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最高裁判所第二小法廷 昭和55年(あ)874号 判決 1981年6月15日

主文

原判決を破棄する。

本件を広島高等裁判所に差し戻す。

理由

検察官の上告趣意について

一本件各公訴事実(被告人矢田ジユリについては訴因変更後のもの)の要旨は、被告人矢田ジユリは、昭和五一年一二月五日施行の衆議院議員総選挙に際し、島根県選挙区から立候補した中林よし子に投票を得させる目的で、同月三日頃、同選挙区の選挙人方五戸を戸々に訪問して同候補者のため投票を依頼し、被告人植田広子は、右選挙に際し、同様の目的で、同月一日頃から四日頃までの間、同選挙区の選挙人方七戸を戸々に訪問して同候補者のため投票を依頼し、もつていずれも戸別訪問をした、というのである。

原判決は、被告人両名が戸別訪問をした事実を認めることができるとしながら、戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的で必要やむをえない限度の規制であると考えることはできないから、これを一律に禁止した公職選挙法一三八条一項の規定は憲法二一条に違反するとし、同じ結論をとり被告人両名を無罪としていた第一審判決を維持し、検察官の控訴を棄却した。

検察官の上告趣意は、原判決の判断につき、憲法二一条の解釈の誤りと判例違反を主張するものである。

二公職選挙法一三八条一項の規定が憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四三年(あ)第二二六五号同四四年四月二三日大法廷判決・刑集二三巻四号二三五頁、なお、最高裁昭和二四年(れ)第二五九一号同二五年九月二七日大法廷判決・刑集四巻九号一七九九頁参照)とするところである。

戸別訪問の禁止は、意見表明そのものの制約を目的とするものではなく、意見表明の手段方法のもたらす弊害、すなわち、戸別訪問が買収、利害誘導等の温床になり易く、選挙人の生活の平穏を害するほか、これが放任されれば、候補者側も訪問回数等を競う煩に耐えられなくなるうえに多額の出費を余儀なくされ、投票も情実に支配され易くなるなどの弊害を防止し、もつて選挙の自由と公正を確保することを目的としているところ(最高裁昭和四二年(あ)第一四六四号同四二年一一月二一日第三小法廷判決・刑集二一巻九号一二四五頁、同四三年(あ)第五六号同四三年一一月一日第二小法廷判決・刑集二二巻一二号一三一九頁参照)、右の目的は正当であり、それらの弊害を総体としてみるときには、戸別訪問を一律に禁止することと禁止目的との間に合理的な関連性があるということができる。そして、戸別訪問の禁止によつて失われる利益は、それにより戸別訪問という手段方法による意見表明の自由が制約されることではあるが、それは、もとより戸別訪問以外の手段方法による意見表明の自由を制約するものではなく、単に手段方法の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約にすぎない反面、禁止により得られる利益は、戸別訪問という手段方法のもたらす弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保であるから、得られる利益は失われる利益に比してはるかに大きいということができる。以上によれば、戸別訪問を一律に禁止している公職選挙法一三八条一項の規定は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法二一条に違反するものではない。したがつて、戸別訪問を一律に禁止するかどうかは、専ら選挙の自由と公正を確保する見地からする立法政策の問題であつて、国会がその裁量の範囲内で決定した政策は尊重されなければならないのである。

このように解することは、意見表明の手段方法を制限する立法について憲法二一条との適合性に関する判断を示したその後の判例(最高裁昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁)の趣旨にそうところであり、前記昭和四四年四月二三日の大法廷判例は今日においてもなお維持されるべきである。

三そうすると、原判決は、憲法二一条の解釈を誤るとともに当裁判所の判例と相反する判断をしたものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法四一〇条一項本文により原判決を破棄し、同法四一三条本文にしたがい本件を原審である広島高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(宮﨑梧一 栗本一夫 木下忠良 鹽野宜慶)

検察官の上告趣意

第一 序説<省略>

第二 上告理由

原判決には、以下に述べるとおり、憲法二一条一項の解釈に誤りがあり、かつ、最高裁判所の判例と相反する判断をしたもので、これらが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決及びこれによつて支持された第一審判決は破棄されるべきであると思料する。

第一点 憲法解釈の誤り

原判決は、「戸別訪問を一律に禁止した公職選挙法一三八条一項の規定は憲法二一条に違反する」というが、これは憲法二一条一項の解釈を誤つたものである。以下その理由を詳述する。

一 公職選挙に際しての表現の自由に対する制約原理

原判決も指摘するとおり、戸別訪問の禁止を合憲とする昭和二五年九月二七日大法廷判決(刑集四巻九号一七九九頁)は、「憲法二一条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することはこれを容認するものと考うべきであるから、選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として、言論自由の制限をもたらすことがあるとしてもこれらの禁止規定を憲法に違反するものということはできない。」と判示する。

