最高裁判所第二小法廷 昭和30年(あ)563号 決定 1960年4月15日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
被告人武井島造、同中沢重二、同平井育造の弁護人置鮎敏宏の上告趣意第一点について。
所論は原判決の被告人武井島造に関する部分につき、論理の法則違背、採証の法則違背、事実誤認を主張するものであって、適法な上告理由に当らない。(なお、電力工手である被告人武井の業務上の注意義務懈怠及びこれに基因して発生した結果として原審の確定した事実は、要するに、同被告人は昭和二六年四月二四日午後一時半頃他の電力工手長谷川定雄と共に原判示桜木町駅構内の構副第四号柱において、上り架線のサポート型碍子の取換作業を担当し、右被告人はビームの横浜駅側に位置して吊架線のほぼ真上のビームに通した丸太棒にまたがり、長谷川はビームの桜木町駅側吊架線にかけた梯子に乗り、両者協力して碍子の取付ボルトを五六のスパナでゆるめた後、同被告人が右スパナをビームに置き、次いで同被告人はクレセントスパナを、長谷川は蛇口のスパナを使用して、それぞれ自己の側にある吊架線と包縛線を締めつけたワイヤークリップのナットをゆるめ始めたのであるが、電力工手が高圧電流の通じている架線で碍子の取換作業を行うに当っては、万一架線を断線させるときは、これに基く架線の広範囲にわたる垂下のため運行電車に災害を引き起す虞があるから、自己の使用するスパナの一端を通電中の吊架線に、他端をビームに接触させて短絡させ、電弧を発生させて架線を断線させることのないよう万全の措置をとるべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、同被告人は同日午後一時三八分頃不注意にも、前記クリップのナットをはさんだスパナの尾部をビームに接触させたため、電弧を発生させ、これに驚いて反射的に身をよけて飛び下りた長谷川の動作のため生じた包縛線と碍子枠との接触による電弧と、頭初の電弧発生の際、右両名のうち何人かの反射的逃避行動によって前記五六のスパナが吊架線と碍子枠等に接触しつつビームから落下したことによる電弧とが相次いで発生し、これらにより同所碍子附近で上り吊架線を溶断せしめ((第一事故の発生))、このため同所より桜木町駅寄りの構副第五号柱以下各柱間の吊架線は垂下し、従って吊架線にハンガーによって吊られている電車線もこれに応じて垂下し、構副第七、八号柱間の亘り架線との交叉点附近において、上り電車線が大略三〇センチメートル垂下した結果、断線前まで等高であった右上り電車線と亘り電車線との間にも同様三〇センチメートル程度の高低差を生じ、ここに下り電車が下り線から亘り線を経て上り線に進入するときは、パンタグラフの集電舟の右翼端を右の如く垂下している上り吊架線と電車線の中間に割り込ませ、両線間のハンガーに衝突せしめ、パンタグラフに衝撃を加えてその絶縁機能を破壊するであろうという危険な状態を現出した。そこへ被告人中村曄の運転する一二七一B下り電車が横浜駅から同日午後一時四三分頃桜木町駅着の予定で下り線を進行して同駅構内に差しかかったのであるが、同駅が国鉄京浜東北線の終発着駅である関係上、同駅着後再び今度は上り電車となって横浜駅に向けて出発するため、桜木町駅構内に差しかかってから下り線を直行せず、右亘り線を通って上り線に進入して来て、その先頭車のパンタグラフの集電舟の右翼端を前記構副第七、八号柱間の垂下した上り架線の吊架線と電車線との間に突入させ、右集電舟で同所のハンガー数本を順次切断して進行し、その都度パンタグラフに衝撃を与え、且つこれを右回転させながら後方に強圧してパンタグラフの第三取付碍子を破損し、その電気絶縁機能を破壊したため、同所において電車線と車体(パンタグラフのベース)とが短絡状態となって電弧を発生させ、被告人中村において右電車を急停車させたが、電弧の約四分間にわたる継続発生((第二事故の発