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札幌地方裁判所 平成元年(ワ)1044号 判決 2000年3月28日

原告 A ほか四名

被告 国

代理人 大野重國 田邊哲夫 小沢満寿男 鍛冶宗宏 千葉和則 成田英雄 亀田康 ほか六名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ一一五〇万円及びこれらに対する平成元年七月一二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者及びその予防接種歴

原告Aは昭和三九年一〇月一八日生れの男子、原告Bは昭和二六年五月一一日生れの男子、原告Cは昭和三六年七月四日生れの男子、原告Dは昭和三九年三月二三日生れの男子、原告Eは昭和五八年五月一一日生れの男子であるが、いずれも別紙一「予防接種歴表」1ないし5に記載のとおり、被告による強制接種(予防接種法(昭和二三年法律第六八号)に基づく。)又は勧奨接種(行政指導に基づく。)としての予防接種を受けた者である。

また、右の各「予防接種歴表」のうち、括弧書の部分を除いた予防接種については、集団予防接種としてなされたものである(以下、原告らに対する集団予防接種を総称する場合には「本件各集団予防接種」という。)。

2  原告らのB型肝炎ウイルスの感染

原告らは、以下のとおり、いずれもB型肝炎ウイルスに感染(原告らの右感染を、合わせて「本件感染」という。)し、その持続感染者(B型肝炎ウイルスキャリア)ないしは慢性B型肝炎(HBs抗原陽性、HBs抗体陰性)と診断されている。

(一) 原告A

原告Aは、昭和六一年一〇月中旬、食欲不振、心窩部鈍痛の症状により、太黒胃腸科病院において診断を受け、検査の結果、B型肝炎と診断された。

以後、同原告は、太黒胃腸科病院及び勤医協中央病院での入、通院を経て、現在経過観察中であるが、小葉改築傾向のある慢性B型肝炎との診断を受けている。

(二) 原告B

原告Bは、昭和五五年、北海道赤十字血液センターにおいて献血した際、輸血できない血液であるとの指摘を受けたが、昭和五九年八月ころ、易疲労感、全身の倦怠感を訴え、札幌市内の医院において受診したところ、B型肝炎と診断された。

以後、同原告は、札幌逓信病院及び勤医協中央病院での入、通院を経て、現在、経過観察中であるが、内視鏡的には斑紋肝、組織的には小葉改築を伴う慢性B型肝炎との診断を受けており、また、ときどき、HBe抗原が出現する状態にある。

(三) 原告C

原告Cは、昭和六一年九月二〇日、右大腿骨骨髄炎、右大腿部膿瘍及びこれによる敗血症、肺化膿症のため、札幌徳州会病院に入院し、同年一〇月一一日、勤医協中央病院に転院したが、同病院においてB型肝炎と診断された。

以後、同原告は、同病院での入、通院を経て、現在経過観察中であるが、小葉改築のない慢性B型肝炎との診断を受けている。

(四) 原告D

原告Dは、昭和五七年夏ころ、北海道赤十字血液センターにおいて献血した際、HBs抗原が陽性である旨を指摘され、更に、昭和六〇年四月、北海道勤労者医療協会の職員採用時の検査において、肝機能障害の指摘を受けた。

以後、同原告は、北海道大学付属病院及び勤医協札幌病院での入、通院を経て、現在経過観察中であるが、小葉改築のない慢性B型肝炎との診断を受けている。

(五) 原告E

原告Eの母Fは、昭和五九年四月一日ころから風邪の症状を呈し、同月一四日から同年五月八日まで勤医協中央病院に入院したが、入院時の検査において急性B型肝炎と診断された。そのため、Fの家族について検査を行ったところ、原告EについてHBs抗原が陽性である旨を指摘された。

原告Eは、現在、勤医協札幌病院に通院して経過観察中であるが、B型肝炎ウイルスの持続感染者(キャリア)と診断されている。

3  因果関係

原告らの本件感染は、以下のとおり、被告により行われた本件各集団予防接種のいずれかに起因するものである。

(一) B型肝炎ウイルス及びB型肝炎の特質

(1) 肝炎ウイルス及びその種類

ウイルスとは、遺伝子(核酸)が蛋白質の薄皮で覆われているだけという、生物としては最小限度の形態を持ったものである。しかし、細菌とは違って光学顕微鏡では見えないため、電子顕微鏡を使ったり、分子生物学的手法を用いて初めてその存在を捉えることができる。このウイルスの中で、肝臓に特異的に住み着くものが「肝炎ウイルス」である。

肝炎ウイルスは、現在、A型からG型まで、七種類ほどが判かっているが、慢性の肝炎、肝硬変、肝癌の原因となるのはB型とC型の肝炎ウイルスである。

ウイルス性肝炎は、一般に、血液を媒介として感染する血清肝炎型(B型肝炎、C型肝炎、D型肝炎、G型肝炎)と、経口感染する流行性肝炎型(A型肝炎、E型肝炎)とに二分される。そのうち、経口感染する流行性肝炎型のウイルスは、後記の一過性の肝炎のみを生じさせ、キャリアを生じることはない。

(2) B型肝炎ウイルスとB型肝炎

ア B型肝炎ウイルス(HBV)は、遺伝子としてはDNA(デオキシリボ核酸)タイプであり、この点ではC型肝炎ウイルス(HCV)やエイズウイルス(HIV)のRNA(リボ核酸)タイプと異なる。B型肝炎ウイルスは、外被(サーフェス)と芯(コア)からできている。外被は、脂肪とHBs抗原の性質を持つタンパクからできており、芯は、HBe抗原やHBc抗原の性質を持つタンパク、ウイルスの遺伝子、ウイルス遺伝子を作るための酵素(HBV・DNAポリメラーゼ)等を含んでいる。B型肝炎ウイルスは、ヒトからヒトへ血液に混じって感染し、宿主であるヒトの肝臓の細胞に住み着いて増殖し続ける。

イ B型肝炎ウイルスの感染力については、e抗原陽性の場合、一〇のマイナス八乗パーミリリッター、すなわち、血清一ccを一億倍に希釈したもの(一ccを一〇〇トンの水に溶かしたもの)の一ccを注射することによっても感染を起こすことが、チンパンジーの実験で確認されている。なお、血液を介して感染する点ではC型肝炎ウイルスも同じであるが、C型肝炎ウイルスは、血清一ccの一〇〇〇ないし一万倍希釈までしか感染力を有しない。

ウ このB型肝炎ウイルスによって起こる肝炎を、B型肝炎という。すなわち、ヒトがB型肝炎ウイルスに感染すると、B型肝炎ウイルスはまず肝細胞に入り込む。B型肝炎ウイルスが肝細胞に住み着き、増殖し始めると、異物であるウイルスを排除しようとする免疫反応が起き、リンパ球がウイルスの住み着いた自らの肝細胞を丸ごと破壊し、肝臓に炎症を起こす。この状態が「B型肝炎」である。肝炎ウイルスそのものが、肝細胞を壊すわけではない。

(3) B型肝炎ウイルスの抗原、抗体の種類

B型肝炎ウイルスには、HBs抗原、HBc抗原、HBe抗原の三種類の抗原と、これに対するHBs抗体、HBc抗体、HBe抗体の三種類の抗体があり、これらに、前記(2)のDNAポリメラーゼ等を加えて、B型肝炎ウイルスマーカーと呼ぶ。

それぞれのB型肝炎ウイルスマーカーの持つ意味は次のとおりである。

ア HBs抗原陽性

B型肝炎ウイルスが肝臓に住み着き、B型肝炎ウイルスに感染している状態にあることを示す。

イ HBs抗体陽性

かつてB型肝炎ウイルスに感染したことがあり、現在治癒していることを示す。

ウ HBc抗体陽性

(ア) 高値

B型肝炎ウイルスが肝臓に住み着き、B型肝炎ウイルスに感染している状態にあることを示す。

(イ) 低値

かつてB型肝炎ウイルスに感染したことがあることを示す。

エ HBe抗原陽性

血中のB型肝炎ウイルス量が多く、感染力の高い状態にあることを示す。

オ HBe抗体陽性

血中のB型肝炎ウイルスが少なくなり、感染力も低くなった状態を示す。

カ DNAポリメラーゼ

(ア) 陽性

B型肝炎ウイルスが盛んに増殖している状態を示す。

e抗体陽性の場合でも、ウイルスに感染力があることを意味する。

(イ) 陰性

B型肝炎ウイルスが増殖していない状態にあることを示す。

(4) B型肝炎ウイルスの感染の機序と特質

B型肝炎ウイルスは、免疫機能が十分な成人に感染した場合と、不十分な乳幼児に感染した場合とでは、異なる経過をたどる。

ア 成人が感染したとき

成人がB型肝炎ウイルスに感染すると、ウイルスや細菌など異物の体内侵入に対しての防御機構が働く。つまり、B型肝炎ウイルスが肝細胞に侵入し増殖すると、これに対する免疫反応が起こり、リンパ球がウイルスの侵入を受けた肝細胞を攻撃する。この時、B型肝炎ウイルスの侵入がごく一部の肝細胞に止まっている場合には、体の変調を来たさないまま、HBs抗原(B型肝炎ウイルスの表面抗原)に対する抗体(HBs抗体)がつくられ、B型肝炎ウイルスに再び感染することはなくなる(「不顕性感染」)。B型肝炎ウイルスの侵入を受けた肝細胞が多いときは、リンパ球の攻撃も広範囲に及ぶため、風邪症状や黄疸等の症状が出て急性肝炎となる(「顕性感染」)。更に、急激に広い範囲にわたって肝細胞が破壊されるような激しい免疫反応が起こると、劇症肝炎となり、多くが死に至る。急性肝炎・劇症肝炎が治癒すれば、基本的に不顕性肝炎と同じ抗体ができ、免疫が成立する。

このように、B型肝炎ウイルスに感染した一定期間後に、ウイルスが生体から排除されて免疫を獲得する形態の感染を、「一過性感染」という。

成人がB型肝炎ウイルスに感染し、急性B型肝炎を発症する場合は、感染して六ヵ月以内である。

イ 乳幼児が感染したとき(持続感染)

乳幼児においては、成人に比して、生体の防御反応が未完成のため、B型肝炎ウイルスに感染してウイルスが肝細胞の中に侵入しても、免疫機構が働かず、ウイルスが排除されないまま、肝細胞内に住み着くことになることが多い。このように、B型肝炎ウイルスが肝臓に侵入し、そのウイルスが増殖能力を持って肝臓に留まっている状態を「持続感染」といい、その状態にある者を、「B型肝炎ウイルスキャリア(持続感染者)」という。

B型肝炎ウイルスキャリアとなっても、長い経過の中で、HBe抗原陽性からHBe抗体陽性に変換する(「セロコンバージョン」)と、以後、肝炎になることはほとんどなく、一生を終える。

一方、キャリアにおいては、二、三〇歳代になると、その仕組みはよく判かっていないが、B型肝炎ウイルスと免疫機能の共存状態が崩れ、肝炎を発症、持続する場合があり(キャリアの約一〇パーセントに肝炎が発症するとされている。)、これが「B型慢性肝炎」である。その場合、肝細胞の破壊と再生は、ウイルスの増殖と、宿主側の免疫反応に規定されながら、五年、一〇年と続く。その間、肝炎が鎮静化しなければ、それに伴って、肝臓には正常な細胞の間にちょうど火傷(やけど)の後のようなケロイドが入り込んでくる(線維化)。こうして、肝臓は硬く、小さくなって、四〇歳代になると「肝硬変」と呼ばれる状態に進行し、肝臓の機能が低下していく。肝不全状態とは、肝機能が極端に低下した場合で、腹水・黄疸・出血傾向・意識低下が発生し、更に進行すれば死に至る。

また、B型肝炎ウイルスは癌ウイルスであり、「肝癌」を引き起こす。肝癌は、肝硬変がもっとも適した母地であり、五〇歳代に多いものの、慢性肝炎のみならず肝炎を発症していないキャリアにも稀に発生するという特徴を持っている。しかも、一〇歳代の若い層にも肝癌が発症することがある。

(5) キャリアの成立年齢

乳幼児期にB型肝炎ウイルスに感染するとキャリアになりやすい。

母親の急性肝炎を発端とした子の調査例によれば、三歳以下では三三例中二二例(六六・七%)、四歳から一〇歳では二三例中二例(八・七%)が持続陽性となっている。したがって、右の調査例を記載した文献においては、「HBウイルスに幼児期に感染する三歳、多くは二歳頃までは、chronic carrierとなりやすく、その年齢をすぎると感染しても一過性に経過しやすい」と記されている<証拠略>。

(二) B型肝炎ウイルスの感染経路

B型肝炎ウイルスは、前記(一)(2)のとおり、感染者の血液を介して他に感染するものであり、その感染経路としては、

(1) 母子間感染(出産時感染)及び家族間感染

(母子間感染は、母親がHBe抗原陽性のB型肝炎ウイルスキャリアの場合、主に、出産時に、新生児の柔らかく傷つきやすい肌が産道で母胎の血液にまみれるため、ウイルスの感染が起こるとされている。)

(2) 予防接種等の医療行為による感染

(3) 性行為による感染

(4) 輸血による感染

等が挙げられている。

(三) したがって、一般に、B型肝炎ウイルスの持続感染者(キャリア)及び慢性B型肝炎患者については、乳幼児期にB型肝炎ウイルスに感染したものとして、出産時の母子感染か、又は、乳幼児期における医療行為がその原因として疑われるところである。

(四) 一方、集団予防接種においては、昭和六三年に厚生省保険医療局結核難病感染症課長通達が出されるころまで、被接種者に対し、同一の注射針、注射筒等の接種器具が連続して使用されていた。

そして、同一の注射針、注射筒等の接種器具が連続使用されて集団予防接種が行われた場合、被接種者の中にB型肝炎ウイルスの持続感染者が含まれていると、その者の後に接種を受けた者がウイルスに感染する危険が極めて高い(右については、例えばツベルクリン反応検査のように、集団予防接種が皮内注射によるものであり、かつ、被接種者ごとに注射針が取り替えられたとしても、注射筒が連続使用されるならば感染の危険性が高いことは同じである。なぜならば、皮内に血液、体液が存在しない訳ではなく、現実に皮内注射をするときに針先が皮下に及ぶこともよくあり、それにより、血液が注射針の中に入り込むと、注射針を取り替えても、取り替える際にその血液が注射筒の中に吸引されて入り込むからである。)。

このことは、急性B型肝炎の集団発生事例に関する各種の報告(例えば、亀谷正明ほか「某高校に集団的に発生したB型急性肝炎」高山赤十字病院紀要五号九頁(昭和五六年)、天ヶ瀬洋正「急性B型肝炎の集団発生例について」第一七回日本肝臓学会西部会講演抄録集(昭和五七年度)や、動物実験の結果等からも明らかであり、また、B型肝炎患者に対する疫学的調査において、同一注射針、注射筒により集団予防接種を受けた年齢層の者にB型肝炎ウイルスの持続感染者が最も高い割合で発生している(キャリア率が高い)ことからも裏付けられる。

そのため、現在の集団予防接種においては、被接種者ごとに注射器(針、筒)等の接種器具を必ず取り替えるべきことが義務付けられているものである。

(五) ところで、集団予防接種以外の一般医療の現場においては、昭和四二、三年ころ以前であっても、個別、例外的な場合は別にして、注射器(針、筒)の連続使用がなされたということはあり得ず、また、使用済みの注射器に対しては加熱滅菌の方法により完全な消毒を行うのが一般的であった。この点は、各地の医師会等に対する照会の回答等からも明らかである。

したがって、一般医療機関における医療行為については、例外的に不十分な場合があったとしても、同一注射針及び注射筒を連続使用していた集団予防接種以上に、B型肝炎ウイルスの感染の可能性が明らかに高かったということはできない。

(六) 以上からみるならば、一般に、B型肝炎ウイルスの持続感染者(キャリア)及び慢性B型肝炎患者において、乳幼児期に輸血を伴う医療行為を受けたことがなく、母子感染も認められない場合には、被告側が特に集団予防接種以外の感染原因を個別具体的に主張、立証しない限り、右の感染及び肝炎については、集団予防接種の際に使用された注射器等の医療器具が被接種者ごとに交換されないまま、あるいは適切に消毒されないまま、連続して使用されたことに起因するものと認定されるべきである。

この点について、確かに、B型肝炎ウイルスの感染に関しては、そのキャリア化の年齢、ウイルスの感染経路などいくつかの点に関していまだ解明不十分な部分が存在することは否めない。

しかし、そもそも訴訟上の因果関係の証明というものは、少しの疑問や一部の未解明部分の存在も許さないという自然科学的証明ではない。それは、訴訟上提出された全証拠を経験則に照らして総合的に検討し、その上で、ある特定の事実、本件でいえば集団予防接種における連続的な注射器等の使用という事実が、ある特定の結果発生、本件でいえばB型肝炎ウイルスの感染という結果の発生を招来したという関係を是認し得るだけの高度の蓋然性を証明することである。そして、その判断は、通常人が疑いを差し挟まない程度に確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものというべきである(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。

また、本件訴訟は、被告の実施した集団予防接種と、原告らを含むB型肝炎患者の大量発生の事実との間の全体的な法的因果関係を明らかにすることをも目的とする。その点からも、本件においては、右のような因果関係(疫学的因果関係)を立証することで必要かつ十分というべきである。

(七) 以上に基づいて、これらを原告らについてみるならば、

(1) 前記(一)のとおりのB型肝炎ウイルスないしB型肝炎の特質、原告らの前記2のとおりの症状及び発症の経緯等に照らすならば、原告らがB型肝炎ウイルスに感染したのは、いずれも乳幼児期であったことが推認される。

(2) したがって、原告らの右感染の原因が性行為によるものでないことは明らかである。

(3) また、原告らは、乳幼児期に輸血を受けたことはない。

(4) 更に、原告らにおける母子間ないし家族間感染の可能性については次のとおりである。

ア 原告らの同居に係る家族及び家族各人のHBs抗原、HBs抗体、HBc抗体の状況は、別紙二「各原告と同居したことのある者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」に記載のとおりである。

イ 右によれば、原告らの母親は、いずれも、原告らを出産した当時、B型肝炎ウイルスキャリアでなかったことが認められるから、原告らのB型肝炎ウイルスの感染が出産時の母子間感染によるものでないことは明らかである。

ウ また、原告らについて家族間感染もあり得ないことは次のとおりである。

(ア) 原告Aについて

別紙二によれば、父母のHBs抗原、HBs抗体、HBc抗体それぞれが陰性であるから、出生後の母子間感染、父子間感染は考えられない。

他方、別紙二によれば、弟G(昭和四三年五月八日生)はB型肝炎ウイルスキャリア(HBs抗原陽性)と診断されている。しかし、日常生活の中でのB型肝炎ウイルスの感染は希有のことである上、過去に兄弟一緒に集団予防接種を受けたことが合計三回あったものの、その場合には常に兄であう原告Aから先に接種を受けているから、弟から同原告に対しウイルスが感染したと解すべき余地はない。

(イ) 原告Bについて

別紙二によれば、同居家族はいずれもキャリアではないから、出生後の母子間感染はあり得ない。原告Bの父は、HBs抗体が陽性であるが、一過性の不顕性感染者からの日常家庭生活における感染は希有の部類に属するので、被告側で個別、具体的にそのような感染があったことを主張、立証しない限り、法的因果関係を考える上では考慮すべきではなく、父子間感染もないと考えてよい。

したがって、原告Bは、その同居家族から感染し、キャリア化したものではない。

(ウ) 原告Cについて

別紙二によれば、同居家族はいずれもキャリアではない。そのため、出生後の母子間感染はもとより、父子間感染も(イ)と同様にあり得ないと考えてよく、妹及び弟からの感染の可能性も考えなくてよい。

したがって、原告Cは、その同居家族から感染し、キャリア化したものではない。

(エ) 原告Dについて

別紙二によれば、同居家族はいずれもキャリアではない。そのため、出生後の母子間感染はもちろん、父子間感染、兄弟間感染の可能性も、(イ)と同様、あり得ないと考えてよい。

したがって、原告Dは、その同居家族から感染し、キャリア化したものではない。

(オ) 原告Eについて

別紙二によると、原告Eの同居家族は、いずれも同原告出生時にはB型肝炎ウイルスに感染しておらず、その後も、母Fを除いて右ウイルスに感染した者がいないことは明らかである。

