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最高裁判所第二小法廷 昭和47年(あ)295号 決定 1974年10月14日

主文

本件上告を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人大谷久蔵の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法違反(三一条違反)をいう点もあるが、その実質はすべて単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、職権をもつて調査すると、自動車の運転者が一時停止をすべき旨の信号に従わない罪と自動車の運転の業務に従事する者が一時停止をして左右の安全を確認すべき業務上の注意義務を怠つて一時停止をしないで漫然交差点に進入した過失による三名に対する業務上過失傷害罪とが同一の機会に発生した本件事案において、信号機の表示する信号に従わないで一時停止をすることなく漫然交差点に進入し人身事故を発生させた被告人の動態は、自然的観察のもとにおける社会的見解上一個のものと評価すべきものであつて、それが昭和四六年法律第九八号による改正前の道路交通法一一九条一項一号、四条二項、昭和四六年政令第三四八号による改正前の道路交通法施行令二条一項の罪及び刑法二一一条前段の各罪に同時に該当するのであるから、以上の罪は刑法五四条一項前段の観念的競合の関係にあると解するのが相当である(当審昭和四六年(あ)第一五九〇号昭和四九年五月二九日大法廷判決、昭和四七年(あ)第一八九六号昭和四九年五月二九日大法廷判決参照)。また、本件無免許運転の罪と酒酔い運転の罪とは、同一の運転の機会に行われたものであるから、観念的競合の関係にあると解すべきである(前示当審昭和四六年(あ)第一五九〇号大法廷判決)。以上と結論を異にする原判決及び第一審判決には、法令の解釈、適用を誤つた違法がある。しかし、原判決の支持する第一審判決の被告人に対する懲役六月の科刑は正当な処断刑の範囲内にあり、本件犯罪事実及びその情状等本件事案の具体的事情を検討すれば、右違法は、いまだこれによつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項本文により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官岡原昌男の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官岡原昌男の意見は、次のとおりである。

わたくしは、多数意見が本件のような信号無視一時不停止の道交法違反と業務上過失致死傷との罪数関係を論ずるにあたり、当裁判所昭和四九年五月二九日大法廷判決に従い被告人の動態を、直ちに自然的観察のもとにおける社会見解上一個のものと評価すべきものとの理由のもとにこれを観念的競合と見ることに対し、疑問をもつものである。なるほど、この種の事故においては信号の表示に従つて停止し交差点(又は踏切)内に入らなければ事故は起きなかつたであろうという事実は動かないし、信号無視不停止と事故発生の一連の事実は自然的観察によつてもまとまつた一個の現象であり、行為者の動態の面から見れば一個の行為と見られる場合が多いであろう。殊に、記録によれば、本件は信号無視不停止すなわち事故といつても良いほど両者が接近しているので、この意味において多数意見が本件に前記の大法廷判例をあてはめた思考過程に誤りがあるとは思わない。然しながら、それだからといつてこの種の事故のあらゆる形態に前記の判例理論が通用するかどうかをこの機会にあらためて検討してみたいと思うのである。

観念的競合に関するわたくしの基本的な考え方は前記判例中昭和四七年(あ)第一八九六号事件判決において反対意見として述べておいたとおりであるから参照されたいのであるが、そのわたくしの考え方によつても、その判例の多数意見によつても本件の如き不停止と事故の接着した事案に関する限り結論に差異を来さない。然し交差点(又は踏切)において停止線を超えてから横断すべき交差道路(又は軌道敷)の幅が広く、相当進行してから新たな過失を原因として事故を起したとき、すなわち信号無視一時不停止が事故の原因にならずに、交差点内で例えば新たに前方注視義務懈怠があり、それが原因となつて事故を起したとき(前方を注視しておれば安全に停車し得る距離内で歩行者を発見し得たのであろうのに、脇見運転をしていたために発見がおくれ急停車措置が間に合わず、歩行者を跳ね飛ばして怪我させたというような場合)を想定すれば、一時不停止は停止しておれば事故は起きなかつたであろうという意味における事故の遠因と見得るにしても、逆から考えれば一時不停止があつても衝突事故を避け得る場合もあり得るということが判明すると思うのである。そしてこの場合後の過失が事故に結びつくことによつて一時不停止は(競合過失による場合は別として)事故の結果に対して原因とはならないものである。

