最高裁判所第二小法廷 平成9年(オ)218号 判決 1998年3月13日
上告人
真鍋純
同
真鍋隆
同
小沢京子
同
真鍋秀生
右財産管理人
真鍋純
右四名訴訟代理人弁護士
藏大介
被上告人
大竹朝子
右訴訟代理人弁護士
香髙茂
右補助参加人
国
右代表者法務大臣
下稲葉耕吉
右指定代理人
山中正登
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告人代理人藏大介の上告理由第七の二及び三について
民法九六九条に従い公正証書による遺言がされる場合において、証人は、遺言者が同条四号所定の署名及び押印をするに際しても、これに立ち会うことを要するものと解すべきである。けだし、同条一号が公正証書による遺言につき二人以上の証人の立会いを必要とした趣旨は、遺言者の真意を確保し、遺言をめぐる後日の紛争を未然に防止しようとすることにあるところ、同条四号所定の遺言者による署名及び押印は、遺言者がその口授に基づき公証人が筆記したところを読み聞かされて、遺言の趣旨に照らし右筆記が正確なことを承認した旨を明らかにし、当該筆記をもって自らの遺言の内容とすることを確定する行為であり、右遺言者による署名及び押印について、これが前記立会いの対象から除外されると解すべき根拠は存在しないからである。
原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) 真鍋秀光は、平成三年七月一八日、仙台法務局所属公証人伊藤豊治に対し、本件遺言公正証書の作成を嘱託し、伊藤公証人は、同日午後六時から六時三〇分ころまでの間に、秀光の入院先の病室において加藤久良及び近藤節子を証人として立ち会わせた上、秀光から遺言の趣旨の口授を受けて本件遺言公正証書の原案を作成し、これを秀光に読み聞かせたところ、秀光は、筆記の正確なことを承認して遺言者としての署名をしたが、同人が印章を所持していなかったことから、手続はいったん中断された、(2) 伊藤公証人は、被上告人が秀光の印章をその自宅から持ってきた後の同日午後七時三〇分ころ、前記病室において、近藤の立会いの下、再度筆記したところを読み聞かせ、秀光は、その内容を確認した上、これに押印した、(3) 右秀光の押印の際、加藤は、これに立ち会わず、病院の待合室で待機していたが、待合室に戻ってきた伊藤公証人から、秀光の押印を得て完成した本件遺言公正証書を示されたというのである。
右のとおり、証人のうちの一人である加藤は、秀光が本件遺言公正証書に押印する際に立ち会っていなかったのであるから、本件遺言公正証書の作成の方式には瑕疵があったというべきである。しかし、秀光は、いったん証人二人の立会いの下に筆記を読み聞かされた上で署名をし、比較的短時間の後に近藤立会いの下に再度筆記を読み聞かされて押印を行い、加藤はその直後ころ右押印の事実を確認したものであって、この間に秀光が従前の考えを翻し、又は本件遺言公正証書が秀光の意思に反して完成されたなどの事情は全くうかがわれない本件においては、本件遺言公正証書につき、あえて、その効力を否定するほかはないとまで解することは相当でない。してみると、上告人らの本件遺言無効確認等請求を棄却すべきもとのとした原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は、結局、原判決の結論に影響しない事項についての違法をいうものに帰し、採用することができない。
その余の上告理由について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右事実関係の下においては、上告人らの本件請求を棄却すべきものとした原審の判断は、是認できないではない。論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官根岸重治 裁判官大西勝也 裁判官河合伸一 裁判官福田博)
上告代理人藏大介の上告理由
第一 原判決には理由不備及び審理不尽の違法がある。
一 原判決は、上告人が原審で秀光の遺言能力に影響を与える事実を指摘したにもかかわらず、何ら理由を告げずにそれを排斥した点で理由不備の違法があり、しかも秀光が本件遺言をした際、自己の行為についての判断能力が著しく減退あるいは欠如しているとの疑いを抱かせる言動がなかったと認めたことは審理不尽の結果、事実の誤認に至ったものである。
二 原判決
原判決は、「秀光は本件遺言をした際、伊藤公証人としっかりした受け答えをし自己の行為についての判断能力が著しく減退あるいは欠如しているとの疑いを抱かせるような言動がなかったことが認められ、加えて、原審における証人福田陽一の証言によると秀光に意識障害が認められたのが同月二二日以降であると認められることに照らすと、秀光は本件遺言をした当時、遺言の意味内容を理解し判断する能力を有していたものと認められるから、控訴人らの右主張は採用することができない。」と判断している。
三 印鑑の判断
1 遺言者は遺言書作成時には、自己の実印の判断もできない状態であった。
2 この点、一審判決は次のように認定している。
「秀光が右原案に署名しようとしたところ、秀光が実印を所持していないことが判明した。そこで、被告は、中山の建物まで秀光の実印を取りに帰り、同日午後七時三〇分頃、秀光の病室に戻った。伊藤公証人は、加藤久良、近藤節子を証人として、改めて秀光に対し、本件遺言内容の読み聞けを行い、秀光はその内容を確認した上、本公正証書に署名押印した。」と事実を認定している。