生))により、右電車の第一車両であるモハ第六三七五六号の床を除いて木造部分をほとんど全焼させ、同第二車両であるサハ第七八一四四号の天井は一面、客室内は第一車両に最も近い側の引戸附近まで延焼させ、因って第一車両の乗客一〇〇名をその頃同車両内で死亡させ、同様の乗客六名を火傷後附近の病院等で死亡させ、又電車火災又はこれに伴う混乱により同電車の乗客八四名にその頃同電車内等で火傷その他の傷害を負わせたものであるというにあるところ、所論は先ず、電力工手の電気に関する知識の程度が低いこと、前記第一事故発生当時における作業が高圧電力通電中の活線高所作業であって危険極まるものであることなどを挙げて、右作業に従事する電力工手は自己の生命身体の安全を守ることが人間の能力の限界であるとして被告人武井に対して前記のような業務上の注意義務の遵守を期待することは不可能を強いるものである旨主張するけれども、所論はこれを認容し得ないことは、同旨の控訴趣意に対して原審の示した判断のとおりである。次に所論は本件災害の結果発生を被告人武井において予見することは不可能であった旨主張するけれども、この点について原審が、同旨の控訴趣意に対して『被告人武井は本件損害発生当時、上下電車の運行間隔は正確には知らないが相当頻繁であって、桜木町駅行下り電車は前記亘り線を通って上り線に入り桜木町駅のいわゆる二番線に到着すること、いわゆる活線作業中に吊架線を溶断してその影響で架線が相当程度垂下し、亘り架線との間に高低差が生じており、これに電車のパンタグラフをひっかければこれを破壊するであろうことは認識していた事実が窺えるのであって、この事実から推しても通電中の架線が、原因はいずれにしても切断し、これと電車の車体その他に短絡すれば、その長短強弱は兎も角として電弧を発生すること及び電弧発生により場合によっては(特に木造部分の多い車体等においては)火災発生の危険があることは、電力工手である被告人武井において当然予想し得べき事柄であり、又いわゆる六三型電車は戦争中、戦争後にわたって資材不足の折から輸送力増強の必要にせまられて急造された欠点の多い車体であることは当時国鉄労働組合等を始めさかんに主張されていた顕著の事実であって、本件事故当時桜木町駅に発着する電車にも編成されていたことは国鉄従業員たると否とを問わず当然予想し得べき状態であり、且つ如何なる電車にも《荷物車、回送車は別として))乗客の存することはこれ又当然予見可能の事柄であるから、若し前記火災の発生した場合は、その程度範囲は不明であるにもせよ、乗客の間に混乱を生じこれによりその身体生命に幾千かの火傷その他の損傷を蒙らせることもあり得べきものと推察され得ることも亦当然可能の事柄に属する。なるほど……各関係証拠を検討するときは、本件損害の発生は、本件電車がいわゆる六三型に属し、その車体構造に欠点少くなく、特に木造部分が多く耐火的に弱いものであったこと、パンタグラフの取付枠が二重絶縁装置でなかったこと、横浜変電所の高速度遮断器がいわゆるπ型給電回路を構成せずT型であったため、第二事故の発生に当り横浜変電所の高速度遮断器が動作したにかかわらず鶴見饋電室の高速度遮断器が動作せず、従って午後一時四四分頃から同四八分頃までの間、第二事故現場に継続給電されたことが直接又は最有力な物理的な原因となり、その損害を拡大したもので国鉄としても未曽有の惨事となったものであることは、これを窺うに難くないのであるけれども、損害の程度が未曽有の大きさであることは損害の量の問題であり、質の問題とは直ちに断定し得ないところであり、又被告人武井が高速度遮断器の性能構造、動作、短絡と電弧発生の場合における継続給電の問題及びこれに続く火災の発生の条件等に関する科学的専門的知識、或は六三型電車の欠陥に対する具体的詳細な知識を持っていなかったことは所論のとおりであろうと思料されるけれども、被告人の刑責の有無を判断するに必要な予見可能の有無は必然性の問題とする要はなく蓋然性の有無を判定することをもって足るが故に、右被告人にして右意味における予見可能性が前叙のとおり窺い得られる以上その可能性を排斥して右の事由によって本件損害の発生を被告人等にとって不可抗力とするに由ないものである』旨判示したのは、相当であって所論は採るを得ない)
