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札幌地方裁判所 平成10年(ワ)1839号 判決 2002年3月19日

主文

1  被告は,別紙「請求及び認容額一覧表」の「氏名」欄記載の原告それぞれに対し,同表の「認容総額(元本)」欄記載の金員及びこれに対する平成10年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,2分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(1)  被告は,別紙「請求及び認容額一覧表」の「氏名」欄記載の原告それぞれに対し,同表の「請求総額(元本)」欄に記載の金員及びこれに対する平成10年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(1)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(2)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第2当事者の主張

1  請求原因

(1)  就労関係等

ア 被告は,昭和30年ころから,M株式会社(ただし,昭和48年以降はN株式会社。以下,両者を区別せず単に「M」という。)が操業していた芦別炭鉱において,Mから,坑道掘進作業を請け負っていた。

イ 原告ら(ただし,原告D,同E及び同Fを除く。)及びO(以下,これらの者を「元従業員ら」という。)は,被告に雇用され,別紙「就労状況一覧表」の「始期」欄に記載の年月日から同「終期」欄に記載の年月日まで,被告の指揮監督の下,芦別炭鉱において,岩盤の穿孔,発破,岩石等の運搬,支柱,掘進みの作業(以下「坑道掘進作業」という。)に従事した。

ウ 有限会社Pは,被告が班体制を敷いていた当時のP班が独立した会社であり,被告から坑道掘進作業を請け負っていた。

(2)  炭鉱における元従業員らのじん肺への罹患等

ア じん肺について

(ア) じん肺の定義

じん肺は,各種の粉じんの吸入により肺の中に蓄積した粉じんとこれに接する肺組織との間で線維増殖性変化(生体反応による線維性組織の増殖)を引き起こし,胸部エックス線に異常粒状影が現われ,肺組織が肺本来の機能を果たさなくなるために,肺機能に障害を来し,その進行に伴って呼吸困難,肺不全,心不全などの病態を引き起こす疾病をいい,じん肺法2条1項1号において「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう。」と定義されている。じん肺によって肺に生じた線維増殖性変化,気腫性変化,進行した炎症性変化及び血管変化等を治癒することは現代医学では不可能である(不可逆性)。また,じん肺は粉じんが発生する作業現場での就労から離れ,粉じん暴露から逃れた後も病変が進行し,悪化する。そして,進行した結果として死に至る(進行性)。

(イ) じん肺の発生機序

a まず,粉じんが肺間質及びリンパ腺に移行し,粉じんの付着部位に網内系細胞の浸潤が起こり,粉じんを摂取する。

b 次に,粉じんを摂取した細胞が次第に変性壊死に陥り,初めは細かい網状線維が形成され,次第に太い膠原線維に移行して,けい肺結節が形成される。また,肺門リンパ節に移行した粉じんにより,肺門リンパ節にも結節が形成される。

c 間質やリンパ腺の変化が進めば,その後に吸入された粉じんは,次第に肺胞内に蓄積されるようになり,間質の変化に付加されるために結節はさらに大きくなり,その数も増加し,同変化に伴って小血管の閉塞と細気管支の閉塞が起こり,細気管支の狭塞や閉塞の状態が生じる。そのため,末梢部の肺胞は次第に拡張し,そのため肺胞壁は薄くなり,肺胞壁の破壊が生じて局所性肺気腫が発生し,さらに,細気管支レベルでの病変により,細気管支周辺の変化が加わり障害が進展する。

d 肺結節は癒合して塊状層を形成し,塊状層周辺には,のう状気腫が形成される。

イ 粉じんの発生

元従業員らの従事してきた坑道掘進作業においては,いずれの作業においても次のとおり大量の粉じんが発生する。

(ア) 穿孔作業

穿孔作業とは,さく岩機で穴を開け,その穴に発破のための爆薬を装填する作業である。穿孔される孔の数は30ないし40本が標準で,1本の穿孔に要する時間は3ないし5分である。通常1回の発破の穿孔作業に要する時間は1時間半ないし3時間程度である。

穿孔作業においては,さく岩機で削られた岩・鉱石などが細かい霧や煙のような粉状となって大量に粉じんが発生する。

(イ) 発破作業

発破作業とは,さく岩機で穿孔した装薬孔を掃除した上,爆薬を装填し,結線して発破器により発破して爆薬を起爆させ,岩盤又は炭層を破砕する作業である。

発破作業においては,作業前に行う掃除の際に,粉じんが発生する。そして,実際の発破作業においては,砕かれた岩,土,砂,鉱石などが大量に粉じんとなって発生し坑道内に立ちこめる。

(ウ) 運搬作業

運搬作業とは,発破により破砕された岩石や石炭を運搬設備に積み込んで切羽(掘り進めている先端の現場)から搬出する作業である。

運搬作業においては,通常運搬前に十分に破砕されずに浮石として残っている部分をピックハンマー(圧縮空気によりノミを作動させ,衝撃力により破砕する機械)や小発破で落とす作業を行うが,その際に粉じんが大量に発生する。また,実際の運搬の際にも積込作業の際に粉じんが発生する。

(エ) 支柱作業

支柱作業とは,坑道に木の枠を入れて坑道の天盤等の崩落や盤圧による坑道の狭小化を防止する作業であり,通常は3本の坑木(トンネルの坑内の工事に使用される支持材で,普通は丸太材)を鳥居状に組み立て水平に配列する三ツ留支保,坑道の側壁上部に梁を打ち込む打込支保がある。

支柱作業においては,枠を組み立てる際に岩盤などを切り崩す作業が必要となり,その際に粉じんが大量に発生する。

(オ) 掘進み作業

掘進み作業とは,坑道から分かれてさらに石炭層に向かって掘り進む作業である。穿孔,発破,打込み入れ(支柱作業に相当),柵送り(穿孔のための足場作り)が1つのサイクルとなり,積込作業が任意に行われる。穿孔,発破,積込作業で粉じんが発生するほか,打込み入れの作業の際にも浮石を落とす作業を岩盤を削って足場を作る作業を行う際には,粉じんが発生する。

ウ 元従業員らのじん肺への罹患等

元従業員らは,坑道掘進作業に従事中に継続的に発生する大量の粉じんを吸入した結果,じん肺に罹患し,その後の粉じんの吸入によって,その症状が増悪し,別紙「管理区分一覧表」の「最終管理区分決定年月日」欄に記載の日付けで,北海道労働基準局長から,同「最終管理区分」欄に記載のじん肺管理区分の決定を受けた。

Oは,平成8年4月7日,じん肺を起因とする呼吸不全により死亡した。

(3)  被告の責任

ア 安全配慮義務の存在と被告の義務違反行為

労働契約関係においては,一般に,使用者は労働者に提供する作業環境等から生じる危険が労働者の生命及び健康等に及ぶことを未然に防止し労働者を保護する義務を負っており,特に労働災害や職業病を発生させるおそれのある作業に従事させる場合は,その危険な地位から逃れられない労働者に対して,一層高度な安全保護義務があるというべきである。

炭鉱における作業従事者が,炭鉱で発生する粉じんの吸入によりじん肺に罹患するとの知見は,昭和10年ころには確立しており,元従業員らが被告において就労していた時期には,被告は,炭鉱においてもじん肺が発生することを認識していた。したがって,被告は,掘進夫等の作業員が炭鉱内において作業に従事するに当たっては,以下の(ア)ないし(ク)の措置をとることにより,粉じんの発生を防止し,又は抑制することによって作業員が粉じんを吸入しないようにする注意義務があったのに,これを怠り,その結果,元従業員らに継続的に大量の粉じんを吸入させ,その結果,元従業員らをじん肺に罹患させたのであるから,被告は,元従業員らが被った後記損害を賠償すべき義務を負う。

(ア) 粉じんの発生を防止ないし抑制するために,各種作業の前又は作業中に適切な箇所に散水や噴霧を行う。

(イ) 穿孔の作業の際は,湿式さく岩機を導入し,これを有効に使用できるように指導,監督する。さく岩機を使用する際には,さく岩機の先端に集じん装置を付け,発じん部位を包囲して粉じんが拡散するのを防止する。

(ウ) 発破を伴う作業では,発破により発生した粉じんが除去され,沈下するまで,作業現場に立ち入ることがないように指導,監督し,上がり発破(発破後の支柱作業と運搬作業とを行わずに次の作業員と交替する作業方式)や昼食時発破(食事休憩の直前に発破をかける方式)等の粉じん暴露の少ない作業方法をとらせる。

(エ) 発生した粉じんが作業現場に滞留することのないように,適切な通気量の確保と合理的な通気システムの実現を図る。

(オ) 粉じん作業に従事する作業員に最新の防じんマスクを支給し,作業の際これを装着するよう指導,監督するとともに,フィルターの十分な予備を備え置き,交換に供する。

(カ) 粉じんの体内侵入を最小限に食い止めるために,労働時間の短縮,担当作業現場の適切な交替,休憩場所の考慮,作業手順,作業方法の改善など,粉じん暴露の程度を可能な限り軽減するように労働条件を定める。

(キ) じん肺の原因,症状などの医学的知見,予防方法等について作業員に十分な教育を行い,じん肺の防止対策の重要性を認識させる。

(ク) 作業員に健康診断,じん肺検診を定期的に実施し,じん肺患者の早期発見,早期治療,健康管理に努め,労働者にじん肺所見が認められた場合には,診断結果を通知して,健康管理の必要性を認識させる。

イ 下請企業の労働者に対する安全配慮義務

労働者と粉じん作業についての雇用契約を直接締結した者との間に限られず,粉じん作業従事者の実質的な使用者も,信義則上,粉じん作業従事者に対し,粉じん作業雇用契約に基づく付随的な安全配慮義務と同一の性質及び内容の義務を負う。

そして,被告は,被告の下請企業である有限会社Pの労働者に対しても安全配慮義務を負うべきである。

ウ 民法719条1項後段の類推適用

元従業員らには,被告以外の者に雇用されて掘進夫として従事した期間があるが,被告の安全配慮義務違反には,民法719条1項後段が類推適用される。

したがって,元従業員らの被告における在職期間の長短にかかわらず,被告は,元従業員らの被った損害のすべてについて連帯して損害賠償義務を負担すべきである。

(4)  損害

ア 慰謝料各4000万円

じん肺の病理に照らすと,元従業員らの被った財産的損害及び精神的苦痛は甚大である。

そして,治療費,逸出利益等の各項目別に損害を算定し精神的損害と併せて主張せず,慰謝料にすべてを包括的に含めて損害を主張する。

イ 弁護士費用各567万円

(5)  相続

ア Oは,平成8年4月7日,死亡した。

イ 原告Dは,上記当時,Oの妻であった。

ウ 原告E及び同Fは,いずれもOの子である。

(6)  結論

よって,原告らは,被告に対し,債務不履行に基づく損害賠償請求として,別紙「請求及び認容額一覧表」の「請求総額(元本)」欄記載の金員及びこれに対する訴状送達の日(請求の日)の翌日である平成10年8月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(1)  請求原因(1)アの事実は認める。