一方、Fは、原告Eを妊娠中であった昭和五七年一二月八日、勤医協札幌病院で行った血液検査においては、HBs抗原、HBs抗体ともに陰性であった。

Fは、その後前記2(五)のとおり急性B型肝炎を発症するまでの間、輸血、夫以外の男性との性交等、B型肝炎ウイルスの感染原因となるようなことは一切行っていない。

そのため、Fの急性B型肝炎の原因は、すでにB型肝炎ウイルスキャリアであった原告Eから感染したこと以外には考えられない。同原告からFへの感染経路として推測されるのは、Fが同原告を母乳で育てていたことから、授乳の際、口腔内に傷があった同原告がFの乳首を傷つけるなど、母子間の濃密な関係に起因する何らかの形での血液感染である。

したがって、同原告も、同居の家族からB型肝炎ウイルスに感染し、キャリア化したものではない。

(5) 他方、原告らは、前記1のとおり、〇歳から滿六歳ころまでの間、本件各集団予防接種を受けているが、当時の集団予防接種においては、いずれも、同一の注射器(針、筒)等の接種器具が連続して使用されていたものである。

なお、仮に、原告Eについて、被接種者ごとに注射針が取り替えられていたとしても、注射筒については連続して使用されていたものである。

(八) 以上の各事実からみるならば、原告らは、いずれも、本件各集団予防接種によりB型肝炎ウイルスに感染したものであることは明らかである。

4  被告の国家賠償法上の責任(公権力の行使)

(一) 原告らの受けた本件各集団予防接種(別紙一)のうち、ツベルクリン反応検査、BCGの接種は、結核予防法により接種を義務付けられたいわゆる強制接種である(ただし、昭和二六年における結核予防法の制定までは予防接種法に基づく。)。また、種痘、ジフテリア、百日咳、急性灰白髄炎、腸チフス・パラチフスの予防接種は、予防接種法により接種が義務付けられた強制接種である。

インフルエンザの予防接種は、予防接種法に定められたものであるが、昭和五一年五月の改正前においては、定期及び臨時の予防接種には含まれない、いわゆる勧奨接種とされていた。しかし、昭和三七年の大流行以降は、厚生省公衆衛生局長通知による行政指導がなされ、接種が強力に勧奨され実施されてきた。なお、同予防接種は、昭和五一年の予防接種法の改正により幼稚園児、学校生徒等に対しては強制接種となっている。

破傷風の予防接種は、予防接種法には規定のない接種であるが、被告国の勧奨のもとに、接種を希望する者に対して市町村長が実施するものであり、強制接種の予防接種と変わらない扱いであった。この接種の多くは、ジフテリア、百日咳との二種、あるいは三種混合ワクチンを用いて、強制接種と同様の機会に行われている。

(二) 本件各集団予防接種のうち、いわゆる強制接種は、被告国の機関委任事務として、その委任を受けた地方公共団体の長を実施者とする予防接種であり、国民に対し、予防接種を受ける義務があるものとして接種を強制するものであるから、これが、被告国の公権力の行使に該当することは明らかである。

(三) 他方、本件各集団予防接種のうち、いわゆる勧奨接種については、地方自治体等がその実施主体とされている。しかしながら、勧奨接種は、強制接種の場合と同様に、厚生大臣が国家の公衆衛生行政の施策として、国民に対して強力な勧奨を行って実施しているものであり、しかも、厚生大臣等は、地方自治体等に対し、これらの勧奨接種の細部の実施方法を定めた通達、通知を発し、予防接種の実施の対象、実施の時期、接種方法等を細かく規定した実施要領を定め、これらに基づいて、行政指導により、予防接種を実施するよう指示してきたものである。したがって、勧奨接種についても、実質的に被告国の公権力の行使にあたるものということができる。

(四) また、集団予防接種は、被告国の組織的決定ないし集団としての行為であるから、本件各集団予防接種における、国家賠償法一条所定の被告国の公権力の行使にあたる公務員とは、右予防接種が実施された当時の厚生大臣以下の厚生行政担当者がそれに該当するものである。

5  被告の故意・過失

(一)(1) 予防接種は、そもそも、将来疾病に罹患するおそれから被接種者を予防する手段として実施されるものであるから、これにより被接種者に危害を及ぼすことが許されないことはいうまでもなく、集団予防接種が新たな感染症の蔓延の原因になる等ということは、絶対に避けなければならないことである。

(2) そのため、被告国としては、各種の予防接種を実施するにあたり、それが新たな感染症の原因になることが指摘された場合には、直ちにその危険を除去するための適切な措置を講じ、また、そのための不断の調査、研究を行うなど、常に予防接種の安全性を維持、確保すべき高度の注意義務を負っているものといわなければならない。

(二) 被告の予見可能性

(1) B型肝炎ウイルスそのものの発見は昭和四五年のことであるが、同一の注射器(注射針及び筒)を連続して使用する等により、非経口的に人の血清が人体内に入り込むと肝炎が引き起こされることがあること、しかも、それが人の血清内に存在するウイルスによるものであることは、既に一九三〇年代後半から一九四〇年代前半にかけて広く知られるようになっていた。また、そのころから、その予防のためには、同一の注射器を連続使用しないこと、すなわち、一人ごとに注射針及び注射筒を、煮沸するなどして滅菌するか、一人ごとに取り替えることが肝要であることも知られており、これらのことは、戦後の医学界において、ごく初歩的な知識すなわち常識となっていた。

したがって、被告は、原告らに対し、本件各集団予防接種を実施し又は実施させた当時において、同一の注射針、注射筒等の接種器具を連続して使用することによりB型肝炎ウイルスを感染させる恐れがあることを当然に予見し、又は予見し得たものである。

(2) すなわち、欧米においては、一九三〇年代後半から一九四〇年代前半にかけて、人の血液が人体内に入り込むことにより発生する肝炎が存在すること、その原因が血液内に存在するウイルスによるものであること、その予防のためには同一注射器(針及び筒)を連続使用しないことが肝要であることが明らかとされてきた。

その主なものは以下のとおりである。

ア 人の血液が人体内に入り込むことによって臨床症状として黄疸を発症させ得ることが文献上初めて報告されたのは、一八八五年(明治一八年)、ドイツのベルリン医学週刊誌に掲載された、リールマン(Dr. Lüついては説明できないとしているが、それがいわゆる流行性肝炎(現在でいうA型肝炎で、経口感染によるもの)ではないことを証明し、統計的根拠から、全従業員に行われた種痘と何らかの関係があると述べている。

イ 英国保健省は、一九三七年(昭和一二年)から一九四二年(昭和一七年)にかけて施行された、はしか回復期血清、ヒトの血清を含む黄熱病ワクチン、急性耳下線炎回復期血清の各注射及び血清輸血等の後に、高頻度に発生する黄疸(血清肝炎)の症例報告に基づき、一九四三年(昭和一八年)に「血清肝炎」と題する論文を取りまとめ、医学雑誌「ランセット」に掲載した。この症例報告によれば、血清肝炎の臨床症状は極めて重篤であり、明らかに肝炎により子供を含め、多数の死亡者が発生しているとされている。また、右報告は、人血液製剤の注射と肝炎との間に因果関係が認められるとして、黄疸(肝炎)を発症させる人血液製剤の使用を回避すべく警告している。

ウ 一九二六年(昭和元年)、スウェーデンのマルムロスらは、スウェーデン医学雑誌(Act. med. Scand)に掲載された「病院内における黄疸の流行」と題する論文において、一九二三年(大正一二年)にルドンの大学病院の糖尿病患者の間で大流行したカタル性黄疸の症例を報告している。右論文においては、糖尿病患者が毎日通っていた検査室で、血糖検査のため耳たぶから採血する際使用していたメスを一人一人取り替えなかったことが、黄疸の原因であると指摘している。

エ 一九四三年(昭和一八年)、イギリスのビガー(Joseph. W. Bigger)は、黄疸の原因と考えられるウイルスの感染を防止する最も確実な方法が、新たに煮沸消毒された注射器を一人一人に使用することにあることを実験で明らかにし、医学雑誌「ランセット」に掲載の「治療中の梅毒患者に発生する黄疸―考えられるウイルス伝染経路―」と題する論文で報告している。

翌一九四四年(昭和一九年)には、サラマン(M. H. Salaman)ら英国軍医団が、医学雑誌「ランセット」に掲載の「駆梅療法に起因する黄疸の防止」と題する論文において、サルバルサン注射の際、注射筒も針と同様に煮沸消毒し、一人一人取り替えることで黄疸が発症しないことを報告している。

また、同年、シーハン(H. L. Seehan)は、同雑誌に掲載の「伝染性肝炎の疫学」と題する論文において、血清肝炎(原文では「伝染性肝炎」と表現されている。)が、採血をしただけの滅菌されていない注射筒を介して一人の患者から他の患者へ伝播することを報告している。このことは、一九四五年(昭和二〇年)にメンデルソン(Mendelsson. K.)らによる実験でも証明され、英国医学雑誌(British Medical Journal)に掲載された「採血による感染の伝播」と題する論文において報告されている。

オ 以上の臨床研究等に基づき、英国保健省は、一九四五年(昭和二〇年)、医学雑誌「ランセット」に「黄疸の伝染における注射器の役割」と題する論文を掲載し、その中で、血清肝炎感染の原因及び予防に関する重大な報告をした。すなわち、そこでは、「ワクチン等の注射後に起こる肝炎は保健省により血清肝炎と呼称されているが、それが血清中の発黄因子によるものであることは既に認められており」、その病因については、「注射器と針による感染の伝播という説が疫学的諸事実を一番よく説明できる」とした上で、「アルスフェナミン(駆梅剤)、金(慢性関節リュウマチに対する療法)などの治療に続発する肝炎は、注射器や針に付着して人から人へ移された微量の血液による血清肝炎と考えられる。発黄因子は消毒に抵抗性を有し、通常の方法では注射器内の微量の血液を除去できないことから、現在の注射方法は見直されるべきである。」としている。

カ 一九四六年(昭和二一年)、ヒューズ(Robert. R. Hughes)は、英国医学雑誌(British Medical Journal)に「ペニシリン後黄疸」と題する論文を掲載し、そこにおいて、注射針を一人ごとに取り替えても、注射筒は、静脈注射の場合だけではなく筋肉注射の場合でも汚染されることを明らかにしている。すなわち、同人は、筋肉注射後の注射器内に赤血球が混入することを実験により証明し、更に種々の実験の結果、筋肉注射において血管内に針先が入っていないことを確かめるために内筒を一度引く際、又は引かなくても注射針を取り替える際、注射針内の血液が筒内に逆流してそれを汚染するので、連続使用は危険であると報告した。右ヒューズの報告は、一九五〇年(昭和二五年)、エバンス(R. J. Evans)及びスプナー(E. T. Spooner)によって実証されている(同雑誌に掲載の「集団接種に使用された注射器による感染様式」と題する論文)。

キ 更に、一九四八年(昭和二三年)、カプス(R. B. Capps)らは、アメリカ医学雑誌「J.A.M.A.」において「注射筒による肝炎の流行」と題する論文を掲載し、そこにおいて、注射針を一人ごとに取り替えた上、同一注射筒で何人にも注射する方法で、破傷風トキソイドの注射を受けた男性多数に肝炎患者が出たこと及び予防接種において、注射針を取り替えても注射筒を連続使用した場合には、肝炎が感染することを報告し、同時に、血清肝炎のキャリアの存在を実証的に明らかにした。

ク なお、WHO肝炎専門委員会は、一九五三年(昭和二八年)、「肝炎に関する第一報告書」(Organisation Mondiale de la SantéTITE. premier rapport)を発表している。

この報告は、流行性肝炎と血清肝炎が不注意のため人から人へ容易に感染する現実を踏まえ、この病気が公衆衛生上重大な問題となっているとの認識に立った上で、それまで判明していたあらゆる情報を収集し、検討したものである。

同委員会は、その中で、流行性肝炎をA型肝炎、血清肝炎をB型肝炎と呼ぶことにし、いずれもウイルスによる発症であること、B型ウイルスについては非経口感染が唯一の伝染形態であることを指摘した上、医療行為による非経口感染を予防するための方法を提唱している。そして、「血清肝炎は、輸血や感染した血液成分の注入によって伝染するのみでなく、連続使用の皮下注射針又は注射筒に残る血液の偶発的注入によっても起こることが明らかになった。感染を引き起こすには、極めてわずかの量の血液で十分であり、また、繰り返していえば、このウイルスは熱や物理的、化学的要因にかなり抵抗力を持っているので、現在注射針、筒その他の器具を滅菌するために通常用いられている多くの方法は効果がなく、病気の感染を防ぐことができない。短時間に何千人にも注射する一斉予防接種には、特別の問題がある。」と警告している。

以上によれば、欧米諸国においては、遅くとも一九四八年(昭和二三年)には、血清肝炎が人間の血液内に存在するウイルスにより感染する病気であること、感染しても黄疸を発症しないキャリアが存在すること及び注射をする際、注射針のみならず注射筒を連続使用する場合にもウイルスが感染する危険があることについて、その知見が確立していたことが明らかである。

(3) 一方、我が国における血清肝炎についての医学的知見については以下のとおりであり、欧米での研究成果は直ちに我が国にも紹介され、医師、研究者の間で検討されてきた。また、欧米における「ランセット」等の医学雑誌は戦後当然に入手されるか又は入手可能であった。

ア 戦前

我が国における戦前の肝炎に関する文献として第一に挙げられるのは、昭和一六年、弘好文及び田坂重元の「流行性黄疸ノ人体実験」(兒科雑誌第四七巻第八号)と題する論文であり、簡単な人体実験によって、流行性黄疸(肝炎)の原因が一種の濾過性病原体(ウイルス)ではないかと論じている。

続いて、昭和一七年には北岡正見の「流行性肝炎(黄疸)―殊にその流行病学と病原体について」(「医学の進歩」第一巻)が発表されている。この中で、北岡は、流行性肝炎に関する当時の国内外の研究成果を詳細に記述し、流行性肝炎が一種の独立した伝染病であり、その病原体としては濾過性病毒、すなわちウイルスであることを推定している。そして、本病には、不全型ないし不顕性感染が多数存在すること、不顕性感染者から感染した例があることを指摘し、更に、「黄疸の予防注射の後に本病の流行が起こったことがある。恐らくは予防ワクチン製造中に使用された健康人と思われる血清内に本病毒が存在していたためであろう。また、麻疹血清注射後にも同様な流行性肝炎が起こった。更に、種痘後に本病の大流行が起こった例も記載されている。」とする外国文献の報告をしている。

イ 昭和二三年、名古屋大学教授坂本陽は、「流行性肝炎について」と題する論文(「診断と治療」第三六巻第六号)において、諸外国の研究成果を広く引用し、肝炎の感染原因、臨床症状、治療方法等について報告している。この中で、肝炎の原因として、濾過性病原体(ウイルス)が最有力であるとし、予防法に関しては、「この肝炎は梅毒、糖尿病その他の治療に際して見られ、諸家の観察によれば、流行性肝炎の患者の採血に用いた注射器及び針が危険である。病毒は単なる滅菌法では死なない。英国医学研究会の報告によれば乾燥滅菌又は高圧滅菌によるのが最良で、煮沸のみでは死滅しない。」と記載している。また、臨床症状については、カプス(Capps)らの論文(J. A. M. A134, 1947)を引用して、黄疸を伴わない肝炎が多いことがいよいよ明らかになったと報告している。なお、黄疸あるいは流行性肝炎の既往症のない人の血液製品の注射を受けて発症する「同類性血清肝炎」の概念も報告されている。

ウ 昭和二六年、和歌山医科大学教授楠井賢造は、「肝炎の問題を中心として」と題する論文(総説)(「治療」第三三巻六号)において、国内外の肝炎に関する諸研究を詳細に検討し、流行性の黄疸について、「今日ではこの種の流行性黄疸は、一種のビールス感染によって原発性に肝臓実質が障害せられる一つの独立した伝染病であるとの結論に達した。」と報告している。楠井は、ウイルス肝炎を流行性肝炎、散発性肝炎及び血清肝炎の三つに分類し、血清肝炎について「輸血、乾燥貯蔵血漿の注射、各種の人血清による予防注射又は注射筒や注射針の不十分な消毒が原因となって黄疸が起こることもしばしば経験せられるようになった。」として、我が国での血清肝炎と思われる輸血後黄疸の臨床例を報告している。また、予防法として、「罹患していても気付かずにいるものが多い。感染力をもったビールスの保続期間もまだよく分かっていない。従って、肝炎の流行時には、その地方で、一見健康らしい人の血液を輸血したり、血液製品に供したりするのを避けるべきである。」旨の危険性を指摘するとともに、「患者の治療や採血に用いた注射器及び注射筒の消毒を特に厳重に行わなければならない。英国医学研究会の報告では、一六〇度、一時間あるいは高圧滅菌法によるのが最も良いとされている。」と極めて重要な警告を発している。

エ その後も楠井教授の論文のほか、昭和二八年の神戸医科大学助教授金子敏輔の「流行性肝炎」(「最新医学」第八巻第三号)、昭和二九年の京都大学教授井上硬の「血清肝炎」(内科実函第一巻第三号)等を始めとする肝炎に関する重要論文が次々と発表された。

右のうち、金子助教授の論文には、肝炎に関する欧米の研究成果が報告されており、「この肝炎のウイルスは普通の消毒法では死滅しないし、集団的静脈注射や血しょうの注射で伝播されるのが最も率が多く、〇・〇一mgの汚染で伝播されるとバッドコック(Badcock)は報じている。(略)サラマン(Salaman)(略)はロンドンの性病院で梅毒患者に集団治療中六八パーセントの患者が黄疸に罹患した症例を記載し、他の病院では消毒法改善と個別的に注射器と針を替えることにより感染率五〇パーセントであったものを五パーセントに減少させたという報告をしている。」とし、更に、血中ウイルスの非経口的媒介の予防として、「1 注射筒、注射針、試験管、ランセットの機械的洗浄」「2 適切な消毒」「3 血液採取あるいは検血には各個人ごとに消毒した注射筒、注射針等を用いること。連続的の注射を避ける。」と記載されている。

また、井上教授の論文には、「一九四一(昭和一六)年以降、英米学者により、血清肝炎が流行性肝炎とは違う独立したウイルス性肝炎であるという推断が下され」たこと、その防止対策として、「<1>全液、血清あるいは血漿補給者に対する既往症及び現症に対する精密検査を行い、最近における肝炎罹患に疑診を下し得るものすべてを除くこと、<2>注射針及び筒、ランセット、使用試験管などの機械的洗浄と適正な消毒を行うこと、<3>血液採取、検血には各人ごとに消毒した器具を用い、連続的の使用を避けること」と極めて重要な事項が指摘されている。

(4) 以上のような我が国における医学研究の状況からみるならば、遅くとも昭和二六年当時には、我が国においても、血清肝炎が人間の血液内に存在するウイルスにより感染する病気であり、黄疸を発症しないキャリアが存在すること、そして、注射の際に、注射針のみならず注射筒を連続使用した場合にもウイルス感染が生じる危険性があることについて、医学的知見が形成されていたものということができる。

右の医学的知見の到達度からすれば、被告国においては、少なくとも、原告らが最初に集団予防接種を受けた昭和二六年当時には、予防接種の際、注射針及び注射筒を連続して使用するならば、被接種者間に血清肝炎ウイルスが感染する恐れがあることを当然に予見できたものというべきである。

(三) 被告の結果回避可能性

予防接種におけるB型肝炎ウイルスの感染を防止するためには、それに使用する注射針及び注射筒等の接種器具を流水で洗浄した後、乾熱、高圧蒸気又は一五分以上の煮沸により滅菌消毒するか、接種器具を被接種者ごとに取り替えるというごく簡単な方法を採用すれば足りる。右の方法は我が国においても、一般医療機関で通常行われていた方法であり、格別の技術や高度の知識、経験等を必要とするものではない。したがって、被告が、本件各集団予防接種の実施にあたり、右の措置をとること、又は実施機関に右措置をとるよう指導監督することは極めて容易であったというべきであり、原告らの本件感染を回避することは十分に可能であったものである。

(四) 被告の過失

(1) 右のように、被告においては、本件各集団予防接種が実施された当時、注射針及び注射筒の連続使用により、B型肝炎ウイルスが被接種者に感染する危険性があることについて、予見可能性を有し、かつその回避可能性を有していたにもかかわらず、注射針及び注射筒の連続使用を容認し又は放置していた。

(2) すなわち、被告は、各種予防接種の方法について、告示、省令、通達において次のとおり定めてきた。

ア 昭和二三年一一月一一日厚生省告示第九五号「予防接種法施行規則第六条の規定による、痘そう、ジフテリア、腸チフス、パラチフス、発しんチフス及びコレラの予防接種施行心得」

