最高裁判所第二小法廷 昭和60年(行ツ)124号 判決 1988年6月17日
上告人
菊田昇
右訴訟代理人弁護士
佐々木泉
被上告人
社団法人宮城県医師会
右代表者理事
沖津貞夫
右訴訟代理人弁護士
高橋勝好
小山田久夫
被上告人
国
右代表者法務大臣
林田悠紀夫
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人佐々木泉の上告理由第一点及び第三点並びに上告人の上告理由について
原審の適法に確定したところによれば、(1) 上告人は、昭和二五年に医師免許を付与され、昭和三三年一〇月以降石巻市において、産科、婦人科、肛門科の医院を開設している医師である、(2) そして、昭和二八年に被上告人社団法人宮城県医師会(以下「被上告人医師会」という。)から、優生保護法一四条一項により人工妊娠中絶(以下「中絶」という。)を行いうる医師(以下「指定医師」という。)の指定を受け、それ以降、途中一年間を除き、二年ごとの指定の更新により、最終的には、昭和五一年一一月一日付をもって指定を受けた、(3) 上告人は、中絶の時期を逸しながらその施術を求める女性に対し、勧めて出産をさせ、当該嬰児を子供を欲しがっている他の婦女が出産したとする虚偽の出生証明書を発行することによって、戸籍上も右婦女の実子として登載させ、右嬰児をあっせんする、いわゆる赤ちゃんあっせん(以下「実子あっせん行為」という。)を行ってきたが、上告人が昭和四八年四月新聞等を通じてこのことを公表するまでにあっせんした数は約一〇〇件に及んだ、(4) 実子あっせん行為についての問題点が指摘されたことなどから、上告人は、昭和四九年三月、指定医師の団体である社団法人日本母性保護医協会の全理事会において、今後実子あっせん行為は繰り返さない旨言明したが、その後も、中絶時期を逸したにもかかわらず中絶を望む妊婦は、胎児ないし嬰児に対して強い殺意を抱いているので、上告人提唱のいわゆる実子特例法が制定されるまでは、実子あっせん行為は嬰児等の生命を救うための緊急避難行為であるとしてこれを続け、結局、昭和四八年四月以降更に約一二〇件の実子あっせん行為をした、(5)そのうちの一例である昭和五〇年一二月にした実子あっせん行為につき、上告人は、昭和五二年八月三一日付で愛知県産婦人科医会長から医師法違反等の嫌疑により仙台地方検察庁に告発され、昭和五三年三月一日仙台簡易裁判所において、犯罪事実の要旨を「上告人は、(一) 昭和五〇年一二月一八日ころ、上告人方医院において、A女に対し、自ら同女の出産に立ち会わないのに、同女が男子を出産した旨の出生証明書を交付し、(二) A夫婦と共謀して、B女が出産した男子をA夫婦の実子として届け出ようと企て、同月二二日ころ、A女が市役所係員に、右男子がA夫婦間の長男として出生した旨の出生届と前記出生証明書を提出して虚偽の申立をし、情を知らない右係員らをして公正証書の原本である戸籍薄にその旨不実の記載をなさしめ、これを真正なものとして市役所に備えつけさせて行使した」とする医師法違反、公正証書原本不実記載・同行使の罪により、罰金二〇万円に処する旨の略式命令を受け、右裁判は正式裁判に移行することなく確定した、(6) 被上告人医師会は、昭和五三年五月二四日付で上告人に対し、昭和五一年一一月一日付の指定医師の指定を取り消す旨の本件取消処分をしたが、その理由の要旨は、右罰金刑の確定とその裁判の違法事実に徴するとき、上告人は指定医師として不適当と認められるというものである、(7) 上告人は、昭和五三年一〇月一日被上告人医師会に対し指定医師の指定申請をしたところ、被上告人医師会は、同月三〇日付で、本件取消処分と同じ理由により、右申請を却下する旨の本件却下処分をした、というのである。
右事実関係に基づいて、上告人が行った実子あっせん行為のもつ法的問題点について考察するに、実子あっせん行為は、医師の作成する出生証明書の信用を損ない、戸籍制度の秩序を乱し、不実の親子関係の形成により、子の法的地位を不安定にし、未成年の子を養子とするには家庭裁判所の許可を得なければならない旨定めた民法七九八条の規定の趣旨を潜脱するばかりでなく、近親婚のおそれ等の弊害をもたらすものであり、また、将来子にとって親子関係の真否が問題となる場合についての考慮がされておらず、子の福祉に対する配慮を欠くものといわなければならない。したがって、実子あっせん行為を行うことは、中絶施術を求める女性にそれを断念させる目的でなされるものであっても、法律上許されないのみならず、医師の職業倫理にも反するものというべきであり、本件取消処分の直接の理由となった当該実子あっせん行為についても、それが緊急避難ないしこれに準ずる行為に当たるとすべき事情は窺うことができない。しかも、上告人は、右のような実子あっせん行為に伴う犯罪性、それによる弊害、その社会的影響を不当に軽視し、これを反復継続したものであって、その動機、目的が嬰児等の生命を守ろうとするにあったこと等を考慮しても、上告人の行った実子あっせん行為に対する少なからぬ非難は免れないものといわなければならない。
