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最高裁判所第二小法廷 昭和42年(オ)130号 判決 1967年6月09日

上告人(被告・控訴人) 門司交通株式会社

被上告人(原告・被控訴人) 吉村貞子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人代表者嘉久与四郎の上告理由第一、二点について

本件七〇万円の定期預金は、被上告人が、吉村順士から、警察官の退職金中から七〇万円の贈与をうけて、門司信用金庫に預けいれたものであり、被上告人はこの預金を上告人の門司信用金庫に対する一〇〇万円の本件債務の担保物件として提供し、質権が設定されたものであるとの原審の認定判断は、原判決(その引用する第一審判決を含む。)挙示の証拠関係に照して首肯できる。この原審の認定判断の過程において所論のような違法はない。所論は原審の認定しない事実、あるいは原審の認定と異なった事実に基づいて、原判決を非難するものであり、論旨は採用の限りでない。<以下省略>

(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)

上告人代表者嘉久与四郎の上告理由

原判決は、次の二点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈および適用を誤った違法がある。

第一点原判決は、民法第六六六条の解釈および適用を誤った違法がある。

原判決は、第一審判決の理由を引用し、被上告人名義の金七〇万円の定期預金債権の帰属主体は、被上告人である旨認定している。

ところで、東京地方裁判所昭和三三年二月一〇日判決(判例時報一四四号二六頁)が判示するごとく「預金者を決定するには、当該預金を自己の自由に支配しうるものとして、自己の意思に応じて預入れし、又は引出しうる者、すなわち当該預金を支配しうる地位にある者として金融機関との間に明示又は黙示の了解あった者が何人であるかを明らかにしなければならない」のであるから、本件においても七〇万円の定期預金契約(消費寄託契約)において、誰が預金者(契約の一方の当事者)であるかを確定しなければならない。

これを本件について考究するに、原判決および第一審判決も確定している如く、右七〇万円の定期預金の資金は、被上告人の夫訴外吉村順士(以下順士という)に支給された退職金九〇余万円の一部であり、同人の所有する金員であった。

しかして、右退職金の一部七〇万円を定期預金にした理由は昭和三九年一二月、当時上告会社代表取締役であった順士が対組合との関係で争議を妥結し、その解決資金として上告会社取締役会の承認をえないで、金五五〇万円を組合に対し、一二月末までに支払う旨の約束を独自でしたためその調達に苦慮し、門司信用金庫より百万円の融資を受けることになったが、同金庫より担保の提供を求められたため、順士において右退職金七〇万円を同金庫に定期預金としたうえ、これに質権を設定するためであった。

ところが当時上告会社の支配人であった訴外加久正男より会社は財政的に非常に苦しい立場にあるので大切な退職金を順士の名で担保提供することはどうだろうかと注意されたうえ、妻である被上告人に退職金を順士の名で会社につぎ込まれると困ると反対されたため、真実は順士において預金する意思をもって本件七〇万円の定期預金を被上告人の名義を借用してなしたものである。

以上確定した事実に照らすと、本件定期預金は、順士所有の退職金をもってなしたものであるから、右預金を自己の自由に支配しうる順士をもって預金者と評価すべきものである。

しかしながら、原判決は民法六六六条の預金者の確定に関する法律の解釈適用を誤り、右事実を確定しているにも拘らず、預金者を被上告人と判断したものであり、この点において原判決は破棄を免れない。

第二点原判決は、民法六六六条、第四二七条の解釈および適用を誤った違法がある。

仮に本件定期預金債権が順士に帰属しないとしても、順士と被上告人の準共有に属するものである。

原判決および第一審判決は「順士は、右退職金を右借入金の担保にあてようと考え、自己の妻である被上告人に相談したところ、被上告人としては、右退職金は被上告人ら家族の今後の生活費にあてようと考えていたのであるから、今直ちに上告会社につぎ込まれては困るので自分に贈与してくれるなら定期預金にしても良い……」と認定しているが、第一審および原審において順士および被上告人は、本件退職金七〇万円は、順士より被上告人に贈与したものであると述べながら、右金員は被上告人ら家族の生活資金であって、被上告人が右金員を自己の欲するままに自由に処分することはできない旨述べ、従って被上告人と順士夫婦が生活資金として共同管理しなければならない趣旨のものと評価さる性質のものであり、被上告人に全面的な支配権能が認められないのであるから、順士と被上告人間で贈与という言葉が使われても、それは順士単独の所有であった退職金を共有にするという趣旨のものと評価さるべきである。

更に証人林定吉の供述から明らかなように、預金契約の相手方たる門司信用金庫においても右預金は、順士、被上告人両名の共有であると考えていた点からみても、右預金は被上告人ら家族の生活資金として被上告人と順士の準共有するものであり、従って民法四二七条により本件定期預金債権は、順士、被上告人が平等の割合をもってその権利を有するものと解釈さるべきである。

然りとすれば、被上告人は、上告会社に対し本件七〇万円の預金債権のうち三五万円についてのみ求償権を取得するというべきである。

然しながら、原判決は、右事実に法規を適用するにあたり慢然と被上告人のみをもって本件定期預金債権の帰属主体と判断したのは、ひっきょう民法六六六条、第四二七条の解釈を誤ってなしたもので、この点においても原判決は破棄されるべきである。

結論

原判決は、以上述べた二点において法令の解釈、適用に違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決を破棄すべきものと思料する。

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