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最高裁判所第二小法廷 昭和43年(オ)520号 判決 1974年12月23日

上告人

涌井秀行

上告人

涌井秀新

上告人

涌井和子

右三名訴訟代理人

寺本勤

外一名

被上告人

全秀明

右訴訟代理人

中村一郎

外二名

主文

原判決中、上告人ら敗訴部分を破棄する。

右部分につき、被上告人の控訴を棄却する。

原審及び当審における訴訟費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人寺本勤、同谷村正太郎の上告理由について。

原審の適法に確定したところによると(一) 上告人涌井秀行(昭和二一年六月一四日生)、同涌井秀新(昭和二四年二月一七日生)は、韓国人全萬と涌井カノとの間に出生した男子であり、上告人涌井和子(昭和二六年七月二七日生)は同人らの間に出生した女子であるが、昭和三八年六月二六日全萬が死亡したのち、いずれも認知裁判確定により同人の子と認知されたものであること、(二) 被上告人は、昭和一五年三月一三日鄭元好と温田みつとの間に出生した男子であるが、生後一週間ほどで全萬及び涌井ミヨシ夫妻に貰い受けられ、同年八月二〇日同夫妻の嫡出子として本籍地の邑面長に届け出られ、その旨戸籍に記載されたこと、(三) 被上告人は、その後も全萬夫妻によつて実子同然に養育され、全萬の死亡に至るまで同夫妻を真実の両親と信じていたこと、(四) 原判決添付物件目録記載の土地(以下、本件土地という。)は戸主であつた全萬の遺産に属するが、昭和三九年六月九日付をもつて相続を原因とし被上告人名義に所有権移転登記されていること、が認められる。

右事実関係のもとにおいて、被上告人の出生届がされた昭和一五年八月二〇日当時の朝鮮人を養親とする養子縁組の方式については、共通法(大正七年法律第三九号)二条二項によつて法例八条一項、一九条二項が準用され、養親の本国法とされる朝鮮民事令(明治四五年制令第七号)が適用されるところ、同令一一条二項によれば、養子縁組は、朝鮮戸籍令(大正一一年朝鮮総督府令第一五四号)七五条の定めるところにしたがい、当事者双方及び成年の証人二人以上が、当事者の氏名、姓及び本貫、養子の実父母の氏名、当事者が家族のときは戸主の氏名などを明らかにして、これを府尹又は邑面長に届け出ることによつて法律上効力を生ずるいわゆる要式行為とされていることが明らかである。

