大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和63年(あ)1272号 決定 1990年3月09日

本籍

広島市安芸区中野東二丁目六六一九番地

住居

広島県呉市東中央一丁目八番一六号

医師

後藤尹彦

昭和三年二月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年一〇月一一日広島高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人岡秀明の上告趣意のうち、憲法三〇条違反及び判例違反をいう点は、実質は、単なる法令違反の主張であり、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之 裁判官 中島敏次郎)

昭和六三年(あ)第一二七二号

上告趣意書

被告人 後藤尹彦

右の者の所得税法違反被告事件について、広島高等裁判所がなした判決に対し、被告人が上告を申立てた趣意は左記のとおりである。

昭和六四年一月七日

右弁護人 岡秀明

最高裁判所第二小法定 御中

広島高等裁判所は被告人の控訴申立に対し控訴を棄却する旨の判決の言渡をなしたが、右判決は以下述べる理由により到底破棄をまぬがれないものである。

一、原判決は鍋診療所の収益の帰属者は誰かと言う問題につき所得税基本通達一二~五(2)は生計を一にしている親族間における事業の事業主の判定基準を定めたものであつて、生計を一にしていない被告人と久保医師については適用の余地がないと判示するが、右は右通達を誤つて引用しているものであり従つて原判決の右理由には理由不備がある。

即ち、右通達は

<1> 生計を一にしかつ日常の起居をともにしている親族のうち誰の事業所得であるかについては最終的には生計の主宰者が実質的な所得者であるとするが

<2> 他の親族が医師等の自由職業者として生計を主宰している者とともに事業に従事している場合でも当該親族にかかる収支とが区分されており、かつ当該生計を主宰している者に従属していると認められない場合には他の親族が事業主と推定し、

<3> 生計を主宰している者と事業に従事している者とが日常の起居をともにしていない場合には他の親族が事業主と推定するとしている。

ところで本件では被告人と久保医師との収支は原判決でも認めてる如く判然と区別されておるだけでなく両者は生計と日常の起居を別にしており各々がそれぞれの生計の主宰者であるのであるから右通達(一二-五(1)ないし(3))からすれば鍋診療所の事業主は久保医師と推定されるのである。

二、更に、原判決鍋診療所の事業主が被告人であるとしその理由として

<1> 鍋診療所の現金収入はすべて被告人に渡されていた。

<2> 被告人が鍋診療所の診療報酬が振込み入金される久保忠夫名義の普通預金口座の預金通帳及び印鑑を保管していた。

<3> 被告人が診療所の従業員の給料、薬品等及び所得税を支払つていた。

こと等を理由とする。

久保医師は呉検疫所支所長を退官して有限会社後藤会館所有の建物及び医療器具を借りて開業したが医療事務スタツフを雇入れる余力もなく医院経営の経験もないため会計的処理を後藤病院事務長である被告人の弟後藤昌彦に委任していたが同人が退職して東京に行つた後は被告人がそのあとを引つぐ形となつて後藤病院の事務員をつかつてそれを行つていたものであるが、

<1> 鍋診療所の現金収入はすべて被告人に渡されていたと認定するが保険の診療報酬は支払基金より久保医師の口座に払込まれていたもので被告人が受取つてはいない。

ましてや保険外の診療報酬については被告人は何ら関与していない。

<2> 久保医師の預金通帳と印鑑を被告人が保管していたのは前記のとおり医院経営上の日常の会計業務を弟から引継いだ関係から保管していたもので被告人は鍋診療所の経営方針の決定等には何ら関与していない。

<3> 鍋診療所の従業員の給料、薬品等及び所得税の支払いは確定金額の支払い手続を行つていたがこれは会計事務を委任された以上当然の事務に過ぎない。

以上のように被告人は鍋診療所の経営方針の決定を行う立場でもなくその収入の全額を把握してもおらずかかる事実をもつて被告人が鍋診療所の事業主と認定した原判決の認定には審理不尽、理由不備の欠陥があり、その欠陥が原判決を破棄するのでなければ著しく正義に反するものと認められる程の事実誤認を導き出している。

よつて、刑事訴訟法第四一一条一号三号により原判決は破棄さるべきである。(昭三七・五・一九最、刑集一六-六〇九)

又、憲法が定める納税の義務(憲法第三〇条)は、当然所得に応じた納税を意味するところ前記のとおり被告人の所得といえないものについても納税の義務があるとする原判決は憲法第三〇条に違反し刑事訴訟法第四〇五条一号に該当し到底破棄をまぬがれない。

三、所得の帰属者の判定については

<1> 何人の収支計算の下において行われたか(昭三三・七・二九最高裁)

<2> 何人の収入に帰したかで判断されるべき問題である(昭三七・三・一六最高裁)

とするのが判例であるが、前記事実よりすれば被告人は自己の病院において医療業務を行うかたわら医院経営に経験に浅く事務員もいない妹婿の経営する鍋診療所の会計事務を担当しその収入の全部を把握していない被告人をして事業主とした原判決は前掲最高裁判所の判断と相反する判断をなしたものであるから刑事訴訟法第四〇五条二号により破棄をまぬがれない。