3 以上の事実は、秀光の実印が必要となりそれを取りに戻り、実印を持ち帰ったことを意味する。
しかし、被上告人が病院に持ち帰ったのは秀光の実印ではなく三文判であった。このことは公正証書に押印された印鑑が本人の実印でなかったことから明らかである。
被上告人は公証人から遺言書に押印するため実印が必要といわれ一時間もかけて実印を取りに帰り、実印と偽って三文判を持ち帰ったのである。そして、秀光は自分の実印の判断もできない状態で公正証書に押印したのである。
秀光が仮に正常な状態であったならば、自らの実印を十分に認識できるはずである。
自らの意思で仙台市役所に自分以外の者に印鑑証明書を発行して欲しくない旨の上申書を作成するほど自己の実印を重視していた遺言者が、実印を取りに戻った状況を認識できる状態であれば、自分が押印した印鑑は実印でないことは十分に認識できたはずである。
公証人に遺言書の作成のため実印が必要と言われ、一時間もかけて取りに戻った印鑑が実印ではない。秀光が実印の判断もできないほどの意識状態であることを示す極めて重要な客観的証拠である。
4 原判決は一審が実印と認定していたにもかかわらず、それが遺言者の遺言能力の判断に与える影響を全く無視して印鑑に訂正している。
原判決は次のように第一審判決を変更している。
「ところが、秀光がその名下に押印しようとしたところ、印章を病院に持参していないことが判明し、被控訴人が中山の建物まで秀光の印章を取りに行くことになり、被控訴人は秀光の印章を取りに帰り、同日午後七時三〇分頃、秀光の病室に戻った。」
上告人は原審で秀光の判断能力が既に自己の実印の判別もできない状態であったことを主張し、それを立証しようとしていた。
ところが、原判決は一切の証拠調べをせず、実印を印鑑に訂正し、その理由も述べない。
四 仙台市役所への上申書
1 本件遺言の作成に際し印鑑証明書の提出がなされなかった理由として、秀光は、本件遺言作成時に仙台市役所へ上申書を提出していた事実が第一審に判決に記載されている。
2 原判決は第一審判決を是認し、次のように認定している。
「秀光は、数年前から、仙台市役所に対し、自己の写真を添付した上、自己以外の者に印鑑証明書を発行しないように上申していたため、入院中の秀光の代理人として第三者が印鑑証明書を入手することは困難な状態であった。」
3 しかし、当時の仙台市の印鑑条例では、証明書交付の指定制度が規定されていないため、登録者の意思で証明書の交付を受ける者を指定し、第三者の入手を禁じることは不可能であった。
秀光の写真入り上申書が仙台市役所に提出されても仙台市役所では全く受理せず、法律的には全く無意味のものである。秀光以外の第三者であっても仙台市印鑑条例規定の方法にしたがえば秀光の印鑑証明を入手することは十分に可能であった(仙台市印鑑条例一五条、一六条参照)。
秀光が自らの意思で写真入り上申書を作成し、それを仙台市役所に呈示したのであれば、それが全く無意味なものであることは十分に判断できるはずである。
被上告人は、秀光の上申書が仙台市役所に提出されていたことから、被上告人は秀光の印鑑証明書が入手できず仕方なく証人による公正証書遺言の作成を委託したと主張し、原審もそれを認めている。
しかし、秀光の写真入り上申書は全く無意味なものである。秀光が真意に基づき遺言書の作成を望んでいるのであれば、「自ら写真入りの上申書」が全く無意味なものであることを被上告人らに告げ印鑑証明書を入手するのが常識的な判断である。それをせずに、印鑑証明書をとることができなかったということは、秀光が当時、自己の作成した写真入り上申書が無意味であることを判断できない程度に判断能力が著しく減退していたのである。
4 上告人は、原審で秀光が自己の作成した写真入り上申書が無意味であることの判断が既にできない状態であったことを主張し、それを立証しようとしていた。
ところが、原判決は一切の証拠調べをせず、第一審通りの認定をし、上告人の主張を排斥した理由を述べない。
五 被上告人の行動の不合理性
1 被上告人は平成三年七月一七日に全く無意味な秀光の上申書を持参して、鹿又弁護士の下を訪れている(平成六年一〇月一七日付被告作成の準備書面第七項)。
遺言が秀光の真意に基づくものであれば、被上告人は、秀光の印鑑証明を用意できたはずである。
被上告人が秀光の印鑑証明書と実印を用意できなかったのは、秀光が真意に基づき遺言をしようとしていなかったことを強く推測させる。
被上告人が秀光作成の上申書を有効なものであると信じ込んでいたことが理由とすれば、秀光は何故、被上告人にそう信じ込ませたのであろうか。
自分の全財産を贈与してもよいとまで考えている被上告人に対し、秀光は何故実印と印鑑証明書を呈示しなかったのであろうか。このことは遺言者は被上告人に自分が知らない間に勝手に印鑑証明書を取られることを強く恐れていたことを強く推測させる。
2 被上告人は、実印を取りに戻ったが、実印を持ち帰らず、三文判を持ち帰りそれを鹿又弁護士及び公証人に実印と述べている。
