最高裁判所第二小法廷 昭和50年(オ)978号 判決 1976年6月25日
上告人
西田覚造
右訴訟代理人
土橋忠一
被上告人
ハマ商事株式会社
右代表者
石見一夫
右訴訟代理人
八代紀彦
外二名
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人土橋忠一の上告理由四について
所論は、原審までに主張、判断を経ない事実を前提として原判決を論難するものにすぎず、論旨は採用することができない。
同一ないし三及び五について
原審は、(一)訴外砂田送風機株式会社(以下「訴外会社」という。)の代表取締役砂田稔(以下「砂田」という。)が、被上告人会社から、訴外会社の被上告人会社に対する電気製品の継続的売買取引上の債務につき連帯保証人を立てるよう要求されたこと、(二)砂田は、上告人から、訴外会社が他から社員寮を賃借するについて保証人となることの承諾を得、その保証契約締結の権限を与えられて実印の貸与を受け、市役所から上告人の印鑑証明書の交付を受けたこと、(三)砂田は、右の権限を越えて、訴外会社が被上告人会社に対し現在負担し又は将来負担することあるべき商取引上の一切の債務について連帯して支払う旨の本件根保証約定書(以下「本件約定書」という。)を上告人の名をもつて作成し、これに上告人の実印を押捺したうえ前記印鑑証明書を添えて被上告人会社に差し入れたこと、(四)被上告人会社においては、右印鑑証明書により本件約定書の上告人名下の印影が上告人の実印によるものであることを確認して、上告人がみずからの意思に基づいて本件約定書に記名押印をし本件根保証契約を締結するものであると信じたこと、以上の事実を適法に確定したうえ、日常の取引において、証明された実印による行為は本人の意思に基づくものと評価され、印鑑証明書が行為者の意思確認の機能を果たしていることは経験上明らかであるから、被上告人会社において本件根保証契約の締結が上告人の意思に基づくものと信じたことについては正当な理由があるとして、民法一一〇条の類推適用により、上告人は本件根保証契約につき責に任ずべきであると判断し、本件約定書には保証金額の明記がないけれども、そのことだけで右結論を左右するものではなく、また、被上告人会社は電気器具等の販売業者であつて金融機関ではないから本人の保証意思までをも確認すべき義務があると解することはできないとの説示をも附加して、被上告人会社の予備的主張を理由があるものとしている。
このように、代理人が本人から与えられた権限を越えていわゆる署名代理の方法により本人名義の契約書を作成したうえ、これを相手方に差し入れることにより本人のために契約を締結した場合であつても、相手方において右契約書の作成及び右契約の締結が本人の意思に基づくものであると信じたときは、代理人の代理権限を信じたものというには適切ではないが、その信頼が取引上保護に値する点においては代理人の代理権限を信じた場合と異なるところはないから、右のように信じたことについて正当な理由がある限り、民法一一〇条の規定を類推適用して、本人がその責に任ずるものと解するのが相当であるが(最高裁昭和三七年(オ)第二三二号同三九年九月一五日第三小法廷判決・民集一八巻七号一四三五頁、昭和四四年(オ)第八四三号同年一二月一九日第二小法廷判決・民集二三巻一二号二五三九頁参照)、所論は、本件について右の正当理由の存在を肯認した原審の判断を争うので按ずるに、印鑑証明書が日常取引において実印による行為について行為者の意思確認の手段として重要な機能を果していることは否定することができず、被上告人会社としては、上告人の保証意思の確認のため印鑑証明書を徴したのである以上は、特段の事情のない限り、前記のように信じたことにつき正当理由があるというべきである。
しかしながら、原審は、他方において、(一)被上告人会社が砂田に対して本件根保証契約の締結を要求したのは、訴外会社との取引開始後日が浅いうえ、訴外会社が代金の決済条件に違約をしたため、取引の継続に不安を感ずるに至つたからであること、被上告人会社は、当初、砂田に対し同人及び同人の実父(原判決挙示の証拠関係によれば、訴外会社の親会社である砂田製作所の経営者でもあることが窺われる。)に連帯保証をするよう要求したのに、砂田から「父親とは喧嘩をしていて例証人になつてくれないが、自分の妻の父親が保証人になる。」との申し入れがあつて、これを了承した(なお、上告人は砂田の妻の父ではなく、妻の伯父にすぎない。)