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札幌地方裁判所 平成11年(わ)139号 判決 2003年2月27日

被告人甲野太郎ほか2名に対する商法違反被告事件判決理由目次

第1 本件公訴事実の要旨/128

第2 当事者双方の主張の概要及び本件の主たる争点

/128

1 検察官の主張/128

(1) 被告人甲野及び同乙野関係

(2) 被告人丙野関係

2 弁護人の主張/129

(1) 被告人甲野

(2) 被告人乙野

(3) 被告人丙野

3 本件の主たる争点/130

第3 概ね争いのない事実

1 被告人らの経歴

(1) 被告人甲野/130

(2) 被告人乙野/130

(3) 被告人丙野/130

2 被告人甲野及び同乙野と同丙野の交際状況/130

3 拓銀の概要,沿革等

(1) 拓銀の概要/130

(2) 拓銀の沿革及び経営状況等

ア 拓銀の沿革及び被告人甲野の頭取就任以前の経営状況等/131

イ 被告人甲野の頭取在任中における拓銀の経営状況等/131

ウ 被告人乙野の頭取在任中の拓銀の経営状況等/132

エ 拓銀の破綻に至る経緯/132

4 Aグループの概要

(1) A/133

ア Aの事業内容等

イ Aの役員

(2) B/133

ア Bの事業内容等

イ Bの役員

(3) C/134

ア Cの事業内容等

イ Cの役員

(4) ヘイノ興産/134

ア ヘイノ興産の事業内容等

イ ヘイノ興産株式会社の役員

(5) D/134

ア Dの事業内容等

イ Dの役員等

5 Aグループ各社の資産状態及び経営状況等

(1) A/134

(2) B/134

(3) C/135

(4) ヘイノ興産/136

(5) D/136

6 拓銀におけるAグループの所管部及び担当役員等

(1) Aグループの所管部/136

(2) Aグループの所管部の担当役員/136

7 拓銀における融資手続等

(1) 融資手続の概要/136

(2) 貸出し権限及び融資関連の業務組織等

ア 貸出し権限/137

イ 投融資会議/137

ウ 常務会,経営会議/137

エ 取締役会/137

8 頭取の任務に関する準則等

(1) 融資の一般原則/137

(2) 拓銀の業務方針,業務計画

ア 業務方針/138

(ア) 業務本部制等

(イ) 21世紀プロジェクト

(ウ) 「バブル経済下の経営(まとめ)」

イ 業務計画/138

(ア) 第1次中期計画

(イ) 第2次中期計画

(ウ) 第3次中期計画

9 拓銀のAグループに対する融資状況等

(1) Aグループに対する融資の経緯等/138

(2) 融資状況

ア B'の建設資金等の融資/139

イ 茨戸開発事業資金の融資/139

ウ C'の建設資金等の融資/139

エ その後の赤字補填資金等の融資/140

オ 本件各融資の返済状況/140

(3) 被告人甲野及び同乙野の関与状況

ア 被告人甲野/140

イ 被告人乙野/140

(4) Aグループに対する債権の保全状況

ア Aに対する債権の保全状況/140

(ア) 拓銀のAに対する債権の保全状況

(イ) たくぎんファイナンスのAに対する債権の保全状況

イ Bに対する債権の保全状況/141

ウ Cに対する債権の保全状況/141

エ Aグループに対する債権の保全状況/141

10 茨戸開発の経緯及び進捗状況等

(1) 総合開発部所管以前の茨戸開発の進捗状況等

/141

ア 茨戸開発の経緯

イ 開発用地の買収状況等

ウ ヤオハンの参加

エ その他の企業の進出状況

オ 茨戸開発と札幌市の対応

カ Aの開発用地買収に絡む国土法,農地法違反問題とマスコミ報道

(2) 審査第1部所管当時の茨戸開発の進捗状況等

/143

ア Aの国土法,農地法違反問題

イ 開発主体の変更

ウ ヤオハンの姿勢の変化

エ 札幌市の対応

オ 市街化調整区域内の特例開発の頓挫

(3) 審査第3部所管当時の茨戸開発の進捗状況等

/145

ア 開発方針の変更

イ 札幌市の対応

ウ 準備会の対応

エ 東茨戸地区の市街化区域編入

オ 被告人丙野の動向等

カ 開発方針の変更

キ 札幌市の対応の変化と福祉系開発構想の採用

ク 福祉系開発計画の進捗状況

11 大蔵省検査及び日銀考査におけるAグループ各社の査定内容等

(1) 平成3年実施の大蔵省検査及び日銀考査/147

(2) 平成6年実施の大蔵省検査/147

(3) 平成7年実施の日銀考査/148

(4) 平成9年実施の大蔵省検査/148

12 要注意先管理制度におけるAグループ各社の位置づけ/148

13 拓銀の不良債権償却計画とAグループに対する取組方針/148

14 拓銀の経営会議におけるAグループの経営状況及び茨戸開発の実現性,採算性等に関する報告状況

(1) 総合開発部所管当時/148

(2) 審査第1部所管当時/148

(3) 審査第3部所管当時/149

ア 平成6年4月ないし同7年3月の報告内容

イ 平成7年4月ないし同9年11月までの報告内容

15 Aグループに対する拓銀の取組状況等

(1) 総合開発部所管当時/150

(2) 審査第1部所管当時/150

ア 平成5年7月経営会議に分離再編案が付議されるに至った経緯等

イ 平成5年7月経営会議以降の拓銀の対応等

(3) 審査第3部所管当時/151

ア 平成7年1月経営会議以前におけるAグループの業務改善状況等

イ 平成7年1月経営会議にAグループ再編案が付議されるに至った経緯等

ウ 平成7年1月経営会議の状況

エ Aグループ再編案の進捗状況

オ 被告人丙野の排除

16 Aの農地法違反等の問題に対する拓銀の対応

(1) 総合開発部所管当時/153

(2) 審査第1部所管当時/153

(3) 審査第3部所管当時/153

17 被告人丙野の経営能力,経営手腕等に対する拓銀の評価/154

第4 証拠能力に対する判断

1 乙田十男の検察官調書/155

(1) 相反性

(2) 特信性

2 丙田明の検察官調書/155

(1) 相反性

(2) 特信性

3 庚山二男の検察官調書/155

(1) 相反性

(2) 特信性

4 申山三男の検察官調書/156

(1) 相反性

(2) 特信性

5 丙山冬男の検察官調書/156

(1) 相反性

(2) 特信性

6 被告人甲野の検察官調書/158

(1) 供述証拠該当性

(2) 任意性

(3) 特信性等

ア 相反性

イ 特信性

7 被告人乙野の検察官調書/159

(1) 供述調書該当性

(2) 任意性

(3) 特信性等

ア 相反性

イ 特信性

第5 被告人甲野に係る特別背任罪の成否

1 Aグループに対する新規融資の回収可能性

(1) Aグループの経営状況/160

ア 平成5年7月経営会議当時

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

(2) Aグループの経営改善の可能性/160

(3) 茨戸開発の実現性,採算性/161

ア 平成5年7月経営会議当時

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

(4) 本件第1及び第2の各融資の回収可能性/161

ア 平成5年7月経営会議当時

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

(5) 被告人甲野らの認識/161

ア 平成5年7月経営会議当時

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

2 Aグループに対する融資が継続されるに至るまでの経緯等

(1) 平成5年7月経営会議に分離再編案が付議されるに至った経緯等/162

(2) 分離再編案の目的等/163

ア 被告人乙野の捜査段階の供述

イ 被告人甲野の捜査段階の供述

(3) 平成5年7月経営会議の状況/165

(4) 平成5年7月経営会議以降のAグループに対する取組等/166

3 被告人甲野の任務違背の有無

(1) 融資判断に際しての被告人甲野の任務/166

(2) 被告人甲野の融資判断の適否/166

ア 平成5年7月経営会議当時

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

4 自己又は第三者図利目的の有無

(1) 自己図利目的/167

ア 総合開発部所管当時に行ったAグループに対する融資

(ア) 同融資のずさん性/168

a ホテル建設資金の融資

b 茨戸開発事業資金の融資

(イ) 被告人甲野の認識/168

(ウ) ずさん融資の表面化を被告人丙野がおそれていたか否か/168

イ 茨戸開発事業資金融資に関わる農地法違反等の問題

(ア) 農地法違反等の問題に関する被告人甲野の認識

/170

a 平成3年3月投融資会議の状況

b 平成3年のバックファイナンス

(イ) 農地法違反等の問題が表面化することを被告人甲野がおそれていたか否か/172

a 農地法違反等の問題に係るマスコミ報道等への関心度

b 株主総会のための役員勉強会,想定問答

c 国土法違反問題で被告人丙野を茨戸開発の事業主体から外したこと

d 拓銀における農地法違反等問題の位置づけ

e 拓銀が被告人丙野をおそれていたか否か

(ウ) まとめ/175

ウ 経営責任回避を推認させるその他の事情の存否

/175

エ 拓銀元役員らの捜査段階における供述の信用性

(ア) 申山の捜査段階の供述/175

(イ) 庚山の捜査段階の供述/176

(ウ) 被告人乙野の捜査段階の供述/177

オ まとめ/177

(2) 第三者図利目的/178

5 結論/178

第6 被告人乙野に係る特別背任罪の成否

1 Aグループに対する新規融資の回収可能性

(1) Aグループの経営状況/178

(2) Aグループの経営改善の可能性/178

(3) 茨戸開発の実現性,採算性/178

(4) 本件第3ないし第5の融資の回収可能性/179

(5) 被告人乙野の認識/179

2 Aグループに対する融資継続方針が決められた事情

(1) 審査第3部が平成7年1月経営会議にAグループへの取組方針を付議するまでの経緯等/179

(2) Aグループ再編案を付議した目的/179

(3) Aグループ再編案の実行等/181

3 被告人乙野の任務違背の有無

(1) 融資判断に際しての被告人乙野の任務/181

(2) 被告人乙野の融資判断の適否/181

4 自己又は第三者図利目的の有無

(1) 自己図利目的/182

ア 総合開発部所管当時に行ったAグループに関する融資

(ア) 同融資のずさんさと被告人乙野の認識/183

(イ) 同融資に対する被告人乙野の関与の程度等/183

a ホテル建設資金の融資

b 茨戸開発事業資金の融資

(ウ) ずさんな融資の表面化を被告人乙野がおそれていたか否か/183

イ 茨戸開発事業資金融資に関わる農地法違反等の問題

(ア) 農地法違反等の問題に関する被告人乙野の認識

/184

(イ) 農地法違反等の問題が表面化することを被告人乙野がおそれていたか否か/184

a 表面化した場合の被告人乙野の責任等

b 検察官の主張

c 検察官の指摘するその他の事情の検討

ウ 被告人乙野が本件第3ないし第5の各融資を行った目的

(ア) 経営会議における協議の状況等/185

(イ) 刑事責任のおそれ等/186

(ウ) 農地法違反等の問題の表面化をおそれる他の理由の存在/187

(エ) 審査第3部への指示等/187

(オ) まとめ/187

エ 本件第3ないし第5の各融資を実行した目的が経営責任回避にあった旨の証拠の信用性

(ア) 北田春郎の公判供述/187

(イ) 庚山の捜査段階の供述/188

(ウ) 申山の捜査段階の供述/188

(エ) 被告人乙野の捜査段階の供述/190

オ まとめ/191

(2) 第三者図利目的/191

5 結論/191

第7 被告人丙野に対する特別背任罪の成否/191

第8 結論/191

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

第1  本件公訴事実の要旨

被告人甲野太郎(以下「被告人甲野」という。)は,平成元年4月1日から同6年6月28日までの間,同乙野次郎(以下「被告人乙野」という。)は,同月29日から同9年11月20日までの間,札幌市中央区大通西<番地略>に本店を置く株式会社北海道拓殖銀行(以下「拓銀」という。)の代表取締役頭取として拓銀における業務全般を統括掌理し,銀行資金の貸付けをなすにあたっては,貸付先の営業状態,資産等を精査するとともに,確実にして十分な担保を徴して貸付金の回収に万全の措置を講ずるなどの任務を有していたもの,被告人丙野三郎(以下「被告人丙野」という。)は,同市北区東茨戸<番地略>に本店を置き,理美容室・ホテルの経営,不動産の管理・売買業等を目的とするA株式会社(以下「A」という。),及び,同所に本店を置き,レジャー施設等の経営を目的とする株式会社B(以下「B」という。)の各代表取締役として,これらの会社の業務全般を統括掌理していたものであるが,

1  被告人甲野及び同丙野は,共謀の上,平成6年4月26日から同年6月30日までの間,前後4回にわたり,前記拓銀本店において,A及び自己らの利益を図る目的をもって,被告人甲野の任務に違背し,Aに対し合計4億5000万円を貸し付け,もって,拓銀に同額の財産上の損害を与え,

2  被告人甲野は,平成6年4月8日から同年6月20日までの間,前後6回にわたり,前記拓銀本店において,Aからホテル等を借り受けてこれを経営していた株式会社C(以下「C」という。)及び自己らの利益を図る目的をもって,被告人甲野の任務に違背し,Cに対し合計3億9000万円を貸し付け,もって,拓銀に同額の財産上の損害を与え,

3  被告人乙野及び同丙野は,共謀の上,平成6年8月1日から同7年8月31日までの間,前後19回にわたり,前記拓銀本店において,A及び自己らの利益を図る目的をもって,被告人乙野の任務に違背し,Aに対し合計22億1000万円を貸し付け,もって,拓銀に同額の財産上の損害を与え,

4  被告人乙野及び同丙野は,共謀の上,平成6年10月31日から同9年6月20日までの間,前後22回にわたり,前記拓銀本店において,B及び自己らの利益を図る目的をもって,被告人乙野の任務に違背し,Bに対し合計20億3250万円を貸し付け,もって,拓銀に同額の財産上の損害を与え,

5  被告人乙野は,平成6年7月8日から同9年10月13日までの間,前後47回にわたり,前記拓銀本店において,C及び自己らの利益を図る目的をもって,被告人乙野の任務に違背し,Cに対し合計34億8900万円を貸し付け,もって,拓銀に同額の財産上の損害を与え

たものである。

第2  当事者双方の主張の概要及び本件の主たる争点

1  検察官の主張

検察官の主張は,概ね,以下のとおりである。

(1)  被告人甲野及び同乙野関係

A,B及びC(以下,各社及び関連会社をまとめて,「Aグループ」という。)は,いずれも業況が極めて劣悪で,債務超過の状態が拡大し,本件各融資を実行する以前の段階で,実質的に経営破綻状態に陥っており,その業績あるいは経営状態が改善する見込みは極めて乏しかった上,グループ各社に対する融資は,既に大幅な保全不足に陥り,その不足状況が拡大していた。また,拓銀関係者あるいは被告人丙野が,Aグループの業績の回復あるいは拓銀に対する融資金返済の最後の望みであるとしていた,札幌市北区篠路町の茨戸川近郊地区(以下「茨戸地区」という。)に所在するB'(以下「B'」という。)の後背地約24万坪を開発することを内容とする茨戸地区総合開発計画(以下「茨戸開発」という。)も,当初から許認可取得の見込みが乏しかった上,本件各融資を実行する段階で,ヤオハンインターナショナル札幌株式会社(以下,同社を含めて,ヤオハン関連会社を,いずれも「ヤオハン」という。)の撤退等の事情から開発許認可の見通しが全く立たず,また,事業計画の基本的な方針さえも不確定な状態で事実上推移したのであり,本件各融資の全期間を通じ,茨戸開発の実現につき確たる見込みが立っていたとは到底いい難い状況であった。したがって,本件各融資の全期間を通じ,Aグループに融資を行っても,その回収の見込みは極めて乏しかったところ,このような状況の中で,債権回収のための万全な措置を採らないまま行われた本件各融資は,貸付金の回収の安全を図るべき頭取の任務に違背したものである。加えて,被告人甲野及び同乙野は,いずれも,過去のAグループに関するずさんな融資の実態や,開発用地取得資金(以下「茨戸開発事業資金」という。)の融資に関して農地法違反等の問題が介在していることが表面化することをおそれていたところ,融資を打ち切って同グループを倒産させることにより,既往の融資のずさんな実態や開発用地取得にまつわる問題が表面化して,自己に対して経営責任追及が及ぶことを回避するという自己図利目的をもって,本件各融資を実行したことは明らかであるほか,到底融資を受けられない同グループに対する融資を行ったのであるから,第三者図利目的も認められる。

(2)  被告人丙野関係

被告人丙野は,Aグループの業況・財務状況,保全不足の状況等から,追加の融資を受けても確実に返済できる見込みがないことを明確に認識していたが,このような同グループに対して,被告人甲野及び同乙野が,なおも無担保融資をするのは,頭取の任務に違背しており,専ら,その経営責任の追及を回避するために行っていることを知りながら,拓銀に対して本件融資の申込みをして,その実行を受けていた。また,拓銀とAグループ,被告人甲野及び同乙野と同丙野の関係は,表面的には,融資者と被融資者の対立関係にあるように見えながら,その実態は,長年月にわたり,拓銀が丸抱えで同グループの各事業を全面的に支援しながら,拓銀の業務純益を超える巨額の不良債権を累積させるとともに,違法性のある茨戸開発用地の買収に拓銀が関与してきたことが拓銀内外で問題視される事態を招来したものであって,同グループが倒産すれば,それが直ちに拓銀の失敗として批判を浴びるような抜き差しならない関係,共通の利害が相互に醸成されていた。そして,被告人丙野は,このような相互の共通の利害関係を熟知しつつ,被告人甲野及び同乙野がAグループへの融資を断わることはできないとの認識の下に,同グループの経営を管理しようとする拓銀の意思を無視し,返済の見込みのない本件各融資の申込みを行い,その実行を受けていた。さらに,被告人丙野は,茨戸開発に絡んだ農地法違反等の問題に関与した実態の表面化をおそれる拓銀側の立場を十分に認識し,それを交渉の材料にしたり,あるいはそのような拓銀の立場に乗じて自己の経済的利益を確保する行動をとったほか,拓銀側と対立したときには,農地法違反の問題を公表しかねないとの脅迫的な言動を繰り返していた。したがって,被告人丙野は,同甲野あるいは同乙野の任務違背の事実及び図利加害目的の存在について明確な認識を有していたにとどまらず,共通の利害を背景に,拓銀の置かれていた立場,あるいは,弱みに乗じつつ,本件各融資の申込みを行い,その実行を受けていたのであって,被告人丙野が,特別背任罪に係る事実を明確に認識し,更に積極的な加功の認識を有していたことは明らかであり,特別背任罪の共謀共同正犯が成立する。

2  弁護人の主張

各弁護人の主張は,概ね,以下のとおりである。

(1)  被告人甲野

公訴事実1及び2記載の各融資(以下「本件第1及び第2の各融資」という。)は,拓銀で定められた融資手続に則ったものであるほか,拓銀及び関連会社(以下「拓銀グループ」という。)のAグループに対する貸付金について,できるだけ多く回収することを期待するとともに,同グループに対する融資を打ち切ったならば種々の不利益な結果を生ずることなどを考慮し,拓銀の損失を極小化することを目的として行われたものである。すなわち,平成6年4月ないし同年6月の時点において,Aグループに対する融資を打ち切ったならば,拓銀グループのAグループに対する貸付金634億円の回収が困難となるばかりでなく,同グループ各社の従業員が失職に追い込まれること,多額の費用を投じて建設されたC'(以下「C'」という。)及びB'が廃墟と化すこと,C'の建設を請け負ったゼネコンへの支払が不能となること,茨戸開発が頓挫して社会問題化すること,カブトデコムグループへの支援を打ち切った場合と同様,拓銀に対する一般の信用にも大きなダメージが生じかねず,その結果,拓銀自身に対しての信用不安の発生が予想されるなどの事態の発生が懸念された。また,拓銀の系列ノンバンクであった株式会社たくぎんファイナンスサービス(以下「たくぎんファイナンス」という。)がAに融資した約160億円もの茨戸開発事業資金が回収不能となり,その結果,たくぎんファイナンスが経営不安に陥るという事態も予想された。一方,平成5年7月5日に開催された経営会議(以下「平成5年7月経営会議」という。)では,Aグループに経営改善の余地のあることが審査第1部から報告された。そこで,被告人甲野は,Aグループへの貸付金をできるだけ多く回収するとともに,同グループを破綻させることによって予想される拓銀の諸々の損失を回避するため,グループ各社のうち,生かせる事業は生かすことで債権回収を図ることを決めた上,そのための必要最小限度の追加融資を実行したものである。したがって,被告人甲野の行った本件第1及び第2の各融資は,拓銀本人の利益となるものであるから,任務違背にあたらず,図利目的も認められない。

(2)  被告人乙野

公訴事実第3ないし第5の各融資(以下「本件第3ないし第5の各融資」という。)は,いわば不良債権処理の過程で実行された貸出しであるから,正常先への融資とは自ずからその対応が異なるところ,不良債権の管理回収の場面においては,各融資を独立させて個別にその回収可能性を検討するのではなく,既に実行済みの貸出しの回収分を含めたトータルな経済的合理性の判断を前提に,社会的影響等諸事情を考慮して,全体像を十分に検討しながら,その可否が判断されるべきである。本件第3ないし第5の各融資が実行された当時の状況の下においては,Aグループの分離再編を行い,グループ各社をその状況に応じて処理するとともに,茨戸開発を遂行した方が,融資を打ち切って同グループを倒産させるよりも回収額が多くなることが明白だった上,同グループを破綻させることによって生じる拓銀の信用低下を回避することもできた。したがって,被告人乙野の行った判断は正当なものであり,本件第3ないし第5の各融資は,通常の業務の範囲内のものといえるから,任務違背は存在しない。

また,経営会議において,農地法違反等の問題やスキャンダルの表面化回避等に言及されているのは,Aグループの分離再編や茨戸開発を円滑に進めるためであって,被告人乙野が経営責任を追及されるのを回避するといった目的からではない。そして,本件第3ないし第5の各融資によってAグループあるいは被告人丙野が利益を受けたとしても,それは反射的利益にすぎない。したがって,本件第3ないし第5の各融資は拓銀の利益を図るために行ったものであり,被告人乙野に図利目的は存在しない。

さらに,被告人乙野と同丙野との間には個人的な関係は一切ないほか,被告人乙野が,Aグループに対し,主導的に優遇した融資を行ったり,変則的な融資を行ったことはなく,また,被告人丙野から,背任行為を強いられたこともない。したがって,丙野との共謀は存在しない。

(3)  被告人丙野

本件各融資は,Aグループの倒産によって拓銀の信用が低下して拓銀自体が経営破綻することを回避する目的と,茨戸開発の実現によって見込まれる開発利益により拓銀の損失の極小化を図る目的で行われたものであるから,被告人甲野及び同乙野には任務違背はない。また,A株式会社に対する茨戸開発事業資金はたくぎんファイナンスが融資したものであるから,被告人甲野及び同乙野ら拓銀経営陣の責任問題にまで発展することはないし,仮に茨戸開発事業資金の融資に絡んで農地法違反等の問題があったとしても,被告人甲野及び同乙野には,自己の経営責任を回避する目的で本件各融資を行ったというような自己図利目的も,Aグループに本来享受し得ない利益を与えようといった第三者図利目的も存在しない。さらに,被告人甲野あるいは同乙野と同丙野の間には,任務違背の謀議は存在しないし,共同加功を基礎づけるような具体的事実も存在しない。

3  本件の主たる争点

以上のとおり,本件における主たる争点は,被告人甲野及び同乙野が本件各融資を行ったことが頭取としての任務に違背するか否か,被告人甲野及び同乙野に自己又は第三者図利目的が存したか否か,被告人甲野及び同乙野と同丙野との間に共謀が存したか否か,ということにある。

第3  概ね争いのない事実

(括弧内の甲,乙の番号は証拠等関係カード記載の検察官請求証拠の番号を,弁の番号は証拠等関係カード記載の弁護人請求証拠の番号を示す。また,以下の説示においては,公判廷における供述が証拠となる場合も,公判調書中の供述部分が証拠となる場合も,単に「○○の供述」と表記することとする。なお,「南山・○回」とあるのは,南山の第○回公判における供述,又は第○回公判調書中の南山の供述部分を意味するものとする。)

1  被告人らの経歴

(1)  被告人甲野

被告人甲野は,昭和27年3月に拓銀に入行し,その後,東京業務部次長,人事部人事課長,虎ノ門支店支店長等を歴任し,同53年12月に取締役,同57年6月に常務取締役,同60年7月に代表取締役専務,翌61年4月に代表取締役副頭取にそれぞれ就任し,平成元年4月1日,拓銀の第12代代表取締役頭取に就任した。その後,平成6年6月29日,代表取締役を辞任して取締役会長に就き,同7年6月29日には取締役会長も辞任して相談役となったが,同9年11月の拓銀の経営破綻を受け,同月21日,相談役を退任した(甲2ないし5,36,乙9,95,97)。

(2)  被告人乙野

被告人乙野は,昭和32年4月に拓銀に入行し,業務部参事補,板橋支店次長,横浜支店支店長,本店営業部副本部長等を歴任した後,平成元年4月に常務取締役,同4年6月に専務取締役,同5年6月に代表取締役副頭取にそれぞれ就任し,翌6年6月29日,同甲野の後任として拓銀の第13代代表取締役頭取に就任した。その後,拓銀の経営破綻に伴い,平成9年11月21日,代表取締役頭取を辞任した(甲1ないし5,36,乙27,28)。

(3)  被告人丙野

被告人丙野は,昭和41年ころから理容室を営んでいたが,法人組織で複数の理美容店を経営するため,同46年7月,株式会社理容美容の丙野チェーンを設立して代表取締役に就任した。その後,同社の商号を,同54年10月には株式会社A丙野チェーンに,平成3年6月にはA株式会社と変更する(以下,商号変更前後を通じて「A」という。)一方,昭和61年11月,健康レジャー施設の経営等を目的とするBを,平成3年4月には,ホテルの経営等を目的とするCをそれぞれ設立してその代表取締役に就任したほか,その間の昭和63年12月には,美容師養成の専門学校である学校法人丙野学園を設立して理事長に就任し,さらに,平成4年6月,同専門学校の女子寮を管理する株式会社D'(平成7年9月D株式会社と商号変更)の代表取締役に就任したが,同9年6月,A,B及びCの各代表取締役を辞任するとともに,同11年2月,Dの代表取締役及び丙野学園の理事長を辞任した(甲7ないし34,乙71,76)。

2  被告人甲野及び同乙野と同丙野の交際状況

被告人甲野及び同乙野は,いずれも職務として同丙野と数回程度面談するなどし,毎年盆暮れにはシャンプーやリンスの詰め合わせを贈答品として受け取ることはあったが,職務を離れて,個人的な交際はなかった(被告人甲野・40回,乙野・47回,乙23,37,85,98)。

3  拓銀の概要,沿革等

(1)  拓銀の概要

拓銀は,札幌市中央区大通西<番地略>に本店を置いて「札幌本部」とするとともに,東京支店に副頭取を常駐させる「東京本部」を設置していた。拓銀の平成8年9月当時の資本金は約1238億円であり,同9年3月当時の営業店舗数は209店舗であった(甲1,6,35)。

(2)  拓銀の沿革及び経営状況等

ア 拓銀の沿革及び被告人甲野の頭取就任以前の経営状況等

拓銀は,明治33年,北海道における拓殖事業に対して低利で長期にわたる資金を供給することを目的として,北海道拓殖銀行法に基づき特殊銀行として設立され,札幌市に本店を置き,当初,農地を担保とする長期貸付を行うことを主な業務としていた。その後,拓銀は,北海道拓殖銀行法の改正により,次第に業務内容を拡張させ,昭和25年,終戦後の金融制度の改変に伴って普通銀行に転換し,同30年には,それまで加入していた全国地方銀行協会を脱会し,都市銀行として営業を行うに至った。拓銀は,昭和30年代の高度成長経済下において,預金量等を順調に増加させ,同45年ころから積極的に海外業務を展開するようになった(甲35,202)。

ところで,拓銀は,都市銀行の中では業績及び収益力の両面で最下位に甘んじていたことから,その収益を向上させるため,貸出し業務における意思決定を迅速に行うことによって融資を拡大することにし,昭和59年7月,本部機構を改編して営業推進部門と審査部門を一体化することを内容とする「事業本部制」を採用し,札幌本部に「業務本部」を,東京本部に「東京業務本部」をそれぞれ新設し,さらに,融資先を開拓・確保するため,有望な新興企業を積極的に支援する旨の方針(以下「インキュベーター」あるいは「インキュベーター路線」という。)を打ち出すなどして事業を展開させた。そして,昭和60年以降のいわゆるバブル経済の膨張過程の中で,不動産及び株式担保金融等を中心に貸出金額を増加させるなどしてその経営規模を拡大させた(甲35,202,乙11)。

イ 被告人甲野の頭取在任中における拓銀の経営状況等

被告人甲野は,頭取に就任した直後の平成元年8月ころから,規制緩和の流れを受けた金融業界の自由競争化時代に対処するため,拓銀内部に「21世紀プロジェクト」を発足させて将来の拓銀の経営方針を検討させ,その成果を踏まえた「21世紀ビジョン」を策定し,顧客志向の経営,収益重視の経営,行員を活かす経営の3点を基本とした経営理念を立ち上げた。そして,平成2年10月,21世紀ビジョンの一環として組織改編を行い,それまでの業務本部制を廃止し,札幌本部と東京本部にそれぞれ「審査第1部」と「審査第2部」を新設し,営業推進部門と審査部門を分離して審査部門の権限を強化したが,他方で,事業本部制のもとでの経営方針を承継した,営業推進機能と審査機能を一元化した戦略部門として札幌本部に「総合開発第1部」を,東京本部に「総合開発第2部」を設置した上,同部にインキュベーター対象企業を含む特定の大口取引先を所管させ,地域開発事業やインキュベーター路線を積極的に展開することにした。また,被告人甲野は,21世紀ビジョンで確立した経営理念等を実行するため,平成3年度から同4年度の2年間にかけて,資産収支の飛躍的向上等を重点的な経営課題とする第1期中期計画を策定するなどしたが,その後,拓銀は,バブル経済の崩壊により,昭和60年代から新規に取り組んだ建設,不動産関連事業等の貸付けが不良債権化するなどして資産内容が急速に悪化し,その結果,平成3年1月に行われた大蔵省金融検査部の金融検査(以下「大蔵省検査」という。)や同年12月に実施された日本銀行考査局による考査(以下「日銀考査」という。)で,不良債権の増大による資産内容の悪化が問題視されるようになった。特に,日銀考査においては,前回の考査では2370億円余だった実質要注意与信額が1兆2760億円にも増大していること,要注意与信比率についても,前回の考査では4.4パーセント余だったものが17パーセントにも上昇していることなどが指摘され,「御行の経営は極めて深刻な状況にある。」との厳しい評価を受けた(北山・3回,甲35,202,203,235,589,594,623,625,乙11)。

一方,拓銀の系列ノンバンクを中心とする拓銀の関連会社においても,平成2年ころから不良債権が急増し,業績が著しく悪化していたところ,たくぎんファイナンスでは,同4年ころから借入先の金融機関から貸付金の返済を迫られるようになった上,同5年3月期には,不良債権額が同2年3月期の約98倍である766億円余にも膨れ上がるとともに貸出金総額の約40パーセントを占めるようになり,同5年3月期ころには,拓銀から金利免除等の支援を受けて辛うじて経営破綻を免れるという事態に陥っていた(丙山・15回,戊川・27回,甲549ないし551)。

このような拓銀自身及びグループ企業の経営状況の悪化を受け,拓銀内部では,バブル経済下の経営のあり方を反省し,貸出しの基本原則を遵守して原点への回帰を徹底することなどを確認するとともに,平成4年2月には,主に系列ノンバンクに対する融資の管理回収を目的として審査第3部を新設し,同5年度には,不良資産の処理や企業体力の回復等を重要課題とすることなどを内容とした第2期中期計画を策定するなどして不良債権の圧縮に取り組み,さらに,同6年3月には,前記日銀考査において,審査管理面の不十分さから所管案件のうちの33パーセントが要注意貸出しとなっていることを指摘されるなど,その存在自体が問題視されていた総合開発部(同3年10月に総合開発第2部が廃止されたことに伴い総合開発1部の名称を変更したもの)を廃止し,審査第3部に大口問題取引先の担当を集中させて不良債権の管理回収にあたらせることにした。しかし,その後,拓銀は,不動産市場の低迷等により不良債権がますます増大したことに加え,平成3年以降にいわゆる格付機関が拓銀の格付を引き下げたことなどで金融市場における信用が低下した結果,資金調達に支障をきたすようになり,さらに,同5年11月ころ,インキュベーター対象企業の代表格であった株式会社カブトデコム(以下,株式会社カブトデコム及び同社の関連会社を併せて「カブトデコム」という。)への金融支援を打ち切る方針を採ったことが世間から批判的に受け止められ,同年10月から翌6年3月までの約半年間に個人定期預金が約370億円も流出する事態となるなど,一層厳しい環境での経営を強いられるようになった(丙山・14回,乙田・37回,甲35,36,524,552,554,589,594,624,乙15)。

このような情勢の中,被告人甲野は,平成6年3月期決算において,1000億円もの不良資産の償却及び減益を理由とする株式配当の減配に踏み切ることを決めた上,前記のとおり,カブトデコムに対する支援打ち切りによって拓銀の信用が低下する事態に陥ったことや株式配当を減配したことの責任をとるかたちで,同年6月の株主総会後の取締役会で頭取を退任した(被告人甲野・41回)。

ウ 被告人乙野の頭取在任中の拓銀の経営状況等

被告人乙野は,同甲野の後任として,平成6年6月29日に頭取に就任したが,拓銀は,その直後の同年8月から9月にかけて実施された大蔵省検査において,関連会社を含むノンバンク,建設,不動産関連融資の不良債権化により,分類債権(債権回収に懸念等があると認定された債権)額が前回の検査時の約7倍にあたる2兆0500億円余にのぼり,そのうち約6475億円の損失が見込まれるなど,前回の検査時に比べて分類債権額や損失見込額が大幅に増加していること,損失見込額が,同年3月期の業務純益の20倍に達しているほか,自己資本を毀損するに至っていることなど,その資産内容が極度に悪化していることなどを指摘されるとともに,このような経営状態を受け,大蔵省から決算承認銀行に指定されることになった。また,拓銀は,平成7年7月ころに実施された日銀考査においても,「御行の経営内容は『憂慮すべき状態にある』ものと認められる。」と指摘された上,不良資産の早期改善・回収に全力を傾注するとともに,審査管理の充実を図り,不良資産の新規発生防止に万全を期すこと,できるだけ早く不良資産の償却を行うとともに,一段の経費削減や営業基盤の再構築等により収益強化に取り組むことに留意した経営再建計画を策定し,同年10月末までに提出するよう求められた(戊川・26回,甲553)。

このような経営状況及び資産状態の悪化を受け,拓銀では,不良債権償却計画を検討することになったが,大量の不良債権を一挙に償却すれば,自己資本毀損の姿を対外的にさらすことになり,かえって経営基盤を傷め,信用面の不安定さを増大させることになりかねないことを懸念し,社会的な信用不安を引き起こすことなく不良債権問題を解決するためには,時間軸を入れざるを得ないとの考えに基づいて,赤字決算を回避しながら10年間で約7000億円(平成7年度に2500億円,その後,毎年500億円を償却)の不良債権を償却するといった長期的な不良債権償却計画を策定し,大蔵省や日銀に堤出することにした。これに対し,日銀は,積極的な不良債権処理の姿勢を表明することが拓銀の信用回復につながるとの立場に立って同行の経営再建計画を受理せず,不良債権の処理期間を5年間とした上,初年度(平成7年度)には自己資本のうち資本金を除いた準備金や剰余金を全て償却財源に充てて5200億円を償却することなどを内容とした,より短期間で不良債権を償却する旨の対案を示し,これを検討するよう求めた。しかし,拓銀は,日銀側の示した不良債権処理案によった場合には,大幅な赤字決算を強いられるのみならず,海外業務を行うための要件である「自己資本比率が8パーセントを上回ること」の基準(いわゆるBIS基準)も満たすことができなくなり,更には,自己資本比率が著しく低下する結果,長期間にわたって不測の事態に対応できなくなるほか,債務超過に陥るおそれすらあることなどから,かえって,拓銀の信用不安をもたらしかねないことを懸念し,日銀側の計画案を受け入れなかった。

日銀は,本来,拓銀から経営再建計画を提出させた後,フォローアップと称して,同計画の遂行状況を把握し,適切な指導を行うことを予定していたが,このように不良債権の処理計画をめぐって拓銀側と主張が対立して膠着状態に陥り,フォローアップにも着手できない状況が続いたことから,結局,本来の提出期限から半年ほど遅れた平成8年4月,仮受領という形で,8077億円の不良債権を10年間で償却する内容の拓銀の再建計画を受領した上でフォローアップにあたることとした(戊川・26回,27回,山下・28回,北田・29回,甲554,601,602)。

エ 拓銀の破綻に至る経緯

拓銀は,前記のように平成3年ころから格付機関による格付が徐々に引き下げられたことなどの影響から,金融市場等において信用が低下し,海外からの資金調達が厳しさを増すようになっていたところ,同6年ころから資金調達方法を転換し,ダイレクト・ディーリング預金(DD預金)の獲得に力を入れるなどして国内において資金調達を賄うようになったが,同7年3月末に起きた株価の急落によって予定外の赤字決算を強いられたこと,同年7月,兵庫銀行と木津信用組合が経営破綻し,国内金融界全体に信用不安が広まったこと,このような状況下で,格付機関であるムーディーズが新たに導入した格付で拓銀を最低ランクに位置づけたことなどから,拓銀への信用不安が高まり,預金の流出が加速した上,金融市場での拓銀の資金調達力が大幅に低下し,同年後半ころから,資金繰りが圧迫されるようになった。さらに,拓銀は,平成8年末から同9年初めころにかけて,拓銀の株価が急落して200円を割り込む事態となったことを受け,預金の流出が一段と加速するとともに,金融機関専門の短期金融市場であるインターバンク市場における資金の貸し手が拓銀への無担保コールの放出を細めたことなどから,経営状態が急速に悪化するに至った。そこで,拓銀は,経営再建に向け,株式会社北海道銀行との合併を模索するようになったが,その過程で,拓銀の抱える多額の不良債権の金額の確定やその処理方針等に関して両行の主張が対立し,北海道銀行側の拓銀との合併に向けた動きが消極化し,平成9年9月には事実上合併が頓挫するに至った。このような状況の中,拓銀では,自己資本を増強して経営再建につなげることを考え,第三者割当増資を企図して,平成9年8月以降,大株主である生命保険会社等に増資の引受を依頼したが,要請を受けた各社が同年10月ころに実施される大蔵省検査の結果を待ってから決めると回答したため,資本増強もできない事態に追い込まれた。そして,平成9年11月上旬,三洋証券株式会社がインターバンク市場においてデフォルト(債務不履行)を出したことを受け,同市場で融資対象とする金融機関の選別が厳しいものとなり,かねて経営状態が不安視されていた拓銀は,その直接の影響により,同市場から無担保で資金調達することができなくなって,資金調達の途を閉ざされる事態に至った。こうして当面の資金調達ができなくなった拓銀は,平成9年11月16日,自力再建を断念し,株式会社北洋銀行などへの営業譲渡を決議し,同10年11月16日,その営業を北洋銀行及び中央信託銀行に譲渡して銀行業務を終了した(戊川・26回,27回,北田・29回,甲35,478,572,608,611ないし618,620ないし622,626,乙59)。

4  Aグループの概要

(1)  A

ア Aの事業内容等

被告人丙野は,昭和46年7月,理美容業を営業目的としてAを設立し,北海道内及び本州等に多数の美容室等を開設してその事業を拡大させる一方,サウナ事業にも手を広げ,同59年ころ,サウナ,エステティックサロン及び婚礼貸衣装室等を営む目的で札幌市中央区南1条西<番地略>に「Eビル」を建設し,その一部を賃貸して不動産賃貸事業も営むようになった。また,被告人丙野は,札幌市郊外にドイツの温泉保養施設をモデルとした郊外型健康増進施設の建設を計画し,Aにおいて,昭和61年3月,札幌市北区篠路町の土地を購入し,その一部をBに賃貸して,同社が同土地上にプール等を備えた総合健康レジャー施設「B'」を建設した。さらに,被告人丙野は,B'を建設したころから,同施設を中心とした総合レジャー施設等を建設することを企図して隣接地を買収するなどしていたが,平成2年ころから,茨戸地区の農地等を買収してショッピングセンターやアミューズメント施設等を建設することを内容とする茨戸開発を企画し,これをAの事業として,積極的に開発用地の買収を進めるとともに,同5年3月,茨戸開発の一環として,B'の隣接地にC'を建設し,これをAの所有とした上で,その建物及び敷地を同ホテルの運営会社であるCに賃貸するという形で事業展開した。このように,Aは,Aグループの中核企業として事業を拡大させたが,次第に経営状況を悪化させた末,平成7年10月ころ,拓銀と協議の上,同社の事業中,理容美容及びサウナ等に係る部門(以下「本業部門」という。)をD株式会社(以下「D」という。)に,ホテル賃貸等の不動産賃貸部門をヘイノ興産株式会社(以下「ヘイノ興産」)にそれぞれ営業譲渡した。その後,Aは,茨戸開発に関わる会社として存続したが,事実上,営業活動を休止していた。なお,Aの営業店舗数は,平成7年10月の前記営業譲渡の当時において,理容・美容室37店舗,サウナ及びエステティックサロン3店舗,婚礼貸衣装室4店舗であり,従業員数は合計700名を超えていた(甲263,乙71,76,78,83)。

イ Aの役員

Aの代表取締役は,設立から長らく被告人丙野1人であったところ,平成7年6月,拓銀グループから丁野四郎(以下「丁野」という。)が出向し,被告人丙野とともに代表取締役に就任し,また,拓銀出身の庚野五郎(以下「庚野」という。)が専務取締役に就任した。その後,平成9年7月,被告人丙野及び丁野が代表取締役及び取締役を辞任し,後任の代表取締役として拓銀グループ出身の申野六郎(以下「申野」という。)が就任したが,同10年11月,同人に替わって,拓銀グループ出身の癸野七郎(以下「癸野」という。)が代表取締役に就任した(庚野・33回,甲7ないし15,263,乙71)。

