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最高裁判所第二小法廷 昭和49年(行ツ)53号 判決 1974年12月23日

当事者 上告人 福井県選挙管理委員会

右代表者委員長 寺尾登喜雄

右訴訟代理人弁護士 金井和夫

右指定代理人 田中克之<ほか三名>

上告人補助参加人 藤本俊夫

右訴訟代理人弁護士 八十島幹二

吉川嘉和

被上告人 澤村利三郎

右訴訟代理人弁護士 大島功

主文

原判決を破棄する。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする

理由

上告代理人金井和夫の上告理由、上告補助参加代理人吉川嘉和の上告理由第一、二点及び同八十島幹二の上告理由第一について。

公職選挙法六七条後段の法意に徴すれば、投票の記載から選挙人の意思が判断できるときは、できるかぎりその投票を有効とするように解すべきであり、また、右選挙人の意思の判断に当たっては、候補者制度を採る選挙においては、選挙人は通常候補者に投票する意思をもって投票に記載したものとの推定のもとに、投票の記載が候補者の氏名と一致しない投票であっても、その記載が候補者の氏名の誤記と認められるかぎり、当該候補者に対する投票と認めることが許されるものというべきである(最高裁昭和三〇年(オ)第九八五号同三一年二月三日第二小法廷判決・民集一〇巻二号一九頁参照)。これを本件についてみるに、所論指摘の係争票(以下「本件係争票」という。)を「藤本よし夫」と記載されたものと読むべきであるとした原審の判断は正当として是認することができる。そして、原審の適法に確定するところによれば、本件選挙においては、藤本俊夫と藤本利雄なる氏は同字同訓、名は異字同訓の二人の候補者がおり、右両者はたがいに混同を避けるため、選挙運動において、前者は「藤本とし夫」と記載するよう、後者は「ふじもと利お」と記載するよう、それぞれその氏名の表示方法を選挙人に鋭意宣伝し、その効果は投票結果にも相当にあらわれており、他方、候補者中には「藤本よし夫」なる氏名の者はいなかったというのであり、本件係争票の「藤本よし夫」なる記載は、藤本俊夫が選挙運動を通じ自己の氏名として宣伝していた「藤本とし夫」の記載と第三字を除いてまったく一致し、相違する右第三字も同じく平仮名であることにかんがみれば、原審認定の右状況のもとにおいては、本件係争票は、選挙人が藤本俊夫に投票する意思をもってその名の平仮名書きの一字を誤記したものと認めるのが相当であり、これを候補者の何びとを記載したかを確認しがたいものとして無効とすべきではない。原判決は、本件係争票の筆跡が流麗であること、他に本件係争票のような記載の投票が存在しないこと等を理由に、本件係争票は単純な誤記と解することはできないというが、筆跡が流麗であり、あるいは、一票だけであっても、誤記投票の存在することは従来の選挙において幾多の先例が示すところであり、原判決の理由とするところは、本件係争票から誤記の可能性を否定し去るに十分なものということができない。なお、本件係争票を候補者でない三方町の著名な実在の人物藤本義旺に対する投票と解することはできないとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、理由があるものといわなければならない。

そして、以上の判断によれば、上告補助参加人藤本俊夫の得票数は本件係争票の一票を加算して二三九・三五一票となり、被上告人の得票数二三九票を上回ることになるから、上告人委員会が本件裁決において被上告人の当選を無効としたのは正当である。原判決がこれを取り消したのは法令の解釈適用を誤った違法があり、破棄を免れず、右裁決の取消しを求める被上告人の本訴請求は理由がないことが明白であるから、その他の上告理由について判断するまでもなく、その請求を棄却すべきものとし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条一号、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉田豊 裁判官 岡原昌男 小川信雄 大塚喜一郎)

