札幌地方裁判所 平成11年(行ウ)19号 判決 2008年9月22日
主文
1 原告Aの訴えのうち,被告厚生労働大臣が,同原告に対し,平成9年4月8日付け及び平成14年3月1日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく各原爆症認定申請却下処分の取消しを求める訴えをいずれも却下する。
2 原告Bの訴えのうち,被告厚生労働大臣が,同原告に対し,平成13年9月18日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく原爆症認定申請却下処分の取消しを求める訴えを却下する。
3 被告厚生労働大臣が,原告Cに対し,平成15年2月21日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく原爆症認定申請却下処分を取り消す。
4 原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は,これを2分し,その1を被告らの負担とし,その余を原告らの負担とする。
事実及び理由
(目次)
第1 当事者の求めた裁判
第2 事案の概要等
1 事案の概要
2 被爆者援護法
3 原爆症認定の手続
4 放射線量の単位
5 前提となる事実
6 争点
第3 争点に対する当事者の主張
1 本案前の争点(訴えの利益)について
2 本案の争点①(放射線起因性及び要医療性)について
(原告らの主張)
(被告らの主張)
3 本案の争点②(国家賠償法の賠償責任)について
(原告らの主張)
(被告らの主張)
4 本案の争点③(損害)について
第4 本案前の争点(訴えの利益)についての判断
第5 本案の争点①(放射線起因性及び要医療性)についての判断
1 証拠及び弁論の全趣旨によって認められる事実
2 放射線起因性に関する判断(一般論)
3 原告Cの申請に係る疾患の放射線起因性及び要医療性
第6 本案の争点②(国家賠償法の賠償責任)についての判断
1 審査の方針を原告らに当てはめて,原告らの原爆症認定申請を却下したことについて
2 行政手続法5条1項の「審査基準」について
3 審査の遅れについて
4 処分理由の不明示について
5 結論
第7 結論
第1当事者の求めた裁判
1 原告A
(1) 請求の趣旨
ア 被告厚生労働大臣が,原告Aに対し,平成9年4月8日付けでした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)11条1項に基づく原爆症認定申請(以下,単に「原爆症認定申請」という。)却下処分を取り消す。
イ 被告厚生労働大臣が,原告Aに対し,平成14年3月1日付けでした原爆症認定申請却下処分を取り消す。
ウ 被告国は,原告Aに対し,300万円及びこれに対する平成15年6月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
エ 訴訟費用は,被告らの負担とする。
オ 前記ウについて仮執行宣言
(2) 被告らの答弁
ア 本案前の答弁
本件訴えのうち,被告厚生労働大臣が,原告Aに対し,平成9年4月8日付け及び平成14年3月1日付けでした各原爆症認定申請却下処分の取消しを求める訴えをいずれも却下する。
イ 請求の趣旨に対する答弁
(ア) 原告Aの請求をいずれも棄却する。
(イ) 訴訟費用は,原告Aの負担とする。
(ウ) 仮執行免脱宣言
2 原告B
(1) 請求の趣旨
ア 被告厚生労働大臣が,原告Bに対し,平成13年9月18日付けでした原爆症認定申請却下処分を取り消す。
イ 被告国は,原告Bに対し,300万円及びこれに対する平成15年6月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
ウ 訴訟費用は,被告らの負担とする。
エ 前記イについて仮執行宣言
(2) 被告らの答弁
ア 本案前の答弁
本件訴えのうち,被告厚生労働大臣が,原告Bに対し,平成13年9月18日付けでした原爆症認定申請却下処分の取消しを求める訴えを却下する。
イ 請求の趣旨に対する答弁
(ア) 原告Bの請求をいずれも棄却する。
(イ) 訴訟費用は,原告Bの負担とする。
(ウ) 仮執行免脱宣言
3 原告C
(1) 請求の趣旨
ア 被告厚生労働大臣が,原告Cに対し,平成15年2月21日付けでした原爆症認定申請却下処分を取り消す。
イ 被告国は,原告Cに対し,300万円及びこれに対する平成15年6月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
ウ 訴訟費用は,被告らの負担とする。
エ 前記イについて仮執行宣言
(2) 請求の趣旨に対する答弁
ア 原告Cの請求をいずれも棄却する。
イ 訴訟費用は,原告Cの負担とする。
ウ 仮執行免脱宣言
第2事案の概要等
1 事案の概要
本件は,原子爆弾(以下「原爆」ということがある。)に被爆した原告らが,後記(1)ないし(3)の各疾病に罹患したため,被爆者援護法11条1項(第1事件の原告Aについては平成11年法律第160号による改正前のもの)に基づき原爆症認定申請をしたところ,被告厚生労働大臣(平成11年12月法律第160号による改正前は,厚生大臣。以下同様。)は,同疾病の原爆による起因性及び原爆の治癒能力への影響を否定し,いずれの申請も却下する処分(以下「本件各却下処分」という。)をしたため,原告らが,同各処分には事実誤認・法令適用の誤りがあり違法であるとして,同各処分の取消しを求めるとともに,被告厚生労働大臣には,同各処分に当たって故意又は重過失があり,原告らは精神的苦痛を被ったとして,被告国に対して,国家賠償法1条1項に基づき各損害の賠償及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年6月24日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
(1) 原告A(以下「原告A」という。)の疾患
前立腺がん及び日光角化症(上皮内がん)
(2) 原告B(以下「原告B」という。)の疾患
右腎臓がん,転移性肺腫瘍及び転移性膵臓がん
(3) 原告C(以下「原告C」という。)の疾患
肝硬変
2 被爆者援護法
被爆者援護法(平成6年法律第117号)は,原爆の投下の結果生じた放射線に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記することを目的として制定された(前文参照)。同法の施行(平成7年7月1日)にともない,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「被爆者特措法」という。)が廃止された(被爆者援護法附則1条,同3条)。
(1) 被爆者援護法1条(被爆者)
被爆者援護法における「被爆者」とは,①原子爆弾が投下された際,当時の広島市若しくは長崎市の区域内又はこれら両市に原爆が投下された当時の広島県安佐郡祇園町や長崎県西彼杵郡福田村の一部など,両市に隣接する区域内に在った者(以下「直接被爆者」という。同法1条1号,同法施行令1条1項),②原子爆弾が投下された時から起算して,広島市に投下された原爆については昭和20年8月20日まで,長崎市に投下された原爆については同月23日までの各期間内に上記①で規定する区域のうち,広島市における十日市町や紙屋町等,長崎市における浦上町等,政令で定める区域内に在った者(以下「入市被爆者」という。同法1条2号,同法施行令1条2項,3項),③上記①,②に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(以下「救護被爆者」という。同法1条3号)及び④上記①ないし③に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者(以下「胎児被爆者」という。同法1条4号)のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けた者をいう。
(2) 被爆者援護法2条(被爆者健康手帳)
被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有しないときは,その現在地)の都道府県知事に申請しなければならない。都道府県知事は,その申請に基づいて審査し,上記(1)の①ないし④のいずれかに該当すると認めるときは,被爆者健康手帳を交付する。
(3) 被爆者援護法6条ないし39条(援護)
被爆者援護法における被爆者は,健康診断及びそれに基づく指導(同法7条,9条,同法施行規則9条),一般疾病医療費の支給(同法18条),原子爆弾小頭症手当の支給(同法26条),健康管理手当の支給(同法27条,同施行規則51条),保健手当の支給(同法28条),介護手当の支給(同法31条)等の援護を受けることができるほか,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因し,医療を要する旨の厚生労働大臣の認定(以下「原爆症認定」という。)を受けた場合,医療の給付(法10条)を受けることができる。
(4) 被爆者援護法10条1項(医療の給付)
厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者,及び当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでない場合であっても,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う。
(5) 被爆者援護法11条(原爆症認定)
被爆者援護法10条1項の医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定を受けなければならない。
厚生労働大臣は,当該認定を行うに当たっては,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,審議会等の意見を聴かなければならない。
3 原爆症認定の手続
(1) 原爆症認定の要件
被爆者援護法10条1項の医療の給付を受ける要件は,①当該疾患が原子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものであること,又は当該疾患が原子爆弾の放射線の傷害作用に起因するものでない場合であっても,申請者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていること(以下「放射線起因性」という。),②申請疾患が現に医療を要する状態にあること(以下「要医療性」という。)である。
(2) 原爆症認定の手続
被爆者援護法11条1項の原爆症認定を受けようとする者から申請を受けた厚生労働大臣は,申請疾患が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,疾病・障害認定審査会(以下「審査会」という。同法施行令9条。)の原子爆弾被爆者医療分科会(以下「医療分科会」という。)の意見を聴いた上で(平成11年法律第102号による改正前は,厚生省に置かれた原子爆弾被爆者医療審議会。),原爆症認定を行う。
(3) 審査会における審査基準
医療分科会は,平成13年5月25日に策定された別紙2の「原爆症認定に関する審査の方針」(以下「審査の方針」という。)に基づき,申請疾患の放射線起因性を判断していた。
4 放射線量の単位
(1) 放射線量の単位は,平成元年にそれまで用いられていた単位系から国際単位系(SI単位系)に切り替えられ,従来のキュリー(Ci),ラド(rad),レム(rem)に代わってベクレル(Bq),グレイ(Gy),シーベルト(Sv)が使われるようになった。
なお,レントゲン(R)は,照射線量の単位であり,1Rは,おおよそ8.77mGyである。
(2) 放射線の評価単位には,①吸収線量(放射線が物質又は生体に作用したとき単位物質(組織)1kg当たりに吸収されたエネルギー量。単位はGy(1Gy=100rad)),②等価線量(ガンマ線,中性子線などの放射線の種類によって異なる放射線被曝による生体組織への影響を考慮した評価単位であり,生体に作用した吸収線量に,生物学的効果比(RBE)を考慮した放射線荷重係数を乗ずることによって得られるもので,単位物質(組織)1kg当たりに吸収されたエネルギー量。単位はSv。吸収線量との関係は「Sv=Gy×線質係数」によって表される。)及び③放射能の量の単位としてベクレル(Bq)が用いられている(1Bqは1秒間に1個の原子が放射性崩壊することを意味している。)。
5 前提となる事実
(1) 原告Aについて
ア 被爆者健康手帳の交付等
原告Aは,昭和59年1月5日,被爆者健康手帳の交付を受けた。
同手帳には,当初,爆心地からの距離「2.0km」と記載されていたが,平成11年7月7日付で原告Aが被爆距離訂正の申請を行ったところ,同年7月31日の被爆者健康手帳の更新に当たり,「1.87km」と訂正された。
イ 原爆症認定申請及び却下処分の経緯等
(ア) 原告Aは,被告厚生大臣(当時)に対し,平成8年11月18日,前立腺がんについて原爆症認定の申請を行ったが,平成9年4月8日,厚生大臣は,同申請を却下した。
原告Aは,厚生大臣に対し,同年6月23日,上記却下処分について行政不服審査法に基づき異議申立てを行ったが,平成11年6月15日,厚生大臣は,同異議申立てを棄却する決定をした。
原告Aは,同年10月1日,本件第1事件を提起した。
(イ) 原告Aは,厚生大臣(当時)に対し,平成12年3月10日,日光角化症(上皮内がん)について原爆症認定の申請を行ったが,平成14年3月1日,被告厚生労働大臣は,同申請を却下した。
原告Aは,被告厚生労働大臣に対し,同年4月30日,上記却下処分について行政不服審査法に基づき異議申立てを行った。
原告Aは,平成15年4月17日,本件第2事件を提起した。
平成16年1月13日,被告厚生労働大臣は,上記異議申立てを棄却する決定をした。
(ウ) 被告厚生労働大臣は,原告Aに対し,平成20年4月8日,日光角化症(上皮内がん)について,同月22日,前立腺がんについて,それぞれ上記各却下処分を取り消し,原爆症認定をした。
(2) 原告Bについて
ア 被爆者健康手帳の交付等
原告Bは,昭和35年8月1日,被爆者健康手帳の交付を受けた。
同手帳には,当初,被爆の場所「広島市皆実町」,爆心地からの距離「2.0km」との記載がされていたが,原告Bが距離訂正の申請を行ったところ,平成13年2月8日,爆心地からの距離「1.8km」と訂正された。
イ 原爆症認定申請及び却下処分の経緯等
(ア) 原告Bは,被告厚生労働大臣に対し,平成13年2月23日,右腎臓がん,転移性肺腫瘍及び転移性膵臓がんについて原爆症認定の申請を行ったが,同年9月18日,被告厚生労働大臣は,同申請を却下した。
原告Bは,被告厚生労働大臣に対し,同年11月20日,上記却下処分について行政不服審査法に基づき異議申立てを行った。
被告厚生労働大臣は,平成15年3月3日,同異議申立てを棄却する決定をした。
原告Bは,平成15年4月17日,本件第2事件を提起した。
(イ) 被告厚生労働大臣は,原告Bに対し,平成20年4月8日,右腎臓がんについて,上記却下処分を取り消し,原爆症認定をした。
(3) 原告Cについて
ア 被爆者健康手帳の交付等
原告Cは,平成7年10月12日,被爆者健康手帳の交付を受けた。
同手帳には,被爆の場所「広島市皆実町1丁目」,爆心地からの距離「2.0km」との記載がされている。
イ 原爆症認定申請及び却下処分の経緯等
原告Cは,被告厚生労働大臣に対し,平成14年9月6日,肝硬変について原爆症認定の申請を行ったが,平成15年2月21日,被告厚生労働大臣は,同申請を却下した。
原告Cは,平成15年4月17日,本件第2事件を提起した。
6 争点
(1) 本案前の争点
原告A及び同Bの原爆症認定申請を却下した各処分の取消しを求める訴えについて,訴えの利益があるか。
(2) 本案の争点
① 原告らの申請疾病の放射線起因性及び要医療性の有無
② 原告らの原爆症認定申請を却下した各処分について,被告国は,国家賠償法1条1項の賠償責任を負うか。
③ 原告らの損害
第3争点に対する当事者の主張
1 本案前の争点(訴えの利益)について
(被告らの主張)
被告厚生労働大臣は,平成20年4月8日,原告Aに対して平成14年3月1日付けでした原爆症認定申請に対する却下処分及び原告Bに対して平成13年9月18日付けでした原爆症認定申請に対する却下処分を,平成20年4月22日,原告Aに対して平成9年4月8日付けでした原爆症認定申請に対する却下処分を,それぞれ取り消し,平成20年4月8日,原告Aの日光角化症(上皮内がん)及び原告Bの腎がんについて,同月22日,原告Aの前立腺がんについて,それぞれ原爆症認定をする処分をした。その結果,原告A及び同Bに対しては,被爆者援護法24条4項の規定に基づき,各認定の申請をした日の属する月の翌月から,医療特別手当が支給されることとなった。
以上により,上記各却下処分の取消しを求める訴えの利益は消滅したから,原告A及び同Bの上記各却下処分の取消しを求める訴えはいずれも訴訟要件を欠いた不適法な訴えである。
(原告らの主張)
(1) 原告Bの申請疾病は,右腎がん,転移性肺腫瘍及び腎がん膵移転であるところ,被告厚生労働大臣が原爆症認定した疾病は,右腎がんのみである。
被告らは,上記認定について,原告Bの申請を合理的に解釈し,転移性肺腫瘍及び腎がん膵転移まで含めた腎がんという1つの申請疾病に対し原爆症認定をしたと主張するが,原告Bが,右腎がん,転移性肺腫瘍及び腎がん膵移転を申請疾病とし,疾病ごとに医療費が国庫から支払われる以上,すべての疾病について認定されたことが明らかにされなければならない。
また,認定疾病は,要医療性が認められることが前提となっているため,原告Bについて,右腎がんが治癒され,要医療性が失われた場合,認定されたか否かが明確にされていない転移性肺腫瘍及び腎がん膵移転について,再度申請しなければ医療特別手当が支給されないことになり,かつ,医療費が国庫負担とならないこととなる。
したがって,原告Bは,右腎がんで原爆症の認定を受けても,なお認定が明らかでない転移性肺腫瘍及び腎がん膵移転について,医療特別手当が支給されるか否か,医療費の国庫負担がなされるか否かを明確にしなければならず,被告らが主張するような合理的解釈だけでは,上記のような問題点は解決されない。よって,原告Bには,依然として訴えの利益がある。
(2) 被告らは,原告A及び同Bに対する原爆症認定申請却下処分を職権で取り消したと主張するが,その効果として遡及効が生じるか明らかでない。そして,行政行為の職権取消しとは,違法又は不当な行政行為について,行政庁が職権により効力を失わせることをいうところ,被告らの「被爆者援護法11条1項の解釈を変更するものではなく,また,科学的知見の誤りを認めるものではない。」という主張からすると,原爆症認定申請却下処分の瑕疵を認める「取消し」とは相反しており,その実質は撤回と再認定と解する余地を残している。
今回の認定に遡及効が生じるか否かが明らかでなく,将来,被告らが,原告A及び同Bに対する却下処分の取消しを,その実質は撤回であるとして,原爆症認定の遡及効を否定する可能性が残されており,いったん申請日の属する月の翌月の分から医療特別手当が支給されても,後に不当利得であるとして返還を求められるおそれもあることからすると,遡及効を有する取消処分であることを確認する利益が原告A及び同Bには残されている。
よって,原告A及び同Bについて,いずれも訴えの利益は失われていない。
2 本案の争点①(放射線起因性及び要医療性)について
(原告らの主張)
(1) 原子爆弾の概要
昭和20年8月6日広島,同月9日長崎に投下された原子爆弾は,人類が初めて経験する核兵器による攻撃であり,その後,核実験による周辺住民等への被害やイラク戦争等で使用された劣化ウラン弾による被害が新たに生じてはいるものの,兵器として原子爆弾が使用された例は,その後現在に至るまで世界中のどこにもない。
ア 原子爆弾の威力
広島に投下された原子爆弾はウラン235,長崎に投下された原爆はプルトニウム239が核分裂性物質(核爆薬)として使用されている。砲身式(ガンタイプ)の広島型原爆の場合は,2つの臨界未満の濃縮ウラン片を火薬の爆発による推進力で急速に合体させ,また,爆縮式(インプロージョン型)の長崎型原爆の場合は,臨界未満のプルトニウム塊を爆縮レンズと呼ばれる周囲に配置した高性能爆薬による収れん的な衝撃波によって圧縮して臨界量を超えさせると同時に,引き金の中性子を打ち込むことにより核分裂連鎖反応を開始させ,100万分の1秒という瞬間に,広島型原爆では約700g,長崎型原爆では約1kgの核爆薬が核分裂して核爆発が引き起こされた。
原爆の出力は,TNT(トリニトロトルエン)火薬に換算して,広島型原爆で約15ktないし16ktであり,長崎型原爆では約21ktと推定され,核爆発により瞬間的に爆弾内に生じた高いエネルギー密度によって,核爆薬,核分裂生成物や爆弾容器は,数百万度の超高温,数十万気圧という超高圧のプラズマ状態の「火の玉」を作り,著しく高温の熱線やガンマ線を放出するとともに,その急激な膨張により爆発点付近で秒速2万m以上という衝撃波が形成された。原爆によって発生したエネルギーのうち,約50%が爆風,約35%が熱線,約15%が放射線のエネルギーになったとされている。
(ア) 熱線
原爆の爆発と同時に空中に発生した火球は,爆発の瞬間に最高数百万度に達し,0.3秒後に火球の表面温度は約7000度に達した(ちなみに,太陽の表面温度は約6000度である。)。爆心地付近の温度は,約3000度から4000度に達したものと推定されている(ちなみに,鉄が溶ける温度は1500度である。)。原爆による熱線は,爆発後約3秒以内に99%が地上に影響を与えた。
(イ) 衝撃波と爆風
原爆の爆発とともに爆発点に数十万気圧という超高圧が作られ,周りの空気が膨張して爆風となった。爆心地辺りでの風速は毎秒280m,爆心地から3.2km地点でも毎秒28mであったとされている。爆風の先端は音速を超える衝撃波(高圧な空気の壁)として進行し,その後部から音速以下の空気の流れが追いかけて移動した。
(ウ) 放射線
空中爆発による原爆の放射線は,爆発後1分以内に空中から放射される初期放射線(全エネルギーの約5%)と,それ以後の長時間にわたって放射される残留放射線(全エネルギーの約10%)の2種類に分類される。また,初期放射線は,原爆炸裂時の核分裂反応の際に放出される即発放射線と,上昇する火球の中の核分裂生成物から放出される遅発放射線に分けられる。
初期放射線の主要成分はガンマ線と中性子線である。ガンマ線は,ソースタームから直接放出される1次ガンマ線と,中性子の被弾性錯乱や吸収に伴う2次ガンマ線とに分かれる。
残留放射線は,核分裂生成物や分裂しなかったウラン235(広島型原爆の場合)ないしプルトニウム239(長崎型原爆の場合)が空中に飛散し,地上に降り注いだ放射性降下物によるものと,地上に降り注いだ初期放射線(中性子線)が地表や建築物資材の原子核に衝突して原子核反応を起こし,それによって放射能を誘導する誘導放射能によるものに分けられる。
イ 都市と人間の崩壊
(ア) 都市の消失
原爆投下により生じた衝撃波と爆風により,約10秒で街の大半は破壊され,熱線によって起こった火災により灰じんに帰した総面積は,広島で約13km2,長崎で約6.7km2であった。建物の被害状況は,広島(被爆前の建物数約7万6000戸)では全壊全焼が62.9%,全壊が5.0%,半壊・半焼・大破が24.0%(合計91.9%)であり,長崎(被爆前の建物数約5万1000戸)では全壊全焼が22.7%,全壊が2.6%,半壊・全焼・大破が10.8%(合計36.1%)であった。
(イ) 人間の消失
都市の消失とともに大量の生命が一瞬にして奪われた。その詳細は今日に至っても正確に把握されていないが,昭和25年末までの死亡者については,広島で20万人(被爆時の所在人口約35万人),長崎で10万人(被爆時の所在人口約27万人)を超えると推定されている。
a 熱線による死亡
原爆による熱線は,爆心地付近では瓦や岩石の表面を溶融させるほどの熱作用をもたらした。人間を一瞬にして炭化させ,あるいは,表皮を肉体から剥離させ,重度の火傷を負わせた。その傷害の程度は,およそ人間が人間としての外見上の体裁を保てないほど重篤なものであり,このような重度の傷害を負った者も,やがて息絶えていった。
衣服をまとわぬ人体皮膚の熱線火傷(1cm2あたり2cal以上の熱量で起こる。)は,爆心地から広島では約3.5kmまで,長崎では約4kmまで及んだ。そして,爆心地から約1.2km以内で遮蔽物のなかった人が致命的な熱線火傷を受け,死亡者の20%ないし30%がこの火傷によるものと推定されている。
b 衝撃波と爆風による死亡
原爆の爆風による人間の死亡は,主として建築物の崩壊や飛び散る破片によるものであった。爆心地から約1.3km以内においては,爆風による死傷が特に深刻で,死亡者の約20%はこれによるものであった。
c 火災による死亡
熱線による建築物等への全面的な着火は大規模な火災を引き起こし,巨大な火事嵐となって大災害につながった。熱線によって着火した建築物等は,続いてやってくる衝撃波と爆風によって着火したまま崩壊し,屋内にいた人間をその下敷きにした。爆風によって一時的に炎が吹き飛ばされることがあっても,しばらくくすぶり続け,衝撃波,爆風の通過後,倒壊した建築物等から一斉に発火し,下敷きになった人間は焼死した。熱線と火事による人体火傷が死亡者の約60%に対する原因であったと考えられている。
d 放射線による死亡
人間は初期放射線や放射性降下物,誘導放射能により被曝し,重度の急性障害を発症して死亡した。
さらに,誘導放射能や放射性降下物などの残留放射線は,人体外部より被曝するだけでなく,放射性物質を呼吸や飲食等により体内に摂取する形での内部被曝も起こした。そのため,初期放射線のほとんど到達しなかった遠距離被爆者や,救助活動や捜索のために広島・長崎市内に入ってきた者の中にも,放射線に被曝し死亡した者も多い。
(2) 原爆による被害
ア 身体被害
(ア) 死亡
原爆による死亡原因は,爆心地からの距離や遮蔽物の有無などの諸条件に応じ,前述のような熱線によるもの,衝撃波や爆風によるもの,火災によるもの,放射線によるものなど様々な要因のいずれか又は複数が複合して生じている。死亡は身体被害の最たるものである。
なお,被爆者の死亡の傾向については,被爆当日に死亡した者の半数は圧焼死,約34%は戸外で爆死している。それに対し,翌日以降1週間以内の死亡者の3分の2は大やけどが原因であり,それ以降の時期になると次第に原爆症で死亡した者の割合が増え60%を超える状態で年末まで続いていることが分かる。また,年内死亡者については爆心地から日を追う毎に同心円上に外に広がっている。さらに,昭和21年以降も被爆による死亡は続いており,特に,がんによる死亡者は昭和20年代は14%であったのが,昭和30年代は26.8%,その後は3割近くに上っている。
(イ) 熱線,爆風などによる傷害及び後遺障害
熱線を受けながらも辛うじて生き残った者であっても,熱傷が全身の各臓器に障害を招いたり,熱傷が皮膚のある深さ(真皮乳頭層)をこえると,後障害として瘢痕やケロイドが生じるに至った。
また,爆風の直撃により身体が障害物に叩きつけられたり,爆風で吹き飛ばされた物体の直撃を受けたりした際の打撲,骨折,創傷が身体障害の後遺として残った。
(ウ) 放射線による傷害及び後遺障害
放射線により被爆直後から様々な急性症状が現れ,また2週間後くらいからは亜急性症状が現れた。さらに慢性的な長期にわたる後障害が現れ,特に原因不明の全身性疲労,体調不良状態,労働持続困難などのいわゆる「原爆ぶらぶら病」(慢性原子爆弾症)に悩まされた。そして,本件訴訟において原告らが訴えているように,現在になって様々な晩発性障害を生じている。
(エ) 身体被害の複合性
上記に述べた熱線,爆風,放射線による身体被害は択一的なものではなく,個々の人間に複合的に生じており,放射線による骨髄,リンパ節,脾臓などの組織の破壊が血球,特に顆粒球及び血小板の減少という急性症状を生じ,外傷の治癒を阻害する要因となるなどしている場合もある。
イ 精神的な被害
(ア) 健康に対する不安
被爆者の多くは,被爆者であることを理由として不安を抱いており,全体の4分の3以上の者がかかる不安の存在を認めている。また,その不安の内容として「いつ発病するか分からないので不安だ」という者が約55%,「具合が悪くなると被爆のせいではと気になる」という者が約65%に上り,不安の内容は健康に関するものが主である。さらに,急性症状があった者の方がなかった者よりも不安を感じており,またその後頻繁に入通院をしたり,ぶらぶら病を発症したり,健康状態の変化を感じたりした者の方がなかった者よりも不安を感じており,不安の有無や程度は被爆後の健康状態と密接に関連していることが分かる。
原告らが,原爆症認定を求める各疾病も,今になって突然生じたものではなく,被爆後現在に至るまで続くかかる不安の延長上に発症したものである。
(イ) 心の傷(PTSD)
被爆者は様々な心の傷を負っている。被爆直後における人々の地獄の苦しみや,その死に様を目撃した人は,その恐怖を一生忘れることができない。いくら語ろうとしてもその無惨さは語りつくせるものではなく,語ったからといって完全に癒されるものではない。逆に思い出したくない,語りたくないという者もいる。
また,多くの被爆者は,自分自身も傷つき,あらゆる物が破壊され,あるいは身近に火が迫り,とても他人を助けられる状況ではなかったにもかかわらず,人を助けられなかった自分を今でも悔やんでいる。
このような被爆者の心に残る後悔や自責の念は,非人間的環境の中で自分が生きていたことに対する違和感からくるものでもあると考えられる。
(ウ) 生きる意欲の喪失
このような健康に対する不安や心の傷は,多くの被爆者から,生きる意欲を奪っており,生きる意欲の喪失経験を持つ者が27.4%に上り,その事由として多いのは「毎日がずっと病気との闘いであったから」など体の傷(その後の健康状態の悪化)を原因とするものが多い。
また,急性症状があった者やその症状数が多かった者の方が,なかった者やその症状数が少なかった者よりも生きる意欲の喪失経験の割合が高く,その後の健康状態が悪かった者ほど生きる意欲の喪失経験の割合が高い。さらに,体の傷や健康に対する不安や心の傷を負っている者ほど,生きる意欲の喪失経験の割合が高い。
ウ 社会的被害
(ア) 生活基盤の破壊
原爆は一瞬にして都市と人間を消失させてしまう程の威力を持っていたため,生き残った者もそれまでの生活基盤を破壊されてしまった。親兄弟などの家族,近隣や知人などの交友,家や家財道具などの財産,稼働や学業など,人間が人間らしい生活を送るための前提となる身近な生活環境が全て失われた。
(イ) 差別
生き残った被爆者は,戦後の社会生活を生きていく中で,身体の後障害や体調不良ゆえに社会生活上の差別を受けた。当初より伝染病扱いで周囲から忌み嫌われることもあり,特に結婚や就職における差別は深刻であった。女性,男性を問わず,ケロイドや瘢痕,子孫への遺伝的影響という風説,病弱等が結婚の障害となった。また,被爆者の身体の後障害が労働能力の低下をもたらし,これを理由に就職に際して採用拒否された例は多い。
そのため,多くの被爆者は結婚や就職に際して被爆者であることを隠していた。しかし,結婚後あるいは就職後に被爆者であることが発覚し,離婚や解雇となる場合も少なくはない。例えば,ひどい倦怠感(ぶらぶら病)は被爆者の多くにみられる症状であるが,他人からはそれが原爆症との理解を得られないため,怠惰であると思われて離婚や解雇に至る場合もある。逆に,このような社会的差別を恐れるが故に,体調不良にもかかわらず健康人と同様の労働を行おうとする結果,健康を害することにもなった。
(ウ) 生活の困窮
差別のために就職自体が困難であるばかりか,就職しても身体の後遺障害や体調不良ゆえに通常人と同様の労働ができず,低廉な給料しか得られない。その一方で複数の疾病を発症するため医療費がかさみ,生活水準はますます落ち込み,経済的に厳しい生活を送っている被爆者も多い。
さらに,差別を受けたり受けることを恐れたりして結婚や出産を諦めた結果,高齢となった現在になって,扶養してくれる子や孫がおらずに困っている者もいる。
(エ) 社会的被害の複合性
身体被害と同様,社会的被害についても個々の人間に複合的に生じている。すなわち,生活基盤の破壊が戦後の復興の大きな阻害要因となり,生活の困窮や差別を招いたと考えられる。
さらに,身体被害と社会的被害は多重的に生じており,急性症状があった者の方がなかった者よりも生活や進学,仕事,結婚等で悩みを抱き,また,その後の健康状態が悪かった者ほどそのような悩みを抱いた者の割合が高く,社会的被害と身体被害は密接に関連している。
(3) 原爆放射線被曝
ア 外部被曝
(ア) 初期放射線
原爆が炸裂し,100万分の1秒以内に核分裂が繰り返され,ガンマ線や中性子線が放出された(初期放射線)。これらの放射線は,瞬時に地表に到達し,そこにいた人々の体を貫き,細胞組織や遺伝子を破壊した。人々が最初の閃光を見た時には,この中性子線とガンマ線が既に人々の体を貫いていたのである。これが初期放射線による「外部被曝」である。そして,核分裂によって発生した中性子線やガンマ線は,様々な物質を通り抜けることから,建物の中にいてもこれらを避けることはできなかった。
また,中性子が,空気,水,土,建造物など,あらゆる物質の原子核に吸収され,正常な原子核を放射性原子核へと変え,新たな放射線を生み出した。建物の壁や屋根,地面などに中性子線が当たると,それらを構成する原子自体からガンマ線が発生した。
(イ) 放射性降下物
核分裂の連鎖反応と同時に,大量の放射性核分裂生成物が生成された。この放射性核分裂生成物は,主にベータ線やガンマ線を放出する。また,広島型原爆のウラン235及び長崎型原爆のプルトニウム239のうち実際に核分裂を起こしたのは一部であり,残った未分裂の核分裂物質も,自らアルファ線を放出し,次々と種類の違う放射性原子に姿を変えながら,ガンマ線やベータ線を放出する。さらに,原爆の装置と容器が核分裂で生成された中性子を吸収して誘導放射化され,これも放射線を放出する。これらが爆発直後の火球の中に含まれていた。
このとき,原爆から放出された衝撃波によって地上の木造家屋は粉々に破壊され,粉塵となって舞い上がった。この粉塵は誘導放射化されているので,地上は細かな放射性物質が立ちこめた状態になっていたのである。
そして,火球が膨張し,上昇して温度が下がると,火球に含まれていた様々な放射性物質は,「黒いすす」となる。このときには,火球は急速に上昇していき,火球の下の空気が少なくなるので,これを補填するために爆心地周辺から火球の下に流れ込むような気流ができる。火球の下に放射化された粉塵が吹き寄せられた。放射性物質や「黒いすす」が凝結核となって空気中の水蒸気を吸収して水滴となった。これらが上昇気流に乗って火球とともにきのこ雲を形成していった。
さらに,原爆の熱線によって発生した空前の大火災によって,巨大な火事嵐や竜巻が生じた。これによって誘導放射化された地上の土砂や物体が巻き上げられたのである。
きのこ雲の上層部を構成している火球は,圏界面を突き破って成層圏にまで上昇していった。「原爆放射線の人体影響1992」6頁には,爆発20ないし30分後に高度12,000mに達した積乱雲が描かれており,気象学者の増田善信博士は,米軍が撮影した写真から,きのこ雲の高さは14,000mと推定した。
形成されたきのこ雲は遂には崩れて広範囲に広がり,大きくなった水滴は放射能を帯びた「黒い雨」となって地上に降り注いだ。爆心付近では強い上昇気流が発生していた反面,その周囲では上昇気流を補填するために強烈な下降気流が形成される。その下降気流に乗って,きのこ雲の上層部の崩れた部分にあった放射性物質や「黒いすす」が爆心から離れた地域にも降ったのである。
このようにして放射性物質が「黒い雨」や「黒いすす」となって広く地上に降り注いだ。トタン板が爆心から10km近く離れた所まで飛ばされ,爆心から24kmも離れた加計町千本には,大きさが1m3,重さが約6kgのベニヤ板が降ったことが報告されている。
そして,「黒いすす」や「黒い雨」や降下してきた放射性微粒子などの放射性降下物は,初期放射線を浴びた直爆被爆者のみならず,原爆投下時には市内にいなかったが,救援や家族を探し求めるため市内に入った人々(入市被爆者)の皮膚や髪,衣服に付着し,あるいは大気中や地面から,アルファ線,ベータ線及びガンマ線を放出して身体の外から被曝させた(放射性降下物による外部被曝)。
この点,被告らは,放射性降下物が特にみられた地域は,広島においては己斐・高須地区,長崎においては西山地区という限定された地域であると主張する。
しかし,気象学者の増田善信博士が示した「黒い雨」の雨域(以下「増田雨域」という。)は,広範な地域に「黒い雨」が降ったことを示している。長崎においても,長崎市による被爆未指定地域調査によって,西山地域だけでなくかなり広範な地域に「黒い雨」が降ったことが分かってきた。
そして,「黒い雨」の他に「黒いすす」や放射性微粒子の存在を併せ考えれば,放射性降下物の影響は,非常に広範な地域に広がったことは明らかである。
(ウ) 誘導放射能
また,地上及び地上付近の物質は,初期放射線の大量の中性子を吸収して,その原子核が放射性原子核となり(誘導放射化),それによって放射線を放出する(誘導放射能)。誘導放射能はガンマ線とベータ線を放出し続けて,直爆被爆者及び入市被爆者の体外から,継続的に放射能を浴びせ続けた(誘導放射能による外部被曝)。誘導放射能は中性子線量の多い爆心地に近いところほど強いことから,原爆投下直後に爆心地近く(とりわけ1km以内)に入市した被爆者や直接被曝した者もその地域に出入りしたり滞在したりした場合には,この誘導放射能の影響を強く受けた。
イ 内部被曝
(ア) 原爆による被曝には,放射性物質が人体の外部から来た放射線を浴びて被曝する「外部被曝」のほか,放射性物質を体内に取り込んで身体内部において継続的に被曝する「内部被曝」がある。
ところが,現行の原爆症認定基準においては,この内部被曝と外部被曝のうち,原爆爆発後1分以内に放出された,いわゆる初期放射線のみを考慮した基準となっており,残留放射線による内部被曝については殆ど考慮されていない。
このような認定基準の在り方は全く科学的ではなく,この基準に基づいた判断が誤りであることは明らかである。
(イ) 外部被曝とは,放射性物質が身体の外にあり身体の外部から身体に対し放射線を浴びせることをいう。放射性物質が体外にある場合には,透過力の小さいアルファ線やベータ線は,放射性物質が身体のすぐ近くにある場合を除いては,身体内部には届かない。これに対して,透過力の大きいガンマ線の場合は,それを発する放射性物質が遠くにあっても身体に届く。
これに対して,内部被曝とは,埃のように空気中に漂ったり,飲物や食物の中に入り込んだ放射性物質が,呼吸や飲食によって人の身体の中に侵入して体の内部で被曝することをいう。放射性物質が体内に入ると,肺や消化器官,その他の身体の組織の中で放射線が出される。飛程の短いアルファ線とベータ線は身体の中で止まってしまうので,放出された時に持っていたすべてのエネルギーが周囲の細胞組織を作っている原子の電離等に費やされる。
なお,体内から発せられたガンマ線は,飛程が長いことから身体を貫いて体外にまで出てしまう場合もある。このようなことから,身体の内部に入った放射性物質の量を調べるための装置としてホールボディカウンターで身体の外から身体内の被曝状況を測定しようとしても,アルファ線やベータ線は体外に出てこないため,ガンマ線だけしか測定できないということになる。
(ウ) そして,空気中や水の中や食べ物の中に存在する放射性物質が,呼吸や飲食の際に身体の中に入りこむ内部被曝では,外部被曝とは異なり,放射性物質の放射する放射線は身体の中から放出され続けるため,①放射性微粒子が極めて小さい場合,呼吸により当該放射性微粒子が気管支や肺に達し,あるいは飲食を通じて腸から吸収されたり血液やリンパ液に取り込まれて停留したり沈着し,②身体中のある場所に定在すると放射性微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる集中被曝の場所を作り,③放射性物質が体外に排泄されるまで身体内部において継続的に被曝を与え続けるといった特徴がある。
これらの特徴は,内部被曝を極めて危険なものとする原因である。
(エ) また,身体に入る放射性物質は,微粒子から,放射性原子や酸化物分子のようなものまで,様々な大きさのものが身体の中に入り込む可能性がある。
放射性物質が空気中に漂っている場合には,それが5ミクロン以下の微粒子であれば呼吸により肺の中の肺胞まで入り込む。さらに,それ以下の大きさの物質であれば,血液にまで取り込まれる場合もある。また,放射性物質が水や食物に付着している場合には,水を飲む,あるいは食物を食べることによって,食道を通じて胃の中に放射性物質が取り込まれる。この場合,放射性物質が腸内から吸収され,さらに身体内部まで進むこともある。
このような放射性物質は肉眼で感知することのできることが可能なものから,肉眼では見えないものまであり得るため,人が放射性物質を吸入し,あるいは摂取したことを感知することは不可能であり,少なくとも昭和20年8月の被曝直後,原告らを含む一般市民が空気中の放射性物質が身体内部に入り込むことを防止することは不可能であった。
ウ 内部被曝の機序
内部被曝は,放射性物質を原子や分子のレベルで体内に取り込む場合と,放射性微粒子として取り込む場合がある。前者の場合は,例えばヨウ素のように甲状腺に集中しやすいなど,放射性同位元素の種類によっては特定の臓器に集まって深刻な影響をもたらす。しかし,一般的には後者の方が人体への影響が大きい。それは放射性微粒子には極めて多数の放射性原子核が含まれるので,継続的かつ局所的に集中した極めて高線量の被曝をもたらすからである。
放射性微粒子の場合は,その大きさが5ミクロン程度以下であれば鼻毛によって阻止されないで肺胞に達することが可能になり,血液によって運ばれて体内の臓器や骨髄などに沈着する。また,飲食などを通じて摂取されて,腸壁から血管を通じて体内に沈着することも考えられる。
1ミクロン程度の大きさの微粒子でも何百万個,何百億個の放射性原子核を含んでいることも考えられ,微粒子の周辺の細胞は,次々と放射線をあびるので,局所的には極めて高線量の被曝をする。さらに,一瞬の外部被曝と異なり,微粒子周辺の細胞は,細胞分裂の全過程中,放射線感受性の強い時期,弱い時期を通じて継続的に被曝することになる。
原子や分子レベルで体内に取り込まれたにすぎない場合であっても,1回だけの崩壊を行うとは限らず,放射性の原子核が崩壊して放射線を放出した後にも,やはり放射性の原子核となる場合も珍しくない。その場合には,沈着した周辺の細胞内の染色体が続けて電離作用を受けて切断されて,修復機能が働かなかったり,誤った修復を行ったりする可能性が増大する。
例えば,放射性ヨウ素が甲状腺に蓄積するように,放射性同位体の化学的性質によっては,放射能を持たない同じ原子と同様に,生体内で集中して蓄積し,周辺組織に持続的影響を与える。
エ ホットスポットによる集中被曝の危険性
身体内部に入り込んだ放射性物質が体内を移動する時は,移動する経路に被曝箇所が次々と作り出されることになるが,体内に入った放射性物質が,一か所に停留している場合は,集中的に電離作用を受ける領域が形成される(ホットスポット)。
また,身体内部に侵入した放射性物質が,ある一定の場所にどの程度停留を続けるか否かは,微粒子の大きさや元素の種類,細胞組織との親和性などにも依存する。例えば,ストロンチウム90は骨に停留しやすく,ヨウ素125やヨウ素131が甲状腺に親和性があり,コバルト60は肝臓や脾臓に親和性がある。
このように,放射性物質と親和性のある臓器では,そこに放射性物質が停留してホットスポットを形成し,継続的かつ集中的な被曝を与えるため,当該臓器に様々な影響を及ぼすことになる。
(4) 原爆放射線による症状及び影響
ア 急性症状
(ア) 前項に述べたような様々な経緯により被爆者は放射線に被曝した。そして,多くの者はまず急性症状の発現という形で,被曝前と比較した体調の明らかな変化を認識することとなった。
原爆放射線による急性症状とは,被爆者に生じる脱毛,悪心,吐き気,嘔吐,食欲不振,口内炎,下痢,下血,血尿,鼻出血,歯齦出血,皮下出血,生殖器出血などの出血傾向,脱力感,全身倦怠感,発熱,口渇,喀血,咽頭痛,白血球減少,赤血球減少,無精子症,月経異常などの諸症状であり,複数の症状が同時に発生するなど,その態様は様々である。
これらの急性症状が原爆放射線に起因するといえるのは,原爆投下後の調査の過程で,被爆距離及び遮蔽の有無と相関関係のある症状として認識されたものだからである。このことは,濱谷正晴作成の分析データ等からも明らかである(直接被爆者の急性症状発症率は,爆心地より3km超で40.5%であるが,3km以内で54%,2km以内で70.3%,1km以内で82.8%というように,爆心地からの距離との間に関連性がある。また,直接被爆者の急性症状の数に注目すると,爆心地より3km超で1,2個あるいは3,4個がほとんどであるが,近くなるに従って5個以上の者の割合が増えており,爆心地からの距離との間に関連性がある。)。
(イ) 放射能,とりわけ人体への破壊力が大きな中性子を浴びた人体内では,腸などの消化器系の内臓,血液をつくる骨髄などで,細胞が自らの機能を停止させ死んでいく細胞自殺(アポトーシス)を起こす。そのため,内臓の機能が低下し,死に至る。火傷などの外傷が少ないのに,被曝から数日後に死んでいった人の多くは,このアポトーシスが起こり,腸内での出血が止まらない,骨髄が損傷し造血不足が起こったことなどが原因で死に至ったと考えられる。
死に至らない場合でも,胃腸の消化管粘膜は放射線にもっとも感受性のある組織であり,被曝により剥離,びらん,潰瘍等をつくり,悪心,嘔吐,食欲不振,口内炎等の症状を生じさせた。症状の程度は様々であった。これらの症状は経口からの摂食を阻害し,また消化管からの栄養吸収を阻害するため,人体のエネルギー代謝にとって不可欠な水分維持,栄養素補充が損なわれ,諸症状の回復を遅延させるもととなった。
また,口腔・歯齦出血,吐・下血,紫斑等出血傾向は多彩であり,当時は原因不明であったため何らかの中毒と診断されることもあった。出血は,造血器(骨髄)傷害としての血小板減少や機能低下,あるいは直接の血管(毛細管内皮細胞)に対する傷害のいずれかにより発症した。持続的な出血は蛋白質の喪失であり,貧血とも相まって低栄養状態と浮腫をもたらす要因となり,身体的衰弱を助長するように作用した。
発熱は,白血球減少などを背景に生じる細菌感染によるものと一般的には捉えることができるが,出血や下痢に前後してみられたりすることから,放射線による組織障害の反映ともみられた。
脱毛は,一般的には,放射線を浴びた結果,皮膚が傷害され,汗腺や皮膚組織が傷害を受けた結果であると考えられている。当然,毛根,毛髪は皮膚組織にあるため,皮膚障害の部分症として脱毛がみられる。
全身倦怠感は自覚所見であるが,他の急性症状を伴う場合もそうでない場合もみられた。前者は他の急性症状を起こした原因の影響によるものであり,後者は中枢神経系に放射能が傷害して自律神経のアンバランスを引き起こし,倦怠感となって現れるものである。いずれにしろ,放射線被爆を原因とする傷害の結果であって,独特の兆候を示し,我々が日常で感じる「倦怠感」とは,その起因,多臓器性,予後等において決して同様のものではない。
イ 長期にわたる後障害
(ア) 放射線被曝により,被爆者は,様々な後影響(後障害)に苦しめられることになった。具体的には,白血病を含むがん,白内障,心筋梗塞症をはじめとする心疾患,脳卒中,肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性の白血球減少症や重症貧血などの造血機能障害,甲状腺機能低下症,慢性甲状腺炎,被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れたことによる運動機能障害,ガラス片や異物の残存による傷害などである。
(イ) 原子爆弾症の中でも注目すべきは,慢性原子爆弾症,すなわち原因不明の全身性疲労,体調不良状態,労働持続困難である。
実際,肥田舜太郎医師は,被爆者のだるさは一般的にいわれるだるさとは全く異なり,働けないだるさであると表現し,男性は仕事との関係で,女性は家族の世話や性生活などで苦労を強いられたと証言している。また,被爆者の中にもぶらぶら病の自覚症状を持つものは多い。この点,都築正男医師は著書「原子爆弾の災害」の「慢性原子爆弾症に就て」の中で,自らの臨床医としての経験をもとに,被爆者のうち,中度以下の放射線病に罹ったが,幸にして回復し,又は,放射線病の症状は示さなかったが,所謂潜在性放射線病者として経過した人々で,現在では大体において健康となり,各々の業務を営んでいる者が,常に疲れ易いことを訴え,業務に対する興味ないし意欲がなく,下痢等に悩んでいること,これらの人々は,常に身体的状況の異状と精神的能力の衰えとを感じていること,医師に診察してもらっても,他覚的には,特に異常な所見は認められず,血液や尿その他の検査結果は常に正常値の範囲内であり,診察した医師は異常はないと判断することなど,慢性原子爆弾症の実体を明らかにしている。そして,慢性原爆症が入市被爆者などの中にもみられることを明らかにしている。
(ウ) さらに,被爆者の慢性障害に免疫的影響が絡んでいる可能性は高い。
ウ 放射線の影響
(ア) 物理細胞学的影響
a 放射線の直接作用
放射線のうち,アルファ線やベータ線のような電荷をもった粒子線(荷電粒子線)は原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こす。電離とは,人体を構成する細胞の原子や分子に放射線のエネルギーが吸収されることにより,原子や分子から電子が引き離されることをいう。励起とは,電子がエネルギーのより高い準位に遷移することをいう。電離作用によって分子が壊れてしまうことになるが,この作用が集中して起こるか,あるいはばらばらで起こるかということによって,人体に対する影響も変わってくる。
一方,電荷をもっていないガンマ線は,電子との相互作用(光電効果)により,原子や分子を直接的に電離する。これにより生じた2次電子は,ベータ線と同じ作用を行い,さらなる電離を引き起こす。ガンマ線が直接的に電離する数と2次電子が電離する数を比較すると,後者の方が前者よりけた違いに多い。
さらに,ガンマ線と同様に電荷をもっていない中性子線は,電子との相互作用はほとんどなく,原子や分子に直接的に電離や励起を引き起こすことはない。しかし,中性子線は容易に原子核に到達することができるため,核反応を起こす。その結果,弾性錯乱,被弾性錯乱及び核変換などにより,2次的に荷電粒子線やガンマ線を発生させ,これらの荷電粒子線やガンマ線が原子や分子に電離や励起を引き起こす。
人体内に入った放射線は,このような物理的過程により,細胞内にあるタンパク質や核酸(DNAやRNA)などの重要な高分子に電離や励起を引き起こして破壊し,細胞に損傷を与える(放射線の直接作用)。生物進化の過程で獲得した,人体を守る何重もの生体防護障壁を容易に突破して細胞に損傷を与える直接作用は,他の有害化学物質にはみることのできない放射線の大きな特徴である。
b 放射線の間接作用
さらに,初期の物理的過程により,原子や分子の化学的結合が切れて放射線分解が起こると,遊離基(1個又は複数個の不対電子を有する原子や分子で,フリーラジカルという)が生成する。これを物理化学的過程といい10億分の1秒程度の時間内に起こる。人体内に放射線が入ったときに生成する遊離基は,人体の主成分である水分子の変化したものが多い。遊離基は極めて不安定で非常に反応性に富むため,他の遊離基又は安定分子と直ちに反応する。遊離基が生物学的に重要な分子である細胞内のタンパク質や核酸と反応して変化を起こし,結果として細胞に損傷を与える(放射線の間接作用)。
c 生物学的影響
放射線の直接作用若しくは間接作用により与えられた損傷は,修復酵素などの働きにより修復されるが,全ての細胞の損傷が完全に間違いなく修復されるわけではない。十分に修復しきれなかった場合,損傷を受けた細胞が自らを死滅させるアポトーシス(細胞自滅)などの生体防護機構が存在するものの,損傷を受けた全ての細胞がこれにより排除されるわけではない。その結果,人体内の細胞の損傷が拡大し,遺伝的影響や晩発性障害を引き起こすなどの重大な影響を与える。にもかかわらず,その影響・障害の発生過程の詳細なメカニズムや,放射線被爆から影響が出る(発症)までの時期などは未だ解明しつくされていない。
(イ) 免疫的影響(加齢を含む)について
原爆放射線が人体にどのような生物学的影響を与え,これが様々な疾患を引き起こす経路は未だ明確には解明されていない。しかし,がん以外の疾患について,免疫系への放射線影響がある程度関係しているかもしれないという仮説が極めて有力であり,放射線影響研究所(以下「放影研」ということがある。)では,後述するような寿命調査や,成人健康調査における疾患毎の放射線との線量反応関係だけではなく,原爆放射線と免疫との関係を継続的に調査している。
a そして,これらをまとめたものが,広くホームページでも読むことができる放影研アップデートに掲載されている。それによれば,細胞性免疫の主役を演ずるT細胞のホメオスタシス(均衡)は,ナィーブT細胞集団とメモリーT細胞集団の再生と死の均衡の上に成り立っているとされているところ,原爆被爆者の場合,高齢者と同様の免疫学的変化,すなわち,ナイーブT細胞産生能の減少と,メモリーT細胞のクローン性増殖が確認されており,被爆後50年を経過した後でも,ナイーブT細胞の数は,同年齢の非被曝群に比較して少なく,また,メモリーT細胞におけるT細胞受容体レパートリーの偏りは,被曝線量に伴い有意に増加するとされている。
b さらに,放射線の線量と,IL(インターロイキン)6やCRPといった炎症反応を示すマーカーが相関していることが放影研の研究によって明らかにされている。このようなことから,放影研では,T細胞数の減少や偏りと,炎症反応との関係の間には,相関関係があると考えて研究を進めている。
c さらに,放影研では,疾患の発症に放射線と遺伝的素因がどのように影響するかについても調査を継続している。その中に,広島で被爆時20歳未満であった人では,2型糖尿病(多くの日本人がこの型である。)の有病率と,放射線の間に有意な相関関係があることを確認するとともに,HLAクラスⅡタイプ遺伝子によって,放射線の影響の程度に差があることが前述のアップデートに報告されている。
(ウ) 以上に加え,放影研のホームページには,1Gyの放射線被曝は,被爆者の赤血球沈降速度とTNF-α,IL-10,Total Igレベルから判断して約9年の加齢に相当すること,これらの結果から,原爆放射線は,加齢と同様に炎症マーカーや抗体産生量の増加に寄与しており,したがって,放射線被曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進しているかもしれないということが示唆される旨の論文が発表されたことが掲載されている。
これらによれば,心筋梗塞,脳梗塞,高血圧,肝機能障害がある程度統一的に説明が可能であるかもしれず,そして悪性腫瘍も炎症や免疫を介しての放射線の影響があることが考えられている。
そして,放影研自身,疫学調査も踏まえ最近,原爆被爆者において,がん以外のほとんどの主要な疾患による死亡率と放射線量との間にも明確な関連性が観察されていると認識する状況になっている。
エ 遠距離・入市被爆者にみられた放射線の影響
遠距離・入市被爆者についても,放射線の影響としか考えられない脱毛,紫斑,下痢等の典型的な急性症状が認められたのみならず,染色体異常が認められる。さらに慢性原爆症等,その後の体調不良が被爆距離との関係よりも被爆後の急性症状と関係している。
遠距離・入市被爆者について,近距離被爆者と同様の「急性症状」が発症していることにかんがみれば,放射線の影響を受けているとみるべきである。ただ,急性症状を発症しなかった者にも少なくない割合で放射線の影響としか思われない体調不良や後障害が発生していることに十分注意すべきである。
(5) 原爆症認定の基準
ア 解釈基準
(ア) 原爆症の認定に当たっては,被爆者援護法の趣旨・目的をふまえ,これに前記原爆被爆の実態に則した起因性の認定を考えるならば,できる限り被爆者を救済する方向で,被爆者である原告の立証の負担をできる限り軽減して解釈するものとし,当該傷病の発症につき原爆の放射能に起因する可能性を完全に否定できない限り,「疑わしきは被爆者の利益に」解釈し,適用すべきである。
(イ) 被爆者援護法の内容と立法趣旨
被爆者援護法の前文からは,以下の趣旨を読み取ることができる。すなわち,第1に,法制定の理念が「核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう,恒久の平和を念願する」とされていること,第2に,法の目的が「国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害」を救済するものであること,第3に,法律自体が,「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であること」を認めていること,第4に,原子爆弾の投下から既に60年以上経った現在,「高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講じ」ることを,特に考慮しなければならないということである。
法律の適用においては,その法律の趣旨及び目的を考慮し,その趣旨及び目的に即した解釈及び運用がなされるべきことはいうまでもない。