そもそも不停止の違反行為は停止線を超えた時点で(厳密に言えば停止線を超えてから極めて短かい時間短かい距離を進んだときに)既遂となり、違反行為としては完了し、その後は、その不停止が事故の原因又は遠因になるという意味における違法運転状態は続くけれども、不停止行為が続くわけではない。(一時不停止はそれを原因としての事故が起らなければ過失の責任を問われることはない。)その違法状態の中において事故が起きたすべての場合に、殊に一時不停止が事故の遠因に過ぎない場合に、外見上一時不停止と事故を起した行為とが自然的観察において一箇の行為であるとするのであれば、その既に完了した行為と後に新たに発生した行為との間に一箇性を認めることとなつて理論的におかしいのではあるまいか。また若し多数意見がそのようなものは特殊な場合であつて、自然的観察において別個な行為であるとするならば、一体その一行為と二行為の区別は理論上如何なる基準に拠ろうとするのであろうか。社会的見解により法的評価をはなれ自然的観察に基づき単純な行為の動態だけを分析して見ても結論は出ない筈である。

そこで、わたくしは、このような場合、一時不停止による停止義務違反の過失のままの運転が衝突事故の過失をなすという、構成要件上の重要な重なり合いがあるときは、これを一箇の行為と見るべきであるが、一時不停止があつてもそれが事故原因に結びつかず、事故直前に別個の過失があつて、それが事故の原因になるようなときは、構成要件上の重なり合いがないから、二個の行為になると見るのが妥当であると考えるのである。

ところで、本件は、前記の如く一時不停止の過失が事故の直接原因と見るべき事案であるから、わたくしのような見解でも結論においては本件多数意見と同じになるのでその結論には同調する次第である。

(大塚喜一郎 岡原昌男 吉田豊)

(小川信雄は海外出張中につき記名押印することができない)

<上告趣意省略>

<参考>

第一審判決(昭和四六年(わ)第九号青森地裁八戸支部昭和四六年九月七日判決)

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、自動車の運転免許を取得すべく、反復継続して自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和四五年一一月二九日夜、青森県八戸市内の歓楽街を演歌師として稼働するうち、遊客からしばしばビール等を振舞われたうえ、翌日帰宅後、妻と清酒を飲んだ末、友人宅に所用を思い出し、その保有の普通乗用車(ダットサンサニー四五年式、青五は二六五)に妻子を同乗させて赴いたものの、右友人宅で妻と口論に及び、独り右乗用車を運転し南方同市吹揚方面から北方同市八戸駅(旧)方面(両側に各約1.5メートルの歩道を控え、車道幅約7.3メートル)にむけての帰途、同年一一月三〇日午前三時一〇分ころ、同市大字十三日町三九番地の一地先の信号機の設置されている交差点にさしかかつたところ、そのころ自己の対面する信号機は赤色の点滅を表示しており、かつ、折柄同交差点で東方三日町方面から西方荒町方面へ十字形に交差する道路(幅員約一〇メートル)を西進して該交差点に進来する自動車の前照灯を発見した(この東西路の対面信号は、当時黄色の点滅を現示)のでるから、このような場合、自動車運転者は、該交差点の直前で一時停止し、左右の交通の安全を確認のうえ進行し、もつて交通事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、一時停止することなく漫然時速約三〇キロメートルで交差点に進入した過失により、折柄東西路を西進してきた中村俊朗(昭和二三年八月二七日生)運転の普通乗用車(ダットサン四四年式、青五ぬ九六〇)前部に自車右側面を衝突させ、よつて右中村に対し安静加療約三週間を要する頸椎捻挫、頭部外傷、口内裂創の、いずれも同車に同乗していた老沼泰夫(昭和二〇年七月三〇日生)に対し安静加療約二週間を要する頸椎捻挫、両下腿打撲の、金入愛子(昭和二六年九月二二日生)に対し安静加療約二週間を要する頭部外傷、右肩関節・左大腿各打撲傷の各傷害を負わせ<第二、第三、略>たものである。

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