大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和58年(行ツ)5号 1985年12月13日

上告人

東京都地方労働委員会

右代表者会長

古山宏

右訴訟代理人弁護士

橋元四郎平

鬼倉典正

右指定代理人

及川悌治

松本忠義

右参加人

総評全国金属労働組合神奈川地方本部旭ダイヤモンド支部

右代表者執行委員長

菊池二郎

右参加人

旭ダイヤモンド三重工場労動組合

右代表者執行委員長

今北弘

右両名訴訟代理人弁護士

三浦守正

伊藤幹郎

三野研太郎

横山国男

木村和夫

岡田尚

星山輝男

林良二

飯田伸一

被上告人

旭ダイヤモンド工業株式会社

右代表者代表取締役

田中有久

右訴訟代理人弁護士

岡昭吉

右当事者間の東京高等裁判所昭和五四年(行コ)第一一五号、第一一六号不当労働行為救済命令取消請求事件について、同裁判所が昭和五七年一〇月一三日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人橋元四郎平、同鬼倉典正の上告理由及び上告参加人代理人三浦守正、同伊藤幹郎、同三野研太郎、同横山国男、同木村和夫、同岡田尚、同星山輝男、同林良二、同飯田伸一の上告理由二について

本件につき不当労働行為の成立を否定した原審の認定判断は、原判決の引用する第一審判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし、本件に適切でない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。論旨は、採用することができない。

上告参加人代理人三浦守正、同伊藤幹郎、同三野研太郎、同横山国男、同木村和夫、同岡田尚、同星山輝男、同林良二、同飯田伸一の上告理由一について

原判決及びその引用する第一審判決の説示によれば、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することはできない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大橋進 裁判官 木下忠良 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭)

上告代理人の上告理由

第一点 原判決には、憲法第二八条に違背し、労働組合法第七条第二号の解釈を誤った違法があると思料する。

分説すれば次のとおりである。

一 原審の論旨の基本的構成

原審は、控訴人(上告人)の本件控訴を棄却し、被控訴人(被上告人)の本訴請求を認容するについて、第一審が説示する理由を引用しているので、引用された第一審判決の理由を精査する。

第一審判決は、「同一企業内に複数の労働組合が併存する場合」、「その交渉の形態(ないし方式)は、各労働組合と使用者との個別交渉の形態によるのが原則である」と定言した上で、「このような各労働組合の個別交渉の原則のわくをこえて複数の労働組合が共同して使用者に対し団体交渉を求めること」ができるためには、

(1) 原則的な場合

「複数の労働組合相互間において統一された意思決定のもとに統一した行動をとることができる団結の条件すなわち統一意思と統制力が確立されていることが必要であり」

(2) 例外的な場合

「その間に統一意思と統制力が確立されていない複数の労働組合からの共同交渉の申し入れに対して」<1>共同交渉に関する労使間に「労働協約又は約定等により共同交渉の形態による団体交渉を行うことを約している場合」<2>「共同交渉の形態による団体交渉を行うことが確立した労使慣行となっている場合」<3>「使用者が共同交渉の申し入れに応ずることが合理的かつ相当であると認められる特段の事情がある場合」には例外的に「使用者が共同交渉の申し入れを拒否することは許されない」

旨判示し、本件参加人ら組合は「本件共同交渉申し入れに際し」「前記共同交渉が許されるべき条件すなわち統一意思と統制力が確立されていたものと認めることができず」、さらに前記(2)掲記のいずれの場合にも該当しないとして原告(被上告人)の本訴請求を認容している。

二 反論

(一) 原審の考え方の基本に対する批判

原判決の論旨の基本的構成は、その論理の流れの中に入ってしまえば、一見明快のように思われる。しかし、上告人委員会は、その論理を立てられた基本的視点に先ず疑問を抱かざるをえない。

現行法規は、団体交渉を定義していないが、それは、「労働者の団体が、当該団体又は団体員のため労働条件の維持・改善その他経済的地位の向上を図るため、その団結の威力を背景として、相手方たる使用者と行う平和的手段による交渉」(福岡地裁判昭和三三・九・一八)と理解してよいであろう。

従って、憲法第二八条・労働組合法第七条第二号により団体交渉権を保障される労働者の団体は、一般論的に云えば、使用者と「平和的手段による交渉」の能力を有し、かつ、「労働協約その他合意に達した」事項の履行を保証しうる能力を要請されるといってよかろう。

しかし、団体交渉の本質は、労使間の意思の対立・紛争を労使両組織間の交渉を通じ自主的かつ平和的に処理するチャンネルであり、過程である。それは、開始―続行―終了に至る一連の発展的な過程であり、意思の不一致を一致させようとする労使の継続的な努力の過程である。

