最高裁判所第二小法廷 昭和47年(オ)659号 判決 1974年6月28日
上告人(原告・控訴人) 間宮精一
上告人(原告・控訴人) 菅原恒二郎
右両名訴訟代理人弁護士 山根篤
同 下飯坂常世
同 海老原元彦
同 新長巌
被上告人(被告・被控訴人) ミノルタカメラ株式会社
右訴訟代理人弁護士 内田修
同 村林隆一
同 山本寅之助
同 芝康司
同 池田孝
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人山根篤、同下飯坂常世、同新長巌、同海老原元彦の上告理由第一点及び第二点について。
特許権は新規な工業的発明に対して与えられるものである以上、その当時において公知であった部分は新規な発明とはいえないから、特定の特許発明の技術的範囲を確定するにあたっては、その当時の公知の部分を除外して新規な技術的思想の趣旨を明らかにすることができるものと解するのが相当である(最高裁昭和三七年一二月七日第二小法廷判決・民集一六巻一二号二三二一頁、同三九年八月四日第三小法廷判決・民集一八巻七号一三一九頁参照)。しかして、所論の技術的思想が本件特許出願以前から公知であった旨の原審の認定事実は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の挙示する証拠に照らして、首肯することができないものではないから、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひっきよう、独自の見解を主張し、原審の専権に属する証拠の取捨判断及び事実の認定を非難するに帰し、採用することができない。
同第三点ないし第六点について。
本件特許発明及び被上告人製品の目的、構造及び作用効果に関する所論原審認定の事実関係は、原判決の挙示する証拠関係とその説示に照らして、首肯することができないものではない。そして、右事実関係のもとにおいては、本件特許発明と被上告人製品との間にはその構造及び作用効果に差異があり、したがって、被上告人製品が本件特許発明の技術的範囲に属するものではない旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひっきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断及び事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決の違法をいうにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大塚喜一郎 裁判官 岡原昌男 小川信雄 吉田豊)
上告代理人山根篤、同下飯坂常世、同新長巌、同海老原元彦の上告理由
第一点 原判決は、特許権の権利範囲の認定に関する法則の適用を誤まり、かつ、証拠に基づかない判断によって裁判した違法がある。
一、原判決は、乙第一号証の三を引用して、本件発明と同一の目的をもって、
絞度調整部材(腕24)に止子(階段26)を設け、絞り羽根開閉部材(リング7)(の腕27)を該止子に衝合するようにし、開閉部材にシヤッターの起動杆(レバー23)に関連する作動部材(コード9)を係合し、常時絞りを全開状態に保たしめ、シヤッターの作動にさいし、シヤッターが開き始めざる期間中に作動部材を駆動し、開閉部材(の腕)が止子に衝合するまでこれをともに回動せしめて予め定めた絞り度に絞るようにした絞り作動装置の技術思想が、本件特許出願以前から公知であったことが明らかであるとし、したがって本件発明が右公知技術が存在するにかかわらず新規性ありとして特許されたゆえんのものは、本件発明が右公知思想と同一の技術思想を有する点にあるのでないことは、特許制度の建前上当然のことであって、本件発明は、公知技術と同一の目的を、公知技術にはみられない新規な構成により達成した点に、特許性を認められたものと解するほかはない、と判示している。