しかも、被上告人は第一審において自ら実印と証言している。被上告人は秀光の実印を知らなかったのであろうか。被上告人の証言によれば秀光とは内妻の関係にあったのではないか。被上告人は秀光の実印であると虚偽の証言をする必要があるのか。
六 原判決の理由不備、審理不尽のまとめ
原判決は、真鍋秀光の遺言能力に影響する点について、重大な事実誤認をしており、その点について、上告人が原審で客観的事実を指摘し、証拠調べを要求しても、理由も告げずに拒否し、かえって不利な事実を認定している。しかも、上告人の主張を排斥した理由についても一切述べていない。
以上のように、原判決には審理不尽、理由不備の違法がある。
第二 公証人法二八条二項の違反について(証人の人数について)
一 公証人法二八条二項違反
1 証人により嘱託人が人違いでないことを証明させる場合の証人の人数について原判決が一名で足りるとしたのは公証人法二八条二項の解釈を誤っている。
2 公証人法二八条の規定
公証人法二八条は以下のように規定している。
(一) 公証人が公正証書を作成するには、嘱託人の氏名を知り、かつ面識があることを要する(同法第二八条一項)。
(二) 公証人が嘱託人の氏名を知らず、または面識なきときは、官公署の作成したる明書の提出、その他これに準ずる確実な方法により、人違いでないことを証明することを要する(同法第二八条二項)。
二 原判決
原判決は、公証人法二八条二項の証人により嘱託人が人違いでないことを証明させる場合の証人の人数について次のように判断している。
「嘱託人の確認にあたる証人は、単に嘱託人が人違いでないことを証言するだけのものであるから、二人以上でなければならないとする実質的な理由もなく、ことに嘱託人確認の方法として、昭和二四年法律第一四一号(公証人法の一部を改正する法律)による改正前の公証人法二八条二項は、「公証人嘱託人ノ氏名ヲ知ラズ又ハコレト面識ナキトキハ其ノ本籍地若シクハ寄留地ノ市町村長ノ作成シタル印鑑証明書ヲ提出セシメ又ハ氏名ヲ知リ且面識アル証人二人ニ依リ其人違ナキコトヲ証明セシメルコトヲ要ス」と規定していたところ、右昭和二四年法律第一四一号により「公証人嘱託人ノ氏名ヲ知ラス又ハコレト面識ナキトキハ官公署ノ作成シタル印鑑証明書ノ提出其ノ他之ニ準スヘキ確実ナ方法ニ依リ其ノ人違ナキコトヲ証明セシメルコトヲ要ス」と改められたものであること等に鑑みると、昭和二四年法律第一四一号による改正後の法二八条二項は、官公署の作成した印鑑証明書の提出に準ずる確実な方法として、証人については、その数を限定せず、一名でも足りるものとしたと解するのが相当である。」
三 公証人法二八条二項違反
1 しかし、証人により嘱託人が人違いでないことを証明させる場合の証人の人数について原判決が一名で足りるとしたのは法令の解釈を誤っている。
2 公証人法二八条二項の解釈
(一) 公証人法二八条二項の、官公署の作成したる印鑑証明書の提出に準ずる確実な方法として、証人により嘱託人が人違いでないことを証明させる場合には、少なくとも信用すべき確実な証人二名を必要とする(三堀博『公証手続』七二頁参照)と解すべきである。すなわち、印鑑証明書の提出、その他これに準ずべき方法とは、運転免許証・外国人登録証明書・写真のついた官公署などの発行した身分証明書・パスポート・学生証などの提出でもよいとされている。さらに、公証人が氏名を知り、かつ、これと面識のある証人二人に、人違いでないことを証明させる方法(三堀博「公証のすべて」六四頁、法務省民事局「公証読本」一〇三頁)を意味するのである。
(二) 原判決は、嘱託人の確認にあたる証人は二人以上でなければならない実質的な理由がないとか、昭和二四年五月三一日の公証人法が現行法のように改正されたことからも、証人の数は一名でも足りると解釈している。
(三) しかし、証人による嘱託人本人の確認は、印鑑証明書と実印という確実な方法と同視し得る程度に確実なものでなければならないのである。証人による証言は人の記憶に頼ることから物的な証明に比べ客観性が乏しく、証人一名のみでは、その証人の記憶違いということもあり得る。また、その証人一名と嘱託者に何らかの利害があることもある。人間の記憶が必ずしも正確でないことは、我々の経験則が明白に示すものである。印鑑証明と同程度の確実な方法を法が要求している以上、証人の場合は、一人では不充分であり、少なくとも二人以上の証人が必要であることは当然である。法が証人二名を要求する実質的な理由はそこにある。
民法第九七六条死亡危急者の遺言の場合は「証人三名以上の立会い」を求め民法第九七九条船舶遭難者の場合は「証人二名以上の立会い」を要求している。
さらに、不動産登記法第四四条は、登記義務者の権利に関する登記済証が減失したるときは、申請書に登記を受けたる成年者二名以上が登記義務者の人違いなきことを保証したる書面二通を添付することを要する旨規定している。
このことは、法は、人間である証人の習性から、一名では確実性に危惧があるから「二名以上」または「三名以上」の証人を求めているものである。法としては極めて正当である。
3 民法九六八条との整合性
(一) 民法第九六八条は、公正証書遺言書の作成において「証人二名の立会い」を要求している。
その趣旨は、右証人をして遺言者が人違いがないこと及び遺言者が正常な精神状態の下で自己の意思に基づき遺言の趣旨を公証人に口授するものであることの確認をさせるほか、公証人が民法九六九条に掲げられている方式を履践するため筆記した遺言者の口述を読み聞かせるのを聞いて筆記の正確なことの確認をさせたうえこれを承認させることによって遺言者の真意を確保し、遺言をめぐる後日の紛争を未然に防止しようとすることにある(最高裁昭和五五年一二月四日第一小法廷判決・民集第三四巻七号八三五頁)。
(二) 民法では公正証書遺言を作成するに際して、二人の証人を必要としているが、その趣旨は遺言者の人違いがないことを証明する点にある。
原判決は民法の規定も実質的な理由がないというのであろうか。
民法は、公正証書遺言の重要性から証人二名を要求しているのであり、公証人法における公正証書遺言作成に際する本人の同一性の確認についても民法の規定が影響を与えるのが当然である。
(三) 嘱託者本人であるかどうかという本人の同一性確認業務は、公正証書の作成にとって、基本的な極めて重要な業務である。
実質的にみても証人が人違いでないことを証言することと、公証人の作成した遺言書が、遺言書の申述した通りになっているかどうかを確認することとの重要性に差異はない。
4 公証人法の改正について
(一) 原判決は、公証人法の昭和二四年五月三一日の改正を理由とするが、それも根拠とするには合理性がない。
(二) 改正前の公証人法は、嘱託人の確認方法として、印鑑証明による方法、面識のある証人二名による証明という二つの方法をあげている。明治四二年から施行されている公証人法は、大正時代・昭和時代の太平洋戦争前などは、自動車運転免許証とか写真の添付した官公署の証明書など全くなかった時代である(写真自体を写すことも、特別な時しかなかったであろう)。そのため、嘱託人の確認方法として、二つの方法を明記したのである。
(三) 昭和二四年五月になって、公証人法第二八条二項を改正し、印鑑証明書による方法これに準ずる方法というようになったのは、自動車運転免許証・外国人登録証・写真のついた身分証明書・パスポート・学生証等、印鑑証明書と同程度に確実な方法が、一般社会に認められるようになったからである。
これらの方法による証明は客観的なものであることから面識のある証人二名による証明と同視できるものである。従前は当事者の確認の方法として印鑑証明書による方法と同程度の確実な方法として証人二名の証明を要求していたのであり、公証人法の面識ある証人二名の要件が「準ずる方法」と改正されたことは、それ以前の「面識ある証人二名による証明」という方法の要件を緩和したり、削減したりしたものではないことは明らかである。
(四) 原判決のように、反対解釈をする根拠は全くない。
むしろ、昭和二四年五月三一日以前の法文上「面識ある証人二名による証明」となっていたならば、むしろ、現行法の解釈として、なお一層「これに準ずる確実な方法」の一つとして、「面識ある証人二名による証明」が必要なものと言わなければならない。
改正前の条文は、現行法の「これに準ずる確実な方法」の例示であって、現行法の解釈上も当然のことである。
(五) よって、原判決が、公証人法第二八条二項の解釈として、嘱託人を確認する証人の人数が一名でも足りるとしてことは、同法の解釈を誤っているものである。
第三 公証人法第二八条二項違反(証人の資格について)
一 仮に現行法が証人の人数を必ずしも二名を要求しない趣旨であったとしても、証人による証明は印鑑証明書に準ずる確実な方法でなければならない以上、特段の事情がない限りは二名の証人を必要とするべきである。
従前は印鑑証明書による証明又は面識ある二名の証人による証明が必要であると規定されていたこと、現行法も印鑑証明書の提出その他これに準ずべき確実な方法と規定していることから、証人により証明する場合は、面識ある証人二名を要求するのが原則であるといえる。証人一名による証明が許されるとしても、それは印鑑証明書の提出及び面識ある証人二名による証明に準ずる確実な方法であることが必要なのは条文上明らかである。
すなわち、証人一名による証明の場合は、公証人が氏名を知り面識のある信用すべき証人の証言(公証人法研究庄田秀麿)二八頁)によることが最低限必要である
この点、原判決は官公署の作成した印鑑証明書の提出に準ずる確実な方法として証人については、その数を限定せず、一名でも足りるものとしたと解するのが相当であると判断している。
原判決の判断によれば、証人の一名の証言により嘱託人の同一性の証明があれば、その証人にいかなる事情があっても常に印鑑証明書の提出に準ずる確実な方法であることになるが、これは公証人法二八条二項の趣旨に著しく反する。
二 原判決の立場によれば、事件と関係があり利害関係のある証人であっても、嘱託人との面識が殆どない証人であっても一名で足りることになる。
しかし、これは印鑑証明書の提出に準ずべき方法として証人を要求した法の趣旨に、明らかに反する。
事件に関係があり利害関係がある証人や嘱託人との面識が殆どない証人は、公証人が氏名を知り面識ある信用すべき証人とはいえないのである。
民法九七四条が証人の欠格事由を規定しているが、公正証書遺言の証人の要件として二名以上の証人に要求されるのであり、証人一人によることが仮に認められるとした場合には、其の民法九七四条の要件に加え、その証人を信用すべき特段の事由が必要と解するのが妥当である。
三 例えば、本件の証人加藤久良や近藤節子は、事件に深い利害関係があり印鑑証明書の提出に準ずべき確実な信用すべき証人とはいえないのである。
