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最高裁判所第二小法廷 昭和54年(あ)1253号 決定 1980年9月11日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人武田庄吉の上告趣意は、単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

なお、競走能力をたかめるため馬に覚せい剤を注射する行為が覚せい剤取締法一九条にいう「使用」にあたるとした原審の判断は、相当である。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(栗本一夫 木下忠良 塚本重頼 鹽野宜慶 宮崎梧一)

弁護人武田庄吉の上告趣意

第一点 原判決には法令適用の誤りがあり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、到底破棄を免れないものと思料する。即ち原判決は

(一) 「覚せい剤取締法一九条、四一条の二第一項第三号の覚せい剤の「使用」とは、覚せい剤をその用法にしたがつて用いる一切の行為を指称し、人体に対する施用のみならず本件の場合のような獣畜に対する施用とか他の薬品を製造するためや研究のための使用などをも含むと解するを相当とする。」と判示している。

(二) しかし覚せい剤取締法の立法趣旨はあくまで法第一条に「この法律は覚せい剤の濫用による保健衛生上の危害を防止するため……目的とする。」とあるようにその目的が「保健衛生上の危害防止即ち公衆の健康が害されることを防止することにあるから、法一九条にいう使用の対象は「人体に対する施用」に限定すべきであり、人体以外の動、植物に施用した場合にまで及ばないと解すべきである。」

原審は「なるほど同法の窮極的なねらいが覚せい剤の人体に対する保健衛生上の危害の防止にあたることは、所論指摘のとおりではあろうか。人体に対する施用以外の覚せい剤の使用を放任するにおいては、たとえ、覚せい剤の所持や譲受に対する取締を厳にしても、覚せい剤のまん延を喰い止めることができなくなり、ついには同法一条の立法趣旨、すなわち人体に対する保健衛生上の危害の防止に完全を期しえなくなるおそれがあると考えられ、更に、覚せい剤の害毒の重大性にかんがみるとき、同法に覚せい剤の適正な使用を除くその余の一切の使用を禁止しているとみるべく、このことは、たとえば同法一九条三号、四号、三〇条の一一第一号から三号までの諸規定があることに照しても疑いをさしはさむ余地はない。」と判示しているが、原審のように法律を拡張解釈することはまことに危険である。特に本法はいわゆる取締規定、禁止規定であるから、罪刑法定主義の原則に則りできうる限り厳格に苟しくも憲法の保障する人権の侵害がないように解釈すべきであろう。

(三) 原審のように拡張解釈をしなくても、原審の危ぐしている諸点については本法で十分な取締りができる。即ち、若し被告人が本件のように競走馬に注射する目的で覚せい剤を買受けてこれを所持していたとせば、譲受又は所持罪で処罰でき、現に本件においては譲受け行為が処罰されている以上本件の如き使用罪まで重ねて処罰する必要が何等存しないというべきである。

本件はたまたま競走馬に覚せい剤を注射したので、世間の注目を惹き問題になつたが、若し被告人の行為が人体に無関係な犬とか猫に注射した場合、或いは牛とか豚に注射した場合まで「使用罪」で処罰できるか、又はその処罰の必要性があるかを考えると競走馬に注射した場合のみ重視するのは妥当でない。(勿論これらの場合「使用」で処罰しなくても譲受け又は所持で処罰できるのは当然である。)

判例によると、覚せい剤を隠匿する目的でのみ込んだ事案につき、「覚せい剤をのみ込み体内に摂取した以上その主観的意図がこれを隠匿することにあつても使用にあたらないとはいえない。しかしあらかじめ化学変化を起こさせ、あるいは厳重な包装をするなど人体との親和性を完全に排除し、体内に吸収されることがないよう特段の措置をとり、薬物としての効用を減却させているような場合は格別である。(東京高裁、昭和五三年九月一二日判決、判例時報九一四号一二四頁)」と判示し、人体に影響があるか否かを使用罪の成立の基準としているようである。

(四) 競馬法第三一条二号は、「出走すべき馬につき、その馬の競走能力を一時的にたかめ、又は減ずる薬品、又は薬剤を使用した者」に対して罰則を設けている。本件の場合右競馬法の罰則に抵触するのは止むをえないし、右罰則によつて処分すべきであり、人体に対する影響を防止することを目的として立法された覚せい剤取締法を拡張解釈してまで処罰の必要はないものと思料する。

この意味において原審判決には、法令適用の誤りがあるので破棄を免れないものと思料する。

第二点 量刑不当について<省略>

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