最高裁判所第二小法廷 昭和35年(オ)599号 判決 1962年1月19日
上告人 今井伴次郎
被上告人 総理府恩給局長
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人岡得太郎の上告理由第一点について。
論旨は原判決が恩給法五一条一項二号の適用について、刑の執行猶予の有無を問わないとしたのを非難する。
しかし、恩給法五一条一項二号は執行猶予の場合を包含しないと解すべき何等の根拠なく、また、同条同項一号、三号、四号の場合と対比しても刑に執行猶予が附してあるからといつて同項二号に該らないとすることはできない。そして、在職中禁錮以上の刑に処せられれば執行猶予の有無にかかわらず、恩給受給資格を失い、この既成の効果は法令にこれを消滅せしめる旨の定のない限り消滅しないものであり、刑法二七条の「刑ノ言渡ハ其効力ヲ失フ」というのは、前記既成の効果まで消滅せしめる趣旨と解し難いことは、同法三四条ノ二、一項前段の場合と対比しても明らかである。従つて本件恩給受給資格は回復しないとした原審の判断は正当であつて所論は採用の限りではない。
同第二点について。
論旨は上告人は在職中給料の百分の一乃至二の金額を納付しており、上告人が恩給を受ける資格がないとすることは上告人の財産権を奪つたことに帰し憲法一三条二五条一二条に違背するというのである。
しかし、国庫納金は恩給権と相随伴するものではなく、互に独立にその効果を生ずるものであつて、原審は恩給を受ける資格を失つたことを判断しているが、国庫納金の返還請求権の有無については何ら判示していないのである。所論は原判示に副わない違憲論であつて前提を欠き、採用できない。
同第三点について。
この点に関する原審の判断は相当であつて、所論の如き違法はなく、所論は採用できない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤田八郎 池田克 河村大助 奥野健一 山田作之助)
上告代理人岡得太郎の上告理由
第一点恩給権は官公吏が一定の年限在職したもの又はその遺族に交付されるもので、上告人は右一定の年限在職したことは、原審の認むるところである。(これをA権とする)
また恩給権は、官公吏が在職中その俸給の一部を提出して、老齢障害および遺族等のために予め国家に納めておいたものを交付されるもので、上告人もまた同様にこれを納めて来たことは原審の認めたものである。(これをB権とする)
而して、被上告人は右の恩給権(AとBとを含めて)、を上告人から取り上げ恩給を受くるの資格を奪つたものであるが、その理由根拠につき原審は、前記B権に対する理由には少くとも疑問を残した。(三四、十二、十七日付判決九丁のウラ)
然るに被上告人は前記A権のみならずB権を含めて何等正当なる理由なくして上告人の恩給権を奪つたものである。
抑も、恩給権は、前審判決がその前段で説明して居るように、官公吏が退職後に対する身心の保全のために制定せられたるものなるところ、万一官公吏がこの恩給権をその老後又は退職後或は身体障害の後に奪はれるとせんか、その恩給権を剥奪せられたるものの苦痛は生存上これより大なるものはない。
殊に現今の如く一般生活の苦しくなつて居るときに、退職から終生その経済的資源を断たるることは、その苦しみ、禁錮に優ること幾層倍なるを知らざるは何人も異議ないところである。
然らば、恩給権を剥奪することは、禁錮に優る苦痛を与へることであつて、恩給を受くるの資格を奪うことは、刑罰に処することである。
現行法は経済的苦痛に対しても罰金の猶予を定めたりなどして、身体自由に対する刑罰との均衡を考えるなど、漸く経済的刑罰の苦痛に対する認識を持ち始めたが如くである。
恩給法第五一条が恩給を受くる資格を失うことを定めた夫々の該当条項は、何れも刑罰を加したるものであり、本件についても被上告人は同条一項2号を適用せんとしたものである。
然しながら、同法第五二条は恩給法が刑法上の判決を承けて必然的に刑法に拘束せられる刑法と一連の法規である。
経済的刑罰も刑罰である限り、刑法の定むるところに拠らなければ、その解釈は憲法の主趣に違背する。
禁錮以上の刑に処せられたる者に対し、その刑の延長として引続く経済的の刑罰たる恩給権の剥奪は、恩給法中刑法が支配している関連部分としての解釈上或は已むを得ないかも知れない。
しかしながら、上告人は、刑法によつて、刑の執行猶予を受けて居るのであるから、禁錮の処刑は勿論その判決を承けて当然その判決につながる恩給権を剥奪せらるる刑罰も、ともにこれを含めて刑の執行を猶予せらるべきものである。
刑法が刑行猶予を附したのは一連の刑の執行を猶予したものであつて、被上告人は、この執行猶予を無視して、執行猶予なき処刑者の如く解釈したのは誤りである。
被上告人がその解釈に因つて、黒白を混同し刑法が判決を以て刑の執行猶予を命して居るに不拘、刑の執行猶予なき判決と同列に取扱つたことは、被上告人自ら過重の刑罰を創設したるに等しく憲法に違反する。
上告人は、原審以来、明かなるが如く、その罪を犯す意なかつたに不拘、職務に関するとの認定により不幸にして収賄とせられたが、当時軍部的思想が世相に反映して居り上告人の不運に終つたのであつた。
しかし、実情は、右の如くであつたので裁判も最も軽き判決を選び、被上告人の如き苛酷なる法律解釈のもとに、新に経済的刑罰まで求めても居なかつたし、予想もしていなかつたものである。
右の理由により、原審が執行猶予の有無は問はない趣旨と解するのは相当である旨判示したことは重大なる憲法上の過誤である。
第二点次ぎに官公吏が在職中拠出した給料の百分の一乃至二の金額についての年金を受くる権利(前記B権)も被上告人は前記刑法罰に便乗して、何等の正当の理由なく上告人の財産権を奪つた。
右についての被上告人の処置には、前審も疑問を残したが、結局大した金額でもないからとして前記の便乗を許して居る。
然れ共、生活線上に生きる俸給生活者にとつては、その俸給の百分の一乃至二の金額は、実に高価にして貴重なる金である。
右の貴重なる年金を漫然被上告人の経済的刑罰の悪解釈による処置により、上告人を不当に苦しめることは前項と同じく許されない。
これも亦、前項と同じく刑事判決を無視して新に恩給局に於て、経済的刑罰を創設したることに帰する、即ち憲法違反を免れない。
恩給法第五八条、同七七条は執行猶予の取扱についての例示と解すべく、然らざれば、恩給法全体の均衡を破るの危険があることは前述のとおりである。
然らば、刑法の判決を機械的に承けて居り、判決をそのまま連絡して覊則せられる恩給法の場合は、執行猶予を求めた判決に対しては執行猶予を適用する解釈をするのが当然である、被上告人が猶予ある判決に対し、その有無に不拘ざるものとして、猶予なき者と同列に上告人の権利を奪つたことは、憲法一三条の違反であり、同法第二五条にももとり、上告人は巳むを得ず、同法第十二条により争うに至つたもので、上述憲法に反する原審の判断は誤りで破毀を免れない。
第三点前審は本件発生が現行憲法施行以前として既定事実の如く判示したが、上告人は被上告人の法律解釈につき誤つてることを指摘し始めてから現在まで繋属して居るので、現行憲法により判断せらるべきで、この点についても、原審は、何等かの錯覚を有して居るので破毀せられなければならない。
以上