おもうに、養子縁組など身分行為の要式性は、戸籍制度とあいまつて、創設される身分関係を戸籍上公示し身分的法律効果を明らかにするとともに、その実質的成立要件の遵守を担保することを、その目的とするものであつて、これを養子縁組についていえば、縁組の届出は、縁組当事者の縁組に関する合意の存在とその内容を明らかにし、未成年者養子につき家庭裁判所等の許可を必要とする法制度のもとにおいては、その後見的役割が阻害されることのないように担保し、また、夫婦共同縁組を要件とする法制度のもとにおいては、夫婦の一方にその意思のない縁組の成立を妨げるなど、実質的成立要件を具備しない縁組の成立を事前に阻止する機能を果たしているのである。朝鮮民事令一一条一項、一一条ノ二によれば、昭和一五年八月二〇日当時の朝鮮人の養子縁組の実質的成立要件については、生前養子についていわゆる異性不養の原則を緩和したほか、朝鮮の慣習によるとされているところ、右慣習上、養親となる者は既婚男子たることを要し、したがつて、縁組成立のためには夫と養子との間に縁組意思の合致があれば足り、妻の同意は必要でなく、また、未成年者を養子とする場合にも、実父母の代諾又は同意があればよく、法院等の許可を必要とはしていないが、なお、養親に男子がないこと、養子は男子であること、養子が血族の中から選ばれる場合には養親と同列の者の子であることを要し、支宗から本宗を継ぐ場合以外は養子が実家の戸主又は長子でないことなどが実質的成立要件として必要であるのみならず、さらにその身分的法律効果の面においても、韓国民法によれば、実親子関係と養親子関係とでは、単に離縁の可能性の有無の点にとどまらず、養子は実方のほかに養方の被相続人を相続することができ、また、養親と姓・本を異にする養子は戸主相続をすることができないとされている点において重要な差異があり、したがつて、縁組の要式性が果たして前記機能を重視することなく、養子縁組をする意思で他人の子を嫡出子として届け出た虚偽の出生届に養子縁組届出としての効力を認め縁組の効力を肯定することは、たとえ戸籍上の親と子との間に出生届出以後親子的共同生活が継続したという要件を具備した場合に限るとしても、まず縁組届出の有無により養親子関係の成否を決するたてまえをとつている朝鮮民事令一一条二項の解釈としては許されないものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、原審の確定した事実関係のもとにおいて、全萬のした虚偽嫡出子出生届により同人と被上告人との間に縁組が成立したといえないことは右説示から明らかであるにもかかわらず、原審は、当事者間に実質上の養親子関係を形成する旨の合意があり、その合意を実現する目的で他人の子を嫡出子として届け出た場合には、届出者夫婦とその者との間に法律上の養親子関係が成立したと解するのが相当であるとして、全萬と被上告人との間に養子縁組の成立を認めたものであつて、原審の右判断には当時の朝鮮人の養子縁組の成立要件について法令の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならず、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決はこの点において破棄を免れない。

さらに原審の確定した前記事実関係によれば、本件相続関係については法例二五条により被相続人全萬の本国法である韓国民法がその準拠法とされるところ、同法九八四条、九八五条、一〇〇〇条、一〇〇九条によれば、本件土地は、戸主全萬の死亡により、上告人涌井秀行が六、同涌井秀新が四、同涌井和子が一の各割合で共同相続したことが明らかである、被上告人は原審において、内縁養子として相続財産分与請求権につき養子に準じて保護されるべきであると主張するが、相続制度における画一性の要請に照らし、主張自体失当として採用することができず、したがつて、被上告人には全萬の遺産である本件土地につき相続権がなく、本件土地についてなされた被上告人名義の所有権移転登記は実体関係に符合しない無効のものであるといわなければならない。上告人らの本件請求はいずれも理由があり、これを認容した第一審判決は正当であつて、被上告人の控訴は原判決中上告人ら敗訴の部分についてもまたこれを棄却すべきものである。

よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官岡原昌男の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官岡原昌男の補足意見は次のとおりである。

一、養子縁組をする意思で他人の子を嫡出子として届け出た虚偽の出生届に養子縁組届出としての効力を認め縁組の効力を肯定する説(以下、積極説という。)は、虚偽の嫡出子出生届においても、当事者間に法律上の嫡出親子関係を設定しようとする意思表示があつたことが確実に認められるのであつて、設定される嫡出親子関係が実親子関係であるか養親子関係であるかという形式的差異は、右嫡出親子関係を設定しようとする意思表示がされたことの確実性を認めるについての妨げとなるものではなく、また、実親子関係と養親子関係とでは僅かに離縁の有無を除いて法律的には全く同一の内容を有しており、虚偽の嫡出子出生届は、法律上の嫡出親子関係の存在を公示する届出として、養子縁組届出の機能を十分に果たしているというのである。

しかし、出生届をした戸籍上の父自身の縁組意思だけについていえば、法定の効果である嫡出子たる地位をその子に与えるという意思が縁組意思であると考えることによつて、その意思が嫡出子出生届に含まれているといえるとしても、この戸籍上の父の意思は他の縁組当事者の意思と合致していなければならないのに、この合致すなわち縁組の合意は、父のした嫡出子出生届からは直ちに明確になるとはいい難く、また、韓国民法八七七条二項によれば、養親と姓・本を異にする養子は戸主相続をすることができないとされているのみならず、相続の場合を考えるに、実子はその実父母その他実方の被相続人を相続しうるにすぎないが、養子は実方の相続のほかに養父母その他養方の被相続人をも相続しうる地位にあり、したがつて、韓国における実親子関係と養親子関係とは、単に離縁の可能性の有無にとどまらず、相続法上実質的に顕著な差異があり、法律的に同一内容を有するとはいえないのである。