そうすると、被上告人医師会が昭和五一年一一月一日付の指定医師の指定をしたのちに、上告人が法秩序遵守等の面において指定医師としての適格性を欠くことが明らかとなり、上告人に対する指定を存続させることが公益に適合しない状態が生じたというべきところ、実子あっせん行為のもつ右のような法的問題点、指定医師の指定の性質等に照らすと、指定医師の指定の撤回によって上告人の被る不利益を考慮しても、なおそれを撤回すべき公益上の必要性が高いと認められるから、法令上その撤回について直接明文の規定がなくとも、指定医師の指定の権限を付与されている被上告人医師会は、その権限において上告人に対する右指定を撤回することができるものというべきである。したがって、本件取消処分及びそれと同じ理由による本件却下処分に違法な点はなく、右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
上告代理人佐々木泉の上告理由第二点について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官香川保一 裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官藤島昭裁判官奥野久之)
上告代理人佐々木泉の上告理由
原判決には、次のような判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある。第一点 原判決は、行政行為撤回制限の法理の解釈をあやまり、その結果理由不備の違法をおかしている。
一、原判決およびその引用する第一審判決(以下あわせて原判決という。)は、優生保護法一四条に基づく指定医師の指定は、医師であっても一般に禁じられている人工妊娠中絶を一定の要件のもとに行うことができる資格ないし地位を被指定者に附与するものであるから、授益的行政処分たる性質をもつものとしながら(この点につき、第一審判決の見解が改められた。しかし、第一審判決理由三7の部分は依然として改められておらず、理由齟齬の違法をきたしている。)、この場合でも被指定者の責に帰すべき事由により公益に適合しない事情が発生した場合には、法律による明文の根拠がなくとも、指定を撤回できるものと判示している。
(一) 本件指定医の指定の性質は、原判決のように、古典的な特許理論に従い「特許に近いもの」とみるべきではなく、国民において本来なしうる行為について、刑法による禁止を前提とした上、法令により不可罰とされるべき行為者の限定に過ぎないものであることに着目すると、講学上の許可に近いものとみるべきであり、ただその効果(授益性、設権性)において特許に近いものとなっているに過ぎない。してみると、指定の取消処分は、本質的に羈束裁量行為であるとともに、その取消をするについては法律の明文の根拠を必要とするものである。原判決には、法律の解釈をあやまった違法がある。
(二) 次に行政行為の撤回については、相手方の同意がある場合、附款が存在する場合および充分な補償がなされる場合を除き、たとえ相手方の責に帰すべき事由がある場合でも、法律の明文の根拠を必要とする。現行取締法規は当該法律以外の法律に違反しただけでは当然には撤回を認めていないし、その上相手方の義務違反の場合でも、「この法律又はこの法律に基く命令に違反したとき」として(麻薬取締法、古物営業法、道路法など)、更には法律違反だけでは直ちに撤回を認めず、右違反に基く処分に違反したとき(医療法、火薬取締法など)もしくは他の要件を加重して(風俗営業法四四条)、はじめて撤回を認めるという慎重な定めをしており、いずも行政行為の撤回について明文の根拠を設けているのである。
(三) このような法の態度は、法治主義の原則を尊重するとともに、撤回により相手方のこうむる打撃を考慮し、相手方の義務違反をもって直ちに撤回事由とせず、相手方の利益と公益との慎重な比較考量を要求していることを示すものであり、このことは、相手方の義務違反の場合でも、不利益処分については、法律上の定めを必要とすることの根拠となる。
(四) 本件指定は、原判決も認めるように医師の一部の者について、厳格な要件のもとに与えられる資格であり、しかも継続的性格を有し、取消の結果は極めて重大なものであるところ、同じく義務違反の場合において、例えば古物営業者に対する許可の取消についてさえ、慎重な法律上の定めがあるのに、指定医師の指定の取消については全く法律上の根拠を要しないと解することはあまりにも不当であり、単なる法の不備ではすまされないことである。なお、優生保護法は、指定の要件、取消権者、取消の要件について全く定めのない不備な非近代的な法律であり、このような不備な法律は指定の取消については法律としては機能しないものというべきである。
(五) 以上の次第で、被指定者の責に帰すべき事由のあるときは、公益の必要上法律の根拠なくして指定を撤回できるとの原判決の判示は、法律の解釈をあやまったもので、その結果理由不備の違法をおかしている。
二、次に、原判決は「相手方の責に帰すべき事由」として、上告人の行為が指定医師として、「人格面の適格性」を欠くに至ったことをあげている。
