延伸(zu Endeverstreckt)とは異なる用語であるとする。
しかし、「Endeversteck」という点は完全に共通であり、文法上の差はあっても、用語自体は実質的に同じである。現に、被上告人の提出した甲第一二号証によれば、「述語“最終延伸(Endverstreckung)”(最後まで延伸する、再度延伸する、最終段通過後の延伸と同義)は、この特許公報において、一貫して、二段延伸プロセスの第二段の意味である」(訳文三頁)と記載されている。
明細書中での用語の違いを言うなら、実施例1が「全部で9倍」、実施例2が「合計でもとの長さの9倍」と記載して、全延伸倍率を明瞭に示しているのに、実施例4では、単に「1:9の最終延伸」と記載されているのである。この明確に異なる記載について正しく判断すれば自らの右結論と異なる結果が導かれることは明らかである。他の実施例の記載との比較を全くしない原判決には、明らかな理由の不備ないし齟齬がある。
六 原判決の理由の不備ないし齟齬(三)
1 原判決は、
「実施例3の第一段階の延伸倍率は2・4倍、第二段階の延伸は3・3倍、全延伸倍率は7・92倍であって、実施例4に示されている「1:9」というのは実施例3における全延伸倍率より高いものであるから、延伸倍率については「精確に一致」していないことは明らかであり、審決自体、第二工程の延伸倍率については実施例3と異なるものとしながら、その場合でもなお、第一段階の延伸倍率についてだけは実施例3と同じものと解さなければならない必然性ないし合理的理由を認め難い」(二三頁九~末行)
と認定する。しかし、これは、初めから実施例4に示されている「1:9の最終延伸」が全延伸倍率であるとの前提に立っているのであり、結論を理由に使っているにすぎず、結局、その結論を導いた理由は何ら示されていない。
2 合計で九倍の延伸をした結果、七〇RKmの強度、一五%の伸びの約3デニールの繊度のフィラメントを得た実施例2に対し、実施例4は一二五RKm、三・八%の伸びの一・八デニールのフィラメントを得ている。この実施例4のフィラメントは、西独特許で具体的に得られた中で、最も優れたフィラメントである。それが二段の延伸を特徴とする西独特許発明において、延伸の効果によって得られることは自明である。すなわち、西独特許の明細書に、
「この最初の洗浄の後に直ちに延伸を行うことは特に有利である。何故ならば、この延伸によって、可成りの量の溶媒(例えば、白油)がフィラメントから除去されるからである。
この方法にもとづき、高分子量の分岐がないポリエチレンおよび他の高分子量のポリオレフインを紡糸して、例えば高圧法ポリエチレン製フィラメントよりも大幅により大きい強度を有するフィラメントを製造できる。本方法で製造したフィラメントは透明で光沢を有し、最大一二五RKmの強度を達成する。」
(甲第三号証訳文五頁一~一二行)
と記載されている通り、実施例4の「最大一二五RKmの強度を達成する」ためには、延伸操作は不可欠なのである。
そして、西独特許のクレーム2が、
「新しく紡糸したヤーンを2段階で、即ち、第一段階では九〇~一〇五℃の温度で延伸し、第2段階では一一〇℃以上の温度で最終延伸することを特徴とするクレーム第1の方法」
と記載していることからしても、実施例4の
「紡糸溶液の引き続いての操作は実施例3と精確に一致する。
1:9の最終延伸後に得られた」
との記載について、実施例1ないし3と同様の第一段階の延伸をまず行い、次に「最終延伸」すなわち第二段階の延伸を行うと理解するのは極めて当然のことである。特に、実施例4に「引き続いての操作は実施例3と精確に一致」するとわざわざ記載されていることからすれば、最終延伸前の各操作のうち、第一段の延伸操作だけが実施例3と一致しないと考えるべき理由はどこにも存在しない。
3 本来、特許明細書の内容は当業者の技術常識に即して理解すべきものである。しかも、実施例の中に他と異なる条件のものが含まれることは通常であり、特に最終の実施例にその傾向が強いこともよく知られたことである。
審決が、実施例2で得られたフィラメントと実施例4で得られたフィラメントの物性を比較して、
「実施例4では、実施例3の第1段延伸(水浴中での延伸)の2・4倍と最終延伸9倍との積(2・4×9)である合計21・6倍の延伸が行われているか、少なくとも、実施例2の約9倍よりはるかに高倍率の延伸(合計一一倍を超える延伸)を行っていると解するのが相当である。この点は、甲第12号証に係る九州大学工学部応用物質化学科梶山千里教授の鑑定意見及び甲第13号証に係る東京工業大学工学部材料工学講座奥井徳昌教授の鑑定意見によって明白であり、また当分野の技術常識にも合致する。」(審決一四頁七~一七頁)
と正しく認定するのは、きわめて当然のことである。