四、原判決は、未必の故意に関し「被告人が藤井(所得税課長)から分離申告してもよい旨聞いたのは、その前に呉税務署の飯田係官から鍋診療所の収益も合算して申告すべきである旨言われたことを契機としてその上司である藤井のもとへ赴いた際のことであることが認められ、右事実によれば、被告人は当時呉税務署の内部でも右の点について見解がわかれていることを知つていたことが明らかであり・・・・・たとえ藤井から所論のように言われたしても被告人が少なくともほ脱の未必の項を有していたことは明らかであり」と判示する。

租税法規の専門技術化が進んで来た現今においては規定の解釈、適用等につき行政庁の見解に事実上依存せざるをえない場合が多いのが現今社会の実状であることからすれば租税法律関係にも信義則ないし禁反言の原則があるとするのが多数説である。

ところで、呉税務署の飯田係官が後藤病院の所得と鍋診療所の所得とは合算して被告人が申告すべきであるとしたので被告人は呉税務署の見解をただすため同署に赴き所得税関係の現場責任者である藤井所得税課長の見解をただしたところ本件の場合は分離して申告して良い場合であるとの見解をえたのである。

仮りに右課長の見解が誤つていたとしても、被告人(国民)の側にそれを信頼することが無理からぬ状況にあり、またそれを信じた被告人(国民)側に責められるべき事情がない本件において、被告人が藤井所得税課長の見解にもとづいて分離申告した被告人の行為は国から責められるいわれはなく右申告に未必の故意あるものとは言えない。

原判決のこの点の判断に関しては、前記二記載と同じ理由で刑事訴訟法第四一一条一号三号により原判決は破棄さるべきである。

原判決は被告人が分離申告をすれば累進税率の関係で所得税を少なくすることができることを認識していたことも未必の故意があつた理由とするが、二つの申告方法があつてそのいづれをとつても違法とならないと認識していた本件において自己に有利な方法をとつたこと自体が故意の有無を左右するものではない。

世間で言う節税対策といわれている行為にすぎないので原判決の右認定は理由とならない。

五、原判決は藤井春男との共謀について多額の架空経費を計上するような脱税行為を一税理士である藤井が被告人の依頼なくして独断で行う必要性や理由を窺わせる事情は見当たらないとするが

<1> 広島国税局の本件についての査察があつた際もみ消し料として当座の資金として一〇〇〇万円の大金を被告人に要求する等通常の税理士の言動としては考えられない違法な行動に出ており(被告人質問)

<2> 第一審での証人喚問にも事務所には出勤しておりながら最後まで出頭に応じず、遂に共犯者とされている同人の訊問なしで判決せざるをえなくなつた同人の裁判所に対する態度

<3> 藤井税理士事務所では後藤病院の場合と同様に架空経費を計上し、所得を圧縮して脱税をするという方法が多数の顧問先に関してとられており、後藤病院の例が珍しい例だとは言えず、このように脱税をするやり方が藤井税理士事務所の売りものになつているぐらいであつた。(証人阿南洋子証言)

藤井が単独で架空経費を計上して所得を圧縮した場合もあつた。(阿南承認証言)

<4> 証人中村春男(検察事務官)は取調べを通じてえた藤井に対する印象として「税理士としてあるまじき行為を行つている」と考えた。

<5> 本件捜査開始後藤井は阿南に対し自己の脱税行為のもみ消し工作をなしている。

等の事実を前提とすれば原判決のこの点の判断は前記二記載と同じ理由があり刑事訴訟法第四一一条一号三号により原判決は破棄さるべきである。

六、原判決は被告人の大蔵事務官に対する供述調書には供述部分の最後と被告人の署名部分の間に二行の空白がありその部分に斜線がひかれているものが数通あるが白紙に署名押印後記載されたものと認められないと認定するが、右は刑事訴訟法上の証拠としての供述調書の認識を欠いた暴論である。

供述調書は本来伝聞証拠の例外とし法定の場合に限り証拠能力を認める証拠であるためその作成経過も供述者の供述内容の真実性を担保するために供述者が捜査官に供述内容を口述し捜査官がその口述を筆記しこれを供述者に読み聞かせて供述者が筆記の正確なことを承認した後署名し押印又は指印し初めて刑訴法上の供述調書となるものである。

右手続によれば供述者の面前でその口述を筆記する以上供述部分の最後の行は特定している筈であるから捜査官としてはその次の行に署名押印させて初めて筆記の正確性を担保しているものである。

従つて、本調書の如き場合は異例中の異例であり、最後の白紙の用紙に供述者の署名を得て、それまでに供述者の居ない所で捜査官が独断で筆記した用紙と、供述者の署名を書かせた最後の白紙に、それより一枚前までの供述文句とつづく文章を書き入れて前後をとじて調書の体裁をととのえたとも推測出来るかかる供述者の供述を正確に筆記したとの担保のない調書の職業的捜査官が作成したとする場合は供述者の面前で筆記したものでないとの推定が働くのである。

かかる特信性のない供述調書を証拠として採用し証拠とした原判決には刑事訴訟法第三二二条に違反し同法四一一条一号に該当する場合であるからこの点からも原判決は破棄をまぬがれないものである。

以上

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