最高裁判所第二小法廷 昭和55年(オ)1121号 判決 1982年11月26日
上告人
共栄火災海上保険相互会社
右代表者
高木英行
右訴訟代理人
江口保夫
溝呂木商太郎
草川健
鈴木諭
同訴訟復代理人
泉澤博
被上告人
河村慶一郎
被上告人
河村静江
右両名訴訟代理人
芹澤博志
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人江口保夫、同溝呂木商太郎、同草川健、同鈴木諭の上告理由第一点及び第二点について
原判決は、(1) 河村隆司は、昭和四九年一月一四日午後九時ころその所有の本件自動車に友人数名を乗せてスナック「パブフレンド」に行き、同所で右友人らと飲酒したのち翌一五日午前零時ころ右の店を出た、(2) 隆司は、本件自動車により最寄りの駅である京成青砥駅まで他の者を送つてから帰宅するつもりでいたところ、友人達を自分の下宿に連れて行き飲み直すつもりになつていた渡辺利光から自分に本件自動車をまかせ運転させて欲しいと求められて渋々これを承諾し、ここに車の使用を渡辺に委ねることとし、車の鍵を同人に渡してみずからは電車で帰宅するつもりで京成青砥駅まで行くため本件自動車の後部座席の右端(運転席の渡辺の後ろ)に便乗した、(3) 渡辺の考えていた行先は、ひとまず京成青砥駅に至り電車で帰宅する者を下車させたのち残りの友人と飲み直すためにその下宿先にということであつたが、そのうち自己の運転操作の誤りにより本件自動車を左右に大きく蛇行させた挙句、右側ガードレールに車体の右側面を激突させて横転させるという本件事故を起し、隆司を死亡させた、(4) 降司は、酒を飲んだ渡辺に運転を許した過失がある、以上の事実を認定したうえ、右(1)ないし(3)の事実からすると、事故当時の本件自動車の具体的運行において、渡辺は、運転者であり、危険物たる自動車の運行により生ずべき危険を回避すべく期待され、また、そのことが可能であるのにかかわらず事故を発生せしめた直接的立場にあつた運行供用者であるのに対し、隆司は、最寄りの駅につくまでの単なる同乗者であり、運行供用者であるといつても具体的には渡辺を通じてのみ車による事故発生を防止するよう監視することができる立場にしかなかつたという点において、双方の運行支配の程度態様を比較すると、隆司は間接的潜在的抽象的に運行を支配しているにすぎないのに対し、渡辺は直接的顕在的具体的に支配していたものというべきであるとし、降司は渡辺に対しては自動車損害賠償保障法三条本文の他人であることを主張することが許されると判断して、隆司の両親である被上告人らが上告会社に対し同法一六条に基づいてした損害賠償の請求を認容している。
しかしながら、原判決の認定するところによれば、本件事故当時隆司は友人らの帰宅のために本件自動車を提供していたというのであるから、その間にあつて渡辺が友人らの一部の者と下宿先に行き飲み直そうと考えていたとしても、それは隆司の本件自動車の運行目的と矛盾するものではなく、降司は、渡辺とともに本件自動車の運行による利益を享受し、これを支配していたものであつて、単に便乗していたものではないと解するのが相当であり、また、隆司がある程度渡辺自身の判断で運行することをも許したとしても、隆司は事故の防止につき中心的な責任を負う所有者として同乗していたのであつて、同人はいつでも渡辺に対し運転の交替を命じ、あるいは、その運転につき具体的に指示することができる立場にあつたのであるから、渡辺が降司の運行支配に服さず同人の指示を守らなかつた等の特段の事情がある場合は格別、そうでない限り、本件自動車の具体的運行に対する隆司の支配の程度は、運転していた渡辺のそれに比し優るとも劣らなかつたものというべきであつて、かかる運行支配を有する隆司はその運行支配に服すべき立場にある渡辺に対する関係において同法三条本文の他人にあたるということはできないものといわなければならない。