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最高裁判所第二小法廷 昭和53年(行ツ)69号 判決 1980年7月04日

上告人

松下電子工事株式会社

右代表者

三由清二

上告人

緒方恒雄

右両名訴訟代理人

篠原千廣

外四名

被上告人

キヤノン株式会社

右代表者

賀来龍三郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人篠原千廣、同松本博、同武田元敏、同芝崎政信、上告復代理人澤本幸一の上告理由(一)第一点及び上告代理人篠原千廣、同芝崎政信の上告理由(二)第一について

特許法二九条一項三号にいう頒布された刊行物とは、公衆に対し頒布により公開することを目的として複製された文書、図画その他これに類する情報伝達媒体であつて、頒布されたものを指すところ、ここに公衆に対し頒布により公開することを目的として複製されたものであるということができるものは、必ずしも公衆の閲覧を期待してあらかじめ公衆の要求を満たすことができるとみられる相当程度の部数が原本から複製されて広く公衆に提供されているようなものに限られるとしなければならないものではなく、右原本自体が公開されて公衆の自由な閲覧に供され、かつ、その複写物が公衆からの要求に即応して遅滞なく交付される態勢が整つているならば、公衆からの要求をまつてその都度原本から複写して交付されるものであつても差し支えないと解するのが相当である。

本件についてこれをみるに、原審が適法に確定したところによれば、所論の第一引用例(乙一号証)は、西独国実用新案登録第一八五九四九〇号明細書(以下「本件明細書」という。)の複写物として同国における著名なカメラないしフィルムメーカーであるアグファゲフェルト社、コダック社、エルンストライツ社、ローライウエルケ社等が本件特許出願前の一九六二年一〇月一五日から同年一一月一四日までの間に相次いで同国特許庁から又は私的サービス会社であるドイツ特許サービス社を介して配布を受けたもの(以下「本件複写物」という。)と体裁内容を全く同一にするものであるから、本件複写物同様本件明細書の複写物であつて、本件特許出願前同国特許庁又は右ドイツ特許サービス社の配布したものであると推認することができるものであるところ、本件明細書は、本件特許出願前の前同年一〇月四日に登録された前記実用新案の出願書類として同日以降同国特許庁において公衆の閲覧に供されていたものであり、しかも、本件明細書のような登録実用新案の出願書類原本の複写物を望む者は、誰でも同国特許庁から又は私的サービス会社、例えば、前記ドイツ特許サービス社を介して通例注文書発信後約二週間で入手することができるものであつたことも原審の確定するところである。そうすると、本件複写物ないし第一引用例は、公衆に対し頒布により公開することを目的として本件明細書から複製された文書であつて、本件特許出願前に頒布されていたものであるということができるから、特許法二九条一項三号に掲げる頒布された刊行物に該当するものであると認めて差し支えないものである。これと同趣旨の原審の認定判断は、正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解ないし原審の認定とは異なる事実に基づき原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

その余の上告理由(前記上告理由(一)第二点ないし第四点、上告理由(二)第二、上告代理人篠原千廣、同松本博、上告復代理人澤本幸一の上告理由(三))について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、また、原判決は、所論引用の当裁判所判例に反するものでもない。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(鹽野宜慶 栗本一夫 木下忠良 塚本重頼)

上告代理人篠原千廣、同松本博、同武田元敏、同芝崎政信、上告復代理人澤本幸一の上告理由(一)

第一点 原判決には判決に影響を及ぼすこと明らな特許の要件に関する特許法第二九条一項三号の解釈、適用を誤つた法令違背があり、破棄を免れない。

第一、原判決は、その事実及び理由第五争点に対する判断の一、取消事由(一)についてと題し、特許法第二九条一項三号について、その解釈を明らかにしている。即ち、

一、「特許法第二九条一項三号の刊行物とは、既に世に知られた技術には特許権を付与すべきではないという特許制度の趣旨に照らし、公衆に対する情報伝達を目的として印刷され、または写真、複写等の手段によつて複製された文書、図面、写真等をいうと解するのが、相当である。」(原判決二〇丁表頁)「……公衆に対する情報伝達の方法としては、文書等を多数印刷して、積極的に配布する方法もあるが、また需要に応じて注文された都度、文書等を写真または複写機によつて複写して交付する方法もある。」(原判決二〇丁裏頁)「……いずれの方法によつても公衆に情報が伝達されることに変りはない。」(原判決二〇丁裏頁)として、原判決のいう第一引用例は、西独国実用新案の明細書の複写物であり、右の要件を具備し、特許法第二九条一項三号の刊行物であると判示する。

