最高裁判所第二小法廷 昭和31年(オ)835号 判決 1960年10月21日
上告人 又一株式会社
被上告人 国
訴訟代理人 青木義人 外一名
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人長野潔、同長野法夫の上告理由第三点について。
原判決の確定するところによれば、東京地方裁判所厚生部は、要するに、戦時中から同裁判所職員の福利厚生をはかるため、生活物資の購入配給活動をつづけて来た一種の組織体であつて、いわば自然発生的に一般に「厚生部」と呼ばれるようになつたものであり、その運営も専ら同裁判所の職員によつてなされて来たものであるが、昭和二三年八月下級裁判所事務処理規則の施行にともない、東京地方裁判所事務局総務課に厚生係がおかれることになつたので、同裁判所では、従来前示「厚生部」の事業にたずさわつていた職員天野徳重らをそのまま厚生係にあて、同裁判所の事務としての職員の健康管理レクリエーション等厚生に関する本来の事項を分掌させるとともに、従前どおり「厚生部」の事業の担当者としてこれを継続処理することを認め、天野らは同裁判所厚生係室にあてられた同裁判所本館一階の事務局総務課厚生係の表礼を掲げた一室において「東京地方裁判所厚生部」という名義で他と取引を継続して来たものである。そして、「厚生部」の事務に従事する職員らは、上告人ら第三者と物資購入等の取引をするに当つては、発註書、支払証明書というがごとき官庁の取引類似の様式を用い、これら発註書や支払証明書には、庁用の裁判用紙を使用し、さらに、発註書の頭書には「東地裁総厚第 号」と記載し、なお、支払証明書には東京地方裁判所の庁印を使用する等の方法をとつていたものであり、本件取引は、いずれも、東京地方裁判所総務課に厚生係がおかれた後、厚生係である裁判所職員により「厚生部」の名義で、なされたものである。
以上の事実関係に徴すれば、「厚生部」は上告人の主張するようにこれを法律上東京地方裁判所の一部局とすることはできず、又同じくその主張のように同裁判所の事実上の一部局とも目すべきでないとする原判決の判断はこれを肯認することができるのである。しからば、「厚生部」のなした取引に、つき、東京地方裁判所はなんらの責任を負うものではないと云いうるであろうか。
およそ、一般に他人に自己の名称、商号等の使用を許し、もしくはその者が自己のために取引する権限ある旨を表示し、もつてその他人のする取引が自己の取引なるかの如く見える外形を作り出した者は、この外形を信頼して取引した第三者に対し、自ら責に任ずべきであつて、このことは、民法一〇九条、商法二三条等の法理に照らし、これを是認することができる。
本件において、東京地方裁判所は、「厚生部」が「東京地方裁判所厚生部」という名称を用い、その名称のもとに他と取引することを認め、その職員天野らをして「厚生部」の事務を総務課厚生係にあてた部屋を使用して処理することを認めていたことは前記のとおりである。
ところで、戦後、社会福祉の思想が普及するとともに、当時の経済事情と相まつて、会社銀行等の事業体は競つて職員のための厚生事業や厚生施設の拡充に意を用いるにいたつた。これは当時の一般的社会的風潮であつたと云つてよい。官庁においても、遅ればせながら、当然その影響を受けたのであつて、前示のごとく昭和二三年にいたり東京地方裁判所事務局総務課に厚生係がおかれたのも、この影響の一たんを示すものに外ならない。このような社会情勢のもとにおいて、一般に官庁の部局をあらわす文字である「部」と名付けられ、裁判所庁舎の一部を使用し、現職の職員が事務を執つている「厚生部」というものが存在するときは、一般人は法令によりそのような部局が定められたものと考えるのがむしろ当然であるから、「厚生部」は、東京地方裁判所の一部局としての表示力を有するものと認めるのが相当である。
殊に、事務局総務課に厚生係がおかれ、これと同じ部室において、同じ職員によつて事務の処理がなされている場合に、厚生係は裁判所の一部局であるが、「厚生部」はこれと異なり、裁判所とは関係のないものであると一般人をして認識せしめることは、到底難きを強いるものであつて、取引の相手方としては、部と云おうが係と云おうが、これを同一のものと観るに相違なく、これを咎めることはできないのである。
原判決は、多数の従業員を使用する事業体において、その事業体の名称の下に、「厚生部」その他類似の名称を附するときは、その名称は、全体として、当該事業体の一部局たることを示すものと云い得る場合の存することは否定しえないであろうと云いながら、少くとも国の機関である官庁についてはこれと異なる旨判示している。すなわち、原審は、「厚生部」その他類似の名称はおうむねその事業体の職員のための物資の購入等の活動にあたる組織であることを示すものであるとした上官庁職員のための生活物資購入の事務が当該官庁自身の事務であることは通常ありえないところであるから、たまたま、「厚生部」なる名称の上に当該官庁の名が冠せられたとしても、一般にその官庁もしくはその一部局であると人をして認識せしめるに足るものということはできないとする。