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最高裁判所第二小法廷 昭和51年(オ)667号 判決 1977年2月18日

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人中嶋邦明、同川瀬久雄、同島津和博の上告理由について

原審の適法に確定したところによれば、(一) 本件事故現場は、大阪市東区船場中央二丁目一の五先の東西道路と南北道路(通称堺筋)とが直角に交差する信号機の設置された交差点であり、東西道路は、幅員一三・四メートルの車道の南側に幅員五・五メートルの歩道がある西行きの一方通行道路、また南北道路は、交差点の北側において、幅員二一・二メートルの車道の両側に幅員六メートルの歩道と幅員七・二メートルの歩道とが並行し、交差点の南側において、幅員一六・二メートルの車道の両側に幅員各二・六メートルの歩道が並行する北行の一方通行道路であつて、交差点の東南角には、南北道路を本件交差点に向かつて北進する車両の運転者の右方東西道路への見通しを妨げる板塀が設置されているが、その角は隅切りの状態になつている、(二) 駒姫交通株式会社に雇傭されていたタクシー運転手尾原芳春は、昭和四六年三月一日午前二時四〇分ころ、同会社のタクシー営業用普通自動車(以下「被告車」という。)に乗客の被上告人を乗せて、右南北道路を制限速度の時速五〇キロメートルを超える時速約六〇キロメートルで北進し、本件交差点手前にさしかかつたが、対面の信号が青色だつたので、そのままの速度で交差点に進入したところ、右前方に比知屋辰八(第一審共同被告)の運転する普通乗用自動車(以下「訴外車」という。)が東西方向の信号が赤色であるにもかかわらず東西道路を東から交差点に進入してくるのを認め、訴外車よりも先に交差点を通過しようとして加速したが間に合わず、訴外車のためその前部を自車の右側面後部に衝突され、同乗していた被上告人は頚部捻挫等の傷害を被つた、(三) この時、比知屋は、飲酒のうえ訴外車を運転して四車線ある東西道路の北から二車線目を時速約五〇キロメートルで西進し、対面の信号が赤色であつたにもかかわらずそれを確認することもなく、右折しようとして漫然と同じ速度のまま右交差点に進入した際、左前方約八・九メートルの地点に北進してくる被告車を認め、ハンドルを右に切つて衝突を避けようとしたが、急制動の措置をとる間もなく、前記のとおり訴外車の前部を被告車の右側面後部に衝突させて本件事故を惹起したものであり、(四) 上告会社は、昭和四九年三月八日駒姫交通株式会社を吸収合併して、同会社の権利義務を承継した、というのであり、原審の以上の認定は、原判決挙示の証拠に照らして是認することができる。

上告会社は、本件事故は訴外車を運転していた比知屋の対面の信号を無視して本件交差点に進入したという一方的過失によつて発生したものであつて、被告車の運転者尾原には何らの過失もなく、かつ、被告車には構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたから、上告会社には民法七一五条又は自動車損害賠償保障法三条に基づく損害賠償責任がない、と主張したのに対して、原判決は、本件事故が発生したのは午前二時四〇分であり、このような深夜にあつては、信号機が設置されそれによつて交通整理が行われている交差点においても、往々にして信号を無視して交差点に進入してくる車両があることは予想外のことではないから、被告車を運転する尾原には、(1) 進路前方の注視を怠らず、(2) 制限速度の時速五〇キロメートル以内に減速したうえ、(3) 東西道路を東から本件交差点に進入してくる信号違反車にも対応できる態勢で右交差点に進入すべき注意義務があつたにもかかわらず、尾原がこれらの注意義務を怠らなかつたとは認められないところ、尾原が右注意義務を尽くしていされすれば、訴外車の動静をもつと早く発見できたかもしれず、その場合には急制動の措置をとる等の方法により本件事故の発生を回避できたかもしれないから、本件事故の発生につき尾原に過失がなかつたとはいえない、として右上告会社の主張を排斥した。

しかしながら、信号機の表示する信号によつて交通整理が行われている交差点を通過する車両は、互いにその信号に従わなければならないのであるから、このような交差点を直進する車両の運転者は、たとえそれが深夜であつても、特別の事情のない限り、信号を無視して交差点に進入してくる車両のありうることまでも予想して、交差点の手前で停止できるように減速し、左右の安全を確認すべき注意義務を負うものではないことは、当裁判所の判例とするところであつて(最高裁判所昭和四四年(オ)第九〇七号同四八年六月二一日第一小法廷判決・裁判集民事一〇九号三八七頁)、本件において原審が確定するところによれば、尾原は、被告車を運転して本件交差点に進入した時、はじめて訴外車が東西道路を東から右交差点に進入してくるのに気づいたというのであるから、特別の事情のない限り、尾原には、訴外車を認めるまでの段階で、信号を無視して交差点に進入してくる車両のありうることを予想して、左右の安全を確認し、またこのような信号違反車にも対応できる態勢で本件交差点に進入すべき注意義務はなかつたものといわなければならない。また原判決は、尾原が被告車の速度を時速五〇キロメートルに減速し、前方注視義務を尽くしていさえすれば、訴外車の動静をより早く発見することができ、その結果急制動の措置をとる等の方法によつて本件事故を回避できたと認める余地があるというのであるが、被告車が東西道路に対する見通しが可能な位置に達してから、本件交差点の入口にさしかかり尾原がはじめて訴外車に気がつくまでに要した時間は僅々一秒以内外であることは計算上明らかであるところ、南北道路を走行中の車両の運転者にとつて、夜間このような極めて短時間に、東西道路上を交差点に接近してくる車両が交差点手前の停止線で停車する態勢にあるか否かを見極めたうえこれに対応した措置をとることが、前方注視義務を尽くすことによつて可能であるとは認め難いこと、さらに本件は、尾原が時速五〇キロメートルの制限速度を遵守していれば、訴外車を発見したのちに衝突回避のための適切な措置をとることができたと認めうる状況にはなかつたことは、経験則上明らかであるといわなければならない。

したがつて、原判決には、特別の事情を認定することなく、前記運転者の注意義務に関する法令の解釈を誤つた違法があるとともに、尾原が時速五〇キロメートルに減速し、前方注視義務を尽くしていれば、訴外車の動静をより早く発見することができ、その結果急制動の措置をとる等の方法によつて本件事故を回避できたと認める余地があると認定した点において、右認定が経験則に違反した違法があり、これらの違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならず、論旨は理由がある。それゆえ、原判決を破棄したうえ、以上の点についてさらに審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すこととし、民訴法四〇七条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田 豊 裁判官 岡原昌男 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 本林 譲 裁判官 栗本一夫)

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