(一) 原判決は、優生保護法が指定医師の資格要件ないし指定基準について全く明文を設けていないことを前提として、指定のための要件として人格面、技能面、設備面の適格性を想定している。しかし、右のとおり法自体全く要件を定めていないし、右要件を推認しうる定めもしくは委任条項を設けていないのであるから、指定の取消という不利益な行政処分をする場合に限り、右のような要件を解釈によって創造することは、法治主義の原則に反し、法の解釈の限界を超えるものである。ましてや「右のように指定の要件について明文の規定を設けていないことから、指定要件の認定については、医師会の合理的な裁量に委ねられている」旨の原判決の解釈は、指定の撤回をする場面においては法治主義の原則に反するものである。
(二) 次に、法の解釈として、指定医の要件を設定しうるとしても「人格面の適格性」を要件とすることはあやまりである。
(1) 指定医は、母体に重大な影響を与える妊娠中絶を行うものであるから、一般の医師以上に妊娠中絶に必要な専門的知識や経験を必要とするであろうし、右手術を行うにふさわしい医療設備をもたなければならないのは当然である。
(2) しかし、指定は医師に対してのみ附与されるものであるところ、医師法四条、七条二項により明らかなとおり、指定医は既に医師としての品位を要求されており、医師としての品位を損するような行為があったときは、厚生大臣はその免許の取消、業務停止を命ずることができるものとされている。すなわち、指定医は、指定医以前に医師としての人格面における品位を要求されているのであって、それ以上に指定医として高い品位を要求する実定法上の根拠はない。
人格面における品位は、優生保護法の目的、立法趣旨とは全くかかわりのない問題であって、これを指定の要件として特に附加すべきものではない。逆に言えば、人格面における品位を損するような行為があったときは基本法たる医師法に基づく処分をすれば足りる(これによって当然に指定医としての業務を行い得ない。)のであって、さらに同一の理由で指定医の指定取消処分を行うこと(二重の不利益処分)は許されない。
(3) 法が任意団体である医師会に対して指定権を委任したのは、医師としての専門技術性の判断をする上において、よりふさわしいものと考えたからである。故に医師会には、技術専門性に関する判断権能は認められても、人格面、品位に関する判断を委ねられたものとみることはできない(判例評論二九三号一七頁)。
(4) よって、原判決が、指定医師として人格面における適格性を欠くに至ったことを「相手方の責に帰すべき事由」としたことは、法律の解釈をあやまったものであり、その結果理由不備の違法をおかしている。
三、さらに、原判決には「公益に適合しない事情」ないし「公益背馳」の解釈をあやまった違法がある。
(一) 原判決は、上告人が実子あっせんを行ったこと、医師法違反等の罪により罰金刑に処せられたことその他諸種の事情から、指定医師として人格面における適格性を欠き、「公益に適合しない事情」ないし「公益背馳」の状況に立ち至り、指定撤回の公益上の必要が生じたものと判示している。
(二) まず原判決は、多くの個所で「公益」なる概念を用いているが、その具体的な内容を全く示していない。全体的な観察をすれば、原判決は、優生保護法自体の予定する公益ではなく、「法遵守義務」とか「正しい医業」、「現行法秩序に対する挑戦」とかの表現から明らかなように、同法以外の予定する公益もしくは一般的な法秩序を指しているものと思われる。
(三) しかし、指定医の指定の取消(撤回)を論ずる場合には、その公益概念は優生保護法の立法趣旨、目的に従いその限界を画されるものであり、たまたま別の法律の予定する公益に反したとしても、指定医の指定を撤回する根拠とはなりえない(医業に関する他の法律違反のすべてが「公益背馳」となるとすれば、それはまさに法治主義に反することである。)。
(四) 優生保護法は一条に定められているように、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の健康を保護することを目的とする。そして同法はその目的を達成するため、一定の要件のもとに優生手術、人工妊娠中絶、受胎調節の実地指導という手段を予定しているが、指定医に関するものは人工妊娠中絶のみであり、同法一四条は一項一号ないし四号に該当し、かつ、関係者が希望する場合においてのみ、指定医師の指定業務として妊娠中絶を認めるのである。
(五) してみると、指定医に関する限り、同法の予定する「公益」とは、関係者が希望し、法一四条一項一号ないし四号の要件をみたす限度において、不良な子孫が生まれないようにするために妊娠中絶をすることおよび母性の健康を保護することであるといわなければならない。従って、指定医師が他の法律に違反した場合であっても、右のような公益に反するような行為のない限り、指定の撤回の要件としての「公益に適合しない事情」に該当することはありえない。なお、原判決は、実子あっせんの結果、近親婚を生ぜしめ、悪性遺伝子の発現を助長する可能性もあり、優生上の見地から「不良の子孫の出生を防止する」と定める優生保護法の目的にも背馳するという。しかしながら、実子あっせんそれ自体は同法の予定する指定医師の業務ではありえないし、上告人の取り扱ったケースはすべて同法ではもはや妊娠中絶の許されない時期にある胎児に関するものであるから、右行為は右優生保護法の予定する目的には何ら反するものでないことが明らかである。右判示を推し進めると、同法の目的を達成するため、中絶時期を過ぎた胎児も、出産させないで中絶せよという短絡的な発想となってしまうおそれがある。