この点において、原判決は、「いかなる発明に対して特許権が与えられたかを勘案するに際しては、その当時の技術水準を考えざるを得ないのである。けだし、特許権が新規な工業的発明に対して与えられるものである以上、その当時において公知であった部分は新規な発明とはいえないからである」との最高裁判所昭和三七年一二月七日判決の流れをくみ、出願当時に公知であった部分は新規な発明とはいえないから権利範囲から消去すべきであるとの考えに立ったものの如くである。しかしながら、このような考え方は、「一定の範囲に確定された権利範囲のうち、その一部について、その出願前から公知であることが明らかになったことの故に、他の部分についてのみ、その権利範囲が認められるべきであるとするならば、権利範囲は常に浮動の状態におかれ……(中略)……全体について公知であった場合には、権利範囲のない実用新案権という奇妙な権利を認めざるを得ない」(東京地裁・昭和三一年一二月二五日判決・下級民集七巻一二号二八八頁)との指摘のとおり、誤まりであること明白である。権利範囲のない権利とは、それ自体、意味をなさない概念であり、権利を否認することと実質的差異はないが、わが特許法制上は、特許権は特許無効の審決によってのみ否認せられるのであって、権利範囲の解釈にあたって特許権の否認と同結果をもたらすような解釈をとることは、許されないものと解すべきである。
原判決は、右のように、乙第一号証の三に記載された技術的思想を公知として、これを本件特許の権利範囲の解釈にあたり権利範囲から消去した結果、「本件発明は、公知技術と同一の目的を、公知技術にはみられない新規な構成により達成した点に、特許性を認められたものと解するほかはない」とし、「本件発明は、前記公知の技術思想における絞り度調整部材として『絞り度調整環』を、絞り羽根開閉部材として『絞り羽根開閉板』を、また、作動部材として『作動環』をそれぞれ採択し、作動部材の駆動方法として、シヤッターの起動杆による『押進』の方法を採用した点に特徴を有する」と断ずるに至った。これによってこれをみれば、原判決は、絞り度調整環・絞り羽根開閉板・作動環・シヤッターの起動杆による押進の方法を採用したことを以て、「新規な構成」と認定したものと解されるが、一体、これが新規な構成であることの証拠は、何処に求めたのであろうか。このような構成を記載した文献が、本件特許出願当時に、国内のいずれかの図書館に所蔵されておれば、本件特許における右の「新規な構成」は、原判決の論を以てすれば、新規性なきものとなり、本件特許は全く新規性を欠くものとなる筈であろうが、原判決は、いかなる証拠によって、このような文献の不存在を確定したのであろうか。まさに、証拠にもとづかない独断と云わねばならない。また、そのような文献が発見された場合に、原審は、一体、本件特許の特許性を、何故に認めようとするのであろうか。このような数々の難点を招来するのは、原審が特許の権利範囲の認定にあたってこれに関する法則の適用を誤まったからである。
さらに、原判決は、本件特許の作用効果に関して、右のような「新規な構成」をなす各部材からなる自動絞り装置をカメラ鏡胴部にコンパクトに纏め、出願当時におけるカメラの小型軽量化の一般的傾向を前提として、そのようなカメラにも適合しうるコンパクトな自動絞り装置として発明され特許されたものと認めるのが相当である旨、判示している。しかしながら本件特許明細書には、そのような作用効果は何ら記載されていない。原判決は、本件特許出願当時におけるカメラの小型軽量化という当業者の技術常識を前提として明細書を読むならば、本件発明が右のような作用効果をもつものであることは、当業者にとり十分理解し感得しうるところというべきである、と述べているが、このような作用効果は発明者の意図した処ではなく、従って特許明細書にも記載がないのであって、原審が、本件特許の権利範囲の認定にあたって法則の適用を誤まり不当に狭く限定的な権利範囲のみを認めた結果、明細書記載の作用効果ではこれに適合しなくなったのを糊塗するため、強いて創作したものである。