同(1)イのうち,元従業員らと被告との雇用関係の有無及び期間は,別紙「就労状況一覧表」の「被告の認否」欄に記載のとおりである。

(2)  請求原因(2)ア(ア)のうち,じん肺法の規定が原告ら主張のとおりであることについては認め,じん肺の不可逆性について,線維増殖性変化を起こして結節となった部分が元に戻らない,あるいは,気腫性変化を起こした肺胞の部分が元に戻らないという意味で不可逆性があることは認める。しかし,そのことが直ちに症状として健康障害や日常生活障害を生ずることにはならない。じん肺の進行性については否認する。

同(2)ア(イ)の事実は否認する。炭肺(じん肺のうち,炭じんを吸入することで生じるもの)の機序は,けい肺(じん肺のうち,けい酸質粉じんを吸入することで生じるもの)の機序と異なる。

同(2)イのうち,坑道掘進作業の概要については認め,その余の事実は否認する。坑道掘進作業の過程において粉じんが不可避的に発生するが,大量に発生するとはいえない。また,その全過程において粉じんが発生するわけではない。

同(2)ウの事実は知らない。

(3)  請求原因(3)アのうち,一般的な粉じん対策を講ずる義務があるとの主張は認め,これを怠ったとの主張は争う。被告は,その時代時代における工学的知見上実施し得る最も高度なじん肺防止対策を講じてきた。

また,炭鉱における作業によってもじん肺に罹患するとの知見が昭和10年ころに確立していたことは否認する。同知見の確立時期は,けい肺が昭和20年代後半,炭肺が昭和30年代中ころである。

同(3)イの主張は争う。

同(3)ウの主張は争う。

(4)  請求原因(4)ア,イの事実はいずれも否認する。

(5)  請求原因(5)ア,イ,ウの事実はいずれも知らない。

3  被告の反論

(1)  被告による粉じん対策の実施

ア 散水・噴霧

(ア) 被告は,坑道掘進作業の工程において,粉じんの発生を除去ないし防止する措置の1つとして,次のような噴霧及び散水をしていた。

a さく孔前には,鏡面に水を掛けることにより,さく孔によって生ずる粉じんを抑制していた。

b 発破時には,当初,坑道天井につり下げたシャワーから水を出すという方式で坑道の粉じんの除去ないし防止をしていた。

昭和46年ころに,噴霧式散水(火薬の点火直前に切羽の鏡面全体に向かって両側から霧状の水を掛けるもの)に替えた。

c 発破の際,抗内員は,切羽から100メートルくらい後方まで退避するが,この間に水は出しっぱなしにしており,その後火薬に点火し,爆破し,爆破終了後,10分くらいさらに水を出し続け,粉じんが収まってから抗内員に切羽に戻らせていた。

d 発破後,ずり(ずりとは,坑内で掘削されて出る石炭以外の不要岩石をいう。)積みを始めると,水の掛かっていない岩石が表面に出てくるから,再び粉じんが立つようになるが,粉じんの発生を抑えるため,抗内員にホースで水を撒くようにさせていた。

(イ) 散水用の水,鉄管,ホースといった器具は,鉱業権者であるMが供給していた。

ずり積み時の散水は,Mの指示により制限されていた。

イ 湿式さく岩機の使用

昭和48年ころまでは,被告の従業員が使用していたさく岩機はすべて元請けであるMからの貸与であり,被告には選択の余地はなかった。当初貸与されたさく岩機は乾式であり,昭和40年代になってようやく湿式のさく岩機が導入された。

しかし,湿式さく岩機にも様々な問題点があった。さく岩機で使う水は,地上から供給されるが,その水の圧力により,さく岩機の「ウォーターチューヴ」が故障し,湿式さく岩機として使用できず,乾式としてしか使用できないという時代もあった。減圧弁ができ湿式さく岩機が改良され,湿式として使用できるようになったのは,昭和50年代後半ないし昭和60年代になってからである。

また,坑道は,水平なものばかりでなく,昇りや下りもある。昇りや下りの斜坑(斜めの坑道)では,さく岩機から水が出ると,その水が先端の切羽に溜まったり坑道を流れたりし,作業が極めて困難な状況となる。

地下数百メートルでの現場における作業において,水を大量に使用するということ自体,岩石の性質,坑道が変形する可能性を孕んでいる等の理由により,不可能に近いことであったし,さらに,水の供給については,そのための施設を含め鉱業権者でなければできないことであった。

ウ 防じんマスク

被告は,従業員に対し,坑内労働に従事する際に防じんマスクを着用するよう指導を徹底し,防じんマスクを携帯しなければ,坑内には入れないようにしていた。

防じんマスクは,各従業員が自前で購入する習慣があったが,昭和57年ころ以降は,被告において,マスクを購入し,これを各従業員に貸与していた。被告は,MがMの従業員の意見を聴いた上で選定していたものを購入しており,マスクの選定にあたっては,Mの段階でその性能はチェックされていた。

被告は,その時代時代における高品質・高性能のものを従業員に提供してきた。

エ 通気

被告は,風管によってこの新鮮な空気を坑道内に供給していた。風管が破損したときには,被告の従業員がその場で修繕を施しており,切羽面において,新鮮な空気が供給されていないという事態は考えられない。

もっとも,この風管及び風管に空気を送り込むための扇風機はMの所有であった。

オ じん肺教育

被告は,従業員に対して,新規採用時に,Mとともに,じん肺教育をしていた。

被告は,保安発破係員をはじめとする係員に対しては,係員教育を毎月1回実施し,その他の従業員に対しては,毎日の入坑前に必ず指導をしていた。その指導内容は,坑内の事故の防止という観点だけではなく,マスクの着用,散水の重要性についても指導していた。

(2)  民法719条1項後段類推適用の主張に対する反論

ア 粉じん職歴による割合により,各鉱山会社の責任をその寄与度に応じて認めるのであればともかく,安易に不真正連帯債務の法理により,被告のみに全責任を認めることは不公平極まりない。

イ 被告は,鉱業権者であるMから坑道の掘進を請け負った者であり,坑道を含めて,鉱山全体はMが所有し,様々な施設,機械類等について,被告は,独自に維持管理できず,Mの指示に従わざるを得ないという制約があった。したがって,被告の元従業員らに対する責任を認めるのであれば,被告とMの責任割合も明確にすべきである。

(3)  じん肺管理区分について

じん肺管理区分は,あくまで事業者が行うじん肺の予防と進展防止のための健康管理上の処置を定めるものにすぎず,障害や損害の程度を決定するものではない。

元従業員らの中で管理3以下の者については,通常の就労は差し支えないものであり,管理4の者についても必ずしも「休業」「安静」が必要なわけではない。いずれの場合もじん肺検診による健康管理を継続していくことにより現在の健康状態の改善も可能である場合もあるし,あるいはその保持を長期的に図り得るものである。

4  抗弁

(1)  消滅時効

ア 消滅時効の起算点

(ア) 元従業員らが被告を退職した日である。

(イ) 仮に(ア)が認められないとしても,元従業員らが,初めてじん肺管理区分の決定を得た時から消滅時効が進行するものである。

イ 消滅時効の期間

主位的に5年間,予備的に10年間である。

(2)  過失相殺1-喫煙

喫煙の有無とじん肺有所見率との間には有意な相関関係がある。したがって,喫煙がじん肺の発症・症状の増悪に大きな影響を及ぼすことは明らかである。

元従業員らが喫煙していたのならば,公平の理念に照らし,損害の相当部分が損害額から控除されるべきである。

(3)  過失相殺2-原告の個別事情による損害の減算

ア(ア) 被告は,Oに対し,非粉じん作業に職場転換することを勧めていたにもかかわらず,自らの意思で粉じん作業の継続を選択していた。

(イ) したがって,損害が減額されるべきである。

イ(ア) 原告C及び同Lは,係員であったから,粉じん作業の最前線で作業していたものではなく,管理職的な立場にあった。

(イ) したがって,損害が減額されるべきである。

ウ(ア) 原告Bは,昭和47年6月から昭和62年5月まで,労務上席であった。労務上席の職務内容は,賃金算定などのデスクワークである。

(イ) したがって,損害が減額されるべきである。

(4)  損益相殺

労働者が業務上じん肺に罹患した場合には,療養補償給付,休業補償給付,遺族補償給付,傷病補償年金等をはじめとする各種の労災保険給付が支給され,適格者には,厚生年金保険,国民年金等の各種の年金が併給される。

原告らは慰謝料を請求するものであるが,実質的には財産的損害賠償をも含めて請求しているのであり,その損害の部分はその給付金が支給されたことによって填補されているのであるから,損益相殺の対象とされなければならない。

5  抗弁に対する認否及び反論

(1)  抗弁(1)について

抗弁(1)の主張はいずれも争う。

(2)  抗弁(2)について

抗弁(2)の主張は争う。

(3)  抗弁(3)について

ア 抗弁(3)ア(ア)の事実は否認し,同(3)ア(イ)の主張は争う。

イ 同(3)イ(ア)の事実は否認し,同(3)イ(イ)の主張は争う。

ウ 同(3)ウ(ア)のうち,原告Bが昭和57年から昭和62年まで労務上席であったことは認め,その余の事実は否認する。

同(3)ウ(イ)の主張は争う。

(4)  抗弁(4)について

抗弁(4)の主張は争う。

理由

1  請求原因について

(1)  請求原因(1)(就労関係等)について

ア  請求原因(1)アの事実は当事者間に争いがない。

イ(ア)  請求原因(1)イのうち,別紙「就労状況一覧表」の「被告の認否」欄に「認める。」と記載されている期間において,元従業員らが被告に雇用されていた事実は当事者間に争いがない。

(イ)  甲第37号証の8,第42号証,原告J本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,原告Jが昭和37年5月1日から昭和38年10月1日まで被告に雇用されていたことが認められる。