そしてこのことは,原爆症の認定を申請した疾病が被爆者援護法の規定する要件に該当するか否かを判断する場合にも当然に妥当する。
(ウ) 以上に加えて,被爆者援護法は,国の行為による被害としての原爆被害者を援護するものであり,国家補償制度としての側面を有すること,被爆者援護法には,被爆国の国民による核兵器廃絶への願いが込められていること,また,被爆者援護法の根底には,①国家による戦争開始・遂行,②違法な核兵器使用をしたアメリカに対する賠償請求権の放棄,③原爆被害の実態の隠蔽放置という違法行為により,損害を受けた被爆者に対しては,本来,国の責任において被害の回復を行うべきあるという国家補償の理念があり,「国の責任」に基づいて原爆被害を救済する制度であることを踏まえる必要がある。
(エ) これらの判断や前文の趣旨からして,被爆者援護法に規定する「認定」の要件該当性の判断に当たっては,①原爆被害に対する国家補償責任の理念に基づき,原爆症の認定を行わなければなければならないこと,②「放射線に起因する健康被害」を他の戦争被害とは異なる“特殊な”被害であることを特に重視すべきこと,さらに③「被爆者に高齢化が進行して」いることから,その被爆者に対して「保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護策」を講じることを最大限に配慮することが求めているのである。
イ 厚生労働大臣の認定方法としての審査の方針
(ア) 審査の方針は,厚生労働省の疾病・障害認定審査会,原子爆弾被爆者医療分科会が作成したものである。もっとも,正確に言えば,児玉和紀氏を主任研究者とする厚生科学研究費補助金(特別研究事業)平成12年度総括研究報告書「原爆放射線の人体影響評価に関する研究」において算出された被爆者の性別及び疾病ごとの『寄与リスク』が,審査の方針の『原因確率』に転用されているにすぎない。
申請被爆者の放射線起因性の判断に当たり,①申請被爆者の原爆投下時の爆心地の距離から,初期放射線による被曝線量をDS86により推定し,さらに②特定の条件を満たす被爆者については残留放射線(誘導放射線,放射性降下物)による推定被曝線量を加算した上で,申請疾病及び性別ごとに分けて作られる原因確率表に,申請被爆者の推定被曝線量と被爆時年齢とをあてはめて,当該申請被爆者の放射線起因性を確率(原因確率,単位は%)で表し,③原因確率がおおむね50%以上である場合には原爆放射線の起因性が推定され,おおむね10%未満の場合には起因性が低いものと推定するという手法を採っている。
(イ) 審査の方針の運用による認定実態
ところで,平成11年における原爆症認定件数は187件,平成12年は120件であったところ,審査の方針が策定された平成13年には173件,平成14年には159件,平成15年には188件,平成16年には159件,平成17年には227件,平成18年には99件であった。
このように,認定件数は審査の方針策定の前後でほとんど変わっていないのであり,厚生労働省は,形式だけ基準を変えながらも,実質的には従前と変わらない「被爆者切捨て」基準を策定したにすぎない。
ウ 審査の方針の問題点
(ア) 総論
DS86評価体系に述べられている線量評価については多々問題点があることが指摘されており,被爆者の被曝線量を正確に示すものにはなっていない。
具体的には,DS86には,①遠距離被爆者及び入市被爆者の急性症状の発症を合理的に説明できない,②その推定線量は,実測値と比べて,近距離ではやや過大評価であり,遠距離では過小評価となり,特に中性子線の線量評価は,遠距離ではけた違いの過小評価になっている。③放射性降下物等の影響については限られた地域に限定し,かつ放射性降下物及び誘導放射能に汚染された放射性物質を摂取したことによる内部被曝の人体影響は無視するという極めて重大な欠陥のあるなどの問題点がある。
(イ) 線量推定式の変遷
アメリカでは,核兵器の放射線による殺傷力を調査する必要等から,爆心からの距離によって放射線量がどのように変化するのかを1950年代から核実験等によって推定し,その線量に基づいてABCCによる被爆者調査の結果との関係を求めるようになったが,これは次のような変遷を辿っている。
爆心からの距離との関係で被曝線量を推定した最初のものは,昭和31年にアメリカ原子力委員会が,原爆放射線の人間に対する効果を研究するため,オークリッジ国立研究所を中心に「ICHIBAN計画」と称してネバダ核実験場で行われた核実験結果に基づいて,広島・長崎の放射線量の推定を行った「1957年暫定線量(T57D)」である。
次に,長崎型原爆と同じタイプのプルトニウム原爆を使用し,ネバダ核実験場に500mの塔を建てて「裸の原子炉」やコバルト60の線源を設置して中性子の伝播や遮蔽効果の研究を行い,その結果を基にして,さらに広島・長崎の放射線測定結果との照合を行い策定されたのが「1965年暫定線量(T65D)」である。もっとも,その後,DS86という推定方式の登場によって,T65Dの推定値は大きく修正されることになった。
DS86は,T65Dと異なり,コンピューターによってシミュレートされた机上の計算値である。これは,アメリカが,昭和38年に調印した「大気圏内,宇宙空間及び水中における核実験を禁止する条約」(部分核実験停止条約)によって空気中での核爆発実験を禁止されたため,中性子爆弾の威力を測るための核実験によるデータを得ることができず,コンピュータープログラムに基づき被曝線量の推定計算を行ったものである。そして,DS86が,もともと核兵器の殺傷力を調査するという軍事的な目的に出た研究であるため,DS86の初期放射線伝播計算における大前提としての原爆から放出された線量という最も基本的事項すら,その算出過程が明らかにされていない。このため,DS86は,追検証が不可能であり,誰が行っても同一の結果が再現されるという科学的裏付けが担保されていない。
(ウ) 実測値と初期放射線評価との乖離の問題
a DS86による被曝線量の推定については,そもそもその正確性において限界があり,これに基づいて被曝線量を推定することには大きな問題がある。このことは,DS86自身が発表当時から認めている事実であり,「原爆線量再評価(DS86)」によれば,中性子線量については,爆心地より1000mを超えたところで,十分質の高い結論を出せる別の物理学的効果による熱中性子フルエンスの再測定は特に価値があるとされ,DS86に含まれている改訂線量推定モデルでの誤差の解析は不完全である旨が記載されており,誤差の解析が不十分で,再測定された結果による見直しが予定されているのである。こうした状況を反映して,上野陽里京都大学名誉教授は,松谷訴訟における意見書において,DS86に信頼を置くことは,正当性を欠き,DS86体系を何らかの判断根拠とすることは,誤りであり,これがDS86体系を取り巻く情勢である旨を述べている。
b また,熱ルミネッセンス法による測定技術が大きく進歩し,半世紀前の原爆の放出した放射線の線量測定が可能になったことから,DS86発表以後,広島・長崎においてくり返しガンマ線量及び中性子線量の測定が行われた結果,広島でも長崎でも共通して,爆心から近距離ではDS86の推定値は実測値に比して過大評価であるが,遠距離では過小評価に転じ,爆心からの距離が増大するにつれて過小評価の度合いが拡大することが判明した。
広島では,中性子によって放射化されたユーロピウム152,塩素36あるいはコバルト60の測定により数多くの実測値が得られているが,この実測値とDS86の計算値とを比較すると,爆心地からの距離が900mを越えるとDS86は過小評価に転じ,1500m付近での実測値はDS86の約10倍に,1800mでは約100倍になることが分かった。これを2000m以遠に延長していけばDS86の推定線量は実測値の2桁も3桁も低い線量評価になっていくことが容易に推測される。また,広島における測定の結果,DS86によるガンマ線の推定線量は爆心地から1km以遠では,実測値に比して過小に推定していることが明らかとなった。星正治教授らが平成元年に爆心地から1909mの地点で測定したガンマ線の線量の実測値は,DS86による推定線量の2.0倍及び2.1倍であったとされている。また,平成4年,長友恒夫教授らの測定した結果によると,爆心地から2050mの距離では,実測値が,DS86による推定線量の2.2倍となったことが報告されている。さらに,長友教授らは,平成7年には,爆心地から1591mと1635mとの間の測定も行い,この距離においてはガンマ線の線量実測値はDS86の推定線量からずれていることを確かめており,この結果とこれまでの実測値を総合して,長友らは,ガンマ線の実測値が爆心地から1100mよりも遠い距離においてはDS86の推定線量より大きい方にずれていることを指摘している。
長崎においても,熱ルミネッセンス法による測定が行われており,中性子によって放射化されたコバルト60について,静間清(以下「静間」という。)教授らが系統的に行った測定によれば,DS86の評価線量は爆心地より900mを越えたあたりから過小評価に転ずることが判明した。また,長崎型原爆によるユーロピウム152の放射化のデータも測定されており,広島に比べて実測値にばらつきはあるものの,最小自乗法により近似曲線を求めると,DS86の推定値は爆心から700m以内では過大評価であり,700mを超えると過小評価になる傾向が認められたという報告もある。
(エ) 原爆から放出された中性子線のエネルギー分布の正確性の問題DS86では,原爆の爆発威力(放出エネルギー)を算出し,その威力を得るために核分裂の連鎖反応がどこまで進行したかを求めることにより放出された線量を決定するという方法を採っている。しかしながら,そもそも広島型原爆は砲身型原爆といわれる唯一のものであり,原爆機材の構造,材質の詳細,火薬の量と成分の詳細などの基本的事項が公表されていない。日本国に示されているのは,線源のエネルギースペクトルの計算結果だけであり,例えば原爆の構造が違うとの報告がアメリカからなされただけで放出エネルギーの数値は大きく変わってしまうものである。また,広島型原爆では,同型の爆弾による実験は行われておらず,原子炉から放出されるガンマ線と中性子線の測定をし,さらに,コバルト60を置いてガンマ線のレベルを測定する実験が行われただけである。実際に,T65Dの時点では,TNT12.5ktとされており,DS86の時点では15kt,さらに後述するDS02では16ktと変遷している。
次に,長崎型原爆の爆発威力については同じ形式の爆縮型プルトニウム原爆の爆発実験の測定値をもとにコンピューターによる計算の結果を総合してTNT21kt相当とされてはいるが,この設定の段階でも既に若干の誤差が生じている可能性は否定できない。さらに,この爆発威力を前提として爆発時に放出される中性子線とガンマ線の大気中への分布状況を求めることになるが,DS86において与えられたこの分布に関する数値は,アメリカの地下核実験データが元になっており,これは高度の軍事機密となっているため,算出過程は一切明らかにされず,結果だけが示されているにすぎない。従って,DS86の線量推定の基礎となるべき重要な数値の検証ができない状況になっている。
(オ) 大気中の湿度等気象条件の評価の問題
中性子の遠距離への伝播については,大気中の水分が重要な要素となり,中性子は空気中の水素の原子核により吸収・散乱するため,湿度が低ければ吸収・散乱が少なくなり,より多くの中性子が遠距離に到達することになる。DS86では大気中の水分量を示す値として定点である特定の気象台の観測結果をそのまま一律に適用しているが,爆心地付近がこれと同一の湿度であったわけではない。DS86では,広島型原爆については広島気象台(爆心地の南南西3.6km)での測定値である湿度80%を,また長崎型原爆については,長崎海洋気象台(爆心地より南南西4.5km)の測定値である湿度71%を採用しているが,広島気象台も長崎海洋気象台も海や川に近く,家屋が密集した市街地と比べて湿度が高かった可能性が極めて高い。また,DS86は線量推定の対象となるいずれの空間領域においても湿度が一定であるとの前提で計算されているが,地表付近と上空では湿度が大きく異なることが考えられ,かかる前提自体が間違っている可能性もある。このように,爆心地付近の湿度が,DS86の入力データより低ければ,中性子線の大気中の水分の原子核による吸収が減少し,DS86による推定値よりも多量の中性子線が遠方に到達したことになる。
(カ) DS86の計算条件あるいは計算式の正当性の問題
DS86における推定線量計算は,爆心から水平2812.5mまでの距離を同心円上に,上下も高さ1500mまでを地表から一定の高さごとに区切って,円筒形のリング空間(計算領域)ごとに放射線の伝播を計算するものである。しかしながら,1500m以上の上空や2812.5m以遠から計算領域の円筒内に入ってくる放射線の寄与については全く無視している。また,各計算領域への放射線の入射角度についても飛び飛びの特定の角度だけにして放射線の入射・散乱角度をデジタル化して近似し,ボルツマン輸送方程式に基づいてコンピューター計算を行っているが,ボルツマン輸送方程式による計算方式では,ある1つの要因で計算領域の計算値が一旦ずれてしまうと,これが次の計算領域での計算値の入力のための前提データとなるため,ずれは次々に累積・拡大していき,爆心地から遠距離になるほど誤差の生じる危険性が高まっていく。
このように,DS86は,実験に基づかない計算値であることから,そもそもその線量推定には学問上も問題があるといわざるを得ない。
野口証人は,DS86は,その計算の基礎となるソースタームの信頼性がないにもかかわらず,そのようなソースタームに基づいて原爆症認定の際の被爆線量を求めて,被爆線量の根拠として使用した結果,ユウロピウム152やコバルト60の放射線実測値を合理的に説明できず,近距離では実測値より少し過大,遠距離では実測値より過少となり,爆心地から離れるほどズレが増していき,2000m以遠ではけた違いの過少評価になっている可能性があり,ガンマ線についても中性子線ほどではないが,同様の傾向があることを指摘している。
(キ) DS02の問題点
被告らは,本件訴訟において,DS86の正当性はDS02(DosimetrySystem2002)によって裏付けられたと主張する。しかし,以下述べるとおり,DS86の重大な欠陥は,DS02でも全く補われるものとなっていないばかりか,DS02自体も実測値との乖離という点で多くの問題点が存在するものである。
a すなわち,DS02の線量評価体系は,平成15年3月に策定されたものであるが,未だにDS02報告書の総括もなされていない未完成な報告として存在しているにすぎず,未だ完成していないことそれ自体が,DS86による初期放射線線量推定の埋め難い欠陥を示すものとなっているのである。
b 実際,DS02では,高速中性子についての新たな測定結果が用いられているが,大阪地方裁判所において被告側申請証人として証言をした小佐古証人は,この高速中性子に関する測定結果については,遠距離すなわち1400m以遠については線量評価としては役に立たないと証言している。
また,広島において,爆心地から380mの地点における中性子線量の実測値は,DS86の推定線量の0.64倍であり,1461mの地点では1.52倍となっている。この点,DS02においても,同爆心地から391mの地点における中性子線量の実測値は,推定線量の0.85倍であり,1470mの地点では1.90倍となっている。このように中性子線について,DS86の推定線量もDS02の推定線量も,いずれも近距離で過大評価となり,遠距離で過小評価となっており,特に,遠距離における実測値とのずれは,DS86よりDS02の方が拡大している。
そして,液体シンチレーション法(これは加速器質量分析法に比べてもその信頼性が確認されている測定方法である)によるニッケルの再測定もなされているが,そこでも広島における爆心地より1500m地点での実測値がDS02の計算値を上回っていることが確認されている。
さらに,DS02の基となったストローメらの論文においては,1880m地点の測定値をバックグラウンド(自然放射線のみの影響を受けている値)としていた。しかし,その内容に合理性がないとして,DS02ではバックグラウンドの数値を変更しているのである。これはDS02が極めて恣意的な操作によって策定されていることを意味する。そもそも,バックグラウンドの評価は,高速中性子が全く到達し得ない遠距離の測定結果を用いるべきであるところ,ストローメらは既に1400m以遠の測定値はバックグラウンドと同程度であると決めつけバックグラウンドとして採用すべき5000m地点における測定を杜撰に行っているのである。
c ガンマ線についても,1500m以遠においては,測定値がDS86の計算値よりも,系統的に上回っている。これは,長友教授らの測定によって,2050mにおける測定結果が,DS86の推定値よりも2.2倍も大きいことが明らかとなったことのほか,DS86策定後の測定においても,1500m以遠では測定値が計算値を上回っていることが明らかとなっている。そして,DS02でも遠距離では測定値が計算値よりも高い若干の例があると明示している。
d 熱中性子については,コバルト60及びユーロピウム152の測定値が,遠距離おいては系統的に計算値を上回っている。平成10年の静間教授らによるコバルト60の測定結果は,明らかに遠距離では測定値がDS02の計算値を上回っており,また平成13年の小村教授らによるコバルト60の測定結果も,遠距離では測定値が計算値を上回っている。また,ユーロピウム152についても,遠距離において,測定値が計算値を上回っているのであるが,この点,近畿集団訴訟において被告側の証人として出廷した小佐古氏も,それを認めている。さらに,広島において,平成3年に中西教授らによって,また平成5年には静間教授によってユーロピウム152の測定が行われているが,コバルト60同様,測定値が計算値を上回っているという系統的なずれの存在が明らかとなった。また,小村教授らのユーロピウム152の測定結果も,遠距離に行けば行くほど測定値が計算値を上回るという系統的なずれが生じている。
(ク) DS86では説明できない急性症状の発症の問題
a 原爆投下直後から現在に至るまで,被爆者を対象として様々な健康調査が行われている。そして,急性症状に関する調査の結果,①2km以遠のいわゆる遠距離被爆者といわれる被爆者にも急性症状が発症していること,②入市被爆者にも急性症状が発症していることが明らかになった。急性症状は,被爆者が放射線を浴びたことの一つの目安になるものであり(もっとも放射線を浴びたからといって絶対に急性症状を発症するものではないことに注意を要する。),遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状が発症しているという事実は,これらの被爆者が多量の原爆放射線を浴びたことを裏付けている。
ところが,DS86及びDS02報告書では,初期放射線及び一部の残留放射線が考慮されているだけであり,これらの線量評価では,遠距離・入市被爆者に急性症状が生じたという現実を説明することはできない。
b さらに,濱谷正晴作成の分析データ及び濱谷氏の証言によれば,急性症状があった者の方がなかった者より,その後の入通院が頻繁であったり,「ぶらぶら病」を発症したり,健康状態の変化を感じたりすることが多いが,かかる傾向はどの被爆距離若しくは被爆状況(入市若しくは救護)であっても同様であり,その後の健康状態を規定するのは被爆距離ではなく,急性症状の有無すなわち実際に被爆した程度であることが分かる。
また,佐々木秀隆らが,平成6年,福岡県在住の被爆者3100人について調査した結果によると,「現在の体調不良」が被爆時の被爆距離別では明確ではなく,被爆後の体調不良こそが,関連するものであることを示している。また,長崎大学原研・放射線疫学研究分野の本田らの調査も同様の結果を示すものであった。
ただし,濱谷正晴作成の分析データ及び濱谷証言調書によれば,急性症状がなかった者の中でも,4割を超える者に「ぶらぶら病」の発症若しくは健康状態の変化が生じている。したがって,急性症状がなかったからといってその後の健康状態に何らの影響がないと決するのは早計である。濱谷正晴作成の分析データ及び濱谷証言調書によれば,入市被爆者においてもその後ぶらぶら病を発症しかつ健康状態の変化を感じた者が35%に上り,また3km以遠で被曝した者においても33%に上り,入市被爆者や遠距離被爆者でも,その後の健康状態に問題がなかったとはいえないことが分かる。
(ケ) 遠距離の放射線影響の問題
a 平成10年6月7日に開催された原爆後障害研究会で,三根真理子長崎大学医学部助教授は,日米合同調査団の記録を調査した結果,長崎において,典型的な急性症状である脱毛は,2.1ないし2.5kmで7.2%,2.6ないし3kmで2.1%,3.1ないし4kmで1.3%,4.1ないし5kmでも0.4%の発症がみられ,紫斑も2.1ないし2.5kmで3.9%,4.1ないし5kmでも0.4%の発症がみられることを報告した。
b 広島における3km以内の被爆者4406名(男2063名,女2343名)を対象にした東京帝国大学医学部の調査では,2.1ないし2.5kmで男性5.7%,女性7.2%,2.6ないし3kmで男性0.9%,女性2.4%の脱毛の発症がみられている。
c 於保源作医師が広島で急性症状の発症率を調査した「原爆残留放射能障碍の統計的観察」は,距離毎の有症率だけでなく,被爆時に屋内にいたか屋外にいたかの別,被爆後に中心部に出入りしたかの有無により区分している。
同報告によれば,熱線や爆風の影響が小さく,また,残留放射線の影響も小さく,初期放射線の影響を比較的よく表しているといえる「原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の場合」でも,2kmで30%の急性症状有症率があり,3km以遠においても多くの急性症状が発症しており,遠距離まで急性症状の発症が認められるとともに,「中心地出入りなし」の2km以遠で,屋外被爆者が屋内被爆者に比較して顕著に有症率が増加しており,遮蔽がない屋外被爆者に有症率が高く,人体に影響を与える多量の放射線が2km以遠の遠距離にまで到達していることを物語っている。
また,「爆心地から1kmの中心地に出入りした」被爆者は,4km以遠においても20%以上の有症率であり,中心地への出入りにより強い放射線を浴びていることが裏付けられ,中心部付近の残留放射線の影響が非常に大きかったことを物語っている。
d 放影研の調査でも,2kmから3kmでも3%に,3km以遠でも1%に脱毛がみられる。
e 横田賢一らは,長崎の被爆者3000人を対象に急性症状の発症率の調査を行っており,また,平成12年に発表した「被爆状況別の急性症状に関する研究」において,被爆距離が4km未満の1万2905人(男5316人,女7589人)を対象に,脱毛の発症頻度を調査している。この調査においても,2km以遠の遠距離において,脱毛の発症が観察され,しかも,遠距離においても遮蔽の有無により脱毛の発症率に差が出ており,遠距離にも放射線が到達したことを物語っている。また,重度脱毛の構成比を見てみると,1.5から1.9kmで約21.4%,2.0から2.4kmで約16.9%,2.5kmから2.9kmで約13.7%,3km以遠でも約12.5%となっており,この点からも遠距離に放射線が到達したことが分かる。
f 「原子爆弾災害調査報告集」には,長崎型原爆において,原爆投下から約1か月後に死亡した被爆者の詳細な解剖所見が報告されている。この中には,DS86では,ほとんどあるいは全く放射線が到達しないとされている2kmから3kmでの被爆でありながら,放射線被曝特有の症状を呈して死亡した例が報告され,「総て亜急性原子爆弾症のために死亡したものである」と結論づけられている。特に,被爆後中心地に出入りしたとは考えられない11歳の少女の事例は,3km地点で生活していただけでも,死をもたらす程度の放射線に被曝するケースがあったことを端的に裏付けている。
g また,2.5km以遠における初期放射線量はT65Dでは9rad未満と低線量であるが,この低線量被曝グループの各疾患について全国の死亡率と発症率を用いて標準化した相対リスクを求めると,白血病の死亡率は約1.6倍となり,呼吸器系のがんの死亡率では約1.4倍(市内不在者グループでは約1.3倍),乳がんの発症率でも約1.5倍(市内不在者グループでは約1.6倍となっており,明らかに過剰になっている(市内不在者グループの外部被曝線量はさらに低線量であるが,全国の死亡率や発症率と比べると過剰になっている。)。
h 染色体異常についても,屋外で被爆したグループ,木造の家屋によって遮蔽されたグループ,コンクリートによって遮蔽されたグループ,2.4km以遠のグループを比較した研究では,遮蔽の有無により染色体異常の発生頻度が変わり,被曝線量との関係が推認されるが,2.4km以遠のグループにおいてもコントロールの頻度よりかなり高くなっている。
i 松谷原爆訴訟の原告も,2.45kmで被爆しているが,脱毛や下痢といった急性症状を発症している。また,松谷原爆訴訟最高裁判決(平成12年7月18日)では,長崎市内の爆心地から約2.9kmの地点で被爆した被爆者について,被爆直後から発熱が続き,しばらくして脱毛が起こり,被爆後一年間無月経であったこと,外傷部は,容易に治ゆせず,腐食して悪臭を発したことなどや長崎市内の爆心地から約2.4kmの地点で被爆した被爆者は,被爆の約1箇月後に若干の脱毛があり,一緒に被爆した友人は毛髪全部が脱毛したことなどが指摘されている。
j 以上のように,DS86やDS02に基づけば放射線がほとんど到達していないとされる2km以遠においても,様々な急性症状の発症が確認されている。
なお,この点に関し,審査の方針の策定に深く関わり,かつ東京地裁における被告申請の児玉和紀証人は,証人自ら関わった「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係」において,3km以遠の脱毛が放射線以外の要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情などを反映しているかもしれない旨を指摘しているが,例えば,日米合同調査団の調査によると,2.1kmから2.5kmにおける脱毛の発症率は,屋外又は日本家屋内で7.2%,トンネル内で1.8%となっており,遮蔽の有無により異なっているし,東京帝国大学の調査でも,2.1kmから2.5kmでの脱毛の発症率は,屋外で9.4%,屋内で4.2%と遮蔽の有無で異なっている。遮蔽の有無によって発症率が異なるのであるから,ストレスや食糧事情などの影響は考えられず,初期放射線被曝の影響がこのような遠距離まで及んでいたと考えざるを得ない。
しかも,前述のとおりストレス等の指摘をした児玉和紀証人自身も,3km以遠で放射線の影響によって脱毛が生じた可能性を否定できないと証言し,そのうえ,遠距離での脱毛及び紫斑の発症率につき遮蔽の有無によって差が出ていることについて,放射線によって起こったという解釈が可能である旨を証言している。
なお,大規模空襲に遭った他の戦争被害者も惨状をまのあたりにしているが,これら空襲被害者に脱毛等の急性症状様の症状が出たとの報告はなく,遠距離被爆者の急性症状がストレスや食糧事情による影響とは考え難い。
(コ) 入市被爆者の放射線の影響の問題
a 「ヒロシマ・残留放射能の四十二年」によれば,原爆投下後の昭和20年8月6日深夜から同月7日昼ころにかけて西練兵場に到着し,同日ころから第1,第2陸軍病院,大本営跡,西練兵場東側,第11連隊跡付近で作業に従事した広島地区第十四特設警備隊(いわゆる賀北部隊)の工月中隊に所属した隊員99名に対するアンケート等の調査の結果,以下のような急性症状を発症した者が32名もいたのである。急性症状の内訳は,出血が14人,脱毛が18人,皮下出血が1人,口内炎が4人,白血球減少症が11人であった。このうち,放影研は,脱毛6人(うち3分の2以上頭髪が抜けた者が3人),歯齦出血5人,口内炎1人,白血球減少症2人について(これらのうち2人は脱毛と歯齦出血の両症状が現れていた)ほぼ確実な放射線による急性症状があったとしている。
b 於保源作医師の調査でも,原爆の瞬間には広島市内にはいなかった者について原爆直後中心部への出入りの有無で比べたところ,中心地に入らなかった者は発熱,下痢,脱毛などの急性原爆症はゼロであったのに対し,中心地に入った者は発熱,下痢,脱毛などの急性原爆症を発症したことが報告されている。しかも,中心地滞在時間の長い者に有症率が高いことが報告されている。
c 広島原爆戦災誌(暁部隊)広島原爆戦災誌編集室が昭和44年に,原爆投下時に爆心地から12km及び約50kmの地点にいた暁部隊の被爆者を対象としたアンケート調査(「残留放射能による障害調査概要」)では,入市被爆者の急性症状が明らかにされている。いずれも初期放射線の影響は考えられず,純粋に残留放射線に被曝しているといえる。対象者の年齢は,主に当時18歳ないし21歳の健康な男子青年であり,原爆投下の当日ないし翌日に救援のために入市し,負傷者の収容,遺体の収容,火葬,道路,建物の清掃などの作業に従事した。救援活動中の症状としては,昭和20年8月8日ころから,下痢患者が多数続出し,食欲不振を訴えており,また,救援終了後に基地に帰ってからは,軍医により「ほとんど全員が白血球3000以下」と診断され,下痢患者も引き続きあり,発熱,点状出血,脱毛の症状が少数ながらあったとされている。そして,「復員後,経験した症状」としては,倦怠感168名,白血球減少症120名,脱毛80名,嘔吐55名,下痢24名であった。
d さらに,昭和20年8月19日から25日まで広島市の本川国民学校(爆心地から約350m)に被爆者救護隊として派遣された広島県立三次高等女学校の生徒のうち,氏名等が判明した23名に対し急性症状等が調査され,生存者10名に対する調査では,本人が認知症であることなどから調査が未了となっている3名を除けばほとんど全員(7名中6名)に脱毛,下痢,倦怠感等の急性症状が発症していることが明らかになった。しかも,この23名中白血病を発症した者が2名もいるのである。さらに,死因が判明した死没者(11名)のうち,7名ががん(白血病2名,卵巣がん,肝臓がん2名,胃がん,膵臓がん)により死亡している。
e 以上のとおり,入市被爆者に生じた急性症状についても,DS86やDS02では説明できないことが明らかである。
(サ) 放射性降下物の影響の問題
a 放射性降下物の生成過程
昭和20年8月6日,広島型原爆が炸裂した後には広島市内外に,同月9日,長崎型原爆が炸裂した後には長崎市内外に,それぞれ広範囲にわたり放射性物質を含む雨が降った(黒い雨)。
原爆の未分裂ウラン・プルトニウム,核分裂生成物,誘導放射化された原爆容器等から放出された電磁波は直ちに周囲の空気に吸収され,空気の温度を上昇させ,プラズマ状の空気の塊すなわち火球がつくられる。火球が膨脹し,上昇して温度が下がると,様々な放射性物質は放射性微粒子ないし「黒いすす」となり,さらに火球が上昇して温度が下がると,この放射性微粒子や「黒いすす」が空気中の水蒸気を吸着して水滴となる。そして,地上に降り注いだ中性子は土壌や建造物などに吸収され,これらの物を誘導放射化する。このとき,原爆の衝撃波によって地上の建造物は粉々に破壊されているので,誘導放射化された物質が地上に立ちこめている。そして,火球の温度が下がると,火球は急激に上昇し,火球の下の空気を補填するために,周囲の放射性微粒子や「黒いすす」を含んだ空気が火球の下に吹き寄せられ,火球とともに上昇して,巨大なキノコ雲を形成する。
また,原爆の熱線によって生じた大火災によって発生した上昇気流によっても,地上の粉塵が上空に巻き上げられ,さらに,このような強い上昇気流が発生した周辺では,上昇気流を補填するために強い下降気流が発生する。こうして,「黒いすす」「黒い雨」が相当広範囲に降下した。
b 「黒い雨」の降雨地域
(a) 「黒い雨」が降った範囲についての最初の報告である昭和28年の宇田道隆ら「気象関係の広島原爆調査報告書」では,170個の資料に基づき,長径29km,短径15kmの長卵形の雨域を報告した(以下「宇田雨域」という)。
しかし,激しい雷や積乱雲が発生した場合には突然あるいは不規則な形で雨が降るのであって,川や山などの地形の影響も小さくなく,原爆投下後の気象状況も同様であって,「黒い雨」が宇田雨域のようなきれいな卵形の形をしていたとは考え難い。
この点,長年気象研究所に勤務し数値予報の研究に携わってきた増田善信は,平成元年,丹念な調査によって「黒い雨」の新たな雨域である増田雨域を発表した。同報告は,宇田雨域算出の基礎資料のほか,広島県の調査資料(1万7369人が回答したものの調査報告),聴取調査,アンケート調査,手記集・記録集の資料など,2000を超える豊富なデータに基づき,雨の降り方を3種類に分け,聴き取り調査に参加した人にもアンケートを提出してもらうよう努め,集められたデータを信用度の違いなどから総合的に吟味したものである。
このような緻密な資料整理のもとに慎重に確定された増田雨域は,爆心より北西約45km,東西方向の最大幅約36km,面積約1250km2に達し,宇田雨域の約4倍にもなった。それでも,増田自身が認めるように,爆心地の東側や南側の資料はほとんどないため,今後これらの地域が雨域に含まれる可能性も否定できない。
また,「黒いすす」や「放射性微粒子」が降下した範囲は,ほとんど目に見えないものも多かったことから,明確ではないが,「黒い雨」よりも降下範囲が広かったといえる。
(b) 実際,静間博士が行った,広島型原爆投下3日後に仁科芳雄理化学研究所長(当時)らが爆心地から5km以内の地点で採取した22個の試料を用いたセシウム137の精密測定では,セシウム137を検出したサンプルと降雨域と比較したところ,3つのサンプルは,増田雨域には含まれているが,宇田雨域の境界上にあり,セシウム137の沈着率は低かった5つのサンプルは,増田雨域の小雨域がほとんどであった。他方,放射能が検出されなかった3つのサンプルは,増田雨域にも入っておらず,比較の結果は,増田雨域とよく一致した。
また,藤原武夫博士らは,昭和24年,旧ソ連が核実験を開始する前である昭和20年から昭和23年にかけて広島の残留放射能を調査したところ,調査結果は増田雨域とよく符合し,これと矛盾しない形で等値線を引くことが可能であった。
(c) これに対し,被告らは「黒い雨に関する専門家会議報告書」を主な根拠として,広島の己斐・高須地域,長崎の西山地域以外に降った放射性降下物が含まれていたことが裏付けられていないと主張する。
しかし,資料編において多くの紙面を割いている吉川友章(以下「吉川」という。)らの数値シミュレーションには,雲長高度,火災の状況,1kmの格子点を使用していること,計算範囲に「増田雨域」がおさまらないことなど,多くの問題点がある上,吉川自身の証言から,その他,吉川が行った数値シミュレーションは,いずれも,静力学の式を使った「中規模スケールの海陸風数値計算モデル」を使用していることなど,一定の結論すなわち宇田雨域に合わせて報告書を記載したとしか考えられず,同報告書が,全く信用に値しないことは明らかである。
加えて,吉川の報告には,爆心地の場所,ミスプリント,長崎型原爆の爆発高度が60mとされていること,地表面温度の欠落,熱力学の式の欠落,方程式の解が代入されていないなどのケアレスミスが多く,特に看過し難いのは,福岡と潮岬のデータを使用した旨の記載があるにもかかわらず,実際には福岡のデータは存在しないことである。
c 「広島及び長崎における残留放射能」の問題点
また,被告らは,放射性降下物が特にみられた地域は,広島では己斐,高須,長崎では西山地区という限定された地域であるとして,その根拠にEDWARD T.ARAKAWAの「広島及び長崎における残留放射能」を掲げるが,上記論文の記述は,放射性降下物と地上で誘導放射化された物とを区別しておらず,正確性を欠いている。
d 以上のとおり,放射性降下物の影響があるのは広島では己斐・高須地域,長崎では西山地域に限られるとする被告らの主張は,合理的根拠を欠くものであることは明白である。
長崎については,広島での宇田氏らや増田氏のような研究は十分ではないが,西山地域以外の場所でも放射性降下物の影響が否定できない。のみならず,放射性降下物以外に合理的説明の困難な数々の実態があることは既に述べたとおりである。したがって,これらの地域にいなかったとしても,各被爆者の行動や被爆後の健康状態などから外部被曝・内部被曝の契機の有無を慎重に検討しなければならない。
(シ) 内部被曝の影響の問題
a 以上述べてきたように,「黒い雨」「黒いすす」は広範囲に分布していたところ,「黒い雨」「黒いすす」に含まれた放射性物質が,飲食物に付着して経口摂取されたり,呼吸等により吸入されたりすることもあり,原告ら被爆者には,原爆投下後,親族や友人などをもとめて広島・長崎市内に入り爆心地付近を回ったりしながら,救護活動や後片づけ作業に従事した者がいたが,このような行動によっても,放射性物質を体内に摂取することがある。
b 内部被曝は,第1に,体内に放射性物質があるときには,細胞の至近距離に線源があることになり,とりわけガンマ線のように飛程の長い放射線の場合には,線量は線源からの距離に反比例するので,質量の同じ核種であっても,外部被曝に比べ,内部被曝の影響は格段に大きくなる。第2に,アルファ線の飛程は0.1mm単位であり,ベータ線の飛程も1cm程度あるが,これらの放射線を放出する核種が体内に入ると,この短い飛程で放射線のエネルギーがほとんど細胞に吸収される。放射線のエネルギーはほとんどの場合に100万エレクトロンボルト単位で表されるほど巨大なものであって,こうしたエネルギーが細胞に吸収されることによって,DNAの二重らせんが多数破壊され,細胞の誤った修復などによりガン化の原因になるなど大きな影響が生じるのである。第3に,原爆の原料となったウランやプルトニウムやこれらが核分裂した場合に生じる人工放射性核種は,後記cのとおり,核種ごとに生体内の特定の部位に濃縮される特性がある。第4に,体内に取り込まれた放射性核種は,その核種の寿命に応じて継続的に放射線被曝を与え,しかも,ある細胞がアルファ線に被曝した場合には,その近傍にある細胞にも放射線影響がみられる(バイスタンダー効果)。
c 原爆投下後には,コバルト60,ストロンチウム90,セシウム137などの,天然には存在しない人工放射性物質が多数存在したところ,人工放射性核種は生体内で著しく濃縮する。例えば,ヨウ素は自然界に存在するものは全て非放射性であって成長に必要な元素として人体は甲状腺に濃縮する性質を有するが,放射性ヨウ素(ヨウ素131)も化学的性質が非放射性ヨウ素と同じであるため,同様に甲状腺に蓄積してしまう。ストロンチウム90も,化学的性質がカルシウムと同じであるため,骨組織に沈着,濃縮されてしまう。とりわけ,骨組織は代謝が遅いためストロンチウム90の生物学的半減期も短くなる。のみならず,ストロンチウム90は上記のとおり短い飛程で大きなエネルギーを細胞に吸収させるベータ線を放出する。そして,ベータ線を放出すると,さらに強いベータ線を放出するイットリウム90が生まれる。セシウム137は,化学的性質がカリウムやルビジウムに似ているので,筋肉,脳など人体の至る所で吸収される。プルトニウム239は骨組織に沈着しやすく,アルファ線を放出して沈着した部位に集中被曝を与える。安齋育郎氏は,昭和20年9月から翌年春にかけて長崎に駐屯したアメリカ海兵隊員に多発性骨髄腫が多く発生したことにつき,未分裂プルトニウム239の内部被曝の影響が示唆されたとしている。
d なお,アメリカにおいては,原爆投下後約1か月後に長崎に「クリーンアップ作戦」の名の下に入市した海兵隊員で,その後に多発性骨髄腫に罹患した隊員が多い事実を受けて,これらの退役軍人に対する救済制度として,「1988年放射線被曝退役軍人補償法」が存在しており,残留放射線による内部被曝等の人体被害が公知の事実として認識されていることを如実に示すものである。
e 以上のように,内部被曝は,物理的な吸収線量を図るだけでは到底把握することのできない複雑な機序を有するものであり,被爆後の行動などからその契機の有無を慎重に検討する必要がある。「黒い雨に関する専門家会議」元座長であり,放影研元理事長でもある重松逸造氏も,原爆爆発直後,市内で多量のチリを吸収した者は,国際放射線防護委員会が職業被爆者について勧告している最大許容負荷量以上の放射能を体内に蓄積した可能性があることに言及している。
この点,被告らは,広島・長崎で放射性降下物のあった地域の体内の放射線量を測定された結果極微量であったとして,「原爆線量再評価第6章」を引用するが,同書の記述中にもあるように,原爆投下の3か月間には広島で900mm,長崎では1200mmの大量の降雨があり,両市とも1945年9月17日の台風にあい(枕崎台風),広島は10月9日に2回目の台風にあっており,風雨の影響に対する補正なしに使用されたデータは,その正確性に極めて疑問がある。
また,同書はカウンターでセシウム137から放出されたガンマ線の数値をいうのみであって,これでは飛程の短いベータ線を測定することができないのであるから,このようなことを理由に内部被曝を無視する審査の方針は科学的に合理性を欠くといわざるを得ない。
(ス) 「原因確率論」の問題点(福地意見書)
a 「原因確率論」とは,ABCC及び放影研が行った被爆者の疫学調査に基づき作成された児玉和紀広島大学医学部保健学科教授(現放射線影響研究所疫学部長)を主任研究者とする厚生科学研究費補助金(特別研究事業)平成12年度総括研究報告書「原爆放射線の人体への健康影響評価に関する研究」における「寄与リスク」の数値を,そのまま審査の方針において悪性新生物に関する判断基準としての「原因確率」に転用するという手法を指すものである。
しかし,審査の方針には,①「原因確率」の値を算出する根拠となった放影研による疫学調査の信頼性そのものに問題があり,②かかる疫学調査から得られた寄与リスクの値を「原因確率」と言い換え,これを用いて個々の被爆者の起因性を否定するという手法が疫学の誤用にほかならないという欠陥がある。
b 放影研の疫学調査の基本は,被爆者の集団と非被爆者の集団について,疾病の発症率・死亡率を追跡調査して比較するというものである。相対リスクや寄与リスクはその比較の指標であるが,非被爆者の発症率や死亡率(C)に比べて,被爆者の発症率(X)が大きいほど,またCが小さいほどリスクの値は大きくなる。問題は,放影研の疫学調査では,調査対象となった被爆者の被爆後の行動を全く調査していない点にある。疫学調査の出発点は,調査対象となる者が非被爆者であるか被爆者か(あるいはどの程度の被爆をしているか)という点であり,それによって,CとしてカウントすべきかXとしてカウントすべきかが分かれるのである。ところが,放影研の調査においては,対象者の分類(線量割当て)においてDS86による初期放射線の被曝推定線量を用い,その後の行動を全く調査していないから,対象者が残留放射能によってどの程度被曝したのかは把握できない。
このため,どれほど長期間爆心地に滞在して残留放射線を被曝しても,初期放射線を浴びた時点で爆心地から概ね2kmを超える位置にいた場合,若しくは純粋な入市被爆者の場合,DS86によって,「非被爆者」あるいは「最低被曝線量グループ」として扱われてしまう。被告らは,残留放射線量はごく微量であると主張するが,その根拠が甚だ薄弱である上,「ごく微量」でも人体への影響が本当に少ないのかどうかは疫学調査をしなければわからないことである。そして,その後の様々な研究によって,「ごく微量」の放射線によっても重大な人体影響がもたらされること,とりわけ内部被曝の場合には独自の危険性があることが明らかにされている。
以上を踏まえると,放影研の疫学調査においては,Cすなわち「非被爆者」又は「最低線量グループ」の発症率ないし死亡率は,本来の数値よりも大きな数値となっている可能性が高いのであり,Cを基準に寄与リスクを求める場合には,Cが過大評価であればそれだけリスクは小さくなってしまうのである。
c また,昭和20年8月6日(広島),同月9日(長崎)の原子爆弾投下から放影研の前身であるABCCの調査が開始されるまでの5年間(寿命調査),あるいは13年間(成人健康調査)の間に,放射線障害をはじめ原子爆弾に起因する何がしかの原因により死亡した多数の被爆者は,全く調査の対象にされていないところ,同月から同年12月の間に,少なくとも11万人を超える被爆者が死亡したといわれており,これは全被爆者の3分の1を超える数字である。
このように,放影研による調査は,文字通り「生き残り集団」,すなわち,もともと放射線の影響を受けにくい=放射線感受性が低い被爆者に偏っていた可能性があり,かように放射線感受性が低い被爆者を調査対象とした場合には,平均的な被爆者を調査対象とした場合よりも,放射線の影響がより表面化しにくいことは明らかである。
そして,疫学調査の観察開始時点が最短の潜伏期間よりも後に設定されると,感受性の高い者を含めて早期発症者への影響を見落とすことになってしまうから,特に潜伏期間の短いものの評価においては,観察開始の遅れを考慮する必要があるところ,放影研の疫学調査が,昭和25年あるいは昭和33年までに死亡した人を除外しているために,被爆者に対する放射線の影響を過小評価しているおそれが十分にあるといわざるを得ない。
さらに,発がんの可能性が一生涯続く場合は,生存しているコホート集団が存在する限りは観察を続ける必要があるはずであるが,現に得られている観察途中でのデータには,当然ながら,今後発症するであろうケースは把握されていない。
そういう意味においても,放影研の疫学調査にはおのずから限界があるというべきである。
d さらに,「原因確率」を「個々の被爆者の疾病の発生が原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率」であると定義するならば,それは寄与リスクの値の大小とは別のことである。したがって,寄与リスクの値が小さいからといって,上記のような本来の意味の「原因確率」(影響を受けている蓋然性)が小さいとは必ずしもいえず,寄与リスクの数値を起因性判断の決め手とすることは許されない。
具体的には,ある要因が疾病の原因となっていれば,集団における発症率・死亡率が増加することが多いから,非曝露群(C)に比して曝露群(X)は大きくなるであろう。それゆえ,異なる集団を比較することによって疾病等の健康事象の原因を探索したり,疑わしい要因の関与を証明したりすることができる。つまり,「非曝露群(C)より曝露群(X)方が多い=『原因-結果』の関係を疑うことができる」,ということになる。
しかしながら,CとXの比率は,それがそのまま,Xのうちで放射線の影響を受けて発症した人数を表すわけではない。すなわち,非曝露群(C)10人中5人が発症し,曝露群(X)10人中8人が発症した場合でも,実際には,曝露群の10人全員が放射線に被曝し,細胞レベル,遺伝子レベルで多かれ少なかれ放射線の影響を受けているから,肺がんの発症に至らない前段階での進行速度や,がんの発症時期,そしてその後のがんの進行が「促進」される可能性が十分にあり得るのである。この例のように曝露群の8人のうちどの5人をとっても被曝露群の発症者5人と比べて進行が促進されている場合である。この例では,非曝露群でも5人発症する,という理由だけで,曝露群で発症した8人のうち5人を放射線起因性が認められないと決めつけることはできない。放射線は,既に放射線が極めて微量であっても人体に対して遺伝子レベル・細胞レベル・免疫レベルで様々な影響を及ぼすことが実証されている以上,特定の疾病の発症に至る機序(モデル)が完全に解明され,放射線が何らの作用を及ぼさなかったことが確認されたような例外的な場合を除き,当該疾病を発症した被爆者全員について,放射線が共同成因として発症に作用したとみるべきである。
エ 被告らの福地意見書に対する批判について
(ア) 福地意見書が問題としているのは「原因確率」そのものではなく,審査の方針において判断基準として用いられている「原因確率」が児玉論文に記載される寄与リスクの値をそのまま転用するという「原因確率論」の手法であり,このような転用手法は,飽くまで「原因確率」の数値についての1つの仮説に過ぎず,それ自体の科学的根拠と具体的妥当性が厳しく吟味されなければならない。
(イ) まず,寄与リスクが放射線に起因する発症率を表すという前提自体に誤りがある。すなわち,「原因確率」は,個人の疾病について原子爆弾の放射線が影響を与えた蓋然性のある確率ないし寄与率を数量的に表そうとするものであるのに対し,寄与リスクは,原子爆弾の放射線を被曝することによって集団が全体として受けた影響の大きさを表す疫学的な指標である。
したがって,ある疾病について,問題となる要因に曝露しない集団の罹患率がCであり,曝露した集団の罹患率がXであるとすれば,両集団の罹患率の違いは,当該要因への曝露の有無によって生じたものと考えることができ,曝露群の罹患率Xに対するこの差(X-C)の比をもって,当該要因が集団に対して与えている影響の大きさを表すことができる。そして,寄与リスクは,ある要因の集団(社会)全体に対する影響を表すものであって,その要因が特定の個人に対する影響を表すものではないから,これを個人の放射線起因性の判断にそのまま適用することは,本来予定されていないものである。
それにもかかわらず,かかる寄与リスクの値を「原因確率」として転用することができる根拠については,一切説明されていない。
(ウ) 次に,「原因確率論」の作成,運用に関与する人々が自ら,その誤りや限界を事実上認めている。
すなわち,児玉氏は,上記東京地裁における証人尋問において「放射線がある事象を起こして,それが例えば皮膚がんにつながっている場合は,直接作用ではないかもしれませんが,放射線が最初になければそういうふうにならないわけですから,関連は大いにあるというふうに解釈できる。」と証言しており,放射線が複合要因の1つ,あるいは,間接的に発症を促進する場合が現実に存在し,放射線に起因して皮膚がんが発症したと考えるのが自然であることを事実上認めている。
また,厚生労働省の疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会の会長代理を務めている草間朋子氏も,平成13年度の厚生労働省委託研究「電磁放射線障害に関する最近の医学的知見の検討」の報告書(以下「草間論文」という。)において,サンダー・グリーンランド博士の論文を紹介して,原因確率を補償スキームに用いることの問題点を列挙している。
(エ) そして,放影研の疫学調査方法そのものにも問題がある。
a 第1に,放影研は,当初,設定グループごとの比較調査を実施していたが,その後,当初の被爆距離と遮蔽に基づく調査に立脚して,被曝線量ごとにグループを分けてポアソン回帰分析をするようになった。
しかし,かかる回帰分析の手法を用いるためには,福地意見書でも指摘されているとおり,①曝露群での線量-反応関係が正しく把握されていること,及び②対象集団に対する線量の割当てが正確になされていることが前提条件とされるべきである。
そこで,前提条件①についてみると,放影研が採用するポワソン回帰分析は,DS86に依拠して初期放射線のみの被曝推定線量のみを変数とするものであり,このDS86自体,爆心地から遠距離になればなるほど初期放射線による被曝線量の推定において少なからぬ誤差が生じるほか,残留放射線による被曝線量をゼロと評価するといった欠陥を有しており,かかる致命的欠陥は,DS02においても何ら改善されていない。
また,前提条件②についても,放影研の疫学調査における線量の割当ては,残留放射線や内部被曝の影響を考慮していないといった欠陥に加えて,放影研の疫学調査において被曝線量の割当てに用いられたDS86は,広島のウラニウム爆弾と長崎のプルトニウム爆弾における中性子線とガンマ線の組成の相違や中性子線とガンマ線の生物学的効果比の相違等を踏まえて初期放射線量の算定がなされたか否か皆目不明である。
さらに,審査の方針に付された原因確率の表では,被曝線量を中性子線とガンマ線との単純な合算である吸収線量(Gy)で表しているが,中性子線とガンマ線では,生物学的効果比が異なり,これらを同列に考えて単純に合算することは非科学的なものである。
b 第2に,被告らは,放影研の疫学調査は,残留放射能,すなわち放射性降下物や誘導放射能を無視するものではないなどと弁明するが,実際は,放影研自身が,1人1人の被爆者につき広島又は長崎での被曝位置,遮蔽の有無,程度をもとにDS86の推定線量を割り当て,各人ごとの死亡診断書との関係で寿命調査を行い,さらには腫瘍登録の結果を用いて発生率調査を行ったが,線量の割当てにおいては被爆後の行動を考慮していない旨を回答しているし,児玉氏自身も,放影研の回答と同様の証言をしている。
このように,各被爆者の被爆後の行動を把握していないということは,放射性降下物や誘導放射能による被曝線量を各被爆者に割り当てることができないこと,及び残留放射線の影響を交絡要因として初期放射線の影響から排除することができないため両者の影響が合体して出てくることを意味することになり,この点についても,児玉氏は同意している。
さらに,放影研が採用するポアソン回帰分析は,線量ごとにグループをつくり,それぞれの発生率を回帰分析するという手法をとるものであるが,爆心地から近距離にいた被爆者よりも遠距離にいた被爆者の方が,その後に入市して救援活動等に従事した可能性が高いはずであるのに,かかる活動における残留放射線による被曝線量は一切加算されないため,ゼロないし低線量のグループに割り当てられてしまう。その結果,これらの人々は,回帰分析上はバックグラウンドリスクにほぼ等しくなり,バックグラウンドリスクが低ければ低いほど,当然のことながら,相対リスク(RR)や過剰相対リスク(ERR)が低くなり,それらの変形である寄与リスクも低くなってしまう。
c 第3に,被告らは,「調査対象の選択による大きな隔たりが存在する可能性は低い」と主張するところ,確かに,寿命調査(以下「LSS」という)第9報第2部には,結核による死亡について,妊娠中に被爆した女性以外では被曝線量による差がない上,妊娠中の女性はその例数が少なく,統計的には意味がない旨述べられている。しかし,被告らが認めるとおり,そこに引用されている調査は,得られた限りの3つの資料を用いて,上記の偏りがあるか否かを検討したものに過ぎず,その統計数字には男女比が示されていないこと,近距離での被爆者の数が少ないことなどの問題がある。むしろ,LSSの初期の段階における調査では,放影研が重畳調査を開始する以前は,結核を含む感染症の死亡率が高かったことがうかがわれる。
また,LSS第9報第2部には悪性新生物以外の死因については,線量との関連は認められなかった旨が記載されているが,この第9報第2部は,がん以外の特定死因で,原爆被爆との有意な関係を示すものはみられないことを前提とするものであって,かかる前提は,その後放影研自身によって否定されている。すなわち,LSS第11報第3部では,高線量域(2ないし3Gy)で非がん疾患の死亡に過剰リスクがあることが示唆され,その後のAHS第7報では,子宮筋腫,慢性肝炎,肝硬変,甲状腺疾患にも統計上有意な過剰リスクを認め,さらに,LSS第12報第3部では,死亡率調査においても,循環器疾患,消化器疾患,呼吸器疾患という悪性新生物以外の疾患(非がん疾患)についても過剰リスクが見いだされるようになっており,このような傾向は,AHS第8報,LSS第13報においてより明確に示されているのであり,LSS第9報第2部の非がん疾患に関しては放射線の影響がないとする指摘は,もはや科学的根拠を失っている。
さらに,被告らは,現在の寿命調査でのリスク推定は「被爆者のうち昭和25年当時生存していた者」という集団におけるリスク推定であり,現時点において生存している被爆者は,その当時においても生存していたのであるから,現時点におけるリスク推定に誤りをもたらすものではないなどと主張するが,LSS第3報,第4報及び第13報の指摘によれば,生き残った人々は,(残留放射線の影響は別として)初期放射線の被曝線量が多かったほど,すなわち爆心地に近ければ近いほど放射線に対する抵抗力が強かった可能性が高いことになり,そして,急性放射線症状に対する感受性と後影響に対する感受性とが,同一ないしは強く関連しているとすれば,急性症状で死亡した人たちがもし現在まで生き延びていた場合,後影響の出現状況は大きく変わってくる。いずれにせよ,急性原爆症を呈した人々の一部が,その後ABCC(放影研の前身)による調査開始までに死亡していたことは,残りの急性原爆症を呈しなかったり,あるいは呈しながらも生き残った人々が,少なくとも初期放射線の感受性の有無により選択され,かつ,その選択が高線量であればあるほど強かったことに帰結する。それにもかかわらず,かかる生き残った人々についても,線量反応関係が現れたのであり,むしろ,選択が働かなければより強く線量反応関係が現れたはずである。
(オ) 以上のとおり,被告らの福地意見書に対する批判は,およそ当を得ていない。
その他,被告らは,「統計上有意とはいえない」あるいは「信頼区間が広い」疫学調査の結果に基づき,原因確率の妥当性を論評することはできない,審査の方針は「信頼区間が広い」とされる疾病の原因確率についても,十分に配慮しているなどと主張するが,福地意見書が問題にしているのは,そもそも,統計上有意とはいえない場合とか,信頼区間が広いような場合においてさえ,何が何でも寄与リスク(=原因確率)の値を出そうとすること自体であって,被告らの批判は的はずれである。
オ あるべき認定基準について