(六) 上告人は、医師法等には違反する結果とはなったが、優生保護法の目的や定めに反する行為をしたことはない。中絶の時期を逸した妊婦に対し、胎児の生命を救い、かつ、母性の健康を保護するために出産を勧めたのであり、同法一四条一項各号の要件に反して出産させたわけではない。
(七) 以上のように原判決は、公益の解釈、ひいては「公益に適合しない事情」の解釈をあやまったもので、その結果理由不備の違法をおかしている。
第二点 原判決には、行政における公正手続の保障の法理の解釈適用をあやまり、かつ、証拠に基づかないで事実を認定した違法があり、その結果理由不備の違法をおかしている。
一、行政手続においては、何人も告知、弁明の機会を与えられることなく不利益な処分を受けることはない。これはいわゆる行政における公正手続の保障の原理である(憲法一三条、三一条)。本件取消処分は、指定医師の有する重要な法的利益ないし資格を剥奪するものであるから、その誤りなきを期するため、事前に被指定者に対して告知した上、十分事情を聴取すべきであり、被指定者としても事前に当該処分手続において当然弁明、立証する機会を与えられなければならない(最高裁判所昭和四六年一〇月二八日判決民集二五巻七号一〇三七頁、東京高裁昭和四〇年九月一六日判決行判集一六巻九号一五八五頁参照)。特に現在司法審査の範囲を裁量の踰越、濫用の著しい場合にのみ限定しようとする判例の傾向からみると、行政における裁量権の公正、適切な行使を期待するためにも、この原理は極めて重要な役割をもち、その手続もますます厳格なものであることが要求される。
二、ところで、原判決は、本件取消処分の手続に右のような公正手続の保障の原理の適用があることを前提とした上で、
(1) 本件においては、事前に事情聴取や弁明の機会を与える手続をとらなかったこと。
(2) しかし、上告人は国会や日本母性保護医協会において直接実子あっせん行為に関する実情や意見を開陳し、著書、新聞等によりその考え方を公表するとともに、これが問責に対する弁明をなしてきたこと(この点は第二審判決によって附加されたもの)。
(3) 医師会の審議会の構成員は、上告人の意見や弁明について十分了知、検討した上で本件取消処分をしたこと(前同)。
(4) 本件取消処分に対する不服申立後に上告人に対し不服審査委員会において弁明の機会が与えられていること。
を認定した上、処分手続のなかで直接弁明する機会を与えられなかったとはいえ、公正手続保障の原理に反するところはないものと判示した。
三、まず前項(2)の認定のうち、上告人が問責に対する弁明をなしてきたとの点について検討するに、本件においては処分前にこのような弁明をなしてきたことは認めるに足りる証拠はなく(従って、この部分は証拠に基づかない事実の認定である。)、かつ、理論上不利益処分につき事前に全く告知のない段階において上告人が「問責に対する弁明」をなす余地のありえないことからみて、右判示は既にこの点において理由齟齬の違法をおかしている。
さらに前項(3)の点について検討するに、被上告人医師会は第一審において「指定審査委員会の答申と被上告人自身で収集した資料に基づいて、本件取消処分をした」旨主張したのみで、全くこの点の立証をしていないのであるからこれを肯認できる証拠はなく、ましてや審議会の構成員が上告人の意見や弁明について十分了知、検討した事実を認めるに足りる証拠も全くないのであるから、原判決は証拠に基づかないで事実を認定した違法がある。
四、上告人が国会や日母においてなした意見の開陳、著書等による公表は、本件取消処分の告知のなされる以前において、主として自ら実行した実子あっせんおよびいわゆる実子特例法に関する自己の見解を述べたに過ぎないもので、その段階においては全く取消処分を予想しておらず、少なくとも指定医の指定の取消処分を前提とした意見弁明は述べていないし、また理論上述べる余地はありえなかったのである。しかも、右意見の開陳、公表は、本件処分手続外において、本件処分とは全く無関係になされた意見の表明に過ぎないものであった。
このように、不利益処分を全く予想しない(問題意識を異にする。)、不利益処分と全く無関係になされた個人的意見の表明(防衛方法とはなりえない)をもって問責に対する弁明であるとし、これをもって公正手続における弁明にあたるとした原判決の判断は、公正手続保障の法理の解釈をあやまったものである。