しかし、一般に、厚生という言葉は、ひろく健康を維持しまたは増進することという意味で用いられているのであるから「厚生部」その他類似の名称の付された組織体があるときは、その活動範囲は、職員のための生活物資購入等にとどまるものではないのが普通である。したがつて、職員のための物資購入の事務が官庁の事務であることは、原判示のごとく、通常ありえないとしても、このことからただちに、「厚生部」が一般に官庁もしくはその一部局であると人をして認識せしめるに足りないものということはできない。また原審が、裁判所というだけでなんびとにもその職務権限事務内容のおうよそが理解されうる官庁については、「厚生部」という名の存在が、その名の示すような事務内容をもつて、裁判所の一部局としてあり得ると解する如きことは、通常人の注意を用いる者にはおこり得ないと解しなければならないと判示したことは、少くとも、事務局総務課に厚生係がおかれていることを忘れたものと評せざるをえない。
されば、前記のごとく、東京地方裁判所当局が、「厚生部」の事業の継続処理を認めた以上、これにより、東京地方裁判所は、「厚生部」のする取引が自己の取引なるかの如く見える外形を作り出したものと認めるべきであり、若し、「厚生部」の取引の相手方である上告人が善意無過失でその外形に信頼したものとすれば、同裁判所は上告人に対し本件取引につき自ら責に任ずべきものと解するのが相当である。
もつとも、公務員の権限は、法令によつて定められているのであり、国民はこれを知る義務を負うものであるから、表見代理等の法規を類担適用して官庁自体の責を問うべき余地はないとの見解をとる者なきを保し難いが、官庁といえども経済活動をしないわけではなく、そして、右の法理は、取引の安全のために善意の相手方を保護すべき必要は、一般の経済取引の場合と少しも異なるところはないといわなければならず、現に当裁判所においても、村長の借入金受領行為につき、民法一一〇条の類推適用を認めた判例が存するのである(昭和三四年七月一四日第三小法廷判決、民集一三巻七号九六〇頁参照)。
次に、原判決は、本件取引の経緯に照らし、上告人が当初から「厚生部」を東京地方裁判所の一部局と信じて取引に当つたものかどうかはむしろ疑わしい旨、および仮に上告人が厚生部を東京地方裁判所の一部局と信じたとしても、それはひつきよう上告人の不注意によるものといわざるをえない旨判示している。なるほど、本件取引の目的物件、数量および代金支払の方法等から見るときは、東京地方裁判所自体の取引でないことは、注意を用いれば判明しえたと思われるふしがあるけれども、一面、原判決の認定にかかる前示事実関係および厚生部の内部にいた職員川名清らですら「厚生部」が東京地方裁判所の一部局であると信じていた事実は、むしろ上告人の善意を窺わしめるものといわなければならないであろう。
要するに、東京地方裁判所は、本件取引につき自らの取引なるかの如き外形を作り出したものと認めうるのであるから、原審としては、よろしくこの前提に立つて上告人が果して善意無過失であつたか否かをさらに審理判断すべきものであつて、原判決は法令の適用を誤つた結果、審理不尽理由不備の違法をおかしたものというべく、論旨は理由あり、原判決は破棄を免れない。
よつて、民訴四〇七条一項により、本件を原審に差し戻すべく、裁判官藤田八郎の少数意見があるほか裁判官一致の意見をもつて、主文のとおり判決する。
裁判官藤田八郎の少勢意見は、次のとおりである
上告代理人長野潔、同長野法夫の上告理由第四点について。
本件において問題となつている東京地方裁判所厚生部(以下「厚生部」と略称する)なるもののなり立ち沿革については、原判決の詳述するところであつて、要するに、戦時中から同裁判所職員の福利厚生をはかるため、職員の希望する物資の購入配給活動をつづけて来た一種の組織体であつて、その運営も専ら同裁判所の職員によつてなされて来たものであるが、昭和二三年八月下級裁判所事務処理規則の施行にともない、東京地方裁判所事務局総務課に厚生係がおかれることになつたので、同裁判所では、従来前示「厚生部」の事業にたずさわつていた職員天野徳重らをそのまま厚生係にあて、同裁判所の事務としての職員の健康管理レクリエーション等厚生に関する本来の事項を分掌させるとともに、従前どおり「厚生部」の事業の担当者としてこれを継続処理することを認め、天野は同裁判所厚生係室にあてられた同裁判所本館一階の室(事務局総務課厚生係の表礼を掲げた一室)において、東京地方裁判所厚生部という名義で他と取引を継続して来たというのである。
以上原判決認定の事実関係から見れば、なるほど、右「厚生部」は上告人の主張するように、これを法律上東京地方裁判所の一部局とすることはできず、又同じくその主張のように同裁判所の事実上の一部局とも目すべきでないとする原判決の判断はこれを肯認することができるけれども、右「厚生部」なるものは、きわめて不明瞭なる性格を有し、同裁判所の厚生係と極めてまぎらわしき存在であつて、「厚生部」と取引きする第三者はこれを同裁判所厚生係と混淆誤認するおそれの多分に存することは争うことのできないところである。
