最高裁判所第二小法廷 平成9年(オ)42号 判決
上告人
医療法人社団緑成会
右代表者理事長
吉水信裕
右訴訟代理人弁護士
加藤済仁
同
松本みどり
同
岡田隆志
被上告人
佐藤久子
外二名
右三名訴訟代理人弁護士
登坂真人
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人加藤済仁、同松本みどり、同岡田隆志の上告理由第一及び第三について
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足りる。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものであって、採用することができない。
同第二について
一 原審が適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
1 平成元年七月八日午前四時三〇分ころ、佐藤守は、突然の背部痛で目を覚まし、庭に出たところ、しばらくして軽快した。その後、妻である被上告人佐藤久子の強い勧めもあって、守は、子の被上告人佐藤竜久と共に自動車で上告人の経営する横浜総合病院に向かった。自宅から上告人病院までは車で六、七分くらいの距離であり、当初守自身が運転していたが、途中で背部痛が再発し、被上告人竜久が運転を替わった。
2 午前五時三五分ころ、守は上告人病院の夜間救急外来の受付を済ませ、その後間もなくして、外来診察室において、甲野医師の診察が開始された。
3 守の主訴は、上背部(中央部分)痛及び心か部痛であった。触診所見では心か部に圧痛が認められたものの、聴診所見では、特に心雑音、不整脈等の異常は認められなかった。守は、甲野医師に対し、七、八年前にも同様の痛みがあり、そのときは尿管結石であった旨伝えた。甲野医師は、守の痛みから考えて、尿管結石については否定的であったが、念のため尿検査を実施した。その結果、潜血の存在が否定されたので、その時点で甲野医師は、症状の発現、その部位及び経緯等から第一次的に急性すい炎、第二次的に狭心症を疑った。
4 次に甲野医師は、看護婦に鎮痛剤を筋肉内注射させ、さらに、守を外来診察室の向かいの部屋に移動させた上で、看護婦に急性すい炎に対する薬を加えた点滴を静注させた。なお、診察開始から守が点滴のために診察室を出るまでの時間は一〇分くらいであった。
5 点滴のための部屋に移ってから五分くらい後、守は、点滴中突然「痛い、痛い」と言い、顔をしかめながら身体をよじらせ、ビクッと大きくけいれんした後、すぐにいびきをかき、深い眠りについているような状態となった。被上告人竜久の知らせで向かいの外来診察室から甲野医師が駆けつけ、呼びかけをした。しかし、ほどなく、呼吸が停止し、甲野医師が守の手首の脈をとったところ、触知可能ではあったが、極めて微弱であった。そこで、甲野医師は体外心マッサージ等を始めるとともに、午前六時ころ、守を二階の集中治療室に搬入し、駆けつけた他の医師も加わって各種のそ生術を試みたが、午前七時四五分ころ、守の死亡が確認された。
6 守は、自宅において狭心症発作に見舞われ、病院への往路で自動車運転中に再度の発作に見舞われ、心筋こうそくに移行していったものであって、診察当時、心筋こうそくは相当に増悪した状態にあり、点滴中に致死的不整脈を生じ、容体の急変を迎えるに至ったもので、その死因は、不安定型狭心症から切迫性急性心筋こうそくに至り、心不全を来したことにある。
7 背部痛、心か部痛の自覚症状のある患者に対する医療行為について、本件診療当時の医療水準に照らすと、医師としては、まず、緊急を要する胸部疾患を鑑別するために、問診によって既往症等を聞き出すとともに、血圧、脈拍、体温等の測定を行い、その結果や聴診、触診等によって狭心症、心筋こうそく等が疑われた場合には、ニトログリセリンの舌下投与を行いつつ、心電図検査を行って疾患の鑑別及び不整脈の監視を行い、心電図等から心筋こうそくの確定診断がついた場合には、静脈留置針による血管確保、酸素吸入その他の治療行為を開始し、また、致死的不整脈又はその前兆が現れた場合には、リドカイン等の抗不整脈剤を投与すべきであった。
