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札幌地方裁判所 平成11年(ワ)2430号 判決 2001年1月30日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、300万4172円及びこれに対する平成11年9月16日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  取立権の発生原因事実

(一) 仮差押え

原告は、平成9年5月2日、札幌地方裁判所平成9年(ヨ)第238号仮差押命令申立事件において、原告の株式会社ジオコンストラァクト(以下「ジオ」という。)に対する別紙一記載の債権合計577万5390円を請求債権として、ジオの被告に対する別紙二記載の請負代金債権につき仮差押命令(以下「本件仮差押命令」という。)を得、本件仮差押命令は、同月3日、被告に送達された。

(二) 差押え

原告は、平成11年6月28日、札幌地方裁判所平成11年(ル)第2317号債権差押命令申立事件において、別紙一記載の債権の一部である原告のジオに対する別紙三記載の債権合計300万4172円を請求債権として、ジオの被告に対する別紙四記載の請負代金債権につき差押命令(以下「本件差押命令」という。)を得、本件差押命令は、同月29日被告に、同年9月8日ジオにそれぞれ送達され、同日から1週間が経過した。

2  差押債権の発生原因事実

(一) ジオは、平成8年10月1日、被告から、被告の自宅の新築工事(以下「本件工事」という。)を代金2515万円で請け負った。

(二) ジオは、右工事を行い、被告に対して本件仮差押命令が送達された平成9年5月3日当時、被告に対し、本件工事に係る請負代金(以下「本件請負代金」という。)として、少なくとも300万4172円の債権を有していた。

3  よって、原告は、取立権に基づき、被告に対し、差押債権300万4172円及びこれに対する平成11年9月16日(本件差押命令がジオに送達された日から1週間を経過した日の翌日)から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実はいずれも認める。

三  抗弁

1  仮差押えの取下げと差押え前の弁済

(一) 仮差押えの取下げ

原告は、平成11年7月6日、本件仮差押命令の申立てを取り下げた。

したがって、本件仮差押命令が被告に送達された平成9年5月3日を始期とする弁済禁止効は存続しない。

(二) 差押え前の弁済

次のとおり、被告は、平成9年7月1日までの間に、本件請負代金を全額弁済した。

(1) ジオに対する合計1250万3042円の弁済

ア 被告は、ジオに対し、本件請負代金として、平成8年6月27日に100万円(後に、本件工事に係る請負契約に当たり、右請負代金に充てることを合意した。)、同年12月25日に100万円、平成9年2月10日に940万円、同年2月18日に50万円をそれぞれ支払った。

イ 被告とジオは、本件請負契約後、本件工事に係る材料の一部である塗料につき、被告が直接株式会社大本(以下「大本」という。)に発注して代金を支払うことを合意した。

被告は、平成9年5月13日、右合意に基づき、大本に対し、60万3042円を支払った。

(2) ジオの代理受領権者に対する合計1690万円の弁済

ア 株式会社野村建築事務所(以下「野村建築事務所」という。)は、平成9年3月10日、ジオとの間で、ジオの下請けとして原告が途中まで行った本件工事を代金1536万4510円で引き継いで行うことを約するとともに、ジオに代わって被告から本件請負代金を受領し、これをもってジオに対する代金債権に充当する旨の合意をし、被告はこれを承諾した(以下「本件代理受領合意」という。)。

イ 被告は、本件代理受領合意に基づき、野村建築事務所に対し、本件請負代金として、平成9年4月17日に100万円、同年5月13日に910万円、同月23日に580万円を支払い、さらに、野村建築事務所からの追加請求に応じて、同年7月1日に100万円を支払った。

2  代理受領の優先

右1(二)のとおり、本件仮差押命令が被告に送達された平成9年5月3日より前に、被告はジオに対して本件請負代金の一部を弁済し、かつ本件代理受領合意がされ、その後これに基づく弁済がされた。

すなわち、原告が差し押え、かつ、本件訴訟の取立ての対象とされた被告のジオに対する債権は、野村建築事務所の代理受領権の制限が付されたものであり、原告にその取立権は認められない。

3  相殺(その一)

(一) 野村建築事務所は、平成9年4月末日までにジオの下請けとして本件工事を完成させ、ジオに対し、請負代金債権1690万円を取得した。

被告は、前記1(二)(2)イのとおり、野村建築事務所に対し、合計1690万円を支払ったが、これは、野村建築事務所のジオに対する請負代金債権の第三者弁済であり、これによって、ジオに対する1690万円の求償権を取得するとともに、野村建築事務所のジオに対する同額の請負代金債権を代位取得した。あるいは、ジオが野村建築事務所に請負代金を支払わないためにジオが建物の留置権を主張した結果、被告は、その支払を強制されたことによって、ジオに対し、右同額の損害賠償請求債権を取得した。

(二) 被告は、原告に対し、平成11年12月7日の本件口頭弁論期日において、右求償権、請負代金債権又は損害賠償請求債権1690万円をもって、原告の本訴請求債権とその対当額において相殺するとの意思表示をした。

4  相殺(その二)

(一) ジオは、下請業者である原告に対する支払を約定どおり実行しなかったため、原告が工事の続行を放棄したのみならず、工事現場から一部部材等を撤去し、別途費用を追加しなければ工事の再開が不可能となった。また、ジオは、設計図のとおり工事を行うよう原告を監理しなければならないにもかかわらず、これを怠り、原告が設計図と異なる工事を施工した。

そのため、被告は、前記1(二)のとおり、当初の約定に係る本件請負代金額である2515万円を425万3042円超過する合計2940万3042円を支払うことを余儀なくされ、ジオに対し、右425万3042円の過払金返還請求権ないし損害賠償請求権を有するに至ったが、これら請求の基礎となる事実は、本件工事が完成した平成9年4月末日の時点で確定していた。

(二) 被告は、原告に対し、平成12年11月7日の本件口頭弁論期日において、右過払金返還請求債権ないし損害賠償請求債権425万3042円をもって、原告の本訴請求債権とその対当額において相殺するとの意思表示をした。

5  民法511条の不適用

野村建築事務所は、本件工事完成後、ジオが請負代金の支払をしないため、留置権を主張して、被告に対し、右代金の支払を強制した。このため被告は、本件仮差押命令送達後ではあったが、野村建築事務所に支払をしないと建物の引渡しを受けることができないので、やむなくその支払をしたものである。このような事情がある場合でもなお仮差押命令送達後に取得した債権であることを理由に相殺の主張が許されないとすることは明らかに不当であって、右のような特別の事情のある場合には、民法511条の適用はなく、被告は、仮差押命令送達後に取得した前記債権をもって、本訴請求債権と相殺することができると解すべきである。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  抗弁1(仮差押えの取下げと差押え前の弁済)について

(一) 抗弁1(一)の事実は認めるが、その法的主張は争う。

仮差押え後、同一の請求債権につき本執行がされた場合、仮差押えの効力は本執行に移行することによって仮差押えの目的を達し、その効力は将来に向かって失効する。

本件において、被告は、本件仮差押命令の送達を受けた平成9年5月3日から本件差押命令の送達を受けた平成11年6月29日までの間は、本件仮差押命令の効力によりその処分を禁止されており、本件差押命令の送達後は同命令の効力によってその処分が禁止されるのであるから、結局、被告は、この2つの裁判の効力によって、平成9年5月3日に本件仮差押命令の送達を受けたときからその目的を達するまで処分を禁止されるのである。

したがって、本件差押命令が被告に送達された後に本件仮差押命令の申立てが取り下げられたからといって、被告が本件仮差押命令の送達後に、これに反して行った支払が違法なものであることに変わりはなく、これを差押債権者である原告に対抗することは不当であり、許されない。

(二) 抗弁1(二)の事実はいずれも否認する。

被告は、ジオとの間で合意した本件請負代金の額である2515万円を超える合計2940万3042円を、住宅金融公庫による融資金によることなく、支払ったというが、不合理かつ不可解である。

また、被告が「弁済」という理解の下に野村建築事務所に対し支払をしたとの主張については、被告が平成9年6月5日付けで裁判所に提出した陳述書の記載内容と矛盾する。

2  抗弁2(代理受領の優先)について

野村建築事務所のジオに対する権利は、差押債権者である原告に対して優先ないし対抗できる権利でないことは明らかである。

3  抗弁3及び抗弁5(相殺)について

抗弁3(一)及び抗弁4(一)の事実はいずれも否認する。

抗弁5は争う。

被告の主張するジオに対する債権は、いずれにしても民法511条にいう支払の差止めを受けた後に取得したものであり、これによる相殺をもって差押債権者たる原告に対抗することはできない。

理由

一  請求原因事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  抗弁1(仮差押えの取下げと差押え前の弁済)について

1  抗弁1(一)(仮差押えの取下げ)について

(一)  原告が、平成11年7月6日、本件仮差押命令の申立てを取り下げたことについては当事者間に争いがない。

そこで、右取下げの法的効果につき、検討する。

(二)  保全命令の申立ては、保全執行の開始後、その終了後であってもその全部又は一部を取り下げることができ、保全命令の申立てが取り下げられると、申立ての取下げがあった部分については、初めから係属していなかったものとみなされ(民事保全法7条、民事訴訟法262条1項)、これに基づいて発生した訴訟上及び実体上の効果はすべて消滅することが原則である。

そして、仮差押命令にかかる請求債権と同一の請求債権をもって強制執行がされた後において、これを別異に解すべき明文の規定は存しない。

この点、仮差押えが本執行に移行した場合には、仮差押えの効力が将来に向かって失効するのはもとより、既往において生じた仮差押えの効力が本執行に包摂されて独自の存在を失うものと解すべきであり、仮差押えが本執行に移行している限り、債権者は本執行に包摂されて独自の存在を失っている仮差押命令の申立てを取り下げることはできず、このような場合にされた仮差押命令の申立ての取下げは無効であると解する裁判例(福岡高裁昭和57年6月9日判決・判例タイムズ477号112頁等)がある。