ここで用いられている「公共の福祉」という概念がやや抽象的に過ぎるためか、原判決のいうような、右判決を先例とする一連の戸別訪問禁止を合憲とする最高裁判所判決が具体的説示を欠く旨の批判の生ずる余地もあるように思われる。そこで、まず、公職の選挙に際しての表現の自由に対する制約原理は何かについて考察することとする。これによつて、戸別訪問禁止規定の合憲性を判断する基本的原理がおのずから明らかになるからである。

およそ憲法の保障する基本的人権は絶対無制限なものではあり得ず、他の憲法上の法益と衝突する場合があることは当然であり、そこに何らかの調整原理が働かなければならない。それは、抽象的には「公共の福祉」であるが、個々の基本権に則し、また、その適用の場に則して、これを若干敷えんすることは可能である。

そこで、表現の自由あるいは労働基本権等に対する制約原理として、近時の最高裁判所判例がどのように判示しているかを見てみると、一貫した見解をとつていることが明らかになる。すなわち、非現業国家公務員の争議行為に関する昭和四八年四月二五日大法廷判決(刑集二七巻四号五四七頁。いわゆる、「東京全農林事件判決」)は、「勤労者を含めた国民全体の共同利益」の保障が国家公務員の労働基本権に対する本質的な制約原理であることを明らかにしており、また、原判決が具体的説示のある例として引用している国家公務員の政治的行為に関する昭和四九年一一月六日大法廷判決(刑集二八巻九号三九三頁。いわゆる「猿払事件判決」)は、「公務員を含む国民全体の共同利益」の擁護が公務員の政治的行動に対する制約原理であるとしているが、この判決は、表現の自由に対する制約という側面を有するので、本件に最も適切であるといえる。更に非現業地方公務員の争議行為に関する昭和五一年五月二一日大法廷判決(刑集三〇巻五号一一七八頁。いわゆる「岩手県教組事件判決」)は、「地方公務員を含む地方住民全体ないしは国民全体の共同利益」との調和が地方公務員の労働基本権に対する制約原理であるとし、また、公共企業体職員の争議行為に関する昭和五二年五月四日大法廷判決(刑集三一巻三号一八二頁。いわゆる「名古屋中郵事件判決」)は、前記東京全農林事件判決及び岩手県教組事件をも総括して、「全勤労者を含めた国民全体の共同利益」の保障が公務員及び三公社の職員の労働基本権に対する制約原理であるとしているのである。

以上のような近時の最高裁判所判例における判例理論及びその表現に従うならば、本件のような公職選挙に際しての表現の自由に対する制約原理は、「選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益」を保障しそれとの調和を図ることにあるということになろう。そして、このことは、後記の戸別訪問禁止を合憲とする一連の最高裁判所判決を通じて、当然の前提とされているものと考える。

二 戸別訪問禁止規定の合憲性の吟味検討

1 合憲性判断の基準と方式

前記猿払事件判決は、国家公務員に対する政治的行為禁止の合憲性判断のあり方につき、公務員を含む国民全体の共同利益を擁護する見地からみて、「公務員の政治的中立性を損うおそれのある公務員の政治的行為を禁止することは、それが合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところである」との合憲性判断の基準を定立したうえ、「国公法一〇二条一項及び規則による公務員に対する政治的行為の禁止が右の合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか否かを判断するにあたつては、禁止の目的、この目的と禁止される政治的行為との関連性、政治的行為を禁止することにより得られる利益と禁止することにより失われる利益との均衡の三点から検討することが必要である。」と判示した。

この判決は公務員の政治的行為に関するものであるが、その禁止が言論の自由を保障する憲法二一条に違反するか否かの判断をしたものであり、かつ、合憲性判断のあり方につき一般的に妥当する基準と方式を明示したものであるから、本件についても同様の基準と方式で合憲性の吟味検討を行うのが相当である。すなわち、本件においては、戸別訪問禁止が選挙関係者(候補者、選挙運動者、選挙人等)を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護するうえで、合理的で必要やむをえない限度にとどまるものである限り、憲法の許容するところというべきである。そして、戸別訪問禁止が右の合理的で必要やむをえない限度にとどまるものか否かは、禁止の目的、その目的と規制手段との合理的関連性、戸別訪問禁止によつて得られる利益と失われる利益との均衡の三点から検討する必要がある。

2 禁止の目的

公職選挙法一条は、「この法律は、日本国憲法の精神に則り、……選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」と規定している。すなわち、民主政治の健全な発達を期するには、「選挙の自由」と「選挙の公正」とが確保されなければならないのである。そして、選挙人の正しい選択に資するための判断資料を豊富に提供するという意味では、選挙運動の自由もまた選挙の自由の一部に含まれるのであるが、他方、これを無制限に放置するときは、かえつて、選挙、特に投票の自由と選挙の公正を害することになるので、公職選挙法は、選挙運動に対し種々の制限を設けているのであり、戸別訪問の禁止もまたその一つにほかならない。