(2)  B

ア Bの事業内容等

Bは,被告人丙野が,ドイツでクアハウス事業を営むベルナービッカー社の協力を得て,昭和61年11月に設立した会社であり,プール,サウナ,テニスコート,レストラン及び浴場を備えたB'を建設し,同63年4月から,同施設を運営していた。Bは,平成10年3月10日,札幌地方裁判所から破産宣告を受け営業を停止した(甲16,267,276,291,乙76)。

イ Bの役員

B設立時の代表取締役は,被告人丙野1人であったところ,平成7年6月,申野が被告人丙野とともに代表取締役に就任し,同じく拓銀から出向した北野八郎が専務取締役に就任した。その後,平成9年7月,被告人丙野が代表取締役及び取締役を辞任し,Bの代表取締役は申野1人となった(甲16ないし22,267,291,296,297,乙76)。

(3)  C

ア Cの事業内容等

Cは,被告人丙野が平成3年4月に設立した会社で,Aから,売上げの20パーセントを賃料として支払う約束で,C'の建物及び敷地を同社から賃借し,同ホテルを経営していた。C'は,地上11階・地下1階,客室数304号室,約400坪の宴会場が2か所,レストラン及び結婚式場を備えた高級リゾートホテルとしてB'の隣接地に建設され,平成5年4月に営業を開始したが,Cが同10年3月10日札幌地方裁判所から破産宣告を受けたため営業を停止した(甲23,84,282,286,291,296,297,乙75,76)。

イ Cの役員

Cの設立時の代表取締役は,被告人丙野1人であったが,C'の開業にあわせ,平成5年4月,拓銀出身の西野九郎(以下「西野」という。)が代表取締役社長に就任した。その後,平成7年6月,西野に替わり申野が代表取締役社長に就任するとともに,北野八郎が専務取締役に就任したが,同9年7月,被告人丙野が代表取締役を辞任したため,同社の代表取締役は申野1人となった(甲23ないし27,280,282,298,乙76)。

(4)  ヘイノ興産

ア ヘイノ興産の事業内容等

ヘイノ興産は,平成7年10月ころ,多額の欠損を抱えたAの営業を複数の会社に分離した際,同社所有のC'の建物,その敷地及びB'の敷地等の賃貸用不動産を譲り受け,不動産賃貸業を営むために設立された会社で,設立以降,これらの不動産をC等に賃貸していたが,同10年3月10日,札幌地方裁判所から破産宣告を受けた(甲28,乙76)。

イ ヘイノ興産株式会社の役員

設立時のヘイノ興産の代表取締役は,被告人丙野及び丁野の両名であったが,同9年7月に両名が辞任し,これに替わって申野が代表取締役に就任した(甲28ないし30,乙76)。

(5)  D

ア Dの事業内容等

Dは,平成7年10月ころに行われたAの分社化の際,株式会社D'の商号で存立していた会社をDと商号変更した上,Aから本業部門を譲り受け,理美容業等を営んでいた(甲31,乙76)。

イ Dの役員等

Dの代表取締役は,分社化当時は被告人丙野及び丁野の両名であったが,平成9年6月,丁野が辞任して被告人丙野1人となり,その後,同被告人も同11年3月に代表取締役を辞任した(甲31,32,乙76)。

5  Aグループ各社の資産状態及び経営状況等

(1)  A

Aは,昭和62年5月期に営業損失及び経営損失を計上し,その後も,経常収支は恒常的に赤字であったが,さらに,後記のとおり,平成2年から同5年ころにかけ,たくぎんファイナンスや拓銀から,茨戸開発事業資金やC'建設資金として400億円を超える多額の借入を行ったため,年間50億円前後の売上げを計上し,償却前営業損益の段階では数億円程度の利益を計上していたものの,その借入金に係る利息負担によって経常損失が急増し,平成5年5月期以降は10億ないし30億円の経常損失を計上するようになった。Aの平成2年5月期の借入金残高は約135億円であったが,同社が茨戸開発及びC'建設に伴って毎年多額の借入を行ったため,同3年5月期には債務超過に陥ったほか,同5年5月期には借入残高が約458億円にのぼった。Aでは,それまでたくぎんファイナンスから借り入れた茨戸開発事業資金を流用するなどして運転資金を賄っていたものの,同時期ころから,運転資金として年間十億ないし数十億円の借入を行うようになったことから,その後も借入額が増え続け,同7年1月当時の借入金残高は約568億円にも達するに至った(甲47,48,52,60,62,114,184,264,335,510,525,乙71,83)。

なお,平成7年10月ころに実施された分社化後のAの資産は,同9年3月期において,資産額は約205億円,負債額は約277億円だった。Aは,分社化後は事業活動を停止したため,売上げ等の収入はなかったが,支払利息の発生等により,1億5000万円余の経常損失を計上していた(甲47,525)。

ところで,拓銀では,かねてからAの経営上の問題点として,同社が被告人丙野によりワンマン経営がなされており,組織的な経営や管理体制が確立されていないこと,財務面も南野十郎(以下「南野財務本部長」という。)が一人で行っていることなどが報告され,同社を組織的な経営へ移行させることの必要性が指摘されていたところ,平成6年末ころ,劣悪な職場環境に耐えかねた南野財務本部長が,被告人丙野に対し,Aに関する様々な法律違反の告発も辞さない覚悟で職場環境の改善等を求めるなど,両者が激しく対立したことから,Aが,人的問題から崩壊しかねない状況にあるなどと懸念していた(甲509,510)。

(2)  B

Bは,昭和63年4月,入場者100万人,年間売上げ38億円を見込み,B'を開業させたが,その売上げは,開業当初から計画どおりにはいかず,平成2年11月期及び翌3年11月期の2期は営業利益を計上し,同3年11月期はヤオハンから開発業務委託金の入金があったことなどから経常利益を計上したものの,その後は,損益分岐点と考えられていた年間25億円の売上げも下回るようになり,営業損失を計上していた。また,Bは,B'に対する過大な設備投資を行ったため,平成5年11月期以降,償却前営業損益の段階では,数千万円程度の赤字あるいは僅かながら黒字であったものの,その借入による支払利息の負担から,経常収支については毎期10億円前後の損失を計上するようになった(なお,平成6年度から3月決算となったため,同年度は4か月間の収支を計上したもの)。Bの借入残高は,平成4年11月期は約109億円であったが,赤字補填資金等として毎年数億円の借入を受けたことなどの結果,同5年11月期には債務超過状態に陥った上,同7年1月当時の借入金残高は約123億円となっていた(北山3回,甲63,64,68,114,185,266,275,277,460,461,526,乙73,83)。

ところで,Bでは,社内に運営委員会や企画委員会などが設置され,これらの委員会によって経営方針を決定するものとされていたが,被告人丙野のワンマン経営により,同委員会で決定された内容が同社の経営に反映されることはなかった。その上,被告人丙野は,その効果も考えずに設備投資を行うなどして徒に経費を増大させたり,思いつきで従業員に指示を出すなどして現場を混乱させていたが,このような同被告人のやり方に異議を唱える従業員に対しては,本人の嫌がる部署へ異動させるなどして退職を促すなどしたため,従業員の定着率が悪く,更には,同被告人の経営手法に耐えかねた従業員が,拓銀に対し,同被告人の経営手法による社内の危機的状況を伝え,拓銀からの人材派遣を求めるなどした。被告人丙野は,拓銀に融資を申し込む際,財務担当者に対し,Bの業績が向上しているかのように装うため,売上げを過大に見積もるなどした資金繰り表を作成して拓銀に提出するよう指示していたところ,このような行為に耐えかねた財務担当者が,同被告人には秘して,実際にはより多額の赤字補填資金が必要となることを示した正しい内容の資金繰り表を拓銀に提出するなどしていた。なお,Aグループに対して拓銀から人材派遣が行われた平成7年以降においても,Bについては被告人丙野が実質的な経営権を行使していたところ,当初は,同社の取締役会長に就任した申野に対し,同社の財務担当者が月々の支払等を説明していたが,数か月後には,そのような説明もなくなり,同被告人が,同社の資金繰りなども含めて全てを決定するようになっていた(甲266,268,274,296,300)。

(3)  C

Cは,年間約60億円の売上げを見込み,平成5年4月にC'を開業させたが,開業初年度から計画の半分程度の30億円前後の売上げで推移し,損益分岐点と考えられていた年間四十数億円の売上げをも大きく下回ったことから,一度も営業利益及び経常利益を計上することがなかった。Cの平成6年3月期の営業損失は約21億円であったところ,開業当初から拓銀指導の下に行われた売上げ増強対策や経費削減対策の効果により,徐々に経常収支が改善されたものの,なおも10億円を超える営業損失を出していたため,同9年3月期における同社の繰越欠損は約81億円に達した。Cの借入残高は,平成5年3月期は約33億円であったが,その後,赤字補填資金等で毎年10億円以上の借入を行ったため,同7年1月当時においては約44億円,同9年3月期では約68億円にのぼった(丙野・50回,甲76,114,190,283,286,293,296,299,335,527,乙75,83)。

ところで,Cにおいては,C'の開業前から,Aと業務提携を結んだ,札幌市内でホテルを経営する札幌国際観光株式会社や株式会社日本交通公社等から派遣された者がCの市場開発部長や総支配人等に就任し,また,拓銀から派遣された西野や東野春男(以下「東野」という。)が代表取締役社長や専務取締役に就任した。西野らは,開業当初から,旅行会社や結婚式場の案内センターに対する営業活動等の売上げ増強策を行う一方,余剰人員の削減や光熱費の節約等の経費削減策を実行するなどした結果,Cの経費節減については,平成7年3月期において,前6年3月期と比較して,販売及び一般管理費を約7億3000万円減少させることに成功した。しかし,Cでは,平成6年7月ころに従業員の間で労働組合が結成された結果,経費節減の有力手段である余剰人員の削減が困難になったことや,次第に経費削減の方策も尽きてきたことから,その後は,同8年3月期では約1億5000万円,同9年3月期では約4000万円程度しか販売管理費を減少させることができなかった。一方,西野及びその後任の申野等の拓銀からの派遣者は,開業当初から,被告人丙野をC'の経営に極力参加させずにいたところ,このような拓銀側の経営方針に対し,同被告人は,同ホテルの売上げを70億円にするよう強く求めた上,平成8年1月ころ,ヒルトンホテルでの稼働経験を持つ甲山夏男を総支配人に就任させるなどしてC'の経営に口出しするようになったが,甲山の行った職場改革がかえって現場を混乱させ,C'の売上げの減少をもたらすなどしたことから,翌年9月ころから,同人に替わり,申野が総支配人を兼務するようになった。なお,平成7年に実施された拓銀からの人材派遣の際には,B'とC'の一体的経営による相乗効果を出すことを目的として,申野がB及びCの各代表取締役に就任するなどしたもの,Bの経営については被告人丙野に任せていた結果,B'は同被告人が経営し,C'は拓銀からの派遣者が経営するなどといった意識を互いに持つようになり,期待された相乗効果を上げることができなかった(甲280ないし286,292)。

(4)  ヘイノ興産

ヘイノ興産は,Aから,同社所有のC'等の賃貸用不動産を譲り受けるとともに,Aの債務の一部である約218億円を引き受け,不動産賃貸業を営んでいたが,その財務状況は,平成9年3月期において,資産額が約212億円で,負債額が約225億円だったほか,減価償却費や支払利息の発生により,毎期11億円余の経常損失を計上していた(甲109,194)。

なお,ヘイノ興産は,従業員の存在しない名前だけの会社だったので,拓銀から新規に融資を受けたことはなかった(甲300)。

(5)  D

Dは,平成7年10月ころに行われたAの分社化の際,自賄体制を前提として,同社の債務のうち約130億円を引き受けた上,同社が行っていた各種事業のうちの黒字基調にあった理美容室経営等の本業部門を引き継いで事業活動を開始したところ,同8年3月期の経常収支は赤字であったものの,翌9年3月期には営業収支及び経常収支のいずれも黒字化し,同10年3月期では,約2億4000万円の経常利益を計上した。もっとも,Dは,分社化当初に想定した売上げ計画を達成できずにいた一方で,過剰な設備投資を行うなどしたことから,償却前経常収支が当初の計画を大きく下回り,Aから引き受けた債務の返済資金等をその収益で賄うことができなかった。その結果,拓銀から,平成8年2月には2億円の借り入れを行ったのを初めとして,同年7月ころからは継続して運転資金の借入を行うようになった(庚野・33回,甲110,194,631)。

ところで,Dにおいては,拓銀と被告人丙野の間で結ばれた後記共通確認事項に基づき,同被告人と拓銀から派遣された丁野及び庚野との合議制で同社の営業方針等を決定することになっていたが,平成8年ころには,被告人丙野が,共通確認事項を無視し始め,独断で,理容室の新規出店や自社ビルの改築の話を進めたり,多額の費用をかけて同社の広告を行うなどする一方,同人の行動をいさめようとする丁野らに対しては,「営業部門に関しては全て取り仕切る。」などと言って同人らが営業に口を出すのを拒むとともに,「銀行から金を引き出してくるのが仕事だろう。」などと言って,同人らをあたかも拓銀から融資を引き出すための人材であるかのように扱い,専ら融資手続に関する事務を行わせるなどしていた(庚野・33回,甲263)。

6  拓銀におけるAグループの所管部及び担当役員等

(1)  Aグループの所管部

拓銀は,昭和59年ころ,Aと本格的な取引を開始し,同62年6月ころ,Bと取引を開始したところ,取引当初は,札幌南支店が営業店として融資申込みを受け,業務本部第1支店部が融資審査を行っていたが,その後,業務本部法人部が融資審査を行うようになり,同63年7月ころ,本店営業部が営業店となった。その後,前記組織改編に伴い,平成2年10月から同5年3月までの間は,総合開発第1部(平成3年10月に「総合開発第1部」が「総合開発部」に名称変更された。以下,全期間を通じて「総合開発部」という。)がAグループ各社の融資申込みを受けるとともに融資審査を行っていたが,同5年4月以降は,本店営業部に新しく設置された営業第5部がAグループ各社の融資申込みの受付け及び諸貸出し申請書の作成を行い,審査第1部が融資審査を担当するようになった。平成6年4月以降は,同月に実施された本部機構の組織改編に際し,不良債権の管理回収を専門的に処理することを目的とした審査第3部がAグループ各社に対する融資審査を担当することになり,さらに,同7年4月以降は,同部が融資申込みの受付手続も行うことになった。なお,拓銀の総授信残高が,Bについては融資開始当初の昭和62年6月から,Aについては平成2年12月ころから,それぞれ30億円を超えたため,同時期より,両社に対する融資は投融資会議の承認を経て実行されていた(甲195ないし197,205,302,321,513,乙5,35,36)。

(2)  Aグループの所管部の担当役員

Aグループに対する融資審査にあたる部署を担当する役員は,平成2年10月の組織改編以後同4年3月までは乙山秋男(以下「乙山」という。)常務,同4年6月以降は丙山冬男(以下「丙山」という。)常務,Aグループの所管部が審査第1部となった同5年4月以降は被告人乙野,同年10月以降は丁山一男(以下「丁山」という。)常務(平成6年6月から副頭取),同グループの所管部が審査第3部となった同6年4月以降は丙山,同7年6月以降は庚山二男(以下「庚山」という。)常務,同8年6月以降は申山三男(以下「申山」という。)常務,同9年5月以降は丁山であった(甲205)。

7  拓銀における融資手続等

(1)  融資手続の概要

拓銀における融資手続の概要は以下のとおりであった。すなわち,顧客から融資の申込みがあった場合には,権限規程に規定された与信限度額に従い,当該申込み額が営業店長権限内であれば営業店長の決裁により貸出しが実行されることになるが,営業店長権限を越える貸出し案件の場合には,営業店が取引先名,貸出金額,使途,貸出し条件,本件取扱後残高,本件取扱後保全状況,保証人,営業店意見等の必要事項を記入した諸貸出し申請書を作成し,所管の審査部で審査を受けた(申込みを受ける部署が審査を行う場合には部内で審査した)上,権限規程に定められた本部与信権限区分に従い,所定の決裁権を有する決裁権者に諸貸出し申請書と添付書類を上げて決裁を受け,融資が実行されることになっていた(甲45,303,330,331,512)。

(2)  貸出し権限及び融資関連の業務組織等

ア 貸出し権限

拓銀の平成2年12月当時の権限規程によれば,一般取引先に対し,総授信残高が6億円以下の場合には審査役が,20億円以下の場合には本部部長が,30億円以下の場合には担当取締役がそれぞれ決裁権限を有するものとされ,30億円を超える場合には投融資会議で決定するものとされていた。また,貸出金管理規定に定める準特定取引先(金利減免,棚上など信用リスクが顕在化した先)に対しては,総授信残高が3億円以下の場合には審査役が,10億円以下の場合には審査部部長が,15億円以下の場合には担当取締役がそれぞれ決裁権限を有するものとされ,15億円を超える場合には投融資会議で決定するものとされていた。さらに,貸出金管理規定に定める特定取引先(経営破綻先及びこれに準じる先)に対しては,総授信残高が1億円以下の場合には審査役が,3億円以下の場合には審査部部長が,5億円以下の場合には担当取締役がそれぞれ決裁権限を有するものとされ,5億円を超える場合には投融資会議で決定するものとされていた。その後,平成8年4月ころ,投融資会議が廃止されるとともに権限規程の改正が行われ,一般取引先に対し,総授信残高が10億円以下の場合には審査役が,30億円以下の場合には本部部長が,50億円以下の場合には担当取締役がそれぞれ決裁権限を有するものとされ,50億円を超える場合には頭取が単独で決裁するものと定められた。他方,特定・準特定取引先に対しては,総授信残高が3億円以下の場合には審査役が,10億円以下の場合には本部部長が,20億円以下の場合には担当取締役がそれぞれ決裁権限を有するものとされ,20億円を超える場合には頭取が単独で決裁するものとされた(甲39,40,42,乙32)。

イ 投融資会議

拓銀では,昭和59年から平成8年4月ころまで,一般取引先で総授信残高が30億円を超える場合や,総授信残高が準特定取引先で15億円,特定取引先で5億円を超える場合には,頭取,副頭取,当該取引先を所管する部署の担当取締役で構成された投融資会議と呼ばれる合議で当該融資の可否を決することとされ,通常,諸貸出し申請書の持ち回り決裁で協議を行い,頭取が最終決裁をするものとされていた。しかし,投融資会議は,持ち回り決議で決裁されるので実質的な議論が行われていなかったことや,責任の所在を不明確にするなどの問題点があったことから,平成8年4月ころ,廃止されるに至った(甲38,42)。

なお,重要な貸出し案件については,既に経営会議で貸出しの可否や取引先に対する取組方針が決まっていることがほとんどであったことや,投融資会議の構成員がいずれも経営会議の構成員であったことなどから,投融資会議で融資の可否が問題とされることはほとんどなかった(甲40,乙3,33)。

ウ 常務会,経営会議

拓銀は,取締役会規程において,取締役会の決議事項の具体的細目及び日常業務は常務会の決議によって処理することとして,常務会を拓銀の経営に関する重要な方針を決定する機関として位置づけ,常務会規程においては,主催者を頭取,構成員を頭取,副頭取,専務取締役及び常務取締役とし,常務会に付議する事項については,構成員の協議を経て頭取が決議するものとされていた。その後,拓銀は,平成2年10月の組織改編に際し,「常務会を『経営会議』として改組することについて」と題する通牒を発して常務会を経営会議に改組し,経営会議を経営の最高意思決定機関として位置づけた上,経営の基本方針に関すること,経営に重要な影響を与える可能性のある取引先に対する取引方針などに関すること,経営に重要な影響を及ぼす可能性のある事象への対応方針に関することなどを付議事項とした。経営会議の構成員は,頭取,副頭取,専務取締役,常務取締役及び企画部長(総合企画部長)とされ,付議された事項については,常務会と同様,構成員の協議を得て頭取(代行者を含む)が決議するものとされていた。なお,経営会議は,平成8年3月に正式に規程化された(甲37,40,41)。

このように,経営会議の付議事項の中には,経営に重要な影響を与える可能性のある取引先との取引方針などに関することが含まれていたため,経営状況が悪化した大口取引先への融資方針等は経営会議で決められ,また,そのような取引先に対する個々の融資の可否についても,実質上,経営会議で決められていた(甲40)。

エ 取締役会

拓銀は,定款において,取締役会は取締役全員をもって構成し,重要な業務執行を決定すると定め,さらに,取締役会規程,常務会規程,経営会議規程では,取締役会で決議された案件について,常務会,経営会議で細目を決定することと規定されていたが,実際上は,取締役会の決議を待たずに常務会や経営会議で取締役会の付議案件を細目まで含めて決定し,その後,取締役会に諮る運用となっていた。したがって,取締役会は,実質的には,経営会議で決定した付議案件を追認するだけの機関となっていた(乙4,32)。

8  頭取の任務に関する準則等

(1)  融資の一般原則

拓銀の貸出し業務取扱規程には,貸出しの運営及び個々の貸出しについては,経済性の原則及び公共性の原則を堅持しなければならない旨の貸出しの基本原則が定められていたが,経済性の原則の内容として,貸出しにあたってはその回収財源と回収方法が確実であり,信用リスクの発生に備えるため,原則として保証及び担保を申し受けることを要請する「安全性の原則」,貸出しは手形貸付よりも優良商手を優先させるなど資金の流動性を高めるとともに,徴求する担保についても有価証券等の流動性の高いものや,不動産の場合換価性の高いものを優先的に申し受けて,万一の場合に不稼働資産の早期回収に努めることを要請する「流動性の原則」,貸出しは銀行の収益向上に資するものでなければならないとする「収益性の原則」及び貸出しは貸出し先の発展を助長し,その事業を進展させるものでなくてはならないとする「成長性の原則」の4原則が掲げられていた。また,公共性の原則の内容としては,経済性の原則を堅持しながら,公共的使命の達成に努めなければならないと規定されていた(甲43,46)。

(2)  拓銀の業務方針,業務計画

ア 業務方針

(ア) 業務本部制等

拓銀では,収益を向上させるため,昭和59年7月ころから,営業推進部門と審査部門を一体化することを内容とした「事業本部制」を採用するとともに,インキュベーター路線を打ち出すなどして積極的に貸付量を拡大させる方針を取っていた(甲35,202,乙11)。

(イ) 21世紀プロジェクト

前記のとおり,被告人甲野は,頭取に就任した直後の平成元年から,拓銀内部に「21世紀プロジェクト」を発足させて将来の拓銀の経営方針を検討させた上,顧客志向の経営,収益重視の経営,行員を活かす経営の3点を基本とした経営理念を明らかにするとともに,同2年10月ころ,組織改編を行い,その一環として,札幌本部に「審査第1部」を,東京本部に「審査第2部」をそれぞれ設置するなどして各部署の相互牽制機能を強化する一方,収益重視の経営理念を具体化するため,大口取引先に対する営業店窓口機能と審査機能を併せ持った部署として,札幌本部に「総合開発第1部」を,東京本部に「総合開発第2部」をそれぞれ設置して機動的な融資に対応できる体制をとるなどした(甲202,203,乙11)。

(ウ) 「バブル経済下の経営(まとめ)」

拓銀は,バブル経済の崩壊によって不稼働資産が増大したことから,平成4年4月に行われた経営会議において,それまでの経営の問題点等を検討したが,そこでは,当時の経営が,収益向上を重視するあまり,業務推進面に力点が置かれ,審査部門が弱体化していたことなどを指摘した上,融資を決定するにあたり,担保評価のみに依存し,企業ごとの業態の観察を基本とした事業計画の事前検討,資金使途の確認,返済財源の見極め,経営者の資質といった基本的事項に対しての検討がないがしろにされていたこと,経営リスクや信用リスク回避のための考え方や手法が十分に検討されていなかったことなどを反省するとともに,今後の経営方針として,貸出しの基本原則を遵守して原点への回帰を徹底すること,信用リスク管理を徹底することを確認した(甲524)。

イ 業務計画

(ア) 第1次中期計画

拓銀は,「21世紀プロジェクト」で提唱された経営理念等を実行するため,平成3年度から同4年度の2か年において,資産収支の飛躍的向上,非金利収入の飛躍的増強,リスク管理強化,業務の効率化・経費抑制を重点経営課題等とする第1次中期計画を策定した(甲623)。

(イ) 第2次中期計画

拓銀は,平成5年度から同7年度において第2次中期計画に取り組むことにしたが,第2次中期計画は,前記第1次中期計画中にバブル経済の崩壊で多額の不良債権が生じたことなどから,顧客や地域社会からの信頼を回復することを第一に,基本を重視した健全経営に徹すること,不良資産の処理と企業体力の回復を重要課題として,基礎収益力の強化,経営の効率化,不良資産の整理と回収を重点施策とすることなどを内容とするものであった(戊川・26回,北田・29回,甲624)。

(ウ) 第3次中期計画

拓銀は,平成8年度から同11年度にかけて第3次中期計画を策定したが,そこでは,第2次中期計画の遂行過程において,不動産や株式相場の下落により,資産内容の健全化に進展がみられなかったことや,中小金融機関が経営破綻し,拓銀に対するマスコミ報道や顧客の目が厳しさを増すなど,経営環境が悪化したことなどから,銀行業務の基本である信用を重視し,拓銀に対する信頼を高め,営業基盤を再構築すること,収益力の向上と不良資産の整理・回収を好循環につなげていくこと,真に顧客や社会から必要とされる金融機関として確固たる地位を固めることを基本方針とし,不均衡の是正,不良資産の整理・回収,収益力の強化,経営の効率化を重点施策とすることとした(甲624)。

9  拓銀のAグループに対する融資状況等

(1)  Aグループに対する融資の経緯等

拓銀は,昭和54年ころ,札幌南支店が窓口となり,Aとの取引を開始し,同58年5月ころには,「Eビル」の建設資金等を融資するなどして同社の主要取引銀行となったところ,その後,当時拓銀の常務取締役業務本部長(後の副頭取)であった癸山四男(以下「癸山」という。)や業務本部法人部長であった乙山らが,Aを目に掛けるようになり,同61年ころ,その担当を業務本部第1支店部から業務本部法人部に所管替えするなどして,Aをインキュベーター路線の対象企業として積極的に支援するようになった(甲195,乙77)。

(2)  融資状況

ア B'の建設資金等の融資

被告人丙野は,昭和60年ころ,B'の建設を企画し,所要資金の融資申込みを札幌南支店に行っていたところ,当初は業務本部第1支店部が融資審査にあたっていたが,その後,業務本部法人部がこの案件を受け持ち,以後,同部主導の下でプロジェクトチームが編成されて検討されることになった。そして,当時法人部長であった乙山が,B'のモデルとなったドイツの温泉保養リゾート施設の視察に赴くなどして検討が重ねられた結果,拓銀は,昭和61年3月,Aに対し,B'建設用地の購入資金として9億7000万円の融資を実行するとともに,同年11月に設立されたBに対し,北東公庫から20億円,長銀から10億円及び明治生命保険相互会社から7億円の協調融資を取り付けた上,B'建設資金として70億円の融資を実行した(甲69ないし72,196ないし198,200,乙77)。

イ 茨戸開発事業資金の融資

被告人丙野は,後記のとおり,B'建設直後から,その後背地を買収するなどして茨戸開発に着手したが,同地区が都市計画法上の市街化調整区域に指定されていた上,その大半が農地であったことから,農地法の制限を受けずに事業対象地内の農地を買収する方法を思案していた。被告人丙野は,平成2年1月ころ,農事組合法人を介して農地を取得することを思い立ち,当時本店営業部長であり,その後総合開発部担当役員となった乙山に土地取得資金の融資を依頼したが,当時Aを積極的に支援していた乙山はこれを承諾し,以後,同人の指示に基づき,たくぎんファイナンスがその融資を行うことになった。そして,後記のとおり,被告人丙野は,平成2年4月ころ,ヤオハンの茨戸開発への参加を受けて買収対象地を約24万坪に広げ,同年から平成5年ころにかけて積極的に用地買収を進めたが,これらの茨戸開発事業資金のほとんどは,たくぎんファイナンスからの融資によるものであった(北山・3回,丙山・12回,甲62,乙79)。

一方,たくぎんファイナンスは,買収対象地が市街化調整区域内の農地であったことやAが拓銀の積極的支援先であるとの理由から,異例扱いの無担保でAの融資に応じていたが,Aへの融資額が多額となった上,その後の融資額も増大することが予想されたことから,平成2年11月,Aを所管する総合開発部に対し,Aの融資について担保権設定等の債権保全策を検討したい旨要望した。しかし,総合開発部は,農地法違反の疑いのある被告人丙野の開発用地買収行為に,たくぎんファイナンスが関与していることが登記簿上明らかになるのを回避するため,たくぎんファイナンスの要望を受け入れなかったことから,たくぎんファイナンスは,その後も無担保で茨戸開発事業資金を融資していた。その後,たくぎんファイナンスは,平成3年8月ころ,前年に実施されたいわゆる総量規制等の影響により,資金繰りが苦しくなり,Aに対する貸付資金も不足するようになったことから,総合開発部にその旨報告したところ,これを受け,当時総合開発部上席調査役でAグループを担当していた北山五男(以下「北山」という。)が,たくぎんファイナンスの所管部であった審査第1部に対し,同社にいわゆるバックファイナンスとして融資を行うよう依頼し,その結果,拓銀からたくぎんファイナンスに対し,同年12月までに3回にわたり合計55億円の融資が実行された(以後「平成3年のバックファイナンス」という。)ことから,同社は,引き続き,Aに茨戸開発事業資金の融資を継続した。なお,この3回にわたって行われた合計55億円のバックファイナンスの諸貸出し申請書には,融資申込み理由として「他行への返済資金」などと虚偽の内容が記載された上,その余白欄には,鉛筆書きで「土地資金に対するバックファイナンス」などと記載されていた(北山・3回,南山・5回,7回,甲252,507,519)。

このようにして,たくぎんファイナンスがAに茨戸開発事業資金を継続して融資した結果,平成6年3月期において,たくぎんファイナンスのAに対する融資額は162億円余に達するとともに,Aに対する貸付金がたくぎんファイナンスの貸付金総額のうち約1割を占めるようになった(甲60,550,乙79)。

ウ C'の建設資金等の融資

被告人丙野は,B'を建設したころから茨戸開発の一環としてホテル建設を考えていたが,当初の構想ではB'の来客用としての小規模なものであったものの,平成2年4月ころ,華僑資本を背景として積極的に海外で事業を展開していたヤオハンが,茨戸地区に世界的なショッピングセンターを出店する旨の意向を示したことなどから,国際的にも通用する大規模な高級ホテルを建設することにし,総合開発部に対し,札幌市内で最大規模のコンベンションホール・大宴会場などを備えた地上11階建の都市型リゾートホテル建設の計画書を提出し,建設資金や什器備品費等合計210億円の融資の申込みを行うに至った(丙野・49回,50回,甲509,乙78)。

これに対し,当初,総合開発部は,Bの売上げが低迷していたことやC'建設資金等のほぼ全額が借入金で賄われる予定となっていたことなどから,その事業採算性に疑問を持ち難色を示した。しかし,総合開発部担当役員であった乙山や副頭取の癸山から積極的に対処するよう求められたことから,総合開発部は,急遽,茨戸開発の実現によって見込まれる約70億円の開発利益を自己資金に準ずるものとして扱い,これを前提とする返済計画を策定した上,ホテル総工費150億円のうち75億円について,北東公庫及び長銀との協調融資が成立する確実な見通しがなかったのに,協調融資が成立する見込みであるなどとする資料を作成し,平成3年3月28日に開かれた投融資会議(以下「平成3年3月投融資会議」という。)にC'建設資金等の融資案件を付議した。平成3年3月投融資会議においては,出席者の中から採算性に疑念を呈する意見も出たが,癸山が総合開発部に同調する意見を述べたことなどから,結局,融資が承認され,ホテル建設工事費75億円及び什器備品等費用50億円の融資が実行されることになった。なお,C'の建設主体は当初Bであったが,その後,Aに変更された(北山・3回,4回,丙田・36回,甲509)。

ところで,総合開発部は,C'建設資金等の融資案件を投融資会議に付議した際には,単に,協調融資の可能性について北東公庫や長銀に打診したにすぎない段階であったことから,C'建設資金等の融資が承認された後にも同公庫らと交渉を行っていたが,Aグループの返済能力に問題があることのほか,同ホテル建設場所が札幌の中心街から遠く離れた交通の便の悪いところで立地条件に問題があること,自己資金の代わりに開発利益を組み入れる旨の資金計画についても,その前提となる茨戸開発の実現性が不透明であることなどを理由に,同公庫らがいずれも消極的な姿勢をとり続けたことから,協調融資を成立させることができずにいた。このような状況の中,被告人甲野は,C'に対する拓銀の支援を対外的に表明するためにも,同ホテルの開業に合わせて拓銀から人材派遣を行うことを決定するとともに,総合開発部の担当常務であった丙山や当時専務取締役であった被告人乙野に対し,北東公庫との交渉を指示するなどしていたが,平成5年8月ころ,同公庫及び長銀から協調融資を拒絶する旨の返答を正式に受け,協調融資を断念するに至った(北山・3回,4回,丙山・12回,甲247ないし250,509,547,548)。

また,総合開発部は,北東公庫及び長銀の他にも,C'の火災保険加入等の商材を絡めて損害保険各社に融資を打診するなどしていたが,いずれも茨戸開発の見極めが難しいとして申し入れを拒まれた(甲509)。

なお,前記のとおり,C'の総工費は,平成3年3月の時点では約210億円と予定されていたが,同年6月の着工後,度重なる見積の変更や追加工事等によって総工費が増額された結果,最終的には約266億円となり,さらに,北東公庫や長銀との協調融資が不調に終わったことから,結局,拓銀1行で約236億円もの資金負担を余儀なくされることになった(以下,C'建設に関する貸付金を「ホテル建設資金」という。)(北山・3回,丙田36回,甲509,510)。

エ その後の赤字補填資金等の融資

拓銀グループのAグループに対する貸付残高は,平成5年5月末時点では約482億円であったところ,その後,グループ各社に対して赤字補填金等の貸付けを継続したことから,同7年1月当時では約630億円に達し,そのころ,同グループに対し利払凍結等の金融支援を行うなどして貸出しの圧縮を図ったものの,同9年5月当時には約730億円にのぼった(甲510,511,乙89)。

オ 本件各融資の返済状況

本件各融資については,返済期日が到来すると,拓銀がA等に返済額と同額の貸付けを行って形式的に返済させるなどしていたが,実質的には返済されなかった(甲191ないし193)。

(3)  被告人甲野及び同乙野の関与状況

ア 被告人甲野

被告人甲野は,副頭取に就任した昭和61年4月以降,投融資会議の構成員としてAグループへの融資に関与し,平成元年4月以降は頭取として融資の決裁にあたった。また,Cに対する融資に関しては,融資開始時である平成5年3月から決裁していた(甲38,205,乙2)。

なお,被告人甲野は,頭取を辞任した平成6年6月以降は,Aグループの融資等に関与することはなかった(甲41,乙10)。

イ 被告人乙野

被告人乙野は,平成元年4月から同2年9月まで,業務本部長としてA及びBの融資案件に関与したほか,Aグループの所管が審査第1部に移った同5年4月以降,同部の担当取締役として投融資会議の構成員となり,グループ各社に対する融資の決裁に関わっていたが,同年6月からは副頭取として,更に同6年6月29日以降は頭取として,グループ各社に対する融資の決裁を行った。なお,平成8年4月の権限規程の改正当時,Aグループ各社に対する拓銀の総授信残高はいずれも50億円を超過していたので,その融資の決定は頭取であった被告人乙野の専権に属することになったが,権限規程の改正後においても,同グループの諸貸出し申請書は,従前どおり,審査第3部担当役員及び副頭取を経由して同被告人の決裁にあげられていた(甲38,205,514,乙35)。

(4)  Aグループに対する債権の保全状況

ア Aに対する債権の保全状況

(ア) 拓銀のAに対する債権の保全状況

拓銀は,Aと取引を開始した当初から,同社が所有する不動産に抵当権を設定し,その後も同社が新たに取得した不動産やB所有の不動産に根抵当権を設定するなどして債権保全を図っていたが,平成元年11月ころから,貸付金総額が担保不動産の実効担保価格を超え,いわゆる保全不足の状態に陥っていた。拓銀は,平成6年ころ,被告人丙野が個人で所有する不動産等にも抵当権を設定したほか,Aグループ各社の株式を担保に徴求するなどして担保を追加させたが,その時点では,Aの保全不足額が150億円以上に拡大していたため,このような措置によって保全不足が解消されることはなかった(甲86,87,90,91,94ないし97,99ないし104,199,乙7,72)。

また,Aの債務については,被告人丙野のほか,同人の妻である花子やCが連帯保証人となるなどしていたが,同人らの資力等に照らし,担保の実質を備えるものではなかった(甲105,112,199,乙72,83)。

(イ) たくぎんファイナンスのAに対する債権の保全状況

前記のとおり,たくぎんファイナンスは,Aに対し160億円を超える茨戸開発事業資金を貸付けていたところ,当該土地の大半が農地であったため,無担保同然の状態であった。平成6年1月ころ,たくぎんファイナンスは,Aが取得した農地以外の地目の土地に極度額を10億円とする根抵当権を設定したが,その後は債権保全措置が講じられたことはなかった(甲61,62,103,520)。

イ Bに対する債権の保全状況

拓銀は,Bに対し,B'などをBやAの所有する不動産に根抵当権を設定するなどして債権保全措置を講じていたところ,平成6年8月ころに実施された大蔵省検査の際,その担保不動産の評価を見直した結果,それまで約49億円と評価されていた実効担保価格が30億円にも満たず,保全不足の状態にあることが判明した。それ以後,Bに対する融資は,保全不足の状態で実行されることになった(甲86,88,90,92,94ないし101,乙74,83)。

なお,Bに対する融資については,平成9年6月ころまでは被告人丙野及びAが,その後はC及びヘイノ興産が連帯保証人となっていたが,同人らの資力等に照らし,保全不足を解消できるものではなかった(甲106,112,乙7,74)。

ウ Cに対する債権の保全状況

拓銀は,C'の敷地や建物等に極度額を30億円とする共同根抵当権を設定していたものの,後順位で担保価値が見出せなかったため,Cへの融資に関しては,融資全額が保全不足の状態にあった(甲86,89,90,93ないし97,100,101,乙7)。

なお,Cに対する融資については,被告人丙野,A,ヘイノ興産,D,Bが連帯保証人になるなどしていたが,いずれもその資力等に照らし,担保としての実質はなかった(甲107,112)。

エ Aグループに対する債権の保全状況

Aグループに対する拓銀グループの保全不足額は,平成5年5月末現在においては約216億円であったが,その後,同6年3月期現在においては339億円,同7年1月現在では約370億円にのぼり,その後も拡大し続けていた(甲509,510)。

10  茨戸開発の経緯及び進捗状況等

(1)  総合開発部所管以前の茨戸開発の進捗状況等

ア 茨戸開発の経緯

被告人丙野は,B'の建設を企図したころから,将来的には,同施設を中心に宿泊施設やレジャー施設を建設し,ドイツの郊外型保養施設をモデルとした10万坪程度の複合都市施設を開発するという構想を抱き,昭和63年ころから,B'の後背地等を買収するなどしていたが,平成2年4月ころ,乙山の紹介で,ヤオハングループの総帥である和田一夫代表(以下「和田代表」という。)と面識をもち,茨戸開発への参画を打診したところ,ヤオハンが茨戸開発に参加して茨戸地区に大規模なショッピングセンター等を建設する方針を固めたことから,その後,事業内容を変更し,開発規模を約24万坪に拡大した上,ヤオハンを中心として開発を進めることにし,総事業費100億円のアミューズメント施設建設なども企画するようになった(甲62,387,445,乙78)。

イ 開発用地の買収状況等

被告人丙野は,昭和63年ころから開発用地の買収に着手したが,同地区が市街化調整区域に指定され,対象地の大半が農地であったことから,農地法の適用を受けずに対象地を買収する方法を思案していたところ,平成2年初めころ,農事組合法人を介在させて農地買収を行うことを思い立ち,同年3月,西山六男らを通じ,農事組合法人F(以下「F」という。)を設立登記し,同法人名義で茨戸地区の農地買収を進めることにした。しかし,Fの組合員には農業従事者がいなかったため,被告人丙野は,平成2年6月ころ,札幌市農業委員会から,F名義での農地買収を中止するよう指導された上,農事組合法人を監督する北海道庁の出先機関である石狩支庁からもFの解散を指導されたことから,それまで地権者と取り交わした農地の売買契約について,Aを貸主とした金銭消費貸借契約等に改めるとともに,その後は,Aあるいは被告人丙野の元雇用主を名義人として茨戸地区の非農地を買収するとともに,農地については,地権者との間で,土地代金等に相当する金額を目的とした金銭消費貸借契約及び農地転用許可を条件とした停止条件付売買契約等を締結した上,Aを権利者とする停止条件付所有権移転仮登記及び条件付抵当権設定仮登記等の登記手続を経由するなどして買収を進めることにした。ところが,その後,被告人丙野は,札幌市農業委員会から,Aと地権者との間で交わされた契約に農地法違反の疑いがあると指摘され,所有権移転仮登記を抹消するよう指導されたことから,平成4年8月,所有権移転仮登記を抹消し,さらに,翌5年1月ころ,再度,札幌市農業委員会から,農地法違反に通じることが懸念されるとの理由により抵当権設定仮登記の抹消も指導されたことから,同年3月,これに従って抵当権設定仮登記の抹消した。なお,石狩支庁は,このようなAの農地買収に向けた動きについて,マスコミ報道等を通じて聞き及んでいたが,札幌市農業委員会から農地法に違反するものではないとの報告を受けていたことや,事業対象地内の農地では,表面上,その主体が替わることなく営農が継続されていたことから,結局,Aによる農地買収が行われているものとは断定できないとして,この問題を農地法違反として取り扱わなかった(甲373ないし375,377,379,380,382,384ないし386,388,390,392,393,395ないし422,432,乙79,80,82)。