よって、前記の法規により団体交渉権を保障される労働者の団体に要請される前記能力は、一つには団交の開始・続行・終了の時的系列において相対的に把握されるべきものであり、二つには団交の対象たる事項の内容との関連において相対的に考量されるべきものである。

しかるに、原審の前記論旨は、団体交渉について、あたかも私法の実体法規におけるような法律要件を独自に想定・整序して、権利の存否の判断過程の如く枠づけた硬直的議論であって、流動的な労使関係の中における団体交渉の前記本質をはっきり見据えて構成した生きた論理ではない。従って、それは、憲法第二八条にもとずき、労働組合法が、不当労働行為制度および公労使三者構成の労働委員会制度を設けた法意に反する独自の見解であって、到底容認することができない。

(二) 併存組合の共同交渉の有する意義

同一企業内に併存する「複数の労働組合が共同して使用者に対し共同交渉を求めることは、各労働組合の闘争力、交渉力を強化するとともに複数の労働組合の組合員相互に共通する具体的要求事項を統一的ないし画一的に解決することを目的とし、その点で意義があるものと考えられる」点は原審もこれを認めているところである。しかし、右共同交渉は、それのみならず、これを通して労働者の連帯の輪をより広く拡げる意味において、憲法第二八条の「勤労者の団結する権利」の強化につながるのである。また、共同交渉の方式の方が当該交渉の進展によっては、「個別交渉による団体交渉」よりも組合間差別の疑念を払いのけて公明な団体交渉が持てる可能性も包蔵しており、この意味において共同交渉の方式は、「個別交渉」によるよりも或る場合には労使関係の安定と正常化に寄与する可能性を秘めていることも無視できないのである。

従って、同一企業内に併存する複数の労働組合が共同して団体交渉権を行使することは、その交渉を

(ア) 「斉一的」でなくとも、整序された形で、

(イ) 「円滑」でなくとも労使双方の努力によって、

平穏に進めることができるのであり、もとより憲法第二八条の定める団体交渉権の保障内にあるのであって、共同交渉のゆえをもって不当の制限を受けるべきではないことはいうまでもない。

(三) 本件共同交渉(“統一交渉”)の拒否

原審は、その認定事実(第一審判決書第四九頁乃至第七五頁)によれば、本件共同交渉申し入れを原告会社が拒否した当時、参加人ら組合間に「統一意思と統制力」が確立されていたと認めることができず、従って、被控訴人(被上告人)会社は特段の事情がない限り本件共同交渉を拒否することができる旨判断している(同判決書第八六頁、第八七頁)。しかしながら、

(1) 本件は、団体交渉の開始―続行―終了に至る過程のうち開始にかかわる案件である。従って、団体交渉「開始」の段階で、原審が掲げる「統一意思と統制力」の確立というような硬直した基準によって、本件共同交渉の開始段階における団体交渉拒否の正当事由の有無を判断することは、(一)で既述した団体交渉の本質ならびに(二)で既述した併存組合の共同交渉のもつ意義にかんがみ、失当である。

本件においては、本件救済命令が「第二判断第二項」で述べているとおり、「両組合がともに被申立人会社の雇用する従業員で構成されており、さらに両組合の要求事項が同一(この点は、「要求事項の主要な部分が同一」と云うのが正しい)であって、両組合が統一交渉を望んでおり、しかも昭和四六年までには何回かいわゆる統一交渉が行われた実績」がある。また、(ア)これらの“統一交渉”によって成立した合意事項が本件労使間で履行され、(イ)昭和四二年に本件使用者側から両組合に対して“統一交渉”を申し入れた事例もあり、(ウ)両組合がそれぞれの自治規約の手続を履んで本件“統一交渉”を申し入れたことは、本件証拠に徴し、明らかである。

これらの証拠により明らかな事実に徴すれば、本件共同交渉を申し入れた段階においては、参加人ら組合の間には、原審が認定しているような「一種の協力関係」にとどまらず、それ以上に緊密な結合関係にあったと認めることができるのである。すなわち、参加人ら組合が本件使用者たる被上告人会社に対し、

(ア) 「斉一的」といえなくとも、整序した形で、

(イ) 「円滑」といえなくとも、労使双方の努力によって、特段の混乱を生ずることなく、

本件共同交渉を有効に進めることができ、しかも、当該交渉によって合意に達した事項の履行も十分に期待できる状況にあったと認めるのが虚心にして自然な見方である。

(2) 両組合の本件「要求事項」は、その主要な部分が同一であるばかりでなく、等しく昭和四九年年末一時金にかかわるものである。

労使間の対立または紛争は、経済的な利益の対立の外に、「価値の衝突ないし対立」もあり、一般論的に言って、前者の方が後者より妥協に達し易い傾向にある。本件労使間においては、過去「昭和四六年までに何回かいわゆる統一交渉が行われ」協定が成立した実績があるが、それらの団体交渉の対象事項はいずれも経済的利益にかかわるものであって、本質的な「価値の対立」に関するものではない。従って、本件団体交渉の対象事項が共同交渉にも親しみやすく、妥結に達しやすい性格のものであることも看過してはならない。

以上の次第であるから、本件共同交渉をその窓口において閉ざしてしまった原審の前記判示は、労働組合法第七条第二号の解釈を誤まり、ひいて、憲法第二八条が労働者に保障した団体交渉権の行使を否定するものであって、同条に違背している。よって、原判決は破棄されるべきものと思料する。

第二点 原判決が上告人委員会の本件命令を取消したのは、憲法第二八条および労働組合法の趣旨に反することについて更に以下のとおり、その理由を追加する。

一 憲法第二八条が労働者に対していわゆる労働三権・就中団体交渉権を保障した所以のものは、使用者に対する労働者の劣位に着目し、団結力を背景とした使用者との団体交渉を通じて、労働条件の対等な決定を確保し、もって労働者の経済的地位の向上を図ろうとしたものであることはいうまでもない。

そして、労働条件に係る労使間の諸問題の解決は、団体交渉という平和的方法によって処理されることが望ましく、しかも現実にも、大方この方法によって問題の解決が図られているのが通例であるから、その意味で団体交渉権は、労働三権のなかで中枢的地位を占めているといえる。

二(一) ところで、我国における労働組合は、いわゆる企業内組合が大部分であるから、当該企業内労組と使用者とが一対一の形で団体交渉を行うのが通例であろう。

(二) しかし、現実には、企業内労組が上部組合に加盟して上部組合と当該企業内労組が複数で使用者と団体交渉を行うことがあり、また、企業内の複数組合が連合体を組織して、その連合体とある企業内労組とが複数で、使用者と団体交渉を行う例がしばしばみられ、しかもこのような複数組合との団体交渉は、是認されており、これを拒否した場合には、一般に不当労働行為に該るとされる。かかる事例は、通常、単独の企業内労組だけでは、対使用者との関係で交渉力が劣るので、当該労組が上部組合に加盟し、或いは連合体を結成して、対使用者に対する交渉力を強めようとするために生ずる複数組合と使用者との団体交渉の形態である。そして、これが是認されるのは、労使対等の原則に照らし、実質的に対使用者との関係で、バランスを崩すことにならず、かえってバランスが図れると解されているからにほかならない。

(三) ところで、右事例は、上部組合あるいは連合体と企業内労組といういわば、縦の関係における複数組合と使用者との団体交渉形態であるが、本件は、同一企業内における両組合が、その交渉力を強めるため、それぞれ主体性を有しつつも、いわば横の関係で連帯した複数組合と使用者との団体交渉形態である。そして両者を比較した場合、縦と横の違いがあっても、両者とも、単独の組合では交渉力が弱いので、これを強化するために、複数組合が共同して、使用者との団体交渉を行おうとするものである点ではその本質に変りはない。とすれば前者(縦の関係)のみが是認され、後者(横の関係)が否定されなければならないいわれがないのみならず、これを実質的にみても、後者の場合は、複数組合がそれぞれ主体性を有している関係上、交渉力の強化という点では、前者に比し劣ることは否めないのであるから、それとの均衡上からも、労使対等の原則に照らし、当然、是認して然るべきものである。

(四) また、原判決は、本件の如き共同交渉形態では、交渉の斉一的取扱いは期し難い旨、判示する。しかし、本件においては、結局、「複数の労働組合が同時に同一場所で使用者との団体交渉を求めることに帰する」(第一審判示)のであって、これに応ずることに特段の支障はないのであるから、被上告人会社は、両組合と団体交渉を行えば事はすむのであり、仮りに両組合と同一内容で妥結したような場合には、使用者と両組合とが別々に協定書を作成すれば事足りるのである。原判決の理由とするところは、両組合と共同交渉を進めるうえで何ら実質的障害とはなり得ないのである。

三(一) およそ、法律上、団体交渉が問題になるのは、使用者側がこれを拒否した場合である。従って、団体交渉については、団交拒否の正当事由を実質的に判断することが、問題の基本であり、このこと以外に、私法の実体法規におけるような団体交渉請求権の法律要件の如き概念を想定し判断する必要はない。このような判断の論理は労組法と労働委員会制度の本旨になじまないものである。右の理は共同交渉の形態による団体交渉においても、もとより異なるところはなく使用者が右申し入れを拒否した場合に、「正当性」があるか否かを実質的に考察し判断することをもって足りるのである。

しかるに、原審引用の第一審判決は、「共同交渉の形態による団体交渉を求めることができるためには、複数の労働組合間において統一された意思決定のもとに統一した行動をとることができる団結の条件すなわち統一意思と統制力が確立されていることが必要である」と判示する。

右は、団体交渉申し入れの適格要件なるものを厳密に打立て、申し入れの時点において、あたかも右適格性の具備如何を審査する必要があるとするかの如き顛倒した論理である。更に、団体交渉の申し入れの時点で、本来労働組合内部の問題たるべき「統一意思と統制力」の存否について、事実上会社の恣意的な判断を許すことになり、団体交渉のいわゆる窓口における論争をいたずらに招来し激化させるものにほかならない。このような判示は、団体交渉の本質と流動性を無視し、団体交渉拒否の正当性の問題の基本を見誤った謬論である。

(二) 1.ところで、労働組合法第七条第二号は「使用者が雇用する労働者の代表者と団体交渉をすることを正当な理由がなく拒むこと」は不当労働行為にあたると定めている。即ち、団交拒否事件において、労働者側に要求される要件は、「労働者」の代表であれば足りるのであって、「労働組合の代表」(同法第六条との対比)のような団体性をもたなければならないものではなく、いわんや、原判決の「統一意思と統制力」の確立ということまで要求されるべき根拠は、労組法上どこからも出て来ないのである。

2. 右労働組合法第七条第二号の要件を、本件共同交渉にあてはめてみた場合、次のとおりとなる。

(1) まず、相上告人全金旭ダイヤモンド工業支部、および旭ダイヤモンド三重工場労働組合の両組合の組合員が、ともに「被上告人会社の雇用する労働者」に当るものであることは全く争いが無い。

(2) 次に、両組合の組合員から選ばれた執行部のメンバーが、共同交渉の代表者となっているのであるから、両組合のメンバーが、「労働者の代表」にあたることは明白である。

ところが、原判決はこの事実を看過ないし無視し、「統一意思と統制力」なる独自の理論の下に、団体交渉は一の労働組合と使用者との個別交渉の形態によるのが原則であるとし、例外的に行われる複数組合による団体交渉の場合においても、個別交渉と同視するに足りる程度の「統一意思と統制力」が必要であるとし、本件の場合は、その要件を欠くゆえをもって、不当労働行為に該らないなど、労組法上、明文に定めのない要件を持ち出し、本件団交拒否事件を判断していることは的はずれというにとどまらず、明白な誤りを犯しているのである。

(3) 前述したように、本件において吟味さるべき実質的問題は、被上告人会社が共同交渉をすることを「正当な理由がなく拒」んだかどうかの点のみである。

被上告人会社の共同交渉の拒否理由は、単に共同交渉であるからというだけである。これについては、何ら合理性がなく、会社の共同交渉拒否には、正当な理由がないといわざるをえない。

ただ、共同交渉の場合には、個別交渉の場合と異なり、複数の労働組合が主体性を有しつつ、同時に同一場所で使用者と団体交渉を行うのであるから、両組合間に一定の協調関係が要求されることは、条理上当然であろう。従って、使用者としては「労働者の代表」である両組合との共同交渉に応ずるに当って、事前に協調関係を欠くことが明らかに予想されるような場合には、これを拒否することも許されるであろう。その意味で、上告人委員会としては、「一般に労働組合が、自己の選択する交渉形態を常に使用者に強制し得ると解することはできない。」(命令書五頁九行目)と判断したところである。

しかるに、本件共同交渉の場合においては、既述のように(第一点、二(三)(1))そのような恐れは殆どないのみならず、かえってこれを勧奨すべき緊密な結合関係が存在しているのであるから、被上告人会社の拒否には、合理性がないこと明らかである。

3. これを要するに、労組法第七条第二号違反事件としての、本件共同交渉拒否事件において吟味されなければならないのは、共同交渉拒否理由の「正当性」如何のみである。そして、原判決の説示するような両労組の「統制力と統一意思」の確立などは、いかにも硬直した実体のない法律概念に属し、正当性の判断の基準たりえないものである。「正当性」如何については、むしろ、実質的に会社の反組合的意思の存否を問題にする必要があるのである。

換言すれば、被上告人会社が共同交渉に応ずることによって、両組合の交渉力が強まることを嫌悪したがゆえに拒否したかどうかを判断しなければならず、かつこれをもって足りるのである。しかるところ、本件の場合、まさに両組合の交渉力が増大することに敵意を抱き、被上告人が共同交渉申入れを拒否したものであることは疑いなく、しかも、これが認め難い格別の事情(協調関係がないこと)も存しないこと前述のとおりであるから、被上告人の右拒否が不当労働行為に該当することは明白である。

第三点 原審は、最高裁昭和五二年二月二三日大法廷判決に反し、判決に影響を及ぼすこと明かな法令の違背がある。

一 すなわち、原審は、

右大法廷判決が「法が、労働委員会に広い裁量権を与えた趣旨に徴すると、訴訟において労働委員会の救済命令の内容の適法性が争われる場合においても、裁判所は、労働委員会の右裁量権を尊重し、その行使が右の趣旨、目的に照らして是認される範囲を超え、又は著しく不合理であって濫用にわたると認められるものでない限り、当該命令を違法とすべきではないのである」と判示するところに違反するものである。

以下にその理由を述べる。

すなわち、原審は、労働委員会制度および労働委員会における不当労働行為制度の趣旨と裁判所における労働委員会の救済命令の司法審査の在り方について著しく認識を欠いている。

(一) いうまでもなく、労働委員会は、憲法第二八条の趣旨を実現するため、司法裁判所とは別個に、労働組合法によって設けられた行政機関である(労組法第三章)。しかして、労働委員会が不当労働行為を審査するに当っては、司法裁判所におけるが如く、権利・義務の存否を確定することによって労使紛争を解決するのではなく(もとより、そのような権限もない。)、過去の事実については勿論、現在および将来における当該労使関係の実体を事実の側面から(法的側面ではない)洞察し、究極的には当該労使の正常な形成・発展にとって何が役立つかという観点に立って審査し、命令を発するのである。

そして、本件におけるが如く、すぐれて事実的な側面が重視さるべき団交拒否事件においては、なおさら右のような観点からの審査が要請されるのである。

(二) 上告人委員会は、既に述べたように、労組法七条第二号の要件に依拠しつつ、本件共同交渉拒否には結局において、正当理由がないと判断して、救済命令を発した。これを敷衍すれば、本件労使関係の実体に着目して、同一企業内に併存する複数組合が交渉力を強めるため共同交渉を行うことは是認されること、両組合間に緊密な結合関係が認められること、一方、使用者たる被上告人会社にとっては、これを拒否しなければならない実質的不利益もとくに見出し得ないこと、などを考慮し、同一の企業内の労働者の組織が別であっても、基本的労働条件については、同時かつ同一内容で確定されることが労使双方のために有益に作用し、将来の安定した労使関係の形成に役立つという観点に立って、本件救済命令を発したのである。

(三) 従って、原審が、行政処分たる本件救済命令の司法審査を行い、これを取消すとした場合には、右にのべたような観点で発した救済命令が労働委員会および不当労働行為制度の趣旨からしても、なお違法たるを免れないという視点に立ってのみ取消すべきである。

(四) しかるに、原判決は、右のような観点を全く顧慮することなく、当初から裁判所に係属した不当労働行為事件を自ら司法判断する場合と全く同様、私法上の権利・義務の確定という別個の判断基準をもって上告人委員会の発した本件救済命令を取消した。これは、前記最高裁大法廷判決の趣旨に背くものであって、この点においても違法性は明らかである。

第四点 仮に、第一ないし第三点指摘の違法がないと仮定しても、原審が、(一)本件共同交渉申し入れを原告(被上告人)会社が拒否した当時、参加人ら(上告人ら)両組合の間に「統一意思と統制力」が確立されていたものと認めることができないとしたこと及び、(二)被上告人会社が本件共同交渉の申し入れに応ずることが合理的かつ相当であると認められる特段の事情があるにもかかわらず、これを認めていないことは、いずれも採証の法則に違反し判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認および事実の評価を誤まった違法があるので、破棄を免れない。とくに原審は右(二)について前記「特段の事情」が認められない理由として、第一審判決第九四頁乃至第九六頁にわたって(ア)乃至(エ)記載の事実を挙げて参加人ら組合には、本件共同交渉によるべき「統一意思と統制力を欠き原告会社との間に共同交渉を斉一的かつ円滑に進め交渉結果の統一をはかりその履行を確保する」一般的な保障も具体的な保障も認められないと認定しているが、第一審判決挙示の(ア)乃至(エ)記載の事実から右認定を導き出している推論には無理があり合理性に乏しいものである。

なお、追って上告理由補充書を提出し、この上告理由を補充・敷衍します。

以上

参加代理人の上告理由

一 絶対的上告理由

原判決には、民訴法第三九五条一項六号に定める理由不備及び、理由そごがある。

(1) 原判決は、その「理由」で、「当裁判所も、被控訴人の請求は理由があるからこれを正当として認容すべきであると判断する。その理由は、原判決(ここでは一審判決をさす。)がその理由において説示するとおりであるから、これを引用する。」と判示した。

