最高裁判所第二小法廷 昭和56年(行ツ)162号 判決 1985年7月19日
上告人
中央労働委員会
右代表者会長
石川吉右衞門
右指定代理人
萩澤清彦
梅田令二
中村和夫
鈴木好平
右補助参加人
総評全国一般労働組合神奈川地方本部
右代表者
三瀬勝司
右訴訟代理人弁護士
野村正勝
三浦守正
被上告人
株式会社明輝製作所
右代表者代表取締役
黒柳勝太郎
右訴訟代理人弁護士
成富安信
青木俊文
右当事者間の東京高等裁判所昭和五五年(行コ)第三六号不当労働行為救済命令取消請求事件について、同裁判所が昭和五六年五月二七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があり、被上告人は上告棄却の判決を求めた。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人馬場啓之助、同萩澤清彦、同高嶋久則、同林信、同国常壽夫の上告理由第二について
原審の確定するところによれば、神奈川県地方労働委員会は、上告補助参加人を申立人、被上告人を被申立人とする神労委昭和五一年(不)第二八号不当労働行為申立事件について、昭和五二年一月二一日付けで、「被申立人会社は、本命令交付後一週間以内に、縦一メートル、横二メートル以上の木板に下記のとおり明記し、被申立人の横浜工場及び大和工場の正面入口の見やすい場所に、毀損することなく一四日間これを掲示しなければならない。」として謝罪文の掲示を命ずる救済命令(以下「本件初審命令」という。)を発し、同命令は同月二七日に被上告人に交付され、被上告人が同命令を不服として上告人に対し再審査の申立てをしたところ、上告人は同年一〇月一九日付けで右再審査申立てを棄却する命令(以下「本件再審査命令」という。)を発した、というのである。原審は、以上の事実に基づき、本件初審命令は被上告人に対し同命令交付後一週間以内に同命令所定の謝罪文を掲示し、その掲示を一四日間継続すべきことを命じたものであり、同命令交付後右の一週間と一四日間が経過したことにより、右謝罪文の掲示は履行不能となったから、被上告人には同命令を維持した本件再審査命令の取消しにより回復すべき法律上の利益がなく、右取消しを求める被上告人の本件訴えは不適法であるとして、これを却下した。しかしながら、本件初審命令の交付により、被上告人には同命令に従い謝罪文を掲示すべき義務が発生し、この義務は謝罪文掲示の履行が完了するまで存続するものというべきである。本件初審命令のいう「一週間」は謝罪文掲示の履行を猶予する期間にすぎず、また、同じく「一四日間」は謝罪文の掲示を継続すべき日数であって、謝罪文の掲示が履行されないまま同命令交付後一週間が経過し更に一四日間が経過したからといって、謝罪文の掲示義務が消滅したり、あるいは謝罪文の掲示が履行不能となるものでないことは明らかである。そうすると、本件初審命令による謝罪文掲示の義務は依然として存続しているものというべく、右謝罪文の掲示が履行不能となったことを前提として、被上告人には本件再審査命令の取消しを求める法律上の利益が存しないとし、本件訴えを却下した原判決には、法律の解釈を誤った違法があるものといわなければならない。そして、被上告人の本件請求の棄却を求めている上告人には、上告の利益が存するものというべきである。これと同旨の論旨は理由があり、原審の釈明権不行使の点について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、本件については本案について更に審理を尽くさせる必要があるから、これを原審に差し戻すこととする。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭)
上告指定代理人馬場啓之助、同萩澤清彦、同高嶋久則、同林信、同国常壽夫の上告理由
第一 上訴の利益について
一、本件において被上告人(一審原告、原審控訴人)は、神奈川県地方労働委員会が昭和五二年一月二一日付で被上告人に対して謝罪文掲示を命じた不当労働行為救済命令を維持して、被上告人の再審査申立を棄却した上告人の昭和五二年一〇月一九日付救済命令の取消の判決を求め、上告人は請求の棄却を求めた。これに対して原判決は被上告人の訴の利益を否定し、一審判決を取消して、本案の請求について判断することなく訴を却下した。
二、原判決が本件訴を却下した理由はつぎのとおりである。
「初審命令主文第3項は、控訴人に対して同命令交付後一週間以内に、同項に定める謝罪文を同項の定めるところに従って一四日間掲示すべき旨を命じているのであり、しかも、初審命令書の写が昭和五二年一月二七日に控訴人に交付されたことは、その成立に争いがない乙第二四号証によって、これを認めるに十分であり、また控訴人が該期間満了前である同年二月九日に再審査の申立をしたことは当事者間に争いがないが、労組法二七条四項及び五項によれば、初審命令はその写が当事者に交付された日から効力を生じ、かつ再審査の申立は初審命令の効力を停止しないのであるから、その成立に争いがない乙第三八号証によって、被控訴人が本件の控訴人の再審査申立につき審問の手続を終結した日であることが明らかな昭和五二年八月二九日には、初審命令主文第3項は、すでに同項所定の謝罪文掲示期間が満了していたことは明らかである。してみると、前記のように初審命令のすべてを維持し、控訴人の本件再審査申立を棄却した本件命令のうち、初審命令の主文第3項をそのまま維持した部分は、必ずしも当を得たものとは言いがたいけれども、もはや右第3項による掲示義務の履行が期間経過により不能であり、かつ、他に控訴人が本件命令の取消しによって回復すべき法律上の利益を有すると解すべき事情は認められない以上、右第3項又は本件命令のうちこれを維持した部分の当否を云々することは法律上無意味であって本訴は訴の利益を欠き、不適法といわざるをえない。」