二、しかしながら原判決は、特許法第二九条一項三号の刊行物の解釈を一面的にのみとらえ、同法第二九条一項一号、二号との相関的な関係においての解釈という点を見落している。特許法第二九条一項の趣旨は原判決の摘示するとおり、「既に世に知られた技術には特許権を付与すべきではない。」ということにつきる。問題となるのは、「既に世に知られた」とは如何なる場合をいうのかの点である。即ち、新規性喪失事由が特許法第二九条一項各号に列挙されていることは明らかであるから、同項三号の「頒布された刊行物」の解釈についても、一号、二号との関係において解釈されねばならない。即ち、先ず、第一に特許法第二九条一項三号にいう頒布された刊行物に記載された発明は同項一号、二号のように公然知られた発明、公然実施をされた発明というように「公然」という要件が加わらなくとも当然に新規性が喪失されるものと考えた事由は、新規性の喪失事由は右一号、二号にいう所謂公知公用の事実さえあれば認められるが、同項三号は、この公知公用であるか否かの内容にわたつて詮議するまでもなく、公知公用性ありとして、設けられた右一号の公知の具体的実例に関する規定であるからに外ならない。

換言すれば、同項一号、二号の場合は、原理原則を示したものであるが、同項三号の場合は例外的に同号の要件を具備さえしていれば、一号の場合における公知公用の如く煩瑣にして困難な認定を免がれしめたものである。このことは同項一号、二号の公知公用については、何れも「日本国内」という限定を付しているにかかわらず、同項三号については「日本国内又は外国において」となつていることからしても、公知公用についての認定が頒布された刊行物の場合はその概念が明確であり、公知と認めることが容易である事実を立法に当つて考慮していることを証明しているものである。他面からすれば、このように同項三号の場合は、同項一号、二号の場合と異なる公知公用の要件の認定が例外的に緩和され、なおかつ、公然の要件も必要がなく、かつまた外国で頒布された刊行物についても公知範囲が拡張されていることに注目しなければならない。

同項三号はこのような性格をもつた規定であることと沿革的にいつても本号の前身である旧特許法第四条一項二号は、特許出願前国内に頒布せられたる刊行物に容易に実施することを得べき程度に記載せられたるものという厳格な要件が付されていたことに鑑みると右三号にいう頒布された刊行物の解釈については制限的にしかも厳格になされるべきであり、これを原判決のように複写物までを頒布された刊行物とする拡張解釈は許さるべきものでない。なぜならば例外規定を拡張解釈することは同項一号、二号の原理原則が大幅に修正される結果に帰し、その不当なることは論をまたないからである。

従つて、頒布された刊行物という場合の「刊行物」とは、公開的の出版物を指し、出版とは発売し又は頒布するために文書図画を印刷することをいい(出版法第一条)。手で書いたもの或は炭酸紙、その他機械等で複写したものは、ここにいう刊行物と解すべきでない。また公開的のものであるから印刷物の内容を秘密にしているもの或は、私文書を多数の友人に配布するために印刷又は複写した物はここにいう刊行物というべきではない。更に「頒布」とは上記のような刊行物が不特定多数の者が見得る状態におかれることをいうものと解すべきであり、いうまでもなく、複写物は不特定多数人に頒布するために出版されたものではないから刊行物とはいえない。複写物は公知(二九条一項一号)即ち不特定多数人の知り得る状態とはなし難いからである。

因みに特許庁編工業所有権法逐条解説(昭和四六年一月一日改訂発行)でも、この理は「刊行物とは印刷によつて発行された公開的の性質を有する文書図画等をいう、手で書いたものあるいは炭酸紙等で複写したものは此処にいう刊行物でない」とあつて「印刷によつて発行された」と限定されており、例えば「印刷等によつて」というような記載はなく複写したものは此処にいう刊行物に含まないことが明記してある。そして右著書の序文には「実際的運用にあたつては解釈上疑義の生じることを避け難い。本書はそのような疑義をできるだけなくすことを目的として、直接法案作成の任にあたつた特許庁工業所有権制度調査審議室メンバーが、立法の過程における討議研究を通して得た見解をまとめたものである。解説は(中略)新工業所有権法の今後の解釈運用上、それが立法の趣旨を示すものとして重要な参考意見となるであろうことを信ずる」とあり、従つて同逐条解説は本件事件のように特許法の実際適用に当つて解釈上の疑義を生じた場合のために、立法の趣旨を示すべく書かれたものにおいても複写物は刊行物としていないのである。そして現行特許法制定当時既に、ベルギー等の一部の国において、出願明細書そのものが公開され、希望者にその複写物が渡される制度が現在の西独国と同じ形で存在した。しかし同出願明細書自体又はその複写物が「刊行物」の一般定義語にあたらないことが明白であるにかかわらず現行特許法制度にあたつて特許法にいう「刊行物」について何ら特段の規定(みなし規定等)が定められなかつた事実を考えれば特許法の刊行物は一般の辞典にも明示されている語義と同一に解すべきであり前記逐条解説をなした法案作成者もその意図であつたことが明白である。従つてこれらの点から考察しても出願明細書それ自体又は希望者にのみ複写して渡される同出願明細書の複写物等を特許法の「刊行物」と解することはできない。