二、本件特許は、原判決の説くような限定的な範囲のものではなく、特許請求の範囲に記載せられたとおりの権利範囲を有するものである。その目的とするところは、常時絞りを全開せしめて像を明瞭ならしめシヤッターの作動に際し又は焦点深度観察をなさんとする等の必要時のみ自動的に予め定めた絞度に絞ろうとするにある。別に、小型軽量のカメラに適した絞り装置として発明されたものではない。このことは、本件特許明細書を素直に読めば、一読判然するところである。本件特許発明において、解決の対象とせられた課題は、一眼レフレックスカメラの絞り作動装置において、常時絞りを全開せしめて像を明瞭ならしめシヤッターの作動に際し又は焦点深度観察をなさんとする等の必要時のみ自動的に予め定めた絞度に絞ることである。この課題は、出願当時の客観的社会的事実としての技術水準において、いまだ解決されていなかったものである。今日より顧りみれば、本件特許出願当時、乙第一号証の三が特許局図書館に受け入れ済みであって、その記載する米国特許は本件特許発明と同様の課題を採り上げこれが解決のための技術思想を提示していたのであるが、この事実は、後に詳述するように、わが国当業者の何びとも知るところでなく、わが国写真機工業界の現実に保有する技術内容に摂取されることなく過ぎていたので、わが国の現実の技術水準上は、この課題は未解決のものであったのであり、本件特許発明は、その解決の技術思想をはじめて提供したものとして、特許庁により特許せられ、当業者一般より貴重な工業的発明として評価せられ、後述するように、写真機工業界の一流各社の挙って実施するところとなったのである。このように、乙第一号証の三の存在にもかかわらず現実の技術水準上未解決であった課題を解決した本件特許発明は、わが国の業界に大きな貢献をなしたものであり、これが権利範囲の解釈にあたっては、右のごとく(乙第一号証の三の文献は図書館に存在はしたが、それによって現実には解決されていなかった)未解決の課題を現実に解決したものとしての評価に立って解釈すべきである。この考え方に立てば、本件特許の権利範囲は、本件特許が解決した現実の課題との関連において、定められるべきであり、それは、前述のとおり、一眼レフレックスカメラの絞り作動装置において、常時絞りを全開せしめて像を明瞭ならしめ、シヤッターの作動に際し又は焦点深度観察をなさんとする等の必要時のみ自動的に予め定めた絞り度に絞ることであるから、本件特許の権利範囲は、上告人が第一審以来主張してきたとおりのものであって、わが国の現実の技術水準に何ら寄与・影響するところなく経過して来た乙第一号証の三の発見によって左右せらるべき性質のものではない。仮に、その内容において両者に重複するところがあるとしても、それによって本件特許の権利範囲が縮小せられたり、本件特許の新規性が否定されたりするものと解すべきではない。
三、そもそも、特許出願における発明の新規性を考えるに当って、真の意味の新規性の欠如と、擬制による新規性の欠如と、区別すべきである。特許出願の内容をなす技術的思想が、すでに社会一般の技術水準にとり入れられているもの、すなわち、出願にかかる「発明」が、技術的進歩性を欠くことが、客観的社会的事実に照らし明かな場合、それは新規な発明ではない。それは出願当時の客観的社会的事実としての技術水準に何らの寄与・貢献をなすものでなく、その特許出願が拒絶せらるべきことは当然である。これに対し、出願にかかる発明の内容が、いまだ出願当時の客観的社会的事実としての技術水準の内容となっておらず、当業者にとって貴重な技術的進歩性を有する場合は、その発明は真の意味の新規性を有する。しかしながら、そのような真の意味での新規性を有する発明のうちにも、法の擬制によって新規制を否定せられる場合があり得る。例えば、出願前国内に頒布された刊行物に容易に実施することを得べき程度において記載されていた(大正一〇年法律第九六号特許法第四条第二号)が当業者が誰もこれを知らなかった場合とか、出願前に外国において頒布された刊行物に記載された発明(現行特許法第二九条第一項第三号)のごときである。これらの場合には、当該刊行物の記載は当業者の知るところとなっていないのであるから、現実の客観的社会的事実としての技術水準は、右刊行物の記載によって何らの影響も受けることなく、これを包摂しない以前の発展段階にとどまっている。従って、当該特許出願にかかる発明は、たまたま右刊行物の記載と同じ内容を開発したものであったとしても、当時の客観的社会的事実に対しては技術的進歩性あること明かであり、工業上価値ある発明と云うを妨げないものであって、ただ、政策的理由から、法によって、特許権付与の要件たる新規性を欠くものとせられているに過ぎない。