最高裁判所第二小法廷 昭和59年(あ)1643号 決定 1985年9月11日
本店所在地
東京都台東区上野一丁目二番三号
株式会社 犬塚信夫商店
右代表者代表取締役
犬塚康雄
本籍
東京都台東区上野一丁目六番地
住居
同 台東区上野一丁目二番三号
会社員
犬塚敏子
昭和一〇年九月二五日生
右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五九年一一月二八日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件各上告を棄却する。
理由
弁護人古川太三郎、同佐藤充宏の上告趣意は、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 大橋進 裁判官 木下忠良 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭)
昭和五九年(あ)第一六四三号
○ 上告趣意書
被告人 株式会社犬塚信夫商店他一名
右両名に対する法人税法違反被告事件の上告趣意は次の通りである。
昭和六〇年二月六日
右主任弁護人
弁護士 古川太三郎
右弁護人
弁護士 佐藤充宏
最高裁判所 第二小法廷 御中
記
原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の認識があり、これを破棄しなければ著しく正義に反することを認めるに足りる理由がある。
一、即ち、原判決は弁護人らの「昭和五四年六月期及び同五五年六月期の定期預金、預け金、差入保証金、有価証券等の大部分につき、被告会社の代表者犬塚康雄(以下単に康雄という)及びその家族などの個人に帰属すべきものであるところを被告会社に帰属するものと認定するのは、重大な事実誤認である」とする控訴趣意に対し、「しかし、被告会社の対象事業年度における所得の中には、被告会社の売上の外、有価証券の売却益、定期預金、株式等の利息、配当金等を含んでいるのでその関係で本件資産の帰属如何が問題とならざるをえない」(原判決八丁、九丁)としながらも、その主張をしりぞけた。
二、その理由とするところは、一つは、「本件資産はその大部分が売上除外等被告会社の資産によって形成されたものである」というにある。
しかしながら、原審においても主張した如く信夫の遺産にかかる遺産分割協議書によれば、信夫の遺産の中現実の現預金とみられるものは、わずか六万八一二九円にしか過ぎない。
信夫ほどの経歴、財産を有する者が右程度の現預金しか保有していなかったとは考えられず、その財産の一部は不動産となり、一部は有価証券に転化していたと考えることが相当である。
被告人犬塚敏子(以下単に被告人敏子という)が第一審公判廷において「信夫が死亡した時土地のお金とか信夫名義の株とかは全部二号の女性が持って行った」旨供述したとしても、現実には康雄一家にもかなり多額の株等が残されたはずである。
もし、二号の女性に多額の株等が行っていたとしたら、康雄一家がこれを隠し立てする必要は全くないのであるから、すすんでこれをその後の相続税の調査の際税務当局に申述し、二号の女性を窮地に陥れることができたのにもかかわらず、このような形跡は全くみられないことからすれば、やはり、信夫の財産のほとんど全てが康雄一家に承継されていると考えるのが、自然である。
三、株式取引調査書(甲七六)では、同四四年一〇月三日以降の株式売買しか明確にできないが、同日より信夫死亡までの間だけでも約一二〇〇万円の資金が株に流入していることが明らかである。
原判決は、「イヌヅカキヨシ」及び「イヌヅカキヨコ」名義の取引については、さすがに信夫の取引であることを認めるが、「金井峰子」「金井朋子」名義の取引については信夫の取引ではない旨判示する。
たしかにこれらの名義は、信夫死亡後も引き続き取引が為されているものの信夫の生前にこれだけ多額の取引を被告人敏子が自由に行なえたかは、極めて疑問である(康雄は全く株の取引をやっていなかったので、信夫でなければ、被告人敏子がやった取引ということになろう)。
被告人敏子は、信夫にとってはあくまでも嫁にしか過ぎず、その者に対し信夫がこれだけ多額の金員を自由にさせていたとは考えられない。
仮に百歩譲っても原審の判示どおりこれらの取引が被告人敏子の取引だと考えても、要するにこの期間に信夫か被告人敏子かのいずれかが約一二〇〇万円分の株を保有していたことは疑いのないことでありこれが後に、より多額の株に化体していったことが当然考えられることである(原判決は、この期間の取引につき当然のことながら、信夫か被告人敏子かの株の取引であることは議論しえても、被告会社の取引であったかどうかということについては全く触れることすらできなかった位であるから、いずれにせよ「個人」の財産であることだけは明らかである)。
四、次に原審でも主張した申述書一枚のものに記載された金二〇〇〇万円については、確かに康雄自身は、押入納戸にあることを見たことはないにしても、現実にこのような申述書が作成され、これに基づいて相続税すら追加支払っていることからすれば、押入納戸に預金があったかどうかはともかくとしても、これに相当する何らかの信夫からの遺産が存したはずであり、だからこそ、康雄らも納得して右の如き申述書に署名したものである。
従って、いずれにせよ信夫の遺産に遺産分割協議書に記載してある以外に二〇〇〇万円に相当する遺産の存したことは疑いのないことである。
五、康雄及び被告人敏子の可処分所得については、原審でも述べた如く五〇年から五三年にかけて約四六〇〇万円存することが明らかであり、これらも又被告会社の資産形成に混入していることは疑いのないことである。
六、仕入過大、売上除外により得られた金員についても、原審において主張した如く、せいぜい売上の一割程度しかできないのが実情であり、だとすると検察官主張の如き莫大な金員にはなり得ないものである。
常識的にみて、わずか一坪程度の店舗で一か月約五〇〇万円の売上除外等などできるはずはなく、検察官の主張は、常識を考えずひたすら数字合わせをした結果の事実に全くそぐわない数字であるといって過言ではない。
何より、本件全証拠をみても検察官主張の如き売上除外等がなされたことを明白に立証するものは何もない。
この点においては、原判決は証拠に基づかず事実認定を為したとの謗りを受けてもやむを得ないところである。
七、結局本件資産の帰属如何を問題とするに当っては、右の如き信夫からの遺産、康雄、被告人敏子の固有の財産等の存在を考慮しなければならない。
本件資産の口座を管理運用していた被告人敏子は、最終的には身体の弱い夫康雄が将来働けなくなった場合においても夫康雄をはじめとする一家が生活に困らないためにこれらの資産を運用していたものであり、究極的には、康雄一家のために為していたことは疑いのないことである。
従って、その意思は個人のために為したものであるから、その資産も又個人に帰属すると考えることが自然である。
査察段階において、本件資産が被告会社の資産である旨申入れ等を為しているのは、個人の資産であれば税額が莫大となり、結局は自分達の資産が減少するためにとった便宜的な方法であり、これをもって本件資産を被告会社のものと認定するのは誤りである。
八、結局、本件資産は個人に帰属しているものであるにもかかわらず、これを全て被告会社に帰属するとした原判決の認定には重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するので、原判決は破棄を免れないものである。