しかるに、甲野医師は、守を診察するに当たり、触診及び聴診を行っただけで、胸部疾患の既往症を聞き出したり、血圧、脈拍、体温等の測定や心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながらニトログリセリンの舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。
8 甲野医師が守に対して適切な医療を行った場合には、守を救命し得たであろう高度の蓋然性までは認めることはできないが、これを救命できた可能性はあった。
二 原審は、右事実関係に基づき、甲野医師が、医療水準にかなった医療を行うべき義務を怠ったことにより、守が、適切な医療を受ける機会を不当に奪われ、精神的苦痛を被ったものであり、同医師の使用者たる上告人は、民法七一五条に基づき、右苦痛に対する慰謝料として二〇〇万円を支払うべきものとした。
論旨は、原審の右判断を不服とするものである。
三 本件のように、疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるからである。
原審は、以上と同旨の法解釈に基づいて、甲野医師の不法行為の成立を認めた上、その不法行為によって守が受けた精神的苦痛に対し同医師の使用者たる上告人に慰謝料支払の義務があるとしたものであって、この原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官梶谷玄 裁判官河合伸一 裁判官福田博 裁判官北川弘治 裁判官亀山継夫)
上告代理人加藤済仁、同松本みどり、同岡田隆志の上告理由
第一 <省略>
第二 期待権について
一 原判決は争点の判断五『「期待権」の侵害について』の項において、損害賠償責任を認めている。
まず期待権の理論自体、以下に述べるように大きな問題があり、認められるべきではない。
また本件では、死因が不明である以上、期待権についても何を期待するかが不明であるから、そもそも判断しようがないし、すべきでもない。
仮に、原審の死因(心筋梗塞)を前提としても原判決は、上告人医療法人社団緑成会(以下、上告人という。)に過失行為、債務不履行が無いとしながら、上告人に損害賠償責任を認めており、理由齟齬がある。
二 期待権の理論の問題について
1 「期待権」というのは、その概念自体、判例上も学説においてもいまだ明確ではない。原判決が、「期待権」という言葉をどのような意味において使用しているかも、必ずしも明らかではない。
期待権の理論は、一般には、医師に義務違反があるのは明らかであるが、患者を死に至らしめたり、死期を早めたりという、現実の悪しき結果と因果関係が認められない場合に、慰謝料請求を認めるという理論と考えられてきた。
まず、このように限定的に考えても当初から、期待権の理論については、疑問が呈されてきたところである。
東京地方裁判所昭和五六年一〇月二七日判決(判例時報一〇四六号・70頁)は「(原告らは被告に対し、)現代医学の提供する平均的水準の医療を受けられるとの期待を裏切られたこと自体につき、これによる疾病に関する結果発生の如何を問わず、慰謝料の請求をしているが、右による期待は不法行為法によって保護されるべき正当な利益とは解し難く、同主張はそれ自体失当であって、理由がない。」とし、東京高等裁判所昭和五八年三月一五日判決(判例時報一〇七二号・105頁)は、「適正な病名ないし病状を早期に知ることが患者やその家族にどのような意味を持つかは、各人ごとに様々であり、第一審原告らのいう利益は極めて主観的なものであって、万人に共通したものとはいいがたく、法によって保護するに値する利益には当たらないというべき」と判示している。
また、本件の第一審判決が「(原告の)「心残り」の背景には、守の死亡という悪結果があることは否めず、にもかかわらず、「心残り」なるものを損害として慰謝料請求を肯定することは、一旦、訴外甲野の過失との因果関係が否定された守の死亡による損害(慰謝料)の賠償を認めることになり妥当ではない」(第一審判決31頁)と判示しているように保護法益性自体が認められない。
