最高裁判所第二小法廷 昭和53年(オ)1198号 判決 1979年9月07日
上告人
志村貨物運送株式会社
右代表者
横関維明
右訴訟代理人
日野和昌
外二名
被上告人
関東運輸株式会社
右代表者
神田孝世
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人日野和昌、同安田昌資、同島林樹の上告理由第一点について
本件のように上告人、被上告人双方の各被用者の過失に基因する同一事故によつて生じた物的損害に基づく損害賠償債権相互間において民法五〇九条の規定により相殺が許されないことは、当裁判所の判例(昭和四七年(オ)第三六号同四九年六月二八日第三小法廷判決・民集二八巻五号六六六頁)とするところであり、このことは、双方がいずれも運送業を営む会社であつても同様であるというべきである。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない、論旨は、採用することができない。
同第二点について
原審が適法に確定した事実関係の下において、被上告人の時効の援用が信義則に反せず、権利の濫用にならないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない
同第三点について
本件訴訟の経過を考慮すれば、原審に釈明権の不行使又は審理不尽の違法はなく、論旨は、採用することができない。
同第四点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官大塚喜一郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官大塚喜一郎の反対意見は、次のとおりである。
私は、当事者双方の過失に起因する同一の交通事故によつて生じた物的損害に基づく損害賠償債権相互間においては、相殺が許されると解すべきものと考える。
多数意見は、上告理由第一点について、右債権相互間の相殺は、民法五〇九条の規定により許されないとして、その旨を判示した当裁判所の判例(昭和四七年(オ)第三六号同四九年六月二八日第三小法廷判決)を引用する。ところで、同条が不法行為債権の債務者は相殺をもつて債権者に対抗することができないとする趣旨は、不法行為の被害者に現実の弁済によつて損害の填補を受けさせること及び不法行為の誘発を防止することにあるとされており、右判例も、その旨を説示するのであるが、この法理を本件のような双方当事者の過失に起因する同一交通事故によつて生じた不法行為(以下、双方的不法行為という。)債権相互間の場合に適用することは果して当を得た解釈といえるであろうか。判例を踏襲する多数意見によるとすれば、双方的不法行為者のうち先に損害賠償請求権を行使した原告は、現実の弁済を受けることができるのに対して、同一事故に基く損害賠償請求権を有する被告は、原告の右請求に対抗する手段を封ぜられたまま、現実弁済の履行を強制される不合理な結果を生じ、更に、右原告が被告から現実弁済を受けた後に支払能力を喪失した場合には事実上の不公平な結果を生ずることとなる(被告は反訴又は別訴の提起によつて相殺禁止の不都合を避けられるとして判例を支持する考え方については、被告が反訴又は別訴によつて債務名義を得れば、結局、相殺を許す場合とどれほどの径庭もないこととなるであろう。)。
現在多発しつつある自動車事故による不法行為は、一般に、過失によるものとされているが、本件の如く双方的不法行為による反射的な作動による運転ミスの場合、未熟な機械的運転ミスの場合など、伝統的な過失概念ではまかないきれないものがあり、これらの事故は、性質上、損害賠償債権の相殺を許さないことによつて誘発を防止することは期待できないものである。したがつて、民法五〇九条による新たな不法行為の誘発を防止しようとする法意は、故意または伝統的な概念での過失による不法行為の再発を防止する意味で是認せられるとしても、本件のような双方的不法行為による事故発生を防止する現代的意義を喪失しているというべきである。
もつとも双方的不法行為の場合であつても、それによつて生じた損害のうち治療費、逸失利益等による人的損害については、人の生存にかかわるものであるから現実の弁済を受けさせる必要があるとすべきであるが、物的損害にあつては、右のように解すべき合理的理由を見出しえないから、本件のような双方的不法行為によるもので、受働債権が物的損害賠償債権の場合は、民法五〇九条は適用されないと解するのが相当であり、当裁判所の判例は、この限度において変更されるべきである。
すると、原審が上告人の相殺の主張は民法五〇九条の規定に基づいて許されないとしたのは、同条の規定の解釈適用を誤つたものであり、その誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、この点において理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れず、更に、この点について審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すべきである。
(鹽野宜慶 大塚喜一郎 栗本一夫 木下忠良 塚本重頼)
上告代理人日野和昌、同安田昌資、同島林樹の上告理由
第一点 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな民法第五〇九条の解釈および適用を誤つた違背がある。
一、原判決は、本件の如き双方の過失に基因する同一事故によつて生じた物的損害に基づく損害賠償債権相互間にあつても、不法行為の被害者に対しては現実の弁済によつて損害の填補を受けさせる等の見地から、反対債権をもつてする相殺は許されないとし、最高三小昭和四九年六月二八日判決を引用している。
二、しかし、民法第五〇九条による相殺禁止は本件の如き事実関係には適用されないと解すべきである。
