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最高裁判所第二小法廷 昭和60年(あ)288号 決定 1985年5月02日

本籍

青森県八戸市小中野七丁目一番地の六

住居

東京都北区東十条三丁目三番一号 小田急マンション五一三号

会社役員

横田光男

昭和六年一二月八日生

本籍

東京都足立区千住中居町八〇番地

住居

埼玉県越谷市南町三丁目一八番一六号

会社役員

尾崎龍雄

昭和一〇年七月二〇日生

右の者らに対する各所得税法違反被告事件について、昭和六〇年一月二三日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人中利太郎、同小林勝男の上告趣意は、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋進 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎)

昭和六〇年(あ)第二八八号

○ 上告趣意書

所得税法違反 被告人(一) 横田光男

被告人(二) 尾崎龍雄

右の者らに対する頭書被告事件につき、弁護人は左記のとおり上告趣意書を提出する。

昭和六〇年四月一七日

弁護人、弁護士 中利太郎

同 小林勝男

最高裁判所第二小法廷 御中

原審の判決は、その刑の量定が甚しく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。

第一 犯情

一、被告人両名は、福岡市博多区中洲において昭和五〇年九月から特殊公衆浴場「夕霧」を、昭和五十一年一一月から同「ホールインワン」を共同経営していたものであるが、本件起訴にかかる三年分の所得税のほ脱額は、被告人横田は合計二億七、五九八万円余、被告人尾崎は合計九、五二八万円余に達し、犯行の動機・態様の点でも弁解の余地はない。

二、しかし、近時世上においては租税負担の不公平感・重圧感を訴えての種々の論議が高まっており、税率構造の面では現行の累進税率、高額所得者に対する最高限界税率の当否が問題とされており、一方我が国においては申告納税制度が未だ正しく定着していないため、申告内容の正確さについての厳しさに欠ける傾向がみられ、殊に事業所得者の所得の把握の困難性、税務当局の執行面のたちおくれ等から税の脱回避の風潮が蔓莚し、税に対する国民一般のモラルも低下しているのが現状で毎年膨大な申告洩れが発覚され、公表をみている。

本件においても、被告人尾崎の供述に見られるように、被告人両名が共同経営していた各店舗の所在する中洲には、同業者が四~五〇の店舗を被告人らの店舗と同様な形態で経営し競って営業しており、同業者は諸会合等で相互に情報交換を行っていた。これらの情報によると、同業者の事業所得の申告額は概ね六〇〇万円位から一、〇〇〇万円位から一、〇〇〇万円程度にとどめているのが実際であったので、被告人らはこれら同業者の例にならって適宜の申告をしていたのであって、周囲の同業者間にはこの種のほ脱事犯が数多く潜在していることが窺知できるのである。

三、なお、トルコ風呂営業の現況は、トルコ風呂は本来蒸風呂の一種で、保健上の見地から好評を得て営業化したものであるが、その後個室による特殊な営業形態となるに及んで、一部では浴室内でトルコ嬢に特別なサービスを提供させる傾向が生じ、加えて最近では日刊スポーツ紙・週刊誌・テレビ等までがトルコ風呂営業について異常ともみられるキャンペーンを展開するため、これに影響され、一般大衆のトルコ風呂に対する関心は売春志向として定着したかの感を呈しており、売春を目的とする遊客のみが出入する場所と化しつつある。しかし、多くの店舗は営業主がトルコ嬢をその支配下において安易に遊客と売春をさせ、その対価を管理し分配取得するという関係に全くなく、被告人らの経営する前記二店舗も同様であった。また、トルコ風呂において接客に従事するトルコ嬢といわれる婦女は、その殆んどが多年この種の経験をつんだものばかりであって、短期間に高額な収入を得るために何らのためらいもなく安易な方法として自ら自発的に売春をしているのであって、自己中心的で自己の計算で自由奔放に振まうものばかりである。被告人らはこれらの現状に寒心を抱き、トルコ嬢に対し接客の方法の改善指導、更生のための処世相談に当り、自らも他業種への転業を真剣に考えていた。

四、被告人らは、昭和五八年八月四日東京国税局の査察調査を受け、本件が摘発されるや直ちに前非を悔い、本来ならば事実調査に多大な時間と労力を要する性質の事犯であったが、自ら進んで過去に取引があった金融機関等に照会するなど八方手を尽して所得実態を証明する資料を入手してこれを当局に任意提出して調査に協力した結果五ケ月足らずの短期間ですべての調査が完了したばかりか、ほ脱額もその全容をほぼ正確に解明されることができ、検察官の取調においても国税当局調査結果に基づきすべて自白し本件公訴の提起をみたものであって、この被告人らの誠意と協力は量刑上十分に酌量される情状であるというべきである。