三、しかしながら、上告人は本件訴訟において第一審以来、一貫して被上告人の請求を棄却する旨の裁判を求め、訴の却下は求めていないのであるから、これに反して被上告人の訴を却下した原判決に対しては、本案についての判断に基づく請求棄却(本件においては控訴棄却)の裁判を求めるための上訴の利益を有する。
のみならず、また上告人は以下の理由により、実質的にも原判決に対して上訴する利益を有するものである。すなわち上告人はその発した救済命令が確定し、または裁判所の判決によって確認されたときは、過料または刑罰の制裁によって使用者に対してその履行を強制すべき任務と権限を有するのである。したがって原判決は被上告人の訴を却下して一見上告人勝訴の判決であるかのごとくであるが、その実質において上告人が本件命令につき被上告人に対して履行を強制することを否定するものであるから、上告人はなお本件救済命令につき被上告人に対して履行を強制するために、本件救済命令を裁判所が確認すべきことを求める上訴の利益を有する(最高裁判所昭和三九年(オ)第三五二号、昭和四〇年三月一九日第二小法廷判決民集一九巻二号四八四頁参照。)
第二 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある(民事訴訟法第三九四条)。
一、不当労働行為制度は、労使関係の流動性を考慮し、労働委員会をしてできるだけ速やかに、当該労使関係において不当労働行為がなかったと同様の状態の回復に必要な措置をとらしめることとしている。
ところで、労働委員会の発する救済命令についてはその実効を確保するため、いわゆる間接強制(初審・再審の段階で確定した命令については、その履行に対して過料(労働組合法第三二条)、確定判決によって支持された命令については、その違反に対して刑事罰(労働組合法第二八条))の方法がとられているが、右の目的を達するために、当該命令が当事者に交付された日から効力を生じ、当該命令を争っている間(再審査あるいは行政訴訟)も、その効力を停止しない(労働組合法第二七条第五項)ものとされている。
つまり、不当労働行為制度は、集団的労使関係における正しい労使関係の速やかな形成に役立てるため、専門家たる労働委員会の判断を使用者が尊重し、たとえ不服があっても、自発的ないし任意にそれに従うことを期待しているものといえる。
二、労働委員会は不当労働行為救済申立事件につき救済命令を発するに当り、不当労働行為の態様に応じて、「原職に復帰させて解雇から復職に至るまでの賃金相当額を支払うこと」、「団体交渉を行うこと」など、使用者に対して種々の作為を命じるのであるが、これらの作為命令には期限が付されていないのが通例である。これは、前述のように労働委員会の救済命令は当事者に交付された日から効力を生じ(労働組合法第二七条第四項)、再審査の申立によってもその効力は停止されず(同法同条第五項)、使用者は即時にこの命令に従うべきものとされているからである。しかしながら、使用者が任意に命令を履行しないときは、命令が確定するまでは労働委員会は救済命令の履行を使用者に対して強制することはできない。すなわち、使用者が命令交付の日から一五日以内に再審査の申立を行なわず、かつ、三〇日以内に救済命令の取消しを求める行改訴訟を提起しないときは当該命令は確定し(労働組合法第二七条第九項)、この場合になお使用者が命令を履行しないときは、労働委員会は管轄地方裁判所に対して救済命令の不履行を通知し(同法同条同項)、過料の制裁に処すべきことを求めることができる(同法第三二条)。また、救済命令が確定判決によって支持されたときは、当該命令を履行しない使用者は一年以下の禁こ、もしくは一〇万円以下の罰金に処せられ、または両者が併科される(同法第二八条)。しかし、命令が確定し、または確定判決によって支持されるまでは、労働委員会としては使用者に対して命令の履行を強制する手段を有しないのである。このことは、本件の謝罪文の掲示を求める命令についても同様である。使用者に対して謝罪文の掲示を命じることも不当労働行為を救済する一方法であり、救済命令の一種であって、使用者に対してその履行を強制することができるのは、命令が確定しまたは確定判決によって支持された後であることは、右に述べたとおりである。
三、本件の謝罪文の掲示を命じる救済命令が、使用者に対して同命令交付後一週間以内に、一四日間掲示すべき旨を命じていることは原判決摘示のとおりである。しかし、このことは、右に述べた救済命令の本質を何ら変更するものではない。
謝罪文掲示命令、いわゆるポスト・ノーティス命令は、使用者の行為が労働委員会によって不当労働行為であると認められたことを従業員(組合員)に周知させ、当該企業における団結活動を保障しようとするものである。したがって、謝罪文を無期限に掲示せしめることは不当労働行為の救済に必要でもなく、また妥当でもない。それ故に、従来から各労働委員会は周知に必要な期間を限度として謝罪文の掲示を命じるに止めてきたのであり、本件救済命令が掲示期間を一四日間としたのもこの趣旨である。
また、ポスト・ノーティスは命令交付後なるべく速やかに行わせることがその効果を挙げるために重要であるが、掲示板作成等の時間的余裕をも考慮して、命令交付後一定期間に掲示すべきことを命じるのが、従来からの労働委員会における実務上の取扱いである。本件命令が命令交付後一週間以内に掲示すべきことを命じたのも、この趣旨である。
右に述べたところから明らかなように、本件救済命令が謝罪文掲示につき履行期限および掲示期間を特定したのは、謝罪文掲示という不当労働行為を救済する手段の特殊性に基づく技術的考慮にすぎないのであって、命令の履行を使用者に強制するのは命令の確定あるいは確定判決による支持をまって行うという救済命令の性質に何らの影響を与えるものではない。したがって、命令交付後からの右期間の経過によって当然にその履行が不能となるものではない。このことは、たとえば、「命令の交付後直ちに」履行すべき旨の作為を命じる救済命令が発せられたことを考えれば明らかである。原判決の判示によれば、使用者は、再審査の申立あるいは行政訴訟の提起をすることによって、何ら命令の履行を強制されることなく期間の徒過を待ち、命令の履行を最終的に免がれるという背理に到達せざるを得ない。
要するに本件命令の趣旨は、使用者の任意の履行に期待して(命令の効力は停止されていないから)履行期限および掲示の期間を特定するが、使用者が任意に命令を履行することなく争うのであれば(争わずかつ履行せずに命令が確定する場合もふくめて)、命令確定(または命令を支持する判決の確定)後一週間以内に一四日間掲示すれば過料または刑罰が科せられることはないというものであると解すべきものである。もっとも、そのような趣旨の命令であるならば、「命令の交付後」とせずに「命令の確定後」と明確に表現すべきである、との主張も考えられないではない。しかし、すでに述べたように、命令の効力は交付の時に発生しているのであり、ただ、法的に履行を強制し得ないだけである。したがって、労働委員会としては交付後速やかに使用者が履行することを期待しているのであり、命令確定までは履行する必要がないことを明示するが如きことは、制度の趣旨からしてなし得ないし、また、再審査の申立ないしは行政訴訟の提起によって使用者が命令を争うことを暗に示唆するような表現を用いることも妥当ではないのである。
四、以上の次第であるから、原判決の判断には労働組合法第二七条の解釈を誤った点において法令の違背があり、かつ、それが判決に影響を及ぼすことも明らかであるから、原判決は破棄さるべきものである。そして、本件救済命令の基礎となった団体交渉拒否の不当労働行為が存在することについては既に争いがなく、事実が確定しているのであるから、上告状、上告の趣旨記載のとおりの判決を求める。
第三 原判決には釈明権行使を怠った違法があり、かつ右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背に該当する。
本件訴は被上告人において、上告人が中労委昭和五二年(不再)第九号事件について同年一〇月一九日付けをもってした命令中、神労委昭和五一年(不)第二八号不当労働行為申立事件救済命令主文第三項を維持して被上告人の再審査申立を棄却した部分の取消しを求めるものである。しかしながら、一審以来、原審口頭弁論の終結に至るまで、被上告人からは、本件救済命令交付後命令第三項所定の期間が経過したことによって同項の履行が不能となった旨の主張はなく、上告人もこの点については何らの主張を行っていない。また、裁判所からもこの点について何らの見解も述べられておらず、当事者に対して釈明も求められていない。
すでに述べたところから明らかなように、救済命令中謝罪文の掲示を命じる部分について、その履行期限および掲示期間を明示することは、昭和二四年現行不当労働行為救済手続の制定以来、上告人のみならず全国の労働委員会においてひろく行われてきたところであり、実務上定着しているばかりでなく、その当否について論じたり、また、原判決判旨のような見解に立って疑問を提起した例は、学説・判例・労働委員会命令を通じ皆無である。また、労使関係の当事者も何ら疑問を抱かず、上告人の前記主張のような見解に従って命令を履行してきたのである。
したがって、このような長年にわたって定着してきた実務を原判決判旨の如き見解によって否定することは、その影響するところがきわめて大きいのであるから、本件の審理において裁判所がもしこのような疑問を抱いたのであれば、当然に当事者に対して釈明を求め、十分に主張立証を尽させた上で判断すべきものである。
しかるに本件においては、何ら釈明を求めることなく卒然として独自の見解に基づいて原判決のとおりの判示を行ったものであるから、明らかに釈明権の行使を怠ったもので訴訟手続に違法があり、かつ、この違法は判決に影響を及ぼすごとが明らかであるから、この点においても原判決は破棄さるべきものである。
以上