最高裁判所第二小法廷 昭和35年(オ)3号 判決 1962年4月20日
上告人 馬場英雄
被上告人 川上万蔵
主文
原判決中上告人敗訴の部分を破棄し、本件を高松高等裁判所に差戻す。
理由
上告代理人長尾章の上告理由は、本判決末尾添付の別紙記載のとおりである。
右上告理由第一点ないし第三点について。
原判決は、無権代理人が本人を相続した場合であると本人が無権代理人を相続した場合であるとを問わず、いやしくも無権代理人たる資格と本人たる資格とが同一人に帰属した以上、無権代理人として民法一一七条に基いて負うべき義務も本人として有する追認拒絶権も共に消滅し、無権代理行為の瑕疵は追究されるのであつて、以後右無権代理行為は有効となると解するのが相当である旨判示する。
しかし、無権代理人が本人を相続した場合においては、自らした無権代理行為につき本人の資格において追認を拒絶する余地を認めるのは信義則に反するから、右無権代理行為は相続と共に当然有効となると解するのが相当であるけれども、本人が無権代理人を相続した場合は、これと同様に論ずることはできない。後者の場合においては、相続人たる本人が被相続人の無権代理行為の追認を拒絶しても、何ら信義に反するところはないから、被相続人の無権代理行為は一般に本人の相続により当然有効となるものではないと解するのが相当である。
然るに、原審が、本人たる上告人において無権代理人亡永蔵の家督を相続した以上、原判示無権代理行為はこのときから当然有効となり、本件不動産所有権は被上告人に移転したと速断し、これに基いて本訴および反訴につき上告人敗訴の判断を下したのは、法令の解釈を誤つた結果審理不尽理由不備の違法におちいつたものであつて、論旨は結局理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。
よつて、その他の論旨に対する判断を省略し、民訴四〇七条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一 裁判官 山田作之助)
(上告代理人長尾章の上告理由)
第一点 原判決は民法第一一七条、第一一三条の解釈を誤り、相続の法理を無視した違法がある。
即ち、原判決は、その理由三、控訴人の当審に於ける所有権に基く移転登記請求についてと題する部分の後段に於て「すでに見て来たように、被控訴人の無権代理人たる訴外永蔵は、昭和十三年十二月二十六日被控訴人所有の本件家屋を控訴人に売渡したものであるが、その後昭和十五年十月十四日右永蔵は死亡し、被控訴人はその家督相続をしたことは当事者間に争いなく、且つ永蔵の死亡迄の間に、被控訴人において、永蔵の右無権代理行為の追認もまた追認の拒絶もしなかつたことは、原審における被控訴人本人訊問の結果、これを認めることができる。ところで、無権代理人が本人から追認を得られないときは、無権代理人は相手方に対し、恰かも当該契約が無権代理人自身と相手方との間に成立したと同様の責任を負い、従つて相手方に対し該契約内容たる履行と同一の履行を為すべき債務を負担すべきことは、民法第一一七条に徴し明かであり、また右債務が相続によつて相続人に承継されることも疑いのないところであるが、只本人による追認の拒絶のないまま無権代理人が死亡し、本人によつて相続せられた場合には、本人たる資格と無権代理人たる資格とが同一人に帰属するわけであるから、このような場合には、本人は一方では無権代理人たる資格で民法第一一七条の責に任じ、他方では本人たる資格で追認を拒絶するという風に、両方の資格を分離主張することは許されず、したがつて無権代理人の相続人としての民法第一一七条に基く義務も、本人としての追認拒絶権も共に消滅に帰し、結局相続と同時に無権代理行為の瑕疵は追完され、その時以降無権代理による契約は有効となるものと解するのが相当である。そしてこのことは、無権代理人が本人を相続した場合と何等異ならないものと解する。右の観点から本件を見れば、被控訴人に対し、民法第一一七条に基く責任(相続債務)を追求する余地はなく、反つて本件家屋の所有権は、前示売買契約に基き相続開始と同時に被控訴人から控訴人に移転したものと云わなければならない」と判示して、上告人を敗訴せしめている。