最高裁判所第二小法廷 昭和24年(れ)2770号 判決 1950年7月21日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人小田良英上告趣意第一点について。
所論前段の被告人が麻薬中毒患者であった事実は、原判決が証拠に採った原審第一回公判調書において、被告人は「自分で麻薬中毒であるというのが判ったのは終戦の年の暮であります」(記録一七三丁裏)と述べているのであって、原審裁判長が独断で発した問だけが調書に記載されたものではなく、又所論松沢病院託摩医師の証言は「被告人は昭和二十三年九月三日同病院に入院当時は麻薬中毒であったが、同年九月二十四日頃には全治していたのでその旨の診断書を書いた」と云う趣旨であって(記録一八三丁裏以下)、被告人が本件行為当時麻薬中毒患者であったことは否定していないのである。之を要するに被告人が本件行為当時麻薬中毒患者であった事実は原判決挙示の証拠に依って認められるのであるから、原判決には何等此点に理由齟齬はないのである。次に所論後段の原判決理由冒頭記載の「麻取扱者の免許がないのに」とは、「麻薬取扱者の免許がないのに」との単なる誤記であることは寔に明白であるから、原判決には所論の違法はないのである。論旨は何れも採るを得ない。
同第二点について。
原判示には「塩酸モルヒネ五瓦」と云い、その証拠の摘録に「塩酸モルヒネ末五瓦入一本」と記載されてあるのも、這は同一物を指したことは明らかであるから、原判決には何等証拠に依らずに事実を認定した違法はない。論旨理由なし。
同第三点について。
しかし、原判示理由第三の行為当時施行されていた麻薬取締規則は所持を罰する(同規則第四二条、第五六条)外、尚使用をも処罰するもの(同第二三条、第五六条)であることは明らかなところである。蓋し麻薬の同規則所定外の所持は麻薬に対する厳重な統制管理を紊すものであるから之を処罰するものであり、又同規則所定外の使用は、劇薬濫用の危険を防止するため処罰する法意と解すべきであるからである。そしてその使用は苟くも同規則所定外の使用である限り、之を他人の身体に使用すると所持者自身の身体に使用するとの間に何等区別すべき理由がないものと謂うべきである。次に同規則は昭和二十三年七月十日公布(同日施行)の麻薬取締法附則第六五条によって廃止され、且つ新法は特定の場合の外は使用所為を処罰してはいないけれども(同法第三条、第五七条)、同法附則第七四条の規定により同規則施行中の行為である所論原判示理由第三の所為に対し、尚原審が同規則第二三条第五六条を適用処断したのは当然の措置である。所論犯罪後の刑の廃止により免訴の言渡を為す場合は、前示法律附則第七四条のような規定のない場合である。以上のとおりであるから論旨はすべて理由がない。
同第四点について。
所論前段の牽連犯の主張に対しては、前点説明のとおり麻薬取締規則は所持の外尚使用をも処罰するの法意に鑑み、且つ所持は単り使用の為めのみに所持するものとは限らない点に鑑みるときは、右所持行為と使用行為との間には刑法第五四条第一項後段の牽連犯の関係は認められないものと解せられるから、原審が判示理由第一第二の所持と第三の使用とを併合罪をもって処断したのは蓋し正当であると謂わねばならぬ。次に所論後段の原判示理由第一の(一)の(イ)(ロ)の所為については、原審は犯意継続に出でた事実が認められなかった結果連続犯としての処断をしなかったものと解すべく、従って原審の此点の措置にも違法を認めることができないのである。論旨は何れも理由がない。
仍って、刑訴施行法第二条旧刑訴第四四六条に従い、主文のとおり判決する。
此裁判は裁判官全員一致の意見に依るものである。
(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎)