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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(行ツ)168号 判決 1983年3月25日

大阪市阿倍野区王子町一丁目一番二三号

上告人

宮森里子

右訴訟代理人弁護士

吉岡良治

大阪市阿倍野区三明町二丁目一〇番二九号

被上告人

阿倍野税務署長

黒澤義治

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五六年(行コ)第四八号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五七年九月一九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代利人吉岡良治の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮﨑梧一 裁判官 木下忠良 裁判官 監野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次)

(昭和五七年(行ツ)第一六八号 上告人 宮森里子)

上告代理人吉岡良治の上告理由

原判決は、次のとおり判決に影響を及ぼすこと明らかなる審理不尽があり、破棄をまぬがれない。

一 事実認定の出発点として生命保険契約申込書とこれに関する園山証言を重要視すべきである。

原判決はほとんど一審判決を踏襲している。原判決は誰との間で保険契約が成立したのかをみるうえでもっとも重要とすべきである生命保険契約申込書(乙二号証の一)について一顧だにしていない。本件申込書は長田の印と宮森の印を預った園山外交員が会社に持って行って同人の上司である井上緑班長から「長田正明を被保険者欄に書いて、保険契約者欄に親を書くというふうに教わり」、同人がその欄に署名し、井上緑が押印したものである(宮森証言)。したがって原判決がこの申込書を事実認定の一つに正しくとらえていれば、他の書証や、証言の一つ一つ、ひいては本件事件全体について原判決とは逆の認定につながったはずである。すなわち、井上緑、園山淑子らによって作成された右申込書と園山のこれに関する証言から出発する限り、本件保険契約の契約者は長田正明であることを明白にしている。

一審判決は

<1> 申込書変更訂正請求書の被保険者欄の記載部分が複写された生命保険証券が上告人に交付され、保管しており、上告人は保険契約者が長田正明ではないことを容易に知ることができた。

<2> 保険料集金人は上告人を名宛人にして発行している領収証を持参して上告人方に集金に赴いている。

<3> 長田正明が保険料の払込分を上告人に交付していた形跡は見当たらない。

等の理由で、保険契約者を上告人としたが、

<1>についてはこまかい固定文字でしかも封筒に入れられて送られてくるものを一つ一つ点検することもしないし、また証券はそのまま長田にわたされている(宮森陳述四九項、五二項)。

<2><3>については、被上告人側が調べたことをそのままうのみにしたもので、上告人はその調査結果については争っている。

二 反対尋問によって裏づけられない供述等をもとにした裁判結果は、行政に対する司法の信頼をうしなわせる。

総じて、原判決は行政当局が更正処分以降、無理に「証拠」がためをした結果をそのまま認めたにすぎない。

原判決が被上告人の調べた結果をそのまま認容し、上告人の主張する保険契約申込書とこれに関する園山淑子の証言から出発しなかったということは、単に証拠の取捨選択の問題であって、上告理由とはなりえないという程度のことではない。

本件は被上告人が税務署長であって、自ら半強制的な「調査」をしてこれを裁判所へ出してくる。いかにも真実が書かれているというやり方である。

<1> 井上緑の質問てん末書(乙五号証)

<2> 保険料徴収関係の回答(乙六号証の一)

<3> 若林保の回答書(乙七号証の一)

<4> 千寿荘の回答(乙九号証の一)

このうち<1><2><4>はいずれも本件訴訟が提起されてからの証拠作成である。

どのような裁判でも、供述・陳述はまず法廷で直接的に調べられ反対尋問に付されたものによって真実が検証されるべきである。一審判決、原判決ともこのようなことをなさず、それらの書類を結果的には認めてしまったのである。その意味で一審判決は裁判の基本から審理不尽をまぬがれないものである。

本件では、その争点からすれば、少なくとも井上緑、あるいは若林保は証人採用すべきである。行政側が一方的につくってきた調書をそのまま裁判の基礎にされ判決が書かれては、裁判そのもの、司法そのものの独立性が問われてくる問題になる。

三 生命保険金の特殊性

生命保険という、争いの時点ではかんじんの当事者が死亡している場合では、いっそう訴訟の進行に慎重であるべきであろう。

以上から原判決は審理不尽をまぬがれないと考える。

以上

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