戸別訪問には、その利用のされ方いかんによつて、原判決のいうような「簡易かつ特段の経費を要さない」という利点のあることは否定し得ないが、現実にはそのような利点の多くを期待できないばかりでなく、種々の弊害をもたらすことが明らかであり、公職選挙法一三八条一項は、この弊害の発生を防止するためやむを得ずとられた立法措置である。このことは、原判決も引用する昭和四三年一一月一日第二小法廷判決(刑集二二巻一二号一三一九頁)が、「公職選挙法が戸別訪問を禁止する所以のものは、およそ次のとおりであると考えられる。すなわち、一方において、選挙人の居宅その他一般公衆の目のとどかない場所で選挙人と直接対面して行なわれる投票依頼の行為は、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、他方、選挙人にとつても居宅や勤務先に頻繁に訪問を受けることは、家事その他業務の妨害となり、私生活の平穏も害せられることになるのであり、それのみならず、戸別訪問が放任されれば、候補者側が訪問回数を競うことになつて、その煩に耐えられなくなるからである。」と適切に指摘するとおりである。

公職選挙法一三八条一項は、このような戸別訪問の放任がもたらす弊害の発生を防止し、選挙の自由と公正を確保しようとするもので、まさしく憲法の要請にこたえ、選挙関係者を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護するための措置にほかならないのであつて、その目的は正当なものというべきである。

3 禁止目的と規制手段との合理的関連性

右のような弊害の発生を防止するため、その弊害を招来するおそれが大きく、選挙の自由と公正を損うおそれがあると認められる戸別訪問を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があると認められるのであつて、たとえその禁止が時間、態様等のいかんを問わず一律になされたとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。

しかるに、原判決は、戸別訪問禁止の合理的理由について逐一反論を加えている。原判決の考察方法には、戸別訪問の放任がもたらす弊害を個々的に分断して検討し、事項ごとに合理的関連性を否定している点で、方法論それ自体に大きな誤りがあるが、加えて、個々の弊害に対する見解にも承服し難いものがあるので、その点について反論する。

(一) 原判決は、「戸別訪問を禁止しなかつた場合、一般公衆の目の届かない場所で、選挙人と直接対面して行われる投票依頼等の行為が、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、その機会を多からしめるという弊害を生じるとの点につき考える。」として、具体的な選挙における戸別訪問事案と買収事案との関連等を検討したうえ、「戸別訪問を禁止しなかつた場合、不正行為の温床となり易く、その機会を多からしめるという弊害を生じる蓋然性が高いということはできず、右弊害を生じるおそれは極めて抽象的な可能性にとどまるというほかはないから、右弊害の防止と戸別訪問の禁止との間には関連性が全くないわけではないとしても、これが合理的な関連性を有すると考えることはできない。」という。

しかしながら、過去において選挙のたびごとに多数の買収事犯が検挙され、その大部分が選挙人の居宅等一般公衆の目の届かない場所で行われていることは、裁判所に顕著な事実である。なるほど、原判決のいうように、現実の検挙事例においては買収の意思が事前にある場合が多いことは事実であるが、それが戸別訪問が買収等の不正行為の温床となりやすいことを否定する論拠になるとは思われない。戸別訪問が禁止されている法制下において多数の有権者を買収しようとすれば、まず人目をはばかりつつ戸別訪問をしなければならないのに対し、戸別訪問を放任すれば、公然と選挙人の居宅等を訪問し、選挙人と直接対面して投票依頼することが許されるのであるから、買収が容易になることは、見やすい道理である。また、各選挙運動者が訪問回数を競うようなことになれば、他より効果を挙げようとして従来以上に金品供与や利害誘導に結びつきやすいことも容易に推測される。前記のような過去の選挙における買収事犯の実情は、戸別訪問を放任した場合に右のような弊害が発生する蓋然性が高いことを示すものである。

(二) 原判決は、「戸別訪問が被訪問者の生活の平穏を害するか否かを検討する。」として、「たしかに時と方法を選ばずに行われる戸別訪問が被訪問者の生活の平穏を害し、その迷惑となる場合があることは明らかであ」ると認めながら、「被訪問者の生活の平穏を害するような戸別訪問は、時間的な制限を置いたり、集団的な訪問を禁ずることなどによつて容易にその弊害を除くことができることに照らしても、右の目的は戸別訪問を一律に禁止する理由とはなり得ず、戸別訪問を全面的に禁止することは、被訪問者の生活の平穏を守るための手段としては行きすぎていることが明らかである。」と判示する。

しかしながら、原判決は、我が国における選挙運動の現実を看過し、被訪問者側の迷惑を軽視し過ぎるものである。戸別訪問が解禁になればいかなる事態を生ずるかは、昭和二五年四月に公職選挙法が制定された際の戸別訪問解禁の試みが失敗したことを見れば明らかである。この点について、原判決は、「平素親交の間柄にある知己その他密接な関係にある者」の範囲が不明確であつたため、取締り側や候補者側に混乱を生じたにすぎないようにいうが、このような例外規定にしや口して激しい戸別訪問が行われた場合、被訪問者側の迷惑は当然著しいものがあつたはずである。部分的解禁ですらこのようになるのであるから、全面的解禁によつて生ずる被訪問者側の迷惑は測り知れないものがある。

