最高裁判所第二小法廷 昭和28年(オ)738号 判決
上告人(原告) 岡本庄之進
被上告人(被告) 笠縫村選挙管理委員会
一、主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
二、理 由
上告代理人弁護士大白慎三、同吉本登の上告理由は別紙記載のとおりである。
第二点について。
論旨は、本件署名簿の署名捺印を求めるについての山元辰蔵に対する委任について、委任後直ちに市町村選挙管理委員会に届出がなかつたから、同人が集めた署名は無効であるというのである。
この点については、原判決も判示するとおり、右委任の届出に関する地方自治法施行令九二条三項は、市町村選挙管理委員会が署名の効力を審査するに際し、適法に委任を受けた者が集めた署名であるかどうかを調査するための便宜に基く規定にすぎず、本件の場合のように届出が署名簿提出後行われても、市町村選挙管理委員会の署名の効力審査前に届出があり、右委員会の審査も終つた場合は、かりにその届出が右地方自治法施行令九二条三項にいわゆる「直ちに」行われたものと言えないとしても、その違法は、それだけでは、署名の効力を左右するものと言うことはできない。すなわち、右受任者の集めた署名が地方自治法七四条の三、第一項一号の「法令の定める成規の手続によらない署名」と解することはできない。論旨は理由がない。
第三点、第四点について。
論旨は、本件署名中には地方自治法七四条の三第二項にいわゆる「詐偽」に基く無効のものがあると主張して、この点に関する原判示を非難するのである。
しかし、原判決も判示するとおり、右にいわゆる詐偽とは署名の目的を偽つて署名を求めるような行為を指すものと解すべく、解職請求の要旨の記載又はその説明に事実に相違する点があつたからと言つて、選挙人が解職請求の目的をもつて署名した以上その署名を詐偽に基く署名であるということはできない。所論のように、地方自治法施行令九五条により署名を取り消そうとして果さなかつた者があり、署名簿の縦覧期間内に異議を申し出た者があつたとしても、かかる事実は、当初の署名が詐偽によるものでないと認定するについてさまたげとなるものではない。
その他の論旨は「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものと認められない。
以上説明のとおり、論旨はすべて理由がないから、本件上告を棄却することとし民訴四〇一条、九五条、八九条を適用し、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判官 霜山精一 栗山茂 小谷勝重 藤田八郎 谷村唯一郎)
上告代理人大白慎三、同吉本登の上告理由
第一点
原判決は其の理由のうち「第一、別表第一号記載の請求者の署名の効力について。右別表第一号(イ)の署名(一八名)については何れも自署でないことを証拠によりその無効であることを認定したが別表第一号(ロ)の署名(五二名)については、本件に顕われた全証拠によるも、未だこれを自署に非ずと確認するに足らないので、この部分に関する原告の異議を容れなかつた被告委員会の決定は、相当であつて、原告の本訴は理由がない」と判示した。凡そ証拠の取捨並に判断は原審の専権に属することは勿論ではあるが、吾人の実験則に反した採証方法はあり得ない。