(ア) まず第一に,放射能の影響について全容を解明できてはいないという冷厳な事実に対する謙虚な姿勢に基づき,被爆の実態・実相を直視し,その実態・実相を踏まえて,事実を認定することが必要であり,そこでは,原爆放射線を被曝したことによって当該疾病が発生するに至った医学的,病理学的機序の証明を直接検討するのではなく,放射線被曝による人体への影響に関する統計的・疫学的な知見を踏まえつつ,当該被爆者の被曝状況,被曝後の行動やその後の生活状況,具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的,総合的に考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係を是認できる高度の蓋然性が認められるか否かを検討することが相当である。
原告らの各疾病の放射線起因性を判断する際にも,①各原告の被爆状況,被爆後の行動,活動内容及び生活環境,②各原告に被爆直後に発生した症状(急性症状の有無,内容,態様,程度),③各原告の被爆前の健康状態と被爆後の健康状態の変化,④各原告の申請疾病と病態といった観点に着目すべきであり,⑤被爆者の被爆体験に関する特性に注意を払うべきである。
第2に,原爆被害の複合性への理解が必要である。すなわち,松谷訴訟最高裁判決では,原爆の爆風による外傷を脳孔症の発症の主要な原因としながらも,放射線がこれに寄与したことをもって原爆放射線の起因性を認めており,放射線の影響が他の要因に比較して大きいことの立証までは要求していない。
(イ) そして,松谷訴訟最高裁判決によれば,放射線起因性が認められる高度の蓋然性とは,「放射線起因性があるとの認定を導くことも可能であって,それが経験則上許されないものとまで断ずることはできない」という程度の蓋然性で足りるとされているのであって,このことは,通常の立証の程度として議論されているところの「高度の蓋然性」とは実質的には異なった「高度の蓋然性」を想定しているということができる。
(ウ) 以上によれば,放射線起因性の判断に当たっては,まず,被爆の実相・実態をまず理解すべきことになる。そして,被爆の実相・実態の直視及び原爆被害の複合性への理解という観点に立った場合,個別的断片的な原爆被害に着目するのではなく,原爆放射線被害,すなわち,原爆症の全体像を総合的に正しく理解しなければならない。
この点,初期に被爆者の調査に当たった東京大学名誉教授の都築正男は,急性症状になった人は,慢性原子爆弾症になりやすいとした上で,慢性原子爆弾症について,慢性原子爆弾症になりやすい人々に発生する正常ないし病的ストレスに対して,量的或いは質的に異常な反応を示し,特殊な条件が備われば,後遺症乃至後影響症としての発病も起こり得ることとなると述べている。そして,健康診断実施要領には,このような医師らの指摘を受けて,被爆者のうちには,被爆後10年以上を経過した今日,いまだ原子爆弾後遺障害症ともいうべき症状を呈する者がある状態で,特にこの種疾病には,被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと,一見良好な健康状態にあると見えながら,被爆による影響が潜在し,突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがある旨の記載がある。
また,放影研の調査の中で,細胞性免疫の主役を演ずるT細胞の減少と偏倚が疫学的に原爆放射線と線量反応関係にあることが認められており,このことは「原爆放射線の人体影響1992」が急性障害には回復期があるとした点(11頁)や,従前放影研や被告らにおいて,急性症状快復後は免疫的能力は回復したと述べていたこととは明らかに相違する事情が認められている。その際,放射線が加齢を通して被爆者の発症を促進していること,そして,これらの知見からみたとき,原爆放射線が被爆者の発病全体を促進している可能性は非常に強く,被爆者が一定の疾患を発病した場合には,放射線の影響が強く推定されると見るべきである。このような発症の促進という事情も個別的断片的な把握からは導き出せないものであって,全体像の把握,総合的理解が不可欠であることを意味している。
そこで,前述した放射線の複合的な影響を踏まえれば,むしろ,被爆者手帳を有するものは全て放射線の影響を受けていると推定した上で,この被爆者が放射線の影響を受けたと更に強く推定させる間接事実が,例えば,急性原爆症(急性症状)であり,また,被曝前に比較した場合の被曝後の体調不良(体調の質的変化)と考えるべきである。
(エ) なお,各原告に対する放射線の影響を判断するに当たって,当該原告が直爆を受けている場合,直爆時の爆心地からの距離,場所,特に遮蔽の有無に留意すべきことは当然であり,それらによって,初期放射線によるおおよその推定被曝線量を算出することができる。
しかし,初期放射線の人体に与える影響の詳細ですら,科学的に解明されているとはいい難い段階にあることも十分配慮をすべきである。現代の科学をもってしても,被爆者の受けた放射線量を正確に算出することは困難であって,現段階では,せいぜい「推定値」にすぎないことにかんがみれば,各原告が放射線の影響を受けているか否かを判断するためには,当該原告の被爆の実相・実態こそ重視されなくてはならない。
また,入市・遠距離被爆者に放射線被曝の実態があることは明らかであり,初期放射線が被爆者の身体に影響を与えた放射線の一部にすぎないことは争いようのない事実であり,誘導放射線による被曝,放射性降下物や放射化した塵や煤を吸い込んだり,放射性降下物が含まれた水を飲んだことによる内部被曝の影響を,未解明性を理由として無視することとなれば,放射線の人体への影響を判断する際に重大な誤りを犯すこととなる。
残留放射線の影響を判断するためには,原告らの被爆後の行動を把握することが不可欠であり,また,誘導放射線の影響の有無・程度を調べるには原告らが被爆後に市内中心部に出入りしたか否かを確認することが必要である。さらに,当該原告らの従事した活動内容,飲食の有無やその内容にも留意すべきである。そして,原告らが爆心地付近や黒い雨・黒いすすの降下地域で行動した事実があれば,放射性降下物などの残留放射線による外部・内部被曝を受けた事実が強く推認される。
以上述べたとおり,原告らの認定申請疾病の放射線起因性を判断する際には,被爆時の状況のみならず,被爆後の行動,活動内容及び生活環境などから,残留放射線による外部・内部被曝,低線量放射線による継続的被曝(内部被曝),残留放射線による被曝(特に内部被曝)の有無について総合的に考慮することが不可欠である。
(オ) また,多くの被爆者には,被爆直後から発熱,下痢,嘔吐,脱毛,脱力感,倦怠感,鼻出血,歯齦出血,皮下出血,咽頭痛,白血球減少,赤血球減少などの急性症状が現れている。これらの急性症状は,放射線が人体に影響を与えたことの重要な徴表であり,原告らに対する放射線の影響を判断するに当たっては,被曝直後の急性症状の有無,内容,態様,程度などには十分に留意すべきであり,原告らに放射線被曝による急性症状として説明可能な症状が生じている場合には,相当量の放射線被曝の事実を強く推認させることとなる。
さらに,原告らに急性症状の発症が確認できない場合であっても,当該原告が放射線に被曝していないと断定することはできない。すなわち,同じ線量の放射線を浴びたからといって,100人が100人同じ症状を呈するわけではなく,放射線感受性が低い被爆者の場合には急性症状を呈しない可能性があるし,そのときの体調で急性症状が現れない場合もある。事実,急性症状がないとされる者の中にも,相当の割合で,被爆後に体調不良状態(被爆前の健康状態と異なった健康状態に陥っているなど)に陥っている者がいる。急性症状のない被爆者がその後に放射線起因性の高い疾患に罹患している事実も考慮すれば,放射線に対する感受性には個体差があり,急性症状の発症の有無や程度が異なる可能性があると考えるのが合理的であるし,低線量放射線(放射性降下物や誘導放射線の影響)による継続的被曝(内部被曝)は,高線量放射線による短時間被曝よりも深刻な障害を引き起こすと考えられる。
(カ) さらに,以上のように急性症状のみではなく,原告らに対する放射線の影響を判断するに当たっては,当該原告の被爆前後における健康状態(体調)の質的変化の有無,その後の健康状態の推移,その後発症した病気等を総合的全体的に検討・評価すべきものである。
原爆症とは,放射線により免疫機能やホルモン異常等,人体が全体的に様々な状況に対する抵抗力の弱った状態,ないしはその可能性のある状態を意味するものなのであるから,例えば,慢性原子爆弾症は,その病態に照らせばこのような原爆症の典型的な症状であって,そのような症状を呈する者は,人体への放射線の影響を強く推定させる。
(キ) 加えて,原告らの申請疾病に対する放射線の影響を判断するに当たっては,申請疾病の発症経過やその病態も慎重に検討するのみならず,当該原告の申請疾病に限定することなく,原告らが被爆後罹患したその他の疾病の有無や内容についても,それらに放射線起因性があるか否かについて慎重に判断し,これらの疾病も申請疾病の放射線起因性を判断する際に十分考慮しなくてはならない。
そして,申請疾病が放射線以外の原因によって発症したという証拠が明確でない場合には,当該疾病は原子爆弾の放射線に起因して発症したものとみるのが合理的である。
カ 要医療性について
(ア) 一般に,傷病については,再発や合併症などのケアのために,症状が安定した後も経過観察をするのが一般的である。とりわけ,放射線後障害については,その機序や予後が未だ解明しつくされていないこともあって,医師による長期の経過観察が必要である。また,治療方法についても研究の余地が残されていることのほかに,治療指針が治療上の一般的注意として指摘しているように,原子爆弾被爆者の中には自身の健康に関し絶えず不安を抱き神経症状を現す者も少なくないので,心理的面を加味して経過観察を行う必要がある場合もある。
したがって,医学的に見て何らかの医療効果を期待し得る可能性を否定することができないような医療が存する限り,要医療性を肯定するべきである。
(イ) そして,被爆者に対する心理的ケアも加味して,当該被爆者の疾病に対して,医学的に見て何らかの医療効果を期待し得る可能性を否定することができないような医療が存するか否かの判断に当たっては,医療の現場において,当該被爆者に対する日常的な治療に当たっている主治医の判断こそが尊重されるべきである。
(ウ) 以上によれば,被爆者援護法10条にいう「現に医療を要する状態にある」とは,医学的に見て何らかの治療効果を期待し得る可能性を否定することができない場合にはこれに該当すると解すべきであり,かかる要医療性の判断に当たっては,主治医の意見が十分尊重され,その判断に著しい不合理がない限り,要医療性は認められるべきである。
(6) 原爆症認定の具体的な指針
ア 放射線の影響を受けたことを推定させる事実
以下の①から③は被爆の事実そのものであり,④から⑦はその症状から原爆放射線の身体への影響が推定できる事実であり,これらのうち1つでも該当すれば原爆放射線の影響があると考えるべきであるが,複数の項目に該当する場合はより強く原爆放射線の影響が推定される
① 原子爆弾の核反応による初期放射線(ガンマ線,中性子線)に被曝していると推定されること(DS86で認められるような近距離被曝の事実)
これは,初期放射線の被曝の事実が推定されることを挙げたものである。ここで,「DS86で認められるような近距離被爆の事実」というのは,爆心地から2.5km程度までの距離を想定している。ただし,2.5km以遠であっても,初期放射線が到達した可能性は否定できないのであるから,全くこの要件を満たさないと判断すべきではない。
② 放射性生成物や降下物によるガンマ線やベータ線,アルファ線に被曝していると推定されること(黒い雨,火災煙,死体や瓦礫処理時の放射性微粒子,汚染された食物や水などによる外部及び内部被曝の事実)
これは,残留放射線のうち,放射性生成物や放射性降下物からの放射線に被曝した事実が推定されることを挙げたものである。括弧内の事実のうち,どれか1つでも認められる場合には,この要件に該当し得る。ここで,「黒い雨」や「火災煙」というのは,放射性物質を含んだ雨や煙のことであり,「汚染された食物や水」というのは,主として放射性降下物が食物や水に付着,混入した状態を想定しているが,食物や水自体が誘導放射化している可能性も考慮しなければならない。
なお,この被曝の態様には,外部被曝と内部被曝とがあるが,特に内部被曝については,体内に放射性物質が取り込まれて,血液中に存在したり一定の組織に集まったりするなど,長期にわたって影響を与え続けるものである。したがって,被曝の程度を考える際には,内部被曝による長期の影響というものを重視しなければならない。
③ 誘導放射線(土壌やコンクリート,鉄骨などからの放射線)に被曝していると推定されること
これは,残留放射線のうち,誘導放射線に被曝した事実が推定されることを挙げたものであり,原爆で崩壊した建物の周辺を歩き回ったり,けがややけどなどで地面に横たわったりした事実がこれに当たる。長崎に原爆が投下された約1年半後に,原爆で倒壊した建物の下にあった土壌を採取してフィルムの上に置いたところ,フィルムが感光したという報告もあり,相当長期間にわたって残留放射線があったと考えるべきである。
なお,被曝の態様は外部被曝となるが,長時間,地面に横たわっていたり,鉄骨の中にいた場合には,強い影響を考えなければならない。
④ 被爆後,およそ2か月以内に発症した身体症状(発熱,下痢,血便や歯齦出血のような出血傾向,治りにくい歯肉口内炎,脱毛,紫班,長引く倦怠感など)があったこと
これはいわゆる急性症状である。急性症状がみられる場合には,初期放射線だけでなく,残留放射線も含めて,相当程度の放射線被曝があったと推定できる。
なお,急性症状を認定できない場合であっても,近距離被爆による急性症状の発現率が100%ではなく個体の感受性に差異があることや記憶の喪失も考えられることに留意しなければならない。
⑤ 熱傷,外傷瘢痕のケロイド形成
これらは,爆心地から2kmを越え3kmくらいまでの距離で被爆した被爆者に高い率で発現するとされており,熱傷がケロイドを形成するのは放射線熱傷の特徴とみられる。DS86,DS02ではほとんど線量がないとされる地点でも,一定の放射線を浴びたことをケロイドは示しているといえる。
⑥ 被爆後数年以内に発見された白血球減少症,肝機能障害(現時点でのB型肝炎やC型肝炎検査陽性者を含む)
白血球減少や肝機能障害が被爆者に多く認められることは,被爆間もないころから知られていたものである。
⑦ 被爆後長く続いた原因不明の全身性疲労,体調不良状態,健忘症,労働持続困難などのいわゆる「ぶらぶら病」状態があったこと
これらの症状は,多くの被爆者を苦しめていた被爆者特有のものといってもよい。内部被曝との関連が疑われているが十分解明されていないが,未解明であるというのは,医学的に完全には説明できないものの,これら症状が原爆の影響以外には考えにくいということが前提になっていることに留意すべきである。これは,放射線が与える脳細胞に対する影響によって起こる症状と考えられ,単なるストレスなどの心理的要因で起こるものではなく,外部被曝や内部被曝という事実に起因して生じる症状である。
イ 原爆放射線によって発生する可能性のある負傷又は疾病
以下の各疾患は,主として,がん疾患に関するものとがん以外の疾患に関するものであるが,これらの疾患について合理的な説明がつかない限り,放射線との因果関係を肯定すべきである。
(ア) 原爆被爆後に生じた白血病などの造血器腫瘍,多発性骨髄腫,骨髄異形成症候群,固形がんなどの悪性腫瘍,中枢神経腫瘍のいずれかに罹患していること
がんであればすべて原爆放射線によって発生する可能性のある疾患と考えるべきであり,すべて原爆症認定の対象とすべきである。
統計上,必ずしも有意差が現れていないがんもあるが,そのような場合であっても,原爆放射線によって発生する可能性のある疾患と考えるべきである。現在の統計上,有意差が現れていない理由としては,発生数が少ないがんについては有意差が出にくいということ,いわゆるがん年齢に達して初めて有意差が出てくるがんがあること,放影研の調査対象の中には入市・遠距離被爆者が含まれていることから,有意差が出にくい調査形態となっていることなどの様々な要因が考えられる。
したがって,現在有意差が認められていないからといって,放射線と無関係の疾患であることが科学的に証明されたものではないことに特に注意しなければならない。
(イ) 原爆放射線の後影響が否定できず,治療を要する健康障害が認められること
がん以外の疾患については,放影研のAHS第6報以降,放射線との有意な関係が認められる疾患が徐々に増加しており,調査期間が延長されるにしたがって,有意差のある疾患の増加が認められる。これは,被爆者が年齢を重ねるにしたがって,罹病率や死亡率が増加するということであり,放射線被曝が,加齢による疾患の罹患や重症化を加速していると考えられる。
a 後嚢下混濁や皮質混濁が認められた白内障
これは,今日では,いわゆる遅発性の原爆白内障(後嚢下混濁)と早発性の老人性白内障(皮質混濁)を意味する。これらの白内障については,AHS8報などによって,放射線との有意な関係が認められ,しかもしきい値がないという報告もなされている。
b 心筋梗塞症をはじめとする心疾患,脳卒中,肺疾患,肝機能障害,消化器疾患,晩発性の白血球減少症や重症貧血などの造血機能障害など,病歴上他に有力な原因がなく,放射線被曝との因果関係を否定できない場合
これは,放影研のLSS11報以降の調査で,死亡率が上昇してきていることを踏まえて挙げられた疾患である。
肺疾患については,LSS12報では,放射線との有意な関係が認められたのは非結核性の肺炎が中心であった。しかし,被爆者が非被爆者と同じ健康な肺を持っているのであれば,肺炎の死亡率に有意差が出るはずがない。肺炎の死亡率に放射線起因性があるのであれば,免疫的な異常か,あるいは肺気腫や慢性気管支炎などのように肺炎の背景にある基礎疾患そのものについても放射線の関与があると考えられる。
また,消化器疾患についても,LSSで有意差が認められたのは肝硬変が中心であったが,その他にも消化性潰瘍,腸閉塞,その他の肝疾患など,様々な疾患について放射線の影響を考えなければならない。
肝機能障害については,AHS7報以降で被爆者に有意に多いことが明確になっている。
造血機能障害については,LSS12報などにおいて,他の非がん疾患と比較してはるかに高い放射線の影響があることが認められている。
c 甲状腺機能低下症や慢性甲状腺炎で治療を要する場合
甲状腺疾患については,AHS6報以降の調査では有意差があると報告されている。これは,甲状腺が人体の中で放射線にもっとも敏感な感受性の高い臓器であることからも容易に理解できる。被爆者の甲状腺機能低下症の判断に当たっては,低線量域でも甲状腺機能低下症が発症している事実を重視すべきであり,被曝線量が低いことを理由に放射線起因性を否定してはならない。
d 被爆当日に生じた外傷の治癒が遅れたことによる運動器障害,又はガラス片や異物の残存による障害を残している場合
「被爆当日」とは,基本的に被爆当日の外傷,熱傷を念頭に置いているが,被爆者がどのように外傷や熱傷を受けたのかを個別に考慮する必要があり,被曝翌日くらいの範囲は含めてよいと考えられる。
「運動器障害」というのは,主として骨や関節,筋肉の疾患のことである。変形性脊椎症や骨粗しょう症などがこれに当たる。このような疾患は,加齢による可能性もあるが,年齢(加齢)に似合わない運動器の変化を起こしているのであれば,被曝の影響を考えなければならない。
(7) 小括
以上述べてきたとおり,原告らの各疾病の放射線起因性を判断する際には,①各原告の被爆状況,被爆後の行動,活動内容及び生活環境,②各原告に被爆直後に発生した症状(急性症状の有無,内容,態様,程度),③各原告の被爆前の健康状態と被爆後の健康状態の変化,④各原告の申請疾病と病態といった観点に着目すべきであり,その際には,⑤被爆者の被爆体験に関する記憶の特性にも注意を払うべきである。
(8) 原告Aの申請疾患について
ア 被爆前の状況等
原告A(大正13年4月生)は,小樽の旧制中学校を卒業後,昭和17年,日本大学芸術学部に進学したが,同校在学中に徴兵されることとなり,昭和19年9月,広島市皆実町にあった船舶通信補充隊に入営した。原告Aは,昭和20年5月,伍長に昇進すると同時に,本部教育事務室勤務を命じられ,本部で初年兵教育の任に当たっていた。
イ 原爆投下時の状況等
昭和20年8月6日午前8時ころ,空襲警報が解除され,原告Aは,本部指揮班の宿舎2階で就寝しようとしていた。
宿舎は,比治山公園の南西山麓に隣接する位置にあり,爆心地からは約1.87kmの距離にあり,木造2階建で,屋根はトタン葺,壁は15mmほどの板で,壁土はなかった。宿舎1棟は奥行き60m,幅30mほどの大きさであり,長さ60mの建物側面が爆心地方向に向いていた。宿舎内は,4名1室の部屋に区切られており,室内の左右両側が上下2段に仕切られ藁布団が敷かれた寝床となっており,部屋の壁面には幅2m,高さ4m程度のガラス窓が2面並んでいた。
原告Aは,部屋の上段の寝床を使用しており,爆心地方向に面したガラス窓から1m程度の距離の所で,藁布団の上に横になっていた。このときの原告Aの服装は,上半身は裸であり,下半身は下着の褌と薄い木綿製の膝までの長さの半ズボンを着用していた。
同日午前8時15分,広島に原子爆弾が投下された際,原告Aは,その雷のような突然の轟音で飛び起きた。原告Aの周囲には黒煙のように土埃が立ちこめ,視界不良の状況であったが,宿舎の屋根や壁が爆風で吹き飛ばされているのがわかった。右腕には割れたガラスの破片が突き刺さり,出血していた。
原告Aは,兵舎の外に出ていったん本部へと向かったが,行方不明者の捜索を命じられて兵舎に戻り,兵舎の倒壊跡で捜索,救助活動に従事した。原告Aは,その後,比治山付近で避難者の救援活動に従事し,火傷をした避難者の手当や重傷者の介護等に当たったほか,避難者たちの見回りなどをして一夜を過ごした。
ウ 被爆距離
上記の被爆状況に関して,被告らは,原告Aの被爆距離について,爆心地から2kmを下回ることはないと主張するが,被告らがその根拠として指摘する資料の中には,被爆地付近の形状について一致しないものもあり,それらを被爆距離算出の明確な根拠とすることはできないものである。
他方,原告Aと同じく船舶通信補充隊内の施設で被爆した小西氏の裁判(大阪高等裁判所平成12年11月7日判決)において,船舶通信補充隊通信講堂の位置について「爆心地から1.8km」の位置にあると認定されており,原告Aの宿舎の位置はそこからおおよそ50,60m離れた距離にあることからすれば,爆心地から1.87kmの位置に宿舎が存したと推認することには相当の根拠があるものといえる。事実,原告Aからの距離訂正の申請を受けた北海道保険福祉部予防課長が,原告Aの被爆者健康手帳の爆心地からの距離を「2.0km」から「1.87km」と訂正していることからも,その正確性は裏付けられている。
以上のとおり,原告Aの被爆距離は,爆心地から1.87kmの地点であったと認められる。
エ その後の状況等
原告Aは,翌7日から,比治山付近で無数の遺体の焼却作業に従事したが,右腕のガラス片による負傷部の治療等のため,宇品の陸軍船舶練習部に設置されていた臨時野戦病院に赴いた。
病院では,軍医から身体中が真っ黒になっていることを指摘されて身体を洗い,右腕に刺さったガラス片の除去等の処置を受け,同日は,同病院で一晩を過ごした。
同月8日,原告Aは,比治山の部隊本部に戻り,引き続き遺体の焼却作業に従事したが,昼過ぎころから,上官に命じられて広島市内の道路状況の調査に向かった。原告Aは,比治山を出発して市電の線路に沿って南下して御幸橋を渡り,今度は市電の線路に沿って北上して赤十字病院に至った。赤十字病院からは,更に西方に行き己斐駅を見回った後,市電の線路に沿って東に向かい,土橋から北上して横川駅に到着した。横川駅をたった後は鉄道の線路に沿って広島駅に向かい,その後,比治山の部隊へと戻った。
同月9日には,旧大本営跡地(広島城)で遺品の収集活動に従事した。本部からの往復の際には,紙屋町の爆心地付近を通過した。この日も遺体の搬出,焼却作業に従事した。
同月10日,原告Aは,比治山で焼却した遺体の埋葬作業に従事した。
同月11日ころから同月15日の終戦まで,原告Aは部隊跡地で復旧作業等に当たっていた。
オ 被爆後の健康状況等
原告Aは,小中学校には学校を欠席することなく表彰を受け,また,その後も軍隊に所属するなど何ら健康状態に問題はみられなかったが,被爆後には,多数の体調の不良に悩まされるようになった。また,原告Aは,被爆直後から下痢をすることが続き,終戦後に帰郷した後も2,3か月程度下痢が続いた。
原告Aは,昭和22年4月ころから,胃潰瘍による胃痛,嘔吐,下痢の症状があり,入院加療を受けた。
原告Aは,昭和29年,保健所の身体検査を受診した際,肺結核の診断を受け,約2年8か月間にわたって化学療法による治療を受けた。
原告Aは,昭和41年には,変形性腰椎症を発症し治療を受けた。
原告Aは,昭和43年,心筋梗塞を発症し,約8か月の通院治療を受けた。
原告Aは,昭和45年,再び腰痛・変形性腰椎症等により35日間の入院治療を受けた。
原告Aは,昭和52年,急性膵炎で36日間の入院加療を受け,翌昭和53年には,急性肝炎で92日間の入院加療を受けた。
原告Aは,昭和57年ころ,急性肺炎で14日間の入院加療を受け,翌昭和58年には,胃潰瘍・急性前庭部胃炎で13日間の入院加療を受けた。また,同年ころから,白内障と診断され,以後定期的な検診等を受けている。
原告Aは,昭和62年ころ,冠攣縮性狭心症を発症し,以後,投薬治療を受けており,昭和63年には,尿管結石により12日間の入院加療を受けた。
原告Aは,平成5年,胆嚢線筋症の診断を受け,平成8年9月には,前立腺がんの診断を受け,摘出手術を受けた。さらに,平成11年10月,右顔面の日光角化症(上皮内がん)の診断を受け,治療を受けた。
カ 原告Aの申請疾病(前立腺がん,日光角化症(上皮内がん))の放射線起因性
(ア) 前立腺がんに関する医学的知見
「寿命調査第10報第1部,広島・長崎の原爆被爆者における癌死亡,1950-82年」では,51の死亡例について検討した結果,100radにおける平均相対危険度は1.27であり,放射線量との関連性は統計的に有意ではないが,自然死亡率が低いことも重なり,放射線に起因する危険度は11.7%になること,前立腺がんによる死亡の相対危険度は,経時的に増加すると考えられるが,この経時的傾向は統計的に有意ではないこと,この傾向の程度は,10rad以上に被曝した男性の前立腺がんによる死亡が,昭和38年以前にみられなかったという事実により誇張されている可能性があること,前立腺がんに対する死亡診断書の診断は極めて不正確であり,山本らは,確認率及び検出率がそれぞれわずか39%,21%であると報告したこと,最近,英国の原子炉作業者について,前立腺がんの死亡率の増加がみられると報告されたことが指摘されている。
「原爆被爆者の死亡率調査,第12報第1部,癌:1950-1990年」では,被爆時年齢30歳に補正した場合,1Sv当たりの過剰相対リスクは0.44(90%信頼区間NAないし2.06)とされている。
「原爆被爆者における癌発生率,第2部:充実性腫瘍1958-1987年」(いわゆるトンプソン論文)では,前立腺がんの1Sv当たりの過剰相対リスクは,被爆時年齢が10歳から19歳では0.87,20歳から39歳では0.50,40歳以上の場合0.24,全年齢の場合0.29(95%信頼区間は-0.21ないし1.16)であり,高線量(2.5Gy以上)の被爆者では,前立腺がんの過剰相対リスクの点推定値は高くなり,ほとんど統計的に有意なレベルに達するとし,少なくとも0.01Svに被曝した者では,前立腺がんの約7%(95%信頼区間は-0.46ないし2.21)は放射線被曝に関連しているかもしれないことが推測されたとしている。また,寿命調査集団の加齢に伴いより明らかな像が現れてくる可能性があることが指摘されている。
「原爆被爆者に於ける癌発生率調査,第4部:癌発生率および死亡率の比較」(いわゆるワン論文)では,寿命調査集団における昭和33年から昭和62年までの広島及び長崎の前立腺がんの発生症例(登録数)は140例,死亡症例は63例であるのに対し,同期間の全国の前立腺がんによる死亡症例は67例,昭和25年から昭和62年までの全国の前立腺がんによる死亡症例は69例であること,腫瘍登録において前立腺がんと診断された症例について,死亡診断書の主要死因においても前立腺がんとされている例は36.4%,その他のがんとされている例は7.1%,がん以外とされている例は38.6%,昭和63年現在生存している例は17.9%であることが指摘されている。
「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」では,前立腺がんについては,被爆時年齢30歳の男性の場合,1Sv当たりの過剰相対リスクは0.21(90%信頼区間は-0.3ないし0.96),推定線量が0.005Sv以上の被爆者における寄与リスクは4.9%(90%信頼区間は-5ないし20%)であることを指摘されている。
「原爆被爆者における顕性前立腺癌の検討」では,①昭和63年4月1日から平成9年1月31日までの間に,広島赤十字原爆病院において臨床的に発見され,組織学的にも確認された前立腺がんを対象とし,昭和20年以前に誕生した男性の非被爆者を対照群とする方法により検討したところ,前立腺がん症例の全病理組織症例に占める割合(全年齢)は,遠距離被爆群(2km以上での被爆及び入市被爆。約2.22%,1351例中30例),近距離被爆群(2km未満で被曝。約1.74%,460例中8例),非被爆群(約1.05%,6190例中65例)の順で高く,遠距離被爆群と非被爆群の間には1%の危険率で有意差が認められ,被爆群に前立腺がんが多い可能性が考えられた。②また,70歳代の男性のみを対象として検討したころ,前立腺がん症例が全病理組織症例に占める割合は,遠距離被爆群が最も高いもの(4.1%,366例中15例)であったが,有意差は認められず,③被爆との関係については否定的であるものの,臨床的に発見される進行した前立腺がんは,どの角度から見ても遠距離被爆群に多く発生していたことから,低線量の被曝が前立腺がんの進行に関わっている可能性は否定できないとされた。
「広島大学原医研附属原爆被災学術資料センターに保存されている被爆者剖検例前立腺癌の特徴」では,昭和29年から昭和56年までの間に広島市内の主要医療施設で剖検され,広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センターに保存されている男性被爆者の前立腺がん症例54例を用いて,昭和35年から昭和52年までの間に同大学病院で剖検された非被爆者の前立腺がん症例34例を対照群として検討したところ,対照群の粗発生頻度が1.15%であるのに対し,被爆者群の発生頻度は2.03%(2654例中54例)であり,統計的に1%以下の危険率で有意差が認められ,被爆距離別の発生割合は,2km以内において37.5%,2km以遠において62.5%であることが指摘されている。
「英国原子エネルギー公社従業員のがん死亡率・罹患率1946-86」では,①英国原子エネルギー公社従業員について,①昭和21年ないし昭和61年の前立腺がん死亡率は,プルトニウム以外の核種による内部被曝についても観察された男性に主に限定して,外部被曝との間に,統計的に有意な相関を示し,②トリチウムへの内部被曝について観察された男性における前立腺がん死亡率は,英国民における前立腺がん死亡率に比して,3倍近く上昇し,③前立腺がん死亡率の率比(相対リスク)は,あらゆる放射性核種への被曝について観察された男性において,ホールボディカウンター積算線量の増加に伴って増加して,④前立腺がん死亡率は,トリチウムへの被曝が観察された男性において,外部被曝線量が増加するにつれて増加しており,また,⑤トリチウム又はプルトニウム以外の特定されない放射線核種への被曝が観察された男性においても,ホールボディカウンター被曝線量が増加するにつれて増加し,⑥前立腺がんと放射線外部被曝線量及び内部被曝線量との相関は,線量反応関係の強さが小さくなってはいるものの,なお明らかであることが指摘されている。
(イ) 皮膚がんに関する医学的知見
「原爆放射線の人体影響1992」では,貞森らが直接被爆者約6万人の資料をもとに昭和36年から昭和62年に確認された140例の被爆者皮膚がんについて調査した報告によると,皮膚がん発生率と被爆距離の間に有意な相関が認められ,その発生率は近年になるほど増加しており,特に2000m未満で被曝した群では昭和50年以後の増加が著しいとしている。また,平成3年に貞森らが放影研の長崎寿命調査拡大集団における昭和33年から昭和60年までの皮膚がん発生と電離放射線の関係について検討したところ,線量反応関係は,しきい値のない線形であり,過剰相対リスクは1Gy当たり2.2(95%信頼区間0.5ないし5.0)で高い有意性が認められたとしている。
「長崎原爆被爆者における皮膚癌第3報,長崎市内および周辺地区31病院症例での被爆距離別発生頻度」では,長崎市内の3大主要病院で収集した110症例の被爆者皮膚癌について解析した結果,皮膚がん発生頻度と被爆距離との間の統計的な相関は全症例及び男子症例について認められたが,女子症例については相関が成立しなかったところ,調査対象を31医療機関に増やして収集した140症例の皮膚がんについて解析したところ,全症例の場合と同様に男女別症例に分けた場合にも,統計学的相関を認めたとしている。
「原爆被爆者におけるがん発生率,第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」では,放射線と黒色腫を除く皮膚のがん罹患との関連性がみられた(1Sv当たりの過剰相対リスクは1.0,95%信頼区間は0.41ないし1.9)としている。
(ウ) 知見についてのまとめ
a 前立腺がんについて
上記のとおり,前立腺がんについては,最新の疫学調査である「原爆被爆者の死亡率調査第13報」でも未だ死亡率の有意な増加は認められていないが,上記のような結果が生じた原因としては,①前立腺がんの診断治療の進歩により死亡率が低くなっているため死亡するまでの期間が延長している可能性があること,②前立腺がんが高齢発生のがんであり,被爆後有意差が現れるまでに長い観察期間を要すること,③被爆者が前立腺がんの好発年齢に達する前に他の疾患で死亡する率が無視できないこと,④死亡調査は死亡診断書の疾患名と腫瘍登録との照合で行われているが,前立腺がんの場合そのいずれにも現れない,つまり診断書上の見落としや誤診という可能性が無視できない率で含まれていると予想されることなどがあり,死亡率の増加の認められないことが直ちに前立腺がんの放射線起因性を否定する理由にはならない。
近年の医学報告である「原爆被爆者における顕性前立腺癌の検討」及び「広島大学原医研附属原爆被災学術資料センターに保存されている被爆者剖検例前立腺癌の特徴」などにおいても,被爆者における前立腺がん発生の増加傾向はうかがわれており,「英国原子エネルギー公社従業員のがん死亡率・罹患率1946-86」でも前立腺がんと放射線外部被曝線量及び内部被曝線量との間の相関関係がみられた旨が報告されていることなどからすれば,原爆被爆者における前立腺がん発生に原爆放射線の関連性は否定できず,放射線に起因する可能性があるというべきである。
b 皮膚がんについて
皮膚がんについては,放射線被曝線量との関係について有意な線量反応関係が認められているのみならず,その過剰相対リスクは他のがんと比較しても高いものであるといえ,原爆放射線との関連性は明確である。
(エ) 原告Aの放射線被曝とその身体影響
前記のとおり,原告Aは,爆心地から約1.87kmの距離にある木造兵舎内のガラス窓の付近で,上半身裸,下半身に半ズボン着用という軽装の状態で被爆したことにより初期放射線による被曝をした上,その後も同所付近に滞在して長期間にわたり屋外で多数の負傷者の救護活動や遺体の焼却作業等に従事し,その間,昭和20年8月8日(原爆投下2日目)には爆心地に近い土橋付近(爆心地から750m辺り),同月9日(原爆投下3日目)には爆心地に極めて近い紙屋町付近(爆心地から500m以内)に徒歩で立ち入ったというのであるから,誘導放射能や放射性降下物が原告Aの身体や衣服に付着したことにより,誘導放射能及び放射性降下物による相当量の外部被曝もしたものと考えられる。さらに,この間,残留放射線に対する特別の防護もなく,上記のように爆心地付近の地区に立ち入ったり,屋外での作業等に従事するなどしていたのであるから,残留放射線による相当量の内部被曝も考えられる。
また,原告Aは,被爆直後から下痢をすることが続き,終戦後に帰郷した後も2,3か月程度下痢が続いたというのであるが,その執拗な症状からすれば,これは単なる栄養・衛生不良等の原因によるものではなく,放射線被曝による急性症状と捉えるべきであるほか,原告Aは,被爆前は健康状態に何らの問題がなかったのに,被爆後は,申請疾病のほかにも,胃潰瘍,肺結核,変形性腰椎症,心筋梗塞,急性肝炎,急性肺炎,白内障,冠攣縮性狭心症,尿管結石,胆嚢線筋症を発症するなど,長期にわたって体調不良状態が続いており,被爆前後の健康状態に大きな質的な変化が認められる。なお,上記疾病中にも,動脈硬化に関連する心筋梗塞及び狭心症(心疾患についての過剰相対リスクは0.17(「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」),心筋梗塞で0.25(「成人健康調査第8報,原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998」)),白内障,尿管結石など,被爆の影響を考え得る疾病が含まれる。そして,原告Aが前立がんと皮膚がんという多重がんに罹患していることも,これらの疾病への放射線影響を推認させる。
以上によれば,原告Aについては,原爆放射線による被曝とその身体への影響が十分に推定できる。
(オ) 放射線起因性についてのまとめ
以上のとおり,原告Aの申請疾病である前立腺がん及び皮膚がんについて一般に原爆放射線の影響を認めうること,原告Aの被爆状況やその後の状況,健康状態等から原爆放射線による被曝とその身体への影響が十分に推定できることからすれば,原告Aの申請疾病については,放射線起因性が認められるというべきである。
キ 原告Aの申請疾病(前立腺がん,日光角化症(上皮内がん))の要医療性
原告Aの前立腺がん及び皮膚がんについては,定期的に経過観察を受けて再発の発見に努めることが必要であり,要医療性が認められる。
ク 結論
以上のとおり,原告Aの申請疾病である前立腺がん及び日光角化症(上皮内がん)は,いずれも放射線起因性及び要医療性の要件を満たしているものであるから,原告Aに対する却下処分は違法である。
(9) 原告Bの申請疾患について
ア 被爆前の状況等
原告B(大正13年9月生)は,昭和16年,官立札幌逓信講習所普通科卒業後,美深郵便局電信係に配属されていたが,昭和19年に徴兵され,広島市皆実町の陸軍船舶通信補充隊に入隊し,その後,陸軍練習部教導聯隊通信中隊に転属となった。原爆投下時には再び陸軍船舶補充隊第2中隊に転属となり,内務班及び通信教育助手の任を命ぜられていた。
イ 原爆投下時の状況等
原告Bは,昭和20年8月6日午前7時半ころに朝食を終えた後,就寝許可を受けて,爆心地から約1.8kmの距離にある木造兵舎の寝床で就寝準備をしていた。原告Bの寝床は,1階2段の上段で西側の窓に面した端にあった。服装は,上は木綿製の防暑衣,下は褌を着用していた。
同日午前8時15分ころ,原告Bが就寝中に強い光線が射し,その後に気がついたときには,何人かの隊員が傍らにいて,原告Bは隊員の援助を受けながら兵舎から出て,比治山中腹の洞穴に移動した。救助されたのは被爆から4,5時間後のことであり,その間,原告Bは被爆した現場付近で野ざらしのままになっていた。
原告Bは,被爆により,頭部裂傷,頭蓋骨骨折,左胸部創傷,左前膊破片創,左下肢破片創,顔面・目の創傷,右足甲やけどなどの傷害を負い,血だらけの状態であり,体には爆風による埃も付着している状況であった。足には爆風で割れた兵舎の窓ガラスの破片が刺さっていた。
原告Bは,同日夕刻,仁保町の国民学校に開設されていた臨時野戦病院に入院となった。
ウ その後の状況等
原告Bは,被爆後,臨時野戦病院での入院生活となったが,満足な治療は受けられず,外傷の消毒などの処置がなされたのみであった。原告Bは,昭和20年8月15日,臨時野戦病院に入院したまま終戦を迎えた。
原告Bは,同月17日付で岡山陸軍病院に転送され,同院に入院中も外傷の消毒等の処置を受けていたが,同月31日頃退院となり,部隊に復帰することとなった。しかし,被爆による負傷は完治しておらず,就寝許可を受けてテントで横になっている状況であった。
エ 被爆後の健康状況等
原告Bは,年少時より体育大会で上位の成績を収め,また剣道を習うなどしており,また,被爆前も徴兵されて部隊に配属されており,健康状況に何らの問題はなかったところ,被爆後には種々の健康不良を生ずるようになった。
原告Bは,被爆後,昭和20年末ころまで,度々下痢をすることがあり,時々血便もみられた。また,同年9月ころから,いったん横になると動きたくなくなるような強い身体のだるさを自覚するようになった。身体のだるさは現在も持続している。
また,昭和22年1月,左下肢が腫れ上がり,手術により,被爆の際に刺さって対内に残存したガラス片が摘出された。
原告Bは,昭和32年12月,保健所で血液検査を受けたところ,白血球数の異常(1mm3当たり2000個台の低白血球症)を指摘され,原告B自身も身体の不調を自覚した。
そして,原告Bは,昭和33年ころから約6年間,疲労が激しく,仕事を長期間病欠することがしばしばあった。同時期,医師からは胃潰瘍を指摘された。
原告Bは,昭和39年ころに胃潰瘍で入院した際,白血球数の異常(1mm3当たり3200個台)を指摘された。
原告Bは,昭和60年,人間ドックで腎臓がんが疑われたため,a病院で精査したところ,腎臓がんと診断され,同年7月,右腎臓の摘出手術を受け,平成4年1月には,左眼の外傷性白内障により,水晶体摘出術及び人口水晶体挿入術を受けた。
原告Bは,平成12年3月,腎臓がんの右肺転移が検査により発見され,腎臓癌の膵臓への転移も見つかり,同年4月,膵臓尾部切除及び脾臓摘出術を受けた。
原告Bは,同年ころより,カテーテル検査や手術等で易出血性が認められ,医師から,血管の脆弱性による易出血性,止血能力の低下を指摘され,平成14年5月の検査では,毛細血管抵抗試験,血小板粘着能の検査の結果,毛細血管の脆弱性と血小板粘着能の低下を指摘された。
その他,原告Bは,高血圧症及び狭心症を発症しており,これらについても投薬治療を受けている。
オ 原告Bの申請疾病(右腎がん,転移性肺腫瘍,腎がん膵転移)の放射線起因性
(ア) 原告Bの申請疾病に関する医学的知見
「原爆被爆者におけるがん発生率,第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(トンプソン論文)では,腎臓がんのみについて放射線の有意な影響はみられないが,泌尿器及び腎臓についての過剰相対リスクは1Sv当たり0.71(95%信頼区間は0.11ないし2.2)とされ,全充実性腫瘍については,統計学的に有意な過剰リスク(1Svでの過剰相対リスク0.63,95%信頼区間0.52ないし0.74)が立証されたとしている。
「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」では,男性の腎臓がん死亡率過剰リスクは1Sv当たり-0.02(90%信頼区間-0.3未満ないし1.1)とされ,全固形がんについては,過剰相対リスクは1Sv当たり0.37(90%信頼区間は0.26ないし0.49)とされている。
なお,審査の方針においては,腎臓がんは尿路系がん(膀胱がんを含む。)に該当するとされ,放射線の健康影響については確率的影響の範ちゅうに属する疾病であり,男性の場合,原因確率は審査の方針別表7-1によって算定されるべきであるとされている。
(イ) 医学的知見についてのまとめ
以上のように,腎臓がんだけを取り出した場合について,統計上,原爆放射線の影響が証明されるには至っていないものの,「原爆被爆者におけるがん発生率,第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」では,腎がんを含む泌尿器系がんについては有意な関係が認められており,最新の疫学調査である「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」でも,固形がん全体,多くの主要な固形がん及びその他の固形がんと原爆放射線との間に有意な関係が認められることから,他の主要な固形がんと同様,放射線が腎臓がんの発生に寄与していることが十分に考えられる。
(ウ) 原告Bの放射線被曝とその身体影響
前記のとおり,原告Bは,爆心地から約1.8kmの距離にある木造兵舎内のガラス窓に面した場所で,上半身は木綿製の防暑着,下半身は褌着用という軽装の状態で被爆したことにより初期放射線による被曝をした上,被爆後も同所付近において,頭部裂傷,頭蓋骨骨折,左胸部創傷,左前膊破片創,左下肢破片創,顔面・目の創傷,右足甲やけどなどの重篤な傷害を身体に負った状況で,4,5時間にわたって野ざらしの状況で放置され,体には爆風による埃が付着している状況で,足には爆風で割れた兵舎の窓ガラスの破片が刺さっていたというのであるから,誘導放射能や放射性降下物が原告Bの身体や衣服に付着したことにより,誘導放射能及び放射性降下物による相当量の外部被曝もしたものと考えられる。さらに,この際,上記のような創傷の部位からや経口で放射性降下物等を体内に取り込むなどしたことによる相当量の内部被曝も考えられる。
また,原告Bは,被爆後昭和20年末ころまで下痢の症状があり,また,同年9月頃から強い身体のだるさを自覚するようになり,その症状は現在も持続しているというのであるが,その執拗な症状からすれば,これらは単なる栄養・衛生不良,疲労等の原因によるものではなく,放射線被曝による急性症状と捉えるべきであるほか,原告Bは,被爆前は健康状態に何らの問題がなかったのに,被爆後は,昭和32年の血液検査で白血球数の異常(低白血球症)を指摘され,昭和33年ころから約6年間は激しい疲労感により仕事を長期間病欠することがあり,申請疾病のほかにも,胃潰瘍,外傷性白内障,高血圧症,狭心症等の疾病に罹患し,また,最近の検査でも血管の脆弱性による易出血性,止血能力の低下や血小板粘着能の低下が指摘されるなど,長期にわたって体調不良状態が続いており,被爆前後の健康状態に大きな質的な変化が認められる。
なお,上記疾病中にも,高血圧症(原爆放射線被曝線量とがん以外の疾患の発生率との関係についての調査結果として有意(P=0.028)な二次線量反応関係を認めたとする「成人健康調査第8報,原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率1958-1998年」),狭心症(心疾患についての過剰相対リスクは0.17とする「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」),医師から原爆の影響が否定できないとされる出血傾向や血管の脆弱性など,被爆の影響を考え得る疾病が含まれる。
以上によれば,原告Bについては,原爆放射線による被曝とその身体への影響が十分に推定できる。
(エ) 放射線起因性についてのまとめ
以上のとおり,原告Bの申請疾病である腎臓がんについて一般に原爆放射線の影響を認めうること,原告Bの被爆状況やその後の状況,健康状態等から原爆放射線による被曝とその身体への影響が十分に推定できることからすれば,原告Bの腎臓がんについては放射線起因性が認められるというべきであり,また,その転移によって発症した転移性肺腫瘍,腎癌膵転移についても放射線起因性が認められるというべきである。
カ 原告Bの申請疾病の要医療性
原告の腎臓がん,転移性肺腫瘍,腎がん膵転移については,がん再発の経過観察のために定期的な検査が必要であり,要医療性が認められる。
キ 結論
以上のとおり,原告Bの申請疾病である右腎がん,転移性肺腫瘍,腎がん膵転移は,いずれも放射線起因性及び要医療性の要件を満たしているものであるから,原告Bに対する却下処分は違法である。
(10) 原告Cの申請疾患について
ア 被爆前の状況等
原告C(大正15年6月生)は,昭和18年12月にb工業高校電気科を卒業後,昭和20年から鉱業所に就職したが,徴兵により,同年4月に広島市皆実町の陸軍船舶通信隊補充隊第4中隊に配属となり,無線通信機器の整備等を行っていた。
イ 原爆投下時の状況等
原告Cは,昭和20年8月6日午前中,就寝許可を受けて,爆心地から約2.0kmの距離にある木造2階建ての兵舎の2階の寝床で,窓側に顔を向けて横になっていた。服装は,下着の上に軍服を着用していた。
同日午前8時過ぎころ,原告Cが窓の向こうから突然強烈な閃光が射し込むのを感じたかと思うと,周囲には悲鳴を上げ,両手で顔を押さえて転がり込む者もあった。原告Cは,突然の惨事により恐怖と驚愕で身動きできない状況となった。
閃光の後に爆風,轟音が続き,原告Cが兵舎の部屋全体が持ち上がるような感覚を覚えたところ,次の瞬間には兵舎が倒壊し始め,次に気がついたときには倒壊した兵舎の梁と柱の間の空間に入り込んでいた。原告Cは,腰と背中を打っていたが,意識ははっきりしており,倒壊した兵舎の隙間から外に脱出した。兵舎の外に出ると,周囲は埃と塵が立ちこめて薄暗い状況であったが,原告Cは,その中を這うようにして進み,付近の防空壕に避難した。
その後,原告Cは,比治山中腹にある待避所に移動したが,生存者救出の指令を受けて再び下山し,兵舎の周辺で倒れて動くことのできなくなった負傷者を担架に乗せて山麓まで運ぶ作業や,倒壊した兵舎から負傷者を救出する活動に従事した。負傷者の体は埃や塵が付着して真っ黒であったが,原告Cは素手で救出活動を行った。負傷者は多数おり,救出活動はその後3日間程度に及んだ。この間,原告Cは,仮設のテントで寝泊まりしていた。
ウ その後の状況等
原告Cは,昭和20年8月9日ころから,通信機器の搬送,修理等の任務に当たっていたが,同月15日,終戦を迎えた。その後は,同年9月9日ころまでの間,皆実町周辺の民家の整理や,死体の火葬などの仕事に従事していた。
原告Cは,一時帰休の許可を受けて,同月15日,北海道浦河の実家に帰郷した。
エ 被爆後の健康状況等
原告Cは,被爆前は,スポーツが得意であり,また,徴兵されて部隊に所属しており健康状態には何ら問題がなかったところ,被爆後には,様々な体調不良を発現した。
原告Cは,被爆後,異常な疲れやすさを感じるようになったが,帰郷後は立ちくらみも現れるようになり,立ちくらみの症状は昭和20年の終わり頃まで続いた。また,帰郷して数週間後から,歯ぐきからの出血が現れるようになり,その後しばらくの間は出血量が次第に多くなっていったほか,血便もみられた。歯ぐきの出血は昭和35年ころまで続いた。
原告Cは,昭和27年には黄疸の症状が出現し,昭和30年ころには,肝臓の不調のため病院で検査したところ,以前の黄疸の症状は肝臓の障害によるものである旨の説明を受けた。
原告Cは,昭和44年,呼吸困難の症状が現れ,気管支喘息の診断を受けた。
原告Cは,昭和55年9月には,慢性肝炎の診断を受け,その後,平成10年ころには前立腺肥大,平成11年9月には変形性脊椎症,平成12年4月にはうっ血心不全の診断を受けた。
原告Cは,平成13年6月,肝硬変症(腹水貯留)との診断を受け,入院治療を受けた。
なお,原告Cの診療録には,以上の疾病の他にも,高血圧症,高血圧性心疾患,心房細動,慢性胃炎,胃潰瘍,アレルギー性鼻炎等の疾病での診療の記録が存する。
オ 原告Cの申請疾病(肝硬変)の放射線起因性
(ア) 原告Cの申請疾病に関する医学的知見
「原爆放射線の人体影響1992」によれば,①原爆後障害研究会の第1回シンポジウムにおいて,浦城二郎らにより,肝機能障害の比率は,被爆者と非被爆者の間に差がなく,原爆に起因すると思われる肝機能障害は認められないと報告されたが,重藤文夫らによる原爆病院入院患者調査では,肝疾患は第2位の頻度を占め,被爆者における大きな医学的問題であることが明らかとされた。②志水清らにより,昭和37年に広島市の原爆医療認定申請書に基づいて行われた統計的調査においても,被爆者の肝疾患の頻度は,国民健康調査と比べて3倍近く高率であり,近距離被爆者で特に高い傾向が認められた。③Schreiberらは,ABCCの寿命調査集団の肝硬変剖検例において,電離放射線と肝硬変の間に有意な関係を認めた。④石田定は,原爆病院の外来患者の肝疾患有病率について,2.0km未満の近距離被爆者において高率にみられたと述べている。⑤加藤らは,HBs抗原及び抗体の測定を行い,HBs抗原の陽性率が,高線量被曝群(成人健康調査集団の1Gy以上の被曝者全員)の方が対照群(0Gyないし0.9Gy線量群)よりも有意に高く,また,年齢別にみると,被爆時20歳以下の若年者において,その傾向がより明らかであり,高線量被曝群における免疫能の低下を示唆するものではないかと考えられた,としている。
「成人健康調査第7報,原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-86年」(いわゆる「ワン論文」)では,①慢性肝疾患及び肝硬変について,1Gy当たりの推定相対リスクは1.14(95%信頼区間は1.04ないし1.27),寄与リスクは8.1(95%信頼区間は2.1ないし14.6)となり,大きくはないが,有意な正の線量反応がみられたこと,②最近の寿命調査集団に関する報告(がん発生率調査第2部)においては,肝臓がんの発生率に線量反応関係が認められ,また,寿命調査におけるがん以外の死亡率に関する最近の調査(寿命調査第11報第3部)においても,肝硬変による死亡率が高線量群で増加していることが示されており,動物実験においても,肝機能障害が放射線被曝により誘発されることが示されたこと,③成人健康調査集団におけるB型肝炎(HB)抗原と抗体の定量的調査は,抗原の正の度合が重度被爆者では有意に増加していることを示しており,これは免疫能力の低下がウイルス感染の原因であり得ることを示唆していることなどが報告されている。
「原爆被爆者におけるがん発生率第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(トンプソン論文)では,肝臓がん発生の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.49(95%信頼区間は0.16ないし0.92)であり,寿命調査集団において放射線とがん罹患との関連性がみられたとしている。
「原爆被爆者の死亡率調査第12報第2部,がん以外の死亡率:1950-1990年(「寿命調査(LSS)第12報」)」では,消化器疾患(2742人)の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.11(90%信頼区間は0.00ないし0.24),うち肝硬変(920人)の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.18(90%信頼区間は0.00ないし0.40)であり,消化器疾患について,統計的に有意な線形の放射線影響が観察されたことを指摘している。
「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997」では,肝臓がんの1Sv当たりの過剰相対リスクは0.39(90%信頼区間は0.11ないし0.68)であること,昭和43年ないし平成9年までの期間における消化器疾患の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.15(90%信頼区間は0.00ないし0.32)であること,うち肝硬変の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.19(90%信頼区間は-0.05ないし0.5)であることを指摘している。
「成人健康調査第8報,原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998」においても,慢性肝疾患及び肝硬変に対する1Sv当たりの相対リスクは1.15であり,以前の統計と同様に有意な正の線形線量反応が認められている。
(イ) 医学的知見についてのまとめ
上記のとおり,肝疾患については,昭和30年代から,被爆者に高い頻度で認められたとする報告や,肝硬変と電離放射線の間に有意な関係が認められたとする報告などがあったところ,「成人健康調査第7報」において,慢性肝疾患及び肝硬変の発症と原爆放射線被曝の間に統計的に有意な関係が認められ,その後も,「寿命調査(LSS)第12報第2部」において,肝硬変による死亡と原爆放射線被曝の間に,「成人健康調査(AHS)第8報」において,慢性肝疾患及び肝硬変の発症と原爆放射線被曝の間に,それぞれ統計的に有意な関係が認められ,また,「がん発生率調査第2部」(トンプソン論文)において,肝臓がんの発症と原爆放射線被曝の間に統計的に有意な関係が認められたものであり,放射線被曝が肝硬変発生の原因となり得ることには,十分な根拠があるものということができる。
この点,被告らは,B型慢性肝炎及び肝硬変と放射線との関連性を認める科学的知見はなく,このことは,「肝機能障害の放射線起因性に関する研究(「戸田論文」)」によっても確認されている旨主張するが,戸田論文も被爆者においてHBV持続感染者の比率は多く,原爆放射線被曝はHBV感染後の持続感染成立(キャリア化)の確率を高めた可能性があるとして,B型肝炎ウイルスのキャリア化に被曝が関与している可能性を認めている。