こと、上告人の代理人として本件根保証契約締結の衝にあたつた砂田は右契約によつて利益をうけることとなる訴外会社の代表取締役であることなど、被上告人会社にとつて本件根保証契約の締結における砂田の行為等について疑問を抱いて然るべき事情を認定し、(二)また、原審認定の事実によると、本件根保証契約については、保証期間も保証限度額も定められておらず、連帯保証人の責任が比較的重いことが推認されるのであるから、上告人みずからが本件約定書に記名押印をするのを現認したわけでもない被上告人会社としては、単に砂田が持参した上告人の印鑑証明書を徴しただけでは、本件根保証が上告人みずからの意思に基づいて作成され、ひいて本件根保証契約の締結が上告人の意思に基づくものであると信ずるには足りない特段の事情があるというべきであつて、さらに上告人本人に直接照会するなど可能な手段によつてその保証意思の存否を確認すべきであつたのであり、かような手段を講ずることなく、たやすく前記のように信じたとしても、いまだ正当理由があるということはできないといわざるをえない。
しかるに、原審は、被上告人会社が金融業者ではないことの故をもつて、右のような可能な調査手段を有していたかどうかにかかわらず、民法一一〇条の類推適用による正当理由を肯認できると判断しているのであるが、右の判断は同条の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽、理由不備の違法があるというべきで、この点に関する論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、正当理由の存否についてさらに審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すのが相当である。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(吉田豊 岡原昌男 大塚喜一郎 本林譲)
上告代理人土橋忠一の上告理由
一、原判決は被上告人が電気機械等の販売業者であつて金融業者ではないから金融機関と同様の本人の保証意思を確認すべき義務があると解することはできないとして民法第一一〇条の規定の類推適用をして上告人に約束手形金の支払を命じたのは法令の解釈適用を誤つた違法がある。
二、① そもそも本件の根保証約定書は債務額、保証期間、限度額等についての定めのない酷なものである。
② のみならず、本件の根保証は一回限りの貸借という単純な貸借についての保証ではなく、将来長期にわたり継続反復される商取引についての連帯保証である。
③ しかも、上告人とは一面識もない間柄で、上告人としては本件根保証による反対給付は何も得ていないものである。
④ 被上告人は当初訴外砂田稔の実父の保証を要求したが、同人に拒否されたことにより右訴外人がその実父並に親せきの人達からも信用されておらず見放されていたことを知つていたものであり、従つて上告人においてもたやすく保証するものでないことは知つていたし、すくなくとも知りうる状況下にあつたものである。
⑤ 被上告人と上告人とはその住所が場所的にさほど遠くなく保証意思を確認しようと思えば容易にできたのである。
⑥ かかる事情のもとでは被上告人は上告人に対し保証の意思を確かめるべき取引上ないし信義則上の義務を有していたものと云うべきところ、被上告人は文書の発送はもとより、電話一つかけず、一度も面接せず、訴外砂田稔の言を軽信したと云うのはまことに軽率そのものであり、右訴外人に代理権ありと信じたことに過失ありと云うべく、代理権ありと信ずべき正当の理由ありとは云えない。よつて原判決は民法第一一〇条の解釈適用を誤つたものと云うべきである。
三、原判決は、その理由のなかで、被上告人は金融機関ではないから保証の意思確認の義務がないと判示しているが、それは極論であつて、右保証の確認義務はただに金融機関にのみあるものではなく、本件のような電気機械の販売を業とする商事会社においても継続反復する取引につき保証を求める場合にも前記のような保証の意思に疑問を持つづき事情のもとにおいては同様に確認の義務を課せられるものと云うべきであり、原判決はこの点の法解釈をあやまつているものである。
四、のみならず、本件は欺かれて交付した実印が不正に使用された場合に該当するのであり、上告人は訴外砂田稔を告訴して刑事訴追を求めるとともに、その発覚後は同人が逃走中につきその妻美智子に対し詐欺による意思表示の取消を申入れていたものであるから砂田稔には基本の代理権限そのものがないことになり、被上告人の民法第一一〇条による主張の根拠はないことになるのである。
五、なおまた、原審が民法第一一〇条の類推適用につき金融機関とその他の場合とを峻別し、金融機関以外の場合には画一的に保証の意思確認の義務がないとして保証の意思に疑問を持つべき事情について何等の審理をもせず、また何等の顧慮をも払わなかつたのは審理不尽の違法ありと云うべきである。