さらに、身分関係の公示は、一般的には第三者に対するものであるが代諾縁組にあつては、当事者である未成年者に対しても後日のために養子縁組であることを明確に公示しておくことが必要であるといわなければならない。蓋し、代諾権者のした縁組が嫡出子出生届によつてもなされうるものとすれば、戸籍上実子であると公示されている未成年者には自分が養子であることを後日知ることが著しく困難となり、結果的には、幼児期に養子となつた者から事実上離縁の自由を奪うような縁組の成立を認めることにもなるのである。積極説は、このような養子縁組について離縁の必要が生じた場合には、養親子関係であることを裁判上確定して戸籍の記載を訂正したうえ、離縁の手続をすれば足りるというのであるが、戸籍上実子と記載されている者が養子であることを知ることができるか否かがここでは問われているのである。また、戸籍が真実を表示していないために、身分上婚姻を禁止されている者の間における近親婚を戸籍上防止する方法もなくなるなど、優生学上も道義上も不都合な事態が生じかねないといえよう。

二、積極説の多くは、無条件に虚偽嫡出子出生届による縁組の効力を認めることなく、戸籍上の親と子との間に、出生届がされたのち親子的共同生活が継続したという事実の存在を縁組の効力を肯定するための要件とするのであるが、かりにその要件を充足した時点において縁組が成立するというのであれば、縁組成立の時期が極めて不安定、不確実となり、身分関係における画一的処理の要請にそわないものといわなければならない。また、一部の学説のように、右出生届以後の親子的共同生活の継続という事実の存在は、それによつて養親子関係が形成されるものではなく、縁組の成否を判断する要素とみるべきものであるとし、出生届によつて一応の縁組意思の存在が推認されるが、右親子的共同生活の継続という事実が付加されることによつて確定的な縁組意思の存在が確認され、その時点ではじめて出生届による縁組の効力が認められ、その成立の時期は出生届がされた時に遡及するという見解も、有効な縁組の成否を出生届出以後の事実の存否にかからしめている点において前同様の非難を免れることができないと思われる。

三、積極説は、虚偽出生届に縁組届出としての効力を認めない見解は、従来の硬直な要式行為論に固執するものであり、あまりにも形式的であるとし、妾腹の子を父と正妻との間の嫡出子として届け出た場合に認知の効力を認めた大審院大正一五年一〇月一一日判決・民集五巻一〇号七〇三頁は、出生届の認知届への転換の法理を認めたものであると指摘し、また、最高裁昭和二七年一〇月三日第二小法廷判決・民集六巻九号七五三頁が他人の子を実子として届け出た者の代諾による養子縁組も養子が満一五年に達したのちこれを有効に追認することができるとしたのは、届出に代諾権者があらわれていない形式の不備を不問に付しているのであるから、これら判例の立場によれば、養親子関係よりも大きい内容を含む嫡出実親子関係を示す形式すなわち嫡出子としての出生届が存在すれば、養親子関係の成立を認めることができると主張する。しかし、認知は単独行為であるのに対し、縁組は合意であり、この合意は戸籍上の父が単独でした出生届から直ちに明確になるといえないことはさきに述べたとおりであるから、右大審院判例は積極説の論拠として十分ではなく、また、右最高裁判例が追認を許した表見代諾縁組の場合は、無効であるとはいえ縁組届の形式は一応整つており、ただその記載内容に瑕疵があるために、無効な身分行為の追認の是非が問題となつた事案であつて、形式的要件としての縁組の届出がない場合に、虚偽の嫡出子出生届に養子縁組届出としての効力を認めるについての積極的根拠となるものではない。