このような、法の擬制によって新規性を否定されるが、真実の意味においては新規性ある発明に対しては、前記刊行物を以て、特許出願拒絶の事由となし得、また特許庁がこれを看過して特許を付与した場合には、特許無効審判の事由となすことができるのは、当然であるが、無効審判が請求されることもなく無効審判の除斥期間(旧法第八五条第一項、現行法第一二四条)を経過した以後は、当該特許権を確定し、さきに二、において述べた立場よりすればもちろんのこと、仮に公知事実を権利範囲から消去するとの立場を採る場合ですらも、その権利範囲は前記刊行物の存在によっても何ら動かされることなきものとなると解すべきである。けだしこのように真の意味での新規性を有する特許発明が、たまたまその出願前に頒布された刊行物に記載されていた処と同じ発明であったとしても、その故を以て無効審判を求められることなく除斥期間を経過したにおいては、当業者の何人も当該刊行物の記載を知るところのなかったことが推定されるので、当業者の拠って立つ基盤となっている現実の客観的社会的事実たる技術水準には当該刊行物の記載は何ら影響を与えたことなき無縁のものであり、逆に当該特許発明は右技術水準の向上発展に新たな寄与・貢献を加えた功績あるものと云い得るので、そのような特許の権利を、その請求範囲のとおりに認めることが、公平に適するからである。
四、本件特許発明はまさに、右の真の意味における新規性ある発明であって、出願当時の現実の客観的社会的事実たる技術水準にてらし顕著な技術的進歩性を有し、その向上発展に多大の貢献をなした発明である。このことは、キヤノンカメラ株式会社、日本光学工業株式会社、旭光学工業株式会社等、わが国写真機工業界の一流会社が、本件特許につき実施権の許諾を求め、実施権を得て本件特許発明を利用した事実に徹し明かである(甲第九号証の一、二、甲第一〇号証、甲第一一号証参照)。被上告人においても嘗て上告人に実施料を支払って本件特許発明を実施していたが、これは本件特許発明の進歩性と有用性を認識していたからに外ならないと思われる。このように、本件特許発明は、わが国写真機工業界に新規な技術を提供したものとして業界各社から広く認められ、その技術水準の向上に多大の寄与・貢献をなした発明である。たまたま被上告人との実施契約更新にあたり実施料率改訂をめぐって折合いがつかず、遂に本訴に至った。そして、その第一審口頭弁論進行中に被告(被上告人)より乙第一号証の三が提出せられ、その内容と本件特許発明の内容との関連が問題とされるに至ったのである。
ところで、仮に、乙第一号証の三に記載するところと、本件特許発明の内容とが同一であるとすれば、乙第一号証の三は、旧特許法第四条第二号の国内に頒布せられた刊行物として、特許出願の拒絶事由となされ得べく、また、特許庁がこれを看過して特許を付与したとすれば、特許無効審判の事由とせられ得べきものであったということになる。しかしながら、本件特許に対して、そのような特許出願の拒絶はなく、また無効審判が求められることもなく、無効審判の除斥期間(旧法第八五条第一項)を経過し、今日に至った。その間、本件特許発明は、業界各社によって、未知の進歩性ある技術として採用・実施され、業界の現実の技術水準の向上に大きく寄与・貢献したことは、さきに述べたとおりである。この点より云えば、本件特許は、上告人が第一審以来主張しているように、その請求の範囲に記載されたとおりの権利を認められるべきであり、これを乙第一号証の三の存在によって限定的に解すべきでないこと明かである。
第二点 原判決は法律上および事実上認められない証拠を本件発明の技術的範囲の認定に供したもので、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。
第一点において引用した如く、原判決は乙第一号証の三に記載された技術思想は本件発明の出願前公知であり、従って本件発明は公知技術にみられない新規な構成に特許性を認められたものと解するほかはない旨説示する。
ところで、原判決が乙第一号証の三の記載技術を公知と認定した根拠は、該文書が大正十三年九月一六日特許局図書館に受入れられたという事実のみである。…原判決一四丁第一行目…。文書が特許局図書館に受入れられたいという事実のみによって、該文書に記載された技術が公知技術となるというのは真実に反する。又、本件発明が、右文献に記載された技術と異なる新規な構成の部分のみに特許性を認められたものと解するという原審の認定も事実に反する。本件特許発明について云えば、その出願から異議申立期間を含む出願審査の全ての段階において、並びに登録後五年間に及ぶ無効審判の請求期間においても、乙第一号証の三記載の技術は、審査官、一般公衆、当業技術者の何人によっても指摘されなかった。のみならず、本件特許の実施を希望した当業者は、本件特許の技術的範囲を明細書、就中特許請求の範囲の要件通りに解釈し、それに従って、上告人との間に適正な実施契約を締結して来たのである。このことは、明らかかに、当該技術について最も利害関係の深い当業者にとってさえ、乙第一号証の記載技術が、本件特許の出願前出願中は勿論、登録後に於いてさえも、公知技術ではなかったことを雄弁に物語っている。