2 下級審の判例の中には、期待権という言葉を使ったり、あるいは明確に期待権という言葉は使っていなくとも明らかに同じような言い回しを使って、慰謝料を認めたものがある。
しかし、その実質的な内容は、必ずしも同じではない。
癌の見落としに関する判例が多いが、まず、本来延命利益の侵害として、行為と結果との間に因果関係が認められるべき事案について、期待権の侵害として、慰謝料を認めている例がある。
また、延命の可能性が高度に蓋然性ありと因果関係を認めるには足りないが、可能性が高いケースについて、期待権の侵害として認めている例もある。
判例が期待権を認めた事例を集約すれば、「懈怠された診療行為が結果回避につながりうる措置であることが明白であるとき、仮にその診療行為のもたらす治療効果の確率が低くとも、その診療行為を受ける機会・可能性を奪われたとき生じる患者の精神的苦痛」ということになる(古瀬駿介・裁判実務大系17医療過誤訴訟二九六頁)。
しかし、本件では、後述するように、そもそも明白に結果回避につながりうる措置が存在しない。
最近の判決でも、治療機会の喪失による損害や、延命利益の侵害がないケースについて、法によって保護するに値する利益が侵害されたものとは認められないとされている(東京高裁平成七年一二月二六日判決)。
3 仮に原判決が、懈怠された診療行為が無いにもかかわらず、なおかつ不十分・不誠実な診療しかしなかった医師に対する損害賠償を認めるという考え方に立っているとするとそれは、やはり法令の根拠なく損害賠償責任を認めるものであり、許されないし、極めて重大な問題をはらんでいる。
まず、相手方の行為に対し一定の「期待」をするのは、日常一般によく見られることであり、どこまでが法的に保護されるべきかを明確にし、「外への無限の広がりを断ち切る合理的説明がないと、「期待」を裏切られた慰謝料請求の訴状の山が築かれる事になろう。」(定塚誠・民事弁護と裁判実務6損害賠償Ⅱ一七五頁)。
また「悪しき結果との因果関係がなくとも、行為者にいわば必然的に慰謝料支払い義務を生じさせることになるのであるから、行為者にとっては重大な問題であり、行為規範としても、明確化が必要である」(同前)。しかし、実際には、そのような明確化は不可能である。
ちなみに名古屋高判昭和六一年一二月判例時報一二三四号45頁では、「右のような責任は、当該疾患から生じた現実の結果(損害)に対しては責任のない行為についてこれを認めるものであるから、当該医療行為ないし医療的対応(作為・不作為を含む)自体に、金銭的慰謝に値する十分な精神的苦痛が肯認されるものであるべきであり、その観点からは、医師の医療行為ないし医療的対応が著しく杜撰、不誠実であった結果軽からざる医療上の過誤が犯されていること、病患に生じた結果が重大で、患者側に医療に対する心残りや諦め切れない感情が残存することが無理からぬと思われる事情が認められることなどが、右責任の発生を限定づける要因となるものと解するのが相当である」としている。
(なお、この判決は慰謝料を認めたが、最高裁で破棄され、結局期待権侵害は認められていない。平成二年六月八日判決、判例時報一四五〇号70頁)。
この判決の要件も決して、行為規範として明確とはいえないが、これを参考に本件を見ても到底、期待権侵害による損害賠償が認められるようなケースとはいえない。
4 石川寛俊・自由と正義昭和六三年一一月号27頁以下「治療機会の喪失による損害―期待権侵害論再考」は、患者側の弁護士が、期待権の侵害の理論に賛成の立場で書いたものである。
その分析によっても従来の判例は、「患者から再三異常を訴えて検査の申し出を受けているのに漫然これを放置した結果、他医で手遅れと診断されたケースが多」く、「医師として真摯に対応したものの、能力不足や技量未熟はいかんともし難く結果が不首尾に終わったという例でなく、それ以前に能力や技能を発揮しようと全くしなかった不誠実ないし怠慢という職務態度が問題とされてい」て、「「重大」、「著しい」、「著しく杜撰で不誠実」との評価と相通ずるものが読み取れる」(34頁)という。