五、次いで、不利益処分に必要な聴問、弁明は、処分決定に先立つ事前手続でなされなければならない。事後的にいかに周到な手続をとろうとも、事前聴問の実質のない瑕疵を事後の不服審査手続において追完し、その瑕疵を治癒するわけにはいかない。従って、本件取消処分に対する不服申立後に不服審査委員会において弁明の機会が与えられたことをもって公正手続保障の要請が満たされたとした原判決の判断は、公正手続の保障の法理の解釈をあやまったものである。
第三 撤回の必要性および処分の選択に関する本件処分の判断は、社会通念上著しく不合理であって、裁量権の濫用があるにもかかわらず、これを肯認した原判決には行政事件訴訟法第三〇条の解釈をあやまった違法がある。
一、原判決は、「本件取消処分の直接の理由は、前記罰金刑の確定と確定した違法事実に徴するとき、上告人は指定医師として不適当と認められるというのであるが、その実質的な理由は、前記一四の(3)(上告人が開業以来昭和四八年四月までの一五年間に約一〇〇例以上の赤ちゃんあっせんを行ってきたという事実)ないし(8)に示されていると理解され、結局上告人が指定医師として人格面でその適格性を欠くに至ったと………するものであると解される。」と判示している。
二、適格性の判定にあたり、処分理由として掲げられた事実のほか、行為に関する附随的事情をも考慮しうることは当然であるが、この場合考慮できる「附随的事情」とは、その行為の動機や背景事情を指すものであって、右処分の対象となった違法事実(刑事処分の対象となった事実)以外の事実(右に述べた一〇〇例の赤ちゃんあっせんの事実)のような、独立して処分の対象となる事実を含まないものである。もし独立して処分の対象となる事実をも考慮しうるとするときは、それらを含めて行政処分の対象としたことになり、その結果は極めて不当である。
三、前記の一の判示は、まさに考慮すべきでない事実が本件処分にあたり考慮されていることを容認したものであり、そうだとすると既に本件処分はこの点において、撤回の必要性、処分の選択に関し社会通念上著しく不合理なものであることが明らかである。
四、本件処分は、右のように考慮すべきでない事実を考慮した違法があるのみならず、考慮すべき事項を考慮しなかった違法が存する。すなわち、本件処分にあたっては、上告人の行為の動機、目的や上告人が世に訴えようとしている意図、その功績についても充分考慮すべきであるのに、これを考慮した形跡は全くうかがわれないのである。
五、考慮すべき上告人の行為の動機、目的は、原審において提出した第三準備書面第三、二、(三)、6記載のとおり、殺害される危険の大きい胎児の生命を一人でも多く守ろうとしたことにある。この点は、「胎児ないしは生まれ来る嬰児の生命を救おうという人道的動機と善意から本件の実子あっせんに出たのであるとの上告人の弁明はそのとおり受け取ってよいと考える。」という原判決の判断にもはっきりと示されている。
六、行為の動機が人道的であり、善意から出たものであるという事実は、本件のような不利益処分をするについては最大限に考慮されなければならないことである。このような立派な動機を肯定する以上、指定医として適格性を否定する公益上の必要はないし、処分の選択にあたっても罪一等を減じて一定期間の業務停止もしくは戒告で足りるとするのが社会通念である。
特に本件処分は、半永久的に指定医の資格を奪うような極刑であること、上告人の右行為は私利私欲のためになされたものでないこと、刑事処分も、上告人のなした複数の行為のうち、一事例だけを処分の対象とし、軽い罰金刑を略式命令により科したこと、法制審議会身分法部会は、昭和五七年九月から特別養子制度の検討を開始したが、世界の潮流に従うものとはいえ、これは主として上告人の提唱がきっかけとなったものであることなどの諸点を考慮するとき日本国民の一般的な感情からみると、本件処分は、不当に重いもので、裁量権の濫用と評価すべきものである。
上告人の上告理由
原判決は、判決の総括として、上告人の行為が公益に適合しないものであることを示すため、後記のような見解を示しているが、右説示は本件の如き特殊な事案について、証拠に基づいて充分検討された結果とは思えない、非論理的かつ皮相の見解であって、それは社会通念ないし経験則に著しく反するものであり、その結果理由不備の違法をおかしており、判決に影響を及ぼすことが明らかであると思料するので、以下その理由を述べる。
一、判決は、「人工妊娠中絶の適期徒過後に控訴人を訪れる妊婦の多くが控訴人から施術を断られれば、自ら又は他の産科医のもとで胎児の生命を断ち、或は嬰児を殺害するに相違ないとする控訴人の判断は、それが何らかの経験と伝聞に基づくものであるとしても、客観性のある裏付けや信頼するに足りる根拠を有するものとは言いがたいので、短絡的な思い込みないしは速断であると評さざるを得ない」という。
(一) 中絶を求められる対象は、通例母から望まれぬ子である。“望まれぬ子”とは“母子の縁”がつながることを望まれぬ子、すなわち、母が、“母子の縁”を断ちたい子を意味する。