同第二、三点について。
所論はいずれも原判決の被告人中沢重二に関する部分につき事実誤認ないし単なる法令違反を主張するものであって、適法な上告理由に当らない。(なお原審の確定した事実によれば、被告人中沢は本件事故当時までに電力工手として約一七年間、電力工手長として約一三年間の経験を有していたもので、事故当時原判示保土谷配電分区の工手長をしており、事故当日は部下八名を指揮し、上席工手副長である被告人平井育造を列車番に、曽って工手長の経験を有する人夫牛田幸太郎を列車番の補助その他の雑役に、その余の者を二人一組として作業従業者と指定して碍子の取換作業に従事しているうち、本件第一事故が発生し吊架線が切れ長谷川定雄が地上に落ちた。そこで被告人中沢は同所にかけつけ、長谷川に怪我はないことを確めたのであるが、架線の垂下状態をみて、前記亘り線を通り下り電車を上り線に進入させることも、上り電車を発車させることも危険であると察知し、応急措置として列車の上り線進入を阻止させることと右事故の復旧手配をすることを急務と考え、後に被告人と同様の経験を有する工手副長の被告人平井、前工手長の経験のある人夫牛田等があり適宜の措置をとってくれるものと即断し、特に詳細な指図を与えることなく、単に『信号扱所に連絡に行ってくるから後を頼む』と誰にともなく言い残して桜木町駅信号扱所に向って駈け出し、約一分後、信号扱所に着き、同所に勤務中の信号掛である被告人高原豊秋に対し、単に『架線を断線させたので上りはいけない』という趣旨の言葉で断線個所も明示せず不正確な報告をし、被告人高原の『下りはどうか』という問に対し、『下りは差支えない』と不正確な返事をしたため、被告人高原をして、次の下り電車を下り線から亘り線を経て桜木町駅二番線ホームに到着させても差支えないものと誤信させ、被告人中沢はそのまま連絡は完了したものと思って同所を立ち去ったものであるというにあって、原審は前記碍子取換作業の指揮者である被告人中沢につき、第一事故現場から信号取扱所に向って駈け出す際の後車を託する措置の不完全な点と、信号扱所における信号掛に対する事故の報告の不正確な点との前後二段の業務上の注意義務違背を指摘しているが、所論第二点は、被告人中沢の注意義務の範囲につき独自の見解を主張して右指摘された主として前段の注意義務違背の点を争うけれども、この点に関する原審の判断は相当であり、所論は採るを得ない。次に所論第三点は、被告人中沢においても、被告人武井におけると同様、本件災害の発生は予見不可能であった旨主張するけれども、被告人中沢が前記のような豊富な経験を有し、本件碍子取換作業の指揮者であり、且つ第一事故発生により架線が垂下したこと、下り電車を亘り線から上り線に入れるときはパンタグラフの破壊される虞あることを認識していたことを指摘して被告人中沢においては、被告人武井におけるよりもなお一層予見可能であったと断ぜざるを得ない旨判示した原審のこの点に対する判断も相当であって、所論は認容し得ない)
同第四点について。
所論は、原判決の被告人平井育造に関する部分につき単なる法令違反乃至事実誤認を主張するものであって、適法な上告理由に当らない。(なお、原審の確定した事実によれば、被告人平井は本件当時までに電力工手として約二六年間、電力工手副長として約二年間の経験を有するものであって、本件事故当日も電力工手長である被告人中沢の下で電力工手副長を勤め、列車番に指名され、碍子取換作業者に電車の接近を告知して作業者の安全を図ると共に電車についても危険を未然に防止すべく注意する職務を帯びていたものである。