しかして右別表第一号(ロ)の署名者中、山元武男に関する原審証人山本はるの証言中「私方の家族で署名の出来る者は息子の武男、夫竹松と娘タカ子と私の四人で外の三人の署名は見ていませんが各自が署名したといつていつたのなら自署したものと思います。私の家え署名を取りに来たのは山元捨松でありました。私の署名は山元捨松が持つて来たペンで書きました。二男の武男は本年二月頃出稼に家を出た儘音信がありません。現在何処にいるかさつぱり判りません」とあり又署名収集人である山元捨松のこれに関する証言中「私は村長解職署名収集の委任を受けて山元はる、山元幸枝、山元武男の署名をもらいに行つたことはあります。右の三人は各人が署名して呉れました。山元はるの生年月日は息子の武男が書いたと思います」とあつて、これ等の証言を綜合して考えると、署名者山元武男はその当時その母山元はるの言う通り二月頃から出稼に行つて所在不明であつたことがわかるし、従つて同人の署名が果して自署であるかは収集人である山元捨松の証言を以つてしても確定できないと判断できる。次に別表第一号(ロ)の署名者中小寺ための署名に関し、原審証人小寺すみの証言中「母ためは自分が署名するが手が震えるから私に手を添えて呉れと言うので母の手の甲の上から私が持つて二人がかきました。母ためは一人でも名前位は書けると思います」と供述しているが二人がかりで署名する場合果して何れの署名なるや否や判明しがたいことは当然であつて、必ずしも小寺ための署名とは断定できないと言うべきである。即ち以上、上告人の取消を求める署名者山元武男、同小寺ための自署であるか否かの事実認定につき原審は経験則に反した判断を為した違法がある。
第二点
原判決は第二別表第二号記載の請求者の署名効力についての判断の理由として「証人駒井修の証言によれば、本件解職請求署名簿は署名収集期間満了の前日である昭和二十七年九月二十日をもつて被告選挙管理委員会に提出されたが、その際請求代表者より委任をうけて署名収集に当つた訴外山元辰蔵に対する委任届が未済であることを発見したので、被告委員会の書記駒井修よりその趣を注意した結果、九月二十四日になつて右の届書が提出されたものであることが認められる。而して、施行令第九十二条第三項には、上述の委任をしたときは、委任者より『直ちに受任者の氏名及び委任の年月日を文書をもつて選挙管理委員会に届け出なければならない』ことが規定されているのであつて、ここに『直ちに』というのは、普通の用語例に従い『委任をなした後遅滞なく』との意に解すべきものと考えられるから、何等特段の事情が認められない本件において、署名簿を選挙管理委員会に提出後四日目になつて、はじめてその届出がなされたという前記の場合が『直ちに』届出のなされなかつた場合に該当することは明かだといわねばならない。しかしながら、飜つて前記施行令第九十二条第三項の法意を考えてみるに同条項が、前記委任の届出を選挙管理委員会に対してなすべきことを命じた趣旨は、(1)請求代表者より委任をうけて署名収集に当る者がある場合、その者が正式の受任者であることを選挙管理委員会に明かにすると共に、(2)選挙管理委員会が署名簿の提出をうけてその署名の審査をするに当り、個々の受任者につき一々署名簿添付の委任状が合式のものであるか否かを調査することはその煩に耐えない場合があり、迅速に事を処理する妨げとなるので、請求代表者より委任届をさせることによつて、その委任の正確性を担保すると同時に、委任状と委任届とを照合することにより、選挙管理委員会をして簡便迅速に委任の合式性を確定して署名の審査を行わしめんがための目的に出たものであつて、その主眼とするところは上述(2)の点にあるものと解される。そうだとすれば、本件において山元辰蔵に対する委任の届出が直ちになされなかつたとはいえ、選挙管理委員会に署名簿の提出があつてその審査に着手する以前の九月二十四日届出でられたのであるから右の届出の遅れた点の瑕疵は未だ署名自体の効力を左右する程重要なものではなく、従つて山元辰蔵の収集した別表第二号記載の請求者の署名が、法第七十四条の三第一号の『法令の定めた成規の手続によらない署名』として無効だという原告の主張は、到底これを採用し得ない」と判示した。然し乍ら原審の右判断は地方自治法施行令第百十六条により準用せらるる同令第九十二条第三項の解釈を誤つた違法がある。