しかるに、原判決は、前記の特段の事情があるか否かについて事実関係を確定しないまま、所有者である隆司の運行支配の程度態様を間接的潜在的抽象的なものであると判断し、隆司が同法三条本文の他人であると主張することができるとしたものであつて、ひつきよう、原判決の右判断には同法三条本文の他人の意義に関する解釈適用を誤り、その結果審理を尽くさない違法があるものといわなければならない。そして、右の違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかであつて、この点に関する論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、本件についてはさらに審理を尽くさせるのが相当であるから、これを原審に差し戻すこととする。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(宮﨑梧一 木下忠良 鹽野宜慶 大橋進 牧圭次)
上告代理人江口保夫、同溝呂木商太郎、同草川健、同鈴木諭の上告理由
第一点 (原判決には理由不備、理由齟齬の違法が存する。)
一、原判決は、その理由第二項において、本件事故当夜の状況及び事故に至る経過の概略として、
「「パブフレンド」ではあとから合流した野寺、夏見をも含めて一〇人前後の者がウイスキーなどを飲みながら歓談したが、夜半一二時ころおひらきとなり、全員店を出た。このとき渡辺は他で更に飲みたい気持でその旨を海老名に伝え同意を得たが、その他の者はそのまま帰宅する意向であつたので、古川は最寄りの電車駅である京成青砥駅まで他の者を送つてから帰宅すべく、古川車に四人を乗せて自ら運転席についた。隆司も同様の意向であつたが、加害車の助手席に海老名、後部座席に左から順に南雲、野寺、夏見が乗り終えた後、車外にて友人達を自分の下宿に連れて行き飲み直すつもりになつていた渡辺から自分に車を任せ運転させて欲しいと求められて渋々これを承諾し、ここに車の使用を渡辺に委ねることとし、車の鍵を同人に渡して自らは一五日早朝出勤する予定もあつたので電車で帰宅するつもりで最寄り駅まで便乗すべくすでに定員に達した後部座席の右端にいた夏見の右隣りにその膝に乗るようにして乗車し、渡辺が運転席についた。」と認定した上、
「本件事故当時、亡河村隆司は加害車に対する運行支配を未だ失わず、また渡辺利光は隆司から加害車の鍵を受取り、その運転開始のとき加害車に対する運行支配を取得してこれを継続し、もつて事故当時ともに加害車に対する運行支配を有するものとしてその共同運行供用者であつたと認めることができる。」と述べている。
二、しかしながら、本件事故時の加害車の運行目的は「パブフレンド」を出発して青砥駅に到着することであり、亡河村隆司は右区間を渡辺利光が運転することを承諾したもので、渡辺利光は加害車の運転者にすぎないものである。
(一) 本件事故時の加害車の運行目的は先づ「パブフレンド」から青砥駅に到着することであつた。
(1) 加害車に同乗した夏見正樹は甲第一号証(同人の司法警察員に対する昭和四九年二月二五日付供述調書)において
「四、私と野寺君は一緒に、パブフレンドに行きましたが、大体、終りに近いころで一〇人近くの参加者がいました。
みんな、ウイスキーの水割りを飲んで雑談などをしていました。
私は、やはり水割りを、コップ一ぱい程度飲みましたが、出席してから約一〇分ぐらいでおひらきになり二台の車に分乗したもので、青砥方面に帰る者が多いので、「青砥の方へ行く」ということでした。
私の乗つた車は、渡辺君が運転し、私は後部座席の一ばん右端に座りましたが、あとから河村君が乗り込んだため河村君が右の端になり、その隣りが私、私の左側に野寺君、一ばん左端に南雲君の順でした。」
と述べている。
(2) 同じく南雲良治は
(イ) 甲第三号証(同人の司法警察員に対する昭和四九年二月一三日付供述調書)において