また,茨戸地区の開発用地の売買については,国土利用計画法(以下「国土法」という。)上,売買の事前届けを札幌市に提出する必要があったが,A及び被告人丙野は,この事前申請を行わないまま開発用地の買収を進めていた(甲442,乙80)。

このようにして,被告人丙野は,茨戸地区の開発用地を次々に買収していったが,その買収は,約20万坪については順調に進んだものの,その後,地権者から,代替地を求められたり,売却代金をつり上げられるなどして交渉が難航するようになり,平成6年に入っても,残りの約4万坪の買収が完了せず,茨戸開発事業対象地はいわゆる虫食い状態になっていた(甲62,373,376,378,382,390ないし422)。

ウ ヤオハンの参加

ヤオハンは,茨戸開発への参画を決めた以降,平成2年5月には,乙山の立会の下,茨戸地区の3万坪の農地を対象とする売買予定契約をAとの間で締結し,同社に1億2000万円を支払ったのを始めとして,同4年にかけて,Bとの間で,同社が周辺道路の拡幅工事や下水道施設に関する許認可取得手続等を行うことを内容とする業務委託契約を締結し,その協力金として合計17億円を支払い,Aとの間では,前記売買予定契約を,農地転用許可及び農用地区域の指定解除を受けることを条件とする停止条件付売買契約に改め,土地代金の残金として22億8000万円を支払うなど,多額の資金を投じるなどして茨戸開発への積極的な態度を示した上,さらに,その間の同4年6月,Aとの間で,茨戸開発を進めるための開発会社を設立し,ヤオハンが50パーセントの出資を行うこと,Aの企図するアミューズメント施設に共同参画することなどを合意するとともに,札幌市内に現地事務所を設けて担当者を常駐させるなどした。なお,ヤオハンがA及びBに支払った業務委託金や土地代金の大半は,拓銀から無担保で借り入れたものであった(甲277,448,449,460,乙78)。

しかし,ヤオハンは,平成4年後半ころから,進出予定地の一部に未買収部分が残っていることを知ったほか,茨戸開発の計画内容がなかなか具体化されないこと,長銀等のヤオハンの主要取引銀行が茨戸開発への進出に消極的な姿勢を示したことなどから,社内で方針を見直すようになり,同5年に入ると,茨戸開発から撤退する方針を次第に固め,以後は,投下資本の回収に重きを置くようになった(甲448ないし450,乙80)。

エ その他の企業の進出状況

被告人丙野は,ヤオハン以外の企業に対しても茨戸開発への参画を呼びかけるなどしたが,平成3年半ばころに乙山の要請に応じて参加表明した,不動産の賃貸事業等を営む拓銀の系列会社の株式会社タクト(以下「タクト」という。)以外には,茨戸開発に参加表明する企業は現れなかった。また,ヤオハンから,外資系企業を誘致する旨の話が出るなどしたものの,その話が具体化することもなかった(南山・5回,甲444,445,461,462,520)。

なお,タクトは,茨戸開発への参画を決めた後,B及びAに対し,開発業務委託金あるいは土地購入代金の名目で合計39億5000万円を支払った(甲461)。

オ 茨戸開発と札幌市の対応

札幌市は,平成元年ころから,被告人丙野のC'建設構想に対し積極的な対応をしていたが,そのころ,同被告人から茨戸開発の構想を示され,石狩市や北海道開発局と三者協議会を開催するなどしてこれを検討していた。そのような中,平成2年5月ころ,札幌市長を表敬訪問した和田代表から,ヤオハンのショッピングセンター出店に対する札幌市の協力を求められたところ,札幌市上層部は,茨戸地区が,市街化調整区域である上,農業振興地域の整備に関する法律(以下「農振法」という。)で農用地区域にも指定されるなど,法令上厳しく開発を制限された地域であったものの,札幌市の長期総合計画の中で,「水辺の環境を生かした活用を誘導,促進する。」と位置づけられていたことから,民間企業の投資によって同地区の発展が促進されることに期待し,ヤオハンの札幌進出や茨戸開発を積極的に支援する方向で臨むことにした。札幌市では平成3年3月に都市計画法に基づく都市計画の見直しが予定されていたが,その見直しにおいては,市街化区域編入の対象となる地区域が既に確定していたため,茨戸地区を市街化区域に編入するには,その5年後に予定された都市計画の見直し時期まで待たなければならなかった。そこで,札幌市では,早急な出店を望むヤオハンの意向を汲み,市街化調整区域内における特例措置として,市街化調整区域のまま,ヤオハンのショッピングセンター建設等の開発行為を認める開発手法(以下「市街化調整区域内の特例開発」という。)で茨戸開発を進めさせることにし,同3年10月ころ,同市の土地利用に関する計画案の策定業務等を所管する企画調整局企画部企画課(以下「企画調整局」という。)主幹であった原田泰明(以下「原田主幹」という。)を,茨戸開発に関する札幌市の窓口とした。一方,被告人丙野も,平成3年5月ころ,コンサルティング会社である株式会社北都企画設計事務所との間で,茨戸開発の基本計画の策定等を目的とする業務委託契約を締結し,同社が下請けとした株式会社田上開発設計(以下「田上設計」という。)を,札幌市との連絡・調整等にあたらせることにした。このような状況の中,企画調整局は,平成4年6月ころ,ヤオハン及び田上設計との間で茨戸開発のスケジュールについて打ち合わせを行い,同社らに対し,同6年4月を目途に,ヤオハンがショッピングセンターの建設に着工できるよう作業を進めることを考えているなどと伝えた。しかし,その後,田上設計等から,「ワールド・アクアティック・センター事業提案書」と題する事業提案書等が内々に提出されたものの,具体的な事業内容や進出企業等が明らかにされていなかったことなどから,企画調整局では,平成6年4月のショッピングセンター建設着工の見通しについて懸念を抱くようになった(甲437,438,441,464,乙78)。

なお,前記のとおり,札幌市では,茨戸開発の開発許認可をめぐる指導等は,企画調整局企画課によって行われていたが,本来,同市における開発許認可業務は都市整備局が所管しており,同局の担当者は,茨戸地区を市街化区域に編入しないまま,市街化調整区域内における特例措置として開発を認めることに消極的な姿勢を示していた(甲439)。

ところで,Aが買収を予定した農地は,2ヘクタールを超える市街化調整区域内の一団の農地であったので,同土地を農地以外に転用するためには,農地法上,農業委員会が北海道庁の意見を付した転用許可申請を農林水産省に提出して農林水産大臣の許可を得る必要があり,また,前記のとおり,同土地の一部は農振法に基づき農業振興地区における農用地区域に指定され,原則的にその区域内の農地につき宅地等への転用を認めない取扱いとされていたので,その転用のためには,北海道知事が行う農業振興地区の見直しの際に,茨戸地区の農業振興地区の指定が解除されることが必要であった。そこで,企画調整局は,平成5年3月ころ,農地転用許可や農用地区域の指定解除に向け,札幌市農業委員会に対し,国及び北海道に事前の根回しを行うよう要請した。このような要請を受けた札幌市農業委員会の担当者らは,石狩支庁農業振興部農務課の担当者のもとを何度も訪れ,農地転用許可を得る方策を見出そうとしたが,同支庁からは,茨戸地区の農地が農林事務次官通達によって示された転用許可基準により転用を厳しく制限された農業生産性の高い乙種第1種農地に該当するとの理由により,農林水産大臣の許可が得られる見込みがない旨の見解を示されていた。また,平成5年4月下旬,札幌市側からは企画調整局及び札幌市農業委員会の担当者が,北海道側からは石狩支庁農業振興部農務課及び本庁農政部農地調整課の担当者がそれぞれ出席して開催された協議会において,札幌市農業委員会の担当者は,道の担当者から,農地転用が許可される見込みがないとの回答を受けるに至ったが,その後も翌6年3月ころまでの間,北海道庁の担当者等に対し,茨戸地区に存在する自転車道があたかも交通量の多い道路であるかのような資料を提出して同道路が茨戸地区の農地における分断要因となっていると説明し,茨戸地区の農地が農業生産性の低い乙種第2種農地に該当する旨主張したり,更には,農地転用許可基準を曲げて茨戸地区の農地転用を認めるよう執拗に求めるなどした(甲431ないし437,441)。

カ Aの開発用地買収に絡む国土法,農地法違反問題とマスコミ報道

前記のとおり,被告人丙野は,平成2年ころから,農地法違反の疑いのある方法で茨戸地区の農地の買収を進めていたところ,同年12月以降,いわゆるブラックジャーナルと呼ばれる人事ジャーナル誌がこの問題を数回にわたり連続して特集し,さらに,同5年2月には北海道新聞もこの問題を取り上げ,Aが茨戸地区の農地等を買収していること,その買収資金が拓銀グループから融資されていることなどの記事を掲載した。一方,平成5年3月,北海道新聞により,函館市長の実兄である同市内の不動産業者が,地権者と金銭消費貸借契約の名目で,実質的には大規模な農地の売買を行うなど,Aと同様の手法により農地を買収していたとの容疑により,国土法違反容疑で逮捕されたことが報道された(甲504ないし506,515)。

(2)  審査第1部所管当時の茨戸開発の進捗状況等

ア Aの国土法,農地法違反問題

企画調整局では,平成5年5月ころ,田上設計から前記「ワールド・アクアティック・センター」構想に替わるものとして,「サッポロ・リバーサイド・プレイス」と題する事業提案書の提出を内々に受け,同事業提案書を検討していたところ,その過程で,Aが,国土法に定められた届出を行わずに,地権者との間で条件付所有権移転仮登記を設定するなどしていたことが判明し,同社が国土法に違反して開発用地を買収していた疑いが濃厚であると考えた。そこで,企画調整局計画部土地対策課が,Aの国土法違反の事実について調査に乗り出し,平成6年2月下旬,被告人丙野に対して事情聴取を行うなどした結果,国土法違反の事実が認められたことから,翌3月,Aに対して札幌市長名で文書による注意処分を行った(甲441,442,乙80)。

他方,企画調整局は,前記のとおり,人事ジャーナル誌によって,Aが農地法に違反して茨戸地区の農地を買収しているとの疑惑が報道されたことを受け,平成3年終わりころ,札幌市農業委員会にAの農地法違反の事実について確認したところ,同委員会から「Aと農家とは金の貸し借りで,現在,土地は農地として耕作に使用されているので,農地法には違反しない。」との回答を受けたことから,それ以上の調査は行わなかった。また,札幌市議会では,議員からAの農地法違反を追及する質問が出されたものの,助役や企画調整局長等は,札幌市農業委員会の報告に基づき,Aに農地法違反はないとの答弁を繰り返していた(甲437,440,441,520)。

イ 開発主体の変更

被告人丙野は,札幌市から,茨戸開発を進めるための受皿会社を設立するよう指導されたことを受け,平成4年6月ころ,ヤオハンとの間で,開発会社を共同で設立して,Aの有する地権者への債権等を開発会社に譲渡し,同開発会社が主体となって茨戸開発を進めることなどを合意するとともに,札幌市に対しても,ヤオハン,A及びタクトで札幌国際開発株式会社(以下「札幌国際開発」という。)を設立するなどと説明していた(甲441,462,509,乙78)。

ところで,企画調整局は,平成4年半ばころには,Aの開発事業遂行能力等に疑問を持ち,茨戸開発はヤオハン主体で行うべきであるとの意向をもつようになったが,さらに,前記のとおり,同5年5月ころ,Aの国土法違反の容疑が濃厚になったことから,A及び被告人丙野が茨戸開発の主体から外れなければ開発許認可は出さないとのいわゆる「丙野外し」の方針を固めるとともに,田上設計や拓銀に対し,その旨の指導を行った。これを受け,拓銀は,ヤオハン及びタクトの関係者と協議し,被告人丙野及びAを札幌国際開発の設立に加わらせないことを決めるとともに,平成5年8月ころから,被告人乙野等が同丙野と交渉し,同年10月ころ,同被告人に対し,Aが札幌国際開発の設立主体に加わらないこと,同被告人に替わって拓銀が札幌国際開発の設立主体となり,今後,拓銀,ヤオハン及びタクトで茨戸開発を進めていくこと,同被告人は水面下で開発用地の買収を進めることなどを了承させた。このようにして,平成5年10月以降,被告人丙野が開発主体から表面上外れることになった一方,同被告人に替わり,拓銀が茨戸開発の表舞台に立つようになった(南山・5回,6回,甲437,440,441,464,673,520,乙80)。

ウ ヤオハンの姿勢の変化

前記のとおり,ヤオハンは,平成4年ころまでは,茨戸開発の参加に積極的な姿勢を示していたものの,同5年に入ってからは,次第に茨戸開発に対する取組姿勢を消極化させるようになり,同年3月ころには,札幌市がヤオハンの正式な出店表明があることを事実上の許認可の要件としていたにもかかわらず,海外における株式上場やプロジェクトの遂行等を理由に出店表明を延期し,さらに,同年11月以降は,Aが茨戸開発の開発主体から外れたことを口実として,同社に対し,それまでの合意事項を白紙撤回することや,ヤオハンがAやBに支払った土地代金や業務委託金の返還などを要求するとともに,拓銀に対しても,Aの土地代金24億円の返還について保証するよう要求するなど,それまでに投じた資金の回収を図る動きをとるようになった(南山・6回,甲449,509,510,520,乙80)。

このようなヤオハンの態度の変化を受け,拓銀では,平成6年1月17日に開催された経営会議(以下「平成6年1月経営会議」という。)において,ヤオハンの真意を検討するとともに,ヤオハンの要求に対する対応を協議したが,その結果,ヤオハンの真意が茨戸開発からの撤退を前提に,それまでの投下資金の回収を保全することにあると認識したものの,ヤオハンの要求を拒否した場合には,ヤオハンに茨戸開発から撤退する口実を与えることになると判断し,これを回避するため,24億円の支払保証に応じることとした(甲510)。

ヤオハンは,拓銀が24億円の支払保証を承諾したことから,平成6年1月20日,札幌市に対し,正式な出店表明を行うとともに,札幌国際開発の設立に向けて正式に発足した札幌国際開発株式会社設立準備会(以下「準備会」という。)に加わったが,その後も,事業内容を詰めるにあたり,ヤオハンが担当する部分の具体的な事業計画の提出を拒むなど,あたかも参加意思がないかのような態度をとり続けた上,同8年5月ころには,札幌市内に設置した事務所を引きあげるに至った(南山・8回,東山・9回,癸野・39回,甲450,464,510,511,乙80)。

このように,ヤオハンの茨戸開発への取組姿勢が消極化していく中,準備会の運営や札幌市との交渉等は,次第に拓銀が中心となって行われるようになり,平成6年ころには,拓銀を主体として茨戸開発が進められるようになっていた(癸野・39回,甲441)。

エ 札幌市の対応

札幌市は,議会等において,助役や企画調整局企画部長が「市街化調整区域であっても,札幌市の長期計画との整合性があれば個別に開発を認めていく。」などと発言し,茨戸開発を積極的に支援する姿勢を示していた上,平成6年1月上旬ころには,準備会の発足に先立ち,茨戸地区の地権者に対して農振地区の指定を解除する旨の通知を発し,さらに,同月に行われた農用地区域の見直しに際しては,ヤオハンの出店表明が遅れたことや準備会から具体的な事業提案書が提出されなかったことなどから,茨戸地区の農用地区域の指定解除は見送ったものの,同地区について,道と折衝し,指定解除の可能性を残した「保留枠」として扱うことにした(甲434,437,441,520)。

オ 市街化調整区域内の特例開発の頓挫

札幌市は,平成6年1月,拓銀,ヤオハン及びタクトによって準備会が発足したことを受け,準備会に対し,同年3月末までに事業提案書を正式に提出するように求め,準備会も,このような札幌市の要請を受け,具体的な事業計画の策定作業に入ることになった。ところで,拓銀等の準備会の構成員は,かねてより,企画調整局から,市街化調整区域内の特例開発という性質上,宅地造成等の開発行為は認められないこと,開発事業は,札幌市の長期総合計画等に合致するよう,水辺環境や緑を生かしたリゾート中心のものにしなければならないことなどの指導を受けていたため,事業採算面からすれば,このような札幌市の要請に応じることができないことを承知していたが,被告人丙野等の報告を信じ,開発許認可が下りれば,茨戸地区が市街化区域に編入され,また,開発行為に着手した後であれば,札幌市に事業計画の変更を求めて宅地造成等を行うことも可能となると考えていた。そこで,準備会では,平成9年3月に予定された都市計画の見直し時期を目途として,茨戸地区での宅地開発を予定する一方,取り敢えずは開発許認可を取得するとの方針の下,札幌市の意向に沿った採算性のない事業計画を作成するなどしていたところ,同6年3月ころ,札幌市との打ち合わせの中で,市街化調整区域内における特例的措置という性質上,いったん事業提案書を提出して開発許認可を得た場合には,仮に茨戸地区が市街化区域に編入されたとしても,その後の事業内容が当初の事業提案書に拘束され,事業内容の変更は認められないことなどが判明し,その結果,田上設計の作成した事業提案書を札幌市に提出した場合には,採算性が全く見込めない事業を強いられる事態となった。こうした事態を踏まえ,準備会では,事業提案書を一応は作成したものの,札幌市への提出を保留することにし,さらに,Aグループの所管が審査第3部に移った平成6年9月には,札幌市に対し,事業提案書の提出延期を申し入れるに至った(南山・6回,癸野・39回,甲437,440,441,462,510,520)。

(3)  審査第3部所管当時の茨戸開発の進捗状況等

ア 開発方針の変更

前記のとおり,平成6年3月ころ,それまでの方針に従って茨戸開発を進めた場合には,採算性の全く見込めない事業を強いられることが判明したため,拓銀は,同年5月16日及び同月19日に開催された2回の経営会議(以下,両経営会議をあわせて「平成6年5月経営会議」という。)においてこの問題を協議し,その結果,それまでの事業計画を撤回するとともに,事業性,採算性を前面に押し出した宅地造成を内容とする事業提案書を作成し,改めて札幌市と交渉すること,札幌市がこの提案書を受け入れない場合には茨戸開発を断念することなどを決めた。また,同年6月6日に開催された経営会議(以下「平成6年6月経営会議」という。)においては,今後の茨戸開発のスケジュール等を協議し,次の都市計画の見直し時期である同9年3月に,茨戸地区が市街化区域編入の前段階である市街化保留区域に指定されるよう札幌市に陳情すること,茨戸地区の市街化区域編入が次々回の見直し時期(同14年3月予定)に延びる場合には茨戸開発を断念し,札幌市にそれまでに取得した開発用地の買上を要請することなどを決め,直ちに札幌市との交渉にあたることにした(なお,その後,札幌市の都合により,都市計画の見直し時期が1年延びたことから,拓銀は,平成10年3月の市街化保留区域編入を目指すこととした。)(南山・6回,甲510,561)。

イ 札幌市の対応

札幌市は,平成6年6月ころ,準備会から茨戸開発の事業内容の見直しを告げられた上,その後,被告人甲野,同乙野及び当時審査第3部担当役員であった丙山等から,宅地造成を主体とした開発計画への変更や,茨戸地区の市街化区域編入への陳情を受けた。しかし,札幌市では,市街化調整区域内の特例開発という従前の基本方針を覆して突然に開発方針を変更した拓銀や準備会への反発が強かったことのほか,茨戸地区が,広大な農地である上,その一部が農用地区域にも指定されているなど,宅地開発を認めるのに不適切な地区であったこと,札幌市では市街化区域編入の事実上の条件として他の市街化区域と連続性があることを要求していたところ,茨戸地区が,他の市街化区域と連続していないなど,手続的にも茨戸地区を市街化区域に編入させることが困難であったことなどから,拓銀等の要請に難色を示した(南山・6回,癸野・39回,甲437,440,441,462,510,561,674,675)。

ウ 準備会の対応

準備会では,茨戸開発の方針転換を決めた後,田上設計と業務委託契約を解消し,その後,Aが平成6年11月ころに基本構想策定業務を委託した拓殖設計,株式会社ノーザンクロス,株式会社シグマ開発計画研究所から成るプロジェクトチームとの間で,宅地造成を主体とする新たな茨戸開発の基本構想案等について検討していたところ,同7年4月末ころ,同プロジェクトチームから,茨戸地区の北側部分については札幌市の買上を期待して市街化調整区域のまま公園・緑地として整備し,その南側部分については市街化区域編入を前提として宅地造成等を行うことなどを内容とした基本構想(以下「単純宅造系開発」という。)が示されたことを受け,同年7月,拓殖設計等と正式に業務委託契約を締結した上,同基本構想に沿って茨戸開発を進めることにした(甲462,465,510,562)。

エ 東茨戸地区の市街化区域編入

前記のとおり,札幌市では,市街化区域編入を認める条件として,他の市街化区域との連続性を要求していたことから,拓銀及び準備会は,茨戸地区を市街化区域に編入させるための前段階として,まず,同地区の南西に位置する東茨戸地区の市街化区域編入を目指すことにした。ところで,東茨戸地区は,平成3年に特定保留区域として指定されてはいたものの,同地区がいわゆる原野商法の対象地で,約40ヘクタールの土地の中に地権者が600名以上も存在したことや,区画整理事業の遂行が各地権者に多額の追加金等の負担を強いるものであったことなどから,地権者間の意見集約が難航し,区画整理事業が事実上頓挫し,特定保留区域の指定が解除される寸前になっていた。そこで,拓殖設計等のプロジェクトチームは,東茨戸地区の区画整理事業遂行のため,地権者交渉やディベロッパーの確保等に奔走していたところ,平成7年8月ころ,岩倉土地開発株式会社が東茨戸地区の区画整理事業への参加を承諾した結果,同地区の区画整理事業が急速に進展するに至った(甲440,510)。

このような,拓銀や準備会の東茨戸地区の市街化区域編入に向けた動きに対し,札幌市は,拓銀に「オール札幌市で協力する」と内々に伝え,同地区のインフラ整備を行政負担で行ったり,地権者の減歩負担率を緩和する措置を講じるなどしたほか,札幌市が自ら地権者を呼び集めて区画整理事業の必要性を説いたり,関係部局の職員が地権者の代表のもとに説得に行くなどの側面的支援を行っていた(甲510)。

その結果,東茨戸地区では,その区画整理事業が完遂し,平成8年10月,札幌市から市街化区域編入の内示を受けるに至った(癸野・39回,甲511)。

オ 被告人丙野の動向等

前記のとおり,被告人丙野は,札幌市の意向により,平成5年10月ころ,茨戸開発の開発主体から表面上外れることになったが,その後の茨戸開発の方針変更によって準備会等と札幌市との交渉が難航していることを見かね,翌6年6月ころから,拓殖設計等に事業計画案の作成を依頼するなどして,独自に茨戸開発の方向性を探るようになった。その後,被告人丙野は,拓殖設計等が福祉系の住宅開発等を中心とした開発構想(以下「福祉系開発構想」という。)をまとめたことを受け,この開発構想をもとに札幌市の上層部と接触するようになったほか,同8年5月ころには,拓銀や準備会に対しても,同被告人を茨戸開発に参加させるよう要求するようになった。なお,被告人丙野の掲げた福祉系開発構想は,茨戸地区に医療・福祉施設や研究施設等を誘致し,その周辺に緊急通信システム等を完備した住宅を配置するなどして,住民の福祉に配慮した街造りを行うというものであったが,その開発事業を遂行するためには莫大な追加投資を必要とした上,事業計画に不確定な部分が多いことなどから,事業の実現性,採算性の見通しが立たない一方,前例のないモデル事業として世間の注目を浴びることが予想され,事業者に多大な事業リスクを強いるものであった(東山・9回,甲462,510,511,529,530,533,534,571,乙80,90)。

カ 開発方針の変更

札幌市は,東茨戸地区の区画整理事業が進展し,同地区が市街化区域に編入される見通しが強くなったことなどから,徐々に茨戸地区の市街化編入についても前向きに検討するようになった。このような状況の下,拓銀は,市街化編入の陳情の期限である平成8年8月までに茨戸地区の市街化編入について正式な陳情を行うため,札幌市の関係部局等と折衝を重ねていたところ,同年4月ころ,同市の担当者等から,単純な宅地造成を内容とした開発構想では農業振興地域である茨戸地区を他の地域に優先して市街化区域に編入するのは難しいとして,茨戸地区の市街化編入を正当化できるような大義名分を備えた開発構想を提示するよう求められた。また,札幌市内部では,被告人丙野の福祉系開発構想に関心を示し,同開発構想の検討を進め始めていたことから,それまで進めていた茨戸地区の北側部分を公園・緑地として整備し,同地区の南側部分を住宅地等として開発することなどを内容とした単純宅造系開発では,札幌市に陳情を行っても,平成10年3月に茨戸地区が市街化保留地区に指定される可能性のないことが次第に明らかになった(庚山・19回,甲440,510,511,528,529,531)。

そこで,拓銀は,平成8年5月27日及び同年7月1日に開催された経営会議(以下,それぞれ「平成8年5月経営会議」,「平成8年7月経営会議」という。)において,今後の茨戸開発の進め方を検討し,その結果,次の都市計画の見直し時期における茨戸地区の市街化保留区域指定をあきらめ,今後は,被告人丙野を排除し,準備会が主体となって茨戸開発を進めること,地権者問題を整理するため,最小事業リスクの中で事業を完遂させることを最優先課題とし,市街化調整区域のままでの開発手法に再転換すること,札幌市が市街化調整区域のままでの開発を受け入れない場合には,札幌市に対して開発用地の全面買上を要請することなどを決めた。そして,このような茨戸開発の方針再転換を踏まえ,拓銀は,「都市と田園(農業)の共生」を基本構想とした,茨戸地区の農地を現状のまま利用することを内容とした開発計画(以下「現況有姿型開発」という。)を作成するなどして札幌市と交渉にあたることにした(東山・9回,10回,庚山・20回,甲510,511,534)。

キ 札幌市の対応の変化と福祉系開発構想の採用

準備会及び拓銀は,平成8年7月以降,市街化区域編入の陳情を断念したことにより,時間的制約から解放されたことから,札幌市や被告人丙野の動向を静観しながら,現況有姿型開発を進めることにしたが,札幌市は,このような準備会や拓銀の対応を受け,同年9月ころから,拓銀に対し,被告人丙野と準備会の計画案を一本化して福祉系開発を進めるよう働きかけるようになった。このような札幌市の要請に対し,準備会及び拓銀では,新たな事業リスクは負えないとして消極的な態度を示したが,札幌市が事業リスクの軽減に協力する姿勢を見せたことから,福祉系開発を検討することにし,その結果,札幌市との間で,準備会は事業計画策定までの責任はもつが事業完遂までの責任は負わないこと,住宅建築の条件はバリアフリー程度の軽い負担にとどめることなどを確認した上,A,札幌市,準備会との三者で,福祉系開発により市街化区域の編入を目指すことを合意し,同年10月30日,札幌市長宛に,市街化区域編入の陳情書に準じる「茨戸地区開発構想概要書」と題する書面を提出した(東山・10回,申山・13回,甲437,440,511,535,536)。

ところで,拓銀では,前記のとおり,平成8年7月経営会議において,茨戸開発から被告人丙野を排除する方針を打ち立てたものの,その後,準備会と同被告人の計画案を一本化させることにした結果,いったんは同被告人と協力しながら開発計画を進めることに決め,準備会構成員にAを加えた開発推進研究会を立ち上げるなどしたが,同被告人が準備会の意思に反して独自に茨戸開発を進めようとしたことなどから,同9年5月ころ,Aグループを拓銀の管理下に置くことに決めるとともに,同被告人を茨戸開発から排除することにした(甲511)。

ク 福祉系開発計画の進捗状況

準備会は,平成8年10月以降,福祉系開発を内容とした事業計画案の検討を進め,翌9年6月ころ,札幌市に対し,「篠路右岸地区開発計画」と題する事業提案書を提出した。その結果,平成9年8月ころ,札幌市から,茨戸地区を一般保留区域に指定する旨の内示を受け,拓銀の経営破綻後である翌10年3月,同地区が一般保留区域に指定されるに至った(癸野・39回,甲462,463,465)。

11  大蔵省検査及び日銀考査におけるAグループ各社の査定内容等

(1)  平成3年実施の大蔵省検査及び日銀考査

拓銀では,平成3年1月ころに実施された大蔵省検査において,個別の問題融資としてAグループに対する融資が取り上げられ,「大規模なレジャー施設建設資金への応需に際し,事業計画等の検討不十分のまま取り組んでいるほか,集客面での波及効果を狙うとする債務者に引きずられ具体的事業計画のない隣接地取得を容認するなど,メイン行として指導力に欠ける。」と指摘され,Bの貸付金の一部がⅡ分類(債権確保上の諸条件が満足に満たされないため,その回収について通常の度合いを超える危険を含むと認められる資産)に査定された(甲625)。

また,平成3年12月ころに実施された日銀考査においても,Aグループに対する融資が取り上げられ,「大規模レジャー施設が軌道に乗っていないにも拘わらず,さらに具体的な事業計画のない隣接土地の追加取得を十分にチェックできず,むしろ金融面からこれに荷担し企業体力を一段と弱める結果となった事例も見られた。」との指摘を受けた(甲594)。

(2)  平成6年実施の大蔵省検査

拓銀では,平成6年8月から同年9月にかけて実施された大蔵省検査に備え,同年8月,総合企画部を中心として役員勉強会を開催したが,その際,総合企画部は,その資料を作成するにあたり,Aグループに関する融資について,「前回(平成3年大蔵省検査)指摘を受けた状況から全く改善していない。むしろ農転の問題,ヤオハンの姿勢等環境としては厳しさを増している。メイン行として指導力不足との指摘は今回も免れないであろう。Ⅳ分類の回避or極小化が課題。」と問題点を指摘した(戊川・26回,北田・29回,甲475,590)。

一方,大蔵省検査において,Aグループを担当した検査官は,同グループの融資案件を取り扱った拓銀の経営会議資料等を詳細に検討した上,茨戸開発の内容及びその実現可能性等について,「採算性,実現性が無視された貸出し。プロジェクトの検討が実質的に行われていない。市街化調整区域,農地法,国土法に抵触するおそれがありながら,土地は実質買収しており,実質無審査,管理不在。当初計画は頓挫し,見直し計画も未定。債務者は体力がなく収支計画を作っても採算に合わない先。現状多額の損失が見込まれる。」などと酷評し,グループ各社に対する貸出金のうち,担保で保全されていない部分は「Ⅳ分類に近いⅢ分類である。」と審査第3部の担当者に伝えるとともに,「Aグループに対する今後の新規融資は,ロスが出れば背任になる。」と申し向け,グループ各社に対する貸付金のうち,保全超過額214億円余をⅢ分類(最終の回収又は価値について重大な懸念が存在し,損失の発生が見込まれるが,その額を確定できない資産)と査定した。そして,検査終了にあたって行われた主任検査官の検査講評の際には,「Aグループの融資については,慎重かつ厳正に対処されたい。」との指摘がなされたほか,検査報告書においても,「プロジェクトが債務者の体力を遥かに超え,また,開発地域が市街化調整区域の農地で,土地買収にあたり農地法等の違反問題を内包していたことから,当初計画が頓挫し,買収も進まず,変更計画も作成できない状況にあり,仮にプロジェクトが完成しても採算がとれず,多額の損失が見込まれる。」と指摘されるなどした(南山・5回,甲516,552,553,560,628)。

(3)  平成7年実施の日銀考査

日銀は,平成7年7月ころ,拓銀に対して考査を実施したが,その中で,Aグループ各社に対する拓銀の貸出金を調査し,その保全不足額をいずれもD査定(大蔵省検査のⅢ分類に相当)と評価した(甲479,597)。

(4)  平成9年実施の大蔵省検査

その後,平成9年10月に拓銀に対する大蔵省検査が実施されたが,同検査では,従前の大蔵省検査や日銀考査でⅢ分類あるいはD査定と評価されたAグループ各社の保全不足部分の貸付金がⅡ分類と査定された。もっとも,Aグループに関する査定については,分類査定担当の検査官が突然交替したとの事情により,担当検査官が,同グループの貸出金を査定するにあたって,同グループに関する知識を持ちあわせていなかったことや,審査第3部の説明を十分に検証できないままに信用して判断したという事情もあった(甲295,486,543,544)。

12  要注意先管理制度におけるAグループ各社の位置づけ

拓銀では,融資の審査管理の充実強化を図るため,業況悪化等により当初の約定どおりに返済されなくなる危険(信用リスク)のある取引先を要注意先として指定した上,この信用リスクの程度に応じ,経営破綻先を「特定取引先」,信用上の理由による約定弁済延滞先を「準特定取引先A」,金利減免,棚上など再建協力先を「準特定取引先B」,上記以外で重要な信用毀損事項が存在する先を「指定管理先」と区分し,それぞれの区分に従ってその債権を管理することを内容とした要注意先管理制度を採用していた。拓銀は,Aグループ各社について,平成5年8月にA及びBを,翌6年6月にCをそれぞれ「指定管理先」に指定し,さらに,同年12月には,同年8月から9月にかけて行われた大蔵省検査の査定結果を踏まえ,グループ各社をいずれも「準特定取引先B」に指定した(甲43,514)。

13  拓銀の不良債権償却計画とAグループに対する取組方針

前記のとおり,拓銀は,平成7年日銀考査後,その経営再建計画に関し,主として,不良債権処理の期間をめぐり,日銀と対立していたところ,個別の取引先に対する取組方針についても,不良債権の計画的処理を重視し,他の金融機関がメインバンクとなっているなどの事情により,計画的に処理することが困難ないし不可能な取引先(以下「コントロール不可の取引先」という。これに対し,拓銀がメインバンクとなっているなどの事情により計画的処理が可能な取引先を「コントロール可の取引先」という。)に対する債権から優先して償却することを主張する拓銀に対し,不良資産の拡大を回避するため,赤字補填金等の融資によって貸付額が増大し続けている取引先から優先して処理すべきとする日銀の主張が対立した。そして,Aグループに対する処理方針をめぐっても,拓銀は,同グループをコントロール可の取引先と位置づけ,平成12年以降に償却処理するという計画を立てたのに対し,拓銀に対するフォローアップを担当した日銀考査局の山下圭介調査役(以下「山下」という。)は,拓銀の策定した同グループに対する処理方針に納得せず,同グループについて,拓銀の問題取引先の中でも「将来のロスが拡大しており,最も危険なカテゴリー」と位置づけた上,審査第3部や拓銀経営陣に対し,支援打ち切りも含めた損失の拡大を抑えるための抜本的対策を検討するよう再三求めた。しかし,拓銀が,Aグループへの融資継続を前提とした取組方針を示し続けたことから,拓銀と日銀との話し合いは平行線のまま推移していた(庚山・19回,20回,戊川・26回,27回,山下・28回,北田・29回,甲552,591ないし593,595,601ないし605,618)。

なお,拓銀の不良債権処理計画は,審査部の意向を踏まえ,企画部(なお,平成2年10月から同7年4月までの名称は「総合企画部」)が考案し,経営会議に付議していた(戊川・26回,北田・30回)。

14  拓銀の経営会議におけるAグループの経営状況及び茨戸開発の実現性,採算性等に関する報告状況

(1)  総合開発部所管当時

総合開発部は,平成2年11月に初めてAグループの経営状況について経営会議で報告したが,そのころから,A及びBが低収益体質であることを指摘し,同5年に入ってからは,Aについては,ホテル事業及び茨戸開発事業資金等の支払が資金繰りを圧迫し,年間8億円程度の運転資金が必要となること,Bについては,営業損益段階で赤字に転落したことなどを指摘したが,総じて,その報告内容は,同部が積極的に支援していたAグループに甘いものであった(甲509)。

また,経営会議における総合開発部の茨戸開発の進捗状況等に関する報告内容は,一貫して,ヤオハンの積極的姿勢や札幌市の協力態勢が得られているとした上で,数年内に開発利益等が入る予定であるとか,予定どおり順調に進捗しているというものであった(甲509)。

(2)  審査第1部所管当時

平成5年4月,拓銀では,Aグループ各社の所管が総合開発部から審査第1部に変更になったところ,同部では,その直後から,当時の審査第1部部長であった南山七男(以下「南山」という。)及び庚野部付部長を中心として,グループ各社の経営状態や資産状況等を再検討した。その結果,平成5年6月時点において,Aについては,Bの建設及び茨戸開発のために要した巨額の借入金を返済するために新たな借入を行う必要に迫られ,多額の累積債務が年々増加していること,Bについては,売上げが一向に改善されない上,開業後の設備資金の負担などから,赤字補填資金の借入を余儀なくされていること,Cについては,開業後3か月間の売上げ実績を基にすれば,年間売上げ予想は当初の見込みの半分程度にすぎず,単年度黒字の目途が立たない状態にあること,Aグループ各社の経営状況がこのまま続いた場合には,グループ全体として,利息追貸分も含め,年間約70億円の借入が必要となることなどが判明した。そこで,審査第1部は,平成5年7月経営会議において,「Aグループは,どの事業も収支は大幅マイナスであり,実質倒産状態にある。」と述べた上,詳細な資料に基づき前記の調査結果を報告するとともに,同年5月末時点で拓銀グループがAグループ各社に貸し付けていた合計約482億円のうち約216億円が保全不足に陥っていることを指摘した。また,審査第1部が,夏目会計事務所にAグループ各社の経営状況や資産状態の調査を依頼した結果,グループ各社の中で唯一採算が取れていると考えられていたAの本業部門も赤字であることや,グループ全体が営業損益で年間30億円弱の赤字基調であることが判明したことから,平成5年8月23日に開催された経営会議(以下「平成5年8月経営会議」という。)において,前記夏目会計事務所の調査内容を報告した(甲85,509)。

もっとも,審査第1部は,Aグループ各社の経営改善の可能性等について,Aグループ各社のうち,Aの本業部門については,黒字基調であり,経費削減や保有資産売却による借入圧縮等の施策を行うことにより,償却後経常損益の段階でも黒字に転換することが可能であること,Bについては,現状でも償却前営業損益の段階では利益を計上し,3億円程度であれば利払い可能であるほか,これまで何ら抜本的な売上げ増強策及び合理化,効率化策が検討されたことがなく,営業努力や合理化などの経営改善に取り組ませることにより,償却後営業利益を計上することも可能であると見込まれること,Cについては,黒字化への転換は見込めないものの,開業直後で,何ら業務改善に着手していなかったことから,今後,売上げ増強策や経費削減策を実施すれば赤字幅を圧縮する余地が十分にあることなどを平成5年7月経営会議において報告した(甲509)。

一方,茨戸開発の実現性,採算性については,審査第1部は,平成5年7月経営会議及平成5年8月経営会議において,札幌市が国土法違反の問題を抱えたA及び被告人丙野が関与する開発申請には許認可を出すことは困難である旨の意向を示していること,ヤオハンの主力銀行が茨戸開発の参加に賛成していないこと等の事情があって,開発許認可のスケジュールが遅れ気味となっていることを報告するとともに,数年内にAに多額の開発利益が入る旨の総合開発部の見通しについて,ヤオハンの茨戸開発の参加に不確実な面があり,同計画の遂行に支障が出る可能性があること,Aの開発用地取得原価が高額にのぼっていることから,将来的に茨戸開発が実現しても含み益が発生しない可能性があることなどを指摘し,さらに,Aが札幌国際開発に開発用地等を売却するにあたり,その価格が国土法で制限される結果,Aに60億円以上の損失が発生する可能性があることなどを説明した(甲509,676)。

その後,審査第1部は,ヤオハンからの24億円の保証要求に応じるかどうか検討した平成6年1月経営会議において,茨戸開発の概況,ヤオハンの動向などを確認するとともに,ヤオハンの要請に応じた場合の今後の展開,問題点等を報告したが,この報告において,ヤオハンの要請を拒否して茨戸開発を断念することも検討の対象に加えた上,ヤオハンの要請を拒否して茨戸開発を断念した場合には,Aグループの損失の速やかな処理を検討する必要に迫られることになる反面,ヤオハンの要請に応じた場合には,ヤオハンの撤退により茨戸開発が頓挫するなどの危険は拭えないものの,茨戸地区の農業振興地域指定の解除が可能となり,茨戸開発が一歩前進することになるとした上で,「このような状況下,当行としては,退いてロス以外を見出せない茨戸事業の凍結,延期,断念の方向よりは,難題を抱えながらも札幌市のバックアップも得られ,パートナーとしてのヤオハンも具体的に存在し,少なくとも,市街化編入までの道筋が画けている事業の成功に向かった,前進の方向に意思統一する方がロスを少なくする方向であると思う。」との判断を述べた(甲510)。

(3)  審査第3部所管当時

ア 平成6年4月ないし同7年3月の報告内容

平成6年4月,拓銀は,Aグループ各社の所管を審査第1部から審査第3部に変更したが,これに伴い,南山も,審査第1部部長から審査第3部部長に就任した。南山は,審査第3部がAグループを所管して初めて開催された平成6年5月経営会議で,Aグループの経営改善の可能性等について,同5年7月経営会議で報告したのと同様の報告をした。その後,前記のとおり,Aグループへの貸付けのうち,担保で保全されていない部分について,大蔵省検査でⅢ分類と査定されたことを受け,南山は,平成7年1月27日に開催された経営会議(以下「平成7年1月経営会議」という。)において,出席役員に対し,大蔵省検査の査定結果と査定理由を報告した上,グループ各社の現状や問題点等を幅広く説明した。その説明において,南山らは,グループ各社の業況等について,Aは,店舗統廃合等のリストラ策の実行により本業部門は改善基調にあるものの,依然として売上げが低調で抜本的対策が必要であること,被告人丙野と南野財務本部長との対立が表面化し,人的側面から崩壊する危険があること,Bは,被告人丙野に料金体系の見直し等具体的な収支改善策の検討を再三申し入れたが顕著な成果が上がっていないこと,Cは,経費圧縮努力により赤字幅が減少したものの,売上げが大幅に計画を下回っていることなどを報告するとともに,このようなグループ各社の経営状態に照らし,平成5年7月経営会議以降,将来の貸倒償却資産を積み上げしている状況が続いていること,今後もグループ全体として年間約四十数億円の赤字補填金が必要になることなどを報告した(甲510)。