原審の判断によれば同第九十二条第三項による受任者の氏名及び委任の年月日の選挙委員会に対する届出の規定は、要するに委任の正確性を担保すると同時に、簡便迅速に署名審査を行わしめんとする目的に沿う為めと解し、署名簿の提出後に受任届が提出されても署名簿自体の効力を左右するものでないと判示しているが這は法令の解釈を誤つたものである。即ち署名簿が法定の期限内に選挙管理委員会に提出され審査に着手前なれば差支ないという議論を推し進めて行くと、或は審査の半ば又は審査の末期頃に提出されたときは如何という問題がでて来ることがある。若しこのような場合に一々審査に支障を来たしたか否かを判断せねばならなくなりこのような繁雑な判断を避ける為め同第九十二条第三項に「委任したときは、直ちに云々、届出なければならない」と規定し右の「直ちに」とはおそくとも解職請求代表者から署名簿が選挙管理委員会に提出せらるる迄と解すべきことは昭和二十七年二月二十日付自乙発第七七号京都市選挙管理委員長宛地方自治庁次長の回答によるも明かであろう。要するに地方自治法に規定する直接請求に関する諸法令がすべて形式的厳格性を帯びている趣旨に鑑みるときには令第九十二条第三項に規定する受任届が署名簿を当該選挙委員会に提出さるる迄提出されなかつたときには、たとい、当該選挙管理委員会において署名簿審査に支障を来さなかつたか否かに拘わらず当該受任者の収集した署名は法第七十四条の三第一号にいわゆる「法令の定めた成規の手続によらない署名」として当然無効であるのに拘わらず原審はこれを有効であると判断したのは法令の解釈を誤つた違法がある。
第三点
原判決は其の理由第三において「法第七十四条の三は、直接請求の署名簿の署名の効力に関して、従来の形式的審査主義を廃し、選挙管理委員会に実質的審理の権限を認めたものであつて署名簿の署名につき詐偽に基く旨の異議の申立があつた場合、選挙管理委員会は、その署名の効力を決定するため必要があると認めるときは、関係人の出頭及び証言を求めることができ、従つてまた、かかる実質的審理をなすべきであることは、同条第三項の規定によつても明かである。
しかしながら、前記法条にいわゆる『詐偽』とは、例えば寄附金募集の署名集めだといつわつて解職請求の署名を収集する等の如く、署名自体の内容乃至目的をいつわつたとき、その他これに類する重要な要素に関する詐偽を意味するものであつて、解職請求の要旨乃至右要旨に基いて説明された事実がかりに誹謗にわたり、真実と異なるところのものであつたとしても、かような事実の存否及びこれに基く請求の当否は、有権者たる村民が署名をなすに当り、自己の良識に基いて判断すべき事柄に属し、右の事実が虚偽であるのに、これを真実と誤信して署名したようなものは、ここにいわゆる詐偽に基く署名には当らないものというべきである。そして証人駒井修の証言によれば、被告委員会においては、原告の本件異議につき審査するに当り上述の如き見地よりして、その異議として述べられた事実自体詐偽に当らないものと判断し、これが内容の審査に入ることなくして原告の異議を却下したものであることが認められるのであつて、この事実からすれば、被告委員会は原告の異議について必要な審査を遂げた上正当にこれを却下したものというべく、原告側の証人長谷川智忍、中村幸正、中村光蔵、長谷川新三郎、小寺達雄等の証言によつて右認定を左右するに足らない。従つて、原告のこの点に関する主張もまた理由がない」と判示して上告人の請求を排斥した。しかし乍ら別表第三号記載の署名者については、上告人は右署名者は本件に関する原審の昭和二十七年十二月五日午前十時の準備手続において陳述された訴状中、請求の原因乙、一にもある通り、解職請求代表者又は其の受任者から村長解職請求書(甲第三号証)に基き説明を聞き、之を真実と信じ署名請求に応じたが、其後村長岡本庄之進の「親愛なる村民の皆様に申上げます」なる声明書(甲第四号証)及び笠縫村議会並に笠縫村農業委員会の「釈明書」(甲第五号証)の配布を受け、之を閲読し又関係者より問題点の説明を受け事の真相を把握するに及び、前刻署名請求に応じたのは、全く欺