加藤久良は、事実上、本件遺言者本人より利益を受ける受遺者大竹朝子の依頼した弁護士事務所の事務員であり、近藤節子は大竹朝子の実妹である。
加藤久良には業務活動上の利益があり、近藤節子には親族としての利益がある。
四 原判決は、何ら限定なく証人一名の証言で足りると判断しているが、公証人法二八条二項に違反する。
第四 公証人法二八条二項違反(証人と嘱託人との関係)
一 印鑑証明書の提出に準ずべき確実な方法として証人を要求する以上、証人は嘱託人本人が人違いではないと確実に証明できることが必要であり、そのためには、証人自身が遺言者について予め面識があり、その氏名も知り間違いなく本人であると明言できる程よく知っていることが重要な要件であるが、原判決はこの点について全く無視しており、公証人法二八条二項が要求する証人についての解釈適用を誤っている。
二 本件公正証書作成に際して原判決が証人と判断した加藤久良は、本件証書を作成するため病院に行くまで、遺言者本人真鍋秀光を全く知らなかったのである。
公証人法第二八条二項が「印鑑証明書の提出に準ずる確実な方法として、証人による証明を含む」ことは、その証人が、嘱託者本人について面識があり、氏名も知り、間違いなく本人であると明言できる証人であることを当然に前提としている。
しかるに、本件証人加藤久良は、本件証書を作成するため病院に行くまで、遺言者本人真鍋秀光を全く知らなかった。真鍋秀光の氏名も知らず、面識もなかった。
このことは、加藤自身も認めている(加藤調書五八・六〇頁)。
三 証人に「人違いでないかどうか」証言させることは、家族・友人・知人・職場の同僚など、遺言作成日の以前から遺言者本人と面識がある者によって、人違いでないかどうかを確認することにある。
公証人は、証人の過去の交際や経験に基づいて、遺言者真鍋秀光本人かどうかという認識を尋ねているのであって、公証人法第二八条二項は証人の判断を問うているのではない。
当日まで全く遺言者を知らなかった者が、当日になって初めて「鹿又弁護士がそう言ったから」「病院に寝ているから」「病室に名札がかかっているから」などということで、人違いでないなどと言うことは、証明にならない。
証人は、あくまでも自分の過去の交際や経験に基づく事実を証明することであって当日の判断は証明にならない。
嘱託人本人の確認のために証人となる以上、証人の適格性として「公正証書作成時より以前に嘱託人本人と面識があり、氏名を知っているものでなければならないのである。
四 よって、原判決が、本件証人加藤久良が証人としての資格に欠けることがないと認定し、証人加藤久良一人の証言で嘱託人の同一性を判断したことは、公証人法二八条二項の趣旨を没却し、同法の解釈適用を誤るものである。
第五 公証人法二八条二項違反(公証人と証人との面識)
一 公証人法二八条二項の印鑑証明書に準ずべき方法として証人により嘱託人の同一性を確認する場合には、公証人が氏名を知る面識証人が必要であることは原判決も認定するとおりであるが、原判決は公証人法二八条二項が要求する「面識」の解釈を誤っている。
二 面識の解釈
1 公証人法第二八条一・二項の「面識あり」とは「互いに顔を知りあっていること「顔見知り」であることを言う。日常用語的にもそうであるし、公証人法の解釈でもそうである。
公証人法第二八条一項が「嘱託人の氏名を知り、かつ面識があること」と条文上明記していることは、氏名を知っていること、さらに互いに顔を知っていることである。
しかるに、原判決は、公証人法第二八条の「面識あり」という条項の解釈を誤っている。
2 原判決は、「仮に、伊藤公証人の供述のとおりであったとしても、公証の実務上、面識簿が備えられ、公証人の面識者がデータとして登録されているということ等に鑑みれば公証人がある人を面識者といえるためには、日常用語的に、対面したとき、その人の顔に見覚えがあるということまでは要求されないものというべきであろう。」と認定している。
すなわち、原判決は、公証人法第二八条の「面識あり」とは「公証人と対面したときに、その人の顔に見覚えがあるということまで要求されないものである」と解釈している。
3 しかし、公証人役場において面識簿に登録さえしておれば、公証人はその人物に見覚えがなくても「面識あり」と言えるということは、明らかな誤りである。
原判決は、公証人役場の面識簿なるものが、公証人の職務上の単なる補助簿に過ぎないことを理解せず、面識簿に公証人法の解釈を越えた特別の効力を認めるものである。
公証人役場の面識簿に登録されているからと言って、登録されている者が全員いつまでも何年間でも、必ず公証人と面識がある者とは限らないのである。
公証人役場の面識簿なるものは、何回も公正証書の作成を嘱託する者についての顔と姓名(特に、森田とか山田とか姓の方だけ知っている人)は知っているが下の名前や姓名の正確な文字、住所地の正確な地番、あるいは生年月日等を確認するために作成されるものである。
それは、公証人の便宜と職務遂行の適正確実のために備え付けられるものであって、それ以上のものではない。いわば、職務遂行の確実さのために備えられる補助簿なのである。
4 公証人役場に面識簿があるから、その帳簿に名前が記載されているからと言って、公証人が顔を見ても誰か分からない人物までも、公証人と面識があるとは言えないのである。原判決は、面識簿の目的も正当に把握していない。