甲第39号証及び原告H本人尋問の結果によれば,原告Hが,昭和39年7月17日から昭和57年4月3日まで被告に雇用されていたことが認められる。

(ウ)  甲第37号証の1,原告A本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,原告Aが昭和52年2月1日から昭和56年10月19日まで及び昭和60年4月1日から昭和61年5月15日まで,有限会社Pに雇用されていたことが認められる。

甲第37号証の5,原告G本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,原告Gが昭和52年2月1日から昭和62年2月14日まで,有限会社Pに雇用されていたことが認められる。

甲第37号証の9,原告K本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,原告Kが昭和52年2月1日から昭和58年1月1日まで,有限会社Pに雇用されていたことが認められる。原告Kが,前同日から昭和59年12月1日まで被告ないし有限会社Pに雇用されていたことを認めるに足りる証拠はない。

(エ)  原告ら(ただし,原告E及び同Fを除く。)の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば,元従業員らが,上記(ア),(イ),(ウ)の各期間(ただし,原告Bについては,昭和57年から昭和62年までの期間を除く。),坑道掘進作業に従事していたことが認められる。

原告B本人尋問の結果によれば,原告Bは,昭和57年から昭和62年まで,労務上席として,主に賃金算定などのデスクワークに従事していたこと,その当時も月に2回程度坑内に入っていたことが認められる(原告B調書13~14頁)。

ウ  請求原因(1)ウの事実は,被告が明らかに争わないものと認め,自白したものとみなす。

(2)  請求原因(2)(炭鉱における元従業員らのじん肺の罹患等)について

ア  じん肺について

請求原因(2)アのうち,じん肺法の規定が原告ら主張のとおりであることは当事者間に争いがなく,甲第80号証,第82号証,第83号証の1,2,第87号証,第90号証,第96号証,第107,第108号証,第117号証,第126号証,第174号証の1及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(以下,括弧内に主要な証拠等を示す。)。

(ア) じん肺の定義

じん肺は,臨床病理学的には,「各種の粉じんの吸入によって胸部エックス線に異常粒状影,線状影があらわれ,進行にともなって肺機能低下をきたし,肺性心にまでいたり,剖検すると粉じん性線維化巣,気管支炎,肺気腫を認め,血管変化をも伴う肺疾患である。」と定義されている(甲第87号証77頁)。じん肺法2条1項1号においては「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病をいう。」と定義されている(争いがない。)。

(イ) じん肺の発生機序

じん肺の原因となる粉じんの種類は様々であり,粉じんの化学的組成によって病理変化には差があることが知られている(甲第96号証)。炭鉱の各種作業において問題となる粉じんは,岩石中に存在する遊離けい酸(二酸化けい素)を含んだ粉じんと,炭層中に存在する炭素を含んだ粉じん(炭粉)である(甲第107号証)。

遊離けい酸分を多く含んだ粉じんによるじん肺(けい肺)は,代表的なじん肺として知られ,今日においては概ね以下のとおり理解されている。すなわち,粉じんは,肺間質及びリンパ腺に移行し,ここに蓄積される。その後この細胞が次第に変性壊死に陥って,次第に太い膠原線維(線維状の蛋白質で,場所を塞いだり細胞を支持する役割しか果たさないもの)が形成され(これを「線維増殖性変化」という。),結節となる。間質やリンパ腺の変化が進めば,その後に吸入された粉じんは,次第に肺胞内に蓄積されるようになり,間質の変化に付加されるため,結節は更に大きくなりその数も増加する(じん肺結節)。これに対して,遊離けい酸分を多く含まない粉じんは,リンパ腺に運ばれにくい性質を有し,肺胞における結節のない線維増殖性変化を主体とする変化を惹起する。じん肺結節の大きさは,0.5ないし5ミリメートル以上にわたるが,粉じんの蓄積に従って数と大きさが増大し,隣接する結節と融合して塊状巣を作る。この変化に伴って,細気管支の狭窄や閉塞が起きるため,呼吸に伴い気管支に負担がかかり炎症性の変化が生じる。また,気道の抵抗が大きくなるため,末梢部の肺胞に負担がかかり,肺胞は次第に拡張して肺胞壁が薄くなり,壁の破壊が起こり局所性肺気腫が発生する(これを「気腫性変化」という。)(甲第80号証,第87号証)。

そして,平均して高濃度の粉じんを含む空気中で10年程度,低濃度で30から40年程度でじん肺の症状が現れる(甲第181号証の4の384頁)。

人体に侵入した粉じんが人体に与える影響は,以下のとおり,粉じんの化学的組成,粉じんの大きさ,粉じんの吸入量及び人体側の要因の4つの因子に左右される。

a 粉じんの化学的組成

炭鉱で生じる粉じんのうち,炭素を主成分とする炭じんは,遊離けい酸分を含む粉じんに比較すれば線維増殖性変化が弱いとされ,粉じん巣の広がりと変性の程度,気管支・血管の障害度,肺気腫の状態,粉じんのリンパ腺への移行の難易等の要素を含めてその有害度を評価すれば,炭じんによるじん肺は「軽度」のじん肺に分類評価される。しかし,大量に吸入したときの有害性は決して弱いものではなく,大量に吸入すれば,肺胞内での滞留量が増加し,その期間が長引けば,線維増殖性変化を起こし,粉じん性塊状巣が発生することも稀ではない。このように炭じんを大量に吸入すればじん肺の発症原因となることが一般的に承認されている(甲第96号証,第107号証,第108号証12頁,第117号証)。

b 粉じんの大きさと吸入された粉じんの付着

人間の呼吸は,一方で吸入された空気が,鼻腔,咽頭,喉頭,気管支,細気管支を経て肺胞に至り,肺胞において,空気中の酸素が肺胞壁に密着して存在する毛細血管に摂取され,他方で血液中の二酸化炭素が肺胞内の空気に排出されることで行われている(甲第80号証3頁,第82号証,第83号証の1,2)。

鼻腔から吸入された空気に含まれる粉じんは,肺胞に至るいずれかの部位に付着する。粉じんはその大きさによって沈着する部位が異なり,粒子の大きさが比較的大きいもの(概ね10ミクロン以上)はその大多数が鼻咽腔に付着するが,0.5から5ミクロンの大きさの粒子は,細気管支及び肺胞に達して付着する。じん肺の原因となる粉じんは,細気管支や肺胞に残留した5ミクロン以下の粒径の粉じんである(甲第80号証4~5頁,第90号証179頁,第126号証88頁)。

c 粉じんの吸入量

じん肺は,一般に,粉じんの暴露量が増加するに従って健康障害の程度も重くなる(量・反応関係)。したがって,同じ暴露時間であれば濃度が高いほど,同じ濃度であれば時間が長いほど,健康障害の程度が重くなる傾向にある(甲第126号証88~89頁)。

d 人体側の要因

もっとも,同じような粉じんへの暴露条件であっても,すべての労働者が等しくじん肺に罹患するわけではないことから,人体側の要因によって健康障害の程度が異なると考えられており,例えば,粉じん暴露開始年齢の差により,じん肺の重篤化について差があることが知られている(甲第126号証92頁)。

(ウ) じん肺の特徴

じん肺は,吸入した粉じんが肺に存在し続ける限りその病変が進行し(進行性),粉じんが肺に存在する限り元の正常な状態に戻ることはない(不可逆性)(甲第174号証の1の75頁)。一旦じん肺に罹患すると粉じんを吸入する作業を行う職場を離れた後もじん肺の病変は進行し,やがては死に至る(甲第174号証の1の116~117頁)。

(エ) 炭鉱におけるじん肺罹患についての知見確立時期

炭鉱においてもじん肺が発生するとの医学知見は,遅くとも,けい肺について昭和20年代の後半,炭肺について昭和30年代中ころには確立していた(争いがない。)。

イ  粉じんの発生

請求原因(2)イのうち,坑道掘進作業の概要については当事者間に争いがなく,この争いのない事実に加え,甲第181号証の4によれば,炭鉱における坑道掘進作業におけるすべての作業は粉じんを発生させるが,炭鉱における坑道掘進作業のうち,粉じんの発生が著しいものとして今日認識されているものは,以下のとおりであることが認められる(以下,括弧内に主要な証拠等を示す。)。なお,支柱作業については,粉じんの発生が著しいと認めるに足りる証拠はない。

(ア) 穿孔作業

さく岩機による穿孔作業は,粉じんの発生量が多く,かつ,作業の性質上,作業者は常に粉じん濃度の高い環境に置かれるので,じん肺に罹患する危険の最も高い作業の1つである(甲第181号証の4の382頁)。

(イ) 発破作業

発破により,岩石及び石炭が飛散して瞬間的に莫大な量の微粉じんが生じるほか,爆薬の不完全燃焼によって発生する微粒子も同時に空気中に飛散する。一般に,発破による粉じんは1立方センチメートル当たり10万個から30万個に達する。また,発破に先立って作業場に既に堆積していた粉じんが,発破による爆風と振動によって空気中に再び舞い上がる(甲第181号証の4の382頁)。

(ウ) 運搬作業

切羽におけるずり等の積込み及び運搬中の積替作業においては,岩石の破砕を伴うことから,粉じんが発生する。特に,機械を使った積込作業は,人力によるものよりも高能率であるが,人力による場合よりも発生する粉じん濃度が高い(甲第181号証の4の383頁)。

ウ  元従業員らのじん肺への罹患

(ア) 甲第3号証の1ないし10,第4号証の1ないし10,第38号証の1,第65,第66号証及び弁論の全趣旨によれば,元従業員らが,北海道労働基準局長から,別紙「管理区分一覧表」の「最終管理区分」欄に記載のじん肺管理区分の決定を,「最終処分区分決定年月日」欄に記載の日付けで受けたことが認められる。

(イ) 甲第2号証によれば,Oが,平成8年4月7日,じん肺を起因とする呼吸不全により死亡したことが認められる。

エ  小括

上記認定事実を総合すれば,元従業員らは,被告の請け負った炭鉱内の作業所において,坑道掘進作業に従事中に,大量の粉じんを継続的に吸入し,その結果じん肺に罹患し,罹患後における同作業の際に吸入した粉じんによってその症状が増悪し,別紙「管理区分一覧表」の「最終管理区分決定年月日」欄に記載の日付けで,北海道労働基準局長から,じん肺管理区分の決定を受け,さらに,Oは,その症状が進行して,平成8年4月7日死亡したということができる。