「一五日午前〇時過ぎたころ皆んな良い気持ちになつたようで帰る人も出て来たので帰ることになり河村君の車に私達六名が乗り込んだのですが青砥駅まで行くのに友人の渡辺利光が運転して行くことになつたのです」
(ロ) 第一審証人(昭和五一年七月八日訊問)として
「30 「パブフレンド」から押上の家へ帰る交通の便はどういうことなのですか。
京成で帰ります。
31 「パブフレンド」の近くの京成電鉄の駅というのは、何という駅ですか。
青砥駅です。
32 青砥駅から電車で帰ろうとしたわけですか。
はい、そうです。
33 「パブフレンド」から京成の青砥駅まで行くには、どういうふうにしようと思つたわけですか。
初めは歩いて行こうと思つたのですが車があつたから一緒に乗り込みました。
34 あなたは、結局、河村さんが乗つてきた車に乗つたわけですか。
はい。
100 渡辺が運転の車に乗込んだときには、あなたの気持としては、あなたの家は押上だから青砥駅まで行くものだとばかり思つていたということなのですか。
はい。
101 他の人達は、どうするつもりだつたのですか。
他の人もやはり帰るつもりでした。
102 他の人も青砥駅まで行つて、それぞれ皆自分の家へ帰るというつもりだつたわけでしよう。あなたの気持としてはですね。
はい。」
と述べている。
(3) また、渡辺利光から他で更に飲みたい気持を伝えられ同意した海老名洋介(加害車の助手席に同乗)も第一審証人(昭和五一年四月一五日訊問)として
「50 「パブフレンド」から出て、車に乗つた当時、渡辺さん以外の方、河村さん夏見さん、南雲さん、野寺さん方の目的は、今考えて、どうだつたと思われますか。
帰るつもりだつたと思います。
51 渡辺さんやあなたとは、考え方、目的が違つたということですね。
はい。
100 渡辺と河村は、どこで話をしていたのですか。
運転席のドアがあいているところで立つて話をしていたのです。
101 どんな話をしていたかは、知つていますか。
内容はわかりません。
102 これからどこに行こうという話をしていたのか、それもわからないわけですか。
それは、もう最初から、青砥駅に行くことは、間違いなかつたのです。
103 ちよつと行けば、すぐ青砥駅という所で、事故が起きているわけですね。
たまたまあのときは工事をしていましたので、左折して右折して右折した所が事故現場なのです。
104 目的地が青砥駅であることは、間違いないわけですね。
そうです。
105 青砥の駅からは、どうするつもりだつたのですか。
僕は渡辺の家に行くつもりでした。
106 青砥の駅から電車に乗るわけですか。
乗りません。すぐ駅のそばに渡辺君の下宿があつたわけです。
131 青砥駅の近くまで行くということについては六人とも同じ目的をもつていたということは言えるわけですね。
言えます。間違いありません。
132 何のつもりということは、あなたと渡辺君は飲み直すつもりだつた、他の四人については、あなたははつきりわからないということですね。
はい。
133 しかし青砥の駅の近くまで行く、という点では、六人とも共通の目的をもつていたということですね。
そうです。」
と述べている。
(4) さらに、加害車を運転した渡辺利光も
(イ) 甲第四号証(同人の司法警察員に対する昭和四九年一月二四日付供述調書)において
「一〇、会合を終つてから青砥駅方面に帰る者が多いということで、店の筋向いにあるガソリンスタンドの敷地内に駐車して置いた二台の車に分乗しましたが、そのとき、河村君が、何故か元気のない様子であつたので、私は、「俺が運転して行く」と言つて、河村君の車のキーを受取りました。」
(ロ) 甲第九号証(同人の昭和四九年一一月七日刑事公判廷における供述調書)において
「それから、「パブ」から事故現場まで、あなたは古川君の車について走つて行つたんでしよう。