面識簿に記載されている者は、公証人の記憶にない者も、全て公証人と面識があるということになるという原判決の論理は、公証人法第二八条が要請する「面識あり」の解釈適用を誤っている。
三 さらに本件の場合、公証人がその人の顔の記憶がなくても、公証人役場の面識簿に記載されており、公証人の面識者がデーターとして登録されていることを確認の上面識者として行ったのとは異なる。
すなわち、伊藤公証人は、「加藤久良について、顔を見ても名前を思い出せないが加藤久良という人物は面識簿にのっているから面識あり、でやりましょう」と述べているのではないという事実である。伊藤公証人調書八頁にあるように、「鹿又弁護士が、この人が加藤さんに間違いないというから、面識ありでやりましょう。」と言うのである。
本件公正証書遺言書が作成された際、伊藤公証人は、加藤久良が公証人役場の面識簿にのっているかどうかも確認しておらず、また、その後においても、加藤久良が公証人役場の面識簿にのっているかどうかの確認もしていない。
それにもかかわらず、原判決が、公証人役場には面識簿が備えられているから、伊藤公証人が加藤久良に対面したとき、その人の顔に見覚えがなくてもよいのである、と論述し、結局、伊藤公証人は加藤久良と面識があるのだと認定していることは、論理的に誤っている。
公証人は証人と面識がないという理解のもとで、面識簿の記載の有無及び本人の同一性の確認も行わず証人としたところ、たまたま面識簿の記載がデーターとして登録されていたから面識者であるという判断であるが、「公証人が氏名を知り面識のある」とは到底いえない。
以上のように、原判決は、公証人法二八条二項が要請する面識の解釈を誤っている。
第六 故意による公正証書の虚偽記載(公証人法第三六条六号違反)
一 公正証書の虚偽記載
1 本件公証人は、本件公正証書作成時、証人である加藤久良及び近藤節子の氏名を知らず、面識がなかったのに、本件公正証書に故意に、「氏名を知り面識のある右両証人により嘱託人が人違いでないことを証明させた」旨、虚偽の記載がある。
証人近藤節子については、遺言者が真鍋秀光かどうかを確認した事実もないにもかかわらず、「嘱託人が人違いでないことも証明させた」旨の虚偽の記載がある。
2 本件遺言公正証書(甲第一号証)において、公証人は次のとおり記載している。「(遺言者真鍋秀光については)本職が氏名を知り面識のある左記証人により人違いでないことを証明させた。
記
住所 仙台市太白区西多賀<番地略>
職業 法律事務所事務職員
証人 加藤久良
<生年月日略>
住所 宮城県古川市中島町<番地略>
職業 食堂経営
証人 近藤節子
<生年月日略>」
3 ところが、右公正証書を作成し、右の如き記載を行った公証人伊藤豊治は、前記証人の「加藤久良」とは作成当時まで全く面識もなく、氏名も知らなかったことを認めている。
『そうすると、加藤久良さんという方は、証人は、この遺言公正証書を作成するときまでには、知らなかったということですね。それ以前はね。存じません。その次に、やはり、証人に、近藤節子さんておられますが、この方は、この遺言公正証書を作成するときまでに、知っておられましたか。いや、それは知りません。』(平成五年一二月一五日伊藤豊治証人調書四、五丁)
4 すなわち、公証人は、加藤久良や近藤節子について、全く面識もなく、氏名を知らない人物であることを認識しながら、敢えて虚偽の記載を行ったことは明白である。
二 原判決
原判決は、証人のうち、近藤節子については、伊藤公証人と面識はないにもかかわらず、面識があると記載されている事実を認めているが、これは、公正証書が本来備えるべき公正さを欠くもので、公証人法第二条によって、本件公正証書は無効である。
三 原判決の誤り
1 公正証書の方式に厳格性が要求されるのは、勿論、遺言内容の正確性を保持するためであるが、だからといって、原判決の判示のように、遺言内容の正確性に影響を及ぼさない事項に虚偽の記載(公証人が虚偽であることを知っていて記載された事項)があっても、公正証書は有効であるという論理は誤っている。
2 まず、「遺言内容の正確性に影響を及ぼさない事項」とは何か、極めて不明確である。
証人の住所に誤記がある程度のことは許されるかも知れない。しかしながら、公証人法上、遺言者本人の確認の重要な要素として、条文の要件として、面識があるか否かが問題であるが、その点について「面識がないにもかかわらず、面識があると記載されている」こと、さらに、原判決の論理によっても、証人のうち加藤久良一名しか面識がないにもかかわらず、「左記証人により人違いでないことを証明させた」と記載され、公正証書文面上からは、証人加藤久良と証人近藤節子の二名によって、人違いでないことを証明させたことになっている。
3 このような虚偽の記載が「遺言内容の正確性に影響を及ぼさない事項」になると言うならば、もはや公正証書の方式など論ずるに値しないのである。
原判決は、本件公正証書を有効とするために、無限定に公正証書の方式を破ろうとするものである。
4 公証人、受遺者代理人弁護士及び証人二名のいずれも、この公正証書を読み聞かされているのであり、その内容の虚偽の点に気づいて承知しているものであるから、このような悪意の受遺者らを保護すべき理由などあり得ない。
