最高裁判所第二小法廷 昭和46年(行ツ)96号 判決 1974年5月09日
上告人 本田脩平
被上告人 国
訴訟代理人 貞家克己 外一一名
主文
原判決中、賃金相当額の損害金の支払を求める請求に関する部分のうち上告人敗訴部分を破棄する。
右破棄部分に関する被上告人の控訴を棄却する。
第一審判決中、第一項の破棄部分のうち上告人敗訴部分を取消す。
被上告人は上告人に対し、二七二円に対する昭和四三年二月二五日から同年四月三日まで年五分の割合による金員を支払え。
慰籍料の支払を求める請求に関する本件上告を却下する。
訴訟の総費用は、第一、二、三審を通じてこれを二分し、その一を上告人の負担とし、その余を被上告人の負担とする。
理由
上告代理人小池貞夫、同清水洋二の上告理由について。
原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の適法に確定する事実関係のもとにおいては、上告人が本件病気休暇承認申請につき診断書提出義務を尽したと評価することができる旨の原審の判断は正当であり、右判断に従えば、上告人が右休暇承認申請について大沼副課長から提出を勧告された診断書を提出しなかつたことが、本件賃金相当額の損害金の発生になんらの因果関係をも与えるものでないことは明らかである。したがつて、原審の過失相殺の判断には、民法四一八条の解釈適用を誤つた違法があり、その違法が原判決に影響を及ぼすものであるといわざるをえない。それ故、論旨は理由があり、原判決中、賃金相当額の損害金の支払を求める請求に関する部分のうち上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、原審の確定する事実関係(ただし、過失相殺に関する部分を除く。)によれば、本訴中、上告人の賃金相当額の損害金の支払を求める請求に関する部分は、結局において、すべてこれを認容すべきことは明らかである。したがつて、被上告人の控訴は主文第二項の範囲で棄却を、第一審判決は同第三項の範囲で取消を、それぞれ免れず、更に被上告人に対し同第四項の金員を支払うべき義務がある。
なお、上告人は、原判決中、慰籍料の支払を求める請求に関する部分については、上告の理由を記載した書面を提出していないから、その部分の上告を却下することとする。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八四条、三九九条の三、三九九条、九六条、九二条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判官 吉田豊 岡原昌男 小川信雄 大塚喜一郎)
上告代理人小池貞夫、同清水洋二の上告理由
原判決には理由不備・理由齟齬の違法があり、かつ判決に影響を及ぼすこと明らかた法令の違背があるので、破棄されるべきである。
一 原判決は上告人が福島郵便局長に対してした本件「病気休暇承認申請は、その実質的要件を充足しており、かつ、その形式的要件を欠くと非難することは相当でないこと、従つて、所属長がこの申請を承認しなかつたのは、少くとも過失により裁量権の範囲を著しく逸脱した違法があり、そのため被控訴人が昭和四三年二月分の賃金のうちから控除された金八一二円相当の損害を蒙つたこと」は第一審判決理由第一項ないし第三項記載のとおりであるという。
二 ところで第一審判決理由第一項ないし第三項を要約すれば次のとおりである。
(一) 病気休暇を得るための実質的要件としては、極く軽微か担当職務の変更、勤務の指定を変更しさえすれば就労に支障を生じない程度の病気はともかく、就労困難な病気であれば足り、就労することが不可能の程度まで達する必要はない。(第二項1)
(二) 上告人は昭和四三年一月三一日就労困難な程度の痔疾を患つていたと認めることができ、病気休暇の実質的要件を充足していた。(同2)
(三) 七日未満の病気休暇の申請をするばあいは原則として証明書等の添付を必要としないが、前記実質的要件の存否の判断に必要であるとして、所属長からその提出を求められたばあいは提出しなければならない。(同3)