なるほど、原判決のいうような、時間的な制限を設けたり、集団的な訪問を禁ずるなどの方法による戸別訪問自由化の意見があることも事実であるが、それは、より妥当な立法政策を目指して解決策を模索する中での一試論にすぎないばかりでなく、脱法行為や被訪問者側の迷惑を確実に防止し得るような制限を設けることは立法技術的にも不可能に近いと思われる。原判決は、そのような制限が容易に可能であることを前提に、戸別訪問の禁止が行き過ぎであるとするもので、その失当であることは明らかである。

(三) 原判決は、戸別訪問放任による弊害として挙げられる「議員の品位を傷つける、公事を私事化する、候補者にとつて煩に耐えない、当選議員にとつて不利益である、などの点」は、表現の自由を制約すべき根拠となり得ず、「個人的感情によつて投票が左右される弊害があるとの点」については、「もともと人間は感情の動物であつてその選挙権の行使に際し感情的要素を全く払拭することは不可能であり、国家がこれに干渉するにはおのずから限度がある」として、その弊害防止のために表現の自由を制約することはできないとする。また、「戸別訪問を放任した場合、立候補者が多数の運動員を動員するため多額の経費を要する結果、財力により候補者間の較差を生じ、選挙の公正を害するおそれがあるとの点」については、選挙運動に関する収入及び支出並びに寄付は法律で規制されているので、「候補者にとつて戸別訪問に経費がかかるとしても選挙の公正を守ることができると解される」とし、いずれの点についても、その弊害の防止と戸別訪問の禁止との間の合理的関連性を否定している。

しかしながら、ここに挙げられている弊害は、候補者の立場からあるいは選挙の一般的な公正さという立場から指摘されているもので、他の弊害と表裏をなしあるいは他の弊害の一側面をなすという関係にあり、要するに、「戸別訪問が放任されれば、候補者側が訪問回数を競うことになつて、その煩に耐えられなくなる」(前掲昭和四三年一一月一日第二小法廷判決)ということであつて、個別的な検討には適さない。そして、その煩に耐えられなくなるのは、候補者、選挙運動者、選挙人等すべての選挙関係者なのであつて、その実害をこそ洞察すべきである。原判決は、これらの弊害の防止策として公職選挙法における選挙運動に関する収支等の制限だけを挙げているが、現実の選挙において右の制限を遵守させることが至難であることは争うべくもない事実であり、この制限があるから戸別訪問を解禁しても選挙の公正は守れるなどというのは、現実離れをした議論であるというほかはない。

以上検討したとおり、原判決が禁止目的と規制手段との合理的関連性を否定した論拠はすべて誤りであり、戸別訪問を放任した場合に戸別訪問禁止の立法目的で考慮されたような弊害が発生する蓋然性は極めて高く、その防止と戸別訪問の禁止との間には合理的関連性があることは明らかである。

4 利益の均衡

原判決は、「戸別訪問の禁止が表現内容自体の規制ではなく、表現の手段方法たる行動の制限であることは疑いない。しかしながら、そのことの故にその禁止について単に合理的な理由があればこれを制約しうるとの意見には左袒することができない。なぜならば、表現の自由の制約は歴史的にみてその表現内容そのものに対する規制よりも、その手段方法の規制によることが多く、表現の手段方法を欠く表現の自由は無意味であつて、手段方法の規制であるが故に単なる合理的な理由のみによつてその制約が可能であると解するとすれば、表現の自由を保障した憲法の趣旨を没却する結果をもたらすであろう。」と判示し、表現内容自体の規制と表現の手段方法たる行動の制限とで合憲性の判断基準を区別する考え方を否定している。

しかしながら、表現の自由の保障の受ける制限の程度が、表現自体の規制か表現の手段方法たる行動の制限かによつて大きく異なることは当然であり、右の見解は基本的に誤つている。また、「表現の手段方法を欠く表現の自由は無意味」であることには何人も異論はないが、それは代替手段のない場合のことであつて、戸別訪問の禁止に対する批判とはなり得ない。

現に、前記猿払事件判決は、「公務員の政治的中立性を損うおそれのある行動類型に属する政治的行為を、これに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしてではなく、その行動のもたらす弊害の防止をねらいとして禁止するときは、同時にそれにより意見表明の自由が制約されることにはなるが、それは、単に行動の禁止に伴う限度での間接的、付随的な制約に過ぎず、かつ、国公法一〇二条一項及び規則の定める行動類型以外の行為により意見を表明する自由までをも制約するものではない〔い〕」と判示したうえ、「その行為の禁止は、もとよりそれに内包される意見表明そのものの制約をねらいとしたものではなく、行動のもたらす弊害の防止をねらいとしたものであつて、国民全体の共同利益を擁護するためのものであるから、その禁止により得られる利益とこれにより失われる利益との間に均衡を失するところがあるものとは認められない。したがつて、国公法〔等の国家公務員に対する政治的行為制限に関する諸規定〕は、合理的で必要やむをえない限度を超えるものとは認められず、憲法二一条に違反するものということはできない。」と断じている。これは、まさに意見表明そのものと意見表明の手段方法としての行動とを明確に区別する考え方を打ち出したものである。そして、このような考え方を支える論拠は、徳島市公安条例の合憲性を肯定した昭和五〇年九月一〇日大法廷判決(刑集二九巻八号四八九頁)の中の岸裁判官及び団藤裁判官の各補足意見において詳述されているところである。