四 過去の判例
1 判例には、《公証人が遺言者と従来から面識があり、氏名を知っていたのであるが、公正証書を作成すべき際に「面識あり」とすべきところを誤って、「印鑑証明書を提出させた」と記し、印鑑証明書を添付していなかった》というケースがある。判旨は、《もともと印鑑証明書の提出は不要なのだから、公証人は本人確認という公証人法に定められた手続を事実上、履践している》として、遺言の効力を認めた事例がある(最判五七・一・二二、判例時報一〇四五号八六頁 判例タイムズ四七〇号一二七頁)。
2 ところが、本件の場合は、全く事実が異なる。
公証人も、受遺者代理人弁護士も、いずれも公正証書の記載が真実に反することを知りながら、作成しているものである。しかも、公証人法上、定められた本人確認の手続きを実質上も履践していないのである。
このような重大な手続き違反・虚偽記載のある公正証書は、公正証書の公正さを維持するためにも、無効とすべきである。
このような公正証書が認められれば、もはや公証人法上の手続きは有名無実のものとなり、安易な公正証書の作成が行われることになる。ひいては、公正証書に対する一般人の信頼は、全く失われることになる。
3 公正証書の要式性が限度なく緩和されるならば、もはや公正証書として特別の作成方式を定めた意味がなくなる。少なくとも、本件の如き、公証人も受遺者も証人も、記載内容が虚偽であることを知っていて、作成された公正証書については、公正の効力を有しないものである。よって、本件公正証書は無効である。
以上の理由により、原判決は破棄を免れないものである。
第七 原判決は、民法九六九条の解釈適用を誤った違法がある。
一 民法九六九条四号の印鑑について
原判決は、「民法九六九条四号の遺言者の押印は、遺言者が本人であることを表し、筆記の正確なことを承認するものであれば足り、印鑑登録された印章(実印)と同じ印章によらなければならないということはできない」と判断している。
しかし、公証人法二八条二項は、「遺言者と公証人が面識がない場合には、印鑑証明書の提出その他これに準ずる確実な方法により人違いでないことを証明することを要する」旨規定している。
したがって、公正証書遺言の作成に際しては、印鑑証明書の提出が原則であり、その場合は印鑑登録されている印鑑でなければならないのは明らかである。
例外として、印鑑証明書を提出しない場合でも、印鑑証明書の提出に準ずる確実な方法が要求されているのであるから、印鑑登録がなされているのであれば、印鑑証明書に押印されている印影と同一の印鑑(実印)でなければならない。
公正証書の厳格性からも例外は極めて限定的に認められる必要があり例外は印鑑登録をしていない人が公正証書遺言をする場合に限られるべきである。
すなわち、本件のように公正証書の遺言者が印鑑登録をしており、印鑑証明書に押捺された印影と同一の印鑑(実印)の押捺が可能な場合には、印鑑証明書に押印された印影と同一の印鑑(実印)でなければならない。
二 九六九条一号の証人の立会い(一)
1 原判決
原判決は公正証書遺言における証人の二名以上の立会いの趣旨について、次のように述べている。
「遺言の趣旨が正確に記載されていることの確認をさせたうえこれを承認させることによって、遺言者の真意を確保する点にある」とした上で、「再度の読み聞けと秀光が本件公正証書に押印する際に、証人のうち一人が立ち会っていなかったとしても、右のような事実関係のもとでは、遺言者の真意が確保され、証人も遺言の趣旨が正確に記載されていることが確認できたものということができ、右遺言の方式は遺言者の真意を確保し、その正確性を期するため遺言の方式を定めた法意に反するものではないというべきであるから、本件遺言は民法九六九条一号に定める公正証書による遺言の方式に違反するものということはできないというべきである」と認定している。
すなわち、原判決は証人二名以上の立ち会いの趣旨をみたせば、再度の読み聞けと遺言者が本件公正証書に押印する際に、証人の一人が立ち会っていなかったとしても、民法九六九条一号の法意には反しないと解している。
2 条文の解釈
しかし、原判決の解釈は極めて恣意的な解釈であり、法の予測可能性を害するものである。
民法九六九条は一号で二人以上の立ち会いがあること、四号で、遺言者及び証人が筆記の正確なことを承認した後、各自これに署名し、印を押すことを規定している。
したがって、公正証書遺言作成の全課程を通じて、証人二名以上の立ち会いが必要であるとするのが条文の構成に最も合致するのである。
公正証書遺言の作成には証人二名以上の立ち会いが必要であり、しかも証人は、公正証書遺言作成の手続中、最初から最後まで揃って立ち会うことが必要なのである(大阪控判・大正六年五月二四日法律新聞一二八五号二三頁)。
原判決の立場は、公正証書遺言の作成に対し、証人二人の立ち会いを不要とするか、公正証書遺言に遺言者の印鑑を不要とするかの解釈に帰着するものであり、解釈の範囲を逸脱している。
仮に条文の文言の解釈であれば、趣旨から判断してその内容を検討することも可能である。しかし、本件の場合は条文の文言の解釈の問題ではない。明らかに条文は証人二名以上が揃って手続の最初から最後まで全ての過程に立ち会うことを要求している以上、それを無視するはもはや解釈論を越えた立法論である。