(3)  請求原因(3)ア(安全配慮義務の存在と被告の義務違反行為)について

ア  安全配慮義務の存在

雇用契約は,労働者の労務提供と使用者の報酬支払をその基本内容とする双務契約であるが,通常の場合,労働者は使用者の指定した場所に配置され,使用者の供給する設備,器具等を用いて労務の提供を行うものであるから,使用者は,報酬支払義務にとどまらず,労働者が労務提供のために配置される場所,設備若しくは器具等を使用し,又は使用者の指示の下に労務を提供する過程において,労働者の生命,身体等を危険から保護するように配慮すべき義務を負っているものと解するのが相当である。

そして,上記安全配慮義務の具体的内容は,労働者に生じる可能性のある危険の内容を基礎として,労働者の職種,労務内容,労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって定まるべきものである。

そして,本件は,石炭鉱山で就労していた元従業員らが粉じんを吸入したことによりじん肺に罹患したことに関して被告が負うべき安全配慮義務の内容が問題となっているから,上記義務の具体的内容は,じん肺の病像,じん肺についての医学的知見,炭鉱における各種作業と粉じんの発生状況,様々な粉じん防止対策の効果等を考慮した上で決することが必要となる。

そこで,これらの点について,前記で認定した事実に即して検討すると,石炭鉱山の地下坑内において坑道掘進作業に従事する労働者は,穿孔や発破作業において,一時的に莫大な量の粉じんを吸入する可能性があるほか,粉じんに絶えず暴露する状況に置かれており,労働時間のすべてをこの環境において過ごす状態にある。他方,じん肺は,長期の粉じん吸入の結果罹患する疾病であり,症状が進めばこれを治療する方法がないという特色を有し,じん肺の悪化は,単に労働に支障のある障害をもたらすという程度をはるかに超えて,肺という基本的な臓器の機能を失わせ人を死に至らしめるという人体に対する重大な侵害の結果を招来するものであるから,通常の業務において不断の注意を払う以外に,これに対処する方法がない。

そして,炭鉱における粉じんの吸入によりじん肺に罹患するとの医学的知見は,遅くともけい肺に関して昭和20年代後半ころには確立していことは,被告において争わないところであり,この事実と弁論の全趣旨を併せみると,被告もその知見を得ていたものと認められる。

そうすると,被告は,遅くとも昭和20年代後半ころ以降は,炭鉱内で作業する労働者に対する粉じんによる肉体への侵襲の可能性があることを知ったのであるから,これを予防するため,粉じんが発生する作業に利用される物的設備において常に適切な配慮を行い,粉じん発生の抑制と飛散の防止等に努めるとともに,労働者に対しては,粉じんの危険性を周知させ,そのじん肺罹患を自ら防御する意識を喚起させるに足りる教育を行うことにより,少しでも粉じん暴露の程度を軽減するように努めるべき義務を負うとともに,これらの粉じん予防措置の実効性を確認し,それを高めるため,坑内における粉じん濃度を定期的に測定し,また,労働者の健康状態を監視してじん肺に罹患した者を早期に粉じん作業から離脱させる義務を負っていたというべきである。

そこで,以下において,粉じん防止対策の概要と,主要な粉じん防止対策を検討した上で,被告が実際に行っていた粉じん防止対策・予防措置等が安全配慮義務の履行として適切なものといえるか否かについて検討する。

イ  粉じん防止対策総論

甲第176号証,第177号証の2,3,第178号証の1,2及び弁論の全趣旨によれば,粉じん防止対策の概要は,次のようなものであると認められる(以下,括弧内に主要な証拠等を示す。)。

粉じんが人体に吸入されないようにすることを目的とした,工学的見地からの有効な各種の粉じん防止対策は,大別すれば,①粉じんの生成を少なくする作業方法を選択すること,②生成した粉じんを発散させないようにし,また,作業環境に堆積した粉じんについては再発散させないこと,③浮遊している粉じんの沈降を促進し,また,浮遊している粉じんを希釈,排除及び吸引すること,④浮遊粉じんの吸入を防止するため防じんマスク等の呼吸用保護具を使用し,また,発じん現場から作業員を隔離することが挙げられる(甲第176号証17~23頁)。

このうち,①ないし③の粉じん防止対策は,水の使用と通気が中心となる。粉じん防止対策としては,水を適切に使用することが重要であるが,水だけでは必ずしも十分ではなく,通気の改善も必要である。また,①から③までの観点から様々な粉じん防止措置を講じたとしても,粉じんの発生等を完全に防ぐことは困難であるから,④のとおり粉じんの人体への吸入を防ぐことが必要となる(甲第177号証の2の25頁,第177号証の3,第178号証の2)。

このように,粉じん防止対策としては,粉じんの生成・発散防止その他の粉じん防止対策をした上で,さらに安全のために作業員に防じんマスクを着用させることによる粉じんの人体への吸入を防止する対策を行うことが必要である(甲第176号証22頁,第177号証の3の27頁)。

ウ  粉じん防止対策各論

甲第70,第71号証,第74号証,第90号証,第175号証の1,第176号証,第177号証の3,第179号証,第181号証の4,第184号証,第185号証の3,第186号証の2,第187号証の2,3,4,第188号証の2,第190号証,第191号証の2及び弁論の全趣旨によれば,粉じん防止対策の種類,効果,工学的技術の水準について,次のとおりの事実が認められる(以下,括弧内に主要な証拠等を示す。)。

(ア) 穿孔作業における防じん対策

穿孔作業で発生する粉じんの抑制・捕捉の方法としては,さく岩機の湿式化,集じん装置の使用,穿孔する周辺の岩盤への散水等がある。

a 衝撃式さく岩機の湿式化

① 湿式さく岩機の粉じん抑制効果

さく岩機の湿式化による粉じん抑制効果の調査は,古くから行われてきた。昭和20年代には,早稲田大学や労働科学研究所等が湿式さく岩機の利用による粉じん抑制効果についての研究を行ったが,測定器の誤差等が原因となって,期待するほどの粉じん減少が見られず,かつ,微細粉じんが増加するとの傾向が見られた(甲第176号証39頁)。

その後,昭和20年代後半に鉱山保安局等が行った金属鉱山における調査により,さく岩機を湿式として使用した場合の粉じんの抑制率は,乾式として使用した場合と比較して,おおむね80ないし90パーセントに達するとの結果が報告された。以後,さく岩機の湿式化が粉じん抑制に対して効果が高いことが定説となった(甲第176号証37頁,第181号証の4の382頁)。

今日では,一般に,湿式さく岩機への適正な給水は,水圧3ないし5気圧で毎分1ないし3リットルまでの範囲であれば,水圧が高く給水量が多いほど繰粉が速やかに排出され,粉じん抑制効果が高いとされる(甲第177号証の1の55頁)。

② 炭鉱における湿式さく岩機の普及と実用性

さく岩機は,その用途に従って,ドリフター(硬質又は大断面積の岩石坑道掘進に使用され,重量50ないし80キログラムのもの),ストーパー(斜度30度以上の上向きの穿孔に用いられ,重量10ないし40キログラムのもの),シンカー(下向き又は水平方向の穿孔に用いられ,重量10ないし25キログラムのもので,ハンドハンマー又はジャックハンマーとも呼ばれる。)に大別される。

石炭鉱山においては,掘進作業の規模,手軽に手早く仕事を行いたいという利便性,労働者の体力等の事情から,軽量のさく岩機の使用が好まれ,主として小型のハンドハンマー又はジャックハンマーが用いられてきた(甲第176号証36頁)。

戦前においては,一部の炭鉱において湿式さく岩機が導入された。大正15年に発行された「本邦重要鑛山要覧」には,長崎県の鹿町炭礦において,岩石掘進にインガーソルランド社製の手持ち噴水さく岩機が用いられたとの記載がある(甲第70号証1136頁)。

また,昭和初期において日本鉱山協会が出した「炭礦に於ける鑿岩機使用状況調査報告」によれば,調査対象の炭鉱44山のうち,昭和6年末の時点においてさく岩機の備付台数は合計3200台であるところ,そのうち湿式として利用可能な機種として,インガーソルランドBCRWが3山に10台,ホルマン式が4山に71台存在した(甲第71号証1~2頁)。

石炭鉱山における湿式さく岩機の利用に当たっては,実用面で乾式さく岩機に及ばない点があった。すなわち,①水により繰粉が粘土化して速やかに排出されず,ロッドが抜けなくなったり,繰粉が突然吹き出すなどの現象が生じること,②さく岩機をより深い切羽で使用するときは,地上からさく岩機に供給する水の圧力が高くなり,給水ホースの破損,接続部からの漏水,さく岩機の機体内への逆流が生じやすくなるなど,正常な動作が阻害されたこと,この問題を解決するための給水減圧弁が存在したが,その性能が不足していたこと等である(甲第175号証の1の32頁,甲第186号証の2)。

また,減圧弁,ロッドシャンク部からの漏水を防ぐためのシールラバー,逆流を防ぐための二重チューブ等については,遅くとも昭和38年ころには開発が進められていた(甲第186号証の2の4~5頁)。

③ 小括

以上によれば,小型の湿式さく岩機自体は,昭和30年ころには開発されており,さらに,昭和30年代以降,その実用に向け水の供給方法等に関する実際上の各種工夫が行われつつあったと認められる。

b 集じん装置の使用

湿式さく岩機の使用が様々な理由で困難な場合には,同等の防じん能力を有する集じん装置付きの乾式さく岩機を使用することが考えられる。その具体例としては,作業場において水量を確保できない場合,湿式によるさく岩で繰粉の排出が不良となり穿孔作業が困難となる場合等が挙げられる(甲第187号証の2)。

昭和30年代前半までに市販された集じん装置はいずれも欠点が多く,現場においては限られた一部鉱山において使用されたのみであった。その後,昭和39年に「電動負圧型」の集じん装置が認可を受け,優秀な集じん能力と実用性を備えていたが,炭じん爆発への対応が十分なものではなく,炭鉱での使用に不向きとされた(甲第176号証55頁,第187号証の2,3,4)。

