最高裁判所第二小法廷 昭和61年(オ)1088号 判決 1989年11月24日
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人松本正雄、同米田正弌、同白石健三、同渡部吉隆、同関根俊太郎、同山崎郁雄、同田島孝、同藤原寛治、同竹田穣、同白石喜徳の上告理由について
一 原審が適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 被上告人は、愛媛県松山市近郊の奥道後温泉及び観光施設の開発、整備事業に携わっていたが、その完成後における観光事業の開始に備え、昭和三五年六月一四日、運輸大臣に対し、運行系統を国鉄松山駅等から奥道後まで、旅客の範囲を観光施設の入園者に限定する一般乗合自動車事業(以下「バス事業」という。)の免許(限定免許)を申請した。
2 これに対して、愛媛県中予地区、特に松山市を中心に一般客を対象とするバスを運行していた上告人は、被上告人の申請にかかる運行系統のバス路線が上告人の既設路線と競合するなどとして、道路運送法施行規則(昭和四六年運輸省令第六四号による改正前のもの)六三条の四の規定に基づく聴聞を申請したため、この事態を憂慮した県政財界の有力者は、上告人と被上告人とが共同で設立する別会社(以下「新会社」という。)をして奥道後への観光客の輸送に当たらせ、これによって双方の対立、紛争を円満に解決すべく斡旋をし、その結果、昭和三五年九月八日、上告人と被上告人との間に、双方及び新会社が互に協力し、緊密な親善関係を保持することを基調とするほぼ次の内容からなる合意(以下「原協定」という。)が成立した。
(一) 被上告人の営業からバス事業部門及びこれに付随する業務を切り離し、これを新会社で行う。新会社の名称は、奥道後観光バス株式会社とする。
(二) 新会社の資本は、上告人三割、被上告人七割の割合で構成する。
(三) 新会社のバス事業は、奥道後遊園地発着の旅客に限り、その免許は限定免許とし、他の旅客は取り扱わない。
(四) 新会社と被上告人は、上告人の営業に影響のある事項については上告人と協議して定める。
(五) 新会社の運行開始に当たっては、運行系統、運行回数、運行時刻、運賃等、運輸に関する一切の事項につき上告人と運輸協定を結び、運輸省の認可を受ける。
(六) 上告人は、前記聴聞申請を取り下げ、新会社に対し、本協定及び運輸協定により、前記申請路線に同意する。
3 次いで、原協定が成立した翌日の昭和三五年九月九日、被上告人から、速やかにバス事業の免許を得るため、前記申請を活かし、新会社の設立を取り止め、被上告人が新会社に代わることにしたい旨の申出があり、上告人も同意して、双方の間に、次の内容からなる合意(以下「修正協定」という。)が成立した。
(一) 被上告人の定款の一部を変更し、商号を原協定で予定していた新会社の商号に、営業目的を乗合自動車事業及びこれに付随する一切の業務に変更する。
(二) 上告人が被上告人に対してその資本金の三割に当たる出資をし、併せて役員を派遣して(以下、これらを「資本参加」という。)、(一)の合意と相まって、原協定における新会社の設立に代える。
(三) 被上告人の前記申請をそのまま維持し、社名変更の追加申請をする。
4 その後、被上告人は、商号及び営業目的を修正協定の(一)の合意のとおりに変更したが、奥道後温泉及び観光施設の開発、整備事業が遅延したため、前記申請を一旦取り下げ、奥道後遊園地の開園の見通しが立った昭和三九年六月二九日、改めて限定免許の申請をし、同年一一月一七日に免許を受け、昭和四〇年一月三一日から観光客を対象にするバスを運行しているところ、上告人は、昭和三九年一二月二五日に奥道後遊園地が開園されたのと同時ころに、国鉄松山駅-奥道後(宿野々橋)線を開設し、観光客を含め、一般客を対象にするバスを運行している。
5 そこで、被上告人は、昭和四一年七月二六日、旅客の範囲を観光客に限定しない、一般客も対象とするバス事業の免許(非限定免許)を申請したが、上告人から原協定の(三)の合意に違反するとして、非限定免許によるバス事業の禁止等を求める訴訟を提起されたため、県政財界の有力者が再び双方を斡旋した結果、昭和四二年九月七日、両者間に合意が成立して、被上告人は、非限定免許の申請を取り下げ、上告人も、訴訟を取り下げることになった。
6 しかし、被上告人は、昭和四六年二月二日、再び非限定免許によるバス事業の免許申請(以下「本件申請」という。)をするに至った。
二 上告人の請求は、要するに、原協定の(三)の合意は新会社が非限定免許によるバス事業の経営をしない不作為義務を上告人に対して負うことを取り決めたもので、修正協定によってその不作為義務を被上告人が負担している、と主張して、被上告人に対し、本件申請にかかるバス事業の経営の禁止及び本件申請の取下手続を求めるものであるが、被上告人は、これに対し、原協定は、新会社の設立とその将来における構想とを示したにすぎないいわゆる紳士協定で、修正協定もまた同様であるから、被上告人は不作為義務を負担していない、仮に原協定の(三)の合意が被上告人に不作為義務を負担させるものであれば、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律三条に違反するので、無効であるなどと主張して、これを争うところ、原審は、右事実関係の下において、(1) 