上告代理人金井和夫の上告理由

第一、原判決は、公職選挙法(以下法)第六七条後段の規定の解釈を誤った違法がある。即ち

(一) 原判決は、『しかし、選挙人が投票所において候補者の氏名を誤記する可能性のあることは別としても、投票の効力の決定に当って、投票した選挙人は通常候補者に投票するものと解すべきであるという前提をとることにはただちに賛成し難い。思うに、特定の選挙人が候補者の何人に投票する意思であったかどうかについては、あくまでも投票の記載自体について判定すべきものと解するのが無記名投票制度(公選法四六条二項)の趣旨に適うゆえんであって、公選法六七条所定の「その投票した選挙人の意思が明白であれば、……」という「選挙人の意思」も前記の方法で判定する限りで明白な場合をいうものにほかならない。されば、投票の効力の決定に当って、投票の記載を離れて、現行法が立候補制度をとるからといって、選挙人の意思が通常候補者に投票するものと解すべきものとするのは、いかにも公選法六七条の趣旨を正解するものとはいえないといわざるをえないのである。』と判示した。

(二) しかし乍ら、法第六七条後段の規定中に所謂「選挙人の意思」は必ずしも投票の記載自体についてのみ判定さるべきではなく、制度や選挙の実状等すべての事情を綜合勘案して判定さるべきものである。原判決は、既に、この点において法令の解釈を誤った違法があるといわざるをえない。

(三) 最高裁昭和三一年二月三日第二小法廷(民集一〇巻二号一九頁)は『しかし、候補者制度を採る選挙においては、選挙人は候補者に投票する意思をもって投票に記載したものと推定するべきであるから、投票の記載が候補者の氏名と一致しない投票であっても、その記載が候補者氏名の誤記と認められる限りは当該候補者に対する投票と認めるべきであって、これを候補者でない者に対する投票と認めるべきではない』と判示しており、原判決は、明かにこれと相反する判断を行ったものである。

(四) 最高裁昭和三二年九月二〇日第二小法廷(民集一一巻九号一六二一頁)は『原判決は誤記か混記か不明な場合にはその投票を無効とするよりほかはないというのであって、その抽象的な説明それ自体としては一応もっともであるけれども、本件の場合をそれと解することは、わが国の文字の複雑性からいって、いたずらに無効投票を多くしもって公職選挙法六七条後段の精神にそわない結果を招来するのみならず従来の選挙において誤字脱字のある投票が多数存在する事実からも、原判決のような判断は選挙の実状にそぐわないものといわなければならない』と判示しているが、原判決は、この判例の精神とも相反する判断を行ったものというべきである。

第二、原判決は、法第六八条第七号の規定を不当に適用した違法がある。即ち、

(一) 原判決は、『検証の結果によれば、係争票の「藤本よし夫」なる記載は、どの文字も一見して流麗なる筆跡であることが認められ、日本文字の筆記能力は通常人以上のものであることが推認されうる。而して、前記のとおり、本件選挙においてはすでに、「藤本俊夫」と「藤本利雄」の二人が互に混同を避けるためにそれぞれの氏名の表示方法につき鋭意宣伝し、かつ、選挙人間にもこのことは知れわたっていたのであるから、もし、選挙人が候補者「藤本俊夫」に投票せんとするのであれば、「藤本とし夫」と正確に記載すれば足りるのであり、そして、「と」と「よ」は発音上も、平仮名文字上もまぎれ易いとはいえないのであるから右のような記載をすることは通常の筆記能力を有する者であれば極めて容易であると解されるのである。而して、係争票にみられる投票者の筆記能力が前記のとおり通常人以上のものといえるばかりでなく、右係争票のような記載の投票が本件選挙において他に存在しないことをあわせ考えると、当該投票者が何が故に「藤本よし夫」と記載したかについては甚だ理解に苦しむものであって、結局、係争票に関しては単純な誤記がなされたものとはいえず、選挙人は候補者の何人に投票する意思であったかは、右記載自体からも明白ではないといわざるをえないのである。他に右誤記を認めしめるような具体的事情も見出しがたい。』と判示したうえ、法第六八条第七号を適用して係争票を無効と判定した。