(イ) 発破作業における防じん対策

発破作業に関連する防じん対策としては,①発破方法の工夫により発破自体による粉じんの発生を減少させること,②発破前後に水を利用して粉じんの飛散を抑制し,あるいは浮遊粉じんを捕捉すること,③発破による粉じんから作業員を退避させることが考えられる。

a 発破方法の工夫

発破による発じん自体を抑制する方法としては,1回当たりの発破起砕量を確実に確保して,発破回数を減少させること,適正な爆薬量を使用すること,粉じんの発生量が少ないといわれるミリセコンド発破(微少な時間差をもって多数の発破孔で起爆する方法)を行うことが挙げられる。ミリセコンド発破は,爆破された岩石の大きさが適度となり2次的小割を要せず,発破回数が減少することから,昭和20年代末ころから発達した(甲第176号証66頁,第185号証の3)。

b 水の利用

発破前には,散水により粉じんを洗い流し,また十分な水分を与えて粉じんが発破のショックにより飛散しないようにすることが必要である(甲第184号証36~37頁)。また,発破孔に込物としてポリエチレン袋に水を詰めた水タンパーを使用することにより,発じんを抑制することができる。水タンパーは,我が国においては昭和30年代前半から一部の炭鉱で研究が開始され,間もなく実用化された(甲第176号証68~69頁)。

また,主として防爆の観点から,メタン着火を防止する目的で,発破を行う数分前に発破面の一定距離内に水噴霧圏を作る方法がある(噴霧発破又は水幕発破)。噴霧発破は,粉じん防止の面からみても,硝煙(火薬を発火させたことによって出る煙)及び粉じんが濃密な噴霧によって抑制・沈降されるという効果があり,昭和40年ころから行われた(甲第176号証69頁)。

c 発破退避

発破による粉じんから作業者を保護するために,発破後立入りまでの退避時間を十分に長くとる必要がある。このため,発破時間や発破順を規制する終業前発破(いわゆる上がり発破),食事休憩前など一定時間に決めて実施する定時発破方法をとることが考えられる(甲第176号証70頁)。

(ウ) 通気による浮遊粉じんの除去

a 浮遊粉じんの性質

静止した空気中の粉じんは,小さいものほど長く空気中に浮遊滞留する。発じん後1時間では空中に10ミクロンの粒子が見られるが,3時間後には5ミクロンよりも小さい粒子だけとなり,4時間後には1から2ミクロンあるいはそれより小さい粒子だけが浮遊してゆっくり落下している状態となる。1メートルの距離を落下するのに1ミクロンの粒子は9時間を要するとされる(甲第90号証178~179頁)。粒子の運動は,2ミクロン程度を境界線にして運動の様相が大きく異なる(甲第74号証59頁)。

b 防爆目的の通気

石炭鉱山では,古くから,ガス及び炭じん爆発の防止を目的として,坑内の通気に注意が払われていた。石炭鉱山における通気は,坑外に設けた大型扇風機によって行われる坑内全体の通気(主要通気)と,坑内で主要通気が及ばない箇所において行われる通気(局部通気)により構成される(甲第176号証49頁)。

主要通気の方法として,我が国においては,中央式(相接して掘削された立坑又は斜坑の一方を入気坑,他方を排気坑とする方法)が多かったが,坑内が発展するにつれ,漏風が多いという欠点を解消して有効風量を確保するため,対偶式(入気坑と排気坑を遠く離れた場所に掘削する方法)に切り替わってゆく傾向にあった。主要通気は坑内の適当な地点で幾つかの分流に分かれ,各分流はそれぞれ別の区域に導かれ,排気となって再び合流し,排気坑から排出される(甲第176号証51頁)。

局部通気は,坑道に流れる主要通気を,何らかの通風施設を使用し,局部に流通させることで行う。通風施設として,炭鉱では,かつて,張出通風(坑道を縦に布張りや板張りで仕切って入気と排気の風道にして通気を行う通気法)が用いられたが,明治時代後期からは風管内にノズルを備えて圧縮空気を噴射させその力によって通風を行うエアージェットを利用した通気が行われるようになり,昭和初期からは局部扇風機が改良され使用されるようになった。風管は木製又は鉄製であったが,昭和30年ころからビニール加工布が使用されるようになった(甲第176号証50頁,第179号証33~40頁)。

風管による通気の方法には,吹込式と吸出式があり,ガスを希釈する目的においては吹込式が優れている(甲第179号証38~39頁)。

c 粉じん防止対策としての通気

前記のとおり,粉じん防止対策としては,水を適切に使用することが第1に重要であるが,水だけでは必ずしも十分ではなく,通気の改善が行われなければならない(甲第177号証の2の25頁)。

坑内の掘進先における浮遊粉じんを排出するためには,局部通気が重要となる。この場合の局部通気は,吹込式のみによっても粉じんの濃度を下げる時間を短縮できるものの,他の作業箇所の空気を汚染しないようにするためには,集じん装置付きの吸出式を併用することが望ましく,吸出風管内に噴霧散水装置を挿入するなどの工夫が必要となる。また,このような常時二重通気が行えないまでも,吹込通気を主体とし,吸出通気を補助的に使用する方法も考えられる(甲第74号証24~25頁,第181号証の4の394頁)。

炭じん爆発対策の場合は,炭じんとして数十ミクロン程度のものを問題とすればよいが,じん肺防止目的の場合は,1ミクロン以下の小さいものを取り扱わなければならず,特に粉じんの抑制に関する研究は,これらの粒子の空中における流動について究明しなければならないので,抑制対策を立てる場合両者で全く異った対策が必要である(甲第74号証59頁)。

(エ) 防じんマスクの使用

粉じんの発生,飛散及び浮遊は,様々な粉じん防止措置を講じたとしても,これを完全に防ぐことは困難であるから,粉じんの人体への吸入を直前で防ぐ方法として,防じんマスクの着用が考えられる。粉じんの生成・発散防止その他の粉じん対策を行った上で,更に安全のために防じんマスクを着用するという考え方が粉じん対策の本筋である(すなわち,防じんマスクの着用を他の粉じん対策の代用策と考えてはならない)。また,防じんマスクは着用者が注意して正しい着用法を守らなければその効果を期待できないし,また,適切に管理されなければならない(甲第74号証40~41頁,第177号証の3の27頁)。

a 防じんマスクの性能

防じんマスクの性能は,技術の発展に従い,時代とともに向上した。我が国において防じんマスクが商品化されたのは第1次世界大戦後のころで,ろ過材として天然海綿を使用した簡単な構造のものであった。大正13年,大西清治は防じんマスクのろ過材の素材について実験的研究を行い,脱脂綿が最も捕集効率が高いとした。昭和13年にも,吉井友秀ほかが防じんマスクの素材について同様の研究を行った(甲第188号証の2,第190号証)。

戦後,けい肺の防止が社会的に重大な関心を引くに至って,防じんマスクに関する研究開発が本格化した(甲第188号証の2の155頁)。

昭和25年12月,防じんマスクに関して初めて日本工業規格が定められた。同規格においては,マスクの種類を,高濃度用で捕集効率(捕集効率とは,ろ過材により捕集された粉じんの重量とろ過材を通過した粉じんの重量との関係から,ろ過材の防じん効力を算出したもの)を90パーセント以上の第1種と,低濃度用で捕集効率60パーセント以上の第2種に分け,毎分30リットルの通気に対する通気抵抗については呼気弁のあるものについて水柱(水柱とは,水の高さで示す圧力の単位。1気圧が水柱10.33メートルに相当する。)20ミリメートル以下,呼気弁のないものについて水柱10ミリメートル以下と定めた。同時に,労働衛生保護具検定規則が制定され,同規格による防じんマスクの国家検定制度が設けられた(甲第188号証の2の192~194頁)。

その後,技術の向上等から,日本工業規格が見直され,昭和28年に新しい規格が定められた。この規格では,用途別に高濃度粉じん用と低濃度粉じん用に分け,それぞれにつき捕集効率及び吸気抵抗の性能を定めて捕集効率の高い第1種から捕集効率に劣る第4種までの4種類に分類し,また,炭鉱での使用にかんがみ,ろ材が濡れている場合の性能も考慮された(甲第188号証の2の196頁)。

しかしながら,当時のマスクは,激しい労働をする者に着用が好まれない傾向にあり,保護具の通気抵抗について当時行われた調査によると,30リットル毎分の通気に対して10ミリメートルの通気抵抗がある防じんマスクについては半数以上の鉱夫が呼吸困難を訴えており,できれば通気抵抗は5ミリメートル程度であることが望ましいとされていた(甲第191号証の2の7頁)。

昭和37年に日本工業規格が改正された。同規格では,マスクの種類を構造上から隔離式と直結式に分け,粉じん捕集効率と吸気抵抗の性能に従って,特級,1級,2級に分類した(特級では粉じん捕捉効率99パーセント以上,呼吸抵抗10ミリメートル以下,1級では95パーセント以上,6ミリメートル以下,2級では80パーセント以上,6ミリメートル以下)。性能試験に用いる物質は従来の沈降性炭酸カルシウム(粒子の大きさの最大分布値は,0.5と1ミクロンの間にあると思われる。)を利用する方法を廃し,より粒子が細かい2ミクロン以下の石英粉じんを使用することに改められた(防じんマスクの研究が,けい酸粉じんの使用による微小粉じんのろ過の方向に進み,ミクロンフィルターが出現したことに対応するもの。石英は過酸化けい素成分とし粒子が炭酸カルシウムより微小である。)。また,吸気抵抗上昇率についても規制した(甲第188号証の2の198~204頁)。

防じんマスクに関する日本工業規格は,昭和47年の小規模な修正を経て,昭和58年に大幅に改正された。同規格では,構造について,ろ過材が交換可能であること,顔面への密着性の良否が使用者によって随時容易に検査できること等が要求され,また,ろ過材自体の捕捉効率による等級区分を廃止し,一律に95パーセント以上,吸気抵抗は水柱8ミリメートル以下,吸気抵抗上昇は石英粉じん100ミリグラム捕集時に水柱16ミリメートル以下と規定された(甲第188号証の2の204~210頁)。

b 防じんマスクの使用法

防じんマスクの性能は国家検定制度によって保証されているが,その使用方法が適正でなければ性能を発揮することができない。使用に当たっては,着用者の顔にあった防じんマスクを選択すること,適正な着用の方法,ろ過材の保守点検等に留意されなければならず,適切な教育が必要である。これらの点は,昭和20年代後半から様々な文献によって解説されてきた(甲第188号証の2の169~187頁)。