一方,茨戸開発の進捗状況等について,審査第3部は,平成6年5月経営会議で開発方針の変更を付議したが,同経営会議の報告において,それまでの茨戸開発の進め方や開発方針を変更せざるを得なくなった経緯を説明した上,事業性,採算性を前面に押し出した事業計画書を作成し,改めて札幌市と交渉し直す必要があること,これが札幌市に受け入れられない場合には茨戸開発を断念すること,茨戸開発を断念する場合に備え,Aグループの損失処理案の検討に入っておく必要があることなどを報告した。その後,審査第3部は,前記のとおり,平成6年6月経営会議で承認された茨戸開発のスケジュールに沿って,宅地造成を中心とした開発事業を検討するようになったところ,平成7年1月経営会議において,札幌市との交渉が難航し,当初のスケジュールどおりに進んでいないこと,茨戸開発が実現した場合でも,金利を含めた収支試算では165億円余の赤字となること(なお,金利を控除した場合には約4億円の損失見込みであった。)などを報告した(甲510)。

イ 平成7年4月ないし同9年11月までの報告内容

拓銀では,後記のとおり,平成7年1月経営会議において,Aグループへの人材派遣を含めた「Aグループ再編案」に取り組むことを決め,同グループの経営改善にあたったところ,同年6月に審査第3部部長に就任した東山八男(以下「東山」という。)も,引き続きAグループ再編案に取り組んだものの,なかなか所期の成果を得られなかったため,その後の経営会議において,同グループの経営改善が進んでいないことなどを継続して報告するとともに,同9年5月12日に開催された経営会議(以下「平成9年5月経営会議」という。)では,同8年度における同グループの借入金額が約20億円(支払利息も含めると30億円)にも達していることなどを報告した(甲511)。

一方,審査第3部の経営会議における茨戸開発の進捗状況等に関する報告内容は,その実現性について,「予断を許さない状況である。」「クリアすべきハードルは数あり,それぞれの難度も極めて高(い)」などとした上で,その採算性については,単純宅造系開発を進めていた平成7年6月5日に開催された経営会議(以下「平成7年6月経営会議」という。)においては,拓殖設計等から成るプロジェクトチームが算出した収支試算に基づき,先行投資分の借入金利を凍結させることなどを条件とすれば5億7000万円程度の利益が見込まれるとしたり,福祉系開発を検討していた平成9年5月経営会議においては,茨戸開発の実現により100億程度の土地資金が回収できるとする反面,茨戸開発を断念した場合に生じる拓銀の損失額は,ヤオハンに対する保証金等も含めれば約282億円にのぼるというものであった(甲510,511)。

15  Aグループに対する拓銀の取組状況等

(1)  総合開発部所管当時

総合開発部は,前記のとおり,Aグループを所管した当時から,同グループの業績が低迷していることを認識していたが,被告人丙野が進める茨戸開発が実現すれば,開発利益が返済資金に充てられAが経常黒字化するほか,ヤオハンのショッピングセンターの集客効果によって,Bの財務体質の改善につながるなど,茨戸開発を推進することが同グループ全体の経営基盤の安定・強化につながるとして,茨戸開発を含め同グループの事業を積極的に支援する方向で臨んでいた(甲509)。

もっとも,総合開発部は,既存事業が軌道に乗らないまま急速に事業を拡大させる被告人丙野を制御する必要性を感じたことから,平成5年2月22日に開催された経営会議にAグループへの人材派遣を付議したが,そのころから,出席役員の間では,Bの業績の低迷や,開業を目前に控えたC'の収支予想の厳しさなどを踏まえ,同グループのリストラを求める意見が出されるようになった。このような状況の中,拓銀は,同ホテルの開業に合わせ,Cに,社長及び専務として西野や東野を派遣することにした(丙山・15回,甲280,509,510)。

(2)  審査第1部所管当時

ア 平成5年7月経営会議に分離再編案が付議されるに至った経緯等

審査第1部は,Aグループを所管した直後から,総合開発部所管当時の従前の取組方針を一変させ,同グループに対し厳しい姿勢で臨むことにし,被告人丙野に対し,Aが保有するビル等の資産を早急に売却して借入金を圧縮することや,不採算店舗を閉鎖するなど,グループ各社の業務改善策の策定と実行を強く求めるなどしていたが,前記のとおり,同グループの経営状況及び資産状態が深刻な状況にあることが判明したため,同グループを解体分離し,Aの本業部門については100億円余の債務を引き継がせて営業を継続させること,その他の事業については損失を覚悟の上,第三者に売却するなどして将来的に整理することなどを内容とした分離再編案(以下「分離再編案」という。)をまとめ,平成5年7月経営会議に付議した(南山・5回,6回,甲509,乙84)。

イ 平成5年7月経営会議以降の拓銀の対応等

南山は平成5年7月経営会議後,被告人丙野と面談し,Aグループの現状について,恒常的に大幅赤字が続いていること,拓銀グループのAグループに対する融資が保全不足に陥っていること等を改めて説明した上,同被告人に対し,保有株式の担保差入れと保有資産の売却を求めた。これに対し,被告人丙野は,南山の要求をいずれも了承して念書を差し入れるなどしたが,結局,保有株式の担保差し入れは実行したものの,保有不動産の売却については価格面で折り合いがつかないなどとして,これを実行しなかった(甲523,乙84)。

また,審査第1部は,被告人丙野に対し,Aグループ各社の業務改善策を策定するよう求めていたところ,平成5年8月ころ,同被告人から,「A事業新生計画書」が提出されるなどしたが,同計画書は,予想売上高等を高く設定するだけで具体的な業務改善対策に欠けるなど,内容が不十分で実現性も乏しいものであった(甲523,乙86)。

なお,Cについては,拓銀から派遣された西野らが,被告人丙野がBの経営に関わることを極力抑えるとともに,余剰人員削減などの経費削減策等を実行した結果,平成7年3月期には,同5年7月当時に予想された約30億円の経常損失を,その半分程度にまで圧縮させることに成功した(甲280,281,284,286,288,289,509,乙86)。

(3)  審査第3部所管当時

ア 平成7年1月経営会議以前におけるAグループの業務改善状況等

拓銀では,平成6年6月ころ,C'の営業活動を強化するため,営業部門統括者等をCに派遣したほか,審査第3部の部長に就任した南山らが,審査第1部当時から引き続き,被告人丙野に対し,融資額を減額するなどの対策を講じながら,Aグループのリストラ策の実行を求めていた(丙山・13回,甲115ないし125,128ないし131,135,136,144,148ないし150,163ないし166,288,乙86)。

しかし,拓銀内部では,本店営業部等から,諸貸出し申請書等を通じて,A及びBのリストラが進んでいないことが度々報告されていたほか,被告人丙野から提出された事業計画についても,わずか数か月で実績と計画が大幅に乖離していること,Cについては,経費圧縮が限界になりつつある一方,売上げが伸び悩んでいることなどが報告されていた(甲115,116,119,122ないし124,148ないし150,268)。

他方,審査第3部は,被告人丙野が,拓銀に無断で,B'に温泉設備の導入を進めているとの報告を受け,さらに,本店営業部からも,Bの経営状況に照らし新規追加投資を行う時期ではないこと,同被告人にリストラ案を提示するように求めているにもかかわらず,同被告人が具体的な改善策を示さないこと,同被告人の提出した温泉設備導入後の収支計画が実現不可能なもので,採算の見込みが立たないことなどから,温泉設備導入資金の融資を実行すべきでないとの意見が付されたものの,同被告人が工事を先行させてしまっていたため,平成6年5月経営会議において温泉設備導入資金に係る融資を取り上げ,その結果,同経営会議でこれが承認されるに至った(甲268,635,510,520)。

なお,拓銀は,平成6年11月,従前担保として徴求していなかった開発用地等に根抵当権を設定するなどして,Aの融資について追加保全措置を講じたが,それらの実効担保価格は合計6億円程度にすぎなかったことから,Aの保全不足を解消するものではなかった(甲96,124)。

イ 平成7年1月経営会議にAグループ再編案が付議されるに至った経緯等

審査第3部は,大蔵省検査でAグループに対する貸付金のうち担保で保全されていない部分がⅢ分類に査定されたことを受け,同グループに対する取引方針を再検討し,同グループが,ホテル建設資金や茨戸開発事業資金などで多額の利払いを余儀なくされていること,悪化した経営状況の下で多額の赤字補填金を必要としていることなどから,茨戸開発の成否にかかわらず,同グループ全体としては再建が不能であると判断したが,損失の拡大を押さえつつ,茨戸開発の見極めがつくまで同グループを存続させるとの方針の下に,Aの分社化,利払いの凍結・減免,人材派遣を内容とするAグループ再編案(以下「Aグループ再編案」という。)をまとめ,平成7年1月経営会議に付議した(甲510)。

ウ 平成7年1月経営会議の状況

審査第3部は,平成7年1月経営会議において,大蔵省検査官から,Aグループに対する債権のうち,担保で保全されていない部分がⅢ分類に査定されたとした上で,「Ⅲ分類先は,本来的には貸増できないが,経営判断により貸出しを実行するということであれば,それはそれでよい。但し,その結果ロスが出れば,背任とみなす。」と伝えられたことを報告したほか,詳細な資料に基づいて,茨戸開発を継続する場合と断念する場合のメリット,デメリットを比較し,茨戸開発の見極めがつくまではAグループに対する融資を継続する必要があるとしてAグループ再編案を付議した。これに対し,出席役員の1人から,Aグループに融資を継続することについて,「背任ではないという説明はつくのか。」「追貸しの金額が少なくなっても背任の問題が説明できなければ同じではないか。」との発言も出たが,最終的に,被告人乙野が,「皆さん,この方向でやります。いいですね。」と言って議論をとりまとめ,審査第3部の提案を承認した(南山・6回,北田・33回,甲510)。

なお,大蔵省検査でⅢ分類と査定された審査第3部の所管先で,拓銀がその後も実質的な追貸しをしたのは,Aグループ以外にはなかった(南山・9回,戊川・26回,甲591)。

エ Aグループ再編案の進捗状況

審査第3部は,平成7年1月経営会議において,Aグループ再編案が承認されたことから,直ちに被告人丙野との交渉を開始し,同年3月28日に開催された経営会議(以下「平成7年3月経営会議」という。)において,同グループの再建に向けて拓銀が協力することを条件に,同被告人に対し,社内規程の制定や,拓銀からの派遣者を加えた合議制の実施等を要求することを内容とした「共通確認事項」と題する合意文書を同被告人との間で締結することを付議した。これに対し,出席役員の中からは,Aグループの再建が困難であることを理由に「共通確認事項」を締結することに反対する意見も出たが,南山が,拓銀から派遣された者が同グループの業務改善を遂行するためには,被告人丙野を牽制する手段として「共通確認事項」を締結する必要があると説明したことなどから,同経営会議で審査第3部の提案が承認され,同月31日,同被告人との間で「共通確認事項」が合意されるに至った(北田・29回,庚野・33回,甲510,557)。

その後,拓銀は,平成7年4月ころ,庚野や申野等をAグループに派遣し,社内規程の制定やAグループ再編の準備作業にあたらせるとともに,同年6月ころ,Aの代表取締役に丁野を,B及びCの各代表取締役に申野をそれぞれ就任させるなどしたが,その後の状況について,同年6月5日の経営会議では,「早くも丙野と激しいやりとりとなっており,前途多難の様相である。」「丙野のワンマン体制が改まらない。」などと報告され,また,その後の経営会議においても,Aでは,被告人丙野と拓銀から派遣された者との合議制が崩れていること,社内ルールの制定が中断していること,同被告人が年度経費計画を無視して広告宣伝費や販売促進費を費消していること,拓銀からの派遣者が同被告人のワンマン体制を抑制できないことに失望して退職者が後を絶たないこと,Bでは,業務改善策の有力手段とみられていたB'とC'との管理運営の一体化も進んでいないことなど,グループ各社いずれについても,その経営改善が当初の目論見どおりに進んでいないことが報告された。また,諸貸出し申請書においても,A及びDでは,被告人丙野が理美容店の出店計画を独断専行していること,Bでは,具体的な収支改善策が策定されていないことなどが報告されていた(庚山・19回,庚野・33回,甲125ないし127,131ないし134,136ないし147,151,152,155ないし161,167,168,291,296,321,510,631)。

オ 被告人丙野の排除

審査第3部では,Aの分社化を実行した平成7年10月以降も,被告人丙野の共通確認事項を無視したワンマン経営等により,Aグループ各社の業務改善が進展しないことなどを認識していたが,茨戸開発の目途がつくまでは同被告人をグループ各社の経営に携わらせておくとの方針の下に,同被告人に対して強硬な態度を執らずにいた。しかし,その結果,拓銀からの派遣者が被告人丙野のワンマン経営を抑制できず,同被告人の存在がAグループの経営改善にとって大きな障害となり,Bの業績改善が進展しないことはもとより,Dの自賄態勢も確立できずにいた。また,茨戸開発についても,平成8年10月ころ,いったんは準備会と被告人丙野が協力しあって茨戸開発を進めることを確認したものの,その後,同被告人が独自に事業を進めようとするなどして事業遂行を停滞させる原因となった。このような状況の中,審査第3部は,札幌市の協力により茨戸地区の市街化区域編入の見通しが立ったこと,開発用地買収における被告人丙野の役割がほぼ終わったこと,農地法違反等の公訴時効が完成し,仮に茨戸開発に絡む諸問題が表面化したとしても,司法介入等の最悪の事態を回避できるようになったこと,日銀及び大蔵省への対応や北海道銀行との合併に備えるためにもAグループに対する抜本的対策を立てる必要があったことなどから,同グループを拓銀の管理下に置き,Dを除くグループ各社の経営から同被告人を排除するとの方針を立て,Dを除くAグループ各社を拓銀の管理下に置くこと,B及びCについては売却等処分すること,茨戸開発については,市街化区域編入の目途がついた時点でゼネコン等に売却すること,被告人丙野が拓銀の申し入れを拒否した場合には同グループに対する融資を打ち切ることなどを内容としたAグループ処理策(以下「Aグループ処理策」という。)をまとめ,同9年4月中旬,被告人乙野から事前に承認を得た上,同年5月12日に開催された経営会議(以下「平成9年5月経営会議」という。)にAグループ処理策を付議し,その承認を得た(東山・9回ないし11回,申山・13回,丁山・38回,庚野・33回,甲510,511,630,632,633)。

その後,審査第3部は,直ちに被告人丙野との折衝を開始し,その結果,平成9年6月末,同被告人に対し,Dを除くグループ各社の代表取締役を辞任することなどを承諾させるに至った(東山・10回,甲511,538,539)。

なお,拓銀は,経営破綻直後の平成9年11月ころ,B及びCの売却先を探したが,これを見つけることができなかったことから,翌10年3月,両社を破産させるに至った(甲291,297)。

16  Aの農地法違反等の問題に対する拓銀の対応

(1)  総合開発部所管当時

総合開発部でAグループを担当していた北山は,Aが農地転用等の手続を踏まずに茨戸地区の農地を買収していることを認識していたが,被告人丙野から,「関係者と相談しながら進めているので心配ない。」などと言われていたことから,農地法に抵触するおそれはあるものの,いずれ解決されるものと考えていた。ところが,前記のとおり,平成2年12月ころから人事ジャーナル誌がAの農地取得についての特集を連載したことを受け,北山は,平成3年初めころ,拓銀の顧問弁護士であった河谷泰昌(以下「河谷弁護士」という。)にAの農地取得方法が農地法に違反するものかどうかを確認した(北山・3回,4回)。

また,総合開発部は,平成5年1月25日に開催された経営会議(以下「平成5年1月経営会議」という。)において,茨戸開発の対象地域が,市街化調整区域に属し,その大半が農地であること,Aが,農地買収方法として,地権者との間で,国土法による不勧告通知,農地法5条による農地転用許可,農振法に係る指定解除等を条件とした金銭消費貸借契約を締結していること,このような農地取得の方法については,Aが札幌市農業委員会と水面下で打ち合わせを行い,同委員会も了解していることなどを説明した(甲509)。

ところで,総合開発部所管当時の経営会議においては,出席役員の間で,農地法違反等の問題が議論されたことはなく,また,前記のとおり,平成5年ころ,北海道新聞が,Aの農地法違反問題を取り上げたり,函館市長の実兄が国土法違反容疑で逮捕された旨の記事を掲載したものの,同年4月1日に開催された経営会議では,札幌国際開発の設立時期等に話題が及んだ際,総合開発部担当役員であった丙山が「農地法の問題もあり,周りが静かになってから,債権債務の譲渡を行う必要がある。」と発言し,被告人甲野が「土地の買収等,丙野社長が表に出てくるとかえってマイナスになる。」などと発言したが,Aの農地取得の違法性を懸念する発言や,Aの農地取得と函館市長の実兄が逮捕された事件を結びつけた発言はなされなかった(北山・4回,甲509)。

他方,拓銀では,例年6月下旬開催の定時株主総会に向け,各部署が,その所管事項に関連して株主から質問があると予想される事項及びその回答をまとめた想定問答を作成していたところ,総合開発部は,人事ジャーナルの報道を受け,平成3年6月開催予定の株主総会の対策として,株主から「Aに茨戸の農地売買で国土法・農地法違反があったと,また,拓銀グループが農地買収資金を貸し出していたとの噂を聞くが事実か。事実経過と貸出経緯を説明願いたい。」との質問が出されることを想定した上,「違反の事実があったとは聞いておりません。」との回答を用意していた。なお,Aグループの所管が総合開発部から移された後も,審査第1部及び審査第3部は,各期の株主総会に備え,Aの農地法違反等の問題について同様の想定問答を用意していた(北山・3回,南山・6回,甲468,508)。

(2)  審査第1部所管当時

審査第1部は,平成5年7月経営会議において,茨戸開発を取り巻く最近の状況変化として,Aの農地法,国土法違反を追及する動きがあることを指摘し,平成5年8月経営会議では,Aが過去に行った用地取得方法が国土法に違反するため,いずれ被告人丙野が行政から何らかの注意処分を受けることになるほか,札幌市が同被告人を開発申請者から外すよう求めていることを報告した(甲509)。

(3)  審査第3部所管当時

審査第3部は,茨戸開発を進めるうち,札幌市の関係部局等から,これまでの茨戸開発の経緯等を聞き,このような中で,札幌市の関係者から「休眠したら地獄を見るよ。」などと言われた上,茨戸開発を中断した場合には,農地法違反や国土法違反の容疑で北海道警察が捜査に乗り出すおそれがあるなどと聞かされていたが,平成6年9月ころに実施された大蔵省検査の際,南山は,検査官に対し,「Aグループが進めている茨戸開発が農地法違反等の問題を抱え,それが表面化すれば,行政を巻き込んだ一大スキャンダルに発展するおそれがある。」「Ⅲ分類査定を受けるとAグループに対し追加融資が行えない。」などと理由を述べてⅡ分類に査定にするよう求めるなどした(南山・5回,6回,丙山・13回,甲516,560,561,628)。

また,平成6年12月末ころ,Aにおいて,南野財務本部長と被告人丙野が対立したことが契機となり,南野財務本部長から,Aや同被告人の諸々の法律違反行為を内部告発する文書が提出されたことを受け,審査第3部では,Aグループを破綻させた場合には,これらの法律違反行為が表沙汰となり問題となるのではないかと危惧するようになった(甲510,561)。

これらの状況を踏まえ,審査第3部では,平成7年1月経営会議において,茨戸開発を継続するメリットの一つとして,「Aが暴れ,議会,マスコミ,農家が騒ぎ当行信用を傷つけるのを防げる。」という点を挙げる一方,断念の結果生じる諸問題の一つとして,「スキャンダル表面化の恐れ」を指摘した資料を作成した上,南山が,同経営会議の冒頭において,「説明の中で随所に出て来ますが,このグループを整理するにあたって一番悩ましいのは,単に貸金の損切りだけでは済ませられない法律違反をめぐる『政』・『官』・『財』の各界にいたるスキャンダラスな面がつきまとうということだと思います。この点を念頭に置きながら聞いていただきたいと思います。」と述べるなどした(南山・5回,6回,北田・30回,甲510)。

また,審査第3部は,平成7年3月ころ,河谷弁護士に,Aグループに対する一連の融資の問題点等について意見を求め,同弁護士から,たくぎんファイナンスが十分な担保を徴求しないままAに実行した融資は特別背任罪に該当するおそれがあり,これに関与した拓銀の役員も身分なき共犯となる可能性が高いなどとの説明を受けたことから,平成7年3月経営会議において,南山が,「たくぎんファイナンスで170億円貸しているが,弁護士によれば,特別背任との認識であり,拓銀は身分なき共犯者だと言われている。」と報告した(南山・6回,甲510,522)。

平成7年6月,審査第3部の部長が南山から東山に替わったが,同人も,河谷弁護士等に対し,農地法違反等が刑事訴追される可能性,公訴時効の完成時期,拓銀役員の責任,特別背任と身分なき共犯等の事項について相談するとともに,経営会議に茨戸開発の進捗状況等を報告する際には,「茨戸プロジェクト問題噴出時の対応について」,「茨戸プロジェクト問題噴出予想図」と題する秘密扱いの補助資料を作成した上,冒頭での説明の際,「本プロジェクトは,問題が多く,単純な事業採算では整理は難しく,諸問題の解決が優先されなければならないプロジェクトと考えられる。」などと説明した(東山・9回,10回,甲510,532,540ないし542,545)。

また,審査第3部は,平成7年8月28日に開催された経営会議(以下「平成7年8月経営会議」という。)で,Aグループ再編案に伴う納税資金の支援を付議し,その際,Aの分社化の方法として,Aから茨戸開発部門及びホテル賃貸部門を分離するという従来の形態から,約21億円の納税資金の負担が必要となる,Aから本業部門及びホテル賃貸部門を分離する形態へと変更することを提案したが,その理由について,当初の形態では,茨戸開発部門に係る建設仮勘定の分離可能額が限定されるほか,ホテル事業部門についてもC'の鑑定評価により分離可能額が減額されてしまい,分離効果が期待できなくなるとした上,「国土法,農地法の問題を抱えている現状では,分離の『形』をスッキリさせておくべきである。」などと説明した。なお,審査第3部は,平成9年5月経営会議にAグループ処理策を付議したが,その際,被告人丙野を排除できる理由の一つとして,出席役員に対し,河谷弁護士等との相談結果を踏まえ,農地法違反等の公訴時効が成立し,リーガルリスクが薄まったことを挙げた(甲510,511,532,540,541,545)。

17  被告人丙野の経営能力,経営手腕等に対する拓銀の評価

拓銀では,経営会議において,被告人丙野の経営能力や経営手腕等が度々話題にのぼっていたが,総合開発部所管当時から,同被告人について,「金のことは考えないで突っ走る。」「将来予想される事業で現在の事業の赤字を埋め合わせる自転車操業的な経営だ。」などと出席役員等から厳しい評価が加えられていた上,Aグループの所管部が審査第1部に移った後の平成5年7月経営会議においても,南山が,「丙野社長は,全く収支を度外視しており経営者(事業者)ではなく夢想家だ。」などと報告した。また,Aグループ再編案を検討した平成7年1月経営会議や平成7年3月経営会議でも,審査第3部から,被告人丙野について,「資金繰りの破綻を安易な借入申出で乗り切ろうという姿勢」「再建計画なんてできないし,丙野氏からは何十年経っても出ない。作れと言ったってバラ色のが出るだけだ。」などと報告され,出席役員の間でも,「丙野社長という人は,会った人,交渉した人しか本性が分からぬ人間だ。自分の都合のよい解釈しかしない。」「丙野氏は常識が通じる人とは違う。」「丙野は特異な人間だ。」「丙野社長という男は超一級の嘘つきです。しかも罪悪感がない。」などの声が挙がっていた。さらに,Aグループ再編案の実施後においては,審査第3部が,被告人丙野の動向等を継続的に報告していたところ,その中では,「出向者が揃う前に勝手に組織を見直し,社長の取り巻きにはイエスマンのみを配置し,新規出店についても自己の判断で決断・実施してしまうなど,相変わらずのワンマン体制であり,反省のかけらも感じられず言わば根くらべの状態である。」「従業員の信望なく,人的崩壊の危惧あり。」「資金調達は念頭になく,当行出向者に責任転嫁」「役員人事において当行出向者排除の動き」など,被告人丙野がAグループの経営改善の障害となっていることの報告がなされ,このような報告を受け,出席役員からは,「丙野社長が『ガン』なんですね。」との発言も出ていた。そして,Aグループを拓銀の管理下に置くことを決めた平成9年5月経営会議においては,「共通確認事項が反故となっており,派遣者によるコントロールが効かず,丙野社長のやりたい放題となっている。」などと報告されていた。このように,拓銀では,終始,被告人丙野が,経営者としての資質を欠いていることや,Aグループの経営改善に障害となっていることなどが共通の理解となっていた(甲509ないし511)。

第4  証拠能力に対する判断

当裁判所は,検察官が刑事訴訟法321条1項2号後段該当書面として請求する乙田十男(甲225,226),丙田明(甲234),丙山冬男(甲236ないし238,240ないし242,244,245,564,567,568),庚山二男(庚353ないし356,587)及び申山三男(甲363ないし366)並び同法322条1項該当書面として請求する被告人甲野(乙11ないし25,99ないし101。なお,乙14,16ないし19,21,22,25,99については他の被告人の関係では同法321条1項2号後段該当書面としても請求)及び同乙野(乙39ないし58,60ないし69,110。他の被告人に対する関係では同法321条1項2号後段該当書面としても請求)の各検察官調書について,検察官及び被告人ら3名の弁護人の了解を得て,証拠能力の最終的な判断は判決書の中において行うとの留保の下に,これを暫定的に採用し,取調べを了したものであるが,以下,その証拠能力に関する判断を示す。

1  乙田十男の検察官調書

(1)  相反性

乙田の検察官調書と公判供述との間に検察官主張のとおりの相反部分の存することは弁護人も争わないところで明らかである。

(2)  特信性

乙田が,Aグループに対する融資に関し,整理回収機構から,被告人乙野,丁山及び庚山らとともに1億5000万円の損害賠償請求訴訟を提起され,現在民事訴訟において請求棄却を求めて争っていることは,同人の自認するところであるが,このような状況や,被告人甲野及び同乙野がかつての上司であり,刑事被告人としての両名の立場を慮る理由のあることに照らせば,乙田が,公判廷において,自己及び両被告人に不利益となるおそれのある事柄について,その供述を回避したり,有利となる事実を誇張して供述したりするおそれが存すると認められる。他方,乙田は,捜査段階での取調状況等について,「取調べで自分の記憶に沿った供述をしても,丁田検事から,『論拠がない。具体的な根拠がない。私を納得させる合理的な推論がない。』などと言われて,自分の主張を聞いてもらえなかった。また,取調べにおいて,当時の資料の一部しか見せてもらえず,当時の記憶を整理することができなかったので,十分な反論ができなかった。」「署名を求められたとき,『あなたも東京にいたけどナンバーツーだったんだよ。見苦しいことにならないほうがいいんだったら,もうそろそろこの辺でけりをつけよう。』『担当常務まで逮捕されているんだよ。』『署名してないのはおまえだけだよ。』などと言われ,不本意であったが,結局,署名してしまった。」などと供述する一方で,「(調書の内容について)全般的には私の実感とそう隔たりがなく,一部くらいの違いであればということで署名してしまった。」などと,調書の記載内容について一応納得していたことを認める供述をしている。また,取調べは,在宅のままなされたものである上,乙田の供述によっても,取調べに際し,理詰めの尋問はなされたものの,他にその信用性を失わせるような無理な取調べがなされた形跡はない。

以上の事情に照らせば,乙田の検察官調書は,いわゆる特信性を有するといえるから,刑訴法321条1項2号後段により,その証拠能力を肯認できる。

2  丙田明の検察官調書

(1)  相反性

丙田の検察官調書と公判供述との間に検察官主張のとおりの相反部分の存することは弁護人も争わないところで明らかである。

(2)  特信性

丙田は,平成2年10月から同6年4月まで総合開発部の部長を務めていた者で,当時総合開発部が行った融資が多額の不良債権を生み,これに関して幾多の民事訴訟が提起されているほか,殊に,本件では,総合開発部が行ったAグループに対する融資に起因する被告人甲野及び同乙野の刑事責任が問われているのであって,丙田が,同グループに対し,ずさんな融資を行った関係者の1人として,その社会的,道義的な非難等を避けるため,あるいは,総合開発部の取組方針が原因となって刑事責任を問われることになった被告人甲野や同乙野の立場を慮り,公判廷において,自己及び両被告人に不利益となるおそれのある事柄について,その供述を回避したり,有利となる事実を殊更誇張して供述したりするおそれが存すると認められる。他方,丙田は,意に添わないとする検察官調書に署名した理由について,「調書の内容が違うからサインしかねると言ったが,庚田検事から『関係者の話を総合するとこういう流れになって,小異は別にして大筋で理解してくれ。悪いようにはしないから。迷惑はかけないから。そうでないと,いつになっても調書ができなくて何回も来てもらうことになるぞ。』『あなたがまた言い分があるんであれば,別の日に来てもらえれば参考人としての調書を取るから。』などと言われ,署名してしまった。」などと供述するが,後日,庚田検事に対し,自己の言い分を改めて調書にするよう申し入れた形跡もないことに照らすと,庚田検事が,丙田に署名押印を強要したとはいえない。また,その取調べに際し,供述の強要等,無理な取調べがなされた形跡もない。

以上の事情に照らせば,丙田の検察官調書は,特信性を有するといえるから,刑訴法321条1項2号後段により,その証拠能力を肯認できる。

3  庚山二男の検察官調書

(1)  相反性

庚山の検察官調書と公判供述との間に検察官主張のとおりの相反部分の存することは弁護人も争わないところで明らかである。

(2)  特信性

庚山が,Aグループに対する融資に関し,整理回収機構から,被告人乙野,丁山及び乙田らとともに5000万円の損害賠償請求訴訟を提起され,現在民事訴訟において請求棄却を求めて争っていることは,同人の自認するところであるが,このような状況や,被告人甲野及び同乙野がかつての上司であり,刑事被告人としての両名の立場を慮る理由のあることに照らせば,庚山が,公判廷において,自己及び両被告人に不利益となるおそれのある事柄について,その供述を回避したり,有利となる事実を誇張して供述したりするおそれが存存すると認められる。他方,庚山は,捜査段階での取調状況等について,「平成11年2月9日の取調べの際,個人の経営責任を回避する目的でAグループに融資を継続したか否かをめぐって検事と対立したが,調書に署名を求められたころから体調が悪くなり,結局,個人の経営責任を回避するために同グループに対して融資を継続した旨の記載のある調書に署名をしてしまった。その後の取調べでは,独特の雰囲気や威圧感を感じ,申田検事に対し,先の調書の内容を打ち消すようなことを述べることができなかった。」などと供述しているものの,「申田検事から大声を出されたりしたことはなかった。2月9日に署名をしたときに,申田検事に対し,体調が悪いから署名は明日にして欲しいと申し出たが,検事から,もうすぐ終わると言われたので,その後は取調べを中断して欲しいなどと申し入れなかった。申田検事から,殊更に威圧的な態度を示されたことはなく,いったん署名したものは撤回できないなどと言われたこともなかった。」などと述べているのであって,結局,庚山の取調べに供述の強要等,不当なものがあったとは認め難い。また,庚山は,調書の内容を確認した上で署名しているものである。

以上の事情に照らせば,庚山の検察官調書は,いわゆる特信性を有し,刑訴法321条1項2号後段により,その証拠能力を肯認できる。

4  申山三男の検察官調書

(1)  相反性

申山の検察官調書と公判供述との間に検察官主張のとおりの相反部分の存することは弁護人も争わないところで明らかである。

(2)  特信性

申山は,平成6年6月に常務取締役に就任し,同8年6月から翌9年4月まで審査第3部を担当していたもので,自らが経営会議の構成員ないしは審査第3部の担当役員として,本件起訴に係るAグループへの融資に関与していたことに照らせば,申山が,同グループに融資を継続して拓銀に損害を与えた拓銀経営陣の1人として社会的,道義的非難等を避け,あるいは,自己の同グループに対する取組姿勢を正当化するため,また,かつての上司であり,刑事被告人としての責任を問われている被告人乙野の立場を慮る理由のあることに照らせば,申山が,公判廷において,自己及び同被告人に不利益となるおそれのある事柄について,その供述を回避したり,有利となる事実を誇張して供述したりするおそれが存すると認められる。他方,申山は,捜査段階での取調状況等について,「警察の取調べにおいて,茨戸開発を続行する方が拓銀にとって経済的な利益となったと弁明していたが,取調べを担当した警察官から,東山が茨戸開発の採算性を否定したと伝えられ,自分の主張に自身が持てなくなった上,『否認を続けるならあなたの立場が一層厳しいものになる。』『頭取などを擁護するような表現は余り使わない方がいいよ。』などと言われたことから,それまでの主張を撤回するに至った。そして,その後に行われた検察官の取調べにおいても,警察で自己の主張を撤回したことによって,投げやりな気持ちになっていたことや,検察の指示の下で警察が動いているものと考えていたことから,検察官に対し,当初の弁明を改めて述べることはしなかった。」などと供述しているものの,「検事の取調べの態度は一言で言うと紳士的でした。」「検事から,警察で言ったことに必ずしもこだわらなくていいよと言われた。」などと供述しているのであって,検察官の取調べ自体に,供述の強要等,不当なものがあったとは認められない。また,申山は,検察官調書の内容を確認した上で署名をしている。

以上の事情に照らせば,申山の検察官調書は,いわゆる特信性を有するといえるから,刑訴法321条1項2号後段により,その証拠能力を肯認できる。

5  丙山冬男の検察官調書

(1)  相反性

丙山の検察官調書と公判供述との間に検察官主張のとおりの相反部分の存することは弁護人も争わないところで明らかである。

(2)  特信性

丙山が,Aグループに対する融資に関し,整理回収機構から,被告人乙野,丁山及び乙田らとともに1億円の損害賠償請求訴訟を提起され,現在民事訴訟において請求棄却を求めて争っていることは,同人の自認するところであるが,このような状況や,被告人甲野及び同乙野がかつての上司であり,刑事被告人としての両名の立場を慮る理由のあることに照らせば,丙山が,公判廷において,自己及び両被告人に不利益となるおそれのある事柄について,その供述を回避したり,有利となる事実を誇張して供述したりするおそれが存すると認められる。しかし,丙山は,公判廷において,丁田検事から取調べを受けた状況等について,概ね,「平成11年3月2日に逮捕されたが,なぜAグループを担当した役員の中で自分だけが逮捕されたのか釈然としない気持ちでいた。同月4日の弁解録取の際,丁田検事から,『丙山さん,きちんと事実を話すと情状酌量の余地があるんだよ。』などと言われ,釈放してもらえるのかなという気持ちを抱いた。同月6日に弁護人であった桶谷弁護士と接見したが,そのとき,同弁護士から前日に丁田検事や癸田主任検事と面談し,その際,両検事から,『丙山さんについては,対応いかんによっては釈放の余地がある。』などと言われたことを告げられた。その後,同月9日ころから,本格的な調書ができあがってくるようになり,丁田検事から調書に署名するよう求められたところ,最初は署名を拒んだり訂正を求めるなどしていたが,丁田検事が訂正に応じなかったことや,釈放されたいという気持ちから,結局,調書に署名してしまった。また,桶谷弁護士から,『あなたが直接検事さんに本当に釈放してくれるのかどうか聞いてみなさい』。と指示を受けたので,同月9日ころから,丁田検事に対し,3回くらい,調書に署名した後などに,『本当に出していただけるんですね。』とストレートな形で確認したところ,『心配しないで結構です。方針そのものは変わっていません。ただ,6人の検事の合議制によってあなたの釈放が決まるので今は何とも言えませんけれども,当初の方針は変わっていません。私だって良心があるんですよ。』などと言われたことから,取調べ期間の後半ころからは,丁田検事の印象を悪くしないため,最終的には言われるままに署名をしてしまった。同月23日には,丁田検事から,勾留質問の際にした否認供述を撤回して自己図利目的を認めることを内容とした調書に署名するよう求められ,これに対しては訂正を求めたが,『丙山さん,悪いようにはしない。上司に対して丙山さんが全て認めたということの方があなたにとっても非常にプラスになることなんだ。とにかくこれについては絶対訂正しない方がプラスになることなんだ。』などと言われたことから,これで全てが終わるんだという気持ちになって署名した。」などと,丁田検事から自己の供述と処分とを絡めた話が持ちかけられた旨供述している。また,丙山の勾留当初の段階で,弁護人を務めていた和田弁護士も,概ね丙山の前記供述を裏づける供述をしている。これに対し,丁田検事は,公判廷において,「桶谷弁護士と面談した際,癸田検事が,『それぞれの立場に応じた責任がありますので,それに従って適正な処分をしたい。そのためにも,ぜひ,先生の方でも,丙山さんに本当のことをしゃべるように伝えてください。』などと言ったことはあるが,丙山の処分に絡んだ発言をしたことはなかった。取調べの際,丙山に対し,対応いかんによっては釈放の余地があるなどと言ったことはない。」などと供述し,丙山及び和田弁護士の公判供述を否定している。

丙山の前記公判供述は,記憶の一部に混乱は認められるものの,その内容は,詳細かつ具体的で,特に,丙山が述べる丁田検事の言動は迫真性に富み,丙山が自ら虚偽の事実を創作したことはにわかに断じ難い。また,丁田検事は,利益誘導があったことを否定するものの,他方で,丙山が起訴されるか否かに関心を抱いているようだったので,利益誘導があったと疑われないように注意をしていたとしながら,桶谷弁護士との面談の際,「最終的な対外的な交渉事とか」があるとして,主任捜査検事である癸田検事を立ち会わせたほか,丙山から度々自己の処分のことを尋ねられたことを認めた上,その際の対応について,「丙山さんのほうから,私どうなるんですかというような趣旨の質問がありまして,そのときに,私からは言えないし,分からないと,だから,弁護人と相談してください。ただ,現在の捜査状況は桶谷先生と私どもが面会した状況で進んでいるから,その点では安心してください。私にもと言ったのか検察庁にもと言ったのかははっきりしませんが,そういう意味での良心はありますからという趣旨のことは言いました。」などと供述している。

ところで,丙山は,被告人甲野及び同乙野と異なり,本件起訴に係る犯罪事実に関し,告発がなされていない上,両被告人と比べて,その地位が劣位にあった者で,そのため,逮捕されたことに釈然としないものを感じるとともに,不起訴を期待しうる立場にあった者である。そういう立場にある者に対し,「それぞれの立場に応じた責任があり,それに従って適正な処分をしたいので,本当のことを話して欲しい。」などと伝えれば,それがどういう趣旨に理解されるか,検察官には当然予想できるはずである。そして,丁田検事は,丙山からの質問に対し,前記のとおり答えたと供述した上,重ねて「良心がある」と話した趣旨について問われると,「嘘をつかないとか,そういう趣旨ですけれども。」「うちらもその方針にのっとってというか,立場,立場に基づいた責任というところで処理をするということです。」と供述し,実質的には,丙山との間に,その供述と処分とを絡めた取引があったことを認める供述をしている。

以上説示したところによると,丙山の捜査段階の供述は,利益誘導により得られた疑いを到底払拭することはできないから,同人の検察官調書は,いわゆる特信性を有せず,その証拠能力は否定されるべきである(なお,丙山は,平成11年3月4日に行われた弁解録取の際,被告人甲野及び同乙野の自己図利目的を認める供述をしていたことが認められるが,逮捕される前にはこれを否認していた上,翌5日の勾留質問において,被告人甲野及び同乙野の自己図利目的を含めて再び否認に転じたことに照らせば,丁田検事等の働きかけと丙山の供述の間に因果関係がないとはいえず,同人の検察官調書は,いずれも丁田検事等からの利益誘導によるものというべきである。)。

6  被告人甲野の検察官調書

(1)  供述証拠該当性

被告人甲野の弁護人は,概ね,被告人甲野の検察官調書は,その外観,形式は,「検察官調書」の体裁を有するが,当該供述調書の作成日として表示された日の取調べ結果を記載したものではないほか,記載内容も,同被告人の供述を正確に録取したものではなく,同被告人の取調べにあたった申田検事が虚実取り混ぜて創作した文章であるから,同被告人の供述を録取した書面にはあたらないと主張する。

しかし,刑事訴訟法が,供述調書の作成方法について特段の規定を設けていないことに照らすと,供述調書の具体的な作成方法は,原則として,取調官の裁量に委ねられていると解される。確かに,被疑者あるいは関係者を取調べた当日,その面前で,取調べた結果を調書にまとめるのが望ましいとはいえるが,合理的な理由があれば,数日にわたって取調べた結果を,後日まとめて調書を作成したり,取調べ終了後,被疑者等のいないところで調書を作成し,後日これを示したりすることも,閲読あるいは読み聞かせ等により,その内容の正確性が担保されている限り,許されるというべきであって,その一事のみで違法となるものではない。

被告人甲野の検察官調書が,同被告人の面前で作成されていないことは,その取調べにあたった申田検事が認めているが,同検事は,このような調書作成方法を採用した理由について,取調べ時間を確保したかったなどと説明している。同検事の挙げる理由は,一応の合理性を有するといえる上,被告人甲野は,各検察官調書について,十分にその内容を確認し,最終的に署名していることに照らすと,同被告人の検察官調書が供述調書にあたらないとはいえない。