(2) これは要するに、理由については、あげて一審判決の説示理由を引用する、というものである。

(3) しかしながら、これには以下のとおり、理由不備、及び理由そごがあるといわざるを得ない。

第一に、控訴審になってから、新らたに付加された争点が存在するのである。ひとつは、本件両労組が、連合会を結成してそれによる交渉をおこなうようになったことである。この事実をどう評価するのか、本件共同交渉拒否の適否を判断するうえで影響があると考えればこそ、当事者双方からこの件についての主張、立証が付加されたのである。

ふたつには、将来にわたる抽象的不作為命令の適否というかたちで、本件救済命令の適否が新らたに控訴審で付加された争点になっていたのである。これも、この点についての判断如何によっては、原判決の結論自体を左右しかねない影響があるものであった。しかも、これら二つの争点は、単に控訴審になってから付加されたというにとどまらず、裁判長中川幹郎自らが、この争点について双方当事者にそれぞれの立場から主張(準備書面の提出)を整理したうえで提出するよう訴訟上の指揮(釈明要求)をしたものだったのである。

そこで、当事者双方とも、それにこたえて、この二つの争点につき各々準備書面をもって主張をし、さらに前記ひとつ目の争点については証人立証すらおこなっているのである。

しかるに原判決では、自ら釈明要求をし、そのための弁論期日を入れてまで設定したこの二つの争点について全く一顧だにしていない。これは理由不備、及び理由そごであるばかりでなく、訴訟上の信義則にも反するものである。

第二に、控訴審は、「第二の事実審」として、「事件について改めて事実認定と法律判断をし直す」ものであり、第一審判決に対する不服の当否を審判する限度ではあるが「事件の再審理をする」ところである(兼子一、民事訴訟法体系、四四八頁)。

したがって、「新たな資料を補充して、時を新にして原判決がなお維持できるかどうかを調査する」ものでもある。

ところで、原判決は右第一で述べたとおり自ら付加設定を促した二つの争点について何ら判断していないほか、上告人が控訴審において力説した、本件共同交渉拒否の真意が、旭ダイヤモンド支部が上部団体全国金属労働組合に加入したことによる三重労組との共同行動の強化を懸念して、その影響力の及ぶのをはばもうとしてその一環としてなされたものである(したがって、不当労働行為の意思をもってなされたものであることが明白である)との主張、立証に対して、これまた一顧だにしていない。この点は上告人の主張・立証としてはまさに核心部分なのである。それにもかかわらず、原判決は全く判断すらせず、無視し去っていることは、理由不備、及び理由そご以外の何者でもない。しかもこの点については、第一審の審理の中ですでに上告人からは主張、立証してあったにもかかわらず、違法不当にも第一審判決がこれについて理由中で全く何らの証拠判断も示さないまま、「原告会社が恣意をもって共同交渉を拒否しているとはいえない」と結論づけている(審理不尽)ことから、上告人は「不当労働行為の意思という明らかな『恣意』をもって拒否しているものにほかならない」ことを控訴審で新らためて力説しておいたものである。

しかるに、これについて一顧だにしないまま、「原判決(一審判決)の理由を引用する」のたったひと言でかたづけている本件原判決は、この点について理由不備、理由そごがあるばかりでなく、結局、第二の事実審として十分当事者を納得させるような(結論はともかく、少なくとも当事者が力説した争点について、せめて判断するぐらいはするような)判決を下すという当然かつ大前提の要請にすら反しているといわざるを得ないのである。

第三に、上告人は控訴審で、「都労委の命令がでたらそれにしたがう」との会社回答についても主張しているのに原判決はこれにも一顧だにしていない。この点も重大な理由不備及び理由そごがある。

(4) 以上の点において原判決は破棄されるべきである。

二 一般的上告理由

原判決には、民訴法第三九四条に定める憲法解釈の誤り、及び判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背がある。

すなわち、原判決は、憲法第二八条に定める団体交渉権の解釈を誤っており、また、労働組合法第七条二号に定める団体交渉拒否の不当労働行為についての法律判断に過誤があり、しかもこの判断の過誤は原判決の結論に影響することは明らかなものである。

(1) (憲法解釈の誤り)

周知のように、日本国憲法二八条は、明文をもって、団体交渉権を、労働者の基本的人権として保障した。

従って、団体交渉権は労働組合が結成されている場合の、その労働組合の権利なのではなく、労働組合に組織されていると否とを問わず、労働者自身の人権として位置づけられるものである(中山教授「現代労働法講座四巻」一一頁)。ただ、労働者はその階級的属性(もっぱらその「労働力」を資本家に売り、その対価として賃金を得て生存を維持する)から、できるだけ多数が結集して交渉する以外、実質的な労使対等をかちとり、自らの労働力を適正に使用者に買いとらせることはできない。そのため、さまざまな団結体を結成する。その典型が労働組合である(但し、これとてもその団結力の強弱、団結の形態においてさまざまな違いがある)。このように労働者が、自らの労働条件を集団的に―その典型は労働組合を通じて―決定しうることを権利として保障したところに、わが憲法二八条の存在意義がある。