エ  被告が行うべきであった粉じん対策,予防措置等

前記のとおり,元従業員らは,始期の最も早い者で昭和32年から,終期の最も遅い者で昭和62年までの間,被告の経営する炭鉱において坑道掘進作業に従事し,被告は,遅くとも昭和20年代後半ころ以降は,炭鉱において発生する粉じんを吸入することによってじん肺が発生し得ることの医学的知見を得ていたのであるから,元従業員らを含む労働者に対し,法規制の有無を問わず,また,防爆目的の炭じん対策とは区別された次に述べるじん肺対策としての各種方策を,相当な期間内に採用して余すところなくすべて講じ,かつ,各種作業における粉じんの実態調査を定期的にして,防じん対策の効果について絶えず検証するとともに,作業員に対しては,じん肺罹患の危険を回避するのに十分なじん肺教育を行い,作業員の健康診断とじん肺に罹患した作業員については必要な配置転換の措置を講ずべき安全配慮義務があったというべきである。

(ア) 穿孔作業

衝撃式さく岩機を使用する穿孔作業では,穿孔前に散水すること,けい酸質指定区域の内外を問わず湿式の衝撃式さく岩機をできる限り利用すること,やむを得ず乾式さく岩機を用いる場合には乾式さく岩機用集じん機の利用を励行すること。

(イ) 発破作業

発破前後に散水すること,粉じん発生の少ない発破方法(ミリセコンド発破等)を採用すること,発破時には粉じんが除去されるのに十分な時間,作業員を退避させること,発生した粉じんを適切な局部通気(水の利用も含む。)により迅速に除去すること。

(ウ) 積込作業,運搬作業

積込作業では,十分に散水すること。運搬作業では,積替時や荷下ろし時に散水をすること。

(エ) 防じんマスク

粉じん作業に従事する労働者に対して,国家規格に合格した高性能な防じんマスクを支給し,かつ着用を指導監督すること。

(オ) じん肺教育

岩石粉じんのみならず炭じんについてもその吸入が人体に有害であることを労働者に理解させ,じん肺罹患を予防するための措置の必要性について周知徹底するとともに,じん肺に罹患した場合の対応について労働者に適切な知識を与えること。

(カ) 健康診断及び配置転換

じん肺の罹患の有無を判断することを目的とした健康診断を定期的に実施し,その罹患状態を把握すること。じん肺の所見が認められた者については,診断結果を通知するとともに,作業転換等,粉じん暴露時間を減少させるために適切な措置をとること。

(キ) 調査研究

各種作業における粉じんの実態調査を定期的に行って,防じん対策の効果について絶えず検証すること。湿式さく岩機や散水等を効果的なものとするため,各種技術の開発を行うこと。

オ  被告における粉じん対策の履行状況

甲第41号証の2,第58号証の4,第62号証の2,第63号証の3,乙第31号証の1ないし5,第32号証,第42号証の1ないし3,証人Q及び同Rの各証言,原告A,同C,同D,同B及び同Gの各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(以下,括弧内に主要な証拠等を示す)。

(ア) 穿孔作業-湿式さく岩機の使用等

被告は,昭和48年ころから,湿式さく岩機を試験的に導入したが,その後,保安監督官による保安検査がある日に用いる程度で,日常的に湿式さく岩機に水を用いて穿孔作業をする体制はとらなかった。日常的に湿式さく岩機に水を用いるようになったのは,昭和59年ころからである(甲第41号証の2,証人R調書25頁,28頁,原告B調書41頁,同G調書11頁)。

被告は,Mとの間で,湿式さく岩機を使用するために必要な清水を確保するための交渉をしなかった(証人R調書59~61頁)。

(イ) 発破作業

被告は,坑道の天井から広い範囲に水を散布する装置を用いて,発破の5~6分前から一定区間に散水して噴霧状の状態にし,発破後も約5分間水を出しっぱなしにさせていた(証人R調書30~32頁,原告A調書43頁,同C調書11頁,)。

散水の目的は,主に炭じん爆発防止であった(甲第62号証の2,第63号証の3,原告C調書15~18頁)。

被告は,発破方法として,ミリセコンド発破を採用していた(甲第58号証の4,原告A調書23頁及び弁論の全趣旨)。

発破後の退避時間は,10分程度であった(原告A調書25頁)。

発生した粉じんを除去するための風管は,発破によって飛散した岩石等により破損し,十分に機能を発揮できないことが多かった。破損した風管を取り替えるべきときにも風管の供給が遅れることもあった(原告C調書12頁,証人R調書42頁)。風管の使用は,メタンガスを薄めて排出することが主たる目的であった(証人R調書67頁)。

(ウ) 運搬作業

被告は,ずりを積む際に,ずりの表面に水を掛けさせただけで,それ以上に散水をすることは禁止し,粉じんが舞い上がるのを十分に防止できるような散水はさせなかった(原告A調書48頁,同C調書15頁,証人R調書34頁,66頁)。

(エ) 防じんマスク

被告は,防じんマスクやこれに付属させるフィルター等を,現場作業所において,元従業員らに自費で購入させていた(証人Q調書23~24頁)。

被告は,防じんマスクの性能について自ら調査することはなく,Mが用いているものと同一の物をMから払い下げを受け,元従業員らに販売していた(証人Q調書24~25頁)。

被告は,元従業員らに対し,防じんマスクを正しく使用することがじん肺の予防について重要であるとの説明はしていなかった(証人R調書73~74頁,証人Q調書54頁,弁論の全趣旨)。

(オ) じん肺教育

被告は,昭和50年代に至るまで特にじん肺にテーマを絞った形式の教育をしていなかった(証人R調書69頁)。

被告は,年に1度,30~40分程度,一部の従業員に対し,札幌支店の安全課長による保安教育をしていた。しかし,その内容は,保安に関することが大半で,じん肺についてはほとんど触れられず,また,その教育を受ける機会が与えられていたのは全体の3分の1程度の従業員だけであった(原告A調書60~62頁)。

被告は,昭和58年ころ,一部の従業員に対し,札幌支店の安全課長により,じん肺について,けい酸分の多い岩石の粉じんを吸うとじん肺になりやすい等の説明をしたが,じん肺が不治の病であるとの説明はなかった(乙第31号証の1ないし5,第32号証,原告C調書23頁)。

(カ) 健康管理・配置転換

被告は,昭和48年以降,じん肺の罹患者を採用しないように,採用時のチェックを厳しくした(証人Q調書19頁)。

被告は,年1度,従業員に対し,定期健康診断を実施し,胸のレントゲン撮影もしていた(証人Q調書55頁)。

しかし,その旨は従業員に十分に知らされず,また,その結果も異常がない限り知らせていなかった(原告A調書62頁)。

Oは,昭和56年にじん肺管理区分の決定を受け,昭和60年ころ管理3ロの決定を受けた。被告は,前記Oに対し,昭和62年に退職するまでの間,非粉じん作業への配置転換をせず,坑道掘進作業を継続させた(乙第42号証の1ないし3,原告D調書7~8頁)。

(キ) 調査研究

被告は,粉じんの濃度を測定しておらず,発破係員が目測する程度であった(原告B調書19~20頁)。

(ク) その他

被告は,じん肺の予防を目的として,粉じんが発生防止策,粉じん飛散防止策,粉じん吸引防止策を具体的な施策としてとっていなかった。じん肺の発生を阻止する有効な手段がとれないとの認識を持ちつつ,坑道掘進作業の受注を中止するか否かについての検討はしなかった(証人R調書71頁,76頁,証人Q調書58頁)。

カ  被告の安全配慮義務違反行為

以上の認定事実について,前記認定した被告に求められる安全配慮義務の内容との関係で検討すると,被告は,(ア)穿孔作業においては湿式さく岩機をできる限り使用すべきであるのに,その導入が遅れ,その導入後も水を使用せず,また,水を確保するための努力も怠っていたこと,(イ)発破作業の際の散水,通気について,防爆対策とは異なった観点から粉じん対策としてするべきであったのにこれを怠ったこと,交換すべき風管を速やかに供給すべきであったのにその供給が遅れることもあったこと,(ウ)ずり積み時には十分な散水をすべきであったのにこれをさせなかったこと,(エ)防じんマスクを正しく使用することがじん肺の予防のために重要であることについての説明をしていなかったこと,(オ)じん肺について昭和58年ころに至るまで特別な教育をしていなかったこと,(カ)じん肺についての検査を行っていることを知らせていなかったこと,Oについて非粉じん作業への配置転換を怠ったこと,(キ)粉じん濃度の測定を目測程度しか行っていなかったことが認められる。

そうすると,被告は,求められる前記認定のじん肺の罹患を防止するための安全配慮義務を尽くしたということはできず,粉じんの実態調査,発じん抑制(散水,さく岩機の湿式化等),粉じん暴露回避措置(防じんマスク),じん肺教育,配置転換等の面における安全配慮義務の不履行があり,そのため,元従業員らは大量の粉じんを吸入し,その結果,じん肺に罹患し,増悪し,さらに,Oは死に至ったものというべきであるから,被告は,上記安全配慮義務の不履行につき,その責めを免れることはできないというべきである。

これに対し,被告は,坑道を含めて鉱山全体はMが所有し,被告には,様々な施設,機械類等について,独自に維持管理できず,Mの指示に従わざるを得ないという制約があった旨主張する。

しかし,前記認定の事実に加え,乙第16号証,証人Qの証言及び弁論の全趣旨によれば,①被告は,元従業員らに対し安全配慮義務を負っていたこと,②被告は,Mとの関係においても,被告の従業員に対して使用者としての責任を負う旨の合意があったこと(乙第16号証,弁論の全趣旨),③被告が,芦別炭鉱内におけるMからの掘進作業の受注をやめることは十分可能であったこと(証人Q調書58頁)が認められる。

以上によれば,被告の上記主張の事実を仮に前提としたとしても,Mが被告と連帯して責任を負うことが有り得ることはともかくとして,被告が元従業員らに対してその責を免れるものではなく,また,責任が軽減するものでもない。

(4)  請求原因(3)イ(下請企業の従業員に対する安全配慮義務)について

ア  安全配慮義務は,ある法律関係に基づき特別な社会的接触関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として,当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務であり,必ずしも直接の雇用契約関係を必要としないと解され,被告と下請企業の従業員との間に,上記特別な関係が認められる場合には,被告は下請企業の従業員であった者に対しても安全配慮義務を負うことになる。

イ  甲第37号証1,5,9,第40号証の1ないし12,乙第21号証の1,証人Qの証言,原告A,同G及び同Kの各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる(以下,括弧内に主要な証拠等を示す。)。