石川自身が提唱する治療機会喪失による責任の基準も「技量不足そのものより患者側の精神的苦痛を招くに足る行為態様が要件となろう。」(39頁)としている。
三 本件における期待権の理論の適応の不当性
1 期待権の理論はこのように曖昧であるが、どのような立場に立っても、本件において期待権により損害賠償責任を認めることは明らかに誤りである。
2 本件では、そもそも明白に結果回避につながりうる措置が存在しない。「早期の時間帯における蘇生を必要とするわずか一〇分ないしは二五分の間に救命の可能性のある治療を高い水準で施行することを求めても現実的には大変困難であること」を原審自体認めているのである(原判決14頁)。
なお、ここでは「一〇分ないしは二五分の間」との表現が使われているが、実際には原審は、事実認定においては、本件における診療開始から、亡守の急変までの時間を一五分と認定している(原判決が引用する第一審判決11〜13頁)。
また、延命の可能性についても「適切な初期治療が行われたとしても、右治療行為(リドカイン等の投与等)を開始することができたのは容体急変の直前か急変の後というべきであり」(原判決が引用する第一審判決26頁)、また「ニトログリセリンの投与により、狭心症から心筋梗塞への移行、ひいては本件守の急変を防止し得たと認めることはできない。」(原判決が引用する第一審判決27頁)と明らかに否定している。
このようにまったく注意義務違反がないとし、さらには延命可能性も否定しておきながら、期待権の名のもとに上告人の損害賠償責任を認めている原判決には、明らかに理由齟齬があり、また法令の解釈適応を誤った違法がある。
3 本件では、亡守が心筋梗塞だったにしろ急性大動脈解離であったにしろ、その症状が典型的なものではなかったことも明らかになっている。被上告人提出の各書証によっても心筋梗塞も一般には胸痛がひどく、しかも動悸や冷や汗といった激しい症状を伴うことがほとんどである。(例えば、甲一七号証1132頁の心筋梗塞の記載を見ると「痛みは数時間に及び、患者に死の恐怖を与える。冷汗、嘔気、呼吸困難、便意を伴う。」との記載がある。)
本件では、被上告人ら自身が、当初薬物によるアナフィラキシーショックが死亡原因であると主張していたことからも明らかであるように、来院時の亡守の容体は誰が見ても決して重篤なものではなかったのである。亡守は救急車できた訳ではなく自分で車を運転したりして、もちろん自分で歩き、問診にも落着いて自分で答えた。決して、甲野医師が診た段階で寸暇を惜しんで心電図をとったりしなくてはならないような症状ではなかったのである。
一般にどうもおかしい念の為に病院に行った方がよいのではという程度の症状で医師にかかった場合には、とにかく有無を言わさずにバイタルサインのチェックをするようなことはなく、どうしましたかといった会話から全体の症状を医者が診て、痛みをとる等の処置を順繰りに行うのが普通である。
亡守の症状からすると、心筋梗塞等の重大疾患の疑いはあまりに低く、すぐに急変することを予想して直ちに心電図をとらねばならなかったような状況にはなかった。
亡守には背部痛があったり直ったりという程度で、ちょっと痛みは激しかったというものの動けないとか、冷や汗がだらだら出ているということはなく、聴診でも問題がなかったので「取り敢えず痛み止めをしてまず様子をみましょう。」と言い(実際亡守はだいぶ楽になりましたと言ってもいた。被上告人佐藤竜久尋問調書7頁)。本人が尿管結石ではないかというので、念の為その検査をして、全身の循環に良い点滴をして、様子を見ようとした甲野医師の処置は一般的な処置として、決して責められるものではなかった。
ましてや、杜撰、不誠実というような対応とはとうてい言えない。
本件では、早朝にもかかわらず、上告人は速やかに診療にとりかかり、誠実に対応しており、客観的に治療機会の喪失も、延命利益の侵害も何もないにもかかわらず、損害賠償責任が認められるということは有り得ないケースである。
4 本件は、まさしく期待権の理論の持つ曖昧さ、不明確性といった問題が露呈されたケースであり、それ自体前出の定塚が指摘した危険が現実のものであることを示している。
第三 <省略>