すなわち、同条が相殺を禁じているのは、不法行為債権が本質上相殺になじまないからではなく、(1)被害者をして現実の弁済により損害の填補をうけしめるということ(現実弁済の強制)と、(2)不法行為の誘発を防止するという政策的考慮によるものである。したがつて、右の政策的考慮を必要としない事案にあつては同条の適用は排除さるべきである。
三、(一) 右の現実弁済の強制は、被害者保護のためとされている。ところで、本件では単一責任説をとるとき、前述のとおり上告人こそ被害者であり、また交叉責任説をとつた場合、上告人もまた被害者である。しかも、双方とも運転業を営む営利会社で、損害は営業車に生じ、その過失割合も五分五分と、双方の社会的立場、損害の発生原因、種類、程度、あるいは損害賠償債権発生の根拠法条等すべての点において、双方の法的地位は同一同質といつてよい。しかるに一方の被害者たる被上告人にのみ現実弁済の要請を強調してその債権を実現せしめ、反面他方の被害者たる上告人の債権による相殺を認めず、あるいはこれを排斥することは、一方の不法行為者(被上告人)のみを保護する結果となつて双方の均衡を著しく失するばかりか、被害者たる上告人の救済を拒否することにより、被害者保護を目的とする民法第五〇九条の立法趣旨にかえつて反することになる。
(二) そのうえ、本件では双方とも運送会社であり、かかる営利を目的とする団体に、双方の均衡を失してまで現実弁済の要請を強調する必要はないと考えられる。
(三) また、たとえ判決の段階で許されなくとも、双方が通常の営業を続けている限り、執行の段階では相殺勘定に持ちこまないはずはなく、現実弁済の強制といつてみても、最終的には空しいといえる。
(四) しかも、被上告人は最近倒産したので、本件での現実弁済の強制は、被害者たる上告人に交通事故と全く関係のない被上告人の債権者たる暴力金融業者、あるいは詐欺横領で警察におわれる被上告人会社代理表者個人への弁済を強制する結果となる。
そして、これを一般化すると、一方の被害者(以下甲とする)の資力が十分でないとき、甲の債権者(以下Aという)が他方の被害者(以下乙とする)に対して甲の有する損害賠償債権の代位行使をした場合、求償の場合と異なり乙は甲に対する賠償債権による相殺ができない結果、被害者でないAが被害者乙の犠牲において現実弁済を受けうるのに、乙は相殺もできず、また甲の無資力の故に、自己の債権を実現する途がないこととなる。
甲が物損で乙が人損である場合を考えるとますます矛盾は大きくなる。これらの例から明らかなように、相殺を認めないことの不合理さ、不公平さは一目瞭然である。
(五) この「現実弁済の強制」は能見説によると立法時には正面から議論されていなかつたということである(能見、法学協会雑誌九三巻七号一一五一頁)。
(六) 以上の考察から明らかなように、本件につき、現実弁済強制の見地から相殺を禁止する合理的理由は全くなく、相殺禁止はかえつて当事者間の不公平を助長し、被害者保護の精神に反する結果となるので、右観点を本件に対する民法第五〇九条適用の根拠とすることはできないというべきである。
四、次に不法行為の誘発防止という点については、本件の如く同一の原因にもとづいて、すでに発生してしまつた同質的損害賠償債権相互間では、不法行為を誘発することなどおこりえず、この観点から本件に民法第五〇九条を適用する余地は全くないといえる。
五、他方一個の交通事故から双方が被害者となつたような本件の場合、損害賠償債権相互間において相殺を認めると、同一の証拠により双方の債権額と過失相殺とを同時に判断することができ別訴による場合に生じることが予想される過失割合が区々になるという矛盾を避けることができ、当事者双方にとつて迅速簡明な一回的決済が得られる利点がある。また、世間一般には、双方に過失がある同一事故に基づく物損相互間では、訴訟の手段をとることなく相殺して解決しているのが通例であつて、訴訟上も相殺を認めることの方がむしろこの世間の常識と合致する。
六、さらに民法第七二二条が不法行為において過失相殺を許しているのだから、相殺が、過失相殺の延長線上にある以上この点からも、本件の場合に民法第五〇九条の適用を排除することが肯定できる。
七、前記最高裁判決に対して、殆んどの学説は判旨に反対している(倉沢康一郎「保険契約法の現代的課題」八〇頁以下。前田達明ジユリス五九〇号六八頁。能見善久法学協会雑誌九三巻七号一一四七頁。中井美雄民商七二巻五号一三三頁。)。
支持説はわずかに井田友吉ジユリス五七〇号七六頁、倉田卓次「交通事故賠償の諸相」二六六頁をみるだけである。(1)前者はその根拠として別訴の提起による併合審理、または反訴の途をあげているが、時効直前に本訴を提起された場合、本件の如く反訴に対する時効援用を認めると、井田説は全く根拠を失い、また、一方の当事者が無資力であつた場合は、前述のとおり、たとえ反訴が認められたとしても、一方の当事者のみが不利益を蒙る結果となり、当事者間の不公平さを避けることは不可能である。(2)次に倉田説であるがその支持理由は双方が損害額を上回る責任保険に加入している場合にのみ妥当する理論であつて、被上告人が対物保険に加入しておらず、上告人の対物保険も二〇万円である本件には、妥当しない理論である。しかも、双方が責任保険に加入していた場合でも倉沢説の如く(倉沢前掲書参照)、相殺以前の段階において保険事故にそれによる被保険者の損害が発生していると解すれば、双方とも相殺以前の損害額につき保険給付をうけうるのであつて、倉田説の如く、付保されている場合にのみ相殺禁止を認めなければならないと解する必要は全くない。
八、以上述べた理由により、本件の如く双方ともに運送業を営む営利会社につき、その営業車に生じた同一事故に基づく損害賠償債権相互間に民法第五〇九条を適用する合理的理由は全くなく当事者間の公平という見地から相殺は許さるべきである。
第二点〜第四点<省略>