そして前記のように第一事故が発生し、電力工手長谷川が地上に落下するや、工手長である被告人中沢等と共に同所にかけつけたのであるが、被告人平井はその頃の桜木町駅附近の電車の運行間隔が大略十分余りであること、下り電車の中には下り線から前記亘り線を通って上り線に入る電車もあることを知っており、架線断線の結果、下り線から亘り線を経て上り線に入る電車にとっては危険な架線状態になったことを察知した。ところが工手長の被告人中沢が『信号扱所に連絡に行って来るから後を頼む』と言い残して立去ったので、後に残る者のうちでは被告人平井が最上席の工手副長であり、しかも当日列車番を割り当てられていたのであるから、右工手長の不在中はこれに代って、下り軌条のポイントを調べて次の下り電車が亘り線を経て上り線に入ることになっているかどうかを自ら確かめ、又は他に命じて確かめさせ、若し入るように軌条が構成されておれば((現にそのとおり構成されていた))右工手長の連絡によって、信号掛が電車を右危険個所に進入させないよう場内信号機の信号を赤にするか、ポイントを切り換えて下り電車が下り線を直行して一番線ホームに到着するよう軌条を構成するかの措置をとるまでは、下り電車のための防護措置として場内信号機附近で前記牛田が所持していた手旗を現示する等臨機の措置を講ずべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、他の工手達と共に垂下した架線の復旧作業に専念し、軌条の構成を調べることも、持参の手旗によって危険信号を出すこともせず、一二七一B下り電車の右危険個所への進入阻止に何等意を用いなかったものであるというにあるところ、所論は要するに被告人平井に右のような注意義務を要求するのは不可能を強いるものであり、又本件災害の発生は同被告人には予見不可能の事柄であった旨抗争するものであるが、これを否定した原審のこの点に関する判断は相当であって所論は採用し得ない)
同第五点について。
所論は判例違反を主張するが、挙示の判例は特定の行為に起因して特定の結果が発生した場合に、これを一般的に観察して、その行為によって、その結果が発生する虞のあることが実験則上当然予想し得られるにおいては、たとえその間他人の行為が介入して、その結果の発生を助長したとしても、これによって因果関係は中断せられず、先の行為を為した者はその結果につき責任を負うべきものと解するのが相当である、という趣旨のものであるところ、原判決は右判例の趣旨に相反する判断をしているものとは認められない。所論の実質は、本件致死傷の結果は、被告人武井、同中沢、同平井の各過失との間に相当因果の関係にはない。右被告人等の電力工手、電力工手長、電力工手副長としての全知識、全経験からしても本件事故は全く予見不可能の事柄であり、偶然稀有の現象であるから右被告人等に刑責を認むべきではないという事実誤認乃至法令違反の主張に帰するものであって、適法な上告理由に当らない。なお特定の過失に起因して特定の結果が発生した場合に、これを一般的に観察して、その過失によってその結果が発生する虞のあることが実験則上予測される場合においては、たとえ、その間に他の過失が同時に多数競合し或は時の前後に従って累加的に重なり、又は他の何らかの条件が介在し、しかもその条件が結果発生に対して直接且つ優勢なものであり、問題とされる過失が間接且つ劣勢なものであったとしても、これによって因果関係は中断されず、右過失と結果との間にはなお法律上の因果関係ありといわなければならない。