なお,申田検事(被告人乙野の取調べにあたった庚田検事の場合も同様である。)は,被告人甲野の面前で供述調書を作成しなかった理由の1つとして,共同捜査であったため,主任検事に調書の原案等を確認させる必要もあったと説明している。そして,丁田検事は,丙山の供述調書についても,同様の理由により,同人の面前で作成しなかったとした上で,更に具体的に「関係人が多数いますので,それぞれの供述の突き合わせというのがあります。それぞれに矛盾がないかとか,そういうことの打ち合わせというか,一応主任検事への報告があります。」「報告した上で,他の供述者,あるいは物証等の証拠と矛盾がないかどうかの検討をした上で調書を作成する。」と供述している。このように,被疑者等の面前で調書を作成しない上,作成する前に他の関係人あるいは物的証拠との整合性を勘案するということは,他方で,整合性がなければ,調書の作成をしないことを意味することになるが,このようにして供述調書が作成された場合,後日,被疑者等の供述経過を正確に把握できなくなるおそれが生じるとともに,供述調書の内容が他の証拠と矛盾のないことがいわば当然ということになる。したがって,一般的には,供述内容が他の証拠との整合性を有すれば,その証拠価値は高いといえるが,本件においては,必ずしも,このようなことはいえず,被告人甲野,同乙野のほか,その面前で作成されていない調書の信用性を検討するに際しては,以上のような事情に注意し,より一層慎重な態度で臨む必要がある。

(2)  任意性

被告人甲野の弁護人は,同被告人が申田検事から受けた取調べの状況等について,申田検事が,高齢かつ高血圧症により投薬治療を受けていた同被告人に対し,連日のように長時間にわたって取調べを行っていたこと,同被告人に対し,「お前,頭取か。」「責任逃れしたいか。」などと大声で罵倒したり,同被告人が署名を拒否した調書をその面前で破り捨てるなどのヒステリックな挙動を示すなどして,同被告人の人格を無視した取調べ方法に終始していたこと,同被告人から追記・訂正を求められたにもかかわらずこれを聞き入れず,長時間にわたって執拗に署名するよう強要したことなどを指摘した上,このような状況で作成された同被告人の検察官調書は任意性がないと主張する。被告人甲野も,弁護人の主張に沿う供述をした上,「何とかこの部屋から早く帰りたいという気持ちや体調が悪かったことから,結局,不本意ながら署名をしてしまった。」などと供述している。

他方,申田検事は,被告人甲野の取調べの状況について,取調べの終了時刻が午後9時ころまで及んでいたこと,取調べにおいて,しばしば激高して大声を張り上げ,「ばかやろう。」と怒鳴ったり,「それでも拓銀の頭取なんですか。拓銀が破綻して,道民が経済的に苦しんでいる現状を本当に分かっているんですか。」といった趣旨のことを強い口調で言ったこと,同被告人の追記・訂正の申し立てを拒んだことがあること,同被告人に署名を求めるにあたり,説得を繰り返し,それが長時間に及んだことがあることなどを認めているのであって,このような申田検事の公判供述に照らせば,同被告人の取調べにおいて,弁護人の指摘するような外形的な事実が概ね存在したと認められる。

しかし,被告人甲野及び申田検事の各公判供述並びに札幌方面中央警察署長作成の平成12年2月21日付回答書(甲646)によれば,同被告人は,逮捕後の平成11年3月4日から同月24日の21日間にわたり同検事から取調べを受け,その取調べもほぼ連日に及び,終了時刻が夜10時過ぎに達したこともあったが,他方,その間の同月8日,12日,15日の3日間は申田検事による取調べが行われていないこと,申田検事は,被告人甲野が身体の不調を訴えた場合には,取調べを中断して休憩時間を設けたり,取調べを打ち切って同被告人を留置場に戻すなどの措置をとっていることが認められ,このような事実に照らせば,弁護人の指摘するような事情があったからといって,直ちに同被告人に対し,著しい肉体的・精神的苦痛を与える違法な取調べがなされたということができないのはもとより,このような取調べ時間の長さなども,他の事例と比較して,極端に長時間に及んだとはいえず,本件事案の性質や複雑さなどに照らし,必要やむを得なかったというべきである。

また,申田検事が,取調べ中,度々大声を張り上げ,更には,被告人甲野に対し,「お前,頭取か。」「責任逃れしたいか。」などと怒鳴ったりしたことも,取調官として冷静さを欠き,妥当とはいえないものの,被告人甲野自身,公判廷において,申田検事が大声を張り上げたときには大声を出して反論していたことや,同検事から「ばかやろう。」と言われたときには,「何だと,もう一度言ってみろ。」などと言い返したと述べているのであって,このような申田検事に対する同被告人の対応等も勘案すれば,申田検事の言動により,被告人甲野において,看過しがたい心理的圧迫を受けたとまではいえない。

さらに,被告人甲野が,自己図利目的をもってAグループに対して融資を行ったことについては全面的に自白しているものではないこと,申田検事から度々自己図利目的を認める旨の調書に署名するよう求められたものの,これらの調書についてはいずれも署名を拒否していることなどの事情に照らせば,同被告人が,申田検事から長時間にわたり署名を求められるなどしたために,署名を拒否できなかったとか,申田検事から署名を強要されたなどということもできない。

以上の事情に加え,被告人甲野が,取調べを受けている期間を通じて弁護人と頻繁に接見し,その助言を受ける機会が与えられていたことをも総合して考慮すれば,被告人甲野の検察官調書について,任意性を有するといえるから,刑訴法322条1項により,その証拠能力を肯認できる。ただし,前記した事情に加え,被告人甲野の年齢,健康状態,取調べ期間が21日間にわたり,毎日の取調べ時間も長く,その間に申田検事から不穏当な態度を示され,ときにかなり激しい理詰めの追及を受けたとうかがえることを勘案すると,その信用性の検討は,更に慎重になされなければならない。

(3)  特信性等

ア 相反性

被告人甲野の検察官調書と公判供述との間に検察官主張のとおりの相反部分が存することは弁護人も争わないところで明らかである。

イ 特信性

被告人甲野は,被告人という立場に加え,Aグループに対する融資に関し,整理回収機構から,癸山元副頭取及び乙山元常務取締役らとともに5億円の損害賠償請求訴訟を提起され,現在民事訴訟で請求棄却を求めて争っているところ,このような立場に照らせば,同被告人が,公判廷において,自己に不利益となる事実に関する供述を回避したり,あるいは自己に有利な事実を誇張するなどして,自己の体験した事実をその記憶に従ってありのままに供述しないおそれがあると認められる。また,被告人甲野の検察官調書については,前記説示のとおり,任意性が認められる。

したがって,被告人甲野の検察官調書は,いわゆる特信性を有するといえるから,刑事訴訟法321条1項2号後段により,その証拠能力を肯認できる。

7  被告人乙野の検察官調書

(1)  供述調書該当性

弁護人らは,被告人乙野の検察官調書について,取調べを担当した庚田検事が,同被告人のなした供述とは無関係に文章を創作して署名を求めたものであるから,刑訴法322条1項ないしは同法321条1項2号の「供述を録取した書面」にはあたらないと主張する。

被告人乙野は,公判廷において,取調べの状況等について,「庚田検事は,自分の主張をよく聞いてくれたが,実際の検察官調書には,全く自分の言わないことが書いてあった。」などと供述している。しかし,被告人乙野の公判供述に照らしても,同被告人の検察官調書が,その内容に関する取調べが行われた上で作成されたものであること,同被告人がその内容を確認した上で署名していること,その際,申立てにより,内容の訂正等も行われていることなどが認められるのであって,これらの事実を総合すれば,被告人乙野の検察官調書が供述調書にあたらないとはいえない。

(2)  任意性

被告人乙野の弁護人は,同被告人の検察官調書がその面前で作成されたものでなく,庚田検事の意図する構図に合致する内容を調書用紙にまとめ上げたものであること,庚田検事が同被告人からの訂正の求めに応じなかったことなどを指摘し,同被告人の検察官調書は任意性を欠くと主張する。

しかし,被告人乙野は,公判において,取調べの状況について,「庚田検事は,自分の主張をよく聞いてくれたが,同検事の作成した調書には全く自分の言わないことが書いてあった。そのような調書に対し異議を述べても,いろいろな理由を付けて自分のストーリーに引っ張り込もうとしたり,『乙野さんの主張は最後にまとめて調書に作るから,それで納得せよ。』などと言い,結局,取り合ってくれなかった。このように庚田検事が自己のストーリーを押しつけるだけで自分の言い分が全く調書に反映されないことから,次第に反論することがばかばかしくなるとともに,拓銀を破綻させたことの責任をとらせるため,何らかの案件で自分を起訴することが国策上の既定路線として決まっているのだという考えが支配するようになり,無力感におそわれ,不本意であったが調書に署名してしまった。」「取調べの最終段階でも,庚田検事に自分の言い分を調書にとってくれるよう頼んだことはない。」などと供述している。このように,被告人乙野の公判供述に照らしても,同被告人が庚田検事から署名を強要されたなどの事実は認められず,その取調べ過程に何らかの違法・不当なものがあったことをうかがわせる事情は見出せない上,同被告人自身,調書に署名した状況等について,「(調書に不本意ながら署名したのは)別に威圧されたとか怒鳴られたということじゃなしに,どっちかというと私の内面的な問題みたいなものだと思います。」と述べ,庚田検事から自白を強制されたものでないことを認めている。このほか,同被告人が,勾留中,弁護人と頻繁に接見し,その助言を受ける機会が与えられていたことをも併せ考慮すれば,同被告人の捜査段階の供述の任意性には疑問の余地はない。したがって,被告人乙野の検察官調書は,任意性を有するといえるから,刑事訴訟法322条1項により,その証拠能力を肯認できる。

(3)  特信性等

ア 相反性

被告人乙野の検察官調書と公判供述との間に検察官主張のとおりの相反部分が存することは弁護人も争わないところで明らかである。

イ 特信性

被告人乙野は,被告人という立場に加え,Aグループに対する融資に関し,整理回収機構から,乙田,丁山らとともに1億5000万円の損害賠償請求訴訟を提起され,現在民事訴訟で請求棄却を求めて争っているところ,このような立場に照らせば,同被告人が,公判廷において,自己に不利益となる事実に関する供述を回避したり,あるいは自己に有利な事実を誇張するなどして,自己の体験した事実をその記憶に従ってありのままに供述しないおそれがあると認められる。また,被告人乙野の検察官調書については,前記説示のとおり,任意性が認められる。

したがって,被告人乙野の検察官調書は,いわゆる特信性を有するといえるから,刑事訴訟法321条1項2号後段により,その証拠能力を肯認できる。

第5  被告人甲野に係る特別背任罪の成否

1  Aグループに対する新規融資の回収可能性

前記認定のとおり,平成5年4月にAグループの所管が総合開発部から審査第1部に所管替えされたが,その後拓銀のAグループに対する基本的な取引方針が検討されたのは,平成5年7月経営会議である。

そこで,平成5年7月経営会議当時並びに本件第1及び第2の各融資実行当時におけるAグループの経営状況,同グループの経営改善の可能性及び茨戸開発の実現性,採算性を検討し,前記各時点における同グループへの新規融資の回収可能性等について検討する。

(1)  Aグループの経営状況

Aグループの経営状況,同グループに対する拓銀の融資状況及び債権保全状況は,前記「概ね争いのない事実」5及び9項で認定したとおりである。

ア 平成5年7月経営会議当時

Aは,平成4年5月期までは営業利益を計上していたものの,合計400億円を超える茨戸開発事業資金及びホテル建設資金の借入に係る利払等の負担により,経常利益は赤字となっており,同3年5月期からは繰越損失を計上するようになった上,同5年5月期には営業利益も赤字に転落した。同5年5月期における借入残高は約458億円で,うち拓銀からの借入残高が約208億円,たくぎんファイナンスからの借入残高が164億円余にのぼっていた。

Cは,C'が開業当初から見込みを相当下回る売上げしかなかったため,赤字補填資金を借り入れながら営業を継続するといった状況であり,しかも,同社自体にはみるべき資産がなく,同社に対する融資は,すべて無担保でなされていた。

また,平成5年5月末時点におけるAグループの借入残高は,合計で約553億円にのぼったが,うち,拓銀グループからの借入残高は約482億円で,そのうち約216億円余が保全不足に陥っていた。A,Cのほか,Bも,平成4年11月期以降営業損失を計上し,繰越損失を増やすなど赤字経営状態であった。

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

Aは,平成6年3月期20億円強の営業損失を計上し,繰越損失も約67億円に達した。Aの借入残高は総計548億円余に達し,そのうち,拓銀からの借入が282億円余,たくぎんファイナンスからの借入が162億円余で,担保で保全されていない部分が,それぞれ149億円余,144億円余に及んでいた。また,同期におけるCの拓銀からの借入残高は,116億円余で,そのすべてが無担保となっていた。

同期におけるAグループ全体の借入総残高は700億円を超えていた。

(2)  Aグループの経営改善の可能性

関係証拠(甲509)によると,平成5年7月当時, Aグループが全体として早急に経営改善のなされる見込みはなかったものの,Aグループ各社のうち,Aの本業部門については,黒字基調であり,経費削減や保有資産売却による借入圧縮等の施策を行うことにより,償却後経常損益の段階でも黒字化に転換することが可能であると見込まれたこと,Bについては,償却前営業損益の段階では利益を計上し,3億円程度であれば利払い可能であった上,それまで何ら抜本的な売上げ増強策や合理化,効率化策が検討されたことがなかったことから,営業努力や合理化などの経営改善に取り組ませることにより,償却後営業利益を計上することも可能であると見込まれたこと,Cについては,黒字化への転換は見込めなかったものの,開業直後で,何ら業務改善に着手していなかったことから,売上げ増強策や経費削減策を実施すれば赤字幅を圧縮する余地が十分にあったことが認められる。

また,本件第1及び第2の各融資実行当時におけるAグループの経営改善の可能性については,基本的には平成5年7月当時と同様の状況が見込まれた。

(3)  茨戸開発の実現性,採算性

茨戸開発の進捗状況等は,前記「概ね争いのない事実」10項で認定したとおりである。

ア 平成5年7月経営会議当時

総合開発部所管当時,拓銀経営陣は,Aの進める茨戸開発が実現すれば,その開発利益により,Aグループに対する債権を回収できるものと考えていた。

しかし,茨戸地区は,市街化調整区域で農業振興地区にも指定されるなど開発が厳しく制限された地域であったこと,開発方法をめぐって札幌市内部でも意見の対立があった上,農振法に係る農用地区域指定解除の見通しが立っていないなど,開発許認可の見込みが確実ではなかったこと,具体的な事業計画もないままに開発用地の取得が先行されていたこと,開発用地のうち,買収が難航していた部分があったこと,被告人丙野の開発用地の買収行為が,国土法に違反するものであった上,マスコミや札幌市議会等において,農地法違反等の疑いのあることが度々追及され,このような法律問題が社会問題として注目を浴びた場合には,茨戸開発が頓挫する危険性をはらんでいたことなどから,平成5年7月当時,茨戸開発が確実に実現するとの見通しは立っていなかったといえる。

なお,審査第1部の南山らは,茨戸開発の具体的な事業内容が定まっていなかったため,茨戸開発に関して精緻な収支試算を行っていなかったが,平成5年7月経営会議の際,茨戸開発が成就しても,たくぎんファイナンスがAに貸し付けた茨戸開発事業資金の回収がある程度見込まれることを除いては,茨戸開発による収支は必ずしも期待できず,拓銀のAグループに対する貸付金の回収につながらない可能性のあることを報告していた。

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

その後,札幌市の意向により,被告人丙野が茨戸開発の表面から退き,これに代わり拓銀が茨戸開発の表舞台に立つようになったところ,今度は,次第にヤオハンが茨戸開発の参加に消極的な姿勢を示すようになったが,平成6年1月経営会議で,拓銀がヤオハンに対し,Aのヤオハンに対する24億円の債務について保証したことから,ヤオハンは,同月20日,札幌市に対し,正式に出店表明を行うとともに,札幌国際開発の設立準備会に正式に参加した。しかし,その後,拓銀は,それまで進めてきた市街化調整区域内の特例開発という手法による事業提案書を札幌市に提出した場合,将来的にもこれに拘束され,到底採算の見込めない事業遂行を強いられる結果となることが判明したため,平成6年5月及び同年6月の各経営会議において,開発手法を,市街化調整区域内の特例開発から,事業採算性を前面に押し出した,宅地造成を内容とする市街化区域への編入を目指すことに変更し,白紙の状態から札幌市と交渉し直し,仮に,市街化区域編入が平成14年3月までになされないような状況になった場合には,茨戸開発の推進を断念し,それまでに取得した用地を札幌市に買い上げてもらうように交渉することとした。このように,本件第1及び第2の各融資実行当時,茨戸開発の実現の見通しは,平成5年7月経営会議当時と比べても,なお一層混迷の度を増したといえるが,それまでの札幌市の茨戸開発に対する積極的な支援等を勘案すると,検察官が主張するように,その見通しが極めて困難であったとまで断ずることはできない。

(4)  本件第1及び第2の各融資の回収可能性

ア 平成5年7月経営会議当時

以上(1)ないし(3)の,Aグループの経営状況,同グループの経営改善の可能性,茨戸開発の実現可能性や採算の見込みなどに照らせば,平成5年7月経営会議当時,A及びCに対し,新たに赤字補填資金を無担保で融資した場合,その回収が不能となる危険性を有していたと認められる。

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

本件第1及び第2の各融資当時においては,平成5年7月経営会議当時と比べ,Aグループの経営状況には,特段の改善が見られなかった上,借入残高及び保全不足額も増加する一方で,茨戸開発の実現性についても,不透明さが増したものであって,平成5年7月当時と比べても,その赤字補填資金に係る無担保融資が回収不能となる危険性は一層大きくなったと認められる。

(5)  被告人甲野らの認識

拓銀の経営会議における,Aグループの経営状況や,茨戸開発の実現性,採算性等に関する報告状況は,前記「概ね争いのない事実」14項記載のとおりである。

ア 平成5年7月経営会議当時

被告人甲野は,Aグループの経営状況に関する報告が初めてなされた平成2年11月の経営会議のほか,それ以降に開催された経営会議に拓銀頭取として出席し,所管部(総合開発部,審査第1部)から,その経営状況等の報告を受けていた上,平成5年7月経営会議にも出席し,審査第1部の南山ら担当者から,同グループの経営状況等の報告を受けていたのであるから,Aグループの経営状況,茨戸開発の実現可能性や採算の見込み等を認識し,これを前提に,同グループに対する新たな赤字補填資金に係る融資を無担保で行えば,それが回収不能となる危険性をはらんだものであることを認識していたというべきである。

もっとも,関係証拠(北山・3回,南山・6回,7回,9回,10回,甲509,520)によれば,総合開発部の担当者はもとより,平成5年4月からAグループの所管を引き継いだ審査第1部の南山ら担当者は,茨戸開発の実現可能性について,当時,被告人丙野あるいは田上設計らからの報告等により,同6年4月には,あるいは時期的には若干これにずれこむことはあっても,市街化調整区域内の特例開発による許認可が取得でき,その後同地区が市街化区域に編入できると考えており,その旨経営会議に報告,説明していたもので,被告人甲野ら拓銀経営陣も,茨戸開発の実現性については,そのような認識を有していたと認めるのが相当である。なお,被告人乙野は,茨戸開発の実現性について,「対象地は市街化調整区域内の農地であった上,その一部は農用地区域にも指定され,しかも,丙野が農地法や国土法に違反して用地買収を行っていたため,農地転用の許可を得ることが難しくなっていたこと,ショッピングセンターを開設予定のヤオハンが完全な逃げ腰になっていたことなどから,平成5年7月当時において,茨戸開発事業の実現可能性は極めて少ないと思っていた。」(乙51)などと述べているが,平成5年7月経営会議資料には,ヤオハンの動向について,「最新の香港支店情報では,札幌プロジェクト内のショッピングセンター以外の事業に対するヤオハンの参入は難しくなりつつある模様」「札幌プロジェクトは当分凍結されうることもあり得るのではないか。」などと記載されていたにとどまり,ヤオハンの撤退方針を明確に認識させるに足りる報告はなされていない上,審査第1部が,茨戸開発の実現性が極めて乏しいなどと報告した形跡もないこと,そのほか,平成5年10月ころには被告人丙野が茨戸開発から外れることに同意し,翌6年1月にはヤオハンが札幌市に対し正式に出店表明するなど,平成5年7月経営会議において審査第1部が報告した茨戸開発遂行上の懸念事項がいずれも解決されていること,当時,札幌市が,茨戸開発を支援し,前向きな対応を示していたことなどの事情に照らせば,被告人乙野が,平成5年7月当時において,茨戸開発の実現が極めて困難だと考えていたというのは不合理で信用できない。

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

被告人甲野は,平成5年7月経営会議以降も,Aグループの経営状況や茨戸開発の進捗状況等が報告された平成6年1月経営会議や平成6年5月,同年6月の各経営会議に出席し,所管部(審査第1部,審査第3部)から報告を受けていたのであるから,本件第1及び第2の各融資実行当時,報告された,Aグループの経営状況,茨戸開発の実現可能性や採算の見込み等を前提に,同グループに対する新たな赤字補填資金に係る融資を無担保で行えば,平成5年7月経営会議当時に比して,その回収不能となる危険性が増したことを認識していたというべきである。

もっとも,被告人甲野は,平成6年1月経営会議において,「茨戸開発を断念するよりは,難題を抱えながらも,札幌市の協力が得られ,パートナーとしてのヤオハンも存在し,市街化編入までの道筋が画けている……前進の方向に意思統一する方がロスが少なくなる」旨報告を受けていたのであるから,本件第1及び第2の各融資実行当時,茨戸開発の採算性については,そのように認識していたと認めるのが相当である。また,経営会議において,茨戸開発の開発手法の変更が報告,協議されたのは,平成6年5月経営会議のことであるから,被告人甲野が,茨戸開発の実現性に不透明さが増したことを認識したのは,そのころのことであったと認められる。さらに,札幌市は,それまで茨戸開発を積極的に支援してきたもので,茨戸開発が頓挫すれば,札幌市関係者も厳しい社会的な非難を浴びることが予想された状況にあったことからすると,南山ら審査第3部の関係者,あるいは同人らから報告を受けた被告人甲野は,開発手法の変更により,一時的には,札幌市の反発を招くとしても,最終的には,札幌市の理解を得られると期待していたものと認められる。

2  Aグループに対する融資が継続されるに至るまでの経緯等

(1)  平成5年7月経営会議に分離再編案が付議されるに至った経緯等

Aグループに対する拓銀の取組状況等については,前記「概ね争いのない事実」15項に記載したとおりである。

前記認定の事実及び関係証拠(南山・5回,7回,甲509)によれば,審査第1部が,Aグループに対する基本的な取組方針をまとめ,これを平成5年7月経営会議に付議するまでの経緯は,次のとおりである。

審査第1部は,総合開発部からAグループの所管を引き継いだ直後から,南山及び甲野が中心となって,同グループの経営状況等の調査を行ったところ,Aグループが,茨戸開発やC'への過大投資によって多額の債務を負う反面,これらの借入金を返済する体力のないこと,営業を継続する限り年間約70億円もの赤字補填資金等が必要となることなどが判明し,グループ全体としては実質的な経営破綻状態にあり,損失を覚悟してでも速やかな債権回収に向けた行動を取る必要があると判断した。もっとも,審査第1部は,Aグループ各社を個別にみた場合には,各社において,それぞれ経営改善を図る余地があると判断し,同グループに対する融資を打ち切り,一気にこれを倒産処理するのではなく,同グループを分社化し,Aの本業部門については100億円余の債務を引き継がせて営業を継続させ,その他の事業については,損失を覚悟の上,第三者に売却するなどして,計画的,段階的に整理していく(いわゆる「ソフトランディング」)ことなどを内容とする分離再編案をまとめた。そして,審査第1部は,事前に被告人乙野にこれを説明し,その承諾を得た上,平成5年7月経営会議に,分離再編案を付議するとともに,これが実施されることを条件に融資を継続するという,Aグループに対する基本的な取引方針を付議するに至った。

(2)  分離再編案の目的等

南山は,Aグループに対し,直ちに融資を打ち切り,同グループを倒産させるのではなく,同グループの分離再編を行い,それが完了するまで必要最少限度の融資を継続するという基本的な取組方針を策定した理由を,公判廷で,概ね,次のように供述している。

「平成5年7月当時,融資を打ち切ってAグループを倒産させた場合,同グループで稼働する多くの従業員が失職するほか,ホテル建設を請負っていたゼネコンが受取っていた額面五十数億円にも及ぶ約束手形が不渡りとなり,その経営に多大な悪影響を与えるなど,地域経済にとって大きな問題となるおそれがあった。また,茨戸開発が頓挫することになり,土地代金の返還を求められた農家が,これに不服を申立て,マスコミ等を巻込んで社会問題化し,それに従い,支援を打ち切った拓銀に対し,マスコミ等から厳しい社会的批判が浴びせられるなどして拓銀の信用が低下し,その結果,預金の流出等の事態を招くおそれがあった。一方,たくぎんファイナンスの経営状況や,同社の貸付金総額に占めるAへの融資額の割合等に照らせば,Aグループに対する融資を打ち切った場合には,たくぎんファイナンスのAに対する茨戸開発事業資金等に係る145億円の回収が不能となり,その結果,たくぎんファイナンスの経営不安を招来し,ひいては,拓銀自身の経営への懸念も否定できなかった。」

ところで,南山は,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡については,「融資を打ち切った場合,平成5年7月経営会議当時,Aグループに対する拓銀グループの貸付金総額は482億円余で,そのうち担保で保全されている部分(実効担保価格)は,概ね266億円余であった。同グループへの融資を打ち切れば,最悪の場合,担保で保全されていない216億円余のほとんどが回収不能となるおそれがあった。他方,融資を継続した場合,平成5年7月経営会議当時において,Aグループのうち,Aの本業部門については不採算店舗を統廃合するなどの業務改善策を講じて債権の正常化を図ること,B'及びC'の運営部門については,経営改善策を実行した後,100億円程度の損失を覚悟して第三者に売却等処分すること,茨戸開発については,開発許認可を取得した後,65億円程度の損失を覚悟して開発業者等に事業を売却することなど,同グループを,その経営状況に応じて事業別に適切な施策等を行った場合には,融資を打ち切った場合に比べて,100億円程度上回る回収を期待することが可能であった。」などと供述している。

南山供述は,その供述態度が真摯であることや,供述内容が具体的,明確であることに加え,関係証拠との整合性を有し,全体的に,高度の信用性を有するというべきであるが,そのうち,上記供述部分は,前記「概ね争いのない事実」で認定した,拓銀及びたくぎんファイナンスの経営状況,取り分け,たくぎんファイナンスのAに対する融資が,たくぎんファイナンスの貸付総額の約1割を占めていたことや,平成5年7月経営会議の資料等の記載と符合し,十分信用できる。もっとも,南山の供述中,「Aグループに対し融資を打ち切った場合でも,たくぎんファイナンスがAに貸し付けた茨戸開発事業資金の3分の1程度の回収が見込まれる」旨の部分は,そのように判断する具体的な根拠を述べていない上,他方で,「平成5年7月の段階で,Aグループに対する融資を打ち切った場合には,たくぎんファイナンスが貸し付けた土地代金の回収はゼロになるという思いがありました。」「心ある地主さんは,案外一部返してくれたかもしれません。だけども,ほとんどが取れなくなるということになると思います。」などと,度々,地権者からの回収を期待することができなかった旨供述している(南山・6回,7回,10回)ことに照らし,これをそのまま採用することはできない。

ところで,検察官は,審査第1部が分離再編案を付議した理由について,Aグループに対しては直ちに融資を打ち切ることが拓銀の損失の極小化にとって最善策であったものの,仮に,同グループに対して融資を打ち切った場合,地権者が騒ぐなどの社会問題が発生して拓銀が批判を浴びることなどを慮った結果,経済的合理性の観点からすれば次善の策であった分離再編案を提案するに至ったものであるとして,同グループへの融資を打ち切ることが拓銀の損失の極小化にとって最善策であった旨主張する。しかし,平成5年7月経営会議資料によれば,Aグループの事業のうち,ホテル事業を除いた事業については,経営改善策の実行により,経常損益段階でも黒字化する可能性のあることが示されていること,茨戸開発についても,含み益が期待できないとの記載はあるものの,その実現性や採算性が否定されるような決定的な事情は記載されていない上,南山自身も,行政の要求する諸条件を整備すれば開発許認可自体は取得できるとの感触を持っていたこと(南山・5回)のほか,当時,審査第1部としても,Aグループに対する本格的な経営改善に着手する前であって,経営改善によって同グループに対する債権の正常化を図る余地があると考えていたこと,前記のとおり,同グループの経営状況を悪化させている大きな原因が,約40億円もの利息金支払によって資金繰りが圧迫されていることによるものであったこと,B'やC'についても,その施設の性質や立地条件等に照らせば,倒産させた上で処分するよりは,任意売却等による方が貸付金の回収が多くなると見込まれたことなどの事情に照らせば,融資を打ち切ることが,同グループに対する貸付金の回収方法として最善の方策であったと断定することはできない。南山の公判供述中には,検察官からの質問に対し,「経済的合理性の観点からすれば,直ちに融資を打ち切るべきであった」旨述べている部分があるが,その一方で,南山は,弁護人の質問に対し,「回収の極大化を図るためにもAグループを倒産させるわけにはいかなかった。」などと述べているほか(南山・8回,10回),平成7年1月経営会議でAグループ再編案を付議した理由について,損失の極小化を図るためだったと明確に述べている(南山・8回)のであって,同人の供述を全体としてみれば,分離再編案の目的は,前記したところにあったと認めるのが相当であり,検察官の主張は採用できない。

なお,念のため,検察官の前記主張に沿う被告人乙野及び同甲野の供述の信用性について判断する。

ア 被告人乙野の捜査段階の供述

被告人乙野は,捜査段階において,分離再編案を付議した理由について,「経済的合理性の観点からみればAグループに対して融資を打ち切ることが最善策であったが,南山から,農地法の問題もあり,甲野らの辞任問題につながるような処理を避けるため,同グループへの融資を続けていく方針をとらざるを得ないとの報告を受けたことや,自分としても,経営陣の責任問題の表面化につながるような処理は取りたくなかったことから,分離再編案を経営会議に付議することを承認した。」(乙45,47)などと供述している。しかし,平成5年7月経営会議資料には,国土法,農地法に絡む問題があるとの指摘があるにすぎず,同経営会議において,審査第1部が,農地法違反等の問題を深刻な問題として出席役員に報告した事実は認められない。そもそも,南山は,農地法違反の問題を深刻に認識した時期について「(平成5年6月中旬ころは)総合開発部から引き継いだばかりで,そういう問題も抱えてますよと。要するに,農業委員会のアドバイス,指導を受けながら,土地売買が行われているという状況を聞いたわけですけど,そういう問題があるんだなという認識,それが5年6月ころの認識だと思うんですよ。それがどんどん市との折衝や何やらやっていく中で深まっていったというのが実態だろうと思います。」と供述しているところ,関係証拠(甲516,520,560,561,628)によれば,南山は,茨戸開発に係る開発手法の変更を図った後に札幌市や農業委員会の担当者らと打ち合わせをする中で,「やめたら地獄を見る」などと聞かされ,その発言中に同問題の深刻さを強調するものが現われるようになったのは,平成6年9月の大蔵省検査あたりからであることが認められるのであって,こうした事情に照らせば,同人が農地法違反問題の深刻さを認識したのは平成6年6月以降のことであったと認めるのが相当である。したがって,被告人乙野が,南山から分離再編案付議の説明を受けた際,農地法違反の問題と被告人甲野の経営責任を関連づけて説明されたというのは不合理というべきである。また,仮に,南山が,平成5年7月経営会議の時点において,農地法違反等の問題を深刻に捉えていたのだとしたならば,同人が同7年1月経営会議になってこの問題を真正面から取り上げたというのはいかにも不自然である。

また,被告人乙野は,捜査段階では,「平成5年7月経営会議の時点において,Aグループに対して融資をストップするのが最善策であった。」(乙45,47),「茨戸開発事業は,かなりの損切りを覚悟せざるを得ない状況であったことに加え,Aグループに対する年間50億ないし60億の赤字補填資金を融資しなければならないことから,同グループの融資をストップすることが拓銀の損失を最小限に食い止めるための方策であった。」(乙65)などと供述している。しかし,被告人乙野の調書には,平成5年7月経営会議資料に示されている,グループ会社の経営改善の可能性,融資を継続した場合に見込まれる回収額など,同グループに対する取組方針を検討するにあたり当然に考慮されるべき事情について何ら言及されていないのであって,同被告人が取調べの際に当時の記憶を十分に整理できずにいた疑いも否定できないほか,前記調書においては,Aグループに対する融資を打ち切った場合の損失額等について全く言及されていない上,赤字補填金の大半が利息分であることや,実質的な赤字補填資金についてもグループ各社の経営改善を図ることによって相当程度圧縮することが可能であったことなどが全く考慮されていないのであって,同被告人の供述に十分な裏づけがあるということはできない。

このように,被告人乙野の供述は,不自然,不合理な部分が見受けられ,同被告人が当時の記憶を十分に喚起できずに取調べ検察官の誘導に従って供述した疑いも否定できないから,信用することができない。

イ 被告人甲野の捜査段階の供述

被告人甲野は,捜査段階において,「平成5年7月経営会議において,Aグループが赤字たれ流しの状態で,グループ各社のいずれもが経営改善の見込みがなく,赤字補填金の回収の見込みが全くと言っていいほどなかった。」(乙17)「安全性の原則を遵守すれば,平成5年7月の時点でAグループに対する融資を打ち切るべきであった。」(乙16)などと供述している。

しかし,これらの供述調書の内容を検討すると,あたかも,平成5年7月経営会議において,Aの本業部門及びA全体が営業損益で赤字であったことを前提として話が進められているところ,同経営会議資料に照らせば,本業部門及びA全体としても5億円以上の営業利益を計上していたことが認められるほか,Bの収支についても,「今後とも,営業収支ベースでの利益を出す見込みは極めて乏しかった。」と記載されているが,この点でも同経営会議資料で審査第1部が示した「経営努力,合理化などの自助努力を行えば,営業利益の黒字化は可能なはず。」との見通しとも大きく乖離しているなど不合理な部分がある。また,関係証拠(弁50)によれば,被告人甲野は,捜査段階において,取調べ検察官に対し,Aグループに対して融資を打ち切った場合には拓銀の損失が極めて大きくなることや,当時同被告人の考えていたグループ各社の処理方法などについて弁明していたことが認められるにもかかわらず,同被告人の調書(乙17)には,このような同被告人の弁明も記載されていない。このような事情に加え,前記第4で認定した,被告人甲野に対する取調べ検察官の取調べ状況や,被告人甲野が起訴される前日においても,「平成5年以降,私はAグループに対して支援継続の判断をいたしましたが,その当時の経営判断の内容については,その当時の関係資料を確認し,その当時の考え方を整理した上でなければ,十分な説明はできないと思います。」などと申し立てていたことなどの事情も併せ考慮すれば,被告人甲野が,取調べ検察官の理詰めの追及に屈し,十分納得しないまま,前記のような供述をした疑いを払拭することができないというべきで,被告人甲野の捜査段階の供述をそのまま信用することはできない。

また,検察官は,平成5年7月経営会議において,審査第1部が,Aグループの問題とたくぎんファイナンスの経営問題を直接関連付けて報告したことはないと主張する。しかし,南山は,同経営会議において,「たくぎんファイナンスの145億円を捨てるわけにはいかない」旨発言している上,同人が,公判廷において,「言わずもがなの世界」と述べている(南山・6回)のとおり,被告人甲野ら拓銀経営陣が,拓銀の系列会社であるたくぎんファイナンスの経営状況に重大な関心を寄せていたことは容易に推認できるから,被告人甲野らは,Aグループへの融資継続を判断するに際し,融資を打ち切った場合のたくぎんファイナンスに与える影響を考慮したものと認めるのが相当である。

(3)  平成5年7月経営会議の状況

審査第1部は,平成5年7月経営会議において,Aグループの経営状況や資産状態を詳細な資料に基づいて説明した上,同グループに対する分離再編案を付議するとともに,これを実施するためには,拓銀主導の経営体制を確立することが必要であるとして,Aグループに対する融資(Aに対するホテル建設資金の残代金59億円及びCの赤字補填金11億5000万円)を継続する条件として,同グループの株式を担保として差し入れさせること,C'について代物弁済予約の仮登記をつけること,Cにおける被告人丙野の代表権を外して西野に権限を委譲させることなどを同被告人に迫るべきであると強調した。しかし,審査第1部の提案に対し,被告人甲野がこれに消極的な意見を述べたほか,出席役員の間にも,分離再編案に釈然としない雰囲気があり,その当否等についての具体的な議論がなされないまま議事が進行したことから,最終的に,被告人乙野が,「ホテル建設資金の残代金59億円等の融資は承認されたということで,再編案については更に詰めた上で経営会議に諮る。」などと発言して議論を引き取り,その結果,分離再編案は,同日の経営会議では承認されないまま継続審議となり,Aに対するホテル建設資金の残代金59億円及びCの赤字補填金11億5000万円の融資のみが承認された(南山・5回,7回,丙山・12回,13回,乙野・45回,甲509)。

なお,被告人甲野の弁護人は,平成5年7月経営会議の状況について,同被告人は,審査第1部の付議した分離再編案が具体的に詰められたものではなかったことから継続審議としたが,分離再編の基本方針については承認した旨主張し,同被告人も,公判廷において,弁護人の主張に沿った弁解をしているほか,証人乙田も同趣旨の供述をする。しかし,南山の公判供述や平成7年1月経営会議資料の記載によれば,少なくとも,被告人甲野が,南山らに,分離再編案に消極的だと受け取られるような発言をしたことは明らかである上,当時審査第1部担当役員であった被告人乙野及び総合開発部担当役員であった丙山など,平成5年7月経営会議に出席した役員の中でも,特に同グループの案件に関心を寄せていたと認められる者が,いずれも,公判廷において,同経営会議において分離再編案の当否について結論が出されなかった旨供述していること(丙山・12回,13回,乙野・45回),同経営会議の議事録に照らしても,被告人甲野が審査第1部に分離再編案を具体的に詰めるよう指示した形跡がうかがわれないこと,被告人甲野の弁解を前提とすれば,審査第1部としては直ちに分離再編案の具体化作業等に着手するのが自然であると考えられるのに,同部がそのような行動をとった形跡がうかがわれないことに照らし,被告人甲野の弁解及び乙田供述は信用できない。

(4)  平成5年7月経営会議以降のAグループに対する取組等

拓銀のAグループに対する取組状況は,前記「概ね争いのない事実」15項で認定したとおりであり,審査第1部(平成6年4月から審査第3部)は,平成5年7月経営会議において,Aグループに対する分離再編案が継続審議とされたが,その後も被告人丙野に対し,同グループの経営状況等を指摘し,経営改善を求め,グループ各社の再建計画を提出させるとともに,保有株式の担保差し入れと保有不動産の売却による借入残高の圧縮を求めた。被告人丙野は,担保差し入れは実行したものの,保有不動産の売却については,価格面で折り合いがつかないなどとして,これを実行できなかった。Cについては,拓銀から派遣された西野らが,被告人丙野の経営への関与を可能な限り抑えるとともに,経費削減策等を実施していた。

他方,経営会議において,Aグループに対する基本的な取組方針が明確に定められないまま,同グループに対する融資は継続されていたが,被告人丙野が,B'について,採算性に見込みのない温泉設備導入工事を先行させた結果,平成6年5月経営会議において,同工事に係る融資を承認せざるを得ない結果となった。

3  被告人甲野の任務違背の有無

(1)  融資判断に際しての被告人甲野の任務

多数の一般預金者等から多額の現金を預かり,これを運用して,利殖を図るべき銀行にあっては,株主の利益や預金者等の債権保全等のため,その資金運用について格別の慎重さが要請されることに照らせば,安全性の原則等,拓銀で定められた融資の一般原則をまつまでもなく,被告人甲野は,融資を行うにあたり,貸付先の営業状態や資産等を精査するとともに,確実な担保を徴するなど,貸付金の回収に万全の措置を講ずるなどの任務を負担していたもので,殊に,前記認定のとおり,拓銀では,平成5年ころ,不良債権の回収・整理に真摯に取り組むこと,自己の企業体力を回復させるため,できる限り資金の流動性を高めることなどが業務方針とされていたのであるから,経営状態の悪化した取引先については,債権回収に向けて真摯に取り組むことが強く要請されていたというべきである。

ところで,長年融資取引のあった取引先の経営状態が危ぶまれる事態に陥り,当該取引先から追加融資を求められた際,新たに融資する追加分については,その回収に懸念があるとしても,追加融資することによって,当該取引先の経営が好転して既往の融資の回収が図られたり,追加融資をしない場合と比べて回収額が増えたりすることが,合理的根拠に基づいて算出される場合などには,経営判断として,追加融資をすることが許されるというべきである。その場合,追加分の融資について,その回収可能性が懸念される以上,損失拡大を極力回避するため,融資額を可能な限り抑え込むとともに,債権回収に向け最善の方策を検討し,取引先にリストラ等経営改善策を求めたり,人員を派遣して,その経営を管理するなど,可能な限りの債権保全策を講じることが,当然,要請されるというべきである。

なお,融資の可否を判断する場合,回収の確実さが最も重視されるべき要素であることは当然であるが,他方で,銀行の有する公共的な使命,殊に,拓銀が道内におけるリーディングバンクの地位にあったことを考慮すると,当該取引先への融資を打ち切ることによって生じる地域経済等への影響についても,一定程度考慮することも許されるというべきである。

被告人甲野は,拓銀頭取として,Aグループに対する融資の可否を判断するに際し,以上のような任務を有していたというべきである。

(2)  被告人甲野の融資判断の適否

ア 平成5年7月経営会議当時

平成5年7月経営会議当時におけるAグループの経営状況,同グループの経営改善の可能性,茨戸開発の実現性,採算性,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡,審査第1部が分離再編案を付議するに至った経緯及び平成5年7月経営会議の状況等は前記認定のとおりである。