(四) 安藤課長が上告人の病状に疑念を抱き、右判断資料として診断書の提出を命じたことは相当であつた。(同4、(二)(2) )
(五) 上告人が前同日に医師の診察を受けなかつたことは責められるべき点ではあるが、安藤課長から診断書の提出を命ぜられた後は、これに従うべく努力しており、しかも翌二月一日医師の診察を受け診断書を提出しておりこれによつて前日の病状は十分推認できるから、上告人に対しあえて診断書提出義務の懈怠をもつて、とがめるべきではない。すなわち上告人は診断書提出義務を尽したと評価すべきである。(同4、(二))
三 以上のとおり、第一審判決は本件病気休暇申請の理由および手続に関し、上告人の側に責められるべき点はなかつた(少くとも昭和四三年二月一日診断書を提出したことによつて解消した)ことを認めており、原判決も右判示を正当と認めたことは冒頭に述べたとおりである。
しかるに原判決は奇怪にも、判決理由第一項の後半において、上告人は前記一月三一日に、医師の診察を受けうる状態であつたにもかかわらず、単に局所の診察を受けるのが恥かしいとの理由で、医師の診察を受けなかつたため、同日の病状につき医師の診断書を得ることができず、従つてこれを提出することができなかつたものであつて、このことが、本件病気休暇承認申請につき所属長がその裁量権の行使を誤り、ひいては本件損害発生の要因をなしていることは明らかである」(傍点は引用者)という。
一方においては、一月三一日の病状については二月一日の診断書によつて十分推認しうる(原審証人斉藤富士雄医師の、外痔核の性質に関する専問的証言を付加して、第一審判決の理由を補強している)から、上告人に診断書提出義務の懈怠はない、と判示しながら、他方においては、上告人が一月三一日に診察を受けなかつたことが本件病気休暇不承認の要因になつていると判示する。そして、前者の判示と後者の判示がどうつながるのか(診断書提出義務の懈怠をもつて責められない事実が、なぜ本件債務不履行に関し上告人の過失を構成するのか)については全く理由が示されていない。これは理由の不備ないし理由の齟齬といわなければならない。
四 原判決は被上告人の本件債務不履行に関し、上告人の側にも過失があつたというべきであるとして、過失相殺の法理を適用して、第一審判決の認容した損害額八一二円を、(ほぼ三分の二に該る)五四〇円に減額した。
しかしながら、右は民法四一八条の解釈を誤つたものというべきである。すなわち同条の「債務ノ不履行ニ関シ債権者ニ過失アリタルトキ」の意義に関しては判例・学説上諸説があつて必ずしも確定的な解釈をみないが、少くとも債権者の過失と債務不履行との間に因果関係が存在すると解すべきである。債権者の過失が債務不履行を招来し、あるいはその一要因となるような関係があるばあいにのみ過失相殺の法理の適用があるのであつて、そのような因果関係にまで至らない債権者の単なるミスないし「落ち度」というものは右にいう「過失」には含まれないのである。
本件においては、前述のごとく、一月三一日に医師の診断を受けなかつた上告人の「落ち度」は二月一日に診断を受け、診断書を提出したことによつて解消していることは、原判決の認めるところである。福島郵便局長としては、同年二月分の賃金支給日である同月二五日までに病気休暇を承認するか否かの決定をすればよいのであつて、事実同月一日以降二五日までの間に同局側と上告人ないし全逓福島地方支部側との間にさまざまな交渉もあり、同局側としては右の承認をするか否かについての判断を誤る可能性は客観的に存在しなかつたというべきである。
以上のような事実関係にもかかわらず、上告人が一月三一日に医師の診断を受けなかつたことを民法四一八条の「債権者の過失」と判示したのは判決に影響を及ぼす重大な法令の解釈の誤りであるといわなければならない。
また、仮に右の点について債権者たる上告人の側に民法四一八条にいう「過失」があつたとしても、何故に八一二円の損害額が五四〇円に減額されなければならないのか、原判決はなんら理由を示していない。この点においても、原判決には理由不備の違法があるといわなければならない。
以上