これに対して、原判決は1で述べたとおり、初めから実施例4の「1:9の最終延伸」が全延伸倍率であるとの前提に立って、それと実施例3の全延伸倍率が一致していないが故に、実施例3と4の第一段階の延伸が同じである理由はないという、全く理由にもならないことを言っているのである。原判決には、明らかな理由の不備ないし齟齬がある。
なお、この点について、原判決は、
「実施例4において第一段階の延伸倍率についてだけ実施例3と同じものと解さなければならない必然性ないし合理的理由を認め難いこと、合計21・6倍という延伸比は、他の実施例の場合と比べて際立って高率であって、そのようなものを何らの説明もなく実施例として挙示するとは考えられない」
(二八頁六~一一行)
と述べるが、原判決のように解すると、実施例4のみが二段階延伸の内訳を全く示さないという不合理を来すことは既に述べた通りである。
七 原判決の理由の不備ないし齟齬(四)
1 原判決は、「乙第5号証に記載されているフィラメントの物性(強度及び伸び)は甲第3号証に記載されているものと大幅に相違している」から、「乙第6号証がその根拠とする乙第5号証の実験結果は、甲第3号証の実施例2及び実施例4についての正確な追試であるとは認められない」とし、
「乙第6号証記載の意見は、乙第5号証の実験一1、実験一2及び実験一3で得られた延伸フィラメントの強度及び伸びの相違はそれほど顕著ではないとし、延伸フイラメントの強度及び伸びを決める最大の要因は延伸比であることを前提としているが、合計延伸比がいずれも9倍である場合の強度は、実験一1が20Rkm、実験一2が26Rkm、実験一3が17Rkmであって、それぞれの差を小さいものと一概に評価することはできないから、強度に顕著な相違がないことを前提として延伸フィラメントの強度を決める要因が繊度ではなく延伸比であるとたやすく即断することはできないことを総合すると、乙第4号証、乙第6号証及び乙第7号証に記載されている甲第3号証の実施例4の延伸比に関する見解はたやすく採用することができない。」(二九~三〇頁)
とする。
しかし、乙第五号証の実験は、いかなる条件がフィラメントの物性を決するかを明らかにするための比較実験である(それ故に、上告人は証拠として提出したし、準備書面でも一貫して比較実験であると主張した)。すなわち、分子量も実施例の4(一五万)より少ない一三万七〇〇〇であるなど、はじめから追試を目的とはしていない。比較実験にすぎないものについて、追試とは言えないから根拠にならないとする原判決の指摘には理由がない。しかも、乙第四号証は、乙第五号証の実験とは全く無関係に述べられた意見であるから、右のような理由でこれを排斥することは出来ない。
2 原判決は「延伸フィラメントの強度を決める要因が繊度ではなく延伸比であるとたやすく即断することはできない」と言う。
しかし、乙第六号証の表Bから明らかなように、実験2のフィラメントの繊度は実験1の約半分、実験3の約三分の一であるのに、伸びはほとんど等しく、強度も三割ないし五割の増加があるにすぎない。それに比べて延伸比が合計九倍から二一・六倍になると、強度は二・五倍を上回っている。即ち、繊度が延伸フィラメントの強度の増加に及ぼす影響が微小であるのに対して、延伸倍率の増加と強度の増加はほぼ一致している。そこで、乙第六号証では、
「繊度は明らかに低い(細い)が強度及び伸びの相違はそれほど顕著ではなく、延伸フィラメントの強度及び伸びを決める最大の要因はノズルから押し出されるフィラメント(原糸)の繊度ではなく延伸比であることが判る」
(二頁表Bの下、二~四行)
と述べられているのである。西独特許実施例4の強度及び伸びが大幅に改善していることの理由は、繊度よりも、延伸比の差に求めることが理にかなっているのである。
そもそも、フィラメントの強度などの物性に延伸比がもっとも影響を与えることは技術常識であり、「延伸フィラメントの強度を決める要因が繊度ではなく延伸比であるとたやすく即断することはできない」ということ自体、当業者の技術常識に完全に反する。右のように認定するためには、少なくとも強度の要因が繊度であることが検証されなければならず、その検証もないまま、延伸比が強度の改善原因であることを否定することは出来ない。
3 このように、原判決は、理由にもならない完全に失当な理由で乙第四号証、乙第六号証の九州大学梶山千里教授の意見を排斥し、一方で何らの検証もないまま当業者の技術常織に完全に反する認定を行っている。原判決の認定には明らかな理由の不備ないし齟齬がある。
八 以上の通り、原判決には、民事訴訟法三九五条一項六号が定める理由の不備ないし齟齬がある(判決に影響を与える重大な経験則違反があると言うこともできる。これは、採証法則を定める民事訴訟法一八五条などの法令違反があって判決に影響を与える場合に他ならないから、原判決には民事訴訟法三九四条が規定する上告理由も認められる)。よって、原判決は破棄されるべきである。
以上