はい、そうです。
青砥の駅のほうへ行くことになつていたわけですね。
そうです。
あなたは青砥の駅に行く道順は知つておつたんですか。
ええ、大体わかります。
「パブ」から事故現場までの道路は以前に走つたことのある道路ですか。初めての道路ですか。
知つてはいますが、車では走つたことありません。
要するに、古川君のあとをついて行けばいいということだつたわけですか。
はい、そうです。」
(ハ) 原審証人(昭和五四年一一月二九日訊問)として
「二、河村に代つて私が車を運転するようになつたとき、どこへ行くという目的があつたわけではなく、方向としては京成青砥駅方面でした。結局は、古川の車について行つたのです。
古川の車のように、左折すれば青砥駅へ行けるのですが、直進しても遠回りにはなりますが青砥駅へは出られます。
私は、下宿が青砥駅に近いので、友達を誘つて下宿で飲むつもりでいました。
五、「パブフレンド」を出たとき、誰がどこへ行くということは話に出ませんでした。「パブフレンド」から青砥駅までは左へ1.5キロメートル、河村の家までは一キロメートル程の距離にあります。したがつて、河村が家へ帰るとすると、私どもとは逆方向に向かわなければならないわけです。
河村としては、私どもを送る意味で同乗したのかも知れません。ですから、駅の方向に行くことについて、何も言いませんでした。」
と述べている。
(二) 亡河村隆司は、「パブフレンド」から青砥駅までの加害車の運転を渡辺利光にせがまれて渋々これを承諾したものであり、加害車を同人に貸与してその全面的な使用を承諾したものではない。
(1) 亡河村隆司と渡辺利光とは友人ではなく、加害車を貸与するような関係になかつたことについて、亡河村隆司の友人である古川雅敏は第一審証人(昭和五二年二月一〇日訊問)として
「13 河村君は、渡辺君及び海老名君と友達でしたか。
友達という関係ではなかつたです。
14 河村君は誰と友達だつたのですか。
ぼくしかいなかつたと思います。
44 「パブフレンド」からガソリンスタンドに行くまでの間に渡辺君と河村君との間に何かありましたか。
車を貸してくれというようなことを云つていました。
45 車のキイなどについて、その二人の間に何かあつたことは知つていますか。
側にいたのではありませんが、渡辺君が河村君に手を差のべているのを二回位みました。
46 それは平穏な状態でしたか、それとも争つているようでしたか。
別に争つているということではありませんでしたが、河村君が嫌な顔をしていました。
47 キイの取合いという表現は不適当ですか。
そういう表現も出来ると思います。
48 いざこざとか、ごたごたするとかそういう感じは持たながつたですか。
見方によつては多少あると思います。
61 あなたは河村君とは親友ということですが、河村君が車を人に貸したりするようなことはありましたか。
それはなかつたです。」
と述べている。
(2) また右の鍵の取り合いについて、前記南雲良治は第一審証人(昭和五一年七月八日訊問)として
「36 パブフレンドから河村さんの車が止つているガソリンスタンドまで行く間に、皆さんぞろぞろと一緒に出たわけですか。
そうです。
37 そのとき、渡辺さんと河村さんとの間で何かごたついていたような様子はありましたか。
はい、何かそのようなことがありました。
38 その中味については、記憶ありますか。
車の鍵の取り合いのようでした。
39 車の鍵の取り合いというと、元来、河村さんが車の鍵を持つていたわけですね。
ええ、そうです。
40 あなた及び他の方々が、河村さんの車に乗り終つたあと、渡辺さんと河村さんはまだ外にいたわけですか。
ええ、そうです。僕等四人は先に乗りました。
41 あなた達四人が乗り終つたあとも、渡辺さんと河村さんが車の外で立つて、先程のごたついている様子の継続ということですか。
そうです。