原判決も「「厚生部」は東京地方裁判所職員を構成員ないし受益者とし職員により運営される職員のためのものであるから、かかる意味において全く裁判所に関係のない外部の団体等とは同一に談じ得ないことは当然である」とし、また天野らが同地方裁判所の職員たる地位を失うことなく、従つてその給与その他公務員たる待遇を受けながら「厚生部」の事務にあたることを東京地方裁判所当局から認められていたことは事態を極めてあいまいならしめるものであつたことは否定し得ずとしている。
あまつさえ、右「厚生部」の事務に従事する職員らは、上告人ら第三者と物資購入等の取引をするにあたつては、発註書、支払証明書というがごとき官庁の取引類似の様式を用い、右発註書、支払証明書の用紙に東京地方裁判所の用紙を用い、その庁印を押捺使用し、更に発註書の頭書に地裁総厚第 号と記載したことも原判決の確定した事実であつて、かくては「厚生部」と取引する第三者がその取引の相手方をもつて東京地方裁判所自体であると誤認するもまことにむりからぬことといわなければならない。
原判決は右用紙の使用、庁印の押捺については「かかる用紙や庁印の使用は東京地方裁判所において公けに許したことのないのはもちろん、黙認した事実もなく」「右は厚生部係員が用紙を流用したというに過ぎず、庁印にいたつては係員において本来用うべからざるところにほしいままにこれを用いたというべきものであつて」と判示しているけれども、一面、原判決はまた「厚生部の事務処理にあたる係員がこれを流用したことは、これを結果的にみれば同裁判所における職員に対する監督や庁印の保管において内部規律の保持上なんらか欠けるところがあつたためと認めるべきものである」として東京地方裁判所の機関において職員の監督、庁印の保管等について懈怠のあつたことは、原判決も否定しないところである。
果してしからば、裁判所の前記懈怠行為は、前に述べたごとき厚生部に「東京地方裁判所厚生部」という名称を用いて他と取引することをみとめたこと、同裁判所厚生係職員をして右「厚生部」の仕事に従事せしめたこと、「厚生部」の仕事を同裁判所厚生係にあてた部室において執務せしめたこと等一連の同裁判所の行為と相俟つて、上告人主張のような誤認ひいてはその主張のような損害の発生に対して原因を与えたという事実はこれを否定し得べくもないのである。
原判決は右の懈怠行為が上告人主張のような誤認乃至損害の発生の原因となるが如きは裁判所の予想し得ないところであるから、相当因果関係を欠くというけれども、右「厚生部」と同裁判所厚生係とは極めてまぎらわしき存在であることは、既に前段において詳述するとおりであつて、これに加えて前述のごとき用紙、庁印の乱用が行われるにおいては、「厚生部」と取引する第三者において上告人主張のような混淆誤認を生ずるおそれのあることは容易に看取し得るところであつて、原判決の予見し得べからざるところとする判断は到底是認することはできないのである。(用紙、庁印の乱用についても、これを裁判所の裁判部の職員について云えばこれによつて本件のごとき損害の発生を惹起することは予見し得べからざるものとする見解も首肯し得られるけれども、本件厚生係の職員については全くその事情を異にすることは上来説示する諸般の事情からして十分に会得せられるところである。)
原判決は右上告人の誤認は専ら上告人側の不注意にもとづくものであるというけれども、右誤認に対しては如上裁判所の一連の行為がその原因を与えておる事実ありとする以上、専ら上告人側の不注意にもとづくものとすることのできないことはあきらかであつて、上告人側に不注意に基く過失ありとすれば本件損害についてこれを斟酌せられるべきものであるに過ぎないのである。
以上のとおり、原判決が裁判所に前示のような懈怠行為あることを認めながら、これをもつて、本件上告人の損害の原因たることを否定し、たやすく上告人の不法行為に基く請求を排斥したのは、ひつきよう不法行為に関する法理をあやまつたか相当因果関係の点に関して審理を尽さざる違法あるに帰するものであつて上告人の上告は理由あり原判決はこの点において破棄を免れないものである、
(裁判官 小谷勝重 藤田八郎 河村大助 奥野健一)
上告人代理人 長野潔、同長野法夫の上告理由
東京地方裁判所厚生部(以下単に地裁厚生部又は厚生部という)が、上告会社と取引した結果、三、七四六、一五五円に相当する債務を負担し(少くともその責に任ずべきものである)ていることは、原判決がその理由の部第一、東京地方裁判所厚生部と控訴(上告)会社との取引における基礎たる事実と題して認定したところである(判決書十一丁表より十五丁裏)。しかし、この地裁厚生部なるものは、原判決が認定している通り、「戦時中から東京刑事地方裁判所職員の間では、相互の福利厚生をはかるため、同志の者が生活必需物資を他から入手して職員に配分した上、代金を集めて仕入先に支払うことをしており、これらの事務は裁判所の各職員がその都度本来の職務のかたわらこれに当つていたのであるが、はんざつのため職員の希望により裁判所では比較的ひまな職員をして庶務係分室という名称のもとに勤務せしめつつ、同裁判所職員のため一元的に右のような物資の購入配給活動に従事させることとし、その結果だんだんこの購入配給活動は、とくだんの規約が定められたようなことはなかつたが、右職員によつていちおう組織化されて恒常的に運営されるにいたり、これたたれ言うとなくいわば自然発生的に、一般に「厚生部」と呼びならわすようになつた」もので(判決書十七丁表及び裏)、「東京地方裁判所職員を構成員ないし受益者とし、職員により運営される職員のためのものである」(同二十二丁表)といつても、その構成は法律的には全然ぬゑ的なもので代表者又は管理人の定めのあるものということはできず、職員自体も果して自分が構成員か受益者かを意識しないものであるから、地裁厚生部の責任といつても紙の上の責任、いわば無責任である。