戸別訪問禁止によつて得られる利益と失われる利益との均衡を考慮するに当たつては、基本的に叙上のような見解に従うのが相当であり、戸別訪問禁止の合憲性を肯定する理由の一つとして、「言論の内容自身を規制すれば、表現の手段方法のすべてが禁圧されるのに比し、表現の特定の手段方法で害悪の発生が危惧されるものだけを規制した場合は、言論の内容自身を伝える他の手段方法が禁圧されず自由になしうる状態におかれているのである。表現の特定の手段方法を禁止するにとどまるような規制は、言論の内容自体の規制を正当化するための害悪より、はるかに小さい程度の害悪しか存在しないとしても正当化される」と述べた昭和五三年五月三〇日東京高等裁判所判決(判例時報九一五号一二四頁)の判断こそ正当であると考える。

そこで、戸別訪問禁止の代替手段が問題になるが、現行選挙制度のもとでは、個々面接、電話による依頼、法定の葉書、ポスター等の文書による方法、テレビ、ラジオでの政見放送による方法、立会演説会、個人演説会、街頭演説会等々、種々の方法により、選挙人に対して、特定候補者の政見を明らかにするとともに、その者への投票を依頼し、あるいはその者の知名度を高める働きかけをすることが許されており、これらは、あるいは戸別訪問に比しより効果的な手段として、あるいは同等の手段として、戸別訪問禁止に十分に代替し得るものである。

原判決は、この点について、「多数の国民が行いうる方法の中では簡易かつ特段の経費を要さないものであるから、容易に他の方法により代替されうるものとは思われない。」というが、これは、我が国における選挙の現実を無視した議論である。多くの公職選挙においては、選挙区が広大で選挙人も多数であるため、当選には大量の票を獲得しなければならず、このため、選挙運動は、長期間にわたつて多数の選挙運動員を動員あるいは雇用し、組織的かつ計画的に行われるのである。このような現実下で戸別訪問が解禁されれば、大量動員に輪をかけた人海戦術になりかねず、とうてい「簡易かつ特段の経費を要さないもの」にとどまるはずはない。

また、原判決は、「戸別訪問は、通常、それ自体何らの悪性を有するものではなく、……その行動がもたらす弊害が考えられるとしても、それは間接的なものといわざるを得ない」というが、これまた選挙の現状に対する認識を欠いた議論である。このような見解は、本件第一審判決の「選挙人にとつても、彼等が戸別訪問してくれることは、直接彼等と対話できることであるから、候補者の政見等をじつくり聞くのにも、最も効果的な方法である。」とする現状認識を是認したうえでのことと考えられるが、戸別訪問の実際は、そのような政治討論の場ではない。我が国においては、動員あるいは雇用された多数の選挙運動員が戸別訪問を行うのであり、限られた時間内に広域を駆け巡つて多数の選挙人に面接して投票を依頼しなければならないので、選挙人等の居宅等を訪問しても、一方的に特定候補者への投票を依頼し、あるいは特定候補者の氏名を口にするだけで終始しているのが、検挙された戸別訪問事犯の実態である。戸別訪問が禁止されていてもこのような行為が行われているのであるから、これを放任した場合、先に述べたような弊害が噴出することは明白であり、とうてい「間接的なもの」にとどまるとすることはできない。

以上検討したとおり、原判決が「戸別訪問の禁止が憲法上許される合理的でかつ必要やむを得ない限度の規制であると考えることはできない。」との結論に達するため利益の均衡を判断した部分の判示は、いずれも失当である。

そして、戸別訪問を放任した場合これによつてもたらされる弊害が無視できるほど小さいものでないと考えられる現状においては、戸別訪問の禁止によつて投票依頼などの政治的言論内容の表現行為の一態様が制限されるという言論に対する制約の程度と、戸別訪問の禁止によつて選挙の自由と公正が維持増進される程度とを比較衡量すれば、後者の方がより重大と考えられるのであつて、その禁止は利益の均衡を失するものではない。

三 要約

結局、公職選挙法一三八条一項の規定は、その禁止目的は正当であり、禁止目的と規制手段との間には合理的関連性が認められ、かつ、利益の均衡を失するものではないから、合理的で必要やむを得ない制限というべきであり、したがつて、憲法二一条に違反しないことは明らかである。