審査第1部は,Aグループに対する取組方針を検討した際,直ちに融資を打ち切って同グループを破綻させるよりも,融資を継続して段階的・計画的に処理する方が,回収額その他の面において拓銀に利益になると考えていたことが認められるが,平成5年7月経営会議資料により認められる,当時のグループ各社の経営改善の可能性,茨戸開発の実現性,採算性及び融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡等を総合考慮すれば,同部がそのように判断したことにも相応の合理性が認められるというべきである。一方,平成5年7月経営会議資料にはAグループの融資状況や保全状況など,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡を検討するのに必要な基本的な計数等が挙げられ,同経営会議では,審査第1部が同資料に沿ってAグループの資産状態等を説明したことが認められるところ,このような審査第1部の作成した資料及び同部の説明などに照らせば,被告人甲野ら拓銀経営陣が,審査第1部の説明を受け,同グループに対しては,直ちに融資を打ち切るよりも,融資を継続した方が,より多額の回収が期待できると認識したと合理的に推認できる。このように,Aグループに対する取組方針として,同グループに融資を継続する旨の審査第1部の策定した取組方針が合理性を有するもので,被告人甲野ら拓銀経営陣もこれを前提として議論していたと認められることに照らせば,被告人甲野ら拓銀経営陣が,平成5年7月経営会議当時において,同グループの取組方針を議論するにあたり,融資打切りを念頭に置かなかったり,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡等を明確には議論しなかったからといって,直ちに同被告人がその任務に違背したものと断じることはできない。

しかし,被告人甲野は,平成5年7月経営会議でAグループへの融資を承認し,その後も赤字補填資金の融資を承認していたところ,同グループの経営状況等に照らせば,追加分の融資も回収不能となる危険があったのであるから,これらの融資を行うためには,債権回収に向けた最善の方策を検討したり,できる限り債権保全措置を講じるなど,債権回収に向けて真摯に取り組むことが強く要請されていたというべきであるのに,前記のとおり,被告人甲野は,融資継続の前提であり,審査第1部から,その必要性を強調されたAグループの分離再編について,これを十分に検討しないで継続審議とした上,その後も同グループに対する基本的な取組方針の検討を,審査第1部や担当役員に指示することもないまま,漫然と融資を継続したものである。したがって,このような被告人甲野ら拓銀経営陣の融資判断は,真摯な取組みの下になされたものと認めることはできず,拓銀頭取として,同被告人が負担している任務に違背したものと認めるのが相当である。

イ 本件第1及び第2の各融資実行当時

前記認定のとおり,本件第1及び第2の各融資がなされた時点においては,平成5年7月経営会議当時と比べて,借入残高や保全不足額が増大するとともに,茨戸開発の実現の見通しにも不透明さが増していた。また,グループ各社の経営状況についても,諸貸出し申請書等によれば,Aでは,売り上げが低迷しているにもかかわらず,被告人丙野が真剣にリストラに取り組んでいないこと,Cについても,経費削減の効果が出ているものの,売上げが当初計画の半分にも満たず,依然として厳しい経営状況であることなどが報告されていた。他方,被告人甲野ら拓銀経営陣には,札幌市の協力など,なお茨戸開発の実現可能性に期待する事情が存し,また,Aグループへの融資を打ち切った場合の地域経済やたくぎんファイナンスの経営への影響等の事情は,両時点で,顕著な相異はなかったというべきである。こうした事情を勘案すると,平成5年7月経営会議当時と本件第1及び第2の各融資実行当時では,被告人甲野の任務違背の有無を判断するに際し,Aグループに対する債権回収の危険性がより高まったというべきであるが,その他の事情等については顕著な相異はなかったと評価することができる。

ところで,拓銀では,平成5年7月経営会議以後,Aグループ各社を要注意取引先に指定して債権管理の強化を図ったほか,同6年4月には,Cに人材派遣を行うとともに,同グループの担当を不良債権の整理回収を業務の中心とする審査第3部に移し,さらに,審査第1部及び審査第3部も,被告人丙野に対し,グループ各社の再建計画を提出させるなどして同グループの経営改善を強く求めていた。このような事情に照らせば,本件第1及び第2の各融資が実行された当時,拓銀が,Aグループに対し,債権回収に向けて取り組んでいたことが一応認められる。

しかし,被告人甲野は,諸貸出し申請書等を通じて,Aグループの経営状況に特段の改善がないことなどの報告を受けていたにもかかわらず,前記のとおり,平成5年7月経営会議以降も,Aグループに対し,同グループの経営を管理するなど,抜本的な取組方針を検討しないまま,赤字補填金の融資を継続していた上,結果的に,B'に対する無用の設備投資を追認せざるを得なくなるなど,本来であれば不必要な資金の融資を余儀なくされているのである。このようなAグループに対する取組状況を総合勘案すれば,被告人甲野が,本件第1及び第2の各融資を行った当時において,融資額を可能な限りに抑え込んでいたとか,できる限りの債権保全策を講じていたと認めることはできない。

したがって,平成5年7月経営会議当時と同様に,被告人甲野ら拓銀経営陣が,本件第1及び第2の各融資を実行したことは,被告人甲野の任務に違背すると認めるのが相当である。

4  自己又は第三者図利目的の有無

(1)  自己図利目的

検察官は,被告人甲野が,総合開発部所管当時に行ったAグループに対するずさんな融資の実態や,たくぎんファイナンスの茨戸開発事業資金に係る融資に絡んだ農地法違反等の問題が表面化することをおそれていたとした上で,これらの表面化に伴って生じる同被告人の経営責任を回避する目的で,本件第1及び第2の各融資を実行したと主張する。

ア 総合開発部所管当時に行ったAグループに対する融資

(ア) 同融資のずさん性

被告人甲野が,ホテル建設資金等のAグループに対する融資を実行した状況等については,前記認定のとおりであるが,以下,その回収の見込み,債権保全措置等との関係で,これがずさんなものであったか検討する。

a ホテル建設資金の融資

被告人甲野は,平成3年3月投融資会議において,Aに対するホテル建設資金を融資することを決裁し,その後平成5年にかけて総額約240億円にものぼるホテル建設資金を融資したが,同融資については,Bの経営が軌道に乗っていないこと,A及びBに自己資金がなく,建設資金のほぼ全額を借入で賄うものであったため,茨戸開発による開発利益等を織り込む形で返済計画が立てられ,その返済計画自体に不確実な点があることなどの問題があったほか,北東公庫及び長銀との協調融資が決定していなかったのに,総合開発部担当者の報告を鵜呑みにして,これが実現することを前提として,ホテル建設資金の融資を決定したものの,結局,同行らから協調融資を断られるに至ったこと,被告人丙野に対する指導,監督の徹底を欠いた結果,同被告人が追加工事等を先行し,多額の追加融資を余儀なくされたこと,このような状況の中C'の収支計画において,実現困難な売上げを想定しない限り,黒字化の目途を立てることができなくなっていたこと,実際にも,同5年4月の開業当初からC'が大幅な赤字を計上していたことは,前記認定のとおりであって,これらの事情に照らせば,ホテル建設資金に係る融資は,その回収の見込みが通常の貸出しと比較しても著しく不確実で,融資がなされた当時の時代背景等を考慮しても,ずさんなものであったと認めるのが相当である。

なお,被告人甲野及び同乙野は,当時の時代背景に照らせば,ホテル建設資金を融資したことが経営判断の誤りだったとはいえない旨弁解し,丙山及び丙田も同趣旨の供述をするが,C'の売上げ低迷の主たる原因は,景気後退による利用客の減少といったものではなく,その採算性を十分検討することなく,しかも,リスク分散のための協調融資が整うことを確認しないまま,超大型ホテルの建設を認めた上,その建設を先行させたことにあると認められるから,被告人甲野らの弁解は採用の限りではない。

b 茨戸開発事業資金の融資

前記認定のとおり,茨戸開発事業資金は,Aグループを積極的に支援していた乙山の指示の下に,たくぎんファイナンスが融資したものであるが,拓銀は,平成3年8月ないし同年12月になされたたくぎんファイナンスに対するバックファイナンスの際にこれに関わったものである。

前記のとおり,たくぎんファイナンスは,Aに対し,茨戸開発事業資金として100億円を遥かに超える融資を実行したが,Aグループの収益力等に照らせば,同グループの返済能力に懸念を抱くのが自然であるのに,無担保同然で,巨額の融資を実行したこと,茨戸地区が市街化調整区域内にあり,しかも,農振法上の農業用地域に指定されており,開発を進めるためには各種の許認可が必要となるのに,それが得られる前に,開発用地の先行取得を容認したこと,ヤオハン以外には進出企業の見通しが立たないなど,具体的な事業計画も描けていなかったこと,開発対象地の大半が農地であったため,茨戸開発が頓挫した場合には,茨戸開発事業資金のほとんどの部分が回収不能となる危険性があったことなどの事情に照らせば,たくぎんファイナンスの行った茨戸開発事業資金に係る融資が,通常の度合いを超える回収不能の危険性を内在していたことは明らかであって,ずさんなものであったと認めることができる。

(イ) 被告人甲野の認識

関係証拠(甲509等)によれば,被告人甲野は,総合開発部所管当時から,度々,経営会議等において,C'の採算性を懸念する発言をしていたほか,平成5年7月経営会議及びその後開催された経営会議において,審査第1部から,茨戸開発事業資金及びホテル建設資金の利払負担によって,Aグループの経営が立ち行かない状態になっていること,Cの黒字化の見通しが立たないこと,開発用地の取得原価が高額にのぼり,茨戸開発が完遂しても,必ずしも開発利益は期待できないこと,茨戸開発を遂行するにあたり多くの難題があるとの説明を受けたこと,この間,北東公庫及び長銀が協調融資に応じないのは,C'の採算性に疑問を呈しているからである旨の報告を受けていたことが認められる。また,被告人甲野は,その銀行員としての経験に照らしても,茨戸開発事業資金やホテル建設資金に係る融資がなされたのは,茨戸開発の実現性やC'の採算性等を十分に検証しなかったからであると思い至るはずである。

したがって,被告人甲野は,遅くとも,本件第1及び第2の各融資を実行した時点においては,総合開発部所管当時に行ったAグループに対する融資がずさんであったことを認識していたと認めるのが相当である。

(ウ) ずさん融資の表面化を被告人甲野がおそれていたか否か

検察官は,被告人甲野が,Aグループに対するずさんな融資,殊に,ホテル建設資金に係るずさんな融資の実態が表面化することをおそれていたと主張し,これを推知させる事情として,同被告人が,ホテル建設資金に係る融資を実行したことに深い後悔の念を示していたこと,ホテル建設資金に係る協調融資の実現にこだわり続けていたこと,平成5年7月経営会議において,同被告人を始めとする拓銀経営陣がC'を潰せないとの思いを抱いていたことなどを指摘する。

確かに,前記説示のとおり,Aグループに対する茨戸開発事業資金やホテル建設資金に係る融資がずさんなもので,被告人甲野がその認識を有していたこと,殊に,C'建設資金に係る融資については,頭取としてこれを決裁したものであることに照らすと,ずさんな融資の実態が表面化すれば,同被告人は,損害賠償責任のほか,拓銀経営陣のトップとして,社会的,道義的な経営責任を問われる可能性があったというべきである。こうした事情を考慮すれば,被告人甲野が,Aグループに対するずさんな融資の実態が表面化することをできれば避けたいとの心情を有していたことは容易に推認できる。しかし,そのような心情を超えて,被告人甲野が,Aグループに関するずさんな融資の実態が表面化することを殊更におそれていたかについては,更に慎重な検討を要する。

そこで,検察官の指摘する事情を検討すると,確かに,証拠(甲509)によれば,被告人甲野は,C'について,「ホテルは金のかけ過ぎ。これだけ借金をすると,儲かると考えるのが間違い。」(平成5年1月経営会議),「なぜ,こんな大きなホテルを建てたのか。」(平成5年7月経営会議)などと,同ホテルの先行きを不安視する発言をしたことが認められるほか,被告人甲野の捜査段階における供述中にも「(平成4年12月末,完成前のC'の視察に行った際)余りの規模の大きさと豪華さに呆然として,経営判断の甘さに呆然とした」旨の部分(乙16)があり,これらに照らすと,同被告人がホテル建設資金の融資をしたことに後悔の念を抱いていたとも考えられる。しかし,他方,被告人甲野が,拓銀頭取として,融資金の回収という観点から,同ホテルの先行きに思いをはせるのは当然である上,前記発言をしたのは,同ホテルの開業前あるいは開業直後のことであるところ,前記認定のとおり,C'には開業当初から西野等が派遣され,同人らの実行した経営改善策により,赤字幅の圧縮が急速に図られていた状況にあったものである。そして,本件第1及び第2の各融資がなされた当時,ホテル建設資金に係る融資等を始め,そのほかの問題に関し,被告人甲野らの責任を追及しようとの具体的な動きがあったことを認めるに足りる証拠がないことを勘案すると,被告人甲野の前記発言から,同被告人が,ホテル建設資金の融資等の実態が表面化することを殊更におそれていたと推認することはできない。

また,被告人甲野が協調融資の実現にこだわり続けていたことについても,そもそも,前記認定のとおり,協調融資の成立がホテル建設資金を融資する条件とされていたことに加え,拓銀のリスク分散という観点からも,協調融資を成立させる必要があったことを併せ勘案すれば,被告人甲野の態度は,むしろ合理的であったとさえいえるから,被告人甲野が協調融資の実現にこだわり続けていたことから,同被告人が,ホテル建設資金の融資等の実態が表面化することを殊更におそれていたと推認することはできない。

さらに,平成5年7月経営会議において,被告人甲野を始めとする拓銀経営陣が,C'を潰せないとの思いを抱いていたことについては,ホテル建設資金に係る融資に関与していない南山ですら,公判廷において,「ホテルは,本当にまだオープンして2か月そこら,従業員500人だったと思いますね。それで,社長,専務は拓銀から行っているんです。そんな状況で,これ,オープン2か月後にぶっ潰して,どんな社会問題になるかと。要するにゼネコンにも五十何億の支手振り出して,それが不渡りになるわけですから,ゼネコン何社かがおかしくなるという問題もあるでしょう。」などと,C'を潰せなかったことやその理由を述べている(南山・5回)ように,被告人甲野ら拓銀経営陣にとっては,認識を共通にする理解であったと認められる。このような事情に照らせば,被告人甲野が,C'を潰せないとの思いをもっていたことから,ホテル建設資金融資のずさんな実態の表面化を殊更おそれていたと推認することはできない。

なお,検察官は,被告人甲野が,平成5年7月経営会議において,審査第1部が付議した分離再編案を承認しなかったのは,総合開発部所管当時,Aグループに対する融資を承認していたことに関する自らの経営責任を認めたくなかったからであると主張し,南山の公判供述中にも,これに沿うかのような部分がある。しかし,審査第1部の付議した分離再編案の概要が,Aグループに対する融資継続を前提とした上,同グループの各事業のうち,不採算部門を段階的に処理していくといった取引方針の基本を示したもので,その具体的な処理方法や最終的な損失の確定時期などは明確にされていなかったことに照らせば,このような分離再編案を承認することが,直ちに被告人甲野の経営責任の追及に結びつくものではないといえる上,むしろ,被告人甲野が,分離再編案を継続審議としたのは,平成5年7月経営会議以前においては,総合開発部の報告により,Aグループの経営状況について,多少問題があることを認識しながらも,ほぼ順調であると考えていたものが,平成5年7月経営会議で,突然,それが極めて深刻な状況にあるとの報告を受けたため,とっさに状況の把握ができなかったことや,同会議の時点では,C'も開業間がなく,翌年4月には茨戸開発に係る許認可が取得できると認識していたため,もうしばらく経営状況の推移をみようとしたためであると考えることができる。したがって,被告人甲野が,分離再編案を継続審議とした理由が,自らの経営判断の誤りを認めたくなかったからであるということはできない。

ところで,被告人甲野の捜査段階における供述中には,「Aグループに対する融資をやめて,同グループを倒産させれば,当然,これらのずさんな融資に関する私の経営責任が追及され,私の進退問題が問題となり,あるいは株主代表訴訟において,損害賠償責任を追及されるおそれがあることも当然分かっていた」(乙14),「協調融資が実現しなかった場合,見込みだけで融資をした経営責任が厳しく問われるのは必至だった。」「ホテル建設資金の融資を決定したのは,勿論,頭取である私であり,このC'の経営が失敗すれば,……私が実行した融資の経営責任が問われることは必至だった。」(乙16),「茨戸地区開発計画が頓挫すれば,……拓銀やたくぎんファイナンスが実行した融資金額が回収不能になるのであり,私の経営責任が間違いなく追及される案件であったのでした。」(乙19),「株主総会のための想定問答を作成する際,Aの農地法違反に関するものを取り上げたのは,経営責任を回避し,あるいは株主代表訴訟を回避するためであった。」(乙21,22),「ホテルを潰せば,回収の見込みのない融資を実行した経営責任を問われることは必至でありました。もちろん,私の進退,すなわち辞任を含めた経営責任の追及がなされたでありましょうし,株主代表訴訟等において,このようなずさんな融資を実行したことの追及がなされたと思います。」「(茨戸開発に関する)ずさん融資が表面化すれば,ホテル同様経営責任を追及され,進退が問題となったものと思います。」(乙99)などと,同被告人が,ホテル建設資金や茨戸開発事業資金等に係るずさん融資の表面化をおそれていたことを認めるかのようなものがある。しかし,これらの供述部分は,どこ(誰)から,どのような形で責任を追及されるのか,具体的にそのような動きないし状況があったのかについて,ほとんど触れられていないのであって,単に,被告人甲野の頭取としての立場と,ホテル建設資金等に係る融資がずさんであったことを結びつけて,責任が問われる可能性のあることを一般論として述べているにすぎないと解することもできる。また,後記説示のとおり,株主総会のための想定問答は,所管部が,総会屋対策として,拓銀に関わる問題で,マスコミ等で報道されたものがあれば,株主総会で質問がなされる可能性があるとして,これを網羅的に取り上げた上で,その回答案を作成するものであって,必ずしも問題の重要度や役員等の関心とは関係がないのであるから,想定問答が,経営責任を回避するために作成された旨の被告人甲野の供述記載は,その内容が不合理というべきである。さらに,被告人甲野の捜査段階における供述を子細に検討すると,ホテル建設資金に係る融資が決定された平成3年3月投融資会議について,あたかもそれが経営会議であったかのような供述となっている(乙16,19。なお,それ以前に作成された乙99では投融資会議とされている。)ほか,平成4年10月26日に開催された経営会議の段階で,茨戸開発事業資金に係る債権がすでに不良債権となっていることを前提とするかのような供述や,ホテルの開業以前,しかも,視察に行く以前の段階で,すでにホテル建設資金に係る融資の回収に重大な懸念が出ている旨の供述がなされている(いずれも乙16)など,その内容に不合理な部分が存在している。加えて,被告人甲野の捜査段階における供述では,同被告人が,Aによる茨戸開発事業用地の取得方法に農地法違反行為があるとはっきりと認識し,その重大性に気づいたのは,平成5年1月経営会議のころのことであるとされている(乙18,19,99)が,同会議における総合開発部の報告は,茨戸開発に対する支援の継続を前提とするもので,そのため,同会議における資料には,Aの用地取得方法について,「農業委員会と水面下で打ち合わせを行い,同委員会も了承している」旨問題のないことが強調されているのであって,同経営会議で被告人甲野が農地法違反等の問題の重大性に気づいたというのは,いかにも不合理である。

以上に指摘した事情のほか,取調べの内容が,被告人甲野に対する取調べ時点の数年前のものであったことや,前記認定の同被告人に対する取調べ状況等を併せ勘案すると,同被告人において,経営責任の追及をおそれていたことをうかがわせる前記供述も,取調べ検察官の誘導や厳しい取調べの結果得られたものではないかとの疑いを払拭することができないから,被告人甲野の前記供述をそのまま採用することはできない。

以上のとおり,検察官の指摘する事情を勘案しても,被告人甲野が,総合開発部所管当時のAグループに関するずさんな融資の実態について,その表面化を殊更おそれていたと認定するには,なお合理的な疑いが残るというべきである。

イ 茨戸開発事業資金融資に関わる農地法違反等の問題

(ア) 農地法違反等の問題に関する被告人甲野の認識

Aが茨戸開発事業地を農地法,国土法に違反する方法で買収していた状況,同買収資金が,乙山の指示の下,たくぎんファイナンスから融資されていたものであること,同買収方法に関するマスコミの報道内容,札幌市及び拓銀の対応等は,前記認定のとおりであるが,これによれば,被告人甲野は,拓銀頭取在任中,平成5年1月経営会議において,総合開発部から,Aが茨戸地区の農地を買収していることなどの報告を受けた上,同年7月以降の経営会議で,審査第1部の南山らから,Aの用地買収方法が国土法に違反し,そのため札幌市が茨戸開発の表面から被告人丙野を外す必要があると考えていること,また,同買収方法が農地法等に違反するとして,追及する動きがあることなどの報告を受けていたのであるから,遅くとも,本件第1及び第2の各融資を実行する時点においては,Aの茨戸開発事業地の買収方法に農地法違反等に絡む問題が内在しているとの認識を有していたものと認められる。

ところで,検察官は,被告人甲野が,Aの用地買収に農地法違反等の問題が存在することを単に認識していたにとどまらず,Aの用地買収が農地法等に違反し,これに拓銀が関与しているなど,問題の重大性を明確に認識していたと主張し,その根拠として,平成3年3月投融資会議で,丙田が,被告人甲野ら出席役員に対し,「Aの農地取得方法が農地法に違反する疑いがある」旨報告していたこと,平成3年のバックファイナンスの際,拓銀では,諸貸出し申請書に鉛筆書きで「農地取得資金のバックファイナンスである」旨記載した上,その資金使途を秘匿扱いにしていたことなどの事情を指摘する。

a 平成3年3月投融資会議の状況

北山は,公判廷において,「平成3年3月の会議において,丙田が,出席役員に対し,河谷弁護士に相談したところ,Aの農地買収は農地法違反の疑いがあるなどと報告した」旨供述しているが,同時に,同人は,「丙田は,丙野は行政と連絡をとりながら進めているので問題はないと報告した。」とも供述し,むしろ,丙田の報告内容は後段の方に重点が置かれていたと供述している(北山・3回,4回)。平成3年3月投融資会議における丙田の報告ないし説明の趣旨が,総合開発部として,同投融資会議に付議した,ホテル建設資金に係る融資について,その承認を得る為のもので,被告人甲野ら出席役員に無用な心配をさせないことにあったことに照らせば,「(丙田の報告は)丙野は行政と連絡をとりながら進めているので問題がない」という部分に重点があった旨の北山の前記供述は十分信用できる。そうすると,被告人甲野において,丙田から前記報告等を受けた際,被告人丙野による茨戸開発事業地の買収方法に,後日問題とされるような農地法違反の事実があると明確に認識したと認めるには足りない。

なお,丙田の検察官調書(甲234)には,平成3年3月投融資会議において,被告人甲野や同乙野らに,Aの行っている茨戸開発には農地法違反行為がある旨報告したので,同被告人らは,拓銀が,Aの違法な農地取得について,たくぎんファイナンスを使って資金面で援助をしていることを認識した旨の供述記載があり,乙田の検察官調書(甲225)にも同様の供述記載がある。しかし,後記のとおり,被告人乙野が同投融資会議に出席していたとは認め難い上,丙田及び乙田の各検察官調書の記載によると,丙田の報告に対し,初めて違法問題を知ったことになる被告人甲野らが,何の反応も示さないで,質問もすることなく,黙って聞いていたというのであるが,およそ不自然かつ不合理というべきで到底信用できない。

また,被告人乙野は,捜査段階において,「丙田から農地法違反の疑いがあるとの報告を受け,拓銀がAの農地法違反を伴う農地買収に関与していることを認識した」旨供述している。しかし,そもそも,被告人乙野の調書(乙40)には,「この会議は実質は経営会議であり,スケジュール表の下欄に記載のとおり,甲野太郎頭取を始めとする経営会議のメンバーが出席しており,私も経営会議の一員として当然出席したわけです。」などと,平成3年3月投融資会議に出席した事実やその理由が記載されているが,長期間にわたって企画部の業務に携わっていた乙田は,公判廷において,「これ(スケジュール表)は経営会議のときにこの用紙を使いますから,経営会議のときはメンバーがたくさんいるんですよ。いちいち誰が出席したかというのを確認するために,秘書の方で手控え用にあらかじめメンバーの名前を印刷しておいて,出席した人に丸を付けるんです。こういう資料なんです。」とスケジュール表の下欄の記載が投融資会議の出欠と無関係である旨説明していること,同スケジュール表(甲575)には,この会議が投融資会議であることが明示されているばかりでなく,Cに対する出資案件について,「メンバー以外の参加者」として経営会議の構成員でもある乙山常務取締役の名前が特記されていること,同会議の資料にも,投融資会議であることが明示されている(乙40資料2参照)ことなどに照らせば,平成3年3月投融資会議が経営会議を兼ねたものでなかったことが認められるのであって,被告人乙野の同投融資会議に出席した根拠に関する供述は信用し難いというべきである。こうした事情に加え,前記スケジュール表には,被告人乙野が平成3年3月投融資会議に出席したことを示す記録がないこと,同被告人の前記調書には,総合開発部担当役員でもなかった同被告人が同投融資会議に出席するに至った経緯等に何ら触れられていないことなどの事情も併せ考慮すれば,同被告人が取調べ検察官の誘導により,あたかも同投融資会議に出席した旨の供述をした可能性が高いというべきである。したがって,前記被告人乙野の検察官調書の供述記載は,信用することができない。

b 平成3年のバックファイナンス

検察官は,被告人甲野が,平成3年のバックファイナンスの実行を通じ,Aが農地法等に違反して開発用地を買収し,それに拓銀が関与していることを認識したと主張する。

証拠(甲519)によれば,バックファイナンスに係る諸貸出し申請書には,たくぎんファイナンスの資金使途について,「(たくぎんファイナンスが)他行からの強い返済要求を受け入れざるを得ず,その資金繰りに支障を来さないため」などとボールペンで記載され,真実の資金使途は,後日消去可能なように鉛筆で書かれていることが認められる。しかし,他方,前記諸貸出し申請書及び添付資料には,真実の資金使途について,「AのB'後背地買収資金」とか「土地資金に対するバックファイナンス」との記載はあるものの,農地の買収資金であることが明確には記載されていないことが認められる。また,南山は,公判廷において,資金使途を鉛筆書きで記載したのは,専らその前年に実施された総量規制との関係を考慮したもので,農地法違反問題とは関係なく,これを隠す意図はなかった旨明確に供述しているところ,前記認定のとおり,南山が農地法違反問題の深刻さを認識したのは平成6年6月以降のことであったと認められるから,諸貸出し申請書の意見欄を鉛筆書きで記載した趣旨が農地法違反問題を隠すことにはなかった旨の南山の供述は,十分に信用できる。さらに,バックファイナンスが,関係役員等出席の上でなされた投融資会議ではなく,持ち回り決裁による投融資会議により実行されたものであることをも勘案すると,被告人甲野が,バックファイナンスの実行を通じ,Aの用地買収行為が農地法等に違反していることを明確に認識したとまでは認め難いし,まして,このような違反行為に拓銀が関与しているなど,問題の重大性を認識したとは到底認められない。被告人乙野は,捜査段階において,「バックファイナンスの諸貸出し申請書の意見欄を鉛筆書きで記載したのは,拓銀が農地法違反行為に資金面で援助したことが表面化することを避けるためだった」(乙41)旨供述しているが,南山の公判供述に照らし,到底信用できない。

なお,平成5年4月2日に開催された経営会議(以下「平成5年4月経営会議」という。)において,総合開発部担当の丙山が,札幌国際開発の設立時期等に話題が及んだ際,「農地法の問題もあり,周りが静かになってから,債権債務の譲渡を行う必要がある。」などと,農地法違反問題に配慮したかのような発言をしているが,当時,総合開発部は,Aの茨戸開発事業用地の取得方法については,農地法に違反する疑いはあるけれども,農業委員会の指導の下で行っており,翌年3月には茨戸開発に係る許認可が取得できる見込みで,そうすれば,問題が解決されるものと考え,その旨経営会議で繰返し報告してきたものである上,同経営会議において,Aの茨戸開発事業用地の取得方法について,これを懸念する発言や,質問等がなされていないことなどを勘案すると,丙山の前記発言の趣旨は,Aから札幌国際開発への債権譲渡の時期については,これに瑕疵を生じさせないため,慎重に検討する必要性があることを訴えることにあり,農地法違反問題を拓銀自身に関わる深刻な問題であると強調したものではないと認めるのが相当である。また,被告人甲野は,丙山の前記発言の後に,「土地の買収等,丙野社長が表に出てくると,かえってマイナスとなる。札幌市も嫌がっている。」との発言をしているが,これは,Aの茨戸開発事業用地の取得方法に係る農地法違反の問題が表面化した場合,翌年3月に見込まれていた茨戸開発に係る許認可の取得に支障が生じかねないとの懸念を示したものと理解することができ,農地法違反問題を拓銀自身に関わる深刻な問題であるとの認識を示したものとは認め難い。したがって,平成5年4月経営会議における議論の状況から,被告人甲野が,Aの農地法違反問題を深刻に認識していたと認めることはできない。

(イ) 農地法違反等の問題が表面化することを被告人甲野がおそれていたか否か

検察官は,被告人甲野が,茨戸開発用地取得に係る農地法違反等の問題が表面化することをおそれていたと主張し,これを推知させる事情として,被告人甲野を含む拓銀経営陣が,農地法違反等の問題に関するマスコミ等の動向を深刻に受け止めていたこと,拓銀が,平成3年6月以降の毎期の株主総会において,Aの農地法違反等の問題に関する想定問答を用意し,株主総会の直前に行われた役員勉強会でもこの問題が取り上げられていたこと,平成5年ころから,Aの国土法違反が問題となり,被告人丙野が開発主体から外れることになったこと,拓銀が,農地法違反等の問題を「スキャンダル」と捉え,Aグループに対する取組方針等を決定する際,このようなスキャンダルの表面化を回避することを重要な検討課題と位置づけていたこと,拓銀が,被告人丙野に強硬な姿勢をとると,同被告人の言動を通じて農地法違反等の問題が表沙汰になるとの危惧感を抱いていたこと等を指摘する。

a 農地法違反等の問題に係るマスコミ報道等への関心度

前記認定のとおり,Aの農地法違反等の問題は,平成2年12月ころから,人事ジャーナル誌や北海道新聞によって報道されていたほか,平成5年3月に,Aと酷似する方法で農地買収を行っていた函館市長の実兄が逮捕された旨の報道がなされたが,本件においては,被告人甲野が,函館市長の実兄が逮捕された事件に関し,拓銀が函館市の指定金融機関となっており,従前,同市長と面識があったことから,同市長を思いやる発言をしたことが認められるものの,それ以上に,被告人甲野が,人事ジャーナル誌や北海道新聞に掲載された,Aの土地取得に係る農地法違反等に関する記事を読んだことを認めるに足りる的確な証拠はない。なお,被告人甲野の捜査段階における供述には,「平成5年3月に函館市長の実兄が逮捕されたことを知り,驚き,かつ,不安になった。」(乙19)とするものがあるが,これは,同被告人がAの農地法等違反行為の問題の重大性を平成5年1月ころに知ったことが前提となっているものであるが,前記説示のとおり,同被告人が,この問題の重大性を平成5年1月ころに知ったとするには疑問が残るから,前記供述をそのまま採用することはできない。

また,こうした事情に加え,前記認定の,平成3年3月投融資会議において,丙田から「(農地法違反については)行政と相談しながらやっているので問題はない。」などと報告されていたこと,平成5年1月経営会議においても,総合開発部からの報告で,Aの茨戸開発事業用地の取得方法について,「農業委員会と水面下で打ち合わせを行い,同委員会も了承している。」などと問題のない旨の報告を受けていること,札幌市議会等において,助役あるいは企画調整局長が「農地法違反にはあたらない。」との答弁を繰り返していたことのほか,被告人甲野が,頭取在任中の経営会議において,総合開発部や審査第1部の担当者らから,農地法違反等の問題をスキャンダルとして報告されたことや,被告人甲野を含む出席役員が,農地法違反の問題が表面化することを回避するといった観点でマスコミ対策等を議論した形跡もうかがわれないこと等の事情を総合すれば,被告人甲野が,Aの農地法違反問題等に関するマスコミ報道等に重大な関心を示し,これを深刻に受け止めていたとは到底認め難い。

b 株主総会のための役員勉強会,想定問答

前記認定のとおり,拓銀は,平成3年6月以降,毎期の株主総会において,Aの農地法違反等の問題に関する想定問答を用意していたが,関係証拠(甲469,470)によれば,想定問答は,いわゆる総会屋対策として,拓銀に関わる問題で,マスコミ等で報道されたものがあれば,株主総会で質問される可能性があるとして,所管部がこれを網羅的に取り上げた上,その回答案を作成するものであって,必ずしも問題の重要度や役員等の関心度とは関係のないことが認められるほか,本件においては,株主総会の直前に行われた役員勉強会で農地法違反等の問題が取り上げられたことや,株主総会において株主から農地法違反等の問題についての質問が出たこともうかがわれないこと(甲469,470)などに照らせば,農地法違反等の問題に係る想定問答を作成していたことから,被告人甲野が,農地法違反等に係る問題を重要なものと受け止め,その表面化をおそれていたとまで推認することはできない。

なお,被告人乙野は,捜査段階において,「平成3年6月の株主総会の前に開催された役員勉強会で,Aの農地法違反の問題が取り上げられたと思う。」などと供述しているが,関係証拠(甲469,470)によれば,役員勉強会では,頭取の担当する一括回答にどのような内容を盛り込むかに主眼がおかれ,想定問答集に挙げた個別的な問題を検討する場ではなかったことが認められるほか,平成3年6月当時においては,いわゆるブラックジャーナリズムと呼ばれる人事ジャーナル誌がAの農地法違反の問題を取り上げていたにすぎず,このような状況において,拓銀が,殊更にAの農地法違反の問題を役員勉強会で取り上げて検討したというのはいささか不自然であり,同被告人の捜査段階の供述は信用できない。

c 国土法違反問題で被告人丙野を茨戸開発の開発主体から外したこと

平成5年ころ,被告人丙野の用地買収が国土法に違反するものであったことを理由として,同被告人が茨戸開発の事業主体から外れることになったことは,前記認定のとおりである。しかし,平成5年7月経営会議及び平成5年8月経営会議における経営会議資料を精査しても,審査第1部が,このような事業主体変更の問題と,Aの違法行為に係る拓銀の関与の問題を関連付けて報告したことや,被告人甲野ら拓銀経営陣が,Aの違法行為の問題を拓銀自身のスキャンダルと捉えて議論した形跡はうかがわれない。むしろ,関係証拠(南山・5回,8回,甲509)によれば,被告人丙野が茨戸開発の事業主体から外れることになったのは,同被告人が事業主体のままであれば,茨戸開発に係る許認可を与える際の支障となるため,専ら札幌市の意向によるもので,拓銀の意向によるものではないと認めるのが相当である。

したがって,国土法違反を理由に被告人丙野が茨戸開発の表面から外れることになったことから,被告人甲野ら拓銀経営陣が,この問題の表面化をおそれていたと推認することはできない。

d 拓銀における農地法違反等問題の位置づけ

検察官は,平成6年6月経営会議において,審査第3部及び出席役員が,「茨戸開発が白紙に戻った場合には,マスコミ報道が原因で農地法・国土法違反問題等が再浮上するのではないか。」という観点から検討し,結論として,茨戸開発の継続を前提に市街化編入による民間開発の途を探るとの方針を決めたとして,本件第1及び第2の各融資が実行された当時,拓銀では,スキャンダルの表面化を回避することがAグループの取組方針等を決定する際の重要な検討課題であると位置づけていたと主張する。

しかし,平成6年5月経営会議の資料や同経営会議における議論の状況を踏まえれば,検察官の指摘する「白紙に戻す」という意味が,茨戸開発を断念するというものではなく,開発方法を,それまでの市街化調整区域内の特例開発という手法から,市街化区域編入による民間開発という手法に変更した場合には,それまで札幌市と積み重ねられてきた協議の成果等がご破算となり,再び出発点に戻って出直すということであることは明らかである上,平成6年6月経営会議では,そのような意味で茨戸開発が白紙となった場合には,マスコミ報道が原因で農地法・国土法違反問題等が再浮上するおそれがあるが,事業採算性から,開発方針の転換を図らざるを得ないと結論付けたものと認めるのが相当である。したがって,検察官の指摘する事情は,むしろ,被告人甲野ら拓銀経営陣が,茨戸開発に対する取組を検討する際,農地法等のスキャンダルよりも採算性を優先して考えていたことを示すものというべきである。また,前記のとおり,被告人甲野が頭取に在任中の経営会議においては,審査第1部,同3部の担当者らから,農地法違反等の問題をスキャンダルとして報告されたことはなかった。

したがって,検察官が主張するように,「拓銀では,スキャンダルの表面化を回避することがAグループの取組方針等を決定する際の重要な検討課題であると位置づけていた」と認めることはできない。

e 拓銀が被告人丙野をおそれていたか否か

検察官は,被告人甲野ら拓銀経営陣が,平成5年7月経営会議において,審査第1部の付議した分離再編案に対し,被告人丙野の意向を慮ってこれを承認しなかったなどとして,被告人甲野を含む拓銀経営陣が,被告人丙野に対して強硬な姿勢をとると,同被告人が自暴自棄になり,マスコミあるいはブラックジャーナリズム等を通じて,農地法違反等の問題を暴露されるとの危惧感を抱いていたと主張する。

確かに,平成5年7月経営会議において,被告人甲野が「丙野が納得しない。」などと発言し,これが契機となって,審査第1部の付議した分離再編案が継続審議となったことは前記認定のとおりである。

しかし,関係証拠(南山・6回,丙野・49ないし51回,甲509,523)によれば,審査第1部の南山らは,Aグループを所管するようになった平成5年4月以降,総合開発部とは異なり,被告人丙野に対し,厳しい態度で臨み,同グループの経営改善を求めるとともに,保有資産の売却や保有株式の担保差し入れを求めたほか,被告人甲野も,平成5年7月経営会議やその前後に開催された経営会議において,度々,Aグループのリストラ策等の必要性に言及していることが認められるが,そこには,被告人丙野に対する畏怖の念やおそれ等は全く感じられない。また,関係証拠(甲509,510)によれば,経営会議の資料に,被告人丙野が自暴自棄となって農地法等の問題を暴露するという懸念が記されるようになったのは,平成7年1月経営会議以降のことであることが認められ,被告人甲野の頭取在任中の経営会議においては,被告人丙野が自暴自棄になって農地法違反等の問題が表沙汰になるなどといった議論がなされた形跡はないし,審査第1部あるいは審査第3部が,同被告人が自暴自棄となって農地法違反等の問題を暴露するおそれがあるなどと報告したこともうかがわれない。以上に加え,平成5年後半には,拓銀が中心となって被告人丙野を茨戸開発の事業主体から外していることなどの事情に照らせば,被告人甲野の頭取在任中,同被告人ら拓銀経営陣が,被告人丙野をおそれ,同被告人に対し強硬姿勢をとることを躊躇していたとは到底認め難い。

なお,被告人乙野は,捜査段階で,分離再編案を継続審議とした理由について,「被告人丙野を追い詰めることによって同被告人の口から拓銀の農地法違反行為等への関与の事実が暴露されることをおそれたということもあって先送りされた。」(乙56,67),「早急に分離再編を行えば,被告人丙野が自暴自棄になり,同被告人の口から農地法違反行為への拓銀の関与が公になる懸念があったことから,被告人甲野がストップをかけた」(乙69)旨供述しているほか,平成5年8月23日に被告人丙野と面談した際の状況について,「本来からいえば,札幌市の意向に応じてAや丙野三郎を茨戸開発事業から表面上外すことにし,このときにもその旨を丙野三郎にはっきりというべきであったのでしょうが,私ら拓銀経営陣は,丙野三郎の口から拓銀の農地法違反行為等への関与の事実が表沙汰になって拓銀経営陣の責任問題が表面化することをおそれていましたので,丙野三郎が自暴自棄になるような形で話をもっていくわけにはいかない悩ましい事情があり,そのため,『市がやりやすいようにやる必要がある。』などといったえん曲的な言い方をしたのでした。」(乙49)などと供述し,当時,拓銀経営陣が,被告人丙野が自暴自棄となって農地法違反等の問題が表面化することをおそれていたことを認める供述をしている。しかし,平成5年7月経営会議当時,あるいは同年8月ころにおいて,被告人甲野や同乙野が,農地法違反問題について,深刻な問題意識を持っていたかについては多大な疑問が残る上,経営会議の資料に,被告人丙野が自暴自棄となって農地法等の問題を暴露するという懸念が記されるようになったのは,平成7年1月経営会議以降のことであるほか,審査第1部は,Aグループを所管した当初から,被告人丙野に厳しく接し,A及びCの株式の担保差し入れなどを強く求め,同被告人から念書を差し入れさせるなどしていたものであって,こうした事情に照らせば,審査第1部や被告人乙野が,同丙野にこのような申し入れを行うにあたり,同被告人が自暴自棄となって農地法違反等の問題が表面化することを懸念していたとは到底認められないから,被告人乙野の捜査段階の供述は不合理というべきである。また,被告人乙野は,平成5年11月11日に被告人丙野と面談した際,同被告人から「白紙にできる話ではない。今までの合意事項が表にでれば,裁判にでもなったら大変なことだ。」などと言われたため,「Aとヤオハンの土地売買予約が白紙撤回されて裁判になった場合には,Aが農地法等に違反して用地買収行為を進めていたことが発覚するおそれがあった。このような事情を背景に,丙野が,拓銀の弱みに付け込んでAグループへの融資の継続を求めてきたものと理解したが,丙野が自暴自棄となるような言動は慎まざるを得なかったので,Aグループへの融資も続けざるを得なかった。」(乙53)などと供述している。しかし,以上に指摘したことのほか,同面談録の記載内容をみると,被告人乙野と同丙野の面談の趣旨は,ヤオハンが茨戸開発に対する態度を急変させたことについて,善後策を相談するというものであったと認められるところ,このような面談の趣旨に照らせば,被告人丙野が拓銀の弱みに付け込む理由も見出し難く,その不自然さを否定できない。このように,被告人乙野の捜査段階における供述は,不自然,不合理で,信用することができない。