第二、その他の情状

一、被告人らは、国税局の調査終了(昭和五十八年一二月末)をまって直ちに修正申告を行った。

1. 被告人横田は、昭和五十九年一月一〇日に昭和五三年から同五七年分の修正申告を行い、翌一一日右各年分の本税合計三四三、二九五、四〇〇円を完納した(弁甲一~一〇)。また、右の修正申告に伴う重加算税・延滞税につき課税処分がなされ、重加算税は昭和五五~五七年分合計八二、七五九、二〇〇円を昭和五九年六月三〇日に納付し、その余の滞納分については昭和五九年七月一〇日分納願を提出、受理され、同年七月から同六一年五月まで月額八〇万円宛割賦納付、同年六月にその余残額を一括納付することとなり、現にこれを履行中であり(弁甲一一~一三、三四、原審弁一~六)、また同被告人は小倉正に対する貸金請求事件(東京地方裁判所 昭和五九年(ワ)第七五五号事件、弁甲二六~二九)につき昭和五九年一〇月一日東京地方裁判所において裁判上の和解が成立した(原審弁七)ので、この弁済金(八四、五六一、六四五円)を右滞納金に充当し、早期に完納することに努めている。なお、右滞納金のために被告人は自ら申立て被告人所有の福岡市所在の不動産につき、昭和五九年四月二六日、同年六月一二日差押処分がなされている(弁甲一四、一五)。

さらに、右の修正申告に伴って東京都北区長より賦課決定された昭和五四~五八年相当分の特別区民税・都民税合計七六、八六七、八四〇円を昭和五九年六月三〇日完納(弁甲一六~二〇)、同じく昭和五四年~五八年相当分の個人事業税合計二七、〇一八、二〇〇円を同年八月三一日完納した(原審弁八)。

そのほか昭和五八年の所得税二三、七七四、八〇〇円(昭和五九年三月九日納付)、昭和五九年度特別区民税、都民税八、四七六、四二〇円(同年六月三〇日納付)、個人事業税二、六五九、九五〇円についても完納した(弁甲二一~二三)。

2. 被告人尾崎は、昭和五九年一月一三日に昭和五三年から同五七年分の修正申告を行い、同月一七日右各年分の本税合計一一五、二九九、一〇〇円全額を完納した(弁乙一~一〇)。

同被告人に対しては、右修正申告に伴う重加算税及び地方税については目下のところ課税処分がなされていないが、昭和五三年から同五七年分の延滞税について一七、七九七、八〇〇円の課税処分がなされ、これは昭和五九年一〇月一五日までに完納した(弁乙一七、原審弁一〇~一七)。また、昭和五八年の所得について九、九〇五、二〇〇円の申告をし、昭和五九年三月一五日その全額を完納した(弁乙一二)。また昭和五九年度の地方税については一~六期分合計二七、九九九、八一〇円(原審弁二一~二三)、個人事業税一~二期分合計一、一一二、七〇〇円(原審弁二四、二九)を納付しており、今後も課税処分を受けていない税についてもその完納を期している。これらの納税は、同人所有の福岡市博多駅南所在の分譲ビルの一室を昭和五九年七月五日二、〇〇〇万円で(弁乙一八、一九)、同市博多区中洲所在の土地を同年九月三日三、〇〇〇万円(原審弁一八~二〇)で、さらに昭和五九年一二月七日、埼玉県越ケ谷市所在の自宅(土地一三四平方メートル、建物床面積合計八八・八六平方メートル)を二、三〇〇万円で売却してあてている(原審弁二五~二九)。

三、このように被告人らは、本件起訴にかかる不正所得(被告人横田は三九七、〇五五、五九八円、被告人尾崎は一六六、五九六、六六一円)をはるかに超える各種税金(被告人横田は五〇五、三五八、四四〇円、但し被告人尾崎には重加算税について納付通知を受けていないので一二九、一四九、一四六円)を納付しており、昭和五八年の所得税についてもいずれも誠実に申告し、かつその納付を完了している。また、本件のほ脱に関連する滞納金についても現時点でなし得る最大限の努力を払って早期の完納に努力しているところからみても、犯行後における被告人両名の反省悔悟の情は誠に顕著であり、この点の事情は量刑上十分酌量さるべきである。

四、被告人らは、いずれもその生活史・経歴が如実に示すように幾多の辛酸をなめ現在に至ったもので、このような社会的背景事情が金への執着を生み、本件のような過誤を犯す遠因となったといえる。