(ア) P班は,被告が班体制をとっていたときの班の1つであり,昭和52年2月,会社組織化され有限会社Pとなった(証人Q調書44頁,弁論の全趣旨)。

(イ) P班が有限会社Pとなった際,被告に雇用されP班に所属していた労働者は,有限会社Pが雇用する形式となった。

しかし,坑道の中においては,有限会社Pの労働者の安全等を監督する責任や安全対策は,被告が負うこととされていた(乙第21号証の1,証人Q調書45頁)。

被告は,有限会社Pに雇用されている労働者に対し,各種表彰状を授与していた(甲第40号証の1ないし12,原告A調書54頁,同G調書13~18頁,同K調書10~11頁)。

また,P班が有限会社Pとなった際,P班にいた被告の従業員に対し,有限会社Pが雇用する形式となったことについて,明確な説明はなく,仕事の内容に変化もなかった(原告A調書55頁,同G調書14頁,同K調書9頁)。

ウ  以上の事実によれば,被告は,有限会社Pと雇用契約を締結していた労働者との間に実質的な使用従属関係があったというべきであるから,信義則上,粉じん作業従事者に対し,粉じん作業雇用契約に基づく付随的な安全配慮義務と同一の性質及び内容の義務を負うというべきである。

したがって,被告は,原告A,同G及び同Kに対し,これらの者が有限会社Pに雇用されていた(1)イ(ウ)に記載の期間も,上記安全配慮義務を負っていた。

(5)  請求原因(3)ウ(民法719条1項後段の類推適用)について

元従業員らの中には,被告において掘進夫として従事したほか,被告に安全配慮義務が認められない場所で粉じん作業に従事していた者もいる。このような場合,被告が,いかなる範囲で責任を負うべきかについて検討する。

ア  民法719条1項後段は,「共同行為者中ノ孰レカ其損害ヲ加ヘタルカヲ知ルコト能ハサルトキ」にも共同行為者は各自連帯してその賠償の責に任ずる旨を規定している。この規定は,①複数の行為者がそれぞれ因果関係以外の点では独立の不法行為の要件が充たされている場合において,②被害者に生じた損害が各加害者の行為の全体により発生したことが明らかである一方,加害者の個別の行為との関係では因果関係の存在を特定することが困難なときに,③加害者の各行為が,損害をもたらし得るような危険性を有し,④現実に発生した損害の原因となった可能性があることを要件として,加害者の個別の行為と損害との間の因果関係の存在を推定し,各加害者においては自己の行為と損害との間の因果関係がないことを主張・立証しない限り,その責任の一部又は全部を免れることができないことを規定したものと解するのが相当である。なぜなら,損害発生の原因となる可能性のある行為が存在するにもかかわらず,他に同様な行為が存在することによって損害との間の因果関係の特定が困難になるため,被害者が救済を受けられないとすれば,同結果は極めて不都合であるというほかはなく,これを回避するために一定の要件のもとに因果関係の存在を推定することが上記規定の意図するところであるというべきであるからである。

そうすると,その理は,違法な共同行為と損害との間の因果関係に関する法的判断一般に類推することにつき何ら妨げがないということができるから,債務不履行に基づく損害賠償責任についても民法719条1項後段を類推適用することが相当である。

イ  したがって,時,場所を異にし,複数の粉じん作業使用者の下において,粉じん吸入のおそれのある複数の職場で就労し,その結果,じん肺に罹患した労働者が,複数の使用者の一部又は全部に対して,安全配慮義務違反を理由に損害賠償を求める場合には,複数の職場における粉じん吸入によって,現に罹患したじん肺になり得ることが認められる限り,労働者のじん肺罹患と複数の使用者の各債務不履行との間の因果関係が推定されるものというべきである。そして,じん肺に罹患した労働者としては,そのじん肺罹患と一部使用者の債務不履行のみとの間の因果関係を立証することができなくても,単独又は相加的に影響して現に罹患したじん肺をもたらし得るような危険性を有し,じん肺の原因となった可能性があることを,主張・立証することができれば,各使用者らの債務不履行との間の因果関係が推定されるというべきである。

ウ  これを本件についてみると,被告が,安全配慮義務の履行を怠ったこと,元従業員らがじん肺に罹患し,Oがじん肺を起因として死亡したことは,前認定のとおりであるところ,元従業員らが,被告及び被告以外の粉じん作業における雇用主の下での作業以外で,じん肺に罹患するほどの粉じんを吸入することはあり得ないから,元従業員らは,これらの作業に従事中に継続的に吸入した粉じんによりじん肺に罹患したものと認めるのが相当である。そして,元従業員らは,被告及び有限会社Pにおいて,少なくとも10年以上の期間,粉じんに暴露される職歴を有し(なお,前記認定のとおり,高濃度の粉じんを含む空気を吸入した場合,10年程度でも症状が現れるとされる。),被告の安全配慮義務違反の結果,じん肺に罹患させる可能性のある粉じんの吸入を余儀なくされ,上記安全配慮義務違反の行為は,それ自体,じん肺の発症をもたらし得る危険性を有していたものである。そうすると,被告の上記安全配慮義務違反行為は元従業員らのじん肺罹患及びOのじん肺を原因とする死亡との間に因果関係があるものと推定される。

そして,元従業員らの中には,被告以外において粉じん作業に従事した期間がある者がいるが,その元従業員らに生じた損害が専ら被告以外での就労に基づくものであると認めるに足りる証拠はない。

また,上記認定のとおり,元従業員らが,被告及び有限会社Pにおいて,少なくとも10年以上もの期間,粉じんに暴露される職歴を有することからすると,被告以外において粉じん作業に従事した期間があることをもって,公平の観点から,被告の責任を減少させる事由があるともいえない。

エ  したがって,被告は,元従業員らがじん肺に罹患したこと,そして,Oが死亡したことによる損害について,その全額につき責任を負うものというべきである。

(6)  請求原因(4)(損害)について

ア  損害の内容

原告らは,各4000万円の慰謝料を請求するものであり,これについて,じん肺罹患によって被った財産的・精神的損害につき個別にこれを主張しないが,その総和は4000万円をはるかに上回るものであると主張する。

しかしながら,他方において,原告らは,上記4000万円の請求の内容を慰謝料と表示し,本件の損害賠償請求はじん肺被害に起因する財産的損害以外の損害を包括的に請求するものであると主張しているところに照らせば,原告らは,本訴において,財産的損害に係る請求を実質的に放棄し,生命,身体,人格等に対する法益侵害により生じた精神的損害に係る請求のみをしているものと解することができる。

イ  慰謝料算定

(ア) 判断要素

原告らの請求する損害が上記の内容であるとすれば,その損害額の算定に当たっては,まず,精神的苦痛の主要な原因たるじん肺による健康被害の客観的な程度について考察した上,じん肺の罹患が元従業員らに与えた苦痛の特質,症状の程度,じん肺の罹患が元従業員らの生活全般に与えた影響を考慮し,さらに,被告による安全配慮義務違反の態様,じん肺罹患に対して既になされた補償措置等の諸般の事情をも総合して,これを判断すべきと解される。

(イ) 判断

a じん肺患者は,じん肺に罹患したことにより,じん肺というそれ自体深刻な性質を有する疾病を,死亡に至るまで宿すことを受け容れなければならない。その深刻さは,まず第1にじん肺の不可逆性,すなわち,肺内で生じたじん肺の病変は,線維増殖性変化,気腫性変化のいずれもが可逆性を持たないものであり,病変そのものについては本質的な治療の方法がないという点に存し,第2に,じん肺の進行性,すなわち,肺における線維増殖性変化は,粉じん作業の継続により粉じんの吸入を続ければ進行し,粉じん作業から離脱して,粉じんの吸入を止めた後であっても,進行を続けるという点に存する。

b じん肺を直接の原因として死亡した場合,死亡により,じん肺罹患による苦痛の程度が最大化されたものとして,これを慰謝料算定において考慮すべきである。

c さらに,被告は,元従業員らの健康管理とじん肺罹患の予防につき十分の配慮をすべき立場にあったものであるが,前記で認定したとおり,粉じん一般の危険性が認知されるようになった時期以降においても,被告は坑内労働者のじん肺罹患の高度の危険性に応じた十分な対処をとることを怠ったという事情がある。

また,被告において,じん肺患者に対する労災給付につき,金銭的出捐をしているとしても,それによって,財産的損害についての填補はともかく,じん肺罹患による精神的な苦痛については,これを十分に和らげたものとは言い難い。

d じん肺管理区分について

じん肺法は,じん肺の進行を予防するという目的から健康管理措置を講じるための前提としてじん肺管理区分を設けているものであるが,その判定は,エックス線写真像の進展による器質的変化の程度と肺機能障害の程度とを組み合わせて行い,じん肺の進展経過に応じてじん肺と密接な関係があると認められる合併症の有無についても判断して療養の要否を定めることにしていることからすれば,その判定枠組み自体,じん肺罹患による健康被害の程度を判断するという目的においても,極めて有効なものということができる。

また,その判定手続についても,労働者を診察した医師によるじん肺健康診断の結果を都道府県労働基準局に提出させ,じん肺審査医の診断又は審査に基づき,じん肺管理区分の決定を行う仕組みをとっており,統一的な判断基準に基づき専門医が判断したところに基づいて行政機関が決定をしていることからすれば,その判定は特段の事情がない限り信頼するに足るものということができる。

さらに,管理2,3イ及び3ロの各決定を受けた者については,法定合併症の認定がない限り,非粉じん作業に従事することを許容されているが,法定合併症の認定がある場合については,療養すべきものとして労災給付が支給されることとされていることからすれば,合併症の認定の有無は,身体状況に関する判断の重要な要素として,考慮に入れるべきであると考えられる。

以上に対し,被告は,じん肺管理区分は,じん肺の予防と健康管理を目的としたものであって,その判定は原告ら元従業員のじん肺の症状を必ずしも適切に反映していないとし,測定方法上の問題,判定基準上の問題を指摘するけれども,上記の認定に反する限りにおいてこれを採用することはできない。

なお,じん肺は,進行性の疾病であり,粉じん作業から離脱してもなお線維増殖性変化が進行する場合があることは前記認定のとおりであるが,各人についてその将来における進行を確実に予見することは不可能といわざるを得ないから,元従業員らの個別の健康被害の程度は,口頭弁論終結時における状況につき判断するほかはなく,元従業員らの損害が一律に評価されるべきとまでいうことはできない。