故に本件における争点は、地裁厚生部の責任を何人が果すかという点に集中されるのであつて、これを前提として以下五点に亘り不服の理由を述べる。
第一点原判決には、民訴三九五条一項六号にいう理由齟齬の違法がある。
(一) 原判決は、この理由書冒頭に述べた地裁厚生部に関する説示に引続き厚生部の職員である天野徳重等は、東京地裁の現職事務官であつたこと、厚生部が地裁厚生部の名称を使用且つ表示し、東京地裁の庁舎の一部を使つていたこと(これらの事実は東京地裁当局が許可していた)、更にその取引に当り発註書や支払証明書等には東京地裁の裁判用紙を用い、その印章(庁印)を押捺使用していたことなど一連の事実を認定しながら(判決書十七丁裏-十八丁表)、厚生部は東京地裁の事実上の部局ではないと結論したが、これはその理由に喰い違いがあるものと信ずる。
(二) 原審は、「従業員のため日用生活物資等の購入も当該事業体の福利厚生事務の一環としてなされることも否定し難い」と認めつつ、「この種の物資購入について本来の福利厚生事務とは別に、従つてその事業体そのものとは別にその職員の団体等の名において行うものもあること。ことに法令によつてその職務権限事務内容の一定する官庁に於いてはそうであることは一般に知られたところであるから、従業員のための物資購入がその福利厚生のためになされることがあるからといつて、いちがいにその事業体そのものの事務であるとするのは早計である。すなわち本件に於ては厚生部の処理する事務は東京地方裁判所の事務であることはできない」としているが問題は抽象的に従業員のための日用生活物資等の購入事務が当該事業体そのものとは別にその職員の団体等の名に於て行われることがあるか否かに在するのではなく、具体的に本件の場合地裁厚生部が行つた取引を東京地裁の事務と認めるを相当とするか否かにある。
一船に官庁、会社、銀行等の事業は本来その自己の業務のために従業員を使用するのが建前であり、殊に官庁に於ては、国民が国のために納入した税金によつて職員の給与をまかなうものであるから、その職員は必ず国の事務この場合当該官庁の事務を取扱わねばならぬことは当然であり(但し例外として組合専従者があるが、これは憲法によつて保障された団結権の実行で、例外である)、官庁の職員をして、国に関係のない事務を取扱わせることは如何なる意味においても考えられない。本件の場合、天野ら厚生部の職員は、東京地裁の職員たる地位を失うことなく、勤務時間中公然と厚生部の事務に当ることを地裁当局から認められていたのであつて、更に天野等は正規の仕事のかたわらに厚生部の仕事をしていたのではなく殆ど厚生部の事務に専念していた(第一審に於ける川名清の証言中第五項-証人は厚生係に配属されましたが主として厚生部の仕事をし厚生係の仕事はほんのつけたしに過ぎませんでした-参照)事実を加え考えれば、厚生部の処理した事務は東京地裁の事務であつたと解せざるを得ない。しかし東京地裁が厚生部に庁舎の一部を使用する事を認めた事実は裁判所という法令上その職務権限ないし事務内容が一定した官庁では、自己の庁舎は自己の事務を処理させるために使用するのが通常であることから考えれば、厚生部の処理する事務が地裁の事務であることはきわめて明白である。もとより官庁は厳密にすべてその庁舎をことごとく自己固有の職務のためにのみ直接使用するわけではなく、時として本来の職務の遂行に支障のない範囲で職員や外来者の便宜をはかるため、有償又は無償で庁舎の一部を使用させることのあることは争えぬが、これは公共の利益に奉仕する例外であつて、本件の場合とは事情が異なる。厚生部においては、裁判所職員の生活物資購入等の事務を取扱わせるため、同庁の現職職員を殆ど専従させたもので、同職員らはこれを裁判所の事務であると信じていた。それ故に、取引に当つては発註書、支払証明書等に裁判用紙を用い、同庁の庁印を押捺使用しており、当局はこれを黙認していた(天野徳重の原審に於ける-この用紙は裁判所の用紙でありますが当時厚生部がこの用紙を使うことは裁判所のためにやつていると思つておりましたので別におかしいとは思いませんでした。又この用紙を使うについて上司から使つてはいけないといわれたことはありません。なおこれに裁判所の庁印が押してありますが、庁印を使うことについて上司から注意を受けた事は記憶がありません-の部分参照)。加之厚生部が東京地方裁判所厚生部という一見地裁の一部局と考えられるような名称を用い看板をかかげることを地裁当局が許していたのであるから、到底前記例外に当ると解することは不可能である。