母が望まぬ子と“母子の縁”を断つ方法は、生まれぬ前は人工中絶(子殺し)、また中絶の時期を逸して生んだあとでは“子捨て”“子殺し”以外にはないのである。すなわち、“望まぬ子”を受胎し中絶の時期を逸したため、生まねばならなくなった母に“子殺し”をさせないためには、安全な場所への“子捨て”を認めなければならない。控訴人の“実子あっせん”は、望まない子を妊娠し、中絶の時期を逸して生まねばならないのに、なおも“母子の縁”を断つことを狙う母に“子殺し”をさせないために菊田医院に捨子することを認め、その後、養親を探して家庭を与えたのである。
(二) 「人工妊娠中絶の適期後に控訴人を訪れ」“望まぬ子”と“母子の縁”を断つことを狙って人工中絶(実は医師の手による嬰児殺し)を求める妊婦が、控訴人から施術を断られた場合、直ちに“望まれぬ子”が“望まれた子”に変わるわけもなく、また“母子の縁”を断つ決意が直ちに“母子の縁”をつなぐ決意に変わるわけもないのである。したがって、控訴人に施術を断られれば「自ら、又は他の産科のもとで胎児の生命を断ち、或は嬰児を殺害する」確率が大であると考える控訴人の判断は「短絡的な思い込み、ないしは速断」ではない。
(三) 控訴人の判断が「客観性のある裏付けや信頼するに足りる根拠を有するもの」であると主張する論拠を次に示そう。
元神戸市民病院長で産科医の中野理は、ある産科医に施術を断られても、結局はどこかの産科医で中絶を果たすことになることを、菊田昇著「天よ大空へ翔べ」(甲第二号証)の中で次のように述べている。
1 「妊娠中絶をたのみに来る婦人のなかには、いろいろの事情のためつい時期を逸して、七、八ケ月にもなってしまった身重の人もある。こんな人には、中絶してやったにしても産まれてくる子はほとんどが生きて産まれてくる。だから、どの医者だって、一応は正期のお産をすることをすすめるだろう。
しかしどうしても堕ろさなければ自殺するよりほかないというようなせっぱつまった立場に追い込まれている妊婦であったとしたら、甲医に断られれば乙医を訪ね、さらに丙医へ行くであろう。とどのつまりは、どこからか死産としての届けが出されるのが実態であろう。」(大阪新聞“コラム”欄、昭和四八、四、二〇)
2 次に人工妊娠中絶の適期徒過後に産科医に中絶を求め、施術を断られたあとで、自らの手で嬰児を殺害した実例を示す。(甲第二七号証)
「宮城県古川市で二三日、乗用車のトランクから赤ちゃんの死体が見つかり、事件の犯人は車の持ち主の同市、無職、阿部京子(二九)とわかり、古川署は同日夜、阿部を殺人、死体遺棄の疑いで緊急逮捕した。……
自供によると京子は、一月二四日午後九時半ごろ車で仙台に向かう途中陣痛が起き、車をわき道に入れて出産、泣き出した赤ちゃんの処置に困り車内にあった“ふろしき”で首をしめた。このあと死体は車のシートカバーにくるんでトランクに入れっ放しにしておいたという。
京子は四四年に結婚、仙台市に住み長男が産まれたが、四六年に離婚して実家に戻っていた。最近まで化粧品、生命保険のセールスをするかたわら、月に数回は仙台の実姉の経営するバーに手伝いに行っていた。妊娠に気づき中絶しようと京子は仙台市内の産婦人科を訪ねたが、臨月近くになりダメだったという。」(朝日新聞、宮城版、昭和五三、二、二八)
二、次に判決文は「仮に控訴人の判断に誤りがなく、実際に殺害に至ることが憂慮される場合には全力を挙げて翻意するよう説得すべきである。」という。
控訴人が「人工妊娠中絶の適期後に控訴人を訪れる妊婦の多くが、控訴人から施術を断られれば自ら又は他の産科医のもとで胎児の生命を断ち、或いは嬰児を殺害するに相違ない。」と判断したことが、判決のいうように「短絡的な思い込み、ないしは速断である」なら、「控訴人の判断に誤りがない」はずはなく、「実際に殺害に至ることが憂慮される場合」もあるはずがなく、「全力をあげて翻意するよう説得すべき」ケースに会うこともないはずである。本判決が「仮に」と但し書きをつけながらも、右のような想定をおこなっていること自体が控訴人の主張が「短絡的な思い込みないしは速断」ではないことを示すものである。
三、次に判決文は、「説得には力の限界がある。実子あっせんのような対策を示さない限り、殺害に至るのを阻止することはできないというが、これも結局のところ、同じく短絡的な手段選択と安易な事態収束であるといわなければならない。」という。
(一) 中絶の適期徒過後になおも中絶を求める母の狙い(目的)は、“望まない子”と“親子の縁”を断ち生まないことにすることであり、中絶又は嬰児殺しで子の命を断つのは、その目的を果たすための手段に過ぎないのである。
これに対して判決文のいう「説得」とは現行法の枠内での解決、すなわち“親子の縁”をつなぐことを決定づけるよう説得することなのである。生まれる間近の子の命を断つという強行手段に訴えても“親子の縁”を断つ(生まないことにする)ことを狙っている母に、彼女の狙いとは逆に“親子の縁”をつなげることを決定づけるように説得し、それに成功することは至難であると控訴人が主張することは決して誇張ではないのである。このことはたとえて言えば、冷房器具を買いに来た客に暖房器具をすすめる店主に似ている。
(一) 「戸籍に入れる」ことが強制され、“望まぬ子”を生み養子に出したことが世間に知られる養子縁組では、嬰児殺し又は中絶は防止できないが、「戸籍に入れず」に縁組できる“実子あっせん”または“実子特例法”(政府の手で実子あっせんを行う法律)があれば、嬰児殺し又は中絶を減らせることは、欧米や日本の法学者の間ではすでに認められているのである。