以上のとおり,平成5年7月経営会議において,被告人甲野ら拓銀経営陣が,分離再編案を継続審議にしたことなどから,同丙野に対し強硬な姿勢をとった場合,同被告人によって農地法違反等の問題が表沙汰になるとの危惧感を抱いていたとは推認できない。

(ウ) まとめ

以上説示のとおり,検察官の指摘する諸事情を考慮しても,被告人甲野が,Aの用地取得に係る農地法違反等の問題が表面化することを殊更おそれていたと認定するには合理的な疑いが残るというべきである。

ウ 経営責任回避を推認させるその他の事情の存否

検察官は,被告人甲野ら拓銀経営陣には,株主代表訴訟による損害賠償責任等を回避する目的があったと主張する。

しかし,関係証拠(北田・29回)によれば,拓銀は,株主代表訴訟の簡易化を眼目とする商法改正の直後,拓銀経営陣を対象として勉強会を開催したことが認められるが,他方,同勉強会は,企画部が企画し,弁護士を講師として法律改正に関する一般的な説明を行ったものにすぎないことが認められ,企業が法律改正に伴い勉強会を催すことは特段珍しいことではないことを考慮すると,被告人甲野ら拓銀経営陣が,殊更に株主代表訴訟に関心を抱き,これによる損害賠償責任の追及をおそれていたと推認することはできない。また,検察官は,平成5年7月,拓銀が,Cに対し運転資金を融資する際,南山が被告人丙野に対し,「改正商法に対応する意味から赤字たれ流し状態のAグループに赤字補填金を無条件に融資することはできない」旨,株主代表訴訟の動向を視野に入れた申入れをしたことを指摘するが,南山の発言の趣旨は,採算性等について深く考慮しないまま,安易に融資の申込みをする被告人丙野を牽制することにあったと解するのが相当である上,関係証拠(甲509ないし511)によれば,経営会議において,株主代表訴訟に関わる報告等がなされるようになったのは,平成7年6月経営会議以降のことであって,被告人甲野の頭取在任中には,この点に触れた報告等はなされていないことが認められるから,検察官の前記指摘をもっても,当時,被告人甲野ら拓銀経営陣が,殊更に株主代表訴訟に関心を抱き,これによる損害賠償責任の追及をおそれていたと推認することはできない。

さらに,本件において,被告人甲野が,自らの刑事責任の帰趨について関心を寄せていたことをうかがわせる証拠はない。

したがって,被告人甲野が,自らに対する経営責任の追及を回避する目的で,本件第1及び第2の各融資を行ったと認定するには合理的な疑いが残る。

エ 拓銀元役員らの捜査段階における供述の信用性

被告人甲野が,自らに対する経営責任の追及を回避する目的で,本件第1及び第2の各融資を行ったことを示す,拓銀元役員らの捜査段階における供述もあるので,以下,その信用性を検討する。

(ア) 申山の捜査段階の供述

平成6年1月から本店営業部長としてAグループに係る諸貸出し申請書を決裁していた申山は,捜査段階において,「(平成6年1月ないし同年3月のAグループに対する融資は)拓銀の経済的利益を考えれば,Aグループに対する融資を止めて茨戸開発計画を断念するのが正当であるが,そうすれば,結果として拓銀経営陣の責任が問われる可能性があり,これを避ける必要があるという認識のもと,複雑な気持ちでAグループに対する融資案件の諸貸出し申請書を決裁していた。」(甲363)などと,被告人甲野が自己の経営責任を回避する目的で,本件第1及び第2の各融資を実行していると認識していた旨供述している。

ところで,申山は,捜査段階において,そのような認識を持つに至った理由について,「当時の拓銀経営陣をとりまく情勢には厳しいものがあり,平成4年ころから,カブトデコムグループに対する巨額融資とその不良債権化問題がマスコミ各社に大きく取り上げられ,経営陣の経営方針に批判が集まるとともに,経営陣に刑事責任を求める動きまであり,その余韻がさめやらぬ時期でした。そのため,拓銀経営陣にとっては,Aグループに対して巨額な融資をしたもののそれが不良債権化したことが表面化し,これに加え,茨戸開発計画に伴う農地法違反のスキャンダルまでが取り上げられると,今度こそ頭取を筆頭とする経営陣に対する責任追及の声に抗しきれず,甲野頭取や乙野副頭取が退陣に追い込まれることが必至の情勢でした。ですから,そのような事態にならないようにするため,Aグループに対する融資を続けることによってAグループの倒産を遅らせ,茨戸開発計画を続行して農地法違反の問題などを表面化させないようにしているのだと理解しました。」などと供述している。しかし,本件において,カブトデコムグループに対する融資をめぐり,拓銀経営陣の刑事責任を求める動きがあったことをうかがわせる証拠は全くない。また,この点をしばらく措くとしても,申山は,本店営業部本店長となった平成6年1月ころ,審査第5部の北野部長から説明を受け,Aの茨戸開発事業用地の取得方法に農地法違反のスキャンダルがあり,拓銀がAの共犯者的立場にあることを認識したというのであるが,他方,Aグループに対する融資は,平成5年3月までは総合開発部が貸出し申請業務と審査業務の双方を行い,同年4月以降は,権限上は,貸出し申請業務を審査第5部が,審査業務を審査第1部が行うこととされたが,それまでの経緯から,実質的には審査第1部が貸出し申請業務と審査業務を行い,審査第5部は諸貸出し申請書の起案のみを行っていたというのであるから,Aの茨戸開発事業用地の取得方法に関する情報も審査第1部の方が遙かに多く把握していたと推認することができる。前記認定のとおり,審査第1部の南山が,Aの茨戸開発事業用地の取得に係る農地法違反問題を重大なものとして認識するに至るのは,平成6年6月以降のことであったことからすると,それ以前の段階で,審査第5部の北野部長が,この問題を拓銀のスキャンダルとして認識したというのは,その根拠に乏しく不合理である。

したがって,申山の捜査段階の前記供述をそのまま信用することはできない。

(イ) 庚山の捜査段階の供述

庚山は,捜査段階において,平成5年7月経営会議において,Aグループに対する融資を継続することとなった経緯等について,「丙野社長が拓銀に反旗を翻せば,拓銀が違法行為に手を貸した事実も,丙野社長を通じて明らかになる可能性があり,このようなことから,平成5年7月経営会議においては,Aグループの分離再編案は継続案件となったのでした。」「平成5年7月経営会議においては,茨戸地区の開発について協議がなされているわけですが,今お話ししたように,茨戸地区開発から撤退すれば,拓銀の関連会社のたくぎんファイナンスサービスを通じ,丙野の違法な農地取得に手を貸したことが明らかとなり,スキャンダルとなって甲野頭取以下役員の責任が追及されるおそれがあり,そのため,撤退することができず,ヤオハンが進出しなくても,何とか開発を前提に話を進めなければいけないという根本的な問題があり,以後,茨戸地区開発については,開発成功の見込みが乏しいと知りながらも,拓銀が主体となって無理にでも開発を押し進めていったのでした。」「甲野頭取や乙野頭取が継続してAグループに対して融資を実行したのは,どう考えても,農地法違反の問題やC'に対する無謀かつずさんな巨額融資の問題が表面化して,経営責任を追及されることをおそれたとしか考えられませんでした。」(甲353)などと,本件第1及び第2の各融資が被告人甲野の経営責任追及を回避するために実行された旨供述している。

ところで,平成5年7月経営会議は,庚山が初めて出席したAグループに関する経営会議であったところ,庚山が,同経営会議において,同グループに対して融資を継続する理由が被告人甲野の経営責任追及回避にあったと理解するためには,茨戸開発に拓銀のスキャンダルとなるような農地法違反問題があり,被告人丙野がこれを暴露するおそれがあることが同経営会議において議論の対象となっていなければならないはずである。しかし,前記認定のとおり,このようなことが経営会議で議論されるようになったのは,平成7年1月経営会議以降のことであり,平成5年7月経営会議資料及び議事録に照らしても,同経営会議でそのようなことが話題になったことはうかがわれない上,庚山の検察官調書においても,同人が,Aグループに対して融資を継続する理由が,被告人甲野の経営責任追及回避にあるものと理解するに至った経緯等については,何ら具体的に述べられていないのであって,この点で不合理といわなければならない。また,仮に,庚山が,平成5年7月経営会議において,被告人甲野が,自己の経営責任追及を回避するため,本来であれば到底許されない融資をAグループに対して行おうとしていると理解したというのであれば,庚山自身の監査役という職責に照らしても,他の監査役に報告するなどして善後策を講じるのが自然であるというべきであるが,関係証拠上,庚山がこのような行動をとったことはうかがわれないし,庚山の検察官調書にもこの点に関しては全く触れられていない。

このように,庚山の捜査段階の供述は,その内容が不合理であるほか,庚山が,公判廷で,「審査第3部担当常務に就任する以前のことについては記憶が希薄である」旨述べていることなどを併せ考慮すれば,庚山が取調べ検察官の理詰めの追及に迎合して,被告人甲野の図利目的を認める供述をした疑いを払拭できないから,庚山の前記供述は信用することができない。

(ウ) 被告人乙野の捜査段階の供述

被告乙野は,捜査段階において,「(平成5年7月経営会議に融資継続方針を付議した理由について)茨戸開発事業に絡む農地法違反問題やC'建設に係るずさんな融資が表沙汰になると,被告人甲野ら経営陣の責任問題に発展するおそれがあったので,それを回避する必要があったのです。」(乙45ないし47),「被告人甲野ら経営陣は,Aによる農地法違反行為等への拓銀の関与や安全性の原則を無視したホテル建設へのずさんな融資の事実が表沙汰となり,被告人甲野らの責任問題が表面化するのを回避するため,……Aグループへ無担保で融資し続ける方針を平成5年7月の経営会議で決定したのです。」(乙61),「平成5年7月の段階で直ちにAグループへの融資を打ち切ることが拓銀の損失を最小限に食い止めるための最善の策であるとの考えは正しかった……しかしながら,被告人甲野ら拓銀経営陣は,Aによる農地法違反行為や国土法違反行為に拓銀が資金提供という形で関与していたことや将来的に黒字化する見込みのなかったホテル建設に……極めてずさんな融資を実行してきたことが表沙汰となって,それらにかかわった被告人甲野ら拓銀経営陣の経営責任が表面化するのを回避するため,……損失を覚悟して,Aグループに対して赤字補填金を無担保で実行せざるを得ないという悩ましい問題を抱えていた。」(乙66,67),「Aによる農地法違反行為等に拓銀が資金面で深く関与していたことや黒字化する見込みのなかったホテル建設に十分な担保を徴することなく莫大な融資を実行していたことから,それらの事実が表沙汰になると被告人甲野ら拓銀経営陣の経営責任が表面化するおそれがありましたので,被告人甲野ら拓銀経営陣はそれを回避するために回収の見込みがほとんどなかった赤字補填金のAグループに対する無担保での融資継続を平成5年7月の経営会議で決議したのです。」(乙69)などと,被告人甲野らが,その経営責任を回避する目的で,本件第1及び第2の各融資を実行した旨の供述をしている。

ところで,被告人乙野の捜査段階における供述には,これまで関係部分で指摘したような不合理な部分が存するほか,本件第1及び第2の各融資を実行した目的に関する前記供述中にも,次のような不自然あるいは不合理な部分があることを指摘することができる。まず,前記供述は,被告人乙野が,平成5年7月経営会議の前に,南山から,茨戸開発に,被告人甲野ら拓銀経営陣の責任問題に発展しかねない農地法違反等の問題があるとの報告を受け,被告人乙野において,これを認識したことを前提とするものであるが,前記認定のとおり,南山が,茨戸開発に係る農地法違反等の問題を深刻な問題として認識するのは平成6年6月以降のことであるから,同人が,平成5年7月経営会議の前に,被告人乙野に対し,この問題の重大性を報告し,同被告人がこれを認識したというのは,その内容において不合理といわなければならない。また,前記供述は,Aグループに対する融資を継続した目的が専ら経営責任の回避とされているだけで,南山が分離再編案を策定した目的である,回収額の多寡や従業員の失業問題,たくぎんファイナンスの経営への影響等にはほとんど触れられていないなど,不自然な点が見受けられる。さらに,被告人乙野の前記供述中には,南山から報告を受けた際,茨戸開発に係る融資に関与した,たくぎんファイナンスの役員や拓銀の経営陣が背任等の責任を問われかねないことを認識した旨の部分がある(乙45)が,関係証拠(甲510)によれば,同融資に関して,たくぎんファイナンスや拓銀の役員の背任問題が経営会議に報告されるようになったのは,平成7年3月経営会議以降のことであると認められるから,この点でも被告人乙野の前記供述は不合理といわなければならない。

以上に指摘した各事情に加え,前記認定の被告人乙野に対する捜査段階の取調べ状況等を併せ勘案すると,被告人乙野がこのような供述をするに至ったのは,同被告人において,拓銀最後の頭取として,その経営破綻を招いた責任を強く感じるとともに,どのように弁解したとしても起訴されることは間違いがないというあきらめの念から,取調官による誘導に応じてなしたとの疑いが強いといわなければならない。したがって,被告人甲野らが,その経営責任を回避するために,本件第1及び第2の各融資を実行したとする被告人乙野の前記供述は,これをそのまま信用することはできない。

オ まとめ

以上説示したことのほか,被告人甲野が,本件第1及び第2の各融資を決裁した時期には頭取の退任を決意していたと考えられること,同被告人は,頭取を退任した後は一切同グループの取組方針の決定に関与していなかったこと(乙10,97),平成5年7月経営会議後も引き続き南山らにAグループの処理にあたらせていたことなどの事情を併せ勘案すれば,被告人甲野に,Aグループに関するずさんな融資の実態が表面化することを回避したいという思いがあったことは否定できないものの,同被告人が,そのような同グループに対するずさんな融資の実態や茨戸開発に絡んだ農地法違反等の問題が表面化することを殊更おそれ,それに伴う経営責任の追及を回避する目的で本件第1及び第2の各融資を行ったと認定するには,なお合理的な疑いが残る。

(2)  第三者図利目的

検察官は,本件第1及び第2の各融資がA,C,あるいは被告人甲野の利益を図る目的をもって行われたものであるとして,被告人甲野に,第三者図利目的があったと主張する。

確かに,本件第1及び第2の各融資が,被告人丙野及びAグループに利益をもたらすものであったことは明らかである。しかし,本件においては,被告人甲野と同丙野との間に,被告人甲野が,殊更に同丙野の利益を図らなければならないほどの個人的な癒着関係があったとか,被告人丙野から利益の提供を受けていたなどの事情は認められない。また,他に,本件第1及び第2の各融資が,被告人丙野,AあるいはCを利することを主たる目的として実行されたことをうかがわせるような証拠は存しない。

したがって,前記したところに照らせば,被告人甲野は,本件第1及び第2の各融資を,拓銀の利益のためになしたと認めるのが相当で,A,C,あるいは被告人丙野の利益を図るといった第三者図利目的が主たる目的であったとは認めるに足りない。

5  結論

以上のとおり,本件第1及び第2の各融資が拓銀に財産上の損害を与えるものであったこと,被告人甲野が自己の任務に違背したことはそれぞれ認められるものの,被告人甲野に,自己又は第三者図利目的があったと認めるにはなお合理的な疑いが残るというべきである。したがって,その余を判断するまでもなく,被告人甲野について特別背任罪は成立しない。

第6  被告人乙野に係る特別背任罪の成否

1  Aグループに対する新規融資の回収可能性

前記認定のとおり,平成6年6月末,被告人甲野が拓銀頭取を退任し,替わって同乙野が拓銀頭取に就任したが,拓銀では,同年8月ないし9月に実施された大蔵省検査で,Aグループに対する債権のうち,担保で保全されていない部分がⅢ分類に査定されたことを受け,平成7年1月経営会議で,Aグループに対する基本的な取引方針を再検討した。

そこで,平成7年1月当時を中心として,Aグループの経営状況,同グループの経営改善の可能性及び茨戸開発の実現性,採算性について検討し,同グループへの新規融資の回収可能性等について検討する。

(1)  Aグループの経営状況

Aグループの経営状況,同グループに対する拓銀の融資状況及び債権保全状況は,前記「概ね争いのない事実」5及び9項で認定したとおりである。

平成5年7月ないし同6年3月当時におけるA及びCの経営状況は,前記認定のとおりであるが,その後も,Aは,本業部門は,店舗統廃合等のリストラ効果により改善基調にあるものの,売上げが低迷し,抜本的な対策が必要な状況にあったほか,Cも,経費圧縮努力により,収益面で改善の兆しはあったものの,依然として売り上げが低調で,非常に厳しい状況にあるなど,この2社の経営状況には特段の改善も見られなかった。平成7年1月当時におけるAの借入残高は,約568億円に及び,そのうち,拓銀からの借入残高は約300億円で,担保非保全部分が165億円余にのぼっていた。また,Cの借入残高は約44億円で,その全額が担保非保全部分となっていた。

Bは,平成2年11月期及び平成3年11月期には営業利益を計上し,特に同期はヤオハンからの開発業務委託金の入金があったため,経常利益を計上したものの,その後売上げが低迷し,平成4年11月以降は毎期営業損失を計上するようになり,繰越損失を増大させていた。平成7年1月当時の借入残高は約123億円で,そのうち拓銀からの借入残高が約46億円で,うち,16億円余が担保で保全されていないものであった。

平成7年1月当時におけるAグループ3社の総借入残高は740億円余に及び,そのうち,拓銀グループからの借入残高は630億円余で,うち約370億円が保全不足に陥っていた。

Aグループを存続させるために必要となる赤字補填金は,平成7年1月当時において,年間四十数億円と見込まれたが,そのうち,約23億円は利払資金であり,利払資金を除いた実質的な赤字補填資金は年間約18億円であった。

なお,平成7年1月以降もAグループの経営状況等には特段の改善は見られず,赤字を累積させていった結果,平成9年5月当時においては,Aグループの拓銀グループからの借入総額は730億円余の多額に及んだ。

(2)  Aグループの経営改善の可能性

平成6年4月からAグループを所管するようになった審査第3部では,Aグループが,茨戸開発事業資金に係る金利分の追貸が続いていることや,営業を継続するにあたって多額の赤字補填資金を必要とする状態であったことから,平成7年1月ころには,同グループの再建は困難であると判断していた。もっとも,審査第3部では,Aグループ各社のうち,A及びBの業績が低迷している大きな原因が被告人丙野の放漫経営によるものと考え,拓銀からの人材派遣により,同被告人を抑えることができれば,必要な赤字補填資金を相当程度圧縮することができると判断していた。

(3)  茨戸開発の実現性,採算性

平成6年5月に開発手法の転換を図って以降の茨戸開発の進捗状況等は,前記「概ね争いのない事実」10項で認定したとおりである。

すなわち,平成6年5月に開発手法の転換を図って以降,茨戸開発の実現可能性が不透明の度を増したことは明らかであるが,他方で,それまでの札幌市の茨戸開発に対する積極的な関与や支援態勢等からすると,方針転換後間もなくは札幌市の反発を受けることはあったものの,それ以降も,札幌市の理解や支援等を期待することができ,拓銀においても,頭取や副頭取が市長,助役と面談したほか,審査第3部の南山らや担当役員が札幌市関係者と交渉を重ねるなど,茨戸開発の実現に向けて努力をしていた。その後,茨戸開発計画は,単純宅造系開発を内容とするものが構想されたが,札幌市との打ち合わせの中で,これが難しいとの感触を得たことから,平成8年7月経営会議において,現状有姿型開発を目指すことを決定し,さらに,札幌市の意向を受け,事業リスクを抑えた福祉系開発を目指すことに方針を再転換し,平成9年6月ころ,福祉系開発を内容とした「篠路右岸地区開発計画」と題する事業計画を札幌市に提出した。この間,札幌市の支援もあり,茨戸地区の市街化区域編入の前提となる東茨戸地区の市街化区域編入が実現するとともに,茨戸地区についても,前記事業計画の提出後,市街化区域編入の前段階である一般保留区域に指定されるに至った。

茨戸開発の採算性について,平成7年1月経営会議においては,審査第3部の検討した案によった場合,茨戸開発が成就しても,金利を含めた収支計算では約165億円(金利を除けば4億円余)の赤字となるものの,たくぎんファイナンスの貸付金のかなりの部分の回収が図れる可能性があった。また,平成7年6月経営会議においては,単純宅造系開発が成就すれば,先行投資分の金利を凍結させれば5億円程度の利益が見込まれるとしたり,福祉系開発を検討していた平成9年5月経営会議においては,茨戸開発の実現により,100億円程度の土地資金が回収できると報告されていた。

なお,検察官は,平成6年5月以降,茨戸開発が,基本的な開発方針自体が定まらないまま二転三転したことなどを指摘し,茨戸開発の実現性は極めて乏しかったと主張する。確かに,前記認定のとおり,平成6年5月以降,茨戸開発は,札幌市の意向など,その時々の状況変化に従い,単純宅造系開発,現状有姿型開発,福祉系開発などが検討されているのであって,一貫して明確な開発方針が定まっていなかったことは否定できない。しかし,平成6年6月経営会議では,採算性の観点から,茨戸開発の具体的な事業内容を確定することよりも,最短のスケジュールで茨戸地区の市街化区域編入を目指すことを決めたことが認められるところ,このような決定内容に照らせば,札幌市の意向に従い,最も早い市街化区域編入を可能とするため,茨戸開発の内容を検討し直したことにも,相応の理由があるというべきである上,何よりも,最終的には,同10年3月,札幌市によって茨戸地区が市街化保留区域に指定され,市街化区域編入に向けて大きな進展があったことに照らせば,茨戸開発の実現性がなかったとか,極めて乏しかったとまでは断定できない。

(4)  本件第3ないし第5の融資の回収可能性

以上のようなAグループの経営状況,茨戸開発の実現可能性や採算の見込みなどに照らせば,平成6年6月ないし平成7年1月当時,Aグループに対し,新たに赤字補填資金を無担保で融資した場合,これが回収不能となる多大な危険性を有しており,まして,その後の融資は,更に大きな危険性を有していたものと認められる。

(5)  被告人乙野の認識

前記認定のとおり,被告人乙野は,Aグループに関する取締方針の見直しがなされた平成5年7月経営会議の際,審査第1部担当取締役として,事前に南山らから同グループの経営状況や問題点等の報告を受け,その後,担当を外れてからも,経営会議に出席し,その経営状況や茨戸開発の進捗状況等の報告を受けていた上,平成6年大蔵省検査や翌7年日銀考査で,Aグループに対する債権のうち,担保非保全部分がⅢ分類あるいはD査定を受けたことの報告を受けていたのであるから,平成6年6月以降,同グループに対する新たな赤字補填金の無担保融資が,回収不能の大きな危険をはらむものであることを明確に認識していたと認めることができる。

2  Aグループに対する融資継続方針が決められた事情

(1)  審査第3部が平成7年1月経営会議にAグループへの取組方針を付議するまでの経緯等

前記認定のとおり,審査第3部(平成6年3月までは審査第1部)の南山らは,平成5年7月経営会議でAグループに対する分離再編案が継続審議となったため,その後同グループに対し,不十分ながらも経営改善策を実施させながら,赤字補填資金を融資していたが,平成6年大蔵省検査で,同グループへの融資について,担保で保全されていない部分がⅢ分類に査定されたことを受け,再度,同グループに対する取組方針を検討し,平成7年1月経営会議に,人材派遣,利払の凍結・減免,分社化を内容とするAグループの再編案を再付議するとともに,これが実施されることを前提として,茨戸開発の成否の見極めがつくまで,同グループに対する赤字補填資金に係る融資を継続するとの方針を付議し,その承認を得た。そして,平成7年1月経営会議以降になされたAグループに対する赤字補填資金に係る融資は,同経営会議において確認された基本的な方針の下になされたものと認められる。

(2)  Aグループ再編案を付議した目的

南山は,Aグループに対し,人材派遣,利払の凍結・減免,分社化を内容とする同グループの再編を行い,これが実施されることを前提として,茨戸開発の成否の見極めがつくまで,同グループに対する赤字補填資金に係る融資を継続するとの方針を策定した理由を,公判廷で,概ね,次のように供述している。

「平成7年1月の時点で,Aグループに対する融資を打ち切った場合,茨戸開発事業が頓挫する結果,土地代金の返還を求められた農家の対応により社会問題化し,札幌市との関係が悪化するとともに,マスコミ等から厳しい批判を浴びせられた拓銀の信用が低下し,預金等の流出を招くおそれがあったほか,より大きな理由は,たくぎんファイナンスの経営不安を招き,ひいては,平成5年7月当時と比べても,更に経営状態が悪化していた拓銀自身の経営への懸念も招来しかねないといった事情が存した。」「平成5年7月経営会議当時と平成7年1月経営会議当時とでは,拓銀自身の置かれている状況が違った。体力に合った計画的な償却を行うための分社化案であった。」

また,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡については,「平成6年3月当時におけるAグループに対する拓銀グループの貸付金総額は約680億円であったところ,そのうち拓銀が担保で保全されていると算出していた金額(実効担保価格)は,約260億円であった。したがって,Aグループに対する融資を打ち切った場合,最悪では担保非保全部分である400億円強が回収不能となるおそれがあった。他方,同グループに対する融資を継続した上,Aを,その本業部門,茨戸開発事業部門,C’賃貸部門の3つに分割するなど,グループ各社を整理した場合,Aの本業部門については,165億円の債務を引き継がせるとともに自賄体制で存続させ,その収益から債権の回収を図ること,C’については,100ないし120億円の損失を覚悟して第三者に売却処分すること,茨戸開発については,市街化区域編入ができない場合には80億強の損失を覚悟することなど,同グループに対し,その経営状況等に応じて適切な施策等を行えば,融資を打ち切った場合に比べ,より多額の回収を期待することが可能であった。」

南山の前記供述は,被告人甲野の関係部分で説示したことのほか,前記認定のとおり,拓銀の経営状況が,平成6年大蔵省検査において,分類債権額が2兆円を超え,そのうち,平成6年3月期の業務純益の20倍にも及ぶ約6475億円が損失見込みとされ,決算承認銀行に指定されるなど,極度に悪化していたことに符合し,信用するに足りるものである。

以上のほか,南山は,平成7年1月経営会議において,詳細な資料に基づき,Aグループを倒産させた場合,茨戸開発の用地買収に係るAの農地法違反等のスキャンダルが表面化し,その結果,拓銀の社会的な信用が失われたり,札幌市に迷惑をかけるおそれがあるなどと説明した。

ところで,検察官は,Aグループ再編案が策定された理由について,専ら,茨戸開発に絡んだ農地法違反等の問題が表面化するのを回避するためであって,拓銀の損失の極小化を図る目的ではなかったと主張する。しかし,前記のとおり,B’及びC’の立地条件や建造物の性質等に照らせば,融資を打ち切った場合に見込まれる実際の回収額は,実効担保価格よりも低くなることが予想できたこと,茨戸開発を断念した場合には,たくぎんファイナンスの貸付けた茨戸開発事業資金の回収が期待できなくなること,その反面,平成7年1月経営会議当時において,Aグループのうち,Aの本業部門及びBは償却前営業利益を計上していたこと,Aグループ再編案を実施して効果を上げることができれば,融資を打ち切って債権回収を図るよりも,より多額の回収が期待できたこと,平成7年1月経営会議資料にも,同グループが倒産した場合には拓銀の損失が膨大になる一方で,Aグループ再編案を実施すれば相当程度の回収が見込まれることなどが記載されていること,Aグループ再編案を立案した庚野も,公判廷において,「拓銀の損失極小化の目的も含まれていた」旨供述していること(庚野・33回)などの事情に照らせば,Aグループ再編案には,拓銀の損失の極小化を図る目的も含まれていたというべきである。

なお,被告人乙野は,捜査段階において,「平成7年1月経営会議の時点においてもAグループへの融資を直ちにストップすることが拓銀にとって最善の策だった。ただ,拓銀のロスをできるだけ少なくするために,グループ再編案や人材派遣等の処置を講じることに決めたのです。」などと供述している(乙56)。しかし,審査第3部がAグループ再編案を付議した趣旨については,平成7年1月経営会議資料等に示された,融資を打ち切った場合に見込まれる回収額のほか,グループ各社の経営状況,茨戸開発の収支試算,同グループに金融支援策を講じた場合の効果等を総合して慎重に検討する必要があるところ,同被告人の調書には,ただ,Aグループ再編案を実施しないままに推移した場合に予想される拓銀の損失額についてのみ言及され,Aグループ再編案を実施した場合に見込まれる回収額等については何ら触れられていないのであって,このように,同乙野が,同グループの融資を打ち切った場合とAグループ再編案を実施した場合の損失額や回収額の多寡について何ら供述していないことに照らせば,同人の捜査段階の供述は裏づけに乏しく,これをそのまま信用することはできないというべきである。

また,検察官は,Aグループに対する融資案件あるいは茨戸開発の取組等に関する一連の議論において,融資継続の当否と償却あるいは決算問題とが具体的に関連づけて検討されたことはなかったと主張する。しかし,被告人乙野の頭取在任中における経営会議資料や議事録によれば,Aグループ再編案が付議された平成7年1月経営会議において,南山が「当行としても,Aグループ破産・一挙に償却では対応できない。(再編は)計画的に償却する体制整備のためもある。」などと償却問題に触れているほか,同グループを拓銀の管理下に置くことが付議された同9年5月経営会議や,その直前に行われた被告人乙野と審査第3部との打ち合わせにおいても,償却問題が検討されていることが認められる上,前記認定のとおり,拓銀は,平成6年3月期の決算において,カブトグループに対する約1000億円にも及ぶ不良債権処理を行ったのであって,拓銀の当時の経営状況に照らしても,償却問題は,被告人乙野ら拓銀経営陣が重大な関心を寄せる問題であったというべきであり,このような事情に照らせば,審査第3部及び被告人乙野ら拓銀経営陣が,同グループに対する取組方針と償却問題を関連づけて検討していなかったとは認め難い。そして,前記認定のとおり,当時,不良債権が急増する一方で,その償却のための財源が乏しくなっていた拓銀は,長期的な不良債権処理計画を策定し,コントロール不可の取引先から優先して処理し,償却時期を拓銀の都合によりコントロールできるAグループについては,平成12年以降計画的に償却処理することとしていたので,この方針に従う限り,平成7年1月時点において,Aグループに対する融資を打ち切ることには困難が伴ったことが認められる。

(3)  Aグループ再編案の実行等

平成7年1月経営会議以降の拓銀のAグループに対する取組状況は,前記「概ね争いのない事実」15項で認定したとおりである。

すなわち,審査第3部は,平成6年6月以降もCに人材を派遣したほか,被告人丙野に対し,Aグループの経営改善策を求めていたが,平成7年1月経営会議において,Aグループ再編案が承認されたことから,被告人丙野との間で,同グループの経営に関し,社内規定の整備や拓銀から派遣された者との合議制を取り入れることなどを内容とした共通確認事項を合意し,これに基づき,グループ各社に人材を派遣し,その経営の改善にあたらせるとともに,同年10月,Aの分社化を実行した。しかし,その後も被告人丙野の共通確認事項を無視したワンマン経営は改まらず,Aの本業部門を引き継いだDの自賄体勢も確立できないなど,同グループの経営改善は容易に進展しなかった上,被告人丙野が茨戸開発の停滞を招くような対応をとったことから,ついに,拓銀も,被告人丙野の排除方針を固め,平成9年5月経営会議において,Dを除いたAグループ各社を拓銀の管理下に置くことを決定した。

3  被告人乙野の任務違背の有無

(1)  融資判断に際しての被告人乙野の任務

融資の可否を判断するに際し,拓銀頭取として,被告人乙野に要請されていた任務は,同甲野の関係部分で説示したとおりであるが,前記認定の,当時の拓銀の資産状況や資金繰り状況に照らせば,被告人乙野は,頭取に就任した直後から,不良債権の整理回収に真摯に取り組むことが強く要請されていたというべきである。特に,Aグループに対する貸付金については,平成6年実施の大蔵省検査において,担保で保全されていない部分がⅢ分類に指定されるなど,客観的にも,その後の追加分の融資が回収不能となる危険性が極めて高いと評価されているものであったのであるから,被告人乙野は,融資を継続しつつ既往の債権回収を図る方法を選択する場合には,その前提として,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡のほか,グループ各社の経営改善の可能性や茨戸開発の実現性等を踏まえての回収手段の確実性の程度等を慎重に検討し,融資を継続しながら回収を図ることに経済的合理性が認められるかを十分に検証するとともに,今後の赤字補填金の融資によって拓銀の損失が増大する危険性があることに照らし,その融資総額や融資期間に限度を設けるなどして,拓銀自身の損失が膨大とならないようにするための方策や,今後の融資についての債権保全策を十分に検討しなければならなかったというべきである。

(2)  被告人乙野の融資判断の適否

平成7年1月経営会議当時におけるAグループの経営状況,同グループの経営改善の可能性,茨戸開発の実現性,採算性,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡及び同経営会議以降の経営会議の状況等は前記認定のとおりである。

審査第3部は,Aグループに対する融資を打ち切った場合には,拓銀に膨大な損失が生じることが必至であるとともに,土地代金の返還を求められた地権者が,その不満をマスコミに訴えることなどによって,拓銀の信用低下やそれに伴う預金の流出を招いたり,茨戸開発事業資金に係る融資が回収不能となって,たくぎんファイナンスの経営不安を招来するおそれがあること,その結果,当時の拓銀の資産内容等から拓銀自身の経営に懸念が生じかねないこと,Aグループ再編案を実施した場合には,融資を打ち切って回収を図るよりもより多額の貸付金を回収することが可能であったこと,そのほか,償却処理計画に対する影響などの諸事情を考慮し,平成7年1月経営会議において,Aグループ再編案を付議したものである。被告人乙野ら拓銀経営陣も,同経営会議資料に沿って審査第3部から説明を受けていたこと,長年銀行員として勤め,相応の経験を有していることなどに照らせば,審査第3部がAグループ再編案を付議した理由を理解し,Aグループ再編案の目的に,拓銀の経済的損失をできる限り少なくすることが含まれていることを認識していたと認められる。

このように,被告人乙野ら拓銀経営陣は,Aグループに対する融資を継続した方が,打ち切った場合よりも回収が多くなることを認識するとともに,たくぎんファイナンスに与える影響や拓銀の信用問題・償却体力等の事情を考慮してAグループ再編案を承認したと認められるが,経営会議資料等の関係証拠に照らしても,平成7年1月経営会議において,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の回収額の多寡等が具体的,厳密に検討された形跡はなく,その後の経営会議においても,それらが具体的に検討されたことはなかったことが認められる。また,平成7年1月経営会議では,Aグループが全体としてその再建が困難であること,被告人丙野の特異な性格に照らし,グループ各社に人材を派遣しても,その経営改善の可能性に懸念があること,行政内部の調整が難しく茨戸開発の見通しが立たないことなどが報告されていたにもかかわらず,Aの分社化のほかは,B’及びC’の処分方法やその時期が検討されたことはなかったほか,Aグループ再編案が功を奏しなかった場合を踏まえての方策が検討されることもなかった。さらに,平成7年1月経営会議では,Aグループに対する利払い凍結・減免が提案され,その際,同グループに要する実質赤字補填資金が検討されるなどしたが,同経営会議以降,被告人丙野が共通確認事項を無視する態度をとり,経営改善の妨げになっていることなど,当初の予定どおりに事態が進展していない旨報告を受けていたにもかかわらず,Aグループに対する融資限度額の設定等が検討されたこともなかった。

加えて,拓銀では,平成7年1月経営会議において,南山が,「説明の中で随所に出て来ますが,このグループを整理するにあたって一番悩ましいのは,単に貸金の損切りだけでは済ませられない法律違反をめぐる『政』・『官』・『財』の各界にいたるスキャンダラスな面がつきまとうということだと思います。この点を念頭に置きながら聞いていただきたいと思います。」と述べ,茨戸開発を断念した場合に生じ得るスキャンダル問題を詳細に報告するとともに,「プロジェクトの進退については,農地法・国土法違反に係るスキャンダル等による内外への影響の大きさを考慮すると軽々に判断できず,さらに検討が必要である。」と説明し,Aグループ再編案を付議するにあたり,この表面化を回避することを重要な理由として考慮していたことが認められる。そして,審査第3部の部長が東山に替わった後も,同部は,「本プロジェクトは,問題が多く,単純な事業採算では整理は難しく,諸問題の解決が優先されなければならないプロジェクトと考えられる。」などと説明した上,一連の経営会議資料に「茨戸プロジェクト問題噴出時の対応について」,「茨戸プロジェクト問題噴出予想図」と題する秘密扱いの補助資料等を添付するとともに,平成7年8月経営会議では,Aの分社化の組立について,「国土法・農地法の問題を抱えている現状では,分離の『形』をすっきりさせておくべきであり,結果的に納税資金の負担が膨らむこととなるがやむを得ないと判断する。」などと意見を付け,より多額の納税資金がかかる組立を提案し,平成8年7月経営会議では,茨戸開発について,同10年3月における茨戸地区の市街化保留区域編入が困難であると判明するや,「開発をやめると地権者(含A)が騒ぎ,マスコミが騒ぎ,国土法・農地法違反問題再燃,札幌市・当行への責任追及必至〜ストップするわけにはいかない。」などと説明した上,「農振解除を第一とした土地処理を最優先として進めていくことにしたい。」との結論を示し,茨戸開発の開発方針を再転換した場合における,融資を継続した場合と融資を打ち切った場合の回収額の多寡を検討することもなく,茨戸開発の遂行を含め,Aグループに対して融資を継続することを提案していたことが認められる。さらに,審査第3部は,Aグループ処理案を付議した平成9年5月経営会議においても,同処理案を提案した背景として,「リーガルリスクの薄まり」などとして,農地法・国土法違反の時効が完成したことなどを説明していた。

以上のとおり,拓銀では,被告人乙野が頭取在任中の経営会議において,終始,融資を打ち切った場合と融資を継続した場合の損失額や回収額の多寡,融資を継続して回収を図ることの確実性,Aグループに対する債権保全措置等,融資継続方針を採る場合に当然検討しなければならない事項について十分な検討がなされなかった一方,スキャンダル問題が重要な検討課題として扱われ,更には,同グループに対する取組方針等を決定するにあたり,その表面化を阻止することが大きな動機づけとなっていたのであり,被告人乙野も,そのような審査第3部の説明を前提として,同部の提案を承認していたことが認められる。したがって,被告人乙野は,Aグループに対する融資判断を行うにあたり,最も考慮すべき回収可能性を含めた拓銀の経済的損得について十分な検討をせず,スキャンダルの表面化の回避といった事情を過大に考慮していたと認められるから,このような融資判断が,合理的根拠に基づいたものということはできず,拓銀頭取として,同被告人が負担している任務に違背したものと認めるのが相当である。

4  自己又は第三者図利目的の有無

(1)  自己図利目的

検察官は,被告人乙野は,総合開発部所管当時に行ったAグループに関するずさんな融資の実態や,茨戸開発に絡んだ農地法違反等の問題が表面化することをおそれていたとした上,これらが表面化することに伴って生じる自己の経営責任を回避する目的で本件第3ないし第5の各融資を行ったと主張する。

ア 総合開発部所管当時に行ったAグループに関する融資

(ア) 同融資のずさんさと被告人乙野の認識

前記認定のとおり,総合開発部所管当時に行われた,ホテル建設資金等に係るAグループに対する融資は,ずさんなものであったが,関係証拠(甲509ないし511)によれば,被告人乙野は,出席した一連の経営会議等において,ホテル建設資金に係る融資は,建設資金のほぼ全額を借入で賄うもので,その返済計画は,茨戸開発による開発利益を織り込む形で立てられており,不確実な要素があったこと,北東公庫及び長銀との協調融資が決まる前に,これが実現することを前提に決裁されたものであること,茨戸開発事業資金に係る融資は,その開発が実現するためには,各種の許認可が必要なのに,それが得られる前に,無担保同然の状態で巨額の融資をなしたこと,Aグループの経営が悪化した主な原因がホテル建設資金や茨戸開発事業資金のために巨額の融資を受けたことにあることなどの報告を受けていたことが認められる。

これらの事実によれば,被告人乙野は,遅くとも,本件第3ないし第5の各融資がなされた時点においては,総合開発部所管当時に行ったAグループに対する融資がずさんなものであったことを認識していたと認められる。

(イ) 同融資に対する被告人乙野の関与の程度等

a ホテル建設資金の融資

関係証拠(甲509,575,577)によれば,被告人乙野は,ホテル建設資金に係る融資を決定した平成3年3月投融資会議には,出席していなかったこと,しかし,その後ホテル建設資金の融資を決定した平成4年7月及び平成5年7月経営会議には出席し,特に平成5年7月経営会議には,同融資を付議した審査第1部担当役員として出席したことが認められる。

したがって,被告人乙野は,ホテル建設資金に係る融資に関与したことは明らかであるが,同融資を行うか否かに関する基本的な取組方針の決定自体には関与しておらず,同融資に関しては,被告人甲野や,癸山,乙山ら前記投融資会議に出席した者と比べて,関わりの程度は遥かに低かったものといえる。もっとも,被告人乙野は,ホテル建設資金に係る融資がずさんであることが表面化した場合には,損害賠償等個人責任を追及される可能性がなかったとはいえないほか,社会的,道義的な経営責任を追及される可能性も否定はできなかった。

b 茨戸開発事業資金の融資

前記認定のとおり,茨戸開発事業資金に係る融資は,乙山の指示により,たくぎんファイナンスがAに融資していたものであるから,そのずさんな実態が表面化した場合,法律的,社会的,あるいは道義的な責任を追及される可能性が最も高かったのは乙山で,これに次ぐのは総合開発部の担当者やたくぎんファイナンスの融資関係者であったといえる。被告人乙野は,茨戸開発事業資金に係る融資の決定に関与したものではなく,平成3年のバックファイナンスンの際,当時たくぎんファイナンスを所管していた審査第1部担当役員として,持ち回りの投融資会議で,同融資の決裁に関与したにすぎないから,同融資に関わる実質的な関与の程度は低かっといえる。また,被告人乙野は,乙山の監督責任を負う立場にもなかった。もっとも,茨戸開発事業資金に係る融資のずさんさが表面化した場合,被告人乙野が,損害賠償等個人責任を追及される可能性が全くなかったとはいえないほか,社会的,道義的な経営責任を追及される可能性も否定できなかった。