(三) また、東京地裁が厚生部が東京地方裁判所厚生部の看板を掲げること、同庁の庁舎を使用すること、及び同庁の職員がその事務に当ることを認めた事実、司法協会設立にともない厚生部引継の問題が起つたさい、鬼沢事務局長が厚生部の財産状態を調査し、かつ爾后の新規取引の差止を申入れると共に、天野を公務員法に基き免職にすべく最高裁へ上申した事実、また事務局長が、厚生部の取引の相手方である上告会社その他の債権者と交渉した事実、更に地裁が厚生部の事件について常置委員会の議にかけ、民刑各二人の裁判官からなる小委員会により調査した事実等はすべて原判決認定の通りである。
これら一連の事実を見れば、地裁当局が常に厚生部の存在を或は黙認し、或は積極的に千渉して来たことを認め得べく厚生部は事実上地裁の内部的統制ないし管理に服していたものと解すべきである。
以上の如く原判決が認定した事実から導き出せるものは、厚生部の処理した事務が地裁の事務であること、及び厚生部が地裁の事実上内部的統制ないし管理に服していたことであり、これは厚生部が地裁の事実上の一部局であるというを妨げない。然るに原判決がこの一連の事実を認めながら、上告人の主張を結論的に排斥したのは、その理由に齟齬があり主文に影響を及ぼすべき違法である。
第二点原判決は採証の法則に違反し、不当に事実を認定した違法がある。
(一) 原判決は、上告人が厚生部を地裁の事実上の部局であると主張した趣旨を「一方において厚生部の扱う事務が事の性質として東京地方裁判所の事務であるということと、他方において厚生部は法令上根拠はないが事実上同裁判の内部的統制ないし管理に服し、これに所属するものであることを内容とするものと解する」といい、この点上告人に不服はないが、事実上の部局というものが是認せられるかどうかは、官庁たるものの性質上それ自体問題であるという(判決書一六丁裏)。法令上の根拠のない機関が官庁それ自体でないことは当然であるが、問題は事実上存在した機関が、事実上取扱つた取引の帰責に関する事柄である。従つてこの判断をする為めには、永年に亘つて行われた厚生部の組織、内容、取扱つた事務、関係職員の状況等事実上の機関の生態について、これを有機的に認定判断すべきものである。然るに、原判決は、理由の部第二の(二)において冒頭及び第一点において述べた事実を認定しながら、この事実を個々に切離して事実上の部局の主張を否定したのは、推理判断の法則を無視したものであると信ずる。
(二) 原判決は、厚生部に地裁の庁舎の一部を使用させた事実は事実上の一部局とする根拠とならないといい、職員を専従させたことは事実上の一部局であることの根拠とするには乏しいといい、また用紙や庁印の使用を許容した点は、これを否定し去つた(証拠の取捨判断に属することであるから、不服の申立はできないが、これが事実上使われていた事実は原判決の認定するところである)。これらの原審が否定した結論の前提である各事実を個別的にでなく、有機的結合をもたせて判断すれば、厚生部は地裁の一部局となつたものであるという結論に到達するはずである。少くとも、「庁印に至つては係員において本来用うべからざるところにほしいままにこれを用いた」という判断はできないと思う。蓋し、本件は、庁印の使用のみでなく地裁の職員が本来なすべからざることをほしいままに実行した案件であつて、東京地裁という最も正しくなければならない官庁において、最も不誠実に行われた取引行為である。見方によれば、その行為はいわゆる取込である。厚判決は、推理の法則に違反しているか、ないしは理由に齟齬があるものと信ずる。
(三) 殊に、原判決は、理由の部第三において、「これを逆にいえば「厚生部」その他類似の名称はおおむねその当該事業体の職員のため物資購入の活動にあたる組織であることを示すものと言つてさしつかえない」(判決書二十四丁表)といい「その実体においてその事業体そのものもしくはその一部局である」ことが、あり得ることを認めている。この認識に前示挙示の事実を総合すれば、原審のような結論とはならない。原審は推理判断の法則を誤まつたものである。
第三点原判決の推論は、商法二三条、四二条、及び民法一〇九条の法理に違反する。
(一) 一般に他人に自己の名称商号等の使用を許し、もしくはその者が自己のための取引する権限ある旨を表示し、其他人のする取引が自己の取引なるかの如く見える外形を作り出した者は、この外形を信頼して取引した第三者に対し自ら責に任ずべきであることは、商法二三条、四二条、民法一〇九条の趣旨によりいわゆる名義貸とよばれるものについての法理その他一般に表示行為の公信力の問題として肯定されるところであつて、大審院判例も夙にこれを是認している。本件に於て東京地裁は厚生部のする取引について責任を負うべき旨外部に表示し上告会社はこの表示を信頼して本件取引を行つたものであるに拘わらず、東京地裁即ち被上告人の右取引上の責任を排斥したのは、具体的事実に右法理の適用を誤つた違法がある。
(二) 東京地方裁判所厚生部の名称