昭和二三年に予防接種法が制定されたが、それに基づく右心得においては、種痘針及び注射針を、一人ごとに個別に消毒するものとされている。

イ 昭和二四年一〇月二四日厚生省告示第二三一号「ツベルクリン反応検査心得及び結核予防接種心得」

右においては、注射針を、一人ごと、アルコール綿で払拭して使用すること等として、被接種者に対する同一注射針及び注射筒の連続使用を容認している。

ウ 昭和二五年二月二五日厚生省告示第三九号によりイが改正され、「注射針は、注射を受ける者一人ごとに、乾熱又は温熱により消毒した針と取り換えなければならない。」として、一人ごとに針の取り替えが明記された。

エ ところが、ウの告示は、その後の結核予防行政には全く反映されることがなく、昭和四〇年代に厚生省公衆衛生局結核予防課が編集した「結核予防行政提要」にも、イの告示は掲載されているが、ウの告示は掲載されておらず、昭和六三年一月二七日付け厚生省保険医療局結核難病感染症課長及び感染症対策室長の「予防接種等の接種器具の取扱について」とする通達においても、「結核予防法によるツベルクリン反応検査のための(略)注射についても、被検査者ごとに注射針及び注射筒を取り替えることが望ましい」とされ、イの通達がそれまで効力を有していたとの取扱いがなされていた。

オ 一方、昭和三三年九月一七日厚生省令第二七号により、予防接種法に基づく予防接種実施規則が制定されて、アの心得が改正され、「注射針、接種針及び乱刺針は、被接種者ごとに取り換えなければならない。」とされた。

カ そして、昭和六三年における前記エの通達により、予防接種法に基づく予防接種について注射針のみならず注射筒の取替えが定められるとともに、結核予防法に基づくツベルクリン反応検査においても注射針及び注射筒の取替えが指示された。

(3) 右のような各予防接種の実施規則等からしても、被告は、予防接種一般については昭和二三年の予防接種法の成立から、ツベルクリン反応検査、BCGについては遅くとも昭和二五年の通達時から、注射針については一人ごとに取り替えて消毒し、接種しなければならなかったものである。

もちろん、血清肝炎の感染の危険を防止するためには、針の取替えだけでは不十分であり、筒の取替えまでしなければならないが、少なくとも、針の取替えだけでも実施されていれば、感染の危険は相当程度減少したはずである。

しかるに、被告は、予防接種の現場に対して注射針の取替えの指示を徹底せず、注射針の連続使用の実態を放置してきた。特に、ツベルクリン反応検査及びBCGの接種方法については、前記の昭和二五年における通達(改正)を全く周知させず、注射針の連続使用を可として、実施機関を指導してきた。更に注射筒に至っては、B型肝炎ウイルスそのものが発見され、その感染力が極めて高いことが実験によって確認されたはるか後の昭和六三年一月に至って、WHOの昭和二八年に出された前記(二)(2)クとは別の発展途上国向けの勧告に従い、ようやく予防接種実施機関に対し、被接種者一人ごとに取り替えるよう通達をなしたものである。

(4) したがって、右のような予防接種行政を継続実施してきた被告においては、本件各集団予防接種がなされるにあたり、注射針及び注射筒の連続便用を容認し、放置してきたことについて、少なくとも過失の責任があることは明らかである。

6  原告らの損害

(一)(1) B型肝炎ウイルスの持続感染者(キャリア)あるいはB型肝炎患者にとって、持続感染者あるいは肝炎患者であるということは、そのこと自体が生存に対する深刻な脅威となり、一生涯解放されることのない不安と苦悩を持ち続けることを意味する。

一般に、B型肝炎が発症したときの自覚症状(主訴)は、全身倦怠、心窩部不快感、食欲不振などであるが、中には全く自覚症状のないまま生活し、偶然の機会に肝機能障害が発見されることもある。一度肝炎を発症すると、急性増悪を繰り返し、やがて肝硬変へと進行し、肝癌を併発することも少なくない。非代償期の肝硬変(肝臓が十分な機能を果たせなくなった状態の肝硬変)となり、腹水、食道静脈瘤、黄疸等の合併症を伴うようになると、就労が著しく制限され、あるいは就労不能の状態となる。

しかしながら、現在のところ、肝炎から肝硬変への進行を防ぐ決定的な治療法は開発されていない。

(2) 肝癌は、肝硬変に合併して発症することが多い(約七〇から八〇パーセントの発生率)が、(慢性)肝炎の状態にあるときに合併して発症することもあり、また、肝炎を発症しない段階の持続感染者(キャリア)でも肝癌になる可能性がある。

このうち、肝癌が非代償期の肝硬変に合併して発症したときは、治療が不可能であり、文字どおり「死にいたる病」となる。また、基礎病変が代償期の肝硬変(肝臓が十分な機能を保っている状態の肝硬変)又は非肝硬変(肝硬変でない状態)であっても、治療成績は極めて悪い。

(二) 原告らは、同一の注射針又は注射筒の連続使用による集団予防接種によりB型肝炎ウイルスに感染するという被害を受け、その後B型肝炎ウイルスキャリアあるいは慢性B型肝炎となることにより、その損害の継続拡大という被害を被っているものである。その結果、原告らは、いずれも深刻な健康被害にさらされ、働く能力を奪われている。そして、原告らは、将来肝炎が発症(原告E)あるいは進行(その余の原告ら)し、肝硬変や肝癌、更には死に至ることについて、強い不安を抱いている。

また、原告らB型肝炎ウイルス感染者は、感染者であるということから、社会、ときには寝食を共にしてきた家族から、あるいは、家族ぐるみ社会から隔離、疎外されるなどの社会的差別や偏見にさらされている。また、就労、結婚の機会を奪われ、あるいはこれを制限されるなど、社会生活上も重大な被害を被るに至っている。

(三) 更に、原告らの個別的被害の状況は次のとおりである。

(1) 原告A(昭和三九年一〇月一八日生)について

原告Aは、二二歳のときにB型肝炎と診断され、それ以来現在まで、月に一度は必ず病院へ血液検査のため通い続ける生活を送っている。そして、現在は慢性肝炎の状態にまで症状が進行している。

その結果、同原告は、電気工事業を自営しているものの、労働が長時間に渡ると疲労しやすく、残業等に従事すると身体がだるくなって、朝起きることも非常に辛い状態になる。症状は現在落ち着いてはいるものの、病気の状況がいつ悪化するかと常に不安を抱きながらの日常生活を送っている。

現在は結婚して二児の父親であるが、結婚するに際しても、妻側の親族からB型肝炎ウイルスキャリアということで強く反対された経過がある。今後、病気が進行することにより、経済的にはもちろん、家庭生活も破壊されるおそれがあり、このことが精神的に最大の負担となっている。

(2) 原告B(昭和二六年五月一一日生)について

原告Bは、三三歳のときにB型肝炎と診断されて以来、入退院を繰り返しながら、現在は一か月に一回、血液検査のための通院を余儀なくされているほか、肝硬変に進行する可能性の高い症状を呈し、無理のできない生活を送っている。なお、発症時既に結婚しており、一児の父であった。

同原告は、現在までに長期入院を繰り返し経験しており、そのため、友人らと共同で始めた歯科技工士関係の仕事も辞めざるを得なかった。現在は、歯科技工士の資格を持ちながらもこれを生かす術はなく、それとは全く別の、身体に負担のかからない病院の事務系の仕事に就いて細々と一家を支えている。今後、いつ肝硬変から肝癌に進行するかと強い不安を感じており、同原告が倒れた場合、家庭生活が経済的にも破綻せざるを得ない状況になることが一番気掛かりである。

B型肝炎と診断された後は、更に子供を作ることも躊躇せざるを得ず、家庭内でも、他の父親のように子供と一緒に行動するということができない。また、他人に感染させる心配から、現在でも、常に、自分の使う箸、コップ、茶碗を他人のものと区別して使っている。

(3) 原告C(昭和三六年七月四日生)について

原告Cは、二五歳のときにB型肝炎と診断され、以後入退院を繰り返しながら、現在は一か月に一回血液検査のため通院している。現在は慢性肝炎の状態にあるが、疲れやすく、倦怠感があり、いつ肝硬変に進行するか不安な状況にある。

現在は独身であり、ダンプカー運転手として自営業を営んでいるが、肝炎のため、容易に結婚に踏み切れない生活を送っている。

(4) 原告D(昭和三九年三月二三日生)について

原告Dが肝機能障害を指摘されたのは二一歳のときである。以後入退院を繰り返し、現在はセロコンバージョンの状態にあるが、二、三か月に一回の割合で検査を受けている。

肝機能障害を指摘された当時は、そのために就職試験も不合格となり、B型肝炎に罹患したことと合わせて絶望的な気持ちを味わされた。現在は臨床検査技師として定職に就いているが、今後また入退院を繰り返すことになれば、いつ仕事を辞めざるを得なくなるかと不安な日々を送っている。

また、妻や子供に感染しないかなどの不安も抱いており、更に、慢性肝炎からいつ肝硬変、肝癌に進行するかと不安な日常生活を余儀なくされている。

(5) 原告E(昭和五八年五月一一日生)について

原告EがHBs抗原陽性と診断されたのは生後一一か月のときのことである。現在三か月に一回血液検査のため通院している。

同原告は、母親から、B型肝炎ウイルスキャリアが肝炎を発症した場合は、慢性肝炎、肝硬変、肝癌という重篤な病になると告げられ、自分が将来生き続けることができるかどうかについて常に考えながらの生活を余儀なくされている。

今後も、果たしていつまで通常の日常生活を送ることができるのか、また、学校生活での差別、周囲の偏見や就職問題、更には結婚問題等、成長するにつれますます精神的な不安が増大している。

(四) 損害額

(1) 慰謝料 原告らについてそれぞれ一〇〇〇万円

右のように、原告らが受けた肉体的、精神的、社会的、経済的損害のすべてを総体として包括的に評価するとき、その損害額は少なくとも原告らそれぞれにつき一〇〇〇万円を下ることはないというべきである。したがって、原告らの損害については、以下のとおり、包括して一律に慰謝料一〇〇〇万円とすることが相当である。

ア 包括請求について

原告らの被っている被害は、肉体的、精神的なもののみならず、家庭的、社会的、経済的な被害を多岐にわたって受け、しかも、これらが相互に影響しあって相乗的に拡大し、生活面に複雑かつ深刻な影響をもたらしている。それゆえ、個々の被害を単独にとろえてこれを積算するといういわゆる個別的積算方式では本件被害の本質的部分を把握することは到底困難である。

しかも、個別積算方式では、複雑多岐にわたる損害立証を求めるものとなり、原告らに著しい負担を加重させ、迅速な裁判、早期被害者救済の理念にもとる結果ともなる。

また、本件被害の特質は、単に一時的、一面的な健康被害にとどまらず、重い病変へと進行する点にもあり、その場合には、被害は全面的な生活破壊にまで及ぶことが予測される。

したがって、このような多面的な被害を正しく評価するためには、複雑多岐にわたる損害を総体として有機的に関連づけてとらえる包括請求方式に合理性が認められる。

イ 一律請求について

原告らが被っている健康被害は、集団予防接種による血液を介しての感染という同一原因により発生し、その結果は共通する面が多い。しかも、それらは、過去、現在、将来にわたり、等しく肉体的、精神的被害を受け、また、受け続けるという意味で共通性と等質性が認められる。もともと人間各人の生命、身体、健康の価値に差異はなく、社会生活上の権利は平等である。したがって、本件のように、少なくとも被害発生の原因が共通であり、その被害内容もほぼ同等である場合には、論理的に損害額を一律化することが可能かつ相当である。原告ら被害者の年齢、職業は多種多様であるが、その被害の重大さ、深刻さは共通であり、一律請求はこのような被害者の多くを早期に救済するための目的に沿うものである。

(2) 弁護士費用 原告らについてそれぞれ一五〇万円

原告らは、いずれも被告の不法行為によって被った損害の賠償を求めるため本訴提起を余儀なくされたものであるところ、原告らは、本件提訴に際し、原告ら訴訟代理人らとの間でそれぞれ弁護士費用として請求認容額の一五パーセントを支払う旨約した。

7  よって、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条に基づく損害賠償金として、それぞれ一一五〇万円及びこれらに対する本件不法行為後である平成元年七月一二日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1及び2の事実は知らない。

2(一)  請求原因3の冒頭の事実は否認する。

(二)  請求原因3(一)(1)ないし(3)の事実は認める。

(三)  請求原因3(一)(4)の事実は争わない。

B型肝炎ウイルスに一過性に感染し、肝炎を発症した場合(顕性感染)が急性B型肝炎であり、その治癒後においては終生免疫を獲得するが、まれに劇症化することがある(急性B型肝炎の一パーセント前後)。B型肝炎ウイルスに一過性に感染し、肝炎を発症しなかった場合(不顕性感染)にも、生体は感染終了後に終生免疫を獲得する。一過性感染の場合、顕性感染例が二〇ないし三〇パーセント、不顕性感染例が残りの七〇ないし八〇パーセントであるといわれている。また、一過性感染の場合における顕性感染の症状は、潜伏期間が約四週間から二四週間と長く、明瞭な発熱を伴わないものとされている。

これに対し、B型肝炎ウイルスの持続感染(なお、持続感染をHBs抗原の持続という観点から定義すると、六か月以上にわたって血中にHBs抗原の存在が認められる状態をいうものとされている。)の場合においては、B型肝炎ウイルスキャリアのうちの八〇ないし八五パーセントが、生涯無症状のまま、すなわち検査をしなければキャリアであることが分からないままで天寿を全うするといわれている。残り一五ないし二〇パーセントは、慢性肝炎となり、その中の一部が肝硬変という状態に至り、更に肝癌に罹患するという転帰をとるとされている。

免疫機能の未発達・未成熟な状態にある乳幼児が一度に大量のB型肝炎ウイルスの暴露を受けると、B型肝炎ウイルスキャリアになる危険性があるが、成人においては、初めてB型肝炎ウイルスに感染した場合、そのほとんどが一過性感染であり、持続感染に移行することはまれであるといわれている。

(四)  請求原因3(一)(5)の事実は争わない。

なお、前記のとおり、一般に、成人が初めてB型肝炎ウイルスに感染した場合、持続感染に移行することはまれであるといわれているが、B型肝炎ウイルスキャリアの配偶者のB型肝炎ウイルスキャリア率が一般人に比較して高いという疫学調査結果があり、その原因は未だ解明されていない。

右の事実に、B型肝炎ウイルスキャリアの成立機序が現在においても必ずしもすべて解明されているわけではないことを考慮すると、B型肝炎ウイルスキャリアについての感染時期が乳幼児期に限られると断定することもできない。

3  請求原因3(二)の事実は争わない。

B型肝炎ウイルスの感染様式は、母親がB型肝炎に罹患している場合に、その出産時に子に感染する母子感染である「垂直感染」と、それ以外の感染である「水平感染」とに大別される。

垂直感染は、母親がB型肝炎ウイルスキャリアであるか、又は、妊娠後期に一過性のB型肝炎ウイルスに感染し、HBe抗原が陽性になった場合において、分娩時に産道に擦過傷が生じ、そこから出た血液中のウイルスが子に流入した場合(分娩時経産道感染)、分娩時に胎盤に傷がつきバリアが壊れ、母体血が胎児側へ流入し感染した場合(経胎盤感染)等によるものと考えられる。

HBe抗原陽性の母親から出生した子の七〇ないし九〇パーセントが、出生後六か月以内にキャリア化する。残りの一〇ないし三〇パーセントもそのほとんどがB型肝炎ウイルスに感染するが、一過性の感染を経過した後に免疫を獲得する。

水平感染は、垂直感染以外の経路による感染の総称であり、その主な感染経路は、医療行為(例えば、未消毒又は消毒不十分な状態による注射針、注射筒、メス等の使用)、輸血、家庭内感染、性行為感染、薬物乱用(中毒)、民間療法等であり、その他多くの原因があり得る。また、特に、乳幼児期の水平感染形態としては、主として医療行為、家庭内感染等が考えられる。いずれにしても、B型肝炎ウイルスの感染力は、前記(請求原因3(一)(2)イ)のとおり、一〇のマイナス八乗パーミリリッターという極めて強いものであるため、想像を越えた水平感染経路が予想されるところである。

4(一)  請求原因3(三)ないし(六)の事実は争う。

(二)  B型肝炎ウイルスの感染形態として、集団予防接種に伴う感染を必ずしも否定することはできず、B型肝炎ウイルスに関する研究や症例報告等において、B型肝炎ウイルスの持続感染の一原因として乳幼児期における集団予防接種が拳げられることがある。

しかしながら、それは単なる可能性の一つとして指摘されているものであり、B型肝炎ウイルスの感染力の強さ等からみるならば、仮に、過去に集団予防接種を受け、その際、注射針及び注射筒が連続して使用されたとしても、そのことから直ちに、その予防接種とB型肝炎ウイルスの持続感染との間に因果関係が認められるものではない。

B型肝炎ウイルスの感染については、その性質上、他の原因も十分に想定されるものであり、本件との関連において、それらを具体的にみるならば、次のとおりである。

(1) 一般医療行為での感染

B型肝炎ウイルスの感染については、集団予防接種以上に、開業医や病院等の一般医療機関における医療行為が大きな比重を占めていたといえる。

これは、B型肝炎ウイルスに汚染された医療器具(注射針、メスなど)の未消毒又は消毒不十分な状態での再利用によるものと考えられる。

すなわち、

ア 医療器具につき特に再利用による感染の危険があるのは、採血や静脈注射に使用された注射針や注射筒である。採血によって注射針及び注射筒が血液に汚染されるし、静脈注射の場合も、針先が静脈に入ったことを確認するために、注射器の内筒を引いて血液を注射筒内に逆流させることにより、注射針及び注射筒が血液に汚染されるからである。

特に、往診の際に静脈注射に使用した注射針及び注射筒については、注射針ないし注射筒内の血液が、病院に帰って洗浄するまでの間に乾燥して付着してしまうおそれがある。この場合、付着した血清たんぱくを除去することは極めて困難である。

なお、B型肝炎ウイルスに汚染された注射針等の医療器具の消毒は、まず流水により十分に洗浄することが基本である。その上で、最も信頼性の高い消毒は、洗浄後の加熱滅菌であって、オートクレーブ(一二一度で二〇分)や煮沸(一五分以上)によるものが有効とされている。

イ 昭和四〇年代ころ、一般の開業医や病院などで採られていた注射針等の医療器具の消毒方法には、アルコールによる消毒、煮沸消毒又は乾熱滅菌等種々の方法があった。しかし、B型肝炎ウイルスは、物理的及び化学的処理に対しては強い抵抗性を示すので、昭和四八年当時常用されていた消毒薬はほとんど無効であり、また、右消毒方法のうち、アルコール消毒はB型肝炎ウイルスに対し何らの効果もなく、他の煮沸消毒や乾熱滅菌による消毒方法も、それが不完全な場合には、B型肝炎ウイルスを滅菌することができない。

一方、昭和四二、三年以前の一般開業医や病院等における一般の医療の場面では、注射器具を各人ごとに使い捨てるほど十分な余裕がなかったことや、ディスポーザブル(使い捨て)注射器が普及していなかったことから、日常的に注射器具を再使用する状態にあった。

右のとおり、昭和四〇年代以前に一般医療の場面で採られていた消毒方法は、必ずしも効果がなく、また、B型肝炎ウイルス滅菌に対し有効となり得る消毒方法が採られていた場合であっても、B型肝炎ウイルスについての正確な知識が知られていなかったこともあって、消毒方法が不完全なものも多く存在したのである。

ウ 更に、一般医療機関においては、昭和四八、九年ころに大腿四頭筋拘縮症による注射事故が社会的な問題となるまでは、風邪などの日常的、あるいは軽微な疾病であっても、乳幼児を含む小児に対して頻繁に注射が行われていた。

エ 以上のような状況からみるならば、一般医療機関においては、乳幼児等に対し、消毒不完全な注射器等の医療器具等を使用することにより、ウイルスを感染させる機会が相当程度あったものというべきである。

(2) 院内感染

人の血液を扱う機会の多い医療機関内においては、医療行為に関連して、患者から患者へのウイルス感染、医療従事者から患者へのウイルス感染等の院内感染があり得るとされている。

(3) 輸血による感染

血清肝炎ウイルスと関連があるオーストラリア抗原のスクリーニングが開始された昭和四七年以前の輸血用血液はもとより、それ以後の輸血用血液を通じても、B型肝炎ウイルスの感染の可能性があり得るところである。

