最高裁判所第二小法廷 昭和23(れ)193 判決
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
弁護人植垣幸雄上告趣意書は「原判決は被告人の窃盗の事実を認定して懲役二年
六月の実刑を科したのであつて此の行為自体は争はないのであるが被告人の判示行
為は所謂緊急避難と認むべきであるに拘はらず原審が此の点の考慮を払わなかつた
のは不当である。被告人が本犯行を起すに至つた事情を鑑みるに、(1)被告人は
駄菓子の小売商を営んで辛うじて生活していたのであるが倹約をして蓄めた弐千数
百円の金子を盗まれた為食料を買う金にも困つていた事(検事聴取書及被告人作成
の書面―封緘葉書に記載のもの―参照)(2)代用食を買うことも出来ず被告人は
ナンバ粉のだんご等粗食を一日一、二回食べる程度であり、姙娠中の妻も同様でそ
の身体は衰弱して居り被告人は妻の身を案じていた事((1)援用の書類参照)(
3)当時主食の配給は甚だしい遅欠配であつて約一ケ月の遅配となつていたので(
1)(2)記載の事情にある被告人及其の妻は所謂闇物資を買つて栄養不足を補う
資力もなくなつていた事(別紙添付証明書類参)(4)被告人は肺浸潤のため身体
衰弱甚しかつた事(公判調書病状報告書添付診断書参照)等気の毒な実情にあつた
際銭湯よりの帰途本件窃取物件が軒下に放置してあるのを見て妻がこの粉があれば
助かるものを云々と語つたことから前後の思慮を失い本犯行に至つたものである。
惟うに総ての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するから国はす
べての生活部面について社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなけ
ればならないものであることは憲法第二十五条の定めているところである。日本人
が通常軽労働に従事するには少くとも弐千百カロリーは摂取しなければならないと
するのが通説である。尤も戦後の事情に鑑みそれを全部は望めないにしても少くと
も国家が公約した最低限度は確保せねばならない。抑当時主食配給が完全に行われ
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ていたとしてもそれだけでは千参百カロリーに過ぎないのに栄養価の低い粉類を配
給し、而も長期間の遅欠配であつたから其の栄養度はせいぜい千百カロリーを出で
ない。それでは文化的最低生活を営んでいるとは謂へないばかりか動物的最低生活
を維持する事は出来ない。詰り国家は憲法第二十五条第二項の義務を尽していなか
つた訳である。多くの国民は已むなく所謂闇物資を入手してこの不足を補うていた
が被告人は前記の事情のためそれさえ手に入れる資力を失うていたばかりでなく配
給物資の支払にさえ事欠いていたから動物的最低生活の維持も困難であつた。憲法
で文化的最低生活権を認められながら国家の無力のため事茲に至つた被告人は不憫
であると謂わねばならない斯くして本犯行に及んだのであつて結局の処被告人の行
為は自己又は他人の生命身体に対する現在の危難を避くるため已むことを得ざるに
出てたる行為と認むべきであつて刑法第参拾七条第壱項を適用すべき場合に該当す
るものと考えねばならない。然るに原審が此の点を看過した事は法の適用を誤つた
ものであり、特に憲法の精神に反するから破毀を免かれないものと解する。」と云
うのであるが、
所論は原判決の認定しない事実をもとにして本件犯行が緊急避難行為にあたると
主張するもので結局原判決の事実の認定を非難し延いてその法律の適用を攻撃する
に帰するから日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律第十三
条第二項によつて上告適法の理由にならない。尤も被告人は原審公判廷で妻が姙娠
中であり食糧難でその日の食糧にも事欠くような生活をしていたため本件犯行に及
んだと云うような供述をしているが、犯行の動機を縷々のべているだけのことで原
審も被告人の犯行が緊急已むを得ない状況の下においてなされたものとは認めなか
つたのであるから刑法第三十七条第一項を適用しなかつたのはもとより当然で何等
所論のような違法はない。
よつて上告は理由がないから刑事訴訟法第四百四十六条により主文の通り判決す
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る。
この判決は裁判官全員の一致した意見である。
検察官 福尾彌太郎関与
昭和二十三年六月十二日
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 塚 崎 直 義
裁判官 霜 山 精 一
裁判官 栗 山 茂
裁判官 小 谷 勝 重
裁判官 藤 田 八 郎
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