しかしながら、例えば、不動産に対する仮差押登記後、差押登記前に所有権の移転があった場合に、新所有者は、本執行への移行後であっても、被保全債権を弁済して仮差押えの効力を排除し、第三者異議の訴えにおいて自己の所有権を主張することが認められるし(最高裁昭和40年2月4日第一小法廷判決・民集19巻1号23頁参照)、移行前に抵当権の設定を受けた者も、被保全債権を弁済し、仮差押債権者の優越的地位を排除し得てよいはずであるから、本執行への移行により、仮差押えの効力がその目的を達して消滅するとか、仮差押えの効力が本執行に包摂されて独自の存在を失うなどと解するのは妥当でない。さらに、仮差押債権者が自ら仮差押えの申立てを取り下げ、その手続上の優越的地位を放棄することを禁ずる合理性も認め難い。

また、本執行に移行した後における仮差押命令の申立ての取下げは、訴訟法上有効であるが、実体的な弁済禁止効はなお存続すると解する考え方もある(このような見解に立つ裁判例として、福島地裁昭和35年8月30日判決・下民集11巻8号1828頁)が、取下げの訴訟法上の効力を認めながら、仮差押えの実体的な効力のみが存続すると解すべき法的根拠は見出し難い(なお、仮差押命令に係る請求債権と同一の請求債権をもって差押えがされた場合には、差押債権目録において、当該差押えが特定の仮差押えの本執行移行である旨の記載がされることが通例であり、本件差押命令の差押債権目録にも、「なお、本申立ては、札幌地方裁判所平成9年(ヨ)第238号債権仮差押事件のうち金300万4172円に対しての本執行である。」旨の記載がある(甲3の1)が、同記載は、仮差押えの本執行移行である場合に、民事執行法156条2項の供託義務を発生させる執行の競合として扱わないことを示すこと等の技術的理由によるものであり、仮差押えの効力が本執行に係る差押命令に化体することを示すものではなく、右記載をもって、「後に仮差押えが取り下げられた場合であってもその効力が存続する」などと解すべきことにはならない。)。

したがって、本執行に移行した後に仮差押命令の申立ての全部が取り下げられた場合には、仮差押えに基づいて発生した訴訟上及び実体上の効果はすべて消滅すると解するほかはなく、債権者である原告が右の結果を認識することなくその取下げをしたとしても、その法的効果に消長を来たすものではない。

(三)  そうすると、本件仮差押命令に基づく訴訟上及び実体上の効果は、その申立ての取下げによってすべて消滅したと解すべきであるから、原告は、本件差押命令が被告に送達された平成11年6月29日の時点において存在した別紙四記載の請負代金債権についてのみ取立権を有することとなる。

2  抗弁1(二)(差押え前の弁済)について

(一)  抗弁1(二)(1)(ジオに対する合計1250万3042円の弁済)について

<証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、抗弁1(二)(1)の事実がいずれも認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(二)  抗弁1(二)(2)(ジオの代理受領権者に対する合計1690万円の弁済)について

(1) <証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、抗弁1(二)(2)アの事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(2) <証拠略>によれば、抗弁1(二)(2)イの事実が認められる。

これに対し、原告は、被告が野村建築事務所に対して住宅金融公庫の融資によることなく本件請負契約の代金額2515万円を超える合計2940万3042円を支払っていることや、被告が裁判所に提出した平成9年6月5日付け陳述書の記載と被告の主張との相違を指摘する。

しかしながら、<証拠略>及び弁論の全趣旨によれば、<1>野村建築事務所が被告宅の工事を引き継ぐことになった時点において、従前行われたトップライトとバルコニーの工事に不具合があったことが分かり、その改修費として約170万円が必要となったこと、<2>被告が、右時点において、設計と異なる工事を希望し、セントラルヒーティングを床暖房に、和室を洋室に変更することになったため、その費用として約100万円が必要となったこと、<3>平成9年3月末ころ、従前被告宅工事のために組まれていた足場が原告によって取り外されたことから、再び足場を組み直す必要が生じ、そのための費用が必要となったこと、<4>以上の結果、野村建築事務所、ジオ及び被告との間で、平成9年4月9日、最終的に代金額を1690万円に増額する旨の合意がされたことが認められるから、結果的に当初の請負代金額を超える支払がされたからといって、これら支払が本件請負代金に係るものであることに疑いを差し挟むべき事情には当たらない。

また、被告が裁判所に提出した平成9年6月5日付け陳述書(甲2の2)には、被告が「野村捷征のジオに対する債権を仮払した」旨の記載があるが、その趣旨は本件仮差押命令の効力が優先することを慮ってのものと解されるから、右記載をもって、直ちに、被告がジオの代理受領権者である野村建築事務所に対して弁済したとの被告の主張と矛盾すると解すべきものではない。

3  以上によれば、被告は、本件差押命令が被告に送達された平成11年6月29日より前である平成9年7月1日までの間に、本件請負代金を全額弁済したと認められるから、抗弁1には理由がある。

三  よって、原告の本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。

(別紙一)請求債権目録<略>

(別紙二)仮差押債権目録<略>

(別紙三)請求債権目録<略>

(別紙四)差押債権目録<略>

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