(4) 家族内感染

B型肝炎ウイルスは、垂直感染のほか、HBs抗原陽性を示す母や父あるいは兄弟などとの日常生活における密接な人間的接触の中で水平感染する機会も多いとされている。

(5) 学校内外の感染

その他、乳幼児等の小児がB型肝炎ウイルスに感染する機会としては、学校内外の日常生活を通じてのものがあり得る。例えば、岐阜県奥飛騨にある小学校の例では、学童のHBs抗原・抗体系を長期間にわたって調査したところ、学校内においても水平感染がかなりの頻度で起こり得るとの結果が出ている。

子供、特に三、四歳までの子供は、抱かれたりすることによる大人との接触や、遊んだりすることによる子供相互の接触の機会が多く、これによってB型肝炎ウイルスに感染する可能性も存在する。

更に、小児については、日常生活上外傷を伴う格闘によっても感染が起こり得ると考えられる。

(三)  他方、各年における集団予防接種者数の推移とHBs抗原・抗体陽性率の推移とは関連性がなく、その点からも、集団予防接種が、被接種者に対し、一般的にB型肝炎の感染をもたらす有力な原因であるとすることはできない。

(1) すなわち、内務省及び厚生省の統計資料に基づき、東邦大学医学部教授杉田稔が平成九年に作成した「予防接種者数の年次推移に関する調査」(以下「杉田報告」という。)によると、平成六年までの予防接種者数は別紙三のとおりである(なお、用いた統計資料は、昭和一一年までは内務省衛生局発刊の「衛生局年報」、昭和一二年から昭和二二年までは厚生省統計情報部作成の「衛生年報」、昭和二三年から昭和二八年までは同部作成の「保健所事業成績年報」、昭和二九年以降は同部作成の「保健所運営報告」である。昭和二三年から昭和三四年までの間については、「衛生年報」と、「保健所事業成績年報」ないし「保健所運営報告」という二つの統計資料が併存するが、「衛生年報」は統一された調査票、調査実施要領によるものではなく、毎年同じ基準により集計された統計とは限らないため、右の併存期間内の数値については、「保健所事業成績年報」ないし「保健所運営報告」が用いられている。)。

それによると、そのピークは昭和二三年、昭和三六年、昭和五五年であり、戦後、予防接種法の制定により集団予防接種の対象となる疾病数が年々増加し、一人の乳幼児が受けた予防接種の回数が増加し続けた時期があったことが明らかである。

(2) これに対し、日本赤十字社中央血液センター検査部の西岡久寿彌医師らが平成二年二月に同センターに献血された血液サンプルについて行ったHBs抗原・抗体等の検査結果(別紙四、以下「西岡グラフ」という。)及び岩手県予防医学協会の田島達郎医師らが昭和六二年度にまとめた岩手県住民の昭和六一年度の検診結果(別紙五、以下「田島グラフ」という。)によると、HBs抗体の陽性率(陽性は過去においてB型肝炎ウイルスに感染したことを示す。)は、いずれも、昭和二六年ころから昭和三〇年ころまでに出生した世代から急激に一貫して減少している。また、HBs抗原の陽性率(陽性はその時点においてB型肝炎ウイルスに感染していることを示す。)については、西岡グラフでは、昭和一一年ころから昭和一五年ころまで及び昭和二一年ころから昭和二五年ころまでに出生した年代の陽性率が、田島グラフでは、昭和二二年ころから昭和二六年ころまで及び昭和三二年ころから昭和三六年ころまでに出生した年代の陽性率が、それぞれ高くなっている。そして、両グラフに共通して特徴的なのは、陽性率に男女の差異が認められるという点である。

(3)ア 右の(1)(2)に基づき、まず、HBs抗体陽性率について検討すると、これが急激に減少している時期に、逆に、予防接種者数は増加している。しかも、終戦前の我が国においては、腸チフス等の予防接種を任意的・個別的に実施していたほか種痘が行われていたものの、種痘以外の集団予防接種は実施されていなかったのに対し、HBs抗体陽性率が急激に減少している右時期には、昭和二三年に予防接種法が制定され、その後も昭和三二年九月にインフルエンザの勧奨接種が行われ、昭和三七年からは特別対策としてのインフルエンザの勧奨接種も行われるようになり、昭和三三年四月にはジフテリアの定期予防接種の回数も増やされるなどしており、集団予防接種の対象となる疾病数が年々増加し、一人当たりの予防接種回数が増加し続けていたのである。以上からみるならば、予防接種者数の増減とHBs抗体陽性率との間には何らの関連性も認められない。

イ 次に、HBs抗原陽性率について検討すると、これが高くなっているのは特定の年代であるが、予防接種者数のピークとは重なり合っていない。また、予防接種法の制定により集団予防接種の対象となる疾病数が年々増加し、一人当たりの接種回数も増加し続けた時期においてもHBs抗原陽性率は減少を続けている。そのため、予防接種者数の年次推移とHBs抗原陽性率との間にも何らの相関関係も認めることができない。のみならず、男女別のHBs抗原陽性率に差異が認められるが、集団予防接種は、男女の差異なく行われるものであるから、男女間におけるHBs抗原陽性率の差異を集団予防接種との関連で説明することは困難である。

(4) 以上からみるならば、集団予防接種とB型肝炎ウイルスの感染との間には特別の関連性があるものとは認められないところである。

そして、特に昭和四〇年以降に出生した者から急激にHBs抗原・抗体率(B型肝炎ウイルス感染率及びその持続感染率)が減少しているのは、一般医療行為の中で、昭和三〇年代後半からディスポーザブルの注射針が使用され始め、昭和四〇年代後半から使用が一般化されるようになってB型肝炎ウイルスの伝播が減少し、更に、前記(二)(1)のとおり、昭和四八、九年ころ、大腿四頭筋拘縮症による注射事故の問題が起きたために、それ以前に比較して注射自体が控えられるようになったことから、一般医療行為に起因する水平感染によるキャリアが激減したことによるものと考えられる。

(四)  加えて、集団予防接種については全国のいずれの地区においても集団的に実施されていたところ、少なくとも予防接種による肝炎の集団発生を思わせるような所見は認められていない。このことからも、持続感染をもたらしたB型肝炎ウイルス感染の大部分は他に原因があるものと考えられる。

5  請求原因3(七)の事実は争う。

原告らにおけるB型肝炎ウイルスの感染は、本件集団予防接種によるものとは認められない。

(一) 原告A、同B、同C、同Dについて

右原告らについては、いずれも、出生時における器具等の消毒不足等による感染、院内感染、幼時における医療行為による感染の各可能性が考えられるほか、いずれの家族にもB型肝炎ウイルスに暴露された罹患歴を有する者が存在することからみて、家庭内感染の可能性も否定できず、学校内等での感染の可能性もあり得るところである。

したがって、右原告らに対する本件集団予防接種とB型肝炎ウイルスの感染との間には因果関係があるものと認めることはできない。

(二) 原告Eについて

(1) 原告Eについては、出生直後に血液検査及び足の裏を切開して採血するヘパプラスチン検査を受けていることから、まず、出生時の血液検査などの観血的医療行為による院内感染の可能性が認められる。また、B型肝炎ウイルスの感染力強いことから、想像を越える感染ルートがあり得るのであり、例えば、出生後の日常生活の中での感染可能性も否定することができない。

更に、母Fは、昭和五九年四月ころ、B型肝炎ウイルスによる急性肝炎を発症しているが、その潜伏期間中に原告Eに対しウイルスを感染させた可能性もあり得る。

(2) また、原告Eに対しなされた集団予防接種としてのツベルクリン反応検査及びBCG接種については、注射針ないし管針を一人一針とするものであった。

また、ツベルクリン反応検査において用いられた注射筒は五、六人に対して連続使用されたが、右反応検査は皮内注射の方法によりなされたものであり、その場合には注射針が血液に触れることがないため感染の可能性がないものということができる。

そして、昭和五八年当時の札幌市中央保健所における注射器具の消毒、滅菌状況については、注射針は、ディスポーザブルの注射針を右のとおり一人一針として使用し、注射筒等も、使い終わると流水でよく洗った後、乾燥させた上、使用日の前日に高圧蒸気で滅菌し、保存バットに入れて保存していたほか、特にBCG接種の管針については、クレゾール洗浄や流水洗浄の後、特別注文の煮沸器を用意して、煮沸消毒を行っており、注射器具に関しての消毒、滅菌は十分であった。

(3) 更に、原告Eと同一の集団予防接種の機会にB型肝炎ウイルスに感染した者の有無を調査するため、札幌市において、同原告と同日にツベルクリン反応検査及びBCGの予防接種を受けた乳児七二名のうち追跡調査が可能であった三九名について、本訴提起後である平成九年二月から同年六月までの間、血液検査を行ったが、その結果、B型肝炎ウイルスについて陽性の反応を示した者は存在しなかった。

(4) したがって、原告Eについても、本件集団予防接種によりB型肝炎ウイルスに感染したものと認めることができないことは明らかである。

6  請求原因4(一)の事実は認める。

同4(二)は争わない。

同4(三)のうち、勧奨接種の実施主体が地方自治体等であり、被告が地方自治体に対し行政指導を行っていたことは認め、その余は争う。

同4(四)のうち、強制接種については争わない、勧奨接種については争う。

7(一)  請求原因5(一)(1)については、一般論として認める。

同5(一)(2)については、予防接種の実施が新たな感染症の原因になるとの指摘があった場合、指摘内容の程度如何によっては、被告について、原告ら主張の注意義務が発生する場合があり得ることは認める。

(二)  請求原因5(二)、(三)は争う。

同5(四)のうち、原告ら主張の告示、省令、通達が存在することは認め、その余は争う。

(三)  被告の厚生大臣ないし厚生省の予防接種担当職員においては、本件各集団予防接種がなされた当時、予防接種における注射針及び注射筒の使用により、B型肝炎が被接種者に感染することについて、予見可能性及び結果回避義務がなかったものであるから、過失がない。

(1) 予見可能性について

原告Eを除く原告らが集団予防接種を受けたとされる昭和二六年九月から昭和四六年二月までの間、予防接種における注射針及び注射筒の連続使用により、被接種者にB型肝炎ウイルスが感染することについては、そのような報告例等もなく、まして、当時、B型肝炎ウイルスキャリアという概念自体が存在しなかったのであるから、被告が右の連続使用によるウイルスの感染を予見することは、まったく不可能であった。

また、原告Eに対するツベルクリン反応検査の接種が行われた当時、被告において、皮内注射における注射筒のみの連続使用が、B型肝炎ウイルスの感染をもたらす危険性が高いことを予見することはできなかった。

すなわち、

ア 肝炎がウイルスにより伝染する可能性があることは、相当古くからいわれてきたことであるが、昭和三九年にブランバーグ(Blumberg)によりオーストラリア抗原、すなわちB型肝炎ウイルスの抗原の一つであるHBs抗原が発見されるまで、肝炎がウイルスにより感染することについての客観的な証拠は得られていなかった。もっとも、ブランバーグがオーストラリア抗原を発見した時点でも、直ちに、オーストラリア抗原と血清肝炎(B型肝炎)との関係が分かったわけではなく、両者に密接な関係があることが判明したのは昭和四二年のことであり、当時の東京大学医学部助手大河内一雄の研究によるものである。

また、肝炎には、流行性肝炎と血清肝炎との二種類があり、その区別が明確に認識されるようになったのは、昭和四二年に、米国ニューヨーク大学医学校のクルーグマン(Kurugman)教授による大規模な感染実験が報告されて以降である。

そして、両者がそれぞれ今日でいうA型肝炎とB型肝炎に対応することが判明したのは、早くても、オーストラリア抗原(HBs抗原)を鋭敏に検査する方法(IAHA法等)が確立し、オーストラリア抗原がA型肝炎とは無関係であることが分かった昭和四五年以降のことである。

また、右のとおり、昭和四五年にHBs抗原を感度よく検出する検査法が確立されて初めて、肝炎の症状を呈していない者でもB型肝炎ウイルスに感染している場合があるということが分かり、(無症候性)B型肝炎ウイルスキャリアという概念もできたのである。

イ 流行性肝炎及び血清肝炎は、それぞれ、急性肝炎を発症する顕性感染とこれを発症しない不顕性感染とに分かれるが、そのうち、従来から疾病との認識が持たれていたのは、右のとおり急性肝炎を発症する顕性感染のみであった。いわゆるキャリア(carrier)、つまり持続感染という病像の存在することが判明したのは、前記アのとおり、IAHA法が確立された昭和四五年以降のことであり、それ以前においては、肝炎に罹患していることを黄疸の発症によってしか知り得なかったことから、医学的知見上、急性肝炎を発症しない不顕性感染例(全体の七〇ないし八〇パーセント)は、症状の出ない一過性感染であるとの見方が通例であって、これが健康人の身体に有害な状態となり得るとの認識はなく、身体にほとんど悪影響を与えるものではないと理解されていた。免疫反応は、生体が自己を保持するための不可欠の作用であり、キャリアのように、これが長期間にわたり作用せず、持続感染状態になるという場合があることは、従来、医学上の概念として予想だにされていなかったのである。

また、顕性感染例(全体の二〇ないし三〇パーセント)においても、劇症肝炎(顕性感染例の一パーセント程度)を除けば、単に一過性の急性肝炎を発症するだけであるから、そもそも、肝炎はそれほど重篤な疾病であるとは認識されていなかった。

ウ 一方、原告らの主張に係る欧米の報告例についても、それらの内容は、静脈注射や筋肉内注射において注射針、注射筒を連続使用した場合についてのもの、梅毒患者や糖尿病患者等に対してなされたもの、注射針内の肺炎球菌が注射筒に吸引される可能性についてのもの等であるが、そもそも、予防接種においては、静脈注射や筋肉内注射を行わず、静脈血の採取も行わないものであること、注射を受ける群すなわち梅毒患者等と、乳幼児とでは、ウイルス保有者の割合や感染した場合における肝炎発症率等が異なること、右各論文は、いずれも予防接種によって肝炎に感染した場合についてのものではないこと等を考慮するならば、右の各報告例は、いずれも、我が国の予防接種にそのまま妥当するものではない。

エ また、原告らの主張に係る国内での文献についても、それらは、成人の薬物中毒者が同一の注射器を使用して薬物を注射したことによる感染例、第二次大戦中における感染例、集団的静脈注射がなされたことによる感染例、梅毒、糖尿病患者等の治療中における感染例等についてのものであり、そこにおける注射方法を含む医療環境、注射を受ける群の中におけるウイルス保有者の割合、感染した場合の肝炎発症率等が、乳幼児に対する集団予防接種の場合とは明らかに異なるから、これと同列に論じることはできない。

したがって、原告らの指摘する国内の文献も、予防接種によって肝炎に感染した事例ではなく、また、我が国の予防接種にそのまま妥当するものではない。

オ しかも、被告は、昭和三四年以降、「予防接種実施要領」(昭和三四年一月二一日衛発第三二号都道府県知事宛・厚生省公衆衛生局長通知)等により、予防接種後の異常等について報告を求めていたが、昭和四〇年代後半までの間に、乳幼児等が予防接種により肝炎に罹患したとの報告例は見あたらなかった。そのため、我が国においては、国内での集団予防接種により肝炎に感染、発症するという予防接種事故が生じる蓋然性は低いものとの認識が持たれていた。

カ 以上によれば、昭和三〇年代までの段階においては、被告の厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員は、我が国での集団予防接種における注射針及び注射筒の連続使用によって、被接種者が肝炎に感染する可能性があることを予見することができなかったものというべきである。

まして、B型肝炎ウイルスキャリアという病像の存在が判明したのは昭和四五年以降のことであるから、それ以前の段階において、集団予防接種の被接種者である乳幼児が、予防接種における注射針及び注射筒の連続使用によってB型肝炎ウイルスに持続感染し、B型肝炎ウイルスキャリアになることを予見することは、全く不可能であったといわざるを得ない。

また、原告Eに対するツベルクリン反応検査等による接種が行われた昭和五八年当時においても、前記5(二)(2)のとおり、皮内注射の際の注射筒のみの連続使用によってB型肝炎ウイルスを感染させる危険性はないと考えられていたのであり、皮内注射における注射筒のみの連続使用によってB型肝炎ウイルスが感染する旨の報告例もなければ、注射筒の取替えに関する疫学データの集積もなく、ツベルクリン反応検査等における注射筒の連続使用によってB型肝炎ウイルスに感染する危険性があるとの医学的知見も確立されていなかったのである。したがって、仮に、皮内注射における注射筒の連続使用によってB型肝炎ウイルスに感染させる危険性があったとしても、被告が、昭和五八年当時において、そのことを予見することはできなかったものというべきである。

(2) 結果回避義務について

我が国における予防接種の必要性、有用性、昭和四〇年代後半以前における肝炎の病状についての認識の程度のほか、国内において注射針、注射筒の連続使用等により肝炎が伝染したとする報告例が見あたらないこと、更に、当時の国内における医学的知見、一般的な医療行為における医療水準、血液事業その他における血液の取扱いを巡る社会的状況(売血から献血への切替えがなされたのは昭和四〇年代に至ってからである。)、集団予防接種を実施する上での技術的、経済的状況等に鑑みるならば、本件におけるような乳幼児を対象とする予防接種に際し、原告らの主張に係る昭和三三年九月一七日厚生省令第二七号による予防接種実施規則に定めたとおり、注射針を被接種者ごとに交換することや、その完全な消毒を直ちに実施することは、医学的にも社会的にも被告に求められてはおらず、ましてや、それらのことが、被告において、個々の国民に対する国家賠償法上の法的義務となっていたとはいい得る状況になかったものである。

したがって、被告における厚生大臣もしくは厚生省の予防接種担当職員には、原告らの主張するような結果回避義務はなかったものといわざるを得ない。

それらの点を更に詳述するならば次のとおりである。

ア 予防接種の必要性及び有用性

(ア) 予防接種の目的は、被接種者がこれらの疾病に罹患することを防止する個人防衛にあるとともに、社会集団の免疫力を高めることにより、社会全体に対する伝染病の蔓延を防止するという社会防衛にある。

我が国における最初の予防接種は、明治七年に発布された種痘規則に基づく種痘であり、種痘は、明治四二年に種痘法が制定されて法制化された。種痘以外の予防接種は、戦後に至るまで法制化されることはなかったが、昭和二〇年暮れから昭和二一年夏にかけて発疹チフス、痘瘡等の伝染病が大流行した際、これに対する予防接種を広汎に実施した結果、その予防に著しい効果を上げたことから、昭和二三年、予防接種法が制定された。同法により、定期の予防接種を行うこととされた疾病は、痘瘡、ジフテリア、腸チフス、パラチフス、百日咳、結核であり、臨時の予防接種を行うこととされた疾病は、発疹チフス、ペスト、コレラ、猩紅熱、インフルエンザ、ワイル病であった。

(イ) 予防接種により感染を防止しようとする各疾病は、いずれも重篤化しやすく、死亡率も高い伝染病であるが、本件に関係のある予防接種についてみるならば、次のとおりである。

痘瘡

痘瘡は、ウイルスにより感染する、極めて感染力の強い疾病であり、その死亡率は、未種痘者においては五〇パーセント以上であるのに対し、既種痘者においては一〇パーセント以下であるといわれている。我が国の昭和二一年の感染ピーク時における患者数は一万七九五四人、死者は三〇二九人に達した。痘瘡は、いったん感染すると有効適切な治療方法がないため、予防接種による予防が最も重要とされていた。

ジフテリア

ジフテリアは、ジフテリア菌により感染する疾病であり、我が国では、昭和三一年の患者一万八三九五人、死者九八〇人を最後に減少傾向にあるが、予防接種は最善、唯一の予防対策であるといわれていた。また、ジフテリアの集団としての免疫度が七〇パーセント以上であれば、その流行はないとされている。

百日咳

百日咳は、気管及び気管支等が侵される疾病であり、特有の咳が長期に持続する特徴を持ち、感染を免れることは困難といわれる程に感染力が強い。我が国では、昭和二九年の患者数六万七〇二八人、死者一八三〇人を最後に減少傾向にあるが、その予防には、予防接種が最も効果的であるといわれていた。

インフルエンザ

インフルエンザは、ウイルスによって感染し、発熱、頭痛、咳、咽頭痛等、いわゆる風邪の症状を主徴とし、爆発的な大流行を特徴とする疾病である。大正七年から八年にかけて全世界で猛威を振るい、患者数七億人、死者二〇〇〇万人に達したいわゆるスペイン風邪はこの一種である。我が国では、昭和四〇年の患者数四〇万九三九一人、死者五〇二四人を最後に減少傾向にあるが、予防接種は、科学的に有効な唯一の予防手段であるといわれている。予防接種は、昭和三七年から勧奨接種が行われたが、昭和五一年の予防接種法の改正に伴い、六条における一般的な臨時の予防接種とされた。