また,放射線被曝と慢性肝炎の発症の因果関係については,いわゆる東訴訟において正面から争われ,被告らは戸田教授の意見書及び証人尋問等に依拠して慢性肝炎の放射線起因性を否定する主張をしていたものであるが,東京高裁平成17年3月29日判決及びその原審判決において,放射線起因性を肯定する判断が示されており,その後に争われた原爆症認定東京訴訟においても,放射線起因性を否定しようとする被告らの主張立証は,上記東訴訟の「判断を覆すに足りるものではない」とされている。さらに,戸田論文公表後の判断である原爆症認定熊本訴訟の判決も,戸田論文の知見を考慮したとしても「HCVの持続感染及びこれによるC型慢性肝炎の発症又は進行の促進について,原爆放射線被曝が影響している可能性があるといい得る」と,慢性肝炎について放射線起因性を肯定する判断をしている。
以上のとおり,戸田教授の意見に依拠して肝硬変の放射線起因性を否定せんとする被告らの主張は,これまで何度も排斥されているものであり,本件訴訟における被告らの主張立証にも従前のものに付け加えるところは何もないのであるから,理由のないものとして斥けられるべきものであることは明らかである。
(ウ) 原告Cの放射線被曝とその身体影響
前記のとおり,原告Cは,爆心地から約2.0kmの距離にある木造兵舎内の窓側で,下着の上に軍服着用という状態で被爆したことにより初期放射線による被曝をした上,その後も同所付近に滞在して仮設テントで寝泊まりをしながら,被爆により身体に埃や塵が付着して真っ黒になった状態の負傷者の救出・救護活動を素手で行っていたほか,通信機器の搬送・修理等の作業に従事していたものであり,誘導放射能や放射性降下物が原告Cの身体や衣服に付着したことにより,誘導放射能及び放射性降下物による相当量の外部被曝もしたものと考えられる。さらに,この間,放射線に対する特別の防護もなく,上記のような作業に従事するなどしていたのであるから,残留放射線による相当量の内部被曝も考えられる。
また,原告Cは,被爆後,異常な疲れやすさを感じるようになり,帰郷後には立ちくらみの症状も続いたというのであるが,その執拗な症状からすれば,これは単なる疲労等の原因によるものではなく,放射線被曝による急性症状と捉えるべきであるほか,その後に出現した歯ぐきからの出血や血便の症状も,放射線被曝による急性症状と同様の症状とみることができる。さらに,原告Cは,被爆前は健康状態に何らの問題がなかったのに,被爆後は,申請疾病のほかにも,気管支喘息,前立腺肥大,変形性脊椎症,うっ血心不全,高血圧症,高血圧性心疾患,心房細動,慢性胃炎,胃潰瘍,アレルギー性鼻炎を発症するなど,長期にわたって体調不良状態が続いており,被爆前後の健康状態に大きな質的な変化が認められる。なお,上記疾病中にも,高血圧症(原爆放射線被曝線量とがん以外の疾患の発生率との関係についての調査結果として有意(P=0.028)な二次線量反応関係を認めたとする「成人健康調査第8報,原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率1958-1998年」),心疾患(心疾患についての過剰相対リスクは0.17とする「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」)など,被爆の影響を考え得る疾病が含まれる。
以上によれば,原告Cについては,原爆放射線による被曝とその身体への影響が十分に推定できるというべきである。
(エ) 放射線起因性についてのまとめ
a 上記のとおり,原告Cの申請疾病である肝硬変については,一般に原爆放射線の影響を認め得るものであること,原告Cの被爆状況やその後の状況,健康状態等から原爆放射線による被曝とその身体への影響が十分に推定できることからすれば,原告Cの肝硬変については放射線起因性が認められるというべきである。
b なお,被告らは,原告Cについて,平成12年3月9日の検査結果によれば自然にセロコンバージョンを起こしているのであるから,原爆放射線による免疫能の異常が認められないことは明らかであると主張する。
しかし,セロコンバージョンが起こっていれば原爆放射線による免疫能の異常が認められないというのは被告らの独自の見解であり,根拠のないものである。この点に関しては,被爆者においてセロコンバージョンのメカニズム異常が示唆された旨を報告する文献もあり,「セロコンバージョンが起こっていれば原爆放射線による免疫能の異常が認められない」旨を述べているものではない。他の文献も,「被爆後の成人期に感染したと考えられる人において,HBV感染後の排除能力が低下している可能性を示唆するかもしれない。」としており,セロコンバージョンが起こったか否かにかかわらず放射線被曝が被爆者のB型肝炎ウイルス排除能力に影響することも考えられるのであって,セロコンバージョンが起こっていれば免疫能の異常が認められないということはできない。
また,被告らは,原告Cの肝硬変について,「アルコール性か,脂肪肝か」と疑われていたこともあり,また,平成12年4月に入院した際の肝機能異常についてはそのときに投与された抗生物質による薬剤性の肝障害の疑いもあった旨を主張するが,後者は一過性の肝障害について述べるものにすぎないものであるし,また,前者についても単なる疑いを指摘するものに過ぎず,原告Cの肝硬変症が特定の他原因に基づくものであることを確定するものではない。
むしろ,原告CのB型肝炎ウイルスの反応が一貫して陽性であり,慢性肝炎から肝硬変に進行している経過からすれば,原告Cの肝硬変症はB型肝炎ウイルス感染によるものであり,その発症,進行において原爆放射線が影響したものと考えるべきである。
したがって,被告らの主張が理由のないものであることは明らかである。
カ 原告Cの申請疾病の要医療性
原告Cの肝硬変については,一生涯にわたって内服治療及び定期検査が必要であり,要医療性が認められる。
キ 結論
以上のとおり,原告Cの申請疾病である肝硬変は,放射線起因性及び要医療性の要件を満たしているものであるから,原告Cに対する却下処分は違法である。
(被告らの主張)
(1) 序論
原爆の放射線に被曝していないならば,その申請疾病に放射線起因性を認める余地がない。また,申請疾病ががんなどのように被曝線量と発症率との間に相関関係のある疾病の場合,被曝の程度が小さければ,発症するリスクもほとんどない。
したがって,申請疾病の放射線起因性を判断するに当たっては,まずもって被曝の有無及び程度を具体的に特定することが必要かつ重要である。
医療分科会が,放射線起因性及び要医療性の判断の方針としている審査の方針では,初期放射線による被曝について,日米の放射線学の第一人者が策定した広島及び長崎における原爆放射線の線量評価システム(DS86)に基づき,その被曝線量を特定している。
(2) DS86の概要と初期放射線による被曝線量
DS86は,広島と長崎に使用された原爆の物理学的特徴と,放出された放射線の量及びその放射線が空中をどのように移動し建築物や人体の組織を通過した際にどのような影響を与えたかに関する核物理学上の理論的モデルとに基づき,放射線量の計算値を算出したものである。
すなわち,放射線物理学等の近時の科学的知見から,原爆の初期放射線の飛散状況は理論的に解明されている。DS86は,原爆放射線を構成するガンマ線や中性子線の光子や粒子の1個1個の挙動や相互作用を最新の放射線物理学の理論によって忠実に再現し,最終的にすべてのガンマ線と中性子線の動きを評価するものである。DS86の策定に際しては,3個製造された広島型原爆の外殻のうち,使用されずに保管されていた残りのものを利用して製作された原子炉を原爆の複製として使い,「爆弾自体の内部における状況を再現」するなど,日米の合同の研究グループが可能な限り当時の状況を再現している。そして,実際の被爆試料を用いたガンマ線及び中性子線の測定結果による検証もされ,線量評価システムの客観性が裏付けられている。
(3) DS02の策定(DS86の問題点の解消及び正当性の検証)
ア DS02策定の経緯
(ア) DS86の再評価の開始
DS86については,専ら,広島における熱中性子による放射化の計算値の距離による変化,すなわち減衰の傾き全体が,熱中性子による放射化の測定値と一致しないという問題(主に,コバルト60に関する計算値と測定値の不一致の問題)が指摘されていたため,平成12年にDS86策定後の研究の成果を踏まえてこの問題を解決することを目的として日米合同実務研究班が設立され,DS86の再評価が行われた。
(イ) DS86の再評価の内容
日米合同実務研究班では,①広島,長崎の原子爆弾の放射線出力及び放射線輸送の再計算を行う,②試料を用いた既存の放射線測定値をすべて再評価する,③新たに開発された測定方法により,ニッケル63を測定することによる速中性子の測定とそのモデル化計算を行う,④超低レベルバックグラウンドの測定施設でユーロピウム152試料を再測定する,⑤花崗岩試料を用いた塩素36の熱中性子による放射化測定に関して,精度保証の伴った相互比較調査をする,⑥目印となる既知の場所を用いて,現在の新都市計画地図と1945年の米国陸軍地図を合わせて爆心地を再決定する,⑦爆心地の補正とその他の誤差を考慮して,被曝試料の採取位置を修正する。⑧大きな地形の陰となったことによる遮蔽を放射線輸送計算に含める,⑨学校など大型の木造建造物や長崎の大きな工場の遮蔽を含め,遮蔽計算と遮蔽モデルを改良する,⑩被曝試料測定データを用いて出力と爆発高度の適合度解析を実施する,⑪ガンマ線及び中性子線の両方について一致が得られるような新たな線量推定方式のパラメータ(原爆投下時の爆撃機の飛行方向,爆央,爆弾の出力及び爆発時の爆弾の傾きといった条件)を再決定する,⑫被爆者ごとの被曝線量の計算について誤差解析を行うといったことが行われた。
(ウ) 原爆からの放射線出力の再計算
当初,この再評価の焦点は,原爆からの放射線出力の再計算に当てられていた。爆発パラメータ(原爆投下時の爆撃機の飛行方向,爆央,爆弾の出力及び爆発時の爆弾の傾きといった条件),ソースターム(爆弾から放出される粒子や量子の個数及びそのエネルギーや方向の分布)の評価の見直しやDS86策定後に可能になった最新の離散座標法(放射線が進む状況を計算で推定し,各位置における放射線量を推計する手法)とモンテカルロ計算(ガンマ線及び中性子が物質中を動き回る様子を探るために考案された手法)の両方を行い比較検討するなどしてDS86のときよりも精密な計算がなされ,その結果,広島については以前の出力推定値よりも1kt高い出力が推定されたものの,上記計算値と測定値の不一致の問題を説明できず,熱中性子に関する計算値と測定値の不一致が,原爆からの放射線出力の計算に起因するものではないことが確認された。
イ DS02における測定値の再検討
上記のとおり,熱中性子に関する計算値と測定値の不一致が,原爆からの放射線出力の計算に起因するものではないことが確認されたため,計算値をチェックするために測定された放射線測定値を含め,不一致の原因となり得る他の要因の検討が始まった。
(ア) ガンマ線測定
DS02においては,広島・長崎におけるガンマ線量測定値の再評価が行われ,各測定値の検証やバックグラウンドや熱ルミネセンス法による測定自体の誤差等が検討された結果,爆心地から約1.5km以遠の測定値は,原爆によるガンマ線量がバックグラウンド線量と同程度に微量となり,バックグラウンド線量が測定値に大きく影響を与えるため,測定値では原爆によるガンマ線量を正確に評価できないことが判明した。
そして,DS02及びDS86の各計算値と測定値を比較したところ,計算値と測定値の全体的な一致度は,上記バックグラウンド線量の問題を考慮することにより,DS02と同様,DS86も良好であるという結論に至り,ガンマ線量の推定においてDS86による計算値の正確性が裏付けられた。この点,名古屋地裁判決も,「従前から指摘されていた1300m以遠で徐々に拡大していくDS86の計算値と実測値との乖離状況については,バックグラウンドによる不確実性を含んだ値に基づくものといわざるを得ない。」と判示している。
(イ) 速中性子線測定
速中性子については,リン32及びニッケル63の放射化測定がされるなどして,DS86の正確性が検証された。
a リン32の放射化測定
放射線により硫黄中に発生したリン32を測定することにより速中性子線を測定する方法は,DS86開発時の研究において実施され,「爆心地から数百メートル以内の距離では,計算と測定との間に大きな隔たりはみられない。それ以上の距離では,一致しているかどうかをいうには測定値の誤差が大きすぎる。」とされていた。
しかし,DS02では,測定されたリン32の放射能測定値の再評価がされ,試料の位置の修正等がされ,その結果,爆心地近くではDS86とDS02は両方ともリン32測定値と良く一致しているとの結論に至っている。
b ニッケル63の放射化測定
放射線により放射化された銅試料中のニッケル63を測定することにより,原爆の放射線の中の速中性子を測定する方法が開発され,速中性子の再測定が可能となり,DS02では,ニッケル63を測定するに当たり加速器質量分析法(AMS)と液体シンチレーション計数法が使用された。
ストローメらによって行われたAMSによる測定により,爆心地から700m以遠における爆弾に起因する速中性子についての最初の信頼できる測定値が得られ,原爆被爆者の位置に最も関係のある距離(900ないし1500m)における速中性子の測定値が初めて得られ,遠距離で採取された試料について,信頼性のある速中性子線の測定値の検出に成功した。その結果,広島型原爆について,バックグラウンドを差し引いた後のデータを昭和20年に対して補正すると,広島の銅試料中のニッケル63測定値は,DS02に基づく試料別計算値と良く一致し,DS86に基づく計算値との比較でも,日本銀行の場合を除いて良く一致するとされ,DS86及びDS02の計算値の正確性が裏付けられた。
また,液体シンチレーション計数法によるニッケル63の測定がされ,上記AMSから得られたバックグラウンドデータを使用して測定がされたところ,AMSの結果とよく一致している。同じ測定対象を異なった方法で測定した結果が一致したことは,データ計測の信頼性を裏付けるものといえる。
(ウ) 熱中性子線測定
熱中性子については,ユーロピウム152及び塩素36の放射化測定がされるなどして,DS86の正確性が検証された。
a ユーロピウム152の放射化測定
ユーロピウム152の測定値は,爆心地から離れるほど計算値よりも高くなり,地上距離1000m以遠では,10倍以上異なるという結果が出て,DS86に系統的な問題があるのではないかという指摘がされていた。
しかし,小村和久教授らは,金沢大学において,多量の花崗岩試料を用い,溶解などにより化学的濃縮を行う方法により,高い回収率でユーロピウムを分離し,濃縮されたユーロピウムを高温で加工した後,試料から発せられるガンマ線を,極低バックグラウンド施設である尾小屋地下測定室において測定し,その際,検出効率を高めるため,2台の大型で高感度のゲルマニウム放射線検出器を用いて,より精度の高い測定を行った。その結果,ユーロピウム152の測定値とDS02による計算値とを比較すると,よく一致していることが判明し,ユーロピウム152の実測値と計算値の不一致が解決され,地上距離1000mを超える距離においても,DS02の計算値の正当性が検証されると同時に,DS02とほぼ同じ数値を推定しているDS86の計算値の正当性も検証された。これにより,遠距離において測定値と計算値とに大幅な乖離が存するという指摘は,そもそも測定値に問題があって,測定方法を改善することによりDS86及びDS02の計算値と合致することが明らかになった。
b 塩素36の放射化測定
アメリカ,ドイツ及び日本において,広島・長崎で採取された鉱物試料中の熱中性子線を測定するため,加速器質量分析法(AMS)によって塩素36の放射化測定実験が行われ,バックグラウンド等の影響による測定限界について検討がなされた。
アメリカにおけるAMSによる測定は,国立LawrenceLivermore研究所,Pudue大学PRIME研究室,ロチェスター大学のAMS施設でされた結果,「広島・長崎で採取された試料における花崗岩およびコンクリート(コンクリート表面を除く)中の塩素36の測定値は,爆心地付近から,塩素36/塩素比がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離までDS02と一致した。そして,同研究により,従前測定された1400m付近における塩素36の放射化測定値(ストローメら平成4年)がDS86,DS02の計算評価値と一致しなかった原因は,同測定にバックグラウンドによる影響を受けた試料を利用していたことにあることが明らかになった。
ドイツのミュンヘンのAMS施設においては,DS02の研究が開始される以前に,DS86の計算値と測定値の不一致が指摘されていた地上距離約1300mの地点の試料に重点を置いた測定が行われ,DS86の計算評価値と放射化測定値との間に明確な不一致が認められないことが確認された。さらに,試料の表面付近の花崗岩及びコンクリート試料を用いた塩素36の放射化測定によって,爆心地から1300m以遠の試料になると,宇宙線並びにウラニウム及びトリウムの崩壊が測定値に大きな影響を与えることが確認され,その結果,爆心地から1300m以遠の測定値が大きな測定誤差を内包している可能性があることが確認された。
さらに,日本の筑波大学においても,AMSによる花崗岩試料の塩素36の測定がされた。その結果,地上距離1100m以内においては,測定値とDS02の計算値がよく一致していることが確認され,地上距離1100m以遠の試料については,バックグラウンドの影響のため,塩素36の測定が困難であることが確認された。
c コバルト60の放射化測定
コバルト60の半減期は短く,空中距離600m(ほぼ爆心地付近)以遠の測定値は不確実性が大きいため,放射化測定値をもって放射線量システムの計算評価値と比較することはできない。遠距離における実測値と計算値との乖離については,試料の線量カウントと検出器のバックグランド線量との区別の問題や遠距離における不確実性の問題があり,遠距離におけるコバルト60についての実測値と計算値の乖離を問題とすること自体無意味であることが明らかにされている。
したがって,コバルト60の放射化測定値をもって,DS86の計算評価値を評価することはできない。
ウ DS86による原爆の被曝線量評価と実測値との乖離の問題
(ア) 以上述べたように,DS86による原爆の被曝線量評価の合理性について,実測値との乖離を問題とする議論も存在し,この点が最高裁平成12年判決においても指摘されたが,DS02において,ニッケル63による速中性子測定,超低レベルバックグラウンドでのユーロピウム152による熱中性子測定,塩素36の精度保証付き相互比較測定,既存のコバルト60,リン32,熱ルミネセンス(TLD)測定値の検証やバックグラウンドによる測定の誤差等が検討され,バックグラウンドの評価を丹念に行い,バックグラウンドによる影響を極めて低くした精度の高い測定を行うなどした結果,測定値とDS86による計算値とがよく一致していることが判明した。DS86による計算値と測定値のズレは,測定値の測定に当たってバックグラウンド線量が計測されるという測定の問題であって,DS86の初期放射線の被曝線量評価体系自体に欠陥があるわけではないことが明らかになった。
なお,被曝試料に基づく中性子線量の実測値は,爆心地から約1.5km付近までのものしか存在しないが,それより遠くでは,中性子線がほとんど届かず,原爆の初期放射線による中性子線量を計ることができないからである。すなわち,広島の爆心地から1400m離れた地点における原爆の中性子線量は,DS02に基づく計算値でわずか0.0171Gy,2km地点では0.000386Gy,2.5km地点では0,0000199Gyにすぎず(ちなみに広島の爆心地から1424m離れた地点における中性子線量の実測値は,約0.0285Gyにすぎない。),爆心地から1.5kmより遠い遠距離地点では,実測すらできないほどの低線量にまで中性子線量は低減しているのであり,2kmを超える遠距離における計算値と実測値との乖離を問題にすること自体全く意味がない。
(イ) 原告らは,星正治らが平成元年に爆心地から1909m地点で測定した結果でも,ガンマ線の線量の実測値は,DS86による推定線量の2.0ないし2.1倍にも及んだことが報告されている旨を主張する。
しかし,「新原爆線量評価システム(DS86)とその後の問題」でDS86の乖離の問題を指摘した作成者の一人である広島大学原爆放射線医学研究所の星正治教授は,上記研究結果等を踏まえ,平成17年8月に掲載された論文で,DS86にみられた実測値と計算値の乖離について,近距離で実測値が計算値より低いことは爆発点を20m引き上げることで計算値が低くなり解決し,遠距離でユーロピウム152のデータが計算値より高いことは恐らく天然のガンマ線の混入により高く見えていたことで解決した旨を述べており,DS86の線量推定体系を全面的に是認するに至っている。
この点については,広島地裁判決,名古屋地裁判決及び仙台地裁判決も,DS86による被曝線量評価の合理性を一致して是認している。
(ウ) また,原告らは,最高裁平成12年判決がDS86を排斥している旨主張するが,同判決は,線量推定方式としてのDS86の科学的合理性自体を否定しているものではなく,平成9年当時の原審(福岡高裁)の事実認定を前提として判断しているにすぎない。上記のとおり,DS02策定過程において,DS86の計算値と測定値とが一致し,未解明とされた部分が解明され,DS86の科学的合理性が改めて証明されているのであって,最高裁平成12年判決が前提とする事実関係そのものが現在では過去のものになっている。
(エ) 以上のとおりであって,DS86による初期放射線の被曝線量評価の合理性の問題はもはや決着済みというべきであり,DS86による計算値と実測値との不一致に関して,DS86による被曝線量方式は合理的であるとの確立した知見を無視し,絶対値でみれば,人の健康影響という視点からは無視し得る程度の計算値と実測値を取り上げ,両者のわずかな乖離の問題を指摘することは誤りである。
(4) 原告らの主張に対する反論
ア 原告らは,計算値と実測値の乖離を問題とし,DS86及びDS02による計算値を机上の空論と主張する。
しかしながら,上記で述べたように,原告らがるる主張する遠距離地点では,実測すらできないほど,中性子線量は低減しているのであり,このような遠距離における計算値と実測値との乖離を問題にすること自体全く意味がないのである。上記のような原告らの主張は,程度問題を全く度外視し,被曝の可能性のみを根拠もなく針小棒大にいうものであり,許されない。
イ 原告らは,昭和20年9月に長崎において行った病理解剖に基づく研究報告で紹介されている,爆心地から3km離れた自宅屋内で被爆した11歳の剖検例(第6例)を挙げ,「第6例の少女は,爆心地から3km離れた西山地区以外の地域,しかも自宅屋内にいたにもかかわらず,死に至るほどの大量の放射線に被曝したことを示している。」などと主張する。
しかしながら,昭和20年に上記研究報告をまとめた家森は,剖検例を「亜急性原子爆弾症によって死亡したもの」としているが,この論文が掲載されている原子爆弾災害調査報告集においては,「人体が直接および間接に蒙る傷害を総括して原子爆弾症と呼ぶこととする」とされ,「原子爆弾症」を原爆の放射線に起因する症状に限定していない。家森は,放射線被曝による死亡者のみを対象に病理解剖したものではなく,その研究報告の内容を見ても,剖検例の各臓器の病理解剖所見等を報告したにすぎず,それらの所見が放射線に起因したものか否かを検討したものではない。
原告らが指摘する上記研究報告例は,被爆当時,長崎の爆心地から約3km離れた木造家屋内におり,原爆の爆風で倒壊した家屋の下敷きとなって右足を骨折し,昭和20年9月16日に11歳で死亡した少女の剖検例である。死亡前に咽頭痛,発熱があったとされ,さらに,腎臓の諸所に細菌集落の存在や白血球浸潤が認められることからすれば,咽頭炎や扁桃腺炎,あるいは膀胱炎等の先行感染(細菌感染)があり,これらによる糸球体腎炎や腎盂腎炎を発症し,これが死因となった可能性が十分に考えられる。
原告らは,上記研究報告例について,①卵巣の変性が指摘されていること,②脾臓細胞像では淋巴濾胞の減少が確認されていること,③大腿骨の骨髄では造血細胞の死滅を意味する黄色髄が指摘されていることをもって,上記少女が放射線に被曝したことは明らかであるとする。
しかしながら,①の卵巣の変性とは,graaf氏濾胞(グラーフ卵胞。卵巣内の成熟した卵胞のこと。)の「顆粒層が卵胞膜より剥離している」ことを指摘するものと思われる。しかし,これは,同報告において,「卵巣では卵巣の成熟に障碍が認められる」と結論づけられており,これと死亡する1か月前の被爆とが無関係であることは明らかである。当時は,栄養状態が著しく悪化しており,当該事例についても,体重は記載されていないものの,身長は123cmと当時の11歳女児の平均身長127.3cmに比べて小さく,また,甲状腺等の臓器の萎縮も認められていることから,栄養不良状態にあったことがうかがえる。そして,栄養不良状態にあっては,生殖機能が低下することがあり,当該症例に卵巣の成熟障害が認められていたとしても不思議ではない。
②の脾臓細胞像における淋巴濾胞(リンパ球が詰まった球状の塊)の減少も,同報告第10表において,「淋巴濾胞」が「減少」とされているだけで,どの程度の減少かも示されておらず,そもそも病的所見であるのかどうかも定かでない。また,死後13時間を経て解剖がなされていることからすれば,死亡後の変化によることも考えられる。
③の大腿骨の黄色骨髄についても,そもそも,骨髄とは,胎児や生後間もなくのころは赤色骨髄のみからなり,成長するにつれて脂肪化して黄色骨髄に置き換わるものであり,上記少女の大腿骨に黄色骨髄がみられたということだけで造血機能に異常があったと断定することはできない。
したがって,①ないし③のいずれの所見も,上記少女が放射線に被曝したことを示すものなどではない。
上記少女が,死に至るほどの放射線に被曝していたとするならば,少なくとも3Gy程度の被曝をしていたと考えられる。もし,そのような被曝をしていたならば,被曝から2ないし3週間程度経過したころに急性症状である脱毛が生じていたはずであるが,当該症例においては脱毛はなかったことが明確に記録されている。また,「被害後10日程元気であった」とあるが,3Gy以上の被曝をしていた場合,被曝後1ないし2時間以内には嘔吐や発熱等の症状がみられたはずである。当該症例については,剖検所見では放射線被曝を示す明らかな所見は示されておらず,被曝による急性症状もみられていない。さらに,上記少女が,臓器の萎縮がみられるほどの被曝をしたのであれば,9月まで生存することは困難であった。
したがって,上記病理解剖に基づく研究報告を根拠として,「遠距離被爆者も相当量の被曝をしたもの」とする原告らの主張が失当であることは明らかである。
ウ 被爆者が広島・長崎の原爆の放射線にどの程度被曝したのかについては,戦後半世紀にわたる様々な研究報告の集積によって,現在では合理的に評価することができる。原爆の人体影響を調査した放影研の疫学調査の結果は,この被曝線量評価を前提としており,これが現在では世界的にも信頼される放射線防護の基礎データとなり,各国もこれを前提として放射線の有効利用をしているが,その前提となる原爆の被曝線量評価が誤っているなどと批判されることはない。原爆の放射線の被曝線量評価の合理性は世界的に受け入れられ,異論を唱える者はいないのである。
このような世界的にも正確なものと評価されている被曝線量評価に誤りがあり,これによる評価以上の線量の被曝をしたというのであれば,立証責任を負う原告らにおいて,自ら被曝線量を具体的に明らかにし,これを証明すべきであるが,原告らは,この点について具体的な主張立証をすることもなく,被曝線量評価の趣旨を誤解し,あるいは極めて些細な問題を針小棒大に強調して,線量評価が過小評価されている可能性があることを指摘するにとどまる。
(5) 放射性降下物による被曝線量評価の合理性
ア 放射性降下物の測定調査
残留放射能については,原爆投下直後から複数の測定者が放射線量の測定を行った。理化学研究所の仁科芳雄博士は,昭和20年8月8日,陸軍調査団とともに広島市に入り,翌9日,爆心から5km以内の28か所の地点において土壌試料を収集し,理化学研究所において分析され,銅線から放射能が検出された。大阪帝国大学の浅田常三郎教授らは,昭和20年8月10日,広島市において原爆の調査に着手し,翌11日,市内数か所から砂を採取し,ガイガーミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,己斐駅付近において放射能が高いことが確かめられた。京都帝国大学の荒勝文策教授らも,昭和20年8月10日,広島市において原爆の調査に着手し,同月13日及び14日には,広島市の内外約100か所において数百の試料を採集し,ガイガーミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,己斐駅に近い旭橋付近で採集された試料に比較的強い放射能が認められた。理化学研究所の山崎文男らは,昭和20年9月3日及び4日の2日にわたり,広島市内外に残留するガンマ放射線の強度をローリッツェン検電器を使って測定した結果,爆央付近に極大値をもつbackgroundのおよそ2倍程度のガンマ放射線の残留することを認めたほか,己斐から草津に至る山陽道国道上において,古江東部に極大をもつ爆央付近にみたのと同程度のガンマ放射線の存在を確かめた。昭和20年9月から10月にかけてマンハッタン技術部隊が,同年10月から11月にかけて日米の合同調査団が広島,長崎において放射能測定を行った。藤原らは,昭和20年9月に広島において,ローリッツェン検電器を用いた放射線量の測定を行っており,広島の己斐・高須地区における爆発1時間後から無限時間を想定した地上1mの地点での積算線量を算定し,これを1レントゲンと報告した。
これらの調査等から,広島では己斐・高須地区,長崎では西山地区で放射線の影響が比較的顕著にみられることが分かり,これは,原爆の爆発直後,両地区において激しい降雨があり,これによって放射性降下物が降下したことによるものであることが確認された。このような原爆投下直後の初期調査により,爆発1時間後から無限時間とどまり続けるといった現実にはあり得ない想定をした場合でも,広島の己斐・高須地区でわずか0.006ないし0.02Gy,長崎の西山地区で0.12ないし0.24Gyにすぎず,その他の地域で仮に放射性降下物が降下したとしてもこの数値を超えることはなかったことが明らかとなったのである。
この調査結果は,平成16年7月に京都大学原子炉実験所において開催された「広島・長崎原爆放射線量新評価システムDS02に関する専門研究会」において,広島大学の静間教授が発表した最新の調査研究報告の結果によっても裏付けられており,疑いの余地のない真実である。広島の原爆によって己斐・高須地区に降下した放射性降下物の濃度は,昭和25年から昭和35年にかけて各国が行った大気圏核実験の結果,全地球的に拡散して降下した放射性降下物の濃度の8分の1にすぎなかった。
イ 広島の己斐・高須地区及び長崎の西山地区以外の地域について原告らは,「広島・長崎の原爆においても相当な範囲に放射性降下物が降下したであろうということが推定される」と主張する。
しかしながら,放射性降下物が最も多く降下した地域が,広島では己斐・高須地区,長崎では西山地区であったことは,上記調査結果から明らかである。被告らも,広島の己斐・高須地区,長崎の西山地区以外には,放射性降下物が全く降らなかったとまではいわないが,両地区での降下が最大と認められる以上,両地区以外での放射性降下物による外部被曝線量が両地区のそれを超えることはなく,無視し得るほどの線量にしかならないことが実証的に明らかである。
原告らの主張は,具体的にどの程度の線量の放射性降下物が降下したのかという最も重要な問題についての言及を避け,程度問題を度外視した主張ないし認定をしているにすぎない。
ウ 「黒いすす」は,放射性物質ではないこと
(ア) 原告らは,広島・長崎の原爆においても少なくとも爆心から2ないし4kmというようなところにかなり多量の放射性降下物が降ったであろうということは推定されるなどとして,原爆投下後に大気中に放射性物質が蔓延していたかのような主張をしている。
(イ) しかしながら,そもそも,核分裂生成物が結びついて新たな分子ができるなどということはなく,また,「黒いすす」の実体は,木材が燃焼して生じたものであり,その実態は炭素であって,原爆の核分裂によって生じた放射性物質(核分裂生成物)ではない。炭素の核断面積(すべての核種が同様に放射化されるわけではなく,各核種ごとに核反応を生じる度合い(確率)が決まっており,これを吸収断面積,核反応断面積ないし放射化断面積と呼んでいる。)は,鉄(それ自体必ずしも誘導放射化しやすい核種ではない。)と比較しても,およそ900分の1と極めて小さく,極めて放射化しにくい核種であるから,原爆の中性子によって,すすが放射化されて有意な放射能を有することはない。「黒い雨」は,このような「黒いすす」が雨と一緒に降下したことによるものであるが,その際に,原爆の核分裂反応によって生じたセシウム137を代表とする核分裂生成物のごく一部が雨に混じって地上に降下してたものが(大半は,火球とともに上昇し,成層圏まで達して全地球的に拡散したと考えられる。),原爆の放射性降下物である。
一方,このような放射性降下物が広島・長崎にどの程度降下したかについては,上記のとおり,実測されているのであり,広島・長崎の原爆から放出され,地上に降り注いだ放射性降下物の量が極めて少なかったことが明らかになっているのである。
(ウ) したがって,原告らの上記主張は,原爆の放射性降下物を全く理解せず,根拠もなくその影響を針小棒大に過大視しようとするものであり,失当である。
エ 地上1mで線量評価することを問題とする原告らの主張について
(ア) 原告らは,審査の方針における被曝線量の算出が,地上1mの空中の位置におけるものであることについて,一般的に線量は線源からの距離に反比例するといわれることなども考慮すると,被爆者が放射性降下物に直接接触し,若しくは,吸入及び摂取し,あるいは,傷口から経皮的を体内に取り込むなど,具体的な被曝の態様によっては,被爆者の受ける被曝線量は容易にこの算定値よりも高いものとなり,また,異質の被曝を受ける可能性があると主張する。
(イ) しかしながら,外部被曝の積算線量を地上1mの高さで行っているのは,単に放射線防護学の通例にならっているにすぎず,放射性降下物による被曝の場合は,初期放射線とは異なり,1地点(爆心)から放出される放射線による被曝ではなく,ほぼ均等に環境内に散布された多数の放射性物質から放出される放射線による被曝であり,単位面積あたりのガンマ線はほぼ均等になるため,地表面に近づいたところで,被曝線量は変わるものではない。すなわち,原告らが前提とする,放射線は距離に反比例して大きく低減するという法則が当てはまるのは,一点(爆心)から放射線が放出される場合であり,初期放射線のように,爆心からガンマ線が放出される場合(この場合の線源を「点線源」という。),ガンマ線は距離に応じて拡散していくため,対象物が点線源に近ければ近いほど多くのガンマ線を受け,点線源から離れれば離れるほどガンマ線量は少なくなる。しかし,放射性降下物(及び誘導放射線)が多数環境内に散布された場合(これを「面線源」という。),ある一つの点線源からのガンマ線には被曝しなくとも,別の点線源からのガンマ線に被曝することとなり,結局,あたかもガンマ線が平行線束と考えるに近似し,どの点線源との間で距離が変わろうとも,単位面積当たりのガンマ線はほぼ均等になる。
したがって,放射化された地面や放射性降下物が降下した地面に横たわったために放射性物質が皮膚に付着して被曝しても,起きあがって地上1mの地点で被曝したとしても,被曝線量に変わりはなく,そのような放射性物質のごく一部が皮膚に付着しただけであれば,それによる被曝線量が更に無視し得るものであったことは明らかである。
(ウ) 放射性降下物を含む降雨等が直接皮膚に付着することにより,被曝する可能性も否定はできないが,アルファ線及びベータ線は到達距離が非常に短いので,皮膚表面より内部の皮下組織には到達せず,人の健康に影響を与えるものではないこと,また,ガンマ線も,皮膚表面から深部に到達する過程で線量は著しく減少するので,皮膚表面における被曝線量が最も高いことに変わりはなく,高線量の放射性降下物を含んだ降雨が,皮膚に直接付着することにより被曝するのであれば,まずは皮膚障害が生じたはずであるが,そのような皮膚障害は発生しておらず,放射性降下物を含む降雨等が直接皮膚に付着することにより人体影響が生じるような被曝をすることはなかった。
また,放射性降下物を含む降雨等が被爆者の口等から体内に入り込んだ可能性も否定できないが,黒い雨や灰を直接浴びたことによる内部被曝の影響も無視し得るものである。
オ 風雨の影響について
原告らは,DS86第6章において「風雨の影響に対する補正なしに使用された」と記載されていることを挙げて,DS86の残留放射線の評価において風雨の影響を考慮していないことを問題視する。
しかしながら,静間らは,風雨の影響の前であることが明らかな広島の原爆投下3日後に爆心地から5km以内で収集された土壌サンプル中のセシウム137濃度を調査し,放射性降下物による累積線量評価をしており,その結果,己斐・高須地区における無限時間を想定した積算線量は,4R(0.03Gy程度),それ以外では0.12±0.02R(0.001Gy程度)であったところ,この結果は早期の外部放射線測定による評価と良い一致をしていることが確認された。
そうである以上,たとえ,原爆投下後3か月間の降雨の影響により,己斐・高須地区に降った放射性降下物が他の地域に流出したとしても,その影響は,無視し得る程度のものである。
(6) 誘導放射線の被曝線量の正当性
ア 放射化の仕組み
(ア) 原爆から放出された中性子線と建物や地面などを構成する元素の原子核とが核反応を起こし,それにより新たに放射性核種が生じること(放射化)があり,この新たに生じた放射性核種からの放射線を誘導放射線と呼ぶ。極めて短時間の間に誘導放射化する元素は限られており,すべての元素が放射化するわけではない。
(イ) 原爆中性子線(瞬間的な中性子照射)によって起こりやすい反応としては,アルミニウム,マンガン,ナトリウム,鉄といった金属元素が高速中性子(速中性子)を吸収することによって起こされる反応(荷重粒子放出反応)があり,被曝に寄与する可能性のある誘導放射線はこれによるものである。被曝に寄与する誘導放射性核種は,核種ごとに半減期が物理的に決まっており,速中性子の吸収によって新たに生じた放射性核種の半減期は比較的短いことが特徴である。
中性子は,爆央から大気中を伝播する過程において大気中の水蒸気等との相互作用により,急速にエネルギーを低下させ熱中性子へと変化する。エネルギーが低くなった原爆中性子(熱中性子)の吸収によって生ずる反応(捕獲反応)は,ホウ素,カドミウム,ユウロピウム,ガドリニウムなどの元素に限られ,これらは土壌中にほとんど存在しないため,被曝に寄与することはほとんどない。
要するに,中性子線による誘導放射線量は,原爆から放出された中性子線量,放射化しやすい核反応断面積を有する金属元素の環境内における量,その半減期によって決定される。
(ウ) 広島の爆心地から200m離れた原爆ドーム付近で採取された土壌サンプルによって,問題となり得る核種の1g当たりの重量が判明しており,中性子を当てた場合の放射能量も判明している。それによれば,広島の土壌中の組成で比較的高い放射能の誘導放射線を示す核種は,アルミニウム28,マンガン56,ナトリウム24であるが,アルミニウムの半減期は,2分程度と極めて短いため,人が爆心地地域に入り得たよりずっと前に消失したことは明白であり,これによる被曝を考慮する必要はなく,原爆の誘導放射線が問題となり得る核種は,マンガン56とナトリウム24ということになる。
イ グリッツナーらによるDS86を前提とした線量評価
(ア) グリッツナーらは,DS86によって原爆の初期放射線の被曝線量評価が策定された際に,広島・長崎の実際の土壌中の元素の種類,含有量,及び,これらの元素の放射化断面積をもとに生成された放射能量を計算し,その結果,広島では爆心地から700m地点に至ると,1時間当たりの誘導放射線量は,ほぼ0.001Gyにまで低減することが明らかになっている。そして,広島では,爆心地から2kmの地点に爆発直後から無限時間とどまり続けたというあり得ない仮定をした場合でも,誘導放射線による被曝線量は,わずか0.000001Gy程度にしかならないのである。
(イ) グリッツナーらが計算した,爆心地における土壌の放射化による線量率は,爆発直後から急激に低減し,例えば爆発から1日経過した時点では,広島の爆心地では1cGyをやや超える程度,長崎の爆心地では,0.3cGy程度にまで低減している。
線量率の変化は,最初,短寿命のアルミニウム28の寄与,約30分後からはマンガン56及びナトリウム24の寄与,約1週間後からは鉄59及びスカンジウム46の寄与,約1年後にはマンガン54(半減期312日)やセシウム134(半減期2年)の寄与が主となる。
そして,鉄やスカンジウムによる誘導放射線があるとしても,爆心地でさえ,1時間当たりの線量率は,0.00001Gyを下回っており,マンガン54やセシウム134といったその他の核種は,さらにこれを大きく下回る。また,アルミニウム28の半減期は2分程度と極めて短く,爆心地において爆発直後からアルミニウム28による誘導放射線の被曝をしても,その最大積算線量は0.48Gyにすぎない。
(ウ) 以上のようなグリッツナーの研究を前提とした場合,誘導放射線による被曝線量は,広島では爆心地から700m,爆発から72時間を超えればほとんど無視し得る。長崎では爆心地から600m,爆発から56時間を超えればほとんど無視し得る。このように,広島及び長崎の原爆では,誘導放射線の影響も限られたものであったが,それは,上空で爆発した原爆から放出された中性子線が,地上に届いても弱いものでしかなかったことも大きく影響している。
ウ 爆心地における誘導放射線の測定調査
(ア) また,橋詰雅らは,広島の土壌のみならず,屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材及びコンクリート・ブロック片を試料として選択し,これらに中性子線を照射して,どのような放射性核種が生じるのかの検証をした結果,土壌だけでなく様々な建築資材の存在を考慮してみても,発生した誘導放射線の量は,わずかなものにすぎなかったことが明らかにされた。
(イ) DS86報告書第6章を取りまとめた岡島らは,このような調査結果を総括し,爆発直後から無限時間を想定した爆心地における地上1m地点での積算線量は,広島について約80R,長崎について30ないし40Rであると推定され,これを組織吸収線量に換算すると長崎については18ないし24rad(0.18ないし0.24Gy),広島では約50rad(0.5Gy)になると結論づけている。
エ 土壌の放射化のみを考慮しているのではないこと
DS86が基礎とした橋詰雅らの報告書では,上記のとおり,土壌のみならず,屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材及びコンクリート・ブロック片を試料についても検証した結果,爆発直後から無限時間までの累積ガンマ線量は,広島では爆心地で約80rad,長崎では同じく約30radであると推定されたのであり,土壌だけでなく様々な建築資材の存在を考慮してみても,発生した誘導放射線の量は,わずかなものにすぎなかったことが明らかにされている。
(7) 内部被曝について
ア 内部被曝の態様
ウランやプルトニウムが核分裂すると,半減期の短いものから比較的長いものまで合計約80の核種が生成されるが,その中でも生成量が多く,半減期の長い核種が,被爆地で生活する者に継続的な被曝を与え,内部被曝に寄与することになるため,内部被曝を評価する上で着目すべき放射性核種は,半減期を30年とするセシウム137,半減期を29年とするストロンチウム90ということになる。放射化された核種による内部被曝も問題にならないわけではないが,誘導放射化された核種の半減期は,一般にごく短く,そのような放射性物質の量自体,ごく限られたものである。
広島の土壌中に含まれる元素の割合及びその元素が放射化した場合の放射線量は判明しており,これによれば,急性症状を発症する最低1Gyの被曝をもたらすためには,例えば,マンガン56であれば,広島の爆心地の爆発直後の土壌約36kgを,ナトリウム24であれば,同じく111kgを一度に体内に摂取する必要があることになる。原告らのような遠距離・入市被爆者が,空中に浮遊していた粉塵を吸入した可能性が全くなかったとはいえないとしても,これによって有意な内部被曝をしたとは到底考え難い。
イ 生物学的半減期
体内に取り込まれた放射性核種は,その物理的崩壊による減衰だけでなく,人体に備わった代謝機能により,各元素に特有の代謝過程を経て,最終的には腎臓,消化管などから体外に排せつされる(排泄機構により体内量が1/2になるまでの時間を生物学的半減期と呼ぶ。)。
経口摂取されたセシウム137は,そのすべてが胃腸管から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,90%は生物学的半減期110日で体外へ排せつされるとされているから,10年後には7.3×10の-11乗,すなわち100億分の1以下に減衰することになる。
一方,ストロンチウム90は,経口摂取されたうち30%が消化器系を経由して血中に注入され,残りは便として排せつされるとされているから,血液に1ベクレル注入された場合でも,10年後には軟組織全体に残留しているのは1.2×10の-4乗ベクレルすなわち約8300分の1以下に減衰することになる。
ウ 内部被曝の影響は無視し得る程度のものであること
(ア) 長崎大学の岡島俊三博士らは,放射性降下物が最も多く堆積し,原爆による内部被曝線量が最も高いと見積もられる長崎の西山地区の住民を対象として,体内に摂取されたセシウム137による内部被曝線量の積算を行い,昭和20年から昭和60年までの40年間にも及ぶ内部被曝線量を積算したところ,男性でわずか0.0001Gy,女性でわずか0.00008Gyにすぎないことを明らかにした。これは,自然放射線による年間の内部被曝線量(0.0016Sv=すべてガンマ線であった場合0.0016Gy)と比較しても格段に小さいものであるから,審査の方針において内部被曝を考慮しないとされていることは,何ら不合理ではない。このことは,前記(5)アのとおり,広島,長崎の原爆により生じた放射性降下物は,世界の核実験により生じた放射性降下物の我が国への降下量のわずか8分の1と極めて少ないこととも符合するものである。
(イ) 原告らは,ホールボディカウンターによる上記測定が,飛程の短いアルファ線やベータ線を測定できないこと,セシウム137のみしか検討されておらず,内部被曝を引き起こす放射性物質であるストロンチウム90やユウロピウム152,コバルト60,塩素36などの検討を行っていないことを問題とする。
しかし,前記のとおり,ウラン又はプルトニウムが核分裂して生じる放射性核種の中で,フォールアウトによる線量への寄与が最も大きいセシウム137ですら,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部被曝線量は,男性で0.0001Gy,女性で0.00008Gyにすぎず,他の核分裂生成物,ストロンチウム90を考慮したとしても,その影響が無視し得るのであることに変わりはない。また,岡島博士らの上記研究報告は,セシウム137のガンマ線量を基に,ベータ線量も加算して内部被曝線量の積算をしたものであって,原告らの批判は完全な誤解に基づくものである。
(ウ) また,長崎の西山地区におけるセシウム137の降下量の最も高い推定値を前提として,浦上川の表面積で100cm2分(おおよそ1ℓ)飲んだと仮定しても,その放射能は,セシウム137,ストロンチウム90のいずれの放射性核種についても330ベクレル以下となり,その場合の肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム137が0.0000046Sv,ストロンチウム90が0.00000022Svにすぎない。同様に,330ベクレルを経口摂取した場合の実効線量(身体すべての組織・臓器の荷重された等価線量の和)の50年間の合計は,セシウム137が0.0000046Sv,ストロンチウム90が0.00000022Svにすぎない。
ストロンチウム90は,骨に集積する性質があるが,そうはいっても,これを1ベクレル経口摂取したときに骨表面の受ける線量(等価線量)の50年間の合計は0.00000041Sv,赤色骨髄の受ける線量(等価線量)の50年間の合計は0.00000018Svにすぎない。
したがって,浦上川の水を大量に飲んだとしても,内部被曝線量は無視し得る程度のものであることは明らかである。
エ チェルノブイリ事故との比較
チェルノブイリ原発事故の際には,小児甲状腺がんが多数発生したとされているが,これは,そもそも,広島の原爆とは比較にならないほどの大量の放射性物質(これは,核分裂生成物であり,誘導放射化された放射性物質ではない。)が周辺地域に放出されたためである。すなわち,チェルノブイリ原発の核燃料はウランだけで3600kgに達し,7ないし10tの核燃料物質が放出され,特に揮発性の放射性物質である放射性ヨウ素が大量に放出された(ヨウ素は甲状腺に局所的に集まる傾向がある。)。他方,広島の原爆の爆弾の総重量は約4t,ウランに換算して約25kgであり,核分裂反応は,4%程度(ウラン約1kg)に生じたにすぎなかった。
原告らがいうように,原爆の放射線による内部被曝の影響が無視できないものであり,遠距離・入市被爆者に,内部被曝によってがんが生じたとするならば,これらの被爆者らにも,甲状腺がんや骨がんのように特定の臓器に発生するがんが顕著にみられるはずであるが,原爆の被爆者には,内部被曝により,このような特定の臓器についてがんが多発したという傾向は全くみられておらず,このことは,原爆による内部被曝の影響が無視し得る程度のものであったことの証左であるといえる。
被爆者が内部被曝の影響を受けていないことは,チェルノブイリ事故と比較しても明らかである。
オ 低線量被曝の影響について
原告らは,内部被曝,低線量被曝であっても,外部被曝・高線量被曝とは異なった機序によってより大きな影響を及ぼすことは否定できない旨を主張する。
しかしながら,核医学の分野では放射性核種を投与して,診断に役立てており,それによって一定量の内部被曝が起きているが,それによる人体影響は何ら問題とされていない。
また,がん発症の過程では,何重もの「防御機能」が制御的に働いており,がんが確率的影響であるからといっても,0.1Gy以下ではがんのリスクの有意な増加は認められず,0.1Gyを超えても,がんになるリスクは極めて低い。このようにがんの発症メカニズムは,極めて複雑なものであり,わずかな放射性物質が体内に入り,細胞を傷つけたからといって,それが原因で将来がんになるとは限らないのである。放射線とがんの関係については,がんの発症リスクは,被曝線量が多ければ多いほど高まり,ほとんど被曝していなければ,がんが発症するリスクもほとんどないことが,放影研が被爆者を対象として行った大規模な疫学調査の結果によっても明らかとなっている。だからこそ,原告らが内部被曝をした可能性が全くないといえないとしても,程度問題であり,放射性物質を体内に摂取した可能性がほとんどなく,ほとんど被曝していない以上,原告らの申請疾病の放射線起因性を認めることはできない。
さらに,ある細胞がアルファ線に被曝した場合には,当該細胞だけでなく,その近傍にある細胞にも放射線影響がみられるという効果(バイスタンダー効果)が認められるとしても,臓器ないし組織全体の平均線量が低い場合には,結局,放射線被曝を原因とするがんが発症するリスクは極めて低いことに変わりはないのである。
(8) 原因確率を用いた放射線起因性判断の合理性
ア 序論
がんは,被曝線量が増えるとともに発生率が増加する確率的影響に係る疾病であり,被曝線量とがんの発症率との間には線量反応関係がみられるのが一般的である。したがって,被爆者の被曝線量を客観的に評価した上,疫学的知見を最大限に活用し,原爆の放射線が当該がんを発症させた可能性を確率的に推定することができ,これが原因確率を利用した認定手法である。
イ 放影研による疫学調査
(ア) ABCC(原爆傷害調査委員会)及び放影研は,昭和25年の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から得られた資料に基づき確認された,昭和25年当時,広島・長崎のいずれかに居住していた約20万人を「基本群」とし,この「基本群」から選ばれた副次集団について疫学調査を実施してきた。死亡率調査においては,厚生労働省,法務省の公式許可を得て,国内で死亡した場合の死因に関する情報の入手が行われている。また,がんの罹患率については,地域の腫瘍・組織登録からの情報によって調査が行われている。
(イ) ABCCが実施した寿命調査(LSS)は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が広島又は長崎にあり,昭和25年に両市のいずれかに在住し,効果的な追跡調査を可能とするために設けられた基準を満たす被爆者の中から抽出された寿命調査集団を対象とするものであり,これは①爆心地から2km以内での被爆者,②爆心地から2kmないし2.5kmの区域での被爆者,③前記①と年齢,性が一致するように選ばれた爆心地から2.5kmないし10kmの区域での被爆者,④前記①と年齢,性が一致するように選ばれた,1950年代前半に広島・長崎に在住していたが原爆投下時,市内に不在であった者(原爆投下後30日以内の入市者とそれ以降の入市者も含まれている。)で構成されていた。
当初9万9393人から構成されていた寿命調査集団は,1960年代後半,本籍地に関係なく,爆心地から2.5km以内において被爆した「基本群」全員とし,昭和55年には,「基本群」における長崎の全被爆者を含むものとされ,今日では,爆心地から10km以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人の合計12万0321人の集団となっている。
これを引き継いで放影研が行っている寿命調査は,約12万人を対象として,昭和25年以降の死亡率等につき調査研究を行っている。
(ウ) 成人健康調査は,2年に1度の健康診断を通じて疾病の発生率とその他の健康情報を収集することを目的として設定された健康調査集団を対象とし,集団全員のすべての疾病を診断し,がんやその他の疾病の発生と被曝線量との関係を研究し,寿命調査集団の死亡率やがんの発生率に関する追跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上の情報を入手している。
昭和33年の集団設定当時,成人健康調査集団は,当初の寿命調査集団から抽出された1万9961人から構成されており,爆心地から2km以内で被爆し「急性症状」を示したとされる4993人を中心グループとし,都市・年齢・性を中心グループと一致させた,①爆心地から2km以内で被爆し,「急性症状」を示さなかった者,②広島では爆心地から3kmないし3.5km,長崎では3kmないし4kmの区域において被爆した者,③当初の寿命調査集団のうち,本籍が広島又は長崎にあり,昭和25年に広島又は長崎に居住していたが,原爆投下時にいずれの都市にもいなかった者(原爆投下時市内不在者)のグループを形成していた。
昭和52年には,新たに,・※寿命調査集団のうち,T65Dによる推定被曝線量が1Gy以上である2436人の被爆者,・※前記・※と年齢,性を一致させた同数の遠距離被爆者,・※胎内被爆者1021人から成る各グループを加え成人健康調査集団を拡大し,合計2万3418人の集団となった。
ウ 原因確率作成の基礎とされた放影研の疫学調査
(ア) 審査の方針が用いる原因確率が基礎としているのは,児玉和紀を主任研究者とする「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」であるが,この研究は,放影研の「原爆被爆者の死亡率調査 第12報,第1部 癌:1950-1990年」(以下「死亡率調査第12報・癌」という。),「原爆被爆者における癌発生率。第2部 充実性腫瘍,1958-1987年」(以下「癌発生率・充実性腫瘍」という。)という調査結果を使用し,さらにその中から線量推定値の明らかでない者などを除いた8万6572人(死亡率調査第12報・癌)ないし7万9972人(癌発生率・充実性腫瘍)を調査対象集団(コホート)として選択している。
(イ) このような疫学調査は,何らかの共通特性を持った集団(コホート)を追跡し,その集団からどのような頻度で疾病,死亡が発生するかを観察し,要因と疾病等との関連を明らかにしようとするコホート研究と呼ばれるものである。
そして,コホート研究の解析方法としては,コホートを曝露の程度に応じて群分けを行い,曝露の程度が高い群における死亡(罹患)が,少量曝露群における死亡(罹患)に比べどう相違するのかを観察する方法(コホート内部での曝露要因量(線量)と健康影響(反応)との関連を見る)である内部比較法が,比較的同質の対照群を取りやすく相対危険(相対リスク)について,より正確な値を算出することができる。
(ウ) 放影研における調査・研究では,「寿命調査第10報 第一部 広島・長崎の原爆被爆者における癌死亡,1950-82年」(以下「寿命調査第10報」という。)から,ポアソン回帰分析と呼ばれる方法を用いた内部比較法によるリスク推定が行われており,原因確率作成の基礎とされた放影研の上記疫学調査もこの方法が採られている。