なお,被告人乙野の捜査段階での供述中には,「南山から,バックファイナンスを実行すると,拓銀本体が農地法違反に関わることになり,表面化したとき,経営陣の責任問題となるが,どうするか,という相談を受けた。癸山副頭取がバックアップしているとの認識だったので,常務である自分が騒ぎ立てても,どうにもならないと思い,バックファイナンスを了承した」旨(乙41)の部分があるが,前記認定のとおり,当時,南山は,農地法違反問題を,拓銀経営陣の責任問題に発展するほどの深刻な問題だと認識してはいなかったのであるから,前記供述部分は不合理というべきである上,同調書には,バックファイナンスに係る諸貸出し申請書に,真実の資金使途が鉛筆で書かれている理由について,「拓銀が,農地法違反行為に資金面で援助していたことが表面化するのを避けるためである」旨記載されており,これが信用できないことは,前記説示のとおりであるから,被告人乙野と南山とのやりとりに関する部分も,取調官の誘導による疑いが強く,到底信用できない。

(ウ) ずさんな融資の表面化を被告人乙野がおそれていたか否か

前記(ア),(イ)の事情に照らすと,被告人乙野が,Aグループに対する融資のずさんな実態が表面化することを,できれば避けたいとの心情を抱いていたことは一応推認できる。検察官は,被告人乙野が,このような心情を超え,同融資がずさんであったことを深刻に考え,その表面化をおそれていたと主張し,それを推知させる事情として,同被告人がC’を潰せないと考えていたことを指摘する。

しかし,被告人甲野,同乙野ら拓銀経営陣において,平成5年7月経営会議の際,C’を潰せないとの思いを抱いていたことが,必ずしも被告人乙野らが,Aグループに関するずさんな融資の実態が表面化するのをおそれていたことを推認させる事情とはなり得ないことは,被告人甲野の関係部分で説示したとおりである。また,前記した,同融資に係る被告人乙野の関与の程度や態様のほか,後記説示のとおり,本件第3ないし第5の各融資がなされた当時,被告人乙野ら拓銀経営陣に対し,株主代表訴訟等により,その経営責任等を追及する具体的な動き,あるいは切迫した事情はなかったことなどに照らすと,被告人乙野が,Aグループに対するずさんな融資の実態を深刻に考え,その表面化を殊更におそれていたと認めるには合理的な疑いが残る。

イ 茨戸開発事業資金融資に関わる農地法違反等の問題

(ア) 農地法違反等の問題に関する被告人乙野の認識

前記認定のとおり,Aは,農地法,国土法に違反する方法で茨戸開発事業地の買収を行っていたもので,その買収資金は,乙山の指示により,たくぎんファイナンスからなされていたものである。

被告人乙野は,平成5年7月経営会議で,審査第1部から,Aの茨戸開発事業地取得が農地法等に違反するとして追及の動きがあるとの報告を受け,その買収方法に農地法違反に絡む問題があることを認識したほか,その後,平成7年1月経営会議及びそれ以降に開始された経営会議で,審査第3部から,再三,Aの土地取得行為に農地法等の違反行為がある旨の説明,報告を受けていたのであるから,本件第3ないし第5の各融資のうち,少なくとも,平成7年1月経営会議以降になされたものについては,これを実行する際,Aの農地法違反等の問題を認識していたものと認められる。もっとも,被告人乙野は,総合開発部がAグループを所管していた当時において,同グループを直接担当したことはなかった上,それまでの経営会議における総合開発部の,Aの茨戸開発事業用地の取得方法に関する報告状況のほか,審査第1部の南山でさえ,農地法違反問題の重大性を認識したのが,平成6年6月以降のことであったと認められることに照らせば,同被告人が,農地法違反問題を重大なものとして認識したのは早くともそのころのことであったと認めるのが相当である。

(イ) 農地法違反等の問題が表面化することを被告人乙野がおそれていたか否か

a 表面化した場合の被告人乙野の責任等

Aの土地取得方法に農地法違反等の行為があることが表面化した場合,最も厳しく責任を追及されるのは,被告人丙野ら用地取得行為に関与した者であり,仮に,これに札幌市や農業委員会の関係者が関与していたとすれば,これらの関係者も,被告人丙野らに次いで厳しく責任を追及される可能性があったものと認められる。また,拓銀関係者としては,最も重い責任があるのは融資を指示した乙山であり,次いで総合開発部の担当者やたくぎんファイナンスの関係者等が考えられる。

ところで,茨戸開発事業資金融資に関わる被告人乙野の関与の程度,態様は前記認定のとおりであって,農地法違反等の問題が表面化した場合でも,同被告人が刑事責任を問われる可能性は考えられなかったし,乙山の監督責任を問われるおそれもなかった。もっとも,被告人乙野が,平成3年のバックファイナンスに間接的であるにせよ,関与した以上,損害賠償責任等の民事上の責任を追及される余地が全くなかったとはいえない。また,こうした違法行為に拓銀関係者,あるいは拓銀グループ関係者が関与していたことが明らかになれば,拓銀は社会的な批判にさらされ,その信用が失われるとともに,それに伴い,同被告人が,拓銀経営陣のトップとして,社会的,道義的な経営責任を追及される可能性があったことも否定できない。

b 検察官の主張

検察官は,前記認定の被告人乙野の立場ないし地位を前提とした上で,被告人乙野は,農地法違反等の問題が表面化することをおそれていたと主張し,それを推知させる事情として,主として,(a)拓銀関係者が農地法違反等の問題に関するマスコミの動向を深刻に受け止めていたこと,(b)拓銀が,平成3年6月以降の毎期の株主総会において,農地法違反等の問題に関する想定問答を用意し,株主総会の直前に行われた役員勉強会でもこの問題が取り上げられていたこと,(c)同5年ころから,Aの国土法違反が問題となり,被告人丙野が開発主体から外れることになったこと,(d)拓銀が,農地法違反等の問題を「スキャンダル」と捉え,Aグループの取組方針等を決定する際,この表面化を回避することを重要な検討課題と位置づけていたこと,(e)拓銀が,被告人丙野に強硬な姿勢をとると,同被告人の言動を通じて農地法違反等の問題が表沙汰になるとの危惧感を抱いていたことなどを指摘する。

検察官の指摘する事情のうち,前記(b),(c)については,被告人甲野の関係部分で説示したとおりであって,これらのことから,被告人乙野が,農地法違反等の問題の表面化を殊更おそれていたと推認することはできない。また,(a)についても,前記認定のとおり,検察官が指摘する記事が,人事ジャーナル誌,あるいは北海道新聞に掲載された当時,被告人乙野は,常務取締役,専務取締役など役付役員であったものの,Aグループを担当していなかったのであるから,同グループに対する関心の程度は大きくなかったと認めるのが相当で,そのような記事を読んだとしても,これを深刻に受け止める前提に欠けていたというべきである。したがって,この点も被告人乙野が,農地法違反等の問題の表面化をおそれていたことを推認させる事情とはならない。

そこで,その余の事情について検討を加える。

c 検察官の指摘するその他の事情の検討

前記認定の事実及び関係証拠(甲516,628)によれば,拓銀では,平成6年大蔵省検査の際,南山が,担当検査官に対し,Aグループに対する融資を打ち切れない理由として「Aが倒産すれば,茨戸開発事業地取得に係る農地法違反等の問題が表面化する」旨説明をしたほか,平成7年1月経営会議において,南山が,Aグループに対する取引方針を付議した際,「このグループを整理するにあたって一番悩ましいのは,単に貸金の損切りだけでは済ませられない法律違反をめぐる『政』・『官』・『財』の各界にいたるスキャンダラスな面がつきまとうということだと思います。」と述べたのを始めとして,審査第3部の部長が南山から東山に替わった後も,「本プロジェクトは,問題が多く,単純な事業採算では整理は難しく,諸問題の解決が優先されなければならないプロジェクトと考えられる。」などと説明した上,一連の経営会議資料として,「茨戸プロジェクト問題噴出時の対応について」,「茨戸プロジェクト問題噴出予想図」と題する秘密扱いの補助資料等を添付するなどしていたもので,このような状況がその後の経営会議でも続いていたこと,平成7年8月経営会議において,Aの分社化の形態を決定した際,農地法違反問題の表面化を回避する等ため,結果的には納税負担の重い形態を選択したこと,当時審査第3部では,数回にわたり,河谷弁護士等に対し,農地法,国土法違反問題が刑事訴追される可能性,公訴時効の完成時期,拓銀役員の責任,特別背任と身分なき共犯等の問題について法的助言を求めるとともに,その内容を経営会議で報告していたこと,平成9年5月経営会議において,Aグループを拓銀の管理下に置くことを付議するにあたっても,事前に河谷弁護士に農地法違反等の問題を相談した上,被告人丙野を排除する理由の1つとして,リーガルリスクが薄まったことを挙げていたことなどが認められる。

また,関係証拠(甲510,511)によれば,平成7年1月経営会議及びそれ以降に開催された経営会議においては,度々,茨戸開発の継続を断念した場合,「被告人丙野が自暴自棄になる」可能性や,それに伴い,農地法違反等のスキャンダルが表面化するおそれがあることが指摘されていたことが認められる上,東山や庚野も,公判廷で「丙野が自暴自棄になって,茨戸開発事業に絡んだ農地法違反等の問題について言いふらされることを懸念していた」旨供述する。

以上のような経営会議における状況等を勘案すると,審査第3部の南山や東山らは,Aグループに対する取組方針を検討する際,Aの農地法違反等の問題の表面化を回避することが重要な要素であると位置づけた上,被告人丙野の言動を通じて農地法違反等の問題が表沙汰になるとの不安や懸念を抱いていたものと認められる。そして,経営会議において,南山や東山の報告等に対して,被告人乙野ら拓銀経営陣から,特段の反論等が出された形跡のないことに照らせば,被告人乙野ら拓銀経営陣も,Aグループに対する取組方針を検討する際,農地法違反等の問題があることを認識し,少なくとも,その表面化をできれば回避したいと考えるとともに,被告人丙野の言動を通じて農地法違反等の問題が表面化することを避けたいとの念を抱いていたと認められる。

なお,被告人乙野は,公判廷において,「所管部は,経営会議にスキャンダル問題を持ち出していたが,聞き流していた。」などと供述し,あたかも農地法違反等が表面化することには関心を持っていなかった旨弁解するが,以上に認定した経営会議の状況等に照らし,信用できない。

したがって,被告人乙野ら拓銀経営陣は,農地法違反等の問題の重大性を認識し,その表面化をできれば回避したいと考えていたと認めるのが相当である。

ウ 被告人乙野が本件第3ないし第5の各融資を行った目的

検察官は,被告人乙野が,専ら,農地法違反等の問題が表面化した場合に生ずる自己の経営責任を回避する目的で,本件第3ないし第5の各融資を実行したと主張する。

前記認定の,農地法違反等の問題が表面化した場合における被告人乙野の立場ないし地位のほか,被告人乙野ら拓銀経営陣が,平成6年大蔵省検査や翌7年日銀考査において,Aグループに対する債権が,Ⅲ分類ないしD査定を受けたのにもかかわらず,その後も同グループに対する融資を継続したこと,農地法違反等の問題の重大性を認識し,その表面化を避けたいと考えていたこと等を勘案すると,検察官が主張するように,被告人乙野が,専ら,自己の経営責任を回避する目的で,本件第3ないし第5の各融資を実行したと推認することも可能のようにも考えられる。

しかし,他方,被告人乙野ら拓銀経営陣が,本件第3ないし第5の各融資を行った目的について,自らの経営責任を回避することにはなかったのではないかとの疑いを抱かせる事情も存することを指摘しなければならない。

(ア) 経営会議における協議の状況等

前記のような農地法違反等に関わる問題が協議された経営会議においては,その表面化と被告人乙野ら拓銀経営陣の経営責任とを絡めて協議がなされた形跡はない。

すなわち,初めてAの農地法違反等がスキャンダルと捉えられ,経営会議に報告された平成7年1月経営会議においては,その資料に,茨戸開発事業継続のメリットの3番目として,「Aが暴れ,……当行信用を傷つけるのを妨げる」ことが挙げられる一方,断念の結果生じる諸問題の1番目に「司法介入の恐れ」「当行も証人喚問の可能性」が挙げられているが,これらは,いずれも直接には,被告人乙野ら拓銀経営陣の経営責任に関わるものではない。また,同経営会議における協議の際も,違反に絡んだ者として,南山が「契約書として残っている……平成2年5月11日,常務名で。」と名前こそ明示しなかったものの,乙山を念頭に北田常務の質問に答えているにすぎず,被告人乙野ら拓銀経営陣の経営責任に絡む質疑応答はなされていない。また,被告人丙野との「共通確認事項」の合意化を付議した平成7年3月経営会議においても,南山が,Aグループを倒産させられない理由を述べた際,「たくぎんファイナンスは,……弁護士によれば,特別背任との認識であり,拓銀は身分なき共犯だと言われている。」と発言しているが,これも,たくぎんファイナンスの融資担当者らと,拓銀側では主として乙山を念頭においた,その法的責任に関する発言で,被告人乙野ら拓銀経営陣の経営責任に関するものではない。

その後,担当部長が南山から東山に替わって初めて開催された平成7年6月経営会議においては,その際の資料に「茨戸プロジェクト問題噴出時の対応について」「茨戸プロジェクト問題噴出予想図」が添付され,そこには,「国土法・農地法違反と承知しながら,当行(元)役員が売買契約の立会人として署名している。」「国土法・農地法違反となる土地購入資金と承知しながらたくぎんファイナンスを通じて貸出ししている。」などと記載されているが,それが専ら乙山を示していることは明らかである。そして,それ以降に開催された経営会議において,農地法違反等の法的な問題が検討された際における報告や協議の状況も,基本的には以上と同様で,そこでは,主として,農地法等の違反行為に直接関与した被告人丙野らに係る刑事責任や,違法な用地買収資金を融資した乙山及びたくぎんファイナンス関係者の責任等が論じられているのであって,被告人乙野ら拓銀経営陣の経営責任については,議論の対象となっていないことが認められる。

ところで,前記資料には,「拓銀主導でプロジェクトを進める中で,たくぎんファイナンスを通じて保全策も講じず,多額の資金を融資している。」とした上で,その場合の株主代表訴訟の可能性に触れている箇所があり,その後,平成8年7月経営会議においても,その添付資料には,拓銀に係る「茨戸プロジェクト推進上の問題点」の1つとして,「茨戸プロジェクトへの関与」「関係会社を通じての土地購入資金の支援」が挙げられ,それへの対応として「株主代表訴訟対応(背任―幇助)」と記載されている上,東山が,同会議で,株主代表訴訟の可能性に触れる発言をしていることが認められる。しかし,これらは,たくぎんファイナンスによる茨戸開発事業資金に係る無担保融資に関するもので,そもそも,被告人乙野の同融資への関わりの程度は,間接的なものにすぎなかったのであるから,同資料の記載等から,被告人乙野が,自らに対する株主代表訴訟による損害賠償責任追及に思い至ったか多大な疑問が残るものである。また,いずれの経営会議においても,東山の発言の後,株主代表訴訟の具体的な内容やその場合の対応等について,これを懸念する発言があったり,これに関する検討や議論がなされた形跡がないことに加え,関係証拠(甲540ないし542)によれば,東山は,平成7年8月1日に山本弁護士,同月3日及び同8年8月21日に河谷弁護士に,それぞれ茨戸開発に係る法律問題について意見を求め,しかも,平成7年8月3日には前記「茨戸プロジェクト問題噴出予想図」を河谷弁護士に示した上で意見を求めたものであるが,その際,主として,東山が法的助言を求めた内容は,農地法違反等に係る刑事訴追の可能性や公訴時効完成の時期,あるいは茨戸開発事業資金融資に係る特別背任罪の成否に関する事柄であって,株主代表訴訟に関わる事柄については,質問等をしていないことが認められるのであって,これらの事実に照らせば,株主代表訴訟に関する東山の発言や資料の記載は,審査第3部として,茨戸開発に関わる取組方針を付議する際,想定される問題を網羅的に取り上げた際の1つにすぎず,必ずしも訴訟の提起を具体的に懸念していたことを示すものとは認め難い。これは,前記資料等に,確たる証拠があったとは思われない,被告人丙野による札幌市関係者に対する贈収賄疑惑等が記載されていることからも裏づけられるというべきである。さらに,被告人乙野ら拓銀経営陣が,審査第3部の担当者らに対し,株主代表訴訟に関わる事項について,調査検討を指示した形跡もない。したがって,被告人乙野ら拓銀経営陣が,株主代表訴訟の可能性を具体的,深刻に認識していたと認めるには合理的な疑いが残る。

(イ) 刑事責任のおそれ等

前記のとおり,被告人乙野が,農地法違反等の問題により,刑事責任を追及されるおそれはなかった。また,被告人乙野ら拓銀経営陣が,刑事責任を追及されるおそれがあると考えられていた被告人丙野や,その他の者をかばわなければならない理由や必要性も認め難いのであって,これは,平成7年1月経営会議及び平成8年5月経営会議資料には,いずれも,想定される展開として,「農地法,国土法違反問題噴出の可能性」を考慮しながら,その際の対応を「過去のことは当事者(A,市農委会,農家,農協等)で対応してもらう。」と記載されていることによっても裏づけられている。

なお,前記のとおり,農地法違反等の問題が表面化した場合,被告人乙野が,拓銀経営陣のトップとして,拓銀の信用失墜に伴う経営責任を問われるおそれがあることは否定できないものの,同被告人の茨戸開発事業資金融資に係る関与は間接的で,その程度は低いものにすぎなかった上,Aグループに対する対応方針が検討された一連の経営会議においては,東山の平成8年7月経営会議における発言中に,一般的な可能性の問題として,これに触れる部分があることを除いて,この点に関する協議がなされたとか,これを懸念する発言等がなされた形跡は全くない。したがって,被告人乙野ら拓銀経営陣が,農地法違反等の問題が表面化した場合の社会的,道義的な経営責任を深刻に考え,これを重要な判断要素として,Aグループへの取組み方針を検討していたと認めるには合理的な疑いが残る。

(ウ) 農地法違反等の問題の表面化をおそれる他の理由の存在

前記認定のとおり,拓銀では,平成5年11月ころ,従前,インキュベーター対象企業の代表格として,積極的に支援してきたカブトデコムグループに対する金融支援を打ち切る方針を採ったが,マスコミ報道等により,これが厳しい社会的な非難にさらされ,その結果,拓銀の社会的信用の低下と,370億円もの多額に及ぶ個人定期預金が流出する事態を招いた苦い経験があった。そのため,被告人乙野ら拓銀経営陣は,Aグループに対する融資を打ち切ることによって,社会的な非難を浴び,拓銀の信用が低下し,預金の流出等,同様の事態を招くことがないように神経質になっていた。

(エ) 審査第3部への指示等

被告人乙野は,審査第3部の南山や東山らが,Aグループへの取組方針を策定する際,その方針等について,同人らに指示したことはなかった上,経営会議において,これが検討された際にも,審査第3部の取組方針案を了承していた。

なお,庚山は,公判廷において,「審査第3部の担当役員に就任した平成7年6月ころ,被告人乙野から,Aグループに対しては,既定方針どおり,融資を続けていくほかない,などと言われた。」と供述しているが,平成7年6月ころは,平成7年1月経営会議において,Aグループに対する基本的な取組方針が決められ,Aグループ再編案が実施に移されている段階であるから,被告人乙野がこのようなことを言ったとしても,特別不自然なことではなく,自らに対する経営責任追及を回避するために,庚山に対し,Aグループへの取組方針を指示したとまで認めることはできない。また,申山は,捜査段階において,「審査第3部を担当するよう告げられた際,乙野頭取から,『Aグループの件も既往方針どおり頼む。』と言われた。」と供述しているが,他方,同人は,公判廷では,これを明確に否定している上,同人の捜査段階の供述には,他にも不合理な点があることを勘案すると,これをそのまま信用することはできない。

(オ) まとめ

以上認定説示したところによると,被告人乙野ら拓銀経営陣が,自らの経営責任を回避するために,Aグループへの融資を継続したと推認させる事情もあるけれども,他方で,このような経営責任の追及がなされる切迫した事情にはなく,被告人乙野らにおいても,これを深刻に考えていたとはいえない上,信用低下の回避等,拓銀にとって,農地法違反等の問題の表面化を避けなければならない他の事情も存在したこと,加えて,被告人乙野ら拓銀経営陣は,Aグループへの融資を打ち切るよりも,継続した方が回収額が多くなるとの認識を有していたこと,融資を打ち切って同グループを倒産させた場合には,たくぎんファイナンスや拓銀自身の経営不安を招来するおそれもあったことのほか,当時,拓銀の不良債権償却計画に従えば,Aグループに対する債権より,優先して償却処理すべき債権があり,同グループに対して融資を打ち切ることができなかったことなどに照らすと,被告人乙野が,専ら又は主として,自己の経営責任を回避する目的で,本件第3ないし第5の各融資を実行したと推認するには躊躇を覚えざるを得ない。審査第1部及び審査第3部の担当部長であった南山及び東山は,いずれもAグループに対する融資判断に際し,被告人乙野ら拓銀経営陣の経営責任などは考慮しなかったと供述しているが,前記した事情に照らし,信用することができる。

エ 本件第3ないし第5の各融資を実行した目的が経営責任回避にあった旨の証拠の信用性

(ア) 北田春郎の公判供述

平成4年6月から総合企画部長として,平成7年1月経営会議以降は常務取締役として,Aグループに関わる経営会議に出席していた北田は,公判廷においては,概ね,「(平成7年1月経営会議でAグループに対する融資継続が承認されたのは)農地法違反とそれに拓銀の元役員が絡んでいるというスキャンダルの表面化を回避したいということからだった。スキャンダルの表面化を回避するのは,銀行への信用毀損への懸念と,市当局に迷惑が及ぶことへの懸念,その結果としての経営責任の問題発生があったからと理解していた。問題を抱えるAグループへの融資を決定したことも含めた広い意味の経営責任を考えていた。」「(経営責任の内容を細かに分析したわけではないが)経営状態が信用失墜,あるいは市当局との関係が険悪化して,札幌市の指定金融機関としての地位を危うくするような事態になった場合には,広い意味での経営責任の追及があるだろうと……常識的に考えて,やっぱり融資を実行した責任とかそういうものは当然はいってくるだろうと思います。」などと供述している。

このように北田の公判供述によっても,スキャンダルの表面化を回避する目的は,第一次的には,拓銀の信用が低下することを防ぐとともに,札幌市との関係悪化による指定金融機関としての地位を失うことを防ぐことなど,拓銀の利益のためにあったこと,信用低下等の事態が発生した場合に生ずる経営責任については,副次的なものであったことが認められる。したがって,北田の公判供述から,被告人乙野が,専ら,自己に対する経営責任追及を回避する目的で,本件第3ないし第5の各融資を実行したと認めることはできない。

(イ) 庚山の捜査段階の供述

庚山は,捜査段階において,「甲野頭取や乙野頭取が継続してAグループに対して融資を実行したのは,どう考えても,農地法違反の問題やC'に対する無謀かつずさんな巨額融資の問題が表面化して,経営責任を追及されることをおそれたとしか考えられませんでした。」,「乙野頭取が茨戸地区の開発に執着したのは,スキャンダルの表面化に伴う責任追及を避けたいと考えたからとしか思えませんでした。」,「審査第3部担当役員だった当時,茨戸地区を巡る農地取得などのスキャンダルが表面化すれば,拓銀の頭取をはじめとする経営陣の経営責任追及がなされ,また,経営責任を前提とした株主代表訴訟などの訴訟が提起され,頭取等が損害賠償責任を負わなければならないおそれがあったので,茨戸開発を進めなければならなかった。」などと,被告人乙野の経営責任を回避するため,本件第3ないし第5の各融資が実行された旨供述している(甲353ないし356,587)。

ところで,庚山の捜査段階の供述が,被告人甲野の関係部分において指摘したように,取調べ検察官の理詰めの追及によって引き出された疑いが強いことに照らせば,被告人乙野の自己図利目的を認める前記供述についても,その信用性を慎重に判断しなくてはならない。このような観点から,庚山の捜査段階の供述を検討すると,例えば,庚山は,捜査段階において,「(平成8年8月ころ,被告人丙野に福祉系開発を断念させるために申入れをした際の心境について)丙野を強引に排除できれば,それが一番いいのですが,丙野が自暴自棄となり,農地法違反等のスキャンダルが表面化する可能性があるので,強引に排除することは難しかったのです。」と供述する(甲355)が,平成8年5月経営会議資料に照らせば,審査第3部は,同経営会議において,「丙野氏に対し,毅然とした対応をするためにも,茨戸プロジェクトにおいて丙野氏を排除する必要あり。」と表明し,茨戸開発から撤退した場合の拓銀の損失を試算して報告していたことが認められるのに,庚山の供述では,審査第3部が茨戸開発から被告人丙野を排除する方針を打ち立てたことについて,何ら言及されていないのである。また,庚山は,「平成8年5月経営会議において,Aグループに対する融資を打ち切ることを提案したが,乙野頭取に反対された」旨供述している(甲353)ところ,確かに,同経営会議議事録によれば,庚山が,同経営会議において,「これ以上の資金は出せない。」と発言していたことが認められるが,同経営会議において,審査第3部が市街化調整区域内開発への再転換を示唆していることや,Aグループに対する融資を打ち切るなどといったことには全く言及していないことに照らせば,庚山の前記発言の趣旨は,被告人丙野の提案する福祉系開発は,更に資金投入を必要とするから,これに従って茨戸開発を進めることはできないということにあり,同グループへの融資打切りを提案したものではないと理解できるのであって,この点でも,庚山の前記供述は不合理といわなければならない。さらに,庚山は,前記のとおり,スキャンダルが表面化することによって,株主代表訴訟などで被告人乙野が損害賠償責任を負わなければならないおそれがあったなどと供述しているが,他方で,何故に被告人乙野が損害賠償責任を負うことになるのかということや,庚山がそのように認識するに至った過程について,具体的に述べられていないなどの問題が指摘できる。

これらの事情を考慮すれば,被告人乙野の自己図利目的を認める,庚山の前記供述部分も,取調べ検察官による理詰めの誘導によって得られたものとの疑いを払拭できないから,これをそのまま信用することはできない。

(ウ) 申山の捜査段階の供述

申山は,捜査段階において,「Aグループに対する融資継続と茨戸総合開発計画継続の目的は,茨戸総合開発計画にからむ拓銀のスキャンダルの噴出を防ぎ,拓銀経営陣が責任追及の的となることを回避することにありました。」などと,本件第3ないし第5の各融資が被告人乙野の経営責任回避の目的で行われたものである旨の供述をしている(甲364ないし366)。

申山は,平成7年1月経営会議の状況等について,「審査第3部から,スキャンダル問題についての報告を受け,Aグループに対して融資を継続する目的が,乙野頭取等に対する責任追及を回避することであると理解した。」「拓銀の経済的利益のためには,すぐにでも茨戸開発事業を断念し,Aグループに対する融資も打ち切った上,Aグループに対する債権を整理すべきだと思った。」などと供述している(甲364)。ところで,申山は,平成6年6月に常務取締役に就任し,同7年1月経営会議がAグループ案件に関する初めての経営会議であったことが認められるところ,申山が,それまで同グループの融資に深く関わったことがなかったこと,同経営会議当時も審査第3部担当役員ではなかったことなどの事情も併せれば,同経営会議の状況等に関する申山供述に高い信用性が認められるためには,取調べの際に,申山が,同経営会議資料等を十分に確認するなどして,当時の記憶を整理できていることが前提となるというべきである。しかし,申山の検察官調書(甲364)の内容をみても,同調書に添付された資料に関する点については詳細な供述がなされているものの,その他については,極めて大ざっぱな供述になっていることに加え,申山が,「審査第3部から,Aグループの丙野三郎が,拓銀の意向を無視して,独自に拓銀側にとって極めて事業リスクの高い計画案を策定し,札幌市に対する働きかけを行っているため,これが計画推進の一つの足かせとなっていることも指摘されました。」などと,時期的にみて,同経営会議で報告されるはずのない事実が報告されたかのような供述をしているほか,「審査第3部からは,茨戸総合開発計画のスキャンダルが明るみに出ることを回避するために,茨戸総合開発の続行はやむなし,Aグループへの融資継続もやむなしという報告がなされたのでした。」などと供述しているものの,南山が「Aグループには従業員だけで1100人,家族を含むと約2000人もいる。生き残れる道を造ってやる必要がある。」,「当行としてもAグループ破産・一挙に償却は対応できない。」などと,Aグループの雇用問題や拓銀の償却問題についても言及していたことについては全く触れられていないのであって,これらの事情に照らせば,申山が,取調べ段階において,当時の記憶を十分に整理することができないまま供述したとの疑いを払拭できない。また,申山は,「審査第3部からは,拓銀の責任問題に発展するとの報告を受けたが,当時,拓銀が破綻するとは全く考えられなかったので,拓銀自身の信用を問題とする必要がなく,こうしたことから,スキャンダルから守るべきものは,拓銀本体というよりも,むしろ,乙野頭取を含めた現拓銀経営者だった。」(甲364)などと述べているが,当時,拓銀の経営において,同行の信頼回復あるいは信用低下の回避が重要な課題とされていたことや,申山の供述が被告人乙野らの経営責任が生じるとする一方で,茨戸開発等の融資に関与した乙山ら当時の拓銀経営陣の責任には全く触れられていないことに照らせば,申山の供述は不自然,不合理というべきである。

また,申山は,審査第3部担当役員に就任した以降におけるAグループに対する取組方針等について,「私としては,経営会議で決定した方針に従って茨戸総合開発を続行し,拓銀経営陣をスキャンダルから守ることが担当役員として私の使命,つまり実行しなければならない宿題であると理解していました。」と供述するとともに,「(茨戸開発に係る)特別背任の問題については,担当役員になった後,東山部長から,そのような問題があることを教えられ,明確に認識しました。私は,農地法違反の問題よりも,かえって特別背任罪の方がより大きな問題だと思いました。特別背任罪はAへの融資に関与した甲野元頭取らが刑事訴追されるかという問題であり,関与の度合いによっては,乙野頭取のほか現経営陣も刑事訴追の対象となる問題でしたから,事は重大だと思われました。」と供述している(甲365)。しかし,申山の供述によっても,農地法違反より重大だと考えた被告人甲野や,同乙野に係る特別背任罪の成否等について,東山ら審査第3部の担当者に調査検討を指示した形跡がないのであって,いかにも不自然といわなければならない。さらに,申山は,「経営会議の方針は,茨戸総合開発計画が全て完了するまでAグループを延命させるということでしたから,それはすなわち,Aグループへの回収見込みのない融資をエンドレスに増大させる結果となるものでした。」などと述べている(甲365)のであるが,前記認定のとおり,審査第3部が,平成9年5月経営会議において,Aグループへの融資打ち切りをも念頭において,同グループを拓銀の管理下に置くことを付議していることに照らせば,このような供述は不自然というべきである。そのほか,茨戸開発の進捗状況について,「私は,仮に市街化区域編入がなされても,その後,どのようにして開発が進められるのか具体的には分かりませんでしたし,そもそも市街化区域編入自体が不確定でしたから,開発の進め方については,確たるものを決定することが不可能だったと思います。正直言って,私としては,札幌市に陳情に行きながらも,茨戸開発事業計画が本当に実現するなどということは全く思っていませんでした。」などと述べている(甲365)のであるが,前記認定のとおり,申山が審査第3部の担当役員であった当時の茨戸開発は,平成8年9月ころから札幌市の態度が軟化したことよって急転し,その結果,翌9年6月には準備会が「篠路右岸地区開発計画」と題する事業提案書を札幌市に提出し,その2か月後,茨戸地区が市街化保留区域に編入される旨の内示を受けるに至るなど,急速な進展がみられたことに照らせば,この点に関する申山の供述も不自然というべきである。

以上に指摘した事情に照らせば,申山の捜査段階の供述は,不自然,不合理というべきで,信用性に乏しいといわなければならない。

(エ) 被告人乙野の捜査段階の供述

被告人乙野は,捜査段階において,自己を含めた拓銀経営陣の責任追及を回避する目的で本件第3ないし第5の各融資を実行した旨供述し(乙54ないし58,63,69,110),自己図利目的があったことを認める供述をしている。

しかし,被告人甲野の関係部分等で説示したとおり,被告人乙野の捜査段階の供述には,例えば,平成3年3月投融資会議に出席していないのに,これに出席したことを前提として,その際の状況や心境を具体的に述べたり,会議における丙田の報告により,茨戸開発に係る農地法違反問題を認識したと供述したり(乙42),平成3年のバックファイナンスに際し,南山から,農地法違反の問題に絡めて,その是非を相談されていないのに,相談されたかのように供述し(乙41),その際の諸貸出し申請書に鉛筆書きで真実の使途目的を記載した理由が,総量規制との関係であるのに,拓銀が農地法違反行為に資金面で援助したことが表面化するのを回避するためであったと供述している(乙41)ほか,平成5年7月経営会議当時においては,茨戸開発に係る農地法違反問題の重大性を認識していないはずなのに,すでに認識していたことを前提とする供述をする(乙45,46,61,66,67,69)など,随所に不合理な供述があり,取調べにあたった検察官の理詰めの追及により得られた疑いを払拭できないものである。こうした事情に加え,被告人乙野が,自らの図利目的を認めた捜査段階の供述を検討すると,その責任追及の対象となる拓銀経営陣について,取調べ当初は,「ホテル建設資金等の融資を決定した経営会議のメンバー及びたくぎんファイナンスサービスのAへの農地取得資金の融資にかかわった拓銀の経営陣」などと一応明確に述べていたものの(乙45,47,48,54),取調べが進むにつれ,「拓銀経営陣の責任」などといった漠然とした表現になるとともに,「(平成5年8月当時)茨戸開発事業がが解しますと,拓銀がAの農地法違反行為に資金面で荷担していたことやホテル建設に対する極めてずさんな融資を実行していたことが表沙汰となって,甲野頭取をはじめとする拓銀経営陣の責任問題が表面化するおそれがありましたので,拓銀経営陣としてはそれらの責任問題を表面化させないために茨戸開発事業を実現させる必要があったのです。」などと,あたかも茨戸開発事業資金の融資等には直接関わっていない役員を含めた現経営陣を念頭においたようなものも見受けられるようになっている(乙50)。また,被告人乙野の供述は,自分が頭取に就任した後もAグループに融資を継続した理由について,「甲野頭取が従前拓銀経営陣の責任問題を回避するためにAグループへの融資継続を決めていたのですから,私が頭取に就任したからといってすぐに従来の甲野頭取の方針を180度変えて拓銀経営陣の責任問題が噴出するような処理はどうしても採れなかった。」などと,頭取就任以前の経営陣の責任問題を慮っていた旨の供述(乙66)がある一方で,大半の調書では,「私ら経営陣は,Aの農地法違反や国土法違反行為に拓銀が資金面で荷担していたことや採算が取れる見込みの全くなかったホテル建設のために十分な担保も徴求することなく約236億円もの莫大な融資をAに対して実行したことが表沙汰となって,拓銀経営陣の責任問題が表面化するのを避けるために茨戸開発事業を実現しなければならなかった。」などと,被告人乙野が頭取に就任した以降の拓銀経営陣の責任問題を念頭においたかのような供述をしている(乙55ないし59,63,69)のである。そして,このように,責任が追及される対象者に関する被告人乙野の供述が不明確である結果,その責任の具体的な中身についても,ホテル建設資金の融資を実行したことや農地法違反等の違法行為に拓銀を関与させたことに関する総合開発部所管当時の拓銀経営陣の法的,道義的責任なのか,拓銀が過去にずさんな融資等を行ったことに関する現経営陣の道義的な結果責任の類なのか,極めて不明確かつ漠然とした供述となっているなど,被告人乙野の供述は,誰の,どのような責任を回避するためにAグループに対して融資を継続したのかといった供述の中核となる部分が,極めて曖昧で,漠然としているといわなければならない。このほか,前記認定のとおり,被告人乙野は,平成3年3月投融資会議に出席していなかったのに,同投融資会議に出席したとした上で,「私もホテル建設資金の融資を決定した経営会議のメンバーでしたので,程度の差こそあれ,甲野頭取が懸念していた責任問題は感じていました。」(乙43),「拓銀経営陣は,Aによる農地法違反や国土法違反に資金面で拓銀が関与したことや黒字化する見込みのないホテル建設のために既に180億円近くを融資していて,最終的には236億円もの莫大な金額をAに融資することを決めていたことから,もしそれらの事実が発覚すると甲野頭取はもちろんのこと,私を含めた経営陣の責任問題が表面化するおそれがあったため,それを回避するためにどうしても茨戸事業を実現する必要があった。」(乙49)などと,被告人乙野が,あたかもホテル建設資金に係る融資の決定に関与したことを前提として,それによって生ずる自己の経営責任を回避するためにAグループに対し融資を継続した旨供述しているのである。このような経営責任に関する被告人乙野の捜査段階における供述は,不自然かつ不合理といわなければならない。

また,被告人乙野の捜査段階の供述には,平成7年1月経営会議において,「捜査第3部から,茨戸開発事業を進めるにしても,企画調整局の意向に従って丙野三郎外しを露骨にした場合には丙野三郎から農地法,国土法問題が噴出する可能性がある,との報告を受けた」旨の部分(乙56)があるが,平成7年1月当時には,既に,被告人丙野が茨戸開発から外れることに同意していたのだから,この点でも不合理といわなければならない。さらに,被告人乙野の捜査段階における供述を通観すると,Aグループの経営改善の可能性があったこと,茨戸開発に対する札幌市の支援状況,拓銀の償却問題等,同被告人にとって有利に働く事情について具体的に検証された形跡がなく,殊に,同被告人は,逮捕後の弁解録取等において,同グループに融資を継続した理由は拓銀の損失の極小化を図るためであったと供述し,経営会議の資料等にも,その弁解を一応裏づけるようなものもあるのに,同被告人の調書を見る限り,そのような弁解の真偽について取調べがなされたのは,同被告人が起訴される2日前に,「融資を続けた方が回収が少しでも多くなると思ったと供述したのは,あくまで期待ないし目標だった。」との調書(乙110)が取られたことを除いて,これ以外には存在しないのである。

以上説示した事情に加え,被告人乙野が,公判廷において,取調べを受けた際の心情について,「起訴されることが分かっていたので抵抗してもしようがないと思った。拓銀が破綻し,多くの人に迷惑をかけたことは事実だったので,破綻罪の一種だと思い,Aの案件でなくても何でもよかったんだという考えが強く支配していた。」などと供述し,取調べ検察官も,被告人乙野が「破綻罪なんでしょ。」などと発言していたことを認めていることなどに照らせば,同被告人が,いわばあきらめの心境で取調べに臨んでいたことがうかがわれ,被告人乙野が,捜査段階において,取調べ検察官の誘導に従って終始供述していたとの疑いを到底払拭することはできない。

したがって,同被告人の供述は信用できないというべきである。

オ まとめ

以上説示したとおり,被告人乙野が,専ら又は主として,Aグループに関するずさんな融資の実態あるいは茨戸開発に絡んだ農地法違反等の問題が表面化することに伴う経営責任の追及を回避する目的で本件第3ないし第5の各融資を行ったと認定するには,なお合理的な疑いが残る。

(2)  第三者図利目的

検察官は,本件第3ないし第5の各融資がA,B,C,あるいは被告人丙野の利益を図る目的をもって行われたものであるとして,被告人乙野に第三者図利目的があったと主張する。

確かに,本件第3ないし第5の各融資が被告人丙野ら,検察官の主張する者に利益をもたらすものであったことは明らかである。しかし,本件においては,被告人甲野の関係部分で説示したのと同様,被告人乙野と同丙野との間に,被告人乙野が,殊更に同丙野の利益を図らなければならないような個人的な癒着関係があったとか,同丙野から利益の提供を受けていたなどの事情は認められない。また,他に,本件第3ないし第5の各融資が,被告人丙野ら,検察官の主張する者を利することを主たる目的として実行されたことをうかがわせるような証拠は存しない。

したがって,前記したところに照らせば,被告人乙野は,拓銀の利益のために本件第3ないし第5の各融資をなしたと認めるのが相当で,A,B,C,あるいは被告人丙野の利益を図るといった第三者図利目的が主たる目的であったとは認めるに足りない。

5  結論

以上のとおり,本件第3ないし第5の各融資が拓銀に財産上の損害を与えるものであったこと,被告人乙野が自己の任務に違背したことはそれぞれ認められるものの,被告人乙野に,自己又は第三者図利目的があったと認めるにはなお合理的な疑いが残るというべきである。したがって,その余を判断するまでもなく,被告人乙野について特別背任罪は成立しない。

第7  被告人丙野に対する特別背任罪の成否

本件において,被告人丙野は,被告人甲野及び同乙野に係る特別背任の犯罪事実について,これに身分なき共犯という立場で加功したものとして,起訴されているところ,被告人甲野及び同乙野に特別背任罪の成立が認められない以上,同人らと被告人丙野の各共謀の成否を検討するまでもなく,被告人丙野について特別背任罪は成立しない。

第8  結論

以上の次第で,被告人らに対する本件公訴事実は,いずれも犯罪の証明がないことに帰するから,刑事訴訟法336条により,被告人らに対し,いずれも無罪の言渡しをすることとする。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・小池勝雅,裁判官・中山大行,裁判官・河畑勇)

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