しかるに原判決は「刊行物とは公衆に対する情報伝達を目的として印刷され、また写真・複写等の手段によつて複製された文書・図画・写真等をいうと解すのが相当である(原判決二〇丁表頁)とし、公衆に対する情報伝達の方法としては、文書等を多数印刷して積極的に配布する方法もあるが、また需要に応じて注文された都度、文書等を写真または複写機によつて複写して交付する方法もある。このどちらを採るかは、専らコストや要求される周知性の程度によるものであつて、いずれの方法によつても公衆に情報が伝達されることに変わりはない。してみれば需要に応じて注文の都度複写されて交付される文書等の複写物も同号の刊行物にあたるといつてよい。」(原判決二〇丁裏頁)との前提で「西独国実用新案の出願書類は実用新案が登録された日から誰でも西独国特許庁において閲覧することができること。この実用新案の出願書類の複写物を望む者は誰でも西独国特許庁からまたは、私的サービス会社、例えばドイツ特許サービス社を介して通例、注文書発信後およそ二週間で入手できることが認められる。そして西独国実用新案登録第一、八五九、四九〇号は本件特許の出願前である一九六二年一〇月四日に実用新案登録され、その日以後西独国において出願書類が公衆の閲覧に供された(原判決二一丁表頁)。そして一九六二年一〇月一五日から同年一一月一四日までの間に西独国におけるアグファゲフェルト社、外三社等が相次いで前記実用新案の明細書の複写物の配布を受けていることが認められる。してみればこれらの会社が入手した複写物が、特許法第二九条一項三号の刊行物であることは明らかである(原判決二一丁裏頁)と認定しているが、頒布された刊行物は不特定の多数人に頒布するために出版されたものでなければならないものであることを見逃し、特定の個人の要求で複写され同個人にのみ複写して渡される複写物にまで拡大解釈をしたものであり、特許法第二九条一項三号の解釈適用を誤つた法令違背がある。

第二、審判甲第一号証が西独国備付の原本である場合は、それが刊行物でないことは自ら明白である。被上告人は、原審でその複写物を刊行物である旨主張するが、特許庁に提出された審判第一号証複写物は、何時、何人によつて本件特許出願前に刊行されたものであるか明らかでないのにかかわらず、原判決は、これを審理することもなく、漫然と第一引用例は西独国における著名なカメラないしフィルムメーカーが本件特許出願前に交付を受けた複写物と全く同一であるとのみ認定している。即ち、特許庁に提出された審判甲第一号証複写物は、被上告人が特許庁に提出することを目的として複写したものであつて、公開を目的として複写したものではないから、刊行物としての要件を欠除していることは明白である。更に、西独実用新案明細書が、西独国の著名なカメラないしフィルムメーカーなど第三者によつて複写された事実があつても、その事実から特許庁に提出された審判甲第一号証を特許法のいう刊行物とすることはできない。

要するに原判決は西独実用新案明細書の抽象的な公開事実にまどわされて公開公知と刊行物公知とを混同し、特許法第二九条三号の解釈適用を誤つた法令違背がある。<以下、省略>

上告代理人篠原千廣、同芝崎政信の上告理由(二)

本論

第一、特許法第二九条一項三号(刊行物)の解釈・適用を誤つた違法

〔論旨第一点〕 原判決は特許法第二九条一項の一号と三号の解釈を混同・誤認している。

〔論旨第二点〕 官公庁備付の文書の複写物は謄本であつて刊行物ではない。判決の刊行物に対する考え方は、一般社会通念と相反している。

〔論旨第三点〕 証拠として採用した乙第一号証の原本を具体的に明らかにしていない。頒布された日が明確でない。

〔論旨第四点〕 公開された西独実用新案明細書を特許法にいう刊行物とするか否かについては多くの意見があり、裁判所の判断はこの判決が始めてである。従つて、この際、最高裁判所の判断を仰いでこれを明確にしたい。

第二、特許法第二九条二項(発明の容易性)の解釈・適用を誤つた違法

特許法第二九条二項は、特許出願前にその発明の属する技術分野における通常の知識を有する者が前項各号(公然知られた発明・公然実施された発明及び頒布された刊行物に記載された発明)に掲げる発明に基いて容易に発明することができたときは、その発明については同項の規定にかかわらず特許を受けることができない、ことを規定している。

発明の特許要件は、新規性と進歩性を二本の柱としており、この特許法第二九条二項の規定は、同条第一項の要件をみたしている発明、即ち、産業上利用することのできる新規な発明であつても、当業者が従来技術から容易に発明できるものは、いわゆる進歩性のない発明として特許を受けることができないことを規定したものである。発明に進歩性があるか否かは、従来の同種の発明と比較して作用効果において格別の相違があるか否かによつて定められるべきであることは、数多くの判例・学説によつて既に権威化されている定説であること、ここに多くいうを要しない。

原判決は本件発明の顕著な作用効果を無視して、これを従来技術から容易に発明することができるもの、即ち、進歩性のない発明と誤認している。原判決は本件発明の作用効果を否定した理由を判決書二二丁(二、取消事由(二)について)以降において述べているが、その考え方には基本的な誤りがある。

以下、これを具体的に指摘して原判決の取消を求める理由とする。<以下、省略>

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