原判決がこれと同一見解の下に、本件において被告人武井、同中沢、同平井の各過失と本件致死傷の結果との間に、相被告人高原、同中村の各過失が競合し、又当時横浜変電所の高速度遮断器の給電回路がπ型でなくT型であり、第二事故発生の際右変電所の高速度遮断器は動作したが鶴見饋電室の高速度遮断器は動作しなかったため四分間に亘り継続給電されたこと、本件電車がいわゆる六三型電車であってパンタグラフの絶縁が二重絶縁装置でなかったこと、車体に木造部分が多く耐火的に構造上弱いものでありその他幾多の欠陥のあったこと等悪条件が存在していたとしても、右被告人等の過失と本件結果との間には因果関係の存在を肯定すべきものとし、本件の結果である致死傷も右被告人等にとって予見不可能の事柄ではなく、その程度が数量的に未だ経験しなかったような甚大なものであったとしても、右過失と結果との間の因果関係はないということはできず、結果の甚大である点は過失者にとって責任の存否の問題ではなく、責任の大小、軽重に関する情状の問題であるにすぎないと解すべきであるとした判断は相当である。
同第六点について。
所論は量刑不当の主張であって、適法な上告理由に当らない。
被告人平井育造の弁護人飛鳥田一雄の上告趣意(一)について。
所論は原判決に判断遺脱があると前提して違憲をいうけれども、原審弁護人の所論控訴趣意第七点は量刑不当の主張であり、同点(ハ)は量刑上参酌さるべき一事情として本件犯行後の恩赦令の発布に言及しているにすぎないものであること記録に徴し明らかであるから、右量刑不当の主張に対して原判決が判断を示している以上、原判決には何等判断遺脱は存しないといわなければならない。従って所論違憲の主張はその前提を欠き適法な上告理由とならない。
同(二)について。
所論は判例違反をいうが挙示の大審院判例は事案を異にする本件には適切を欠くものであり、爾余の論旨は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、適法な上告理由に当らない。(なお、被告人中沢工手長が前記の如く信号扱所に連絡に赴く際『後を頼む』と言った言葉の意味は、所論の如く、被告人平井その他後に残った者に対し、架線の復旧工事のみに専念せよという趣旨であって、それ以外の軌条ポイントの点検、場内信号機の現示の点検、電車の運行に注意し持参の手旗による危険防止の措置をとること等は一切、被告人平井等の責任分担の範囲外とするという趣旨であったものとは解せられないのであって、これと同旨に出でた原審の判断は相当である)
被告人高原豊秋の弁護人馬場数馬の上告趣意第一点について。
所論は判例違反をいう点もあるが、挙示の判例は、業務上過失傷害罪は業務上の注意義務を怠り因って傷害の結果を発生せしめたときに成立するのであって、注意義務の内容は各業務の種類及び性質に応じて当然の条理に従い自ら定まるべきもので、必ずしも法令の規定をまつものではない、そして注意義務を怠ったものとなすには当該危険が予想し得べかりしもので、しかも避け得べかりしものであることを要するという趣旨を判示するものであるところ、原判決は何等これと相反する判断をしているものとは認められない。爾余の論旨は事実誤認の主張であって、結局所論は適法な上告理由とならない。(なお原審の確定した事実によれば、要するに、被告人高原豊秋は、桜木町駅信号掛として、運転掛の職務を担当する同駅助役又は予備助役の一般的指揮の下に同駅信号扱所に勤務し、連動機を操作して、通常は、上下電車の発着が電車運行表の定めるとおり行われるよう転轍して、信号を現示するのであるが、場合によっては、運転掛の指示を受け若しくはその余裕のないときはその指示を受けずに、電車の着線を変更し、又は電車の進路に支障のあるときは、その区間を防護する信号機に進行許容の信号を現示することのないようにすべき職責を有するものであり、右職責上当然に電車の進路に危険があるときは、その進入を防止し危険の発生を未然に防ぐよう万全の措置を講ずべきであって、電車の進路にあたる危険にはその発見にできるだけの注意を払い、殊に他より危険発生の虞ある事項について連絡を受ける場合には、その連絡事項を正確に把握するように努めなければならないこと勿論である。