腸チフス及びパラチフス

腸チフス及びパラチフスは、いずれも細菌により感染し、高熱、徐脈、バラ疹、腹部症状等を主症状とし、昭和二〇年の患者数は、腸チフスが五万七九三三人、パラチフスが一万〇〇五九人、死者は、腸チフスが七九九九人、パラチフスが五二六人であったが、感受性対策として予防接種が有効であることが証明されている。近年、我が国の患者数は減少しているが、それについては、定期予防接種による集団免疫の力が預かっていると考えられている。

ポリオ

ポリオは、ポリオウイルスによって引き起こされる伝染性疾患であり、小児の罹患率が高く、最も重篤な症状においては、発熱の後、四肢の弛緩性麻痺が現れ、死亡に至る例も多い。我が国の患者の発生数は、昭和三五年に五〇六六人(死者三一七人)に達したが、昭和三六年にポリオワクチンが広く使用され始めて以来、劇的に患者数、死亡者数が減少した。

破傷風

破傷風は、外傷等により身体内に侵入した破傷風菌の産生する菌体外毒素により起こる、致死率の非常に高い感染症である。これに対して免疫を与えるには予防接種以外に方法はなく、その予防接種は最も効果の著しいものである。最近の我が国では、破傷風患者が毎年四〇人ないし五〇人程度発生しており、平成六年には、届出患者数が四四名、死亡者数が一一名であった。

結核

結核は、菌陽性肺結核患者が咳をしたときなどに飛散する菌によって飛沫感染する。感染すると、肺結核、結核性髄膜炎、粟粒結核、胸膜炎、骨・関節結核、腎結核等の疾病を引き起こすが、BCGの予防接種は、結核性髄膜炎や粟粒結核等、小児の重篤な結核の発病を予防する効果が極めて高い(ツベルクリン反応検査はBCGの必要性を判定するための検査である。)。我が国における、結核による死亡者数は、昭和二五年まで死亡原因の一位を占めていたが、その後の結核制圧の実績はめざましく、昭和五一年以降はその順位も一〇位を下回っている。

イ 予見し得た肝炎の程度

右のような各疾病に対し、肝炎は、前記(1)イのとおり、昭和四五年ころまでの医学的知見によれば、極めてまれに劇症肝炎という重篤な症状を呈することがあっても、その大半は、身体にほとんど悪影響を及ぼすことのない一過性の感染にすぎないと考えられていた。

ウ 結果回避の困難性等

(ア) 予防接種をいかなる方法で行うかは、被告の所轄の官庁である厚生大臣等の専門的、技術的知見、情報等に基づく裁量に委ねられている事項である。

したがって、予防接種に用いる注射針・注射筒の消毒・交換をいかなる方法により、どの程度行うかは、厚生大臣等が、各予防接種の必要性・有用性の程度、注射針・注射筒等の消毒・交換の有無・その方法いかんによって生ずる不利益の内容、それによって生ずる具体的危険性・蓋然性、各予防接種の実施時期における一般医療の右消毒・交換の実施水準、右消毒・交換をより高度のものとするために必要な財源・技術・労力・時間等を総合考慮して判断すべきものである。

(イ) 我が国において、集団予防接種という形態が採られたのは、重篤化しやすく、死亡率も高い伝染病を予防し、社会防衛を実現するためには、できるだけ多くの人に時期を同じくして予防接種を行う必要があり、しかも、年間で延べ三、四千万人を下らない多数人を対象として、効率的に接種を行うことが要請されていたからであり、集団予防接種という形態そのものは合理的なものであったといえる。

また、厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員は、その当時の医学的知見に基づき、予防接種による新たな感染症を防止するために、予防接種の方法を指示するなどしてきた。例えば、厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員は、昭和三〇年、国内においても、肝炎が経口ないし輸血により感染し得ることを示唆する報告等がなされたことを踏まえ、厚生省防疫課編「防疫必携」において、被接種者一人ごとの注射針の煮沸ないし石炭酸水による消毒の周知徹底を図った。また、昭和三三年の予防接種法実施規則の改正により、高度の公衆衛生環境の実現を図るべく、集団予防接種の際、注射針を一人ごとに交換すべきものとした。

しかしながら、当時の我が国においては、被接種者ごとに注射針を交換して完全に消毒し直すことは、注射針の絶対量の不足や消毒作業に携わる者、消毒器具等の不足などの面から事実上困難であった。また、当時は、ディスポーザブルと呼ばれる使い捨ての注射器を用いることも困難であったものであり、それが可能になったのは、ディスポーザブルが大量生産され、コストも安くなった昭和四〇年代後半以降のことであった。

(ウ) したがって、昭和四五年ころまでの知見を前提とし、予防接種により感染を防止することができる伝染病の危険と、被接種者ごとに注射針、注射筒を交換することによって感染を防止することができる伝染病の危険とを比較考量すれば、ほとんど身体への悪影響はないと考えられていた肝炎よりも、重篤化しやすく、死亡率も高い伝染病の危険の方がはるかに大きかったことは明らかである。

しかも、当時の知見では、無症候性キャリアを含むB型肝炎ウイルスキャリアという概念がなく、疾病という認識のあった顕性肝炎は急性肝炎を発症すると考えられていたので、被告は、予防接種における問診の段階で肝炎患者を発見することができるものとみて、そのような者を発見した段階で、注射針、注射筒を交換することにより、予防接種による肝炎感染の危険を事前に排除することが可能であると考えていたものである。

(エ) このような当時の医学的知見に鑑みるならば、本件のような乳幼児を対象とする予防接種によって、B型肝炎ウイルスの感染が生ずることを予見することは不可能であったものといわざるを得ないから、かかる知見を前提とし、集団予防接種を実施する上での技術的、経済的状況等を踏まえるならば、被告(編注・「原告」の誤りか。)Eに対する接種を除いた本件各集団予防接種当時においては、昭和三三年に改正された予防接種法実施規則が定めた、注射針を被接種者一人ごとに交換することや、完全な消毒を直ちに実施することが、厚生大臣等の専門的、技術的知見、情報に基づく裁量の範囲を超えた法的義務であるといい得るような状況にはなかったことが明らかである。

(オ) また、被告(編注・「原告」の誤りか。)Eについては、同原告に対するツベルクリン反応検査等の接種が行われた昭和五八年当時、皮内注射の際の注射筒のみの連続使用によってB型肝炎ウイルスを感染させる危険性があるとの医学的知見は確立されておらず、被告において、B型肝炎ウイルスの感染を予見することができなかったのであるから、右接種がなされた当時、厚生大臣あるいは厚生省の予防接種担当職員において、ツベルクリン反応検査等の接種における注射筒の連続使用を禁止し、B型肝炎ウイルスの感染を回避すべき注意義務があったものとまで認めることができないことは明らかである。

8  請求原因6は争う。

三  被告の抗弁(原告Eを除く原告らの請求権についての除斥期間の経過)

1  民法七二四条後段の規定は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものである。なぜならば、同条において、その前段で三年の短期の時効を規定し、更に同条後段で二〇年の長期の時効を規定していると解することは、不法行為を巡る法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず、むしろ同条前段の三年の時効は、損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが、同条後段の二〇年の期間は、被害者側の認識のいかんを問わず、不法行為後の一定の時の経過によって法律関係を確定させるため、請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである(最高裁判所平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二〇九頁、同平成一〇年六月一二日第二小法廷判決・民集五二巻四号一〇八七頁)。

2  そうすると、本件訴訟が提起されたのは平成元年六月三〇日であるところ、原告Eを除く原告らの本件損害賠償請求権は、次のとおり、本訴提起時までに除斥期間の経過によって消滅したか又は理由を欠くに至ったものというべきである。

(一) 原告B及び原告Cについて

原告B及び原告Cは、その主張に係る各予防接種を受けた日から、そのすべてについて二〇年以上経過した後に本件訴訟を提起して損害賠償を求めたものである。したがって、同原告らについては、仮に、その主張するいずれかの予防接種に基づく損害賠償請求権が発生したとしても、既に本訴提起前に二〇年の除斥期間が経過し、その時点で右請求権は法律上当然に消滅したものであるから、同原告らの請求はそれ自体失当である。

(二) 原告A及び原告Dについて

原告Aについては二〇件の予防接種のうち一二件、原告Dについては一一件の予防接種のうち九件が本件訴訟提起時までに二〇年を経過している。したがって、仮に、右各予防接種のいずれかに起因する損害賠償請求権が発生したとしても、それらについては除斥期間の経過により消滅した。

他方、原告Aの受けた予防接種のうち残りの八件、原告Dの受けた予防接種のうち残りの二件に基づく損害賠償請求権は除斥期間を経過していないことになるところ、右原告らの請求する損害賠償請求権が認容されるためには、除斥期間経過前の予防接種によってB型肝炎に罹患したことを立証しなければならない。

ところで、B型肝炎ウイルス感染はひとたび感染が成立すると二度と感染しない関係にあることから、除斥期間経過後の予防接種によるB型肝炎ウイルス感染と、経過前のそれとは、一方が肯定されれば他方は否定される関係にある。しかるところ、右原告らは、除斥期間経過前と経過後の予防接種について同程度の感染の危険性があることを前提とする抽象的立証を行うにとどまり、除斥期間経過前の予防接種によってB型肝炎に罹患したこと、すなわち、右罹患が除斥期間経過後の予防接種に起因するものではないことについて何ら立証していない。このような同原告らの立証によれば、同原告らは、除斥期間経過後の予防接種によってB型肝炎に罹患した可能性が除斥期間経過前のそれと同程度であることを自認しているのに等しく、到底、除斥期間経過前の予防接種によってB型肝炎に罹患したことが高度の蓋然性をもって証明されたとはいえない。

したがって、同原告らの除斥期間経過前の予防接種を原因とする請求も理由がないことは明らかである。

四  抗弁に対する認否及び原告らの反論

1  被告の抗弁は争う。

(一) 被告の右抗弁は、本件訴訟の重大性を省みないものであり、かつ、平成一〇年一二月二四日の本件訴訟の最終口頭弁論期日に至って初めて主張されたものであるから、民訴法一五七条一項(時機に遅れた攻撃防御方法の却下)により却下されるべきである。

(二) 民法七二四条後段に定める二〇年の期間については、除斥期間ではなく、時効期間と解すべきである。

(三) 仮に、右期間を除斥期間であると解するにしても、その形式的な適用によって、「著しく正義・公平の理念に反する」事態を生じさせる場合には、適用が排除されるべきである(最高裁判所平成一〇年六月一二日第二小法廷判決参照)。

本件は、原告らが、被告によって社会防衛の観点から強制的に行われた予防接種により生じた被害の賠償を、様々な困難を乗り越えて求めている事案であり、単に二〇年の時の経過という形式的理由だけでその請求権の行使を排斥することは、まさに「著しく正義・公平の理念に反する」場合に該当する。

したがって、本件について民法七二四条後段の規定が適用されるべきではない。

(四) 仮に、本件について二〇年の除斥期間が適用されると解すべきであるとしても、その始期については、単に原告らに対する予防接種時とすべきではなく、原告らの病態の変化に伴い日々拡大される被害、損害の性質に応じた始期が認定されるべきである。

原告らについての本件被害はB型肝炎ウイルスの感染によるものであるが、それは感染原因たる予防接種時にそのすべてが一時に発生するものではない。B型肝炎ウイルスに感染することによる被害は、無症候性キャリアの状態から肝炎の発症、肝硬変、肝癌への進行に伴い拡大されるという特質をもつ。このような場合には、損害の発生、拡大に応じて、その除斥期間の始期も判断されるべきであり、それこそが不法行為制度の基本理念である正義・公平の観念に合致するものというべきである。

2  「請求原因に対する認否及び被告の主張」4(三)(集団予防接種者数の推移とHBs抗原・抗体陽性率の推移との関連)について

(一) いずれも争う。

(二) 被告主張に係る昭和二三年から昭和三三年までの「保健所事業成績年報」及び「保健所運営報告」の予防接種に関する資料は、予防接種におけるすべての接種者数を掲載したものではなく、単に、保健所において実施したもの及び保健所職員が担当したもののみを掲載したものにすぎない。

更に、被告主張の杉田報告における被接種者数は、臨時接種の接種者数が計上されていないほか、「衛生年報」、厚生省公衆衛生局結核予防課編「結核予防行政提要」等に記載のツベルクリン反応検査やBCG接種者の数(終戦時において既に一〇〇〇万人を超える被接種者数がいたものと記載されている。)が計上されていない一方、経口接種であるポリオの生ワクチン投与(昭和三九年以降)の実施数が加えられているなど、実態を反映したものとはいえない。

したがって、我が国における戦後の予防接種の実数については、被告主張の資料のほか、厚生省五〇年史編集委員会編「厚生省五〇年史」、元GHQ衛生局長C・F・サムス著「DDT革命」(種痘、腸チフス・パラチフスワクチンについて六〇〇〇万人という規模の予防接種が行われたと記されている。)の記述を参考にすべきであり、それらとともに杉田報告の作成資料の内容をも考慮して被接種者数を総計するならば、別紙六の表のとおりとなり、それをグラフ化したものが別紙七である。

それによると、昭和二一年から昭和二七年までが予防接種の「最盛期」であったことが明らかである。

(三) また、西岡グラフは、日本赤十字社中央血液センターの献血資料を用いたものであるが、平成二年のものであるため、以下のような問題があり、必ずしも年代別の数値を正しく反映していないものというべきである。

(1) 献血した者のうちHBs抗原陽性者には、その三年前からその旨の通知がなされているため、初回献血者以外のB型肝炎ウイルスキャリアは除外されている可能性がある。

(2) HBs抗体価は、加齢とともに低価となり、PHA法では測定できなくなるという特性があるため、水平感染の判断材料については、HBs抗体のみではなく、HBc抗体(抵抗体価)もあわせて加える必要がある。

(3) 輸血の既往のある献血者が特に除外されていない。

(四) 更に、西岡グラフを前提に考察した場合にも、別紙六、七からみるならば、「最盛期」の集団予防接種が、昭和二二年ないし昭和二四年生れの世代におけるHBs抗原の陽性頻度をピークに押し上げていることが明らかである。

また、戦後の集団予防接種は、乳幼児のみならず、成人にも多く施されたものであるから、戦前生れの世代はそれにより一過性の感染(圧倒的多数は不顕性感染)を経て、HBs抗体が陽性化したものというべきであり、この世代におけるHBs抗体頻度が高いのは当然である。

これらのことを示すために、西岡グラフ(別紙四)中のHBs抗原・抗体陽性頻度の棒グラフを、予防接種実施数のグラフ(別紙七)に、世代ごとに重ね合わせたものが別紙八である。

(五) 昭和二六年から一般医療機関において予防接種が行われるようになると、集団予防接種での注射器具の連続使用が減少し、昭和三五年ころの予防接種の規模にかかわらず、HBs抗原陽性頻度が昭和二二年ないし昭和二四年生れの世代よりも減少してくる。

一方、HBs抗体陽性頻度は、昭和三〇年生れの世代まで一定の高さを保っているが、これは、昭和四〇年前後まで乳幼児期以降も接種が行われていたため、この世代に一定の感染があったことの残影にほかならない。

なお、昭和五五年ないし昭和六〇年ころにおいても、予防接種は二〇〇〇万人近くに施行されたが、このころになると、BCG接種における管針への切換えや、ディスポーザブル注射器の普及が定着してくる。したがって、それ以前の予防接種実施数が激減する昭和四〇年ないし五〇年ころから昭和五〇年代の注射方法の改善の時期にかけて、急激にHBs抗体陽性頻度の低下という結果を生んだものである。

(六) このように、集団予防接種の実施状況と、B型肝炎ウイルスの感染の機会の顕れであるHBs抗原・抗体の世代別頻度は明快に相関をなすものである。

3  「請求原因の認否及び被告の主張」4(四)及び7(三)(1)オ(予防接種後の異常等についての報告の有無)について

(一) いずれも争う。

(二) 「予防接種実施要領」等により、接種後の異常等として被告に報告すべきことが予定されていたのは、予防接種の副反応により生じる事故であり、その実施方法によるもの、例えば、注射針及び注射筒の連続使用による病原体の感染による事故等は予定されていなかった。

すなわち、予防接種後に生じた健康被害が予防接種による事故であるとして報告されるためには、予防接種を受けた被接種者自身又は保護者において、その被害の原因が予防接種にあることにまず気が付かなければならない。そして、被接種者自身又は保護者が右のとおり気が付くためには、発生した健康被害が予防接種により生じる可能性のあることを、事前に予備知識として知っていなければならない。しかるに、予防接種に際して、予防接種により肝炎に感染する可能性があることは、被告から事前にまったく周知されていなかった。

更に、予防接種の副反応事故は、通常、接種直後から数週間のうちに発症する。これに対して、B型肝炎ウイルスの感染のうち、一過性感染として症状が出現する顕性肝炎(急性肝炎)においては、潜伏期間が一か月から六か月である。

右のような、肝炎の潜伏期間の長さ及び予備知識の周知状況からみるならば、予防接種の被接種者が、予防接種後の肝炎の原因を予防接種にあると判断することは不可能であったといわなければならない。

まして、肝炎の持続感染の場合は、ほとんど肝炎の症状を認めないまま持続感染となるのであり、この場合に事故報告をすること自体あり得ないことである。

(三) 以上からみるならば、事故報告がなかったことを理由に、集団予防接種により肝炎が発症することがなかったとすることはできず、また、被告において過失がなかったとすることもできない。

4  「請求原因の認否及び被告の主張」5(二)(3)(原告Eと同日に予防接種を受けた乳児に対する追跡調査の結果)について

被告は、右の不十分な調査結果に基づいて、原告Eの予防接種によるB型肝炎ウイルスの感染の事実を否定するが、同原告が予防接種を受けた当日の全接種者のうち、約半数の対象者に対する調査結果だけからそのように断定することは、統計学的に不可能である上、右調査の際、所在が判明したものの調査(採血)に応じてもらえなかった対象者の中にはキャリアが存在していた可能性があるから、なおいっそうの調査を遂げたならば、同原告と予防接種との個別の因果関係を更に明瞭な形で証明できた可能性の方が高かったものというべきである。

第三証拠

証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1(当事者及び予防接種歴)について

1  請求原因1のうち、原告A、同B、同C、同Dに関する事実については、<証拠略>により、これらを認めることができる(ただし、原告Dの別紙一「予防接種歴表」4における「予防接種歴」1の急性灰白髄炎第1期については、後記四1からみて経口投与であった可能性があるから、本件において違法性を検討すべき予防接種から除くことにする。また、原告Bが北海道赤十字血液センターにおいて献血した時期については、<証拠略>により昭和五六年であったものと認める。)。

2  請求原因1の原告Eに関する事実のうち、同原告が昭和五八年五月一一日生れの男子であることは、<証拠略>により認めることができ、また、<証拠略>によれば、原告Eが、昭和五八年八月に札幌市中央保健所においてツベルクリン反応検査とBCG接種を受けたことが認められるが、<証拠略>によれば、それらの接種日は、ツベルクリン反応検査が八月二五日、BCG接種が同月二七日であり、それらを、それぞれ同月二三日及び同月二八日とした<証拠略>の記載は誤りであることが認められる。

二  請求原因2(原告らのB型肝炎ウイルスの感染)について

1  <証拠略>によれば、原告Aについて請求原因2(一)の事実(原告Aの感染の経緯)が認められる。

2  <証拠略>によれば、原告Bについて同2(二)の事実(原告Bの感染の経緯)が認められる。

3  <証拠略>によれば、原告Cについて同2(三)の事実(原告Cの感染の経緯)が認められる。

4  <証拠略>によれば、原告Dについて同2(四)の事実(原告Dの感染の経緯)が認められる。

5  <証拠略>によれば、原告Eについて同2(五)の事実(原告Eの感染の経緯)が認められる。

三  請求原因3(一)(B型肝炎及びB型肝炎ウイルスの特質)、同(二)(B型肝炎ウイルスの感染経路)について

1  請求原因3(一)及び同(二)の各事実については当事者間に争いがない。

また、<証拠略>によると、B型肝炎、B型肝炎ウイルスの特質及びB型肝炎ウイルスの感染経路について、「請求原因に対する認否及び被告の主張」2(三)、3の各事実も認めることができる。

2  更に、右1の事実のほか、<証拠略>によると、次の事実もまた認められる。

(一)  B型肝炎ウイルスは、人及びチンパンジー等の霊長類の血液中のアルブミンというたんぱく質に付着する性質があるため、ウイルスが体内に入ると、アルブミンと付着し、血液の流れにのって肝臓に達する。そして、肝細胞において増殖し、また、血液中にも流出する。すなわち、B型肝炎ウイルスは、人及びチンパンジー等の血液を介してのみ感染し、唾液、精液又は膣の分泌液等それ自体が感染原因になることはないといわれているが、これらにもごく微量の血液が混じることがあり、そのためこれらも感染原因となることがある。