以上の次第であるから、乙第一号証の三の記載技術が、本件発明の出願前公知であるとか、本件発明は該技術を除外した構成に新規性を認められたものと解する等というのは、何等証拠にもとづかない独断か、または無効審判制度における公知性の法律上の擬制を誤まって導入したものにすぎない。特許制度上特則として採用せられた法律上の擬制を該特則の適用されるべきでない場合にまで類推適用することは許されないというべきである。
第三点 原判決は理由に齟齬がある。
原判決は被上告人の製品が本件特許発明の技術的範囲に属しないと判断した理由について、原審における附加部分の他は、「第一審判決の理由第二の二ないし四の部分と同一である」という。
ところで第一審判決の理由第二の二乃至四によれば、第一審判決は、
(1) 本件特許発明においては作動環と絞羽根開閉板とは絞羽根開閉板が止子に衝合するまでは両者一体的に回動するが、その後は作動環のみがその行程端まで回動するような特殊の結合関係にあることを要するのに対し、被告製品においては、制限ピン8がカム板11に衝合して中介レバー25が停止すれば重合レバー5及び押動ピン12により弓状レバー3も同時に停止し、弓状レバー3のみが中介レバー25をその位置に残して動くということはあり得ないから、弓状レバー3と中介レバー25とが前記のような特殊な結合関係にあるものということはできない。
(2) 被告製品において弓状レバー3と中介レバー25とを固定せずに前記(三)記載の方法により関連させるのは、これによりシヤッターが開き始めないうちに予定絞りに絞るという作用効果を得るためではなく、
(a)鏡胴の前後進を可能にすること、
(b)重合レバー5に観察用レバー12を係合することにより随時予め定めた絞度における観察を行ないうるようにすること、
(c)製作を容易にすること等のためである。
(…以下略…第一審判決第二四丁~第二六丁)
というのである。
ところが原判決は、既に第一点において述べたように乙第一号証の三の記載技術を公知とする前提のもとに、本件特許発明は 絞り度調整環・作動環・絞羽根開閉板を鏡胴に同心的に回動する環状の板体とし、かつシヤッターの起動杆と作動環との「関連」の具体的手段として「押進」を採用したものであるが、被上告人製品において作動環に相当する弓状レバー、開閉板に相当する中介レバーはいづれも鏡胴の周囲に之と同心的に回動するものでもなく又起動杆に相当する進退レバーが弓状レバーを「押進」するものではないから、この点において既に本件特許発明の必須の要件たる構造を欠くというのである。
元来、特許権の範囲の解釈自体は法律問題であるから、その内容において矛盾や齟齬は許されるところではない。
ところが、右に引用したところによって明らかなように、第一審判決における本件特許の技術的範囲の解釈の要点は、明細書並に図面の記載を基として、「作動環と開閉板の係合が係合一般ではなくして特殊係合である」としたのに対し、原判決では、作動環と開閉板とが鏡胴に対して同心的回動をすることに要点をおいているのである。そして後述するように原判決末尾の括弧書きでは本件特許発明の解釈上、必ずしも第一審判決の如く作動環と開閉板の関係を解さなくてもよいように説いているところがあるのであるから、結局、原判決は、この点について第一審判決を引用した部分と、附加するとして自ら判断した部分とにおいて、本件特許発明の技術的範囲の解釈上重要な矛盾を含んでいることになる。
更に原判決は、文言的には″この意味で本件「特許請求の範囲」における「係合」は「押進」との関係において原判決の説示するとおりの限定的な意味と解さゞるを得ないのである″として、第一審判決の「係合」解釈を支持しているように見えるが事実は異なる。