そして被告人高原は、本件事故当日、寺山良平と共に当直として桜木町駅信号扱所において信号掛の勤務につき、午前中はポイントの清掃注油等に従事し、正午からは寺山と交替して午後二時まで連動機の操作に当ったのであるが、午前一〇時頃ポイント掃除中、電力工手数名が場内信号機辺りの構副第四号柱附近で上り線の架線工事をしていたこと、更に正午頃電力工手達がその辺の東横線寄りを歩いていたことを知っていたし、本件一二七一B下り電車は午後一時三四分桜木町駅着予定であるため、電車運行表所定のとおり、同電車が下り線から前記亘り線を通って上り線に入り同駅二番線ホームに到着するよう自ら連動機を操作した。従って場内信号機には同駅二番線ホーム到着許容の信号が現示された。右到着予定時刻頃右被告人は、右ホーム駅長事務室から一二七一B下り電車が約九分遅れて到着する予定との通知を受け、信号扱所内の定位置に腰掛けていたところ、午後一時四〇分頃、被告人中沢工手長が駈け込んで来て、被告人高原に対し、『架線を断線させたので上りはいけない』という趣旨の言葉を言った後、電話で保土谷配電分区に対し、架線の断線事故を報告し、復旧資材等の手配を依頼した。被告人高原は、信号掛として電車の安全な運転を図るべき職責上、数分後に進入して来るはずの一二七一B下り電車が自己の操作した右進路を進行しても安全であるかどうかを明らかにするため、被告人中沢に対し『下りはどうか』という不正確な表現で聞いたところ同人は『下りは差支えない』とだけ返答した。被告人高原は、断線個所がどこであるか、被告人中沢のいう『下り』とは、下り線を意味するのか、下り線から亘り線を経て上り線に入り桜木町駅二番線ホームに行く下り電車をも意味するのか等の諸点について釈明して、信号掛として断線により生じた危険に対処する措置を講ずる判断の基礎を確定すべき業務上の注意義務があったのにこれを怠り、右問答から、単に上り電車を出発させることだけはいけない趣旨と速断し、信号扱所の窓から断線個所及び断線による架線の状態等を見ることもしなかった。かくて被告人高原は着線変更その他の臨機の措置もとらず、そのまま右下り電車が危険個所に進入するのを阻止することを怠り、因って第二事故、延いて本件災害を発生させたものであるというにあるところ、所論は、桜木町駅が終発着駅である関係上、同駅員間で使われる『上り』『下り』の用語は、通過駅の場合と異り、場内信号機より同駅寄りは、一番線、二番線共に同駅に入って来る電車の線は全部『下り』と呼ぶ慣例であり、被告人高原は右慣例用語に従って被告人中沢との問答を解釈し、判断したのであるから、被告人高原に過失責任を負わしめるのは酷である旨争うけれども、同被告人が信号係として万全の措置をとるべき業務上の注意義務を懈怠したものであることは既に明らかであって所論は採るを得ない。所論は更に本件の結果は予見不可能であった旨主張するけれども、被告人高原は架線が切れたことを被告人中沢から報告を受けたのであり、架線断線の場合には、その断線個所を中心として左右の架線に垂下を来たし、その影響するところ極めて速かに且つ広範囲に及ぶであらうこと、正常の高さの亘り電車線と垂下した電車線とが交叉する地点においては両線間に相当の高低差を生じており、そこに電車が進入すればパンタグラフの一端をその個所に突き込み、又架線を切ったりパンタグラフを破壊したり、電車の車体に短絡し電弧を発生し、その車体が木造部分の多いものである場合には、場合によっては火災を生じ乗客の混乱、死傷の発生の虞のあることは、通常の常識を具えた国鉄従業員には予想するに難くないことであること、右被告人は本件一二七一B下り電車が下り線から亘り線を通って上り線に入るように自ら連動機を操作したものであること、更に当時いわゆる六三型電車には幾多の欠陥があり車体に木造部分が多いことは公知の事実に属していたこと等を指摘して、本件の結果は予見不可能の事柄ではなかったとした原審のこの点に関する判断は相当である)
同第二点について。
所論は量刑不当の主張であって適法な上告理由に当らない。
被告人中村曄の弁護人加藤外次、同森英雄の上告趣意第一、二点について。