とするならば、本件両組合が、それぞれの組合員の意思の反映として、共同交渉の申入れを会社にしたことは、右にいうできるだけ多くの者が結集して交渉を申入れたことに他ならなく、まさに憲法二八条で団交権を権利として保障した趣旨に根本的に合致するものである。また、このように複数組合からの(しかも同一企業内の)共同交渉の申入れによる団体交渉の保障は、それぞれの組合の団結力の強化(その内容は交渉力と闘争力=団体行動力の強化)につながり、それが組合員の一人一人の利益につながることが明らかな以上、憲法二八条に定める団結権保障の趣旨にも合致するものである。従って、本件両労組の共同交渉の申入れは、まさに憲法二八条によって保障された団体交渉権の行使である。

これを排斥した原判決は、憲法二八条に定める団体交渉権の解釈を明らかに誤ったというほかないものである。

(2) (法令解釈の誤り)

つぎに、原判決は、具体的な本件事案のもとで、本件会社の拒否にあった本件両労組の共同交渉の申し入れについて、あげて一審判決の判断理由を引用している。しかし、一審判決が、本件のような同一企業内の複数労組からの共同交渉について、一般論としてどのように理解すべきかを述べた部分(一審判決の「理由」中の「六、不当労働行為の成否」の「1」の部分)の法律判断は完全に誤っている。

(イ) 第一に、同一企業内に複数の労働組合が併存する場合でも、個別交渉が原則であるとし、その原則のわくをこえて共同交渉を求めることができるためには、複数組合相互間に統一意思と統制力が確立されていなければならないとする点である。

この判断の誤っていることは、まず、個別交渉が原則であると言い切っているが、前述のように団結の仕方や団体交渉の形態(方式)には種々のものがあり、そのような原則は一律、かつ、形式的に容認すべきものではない。このような原則のたて方は全く一審の独断に過ぎない。

また、「統一意思と統制力」論なるものは、あまりにも現実の労働関係の実態から遊離した観念的な考え方である。現実には、右判決でいう「統制力と統一意思」の薄弱な、もしくは欠如しているような労働組合が少なからず存在しており、したがってまた右判決が憂えるような、交渉をしても進展がなく、甚だしきは、交渉では妥結しても組合大会で否決された結果、それが無に帰する例も皆無ではない。しかし、だからといってそのような組合からの団交申し入れを拒否すれば不当労働行為となると解すべき点では異論はない。

なぜなら、「統制力と統一意思」の問題は、ひっきょう、組合の内部統制=団結力の次元に属することがらであって、そのことと団交拒否の不当労働行為の成否の問題とは直接に結びつくものではないからである。この点に原判決及び一審判決の問題の混同がある。

(ロ) 第二に、原判決(及びその引用する一審判決)が、「統一意思と統制力」が形成されていない団体との窓口(入口)段階での団交拒否の正当事由としてあげているのは、<イ>その構成員の意見の相違により使用者との団体交渉を斉一的かつ円滑に進め交渉結果の統一をはかることが困難なこと、<ロ>仮にその交渉によって合意に達してもその履行の保証がなく、交渉の成果が無に帰するおそれが強いこと、の二点である。

しかし、ここであげられている理由は、交渉が開始された後交渉の進展過程において生ずる可能性のある問題と、妥結後の合意の履行に関して生ずる可能性のある問題に関するものである。ここでは団交の「開始」そのものにかかわる要件が述べられているものではない。

本件に即して団交「開始」の要件をいえば、両組合の要求が基本的に統一され両組合が共同で交渉する意思が確立されているかぎり、使用者はそれを拒否できないと考えることこそ正しい理解というべきである。労組法上の不当労働行為制度は、労使の対等な立場による団交の促進という目的をもつ以上、団交「開始」の要件としては、仮りに「統一意思」を問題にするとしても右のような意味での統一意思の確認をもって足りるというべきだからである。