然れども、民法第一一七条による無権代理人の責任(相手方よりの履行又は損害賠償の請求に応ずべき義務)は、相手方が善意、無過失の場合に於てのみ存し、相手方が代理権なきことを知りたるとき、若くは過失に因りて之を知らざりしときは、無権代理人として何等の責任なきことは、同条第二項の明定するところである。而して無権代理行為は本人に於て追認しなければ、本人にその効力を及ぼさないこと、並びに本人はその追認を何人からも強制せられないものであることは、同法第一一三条、第一一四条の規定によつて明かであるから、若し上告人(被控訴人)の先代永蔵の為した無権代理行為の相手方である被上告人(控訴人)又はその代理人であつた川上甚吉に於て、上告人の先代永蔵に代理権なきことを知り、又は知り得べかりしときは、叙上の如く右永蔵は無権代理人として何等の責任を負担することなく、従つて上告人が、家督相続をしたからと云つて、その責任を相続すると云うようなことはあり得ない。而して上告人は先代永蔵の無権代理行為については追認をしないのであるから、その効力を受ける謂われはない。原判決の如く「相続と同時に無権代理行為の瑕疵は追完され、その時以降無権代理人による契約は有効となる」ものとせんか無権代理人として責任なき先代永蔵の行為(民法第一一七条第二項の適用ある場合)につき、上告人は追認を強制せられたと同一の結果を生じるの不都合を生ずるのみならず、何等責任なき先代を相続したことによつて忽然として相続人に責任を生ずると云う、云わば無を相続して有を生ずると云う結果になり相続(家督相続たると遺産相続たるとを問わない)の法理に背反すること甚しいと謂わなければならない。大審院が昭和二年三月二十二日の判決(大正一五年(オ)第一〇七三号)に於て「前記ノ如ク無権代理人カ本人ヲ相続シ本人ト代理人トノ資格カ同一人ニ帰スルニ至リタル以上本人カ自ラ法律行為ヲ為シタルト同様ノ法律上ノ地位ヲ生シタルモノト解スルヲ相当トス恰モ権利ヲ処分シタル者カ実際其ノ目的タル権利ヲ有セサル場合ト雖其ノ後相続其ノ他ニ因リ該処分ニ係ル権利ヲ取得シ処分者タル地位ト権利者タル地位トカ同一人ニ帰スルニ至リタル場合ニ於テ該処分行為カ完全ナル効力ヲ生スルモノト認メサルヘカラサルト同様ナリト謂フヘク之ニ反シ単ニ無権代理行為ナリトノ理由ニ基キ叙上ノ如ク無権代理人カ本人ヲ相続シタル場合ト雖同人ハ其ノ本人タル資格ニ基キ追認ヲ拒絶シ得ヘク従テ又無権代理人タル資格ニ於テ損害賠償ノ責ニ任スルコトヲ得ヘシト謂フカ如キハ徒ニ相手方ラ不利益ナル地位ニ陥ルル結果ヲ生スルコトヲ免レ難ク其ノ許スヘカラサルコト言ヲ俟タサル所ニシテ此ノ如キハ民法第一一七条第一項ノ辞句ニ拘泥シ同条項ヲ正解シタルモノト謂フヘカラス」と判示しているが、その趣旨とする所は、無権代理人が民法第一一七条第一項の責任を負うべき場合を前提とし、この場合に本人を相続したときは、本人自ら法律行為をなしたのと同様の法律上の地位を生ずるものと為すに在ること判文上明白であつて、本件の如く無権代理人が、同法第一一七条第一項の責任を負わない場合にも、尚且つ相続人は責任を負わなければならないとする趣旨では決してあり得ないのである。又無権代理行為の相手方について之を見るも、無権代理人の相手方が代理権なきことを知り、又は知り得べかりし場合に、無権代理人となした法律行為につきその相手方を特別に保護しなければならない何等の理由はない筈である。何となれば、かような相手方は、該法律行為の効力が本人に及ばないこと、本人から追認を受け得られないかも知れないことを知り、又は知り得べかりし者であるからである。若し相手方にかような故意又は過失ある場合にも、無権代理人を相続することに因り、相続人たる本人に、その追認を強制するのと同一の結果を招来するような原判決の解釈を採用するときは、相手方の保護は厚きに失する反面、相続人たる本人には甚しく酷となり、法の衡平の理念に著しく反することとなるから、かような解釈は到底許すことはできないであろう。従て原判決は相手方に於て代理権なきことを知つていたか、又は知り得べかりし場合であつたかどうかにつき(この点は原判決の事実摘示に上告人の主張として記載されている)審理を尽し、判決の理由に於ても判断を示すべきであるに拘らず、こと茲に出でずして慢然と前記の如き解釈と判示をなしたことは民法第一一七条第一、二項、第一一三条、第一一四条等の解釈を誤り、延ては審理不尽、理由不備の違法に陥りたるものと云わなければならない。而してこの違法は原判決中上告人敗訴の部分全体に影響を及ぼすべきものであるから原判決中、上告人敗訴の部分は全部破棄せらるべきものと信ずる次第である。