第一審判決に示された作動環・開閉板の係合の解釈は、
作動環・開閉板の同時回動→止子による開閉板の回動停止→作動環行程端における作動環停止→起動杆移動→シヤッター開放
の関係にあるとするものであるが、
原審判決に示された係合の解釈は、
作動環・開閉板の同時回動→止子による開閉板の回動停止→起動杆による作動環の押進→シヤッター開放と同時に起動杆作動環停止
という関係にあるとするもので、両者はその内容に明らかな差異がある。
この差異の発生した所以は、引用された第一審判決においては、本件発明の解釈として起動杆は作動環の回動に直接原動力として作用することを要するものでないとしたのに対し、原判決は、起動杆は作動環を直接押進すべきものと解したことに因るが、いずれにしても原審が引用してその一部となした第一審判決部分における係合の解釈と原判決の独自の解釈とは明らかに差異があり、結局、原判決の理由はこの点においても重大な齟齬があり、そのため、本件特許発明の技術的範囲は確定されていないのである。
第四点 原判決は更に次の点において理由に齟齬がある。
即ち原判決は「起動杆が作動環を押進し、開閉板が止子に衝合して停止したのちは、この押進関係が解除されるような構造も考えられないわけではないが、そのような特殊な構造を採用することにより格別の利点が生ずるものとは思われず、また、明細書中にそのような特殊の構造の採用を示唆する記載は何もないから本件発明の解釈上考慮する必要はない」。(判決書一六丁裏九行目以下括弧内の記載)
とも説示する。この判断の内容は、(イ)開閉板が止子に衝合したのちは作動環の移動も停止するという構造も本件発明の実施態様として考えられること、しかし、(ロ)そのような構造としたとしても格別の利点が生じないこと、及び(ハ)明細書にそれを示唆する記載がないから、かゝか構造は本件発明の解釈上考慮する必要はないというのである。
原判決の説示通りならば、右のような構造によって格別の利点があり、かつ、明細書にそれを示唆する記載がある場合は解釈上考慮に入れなければならないわけである。
ところで開閉板が止子に衝合したのち、作動環の回動が止るという構造は格別の利点がある。
即ち作動環が開閉板の停止とともに停止すると、自動絞り機構は全体が全く活動を停止してしまうので以後は、シヤッター開閉に関する僅かな運動のみがカメラ内に加えられ、かつ内部には、それに応じた単純な機械運動のみが生ずることになるので所謂カメラブレ現象の防止に役立つ。
現在の一眼レフレックスが全て原判決の指摘したような構造を採用しているのはこのためである。
次に、明細書中に原判決の指摘した構造を示唆する記載がないというのも誤りである。
即ち明細書には既に引用した通り、
「要するに本発明は常時絞度を全開状態に保ちて焦点調整時には像を明瞭ならしめ撮影時シヤッターを作動すべく起動することによりて予め定めたる絞度となすもの」という本発明の根本思想の記載があり、又、発明の性質及目的の要領の項や特許請求の範囲の記載にも、「開閉板が止子に衝合するまでこれをともに回動せしめて」「シヤッターの作動に際し又は焦点深度観察をなさんとす等の必要時のみ自動的に予め定めたる絞度に絞らんとするにあり。」等と記載されているのであって、……焦点深度観察に際して、作動環を、第一審や原審のいうように、止子による停止点以上に回動することはあり得ない……このことからみて、本件特許発明における作動環は、「開閉板が止子に衝合するまでこれを共に回動せしめる」役割を担うことを必要かつ充分の要件としているものであることが判る筈である。右のように原判決説示のような構造にすることは格別の効果があり、かつ明細書に明記若しくは少くとも充分に示唆されているところであるから、本件特許発明の解釈上考慮に入れるべきものであるが、原判決はこれを考慮に入れず作動環は開閉板の停止後もシヤッター起動杆の行程端までゆきつくべきものとしたのであるから、結局原判決は本件発明の解釈上本件において最も重要な争点である「係合」の認定理由につき相容れない判断を示していることになるのである。
第五点 原判決は特許法第七〇条を無視して特許発明の技術的範囲を解釈した違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、即ち、原判決は、第三点で述べたように、本件特許の技術的範囲の解釈について第一審判決の理由に附加して本件特許発明においては、絞度調整環・作動環・絞羽根開閉板がともに鏡胴に対して同心的回動をなすこと、起動杆がその行程端まで作動環を押進する機構であることを要件とするとした。