(二) しかし乍ら、本件係争票につき誤記かどうかの判定基準を文字の流麗性に求めることには問題がある。

第一に本件係争票「藤本<手書文字省略>し夫」の第三字は流麗どころか必ずしも平仮名の「よ」を記載したものかどうか判断しにくい程不明瞭、不正確且つ不完全な記載である。第二に相当筆記能力があるからといって誤記しないという保証はなにもない。もしも候補者の氏名自体を誤って記憶しその記憶に基いて投票を記載したとしたら如何に優秀な筆記能力を有していても誤記を免れ得ないであろう。第三に如何なる文字を流麗となすかについて一定の基準がある訳でなく、現実には多数存在する誤字や脱字のある投票の効力判定をかゝる不安定な基準にかゝらしめることはむしろ危険というべきである。

(三) 『達筆明瞭に「藤永秀樹」としたゝめてある。その筆力字配り等より見て「岩永藤樹」を「藤永秀樹」と誤記したり又は左様に思い違いをして書いたものとは到底認め難く、故意に「藤永秀樹」と記載したものと思われるから無効と為すの外ない』とした昭和二三年一二月二七日の福岡高裁判決に対する上告審判決(最高裁昭和二四年一二月二四日第二小法廷民集三巻一二号五二二頁)は『所論甲第一一六号証の投票の「藤永秀樹」は岩永藤樹の四文字中三文字まで符合しているのでこれは投票者が投票記載の際誤記したものと認めるのが相当であるから原審がこれを無効と判断したことは違法である』と判示している。要するに、誤記かどうかの判定は投票の記載を全体として観察し候補者の氏名と近似性があるかどうかが重要なポイントとなる。最高裁昭和三四年二月二〇日第二小法廷判決(民集一三巻二号二六三頁)が『一般に、選挙人は必ずしも平常から候補者氏名を記憶しているとは限らないのであって、選挙に際し候補者氏名の掲示、選挙公報、ポスター、新聞紙等を通じてその氏名を記憶する者も多かるべく、その場合に氏名を誤って記憶することがあることも十分に想像できるのである。これを右の投票について見るに、その名は被上告人の名「愛一」と一致し、姓も第二字「条」は一致し、たゞ第一字「上」が「北」と記載されているのに止まるのであって、これら投票は選挙人が被上告人氏名を誤って記憶して記載したものかあるいは単なる誤記と解すべく、被上告人を選挙しようとする意思は十分に表示されているものとするのが相当である』と判示しているのも同趣旨に出たものと解せられる。

(四) そこで、本件係争票について考察するに、候補者藤本俊夫は、他の候補者藤本利雄との混同を避けるために「藤本とし夫」と記載投票するよう周知宣伝に努め、実際同人の有効投票二三二票中には「藤本とし夫」と記載されたものが七二票も存在した事実と係争票の記載は右「藤本とし夫」の記載と対比し第三字を除く残り四文字が完全に同一であることを綜合すると、係争票の記載は全体として候補者藤本俊夫の氏名との近似性が極めて濃厚と認められ、他面同選挙に「藤本よし夫」なる候補者のなかった事実をも併せ考えるなら、本件係争票はまさに候補者藤本俊夫に対して投票する意思を以って記載された誤記の投票と解するほかに道はない。

(五) そして、『投票は何人かを選挙しようとする選挙人の意思を表現しようとする手段であるから、たとい投票に記された文字に誤字、脱字があり又は明確を欠く点があっても、その記された文字の全体的考察によって当該選挙人の意思がいかなる候補者に投票したかを判断し得る以上、これを有効投票として選挙人の投票意思を尊重することが、すべての選挙の基調とする代表制民主々義政治の根本理念に合致するものと言うべきである』(最高裁昭和二五年七月六日第一小法廷民集四巻七号二六七頁)から、その精神からしても本件係争票の如きは当然誤記有効票として取扱わるべく、軽々に法第六八条第七号を適用することは許されないと解すべきである。

上告補助参加代理人吉川嘉和の上告理由<省略>

上告補助参加代理人八十島幹二の上告理由<省略>

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