原判決は、結局団交の進展とその中で起こりうる結果を想定して、それをもって、団交開始のための要件として論じているというほかなく、この判断は順序としては逆であり、不合理なものである。たしかに、両労組が団交を開始した後に、進展が望めないような事態が生ずることもあるかもしれない。しかし、それはその段階で十分に対応策があることである。使用者にその時点で団交の中断なり打ち切りなりを宣言しうる正当事由がそなわったとして対処することもできるからである。しかも、団交を開始しても、そのような事態が発生するとはかぎらない(むしろそのほうが強い)のである。したがって、原判決は、団交「開始後」に起こりうる可能性の一つを根拠として、「統一意思と統制力」論なるものを組み立て、これをもって団交「開始」の要件とするという、重大かつ致命的な論理的誤りをおかしているといわざるを得ないのである。

なお、以上の諸点については上告人が控訴審で提出した各準備書面で詳細に述べているのでそれを援用する。

(ハ) また原判決(一審判決も)は現行不当労働行為制度について根本的な誤解をしている。

中山教授も説かれるように、「団体交渉はその本来の属性において労働者の団体行動の一つであり、法的問題として登場してくるのも、まず、その側面においてであった。相手方をして交渉に応ぜしめるのは、それが権利として尊重されるからではなくて、労働者の団体行動の威力によった。労働者の団体行動の威力によって団体交渉の窓口がひらかれ、交渉が促進され譲歩が生まれ、合意が達成される。このことは法的に団体交渉権が人権として保障されるにいたった現在においてもなお真実である。これにたいして労働委員会と裁判所は、労働者の団体行動の威力を現実化する前に、団体交渉の窓口をひらかせ、交渉を促進することを通じて労働争議の予防および発生した労働争議の解決を促進する役割を果しうるにすぎない。労働委員会が団交応諾命令をもって労使の間に介入するのは、したがって団体交渉のすべての局面についてではなくて、一部の、特殊な局面についてであるにすぎない。しかも、労働委員会における団交拒否事件は、後にふれるように判定的事項であるよりも調整的事項であることが多い特殊な性質をもっている。」(前掲書二二頁以下)

また不当労働行為制度のなかで、「団交拒否事件は、つまり団交権の侵害があって不当労働行為=違法を構成するかどうかが純粋に争われる事例は稀であって、多くは団体交渉が行き詰りに達したうえでの団体交渉拒否であってみれば、行き詰りの打開、したがって調整による交渉の再開、促進が労働委員会の主たる任務となるからである。日本の法制が判定的機能と調整的機能とを労働委員会という一つの行政機関に付託していることは、団交拒否事件を処理する上でむしろ貢献している、ということができよう。団交拒否事件について、労働委員会は労使それぞれの主張をきき、両者の間の仲介者となり、ときには労働委員会の立会いのもとに両者の交渉を開かせる。こうして団交拒否事件の多くは―というより実質的部分は、労働委員会にとっては調整的事項であって、あっせん、または調停の努力が不調に終ったときにおこなわれる救済命令も実質的には調整的性質を失わないものが大部分を占める。つまり、団体交渉をおこなわしめることによって労使関係の将来へむかっての展開を促進することを目的とする救済命令が発せられる。行き詰っている交渉事項そのものについて、直接労働委員会が調整をおこなうのではなくて、その前段における、労使の自主的交渉の再開による行き詰りの打開を目的とする。したがって交渉の行き詰り―使用者側の最終提案があって、労働者側がそれをうけいれない事態が存在するばあいでも―が前提であって交渉が行き詰っており、打開の見通しがないことを理由に、労働委員会の団交応諾命令が妥当性を欠くということは、本末を転倒した議論だといわなければならない。その意味で労働委員会による団交応諾命令について、裁判所が連続しておこなっている取消判決には、根本的な疑問があるといわざるを得ないのである。」(同書二七頁以下)

以上の観点からするならば、原判決は、右労働委員会の役割と機能を全く無視したものと言わなければならない。

すなわち、裁判所は不当労働行為事件に関しては、深い専門的知識経験を有する行政委員会としての労働委員会の判断を尊重すべきであり、しかも前述のように団体交渉拒否事件の特殊性を考えるならばなおさらのことである。

この点、原判決は自らの下した別件の判断(オリエンタルモーター事件昭和五七年一月二〇日決定)とも全く矛盾しているのである。

以上のように原判決は労組法七条二号の解釈を誤り、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものである(なお、この点については相上告人である東京都地方労働委員会の上告理由を援用する)。

(ニ) 原判決が引用する一審判決に対しては、学者の批評も、すべて批判的である(竹下英男「企業内併存二組合の共同交渉要求と使用者の応諾義務」労働法律旬報九九九号。道幸哲也「併存組合の共同交渉要求に対する拒否の不当労働行為性」季刊労働法一一六号。中村和夫「企業内共同交渉要求と使用者の応諾義務」労働判例三四六号など。)

(3) 以上の通り、原判決は憲法の解釈に誤りがあり、かつ判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背があるので破棄を免れないものである。

以上

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