(イ) 原判決は「一般に本来の名称と用いられた名称とが完全に文字通り一致する場合はなんらの問題なく、本来の名称の下に支部、支所、支店、分局、分室ないし営業所、事業所というような通常それ自体その一部局たることを示すものが附加された場合も勿論であり、両者の名称に若干の相違があつてもその同一性が客観的に認識される場合も同様である」と認定しつつ(判決書二十四丁表)、本件の場合を否定しているが、前記支部、支所、その他の諸名称と厚生部という名称との間にさほど本質的な差異があろうか。成程、厚生部という名称はおおむね当該事業体の職員のための物品購入等の事務を司るところをさし、その実体が事業体そのものもしくはその一部局であることもあり、それとは別個のいわば自主的な組織として存在することもあるかも知れないが、そもそもその実体が事業体そのもの、もしくはその一部局であるときには、その事業体が自ら責任を負うことは当然であるから、公信力の問題はそれらがその事業体とは別個の自主的な組織であつても、動的安全の必要上その事業体に直接責を負わせるというのであつて、この点は前記支店、支部等の諸名称と厚生部という名称と間に差異はない。
本来の名称の下に支部、支所等の名称をつけたものが当該事業体と別個の存在であつても、当該事業体が自ら責を負うべき旨の表示とされるのは、当該事業体の本来の名称が上についていることから、一般人が当該事業体そのもの又はその一部局と誤認するからであつて、公信力の作用する理由は、下につけられたそれら諸名称の種類よりも、寧ろ上に本来の名称がつけられている点にある。本来の事業体の名称の下につけられたものが、前記諸名称でなく、厚生部その他の名称であつても、一般人が本来の事業体そのものもしくはその一部局と誤認する点に異るものはないのである。まして、本件の場合東京地方裁判所厚生部と一般に官庁の部局を表わす部という文字を用いているのであつて、後述する庁舎の使用その他の事実がなくても、ことに東京地裁の一部局の表示があつたと解すべきである。
(ロ) 原判決は「一般民間の商社、団体等の場合には、これらの事業体の名称の下に厚生部その他の類似の名称を附するときは、その名称は全体として当該事業体の一部局たることを示すものといい得る場合の存することは否定し得ない」としながら、国の機関である官庁に於ては、その組織、権限、事務内容、内部各部局の設置、事務分配等が法令によつて定まることと、官庁職員のための生活物資購入の事務が当該官庁の事務であることは通常あり得ないこととを理由に、厚生部なる名称の上に当該官庁の名が冠せられたとしても一般にその官庁もしくはその一部局であると人をして認識せしめるに足りるものということはできないとしているが、不可思議である(判決書二十五丁表)。官庁の組織権限等がすべて法令で定まつていることは当然であるから、一般人は官庁だから法令で律せられているだろうと推察している。しかし、その法令の内容を知つているわけではなく、当該官庁の名称の下に厚生部という名称があれば、法令によつてこの官庁に厚生部という部があると思うだけである。そのよつて来るべき法令の内容を調べて見る物好きな一般人はなく、且つその疑を容れる余地のない程今日日本に於ける官庁(いわゆるお役所)の信用は大きい。
また、官庁職員のための生活物資購入の事務が、当該官庁の事務であることは通常あり得ないというが、通常あり得るか否かは官庁の内部にいる特定人が判断するのではなく、一般人が決定するのであつて、前に述べたように未だ封建的思想濃厚な我が国の現況に於て、官庁はいわゆるお役所として世間に絶大の信用を有し、官庁の名称の下に厚生部という名称があるのを見れば、一般人は当該官庁の中に厚生部という部局があり、厚生部というのだから職員のための生活物資購入事務その他の厚生事務を取扱つているのだろうと、判断するのである。官庁の中でも裁判所に対する一般の信用は特に大きく、一般人は原判決の認定のように厚生部という名の存在がその名の示すような事務内容を以て裁判所の一部局としてあり得ないと考えるよりも先に、東京地方裁判所厚生部の名称から、当時社会保障の思想が高まり、各事業体において従業員の福利厚生に力を尽す風潮にあつたので、裁判所でも厚生部という部局を設けて厚生事務その他に当らせていると、信ずる方が強い。即ち地裁厚生部の名称は、一般民間の商社、団体等の名称の下に、厚生部その他の類似の名称が附せられた場合より以上に、また官庁の中でも特に信用ある裁判所であるが故に少くとも東京地方裁判所所属の一部局であることを示すものと解さねばならない。そうして斯く解することが、前記諸法令の法理を正しく解釈する所以であると信ずる。
(三) 厚生部の庁舎の使用及び現職裁判所職員が厚生部の事務に当つていた事実