回帰分析とは,予測しようとする変数である目的変数(この場合は特定疾病の死亡(罹患)率)と目的変数に影響を与える変数である独立変数(この場合は被曝線量)との関係式を求め,目的変数の予測を行い,独立変数の影響の大きさを評価することである。その関係式として,直線,二次曲線,確率分布等を推測して当てはめることにより様々な回帰分析が行われる。
エ リスク評価
(ア) 「リスク」とは,「ある事件が発生するであろう確率(蓋然性)」と概念され,疫学上では,例えば,ある個人が一定の期間や一定の年齢で罹患あるいは死亡する確率(蓋然性)を指すが,一般には,望ましくない結果を引き起こす確率(蓋然性)を表す様々な指標を包含する用語と説明されている。
(イ) ある集団において,要因Xの及ぼす健康障害のリスク評価を行う場合,まず要因Xがどのような健康障害を引き起こすかを知る必要がある。要因Xが引き起こす健康障害のうち,疾病Dに関して要因Xの曝露量と疾病Dの発生状況(用量-反応関係),要因Xの曝露から疾病Dの発生までの時間(潜伏期),疾病Dの発生状況に影響を及ぼす要因X以外の要因(修飾因子)等についての知見が必要となる。特に,用量-反応関係の知見は極めて重要であり,リスク評価のためには,当該疾病による死亡率や罹患率が曝露の程度によってどのように変化するのかを観察することになる。
(ウ) 被曝と死亡率との関係で説明すると,リスクには,被曝群の死亡率と対照群のそれとの比を表す「相対リスク」,調査対象となるリスク因子によって増加した割合を示す「過剰相対リスク」(相対リスクから1を引いたもの)がある。また,「寄与リスク」とは,被曝群に現れた死亡(疾病)のうち曝露に起因するものの割合を示すものであり,過剰相対リスクを相対リスクで除することによって求めることができる。
オ 確率的影響に係る疾病に関する放射線起因性判断の合理性
(ア) 放影研が長年にわたり被爆者を対象にして行った,世界でも類例がないほどに大規模かつ高度に専門的な疫学調査(児玉証人調書12,13ページ)の結果,がんの発症リスクは,被曝線量,被爆時の年齢,発症部位(臓器),性別によって変化することが明らかとなっている。そこで,審査の方針では,こうした疫学的知見を申請者の利益のために最大限活用することとし,当該原因(原爆放射線)によって誘発された疾病発生の割合というべき原因確率を,発症部位(臓器)ごとに,被曝線量,被爆時の年齢,性別に応じて策定し,これを目安として放射線起因性の判断をすることとしている。すなわち,疫学の分野におけるリスク推定値としての寄与リスクは,本来,将来の死亡(疾病)の発生確率を予測するものであるが,審査の方針では,これを,現在生じている死亡(疾病)という結果を引き起こした原因の占める割合を図る目安としたものであり,これが原因確率である(寄与リスクと原因確率の数学的な定義は一致している。)。
被爆後数十年が経過して発症したがん等の申請疾病に放射線起因性があるか否か判断することは極めて困難であるが,審査の方針では,疫学的知見を活用し,本来,放射線起因性について立証責任を負うべき申請者にできる限り有利に放射線起因性を認めることとしている。
(イ) すなわち,将来の疾病の発生確率を予測するリスク推定値である寄与リスク(曝露者の疾病のうち曝露と関連するものの割合)を用いることによって,寄与リスクが高い疾病については,当該個人に現在生じている疾病の原因も当該要因によるものであると高度の蓋然性をもって推認することができ,個々の疾病の発症原因を個別に特定することが極めて困難という問題を合理的に解決することができる。この点,放射線起因性について立証責任を負うべき原告らに非難されるいわれは全くない。
他方,寄与リスクが極めて低い場合,当該申請者の疾病の原因が当該要因によるものであると高度の蓋然性をもって推認することはできないのである。
(ウ) このような原因確率の考え方は,原爆症認定のために新たに考え出された概念ではなく,国際的にも,例えば,米国公衆衛生院国立がん研究所においても,被曝補償を行うためのリスク評価法として使用されており,英国においても同様である。IAEA(国際原子力機関)の公式文書である「職業被曝による発がん率の評価方法」においても,「原因確率の算出は個人において特定のがんが放射線によって誘発された確率を系統的に定量化する最良の方法である。それは理想的ではないが,現在利用できる唯一の実用的な方法である。」とされている。
(エ) 審査の方針では,推定した被曝線量を前提とし,求められた原因確率がおおむね50%を超える場合は,当該申請疾患について,一応,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があると推定し,原因確率がおおむね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定することとした上で,これらを機械的に適用して判断するのではなく,高度に専門的な見地から,更に当該申請者に係る既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行い,できる限り,申請者に有利に放射線起因性を認めることとしている。
原因確率が50%を超えているということは,原爆の放射線が当該申請疾病の発症に寄与した可能性が50%を超えているということであるため,それだけで放射線起因性を認めることとし,原因確率が50%を下回った場合でも,当該申請者の既往歴や,環境因子,生活歴等を総合的に勘案した上で,できる限り,放射線起因性を認めるようにしている。
しかしながら,原因確率が10%を下回る場合には,原爆の放射線が当該申請疾病の発症に寄与した可能性が10%にも満たないということであり,逆にいえば,原爆の放射線以外の要因で発症した疾病である可能性が90%を超えているということであって(原因確率が10%であるという意味を,すべての者に当該疾病を発症する可能性が10%あることと誤解してはならない。),通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとはいえないと判断されてやむを得ないものである。
カ 原告らの主張に対する反論
(ア) 原告らは,「原因確率を10%で区切る根拠はなく,ほんのわずかでも被曝すれば,がんが余分に起こってくる可能性があるというのが疫学的な所見である」と主張する。
しかしながら,浴びた原爆の放射線がほんのわずかであれば,それが原因でがんになるリスクはほとんどないのであるから,このような場合にまで放射線起因性を認めることは,放射線起因性についての立証責任が原告側にあることを全く看過した議論であり,失当である。
(イ) 原告らは,「宝くじを1枚買って1等が当たっても100枚買って1等が当たっても1等には変わらず,ただ,100枚買った場合の方が1枚買った人よりも当たる確率が大きいということである。この1等がガンなどの確率的影響の発症の有無であり,くじの枚数が被曝線量である。」と主張する。
しかしながら,この宝くじの例は,宝くじで1等に当たる要因は宝くじを買う以外にあり得えないケースであり,誰が当選したか判明しているとの前提での議論である。しかし,がんと原爆の放射線との関係については,原爆放射線以外に発がんリスクは複数存在し,原爆の放射線を浴びてもこれが必ずがんの発症に寄与するというものではない。原告らは,ほんの少しでも原爆の放射線を浴びた者が将来がんになれば,その発症に必ず当該原爆の放射線が寄与しているという考え方を所与の前提とするものであるが,がんの発症のメカニズムは複雑であり,そのような前提自体,失当である。そもそも,被爆者を含め,人は常に自然放射線の被曝をしており,また,医療被曝もある。
(ウ) 原告らは,東京地方裁判所における同種訴訟で証言した児玉証人の証言を引用し,「児玉証人も,疫学の所見としてではあるが,「ほんのわずかでも被曝をすれば,それに基づいて,がんが余分に起こってくる可能性はある」と述べている」と主張する。
しかしながら,児玉証人は,がんが放射線による健康影響のうち,被曝した放射線量が多いほど影響の出現する確率が高まる確率的影響に係る疾病であるという当然のことを述べたものにすぎず,「ほんのわずかでも被曝をすれば,それに基づいて,がんが余分に起こってくる可能性」があるとしても,当該申請者のがんが放射線に起因するものであると限らないのである。
(エ) 原告らは,「被爆者については,がんについても非がん疾患についても,放射線が他の要因とともに発症を促進しており,特段の事情が認められない限り,放射線はすべての被爆者の発症に促進的に作用していると考えるべき現実的な可能性がある。そして,前述のとおり,促進的要因がある場合には,寄与リスクは放射線に作用して発症した人数(割合)を表すことはできず,どんなに寄与リスクの値が小さくても全員の発症を促進していれば,「原因確率」は100%になるのである。」と主張する。
しかしながら,そもそも,放射線によってがんの発生時期が促進されたという事実は観察されておらず,そうである以上,原因確率の前提となっている寄与リスクが疾病発生の時期まで考慮していないことはおよそ問題にはなり得ないのである。問題は,被爆者ががん年齢に達した際に被爆者以外の者と比較してより多くのがん発症がみられるか,みられるとしてその割合はどの程度であるかであって,この点は,原因確率によって正しく評価されることは,児玉証人も認めるところである。原告らの上記主張は,およそ問題となり得ない仮定を想定して,原因確率の問題点を指摘するにすぎない。
(9) 「急性症状」の有無を根拠に放射線起因性を認めることはできないこと
ア 序論
原告らは,60年も前の記憶に基づいて被爆後,脱毛や下痢といった身体症状や,倦怠感といった体調変化があったことを訴え,これだけで被爆後数十年が経過して発症した様々な申請疾病の放射線起因性を認めるように求めている。
しかしながら,遠距離・入市被爆者の中にも,被爆後に下痢や脱毛等の身体的症状を訴えた者がいたことを明らかにしたアンケート調査は,被爆による急性症状を的確に把握したものではない。遠距離・入市被爆者の大半に被曝による急性症状の特徴を備えた下痢や脱毛等の症状が一様にみられたというのであればともかく,そうではなく,被曝による急性症状の特徴を備えているか否か全く不明な下痢や脱毛等の身体症状をごく一部の遠距離・入市被爆者が訴えているにすぎないのである。このようなアンケート調査も,これらが原爆の放射線によるものであると認めているわけではなく,爆心地から2km以遠において観察された脱毛が放射線の影響か否かは判断できないとする論文も新たに発表されている。また,未曾有の過酷な体験をした遠距離・入市被爆者が,被爆後のアンケート調査において,下痢や脱毛の症状がなかったのかと問われれば,自らの自然脱毛や円形脱毛症,ストレスや感染症による下痢,発熱,嘔吐等を,原爆の放射線によるものではないかと考えて申告することがあったとしても何ら不自然ではない。
原告らが訴えている被爆後の身体症状等を見ても,放射線被曝による急性症状の特徴を全く備えていないだけでなく,仮にこれが被曝による急性症状であれば,当然生じていたはずの他の症状がみられないのであり,こうした身体症状等があることだけを根拠として,原告らが有意な被曝をしたなどという認定をすることはできない。
そもそも,下痢や脱毛等の症状は,様々な原因があり得るから,仮にそのような身体症状がみられたとしても,その存在だけで,「急性症状を発症させるに足りる程度の高線量」の被曝をしたと認めることはできない。
また,下痢や脱毛といった症状の存否によって申請疾病の放射線起因性を判断することになれば,具体的な被曝線量の裏付けもないまま,身体症状等を不確かな記憶のみに基づいて安易に被曝による急性症状と認定して多量の被曝事実を推認し,ひいては申請疾病の放射線起因性まで肯定することは,公平,公正であるべき原爆症認定制度の趣旨を没却しかねない。
イ 放射線被曝による急性症状の特徴
被曝による急性症状には,しきい線量を始めとし,発症時期,程度,継続期間にはっきりした特徴があることが医学的に明らかにされ,現在では国際的にも確立した知見となっている。
(ア) 放射線被曝による急性症状の特徴
a 前駆症状と潜伏期
最低1Gy以上被曝すると,数時間以内に,前駆症状として,食欲低下,嘔吐,発熱(発熱は2Gy以上の被曝)といった症状が出現する。被曝線量が高くなれば症状出現までの時間が早くなることはあっても遅くなることはない。前駆期を過ぎると,一時的に前駆期にみられた症状が消え,無症状な時期に入る。潜伏期の長さは線量に依存し,線量が高くなれば短くなることはあっても長くなることはない。
b 出血傾向(血液・骨髄障害)
被曝による急性症状としての出血傾向(歯茎からの出血,紫斑を含む)は,2ないし3Gy程度以上被曝した場合に骨髄が障害され,血小板が一時的に減少することによって生じる症状である。一般に,血小板数は,被曝直後には変化が生じず,回復可能な障害の場合,被曝後10日過ぎころから低減し,30日前後で最も低下するが,間もなく回復する。したがって,皮下出血(紫斑)の出現も,被曝後3週間程度経過したころから出現し,血小板数の回復に沿って消失するものである。
c 脱毛(皮膚障害)
被曝による急性症状としての脱毛は,3Gy程度以上被曝した場合に毛母細胞が放射線により障害されて生じる症状であり,被曝後,少なくとも8ないし10日後から出現し,ほとんどの毛髪が抜けるまで2,3週間続き,見た目にはほぼすべての毛髪が脱落したように見える。原爆による3Gy程度以上の全身被曝をした場合,頭髪の一部だけが抜けたり,少量ずつ抜けることはない。3Gy程度の被曝であれば,8ないし12週間後には発毛がみられるが,7Gy被曝すると永久脱毛となる。
頭部の毛根に集積する放射性物質などないから,内部被曝によって脱毛が生ずることはない。
d 下痢
被曝による急性症状としての下痢は,5Gy程度(4ないし6Gy)被曝した場合に,前駆症状の一つとして,遅くとも被曝の3ないし8時間後に現れる。さらに,8Gy程度以上の被曝をした場合には,潜伏期を経て,腸管細胞が障害されることによって生じる,消化管障害の症状としての下痢が現れる。この場合,血性下痢となり,これは,腸管細胞が死滅し,再生不能となることに起因するもので,血便に至った場合,予後は非常に悪い(8Gy以上の被曝の場合,致死率はほぼ100%といわれている)。
e 原告らの主張の誤り
原告らは,被曝による急性症状におけるしきい線量について疑問を呈しているようである。
しかしながら,被曝による急性症状にしきい線量がないというのであれば,こうした症状から具体的にどの程度の被曝をしたというのか推認することはできず,また,急性症状自体は,がんやそれ以外の申請疾病の原因となるものでないことはいうまでもないから,結局,「急性症状」の存在は,申請疾病であるがんの放射線起因性を判断できる指標にはなり得ない。原告らは,一方で「発熱,下痢,嘔吐,脱毛,皮膚・粘膜の出血等の症状及びその程度は,被爆者がその身体に受けた放射線被曝の事実及びその程度を示す有力な徴憑である」と主張しているが,こうした原告らの主張はまさに破綻しているというべきである。
この点をおいても,被曝による急性症状は,確定的影響,すなわち,放射線によって組織・臓器を構成する細胞のうち,数十%以上の細胞が死滅した結果,発症した器質的機能障害に属するものであるから,一定程度のしきい線量があることは当然のことである。そして,このようなしきい線量は,放射線防護の見地から,放射線に最も感受性のある者,すなわち,被曝した集団の1ないし5%の人々に異常が認められる最低限の線量である。
そして,原爆であろうとなかろうと,放射線であることに変わりはないから,原爆の放射線に起因する急性症状のみに特別の発症過程があるわけではなく,その発症のメカニズムにかんがみれば,多少の個人差や悪条件があるとしても,一般的なしきい値を大きく下回るような放射線被曝で急性症状を発症するようなことはあり得ない。例えば,1Gyや2Gy程度の被曝をしても,被曝による急性症状としての脱毛が生ずることはない。
(イ) 被曝による身体症状が長期間に及ぶことはないこと
a 放射線の健康影響について,被曝後の放射線障害の発生時期に着目すれば,被曝直後から数週間以内に現れる急性障害と,被曝後長期間の潜伏期を経て現れる晩発障害に分けることができる。急性障害は,比較的短い期間に相当量の放射線を,全身又は身体の広い範囲に被曝した場合に,被曝後遅くとも2ないし3か月以内に現れるが,その後,軽症であれば回復し,重症の場合には死亡してしまうことから,例えば,被曝による下痢が長期間にわたって継続することはあり得ない。また,晩発障害は,がんのように,被曝後数年又は数十年が経ってから発症するものであるが,疾病を発症するまではいわゆる潜伏期間として無症状の時期であるから,その間に疲れやすいといった症状が現れることもあり得ない。
b 被爆者の間に被爆後長年にわたって「倦怠感」等の様々な症状がみられることもあるが,これは心因的な症状であって,放射線被曝によるものではない。一口に「倦怠感」といっても,疲労,精神的ストレス,栄養事情や衛生環境に起因する感染症等放射線以外の要因によっても起こり得るものであり,あるいは,格別の要因がなくても,誰しもが日常的に感じる種類の症状である。被曝による急性症状との関係では,被曝後数時間後に発症することのある発熱に起因し得ると考えられるが,発熱自体にも様々な要因があり,「倦怠感」をもって,急性症状と認定したり,相当量の被曝事実を認定することはできない。
(ウ) 不定愁訴や倦怠感は放射線の障害作用とは全く無関係であること
野口証人は,被爆者にみられた不定愁訴が,放射線被曝によるものであるかのように証言する。
しかし,自らも放射線に被曝したのではなかろうかという不安感が精神的ストレスを増長させ,その結果,不定愁訴や倦怠感といった症状が現れたことも十分に考えられるが,実際に放射線を浴びたということにはならず,少なくとも,原告らの申請疾病の放射線起因性を判断する上では何の意味もない議論である。
スリーマイル島原発事故後,精神的なストレスにより,心身症やPTSD(外傷後ストレス障害)などの不安神経症が増加したといわれ,チェルノブイリ事故の際にも,一般住民に対する最大の人体影響は,スリーマイル島原発事故の場合と同様,精神的影響であったとされている。しかし,これを放射線の器質的障害作用が寄与したものと説明する者はいない。
広島・長崎の原爆投下当時においても,放射線に被曝しなかったものの,熱線や爆風の影響で負傷し,あるいはこのような健康不安から体調を崩した者がいたことは容易に推認できるところであり,これを放射線被曝によるものということはできない。
ウ 被曝による急性症状を重視して放射線起因性を判断することについて
様々な被曝事例から,被曝による急性症状には,しきい線量を始めとし,発症時期,程度,継続期間にはっきりした特徴があることが医学的に明らかにされている。
この点,遠距離・入市被爆者にもごく一部ではあるが,被爆後に下痢や脱毛等の身体症状を訴えた者がいたことを明らかにしたアンケート調査結果は,回答者が急性症状の特徴を把握しないまま行った回答を基礎としているばかりか,回答者の不確かな記憶を基礎としており,そのようなアンケート調査に依拠して,遠距離・入市被爆者にも被曝による急性症状が生じたと認定することが誤りであることは明白である。
さらに,各地の同種訴訟の原告らで原爆投下後も広島又は長崎に居住していた者の中には,被爆から9年ないし17年後に実施されたABCCによる健康調査を受けた者がいるが,そのような者の中において,本人が回答した被爆直後の身体症状等の内容と,被爆後60年以上経過した現在,訴訟の本人尋問で供述するなどして明らかにした被爆直後の身体症状等の内容とがほとんど一致せず,記憶が不確かである実態が浮き彫りになっている。このように,被爆直後の体調変化や身体症状に関する記憶は極めて不確かであるのが現状であるから,放射線起因性の判断に当たり,これらの症状を被曝による急性症状であると決めつけて,その症状の有無だけを重要な事情の一つとして斟酌することの誤りは明白である。
エ 遠距離・入市被爆者のごく一部に生じたとされる身体症状について
(ア) 原告らが論拠とする調査結果は,被爆者を対象としたアンケート調査であり,調査時期は,原爆投下間もなくして行われたものから数十年後に行われたものなど様々である。これらは,一定の集団における特定の健康障害の頻度(急性症状の発症率)とその発症要因となり得る特定の曝露要因(被曝線量)をそれぞれ観察し,両者の関連性を検討したものであって,一応,疫学調査の一類型と呼び得るものである。
(イ) しかし,一口に疫学調査といっても,その精度や信頼性の程度には様々なものがあり,これらの調査は,後に放影研が実施した追跡調査(いわゆるコホート研究)とは全く次元を異にし,一応の傾向を観察し,曝露要因と健康障害との間の関連性についての仮説を立てるための手段にすぎないレベルのものである。
そもそも,このような疫学調査に基づいて曝露要因と健康障害との間の関連性を判断する場合,当該疫学調査が,当該曝露要因と健康障害との間の関連性をみることを目的として正しくデザインされ,かつ,問題とされる曝露要因及び健康障害は,明確に定義され,信頼できる測定がされている必要がある。
また,疫学調査の結果,当該曝露要因と健康障害との間に関連性が見受けられても,当該健康障害が,別の交絡因子によって引き起こされたのかを見極める必要があり,関連の時間性(原因と思われるものが結果に先行すること。),関連の強固性(関連性が強いこと。),関連の一致性(原因と思われるものと結果との関連性が,異なる対象,時期においても普遍的に観察されること。),関連の特異性(原因と結果が1対1に対応すること。)及び関連の整合性(実験的研究などによる他の知見とよく整合していて,解釈できること。)といった要件に適合しているか否かを分析する必要もある。
以上のような検討を経て,疫学的な因果関係の有無が判断される。
(ウ) 前記のとおり,今日では,様々な被曝事故の経験から,放射線被曝による急性症状には,その発症時期,程度,回復時期等に極めて明確な特徴があることが確定した知見として明らかになっている。
しかしながら,原告らが論拠とするアンケート調査等の類は,下痢や脱毛等について明確な定義をせず,症状について,医師による直接的な診察・診断を経たものではなく,回答者による自由な回答を前提にしており,脱毛や下痢といった症状の受け止め方は様々であるため,回答者の主観により大きく左右されることがあり,被曝による急性症状を的確に把握していたとは到底いい難いことは明らかである。
また,被調査者に対し,原爆被害の調査であることを明らかにし,各自の被害状況を調査した場合,自分の症状も放射線被曝によるものではないかと疑い,これを回答することがあり,その結果,対照群と比較して見かけ上の関連性を示すことがあるため,これらの調査等は,医学の従来の考え方によれば常識的でない事項についてもあえて排除することなく調査結果に含めたものとみるべきである。
(エ)a 事実,爆心地から1km強の近距離被爆者の中に,放射線被曝による急性症状を発症した者がいたとのアンケート調査は,爆心地から遠距離の地点を見る限り,爆心地からの距離が遠くなるに従って発症率が低下するという相関関係が有意にみられるわけではない。
日米合同調査団報告書は,広島・長崎における被爆後20日後に生存していた被爆者を対象として脱毛,紫斑といった身体症状の有無を調査したものであるが,特に,爆心地から2km以遠の遠距離被爆者に注目し,被爆距離と被爆者の身体症状との間の相関関係を調査したものではなく,これらの調査の意図や趣旨を超えて,爆心地から2km以遠の遠距離被爆者のみを取り出し,統計学等に基づく分析をしないまま,一定の結論を出すことは許されない。その具体的内容も,脱毛,紫斑その他の症状について,必ずしも距離に反比例して減少しているわけではなく,爆心地から2km以遠の遠距離被爆者について,距離に応じて急性症状の発症率が低下するという傾向が一致してみられるわけではない。
於保医師に係る「原爆残留放射能障碍の統計的観察」は,原爆投下直後,広島市の爆心地に入った者の急性症状の有無を調査したものであるが,対照群として,爆心地に入らなかった被爆者の急性症状の有無の調査がされている。同報告書のうち,表1の「原爆直後中心地に入らなかつた屋内被爆者の場合」の「脱毛」欄を見ても,被爆距離が1.5kmまでの発症率が16.7%であったのが,2.0kmまでは2.1%と激減し,2.5kmまでは逆に5.4%と増加している。表3の「原爆直後中心地に入らなかった屋外被爆者の場合」の「脱毛」欄を見ても,爆心地から2.5kmまでの発症率は10.9%であるのに対し,3.0kmまでの発症率は12.0%と増加している。
また,調来助教授らの「長崎ニ於ケル原子爆弾災害ノ統計的観察」でも,距離別脱毛の頻度は,爆心地から1.5kmまでで急激に下落し,2km以遠ではほぼ変化がみられないというべきであり,これをもって,爆心地から2km以遠の遠距離被爆者にも距離に応じて脱毛の発症率が低下するという結論を導き出すことはできない。
さらに,東京帝国大学医学部診療班の原子爆弾災害調査報告は,昭和20年10月,11月に広島市において原子爆弾の災害調査をし,その結果を取りまとめたものであるが,同報告も,2km以遠の発生頻度をみて,「被爆距離との相関性」があることを確認したものではない。
b 入市被爆者との関係では,入市被爆者の体調変化が被曝によるものであれば,それは専ら誘導放射線に起因することになるが,放射化された元素の半減期は数分から数時間と短いものが多いから,誘導放射線量は,原爆投下後の時間経過に伴い急速に減少し,入市被爆者に生じたとされる体調変化の発生率も,これと同様,急激に低減するはずである。しかし,入市被爆者にも急性症状がみられる論拠とした於保医師の報告表6「原爆直後入市し中心地に出入した非被爆者の場合」を見ても,入市した日が遅れ,時間が経過しても有症率や症状発現率に一定の減少傾向はみられない。
c 以上のとおり,遠距離被爆者に対するアンケート調査及び入市被爆者に対するアンケート調査は,単なるアンケート調査の域を超えないものである。また,これらのアンケート調査が,放射線被曝によらない下痢や脱毛をも対象として行われた以上,放射線との関連性を調査したものとはなり得ないことは明らかである。
(オ) さらにいえば,仮に爆心地からの距離によって徐々に急性症状の発症率が低下したり,発症の程度が軽くなるという傾向がみられるとすれば,それは,被曝による急性症状が確定的影響であることと矛盾することになる。
すなわち,確定的影響の場合,しきい線量を下回ると急性症状を発症しないから,しきい線量を下回ったある地点以降では全く発症者がいなくなるはずである。しかし,アンケート調査の結果には,確定的影響であればみられる傾向は全くなく,他方,しきい線量以上の被曝をして脱毛が生じる場合には,放射線を浴びた部分のほとんどの毛髪が抜けるのであって,「軽度」に留まることはないから,アンケート調査の結果にみられるような,距離が遠くなるに従って脱毛の程度が軽くなるということもあり得ない。
オ 遠距離・入市被爆者に被曝による急性症状が生じたとは考え難いこと
遠距離・入市被爆者に被曝による急性症状が生じたとは考え難いことは,脱毛患者の発生域を医学的に調査し,爆心より半径1.03km以内の地域と特定した陸軍軍医学校の「原子爆弾による広島戦災医学的調査報告」,原爆投下直後に爆心地に赴き負傷者の救護活動に従事した者の白血球数を調査したところ,白血球数には異常が認められなかったとする実証的かつ客観的な調査報告,「黒い雨」降雨地域における人体影響の存在は認められなかったと報告した「黒い雨に関する専門家会議報告書」,入市者に放射性降下物や誘導放射線による被曝の影響がなかったことを大規模な疫学調査によって明らかにした報告結果といった多くの実証的な科学的研究結果から明らかである。
カ 原告らの主張について
(ア) 以上のとおりであるから,原告らや最近の地裁判決が依拠したアンケート調査等の結果をもって,遠距離・入市被爆者に生じたとされる脱毛や下痢といった症状を被曝による急性症状と認定することが誤りであることは明白である。
この点,原告らは,あたかも被告らが脱毛や下痢の要因を被曝以外の理由で説明し尽くさなければならないかのようにいう。しかしながら,放射線起因性判断の立証責任は,飽くまでも原告側にある以上,被告らにおいて,遠距離・入市被爆者のごく一部に生じたとされる身体症状の原因を説明し尽くさなければ,これらが放射線被曝によるものであると認めるかのような判断をされるいわれは全くない。仮に,脱毛や下痢といった症状それ自体の存在は認められるとしても,それが放射線被曝による急性症状であれば,しきい線量,発症時期,発症態様,回復時期など様々な観点から他の原因による脱毛や下痢と区別することは可能であるが,被曝による急性症状でない脱毛や下痢については,それこそ個々人の体調・体質や,生活状況や栄養状態といった環境要因が複雑に絡み合うため,これを十把一絡げにして,数十年以上も前の記憶に基づく本人の訴えのみからその原因を特定することは,本来的に困難というべきである。
(イ) それでもあえて原因を挙げるとすれば,脱毛であれば不衛生による自然脱毛の増加,栄養障害や代謝障害による脱毛,精神的ストレスによる脱毛などが考えられ,下痢であれば栄養失調,種々のウイルスや赤痢等の感染症,極度のストレス,過労などが考えられる。紫斑といった皮下出血についても,打撲等により皮下出血を来すことは十分考えられるし,栄養不良状態等が原因となり,皮膚に出血傾向を来した可能性もあるし,そもそも,本当に紫斑であったのかどうかも不明というべきである。
(ウ) そして,遠距離・入市被爆者においても,被曝による急性症状としての「脱毛,白血球減少,紫斑,歯根出血」がみられたことを客観的に証明する証拠は存在しないのである。
キ 小括
以上のとおりであって,遠距離・入市被爆者にみられたとされる身体症状等が放射線被曝による急性症状であると認定すること自体,誤りというべきであるから,この事実を前提として,原告らに生じた身体症状等が被曝による急性症状であると認定したり,ひいては申請疾病の放射線起因性を認定する重要な根拠として主張する原告らの誤りは明らかである。
(10) 原告Aの申請疾患(前立腺がん,日光角化症(上皮内がん))について
ア 被爆状況
原告A(大正13年4月生,男性,被爆当時21歳)の被爆地は,広島市皆実町1丁目の兵舎(木造建物)内であり,爆心地からの距離は約2.0kmである。
イ 推定被曝線量
(ア) 初期放射線による被曝線量
原爆による初期放射線による被曝線量は,DS02によってその正当性が検証されたDS86によって合理的に推定できる(審査の方針別表9)。これによれば,広島の爆心地から約2.0kmの地点における初期放射線による被曝線量は0.07Gyと推定され,さらに,原告Aは,遮へいのある建物(兵舎)内において被爆したというのであるから,原告Aの初期放射線による被曝線量は,透過係数0.7を乗ずれば,0.049Gyと推定される。
この点,原告Aは,平成11年7月に,被爆距離を爆心地から1.87kmに修正したと主張する。しかし,原告Aの被爆地点は比治山の麓にあった木造の建物(兵舎)の中であるところ,その位置を,当時の地図と航空写真及び同連隊施設の配置図の各形状から具体的に推定した結果,作図上の多少の誤差を考慮に入れても原告が被爆した場所は,爆心地から2kmを下回ることがないことは明らかである。この点をおくとして,仮に原告Aの主張どおりであるとすると,爆心地より1.85kmの地点における初期放射線による被曝線量は0.12Gyであり,透過係数0.7を乗ずれば,0.084Gyと推定される。
なお,上記のとおり遮へいに係る透過係数を一律に0.7としているのは,被曝線量が推定し得る最大値となるようにするとの配慮によるものであり,実際には,平均的な木造の日本家屋ですら,その透過係数は0.3ないし0.5程度なのであるから,実際の被曝線量は,上記の推定値をさらに下回るものと考えられる。
(イ) 残留放射線(誘導放射線)及び放射性降下物による被曝線量
a 広島において,誘導放射線による被曝の影響が考えられるのは,時間的には原爆爆発後72時間まで,距離的には爆心地から700mまでの範囲に限られ,また,放射性降下物による被曝の影響については,己斐・高須地区以外の地域においては考慮する必要がない。
b そこで,原告Aの被爆後の行動をみるに,同人は,次のとおり供述する。原爆投下当日の昭和20年8月6日は,原爆投下後午前8時40分過ぎごろに,爆心地から約2.0km離れた比治山を少し上った防空壕(部隊本部)に移動し,同月7日午後4時ころまで同地で救援活動等を行った。同日夕方には,比治山よりさらに南に2km(爆心地から約4.0km)のところにあった,宇品の臨時野戦病院に移動し,その日は同地で過ごした。同月8日は,午前8時過ぎに宇品から比治山の部隊に帰り,午後0時過ぎに比治山を出発し,御幸橋,赤十字病院,住吉橋,観音橋,旭橋(いずれも爆心地からは約1.5km以上離れている。)を経由して己斐駅(爆心地より約2.5km)に行った。その後,土橋(爆心地より約700m)から横川駅に向かい,さらに線路に沿って広島駅(爆心地から約2.0km)に行き,午後6時ころに比治山の部隊に帰り着いた。
c 原告Aの上記供述を前提とすると,同人が通った経路で最も爆心地に近い区域は,土橋から横川駅に向かった部分であるが,それでも爆心地から500m以上は離れている。さらに,原告Aがその区域を通過したのは,原爆爆発後すでに48時間以上経過した後であるから,時間的・場所的に見て誘導放射線による被曝の影響は考えられない。また,同人には,広島市己斐・高須地区に滞在又は居住した経過も認められない(己斐駅は通過したのみである。)。したがって,原告Aについては,誘導放射線及び放射性降下物による被曝の影響を考慮する必要はない。
d なお,個別意見書では,原告Aについて,「およそ36時間にわたって全身に放射性物質を含む塵埃が厚く付着していたことになる。」,「直爆に加え,残留放射線被爆を蒙る状況が存在した。」とあり,これを作成した証人D医師は,原告Aが「非常な爆風で倒壊された建物のそばで長時間じん埃まみれに,ほこりまみれになりながらという状態が数時間にわたっておりましたので,相当な被曝をした」と証言する。しかし,これらは,今日における放射線学の常識とはおよそ相いれない意見というべきである。しかも,実際,原告Aが被爆した爆心地から約2.0kmの広島市皆実町1丁目で,どのようにして放射化が生じたのか,また,どのような放射性物質が生じたのか,それによって,午前8時40分までの約25分間で,どの程度の線量の被曝をしたのかという最も重要な点については全く述べられていない。同様に,翌日以後,比治山での作業や宇品での活動,市内での移動によって,具体的にどのような被曝態様が生じ,どの程度の線量の被曝をしたのかも全く不明である。上記意見は,およそ科学的知見に基づくものとは考えられない。
(ウ) 小括
以上によると,原告Aの被曝線量は0.049Gyにすぎない(仮に,同原告の主張のとおりであるとしてみても,0.084Gyにすぎない。)。
ウ 被爆後の身体状況
(ア) 原告Aは,被曝による急性症状について,「被爆直後から1日2回程度の下痢が,広島から小樽へ帰郷後2,3か月程度続いた」と供述し,被爆後に生じた下痢が被曝による急性症状であったと主張する。
a しかしながら,原告Aが主張する,「下痢」などといった身体症状は,様々な原因があり得る非特異的な症状であるから,単にそのような症状がみられたというだけでは,健康状態に影響を与える程度の被曝を受けた可能性があるとする根拠にはなり得ない。
さらに,被爆者の被爆後の身体症状に関する供述等が不確かなものであり,したがって,それらの症状の有無だけに依拠して安易に放射線起因性を認めることは許されない。そして,原告Aの被爆者健康手帳交付申請書によれば,「被曝当時の状況」で「6か月以内にあらわれた症状の有無」の欄には「3.けが」だけに印があり,「4.下痢」には印がなく,原告Aの供述には信用性がなく,被爆後に上記供述どおりの症状があったとは考え難い。
b 仮に,原告Aに上記供述どおりの症状があったとしても,被曝による急性症状には,しきい線量を始めとし,発症時期,程度,継続期間,回復時期等にはっきりした特徴があることが医学的に明らかにされおり,5Gy程度(4ないし6Gy)以上被曝をした場合に,まずは前駆症状の下痢が,被曝の3ないし8時間後に現れる。さらに,8Gy程度以上の被曝をした場合には,潜伏期を経て,腸管細胞が障害されることによって生じる,消化管障害としての下痢が現れる。この場合は血性下痢となり,これは腸管細胞が死滅し,再生不良となることに起因するもので,血便に至った場合,予後は非常に悪い(8Gy以上の被曝の場合,致死率はほぼ100%といわれている。)。
原告Aの下痢の症状は,「被爆直後から,1日2回程度,下痢を起こすことが続きました。寝込んだり,作業に差し支えるほどではありませんが,広島から小樽へ帰郷後2,3か月程度,下痢は続いておりました。」というものであり,その症状の態様や発現の仕方をみても,被曝による急性症状の下痢ではない。更にいえば,原告Aに生じた下痢が放射線被曝によるものであったならば,原告Aは5Gy程度以上の被曝をしていたことになるが,3Gy程度以上の被曝でも,治療を受けなければ50%以上の者が30日以内に骨髄抑制によって死に至るほどの被曝であり,5Gy程度以上の被曝をした場合,被曝後数時間以内に発熱や嘔吐を来し,その後著しい白血球減少により,感染症を合併するなどもっと重篤な症状を呈していたはずであって,原告Aが述べるような被爆後の行動ができたとは到底考え難い。また,5Gy程度以上の被曝をしていれば,原爆は全身被爆であったことを考えれば,必ず放射線被曝による脱毛,骨髄障害を生じていたはずであるが,原告Aは脱毛については一切述べておらず,感染症の合併や出血傾向がみられたとも考えられない。
さらに,当時の栄養状態,衛生状態が劣悪で,しかも,当時赤痢,腸チフス等の腸管感染症が全国的に蔓延していたことや原爆投下による悲惨な状況に遭遇した原告Aの精神的なストレスは甚大なものであったと推察されることなどからすれば,原告Aに生じたという下痢等が事実であるとすれば,それは,不衛生,感染,栄養不良による症状やストレスによる心身症の症状であったとみるのが自然というべきである。
(イ) また,原告らは,原告Aが被爆後数年後から,胃潰瘍,肺結核,変形性腰椎症,心筋梗塞,尿管結石,白内障等に罹患したことも,被曝が原因であるかのように主張するようである。しかしながら,そもそもこれらの疾患が原爆放射線に起因して生じるとの知見は存在しない上,多数の疾患を発症したといっても,ごく一般的にみられる疾患を複数発症しているだけであって,その原因がすべて原爆放射線であるなどというのは,余りに非常識である。
そもそも,個別意見書等で述べられている内部被曝の影響とこれらの疾患の発症がどのように関係しているのか全く不明である。
(ウ) 以上述べたとおり,原告Aの訴える身体症状等については,いずれも放射線被曝によるものとは認められず,被曝による急性症状を発症させるほどの線量の被曝をしたとは考え難い。
エ 原告Aの申請疾患の放射線起因性
原告Aの認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,原告Aの申請疾病は,前立腺がん及び日光角化症(上皮内がん)と認められる。
(ア) 前立腺がんについて
そもそも前立腺がんについては,原告らが提出した甲第147号証引用文献19(LSS第13報)・※5ページの図においても,90%信頼区間の下限は0.0(過剰相対リスクなし)を下回っており,統計学的には,過剰相対リスクが0を下回る(すなわち,被爆者はむしろ非被爆者よりも前立腺がんによる死亡率が低い)可能性すら残っていることを示しており,また,通常,0.05を下回った場合に有意差が認められるとされているP値は0.42に上っている。このことから明らかなように,前立腺がんについては,そもそも,原爆放射線との関連を示唆する科学的知見が存在しないのである。
しかし,審査の方針においては,これを「その他の悪性新生物」として別表2-1の原因確率を適用することとし,申請者に可能な限り有利に扱うこととしている。原告Aの被曝線量は0.049Gy(仮に同原告の主張によっても0.084Gy)であり,被曝時年齢が21歳の被爆者に発症した前立腺がんの原因確率は,被曝線量が0.3Gyの場合に1.3%であるから,原告Aの前立腺がんの原因確率は,1.3%をはるかに下回り,被曝線量からしてほとんど0%に等しいというべきである。要するに,この程度の放射線被曝では,前立腺がんが発症するリスクは極めて低く,これを原因として前立腺がんになる人はいないといっても過言ではない。
前立腺がんは,加齢とともに罹患率が上昇し,特に70歳以上に多い。米国では男性のがんの中で最も罹患率が高く,我が国においても,生活習慣の欧米化に伴い増加している。他の原因で死亡した男性の前立腺を調べると,日本人でも70歳を超えると2割ないし3割に前立腺がんが発生しており,前立腺がんの発症には加齢によるホルモンバランスの変化が影響していると考えられている。被爆から51年が経過した72歳のときに診断された原告Aの前立腺がんも,他の一般の前立腺がんと異なるものとは認められず,これに放射線起因性を認めることはできない。なお,原告らは,原告Aが,原爆投下後に,「放射性降下物を多量に含む粉塵に曝露されながら,火災の中を移動し」,多量の放射性物質を体内に取り込み,それによって内部被曝をし,前立腺がんを発症したと主張しているようである。しかしながら,放射性物質の多くはそれぞれ,特異的に集積する臓器が決まっているが,原爆被爆者において,前立腺に特異的に集積してがんを生じるような放射性物質は知られていないのであるから,内部被曝により前立腺がんを発症するなどということはあり得ず,原告らの主張は失当である。
(イ) 日光角化症(上皮内がん)について
日光角化症(上皮内がん)は,中年以降,頭,顔,うなじ,手の甲,前腕などの日光(紫外線)のよく当たる部位に,大きさ1cmないし数cmで,淡い褐色から紅褐色の表面ががさがさと乾燥したような,輪郭のぼやけた円に近い形の皮疹ができる。老人性角化症とも呼ばれ,高齢になるほど発症頻度は高くなり,近年増加傾向にある。その原因としては,社会の高齢化の他に,地球の環境破壊によるオゾン層の減少のためであるという説もあり,今後もさらに増え続けることが予想されている。日光角化症は,がんとはいえ,がん細胞が表皮内に留まっている状態であり,放置すると進行して有棘細胞がんになる。
日光角化症及び有棘細胞がんは,放射線の健康影響のうち確率的影響の範ちゅうに属する疾病とされており,医療分科会では,放射線疫学研究の中で最も科学的価値の高いものと国際的に評価されている放射線影響研究所による原爆被爆者の疫学調査から得られた放射線誘発がんのリスクを基に,性,被爆時年齢,被曝線量に応じた原因確率を求め,認定の目安として定めている。したがって,同疾病の放射線起因性の判断は,推定された被曝線量に基づき原因確率を算定した上で行うことになるところ,日光角化症及び有棘細胞がんは皮膚がんに該当し,原告Aは男性であるから,原因確率は審査の方針別表7-1によって算定される(審査の方針第1の2参照)。原告Aの被曝線量は0.049Gy(仮に原告の供述によったとしても0.084Gy)であり,被曝時年齢が21歳の被爆者に発症した皮膚がんの原因確率は,被曝線量が0.05Gyの場合に2.6%であるから(0.1Gyの場合は5.0%),原告Aの日光角化症の原因確率は,2.6%(仮に原告の供述によったとしても5.0%)を超えることはない。これは,原爆の放射線が当該申請疾病の発症に何らかの寄与をした可能性が2.6%(5.0%)しかないということであり,言い換えれば,原爆放射線以外の要因が寄与した可能性の方が極めて高いということである。すなわち,高度の蓋然性をもって,原爆放射線以外の要因によって,日光角化症を発症したといえるということである。要するに,この程度の放射線被曝では,日光角化症(上皮内がん)を発症するリスクは極めて低く,これを原因として日光角化症になる人はいないといっても過言ではないのである。
その他原告Aの既往歴,環境因子,生活歴等を考慮しても,同人の日光角化症の発症が被爆後50年以上が経過した75歳の時(平成11年)であって,同人の日光角化症(上皮内がん)が,他の一般の高齢者にみられる日光角化症(上皮内がん)と異なるものとは到底認められない。すなわち,日光角化症(上皮内がん)の原因はその疾患名が示すとおり,日光を浴びたことや加齢であって,現に,原告Aの病変部位は,日光角化症の好発部位である顔面であり,発症時期も75歳と好発年齢になってからの発症である。原告Aの日光角化症(上皮内がん)は,日光(紫外線),加齢といった原爆放射線以外の原因で発症したものと考えるのが自然である。
オ 結論
以上のとおり,原告Aは,原爆の放射線にほとんど被曝していないのであって,被爆後50年以上が経過して発症した同原告の申請疾病(前立腺がん,日光角化症(上皮内がん))に放射線起因性を認めることは非常識というほかないから,同人の原爆症認定申請を却下した被告厚生労働大臣の処分は適法である。
(11) 原告Bの申請疾患について
ア 被爆状況
原告B(大正13年9月生,男性,被爆当時20歳)の被爆地は,広島市皆実町1丁目の兵舎(木造建物)内であり,爆心地からの距離は約2.0kmである。
イ 推定被曝線量
(ア) 初期放射線による被曝線量
広島の爆心地から約2.0kmの地点における初期放射線による被曝線量はわずか0.07Gyにすぎない(審査の方針別表9)。さらに,原告Bは,遮へいのある建物(木造兵舎)内において被爆したというのであるから,原告Cの初期放射線による被曝線量は,透過係数0.7を乗じ,0.049Gyと推定される。
原告Bは,爆心地から約1.8kmで被爆したと主張するが,前記したとおり,正確ではない。原告Bは,甲B第8号証において,自らの被爆地点を図示しているが,この図上における兵舎と原告Aの被爆地点を比較してみると,原告Bのいう兵舎は,爆心地から約2.0kmの地点であったことが明らかである。すなわち,原告Bのいう兵舎は,乙第13号証及び乙第14号証と照らし合わせれば,ちょうど乙第14号証にある,爆心地から2kmの範囲を示す赤線と重なる部分の兵舎であったことが明らかである。仮に,この点をおくとして,原告Bの主張どおり,爆心地から約1.8kmで被爆したとすると,被曝線量は0.15Gyとなり,遮へいによる透過係数0.7を乗ずると,0.105Gyと推定される。
(イ) 残留放射線(誘導放射線)及び放射性降下物による被曝線量
a 前記のとおり,広島において,誘導放射線による被曝の影響が考えられるのは,時間的には原爆爆発後72時間まで,距離的には爆心地から700mまでの範囲に限られ,また,放射性降下物による被曝の影響については,己斐・高須地区以外の地域においては考慮する必要がない。
b そこで,原告Bの被爆後の行動をみるに,同人は,次のとおり供述する。原爆投下当日の8月6日は,被爆から約5時間後救出され,爆心地から約2.0km離れた比治山の部隊の洞窟に収容された。その後,夕刻には仁保町の仁保国民学校に開設された臨時野戦病院にトラックで運ばれ,8月17日に岡山陸軍病院に転送されるまで同地で過ごした。
c 原告Bの上記供述を前提とすると,同人は,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の区域に入ったことはないから,前記aで述べたとおり,時間的・場所的に見て誘導放射線による被曝の影響は考えられない。また,同人には,広島市己斐・高須地区に滞在又は居住した経過も認められない。したがって,原告Bについては,誘導放射線及び放射性降下物による被曝の影響を考慮する必要はない。
d なお,個別意見書6ページでは,原告Bについて,「同地でおよそ5時間後に救出されたときには,体の皮膚の表面に血糊とほこりの混じったものが固まって付着していたということから,放射性降下物を濃厚に含んだ塵埃に暴露されたと考えられる。」とし,原告Bが「全身の皮下組織と気管支肺胞に付着吸引されて体内に取り込んだ放射性物質の量は極めて多量であることが推定できる。」としている。しかしながら,原告Bが被曝したのは,爆心地から2km(仮に同原告の主張によっても1.8km)も離れた兵舎の中であり,原爆投下後は倒壊した建物の中にいたというのであるから,いかにして,多量の放射性降下物に接することができたのか,また,さらにはそれを多量に吸引することができたというのか,全く不明である。上記意見は,およそ科学的知見に基づくものとは考えられない。
(ウ) 小括
以上によると,原告Bの被曝線量は,わずか0.049Gy程度(仮に同原告の主張によっても0.105Gy)にすぎない。
ウ 被爆後の身体状況
原告Bは,被爆時に負傷した創傷からの出血が止まるまでに3週間以上を要したと供述し,それが被爆により骨髄が障害され血小板が減少したことが原因であると主張するようである。
しかしながら,原告Bが主張する出血が止まりにくいということがあったとしても,様々な原因があり得る非特異的な症状であるから,単にそのような身体症状がみられたというだけでは,健康状態に影響を与える程度の被曝を受けた可能性があるとする根拠にはなり得ず,さらに,被爆者の身体症状に関する供述等が不確かなものであり,したがって,それらの症状の有無だけに依拠して安易に放射線起因性を認めることは許されない。
前記のとおり,被曝による急性症状としての出血傾向は,2ないし3Gy程度以上被曝した場合に骨髄が障害され,血小板が一時的に減少することによって生じる症状であるところ,一般に,血小板数は,被曝直後には変化が生じず,回復可能な障害の場合,被曝後10日過ぎころから低減し,30日前後で最も低下するが,間もなく回復する。したがって,出血傾向の出現も,被曝後3週間程度経過したころから出現し,血小板数の回復に沿って消失するものであり,前駆期や潜伏期に相当する時期に発症することもなければ,出血傾向が長期間継続することは考えられないものである。原告Bの被曝線量は,わずか0.049Gy(仮に同原告の主張によっても0.105Gy)であり,このような被曝線量で被爆による急性症状としての出血傾向が現れることはあり得ず,また,被曝によって骨髄が障害されたとしても,血小板数が被曝後直ちに低下することはないから,被爆直後から創傷の出血が止まらないということは起こり得ない。
したがって,上記のように原告Bの供述どおりの症状があったとしても,上記のとおり,被曝による出血傾向の発症機序を考えれば,被曝直後に出血傾向が生じることはないから,原告Bの出血が止まりにくかった原因は,原爆放射線とは考えられない。
以上述べたとおり,原告Bの訴える身体症状等については,いずれも放射線被曝によるものとは認められず,被曝による急性症状を発症させるほどの線量の被曝をしたとは考え難い。
エ 原告Bの申請疾患の放射線起因性
(ア) 原告Bの認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,原告Bの申請疾病は,右腎がん,転移性肺腫瘍及び腎がん膵転移と認められる。ただし,同人の申請疾病のうち,転移性肺腫瘍及び腎がん膵転移は,いずれも腎がんが転移したものであるから,腎がんについて,放射線起因性を判断すれば足りるため,以下,腎がんについて検討する。
(イ) 腎がんについて
腎がんについては,放射線との関連性を示唆する科学的知見は存在しない。しかし,審査の方針においては,これを「尿路系の悪性新生物」として別表7-1の原因確率を適用することとし,申請者に可能な限り有利に扱うこととしている。
原告Bの被曝線量は0.049Gyであり,被曝時年齢が20歳の男性被爆者に発症した腎がんの原因確率は,被曝線量が0.05Gyの場合に2.6%であるから,原告Bの腎がんの原因確率は2.6%を上回ることはないと推定される(なお,同原告の主張によっても,被曝線量を0.105Gyであり,この場合の原因確率は,0.15Gyの場合の原因確率が7.4%であることからすれば,これを上回ることはないと推定される。)。
原因確率が2.6%(7.4%)を下回るということは,原爆の放射線が当該申請疾病の発症に何らかの寄与をした可能性が2.6%(7.4%)より低いということであり,言い換えれば,原爆の放射線以外の要因が発症に寄与した可能性の方が極めて高いということを意味する。すなわち,高度の蓋然性をもって,原爆放射線以外の要因で,当該疾病を発症したといえるということである。要するに,この程度の放射線被曝では,腎がんはおろか尿路系の悪性新生物が発症するリスクは極めて低く,これを原因として腎がんになる人はいないといっても過言ではないのである。
そもそも,腎がんの罹患率は50歳から70歳まで増加するものであり,死亡率でみると男性は女性の3倍であり,性ホルモンの関与が指摘されているほか,リスクファクターとして喫煙,肥満,利尿剤服用,フェナセチン含有鎮痛剤服用,職業性曝露,遺伝などがある。原告Bの服用している薬剤,職業及び喫煙歴等の生活歴は不明であるが,腎がんが発見されたのは被爆から40年が経過した61歳の時であり,同原告は男性であるから,同原告の申請疾病である腎がんも他の一般の腎がんと異なるものとは認められず,これに放射線起因性があると認めることはできない。
オ 結論
以上のとおり,原告Bは,原爆の放射線にほとんど被曝していないのであって,被爆後40年以上が経過して発症した同原告の申請疾病(右腎がん,転移性肺腫瘍,腎がん膵転移)に放射線起因性を認めることは非常識というほかないから,同人の原爆症認定申請を却下した被告厚生労働大臣の処分は適法である。
(12) 原告Cの申請疾患について
ア 被爆状況
原告C(大正15年6月生,男性,被爆当時19歳)の被爆地は,広島市皆実町1丁目の兵舎(木造建物)内であり,爆心地からの距離は約2.0kmである。
イ 推定被曝線量
(ア) 初期放射線による被曝線量
広島の爆心地から約2.0kmの地点における初期放射線による被曝線量は0.07Gyであり(審査の方針別表9),さらに,原告Cは,遮へいのある建物(兵舎)内において被爆したというのであるから,原告Cの初期放射線による被曝線量は,透過係数0.7を乗ずれば,0.049Gyと推定される。
原告Cは,爆心地から約1.8kmで被爆したと主張するが,前記のとおり正確ではない。仮に,この点をおくとして,原告Cの主張どおり,爆心地から約1.8kmで被爆したとすると,被曝線量は0.15Gyとなり,遮へいによる透過係数0.7を乗ずると,0.105Gyと推定される。
(イ) 残留放射線(誘導放射線)及び放射性降下物による被曝線量
a 前記のとおり,広島において,誘導放射線による被曝の影響が考えられるのは,時間的には原爆爆発後72時間まで,距離的には爆心地から700mまでの範囲に限られ,また,放射性降下物による被曝の影響については,己斐・高須地区以外の地域においては考慮する必要がない。
b そこで,原告Cの被爆後の行動をみるに,同人は,次のとおり供述する。原爆投下当日の昭和20年8月6日は,原爆投下後,比治山中腹の待避所に行き,その後,下山し,生存者を救出するようにとの命令を受けて,再び兵舎に向かった。その後の3日間は,兵舎内から生存者を助け出し,比治山山麓へと搬送するといった救護活動に従事した。この間は,山麓の洞窟周辺に仮設された兵舎を寝床とし,わずかな非常食を食べながら過ごした。そして,その後同月15日まで通信機器の修理等に従事し,同日以降は,元の兵舎の場所の近辺に仮設の兵舎を作り,ここを寝場所として,遺体の処理を同年9月9日までした。
c 原告Cの上記供述を前提とすると,同人は,原爆爆発後72時間以内に爆心地から700m以内の区域に入ったことはないから,前記aで述べたとおり,時間的・場所的に見て誘導放射線による被曝の影響は考えられない。また,原告Cの上記供述を前提とすると,同人は,己斐・高須地区に滞在した可能性もなく,黒い雨に当たったこともないことから,放射性降下物による被曝の影響は考えられない。
(ウ) 小括
以上によると,原告Cの被曝線量は,わずか0.049Gy程度(仮に同原告の主張によっても0.105Gy)にすぎない。
ウ 被爆後の身体状況
(ア) 個別意見書では,原告Cが,原爆投下後,全身倦怠感,立ちくらみ,歯茎からの出血,血便がみられたこと,のちにc病院にて白血球数の異常な減少を指摘されたことを,放射線の急性期症状であるとして,「被爆直後の1945年9月,出血症状,白血球の減少が出現しており,原爆放射線による急性症状と考えられ,相当量の放射線被曝が推定される。」としている。そして,原告Cの「慢性B型肝炎の罹患および肝硬変症の発症については放射線の影響があると考えるべきである。」とする。
しかしながら,原告Cが主張する「全身倦怠感」「立ちくらみ」「歯茎からの出血」は,様々な原因があり得る非特異的な症状であるから,単に,そのような「急性症状」がみられたというだけでは,健康状態に影響を与える程度の被曝を受けた可能性があるとする根拠にはなり得ないこと,さらに,被爆者の身体症状に関する供述等が不確かなものであること,したがって,それらの症状の有無だけに依拠して安易に放射線起因性を認めることは許されない。
そして,被曝による急性症状は,その発症の仕方や経過に特徴がある。原告らが,どのような機序で,被曝によって全身倦怠感,立ちくらみ,歯茎の出血が生じると主張しているのか不明であるが,通常,倦怠感は発熱に伴って生じると考えられるところ,被曝によって発熱するのは,少なくとも2Gy程度の被曝をした場合である。その場合,発熱は被曝の1ないし3時間以内にみられるから,倦怠感もほぼ同時期に現れるはずである。
また,歯茎の出血が,被曝による骨髄障害(血小板減少)の症状であるとするならば,被曝後3週間程度経過した後に生じ,回復可能な程度の被曝線量であった場合には,数週間後には回復する。