感染後、ウイルスが生体から排除され免疫を獲得すると、二度と感染することはない。

(二) B型肝炎ウイルスの関連粒子には、デーン(Dane)粒子、小型球形粒子及び管状粒子の三種類が存在する。このうち、デーン粒子は、昭和四五年に発見された直径四二ナノメーターの球形粒子で、外被(surface)又は外殻(envelope)と呼ばれる外側の薄い層と、芯(core)と呼ばれる球形の中心部分との二層構造になっている。外被は、HBs抗原(かつてオーストラリア抗原と呼ばれていたもの。sはsurfaceの意。)というたんぱくから成り、芯の部分は、DNA、DNAポリメラーゼのほか、HBc抗原(cはcore意。)及びHBe抗原というたんぱく質から成る。このデーン粒子がB型肝炎ウイルスである。また、小型球形粒子及び管状粒子は、球形ないし棒状のHBs抗原の粒子そのもので、芯の部分を欠き、B型肝炎ウイルスに対して不完全粒子というべきものである。なお、HBs抗原には、B型肝炎ウイルスの遺伝子の違いからadr, adw, ayw及びayrの四種の亜型(サブタイプ)が存在する。

B型肝炎ウイルスに感染している人の血液中には、HBs抗原から成る小型球形粒子が最も多く存在するが、HBe抗原も小分子として、あるいは免疫グロブリン(IgG)と結合した大分子として存在する。そのため、HBs抗原が血中に検出されるということは、B型肝炎ウイルスの感染状態にあることを示すことになる。また、HBe抗原が血中に証明される場合は、血中にB型肝炎ウイルスが多く存在することを示し、それだけ感染力が強いことを示す。なお、HBc抗原はHBs抗原に覆われた状態で血中に存在するため、これを直接に検出することはできない。

(三)  B型肝炎ウイルスの持続感染は、B型肝炎ウイルスに対する免疫応答が十分でない状態でウイルスに感染した場合に生じるが、そのような状態の者として、乳幼児、免疫抑制剤治療中の患者、腎不全患者、エイズ患者、男性同性愛者、薬物中毒者等があげられている。これらの者は、免疫機能が成熟していなかったり(乳幼児)、人為的に免疫不全状態にあったり(免疫抑制剤治療中の患者)、病気や薬物などで免疫不全状態にある(腎不全患者、エイズ患者、男性同性愛者、薬物中毒者等)等の者である。そして、我が国のB型肝炎ウイルスキャリアの大部分は乳幼児期の感染によるものと考えられている。また、持続感染化についてはウイルスの量、ウイルスの性質も関係するのではないかともいわれている。B型肝炎による輸血後肝炎は、手術により体力が衰えたところに、輸血により大量のウイルスが入った場合に生じるものであり、キャリア化の頻度が高いとされている。

(四)  B型肝炎ウイルス関連の抗原、抗体と肝炎との関係から、乳幼児期に感染したB型肝炎ウイルスキャリアの自然経過をみると、おおよそ三期に分けられる。

(1) 第I期

乳幼児期にB型肝炎ウイルスの感染を受けてキャリア化する例では、大部分が肝炎を発症せず、一部の例で感染時に肝炎の発症をみるが、やがて鎮静化し、いずれもHBe抗原陽性の無症候性キャリアとなり、そのまま経過する。この時期が第I期で、肝機能障害は見られないが、感染力は強い。

(2) 第II期

一〇代から二〇代ころにかけて、生体がB型肝炎ウイルスを異物として認識するようになると、肝炎を発症してくる。この時期はHBe抗原が減少して血中から消え、HBe抗体が検出されるようになる期間であり、この現象がセロコンバージョン(seroconversion)である。肝炎の発症からセロコンバージョンが完了した時点までの時期が第II期である。もっとも、肝機能が正常化した後一年以上して初めてセロコンバージョンとなる例などもある。

第II期も症例によってさまざまな経過をとる。大部分はほとんど自覚症状のないまま経過するが、長期にわたって慢性肝炎の状態が持続する例もあり、その場合はやがて肝硬変に至る可能性が高い。また、いずれの場合にも肝癌を発症する可能性がある。

(3) 第III期

セロコンバージョン後の時期が第III期である。HBe抗原が陰性化し、ほとんどのHBe抗体が陽性化した無症候性キャリアの時期であり、肝病変の進展も見られず安定した状態となる。年月をかけてHBs抗原が陰性化する例もあるといわれている。

第II期に既に肝硬変等にまで進展した例では、肝臓に不可逆的な変化を残しているため、あまり改善が期待できない。

(五)  右のように、肝臓に不可逆的な病変を残す前にセロコンバージョンを起こさせることがキャリアの予後をよくすることであるため、キャリアに対する治療目標もここに置かれて進められている。しかし、現時点において決定的な治療法は開発されていない。

現在有望とされている薬剤としては、抗ウイルス作用を目的としたものとしてインターフェロン療法(IFN)等、免疫系への作用を主目的としたものとして副腎皮質ステロイドホルモン等がある。

(六)  B型肝炎ウイルスの感染源が血液であることから、一般的予防法としては血液の取扱いに注意する必要がある。手洗い等の励行、血液付着の回避、医療器具の滅菌消毒、家具や寝具等の消毒、血液で汚染されたものの廃棄等である。医療機関においては、特に血液汚染針の処理に留意する必要がある。

(七)  B型肝炎ウイルスに汚染された医療器具、機器の具体的な消毒方法としては、まず、器具等の使用後速やかに、その表面に残っているたんぱくを流水で十分に洗い流すことが基本である。その後に、一般の病原菌の消毒方法として用いられている方法により滅菌するが、最も信頼性の高い方法は加熱滅菌であり、オートクレーブ消毒(水蒸気のある状態で圧力を高くし、摂氏一二一度の熱で二〇分)、煮沸消毒(一五分以上)、乾熱滅菌が有効である。

加熱滅菌が不可能な場合には薬物消毒の方法を用いる。その際、塩素系の次亜塩素酸ナトリウム(有効塩素濃度一〇〇〇PPM、一時間)が多用されるが、金属材料に対しては、二パーセントのグルタール・アルデヒド液、エチレン・オキサイドガス・ホルム・アルデヒドガス等が用いられる。

右以外の消毒剤については有効性が明らかでなく、日常頻用されている消毒用アルコール、クレゾール等は無効である(昭和四八年当時の文献<証拠略>によると、B型肝炎ウイルスは、物理的、化学的処理に対し強い抵抗性を示し、常用されている消毒薬のほとんどは無効であるとされている。)。

四  我が国における予防接種の種類、被接種者数の推移、B型肝炎ウイルスの感染者数、HBs抗原及びHBs抗体陽性率の年次推移等について

1  予防接種の種類等

<証拠略>によると、本訴提起当時における、本件に関連する予防接種の種類、予防接種の根拠法規、施行状況は次のとおりであることが認められる。

種痘

明治七年制定の「種痘規則」(文部省布達第二七号)、明治九年制定の「天然痘予防規則」(内務省布達第一六号)、明治一八年制定の「種痘規則」(太布告第三四号)、明治四二年制定の「種痘法」(法律第三五号)、昭和二三年六月制定の「予防接種法」(法律第六八号、定期接種)による。昭和五五年に定期接種の対象から除外された。

ジフテリア、腸チフス、パラチフス、百日咳

「予防接種法」による(定期接種)。昭和三四年以降、ジフテリア、百日咳は二種混合ワクチンに統合され、更に、昭和四三年以降、ジフテリア、百日咳、破傷風は三種混合ワクチンに統合された。

腸チフス、パラチフスは、昭和四五年六月に定期接種の対象から除外された。

結核(ツベルクリン反応検査、BCG接種)

「予防接種法」(定期接種)、昭和二六年三月制定の「結核予防法」(法律第九六号)による。

発疹チフス、ペスト、コレラ、猩紅熱、インフルエンザ、ワイル病

「予防接種法」における臨時接種とされる。

インフルエンザについては、昭和三二年以降、学童、幼児等を対象に勧奨接種を行うよう行政指導がなされ、昭和三七年以降、右と並行して、学童を対象とする特別対策としての勧奨接種がなされた。

猩紅熱については、昭和三三年に定期接種の対象から除外された。

急性灰白髄炎

「予防接種法」(定期接種、昭和三六年の改正による。)による。

昭和三九年四月には、経口生ポリオワクチンの投与に切り換えられた。

なお、昭和三五年から昭和三六年にかけては、ポリオ不活性ワクチンについて勧奨接種がなされた。

2  予防接種における被接種者数の推移

<証拠略>によると、被告主張(請求原因に対する認否及び被告の主張4(三)(1))のとおり、平成九年六月に、東邦大学医学部衛生学教室杉田稔教授により、内務省及び厚生省の統計資料(昭和一一年までは内務省衛生局発刊の「衛生局年報」、昭和一二年から昭和二二年までは厚生省統計情報部作成の「衛生年報」、昭和二三年から昭和二八年までは同部作成の「保健所事業成績年報」、昭和二九年以降は同部作成の「保健所運営報告」)に記載された数値に基づく「予防接種者数の年次推移に関する調査」(杉田報告)が作成されたが、それによると、各年毎の予防接種の種類、被接種者数は別紙三のとおりの増減を示していることが認められる。

3  B型肝炎ウイルスの感染者数及びHBs抗原、HBs抗体陽性率の年次推移

(一)  <証拠略>によると、厚生省肝炎分子疫学研究班が日本赤十字社の初回献血者の陽性率をもとに推定したところでは、我が国におけるB型肝炎ウイルスの感染者は約〇・九パーセント(約一一〇万人)とされていること、一方、一九七〇年(昭和四五年)代初期においては、それが約二・七パーセントと推定されていたものであり、感染者は右のとおり減少してきていることが認められる。

(二)  また、<証拠略>によると、日本赤十字社中央血液センター検査部の西岡久寿彌医師らが、平成二年二月、同センターに献血された一万四四〇九例の供血について、HCV(C型肝炎ウイルス)抗原と合わせて、HBs抗体、HBs抗原を測定し、年齢階層別に解析した結果は、別紙四(西岡グラフ)のとおりであることが認められる。

他方、<証拠略>によると、岩手県予防医学協会・岩手県民保健センターの田島達郎医師らが、岩手県において、昭和六一年度に検診を受けた七万四三二九人についてHBs抗体、HBs抗原の有無を検査した結果は、別紙五(田島グラフ)のとおりであることが認められる。

なお、<証拠略>によると、HBs抗体の陽性者の数とともに、小児期におけるB型肝炎ウイルスキャリアの数は近年大幅に減少してきており、一方、肝炎ウイルスの持続感染の原因も、昭和五一年の調査では、約三〇パーセントが垂直感染、約七〇パーセントが乳幼児期における水平感染によるものと推定されたが、昭和六一年ころにおける都市部での小児の調査では、乳幼児期の水平感染によると推定されるキャリアは、全キャリアの二〇パーセント弱に至っていることが認められ、証人飯野四郎も、平成四年の証言当時において、右の水平感染の割合は一〇パーセント程度に減少しているものと推測している。

五  本件各集団予防接種と原告らのB型肝炎ウイルスの罹患との間における因果関係について

1  原告らのB型肝炎ウイルスの罹患時期

(一)  原告らの本件感染発見時までの生活状況及びその家族のB型肝炎ウイルスの罹患状況

(1) 原告A

ア 前記一、二の事実及び<証拠略>によると、次の事実が認められる。

(ア) 原告Aは、昭和三九年一〇月一八日、北海道新冠郡新冠町の母の実家で出生し(助産婦の立会いによる自然分娩)、約一か月後に札幌市に移り、昭和四二年四月(二歳)から昭和四三年七月(四歳)まで北海道静内郡静内町に居住したが、その間の昭和四三年五月八日に弟Gが生まれている。その後、同原告は、再び札幌市内に転居し、昭和四五年(五歳)から一年間幼稚園に通園し、昭和四六年四月に小学校に入学した。以後、同原告は、同市内の中学、高校、専門学校を経て、電気工事会社に就職したが、昭和六一年(二二歳)に慢性B型肝炎との診断を受けた。

(イ) 原告Aの、B型肝炎ウイルスの感染発見時までの間における同居の家族は、父<氏名略>、母<略>、弟Gであり、同人らを含む現在までの同居者及び同居の期間は、別紙九「同居歴表」原告番号1に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙二「各原告と同居したことのある者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の各該当欄に記載のとおりである。

それによると、原告Aの弟GもB型肝炎ウイルスのキャリアであるが、父母はキャリアではないこと、ただし、父母はいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBc抗体希釈なし+」がこのことを示す。)が認められる。

(ウ) 原告Aは、昭和四一年一〇月(一歳時)に二回、当時居住していた札幌市の自宅近くの開業医の下において、インフルエンザの予防接種を受けている。また、同原告と弟Gは、二人同時に集団予防接種を受けたことが三回(昭和四四年七月三一日におけるツベルクリン反応検査、同年八月二日におけるBCG接種、昭和四五年七月二九日におけるツベルクリン反応検査)ある。

イ 更に、原告Aの母<略>及び原告Aは、<証拠略>において、次のとおり述べている。

(ア) 原告Aは、B型肝炎ウイルスに感染していることが判明する以前に大きな病気や怪我をしたことはなく、入院したこともなかった。ただし、風邪をひいたときに札幌市内の自宅近くの開業医に通院し、投薬、注射などの治療を受けたことはあった。はり治療を受けたことはないが、小学校三、四年生ころ以来、歯科治療を受けたことがある。輸血歴、刺青及び覚せい剤の使用歴はいずれもない。

(イ) なお、母<略>は、結婚前に盲腸で入院、手術を受けたことがある。また、同女は、原告Aが高校生のころ胃潰瘍で入院したことがあるが、このときは手術は受けていない。同女は、現在までに輸血を受けたこともない。

(ウ) また、母<略>の記憶によれば、原告Aと弟Gとが同一機会に集団予防接種を受けた際には、いずれも原告Aが先に接種を受け、続いてGが接種を受けたと思われる。

(2) 原告B

ア 前記一、二の事実及び<証拠略>によると、次の事実が認められる。

(ア) 原告Bは、昭和二六年五月一一日、小樽市で出生し、昭和二八年(二歳)ころ札幌市に転居し、同市内の小中学校を経て、昭和四六年滝川市内の高校を卒業した。更に、同原告は、昭和五〇年仙台市にある仙台歯科技工士専門学校を卒業し、同年四月から歯科技工士として勤務した後、昭和五六年五月ころ共同で歯科技工所を開設した。そして、同原告は、昭和五七年九月二七日妻<略>と結婚し、昭和五八年には長女が生まれたが、その間である昭和五六年五月二三日(三〇歳)の献血時に、輸血に使用できない血液であるとの指摘を受け、更に、昭和五九年八月に慢性B型肝炎との診断を受けた。

(イ) 原告Bの、B型肝炎ウイルスの感染発見時までの間における同居の家族は、父<略>、母<略>、異父兄<略>、祖母、妻<略>、子<略>であり、同人らを含む現在までの同居者及び同居の期間は、別紙九「同居歴表」原告番号2に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙二「各原告と同居したことのある者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の該当欄に記載のとおりである。

それによると、原告Bの父母、妻子はB型肝炎ウイルスのキャリアではないこと、しかし、そのうち、父、妻及び子についてはいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBs抗体+」「HBc抗体希釈なし+」)が認められる。なお、祖母については、感染の有無は不明である。

イ 更に、原告Bの母<略>及び原告Bは、<証拠略>において、次のとおり述べている。

(ア) 原告Bは、B型肝炎ウイルスに感染していることが判明するまで、時に風邪をひき病院に行ったことがある程度で、健康状態は普通であった。幼時に注射をされたことがあるか否かは、同原告において記憶がなく、怪我については、すり傷程度はあったが、病院へ行くような大きな怪我はしていない。なお、小学生のころ、予防接種の際、机を運ぼうとして転んで怪我をしたことがあったが、血がにじむ程度の怪我であった。一三歳のころ、アデノイド(扁桃腺)摘出術のため個人病院に約一週間入院したことがあるが、輸血はしていない。また、小学校高学年ころ以降、歯科医の治療を受けたことがある。

(イ) 献血については、昭和四八年四月一一日、昭和五〇年三月二八日、昭和五六年五月二三日の三回行ったことがある。はり治療の経験はない。輸血歴、刺青及び覚せい剤の使用歴はいずれもない。

(3) 原告C

ア 前記一、二の事実及び<証拠略>によると、次の事実が認められる。

(ア) 原告Cは、昭和三六年七月四日、北海道苫前郡羽幌町の病院で出生した。同町において、昭和三八年八月二二日に妹<略>が、また、昭和四〇年八月二三日に弟<略>が生まれている。同原告は、昭和四一年一〇月(五歳)ころ北海道雨竜郡妹背牛町に転居し、同町内の小中学校を卒業後、同町内の高校に進学したが、二年で退学し、昭和五二年ころから札幌市内の父方の祖母宅に住み、同市内の定時制高校に通学した。この間の昭和五四、五年(一八、九歳)ころ、札幌市内で献血したところ輸血に使えない血液であるとの指摘を受けている。高校卒業後約一年間アルバイトをしながら生活していたが、昭和五七年ころ妹背牛町に戻った。その後、昭和六一年ころから昭和六二年五月二〇日まで再び札幌市内でアルバイトをしながら一人で生活し、この間の昭和六一年一〇月(二五歳)ころ、慢性B型肝炎との診断を受けた。

(イ) 原告Cの、B型肝炎ウイルスの感染発見時までの間における同居の家族は、父<略>、母<略>、弟<略>、祖母、叔父<略>であり、現在までの同居の期間は、別紙九「同居歴表」原告番号3に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙二「各原告と同居したことのある者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の該当欄に記載のとおりである。

それによると、原告Cの父母はB型肝炎ウイルスのキャリアではないこと、しかし、そのうち、父、妹、弟についてはいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBs抗体+」「HBc抗体希釈なし+」)が認められる。なお、祖母、叔父については、感染の有無は不明である。

イ 更に、原告Cの母<略>及び原告Cは、<証拠略>において、次のとおり述べている。

(ア) 原告Cは、幼児のころ、風邪をひく等して自宅近くの病院に行き、年に何度か注射を受けたこともあり、また、五歳のころ、風邪をひいて近所の病院に行ったところ、アデノイドと診断され、深川市内の耳鼻科の病院に通院し、アデノイド摘出手術(切除したものではなく、スプーン状のものでかきとる処置がなされた。)を受けたことがある。また、同原告は、小学校三年生(九歳)のころに麻疹で一週間ほど入院し、高校三年生(一八歳)のころには、慢性副鼻腔炎(蓄膿症)で三、四日間ほど札幌市内の病院に入院し手術を受けた。そのほか、同原告は、ころんで怪我をしたことがあるが、擦り傷程度であり、また、ごく最近まで歯科医にかかったことはなかった。

(イ) 原告Cは、昭和六一年九月、錆びた釘を踏んだことから生じた大腿部の腫脹等により札幌市内の病院に入院したが、同年一〇月一一日勤医協中央病院へ転院し、その際の入院時の検査で、慢性B型肝炎に罹患していることが判明した。その後、同病院において合計四四〇〇ミリリットルの濃厚赤血球の輸血を受けたが、これ以外に輸血歴はなく、刺青及び覚せい剤の使用歴もない。

(4) 原告D

ア 前記一、二の事実及び<証拠略>によると、次の事実が認められる。

(ア) 原告Dは、昭和三九年三月二三日、北海道三笠市内の病院で出生した。昭和四一年六月七日には弟<略>が生まれている。昭和四二年九月(三歳)ころ札幌市に転居し、同市内の小中学校、高校を卒業し、北海道大学付属医療短大に進学した。同短大の一年生であった昭和五七年(一八歳)ころに行った献血で、HBs抗原陽性と判明した。昭和六〇年三月医療短大を卒業したが、就職試験の際の検査により慢性B型肝炎と診断された。なお、同原告は、昭和六一年一月以降勤医協中央病院に勤務しており、平成三年一〇月七日妻<略>と結婚した。同原告については、平成二年ころ、HBe抗原陽性からHBe抗体陽性へのセロコンバージョンが起きている。

