大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和54年(オ)413号 判決 1979年11月30日

上告人

上野脩

外七名

右八名訴訟代理人

小原栄

被上告人

川口修三

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人小原栄の上告理由について

所論の点に関する原審の事実認定は、その挙示の証拠関係に照らして是認することができ、右事実関係のもとにおいては、上告人らに不法行為責任があるとした原審の判断は正当として是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の適法にした事実の認定又はこれに基づく正当な判断を非難するに帰し、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(鹽野宜慶 大塚喜一郎 栗本一夫 木下忠良 塚本重頼)

上告代理人小原栄の上告理由

原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反がある。

一、機関の行為が法人の目的の範囲内に於て法人の行為となることは民法第四三条に又理事其他代理人が職務を行うにつき、他人に加えた損害を法人が賠償する責任のあることは同法第四四条に規定されている。

法人の債務不履行も不法行為も機関個人の行為を通さねば成立しないことは明かであるが、法人の債務不履行や不法行為が当然に直に機関個人の責任となるということは、合名会社や、合資会社の無限責任社員の規定(商法第八〇条、第一四七条)を除く外に法的根拠もなく、又判例の解釈上も認められていない機関個人が第三者に加えた損害については別に民法第七〇九条の不法行為成立要件が充足されるか否かによつて不法行為責任を問題とするのが判例である。(明治三九年(オ)第三〇二号同年一〇月三日大審民事二部判決大審民録一二輯一一六七頁)(大審昭和七年五月二七日五判昭和七年(オ)第一三六号民集一一巻一〇六九頁)

機関の行為が機関なるが故に法人の行為につき、当然に責任を負うものであるならば、商法第二六六条三の如き取締役の第三者に対する特別責任の規定を設ける必要がない。これは機関個人の当然責任を否定する根拠とも云えるのである。

法人に債務不履行があり、解除があり、不法占有即ち不法行為が成立する時当然に一律に理事全員に民法第七〇九条の責任があると判例上確定している事実はない。固より理事個人の具体的故意又は過失によつて他人の権利を侵害したとして同時に不法行為が成立する場合のあることは当然であろう。

然し不法行為の成立要件たる事実は債権者に於て立証の責任がある。これは一般の原則といえる。

本件に於て原判決の是認した第一審判決の認定したところに依れば、「善隣会は……明渡義務不履行により……使用収益を妨げたことになるから特別の事情がない限り右不履行は不法行為に該当する。……被告らが善隣会の理事としての残務を行うため、共同使用したことがあつても……独立の共同占有とみる余地はないから、このことを以て被告らに不法行為責任を問うことはできないが、……善隣会の明渡義務不履行は、特別の事情がない限り、被告らの不作為が表現されたものに外ならないとみられ、且つ法人の不法行為について、これに関与した機関個人を免責すべき法上の根拠はないから、被告らは特別の事情がない限り、善隣会の明渡義務不履行の不作為につき、共同の不法行為責任を負うものというべきである」とする。

この判示は理事個人は法人の不法行為につき直接第三者に対し不作為の表現があつたものとして当然一律に、共同の不法行為責任があると認定している。即ち原告の被告ら各自に対する夫々の具体的不法行為事実の主張も立証もないまゝ、無差別一律に当然責任を認定している。

理事の免責がある為には、特別事情が存在せねばならないとして、免責事項につき被告らに立証責任を負わせている。然し理事の責任を問う為には、民法第七〇九条の一般原則に依るとする大審院判例の趣旨よりすれば、不法行為の立証責任は不法行為を主張する側にあらねばならない。

商法第二六六条の三の取締役の第三者に対する特別責任の場合にも主張の側に立証責任があるものとされていると解せられる。立法論として法人の行為につき機関個人が常に当然に責任を負うべきものとすることの是非は別として法の明文はない。又一律当然責任を認めるとする解釈が判例上確立されてはいない。

二、本件上告人らの行為について、不法行為があつたとは認められない。

「清水茂男」の証言に依れば、

「明渡がすぐ出来なかつたのは、前々から長く患つている患者や貧困者が多く、すぐに移せなかつた」とあり、

笹原勝太郎の証言に依れば、

「貧しく、生活保護をうける人が多勢入院していて立退かせることは人道上できなかつた」

「病人を他の場所に収容して明渡す方針を立てたことがある。隣に新しい病院が建築中で昭和四五年一二月頃設備不十分乍ら雨露が凌げるので、九人位収容したが、それ以上は収容できなかつた。旧建物に十五、六人患者がいた、」とあり、

上野脩の証言に依れば、

「善隣会は社会福祉法人の認可があり、生活保護をうける患者が入院していて、その中でも行き倒れの人が多く、引取先を探したがどこの病院も引取つてもらえず、又これら患者は長期入院が必要だつたこともあつて、余計に明渡が不可能であつた。患者は年輩者が多く、脳溢血の後遺症とか、肝臓病が多く治療も永びいた。自分が善隣会にいる間に全員他の施設に引取つてもらつた」と証言している。

高井正蔵の証言に依れば、医者の立場から善隣会病院の患者の転退院の困難さを更に明かにしている。

病院の建築及一部の患者収容も明渡への努力の表われであり、不幸にして資金難より未完成で行詰まりを生じたことは遺憾であつたが、患者がいる以上従業員が必要であり従業員の給料の支払も不可能で、他からの借入れを続けざるを得なかつた。

原判決に依れば、

「入院患者を転退院させ、さらには右建物での病院の業務を廃止する為の努力を始めるべきであつた。努力していれば本件占有期間前に転退院を完了して明渡が可能であつたと見られる云々」と判示し、「それをしなかつた不作為が不法行為を構成する」というにあるのであるが、先ず引取先のない重症患者を転退院させること自体、いうべきくして不可能なことであつた。転退院が不可能であれば、治療業務を廃止することは人道上できない。医師、理事、従業員が患者を置去りにもできない。路傍に野宿させることもできない。「努力していれば、転退院がさせ得た筈である」というのも理詰めの論理であつて、現に努力しても果し得なかつたことが各証言で明かであり努力をしなかつた不作為なるものはなかつたことも明かである。全理事が無報酬で努力をしたが果せなかつたのである。安易な推測は事実の実態を把握しないまゝ形式に流れ根拠のある判断とはなり得ないのである。

偶々本件病院の理事土屋栄子の夫、土屋明(医師)が本件病院を買収したので患者の処理ができたのであつて、そのことがなかつたならば、何人を以てしても、重病患者を戸外に放置するが如き非人道的行為を敢てするのでなければ、病院を明けることは不可能であつたのである。

上告人らの行為につき、社会的妥当性を欠くこともなく、公序良俗に反する行為もなかつた。

かような場合、努力しつゝ明渡のできなかつた理事の行為については、実質的に違法性が欠如するものというべく、不法行為の成立はないものといわねばならない。只理事なるが故に又明渡しさせ得なかつた結果のみに拘泥し、被上告人の立証もなくして当然に不作為に依る不法行為と認定することは法令の解釈を誤つた違法の判決として破棄せられるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例