四、永年の間、実子同然に養育され、戸籍記載のとおり実子であると信じていた被上告人のような立場にある者が、戸籍上の親の死亡後、その遺産について相続の権利を否定されることについては、同情すべき点がないとはいえないが、身分関係の画一的処理の要請に照らし、やむをえないことがらであると考える。

(岡原昌男 小川信雄 大塚喜一郎 吉田豊)

上告代理人寺本勤、同谷村正太郎の上告理由

一、民訴三九四条該当事項の指摘

「養子縁組は、法定の届出の方式にしたがつてのみ効力をもつ。この方式をふまず、事実上、他人の子をもらいうけ、嫡出子として届けでても、養子縁組の効力を生じない。」

右に掲げた趣旨の法律解釈と適用は、ふるくは明治年代の下級審判例以来、大審院判例をへて、昭和二五年一二月二八日最高裁判所第二小法廷言渡の昭和二四年(オ)第九七号事件判決によつて確立されている。この間、この趣旨に反する判例はみあたらない。

ところが、原判決は、右の不動な判例を破つて原審記録にみられるとおりの判決をされた。これこそ、民訴三九四条中にいう「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違背」である。この上告理由は、もつぱらこの点にある。

二、判例の趣旨

1 強行法規性

右の趣旨の判例を、ここで逐一あげることをしない。これらいくたの判例は、いずれも裁判所に明らかな事実だからである。この「二」の項では、これら判例を貫く趣旨について考えてみる。まず、その強行法規性が挙げられる。

民法親族編、相続編は原則として強行法規である。わけても養子縁組のように人の身分を運命ずける重要規定は強行法規性を一貫させなければならない。他人の子をじぶんの子だといつわり、事実に反して嫡出子として届けることじたい問題がひそむ。この場合、届出をする者の心情、動機、事情は種々あろう。なかには、それ一つだけ切りはなして考えるとき、もつともなこともあろう。俗にいう「藁の上からもらつて育てる養子」などもその一つである。だからといつて、事実に反してなされた嫡出子出生届をもつて、養子縁組に関する法定手続要件を免除し、強行法規をまげて、これに対して養子縁組の効力を与えたのでは、強行法規性の本質はどこに求められようか。

第一審判決(東京地方裁判所、昭和三九年(ワ)第一二、六六三号)が、その「理由」中に、「朝鮮民事令により適用されることになる旧民法の規定はもとより、当時の慣習によるも、養子縁組(入養)には、すでに届出主義がとられ、養子縁組成立の所定要件(入養の要件)を具備しない本件のごとき嫡出子出生届をもつて直ちに養子縁組届出があつたものとすることはできないと解すべきである」と判示されているのは正当といわなければならない。明治年代以来、いくた判例が反復して、事実に反してなされた嫡出子の届出をもつて養子縁組の効果に転換することを認めなかつた根拠の一つは、ここに求められると思う。

2 均衡の原則の考慮

原判決は、従来の判例を破り、養子縁組の成立に関して、あえて強行法規に反する法律解釈と適用をした。その根拠として原判決が、その「理由」中にいうところによれば、「身分法上の行為について届出が要求されるのは、意思表示のなされたことを確実にするためと、行為のなされたことを公示するためと解されるが」とある。しかし、原判決のこの判示は正しくない。届出が要求されるゆえんは、この二つに尽きるものではない。たとえば、法律が届出を要求する理由の他の一つとして、離縁の場合を考えてみよう。かりに、事実に反した嫡出子出生届をもつて養子縁組の効果が与えられるものとしよう、この場合、訴訟による争が生じるまでは、その者の法律上の形式的地位は依然として嫡出子であり養子ではない。他方、その者の実質的ないし潜在的法律上の地位は養子である。したがつて、養子の制度の一面をなす「離縁」の必要が生じたとき、いかような法律関係になるのであろうか。原判決のいうような法律の解釈と適用が許されるとき、この間の法律関係は不安定きわまるものとなり、身分上の法律関係を確定させ、これに関する規定を強行法規とした民法親族編、相続編の規定は安定を失う。