原告Cが主張する全身倦怠感等の症状は,そもそも,被曝直後にみられたものではない。原告Cの供述によれば,昭和20年9月15日の午後6時頃実家に戻った後に,体が非常に疲れやすくなり,立ちくらみを感じるようになって,1か月ほどして,歯茎から血がでるようになり,その内に血便が出るようになったものであるところ,全身倦怠感は被爆後1か月以上,歯茎の出血が骨髄障害であるとすれば,それが被爆後2か月近く経過して生じたことになる。
したがって,仮に,原告Cに全身倦怠感,歯茎の出血が生じていたとしても,上記のような被曝による急性症状の特徴とは相容れず,放射線以外の要因によるものと考えるべきである。
(イ) そもそも,上記のような症状は,放射線被曝以外の要因でも発症し得るものであり,しかも,特に倦怠感,疲労感,立ちくらみ等の症状は,被爆者以外の者にもよくみられる症状であって,このような症状があったというだけでは放射線被曝の事実を認めることはできない。
(ウ) 以上述べたとおり,原告Cの訴える身体症状等については,いずれも放射線被曝によるものとは認められず,被曝による急性症状を発症させるほどの線量の被曝をしたとは考え難い。
エ 原告Cの申請疾患の放射線起因性
(ア) 原告Cの認定申請書及び同申請書添付の意見書の記載によれば,原告Cの申請疾病は,肝硬変と認められる。
(イ) 肝硬変について
a 原告Cの申請疾病はB型肝炎ウィルス感染に起因する肝硬変であるが,同原告の肝硬変の症状経過が一般のそれと何ら変わるところがなく,免疫機能の低下が認められなかった。肝硬変については,そもそも原爆放射線の被曝と肝硬変の発症との間には関連性は認められず,このことは,肝機能障害と被曝との関連性を検討した最新の知見である戸田報告からも明らかである。
b 原告らは,放影研の「成人健康調査第8報」によって,B型慢性肝炎と放射線の関連性が明らかとなったとでもいうようであるが,同報告は,そのようなものでは全くない。確かに,同報告は,「慢性肝疾患及び肝硬変」という大きなカテゴリーでみた場合には,1Sv当たりの相対リスクは,1.15という有意(P値は0.001,95%信頼区間は1.06から1.25)な線量反応関係がみられたとしているが,何もこれは,B型慢性肝炎について原爆放射線との関連性を調査したものではない。同報告は,さらに,昭和61年以降に発生した脂肪肝とそれ以外の慢性肝疾患に分けて,放射線の影響を調査しているが,脂肪肝のみでは,放射線との線量反応関係が考えられたが(ただし,有意な関連ではない。),他の慢性肝疾患では放射線の影響は有意ではなかったと結論づけている。したがって,本件の原告CのようなB型慢性肝炎については,放射線との関連性が認められるとはいい難いというべきである。
この点をおいて,原告Cは,ほとんど被曝していないことにも留意されるべきである。被曝線量をおよそ度外視し,被爆者がB型慢性肝炎となり,肝硬変となれば,無条件で放射線起因性が認められる,後は何も考えなくてもよいとでもいうかのような原告らの主張は,およそ失当である。
c 個別意見書の作成者であるE証人は,「飽くまで推測なんですけれども,25才時に急性肝炎を発症しまして,通常の場合,それで治癒して終わりなんですが,その二十数年後ですか,慢性肝炎として再発しておりまして,更に肝硬変に至っておりまして,さっきセロコンバージョンの話もいろいろ出ましたが,肝炎を発症したと,更に肝硬変に進展してるということで,免疫能の低下が影響しているんではないかというように考えます」と証言している。しかし,E証人自身が,「このCさんの肝硬変に関して,ほかの一般の肝硬変の患者と比べて何か特徴的なことってありますか。」との質問に対し,「カルテ等を見ましたけれども,特段これということはないように思われました。」と証言し,一般的な肝障害の経過と何ら変わることがないことを自認している。また,E証人は,個別意見書において,原告Cの肝硬変が原爆放射線の影響を受けている根拠の一つとしてセロコンバージョンが起こらなかった可能性を指摘していたが,E証人自身が原告Cにはセロコンバージョンが起きていたことを自認している上,免疫能の低下があったことについて具体的根拠を示すことができていない。結局,E証人は,原告Cの肝硬変の放射線起因性に関し,憶測に基づく推論を示したにすぎず,個別意見書及びE証人の上記証言は,科学的な裏付けを欠くものであって,採用することはできないものである。
d 原告らは「戸田報告も,B型肝炎ウイルスのキャリア化に被曝が関与していることはこれを否定できず,認めている。そして,レビュー後の「修正版」の要約では,「HBVキャリアにおける肝機能障害に対して被曝が関与しているかどうかについて統計的に検討したが,否定的な結果であった。」と「修正」しているが,元の「要約」では,報告の本文と同様,「肝機能障害については非被爆者と比較して被爆者において肝機能障害が発現しやすい傾向がみられるものの,その差は有意とはいえなかった」とされていたのである。戸田報告によっても,せいぜい放射線起因性を確定的に認め得るだけの科学的知見が得られなかったにすぎず,まして,「放射線学の常識」とまで極言してこれを否定し,法律的要件としての放射線起因性を頭から否定することなど出来る内容ではないのである。かかる援用の仕方は誤導以外の何者でもない。」と主張する。
しかしながら,被爆者においてB型肝炎ウイルスの持続感染が成立しやすいとしても,このことから直ちに原告CのB型肝炎が被曝に起因するものであると高度の蓋然性をもっていうことはできない。確かに,戸田報告では「原爆放射線は免疫系に対し障害を与えた可能性があ」るというが,上記で述べたように,原告Cの場合は,ほとんど被曝しておらず,セロコンバージョンも起こっていたのであり,その他免疫能が低下したことを示す具体的根拠を示すことができていないのであるから,原告Cが被曝によりB型肝炎ウイルスの持続感染が成立しやすくなったということはできないのである。要約が修正された点については,米国の放射線腫瘍学及び疫学の研究者らによるレビュー(査読)を受けた結果,「この論文はバランスよく,有用である。要約により明瞭な結論を加えて,原爆での被曝と肝障害の因果関係に関する貴方の意見を述べていただくことを提案したい。」「原爆による放射線誘発性の肝障害の可能性は完全には否定できない」と述べられているが,「被曝と肝障害の因果関係を支持する首尾一貫した,或いは確固たるデータは存在しない」ということを示唆しているように,私には思われる。」との指摘を踏まえ,その趣旨が明確になるように修正したものであるから,上記のような原告らの主張は戸田報告の趣旨を曲解するものである。
オ 結論
以上のとおり,原告Cは,原爆の放射線にほとんど被曝しておらず,被曝後50年以上が経過して発症したという同原告の申請疾病である肝硬変に放射線起因性は認められないから,同人の原爆症認定申請を却下した被告厚生労働大臣の処分は適法である。
3 本案の争点②(国家賠償法の賠償責任)について
(原告らの主張)
(1) 序論
被告厚生労働大臣は,被爆者援護法に基づいて原告らの各原爆症認定申請を速やかに認定する旨の決定をすべきであった。
それにもかかわらず被告厚生労働大臣が行った各原告に対する原爆症認定申請却下処分は,①審査の方針という不合理な内容の基準を設定しかつこれを機械的に適用したこと,②行政手続法上,求められる審査基準を定めずに審査を行ったこと,③本件却下処分に処分理由を明示しなかったこと,④申請から却下に至るまでいたずらに長期間を要したことにおいて,国家賠償法1条1項の違法行為に該当することが明らかである。
また,原告らはこれらの職務の重大な懈怠という被告厚生労働大臣の故意・過失による違法行為によって損害を被っていることから,被告国は同項に基づき,原告らに対してその損害を賠償する義務がある。
(2) 審査の方針の設定と適用の違法性について(実体的違法)
ア 審査の方針自体の非科学性・不合理性
厚生労働大臣の線量推定方式であるDS86には,実測値に合わないなどの重大な欠陥があること,また,起因性判断について厚生労働大臣が用いる原因確率は解析方法に由来する限界があること,及び集団データ解析の結果を個々の被爆者に当てはめるのは適切でないにもかかわらず予め定めた審査の方針を原告らに機械的にあてはめて原告らの原爆症認定申請を却下したことが基本的な間違いである。
原因確率は,被爆者に生じた現実を説明することができるものではなく,恣意的かつ不合理な内容を持ち,とても科学的な放射線起因性の判断基準となりうるものではなく,そもそも,被爆者にはそれぞれ個体差があり,被爆状況もそれぞれ異なっており,被爆後の人生もまたそれぞれ違う道を歩んできているのである。したがって,行政庁が,このように不合理な基準を設定し,かつ適用して判断したこと自体,その処分の違法性は免れない。
イ 審査の方針の機械的適用
審査の方針が不合理な審査基準であることは先に述べたとおりであるが,さらに,これを個々の申請者に対して機械的に適用して処分を行っているという適用の実態も,国家賠償法上の違法行為を構成する。
すなわち,DS86及び原因確率論はいずれも判断基準としての限界を内包しているから,これらを個々の被爆者に一律に機械的にあてはめて認定を行うことは明らかに違法である。
したがって,審査の方針の適用が適法といえるためには,「当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で」の判断が実質的に行わなければならない。しかし,実際には,個々の被爆者の処分を決定するに当たり,わずか4分程度の時間が費やされているに過ぎず,審査の方針の適用に当たって「当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で」の実質的な判断が行われているものとは到底認められず,違法な審査の方針を違法に一律・機械的に適用していたといえる。
以上のとおりであるから,審査の方針の適用の実態も,国家賠償法上の違法行為を構成するものである。
(3) 行政手続法5条1項が求める「審査基準」を定めることなくなされたことの違法性(手続的違法その1)
ア 行政手続法5条1項の「審査基準」
行政手続法5条1項は,「行政庁は,申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準を定めるものとする」とし,同条2項は,「行政庁は,審査基準を定めるに当たっては,当該許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない」と規定している。
これは,行政運営における公正の確保と透明性(行政上の意思決定について,その内容及び過程が国民にとって明らかであること)の向上を図り,もって国民の権利利益の保護に資することを目的として制定されたものであり,処分庁の判断の客観性・合理性を担保して,その恣意を抑制するとともに,申請をなす国民が審査基準を知ることによって必要な準備をし,不測の理由で却下されないことを保障する趣旨である。
イ 「審査基準」の不存在
しかし,厚生労働大臣は原爆症認定処分に必要な行政手続法5条における「審査基準」を定めていない。
被告らは,本件で問題となっている審査の方針は飽くまで医療分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のもので,かつ,基本的な考え方(審査の姿勢とでもいうべきもの)を示したものにすぎず,一応の基準(スタンダード)であって,一定の要件が存すれば一定の効果を生じさせるというようなルールを設定したものではなく,原爆症認定の実体要件を定めたものではないと主張するだけで,行政手続法5条1項が求めている「審査基準」を設け,それに従って本件認定申請の却下処分を行ったものでないことを認めている。
ウ 処分の違法性
行政手続法5条1項の「審査基準」を定めることなく,行政庁が処分を行ったときには,その処分は原則として違法と判断される。また,行政手続法5条3項の「審査基準」を公にすることなく行政庁が処分を行ったときにも,その処分は原則として違法と判断され,国家賠償の対象となる。
以上述べたことから,本件原告らに対する各却下処分は,審査基準を設けることなくなされたものであって,行政手続法5条1項に違反する違法がある。
(4) 審査の遅れ(手続的違法その2)
ア 行政手続法7条
行政手続法7条は「行政庁は,申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請者の審査を開始しなければならず」と規定する。
イ 審査の遅れ
しかし,本件原告らの申請から却下処分までの期間は以下のとおり長期間に及ぶものであり,また,長期間に及ぶことの正当な理由がないものであるから,同条項に違反することは明らかである。
(ア) 原告A
原告Aは,平成8年11月18日,前立腺がんについて原爆症認定の申請を行い,平成9年4月8日,厚生大臣は,同申請を却下した。同申請却下処分までの期間は,141日であった。
原告Aは,平成12年3月10日,日光角化症(上皮内がん)について原爆症認定の申請を行い,平成14年3月1日,被告厚生労働大臣は,同申請を却下した。同申請却下処分までの期間は,721日であった。
(イ) 原告B
原告Bは,平成13年2月23日,右腎臓がん,転移性肺腫瘍及び移性膵臓がんについて原爆症認定の申請を行い,同年9月18日,被告厚生労働大臣は,同申請を却下した。同申請却下処分までの期間は,207日であった。
(ウ) 原告C
原告Cは,平成14年9月6日,肝硬変について原爆症認定の申請を行い,平成15年2月21日,被告厚生労働大臣は,同申請を却下した。同申請却下処分までの期間は,155日であった。
ウ 審査の遅れの違法性
未だ解明されていない原爆の放射線による被害は,難病といわれ特殊な病像を持つ水俣病に匹敵するものであり,その原爆症の認定申請の手続遅延について,被告らが何らこれを解消するための努力を尽くした形跡は認められないから,被告らは,不当に長期間にわたらないうちに応答処分すべき作為義務に違反した違法がある。
(5) 理由の不明示
ア 行政手続法8条
同法8条1項は,「行政庁は,申請により求められた許認可等を拒否する処分をする場合は,申請者に対し,同時に,当該処分の理由を示さなければならない」とし,同条2項は「前項本文に規定する処分を書面でするときは,同項の理由は,書面により示さなければならない」と規定する。
拒否処分に付すべき理由としては,いかなる事実関係に基づき,いかなる判断経過をたどって原爆症認定が拒否されたかを,申請者がその記載自体から了知できるものでなければならず,単に抽象的・一般的に審査結果のみを記載するだけでは,不十分である。
イ 処分理由の不明示
しかし,本件原告らに対する認定却下通知には,実質的な理由は全く明らかにされておらず,ほとんど定型的な文言が記載されているだけである。
すなわち,各原告への却下決定通知には,
「先般,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づき,貴殿の被爆状況が検討され,これまでに得られた通常の医学的知見に照らし,総合的に審議されましたが,貴殿の申請に係る疾病については,原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていないものと判断されました。」と記載されるのみである。
ここに記載されているのは,審査会の審議の結果,原爆症とは認定しないという結論のみであり,審査会においていかなる事実を前提にいかなる審議がなされ,認定却下という処分に至ったかについては全く記載されていない。
なお,行政手続法8条1項ただし書には,「ただし,法令に定められた認許可等の要件又は公にされた審査基準が数量的指標その他客観的指標により明確に定められている場合であって,当該申請書の記載又は添付書類から明らかであるときは,申請者の求めがあったときにこれを示せば足りる」とされている。
しかしながら,本件の場合には「審査基準が数量的指標その他客観的指標により明確に定められている場合」でないことは前記被告らの釈明を見ても明らかであり,また「当該申請書の記載又は添付書類から明らかであるとき」にも該当しないことはその内容からして明らかである。
ウ 処分の違法性
よって,本件各原告に対する却下処分は,被告厚生労働大臣が,具体的な処分理由を明示することなくしたものであって,行政手続法8条1項,同条2項にも違反するといわなければならない。
(6) 司法判断を無視した却下処分(故意・過失)
ア 司法判断を無視して続けられる認定行政
これまで述べた事情に照らせば,本件各原告に対する却下処分が国家賠償法上違法なものであることは,既に明らかである。
しかし,さらに,以下に述べるとおり,各原告に対する却下処分は,原爆認定行政の在り方を厳しく批判する司法判断が繰り返しなされたにもかかわらず,あえてこれを無視してなされたものである点で,より一層,国家賠償法上の違法の評価を免れえないものである。すなわち,各原告の申請が出される前から既に,DS86等の線量推定式の誤りや原爆症の未解明性を基に,被爆者の被爆状況等を個別具体的に検討して総合的に判断すべきとした裁判例が相次いで出された。
イ 判例の到達点からみた認定の在り方
このような判例の到達点を総括すれば,原爆症の認定の在り方については,第1に,「科学的知見や経験則の限界」を正面から認めた上で,さらに「DS86等に基づく推定線量としきい値とを機械的に適用することによって放射線起因性の有無を判断することが相当ではない」と結論づけた点があげられる。
また,第2に,放射線起因性の判断に当たっては,「被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況,具体的な症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的・総合的に考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係を是認できる高度の蓋然性が認められるか否かを検討する」と判断している点があげられる。
さらに,第3に注目すべき点は,疾病に他原因が関与している場合でも,原爆放射線の被曝による影響も否定できない場合は,その起因性を認めるべきであるとした点があげられる。
そして,要医療性の判断についても,抜本的治療方法がなくても,当該原爆症の症状を緩和させる医療の必要性が肯定されるような場合には,要医療性の要件も満たし,また,医学的にみて何らかの医療効果を期待し得る可能性を否定できないような医療が存する限り,要医療性を肯定すべきであるというのが判例の考えである。したがって,改善する可能性ないし健康を維持する可能性が少しでもあれば,要医療性は認められるべきなのである。
ウ 故意・過失
被告厚生労働大臣は,以上のような判例の考え方を十分に踏まえて「放射線起因性」及び「要医療性」の判断に当たらなければならなかったにもかかわらず,被告厚生労働大臣は,度重なる裁判所の指摘を無視し,実際の運用を一切変えようとしなかった。
そればかりか,被告厚生労働大臣は,敗訴が確定した松谷最高裁判決の後,これを当てはめたら当の松谷でさえ原爆症と認定されないことになる「原因確率」を内容とする審査の方針を2001年(平成13年)5月25日導入し,それに基づいて本件各原告の原爆症認定申請に対して次々と却下処分を行ったものである。被告厚生労働大臣は,「原因確率」を骨子とする審査の方針について,あたかも従前の認定基準を改善したかのように主張しているが,その内容は非科学的であり,不合理であるばかりか,実際の運用でも残留放射線や内部被曝を全く無視し,被爆距離を最重要視して原因確率としきい値を金科玉条としており,総合判断はもとより,個別的な検討を行っているものではない。
被告厚生労働大臣が,審査の方針による処分が違法とされることを十二分に知りながら,なおかつ誤った基準に固執して本件各処分をなした点には,明らかに職務怠慢以上の故意・過失がある。
(7) 「新しい審査の方針」に基づく原爆症認定申請却下処分の取消し及び原爆症認定処分
ア 原処分の違法性
被告厚生労働大臣は,「新しい審査の方針」に基づき,原告A及び同Bに対する各原爆症認定申請却下処分を取り消し,原爆症認定処分をした。行政行為の「取消し」という言葉が使われる例の中には,行政行為が違法又は不当であることを前提とする「職権取消し」と行政行為は適法であったが,その後の事情の変化により公益上の観点から将来に向かってその効力を失わせる「撤回」の2種類が存在するとされるところ,本件においては,原爆症認定申請却下処分の効力を遡及的に失わせるものであること,同処分後の事情の変化も認められないことからすると,被告厚生労働大臣の行った原爆症認定申請却下処分の取消しは,原処分が違法又は不当であることを前提とする「職権取消し」に当たる。
そうすると,厚生労働省が,「新しい審査の方針」を導入し,原告A及び同Bに対する各原爆症認定申請却下処分を取り消し,原爆症認定処分をしたこと自体が,上記各却下処分の違法性,不当性を自認したことを示している。そして,被爆者援護法上の原爆症認定処分は,放射線起因性及び要医療性を基礎付ける事実があれば必ず行わなければならず,行政機関に裁量の余地はないから,「適法であるが不当」ということは論理的にあり得ず,上記各却下処分は,違法であることとなる。
さらに,原告らは,各申請疾病について原爆症と認定され,必要な給付を早急に受けるべきであったにもかかわらず,原爆症認定申請を長期間放置された上,非科学的で不合理・不明確な基準によって同申請を却下されたことにより,多大な精神的苦痛を被り,本件訴訟の提起を余儀なくされたのであって,たとえ原処分が職権により取り消され,遡及的に効力を失ったとしても,それだけで原告らの精神的苦痛が癒されるものではないから,原処分の違法性は失われない。
イ 国家賠償法上の違法
長崎原爆松谷訴訟第1審判決(長崎地裁平成5年5月26日判決)以降,厚生労働省の担当者は,原爆症認定行政を行うに当たって同判決の判旨を参照し,「相当程度に慎重な検討」を行うことにより,従来のDS86及び原因確率論に依拠した原爆症認定行政が,被爆者援護法の解釈を誤った違法なものであることを容易に認識し,早期にこれを見直し改めることが可能であった。
そうすると,上記判決以降,長期間にわたり,厚生労働省の担当者が,DS86及び原因確率論に依拠した原爆症認定行政を継続し,原爆症認定申請却下処分を行ってきたこと自体,職務上通常尽くすべき注意義務を尽くしていなかったものとして,国家賠償法上の違法に当たるというべきである。
(8) 損害賠償責任
以上,原爆症認定という職務を行う公務員が,故意又は過失によって,誤った認定基準により却下処分を行った結果,原告らに損害を与えたのは明らかである。本件各処分には,前記実体的な違法のみならず,手続的違法も存在することから,被告厚生労働大臣の各却下処分行為は「その職務を行うについて,故意又は過失により」原告らに損害を加えたものであることから,被告国は国家賠償法1条1項に基づいて原告らに対してその損害を賠償する責任を免れない。
(被告らの主張)
(1) 本件各却下処分は,医療分科会での専門的な意見を踏まえ,原告らがほとんど原爆放射線に被曝していないとして,あるいは,原爆放射線以外に発症原因があることが明らかな疾病を発症しているなどとしてされたものである。
そうである以上,放射線起因性を否定した本件各却下処分の判断には何らの誤りもなく,また,被告国が国家賠償法上の責任を負う余地もない。
本件の原告らのように,原爆の放射線にほとんど被曝していない者や,原爆放射線以外に発症原因があることが明らかな疾病を発症している者についてまで原爆症認定が認められるとすれば,原爆投下当時,広島市内,長崎市内にいた者が何らかの疾病に罹患したというだけで,原爆症の認定をせざるを得なくなるおそれがある。しかし,被爆者援護法は,原子爆弾の放射線との関連の程度に応じた援護をするため,原爆症認定制度を認めているのであり,原爆症認定がされていない被爆者に対しても既に健康管理手当の支給や医療の給付など各種の援護が実施されているものである。ほとんど被曝していない者や原爆放射線以外に発症原因があることが明らかな疾病を発症している者についてまで原爆症の認定をすることは,およそ同法の予定するところではないというべきである。
なお,原爆投下当時,広島市内,長崎市内にいた者が何らかの疾病に罹患したというだけで原爆症の認定をし,月額約13万円もの医療特別手当を支給することになれば,原爆症認定制度自体の破綻を招くことになりかねない。なぜなら,現在,被爆者に対しては,原爆放射線との因果関係が明確に否定されない限り,一般疾病医療費や健康管理手当の支給等がされており,被爆者援護施策全体で年間約1500億円の支出をしているところ,健康管理手当の受給者約23万人全員に対して医療特別手当を支給するということになれば,国民全体のがん対策関連予算が年間400億円程度にすぎない中で,被爆者援護施設予算として被爆者援護施策のために更に年間3000億円近い歳出が必要となるからである。
(2) なお,原爆症認定の審査を行う医療分科会は,平成20年3月17日,従来の審査の方針に代わる新たな判断の目安として「新しい審査の方針」を策定したが,従来の審査の方針に基づいてされた原爆症認定申請却下処分についても国家賠償法上違法と評価されるものではない。
従来の審査の方針の見直しは,安倍前内閣総理大臣の指示を発端として,厚生労働省が発足させた原爆症認定の在り方に関する検討会により,従来の審査の方針策定後に得られた科学的知見及び原爆症認定の在り方をめぐる様々な状況を踏まえ,原爆症認定の在り方についての報告がなされたこと,与党(自由民主党及び公明党)が発足させた原爆被爆者対策に関するプロジェクトチーム(以下「与党PT」という。)により,「政治的判断による現実的救済措置を実現するため」,がん等の一定の疾病について,「一定区域内(約3.5kmを目安とする。)の被爆者及び一定の入市した被爆者(爆心地付近(約2km以内)に約100時間以内に入市した被爆者及び約100時間程度経過後,比較的直ちに約1週間程度滞留したもの)については,格段の反対すべき事由がなければ合理的推定により積極的かつ迅速に認定を行うものとする」という内容の提言がなされたことを受け,厚生労働省が,科学的知見に必ずしもこだわらずに被爆者の救済を可及的に行うとの行政上の判断から,「新しい審査のイメージ」を作成して医療分科会に示し,医療分科会において,これを基にされたものである。
すなわち,従来の審査の方針に基づいてされた原爆症認定申請却下処分が科学的,法的に誤っていたことを理由とするものではなく,あくまでも行政上の政策判断から被爆者の救済範囲を可及的に拡大する政策が新たに採用されたことによるものである。
国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責任を負うことを規定するものであるところ,従来の審査の方針の下においてされた原爆症認定申請却下処分も,十分な科学的根拠に基づいてされたものであり,被告厚生労働大臣が職務上の法的義務に違反して上記却下処分をしたものでないことは明らかである。
よって,従来の審査の方針に基づき上記却下処分をしたことが国家賠償法上違法とされるいわれはない。
4 本案の争点③(損害)について
(原告らの主張)
(1) 原子爆弾被爆者としての原告らが被った却下処分による損害
ア 原告らは原子爆弾被爆者として,被爆者援護法による医療特別手当の支給を受けるため,本件各申請をなしたものである。同法による給付は被爆者に対する国家補償としての性質をも有することは既に最高裁判例が明言するところであり,被告厚生労働大臣の却下処分は,違法にこの請求権を侵害するものである。そして,原告らが本件各申請の却下処分によって被った精神的損害は,却下処分の取消しによってこれがなくなるものではない。
イ まず,高齢となった原告らには時間がない。認定申請に対して一刻でも早く認定がなされることが原告らにとっていかに必要かを十分考慮すべきである。
ウ 原告らについての早期認定の必要性にかんがみるとき,違法な認定却下処分が,申請後,長い訴訟の結果取り消されたからといって,それだけで原告らの損害が回復されるというわけではない。原告らに発生した損害は全て回復されなければならない。そうでなければ,度重なる却下処分取消判決にもかかわらず,判決内容を無視し,いわば確信犯にも等しい形で違法却下処分をとり続けている被告らの行為を改めさせることはできない。
(2) 慰謝料 200万円
本件原告らは,いずれも過酷な被爆体験に加え,60年間にわたって心身の不調に悩まされ,高齢を迎える中でそれぞれの申請疾病を発症し医療を要することから,被告厚生労働大臣によって当然に原爆症と認定され,必要な給付を早急に受けるべきであるにもかかわらず,長年の間放置され,結局は非科学的でありかつ不合理・不明確な基準によって本件各却下処分を下され,多大な精神的損害を被った。
そのために,原告らはいずれも原爆症で苦しんでいる中,高齢にもかかわらず,本件訴訟を提起することを余儀なくされた。
被告厚生労働大臣の却下処分が取り消されたとしても,これとは別に,各原告が被った筆舌に尽くせない程の精神的苦痛を慰謝するには,少なくとも金200万円を支払うのが相当である。
(3) 弁護士費用 100万円
本件原告らは,上記のように原爆症と当然認定されるべきであったのに,違法にも申請を却下されたために裁判を起こさざるを得なくなったことから,弁護士費用が認められるべきであり,一般事件と比べ特殊かつ複雑な事件であることを考慮するならば,金100万円を下らないことは明らかである。
(被告らの主張)
原告らの主張は否認ないし争う。
第4本案前の争点(訴えの利益)についての判断
1 前記前提となる事実に加え,各項末尾に掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 平成19年8月5日,安倍前内閣総理大臣は,原爆症認定の在り方について,「専門家の判断をもとに改めて見直すことを検討させたい」旨述べ,その後に発足した与党PTは,同年12月19日,被爆者のための「政治的判断による現実的救済措置を実現するため」,がん等の一定の疾病について,「一定区域内(約3.5km前後を目安とする。)の被爆者及び一定の入市した被爆者(爆心地付近(約2km以内)に約100時間以内に入市した被爆者及び約100時間程度経過後,比較的直ちに約1週間程度滞留したもの)については,格段の反対すべき事由がなければ合理的推定により積極的かつ迅速に認定を行うものとする」などの提言を行った。
これらを受けて厚生労働省健康局は,「新しい審査のイメージ」を作成し,医療分科会は,平成20年3月17日,従前の審査の方針に代わる原爆症認定の基準として,「新しい審査の方針」を策定した。
(2) 被告厚生労働大臣は,「新しい審査の方針」に基づき,原告らの申請疾病について改めて審査を行い,平成20年4月8日,原告Aの申請疾病のうち,日光角化症(上皮内がん)について,原告Bの申請疾病のうち,腎がんについて,同月22日,原告Aの申請疾病のうち,前立腺がんについて,それぞれ原爆症認定をした。
2(1) 原告Bの転移性肺腫瘍及び転移性膵臓がんについて
原告らは,原告Bの申請疾病のうち,被告厚生大臣が原爆症認定したのは腎がんのみであって,転移性肺腫瘍及び腎がん膵転移について原爆症認定がなされたのか不明確であるなどと主張する。
確かに,原爆症の「認定書」に記載された疾病は,腎がんのみであるが,被告らは,原告Bの申請疾病名「右腎癌,転移性肺腫瘍,腎癌膵転移」のうち「転移性肺腫瘍」「腎癌膵転移」は,右腎がんが肺,膵臓にそれぞれ転移したものであるから,転移まで含めた腎がんという一つの疾病を申請疾病として原爆症認定したものであって,申請疾病の一部のみを認定したものではない旨主張し,証拠によっても,原告Bの肺腫瘍及び膵臓がんは,いずれも腎臓がんが転移したものと認められ,腎がんに含まれると解される。これら全体を腎がんとして認定したことをもって,「転移性肺腫瘍」「腎癌膵転移」が含まれるか否かが不明確であるという原告Bの主張は理由がない。
そうすると,被告厚生労働大臣による原告Bに対する原爆症の認定は,転移性肺腫瘍及び転移性膵臓がんを含めたすべての申請疾病についてなされたものと認めることができる。
(2) 原爆症認定の効力について
原告らは,被告厚生労働大臣によってなされた,原告A及び同Bに対する原爆症認定申請却下処分の取消し及び各申請疾病の原爆症認定は,「撤回」及び「認定」と解される余地があり,遡及効を有するか否かが明らかでなく,いったん申請日の属する月の翌月の分から医療特別手当が支給されても,後に不当利得であるとして返還を求められるおそれがあるから,依然として訴えの利益があるなどと主張する。
しかしながら,本件各却下処分は,いわゆる不利益処分であるところ,被告らは,平成20年5月15日付け準備書面・において,原告A及び同Bに対する本件各却下処分を取り消し,当初の申請に対して原爆症認定をする処分をした旨自認し,本件各却下処分の取消しを求める訴えの利益はない旨主張しているのであるから,原告らが主張するように,「撤回」及び「認定」と解する余地はなく,本件各却下処分はその取消しによって,遡及的に効力を失ったことは明らかというべきであって,被告国が,その遡及効を否定して,支給済みの手当等を不当利得として返還を求めるなどということが許されないことは明らかである。また,被爆者援護法24条4項の規定上,医療特別手当は,原爆症認定された疾病について,認定の申請をした日の属する月の翌月から,その要件に該当しなくなった日の属する月まで支給されることとなるのであるから,原告A及び同Bが申請した各疾病について原爆症認定がされた以上,両原告が,各疾病について認定の申請をした日の属する翌月から医療特別手当を受給できることは明らかであって,原告らの主張には理由がない。
3 以上によれば,原告A及び同Bの訴えのうち,各原爆症認定申請却下処分の取消しを求める訴えについては,両原告の申請疾病すべてについて原爆症認定がなされたことにより,訴えの利益が失われたものというべきである。
第5本案の争点①(放射線起因性及び要医療性)についての判断
1 前記前提となる事実に加え,各項末尾に掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,後記(1)ないし(3)の事実が認められる。
(1) 原子爆弾の物理的作用
ア 原子爆弾の概要
広島市に投下された原子爆弾(砲身式・「広島型原爆」)は,核分裂性物質であるウラン235を火薬の爆発で急速に合体させて核分裂の連鎖反応の臨界量を超えさせると同時に,引き金となる中性子を打ち込むことにより核分裂連鎖反応を開始させ,約100万分の1秒の間に約700gのウラン235を核分裂させて核爆発(地上約600m)を引き起こすというものであった。
核爆発により瞬間的に爆弾内に生じた高いエネルギー密度によって,核爆薬,核分裂生成物及び爆弾容器は,数百万度の超高温と数十万気圧の超高圧の気体あるいはプラズマ状態となって急速に膨張し,灼熱の火球が出現する。この火球からは熱線が放出されるとともに,火球の急激な膨張によって衝撃波が形成される。
イ 核爆発によって放出されるエネルギー
上記核分裂による爆発エネルギーは,TNT(トリニトロトルエン)火薬15ktないし16ktに相当するものと推定され,その約50%が爆風のエネルギーに,約35%が熱線のエネルギーに,約5%が初期放射線(ガンマ線,中性子線)のエネルギーに,残り約10%が爆発1分以後に放出される残留放射線のエネルギーになる。
(ア) 爆風
原子爆弾の爆発とともに爆発点には数十万気圧の超高気圧が作られ,周りの空気が膨張して爆風が形成された。爆風の先端は,音速を超える衝撃波(高圧な空気の壁)として進行し,その後部から音速以下の空気の流れが追いかけて移動し,爆心地から500mの地点でその最大風速は280m/秒,最大風圧は19kt/m2であった。
(イ) 熱線
核爆発の瞬間の温度は数百万度に達し,やがて表面温度が7000度にも達する超高温の火球を作り出す。爆心地(爆発直下の地上点)の温度は,3000度ないし4000度にも上昇したと推定される。広島の爆心地から500mの地点での熱線量は,55.8cal/cm2(衣服をまとわぬ人体皮膚の熱線火傷は,2cal/cm2以上で起こる。)であり,爆心地から3kmの地点でも,2.6cal/cm2であった。
(ウ) 放射線
a 原子爆弾による放射線の分類
原子爆弾による放射線は,便宜上,爆発後1分以内に爆発点から四方へ放出される初期放射線と,それ以後の長時間にわたって地上で放出される残留放射線とに分類される。
初期放射線は,核分裂の連鎖反応が起こっている100万分の1秒の間に放出される即発放射線と,その後に核分裂生成物から放出される遅発放射線とに分類される。なお,初期放射線の主要成分は,ガンマ線と中性子である。
残留放射線は,放射性降下物(核分裂のときの核分裂生成物及び核分裂しないで残った核分裂性物質が,雨やすす,塵となって地表に降下したもの)による放射線と,誘導放射能(初期放射線,特に中性子が地面あるいは建造物を構成する原子核に衝突して作りだした放射能)による放射線とに分類される。
b ガンマ線
ガンマ線は,線源項から直接放出される第1次ガンマ線と,中性子を吸収することにより放射化した原子核及び高速中性子の衝突等により励起状態となった原子核から放出される第2次ガンマ線がある。
c 中性子
原子爆弾による中性子は,核分裂の際に放出されるもの及び核分裂によって生じた核分裂生成物から放出されるものがある。
d その他
爆発により出現した火球から放出される放射線のうち,アルファ線及びベータ線は空気中の透過力が弱く,地上まで到達しなかった。また,核分裂しないで残った核分裂性物質であるウラン235は,長期間にわたりアルファ線を放出し続ける。
ウ 原子爆弾による被害状況
(ア) 原子爆弾の熱線により,建造物の大規模な火災が引き起こされ,巨大な火事嵐が発生するとともに,原子爆弾の衝撃波と爆風により,建造物は倒壊し,屋内にいた人達をその下敷きにし,閉じ込めるといった事態をも引き起こした。さらに,倒壊した建造物からは,2次的な火災が発生した。
(イ) 原子爆弾による広島市の建物被害状況は,約7万6000戸のうち,約62.9%が全壊全焼,約5%が全壊,約24%が半壊・半焼・大破であった(合計91.9%)。
(ウ) 広島市での昭和20年11月までの人の総死亡率は,爆心地から0.5km以内で98.4%,0.6ないし1.0kmで90.0%,1.1ないし1.5kmで45.5%,1.6ないし2.0kmで22.6%であり,同年12月までの総死亡者数は14万人ないし20万人と推定されている。
(2) 原子爆弾による被曝線量
審査の方針,その基礎となったDS86及びDS86について問題点の再検討を行ったDS02の概要は以下のとおりである。
ア DS86の概要
(ア) DS86の作成経緯
昭和31年(1956年),アメリカ原子力委員会は,原子爆弾による放射線の人間に対する効果を研究するため,オークリッジ国立研究所(ORNL)を中心にした「ICHIBAN計画」と称する核実験のデータを基に「1957年暫定線量(T57D)」を作成したが,その後,日本家屋による放射線遮蔽効果が問題となり,昭和40年(1965年),原爆傷害調査委員会(ABCC)は,ORNLと協力し,さらに放射線医学総合研究所などによる広島・長崎の放射線の測定結果と照合して,T57Dの改訂を行い,「1965年暫定線量(T65D)」を作成した。
しかし,1970年代後半になって,T65Dにも中性子線の線量評価等に問題があることがわかってきたため,昭和61年(1986年),放射線影響研究所(放影研)から,「1986年放射線量評価システム(DS86)」が発表された。
(イ) DS86による被曝線量評価
a 原爆出力の評価
広島市に投下された原子爆弾の原爆出力については,絶対的評価方法(熱ルミネッセンス法,圧力上昇時間による評価,爆風波被害の評価,檜材の炭化及び碍子中の硫黄の速中性子による放射化の測定の各方法について,信頼度や重要度に応じて3段階の荷重を行って算定)と相対的評価方法(長崎市に投下された原子爆弾の爆風効果及び熱影響との比較)を用いて,最終的に15kt(±3kt)と推定された。
b 線源項(ソースターム)の評価
原子爆弾のケースが炸裂する前に爆弾容器から漏出した中性子(即発中性子)及びガンマ線(即発ガンマ線)の量とそれらのエネルギー分布並びに射出された方向(線源項)について,ロスアラモス国立研究所のMCNPコードシステム(モンテカルロ法というシミュレーション計算法を中性子及びガンマ線の輸送計算に応用したプログラム)を主体として計算が行われた。
広島型原爆については,弾頭状の形で周囲は厚い鋼鉄であり,その厚みも一様ではなく前方部が特に厚くなっていることから,中性子スペクトルは20の分割された角度ごとに求められ,また,核分裂時の爆弾の方向が地表面に対して15度の傾きをともなっていた点も考慮し,線源項の計算がされた(計算結果は,中性子38群,ガンマ線20群のエネルギースペクトルで与えられた。)。そして,ロスアラモス国立研究所では,広島型原爆のレプリカを用いて放射線放出角度ごとのスペクトル等の実測が行われ,計算値と実測値の比較が行われた結果,両者は±20%の誤差範囲内で一致した。
c 放射線の空中伝播計算
(a) 爆弾から放出される即発中性子,即発ガンマ線及び空気捕獲ガンマ線(空気中で中性子の捕獲により作られるガンマ線)の空中伝播計算については,2次元離散座標放射線輸送計算法により計算され,モンテカルロ計算法により広範囲に点検がされた。
2次元離散座標放射線輸送計算は,爆心地を通る鉛直線を軸とする円筒形の空間(最大地上距離2812.5m,最大高度1500m,地面の厚さ50cmとした。)を軸方向に99の格子(地下50cmから地面までは21の格子,地面から上空1500mまでは78の格子),半径方向に120の格子(爆心地から100mまでは3mないし17m間隔の14の格子,それより遠方は25m間隔の106格子)に分け,放射線の角度,エネルギー(中性子46群,ガンマ線22群に分類)を分割表示し,各格子間でどのような変動をするかを解析する計算方法である。同計算にあたって,広島型原爆の爆央(原爆の爆発中心)については,爆心地(爆央の真下の地上の点)を島病院の敷地内,護国神社の鳥居の約180m真南とし,爆発高度を580m±15mとした。また,広島の気象状態については,湿度80%と仮定された。
モンテカルロ計算は,特定の地点から特定の地点までの粒子の移動を追跡する計算方法であり,1つの粒子がたどる基本的事象の確率を把握し,粒子源からでた1つ1つの粒子の経路を追跡するものである。
上記各計算の結果,空中組織カーマについては10%以下の相違,コバルトと硫黄の放射化については,15%以下の相違であった。
(b) ガンマ線量に相当量寄与してると考えられる遅発ガンマ線については,線源となる核分裂物質について,核分裂後のエネルギー依存性及び時間依存性に関する必要なデータがすべて揃っておらず,また,核分裂物質が循環する火球の形状等の計算には時間がかかりすぎるため,近似一次元計算法を使用した。遅発ガンマ線の最終モデルは,核実験(広島形原爆と同等の出力と爆発高度を持った爆弾を対象としていない。)での時間依存性測定との誤差が約10%あり,広島では約15%以内という予測が得られた。
広島では,遅発中性子の放射線への寄与は比較的小さいと考えられている。
(c) 以上の計算結果に基づき,非遮蔽放射線データ・ベースが作成され,空気中カーマの計算に用いられる。同データ・ベースには,爆心地よりの距離別(100mから2500mまで25mごとの区間),エネルギー別(中性子37群,ガンマ線21群),角度別(240群)に,即発及び遅発中性子と即発及び遅発ガンマ線別のフルエンスが,広島及び長崎別に保存されている。
広島市における爆心地からの距離ごとの空気中組織カーマ(初期放射線)は別紙3のとおりである。
d 放射線測定値
(a) ガンマ線
日本,アメリカ,イギリスの合計6つの研究機関により行われた熱ルミネッセンス測定を用いたガンマ線の測定結果とDS86の計算値とを比較すると,広島市においては,爆心地から1000m以遠においては,28の測定中24が計算値を超え,1000m以下では,14の測定中10が計算値より低い結果となり,爆心地から2100mまでで25%ないし30%以内の誤差が認められた。
(b) 中性子
爆心地から1kmの範囲内にある電柱の碍子の接着剤として使われていた硫黄が速中性子により誘導されたリン32(半減期14.3日)の放射能測定値(原爆投下の数日後に測定)は,原爆の出力を15ktとし,計算で決めた放出中性子スペクトルを用いた計算値と比較したところ,近距離ではほぼ一致したが,爆心地から400m以遠では測定誤差が極めて大きかったため,測定値と計算値の明確な一致を確認することができなかった。
熱中性子によって鉄の中の不純物であるコバルトが誘導化されたコバルト60(半減期5.3年)の測定値と比較して,計算値は,爆心地から290mにおいて1ないし1.5倍,爆心地から1180mにおいて3分の1倍の範囲であった。
熱中性子によって岩石中のユーロピウムが誘導化されたユーロピウム152(半減期13年)も測定されたが,実験上及び計算上の不確定要因が大きく,中性子フルエンスの正確な評価を行うことはできなかった。
e 残留放射能の線量評価
(a) 放射線降下物
放射線降下物は,広島市では爆心地から西へ約3kmの己斐,高須地区で,長崎市では爆心地から東へ約3kmの西山地区でそれぞれ観察された。放射線降下物による被曝率ないし累積的被曝については,汚染地域への立入りの時間とその地域内での移動によって決定することになる。
DS86では,上記各地域での土壌サンプリングを行い,その組成を確認し,線量率(単位時間あたりの放射線量)の計算評価を行い,それを基に爆発1時間後から無限時間まで同地区にとどまり続けた場合の被曝線量を計算した。その結果,広島市の己斐,高須地区における累積的被曝は1ないし3Rの範囲となり,吸収線量は0.006Gyから約0.02Gyの範囲となった。また,長崎市の西山地区での累積的被曝は20ないし40Rの範囲となり,吸収線量は0.12Gyないし0.24Gyの範囲となった。
なお,DS86では,放射性降下物地域のデータがどれくらい代表的であるかは不明であること,原爆投下後の3か月間に広島では900mm,長崎では1200mmの大量の降雨があり,両市とも昭和20年9月17日に台風の来襲があり,広島は同年10月9日にも2回目の台風の来襲があったことから,風雨による放射性堆積物の散乱の可能性があることも指摘されている。
(b) 誘導放射能
中性子の吸収によって誘導される土壌その他の物質内の放射能(誘導放射能)は,爆心地からの距離(1000mでは爆心地におけるものの数%)及び時間(1日後には約3分の1,1週間後には数%)とともに急速に下落する。したがって,誘導放射能による被曝推定は,位置と関係者がその位置で過ごした時間に高度に依存する。
DS86では,橋詰らによって行われた広島の土壌等の実験的放射線照射による放射化のデータ及び広島・長崎の土壌の放射能測定結果に基づき,爆心地付近における誘導放射能による累積的被曝(爆発ゼロ時間から無限時間まで)を計算した結果,広島では,マンガン56が26R,ナトリウム24が45R,スカンジウム26が1Rとなった。以上の結果に基づき推定したところ,広島では,誘導放射能による潜在的最大被曝が約80R,吸収線量の上限値は約0.5Gy,長崎では,潜在的最大被曝が約30Rないし40R,吸収線量の上限値は約0.18Gyないし0.24Gyとなる。
(c) 内部放射線量
DS86では,長崎の西山地区の住人について,セシウム137に限定して内部線量の推定が行われた。西山地区の住民を対象としたセシウム137の測定の結果,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部線量は,男性で10mrem(0.1mSv),女性で8mrem(0.08mSv)と推定された。
f 家屋及び地形による遮蔽
DS86では,①実際の日本家屋または家屋集団の構造,材料等の最良の情報を用いて,日本家屋または家屋集団のコンピュータ・モデルを作成し,②連結モンテカルロ計算法を用いて遮蔽されていない屋外の被曝状況と組み合わせて家屋集団内や周辺における中性子線及びガンマ線のエネルギーや角度分布を計算した。
具体的な計算に当たっては,家屋内の遮蔽については6家屋の屋内の21か所と長屋型家屋の40か所の点が選択され,それぞれに対し,爆央に対する角度を16種類設定して,合計976種類の遮蔽条件が設定された。そして,976種類の遮蔽条件に対して,連結モンテカルロ計算法により4万個の放射線粒子の追跡計算を行い,その結果が,家屋遮蔽データ・ベースとして保存された。
同データ・ベースには,家屋内の976地点,戸外家屋により遮蔽された1920地点,地形遮蔽の640地点に対する粒子追跡結果及びそれを被爆者個人の遮蔽情報に対応するように平均したものが保存されている。
g 臓器線量測定
DS86では,臓器ごとの吸収線量を求めるため,オークリッジ国立研究所が欧米人を想定した体重57kgの成人用人体模型を体重55kgの日本人用に修正したものを利用し(臓器線量は,新生児から3歳,3歳から12歳,12歳以上の成人に分類して計算できるようになっている。),被爆時の姿勢(立位,正座位,臥位)や前後左右の入射条件を考慮して線量評価が行われた。計算方式は,モンテカルロ計算法による4万個の放射線粒子の追跡計算を行い,その結果が,身体遮断データ・ベースとして保存された。
この計算は,姿勢別,年齢別に行われ,赤色骨髄,膀胱,骨,脳,乳房,眼,胎児(あるいは子宮),大腸,肝,肺,卵巣,膵,胃,睾丸及び甲状腺の15種類の臓器が対象となった。
上記データ・ベースには,上記15種類の臓器に対して,年齢別群(3群)及び体位別に計算された粒子追跡結果が保存されている。
h 1986年線量推定方式
DS86による被曝線量の計算は,被爆者の市(広島市又は長崎市)及び爆心地からの地上距離を入力して,被爆者の無遮蔽場のカーマとエネルギー・角度別フルエンスを出力する。次に,被爆者の遮蔽状況(9-パラメータ又はグローブデータ)を入力して遮蔽カーマと家屋遮蔽エネルギー・角度別フルエンスを出力し,最後に,被爆者の性別,年齢,方向及び姿勢を入力して臓器カーマとフルエンススペクトルを出力する。
イ DS02の概要
(ア) 爆発パラメータ(爆撃機の進行方向,爆弾の傾き,爆発高度,爆発の出力等)の評価
再評価のためにロスアラモス国立研究所が実施した三次元モンテカルロ法による出力計算や新たな断面積を用いた臨界分離実験,これらの新たなデータを当てはめた解析の結果,広島型原爆の爆弾出力は16kt(±2kt)と推定された。
そして,新たな放射線測定データを加えて,測定値と計算値の適合度を用いた爆発高度の推定値を評価した結果,広島型原爆においては,出力16kt,爆発高度600mにすると,計算値と測定値の一致度が最大になった。
また,広島型原爆の爆弾の傾きについては,15度(±3度)と評価され,DS86における評価と同じであった。
(イ) 線源項(ソースターム)の評価
a 即発線源項の計算には,Hydrodynamaicsを組み込んだ3次元モンテカルロコードMCNPと核断面積ライブラリーENDF/B6.2が用いられ,DS86では省略されていた爆弾の尻尾の構造も加えられたフルモデルでの計算となっている。計算結果は,中性子199群,ガンマ線42群の爆弾放出エネルギースペクトルで与えられ,円筒形である広島型原爆については,さらに鉛直方向角度に40分割されている。中性子スペクトルの方向分布については,計算精度の向上により,DS86に比べてなめらかな方向分布が得られたが,基本的な方向分布の変化はなかった。中性子スペクトルは,DS86とほぼ同じであった(モンテカルロ法の追跡時間が長くなった分,広島型原爆では低エネルギー側に広がっている。)。ガンマ線については,広島型原爆では,31%増加した(なお,即発ガンマ線は,合計ガンマ線の約4%である。)。
b 遅発線源項については,爆発後の火球の成長や上昇の様子をSTRAMBhydrodynamaicsコードを用いて計算し,爆発から30秒後までを,中性子については12区分,ガンマ線については18区分の時間区分に分け,それぞれの区分ごとに線源項を決めている。線源の形状は,4秒までは火球中心の点線源とし,それ以降は円環な分布を仮定している。線源スペクトルの決定にはENDF/B6が用いられた。
(ウ) 放射線の空中伝播計算
a 即発放射線の空中伝播計算については,3次元離散座標放射線輸送計算法(DORT。ただし,2次元で使用)により計算され,モンテカルロ計算法による点検がされた。
2次元離散座標放射線輸送計算では,爆心地を通る鉛直線を軸とする円筒形の空間(半径3000m,最大高度2000m,地面の厚さ50cm)を軸方向に110の格子,半径方向に130の格子に分け,放射線の角度,エネルギー(中性子199群,ガンマ線42群に分類)を分割表示し,空中伝播計算が行われた。同計算にあたって,広島型原爆の爆発高度は600mとされた。
b 遅発放射線(広島では合計線量の44ないし60%,長崎では合計線量の30ないし60%。遅発放射線のほとんどはガンマ線である。)の空中伝播計算については,3次元離散座標放射線輸送計算法(DORT。ただし,2次元で使用)により計算が行われた。
上記計算では,爆発から30秒までが時間区分(中性子で12区分,ガンマ線で18区分)に分けられ,それぞれの時間区分に対する状況(線源,高さ,大気密度)での放射線(中性子174群,ガンマ線38群)の空中伝播計算が行われた。
なお,DS02では,DS86のために行われた遅発放射線計算を評価し核実験の結果と比較を行ったところ,測定値の誤差の範囲内で一致が認められた。
c DS02とDS86との比較
DS02及びDS86の中性子線量は,爆心地から2500mの間で約±10%異なり,爆心地から300m及び2000mから2500mの間では,DS02の中性子線量がDS86の中性子線量よりも低く,300mから2000mまでの間では,DS02の中性子線量がDS86の中性子線量よりも高い。
DS02の1次ガンマ線量は,約1200m以遠の地上距離でDS86の1次ガンマ線量よりも約20%程度高く,DS02の2次ガンマ線量は,いずれの距離においても,対応するDS86の2次ガンマ線量よりも低かった。
(エ) 放射線測定値
a ガンマ線量
DS86以降,奈良教育大学と広島大学のグループや放射線医学総合研究所のグループによる最新の熱ルミネッセンス測定を用いたガンマ線の測定が行われた。
その結果,広島市では,DS86では,測定値が計算値より約7%高かったが,DS02では,すべての距離を平均すると,測定値は計算値に一致した。広島市における測定値とDS02による計算値の一致度は,爆心地近くでは極めて良好であった。広島市の遠距離では,測定値が計算値を依然として上回っているが,中遠距離での一致度は,DS86よりもDS02の方が良かった。
なお,広島・長崎の試料についての測定に基づき得られた合計推定バックグラウンド線量は,約0.1Gyないし0.33Gyであったところ,対応する広島型原爆の全空気中ガンマ線量の計算値の地上距離は,0.1Gyで約1900m,0.33Gyで約1600mであった。これによれば,爆心地から約1.5km以遠の地上距離における原爆ガンマ線量は,バックグラウンド線量と同程度であり,したがって,正味の測定線量は,推定バックグラウンド線量の誤差に大きく影響されていると考えられるため,上記遠距離においては,現在の測定値で原爆ガンマ線量を正確に決定することは不可能である。
b 熱中性子線量
(a) コバルト60の測定
DS02作成当時,広島では,35か所の異なる場所から採取された43個の試料におけるコバルト放射化についての104以上の測定値が得られていた。
広島においては,1つの例外を除いて,地上距離約1300m以内では,DS02に基づく計算値とコバルト60の測定値は,全体としてよく一致した。もっとも,地上距離1300m以遠では,試料の線量カウントと検出器のバックグラウンド線量とを区別する際に問題があるとされた。
(b) ユーロピウム152の測定
① 中西孝らは,広島市において収集した岩石,コンクリート,タイル等の14サンプルの粉末試料から化学処理によりEuCo濃縮試料を調整し,さらに同濃縮試料を化学処理することにより,放射化学的にユーロピウムの精製を行った。これにより,主要な天然放射能を効果的に減らし,バックグラウンド線量を低減することができ,性能指数を大幅に改善することができた。
また,静間らは,被爆時の位置が明確であること,サンプルが遮蔽なしに直接被曝していることを条件に,花崗岩,コンクリート壁等の70サンプルを収集し(爆心地から1500m以内),サンプルの比放射能を決定した。
これらにより得られた測定値は,800m以内の爆心地付近においては,DS86の計算値より低く,DS02の計算値とよく一致している。もっとも,800m以遠では,測定値が計算値よりやや高くなる傾向にある。
② 小林和久らは,広島の16個の花崗岩試料(爆心から1.4km以内の試料はユーロピウム152を検出するため,3km以遠の試料は天然のユーロピウム152によるバックグラウンドレベルを評価するため)を用い,化学的濃縮の方法により,ユーロピウムを化学収率65%ないし85%で約40倍に濃縮した。そして,濃縮されたユーロピウム試料を450度で加熱減量し,圧縮して測定試料とし,2台の極低バックグラウンド井戸型ゲルマウム放射線検出器を用いて測定を行った。
上記測定の結果,測定値とDS02に基づく熱中性子線の計算値は,よく一致した。
(c) 塩素36の測定
① アメリカにおける塩素36の測定は,広島・長崎で採取された花崗岩及びコンクリート(試料採取地点は,爆心地付近から2km以遠で,かつ十分な測定結果を提供できるような間隔に設定した。)を試料とし,加速器質量分析(AMS)を用いて行われた。