(イ) 原告Dの、B型肝炎ウイルスの感染発見時までの間における同居の家族は、父<略>、母<略>、弟<略>であり、同人らを含む現在までの同居者及び同居の期間は、別紙九「同居歴表」原告番号4に記載のとおりである。また、同人らの血液検査の結果は、別紙二「各原告と同居したことのある者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の該当欄に記載のとおりである。

それによると、原告佐藤の父母はB型肝炎ウイルスのキャリアではないこと、しかし、父、母、弟についてはいずれも過去にB型肝炎ウイルスに感染したことがあること(「HBs抗体+」「HBc抗体希釈なし+」)が認められる。

イ 更に、原告Dの母<略>及び原告Dは、<証拠略>において、次のとおり述べている。

(ア) 原告Dは、風邪や、二、三歳ころ扁桃腺炎になるなどにより、幼児期にたびたび熱を出し、三笠市内及び札幌市内の病院に通院し、注射を打ってもらうなどしている(札幌市内で医師の往診を受け、その際注射を打ってもらったこともある。)

なお、同原告は、小学校二年生(七歳)のころには、左股関節炎で札幌逓信病院(現在のNTT病院)に三週間入院し、足の牽引や投薬を受けたことがあるが、その際には手術や輸血は受けておらず、針を刺して関節液を採取されたこともない。

(イ) 原告Dは、幼児期に転んで怪我をしたことはあるが、大きな怪我はしていない。また、小学校一、二年生以降、歯科医にかかったことがある。献血については、一八歳のときにした一回だけである。はり治療は受けたことがない。輸血歴、刺青及び覚せい剤の使用歴もない。

(5) 原告E

ア 前記一、二の事実及び<証拠略>によると、次の事実が認められる。

(ア) 原告Eの母Fは、昭和五五年一二月二〇日夫<略>と結婚し、更に、札幌市内の勤医協札幌病院において、昭和五六年四月八日原告Eの兄Hを、昭和五八年五月一一日原告Eをそれぞれ出産した。原告Eの出産は正常な自然分娩であった。

Fは、H及び原告Eを妊娠中であった昭和五五年一二月四日及び昭和五七年一二月八日、同病院において血液検査を受けたが、昭和五五年一二月四日の検査ではHBs抗原、昭和五七年一二月八日の検査ではHBs抗原、HBs抗体ともに陰性であった<証拠略>。

しかしながら、Fは昭和五九年四月一日ころから発熱等の症状を呈したため、同月一三日、同病院で検査を受けたところ、急性肝炎と診断され、同月一四日、勤医協中央病院に入院した。入院時の検査成績によると、HBs抗原及びHBe抗原がともに陽性であり、右症状はB型肝炎ウイルスによるものであることが判明した。その後の経過は良好であり、入院後まもなくHBs抗原が消失し、同年五月八日に退院となった。

(イ) 右のとおり、Fが急性B型肝炎に罹患したことから、昭和五九年四月二二日、Fの家族について血液検査が行われたところ、父<略>、兄Hは、HBs抗原、HBs抗体とも陰性であった(すなわち、B型肝炎ウイルスのキャリアではなかった。)が、原告Eは、HBs抗原、HBe抗原について陽性を示し、B型肝炎ウイルスのキャリアであることが判明した<証拠略>。

なお、原告Eについては、出生後、右検査の時点までに、肝炎ウイルスに関する血液検査が行われたことはない。

(ウ) 原告Eの、B型肝炎ウイルスの感染発見時までの間における同居の家族は、前記のとおり父<略>、母F、兄Hであり、同居の期間は別紙九「同居歴表」原告番号5に記載のとおりである。

また、その後における同人らの血液検査の結果等は、別紙二「各原告と同居したことのある者のB型肝炎ウイルス感染調査結果」の該当欄に記載のとおりである。

(エ) 原告Eは、出生後、B型肝炎ウイルスに罹患していることが判明するまでの間、勤医協札幌病院において、昭和五八年六月一〇日及び昭和五九年二月一四日に乳幼児健診を受け、また、昭和五八年八月一二日、同年一〇月一日、同年一一月二二日に急性上気道炎等により同病院に通院し、治療を受けた<証拠略>。

そのうち、昭和五八年六月一〇日の健診(一か月健診)時においては、血液の凝固作用を検査するため、ヘパプラスチンテストを受けたが、それは、ランセットで足の踵部分を穿刺し、そこから、超微量ピペットで約〇・〇二ミリリットルの血液を採取してなされるものであった。

しかしながら、右のランセット及び超微量ピペットは、いずれも使い捨てのものが用いられ、また、原告Eの同病院におけるその他の受診時にも、同原告に対し注射がなされたことはなかった。

イ 更に、原告Eの母Fは、<証拠略>において次のとおり述べている。

Fは、原告Eを母乳により育て、Fが急性肝炎を発症したときも授乳中であった。

原告Eは、出生後、出血を伴うような怪我をしたことはない。

Fは、急性肝炎に罹患するまでは、風邪をひく程度で大きな病気をしたことがない。また、夫以外の男性との性交渉もなく、輸血歴、刺青及び覚せい剤の使用歴もない。

(二)  右(一)の各事実並びに「請求原因に対する認否及び被告の主張」3の事実によるならば、原告らの母親は、いずれもB型肝炎ウイルスのキャリアではなく、また、特に、原告らの妊娠後期にB型肝炎ウイルスに感染したことを具体的に窺わせるだけの実情も見当たらず、たまたま右の時期に感染する可能性も乏しいものと考えられるから、原告らがB型肝炎ウイルスに罹患しキャリアとなった経路は、垂直感染によるものではなく、水平感染によるものと認めるのが相当である。

(三)  続いて、原告らが水平感染によりB型肝炎ウイルスのキャリアとなった時期について検討する。

(1) 原告Eについては、前記(一)(5)の事実からみて、出生後、昭和五九年四月二二日(生後一一か月)までの間にB型肝炎ウイルスに感染したことが明らかである。

(2) 次に、その余の原告らについてみるに、

ア(ア) 請求原因3(一)(4)イ、(5)の事実(前記三1のとおり当事者間に争いがない。)及び前記三2(三)の事実からみるならば、B型肝炎ウイルスの感染によりキャリアとなり得るのは、主として乳幼児期ないし小児期に感染した場合であり、それ以後においては、免疫不全を来した時期にウイルスに感染する等という例外的な場合にほぼ限られることが認められる。

そして、本件において、同原告らが、乳幼児期ないし小児期後に、免疫抑制剤投与の治療を受けたり、腎不全症状を呈する等、免疫不全の状態に陥ったことがあることを窺わせるに足りる証拠は見当たらないから、同原告らがB型肝炎ウイルスに感染した時期については、乳幼児期ないし小児期であったものと認めるのが相当である。

(イ) なお、この点について、<証拠略>によると、HBe抗原陽性の女性からみた配偶者のHBs抗原陽性率は六・二パーセントであったとする調査結果が存在することが認められ、また、<証拠略>によると、吉澤浩司教授(広島大学医学部)が、そのころ、石川県において、キャリアである妊婦の配偶者におけるHBs抗原陽性率を調査した際にも、それについて約六パーセントという結果を得たこと、一方、昭和六三年当時における出産可能な年齢層の女性のキャリア率は約一・四パーセントであり、それに比べると、右の各数値は明らかに高いものとみなし得ることが認められる。

そして、証人吉澤浩司及び同飯野四郎は、その証言中において、右事実は、免疫不全状態の場合以外にも、成人のキャリア化の可能性があり得るものと考える方が説明しやすい旨を述べている。

しかしながら、同証人らもまた同時に認めるように、B型肝炎ウイルスのキャリアが成立する作用、仕組みについては、現在においてもすべて解明されている訳ではなく、右の調査結果が実際に成人のキャリア化を示すものであるか否かについては必ずしも明らかでないこと、また、原告Eを除く原告らについては、前記(一)(1)ないし(4)のとおり、ウイルスの感染が判明した当時、独身、もしくは、配偶者を得る前に既に感染が疑われる事態が生じていたこと等の事実が認められるから、同原告らについて、右のような、免疫不全状態を伴わない小児期後の水平感染の可能性を考慮するまでの必要はないものというべきである。

イ 次に、原告Eを除く原告らがB型肝炎ウイルスのキャリアとなった具体的な年齢について検討するならば、請求原因3(一)(5)の事実のほか、<証拠略>では、一般にキャリアの成立年齢を、ほぼ三歳以下としていることが認められるが、<証拠略>では、必ずしも三歳を限度とするものではなく、五、六歳ころまでの可能性についても考慮している(ただし、年齢が上がるとキャリアとなる可能性は減少するとしている。)こと及び<証拠略>を勘案するならば、同原告らは、本訴において主張するとおり、集団予防接種を受けた時期(別紙一)に対応する年齢である六歳ころまでの間に、水平感染によりB型肝炎ウイルスに罹患し、キャリア状態に至ったものと認めるのが相当である。

2  B型肝炎ウイルスの水平感染と集団予防接種との関係

集団予防接種等の医療行為がB型肝炎ウイルスの水平感染の原因となり得ることは当事者間に争いがない(請求原因3(二)、請求原因に対する認否及び被告の主張3)。

そして、前記三1の事実(請求原因3(二)、請求原因に対する認否及び被告の主張3)及び<証拠略>からみるならば、右のとおり集団予防接種等が感染の原因になり得るとされる理由は、B型肝炎ウイルスの感染力の強さ(HBe抗原の場合、一〇のマイナス八乗パーミリリッターでも感染力がある。)の点にあること、すなわち、ごく微量の血液を介してでもB型肝炎ウイルスの感染が起こり得るとともに、B型肝炎ウイルスの消毒にあたっては前記三2(七)のとおりの方法を要するため、予防接種の際、注射器(筒、針)等を被接種者に対し連続して使用するならば、被接種者中にB型肝炎ウイルスのキャリアがおり、かつ、同人の血液が注射器等の針に付着し又は筒内の注射液に混入した場合には、その血液を介して、B型肝炎ウイルスが次の被接種者に感染し得るという点にあることが明らかである。

3  そこで、次に、原告らが受けた本件各集団予防接種における注射行為等の具体的態様及びそこでの注射器等の連続使用の有無について検討するとともに、本件各集団予防接種が、右2のとおり、一般にB型肝炎ウイルスの感染をもたらし得るものであったか否かについて判断する。

(一)  本件各集団予防接種における対象疾病ごとの接種方法は次のとおりである(予防接種実施規則、各疾病に対する予防接種施行心得による。<証拠略>。

疱瘡(種痘) 乱刺法(乱刺針により皮膚の乱刺を行う。)又は切皮法(種痘針により皮膚の切皮を行う。)による。

ジフテリア 皮下注射による(二種混合、三種混合も同様。)

腸チフス・パラチフス 皮下注射又は皮内注射による。

百日咳 皮下注射による。

ツベルクリン反応検査 皮内注射による。

BCG接種 皮内注射、昭和四二年度からは経皮管針法(管針を用いる。)による。

インフルエンザ 皮下注射又は筋肉注射による。

破傷風 筋肉注射又は皮下注射による。

(二)  次に、本件各集団予防接種の接種状況についてみるならば、次のとおりである。

(1) <証拠略>及び証人浅川知子の証言によると、次の事実が認められる。

ア 浅川知子は、昭和二六年一〇月から昭和四六年三月まで北海道音威子府町、更別村、足寄町、本別町において、保健婦として集団予防接種に従事した。

イ 同女が行った集団予防接種での接種方法は次のようなものであった。

(ア) ツベルクリン反応検査及びBCG接種(いずれも皮内注射による。)について

まず、一枚のアルコール綿(脱脂綿をアルコールで浸したもの。)で一〇人ほどの前腕をふき、1ccの注射液入りの注射器で一人につき〇・一ccを注射し、その後注射針をアルコール綿で二回ふき、続いて、注射筒や注射針を取り替えずに次の人に接種するという方法を用いた。一本の注射筒及び注射針で八人程度注射することができ、注射液がなくなると注射筒及び注射針を取り替えた。

(イ) 腸チフス及びパラチフスの予防接種(皮下注射による。)についてまず、一度に一〇人ほどの上腕部をアルコール綿でふき、次に、五ccのワクチンの入った注射器で一人に〇・五cc(ないし〇・三cc)を注射し、その後アルコール綿で注射針を二回ふき、続いて、注射筒や注射針を取り替えずに次の人に接種するという方法を用いた。注射方法は、皮下注射のため、上腕部をつまんで皮下に針を入れ、その針が血管に入っていないことを確認するため、一度ピストンを引き血液が入ってこないことを確認してから液を入れるというものであった。

(ウ) 種痘について

まず、上腕部をアルコール綿でふき、痘苗をメスにつけて上腕部に置き、メスで表皮を十字に切ってから、痘苗をメスの腹で押さえて皮膚に植え付けた。こうして一人が終わると、メスをアルコール綿で二回ふき、次の人に植え付けるという方法であった。メスは、切れなくなるまで同一のものを使用し、五〇人から七〇人に対して植え付ける場合でも合計三本程を用意するという程度であった。メスで表皮を切ると血が滲む場合がほとんどであった。また、痘苗が足りなくなるおそれがあったときはメスをふかなかったこともあった。

(2) <証拠略>及び証人石城赫子の証言によると、次の事実が認められる。

ア 石城赫子は、昭和三七年二月から平成七年における証言当時に至るまで、北海道標津町、広島町、栗山町、苫小牧市、早来町において、保健婦として集団予防接種に関与してきた。

イ 同女が関与した集団予防接種の接種方法は次のようなものであった。

(ア) 百日咳・ジフテリア二種混合ワクチン(皮下注射の方法による。)について

まず、上腕外側をアルコール綿で消毒し、次に、五ccのワクチンを入れた注射器で一人につき〇・五ccを注射したが、その際、皮下注射の針が血管に入っていないことを確認するため、腕に針を刺した後ピストンを軽く引いてから液を注射した。その後、針をアルコール綿でふき、そのまま次の人に注射した(なお、時に針をアルコール綿でふかないこともあり、この点は(ウ)の場合も同様であった。)。一本の注射器で七、八人に注射するとワクチンがなくなるので、その時点で針を交換し、再度ワクチンを五cc入れて注射を続けた。途中で血液が注射器に入ることがあっても、ワクチンを捨てずにそのまま使用した。

(イ) 種痘について

上腕部をアルコール綿でふき、乾かした後、そこに、ガラスの皿にあけておいた痘苗をメスで塗った上、メスで皮膚を十字に切り、メスの背中で痘苗をまんべんなく行き渡るようになでつけるという方法を用いた。一人について終わった後、メスをアルコール綿でふいて、そのまま次の人にも使用した。その際、血液がメスを介して痘苗に混入することもあった。メスは二本用意して行き、全員が終わるまで同一のメスを使用し、もう一本は予備としていた。

(ウ) ツベルクリン反応検査、BCG接種、腸チフス及びパラチフスの予防接種について

BCG接種を除く予防接種については、いずれも一人ごとに注射筒や針を取り替えず、一つの注射器で、連続して一四、五人に接種していた。BCG接種についても、昭和四二年に管針に切り換えられるまでは、右と同様であり、その後も昭和五三、四年ころまでは管針を連続して使用することもあった。

なお、ツベルクリン反応検査等の皮内注射においては表皮と真皮の間に注射液を入れるが、乳幼児の場合は特に皮膚と皮下組織がぴったり接しているので、血液が針の中に入ることもあり得た。

(エ) インフルエンザ予防接種(皮下注射の方法による。)について

右についても、一人ごとに注射器の針や筒を替えず、注射器を一五、六人について連続して使用した。その際、大人に接種するのに使用した注射器をそのまま乳児に使用することもあった。皮下注射の方法であったが、注射筒に血液が入ることもあった。

(オ) 昭和五四、五年ころからディスポーザブルと呼ばれる使い捨ての注射筒が出回ってきていた。昭和五五、六年になると、注射針もディスポーザブルのものを使用するようになった。そのため、石城の経験では、予防接種の注射器は、昭和五六年ころに一人一針一筒とされるに至った。

(3) <証拠略>及び証人中村キミエの証言によると、次の事実が認められ、これに反する<証拠略>は、証人中村の証言内容、ディスポーザブル(使い捨て)注射器の普及状況等に照らして採用し難い。

ア 中村キミエは、昭和四五年一月から技術吏員(医師)として札幌市に勤務しており、その間である同月から昭和六一年三月まで、同市衛生局中央保健所において予防接種の実施等に関与してきた。

イ 同保健所及び札幌市内のその他の保健所における予防接種の実施状況は次のとおりであった。

(ア) 昭和四五年当時、札幌市中央保健所においては、ツベルクリン反応検査の注射を行うにあたり、被接種者五、六人に対し一本の注射器を連続して使用していた(すなわち、一本の注射器(一cc用)の注射液がなくなるまで、針、筒を取り替えずに使用していた。)。これは、ツベルクリン反応検査の接種が皮内注射(表皮と真皮との間に注射液を入れるもの)の方法によるものであるため、その性質上、注射針や注射筒内に、被接種者の血液が付着、混入することがないと考えられていたことによるものである。

なお、右の際、連続使用された注射針は、被接種者一人ごとにアルコール綿でふいて用いられた。

一方、BCG接種にあっては、当時、既に管針が用いられるとともに、管針は、被接種者一人ごとに取り替えて使用されていた。これは、昭和四二年三月一七日付け厚生省公衆衛生局長通知「経皮接種の実施要領について」(衛発第三四号)に基づきなされたものである。

(イ) 一方、昭和四五年ころ以降、ディスポーザブルの注射針が医療機関に広く出回り始めるという状況が生じてきた。そのため、中央保健所におけるツベルクリン反応検査も、昭和五〇年ころには、注射針はすべてディスポーザブルのものとされ、被接種者一人ごとに針が取り替えられるに至った。そして、このことは、札幌市の他の保健所においても同様であった。

また、昭和四五年当時における、皮下接種に係る通常の予防接種に関しては、注射筒は連続使用されていたものの、注射針は既に被接種者一人ごとに取り替えられていた。

(ウ) そのため、昭和五八年八月当時(原告Eが予防接種を受けた当時)における札幌市中央保健所でのツベルクリン反応検査についての注射も、筒は連続して使用されたが、針は一人につき一針とされていた。また、BCG接種についても、前記(ア)のとおり、一人一針(注射筒のない管針を用いる。)として実施されていた。

(エ) なお、一般の皮下注射による予防接種、特に、被接種者数の少ない破傷風の予防接種や百日咳・ジフテリア・破傷風三種混合ワクチン接種等については、昭和四九ないし五〇年ころ以降、札幌市の保健所では一人ごとに注射筒及び注射針を取り替えて実施された。ただし、被接種者数の多いインフルエンザの予防接種については、注射針は一人ごとに取り替えていたが、注射筒は数人に連続して使用されていた。

(4) 更に、<証拠略>によると、我が国における、ディスポーザブル(使い捨て)注射器の普及状況について、次の事実が認められる。

ディスポーザブルの注射器は、昭和三八年ころから販売が開始されたがそのうち、ディスポーザブル注射針は、昭和四〇年代後半から急速に普及し、その年間消費量は、昭和四六年には二・五億本、昭和四八年に四・三億本、昭和五〇年に六・二億本、昭和五四年に一〇・七億本、昭和五六年に一一・五億本、昭和五八年に一二億本、昭和六〇年に一三・三億本と増加している。これに対し、ディスポーザブルの注射筒(シリンジ)の普及は約一〇年遅れ、昭和五〇年に九〇〇〇万本、昭和五二年に一・五億本、昭和五四年に二・一億本と、昭和五〇年代からゆっくりと消費量が増え、昭和六〇年には五・五億本に達したが、それは全注射筒の使用量の四一パーセントにあたるものであった。いずれにしても、それらの普及率は場所、施設により異なる状況にあった。

(5)ア 以上によれば、原告Eを除いた原告らが予防接種を受けた際においては、接種が行われた保健所の所在地をも考慮すると、

(ア) 昭和四四、四五年ころにおいては、BCG接種は一人一針(管針)の態勢によりなされたが、ツベルクリン反応検査では、注射針、注射筒とも連続使用され、その余の予防接種においては、注射針は一人ごとに取り替えられたものの、注射筒、種痘針等は連続使用され、

(イ) 右のころ以前になされた予防接種については、注射針、注射筒、種痘における種痘針、乱刺針とも、一人ごとに取り替えられずに連続使用された

ものと認めるのが相当である。

イ また、原告Eが予防接種を受けた際においては、BCG接種では一人ごとに注射針(管針)が取り替えられ、ツベルクリン反応検査でも注射針が一人ごとに取り替えられたものの、同検査における注射筒については連続して使用されたものと認められるところである。