また、戸別訪問の禁止が選挙関係者を含む地方住民全体ないし国民全体の共同利益を擁護する見地からなされたものであつて、その違反行為が刑罰の対象となる違法性を帯びることが認められ、かつ、その禁止が憲法二一条に違反するものでないと判断される以上、その違反行為を構成要件として罰則を法定しても、そのことが憲法二一条に違反することとなる道理もあり得ず、更に右罰則が同法三一条に違反するものとすべき特段の理由もないから、公職選挙法二三九条三号もまた合憲である。

第二点 判例違反

原判決は、戸別訪問を一律に禁止した公職選挙法一三八条一項の規定は憲法二一条一項に違反するとしたが、前記規定が憲法の右条項に違反しないことは、最高裁判所の累次の判決により判例法上確立されているところであつて、原判決は、これらの判例と相反する判断をしたことが明らかである。

一 公職選挙法一三八条一項の規定は憲法二一条一項に違反するものではないとする最高裁判所の判例

① 昭和二五年九月二七日大法廷判決(昭和二四年(れ)二五九一号・刑集四巻九号一七九九頁)は、

「選挙運動としての戸別訪問には種々の弊害を伴うので衆議院議員選挙法九八条、地方自治法七二条及び教育委員会法二八条等は、これを禁止している。その結果として言論の自由が幾分制限せられることもあり得よう。しかし憲法二一条は絶対無制限の言論の自由を保障しているのではなく、公共の福祉のためにその時、所、方法等につき合理的制限のおのずから存することは、これを容認するものと考うべきであるから、選挙の公正を期するために戸別訪問を禁止した結果として、言論自由の制限をもたらすことがあるとしても、これ等の禁止規定を所論のように憲法に違反するものということはできない。」と判示し、

② 昭和四一年五月二七日第二小法廷判決(昭和四一年(あ)一九二号・裁判集刑事一五九号八六七頁)は、

「選挙の公正を期するため戸別訪問を禁止した結果、言論の自由にある制限をもたらすことがあつても、その禁止規定が憲法二一条に違反しないことは、判例①の示すところであり、右判例は未だ変更すべきものとは認められない。」と判示し、

③ 昭和四二年一一月二一日第三小法廷判決(昭和四二年(あ)一四六四号・刑集二一巻九号一二四五頁)は、

「公職選挙法一三八条一項は、選挙運動としての戸別訪問には、種々の弊害を伴い、選挙の公正を害するおそれがあるため、選挙に関し、同条所定の目的をもつて戸別訪問をすることを全面的に禁止しているのであつて、戸別訪問のうち、選挙人に対する買収、威迫、利益誘導等、選挙の公正を害する実質的違反行為を伴い、又はこのような害悪の生ずる明白にして現在の危険があると認められるもののみを禁止しているのではないと解すべきであるところ、選挙の公正を期するため戸別訪問を禁止した結果、言論の自由にある程度の制限をもたらすことがあつても、右禁止が憲法二一条に違反しないことは、判例①の趣旨に徴し明らかである。」と判示し、

④ 昭和四四年二月六日第一小法廷判決(昭和四三年(あ)一九四〇号・裁判集刑事一七〇号二二五頁)は、

前掲判例③と同じ判旨に加え、「今右判例の変更の要を見ない」と判示し、

⑤ 昭和四四年四月二三日大法廷判決(昭和四三年(あ)二二六五号・刑集二三巻四号二三五頁)は、

戸別訪問、法定外文書頒布及び事前運動の禁止はいずれも憲法二一条に違反するとの上告趣意に対し、

「公趣選挙法一三八条に定める戸別訪問の禁止及び同法一四二条に定める文書図画の頒布の制限のごとき一定の規制が、いずれも憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(注、戸別訪問につき①、文書図画の頒布につき昭和三〇年四月六日刑集九巻四号八一九頁)の明らかにするところであり、いま、これを変更する必要は認められない。」

と説示して、従来の判例を踏襲することを明らかにしたうえ、新しく、事前運動の弊害を詳説して、「事前運動を禁止することは、憲法の保障する表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限であるということができるのであつて、公職選挙法一二九条をもつて憲法二一条に違反するものということはできず、」と判示し、

⑥ 昭和四五年一一月二四日第三小法廷判決(昭和四五年(あ)一四三二号・裁判集刑事一七八号三六三頁)は、

戸別訪問の禁止につき、前掲⑤とほぼ同旨の判示をし、

⑦ 昭和四五年一一月二四日第三小法廷判決(昭和四五年(あ)一四三三号・判例集等不登載)は、

前掲⑥と全く同文の判示をし、

⑧ 昭和四七年三月三〇日第一小法廷判決(昭和四六年(あ)二〇七六号・判例集等不登載)は、

「公職選挙法一三八条、一四二条の各規定の違憲を主張する所論はすべて理由のないことは、判例⑤の趣旨に徴し明らかである。」と判示し、

⑨ 昭和五四年七月五日第一小法廷判決(昭和五三年(あ)一五六二号・判例時報九三三号一四七頁)は、

「公職選挙法一三八条に定める戸別訪問の禁止が憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例(⑤)とするところ」と判示し、