他方原判決の引用する第一審判決の当該部分は作動環と絞羽根開閉板との係合は、″絞羽根開閉板が止子に衝合するまでは両者が一体的に回動し、その後は作動環だけが回動しうるような特殊の結合関係のみを意味する″(第一審判決二十一枚目末行~二十二枚目)とするものである。
従って結局原判決の認定した本件特許発明の技術的範囲は、
「鏡胴の周囲に鏡胴に対して同心的に回動する絞度調整環に止子を設け、同じく鏡胴に対して同心的に回動する絞羽根開閉板を該止子に衝合すべくし、開閉板にシヤッターの起動杆によって押進せられる同心回動の作動環を、絞羽根開閉板が止子に衝合するまでは絞羽根開閉板と一体的に回動し、絞羽根開閉板が止子に衝合したのちも更に回動を継続するように係合し、常時絞りを全開状態に保たしめ、シヤッターの作動に際し、シヤッターが開き始めざる期間中に起動杆で作動環を押進し、開閉板が止子に衝合するまでは開閉板をともに回動せしめて予め定めたる絞度に絞り、その後作動環はシヤッターが開放せられる起動杆の行程端まで起動杆とともに回動せられる構造を特徴とする一眼レフレックスカメラ用絞り作動装置」
ということになる。
他方本件特許明細書の「特許請求の範囲」の構成要件は、
「(1) 絞度調整環に止子を設けること、
(2) 絞羽根開閉板を該止子に衝合すべくすること、
(3) 絞羽根開閉板にシヤッターの起動杆に関連せる作動環を係合すること、」
を部材構造上の要件とし、右各部材の相互関係を、
「常時絞りを全開状態に保たしめ、シヤッターの作動に際しシヤッターが開き始めざる期間中に作動環を押進し、開閉板が止子に衝合するまでこれを共に回動せしめ、予め定めたる絞度に絞る」
ように構成するというに尽きるのであって、決して原判決のいうように限定的な構造ではないのである。
原判決の説示する本件特許の技術的範囲は、まさに本件特許明細書が実施例として挙げているものを更に限定的に解釈したものであり、たとえどのような解釈基準をとろうともかかる解釈は法の許すところではない。
例えば、原判決は、作動環を押進するのはシヤッターの起動杆である、と断定する。成程実施例の説明を軽々に一覧した処ではそうであるかの如く誤解されるおそれなしとしない。しかし、その実施例の説明をよく読めば、
「突腕14にシヤッターの起動杆を関連し、シヤッターを作動すべく起動杆を作動する場合に作動環12をバネ15に抗して回動せしむべくす。」「シヤッターを作動すべく起動杆を押動するときは、シヤッターが開き始めざる期間中に作動環12をバネ15に抗して第一図に於て矢印の方向に回動し」
とあるのみであって、シヤッター起動杆が機械的に直接突腕14に作用して、これを押進させる等とは何等記載されてはいないのである。
シヤッター起動杆と作動環の関係は、両者が関連していること、及び起動杆の作動に伴いシヤッターの開き始めざる期間中に(何等かの手段によって)作動環が押し進んで開閉板を回動させて予定絞度に絞り、しかるのちシヤッターが開くということだけである。
その他作動環と開閉板の係合に関する上告人の主張は原判決摘示の通りであり、これらの点について本件発明の発明者等は第一審や原審のように実施例に拘泥する誤解を避けるために特に明細書の末尾において、「要するに本発明は常時絞度全開状態に保ちて焦点調整時には像を明瞭ならしめ、撮影時シヤッターを作動すべく起動することによって自動的に予め定めたる絞度となすもの」である旨を統括しているのである。それにもかかわらず原判決は明細書の実施例の記載のみをとり上げ、しかもこれを読み違え恣意的な制限を加えて誤った解釈をしたもので、結局特許法第七〇条の規定を顧みることなく、本件特許発明の技術的範囲を認定したことに帰するのである。
第六点 原判決は経験法則違背、審理不尽の違法および証拠に基づかない認定事実に拠って裁判した違法がある。