(ウ) 慰謝料の基準額

以上で認定した,じん肺罹患による健康被害の程度に関する考え方と,じん肺罹患による精神的苦痛の内容とを総合すれば,元従業員らの慰謝料については,次のとおりの基準に従って律することが適当である。

a じん肺に起因する死亡 2200万円

b 管理4の決定を受けたもの 2000万円

c 管理3ロの決定を受け,法定合併症のあるもの 1800万円

ウ  弁護士費用

原告らがその訴訟代理人に本件訴訟の遂行を委任したことは記録上明らかであるところ,本件訴訟の複雑性,審理の経過,認容額及び被告の応訴態度等諸般の事情を考慮すれば,原告らに支払うべき慰謝料元本額の1割に相当する額をもって,被告の債務不履行と相当因果関係にある損害であると認めることが相当である。

(7)  請求原因(5)について

甲第1号証の1ないし3,第2号証によれば,請求原因(5)アないしウの事実がいずれも認められる。

2  抗弁について

(1)  抗弁(1)(消滅時効)について

ア  雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は,民法166条1項により,同損害賠償請求権を行使し得る時から進行し,その時効期間は,同法167条1項により10年と解される。

イ  そして,一般に,安全配慮義務違反による損害賠償請求権は,その損害が発生した時に成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ,じん肺に罹患した事実は,その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから,元従業員らの被告からの退職の日を基準として消滅時効の起算日と解することが不相当であることは明らかであるが,他方,じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時においては,少なくとも損害の一端が発生したものということができる。

ウ  ところで,前記で認定した事実関係によれば,じん肺は,肺内に粉じんが存在する限り進行するが,それは肺内の粉じんの量に対応する進行であるという特異な進行性の疾患であって,しかも,その病状が,管理3ロに相当する症状にとどまっているようにみえる者もあれば,最も重い管理4に相当する症状まで進行した者もあり,また,進行する場合であってもその進行の有無,程度,速度も,患者によって多様であることが明らかである。そうすると,例えば管理2,3イ,3ロ,4と順次行政上の決定を受けた場合には,事後的にみると一個の損害賠償請求権の範囲が量的に拡大したにすぎないようにみえるものの,このような過程の中の特定の時点の病状をとらえるならば,その病状が今後どの程度まで進行するのかはもとより,進行しているのか,固定しているのかすらも,現在の医学では確定することができない。

エ  以上のようなじん肺の病変の特質にかんがみると,重い決定に相当する病状に基づく損害は,その決定を受けた時に発生し,その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり,最初の軽い行政上の決定を受けた時点又は最初に要療養の行政上の認定がされた時点において,その後の重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が発生していたとみることは,じん肺という疾病の実態に反するものとして是認し得ない。

また,管理3ロの者であって,法定合併症に罹患していると認められる者については,合併症に罹患していない者との比較において,療養の対象とされ,労災補償給付が支給されている点からすると,その健康被害の程度が大きく,質的に異なる程度のものに至っているものということができる。そして,合併症に罹患した事実も,その旨の行政上の認定がされたときに明らかになるから,合併症の症状を付加された管理3ロの罹患者の損害は,その時点で発生し,その損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきである。そして,じん肺により死亡した場合には,死亡した者の損害はその時点で発生し,行使することが法律上可能となるものというべきである。

したがって,雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は,じん肺の所見がある旨の最終の行政上の決定を受けた時,あるいは,合併症に罹患した場合はその旨の最初の認定を受けた時,死亡した場合は死亡した時から進行するものと解することが相当である。これに反する被告の主張は採用することができない。

オ  なお,被告は,消滅時効の起算点を上記のように解する場合は,管理2又は3の行政上の決定を受けた後10年以上経過後に本訴を提起し,その後に更に進んだ行政上の決定を受けた元従業員らについては,先行する行政上の決定に係る損害の請求権は時効消滅したものとして控除されるべきである旨主張する。

しかしながら,じん肺の病変の特質に鑑みると,管理2,3イ,3ロ,4と順次行政上の決定を受けた場合を同種の損害が量的に拡大したと評価することが妥当ではないことは前述のとおりであるから,重い決定に基づく損害は,従前の軽い決定とは別個に発生したものと解すべきであって,従前の軽い決定に相応する損害部分を控除することは許されないというべきである。死亡した場合についても同様である。

カ  以上により,原告らの被告に対する損害賠償請求権についての消滅時効の成否を検討すれば,前記認定のとおり,元従業員らは,別紙「管理区分一覧表」の「最終管理区分決定年月日」欄に記載の年月日に最終のじん肺管理区分の決定を受け,また,Oは,平成8年4月7日に死亡しているところ,本訴提起の日が平成10年7月31日であることは当裁判所に顕著であるから,いずれの原告との関係でも消滅時効は完成していない。

キ  したがって,抗弁(1)は理由がない。

(2)  抗弁(2)(過失相殺1-喫煙)について

被告は,元従業員らがじん肺に対して極めて有害である喫煙をしていた疑いがあるから,公平の理念に照らし損害の相当部分が損害額から控除されるべきであると主張する。

そして,原告A,同C,同D,同G,同I,同H,同J,同K,同Lの各本人尋問の結果によれば,元従業員らの中には喫煙をしていた時期があった者がいることが認められるが(原告A調書91頁,同C調書42頁,同D調書30~31頁,同G調書30~31頁,同I調書22頁,同H調書27頁,同J調書26~27頁,同K調書26~27頁,同L調書39頁),その喫煙がじん肺の発症,増悪等元従業員らの健康状態の悪化に対して具体的にいかなる影響を与えたかについては,これを明らかにするに足りる証拠はない。

よって,喫煙していたことをもって過失相殺すべき事情ということはできない。

したがって,抗弁(2)は理由がない。

(3)  抗弁(3)(過失相殺2-原告の個別事情による減算)について

ア  抗弁(3)アについて

被告のじん肺教育が十分なものと認められないことは前記のとおりであり,被告が,Oに対し,非粉じん作業への職場転換を勧めた際,粉じん作業を継続することの危険性についてどのように説明していたかも明らかではなく,そうすると,仮にOが掘進作業を継続することに同意していたとしても,その事実のみをもって,Oに過失があり,過失相殺すべき事情があるということはできない。

したがって,抗弁(3)アは理由がない。

イ  抗弁(3)イについて

乙第43号証,原告C及び同Lの各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば,原告Cは,昭和33年3月,被告に雇用され,昭和36年11月から発破係員になり,発破をかける作業と保安を担当していたこと(原告C調書3~6頁),同Lは,昭和36年,被告に雇用され,昭和39年12月から発破係員として,発破をかける作業と保安を担当するようになり,昭和53年ころから,保安上席として,発破をかける作業はしなくなったこと,発破係員が細かい粉じんを吸う量は,他の掘進夫よりも少ないものではないこと(原告L調書3~8頁,14~15頁)が認められる。

そして,原告C及び同Lが保安を担当する立場にあったという一事をもって,過失相殺の対象となるとはいえず,その他いかなる過失があったのかについて具体的な主張はない。

したがって,抗弁(3)イはいずれも理由がない。

ウ  抗弁(3)ウについて

前記認定の事実に加え,乙第48号証,原告B本人尋問の結果によれば,原告Bは,昭和39年12月,発破係員となり,昭和57年労務上席となったこと,労務上席の仕事も,月に2回程度坑内に入ることが認められる(乙第48号証32頁,原告B調書10~15頁)。

そして,原告Bが保安を担当する発破係員立場にあり,昭和57年以降はデスクワークが中心の労務上席であったという事実をもって,過失相殺の対象となるとはいえず,その他いかなる過失があったのかについて具体的な主張はない。

したがって,抗弁(3)ウは理由がない。

(4)  抗弁(4)(損益相殺)について

被告は,元従業員らないし原告らが労働者災害補償保険法及び厚生年金保険法に基づき受領し,又は受領する予定の各種保険給付を原告らの損害額から損益相殺として控除すべきであると主張する。

ところで,労働者災害補償保険法による保険給付の実質は,使用者の労働基準法上の災害補償義務を政府が保険給付の形式でするものであるが,同保険給付の原因となる事由が使用者の行為によって惹起され,使用者が同行為によって生じた損害につき損害賠償責任を負うべき場合において,政府が被害者に対して労働者災害補償保険法に基づく保険給付をしたときは,被害者が使用者に対して取得した損害賠償請求権は,その保険給付と同一の事由については損害の補填がされたものとして,その給付の価値の限度において減縮すると解される(労働基準法84条2項,労働者災害補償保険法12条の4参照)。

ここにいう保険給付と損害賠償とが同一の事由の関係にあるとは,保険給付の趣旨,目的と民事上の損害賠償のそれとが一致すること,すなわち,保険給付の対象となる損害と民事上の損害賠償の対象となる損害とが同性質であり,保険給付と損害賠償とが相互補完性を有する関係にある場合をいうものと解するのが相当であって,単に同一の事故から生じた損害であることをいうものではない。そして,同一の事由の関係にあることを肯定できるのは,民事上の損害賠償の対象となる損害のうち,労働者災害補償保険法による休業補償給付,傷病補償年金,遺族補償年金が対象とする損害と同性質である財産的損害のうちの消極損害(いわゆる逸失利益)のみであって,財産的損害のうち積極的損害及び精神的損害は同保険給付が対象とする損害とは同性質とはいえないものということができる。

そうすると,本件において原告らが賠償を請求する損害は,1(6)アで認定のとおり精神的損害のみであるから,元従業員らないし原告らが既に受領し,又は将来受領すべき前記労災保険給付を慰謝料から控除することは許されないというべきである。

また,厚生年金保険法に基づく保険制度は,労働者の老齢,障害又は死亡の事由があるときに保険給付を行い,労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とするものであり,消極的損害の填補の性質を有することは否定できないものの,その対象が精神的損害の填補に及ぶとは考えられないから,上記法律に基づく保険給付についても,本件請求にかかる慰謝料から控除することは許されないと解するべきである。

したがって,抗弁(4)は理由がない。

3  結語

以上によれば,本訴請求は,各原告が被告に対して債務不履行に基づき別紙「請求及び認容額一覧表」の「認容総額(元本)」欄記載の額の損害賠償金及びこれに対する訴状送達の日(請求の日)の翌日であることが記録上明らかな平成10年8月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,各原告のその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担について民事訴訟法64条本文,65条1項本文,61条を,仮執行の宣言について同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橋本昇二 裁判官 岩松浩之 裁判官 島田正人)

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