厚生部が地裁の庁舎の一部を使用し、且地裁の現職事務官が厚生部の事務を執ることは、地裁当局が許していたところである。そもそも官庁が自己の庁舎を使用させ、自己の職員にその事務を執らせている場合、それは一般に当該官庁又はその一部局と考えるのが当然であつて、もとより例外の存することもあろうが、その時はその旨のはつきり表示があるべきである(例えば、それが当該官庁と異なる別個の組織であることを示す看板その他の表示)。然るに本件の場合、そのような表示はなく、かえつて東京地方裁判所厚生部という名称を使用し、一見通常人が東京地裁の一部局と考えざるを得ない看板をかかげていたのである。更に細かく観察すれば厚生部は後に東京地裁の正規の一部局にしてその名も紛らわしい厚生係の室を使用し、事務を執つた天野他二名の現職事務官は正規の仕事の片手間に厚生部の仕事をしていたのでなく、厚生部の仕事に殆んど専念していたのである。その上地裁当局は正式には、これを許可していなかつたかも知れないが、厚生部が発註書(甲一号証の一、二号証の一)、支払証明書(甲一号証の二、三、六号証の二、三)に裁判用紙を用い、東京地裁の印章(庁印)を押捺使用したことは事実であつて、その使用について何ら注意をしなかつた裁判所当局は少くともこれを黙視していたものと解せざるを得ない状態にあつたのである。
わが国に於て官庁の支出はすべて予算でまかなわれる。そしてその基礎はすべて国民の税金である。国費によつてまかなわれた地裁の庁舎の一部並びに裁判用紙を使用し、地裁の現職事務官がその事務に当つていた。(殊に前述のようにそれに専念していた)厚生部の存在を、一般国民が地裁の部局と考えるのは、当然である。税金は国のために支払うものであり、裁判所従つて国に関係のない別個の組織体のために支払うものではないからである。
以上の事実に(二)に述べた点を綜合すれば、本件の場合一般人ならば厚生部の存在を地裁の部局と考えるのが通常である。然らば地裁厚生部の表示は、地裁が自ら責を負うべき旨の表示と解すべく、かかる場合こそ前記諸法令の法理のいわゆる名を貸した場合の典型であつて、これを否定した原判決はその解釈をあやまるものである。
原判決は、「名称、職員、庁舎の三つを綜合して考えてもその結論は同様である」という(判決書二十六丁表)が、この三つのそれぞれをすべて零と判断しながら、これを三倍して見ても零であつて、これは原判決の判断が形式的なことを意味する。
(四) 上告会社の善意無過失
いわゆる善意無過失とは、一般人が通常考えられるような注意をして、尚そのように信じた場合をさし、本件に於て上告会社係員は既に厚生部の内部についてしかも厚生部を地裁の部局であると信じていた川名清(これは当時地裁の職員であつた)、後藤寛等の言を信じ、東京地方裁判所厚生部の名称を信頼して、厚生部が地裁の部局であると信じて取引を開始したが、その上厚生部が地裁の庁舎の一部を使用し、地裁の現職事務官が事務を執り、取引に当つては、発註書、支払証明書の用紙に地裁の裁判用紙を用い、その庁印を押捺使用し、更には発註書の頭書に地裁総厚第〇号と書き、或は支払証明書の形式を用いる等官庁の取引らしい様式を用いていたので、官庁取引になれない(上告会社が官庁と取引したのはこれが最初であつた、原審証人半野の第一審に於ける証言参照)上告会社係員は完全に厚生部を地裁の一部局との確信を強めたものであつて、上告会社が善意であつたことは疑う余地はない。
また当時といわずわが国に於て官尊民卑の思想は根強く一般に流れており、その意味に於て通常人に於て最も取りつき難い裁判所の内部にあつて、その職員がその庁舎を使用し、東京地方裁判所厚生部という一見地裁の部局の如き名称を用いて、地裁の取引であるかのように裁判用紙、庁印等を使つている状態で厚生部を地裁とは別個の存在ではないかと疑うような者は少なくとも部外者にはいないであろう。一般人の裁判所に対する考えは、部内の人間が考えている以上のものがあり、裁判所が関係している取引といえば無条件に信用するのが世の常であるのに、本件において上告会社係員は前記諸種の事情を確め、更に裁判所内部にいて、しかも厚生部を地裁の部局であると信じていた(たとえ原判決認定の如く弁識力の不十分な人間であるとしても)、職員川名清及地裁に出入していた後藤寛について、厚生部の存在につき確認しているのであつて、上告会社係員が本件において注意を尽したのは一般に期待される以上のものがあつたのである。
然るに原判決は、「従来大阪所在の訴外本丸田株式会社は……池田清次郎は同会社と厚生部との取引代金の未決済額が予想外に多額に上り、同会社として一定の枠に達したので云々控訴会社東京支店において支店長や同支店に販売事務を担当していた浜村義一らに対し、右の事情も告げ云々」(判決書二十六丁裏)と認定しこれを基礎に上告人の主張を排斥した。原判決挙示の証拠を見れば、池田が取引代金の未済決額が予想外に多額に上り、同会社として一定の枠に達したので判示のような納入方法を考えた事実は認められるが、この事情を上告会社の支店長らに説明したことに関する証拠はない。証拠の取捨判断は事実審の専権に属するとしても虚無の証拠以て事実認定をすることはできない。すなわち、原判決は、採証の法則に違反し、不当に上告会社の悪意ないし有過失を認定したもので、破棄さるべきものと思料する。
第四点原判決には、不法行為理論を無視した違法がある。