⑩ 昭和五四年九月二〇日第一小法廷判決(昭和五四年(あ)六四六号・判例集等不登載)は、

「公職選挙法一三八条に定める戸別訪問の禁止及び同法一四六条に定める文書図画の頒布について禁止を免れる行為の制限が憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところであり、」と判示し、

⑪ 昭和五五年四月二四日第一小法廷判決(昭和五五年(あ)三五二号・判例集等未登載)は、

前掲判例⑨と同旨の判示をした。

二 原判決が前記各判例と相反する判断をしたこと

最高裁判所は、前記のように、昭和二五年九月二七日の大法廷判決①以来、同四四年四月二三日の大法廷判決⑤を経て、同五五年四月二四日の第一小法廷判決⑪に至るまで、一貫して、かつそのつど裁判官全員一致の意見により、公職選挙法一三八条一項の規定が憲法二一条一項に違反しないとしてきた。かようにして、公職選挙法一三八条一項の規定の合憲性は、最高裁判所の判例として確立されているというべきであるから、右規定が憲法二一条に違反するとして、同旨の第一審判決を支持した原判決は、最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであることが明白である。

しかしながら、事柄の性質等にかんがみ、最高裁判所の従来の判例が現在なお十分に尊重されるべきであつて、これを変更すべき理由は全く認められないゆえんについて、以下に補説する。

1 最高裁判所判例の流れをみるに、最高裁判所は①②の各判例で、戸別訪問禁止の合憲説を肯認していたところ、昭和四〇年代に入るや、下級審において、戸別訪問を違憲とする裁判例(以下、「違憲判決」という。)が現われて来た。昭和四二年三月二七日の東京地裁違憲判決(判例時報四九三号七二頁)がその最初のものであつて、右判決は、「戸別訪問罪の規定は、その戸別訪問により重大な害悪を発生せしめる明白にして現在の危険があると認めうるときに限り、初めて合憲的に適用しうるに過ぎない」旨判示し、当該事案につき右要件を具備しないとして無罪を言い渡した。これと同じ論旨に立つて、「公職選挙法一三八条一項の規定は、選挙本来のあり方を逸脱させる選挙人に対する買収、威迫、利益誘導等、選挙の公正を害する実質的違反行為を伴う戸別訪問、又は、このような害悪を生ずる明白にして現在の危険がある戸別訪問のみを禁止しているのであつて、右以外の戸別訪問をも禁止処罰する趣旨であるとすれば、憲法二一条に定める言論の自由の原則に反する」旨主張した上告趣旨に答えて、最高裁判所がこれを排斥し去つたのが同年一一月二一日の判例③である。更に、最高裁判所は、昭和四三年三月一二日に妙寺簡裁の違憲判決(判例時報五一二号七六頁)があつたにもかかわらず、同四四年二月六日の判例④で、「判例変更の要を見ない」旨言明し、次に、同年三月二七日松江地裁(判例タイムズ二三四号別冊三〇頁)同年四月一八日長野地裁佐久支部(判例タイムズ二三四号別冊三二頁)が、それぞれ違憲判決を言い渡したにもかかわらず、⑤の大法廷判決で、事前運動禁止の合憲性を新たに宣言するとともに、戸別訪問禁止の合憲性を確認して、間接的にこれら下級審の違憲判決を否定したのである。これに加え、同四五年一一月二四日の判例⑥は、右松江地裁違憲判決につき詳細に理由を付してこれを破棄した広島高裁松江支部の同年六月二二日判決を支持し、下級審の違憲論を排斥する立場を直接明確に示したのであつた(前掲判例⑦の経過も、同⑥と全く同様である。)。

しかるに、最近に至つて、再び一部の下級審に違憲判決の例がみられるに至つた。これらは、従来の「明白かつ現在の危険」原則による理由づけに代え、政治的意見表明としての戸別訪問の有用性と戸別訪問に伴う弊害との比較較量の立場から、戸別訪問の禁止を言論の自由に対する「必要最小限度」の制約を超えるとするものであつた。それはまず、昭和五三年三月三〇日の松山地裁西条支部違憲判決(判例時報九一五号一三五頁)であり、次いでは、本件の第一審判決である同五四年一月二四日の松江地裁出雲支部違憲判決(判例時報九二三号一四一頁)であつたが、それにもかかわらず、最高裁判所は、同五四年七月五日の判例⑨と同年九月二〇日の判例⑩において戸別訪問禁止の合憲性を確認し、また、同五五年に入つても、同年三月二五日の盛岡地裁遠野支部違憲判決(判例時報九六二号一三〇頁)にかかわらず、同年四月二四日の判例⑪を言い渡したのである。してみると、最高裁判所は、一部下級審でのかかる違憲判決をも十分に考慮に入れたうえで、なお合憲の見解を確固不動のものとして堅持しており、判例変更の必要はないと判断していることが、まことに明らかである。