もつとも、夫が妻以外の女子との間に生れた子を、その夫婦の嫡出子として届出たばあい、その届出をもつて、「認知」としての効果を与えるということは、従来の判例も認めている。しかし、この事例は、事実に反する嫡出子出生届のばあいとはその内容ないし影響する範囲がはなはだしく異る。そうであればこそ、判例は、この二つの場合を厳格に区別して一は否定一は肯定している。そして、さらにいうならば、このように区別された二種の判例が長年月にわたつて確立されて現在に至つている状態じたい、一つの法的安定である。強行法規を順守しなければならないという法的要求と、後にふれる原判決が挙げる一見、これと相反する二、三の事情との間に、その軽重の差均衡などを考慮してみると、従来の判例を破り、原判決の判示する法律解釈と適用によらなければならない根拠はどこにもない。

三、その他、原判決に対する批判

1 当事者間に実質上の養子関係を形成する旨の合意の有無

原判決は、当事者間に実質上の養子関係を形成する旨の合意があつたと判示されている。しかし、すでに取調べられた証拠によつては、そのような事実のうらずけはない。

かつまた、原判決の右の認定は、上級審判例に違背する。昭和一一年一一月四日、大審院民事四部言渡の昭和一一年(オ)第一、一七〇号判決は、「縁組を届け出る意思がなかつた者は、養子とする意思がなかつたものであり、虚偽の出生届では法律上の親子関係は生じない」との旨の判示をなし、原判決の前掲見解を否定している。

2 かりに養子とする意図であつた場合の法律効果

さらにまた、当事者間に、かりに養子とする意図があつたとしても、養子縁組に関する届出をしなかつた場合の法律効果は、どうであろうか。これに対する明白な解決が、当初に掲げた最高裁判所昭和二四年(オ)第九七号事件判決である。この判決で「養子とする意図で他人の子を嫡出子として届けてもそれによつて養子縁組が成立することはない」との旨の判示をされている。

3 公示の目的に関して

原判決が、養子縁組につき、届出が要求される理由として掲げたものが、それにかぎられないことに関しては、すでに述べた。この点をおいて考えるとして、原判決がその理由の一つとして挙げる公示目的だけに限定して検討してみても、原判決の判示は正しくない。原判決は、「養子が実子として戸籍に登載されても、一応、公示の目的は達成されたということもできるから」と論じられながら、さすがに、離縁の必要が生じたばあいを無視することが許されない点に論及されている。

そこで、「離縁の必要が生じたばあいは、養親子関係であることを裁判上確定して」との前提を設けられている。

しかし、問題は、虚偽の嫡出子出生届をもつて養子縁組の届として転換できるかどうかという点にある。原判決の右の判示は解決しなければならない問題をすでに解決された問題とし、これを前提とした推論を展開されている。これは論理学上もむじゆんした論法である。すでに述べたとおり、原判決の見解をとるかぎり、この問題は解決しない。

四、むすび

原判決は、このようにして法令の違背をなし、ために誤つた判決をなすに至つたものである。そこには、藁の上からもらつて育てた子を、なんとか養子として認めてやつてはという善意はあろう。しかし、公平をうんぬんするならば、「訴外涌井カノ」の境遇はどうであろうか。訴訟記録によつて明らかなとおり、同女は昭和二〇年九月以来、全萬死亡のとき(昭和三八年六月二六日)まで、これと事実上の夫婦として家庭を守つてきた。あまつさえ、同女は、外国人登録法上は、全萬の妻として登録されていたので、同女は戸籍上も同人の妻と信じていた。同人死亡後、はからずも戸籍上、妻の身分を有しない事実を知つたような次第であつた。民法親族法編、相続法編が強行法規である関係から、ついに同女は、法律上、妻の権利を主張しえないまま放置されている。

結論として、原判決は法令違背のゆえをもつて破棄されなければならない。

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