上記測定の結果,広島・長崎で採取された花崗岩及びコンクリート(コンクリートの表面を除く。)中の塩素36の測定値は,Cl36/Cl比がバックグラウンドと鑑別不可能になる距離までDS02と一致した。なお,塩素36のバックグラウンドは,爆心地から約1km以内の距離について得られた結果に僅かな影響を与えるにすぎないため,バックグラウンドの不確実性が,この距離について認められたDS02との一致度を変化させることはないとされた。
② ドイツにおける塩素36の測定は,広島で採取された花崗岩及びコンクリートの被曝試料(過去にDS86の計算値と測定値の不一致が指摘された地上距離1300m地点に重点が置かれた。)と原爆中性子に被曝していない花崗岩試料中の長寿命放射性同位元素塩素36を加速器質量分析を用いて行われた。
上記測定の結果,広島の花崗岩試料中の塩素36生成については,宇宙線,ウラニウム及びトリウムの崩壊が,爆心地から直線距離約1300m以遠で重要になると推定された。
そして,実験の誤差の範囲内において,花崗岩試料中の塩素36の自然濃度を考慮すれば,地上距離800m以遠における測定に基づくCl36/Cl比と,DS02計算に基づくCl36/Cl比に顕著な不一致は認められなかった。もっとも,近距離においては,塩素36から得られた実験に基づくフルエンスは,DS02に基づく計算値よりも低かった。
③ 日本における塩素36の測定は,広島の19の花崗岩試料(12の被曝資料と塩素36の自然バックグラウンドを調べるため遠距離で採取された7試料)を加速器質量分析を用いて行われた。
上記測定の結果,測定値とDS02の計算値は,地上距離で近距離から1100mの間では,かなり良い一致を示した。しかし,地上距離で約1100mを超える範囲では,バックグラウンドの影響のため,塩素36生成に関する原爆の寄与の見積もりは困難であるとされた。
c 速中性子線量
(a) リン32の測定
リン32の測定の評価には,過去に理化学研究所及び京都大学が行った硫黄放射化測定の測定値が用いられた。再評価に当たっては,試料の位置の修正等がなされた。その結果,爆心地近くではDS86とDS02の計算値は,測定値と良く一致した(DS02の計算値は,直線距離800m(地上距離500m)までは,測定値と一致しているが,直線距離900m以遠の地点の測定値は,一致がみられるかどうかを決定するには不確実すぎるとされた。)。
なお,DS86の計算値との一致は,偶発的なものであるとされた。
(b) ニッケル63の測定
① ストローメらによる加速器質量分析の方法を用いたニッケル63の測定は,爆心地から391mないし1470mの範囲における6つの地点で採取された被曝資料と1880mないし7500mの範囲で採取された遠距離銅試料に加え,カリフォルニア州リバモア市の金物屋から得られた最新の銅線の3つの分画試料とドイツの古い教会の屋根から得られた銅試料の3つの分画試料を用いて行われた。
上記測定の結果,ニッケル63の測定値が,バックグラウンドレベルに達するのは,爆心地から約1800mであった。このバックグラウンドを差し引いた後のデータを昭和20年に補正すると,広島の銅試料中のニッケル63の測定値は,DS02に基づく計算値と良く一致した。DS86に基づく計算値との比較でも,1つの試料を除いて良く一致した。
もっとも,銅試料中の宇宙線によるニッケル63の計算値は,銅試料で測定された高いバックグラウンドを説明できないとされた。
② 広島における液体シンチレーション法によるニッケル63の測定には,旧広島文理大学から採取された2つの雨樋試料を用いて行われた。
上記測定により得られた測定値から,バックグラウンド(加速器質量分析法による測定値)による補正,昭和20年からの時間経過による補正等を行ったところ,前記(a)の加速器質量分析法により得られた結果と良く一致した。
なお,ニッケル63生成に対するバックグラウンドなどを解明すべき課題が残されているとされている。
(オ) 家屋及び地形による遮蔽
DS02では,被爆者がいた位置での遮蔽をより正確に定義するため,前方遮蔽のない被爆者の区分を3つの下位区分に分け,新しいルールに従って遮蔽漏洩データを分け,体育館等の大きく開放的な木造建築物内でのガンマ線を35%増加させるなどした。また,広島においては,比治山による陰の遮蔽が評価された。
(カ) DS02空気中中性子及びガンマ線組織カーマとDS86との比較
広島及び長崎のDS02とDS86の空中組織カーマは,別紙3の表のとおりである。
これによれば,広島と長崎の爆心地からの距離が2500mの範囲において,DS02とDS86の中性子とガンマ線からの総空気中組織カーマの差は10%未満である。
広島では,爆心地から2500mまでの全域におけるDS02の中性子とガンマ線の総空気中組織カーマは,DS86を使って計算した総空気中組織カーマよりも大きくなったが,その差は平均して5%に満たず,爆心地からの距離が1000mから2500mの範囲におけるDS02の総空気中組織カーマは,DS86を使って計算した総空気中組織カーマよりも平均して7%大きい。
広島では,爆心地から2500mまでの全域におけるDS02の中性子とガンマ線の総空気中組織カーマは,DS86を使って計算した総空気中組織カーマよりも8%ほど大きく,爆心地からの距離が1000mから2500mの範囲におけるDS02の総空気中組織カーマは,DS86を使って計算した総空気中組織カーマよりも平均して9%大きい。
ウ 審査の方針(原因確率論)
審査の方針における放射線起因性については,以下の方法により求められた原因確率(寄与リスク)及びしきい値を目安として判断を行う。
(ア) 調査集団
放射能影響研究所(放影研)による疫学調査集団
a 原爆傷害調査委員会(ABCC)は,昭和25年の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から得られた資料を用いて,固定集団の対象者となり得る人々の包括的な名簿を作成した。この国勢調査により28万4千人の日本人被爆者が確認され,この中の約20万人が昭和25年当時,広島・長崎のいずれかに居住していた(「基本群」)。
1950年代後半以降,ABCC及び調査を引き継いだ放影研で実施された被爆者調査は,すべてこの「基本群」から選ばれた副次集団について行われてきた。死亡率調査では,厚生省,法務省の公式許可を得て,国内で死亡した場合の死因に関する情報を入手し,がんの罹患率に関しては,地域の腫瘍・組織登録からの情報(広島,長崎に限定される。)によって調査が行われている。
b 寿命調査集団(LSS集団)
(a) 当初の寿命調査集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍が広島又は長崎にあり,昭和25年に両市のどちらかに在住し,効果的な追跡調査を可能にするために設けられた基準を満たす被爆者の中から選ばれた,以下の4群から構成されていた。
① 爆心地から2000m以内で被爆した「基本群」被爆者全員から成る中心グループ(近距離被爆者)
② 爆心地から2000ないし2500mの地域で被爆した「基本群」被爆者全員から成るグループ
③ ①の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた爆心地から2500ないし10000mの地域で被爆した者から・るグループ(遠距離被爆者)
④ ①の中心グループと年齢及び性が一致するように選ばれた,1950年代前半に広島・長崎に在住していたが原爆投下時は市内にいなかった者から成るグループ(「原爆投下時市内不在者」と呼ばれ,原爆投下後60日以内の入市者とそれ以降の入市者も含まれている。)
(b) 当初9万9393人から構成されていた寿命調査集団は,1960年代後半に拡大され,本籍地に関係なく,爆心地から2500m以内において被爆した「基本群」全員を含めた。その後,昭和55年に更に拡大され,「基本群」における長崎の全被爆者が含められ,平成11年当時では集団の人数は合計12万0321人となっている。この集団には,爆心地から10000m以内で被爆した9万3741人と,原爆投下時市内不在者2万6580人が含まれている。これらの人々のうち,8万6632人については,DS86による被曝線量推定値が得られているが,7109人については,建物や地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため線量計算はできていない。
(c) 平成11年当時,寿命調査集団には,「基本群」に入っている爆心地から2500m以内の被爆者がほぼ全員含まれるが,1950年代後半までに転出した近距離被爆者(昭和25年国勢調査の回答者の約30%),国勢調査に無回答の近距離被爆者,原爆投下時に両市に駐屯中の日本軍部隊及び外国人である近距離被爆者は除外されている。以上のことから,爆心地から2500m以内の被爆者の約半数が調査の対象となっていると推測されている。
c 成人健康調査集団(AHS集団)
(a) 成人健康調査集団は,2年に1度の健康診断を通じて,疾病の発生率とその他の健康情報を収集することを目的として設定され,成人健康調査によって,全員のすべての疾病と生理的疾患を診断し,がんやその他の疾病の発生と被曝線量との関係を研究している。これにより,寿命調査集団の死亡率やがんの発生率についての追跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上の情報を入手できる。
(b) 昭和33年の集団設定当時,成人健康調査集団は,当初の寿命調査集団から選ばれた1万9961人から成り,中心グループは,昭和25年当時生存し,爆心地から2000m以内で被爆して急性放射線症状を示した4993人全員から成る。このほかに,成人健康調査集団は,都市・年齢・性を中心グループと一致させた3つのグループ(①爆心地から2000m以内で被爆し急性症状を示さなかった者から成るグループ,②広島では爆心地から3000ないし3500m,長崎では3000ないし4000mの地域において被爆した者から成るグループ,③原爆投下時にいずれの都市にもいなかった者から成るグループ。いずれも中心グループとほぼ同数。)から成る。
(c) 昭和52年には,高線量被曝者の減少を懸念して,新たに3つのグループ(①寿命調査集団のうち,T65Dによる推定被曝線量が1Gy以上である2436人の被爆者全員から成るグループ,②①と年齢及び性を一致させた同数の遠距離被爆者から成るグループ,③胎内被爆者1021人から成るグループ)を加えて成人健康調査集団を拡大した。
d 胎内被爆者集団
昭和45年には,原爆後から昭和21年5月末までに広島,長崎の市内又は近郊で出生した約1万人の記録に基づき,胎内被爆者の「臨床調査」及び「死亡率追跡調査」のための2つの重複する固定集団が設定された。
「臨床調査集団」は,爆心地から1500m以内で胎内被爆した全員と,性別,都市を一致させたほぼ同数の2つの比較群を含む。平成11年当時,1608人がこの集団に含まれ,そのうちの1021人はAHS検診プログラムに含まれている。
「死亡率調査集団」には,平成11年当時,2817人が含まれており,そのうち771人は「臨床調査集団」にも含まれている。昭和39年に設定されたこの集団は,爆心地から2000m以内で胎内被爆した人全員(1118人)から成る中心グループと比較群から構成されている。
胎内被爆者についての死亡率及びがん罹患率に関する調査では,「臨床調査集団」と「死亡率調査集団」をあわせた3638人が対象となっており,10000m以内で被爆した2076人を含んでいる。
(イ) ABCC及び放影研による疫学調査方法
a コホート研究とは,何らかの共通特性を持った集団(コホート)を追跡し,その集団からどのような疾病等が起こるかを観察し,要因と疾病等との関連を明らかにしようとする研究であり,その解析方法には,調査集団を外部集団と比較する外部比較法と,調査集団内部で曝露要因の程度によって分けられたグループ内で比較する内部比較法(具体的には,曝露が高い群から発生した死亡罹患が,非曝露群又は低濃度曝露群から発生した死亡に比べてどう違うかをみるものである。)がある。
b 放影研では,「寿命調査第10報」からポアソン回帰分析を用いた内部比較法によるリスク推定が行われている。
回帰分析とは,予測したい変数である目的変数と目的変数に影響を与える変数である独立変数との関係式を求めて,目的変数の予測を行い,独立変数の影響の大きさを評価することである。
その関係式として,直線,2次曲線,確率分布等で当てはめることにより様々な回帰分析が行われるが,ポアソン回帰分析は,目的変数がポアソン分布(ある事象が,万が一起こるとしたら,突発的に(互いに独立して)起こるが,普段は滅多に起こらないという場合の,一定時間当たりの事象発生回数を表す分布)に従うと仮定して行う回帰分析法である。
c リスクの評価方法(審査の方針において用いられている原因確率の基礎となっている「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」の概要)
(a) 放射線の人体への健康影響に関するリスク(ある事件が発生するであろう確率)評価の指標として,相対リスク,絶対リスク,寄与リスク(「ATR(Attributable Risk)」)の3種類の評価指標がある。相対リスクとは,非曝露群に対する曝露群の疾患発生あるいは死亡率の比を示すもの,絶対リスクとは曝露群と非曝露群における疾患発生あるいは死亡の差を示すもの,寄与リスクとは,曝露者中におけるその曝露に起因する疾病などの帰結の割合を示すものである(例えば,原爆放射線被曝群におけるがん死亡者(罹患者)のうち原爆放射線が原因と考えられるがん死亡者(罹患者)の割合を示すもの。)。
このうち,寄与リスクは,絶対リスクの相対的大きさで表され,相対リスクと絶対リスクの両指標の考えを併せ持つものである上,その大きさは0から100%に数値化され,種々の疾病に対する放射線リスクの評価が同じ枠内の数値として統一的に考えられることから,放射線が占める割合としてのリスク評価の指標として,寄与リスクが検討された。
(b) 寄与リスクは,過剰相対リスク(「ERR(Excess Relative Risk)」,相対リスクから1を引いたもの。)によって,その値を
ATR=ERR/(1+ERR)
と表す。
固形がんのリスクを調査期間における平均過剰相対リスクで表す場合,次のようなモデルが用いられた。
ERR=βS×d×exp{γ(age-30)}
なお,「d」はDS86による推定被曝線量,「age」は被爆時年齢であり,「βS」(男性と女性で別異の値)及び「γ」が推定すべき未知母数である。
(c) 寄与リスクを求めた疾患
① 部位別に寄与リスクを求めたがん:寿命調査集団を使った過去の死亡率・発生率の報告で放射線との有意な関係が一貫して認められ,かつ部位別に寄与リスクを求めても比較的信頼性があると考えられる部位(胃がん,大腸がん,肺がん,女性乳がん,甲状腺がん)及び白血病
② 原爆放射線に起因性があると思われるが,個別に寄与リスクを求めると信頼区間が大きくなると考えられるがん(肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色種を除く。),卵巣がん,尿路系(膀胱を含む。)がん,食道がん)。
③ 現在までの報告では,部位別に過剰相対リスクを求めると統計的には有意ではないが,原爆放射線被曝との関連が否定できないもの。①,②以外のがんすべて。
④ 寄与リスクを求めなかった疾患は,骨髄異形成症候群,放射性白内障,甲状腺機能低下症,過去に論文発表がない疾患(造血機能障害など)である。
(d) 寄与リスクを求めた基となった資料
① 寄与リスク評価に用いたデータは,放影研による「原爆被爆者の死亡率調査第12報第1部 癌:1950-1990年」及び「原爆被爆者における癌発生率第2部:充実性腫瘍 1958-1987年」で使用され,当時,放影研が報告しているデータ及び過去に論文発表されているデータである。
② 白血病,胃がん,大腸がん,肺がんについては,「原爆被爆者の死亡率調査第12報第1部 癌:1950-1990年」に基づいて寄与リスクが求められた。甲状腺がんと女性乳がんの寄与リスクについては,予後の良いがんで死亡率調査より発生率調査の方が実態を正確に把握していると考えられるため,「原爆被爆者における癌発生率第2部:充実性腫瘍 1958-1987年」に基づいて求められた。
がん以外の疾患としては,副甲状腺機能亢進症,肝硬変及び子宮筋腫について寄与リスクが求められた。副甲状腺機能亢進症は,有病率調査のみ発表されているため,有病率調査結果から寄与リスクを推定し,その線量は,論文で使われている甲状腺線量で求められた。肝硬変は,がん以外の疾患の死亡率調査から算出し,その線量は論文で使われている結腸線量を使用した。子宮筋腫は,成人健康調査集団を対照にした発生率調査から求められた。
(e) 研究結果
白血病,胃がん,大腸がんの死亡,甲状腺がんの発生については,性別,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた(審査の方針の別表1ないし4)。
女性乳がんの発生については,被爆時年齢,線量別の寄与リスクを求めた(審査の方針の別表5)。
肺がんの死亡については,被爆時年齢の影響を受けなかったので,性別,被曝線量別の寄与リスクを求めた(審査の方針の別表6)。
肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系(膀胱を含む)がん,食道がんについては,この5疾患をまとめて寄与リスクを求めた(審査の方針の別表7)。
副甲状腺機能亢進症の有病率調査では,被曝の影響に性差が認められなかったので,被爆時年齢と甲状腺臓器線量別に求めた寄与リスクを求めた(審査の方針の別表8)。
なお,「放射線の人体への健康影響評価に関する研究 平成12年度 総括研究報告書」では,肝硬変による死亡及び子宮筋腫の有病率についても,被曝線量別の寄与リスクが求められたが,審査の方針では,これらの寄与リスクの表は採用されていない。
(ウ) 放射線起因性の判断
a 審査の方針では,前記方法により求められた寄与リスクに基づき定められた原因確率(疾病等の発生が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率)及びしきい値(一定の被曝線量以上の放射線を被曝しなければ,疾病等が発生しないという値)を目安として,当該申請に係る疾病等の放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断するとされた。
b この場合に,当該申請に係る疾病等に関する原因確率(「その他の悪性新生物」については,放射線被曝線量との原因確率が最も低い胃がん(男性)の寄与リスクを準用)が,①概ね50%以上である場合には,当該申請に係る疾病の発生に関して,原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,②概ね10%未満である場合には,当該可能性が低いものと推定するとされている。
もっとも,このような判断に当たっては,これらを機械的に適用して判断するのではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断を行うものとされた。
c また,放射線白内障については,確定的影響であるとして,安全領域のしきい値を,眼の臓器線量で1.75Svであるとした。
d 原爆放射線の被曝線量の算定は,
① 初期放射線による被曝線量(申請者の被爆地及び爆心地からの距離の区分に応じて定めるものとし,その値は,審査の方針の別表9に定めるとおりである。なお,被爆時に遮蔽があった場合,被爆状況によって同値に0.5ないし1を乗じて得た値とする。)
② 残留放射線による被曝線量(申請者の被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は,審査の方針の別表10に定めるとおりである。)
③ 放射線降下物による被曝線量(原爆投下の直後,広島においては己斐又は高須,長崎においては西山3,4丁目又は木場に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該地域に居住していた場合,前者については0.6ないし2cGy,後者については12ないし24cGyとする。)
の値を加えた得た値とした。
e なお,審査の方針が策定される以前においても,原爆医療審議会における認定基準として,線量評価,影響評価,要医療性評価についての基準が策定されるなどしていた。
(3) 審査の方針,審査の方針の基礎となっているDS86及びDS02についての意見等
ア 放射線量の計算値と測定値に関する見解等
(ア) ガンマ線量
澤田教授は,長友教授らの論文を紹介し,同論文によれば,広島におけるガンマ線量の実測値が,爆心地から近い距離においては,DS86の計算値とほぼ同じか,むしろ小さめであるのに対し,爆心地から1100mより遠い距離においては逆転して,DS86の計算値から次第に大きい方にずれ始めることが指摘されているとしている。
また,澤田教授は,広島におけるガンマ線量の測定値に基づき求められたカイ2乗フィットの値とDS86に基づく計算値とを比較したところ,爆心地から約1100mまではDS86に基づく計算値が大きく,この距離を越えると,DS86に基づく計算値は,小さくなる結果となった。そして,この測定値と計算値の不一致の問題は,DS02においても未解決であるとしている。
(イ) 熱中性子線量
澤田教授は,広島におけるユーロピウム152,コバルト60及び塩素36の測定値とDS86及びDS02に基づく計算値の比較検討を以下のとおり行った。
a 澤田教授は,ユーロピウム152の測定値が,爆心地から約900mの距離までは急速に減少し,爆心地から約900mを越えるとやや緩やかに減少し始めることから,早く減衰する熱中性子線量の成分とゆっくり減衰する成分があると仮定して,カイ2乗フィットによる解析を行ったところ,早く減衰する成分は,DS86に基づく計算値に近い減衰速度を表した。そして,澤田教授は,以上の解析結果から,熱中性子線には,ゆっくり減衰する成分の存在の可能性が強く示唆されるとした。
また,澤田教授は,DS02に基づく計算値についても,爆心地から1400mあたりから,ユーロピウム152の測定値に比べて過小評価に移行する傾向がみられるとしつつ,これ以上の遠距離について計算値と測定値の不一致の有無を明確にすることは,バックグラウンドの影響を考慮すると現状では難しいとした。
b 広島におけるコバルト60の測定値に基づいてカイ2乗フィットによる解析により求められた熱中性子線量とDS86に基づく計算値と比較したところ,爆心地から700mまではDS86に基づく計算値の方がやや大きく,爆心地から900mを超えると計算値より測定値が大きくなって急速に不一致が拡大し,爆心地から1500mでは推定線量が測定値の約14分の1に,爆心地から2000mでは計算値が測定値の約167分の1になるという結果となった。
c 広島におけるユーロピウム152,コバルト60及び塩素36の測定値に基づいてカイ2乗フィットによる解析により求められた全部のデータを総合的に表す熱中性子線量とDS86に基づく計算値と比較したところ,爆心地から1500mでは推定線量が測定値の約14分の1に,爆心地から2000mでは計算値が測定値の約167分の1となった。
(ウ) 速中性子線量
a 澤田教授は,バックグラウンドや広島型原爆の爆発時の鉛直からの傾き等を考慮してリン32の測定値とDS86に基づく計算値を比較した結果,測定値の誤差に大きいものもあるが,DS86に基づく計算値は,測定値に比べて,爆心地から約700mまではやや大きく,これより遠距離では小さくなる傾向がみられるとした。
b 澤田教授は,ストローメらの測定結果を検討した上で,測定値とDS86に基づく計算値が良く一致しているといえるのは,爆心地から949m及び1014mの地点の測定値のみであって,爆心地から380m地点の測定値に比べて計算値は1.56倍の過大評価となっており,他方,爆心地から1461m地点の測定値は,計算値より1.5倍大きくなっているとして,測定値とDS86に基づく計算値が,すべての領域で良く一致しているということはできないとの所見を述べている。
また,澤田教授は,ストローメらが1880mの実測値をそっくりバックグラウンドに採用することについて,はじめからこの地点の中性子線量をゼロと仮定することになり問題であるなどと指摘している。
イ 放射性降下物について
(ア) 原爆投下直後の昭和20年8月10日から,大阪帝国大学調査団,京都帝国大学,理化学研究所調査団による市内各地の放射能測定が行われるとともに,同年9月から10月には,マンハッタン技術部隊,10月から11月には,日米合同調査団が,広島・長崎において放射能測定を行うなどした。
a 大阪帝国大学調査団は,昭和20年8月11日,市内数か所から砂を採取し,ガイガー・ミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,護国神社,西練兵場入口,己斐駅付近において放射能が高いことが確認された。
b 京都帝国大学調査団は,昭和20年8月13日及び14日,広島市の内外約100か所において数百の試料を採集し,ガイガー・ミュラー計数管を使用して放射能を測定したところ,旭橋付近で採集された試料に比較的強い放射能が確認された。
c 理化学研究所調査団は,昭和20年9月3日及び4日,広島市内外に残留するガンマ放射線の強度をローリッツェン検電器を使って測定した。その結果,爆央付近に極大値をもつバックグラウンドのおおよそ2倍程度のガンマ放射線が残留することを確認したほか,己斐から草津に至る山陽道国道上において,古江東部に極大をもつ上記爆央付近と同程度のガンマ放射線を確認した。
d 日米合同調査団は,昭和20年10月3日から7日にかけて,広島市(100か所)及び長崎市(900か所)において,ラジウムで基準化したガイガー・ミュラー計数管を用いて放射能測定を行った。その結果,爆心地の風下に当たる広島市の高須地区及び長崎市の西山地区で測定値が高いことが確認された。広島市の己斐及び高須地区の放射性降下物による放射線量は,最高0.045mR/hrが記録されており,この測定値に基づき減衰の法則(経過時間(t)にともなってtの-1.2乗の割合で減衰するとの法則)を適用して爆発後1時間後から無限時間までの線量を積算すると,戸外被爆者の場合,約1.4Rとなった。
また,長崎の西山地区における測定結果は,最高1.0mR/hrが記録され,この測定値を基に爆発後1時間後から無限時までの線量を上記法則に従って積算すると,戸外被爆者の場合,約30Rとなった。
上記両地域は,爆心地から約3000m離れており,中性子束はほぼ無視して差し支えなく,他の放射能発生源は存在しないとされた。
なお,広島市では,昭和20年9月16日から17日にかけて台風が来襲していたことから,減衰の法則が無効となる可能性があることが指摘されている。
e Paceらは,Naval Medical Research Institute(NMRI)が昭和20年10月15日から27日にかけて長崎で行った調査に基づき,長崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間までの地上1m地点の累積的線量を最大で42Rと報告した。
また,Paceらは,NMRIが昭和20年11月1日及び2日に広島市において行った調査に基づいて,広島の己斐・高須地区における爆発1時間後から無限時間までの地上1m地点の累積的線量を0.6Rないし1.6Rと報告した。
f Tyboutらは,マンハッタン技術部隊が行った調査に基づき,長崎の西山地区における爆発1時間後から無限時間までの地上1m地点の累積的線量を算定し,29R又は24Rないし43Rと報告した。
また,Tyboutらは,マンハッタン技術部隊が昭和20年10月3日から7日までに広島市において行った調査に基づき,広島の己斐・高須地区における爆発1時間後から無限時間までの地上1m地点の累積的線量を1.2Rと報告した。
g 藤原らは,昭和20年9月に広島において,ローリッツェン検電器を用いて放射線量の測定を行ったところ,広島の己斐・高須地区における最大実際被曝率が40μR/hとなり,爆発1時間後から無限時間までの地上1m地点の累積的線量を1Rと報告した。
h 宮崎らは,昭和21年1月27日から2月7日にかけて,広島市においてNeher宇宙線チャンバーを用いた測定を行い,広島の己斐・高須地区における爆発1時間後から無限時間までの地上1mの累積的線量を3Rと報告した。
(イ) Millerは,昭和57年,昭和31年に採取されたセシウム137のGe半導体検出器による測定データに基づき,長崎市の西山地区における爆発1時間後から無限時間までの地上1m地点の積算線量を40Rと報告した。
(ウ) 広島においては,原爆爆発後20分ないし1時間後から,雨が降り出し,午前9時ないし午前9時半から始まった雨は,午後3時ないし午後4時ころまで続いた。
a 宇田らの「気象関係の広島原子爆弾被害調査報告」によれば,広島では,局部的に激烈顕著でかつ比較的広範囲(長径1900m,短径1100mの楕円形ないし長卵形の区域)に相当激しい1時間ないしそれ以上も継続する驟雨があり,少しでも雨が降った区域は,長径2900m,短径1500mに及ぶ長卵形をなしていたとされる。具体的な降雨域は,広島市中心の爆心地付近に始まり,広島市北西部を中心に降って,北西方向の山地に延び,遠く山県郡内に及んで終わる長卵形をなしている。土砂降りの甚だしい降雨があった区域は,白島の方から,三篠,横川,山手,広瀬,福島町を経て,己斐,高須より石内村,伴村を越え,戸山,久地村に終わる長楕円形の区域であると報告された。
また,雨の状況については,最初の1時間ないし2時間は黒く泥分の多い雨が降り,その後は白い普通の雨が降ったこと,黒雨に含まれた泥の成分は,爆発時に黒煙として昇った泥塵と火災による煤塵とを主とし,これに放射性物質体など爆弾に起源して空中に浮遊しあるいは地上にいったん落ちた物質塵をも複合したものとみられること,昇騰し空中に浮遊する泥塵煤塵が黒雨として洗い落とされため,その後の雨が白くなったものといえ,黒雨の降下量の多い地区,すなわち広島市西方の己斐・高須方面において高い放射能性を示すに至ったと考えられることが報告されている。
b 増田の「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」によれば,上記宇田らの原資料のほか,アンケート調査や現地での聴取調査の資料,被爆体験記録集や新聞,テレビのインタビューの記事等を用いて,雨域,降雨開始時刻,降雨継続時間,推定降水量の分布図を作成し,原爆後の「黒い雨」を総合的に調査した結果,
① 少しでも雨が降った地域は,爆心から北北西約45kmの広島県と島根県の県境近くまで及び,東西方向の最大幅は36km,その面積は約1250km2で,宇田らの求めた降雨域の約4倍の広さであること
② この区域以外の爆心の南ないし南東側の仁保,海田市,江田島向側部落,呉,さらに爆心から約30km離れた倉橋島袋内などでも,「黒い雨」が降っていたことが確認されたこと
③ 1時間以上雨が降ったいわゆる大雨域も,宇田らの小雨域に匹敵する広さにまで広がっていたこと
④ 降雨域内の雨の降り方は極めて不規則で,特に大雨域は複雑な形をしていること
⑤ 爆心の北西方3kmないし10kmの己斐から旧伴村大塚にかけて,100mmを越す豪雨が降ったことが推定されたこと(宇田らの推定とほぼ一致する。)
⑥ 爆心のすぐ東側の約1kmの地域では,全く雨が降らなかったか,降ったとしてもわずかであったと考えられること
⑦ 「黒い雨」には,原爆のキノコ雲自体から降ったものと,爆発後の大火災に伴って生じた積乱雲から降ったものとの2種類の雨があったものと考えられること(これは,宇田らの推論と同じ。)
を報告している。
c 藤原らが,昭和20年9月(第1回測定),昭和21年8月(第2回測定)及び昭和23年1月ないし同年6月(第3回測定)の3回にわたって,広島市内及びその近郊において(78か所),ローリッツェン電気計を地上約1mの位置に保持して,放射能を測定(naturalの値として,第1回測定時は爆心地から南4.8kmにある広島市宇品町における値を,第2回及び第3回測定時は広島文理科大学物理学教室の一定場所における値を選択)した結果をまとめた「広島市付近における残存放射能について」によれば,
① 第1回測定時においては,放射能の強度が極大な地区は,爆心地のほかに市の西郊(己斐・高須地区周辺)にもあった
② 第1回測定時においては,爆心地から約800m離れれば放射能は標準値と同程度に帰するが,特異現象が認められた地点においては必ずしもそうではなく,かなりの放射能が認められる地点(爆心地から南西2.3km地点,南東2.4km及び2.8km地点,南南東3km,3.2km及び4.2km地点,東4.8km及び5.1km地点)もあること
③ 鉄筋コンクリート建造物にあっては,放射能が比較的強い場合がある
④ 爆心地から南東1km地点の中国新聞社における測定では,建物内部に灰塵(主として塗り漆喰の焼け落ちたもの)が積もっていたとき(第1回測定)の測定値に比べ,建物内部が清掃され灰塵が棄て去られた後(第2回測定時)の測定値が激減した
⑤ 降雨地帯,特に豪雨地帯での放射能は,第3回測定時において,他より幾分強い傾向を示しており,しかも同一の岐路又は川筋に沿って測定点を採った場合,己斐峠付近の測定値を除き,海抜の低い地点ほど放射能が強くなっている傾向がある(ただし,逆傾向の例もある。)
との結果が報告されている。
d 静間らの「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」によれば,静間らは,広島の爆心地から5km以内で,原爆投下の3日後に採取された22個の土壌サンプル(核実験による全地球的な放射性降下物にさらされていない。)を用いて低バックグラウンドガンマ線の測定を行った。
そして,全市にわたる降雨域を評価するにはサンプル数が十分でないとしつつも,セシウム137の沈着は降雨域と密接に関連するはずであるとして,セシウム137の沈着と降雨域との比較を行ったところ,セシウム137が検出されたサンプル中5つの採取地のうち,3つの採取地については,増田雨域に含まれていたが,宇田雨域には含まれておらず,2つの採取地については,増田雨域に含まれていたが宇田雨域の境界線上にあった。また,増田及び宇田の双方降雨域に位置する5つの採取地のサンプルから得られたセシウム137の測定値が検出限界より低かった。これらの結果から,静間らは,広島型原爆による降雨域が,宇田雨域より広く,増田雨域の正当性を証明しているとし,また,セシウム137は降雨域内であっても一様に沈着していないとの結論を述べている。
上記の測定に基づき計算された累積的被曝(原爆爆発後1時間後から無限時間までの被曝線量の積分)は,爆心地から5km以内では,0.12±0.02R,己斐・高須地区では4Rであった。
e 「黒い雨に関する専門家会議報告書」の内容は,概要以下のとおりである。
(a) 原爆による残留放射能について
① 昭和51年及び昭和53年度の土壌調査データの再検討の結果,当時採取された試料は,昭和30年以降の原水爆実験による放射性降下物としてのセシウム137を多量に含んでおり,測定値間の有意差についても広島型原爆の放射性降下物によるものと断定する根拠はなかったこと,昭和51年及び昭和53年度に採取された土壌中の残留放射能値と宇田雨域及び増田雨域との間の相関がみられないことが判明した。
② 昭和51年及び昭和53年度土壌調査時の試料のうち,宇田雨域及び増田雨域を考慮して選択した4地点の試料について,二重集束型質量分析計を用いて広島型原爆のウラン235の検出を試みたが,有意な結論は得られなかった。
また,3地点の試料について,アルファ線スペクトロメーター法を用いて検討したが,有意な結論は得られなかった。
③ 7か所の対照地点屋根瓦並びに30か所の測定点屋根瓦について,屋根瓦中のセシウム137の含有量を検討したが,試料によって吸水性に大きな差があり,有意差を見いだすことができなかった。
また,爆心地から北西11kmないし21km地点の4か所から柿木2本,栗木2本を採取し,5年ごとの年輪区分として灰化し,放射線ストロンチウム分析法及び原子吸光測定法により残留ストロンチウム90の測定を行ったが,黒い雨との関連は確定できなかった。
(b) 気象シミュレーション法による降下放射線量の推定について
① 原子爆弾からの放射性降下物となる線源として,原爆雲(原爆の火球によって生じた雲),衝撃雲(衝撃波によって巻き上げられた土壌などで形成された雲)及び火災雲(火災煙による雲)について,原子爆弾投下当日の気象条件,原子爆弾の爆発形状,火災状況等,種々の条件を設定した拡散計算モデルを用いたシミュレーション法による放射性降下物の降下量及び降下範囲の検討を行った結果,広島では,原爆雲の乾燥大粒子の大部分は北西9kmないし22km付近にわたって降下し,雨となって降下した場合には大部分が北西5kmないし9km付近に落下した可能性が大きく,衝撃雲や火災雲による雨(いわゆる黒い雨)の大部分は北北西3kmないし9km付近にわたって降下した可能性が大きいと判断された。
なお,上記シミュレーションによる降雨地域は,宇田雨域とほぼ同じであるが,火災雲の一部が東方向にはみ出して降雨落下しているとの計算結果となり,また,原爆雲の乾燥落下は,北西の方向に従来の降雨地域を越えていることが推定された。
② 上記シミュレーションにより求められた放射性降下物量等に基づき推定された原爆雲による爆発12時間後の最大放射能密度は約1600mCi/m2,照射線量率は12.7R/hr,衝撃雲ではナトリウム24で最大放射能密度約270μCi/m2,照射線量率15mR/hr,火災雲では最大放射能密度約90μCi/m2,照射線量率5mR/hrであった。
以上によれば,広島型原爆の放射性降下物による照射線量率は,さく裂12時間後で約5R/hr(無限時間までの期間にわたる被曝線量の累積値は約25rad)となった。
(c) 体細胞突然変異及び染色体異常による放射線被曝の人体影響について
黒い雨に含まれる低線量放射線の人体への影響を,赤血球のMN血液型決定抗原であるグリコフォリンA蛋白(GPA)遺伝子に生じた突然変異頻度,及び末梢血リンパ球に誘発された染色体異常頻度について検討を行った結果,GPA遺伝子の突然変異に関しては,己斐町,古田町,庚午町,祇園町など(降雨地域)に当時在住し黒い雨に曝された40名(男性20名,女性20名)と,宇品町,翠町,皆実町,東雲町,出汐町,旭町など(対照地域)に当時在住し黒い雨に曝されていない53名(男性21名,女性32名)との間で,統計的に有意な体細胞突然変異細胞の増加を認めなかった。
染色体異常に関しても,降雨地域の60名(男性29名,女性31名),対照地域の132名(男性65名,女性67名)との間で,どの異常型においても統計的有意差は証明されなかった。
また,体細胞突然変異及び染色体異常頻度の解析に当たっては,医療被曝の影響を考慮する必要があることが示唆された。
ウ 誘導放射能
(ア) 広島の爆心地から約200m地点の原爆ドーム付近から採取された土壌の組成は,アルミニウムが71.0mg/g(アルミニウム28の半減期は2.31分),マンガンが0.467mg/g(マンガン56の半減期は2.58時間),ナトリウムが16.0mg/g(ナトリウム24の半減期は15.0時間),鉄が17.7mg/g(鉄59の半減期は44.5日),スカンジウムが0.005mg/g(スカンジウム46の半減期は83.8日),セシウムが0.005mg/g(セシウム134の半減期は2.05年),コバルトが0.0037mg/g(コバルト60の半減期は5.27年)であった。
(イ) GritznerとWoolsonは,Paceによる2次元離散座標地上空中計算による空中及び地中の即発中性子のスペクトル・空間・方向分布を利用し,広島・長崎の実際の土壌中の元素の種類,含有量及びこれらの元素の放射化断面積をもとに生成された放射能量を計算した。
そして,誘導放射能から放出されたガンマ線が地上1mに達するまでのガンマ線の透過を計算し,線量率(R/h)を求め(なお,広島では,遅発中性子によるカーマは,最大でも即発中性子によるカーマの7%に過ぎないので,遅発中性子による放射化を無視してもほとんど影響はないとされた。),これに基づき爆心地におけるカーマ率の時間的変化計算をしたところ,アルミニウム28の寄与による第1の部分,マンガン56及びナトリウム24の寄与による第2の部分(約30秒後から)並びに鉄59及びスカンジウム46の寄与による第3の部分(約1週間後から)の3つの部分に分けられた。
以上の組織カーマ率を時間(ゼロ時間から無限時間まで)について積分すると,広島の爆心地から地上距離500m地点の累積的線量は約0.2Gy,爆心地から約2km地点では約0.00002Gyとの結果が得られた。
(ウ) 橋詰雅らは,広島の16か所で採取された土壌試料及び長崎の8か所で採取された土壌試料の合計50個の試料並びに,屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材及びコンクリート・ブロック片を用いて,中性子により誘導された放射能からのガンマ線量を実測データに基づいて推定した。
その結果,ナトリウム24,マンガン56,スカンジウム46,コバルト60及びセシウム134がガンマ線量計算に重要な核種であることが明らかとなり,爆発直後から無限時間までの累積ガンマ線量は,広島では爆心地で約80rad,長崎では約30radであると推定された。
(エ) 人体を構成する物質には放射化される元素(アルミニウム,ナトリウム,マンガン,鉄など)が存在する。その量は,体重1kg当たりアルミニウムが約0.857mg,ナトリウムが約1.5g,マンガンが約1.43mg,鉄が約86mgである。
エ 内部被曝
(ア) 岡島俊三らは,昭和44年以降,放射性核種による残留放射能の有無及びそれらによる有害な影響について調査するため,長崎の西山地区の住民を対象として,ホールボディーカウンター(人間の体内に摂取された放射性物質の量を体外から測定する装置)を用いた検査及び尿の放射化学分析による放射性核種の放射能の測定等を行った。
昭和44年1月から8月まで行われた調査では,長崎の西山地区住民(原爆の放射性降下物に被曝した男性20名,女性30名),早期入市者(原爆時10km以遠にいたが,原爆後1か月以内に対象地域に入った50名),200rad以上の群(昭和20年に西山地区にいなかったが,直接放射線を受けている50名),非被爆者群(原爆時長崎市におらず,直接放射線又は誘導放射能による放射線を受けていない50名)を対象としてセシウム137による放射線量を測定したところ,西山地区の男性で38.5pCi/kg,女性では24.9pCi/kg,非被爆者群の男性で25.5pCi/kg,女性では14.9pCi/kgとの結果となり,長崎の原爆の放射性降下物による寄与は,男性で13pCi/kg,女性は10pCi/kgであると考えられた(なお,セシウム137の沈着は,主として筋肉組織にあって,脂肪への沈着はほとんど認められなかった。)。
昭和56年にも,昭和44年の上記調査において比較的高い線量値を示した15名中10名(男性と女性を含む)を対象として同様の測定を行ったところ,昭和44年当時の平均値である48.6pCi/kgから15.6pCi/kgにまで減少した。環境半減期(土壌中のセシウム137が食物摂取に寄与する程度。身体中のセシウム137がどの程度の期間で体外に排出されるかをみた生物学的半減期ではない。)は7.4年となることが明らかにされた。
そして,岡島らは,上記のデータを用いて,昭和20年から昭和60年までの40年間の内部被曝線量を男性で10mrem(0.0001Gy),女性で8mrem(0.00008Gy)と推定した。
(イ) 飯田博美らの「放射線概論」によれば,体内にとり込まれた放射性物質は,その臓器親和性にしたがって種々の臓器・組織に分布し,その後排出されるとされ,放射性物質の体内量の減少は,①放射性崩壊による物理的減衰と②排泄機構による生物的減少に支配されているとしている。
なお,生物学的減少は実際には複雑な過程をたどるが,指数関数的に減少するものと仮定し,排泄機構により体内量が1/2になるまでの時間を生物学的半減期とした場合,セシウム137の生物学的半減期は,約110日とされている。
(ウ) 石榑信人の「内部被曝に関する意見書」によれば,概要以下のとおりの意見が述べられている。
a セシウム137の降下量が最も高い推定値は,長崎の西山地区における900mCi/km2(1cm2当たり3.3ベクレル)と推定されている(なお,核分裂によるストロンチウム90の生成量はセシウム137より少ないので,ストロンチウム90の降下量がセシウム137のそれを超えることは考えにくい。)。一方,広島では,放射性核種が高く検出された己斐,高須地区においても,セシウム137の降下量は3から10mCi/km2と考えられている。
放射性核種によって最も高濃度に汚染された西山地区の被爆者が浦上川の水を,浦上川の表面積で100cm2分(おおよそ1リットル)飲んだと仮定しても,その放射能は,セシウム137,ストロンチウム90のいずれの放射性核種についても330ベクレル以下となる。
b 成人がセシウム137を1ベクレル経口摂取したときに肝臓の受ける線量(等価線量)の50年間の合計は1.4×10の-8乗Sv,ストロンチウム90では6.6×10の-10乗Svであるから,330ベクレル経口摂取した場合の肝臓の受ける線量の50年間の合計は,セシウム137が4.6×10の-6乗(0.0000046)Sv,ストロンチウム90が2.2×10の-7乗(0.00000022)Svとなる。
c 経口摂取されたセシウム137は,そのすべてが胃腸管から血中に吸収され,10%は生物学的半減期2日で,90%は生物学的半減期110日で体外へ排せつされ,10年後には7.3×10の-11乗,すなわち100億分の1以下に減衰することになるとされている。
一方,ストロンチウム90は,経口摂取されたうち30%が消化器系を経由して血中に吸収され,残りは便として排せつされ,血液に1ベクレル注入された場合でも,10年後には軟組織全体に残留しているのは4.0×10の-4乗とされている。1ベクレルを経口摂取した場合には,この値の30%である0.3ベクレルが血中に移行し,10年後には,1.2×10の-4乗ベクレルが軟組織全体に残留し,このうち肝臓(軟組織全体の約30分の1)の10年後の残留率は,4.0×10の-6乗(25万分の1)に減衰する。
(エ) チェルノブイリ原子力発電所事故について
a チェルノブイリ原発の核燃料は,合計180t,ウランだけで3600kg(ウランの濃縮度は2%)であった。そして,チェルノブイリ原発は,事故により炉心が溶け,熱により拡散しやすい揮発性の放射性物質が大量に放出された。300MCiの放射性物質が放出され,そのうち,ヨウ素131は40MCi,短寿命放射性ヨウ素が100MCiであった。
b チェルノブイリ事故では,事故後10年後当たりから甲状腺がんの有意な増加が,20年後当たりから乳がん,肺がんの有意な増加が,30年後当たりから胃がんの有意な増加がみられるようになった。
同事故の一般住民に対する身体的影響は,原爆被爆者の場合とは大きく異なって,甲状腺がんの発生が顕著であり,特に小児甲状腺がんが多数発生した。小児甲状腺がんの主因は,ミルク摂取等を介してのヨウ素131による内部被曝であるとされている。
(オ) 市川定夫「意見書」
a ガンマ線は,飛程距離が長く,放射線の線量が線源からの距離に反比例することから,体外に放射性核種が存在する場合に受ける体外被曝の線量と比べて,体内に入った場合に受ける体内被曝の線量は,格段に大きくなる。
b 飛程距離が短いアルファ線やベータ線(生物組織の中では,アルファ線が0.1mm以内,ベータ線が1cm以内しか透過しない。)は,これらを放出する核種が体内に入ってくると,その放射線のエネルギーのほとんどすべてが吸収される。特にアルファ線の生物効果は大きく,1Gyで10ないし20Svにもなり,短い飛程距離の中で集中的に組織にエネルギーを与えて多くの遺伝子を切断するのみならず,電離密度が大きいために,DNAの二重らせんの両方が切断されて誤った修復をする可能性が増大する。
c 人工放射性核種には,生体内で著しく濃縮されるものが多く,放射性ヨウ素は甲状腺,放射性ストロンチウムは骨組織,放射性セシウムは筋肉と生殖腺というように,核種によって濃縮される組織や器官が特異的に決まっているため,特定の体内部位が集中的な体内被曝を受けることになる。
d 放射性核種が体内に取り込まれると,その核種が体内に沈着・濃縮し,その核種の寿命に応じて体内被曝が続くことになる(例えば,放射能半減期が28年のストロンチウム90が骨組織に沈着すると,ベータ崩壊を繰り返し,また,ストロンチウム90が崩壊して生じるイットリウム90もベータ線を放出するため,長年にわたって,その周辺のベータ線の体内被曝は続く。)。
(カ) 安齋育郎「原爆症訴訟意見書」
a 広島及び長崎の原爆では,核分裂物質(広島ではウラン235,長崎ではプルトニウム239)の原子核分裂反応によって作られた放射能を持った多種多様な核分裂生成物及び未分裂の核分裂物質(広島型原爆に仕込まれた約60kgといわれるウラン235のうち,実際に核分裂反応を起こしたものは700g程度で,約59kg以上のウラン235は未分裂と考えられる。長崎型原爆に仕込まれた約8kgのプルトニウム239のうち,実際に核分裂反応を起こしたものは1ないし1.1kg程度で,約7kgのプルトニウム239は未分裂と考えられる。)が,呼吸や飲食等を介して体内に取り込まれ,人々の内部被曝の原因となった。
b 体内に取り込まれた放射性物質について,その種類,量,体内での沈着部位を時系列的に正確に把握することは困難であり,それに伴う被曝線量の計算も極めて困難である。
また,ウラン235やプルトニウム239は自らアルファ線を出すだけでなく,次々と種類の違う放射性原子に姿を変えながら,アルファ線,ガンマ線,ベータ線等を放出し,周囲の組織に長期間にわたって被曝を与え続けるおそれがある。
さらに,内部被曝の影響については,微小な細胞レベルで生じるため,「吸収線量」や「線量当量」などのマクロな概念によってはその影響を正確に評価することができない可能性がある(例えば,放射線が組織1kg中に与えた平均エネルギーが等しくても,組織全体が平均的に浴びたのか,それとも特定の細胞が集中的に浴びたのかによって影響が異なり得るにもかかわらず,これらの単位は,局所的に生じた被曝について,その影響を1kgの組織全体に対する被曝として平均化してしまう。)。
c 以上のとおり,被爆者らは,原爆が爆発して1分以内に到達する初期放射線を体の外から被曝しただけでなく,その後,放射性降下物からの外部・内部被曝や,土,建造物,衣服,人体等に誘導放射化されて生成された放射性物質からの外部・内部被曝を受けた。したがって,被爆者が受けた放射線の被曝量を評価するためには,1分以内に放射された初期外部放射線に加えて,誘導放射能や放射性降下物による持続的な外部被曝,放射性降下物や未分裂の核分裂物資(ウラン235やプルトニウム239)による内部被曝を全体として評価しなければならないと結論付けている。
(キ) 澤田昭二「体内に取り込んだ放射性物質の影響」
広島型原爆の放射性降下物には,1兆のさらに100兆倍個のウラン235の原子核が含まれており,その中の,例えば酸化ウランの直径1μmの放射性微粒子(この微粒子には,崩壊による半減期約7億年のウラン235の原子核が100億個以上含まれる。)が体内に沈着すると,1か月に1個の割合でエネルギー4MeVのアルファ粒子を放出し,1個のアルファ粒子は微粒子の周辺の半径30μmの球内の細胞にすべてのエネルギーを渡してDNAを数十万か所切断する。微粒子周辺の細胞は,1か月に0.1Svの割合で被曝し続けるが,これを体外から検知することはできない。
長崎型原爆の放射性降下物には,1兆のさらに10兆倍個のプルトニウム239が含まれており,その数は広島型原爆のウランより1桁少ないものの,プルトニウム239の半減期はウラン235の3万分の1と短いため,半径0.1μmの微粒子から放出されるアルファ粒子の数は1日に1.5個に達し,周辺の細胞は毎日0.1Sv以上の被曝をすることになる。
(ク) 澤田昭二「意見書」
a 水溶性(あるいは油溶性)の放射性物質は,微粒子として体内に取り込まれた場合でも,放射性物質が1個の原子又は分子のレベルで血液やリンパ液に溶けて体内全体に広がり,元素の種類によっては特定の器官に集中して滞留することがある。
水溶性(あるいは油溶性)の放射性物質については,尿などの排泄物などに微量の放射性の原子や分子が含まれるため,その測定から身体に取り込んだ放射性物質の量を推定できる。
b 核分裂生成物の1つであるジルコニウム95が酸化した酸化ジルコニウムには,直径1μmの球形微粒子の中に5400万個のジルコニウム95の原子核が含まれ,そこから1日に平均0.7MeVのエネルギーを持つベータ線が60万1956発放出される。
水と同じ比重の組織内で放出されたベータ線は,数十万回以上の電離作用を引き起こしながらエネルギーを失い,平均して0.249cm走って止まる。この時の被曝範囲の組織の体積は0.065立方センチメートル,その重さは0.000065kgとなるから,この球内組織は平均して1日に0.104cGyの被曝をすることになる。
しかし,ベータ線を放出する放射性微粒子が体内に沈着した場合,放射性微粒子が沈着したホット・スポットから放射状に電子が放出され,散乱しながら組織内の電子にエネルギーを与え,ほぼ放射状に電離作用をしながら,最後にエネルギーを失って停止する。直径1μmの酸化ジルコニウムの球形微粒子の場合,そのホット・スポットに接する細胞は,2か月間に10Gyという線量の被曝をすることになり,ほとんどが死んでしまう。そして,死んだ細胞のすぐ外側の細胞もかなり深刻な線量を被曝し,DNAが破壊されたり,誤った修復作用でさまざまな後障害の原因が作られる。放射性微粒子の直径0.1μmの場合の被曝線量は,直径1μmの場合の1000分の1になるが,この場合でも,放射性微粒子の周辺の細胞が影響を受ける。
なお,非水溶性の放射性微粒子が体内に沈着した場合,沈着した部位から,かなり持続的に強い放射線を出し続けるような場合を除き,放射性微粒子を特定することも困難であり,排泄物からその量を推定することもできない。
c 入市被爆者が,爆心地付近に入り,中性子線によって誘導放射化された残留放射能を帯びた微粒子を体内に取り込んだ場合には,入市の時期にもよるが,一般に半減期が数時間以上から数年間,あるいはそれ以上の放射性原子核(特に土埃に含まれる半減期84日のスカンジウム46,半減期5.3年のコバルト60,セシウム134)から放射された放射線による内部被曝が問題となる。
オ 低線量被曝
(ア) Donald A.PierceとDale L.Prestonは,爆心地から3000m以内で,0.5Sv以下の放射線を浴びた被爆者5万人の7000件の発がん症例について,昭和33年から平成6年までの充実性がんの発症率を対象に解析を行った結果,0.05ないし0.1Svという低線量被曝についてのがん発生リスクの有用な推定値が得られた。この推定値は,0ないし2Svあるいは0ないし4Svといったより幅広い線量範囲から算定された線形のリスク推定値によっても,過大評価されておらず,0ないし0.1Svの範囲でも,統計的に有意なリスクが存在した。
(イ) 市川定夫は,ムラサキツユクサの雄蕊毛が1列に並んだ20ないし35の細胞からなり,その発達(細胞数の増加)は,主として頂端細胞の分裂の繰返しによっており(頂端から2番目の細胞も分裂するが通常1回限りである。),また,花色について遺伝的にヘテロの株を用いると,頂端細胞または次頂端細胞で青い素を作る優性遺伝子に突然変異が起これば,その雄蕊毛に隠されていた劣性遺伝子の働きによりピンク色の細胞が現れるという性質を利用して微量放射線と突然変異率の関係を調べた。その結果,0.25radのX線や0.01radの中性子という低線量域までムラサキツユクサの雄蕊毛に現れるピンク色突然変異の頻度と線量の間の直線関係が実験的に確認され,また,0.084Rのガンマ線や0.72Rの錯乱放射線でも,突然変異の頻度と線量との間に比例関係が成り立つことが確認された。
そして,低線量放射線の人体に対する影響について,逆線量率効果(被曝線量が微少である場合,生体が被曝を認識しない結果,生体が放射線の存在を認識したとき働くアポトーシスなど細胞の防御機能が働かないまま放射線を影響を受けてしまうこと)が,人体に対しても起こりうる可能性があることを指摘している。
(ウ) 吉川勲と高辻俊宏は,ガンマ線やX線といった低LET放射線では,低線量率照射による線量当たりの突然変異率の低下といった現象(線量率効果)がみられるのに対し,高LET放射線である核分裂中性子の照射によるマウス培養細胞の試験管内発がんについては,低線量率照射の方が,高線量率照射の約10倍の頻度である(逆線量率効果)との報告があることを指摘し,このような逆線量率効果については,重粒子でも認められており,また,マウスの個体レベルの発がんでも確認されているとしている。
カ 急性放射線症状
(ア) 急性放射線症状と被曝線量との関係
a 明石真言の「放射線による急性障害に関する意見書」によれば,放射線による急性障害は,症状が現れる最小の線量が存在し(しきい線量),これを超えて被曝した場合,被曝線量の増加に比例して影響の発症頻度と重篤度が増加するとされている。