なお、本件原判決後の宣告にかかる昭和五五年六月六日最高裁判所第二小法廷判決(昭和五五年(あ)五九一号)が、前掲①及び⑤の二つの大法廷判決を引用のうえ、公職選挙法一三八条に定める戸別訪問の禁止が憲法二一条に違反するものでないことは、当裁判所の判例とするところである旨判示したことも、右に述べたことを裏付けるものである。

2 戸別訪問禁止の必要性につき実質的理由を示した前掲③の判例の後、戸別訪問の構成要件に該当するか否かが問題となつた事案において、原判決も引用するように、昭和四三年一一月一日第一小法廷判決(刑集二二巻一二号一三一九頁)は、戸別訪問を禁止するゆえんのものにつき、「一方において、選挙人の居宅その他一般公衆の目のとどかない場所で、選挙人と直接対面して行われる投票依頼等の行為は、買収、利害誘導等選挙の自由公正を害する犯罪の温床となり易く、他方、選挙人にとつても、居宅や勤務先に頻繁に訪問を受けることは、家事その他業務の妨害となり、私生活の平穏も害せられることになるのであり、それのみならず、戸別訪問が放任されれば、候補者側が訪問回数を競うことになつて、その煩に耐えられなくなるからである。」と判示した。

右判決は、前掲①②③の判例で判示された戸別訪問の「種々の弊害」と「選挙の公正」との相関関係を具体的に説明するとともに、戸別訪問禁止の合理性と必要性の根拠となるべき理由を示したものとして注目に価するところであるが、これがその後の最高裁判所判例における合憲論の支えになつていることは疑いがなく、戸別訪問の実情ないし弊害につき特段の事情変更が認められない現時点においては、右判旨はそのまま判例法の基礎として尊重されるべきである。

3 戸別訪問の禁止が、意見表明の手段方法としての行動に対する必要かつ合理的な制限にとどまるものであつて憲法二一条一項に違反するものでないことは、上告理由第一点において述べたとおりであるが、最高裁判所の近時の各判例は、いずれも表現の自由に対する制約原理の機能及び戸別訪問に弊害がないことを詳細論じた上告趣意に答えるとともに、詳細な理由を付して戸別訪問禁止の合憲性を認めた第二審判決を支持したものであるから、最高裁判所は、戸別訪問禁止を合憲とする「具体的根拠」について慎重に検討したはずであつて、各判例の判旨は簡潔とはいえ、そのつど十分な審査を行つたうえ合憲の結論を導き出したものと推察される。

ところで、原判決は、前掲⑤の大法廷判決の後一〇年以上の時が経過した間にあつて、最高裁判所が、昭和四九年一一月六日の猿払事件判決(刑集二八巻九号三九三頁)及び同五〇年四月三〇日のいわゆる薬事法違憲判決(民集二九巻四号五七二頁)において、「憲法上保障された自由の制限の必要性及び合理性について具体的に判断・説示していること」を引き合いにして、戸別訪問禁止の合憲性についても、最高裁判所がこれらと同様の具体的な説示をすべきであつたとするもののごとくである。しかし、前記猿払事件判決は、国家公務員の政治的行為に対する制限及び当該制限違反に対する刑事制裁の合憲性という問題につき、最高裁判所として初めて判断を下したものであり、右の諸点を限定的に解釈した場合にのみ合憲性を肯定し得るものとした第一・二審判決の当否をめぐつて、国家公務員の表現の自由の一態様としての政治行為に対する制約の原理・限界・基準等の基本的問題が中心的争点になつた事案にかかるものであるから、最高裁判所としても、かかる制約を加える必要性及び合理性ならびに刑事罰の正当性について詳細かつ具体的に説示する必要があつたものと解せられる。また、前記薬事法違憲判決は、薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法の関係規定の憲法二二条一項(職業選択の自由)との関係における合憲性という全く新しい問題が正面から争われた事案に関するものであり、しかも、最高裁判所が右規制の必要性と合理性を否定するとともに、目的と手段の不均衡を指摘して、右規定を違憲と断じたものであるから、その具体的理由及び論理の過程を詳細に説明する必要があつたものと思われる。

これらに対し、戸別訪問禁止の合憲性という問題については、前述のとおり、前掲①の判例を起点とする累次の最高裁判所判例の集積によつて既に判例の見解が確固不動のものとして確立されており、しかも、各判例がそのつど必要にして十分な理由を判示してきたところであるから、これに関する最高裁判所の最近の判例が、戸別訪問禁止の必要性及び合理性について、前記の各判決と同等に詳細かつ具体的な判断・説示をしていないからといつて、少しも異とするに足りない。したがつて、前記のような原判決の指摘は、全く当を得ないものである。

右に述べたとおり、いずれの面からみても、戸別訪問の禁止が憲法二一条一項に違反しないとする最高裁判所の判例は、なお十分に尊重・維持されるべきであるといわなければならない。

第三 結語<省略>

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