原協定には、新会社設立の時期、方法、資本金、発起人等の定めがなく、株式会社の設立行為が合同行為であることを考え併せると、原協定において上告人と被上告人とに対し予想し、あるいは期待すべき行為は、これを法律上の権利義務として観念し得ず、修正協定にも、上告人の被上告人に対する資本参加の時期、方法、金額等の定めがないので、この場合も、上告人と被上告人とに対し予想し、あるいは期待すべき行為は、これを法律上の権利義務として観念し得ないから、原協定ないし修正協定が徳義上の責任を定めたいわゆる紳士協定であるといえないこともない、(2) しかし、新会社が実際に設立され、原協定の合意に従う意思を表明したときは、新会社は、原協定上、上告人との関係における権利を取得し、義務を負担することになるから、原協定は、新会社との関係においては、第三者のためにする契約というべきである、(3) そして、修正協定において、原協定における新会社に代わる被上告人が直接の当事者になったので、その成立と同時に、原協定における新会社と上告人との間に生ずべき法律上の権利義務が被上告人と上告人との間に発生する、(4) しかし、原協定の(三)の合意及びこれが被上告人に適用されるとした修正協定の合意は、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律三条に違反するので、無効である、と判断し、上告人の請求は棄却されるべきものであるから、これと結論を同じくする第一審判決は相当であるとして、上告人の控訴を棄却した。
三 しかしながら、原協定を上告人と被上告人との第三者(新会社)のためにする契約であるとして、修正協定によって原協定における新会社と被上告人との間に生ずべき法律上の権利義務が被上告人と上告人との間に発生するとした原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
原審の確定したところによれば、原協定は、奥道後へのバス事業をめぐって対立する上告人と被上告人との利害を調整するため、双方共同で設立する新会社をしてバス事業に当たらせるべく合意されたものであるが、原協定には、新会社設立の時期、方法、資本金、発起人等の定めがない、というのである。そうすると、新会社の設立に必要なこれらの具体的事項については、上告人と被上告人とで更に協議することが当然に予定されていたものと解するほかないところ、原協定が締結されてから奥道後遊園地が開園するまでの前示のような時間的経過等からして、原協定締結当時には、新会社の規模、業務内容、営業体制等を未だ具体的に確定し得る段階になく、その予定した新会社が実際に設立されるのかどうかもなお流動的、不確実な状況にあったと解されるから、右のような原協定の趣旨、目的、内容及び締結当時の状況等に照らせば、原協定は、上告人と被上告人とが奥道後温泉及び観光施設の開発事業の進展、完成を一応見込んで、その将来における奥道後へのバス事業を新会社に当たらせようという基本的な構想を策定したものにすぎないと解するのが相当であり、上告人と被上告人とが新会社の設立及びこれによるバス事業の遂行につき法的に拘束され、互いに権利義務を取得又は負担するものとも、また、第三者(新会社)のためにする契約とも解することはできないというべきである。そして、原協定の翌日に締結された修正協定においても、前示のとおり、速やかにバス事業の免許を得るため、被上告人が既にしていた申請を活かし、新会社の設立を取り止めることにしたが、上告人が被上告人に対して資本参加をするのに必要な具体的事項は定められていないというのであるから、修正協定もまた、将来における奥道後へのバス事業の基本的な構想を策定したにとどまるものというべく、上告人と被上告人とが資本参加及びこれによるバス事業の遂行につき法的に拘束され、互いに権利義務を取得又は負担したものとは到底解することができない。原協定の個々的な合意、例えば(三)の合意は、その字句のみをとらえると、新会社が上告人主張の不作為義務を負う趣旨に解する余地がないわけではないが、およそ合意の解釈は、その字句に即してのみされるべきものではなく、当該合意が成立するに至った経緯、成立時における状況等を勘案して、全体的な見地からされるべきところ、原協定ないし修正協定は、上告人と被上告人とが将来における奥道後へのバス事業の基本的な構想として、新会社の設立又は資本参加を策定したにすぎないものであるから、新会社の設立又は資本参加を前提とする原協定ないし修正協定の個々的な合意に未だ法的な拘束力を認めることはできない。原協定締結後約五年を経過してようやく奥道後遊園地が完成し、被上告人が限定免許によるバス事業を開始し、他方、上告人も非限定免許による国鉄松山駅-奥道後(宿野々橋)線の運行を開始するという事態を迎え、被上告人が更に非限定免許の申請をしたことなどから、本件訴訟にまで発展しているのであるが、その間にあって、本訴提起前にも被上告人の非限定免許によるバス事業の免許申請をめぐって訴訟にまで至っているのに、資本参加も実現せず、原協定締結以来約二五年近くもそのままに推移してきたということは、原協定ないし修正協定が新会社の設立又は資本参加及びこれによるバス事業の遂行につき法的拘束力を生ずるような合意でないことを互いに認識していたからにほかならないというべきである。
四 したがって、以上と異なる原審の判断には、原協定ないし修正協定の解釈を誤った違法があるが、右説示したところによれば、被上告人に対する上告人の請求は理由がないことが明らかであるから、これを棄却すべきものとした原判決は、結論において正当として是認することができる。論旨は、原判決の結論に影響を及ぼさない部分の違法をいうに帰し、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧 圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島 昭 裁判官 香川保一 裁判官 奧野久之)