(一) 本件に於て東京地裁の裁判官会議、所長、事務局長らの機関が、厚生部が東京地方裁判所厚生部という名称を使用することを認め、地裁の現職の職員がその事務に当ること及び地裁の庁舎の一部を使用することを許した行為(作為)と職員に対する監督や庁印の保管をゆるがせにし、厚生部の職員が取引に当てて裁判用紙や庁印をほしいままに用いていたことを見逃した。規律保持上の懈怠行為(不作為)とが原因となつて、上告会社が厚生部を裁判所と誤認して取引し物品を納入したため代金相当の損害を受ける結果となつたことは間違なく、更に第三点に於て述べたように、現在わが国の一般人は前記のような事実がある場合、通常厚生部が東京地裁そのもの、ないしその部局であると誤認するのが当然であるから、前記地裁の機関の作為及び不作為と本件損害発生との間には、いわゆる相当因果関係があると解すべきである。
また地裁の機関の作為及び不作為があれば、一般に誤認を導くものであることは前述の通りであるから、これを予見し得かつた機関は少くとも過失の責任は免れない。
よつて、地裁の裁判官会議、所長及び事務局らの機関の前記一連の行為は、民法七〇九条の不法行為と観るを相当とする。
(二) 然るに原判決は、その理由の部第四において、裁判所が厚生部にその名称、職員及び庁舎の使用をゆるしたこと、その職員がほしいままに庁印や裁判用紙を使用したことを見逃したことは、本件損害と相当因果の関係がないといい(判決書三十一丁表及び裏)。これらを綜合しても同様であると説示する。しかし、相当因果関係は、二個の事実(原因と結果)の間につながりがあることを前提とし、その原因を与えたものに責任を負わすことを相当とするか否かを判定する基準に過ぎない。地裁が厚生部に対してとつた作為及び不作為は上告会社のみならず、その他数会社に財産上の損失を与える結果を招いたものであることは、本件にも表われている事実であり、その損失につき上告会社その他数社の自業自得であるといわんばかりの説示は、上告人の到底納得することのできないところである。殊に地裁が数十万の赤字ある厚生部の現況を知りながら、その取引上の利益によりこれを補填させようとしたことは、原判決の認定した事実である。地裁当局がこの実状を無視し、整理に着手することもなく、依然として庁舎の使用をゆるし、職員の更送すらこれを考えず、その結果第三者に与えた損失につきその責任を否定し去る為め、相当因果関係なしと判断したことは、事件が地裁の職員を中心として行われただけに不公正な認定であると考える。
また原判決は、地裁当局が誤認を生ずべきことを予見し得べきものとすることはできないというが、地裁の裁判官会議、所長、事務局長らの機関が厚生部の赤字を放任して何らの措置をとらないで、何らの危惧なしにいわゆる士族の商法をなさしめるに至つては余りに世間の実情に遠いものと思料する。
原判決はこの点についても、信義誠実の原則にてらしても誤認防止の義務はないという(判決書三十四丁表)。然らば、裁判所のいう信義誠実の原則とは如何なる意味であろうか、判断に苦しむ。上告人は、官庁は、一般人以上に信義誠実の原則の適用を受けなければならないものと思う。以上これを要するに、原判決は上告会社の過失を責めるに急にして地裁当局の過失にはきめて緩かであるといわれても仕方がない。原審は、相当因果関係の認定及び予見の不可能につき、十分の説明をしないもので、原判決には理由不備の違法がある。
第五点原判決は不当に民法七一五条を適用しない違法がある。
(一) 原判決は、天野ら厚生部職員がなした用紙の流用、庁印の不正使用等による本件取引行為は、なんら国の事業の執行につきしたものでないとして、民法七一五条の適用を排斥しているが、これは同条の解釈をあやまつているものであると信ずる。即ち、同条にいわゆる事業の執行につきなされるとは被用者の加害行為が事業の執行それ自体に関してなされた場合に限らず、事業の執行に関連ある行為についてなされた場合も含むことであり事業とは、事実的であると法律的であると、営利的であると、非営利的であると、継続的であると一時的であるとを問わず一般に広く仕事をさすことは争のないところである。
本件において天野ら厚生部職員がやつていた裁判所職員のための生活物資購入の事務が、裁判所の事実上の事務であつたことは、前に第一点に於て述べた通りであるので、天野らの本件不法行為はその事業の執行につきなされたものというべきである。又仮りに厚生部の事務が裁判所の事務に入らないとしても、厚生部の事務は裁判所の本来の厚生事務である官庁配給その他厚生係の仕事と関連のある仕事というべく、やはりその事業に執行につきなされたものと解するのが相当である。
(二) また原判決は、「その取引の内容、取引の方法形式、支払の態様等の上からいつて本来国の機関たる裁判所において適法になさるべき物資購入の行為とは全く相違し、外形上もとうてい国の事業の執行につきましたものとは認め難い」と判定した。上告人は、未だかつて、本件物資購入行為が裁判所に於て適法になさるべき物資購入行為と同一形態であると主張したことはない。現在は客観的に観て、同一でないことはよく了解しているが、本件取引当時においては、地裁厚生部の行為を裁判所の行為と信じていたものである。裁判所の適法な物資購入行為と形式が違つていても、裁判所の違法な物資購入行為の実状にうとい者が、適法な物資購入行為と信じ、しかも地裁が購入行為をする場所を提供し、その職員を配置している以上、これを地裁の事業というべきものだと主張するのである。
原判決にはこの点において上告人の主張を誤解し、民法七一五条の解釈を誤つた違法がある。
以上