45 結局、河村さんの車を渡辺さんが運転することになつたのですが、河村さんに対して渡辺さんが車を貸してくれとせがんだ結果なのか、そうではないのかは、わかりませんか。
無理に頼んだような感じです。
46 渡辺さんが無理に河村さんに頼んだようですか。
はい。
106 鍵の取り合いというのは、どういう格好をしていたのですか。
おれが運転していくよということです。
110 そうすると鍵を渡す際のいざこざと言つても極めて平穏だつたわけでしよう。
撲つたとか、そういうことではなくて、鍵の取り合いです。
111 あなたの記憶だと、どういうことを言つていたのですか。
車の中にいたから言葉はわからないです。
裁判官
112 君の見方では、渡辺君が自分に運転させろというふうに言つて、河村君がいやだと言つていて、そういうやり取りが少しあつた、五分やつたとか、一〇分やつたとか、どうですか。
長くはないですが暫くしていました。」
と述べている。
(三) 亡河村隆司は、渡辺利光運転の加害車に同乗して青砥駅まで渡辺利光及び他の同乗者を送つてから、加害車を自ら運転して帰宅するつもりであつた。
(1) 原判決も前記のとおり、加害車の先行車を運転した古川は、青砥駅まで同乗者を送つてから帰宅するつもりであり、亡河村隆司も同様の意向であつたと認定している。
(2) 亡河村隆司が翌日の勤務の関係から早く帰宅する必要があり、同人がその意志であつたことについて、被上告人河村静江は第一審本人訊問(昭和五一年一月二九日訊問)において
「74 パブフレンドで、解散のあつた時に、隆司君はどういう目的でパブフレンドを出ただろうと考えますか。
それは私と出る時に約束があつたんです。それは今日は早く帰るということです。「明日は成人式なのにお前どうするの」と聞いたら「成人式でも明日勤めになつたんだよ」ということを言いました。そしておまけに「早番なんだよ」と言うんです。早番というのは六時半か七時にもう家を出るんです。ですから「それじやどうするの、今夜出かけちやつて」と言つたら「早く帰つてくるよ」と言いました。あの子は約束を破つたことはないんです。又、仕事熱心ですから二年間ぐらい勤めていましたけれども、一度も休んだことはありません。」
と述べている。
(3) また、前記古川雅敏は第一審証人(昭和五二年二月一〇日訊問)として
「24 あなたが河村君と友人であるということですが、そのあなたから見て河村君の勤務ぶりをどのように思つていましたか。
仕事は休まず必ず出ていましたから真面目な方ではないかと思います。
25 一四日午後一二時というのは、一五日午前〇時ということになりますが、一五日の予定について河村君は何か云つていましたか。
仕事が早番だからということを云つていました。
26 早番というのは大体何時ごろ河村君は自宅を出るのか分かりますか。
確か午前六時頃というようなことを一回聞いたことがあります。
27 解散して帰るということですが、歩いて帰るとか、いろいろあると思いますけれど、その時はどういうことだつたのですか。
京成線を利用する人が多いので、青砥まで送ろうということだつたのです。
28 車に乗つて来たあなたと河村君の二人が皆を送るという感じでしたか。
そうでした。私はそのつもりだつたし、河村君もやはり同じだつたと思います。
38 一一人の人たちがぞろぞろ「パブフレンド」からガソリンスタンドまで歩いたということですか。
そうです。
39 その際あなたたちは飲み直すつもりはなかつたわけですね。
そうです。
40 どこまで車で送つていくということだつたのですか。
京成線の青砥駅までです。
41 電車で帰る人はそこから電車に乗つて帰るということですか。
そうです。
42 あなたと河村君はどうするつもりだつたのですか。
ぼくらは送つたらすぐ帰るつもりだつたのです。」
と述べている。
