最高裁判所第二小法廷 昭和59年(オ)434号 判決 1987年2月13日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人中平健吉、同河野敬の上告理由について
学校の教師は、学校における教育活動によつて生ずるおそれのある危険から児童・生徒を保護すべき義務を負つているところ、小学校の体育の授業中生徒が事故に遭つた場合に、担当教師が、右義務の履行として、右事故に基づく身体障害の発生を防止するため、当該児童の保護者に右事故の状況等を通知して保護者の側からの対応措置を要請すべきか否かは、事故の種類・態様、予想される障害の種類・程度、事故後における児童の行動・態度、児童の年令・判断能力等の諸事情を総合して判断すべきである。
本件についてこれをみるに、原審がその挙示する証拠関係によつて適法に確定した事実関係の要旨は、(1) 上告人は、昭和三九年一一月一七日生れで、被上告人の設置した湯河原小学校の六年生に在籍していた者であるところ、昭和五二年二月三日第二校時(午前九時五〇分から一〇時三〇分まで)の体育の時間に板倉教諭の指導のもとにサッカーの試合をしていた際、他の児童が至近距離からけつたゴム製のサッカーボールで顔面右眼部を直撃された(以下「本件事故」という。)、(2) 上告人には出血、眼の充血等外観上の異常は見られず、上告人は、いつたんその場にしやがみこんだが、間もなく立ち上がり、板倉教諭が「大丈夫か。保健室に行つたらどうか。」と声をかけたのに対し、「眼は大丈夫だから試合ができる。」と答えて最後まで元気に試合を続け、試合終了後及び第三校時の授業開始時に、板倉教諭が「大丈夫か。」と尋ねた際にも「大丈夫です。」と答えた、(3) 上告人は、本件事故後小学校を卒業するまで一日も休まず登校したが、事故当日はもとよりその後も特段の異常を訴えず、また、上告人の行動、態度等にも異常はみられなかつた、(4) しかし、上告人は、実際には、試合の終わつた頃から時折り右眼に稲妻が走るのに似た感覚を覚えるようになり、一か月後には右眼の焦点がぼけ、対象を明確にとらえることのできない状態に陥つていたが、サッカーをして負傷したことが保護者に知れれば、サッカーの選手になる希望を阻止されてしまうことにもなりかねないので、自然に治癒することを期待して、保護者にも板倉教諭にも右の異常を訴えようとはしなかつた、(5) 右の異常は、昭和五三年四月一〇日に実施された湯河原中学校における定期健康診断の際の医師の診察によつて初めて発見され、専門医の診察の結果、外傷性網膜剥離であることが判明した、(6) 上告人は早速手術を受けたが、発症後長期間経過していたため、右眼の視力は回復しなかつた、(7) 外傷性網膜剥離にり患しても、患者本人からの訴えがなければ、患者の眼の異常に気づくことは困難である、というものである。
右の事実関係によれば、上告人は、本件事故当時一二歳の小学校六年生であつて、本件のような事故に遭つたのちに眼に異常を感じた場合にはその旨を保護者等に訴えることのできる能力を有していたものというべきところ、本件事故後、上告人には外観上何らの異常も認められず、上告人も眼に異常がないと言明していたのであり、しかも、上告人が異常を感じてもあえてこれを訴えないことを認識しうる事情があつたものとは認められないのであるから、もし、のちに上告人が眼に異常を感じたことを訴えたときには保護者等が適宜の措置を講ずることを期待することで足りたものというべきである。したがつて、板倉教諭が、本件事故に基づく身体障害の発生を未然に防止するため、保護者に事故の状況等を通知して保護者の側からの対応措置を要請すべき義務を負つていたものと解することはできない。そうすると、その余の主張について判断するまでもなく上告人の本訴請求は理由がないものというべきであるから、原判決の理由は首肯しがたいが、上告人の本訴請求を棄却すべきものとした原判決の結論は正当というべきである。論旨は、独自の見解に基づき、又は判決に影響を及ぼさない事項について原判決を論難するものであつて、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 林 藤之輔 裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島 昭 裁判官 香川保一)