(三)  そして、原告らに対する本件各集団予防接種は、前記3(一)のとおり、皮下注射、皮内注射、管針、種痘針等によるものであるが、<証拠略>によると、そのいずれの場合においても、針が血管を傷つけ、針に血液が付着する可能性があることを否定できないことが認められる。

また、注射筒についても、それを連続使用した場合、<証拠略>によると、皮下注射については、注射液を注入する前に、針の先端が血管内に入っていないことを確かめるため、注射筒のピストンを引いて軽く吸引するものとされていることから、その際、針が血管を傷つけていたならば、血液を注射筒内に吸入することもあり得ることが認められ、更に、右各証拠によると、皮内注射においても、注射筒のピストンを引くことはないが、注射の際の不手際により、右と同様に、針が血管を傷つけるおそれがあることは否定できず、それにより注射筒が血液により汚染されることもあり得ないではないことが窺われる。

このことは、筋肉注射の場合においても同様であり、注射針が血管を傷つける可能性があると考えられるから、皮下注射等の場合と同様に、注射筒が血液により汚染されることはあり得るものというべきである。

(四)  そうすると、原告らについてなされた本件各集団予防接種のうち、原告Eに対するBCG接種(右については、前記のとおり3(二)(5)のとおり、被接種者ごとに管針が取り替えられていたものと認められるから、右接種の際にB型肝炎ウイルスの感染が生じるおそれはないものというべきである。)を除いたその余の接種については、一般に、原告らに対しB型肝炎ウイルスの感染をもたらす可能性があったことは否定し難いものというべきである。

4  そこで、右を前提に、原告らの現在におけるB型肝炎ウイルスの感染が、具体的に本件各集団予防接種を原因とするものであると認めることができるか否かについて、以下検討する。

(一)  本件においては、いずれの原告らの場合についても、B型肝炎ウイルスの感染源(被接種者)の特定、感染源と原告らのB型肝炎ウイルスの構造(亜型等)の同一性、予防接種時における感染源と原告らとの接種順の前後等の事情は不明であり、本件各集団予防接種と原告らのB型肝炎ウイルス感染との間における、医学的に明確な因果関係を積極的に認定することは困難といわざるを得ない。

しかしながら、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果の発生をもたらす関係を是認し得るための高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解される(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。

したがって、本件において、原告ら主張のとおり、原告らのB型肝炎ウイルスの感染が本件各集団予防接種に起因するものであると認められることができるか否かは、その間における右のような高度の蓋然性が証明されるか否かにかかるものというべきことになり、、また、それが、右の蓋然性にまで至らず、単なる可能性に止まるものでは足りないというべきである。

(なお、この点について、原告らは、予防接種がB型肝炎ウイルスの感染の原因として最も有力なものであること及び原告らが本件各集団予防接種を受けたことをもって、他の具体的な感染原因が明らかでない限り、その間の右の蓋然性は認められるべきであると主張するが、右蓋然性は、B型肝炎ウイルスの感染に対する予防接種以外の原因による可能性の有無、程度、予防接種を原因とすることを裏付ける又はそれを否定する事情の有無、その内容等を総合して判断すべきものであるから、直ちに、右主張の事由から右蓋然性を認定することは相当でない。)

(二)  これを、まず、原告Eを除く原告らについてみるならば、次のとおりである。

(1) 前記2及び3の各事実からみるならば、同原告らのB型肝炎ウイルスの感染については、注射針の連続使用がなされた本件各集団予防接種が相当程度有力な要因であることは否定し難い。

(2) しかしながら、前記三1(請求原因3(二)、請求原因に対する認否及び被告の主張3)及び前記三2(七)のとおりのB型肝炎ウイルスの感染力の強さ及び血液を介して感染するという感染経路の特徴、有効な消毒方法の内容等からみるならば、前記1(三)(2)のとおりの、原告らの乳幼児期等におけるB型肝炎ウイルスの水平感染の原因としては、更に次のような可能性も認められるところである。

ア 一般の医療行為による感染

(ア) <証拠略>によると、

<1> B型肝炎ウイルスは、昭和三九年にオーストラリア抗原(HBs抗原)が発見されたことを契機として、ようやくその姿を捉えることができたものであり、また、オーストラリア抗原と血清肝炎との関係が明らかにされたのは、昭和四三年に至ってからのことであること(<証拠略>)、

<2> そして、一般の医療機関においてB型肝炎ウイルスについての対応策が確立されるに至ったのは、昭和四九年に出された東京都B型肝炎B抗原対策専門委員会(昭和四八年に設置)の答申や、昭和五五年にまとめられた厚生省肝炎研究連絡協議会B型肝炎研究班による「B型肝炎医療機関内肝炎対策ガイドライン」等において、B型肝炎ウイルスに対する有効な消毒法、医療機関内における感染予防体制の指導等が掲げられてからのことであること(<証拠略>)、

<3> 更に、B型肝炎ウイルスの具体的な解明に基づく、今日的な意味でのキャリア概念が確立したのは、一九七〇年(昭和四五年)代初めころのことであったこと(<証拠略>)

が認められる。

(イ) そして、右のようにB型肝炎ウイルスの実態が解明され、その対応策が確立される以前及び前記3(二)(4)のとおりのディスポーザブル注射器(針、筒)が普及する以前においては、注射等の一般の医療行為において、消毒不完全な医療器具の使用等により、B型肝炎ウイルス(ないしは、より感染力の弱いC型肝炎ウイルス)の感染が実際にあったものと推測されており、このことは、<証拠略>から明らかである。

また、<証拠略>によると、昭和五〇年ころ、幼児等に対する注射行為に起因する大腿四頭筋拘縮症が社会問題とされる以前においては、一般の医療機関が、乳幼児、小児等に対し、風邪等の治療のため、日常安易に注射行為に及びことが多かったことが認められる。

(ウ) 更に、<証拠略>によると、歯科治療においても出血をみることがあるため、それに伴うB型肝炎ウイルスの感染も想定され得ることが認められる。

(エ) 以上の諸事情からみるならば、原告Eを除く原告らが本件各集団予防接種を受けた昭和四五、六年以前においては、予防接種とは別に、一般の医療機関(歯科を含む。)での医療行為によっても、B型肝炎ウイルスの感染が生じ得る危険性は相当程度あったものというべきである。

なお、この点に関する<証拠略>の各記載は前記(イ)に掲記の各証拠に照らし、容易には採用し難い。

また、証人美馬聰昭は、その証言中において、前記(イ)の注射行為とB型肝炎ウイルスの感染との間に相関関係がないと述べるが、右供述も、一般の医療機関での注射行為が、およそB型肝炎ウイルスの感染の原因とはなり得ないとする趣旨のものではないと解されるから、右認定を左右するものとはいえない。

イ 対人的な接触による感染

更に、<証拠略>によると、一般に、乳幼児期ないし小児期において、大人との接触や子供同士の喧嘩、接触等により、傷口、血液の混じった唾液等を介して、B型肝炎ウイルスの感染があり得るものとされており、それらもB型肝炎ウイルスの感染の原因となり得ることが認められる。

ウ 家庭内での感染

更にまた、<証拠略>によると、親子、兄弟間においてHBs抗原の陽性を示す者が存在した場合にも、日常の密接な接触等を通じて、B型肝炎ウイルスの感染の機会があり得るものとされ、そのこともB型肝炎ウイルスの感染の原因としてあげられていることが認められる。

エ その他、<証拠略>によると、前記三1(請求原因3(二)、請求原因に対する認否及び被告の主張3)のとおりのB型肝炎ウイルスの感染力の強さからみて、想像を超える感染経路が存在し得るものと考えられ、そのため、B型肝炎が集団発生した場合、その感染経路を医学的に解明できた例はごく少なく、その多くについて感染原因は不明とせざるを得ないことが認められる。

(3) 一方、原告らは、予防接種と、B型肝炎ウイルスの感染者数との関係について、疫学的にも、同一の針及び注射筒の連続使用により集団予防接種を受けた年齢層の者に、B型肝炎ウイルスの感染者が高い割合で発生する関係があると主張する。

ところで、右のような予防接種とウイルス感染との疫学的関係は、その性質上、予防接種とB型肝炎ウイルスの感染との間における一般的な対応関係を示すものであり、本件各集団予防接種と、原告らのB型肝炎ウイルスの感染との間における、個別具体的な因果関係を直接証するものとは認め難いところであるが、なお、ここで、原告ら主張のような関係が認められるか否かについても検討を加えるならば、以下のとおりである。

ア まず、過去における集団予防接種者数について、被告は杉田報告(別紙三)を、原告らは別紙六をそれぞれ提出している。

しかしながら、予防接種を受けた者の数自体については、杉田報告においては、<証拠略>の記載から窺われるところの、終戦前(昭和一七年以降)におけるツベルクリン反応検査やBCG接種を受けた者の数(年間一〇〇〇万人とされている。)、<証拠略>の記載から窺われるところの、昭和二三年の予防接種法制定までの間における種痘、発疹チフス、腸チフス、パラチフス等の予防接種を受けた者の数等について、いずれも表記がなく、また、経口投与による急性灰白髄炎の被投与者数が表示されるなど、必ずしも、本件において必要な集団予防接種者数を過不足なく網羅したものとは認め難い。一方、原告の提出する別紙六も、昭和二一年における臨時種痘接種の被接種者数を六〇〇〇万人、昭和二一、二二年における腸チフス、パラチフスの被接種者数をそれぞれ三〇〇〇万人とするが、それらは<証拠略>の記述等に基づくものと認められるものの、その数値の正確性については疑問が残るところである。

したがって、右の別紙三及び六から、集団予防接種の被接種者数自体を確定することは適当ではなく、右各表は、予防接種の種類、予防接種者数の推移をみる程度において考慮すべきものと解される。

イ 次に、西岡グラフ(別紙四)についてみるに、それに関しては原告ら主張(抗弁に対する認否及び原告らの反論2(三))のような問題点があることが窺えるものの、なお、その内容からみて、右グラフは、HBs抗原及びHBs抗体の出生年代別陽性率のおおよその推移を反映しているものとみなすことが可能である。

そこで、右グラフが、原告らの前記主張を裏付けるものであるか否かについて検討を加えるならば、次のとおりである。

(ア) 前記アにおける<証拠略>の記載からみるならば、一九四五年(昭和二〇年)前に生れた者に対する予防接種の時期、回数等については必ずしも明確とはいい難い(それらの者に対する戦中、戦後における予防接種状況が明らかではない。)ところであるから、それらの者を除外して、右グラフにおける一九四六年(昭和二一年)以降の生れの者についての陽性率の推移をみるならば、その特徴として、一九五六年(昭和三一年)以降の生れの者につき、HBs抗体の陽性率が顕著に減少していることが認められる。

(イ) ところで、HBs抗体の陽性は、被検査者がかつてB型肝炎ウイルスに水平感染したことの事実を示す指標になるものと解される<証拠略>が、一方、別表三及び六によると、昭和二一年以降昭和五〇年ころにかけての予防接種の数自体は、むしろ増加していることが認められる。

そして、右のHBs抗体の陽性率の減少は、前記3(二)(4)のとおりのディスポーザブル注射器の普及前から始まっていることを考えると、少なくとも、予防接種と、B型肝炎ウイルスの水平感染の指標であるHBs抗体の陽性率との間には、疫学的な対応関係があるものとは認め難いというべきである(なお、証人美馬聰昭は、その証言中において、右のとおりHBs抗体の陽性率が減少した原因は、昭和二六年から、予防接種を一般の医療機関において行うことが可能になったことによるものと述べるが、特にそのように解すべき具体的根拠はなく、減少の原因を右に求めることは困難というべきである<証拠略>。一方、証人吉澤浩司は、右の陽性率の減少は、社会全般ないしは医療現場の衛生状態の向上にあるものと推測している。)。

(ウ) また、HBs抗原の陽性は、被検査者が既にB型肝炎ウイルスに感染した状態にあることを示すが、前記のとおりの戦後における予防接種数の増加を考慮するならば、HBs抗原の陽性率は、昭和二一年生れ以降の年代の者において次第に上昇して然るべきものと思われるところ、西岡グラフにおいては、それがむしろ減少に向かっていることが認められる。

そうすると、HBs抗原の陽性率の点からも、原告らの主張の、予防接種との疫学的な対応関係は明らかではないものといわざるを得ない。

ウ 更に、これらのことは、田島グラフにおいてもほぼ同様に当てはまるものというべきである。

エ その他、本件において、原告らの疫学的因果関係についての主張に沿う具体的な証拠は見当たらない。

(4) 以上(1)ないし(3)の各事実に、前記五1(一)(1)ないし(4)の事実(原告ら及びその家族の状況)、更には、原告Eを除く原告らにとって、本件各集団予防接種が本訴提起の一八年以上前のことであり、当時の生活状況等が必ずしも明らかではないこと等を合わせ考慮するならば、同原告らがB型肝炎に罹患したことについては、前記(1)のとおり本件各集団予防接種による可能性のほか、乳幼児期等における、風邪等の治療の際の医療行為(注射等)による可能性、子供同士ないし大人等との日常生活での接触による可能性、同原告らの同居家族内に過去にB型肝炎ウイルスに感染した者が存在することから、同人らからの感染の可能性等、種々の可能性もまた否定し難いところである。

更にまた、本件においては、同原告らと同一の機会に本件各集団予防接種を受け、B型肝炎ウイルスに感染した者が他に存在することを窺わせるに足りる資料も全く存在しない。

そうしてみると、本件において、本件各集団予防接種が同原告らのB型肝炎ウイルスの感染をもたらしたものであることについては、その可能性を否定できないものの、同原告らの実際の感染原因については、各原告ごとに他の可能性も十分にあり得るものといわざるを得ず、それらの事由も無視し難いところである。

(5) そうすると、原告Eを除く各原告らのB型肝炎ウイルスの感染が本件各集団予防接種に起因するものであることについては、本件において、それらを是認し得るためのその間の高度の蓋然性の存在が証明されたものとみなすことは困難といわざるを得ず、その間における因果関係を肯定することはできないものというべきである。

(三)  次に、原告Eにおける、予防接種とB型肝炎ウイルスの感染との間の因果関係についてみるならば、次のとおりである。

(1) 原告Eは、前記1(三)(1)のとおり、昭和五八年五月一一日(出生日)から昭和五九年四月二二日(生後一一か月)までの間に、B型肝炎ウイルスに感染したものと認められ、また、昭和五八年八月二五日(生後三か月)にツベルクリン反応検査、同月二七日にBCG接種を受けたが、そのうち、ツベルクリン反応検査による接種については、注射筒が連続使用されることにより、B型肝炎ウイルスの感染が生じる可能性があったものと認められることは前記3(二)5イのとおりである。

更に、前記1(一)(5)によると、原告Eと同居する父<略>と兄Hについては、B型肝炎ウイルスの感染の既往が認められないことから、原告Eに対する同人らからの家族内感染の可能性は否定されること、また、同原告は、出生後、B型肝炎ウイルスの感染が判明するまでの間、勤医協札幌病院での乳幼児健診において、足の裏を傷付けて採血するヘパプラスチンテストを受けたが、そこで用いられたランセットと超微量ピペットは使い捨てのため、それによるウイルス感染の可能性も認め難いこと、また、同原告は、そのころ、同病院において、急性上気道炎等についての治療も受けているが、その際、注射を接種されたことがないことから、同病院での注射行為による右感染の可能性も否定されることが明らかである。

(2) しかしながら、ツベルクリン反応検査は皮内注射の方法によりなされるものであるが、<証拠略>によると、皮内注射の場合においては、その注射方法(表皮と真皮との間に注射液を入れるものであるため、本来のやり方でなされる限り針が血液に触れる可能性は低い。)からみて、静脈注射はもちろん、皮下注射の場合と比べても、B型肝炎ウイルスの感染の危険性は一般に低く、更に、その際、注射筒を連続して使用したものとしても、被接種者ごとに注射針を取り替えるならば、右の危険性は、注射針を連続使用する場合に比べて、相当程度低下することが窺われるところである。

なお、この点について、証人美馬聰昭は、その証言中において、PCR法(ポリメラーゼ連鎖反応法、遺伝子の増幅を行う方法)による測定の結果、皮内注射でも注射筒を連続して使用した場合には、注射筒内からB型肝炎ウイルスが検出されたと述べるが、本件において、その実験の時期、主体、実験の状況等が明らかでないのみならず、証人吉澤浩司の証言によると、右方法は、平成三、四年ころまでは必ずしも信頼性が高いものではなく、また、実験の状況如何により実際とは異なる結果が生じる可能性もある上、その方法による「陽性」も必ずしも感染のおそれを示すものともいえないことが窺える。したがって、証人美馬の右供述から、皮内注射の場合において、注射筒の連続使用によっても、B型肝炎ウイルスの感染の危険性が高いものと認めることは困難というべきである。

(3)ア 一方、<証拠略>によると、次の事実が認められる。

(ア) 前記1(一)(5)のとおり、原告Eは、昭和五八年八月二五日及び同月二七日、札幌市中央保健所において、ツベルクリン反応検査及びBCG接種を受けたが、札幌市には、右と同一の日時、場所において、原告Eとともに検査、接種を受けた者全員(七二名)の問診票が残されていたことから、本件訴訟の提起に伴い、札幌市により、同人らに対するB型肝炎ウイルスの感染の有無の調査がなされることとなった。

(イ) 平成九年当時における右の七二名の居住地は、札幌市内が四九名、札幌市以外の北海道内が五名、北海道外が六名、所在不明が一二名という状況にあった。

そのうち、北海道外の在住者については、時間、労力、費用、プライバシーの確保等の点から、調査対象から除くこととし、その余の者(行方不明者を含めると六六名、行方不明者を除くと五四名)のうち調査に協力を得られた者三九名について、平成九年四月七日(札幌市内在住者)及び同年五月一九日(札幌市外在住者)、北海道赤十字血液センターにおいて、RPHA法、EIA法(HBs抗原検査)、HI法(HBc抗原検査)による血液検査が行われた(なお、一名については、同年六月五日、旭川赤十字病院において検査が行われた。)。

その結果、検査を受けた者全員が、右のすべての検査において陰性を示すに至った。右結果は、各検査のカットオフ値をすべて下回ったものであり、確実に陰性と評価し得るものである。

イ 原告Eが、原告ら主張のとおり、ツベルクリン反応検査における注射筒の連続使用により、B型肝炎ウイルスに感染したとするならば、同原告の接種順における一人(ひとり)前、もしくはそれ以前にB型肝炎ウイルスの感染者が必ず存在するはずであり、また、同原告の後の順の者にも感染が生じる可能性があったものというべきことになる。

したがって、右反応検査当日の被接種者のうち過半数を超える前記三九名の中に、B型肝炎ウイルスの感染者が存在する確率は高いものと考えられるが、前記アにおける調査結果は、それに反するものであることが明らかである。

(4) 原告Eは、前記1(一)(5)のとおり、母Fが急性B型肝炎ウイルスに罹患した際に行われた検査の結果、B型肝炎ウイルスに感染していることが判明したものであるが、原告ら主張のようにFのウイルスの感染源が原告Eであると断定すべき根拠は見当たらず、前記三1(請求原因3(二)、請求原因に対する認否及び被告の主張3)のとおりのB型肝炎ウイルスの感染力の強さ及び前記三1(請求原因に対する認否及び被告の主張2(三))のとおりのB型肝炎ウイルスの顕性感染の場合の潜伏期間(四週間ないし二四週間)等からみて、Fが原告Eを出産後、同原告以外の経路によりB型肝炎ウイルスに感染し、ウイルスがFから同原告に感染したものと解すべき余地も否定し難い。

(5) 更に、前記(二)(2)ア、イ、エのとおりのB型肝炎ウイルスの水平感染の原因、経路等を考慮するならば、原告EがB型肝炎ウイルスに感染した原因等については、前記(4)をさておいたとしても、種々の可能性が考えられるところであり、それらを否定すべき積極的な理由も見当たらない。

(6) 以上のような諸事実を総合するならば、原告EのB型肝炎ウイルスの感染についても、それが本件集団予防接種(ツベルクリン反応検査)に起因するものであることに関しては、その間の単なる可能性の存在に止まらない、高度の蓋然性の存在までを認めることは困難といわざるを得ない。

したがって、原告Eについても、本件集団予防接種とB型肝炎ウイルスの感染との間の因果関係を肯定するまでには至らないものというべきである。

六  以上によれば、原告らの本訴請求は、いずれも、本件各集団予防接種と原告らのB型肝炎ウイルスの感染との間の因果関係の点において認め難いところであるから、その余の点について判断を進めるまでもなく、理由がないものといわざるを得ない。

よって、原告らの本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 持本健司 中山幾次郎 浅岡千香子)

別紙一ないし九<略>

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