(4) 渡辺利光及び海老名洋介の両名は、「パブフレンド」で解散後、更に渡辺の下宿先(葛飾区青戸二丁目一三番一五号富士荘――甲第四号証)で飲み直す意向であつたようであるが、渡辺の下宿先は青砥駅から徒歩で一分かかるかかからない至近距離にあり(渡辺利光の第一審本人調書七一項)、右両名は青砥駅で加害車から下車するつもりであつた(前記海老名洋介の第一審証人調書一〇四項乃至一〇六項)。
(5) 亡河村隆司の自宅は葛飾区亀有三丁目四九番四号(訴状記載)に所在し、青砥駅から電車で帰宅するには、同駅から京成電鉄に乗車して金町駅で国鉄常盤線に乗換え、亀有駅(青砥駅から大きく迂廻して四ツ目の駅)で下車しなければならず、電車で帰宅するよりは「パブフレンド」(葛飾区亀有二丁目一六番五号――訴状記載)から徒歩で帰宅する方がはるかに近い距離関係にあり、かつ、午前〇時三五分頃の深夜であるから電車の本数も少く、亡河村隆司がわざわざ電車で帰宅しようなど考えられないところである。
(末尾に右の距離関係を明らかにするため関係個所を含む地図を添付し、同地図上に渡辺利光の下宿先――青戸二丁目一三番、亡河村隆司の自宅――亀有三丁目四九番、「パブフレンド」――亀有二丁目一六番、本件事故発生場所――青戸四丁目一八番(甲第四号証)、渡辺利光が左折しなかつた中青戸小学校入口交差点及び青砥駅を赤色をもつて表示する。)
三、右のとおり、亡河村隆司は渡辺利光に対し、「パブフレンド」から青砥駅まで加害車を運転することを承諾したに止まり、同人に対し加害車を貸与してこれに便乗したものではない。渡辺利光の加害車の運転は自らも青砥駅に行くという目的があつたにせよ、亡河村隆司との関係においては、同人のために青砥駅までの運転に従事したにすぎず、亡河村隆司と共に加害車の共同運行供用者、共同保有者に非ざること明らかである。したがつて渡辺利光を河村隆司と共に加害車の共同運行者とし、亡河村隆司は最寄り駅まで加害車に便乗したものにすぎないとする原判決には、理由不備、理由齟齬の違法が存する(最高裁第一小法廷昭和五二年四月一四日判決・昭和五一年(オ)第一、三一〇号事件参照)。
第二点 (原判決は自動車損害賠償保障法第三条の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背が存する。)
一、原判決はその理由第三項において
「本件においていずれも運行供用者に該当する亡隆司及び渡辺の両名につき、本件加害車に対する運行支配、具体的には事故当時における支配の程度態様ないし事故による危険発生防止上からそのおかれたそれぞれの立場をみると、前認定を要約すれば、
(一) 亡隆司は、加害車の所有者として日常自己の目的のために使用しており、事故当日は自宅から喫茶店「アイアイ」を経てスナック「パブフレンド」まで運転して行つたが、「パブフレンド」で友人一〇余名とともに飲酒し、終つて店を出た際、加害車の運転を運転免許を有する渡辺に委ね、自らは車の後部座席に同乗して進行中、本件事故に遭遇したが、右同乗の意図は電車で帰宅すべく最寄りの京成青砥駅まで行くためこれに便乗するというにあつた、
(二) 他方渡辺は、事故当日「アイアイ」に赴いてから後は亡隆司と行動を共にしていたが、「パブフレンド」を出た後、亡隆司から車の運転を委されその鍵を渡されて運転席につき加害車を運転し、同人らを同乗させて進行し、その考えていた行先は一先ず京成青砥駅に至り電車で帰宅を希望する者を下車させた後残りの友人と飲み直すためにその下宿先にということであつたが、そのうち自己の運転操作の誤りにより本件事故を惹起させた、
というのであつて、以上の事実からすると、事故当時の加害車の具体的運行において、渡辺は運転者であり危険物たる自動車の運行により生ずべき危険を回避すべく期待され、またそのことが可能であるのに拘わらず事故を発生せしめた直接的立場にあつた運行供用者であるのに対し、亡隆司は最寄りの駅に着くまでの単なる同乗者であり、運行供用者であるといつても具体的には渡辺を通じてのみ車による事故発生を防止するよう監視することができる立場にしかなかつたという点において、双方の運行支配の程度態様を比較すると亡隆司による運行支配の程度態様は渡辺のそれよりは間接的潜在的抽象的であつたのに対し、渡辺によるそれはより直接的顕在的具体的であつたということができる。」