1 ジャン・シャザルは、年若い母親が嬰児を捨てようとする(控訴人註、生んだ子を世間体は生まれなかったことにする)時は、たいてい出産の秘密がもれないことを望むものだから、もし堕胎や嬰児殺しが再び盛んにならないようにしようと思えば、……その望みをかなえてやらなければならない。……今日では児童福祉局が捨子受付所を開設している。」(ジャン・シャザル著、清水霧生訳「子供の権利」二五頁、白水社)と述べている。
2 中谷瑾子(慶大教授)は、「マリア・ルイーゼ・ルンゲという人が望まない子どもを生まないような状況ができれば(控訴人註、“実子あっせん”は生んでしまった子を生まないような状況にする行為である。)嬰児殺しは少なくなるだろうと言っております。」(佐々木保行編著、「日本の子殺しの研究」一六三頁、高文堂)と述べている。
3 中川高男(明学大教授)は、「菊田医師が主張されるように、事情があって妊娠中絶時期を過ぎてしまった女性は、この絶縁が認められ保証される限り、中絶と同じ状態になるため、無理な中絶や子捨て、子殺しをすることはなくなるだろう。」と述べている(甲第五七号証)。
4 カリフォルニア大学のヴィルツェ教授(社会福祉学)の言によれば、特別養子ができて以来、子殺しや悲惨な子捨てはなくなったとのことである。(婦人公論、昭和五〇年六月号、一九二頁)
5 江守五夫(千葉大教授)は、リンゼイ判事の“実子あっせん”事件について、「今日おこなわれている堕胎が未婚の母に対する社会的不名誉にある以上、堕胎から胎児の生命を守るためには、婚前に妊娠した娘の社会的な名誉を保証することが前提要件であった。つまり、完全な秘密のうちに娘を分娩させ、その子どもを養子にやるという手筈をととのえることしか胎児の生命を救う道がないと判断されたのである。……
菊田医師が『中絶手術をすれば、密殺に手を貸すことになる』と主張して赤ちゃんの斡旋をおこなったように、リンゼイもまた、胎児の殺戮か赤ちゃんの斡旋か、という二者択一の関係に直面して後者を選んだのである。」(江守五夫「現代の性解放論とリンゼイの思想、行動Ⅱ」、昭和四八年、十七号、一〇〇頁、小学館)と述べている(甲第三号証)。
四、次に判決文は、「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望が全くの得手勝手であり、養親子関係を知られたくないとの貰い親の意向もさして理由のあるものでないのは明らかであるから、双方に対してその不心得と非を悟らせる努力を傾注し継続すべきである。」という。
(一) 「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望が全くの得手勝手」であるかどうかについては疑問がある。日本国憲法は、男女平等の権利を保障しているが、未婚の父は子を入籍する義務はないが、未婚の母には入籍する義務が課せられているのである。また「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦の希望」を「全くの得手勝手」としりぞければ、胎児が死の危機にさらされる。しかし、その希望を容認すれば胎児の生命が完全にまもられる。このような場合でも、やはり胎児の生命を見殺しにすべきなのであろうか。
(二) また判決は、「養親子関係を知られたくないとの貰い親の意向もさして理由のあるものでないのは明らかである。」と述べたが、控訴人のケースは大部分が実親から事実上捨てられた子であり、婚外の養子なのである。日本社会がこのような不遇な子らに、いかに冷酷な目を向けるかを考慮しなければならない。この場合、第三者が貰い親の意向を「さして理由のあるものでない」と片付けることこそ短絡的というべきである。
(三) 判決は、「自分の戸籍を汚したくないとする妊婦」に「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続すべきである。」という。
しかし、「戸籍を汚したくないとする妊婦」は産科医に嬰児殺しを求めたのであって、「その不心得と非」について教えを請い、「自分の戸籍を汚す」結果を期待して産科医を訪れたわけではないのである。むしろ、「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し継続」されることを恐れて産科医を訪れたのである。通例、彼女らは医師の言葉に長い時間耳を傾けることなく、悄然として立ち去り、二度と現れない。つまり中絶を求めて産科医を訪れた妊婦に、その場で子殺しを断念させることに成功しなければ、胎児を救う機会は永遠に失われるものと考えなければならない。その意味では控訴人は待ったなしの一本勝負を強いられているのである。