第二点 原判決はその理由三の後段に於て、前記のように判示しているが、就中「このような場合には、本人は一方では無権代理人たる資格で民法第一一七条の責に任じ、他方では本人たる資格で追認を拒絶するという風に、両方の資格を分離主張することは許されず、したがつて無権代理人の相続人としての民法第一一七条に基く義務も、本人としての追認拒絶権も共に消滅に帰し、結局相続と同時に……」と述べている。然らば原判決は相続以前には無権代理人の民法第一一七条の責任があつたことを前提とし、これが本人の相続と同時に消滅するものと為す趣旨であること明かであり、従つて無権代理人が民法第一一七条の責任を負わない場合には、本人が相続するも無権代理行為が当然に有効となるものでないことを原判決も肯定しているのではないか。もしそうだとすれば、上告人先代永蔵が、無権代理人として、民法第一一七条第一項の責任を負うて居たか否か。即ち同条第二項の事実ありや否やにつき、判断を示した上でなければ、上告人先代の無権代理人としての責任を肯定することはできないわけであり、従つて又上告人が相続したからと云つて、当然に無権代理行為が有効となるとの結論を抽き出すわけに行かない筈である。然るに上告人先代の無権代理行為の相手方たる被上告人又はその代理人川上甚吉は、代理権なきことを知つて居り、若くは知り得べかりし場合であつたから、右永蔵は無権代理人として民法第一一七条の責任なしとの上告人の前記主張に対し、原審は何等の判断を示さずして、右永蔵が民法第一一七条の責任を当然に負うているかの如く判示したのは、当事者の重要な主張に対する判断を遺脱し、結局論理を飛躍した理由齟齬の判決であると云わなければならない。
第三点 原判決はその理由四、に於て「昭和二十一年十一月頃、訴外中井純三の仲介により、控訴人と被控訴人との間に、控訴人は右一坪の建物を明渡し、これと交際に被控訴人は右家屋の階上部分を明渡す旨の合意が成立し」と判示しているが、本件家屋が上告人(被控訴人)の所有であること、先代永蔵の無権代理行為は上告人の応召不在中のことで、全く関知しなかつたことは、上告人が終始一貫して主張しているところであり、従つて本件家屋が上告人の所有なりとせば、これを被上告人に何の理由もなしに(上告人が被上告人に賃貸したと云うような特別な原因があれば格別)明渡す旨合意をするなど云うことは、実験則上あり得ないことである。原判決はその理由三、に於て、前記の如く本件家屋の所有権が、上告人の相続と同時に被上告人に移転したものと速断した結果、甲第一号証(証人調書)証人川上慶一、中井純三等の虚偽の供述内容を採用し、右の如く明渡の合意が成立したものと認定したのである。従つて上告理由第一及第二点に於て指摘した通り、原判決に違法があり、破棄差戻しの結果、上告人先代の無権代理行為の相手方に於て、故意、過失あるものと認められ、従つて右先代は無権代理人として、民法第一一七条の責位を負わず、上告人の相続によつても本件家屋の所有権が、被上告人に移転しないものとされた場合には、明渡の合意云々の認定も当然に変更せらるべきものとなるから、原判決の前記違法は明渡請求の部分にも重大な影響を有するので、上告人敗訴の部分は、全部破棄せらるべきである。
第四点 原判決は被上告人の訴の変更につき「請求の基礎に変更なきものというべく、且右訴の変更によつて著しく訴訟手続を遅延させるような事情も認められないので、右訴の変更は、これを許すべきである」と判示しているが、被上告人の原審に於ける民法第一一七条に基く請求に対し審理を遂げんとせば、上告人の主張即ち先代永蔵の無権代理行為の相手方が、故意又は過失ありたることにつき、証人訊問その他新たな証拠調をしなければならないことは当然であるから、訴訟手続も亦著しく遅延すべきものと云わなければならない。然るに原審は上告人の右主張に対し、何等審理、判断をしないで、漫然と「著しく訴訟手続を遅延させるような事情も認められないので……」と判示して、訴の変更を許すべきものとなしたのは、民訴第二三二条の解釈適用を誤りたる違法があり、従つて原判決は、この点に於ても上告人敗訴の部分につき、全面的に破毀せらるべきものと思料する。