とし、亡河村隆司は渡辺利光に対し自賠法第三条の「他人」であることを主張でき、渡辺利光は亡河村隆司に対して同条による損害賠償責任を負うというべきであるという。
二、右原判決理由中、亡河村隆司の同乗の意図が電車で帰宅すべく青砥駅まで行くまで便乗するにあつたとの点、及び渡辺利光が青砥駅で電車で帰宅を希望する者を下車させた後、加害車を運転して残りの友人と飲み直すためにその下宿先に行くつもりであつたとの点は、何れも前記のとおり証拠に基づかず、また証拠に反する認定であるが、その点は暫くおき、右原判決の理由は、加害車に同乗していた共同運行供用者相互間にあつては常にハンドルをにぎつていた運転者である運行供用者の運行支配を直接的・顕在的・具体的として、他方に対する自賠法第三条の運行供用者責任を認めるに等しいもので、同条の法意を逸脱した不合理な拡張解釈である。同乗していた共同運行供用者様互間にあつては、一方の運行供用者が加害車の具体的運行に全く関与することなかつた(例えば病人として運送されているとき)等特別の事情なき限り、加害車の具体的運行(それは運転のみでないことは云うまでもない)に対する支配の程度は同等であり態様に差異なきものとして、相互に自賠法第三条の損害賠償責任(民法第七〇九条責任は別である)は発生しないと解すべきである(東京高裁昭和五三年四月一七日判決・昭和五二年(ネ)第一、六五九号事件、仙台高裁昭和五四年九月二八日判決・昭和五三年(ネ)第四八四号事件参照)。また、同乗中の共同運行供用者の一人が所有者である場合は、所有権に基き運転の交替乃至排除を求めることができる立場にあり、その運行支配権は運転者である他の共同運行供用者よりも優るとも劣らないというべきである。
第三点 (原判決は自動車損害賠償保障法第二条第三項及び第一六条第一項の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背が存する。)
一、原判決は、その理由第四項において
「渡辺はいわゆる泥棒運転でもなければ、亡隆司に無断で勝手に加害車を運転したのでもなく、「パブフレンド」発車の際亡隆司から加害車の使用権限を与えられて運転したことが認められるから、自賠法二条三項及び一六条一項にいう保有者である」という。
二、しかしながら、前記のとおり渡辺利光は亡河村隆司の承諾を得て、「パブフレンド」から青砥駅までの間、加害車の運転に従事したにすぎず、加害車の全面的な使用権限を与えられたものでなく、他方本件事故は原判決理由第二項記載の
「渡辺は先発した古川車の後に続いて加害車を発進させ前車に追尾進行したが、亀青新道との交差点中青戸小学校前まで来て古川車が青砥駅へ向うべく左折の合図を出して交差点内でわずかに左折しかけた時点で、これを追越すようにその右側に出て交差点を直進した(この時渡辺は青砥駅へ寄らず自分の下宿へ直行しようと考えたものと推測される)が、その直後、その先のゆるいカーブになつた個所で運転操作を誤り車を左右に大きく蛇行させた挙句、右側ガードレールに車体の右側面を激突させて横転させ」
て発生したもので、原判決の右( )書認定のように渡辺利光が青砥駅へ寄らず自己の下宿へ直行しようとして加害車を運転中に本件事故を惹起したものとすれば、渡辺利光の加害車の運転は亡河村隆司から与えられた権限を逸脱して居り、何れにしても、仮りに渡辺利光が加害車の運行供用者であるとしても、加害車の保有者に非ざること明らかである(最高裁第三小法廷昭和五五年六月一〇日判決・昭和五五年(オ)第二三二号事件参照)。
図面<省略>