3 さらに、証人二名以上の立ち会いの趣旨からしても原判決の解釈は是認できない。
すなわち、証人二名以上の立ち会いの趣旨は、遺言者に人違いのないこと、精神状態の確かなこと、作られた遺言が真実に成立したものであること(すなわち、「口授」「読み聞かせ」及び「承認と署名捺印」が適正になされたこと)を証明すると共に、他面、公証人の職権濫用を防止する目的にでた趣旨である。
公正証書遺言が完成して初めて遺言者が承認したことになるのであり、それを証人が確認して、承認と署名捺印が適正になされたこと、公証人の職権濫用がなかったことが確認できるのであり、その趣旨を全うするために遺言終了時までの証人の立ち会いが必要となるのである。
原判決の立場は、押印の前に既に遺言が完成していることを前提として、押印についての立ち会いは不要であるとの理解に基づくものである。
しかし、押印は法が要求した要件である。署名のみならず、押印して初めて書類が完成するというのは国民意識に合致するのである。
遺言者が最後の印鑑を押す際に、印鑑の押印を拒否し、内容の変更を要求することも遺言実務の中ではかなりの数に及ぶのである。
遺言者の署名押印は、遺言者の真意を確認するために要求されるものであり、遺言者の真意とは遺言完成時の意思のことである。証人は遺言者の真意の確認及び公証人の職権濫用を防止するために遺言者の署名押印まで見届ける必要がある。
この点、原判決は遺言者の署名捺印への証人二名以上の立ち会いの意味について全く無視した解釈を行っている。
4 以上のように、原判決は民法九六九条一号の解釈を誤っていることは明らかである。
三 民法九六九条一号の証人の立会い(二)
1 仮に原判決が判断しているように、「再度の読み聞けと押印については証人の一人は立ち会っていなくても、右の遺言者の真意が確保され、証人も遺言者の趣旨が正確に記載されていることが確認できた場合には、右遺言の方式は遺言者の真意を確保し、その正確性を期するための遺言の方式を定めた法意に反するものではなく、民法九六九条一号に違反しない」とする解釈が許されるとしても、本件遺言の作成は、遺言者の真意が確保され、証人も遺言の趣旨が正確に記載されていることが確認できた場合とはいえないから、原判決は民法九六九条一号の解釈適用を誤っている。
2 本件の場合、印鑑を持参するまで数分間程度、病室や公証役場で証人、公証人が待機していた場合や、その場を離れた場合とは異なるのである。
この点原判決も次のように認定している。
「秀光がこれを承認して署名したが、押印しようとしたところ、印章を所持していないことが判明したため、被控訴人が秀光の印章を取りに行き、約一時間後、被控訴人が秀光の印章を持参して病室に戻ったところで、公証人が、近藤節子の立ち会いのもとに、改めて秀光に対し本件遺言内容の読み聞けを行い、秀光はその内容を確認した上で、本件公正証書に押印したものであって、……」
以上の事実からすれば、公正証書遺言作成の手続が中断してから再開するまで約一時間経過しているのである。しかも、証人加藤久良及び公証人は一旦病室から待合室に行き(加藤証言)その間、関係者は一旦公正証書遺言作成の場所から離脱し、その後証人加藤久良は遺言作成場所へは行っていないのであり、公正証書遺言作成手続が中断したことは明らかである。
公証人も、先行手続との間に連続性が認められないと判断したことから、遺言者に対し、押印の前に遺言内容の新たな読み聞けを行っているのである。
手続が中断されたため遺言内容確認の必要であることから遺言者の意思の再確認がなされたのであり、本件遺言の作成過程は原判決が述べるように一連の手続ではない。
3 仮に一連の手続としても、読み聞けによる確認、さらにそれについての証人の立ち会いが不要ということにはならない。
本件のように公正証書遺言作成手続の途中で証人が離脱した場合は、途中で手続に参加した場合と質的に全く異なるのである。
すなわち、遺言作成手続の途中で遺言者が離脱した場合に遺言内容の改竄、遺言者の真意の変更の可能性は、遺言手続の途中で参加した場合と明らかに異なるのである。
遺言者の真意とは遺言終了時の意思であり、遺言内容の途中で証人が離脱した場合は、遺言者の真意の担保が全くなされていないのである。途中で参加した場合とは比べものにならない程の差がある。
公正証書遺言の作成中、遺言者の押印の前に手続を中断し、約一時間が経過した。その間及びその後、一人の証人はその場を離れ、被遺言者の身内の証人一人が立ち会い、その後に再度の読み聞け押印がなされ、公正証書遺言が完成された。
この場合、遺言者の意思の確認、公証人の職権濫用の防止に問題はないといえるであろうか。
原判決は、本件遺言作成手続で遺言者の真意が確保され、証人も遺言の趣旨が正確に記載されていることが確認できたものということができると評価しているが、理解に苦しむと言わざるを得ない。
4 なお、遺言内容が変更された場合だけが再度の読み聞けが必要となるのではない。相当時間の中断がなされた場合にも、遺言者の意思を確認する必要がある場合にも、遺言書作成の手続、遺言者の意思の確認はやり直す必要がある。
法が公正証書遺言の作成に際し、厳格な手続を定めている以上、遺言者の意思の変更の可能性がある限り、意思の確認は必要である。
5 以上のように、原判決は民法九六九条一号の解釈適用を誤っている。