原判決は、「被控訴人の製品において、本件特許発明の作動環に相当する部材は弓状レバーであり、開閉板に相当する部材は中介レバーであり、また、起動杆に相当する部材は進退レバーであると解されるが、弓状レバーおよび中介レバーが、いずれも鏡胴の周囲に鏡胴と同心的に回動する環状体でないことは明らかであり、また、シヤッターの作動にさいし進退レバーが弓状レバーを押進するものでないことも明らかであるから、被控訴人の製品は、すでにこの点において本件発明の必須の要件たる構造を欠くのである」と判示している(原判決16丁・おもて)。
原判決は、右引用部分において、(一)被上告人製品には環状の絞羽根開閉板が存在しない如く説いており、また、(二)被上告人製品における進退レバー1は本件発明の作動環に相当する弓状レバー3を押進するものでない、と説いているのであるが、そのいずれもが、事実に反する。
まず(一)について言えば、環状の絞羽根開閉板がなければ絞羽根板の開閉は行い得ないのであって、被上告人製品も、もちろん、これを備えている。
被上告人製品においては、結合環14が絞羽根開閉板にあたるのであり、それに固着されたピン13が中介レバー25の端部の溝25に嵌挿され、″一方この中介レバー25の中程に制限ピン8が植設され、このピン8がカム面11に衝合して絞り値が決定されるものであって結合環(絞羽根開閉板)14が弓状レバー3によりこれと押動ピン7を介して係合する中介体として鏡胴と同心回動をなすことに何等変りはない。これは被上告人製品の現物であるところの検乙第三号証の一ないし三を検討すれば明かなところである(なお、第一審判決別紙(一)説明書の添付第一図および第六図からも明らかに知り得る)。
又(二)について言えば、原審は被上告人製品における進退レバー1は本件発明の作動環に相当する弓状レバー3を押進するものでないと説く。なるほど、表面的に言えば、そのとおりである。しかし、被上告人製品においては進退レバー1の進出、復帰の各行程において、弓状レバー3は常にこれと同一の運動をする。換言すれば、進退レバー1の進出のときは追随し、復帰のときは押進させられる構造である。このことは検乙第三号証の一ないし三および第一審判決別紙(一)説明書の記載およびその添付図面から、明かである。すなわち、本件発明と比べるに、単にバネの附勢方向の正逆の問題にすぎず、それによって格別の差異の生ずべき余地のないものであるから、かゝる点を特許解釈上の相違点とするには当らないのである。原審がかように差異なきものを差異ありとしたのは、明白な事理に反し、経験法則違背と云わざるを得ない。
しかも原審は、被上告人の製品の構造および作動を、本第六点冒頭摘記の引用部分のように認定するについて何らの証拠をも挙示していない。そして、原判決の右認定は、さきに述べたとおり、証拠によれば認められる被上告人の製品の構造・作動と、明らかに違背している。これを以てみれば、原判決は、証拠に基づかず、単なる想像によって被上告人の製品の構造および作動を右のように認定したものと言うほかない。
あるいは原判決は、被上告人の製品の構造であることにつき当事者間に争のない第一審判決別紙(一)説明書によって右の認定をなした、とするのかも知れない。しかしながら、右別紙(一)は第一審においてその審理の必要上問題となる点のみを摘記したもので、その記載のみから、被上告人製品のあらゆる面における構造・作動の全貌を知り得るものではない。そもそもそのような記載は神ならぬ何びともよく為し能わないところである。従って、原審が、右別紙(一)に直接の記載のない点について被上告人製品の構造・作動を明かにする必要に接したときは、すべからく、右製品の現物である検乙第三号証の一ないし三を検証するか、または当事者に釈明してこれを明らかにせしめるを要したのである。しかるに原審はこのいずれにも出でることなく、漫然、前記別紙(一)の記載に基き推量したか、または全くの想像によって、前記引用部分のごとく認定し、第一審判決理由の援用のほかに、右引用部分を新たな判断として付加して、以て上告人の主張を排斥したのであって、証拠に基づかぬ判断による裁判をなしたか、または審理不尽の違法を免れない。のみならず、右別紙(一)説明書および添付図面を仔細に検討すれば、原判決の説くような判断は出て来ないのであって、通常の技術のわかる常識を以てすれば、さきに詳述したとおり、原判決とは逆の結論が導き出されるのである。この点よりすれば、原判決は、当事者間に争のない別紙(一)記載の被上告人製品の構造につき、証拠によらずして、これと異なる事実を認定し判決の基礎となした違法があるものである。