瞞せられた為であるから、之が取消しを求めようと署名簿縦覧期間中に大橋弁護士に委任して管理委員会に異議を申立てた者である(地方自治法第七十四条の二第四項)、二、別表第三号の署名者中には右述の理由等から署名等の選挙管理委員会に提出せらるる以前に、署名の取消を為さんとして果さなかつた者もある(地方自治法施行令第九十五条)との主張によれば、別表第三号記載の署名者は、署名後、村長解職請求要旨と異つた事情を知り、先きの署名の取消を、署名簿が選挙管理委員会に提出される以前に申入れ又は署名簿縦覧期間内に大橋弁護士に委嘱して、これにつき異議の申立を為したことが窺知せられる。
しかして地方自治法施行令第百十六条により準用せらるる同令第九十五条によれば村長解職請求者の署名簿が市町村の選挙管理委員会に提出さるるまでの間は、解職請求代表者を通じて、其の署名簿の署名及び印を取り消すことができると規定し、この取消は其の原因の如何によるかを問わないものであるから、原審における上告代理人の陳述した訴状請求原因中署名簿が選挙管理委員会に提出さるるまで其の署名の取消を申出云々の主張に対し原審は、宜しくこの点につき釈明権を行使し審理判断をすべきに拘わらず、ことここに出でずこれを看過したのは審理不尽の違法があり破毀を免れない殊に原審証人長谷川智忍の証言中「署名者から笠縫村選挙管理委員会に対し署名取消の申出がありました。署名の取消の理由は署名する時聞いた話と違うから取消してほしいと言うことでありました。右署名取消の申出は二百四十名位でありました」とあるにおいて尚更のことである。即ち原判決は上告人の主張する詐偽による取消の点にのみ拘泥しこの点を看過した違法の判断たるを免れない。
第四点
原判決は其の理由第三において、法第七十四条の三第三項にいわゆる「詐偽」とは、例えば寄附金募集の署名集めだといつわつて解職請求の署名を収集する等の如く、署名自体の内容乃至目的をいつわつたときその他これに類する重要な要素に関する詐偽を意味するものであつて、解職請求の要旨乃至要旨に基いて説明された事実がかりに誹謗にわたり、真実と異なるところのものであつたとしても、かような事実の存否及びこれに基く請求の当否は、有権者たる村民が署名をなすに当り、自己の良識に基いて判断すべき事柄に属し、右の事実が虚偽であるのにこれを真実と誤信して署名したようなものは、ここにいわゆる詐偽に基く署名に当らないものというべきであると判示せられた。然し乍ら、右判示は本条規定の詐偽の解釈を誤つた違法がある。即ち詐偽とは「署名者を欺罔して署名簿に署名を求める場合、すなわち署名請求権者が署名者を錯誤に陥らしめ、それによつて署名をなさしめたことをいう。いわゆる偽計詐術の方法を用いて相手方を錯誤に陥らしめる行為で、その内容は社会通念によつて決せられるが、相手方をあざむくに足る程度の詐りの策略又は術策でなければならない。たとえば意見の陳述や沈黙(相手方の錯誤を注意せずにこれを利用する場合)もこれに該当することもある。『あざむく』とは真実でないことを真実であると表示する行為(欺瞞行為)であり、通常は、虚偽の捏造と真実であることの隠ぺいの二つがある。したがつて詐偽に基く署名とは、たとえば請求書に記載された事項に更に虚偽の事実を口頭で説明し、請求の実際の原因は、この事実であるかの如く告げて、そのため相手方が錯誤に陥つてした署名又は請求の事実が全く虚偽であるが、真実を隠ぺいしてそれがあたかも真実であるかの如く流布して相手方を錯誤に陥らしめて得た署名、或いは、相手方の無知を利用して請求書に記載された事実とは異つた事実を説明して得た署名、または或る有力者を引合いに出してその人は既に署名を拒否している事実を知りながらこの請求には署名をする筈であると告げ相手方を欺罔して得た署名等が考えられる」であつて必ずしも原審判示のように一定したものでない。従つて原判決は法令の解釈を誤つたものとして到底破毀を免れないと信ずる。 以上