所論第一点は違憲をいうが、実質は訴訟法違反の主張であり、同第二点は単なる法令違反の主張であって、いずれも適法な上告理由に当らない。(なお原審の確定した事実によれば、被告人中村は、要するに、本件事故当時までに約七年間の電車運転士の経験を有するものであり、事故当日、国鉄蒲田駅から五両編成の一二七一B下り桜木町駅行き電車に運転士として乗務し、午後一時一二分蒲田駅を定時に出発したが、先行の試運転電車が故障した関係で、横浜駅を定時より約九分遅れて午後一時四〇分頃出発し、桜木町駅場内信号機喚呼位置附近まで時速約六〇キロメートルで下り線を進行し、同所で場内信号機が同駅二番線ホーム到着許容の信号を現示していることを確認し、従って下り線から前記亘り線を通って上り線に入り二番線ホームに到着することを知り、なおその際、電力工手達が構副第四号柱附近にいて、隣りの上り架線で何か作業をしていることに気付いた。そして減速して時速約三五キロメートルで場内信号機を通過しようとした頃、右第四号柱附近の上り架線が垂下していることを認め、更に時速三〇キロメートルから三二・三キロメートル程度で右亘り線に差しかからうとした頃、場内信号機附近で認めた前記上り架線の垂下がある以上、亘り線が交叉する附近の上り架線も垂下していて自己の電車の進行に危険な状態になっていないだらうかと不安の念をいだいた。かかる場合には、運転の安全を図るべき職責を有する電車運転士は、自己の進路になる亘り線と上り線とが交叉する個所で両線間に高低の差を生じ、垂下している上り架線の吊架線と電車線との間に自己の電車のパンタグラフの集電舟を突入させる危険がないかどうかを確かめるため、直ちに急停車するか又は最徐行する等万全の措置を講ずべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、偶々乗務員室に同乗していた同僚に対し、『おれの方の架線は大丈夫だらうね』と尋ねたところ、同人は『大丈夫だらう』と答えたし、前記構副第四号柱附近で作業中であった電力工手達も格別電車に対する防護措置も講じていないし、又場内信号機も前示のように二番線ホーム到着許容を現示していたので、直ちに急停車するか又は最徐行して架線状態が自己の電車の進行に危険でないかどうかを確かめる等の措置を講じないでそのまま進行しても安全であらうと軽信して慢然進行したため、第二事故、延いて本件災害を発生させたものであるというにあるところ、所論第一点は、被告人中村において、急停車又は最徐行の措置に出でたとしても、従来の電車の惰性から、果して本件第二事故発生地点の手前で停車し得たかどうか、如何程まで減速可能であったか、前記架線の高低差を発見することが可能であったかどうか等の点について、原審は何等の審理もしていないし、又これを可能であったと肯定する何等の証拠もないのに、右被告人に過失責任を認めた原判決は、証拠に基かずして裁判をした違法がある旨主張するけれども、原審が所論の点について審理をなしていること及び第二事故発生地点の手前で急停車することの可能であったこと等を肯定する証拠の存することは記録上明白であり、次に所論第二点は、国鉄の如く膨大にして複雑な運転系統によって運転が行われている組織においては、安全運転よりも正常運転こそ重要視せられ、国鉄運転士全般が電車を停車又は徐行することに躊躇せざるを得ないような教育を施されていたのであるから、右のような事情において輙く被告人中村に過失責任を認めた原判決は法令の解釈を誤った違法があるというにあるけれども、所論は独自の見解であるというの外なく、いずれも理由がない)
また記録を調べても刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。
よって同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田 克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)