しかし、本件の摘発(昨年八月)を契機に、被告人らはトルコ営業から一切絶縁して赤裸々となり、

1. 被告人横田は、昭和五九年二月一六日三協観光株式会社(資本金一五〇万円、本店の所在地東京都千代田区神田須田町一丁目二六番地)を設立し、広告代理店、宣伝企画業等を専ら営み(弁甲二四、二五)、

2. 被告人尾崎は、昭和五八年一〇月一三日有限会社尾崎商会(資本金一〇〇万円、本店の所在地福岡市博多区博多駅南三丁目一五番三〇号)を設立し、給湯・給排水設備工事の施工並びに修理、家庭用温水器及び健康飲料の販売業を営んでいる(弁乙二一~二五)。

このように被告人らはいずれも新事業へ転換し過去を一切清算し正業に従事し、自力による更生再起に懸命な努力を続けており、反省悔悟の情も顕著であるから、再犯の虞は全くない。

以上のように、捜査段階において進んで協力し、確定された納付税額を自主的に修正申告をなし、且つ早期に着実に納税を実行している等の被告人両名の態度は、既に科刑の大半の実を挙げたものと評価されて然るべきものと思料する。

第三、量刑の当否

一、本件につき、原審において被告人横田は懲役一年四月、罰金七、五〇〇万円、同被告人尾崎は懲役一〇月、罰金二、五〇〇万円にそれぞれ処せられた。

しかし、被告人らが右各懲役刑の執行を現実に受けることになると、再起を期している事業の運営が直ちに継続不可能に立至ることは必至であり自力更生の途は全くとざされ、その結果は滞納金の納付はもとより罰金を完納することもできなくなり、被告人らは懲役刑の執行により囹圄に呻吟せしめられるに加えて被告人横田においては三七五日、同尾崎においても一二五日という長期間労役場に留置されることとなるのであって、被告人らは社会に復帰しても最早再起は全く不可能の状態となることは極めて明瞭であって甚だしく酷であるというべきである。被告人らは、本件犯則行為に伴う前記の各種税金の賦課決定をうけ納付ずみ若くは納付中であり、これらは脱事犯の当然の結果とはいえ、ほ脱行為に対する厳しい制裁であることはいうまでもないのであって、本件に対する高額な重加算税のほか、さらに罰金等も併せて納付することによって財産的倫理的制裁が実行されるものといってよい。

従って、この際は被告人らに対して今回に限って懲役刑につき執行猶予の恩典に浴せしめ長期間善行の保持を要請し、併せて滞納金および罰金を完納せしめる等厳しい財産的苦痛を与えることによって制裁を科するのが刑政の目的にも合致し、かつ国庫財産収入の確保にも寄与するものと考える。

二、現に脱税犯に対する刑事裁判の量刑の実際をみても、ごく最近に至るまで懲役刑については、そのすべてが執行猶予が付せられ、実刑に処せられる事案は皆無に等しかった。これは脱税犯のような経済的利慾犯に対しては短期自由刑を科するよりは重い罰金刑を科し、脱税者に対し厳しい財産的苦痛を与えることが刑政の目的にかない国家の徴税権保護にも資するとの見解に出でたものと思考せられ、これが刑事裁判の実務の大勢を占めていた。

ところが、近時責任主義に基づき反社会性・反道徳性の強い事案に対し、法の正義観念から刑の執行猶予は許さないとする見解が台頭している。しかし、責任主義に基づく刑事裁判として相応の科刑重視の観点に立っても刑の執行猶予を付することが直ちに犯罪と刑罰に関する一般社会の正義観念を損い、法の尊厳性を危くするものといい難いし、懲罰の目的に背反することは考えられない。

また、一般予防的見地に立っても犯罪原因論が、ひとり人間の心理に基因するのみならず社会的現象に影響されることが多いことに鑑みると、直ちに刑罰作用をもって国民全般に対処するには慎重を期さねばならず、殊にほ脱事犯のごとき行政犯においては行政的見地に立っての一般的予防措置を講じうるのであるから、一般刑法犯と同じく論ずることは正当な見解とはいい難い。

従って、過去に所得税法・法人税法違反等同種の犯罪によって処罰(執行猶予付の懲役刑・重い罰金刑)された前科を有するもの、或いは起訴事犯以外にも過去所得税等の過少申告の疑いにより査察をうけ修正申告をしたことがあるなど甚だしく納税意識が欠如し反社会性・反道徳性の強い事案、再犯の虞れがある場合等を除いては従来の刑事裁判における支配的見解に従ってその科刑との均衡を考慮して処断されるのが相当である。

さすれば、原審が本件につき各被告人らに対し実刑をもって処断したことは、その刑の量定が甚だしく不当であるというべきであるから原判決は破棄されるべきである。

以上

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