彼女は「戸籍を汚すくらいなら、子を殺すことも辞さない」と決意したのである。彼女が狙っているのは、「戸籍を汚さない」ことで、「子を殺すこと」は手段にすぎない。「戸籍を汚すこと」を強制されるから子殺しをするのであって、戸籍に目をつぶれば子は救われるのである。つまり、従来、日本の法律が「戸籍を汚したくないとする妊婦」に「その不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続すべし」という姿勢を変えず、「この命を守ること」に努力を傾注し、継続しなかったことが、「子を殺したくない。戸籍に目をつぶって欲しい」と願った母に子殺しを強制してきたのである。
五、本判決は、「目的と手段の点を云々するのであれば、方便として妊婦を騙してでも出産までに至らせることも許されるのではないか。望まなかった子でも産んだ後は、何故あのように思ったのかと後悔する例が多いのはよく見聞きすることである。」という。
母は“望まない子”を受胎しても、「生む前は“望まない子”でも生んだ後では“望んだ子”に変わり、その変化が子殺しを行う前におこる」のなら日本に嬰児殺しはおこるはずもなく、嬰児殺し防止に狂奔した控訴人は狂人に違いないのである。しかし本判決のように太平楽を構えて大丈夫なのであろうか。
六、また判決は、「方便として妊婦の中絶(子殺し)の希望を翻意させるために“実子あっせん”を約束し、無事出産せしめたあとで“実子あっせん”の約束を撤回する方法もあったのではないか」という。
(一) この妊婦は、“未婚の母”という烙印を押されることを深く恐れ、あるいは“望まない子”を生まないため必死になって血路をひらこうとしているのである。そのような女性に土壇場になってから“実子あっせん”の約束を撤回して、逆に未婚の母となることを強制し、あるいは“望まない子”と“親子の縁”がつながることを強制し、彼女および彼女の家族に回復しがたい不利益を与えた場合、彼等は控訴人に対し終生変わらない憎悪の炎を燃やすことになろう。控訴人はこのようなかたちで多くの女性を不幸におとし入れ、その憎悪を一身に集め、平然としていられる神経は持ち合わせていないのである。
(二) また、もしも控訴人の「説得には力の限界がある。実子あっせんのような対策を示さない限り殺害に至るのを阻止することはできない」という主張が「短絡的な手段選択と安易な事態収束」であり、「双方に対してその不心得と非を悟らせる努力を傾注し、継続」することによって、嬰児殺し防止がほとんど成功を収めることができるという確信が判事にあるのなら、「方便として妊婦に“実子あっせん”をしてやると騙してでも出産までに至らせること」など考慮の余地はないはずである。判決文が「騙してでも」と述べることはやはり「“実子あっせん”をしてやる」と言わなければ「出産までに至らない」ケースが多いことを認めたことになろう。
七、次に判決は、「控訴人の手許にも実親子関係を証する記録を残していないというのである。その結果、将来その子が成長した暁において、実親を知りたいと望んでもこれを探知する手掛かりが全く得られなくなるわけであり、加えて血統を隠蔽し擬装することにより近親婚を生ぜしめ、悪性遺伝子の発現を助長する可能性もあり」という。
(一) 世間体は“望まぬ子”を生まなかったことにするためには、子を殺害するもやむなしと決意した母に、子殺しを翻意させるための要件は、実母が「現在および将来にわたって、“望まない子”を生んだこと、その子を養子に出した事実をこの世から抹殺すること」なのである。そのためには、控訴人は実父母の記録を残してはならないのである。個人(控訴人)が実父母の秘密を将来共に守ることを保証するためには、これ以上の方法は考えられないのである。“実子特例法”が制定されれば、国家が秘密保持を保証するから記録を残すことを実父母は拒まないであろう。
(二) 控訴人が、将来おこり得べき「親を知る権利」「近親結婚」「優生学上の配慮」から実父母の記録を残すことに熱意を示し、実父母の名前、家族構成、住所などを根掘り葉掘り尋ねても、実母は真実を述べないことが多く、また述べても医師はそのことの真偽を確かめるすべを持たず、そのことがかえって彼女を不安におとし入れ、子を殺さないという決心を再び鈍らせる危険がある。
(三) 実母の出産の秘密を守ることが嬰児殺しを防止する要件で、そのためには出産の記録を残さない配慮を必要とするのである。現在、子が生死の境にあり、母の記録を残さないことによってこの命が確実に守られ、母の記録を残すことが母に子殺しを断念させる決意を鈍らせる場合、将来の問題「実親を知る権利」「近親婚の危険」「優生学の配慮」などのゆえに、記録を残すことに固執し、そのために子を見殺しにすることも止むなしといえるのであろうか。将来おこりうる問題をあれこれ考えて、今おこりつつあるこの危機に目をつむるべきであろうか。桃太郎を拾い上げた「おじいさん」「おばあさん」は、必死になって桃太郎を川からひきあげたのであり、数年後の「実親を知る権利」「近親婚の危険」「優生学の配慮」など、その時点では考慮する余地はなかったであろう。
八、また判決は、「生命を救うためという言葉にのみ耽溺するな」と述べたが、日本国中が、本判決を含めて“望まぬ子”の生命軽視に耽溺する世相にあって、「生命を救うためという言葉にのみ耽溺する」医師の稀少価値も認められるべきではないか。