そして,急性放射線症(全身被曝後数週間以内に起こる臨床症状の総称)は,約1Gy以上の線量を体幹など主要な部分に被曝すると起こり,血液・骨髄障害,消化管障害,中枢神経・循環器障害,皮膚障害に分類されることが多い。また,時間的経過から前駆期,潜伏期,発症期,回復期もしくは死亡に分けられる。前駆期は,被曝後数時間以内に現れ,食欲低下・悪心・嘔吐(1ないし2Gyで2時間以降に10ないし50%発症。2ないし4Gyで1ないし2時間内に70ないし90%発症。4ないし6Gyで1時間以内に100%発症。6ないし8Gyで30分以内に100%発症。8Gy以上で10分以内に100%発症)・下痢(4ないし6Gyで3ないし8時間内に10%未満が発症。6ないし8Gyで1ないし3時間内に10%以上が発症。8Gy以上で1時間以内に100%発症)が主な症状であり,被曝線量が高いほど現れるまでの時間が短く,症状が重いとされている。
(a) 血液・骨髄障害
約1Gyを超える被曝により,リンパ球以外の白血球,血小板,赤血球数も減少するとされている。
(b) 消化管障害
約8ないし10Gy以上の被曝で現れ,腸管上皮がその幹細胞の死滅で再生できなくなり,重篤かつ血性の下痢を起こし,水分・電解質の喪失,出血,吸収不良,感染等が生ずるとされている。
(c) 中枢神経・循環器障害
消化管障害・皮膚障害や血管の透過性亢進による水分・電解質の喪失により循環不全が生じ,また,50Gy以上の高線量被曝では,不穏・見当識障害・運動失調・錯乱などが起こるとされている。
(d) 皮膚障害
皮膚障害は,おおよそ2Gyの被曝から現れ,初発症状は発赤であり,引き続き組織の腫脹から生じてくる掻痒感,硬直,針で刺したようなあるいはつねったような感じが現れることがある。その後,線量によっても異なるが,時間の経過とともに脱毛,色素沈着,落屑,水疱,細胞死や疼痛性の潰瘍が現れるとされている。
なお,国際放射線防護委員会による豚等を使った研究結果によれば,一時的脱毛は,しきい線量が3Gyで障害の出現時間が3週間,永久脱毛は,しきい線量が7Gyで障害の出現時間が3週間とされている。
b 草間朋子らの「電離放射線障害に関する最近の医学的知見の検討」によれば,急性放射線症について,概要以下のとおり述べられている。
(a) 血液・骨髄障害については,約0.5Gyを超える全身被曝によりリンパ球数が減少し,約1Gyを超える被曝により,リンパ球以外の白血球,血小板,赤血球数も減少する。
(b) 消化管障害については,約8ないし10Gy以上の被曝で現れ,腸管上皮がその幹細胞の死滅で再生できなくなり,重篤かつ血性の下痢を起こし,水分・電解質の喪失,出血,吸収不良,感染等が生じる。
(c) 循環器障害については,約15Gy以上の被曝で生じ,消化管障害・皮膚障害や血管の透過性亢進による水分・電解質の喪失により2次的にも循環不全が生じる。
(d) 中枢神経障害については,50Gy以上の高線量被曝により,不穏・見当識障害・運動失調・錯乱などが起こる。
(e) 皮膚障害
おおよそ3Gyの被曝により,初発症状である発赤が現れ,引き続き組織の腫脹から生じ,その後,時間の経過とともに脱毛,色素沈着,落屑,水疱,細胞死や疼痛性の潰瘍が現れる。
一過性脱毛は,約3Gyの被曝線量で,14ないし18日の時間で症状が現れ,永久脱毛は,7Gyの被曝線量で,21日程度の時間で症状が現れる。
c 前川和彦と千葉滋は,「急性放射線症候群の診断と治療」において,急性放射線症候群の重症度と急性放射線被曝線量との関係について,概要以下のとおり述べている。
(a) リンパ球数は,0.5ないし0.6Gy以上の全身被曝により減少が認められ,1ないし2Gyの被曝線量では0.8ないし1.5(×10の3乗/mm3),2ないし4Gyの被曝線量では0.5ないし0.8(×10の3乗/mm3),4ないし6Gyの被曝線量では0.3ないし0.5(×10の3乗/mm3),6ないし8Gyの被曝線量では0.1ないし0.3(×10の3乗/mm3),8Gyを超える被曝線量では0.0ないし0.1(×10の3乗/mm3)となる。
(b) 顆粒球数は,1ないし2Gyの被曝線量では2.0(×10の3乗/mm3)より多く,2ないし4Gyの被曝線量では1.5ないし2.0(×10の3乗/mm3),4ないし6Gyの被曝線量では1.0ないし1.5(×10の3乗/mm3),6ないし8Gyの被曝線量では0.5(×10の3乗/mm3)以下,8Gyを超える被曝線量では0.1(×10の3乗/mm3)以下となる。
(c) 血小板は,1ないし2Gyの被曝線量では60ないし100(×10の3乗/mm3),2ないし4Gyの被曝線量では30ないし60(×10の3乗/mm3),4ないし6Gyの被曝線量では25ないし35(×10の3乗/mm3),6ないし8Gyの被曝線量では15ないし25(×10の3乗/mm3),8Gyを超える被曝線量では20(×10の3乗/mm3)未満となる。
(d) 下痢は,1ないし4Gyの被曝線量では症状が現れず,4ないし6Gyの被曝線量では症状が稀に現れ,6ないし8Gyの被曝線量では被曝後6ないし9日に出現し,8Gyを超える被曝線量では被曝後4,5日に出現する。
(e) 脱毛は,1ないし2Gyの被曝線量では症状が現れず,2ないし4Gyの被曝線量では中程度の症状が被曝後15日以降に現れ,4ないし6Gyの被曝線量では中程度ないし完全な症状が被曝後11ないし21日で現れ,6ないし8Gyの被曝線量では完全な症状が被曝後11日以降に現れ,8Gyを超える被曝線量では完全な症状が10日以前に現れる。
d 「電離放射線の非確率的影響」では,急性放射線症候群の重症度と急性放射線被曝線量との関係について,低LET放射線の1回短時間照射の場合,3ないし5Gyの線量で一過性脱毛が起こり,約7Gyの線量で永久脱毛が起こり得る。そして,皮膚に対する放射線の脱毛等の急性効果は,主として表皮の基底層及び毛嚢球の増殖性細胞の傷害とその結果起こる表皮の細胞再生の妨害によるもので,これらの型の傷害が現れるまでの時間は,表皮の対応する細胞コンパートメントにおける細胞の交代の動態と密接に関連しているとしている。
(イ) 急性放射線症状等に関する調査結果
a 「日米合同調査団報告書」によれば,広島では,爆心地から2.1kmないし2.5kmの地域において,屋外または日本家屋内で被爆した1415名中68名(4.8%),ビル内で被爆した12名中1名(8.3%)にそれぞれ脱毛がみられ,防空壕やトンネル内で被爆した1名には脱毛が認められなかった。
また,長崎では,爆心地から2.1kmから2.5kmの地域において,屋外または日本家屋内で被爆した515名中37名(7.2%),ビル内で被爆した35名中1名(2.9%),防空壕やトンネル内で被爆した110名中2名(1.8%)にそれぞれ脱毛又は皮下出血が認められた。
b 上記日米合同調査団の資料を分析した「広島・長崎の原爆災害」によれば,原子爆弾放射能症の頻度と経過について,概要以下のとおり報告している。
(a) 悪心・嘔吐・食思不振は,被爆直後早いものでは30分から3時間,大多数が24時間以内に認められ,被爆当日に発症した者が広島では71%,長崎では69%を占めた。これらの平均持続期間は,広島で2.3日,長崎で2.7日であった。発現頻度は,爆心地から1.0km以内で,嘔吐が広島で35%,長崎で27%,食思不振が広島で48%,長崎で37%であり,5.0km以遠では嘔吐が1ないし2%,食思不振が5ないし7%となった。
(b) 下痢の頻度は,20日生存者で,広島では37%,長崎では33%であり,1.0km以内の被爆に限るとそれぞれ50%,43%であった。広島では,5.0kmを超えても30%の頻度があった。血性下痢に限定した場合,広島では1.0km以内が11.0%,5.0km以遠が1.0%となった。下痢症状のある20日生存者(広島2500名,長崎2100名)のうち,血性下痢の割合は,広島では16%,長崎では13%であった。
(c) 出血斑ないし点状出血は,早い場合第3日にみられるが,発現のピークは第20ないし第30日,平均25日である。発症頻度は,広島の1.0km以内で49%,5.0km以遠で0.5%であり,1.5kmを超えると激減する。
(d) 脱毛は多くの場合に出血斑より早く,被爆後2週間ころに突然始まり,距離・遮蔽に相関する。広島の場合,1.0km以内の被爆者での発現時期は平均17.2日,1.5ないし2.0kmの被爆者では28.1日であった。発症頻度は,1.0km以内では広島が69%,長崎が32%,3.0km以遠では両市ともほぼ2%であった。同じ1.0km以内でも,戸外または木造家屋内で被爆した場合,広島で76%,長崎で45%,コンクリート建物内での被爆では,広島で53%,長崎で21%となる。脱毛は1ないし2週間続き,8ないし10週間後に再生が始まる。
c 梶谷鐶らの「原子爆弾災害調査報告(広島)」によれば,東京帝国大学医学部診療班は,爆心地から3km以内の4406名(男2063名,女2343名)を対象として,放射能傷(脱毛,皮膚溢血斑,壊疽性又は出血性口内炎症のうち一症状以上を示したものとする。)発生頻度を調査した。
その結果,別紙4の表1のとおりであり,放射能傷の発生頻度は,爆心地から1km以内の地域では80%以上であったが(この地域では負傷者の大多数は死亡しているから実際はさらにその頻度が高いと考えられる。),1kmを超える地域では急激に減少し,2ないし2.5kmでは10%以下となった。
また,遮蔽状況と脱毛発現率との関係については,別紙4の表2のとおりであり,脱毛の発現率は,屋外開放のもの,屋外蔭にあったものが最も高く,コンクリート建物内のものが最も低く,木造家屋内のものはその中間率を示した。
d 於保源作の「原爆残留放射能障碍の統計的観察」によれば,昭和32年1月から同年7月までの期間,広島市内の一定地区(爆心地から2kmないし7kmに及ぶ地域)に住む被爆生存者全部(3946名)を対象に,被爆条件,急性原爆症(熱火傷,外傷,発熱,下痢,皮粘膜出血,咽頭痛,脱毛)の有無及び程度,被爆後3か月間の行動等を各個人毎に調査したところ,概要以下の結果が得られた。
直接被爆者では,被爆距離が短いほど急性原爆症の有症率が高く,反対に被爆距離が長いほど有症率が低くなった。
原爆直後中心地に出入りした屋内被爆者の場合,被爆距離別の有症率は,被爆距離の延長に従って低率を示さず,また,急性原爆症の各症候の距離別発現率も被爆距離に反比例して整然と低下はしなかった。
また,屋内被爆者のうち,原爆直後(被爆後3か月間)に中心地(爆心地から1.0km以内)に入らなかった者の有症率は平均20.2%であったが,中心地に入った者の有症率は平均36.5%であり,屋外被爆者のうち,原爆直後に中心地に入らなかった者の有症率は平均44.0%であったが,中心地に入った者の有症率は平均51.0%であった。以上から,屋外被爆者は屋内被爆者に比べて有症率が高く,爆発直後に中心地に入った者の有症率が,入らなかった者の有症率より高かった。
非被爆者で原爆直後に広島市内に入ったが,中心地には出入りしなかった104名には,その直後急性原爆症らしい症候は認められなかったが,原爆直後に中心地に入り10時間以上活動した人々では,その43.8%が急性原爆症同様の症状を惹起した。他方,原爆の1か月後に中心地に入った者の有症率は極めて小さかった。
e 横田賢一らの「長崎原爆における被爆距離別の急性症状に関する研究」によれば,長崎市の被爆距離が3.5km以内の被爆者3000人を対象に,被爆距離別の急性症状の発症頻度やその内容について解析を行ったところ,3000人のうち嘔吐,下痢,発熱,脱毛等の症状があった人は,全体の36.2%(1086人)であり,被爆距離が1.5km未満では約60%の人に症状が認められ,また,被爆距離が離れるに伴い症状の頻度は減少し,1.5kmないし1.9kmでは40%,2.0km以遠では30%以下になった。症状内容は,下痢(26%),発熱(18%),脱毛(12%),歯肉出血(10%),嘔吐(10%),皮下出血(7%),口内炎(7%),鼻出血(5%),その他の症状(5%)となった。
また,「被爆状況別の急性症状に関する研究」によれば,横田らは,被爆距離が4km未満の1万2905人(男性5316人,女性7589人)を対象に,遮蔽状況を考慮した急性症状の発症頻度,発症時期及び症状の程度について調査を行った。
同調査によれば,急性症状があったのは4685人(36.3%。男性38.1%,女性35.1%)であった。症状の内容は,下痢(21.8%),発熱(14.6%),脱毛(10.5%),歯肉出血(8.1%),嘔吐(8.5%),皮下出血(5.6%),口内炎(5.6%),鼻出血(4.1%),その他の症状(3.9%)となった。
脱毛の頻度は,遮蔽ありの場合で,被爆距離1.0kmないし1.4kmで26.6%,1.5kmないし1.9kmで8.9%,2.0kmないし2.4kmで5.5%,2.5kmないし2.9kmで2.8%であった。一方,遮蔽なしの場合,被爆距離1.0kmないし1.4kmで41.8%,1.5kmないし1.9kmで18.4%,2.0kmないし2.4kmで12.5%,2.5kmないし2.9kmで8.6%であり,2km以遠でも遮蔽の有無により発生頻度に差がみられ,被爆距離との相関も認められた。
f 濱谷正晴は,昭和60年に実施された1万3168人に対する原爆被害者調査に基づき,有効な回答が得られた6744人の調査票を分析し,概要以下の結果を得た。
(a) 直接被爆者のうち急性症状があった者の割合は,爆心地から1km以内では82.8%,1kmを超えて2km以内では70.3%,2kmを超えて3km以内では54.0%,3km超では40.5%であり,被爆距離が爆心地に近づくにしたがってその割合が規則的に増大している。
また,入市被爆者でも38.8%,救護被爆者にも28.6%の比率で急性症状が発症している。
(b) 急性症状の内容としては,下痢が48.9%,ひどいだるさが44.3%,食欲不振が43.8%,めまいが34.0%,発熱が33.5%,吐き気が33.4%,脱毛が33.2%,頭痛が31.5%である。
また,急性症状の個数を5段階(「1ないし2個」「3ないし4個」「5ないし7個」「8ないし10個」「11ないし16個」)に区分し,被爆状況及び被爆距離との関連を分析したところ,「1ないし2個」の者は被爆距離が爆心地から遠ざかるほど増大し,「5個」以上あった者は,被爆距離が爆心地に近づくにつれて,その比率が規則的に増大しており,急性症状の個数(急性症状の重さ)という観点でも,被爆距離との間に関連性がある。
(c) 被爆直後に急性症状があった者は,なかった者に比べて,①「しばしば(くりかえし)入院」率が2.3倍,「しばしば通院」率が1.6倍,「長期入院」率が1.5倍,②「ぶらぶら病があった者」の割合が2.2倍,③被爆したために「すっかり」健康状態が変わった者の割合が6.1倍,④「病気したり体の具合が悪くなったときに死の恐怖を感じた者」の割合が1.8倍,それぞれ高くなった。
また,急性症状の個数(急性症状の重さ)との対比でも,急性症状の個数が少ない方から多くなるにつれて,健康状態の悪化を示す上記各比率が,ほぼ規則的に増大する。
(d) 健康状態を示す上記4つの指標(①入通院の頻度,②ぶらぶら病,③健康喪失感,④死の恐怖)の組み合わせにより,病態類型を「Ⅳ」(4つの指標すべてに該当),「Ⅲ」(4つの指標のうち3つに該当),「Ⅱ」(4つの指標のうち2つに該当),「Ⅰ」(4つの指標のうち1つに該当),「0」(4つの指標すべてに不該当)の5つの類型を設定し,被爆直後の急性症状との関連を検討すると,急性症状があった者は,病態Ⅳが38%,病態Ⅲが28%に上がり,他方,急性症状がなかった者は,病態Ⅰが25%,病態Ⅱが32%であり,急性症状があった者は,明らかにその後の病態が重くなっている。
また,急性症状の個数が多かった(急性症状が重かった)者ほど,病態Ⅳの割合が規則的に増大しており,病態Ⅳ及びⅢの合計で見ると,急性症状が5ないし7個あった者はその78%,8ないし10個あった者はその85%,11個以上あった者はその90%以上の割合を占めており,被爆直後に急性症状があった者,そしてその症状数が多かった者ほど,その後の病態がより重かった。
g 「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係」によれば,馬渕清彦らは,放影研で行っている寿命調査の対象者である被爆者のうち,被曝線量の推定されている広島,長崎合わせて8万6632人を対象に,面接の方法により急性症状について調査したところ,脱毛の陽性(原爆後60日以内に起こったと報告された脱毛)を報告した被爆者数は,広島で対象者5万8500人中3857人(うち重度(2/3以上)1120人),長崎で対象者2万8132人中1349人(うち重度287人)であった。
両市について,爆心地から500m毎の脱毛の頻度を求めたところ,爆心地から2km以内での脱毛の頻度は,爆心地に近いほど高く,爆心地からの距離と共に急速に減少し,2kmから3kmにかけて緩やかに減少し(3%前後),3km以遠でも少しは症状が認められているが(約1%),ほとんど距離とは独立であった。
脱毛の程度については,遠距離にみられる脱毛のほとんどすべてが軽度(1/4未満)であったが,2km以内では重度の脱毛の割合が高かった。
以上の結果によれば,3km以遠の脱毛が,放射線以外の要因(ストレス,食糧事情等)を反映している可能性が示唆される。
h 筧弘毅の「広島市における原子爆弾被爆者の脱毛に関する統計」によれば,日米合同の原爆災害調査団は,昭和20年10月に,広島における原爆の被害状況を調査したところ,調査人員5120名中原子爆弾放射線症は909例あり,そのうち707例に脱毛が認められた。脱毛出現最大距離は,爆心地から水平距離2.8kmで,全脱毛者の約90%は被爆時に爆心から2km以内であった。爆心地から1km以内の出現率は70%以上,1.1kmないし1.5kmでは27.1%(947名中257名),1.6kmないし2.0kmでは9.1%(1474名中134名),2.1kmないし2.5kmでは6.5%(1156名中75名),2.6ないし3.0kmでは1.8%(502名中9名)であった。
i 安齋育郎の「原爆症訴訟意見書」では,放射線被曝と脱毛との関係について,昭和29年3月1日にビキニ環礁で行われたアメリカによる水爆実験の際に,爆心から160km離れた海域にいた日本のマグロ延縄漁船「第五福龍丸」に放射性核分裂生成物が降り注ぎ,23人の乗組員に急性放射線障害をもたらしたところ,ビキニ環礁における水爆と広島型原爆ではその爆発威力は約1000倍の違いがあるとはいえ,広島・長崎でも周囲数kmの地域に強い放射性物質の降下があったであろうことは合理的に推定されるとしている。
また,入市被爆者についても,長崎に原爆が投下された後の昭和20年9月23日から昭和21年春ころにかけて,最大時約1万人のアメリカ海兵隊員が瓦礫の片付けなどのために長崎に駐屯したところ,その中に,多発性骨髄腫と呼ばれる放射線障害が複数事例発生したことが指摘されている。
j 家森武夫(以下「家森」という。)の「原子爆弾症(長崎)の病理学的研究報告」によれば,家森らは,昭和20年9月14日から約1週間,長崎において13例の病理解剖を行ったところ,①爆心地から約1.5kmの屋内で被爆した男性(当時26歳)は,発熱及び咽頭痛を訴えており,食欲不振,後頭部の著明な脱毛,4日間の鼻出血が認められ,9月19日に死亡した。また,②爆心地から約2kmの木造家屋内で被爆した女性(当時36歳)は,全身に倦怠感が認められ,9月15日に死亡した。③同じく爆心地から約2kmの屋内で被爆した女性(当時21歳)は,被爆後,早朝に全身倦怠,食欲不振,発熱,下痢等が認められ,その後,めまい,悪心,咽頭痛,貧血,点状出血等も現れ,ヘモグロビンが65%,白血球2400となり,9月10日に死亡した。そして,④爆心地から約3km地点で被爆した女性(当時11歳)は,被爆の際に家屋の下敷きとなって右足を骨折したものの,被爆後10日程度元気であったが,その後,咽頭痛,点状出血,発熱が現れ,さらに歯茎の腫脹出血と食欲不振が現れ,9月16日に死亡した。
いずれも,亞急性原子爆弾症のために死亡したものと考えられるとの所見が述べられている。
k 牟田喜雄の「2004年くまもと被爆者健康調査プロジェクト04」によれば,牟田医師は,遠距離・入市被爆者の健康障害の実態を解明することを目的として,平成16年6月から平成17年3月まで,58歳以上の熊本県内在住者のうち,被爆者278名,非被爆者530名について疾患発症状況を調査したところ,2km以遠の被爆または入市被爆のみの群(1群。220名)のうち65%の者が何らかの急性症状を示唆する症状があったと回答した。多かった回答は,ひどいだるさ,下痢,食欲不振,吐き気,発熱であり,12.7%の者が脱毛,2.7%の者が歯が抜けたと回答した。
入市被爆のみの群(2群。34名)では71%の者が上記症状があったと回答した。症状は,下痢,ひどいだるさ,食欲不振,吐き気,発熱,頭痛であり,8.8%の者が脱毛,2.9%の者が歯が抜けたと回答した。
また,性・調査時年齢を個別マッチさせて,被爆者と非被爆者の1:1ペアを278組作って悪性腫瘍等の疾患の発症状況を比較したところ,1群の男性,男女計において,個別マッチした非被爆者に比して悪性腫瘍(がん)の発生者数が約2倍多く,女性では,発症者数が10:7と被爆者の方が多い結果となった。2群についても,被爆者の方が,個別マッチした非被爆者に比して悪性腫瘍(がん)の発生者数が多く,統計学的に有意であるとの結果が得られた。
さらに,悪性腫瘍(がん)のなかでは,1群の男性,女性,男女計のいずれかにおいて大腸がん,胃がん,肺がん及び多重がん(複数のがんを発症)が個別マッチした非被爆者に比して,被爆者の発症者数が多く,2群の男女計で,胃がんの発症者数が個別マッチした非被爆者に比して被爆者の方が多く,いずれも統計学的に有意な結果が得られた。
l 「ヒロシマ・残留放射能の四十二年」によれば,昭和20年8月6日の原爆投下直後に召集され,同日深夜から同月7日昼ころにかけて西練兵場(爆心地から西練兵場の西南端までは約150m)に到着し,同日ころから第1,第2陸軍病院,大本営跡,西練兵場東側,第11連隊跡付近で作業に従事した加茂郡北部防衛隊(いわゆる賀北部隊)所属の隊員99名に対するアンケート調査等の結果,急性症状を発症した人数は32名であった(うち10名が2症状,3名が3症状を呈していた。)。急性症状の内訳は,出血が14人,脱毛が18人,皮下出血が1人,口内炎が4人,白血球減少症が11人であった。このうち,放影研は,脱毛6人(うち3分の2以上頭髪が抜けた者が3人),歯齦出血5人,口内炎1人,白血球減少症2人について(これらのうち2人は脱毛と歯齦出血の両症状が現れていた)ほぼ確実な放射線による急性症状があったとしている。
m 島方時夫らの「三次高等女学校の入市被爆者についての調査報告書」によれば,昭和20年8月19日から同月25日までの間,広島市内に入って被爆者の救護にあたった広島県三次市の三次高等女学校の200名を超える学生について,平成16年4月以降,これらの者の入市被爆の実情や健康状態を調査したところ,被爆者救護隊として本川国民学校へ配置された20数名のうち氏名等が判明したのは23名であり,平成17年12月31日時点で死没者が13名,生存者が10名で,生存者の割合は43%であり,簡易生命表における生存者の割合(83.7%)に比べて非常に低く,若年時からの死亡例がみられ,死因が判明した11名のうち,がん性の疾患により死亡した者が7名を占め,生存者10名のうち6名に急性症状の発症があったとの結果が得られた。
2 放射線起因性に関する判断(一般論)
(1) DS86及びDS02について
ア 初期放射線量について
(ア) 前記1(2)ア記載のとおり,DS86による初期放射線量の推定は,絶対的評価方法と相対的評価方法を用いて広島型原爆の出力(15kt。DS02では16kt)を推定し,当該推定出力を基に,原爆が爆発する際の即発中性子線及び即発ガンマ線のエネルギー分布等(線源項)をモンテカルロ計算法により算定した上で,原子爆弾から放出される即発中性子線,即発ガンマ線及び空気捕獲ガンマ線の空中伝播計算を行って,非遮蔽状況での空気中組織カーマを求めるというものである。なお,上記線源項の評価に当たっては,広島型原爆の構造及び形状,核分裂時の爆弾の角度を考慮するとともに,広島型原爆のレプリカを用いて行われた測定値との比較も行われている。また,放射線の空中伝播計算においても,爆心地,爆発高度(DS86では580m。DS02では600m),当時の気象条件等を設定した上で,2次元離散座標放射線輸送計算法及びモンテカルロ計算法を併用して計算が行われている。
(イ) 上記計算に基づく計算値と熱ルミネッセンス測定によるガンマ線,リン32による速中性子及びコバルト60等による熱中性子の各測定値との間には不一致が認められ,また,測定値のカイ2乗フィットによる解析の結果等から,計算値と測定値との乖離を問題とする見解もあるところ,この点については,DS02の作成に際して再評価が行われている。
すなわち,ガンマ線の計算値と測定値との関係については,DS86では,測定値が計算値より約7%ほど高かったが,DS02では,すべての距離を平均すると,測定値は計算値に一致し,特に,広島市における測定値とDS02による計算値は,爆心地に近いほど一致していた。また,広島市の遠距離では,測定値が計算値を依然として上回っているが,広島・長崎の試料に基づく測定による推定バックグラウンド線量(約0.1Gyないし0.33Gy)とこれに対応する広島型原爆の全空気中ガンマ線量の計算値の地上距離(0.1Gyで約1.9km,0.33Gyで約1.6km)との関係からするならば,爆心地から約1.5km以遠の地上距離における原爆ガンマ線量は,バックグラウンド線量と同程度であって,ガンマ線測定値は,推定バックグラウンド線量に影響を受けていると考えられる。
また,熱中性子の計算値と測定値との関係についても,DS02では,コバルト60,ユーロピウム152,塩素36の測定値の検討がなされている。まず,コバルト60については,1.3km以内では,DS02の計算値と測定値が概ね一致しており,1.3km以遠ではバックグラウンド線量との区別が困難となっている。次に,ユーロピウム152については,バックグラウンドの影響を排除した測定値とDS02に基づく計算値との間に一致が認められた。さらに,塩素36については,地上距離1.1km以内では,測定値とDS02の計算値との一致が認められたが,それ以遠では,バックグラウンドの影響のために鑑別困難となった。
そして,速中性子の計算値と測定値との関係については,リン32及びニッケル63の測定値の検討がなされた。リン32については,過去の測定値に基づき検討がなされたが,直線距離0.5km以内では,DS86及びDS02の計算値と測定値の一致が認められた。また,ニッケル63については,推定バックグラウンド線量(ただし,宇宙線量によるニッケル63の計算値のみでは説明できない。)を差し引いた測定値とDS02に基づく計算値との一致が認められるとともに,液体シンチレーション法による雨樋試料のニッケル63の測定値にバックグラウンド及び時間経過の補正等を行って得られた結果とも合致している。
(ウ) 以上に基づき検討すると,DS86では,線源項の評価をするに当たり,単に計算上の数値のみではなく,広島型原爆のレプリカを利用した測定値との比較等を通じてその相当性を検討しており,その数値については一定の信頼性が認められるというべきである。そして,当該線源項の評価を基に,爆心地,爆発高度,気象条件等を考慮の上,放射線の空中伝播計算が行われているところ,DS02におけるガンマ線量及び中性子線量の再計算による検証の結果によれば,DS86の計算結果とDS02による計算結果とでは,多少の誤差はあるものの,その数値は概ね一致している。また,当該計算結果は,爆心地から離れるほど測定値との間に不一致が認められるものの,DS02作成の際に行われた上記放射線量の測定値及び検討結果からするならば,当該不一致の要因にはバックグラウンドの影響等があるものと考えるのが合理的である。したがって,原爆の放射線量とバックグラウンド線量による影響の区分が困難となる爆心地から約1.3kmないし約1.5km以内の範囲においては,DS86ないしDS02による初期放射線量の計算値には,相応の合理性があるものと解するのが相当である。爆心地から約1.5km以遠の初期放射線量の計算値と測定値との間の不一致については,その計算値が過小評価となっている可能性は否定できないものの,その不一致がバックグラウンド線量による影響等が要因となっていると考えられることからすれば,DS86ないしDS02の初期放射線量の計算値の合理性を否定するものとまではいい難い。
イ 放射性降下物について
(ア) DS86では,放射線降下物による広島市の己斐,高須地区における累積的被曝(爆発1時間後から無限時間までの被曝線量)について1Rないし3R,吸収線量は約0.006Gyから約0.02Gyの範囲とされた。また,同じく長崎市の西山地区での累積的被曝については,20Rないし40R,吸収線量は0.12Gyないし0.24Gyの範囲とされた。
(イ) 原爆投下直後から行われた上記広島・長崎における放射能測定の調査結果等によれば,広島の己斐,高須地区及び長崎の西山地区において高い放射能が測定されており,また,上記原爆爆発後の降雨状況等についての調査結果によれば,当該地域において,原爆爆発後に1時間ないし2時間にわたって黒い泥分の多い雨が激しく降っていることが認められる。以上の調査結果によれば,上記地域に降った雨には多くの放射性降下物が含まれていたものと推測される。
もっとも,放射性降下物の範囲を上記地域に限定することには疑問が残るといわざるを得ない。すなわち,前記宇田らの報告によれば,広島市西方の己斐・高須地区において「黒い雨」の降雨量が多かったことが報告されているが,その他の地域でも降雨があったことは否定されておらず,前記気象シミュレーション法によるシミュレーションの結果によっても,「黒い雨」の降雨域は,ほぼ上記地域と一致しているということができるが,他方で,上記地域から一部はみ出している部分も存在し,また,原爆雲からの放射性降下物の乾燥落下の地域は,上記降雨域を越えているとの計算結果となっている。そして,前記増田の行ったアンケート調査等の結果によれば,上記地域以外の地域においても,いわゆる「黒い雨」が降ったことが報告されており(降雨の程度には違いがある。),前記藤原らの調査では,上記地域以外の地点から相対的に高い放射能が測定されているほか,静間らの調査でも,セシウム137の沈着と降雨域の比較を行った結果,上記地域以外の地域でセシウム137が検出されるなどしている。そもそも,核分裂の際の核分裂生成物及び未分裂の核分裂性物質である放射線降下物は,「黒い雨」として地表に降下するものに限られるものではなく,すすや塵となって降下する放射線降下物も存在することなどに照らすならば,上記地域以外の地域においても,「黒い雨」やすす,塵として,一定程度の放射性降下物の降下があった可能性は否定できないというべきである。
(ウ) そして,DS86の放射性降下物による累積的被曝線量及び吸収線量は,原爆投下の3日後から行われた放射能調査の測定値を基礎とするものであるところ,昭和20年10月3日の日米合同調査団による調査以降の測定値は,広島の己斐・高須地区で0.6Rないし3Rであり,長崎の西山地区で24Rないし43Rとなっている。
しかしながら,放射線量は,経過時間(t)にともなってtの-1.2乗の割合で減衰する(減衰の法則)ものであるところ,仮に,原爆爆発後1時間後から無限時間までの線量を積算したとしても,その大部分は,原爆爆発後数日間の放射線量であると考えられる。そして,原爆投下後の3か月間に広島では900mm,長崎では1200mmの大量の降雨があり,両市とも昭和20年9月17日に台風の来襲があり,広島は同年10月9日にも2回目の台風の来襲があったことからするならば,これらの風雨により放射性堆積物が散乱した可能性は十分に考えられるところであって,これらの風雨以降に測定された測定値に基づき計算された放射線量は,現実の放射線量に比べて,過小に評価されている可能性が否定できない。
(エ) 以上によれば,放射性降下物による被曝線量の推定に際しては,広島市の己斐・高須地区及び長崎市の西山地区の滞在者のみに限定すべきではなく,上記以外の地域の滞在者であっても,実際に「黒い雨」やすす,塵を直接浴びたか否か,どの程度浴びたか,また,直接「黒い雨」等を浴びていなかったとしても,「黒い雨」等の放射性降下物が降下した地域にどの程度滞在したかといった事情に加え,後述する急性放射線症の有無,内容及び程度をも斟酌した上で総合的に判断すべきである。
ウ 誘導放射能について
(ア) DS86では,広島の土壌の実験的放射線照射による放射化のデータ及び広島・長崎の土壌等の放射能測定結果に基づき,広島における誘導放射能による潜在的最大被曝が約80R,吸収線量の上限値は約0.5Gy,長崎における潜在的最大被曝が約30Rないし40R,吸収線量の上限値は約0.18Gyないし0.24Gyとした。
(イ) 上記推定値は,広島及び長崎で実際に採取した土壌並びに建築材料の試料として選択した屋根瓦,煉瓦,アスファルト,木材及びコンクリート・ブロック片を用いて測定した数値等に基づき得られたものであり,一定の合理性が認められる。
もっとも,推定値の算定に用いられた土壌については,広島及び長崎で実際に採取されたものであるが,上記建築材料は,広島及び長崎における原爆投下当時の実際のものではなく,その量及び分布等も当時のものとは異なるのであるから,上記推定値の信頼性についても一定の限界があることは否定できない。実際に,前記藤原らが昭和20年9月から3回にわたり行った放射能の測定によれば,鉄筋コンクリート建造物では,放射能が比較的強い場合があること,爆心地から南東1km地点の建物内部に灰塵(主として塗り漆喰の焼け落ちたもの)が積もっていたときの測定値に比べ,建物内部が清掃され灰塵が棄て去られた後の測定値が激減しており,同灰塵が放射化していたことがうかがわれること,また,人体を構成する物質の中にも誘導放射化する物質が含まれていることなどからするならば,実際の誘導放射能による放射線量が,上記推定値どおりであったかは疑問が残るところであり,建築材料等の量及び分布等によっては,上記DS86の推定値以上であった可能性が高いものというべきである。
エ 内部被曝について
(ア) DS86では,長崎の西山地区の住人について,セシウム137に限定して内部線量の推定が行われ,当該測定結果に基づき推定された昭和20年から昭和60年までの40年間の内部線量は,男性で10mrem(0.1mSv),女性で8mrem(0.08mSv)であった。
(イ) 上記測定に基づく内部被曝による推定線量には,一定の合理性があることが否定できない。
もっとも,体内に取り込まれた放射性物質については,放射性崩壊による物理的減衰とともに排泄機構による生物的減少によって,減少するものと解される一方で,放射性ヨウ素は甲状腺,放射性ストロンチウムは骨組織,放射性セシウムは筋肉と生殖腺というように,放射性核種によって濃縮される組織や器官が特異的に決まっているため,特定の体内部位が集中的な体内被曝を受ける可能性があることも否定できない。このような集中的な体内被曝の影響については,なお未解明な部分も多く,また,微小な細胞レベルで生じるため「吸収線量」や「線量当量」などのマクロな概念によっては正確に評価することができない可能性もあることから,直ちに,内部被曝による影響を軽視すべきではない。
オ 低線量被曝について
低線量被曝については,充実性がんの発症率の解析から,統計的に有意なリスクが存在するとの見解もあり,また,ムラサキツユクサの雄蕊毛に対する微量放射線の照射実験から,人体に対する影響の可能性を示唆する見解も存在する。もっとも,低線量被曝の人体に対する影響については,必ずしも十分な実証があるとは認められず,また,逆線量効果についても,高LET放射線である核分裂中性子の照射によるマウス培養細胞及びマウスの個体レベルの発がんで確認されているにとどまる。したがって,低線量被曝の人体に対する影響については,直ちにこれを軽視すべきではないが,なお,慎重な判断を要するものというべきである。
(2) 審査の方針について
ア 前記のとおり,放影研では,寿命調査集団(昭和25年に設定),成人健康調査集団(昭和33年に設定)等を調査対象とし得られたデータを用いて求められた特定の疾患についての放射線による寄与リスク(曝露者中におけるその曝露に起因する疾病などの帰結の割合を示す指標)に基づき原因確率(疾病等の発生が,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率)を定め,放射線起因性に係る「高度の蓋然性」の有無を判断する基準としている。
なお,上記寄与リスクを求めるに当たっての原爆放射線による被曝線量の算定には,DS86による推定被曝線量が利用されている。
イ(ア) 審査の方針で用いられている原因確率の基礎となった研究は,寿命調査集団(昭和25年に設定。当初9万9393人で平成11年当時12万0321人)及び健康調査集団(昭和33年に設定。当初1万9961人で昭和52年に2万3418人へ拡大)を対象として放影研が実施した疫学調査のデータ(死亡率調査については昭和25年から平成2年まで,がん発生率調査については昭和33年から昭和62年まで)を用いているものであるところ,確かに寿命調査集団が設定されたのは原爆投下から5年後,健康調査集団が設定されたのは原爆投下から13年後ではあるが,その調査規模及び調査期間からするならば,決して不十分なものとはいえない。
そして,上記データは,ポアソン回帰分析の手法を用いて内部比較法によるリスク推定が行われているところ,当該手法によれば,被曝線量と死亡(罹患)率との関係を関係式で表すことが可能となり,必ずしも正確な非曝露群のデータが得られなくても,曝露要因での死亡(罹患)率の値を推定することができ,これと任意の曝露要因量での死亡(罹患)率とを対比することによって,相対リスク等を得ることができると考えられているのであって,当該手法によるデータの解析は十分合理的な手法であると解することができる。
もっとも,上記の調査集団の設定時期からすれば原爆投下から5年以内に死亡した者のデータが欠落しているなどの問題があること,寄与リスク自体は,当該疾病が原爆放射線によるリスクの程度を表すものであり,因果関係を判断するに当たっての指標となり得るものではあるが,飽くまで統計的な確率であり,現に発症した疾病につき,原因確率が低い,あるいは原因確率が設定されていないというだけで当然に放射線起因性が否定されるものではないこと,必ずしも最新の疫学的,統計的及び医学的知見が反映されているとはいい難いことなどからすれば,原因確率を機械的に適用すべきではなく,当該申請疾病につき,当該申請者の具体的状況を総合的に勘案して,個別に放射線起因性を判断すべきものである(このような判断の仕方については,審査の方針自体も同様の趣旨を定めているところである。)。
(イ)a そして,審査の方針における原因確率の基礎となっている寄与リスクの算定に当たりDS86による推定被曝線量が利用されているところ,DS86による推定被曝線量のうち,少なくとも爆心地から約1.3kmないし約1.5kmの範囲における初期放射線量の推定値については,相応の合理性が認められることは前記のとおりである。
b また,放射性降下物による被曝線量について,DS86では,広島市の己斐,高須地区における吸収線量を0.006Gyないし0.02Gyとし,長崎市の西山地区における吸収線量は0.12Gyないし0.24Gyとしており,審査の方針でも,このDS86の推定被曝線量を基に,原爆投下の直後,広島においては己斐又は高須,長崎においては西山3,4丁目又は木場に滞在し,又はその後,長期間に渡って当該地域に居住していた場合,前者については0.6ないし2cGy,後者については12ないし24cGyとしている。
しかしながら,増田らの降雨域調査や静間らのセシウム137の沈着の調査等からするならば,放射性降下物が降下した地域は,広島の己斐・高須地域及び長崎の西山地区に限られるものではなく,当該地域よりも広範囲に及んでいた可能性があること,そして,放射性降下物の放射線量の減衰の速度,原爆投下後の降雨や台風影響等に照らすならば,DS86による推定被曝線量は過小評価されている可能性があることは前記のとおりであり,DS86を基礎として作成された審査の方針における放射性降下物の被曝線量については,直ちにこれを前提とすることには疑問が残るものといわざるを得ない。
c そして,誘導放射能による被曝線量について,DS86では,広島の土壌の放射化のデータ及び広島・長崎の土壌の放射能測定結果に基づき,広島における誘導放射能による潜在的最大被曝が約80R,吸収線量の上限値は約0.5Gy,長崎における潜在的最大被曝が約30Rないし40R,吸収線量の上限値は約0.18Gyないし0.24Gyであるとしているところ,審査の方針では,これらの推定被曝線量に基づき,被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて被曝線量を定めている。
しかしながら,DS86による推定値は土壌の誘導放射能による被曝線量であるが,誘導放射化される物質は土壌に限られるものではないのであって,前記検討のとおり,DS86を基礎とする審査の方針における誘導放射能による被曝線量は過小評価されている可能性が否定できない。
d さらに,審査の方針においては,内部被曝による影響が考慮されていないが,放射性核種の身体の特定部位への集中,濃縮による被爆の影響については,放射性物質の物理的減衰及び生物的減少による生物学的半減期によって十分に説明し尽くせない面があることは否定できない。
したがって,審査の方針が,内部被曝による影響を考慮していない点についてはなお疑問が残るものといわざるを得ない。
ウ 以上によれば,審査の方針は,一定の合理性が認められることは否定できないものの,他方で,放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量において過小評価されている可能性があること,内部被曝の影響について十分な検討が尽くされていないことなどに照らすならば,審査の方針による放射線起因性の判断を唯一絶対的なものと解することについては,なお躊躇せざるを得ない。
このことは,遠距離被爆者及び入市被爆者に急性放射線症の症状が現れていることからも推察することができるというべきである。すなわち,急性放射線症は,放射線に被曝することにより血液・骨髄障害(白血球等の減少),消化管障害(血性の下痢,出血等),中枢神経・循環障害,皮膚障害(掻痒感,脱毛等)の症状を呈するものであるところ,原爆投下直後に行われた日米合同調査団による調査等によれば,このような症状が現れた被爆者は,爆心地から1.5km以遠においても少なからず存在したことが確認されている。確かに,急性放射線症の症状を呈した者の多くは,原爆投下時に,爆心地から1km以内の地域に滞在していた者であり,爆心地から1km以遠では,急性放射線症の症状を呈する者の数が急速に減少する傾向にあることは明らかである。しかしながら,爆心地から5km以遠においても,下痢のあった者が1%,点状出血等のあった者が0.5%,脱毛のあった者が2%認められているし,家森らが行った13例の病理解剖の結果においても,爆心地から約1.5kmの屋内で被爆した男性に,発熱,咽頭痛,食欲不振,後頭部の著明な脱毛及び4日間の鼻出血等の症状がみられ,爆心地から約2kmの屋内で被爆した女性には,早朝に全身倦怠,発熱,下痢,悪心,咽頭痛,貧血,点状出血,ヘモグロビン・白血球の減少等の症状が,爆心地から約3km地点で被爆した女性には,咽頭痛,点状出血,発熱及び歯茎の腫脹出血等の症状がそれぞれ認められている。また,加茂郡北部防衛隊のように,原爆投下直後に救護作業等のために爆心地付近に入った者の約3割に急性放射線症の症状が現れたことも確認されている。さらに,急性放射線症の発症率は,屋内被爆者よりも屋外被爆者の方が高く,原爆投下直後に中心地に入らなかった者よりも中心地に入った者の方が高いとの調査結果もあり,原爆投下後の昭和20年8月19日から25日まで,広島市内に入って被害者を救護にあたった女学校の生徒のうち,氏名の判明した者の生存率が,簡易生命表における生存者の割合に比べて非常に低く,生存者10名中6名に急性放射線症の発症があったとの結果等も得られている。これらの調査結果に照らすならば,爆心地から1.5km以遠の被爆者や原爆投下後に市内に入った被爆者らのうち急性放射線症を発症した者は,一定程度の放射線に被曝したものと帰納的に推論するのが合理的である。
確かに,脱毛や下痢の症状を呈した被爆者らの中には,ストレスや感染症によって上記症状が現れた者がいたことは否定できないし,昭和20年の8月,9月には,赤痢,チフス等が蔓延し,患者が集中していたこと,また,こうした被爆者らに対するアンケート調査等においてアンケート調査特有のバイアスがかかった可能性があることも否定できない。しかしながら,上記のとおり,遠距離被爆者や入市被爆者の中に脱毛,下痢等の症状が現れた者が少なからず存在しており,当該遠距離被爆者等の中には,1つの症状のみではなく,発熱,脱毛,鼻出血及び下痢等の複数の症状を呈する者もいたのであり,こうした症状の個数が多い者ほど,その後の病態が重くなっているとの調査結果もあることなどに照らすならば,遠距離被爆者等にみられた脱毛や下痢等の原因について,すべてストレスや感染症によるものとの断定することはできないものといわざるを得ない。
(3) 放射線起因性の判断基準
ア 前記のとおり,審査の方針は一定の合理性が認められ,特に初期放射線量についての算定値は相応の合理性が認められるものの,反面,放射性降下物や誘導放射能による被曝線量が過小評価されている可能性があること,内部被曝の影響についての検討が十分とはいえないこと,審査の方針における判断基準では説明できない遠距離被爆者等の急性放射線症の発症があること,原因確率自体も絶対的な基準とはいい難いことなどに照らすならば,放射線起因性の判断に際しては,審査の方針を唯一絶対的な判断基準とすることはできず,主として初期放射線量の算定のための1つの指標として考慮するにとどめるべきである。
イ 以上によれば,放射線起因性の判断に当たっては,被爆者が,被爆した際の爆心地からの距離,被爆した場所(屋内か屋外か,木造建物か鉄筋コンクリートの建物かなど),地形等による遮蔽の有無,被爆者の服装,原爆投下後の行動(生活状況,食事等),滞在した場所及び滞在時間,放射性降下物を浴びたか否か,急性放射線症の症状の有無,内容及び程度,申請に係る疾患,その発症時期,症状等並びにその後の既往歴等を総合的に考慮して,被爆者の申請に係る疾患が原爆放射線に起因するものであるかを判断するのが相当である。
3 原告Cの申請に係る疾患の放射線起因性及び要医療性
(1) 前記前提となる事実に加え,各項末尾に掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,後記アないしエの事実が認められる。
ア 被爆時の状況等
(ア) 原告C(大正15年6月生。被爆時当時は19歳)は,昭和20年4月に広島市皆実町1丁目の陸軍船舶通信隊補充隊第4中隊に配属となり,無線通信機器の整備等を任務としていた。
同年8月6日,原告Cは,午前中の就寝許可を受けて,木造2階建ての兵舎の2階の寝床で,半身を窓側に向けた状態で横になっていた時に被爆した。
(イ) なお,爆心地から原告Cの被爆地点までの距離については,約1.8kmであるとの主張もされているところ,原告Cの被爆地点である船舶通信連隊の兵舎の位置は,同じく同連隊施設内で被爆した原告Aの被爆者健康手帳申請書の記載に原告Cの被爆地点を記入した書面並びに連隊の元隊員の記憶及び航空写真により復元された同連隊施設の配置図によれば,上記被爆地点は,同連隊施設の敷地の南東側,比治山の山頂の南南西方向であったものと認められる。そして,同被爆地点を地図と照らし合わせるならば,爆心地から原告Cの被爆地点までの距離は,約2kmであったものと認められる。
原告らは,被告らがその根拠として指摘する証拠の中には,被爆地付近の形状について一致しないものもあると主張するが,同証拠には,一定の客観性が認められる上,仮に,当該不一致を前提としても,上記被爆距離が大きく変わるものとはいえず,原告らの主張は採用することができない。
(ウ) 原告Cが被爆時にいた兵舎は,トタン葺の屋根の木造2階建ての建物であった。
(エ) 原告Cの寝床は,兵舎2階にある部屋の,廊下側の一番端に位置していた上下2段に仕切られた寝床の上段であった。
当時の原告Cの服装は,下着の上に軍服を着用していた。
(オ) 同日午前8時過ぎ頃,原告Cが寝床に横になっていると,窓から部屋の中に突然強烈な閃光が射し込み,閃光に続いて凄まじい轟音とともに爆風が来て,部屋全体が持ち上がったようになり,兵舎が崩れ始めた。
原告Cは,倒壊した兵舎の梁と柱の間の空間に身を預けていた。原告Cは,腰を打っていたが,意識ははっきりしており,倒壊した兵舎の隙間を縫うように這って,柱によって突き破られた屋根の隙間から外に脱出した。兵舎の外に出ると,周囲は埃と塵が立ちこめて,見通しすらままならない薄暗い状況であった。原告Cは,その中を這うようにして進み,兵舎近くの無蓋防空壕に避難した。
その後,次第に明るさが戻って見通しがきくようになり,原告Cは,比治山中腹にある待避所へ移動した。そこで,原告Cは,生存者救出を命じられたため,再び比治山を下山し,兵舎の周辺で動けなくなっている生存者や倒壊した兵舎の中から生存者を見つけ出し,動けなくなっている負傷者を担架に乗せて,比治山山麓まで搬送する作業に従事した。負傷者の体は埃や塵が付着して真っ黒であったが,原告Cは素手で救出活動を行った。
イ その後の行動等
(ア) 原告Cは,3日間にわたり負傷者の救出活動に従事した。その間,原告Cは,比治山の麓から出るわき水を飲み,僅かな非常食を食べながら,比治山中腹の洞窟周辺に仮設されたテントを寝床としていた。
(イ) 原告Cは,昭和20年8月9日ころから,通信機器を確保し,それを比治山山麓の洞窟内へ搬送,修理する任務に当たっていたが,8月15日,終戦を迎えた。
(ウ) その後は,同年9月9日ころまでの間,原告Cは,元の兵舎の場所近辺に板を敷き,藁布団を敷き詰めて,仮設の兵舎を造り,そこを寝場所として,皆実町周辺の民家の整理や,死体の火葬などの仕事に従事していた。
(エ) 原告Cは,同月10日,一時帰休の許可を受けて,同月15日に北海道浦河の実家に帰郷した。
ウ 被爆後の負傷,傷病状況等
(ア) 原告Cは,被爆後,体が異常に疲れやすくなり,立ちくらみを感じるようになった。立ちくらみの症状は昭和20年末ころまで続いた。
また,帰郷して2週間後ころから,歯茎から血が出るようになり,その後,次第に出血量が多くなり,1日に3,4回出血することもあった。さらに,被爆後1か月ほどしてから,血便が出るようになった。最初は,便が真っ赤になるほどで,毎日出ていたが,次第に量も回数も少なくなっていった。
原告Cは,病院を受診したところ,白血球数の異常が認められた。
(イ) 原告Cは,昭和27年,顔が黄色くなる黄疸の症状が現れたが,そのときは病院に行かず放置していたところ,自然に治癒した。
(ウ) 原告Cは,昭和30年ころ,肝臓の不調のため病院で検査したところ,昭和27年に顔が黄色くなったのは,黄疸の症状であり,肝臓が悪かったことが原因である旨の説明を受けた。
(エ) 原告Cが,昭和44年,呼吸困難の症状が現われため病院を受診したところ,気管支喘息との診断を受けた。
(オ) 原告Cは,昭和55年9月ころ,体が異常に疲れるようになり,体重も10kg減少するなどしたため病院を受診したところ,慢性肝炎と診断された。
(カ) 原告Cは,平成10年ころ,尿の出が悪くなり,頻尿となったため病院を受診したところ,前立腺肥大との診断を受けた。
(キ) 原告Cは,昭和41年ころから腰に痛みを感じるようになり,医師である義兄に診てもらったところ,背骨が変形しているといわれ,当初は針治療をしていたが,その後は病院でリハビリ治療を受けていた。そして,平成12年に変形性脊椎症と診断された
(ク) 原告Cは,平成12年4月,うっ血性心不全と診断された。
(ケ) 原告Cは,平成13年5月ころから,下腹部が異常に出てきて,立ったり座ったりするときに痛みを感じるようになったため病院を受診したところ,下腹部に水が溜まっており,肝硬変症(腹水貯留)と診断され,69日間の入院治療を受けた。
(コ) その他,原告Cは,高血圧症,高血圧性心疾患,心房細動,慢性胃炎,胃潰瘍,アレルギー性鼻炎等の疾病で診療を受けている。
(サ) 原告Cの白血球数の推移
e病院の診療録によれば,原告の1mm3当たりの白血球数(最低)は,平成8年1月が5500,同年7月が4100,平成9年1月が4900,同年11月が3800,平成11年5月が4310,平成12年1月が4300であった。
同じく,f病院の診療録によれば,昭和61年6月が4800,平成元年8月が4600,平成2年が4500,平成4年が4500,平成11年が4000,平成12年6月12日が4500,同月16日が3700,同年7月が4100,同年9月が3800,同年11月が3400,平成13年3月が3300,同年5月が3500,同年6月が4600,同年9月6日が5000,同月19日が5700,同年10月が4800,同年11月が4400,同年12月が4100,平成14年2月が3900,同年6月が4400,同年11月が4800,同年12月が4100,平成15年2月が4200,同年3月が4700,同年4月が3900,同年5月8日が3800,同月29日が4200,同年8月が3300,同年10月が3900,同年12月が3900,平成16年3月が3700,同年5月が3300,同年6月が5200,同年11月が3700,平成17年6月6日が3400,同月20日が3500,同年8月が3600,同年10月が3800,平成18年4月が3600,同年7月が4500,同年9月が3500,同年11月が3500,同年12月が3600,平成19年2月が3300,同年3月が3400であった。
エ 肝硬変の医学的知見及び調査結果等
(ア) 戸田剛太郎は「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」において,ウイルス性肝炎に対する放射線の影響に関し,肝炎ウイルス感染後の感染持続,肝炎ウイルス持続感染者における肝炎発症,慢性肝炎における肝炎の活動性と線維化(肝硬変への進展)について概要以下のとおり報告した。
B型肝炎と放射線の関係に関して,層別化すると有意性が消失する場合もあったが,高線量被曝者において有意にHBsAg陽性率は高いといってよく,被曝はHBV持続感染成立に促進的に働いているかもしれないとしたKatoらの研究,HBsAg陽性率,HBsAg陽性のオッズ比と線量(Sv)の間に有意の正相関が認められたとしたNeriishiらの研究及びHBsAg陽性率と被曝線量との間には有意のdose-response関係がみられ,HBc抗体陽性率についても,HBc抗体陽性者全例,また高力価陽性者に限っても,有意の線量反応を示したとしたFujiwaraらの研究等からするならば,被爆者においては,HBV持続感染が成立しやすいと考えられる。
もっとも,HCV抗体陰性のHBV感染AHS(放影研による成人健康調査)対象者における被曝線量と慢性肝疾患発症との関連については,Fujiwaraらのデータセットを用いて,被爆者を被曝放射線量カテゴリー別(被曝なしを基準とし,0.5Gy未満の被曝,0.5以上1Gy未満の被曝解析,1Gy以上被曝,線量不明の4群)に分け,ロジスティック回帰分析により,調整オッズ比を算出した結果,いずれのカテゴリーでも有意のオッズ比の上昇が認められず,同じデータセットを用いて対象者をHBV感染の有無と被爆の有無で4群に分け,肝障害発現について最大尤度を検討した結果,非被爆者,被爆者において最大尤度は,それぞれ1.6609,1.8877となり,オッズ比についても,HBV感染非被爆者,HBV感染被爆者において5.264,6.604であって,HBV感染者においては,被爆者に肝障害が発現しやすい傾向がみられるものの,その差は有意とはいえなかった。
さらに,肝硬変への進展に対する被爆の影響について,Schreiberらによれば昭和36年10月1日から昭和42年12月31日までの2457例の剖検例において143例(うち被爆例108例)の肝硬変をみとめ,電離放射線量と有病率との間に有意の相関を認めたが,Asanoらによれば昭和36年から昭和60年の間に放影研で剖検された301例について解析した結果,有意の線量反応は認められず,剖検例からの解析では肝硬変への進展について放射線が関与しているかどうかについては,明確な結論は得られなかった。
また,Shimizuらは,昭和25年から昭和60年の間の新生物あるいは血管疾患以外の原因で死亡した被爆者2万0777例についての死因の相対リスクと被曝線量との相関について検討し,昭和51年から昭和60年の期間においては新生物あるいは血液疾患以外の原因での死亡の相対リスクが線量増加とともに上昇しており,肝硬変死についても,昭和41年から昭和60年の期間における肝硬変死の相対リスクと被曝線量との間に有意の線量反応が認められた。同じくShimizuらは,昭和25年から平成2年までの間の腫瘍及び血液疾患以外の疾患で死亡した症例2万7117例について死因となった疾患の相対リスクの線量反応について,線形-二次線量反応モデルにより検討した結果,肝硬変の過剰相対リスクは,正の線量反応を示した。一方,Prestonらは,「健康な生存者」の影響を排除するため,昭和43年から平成9年に死亡した近距離被爆者に限定して,肝硬変死567例について過剰相対リスクを検討した結果,過剰相対リスクは正の線量反応を示したが(1Sv当たり0.19),90%信頼区間は-0.05ないし0.5となり,有意とはいえなかった。以上によれば,死因からの解析においても肝硬変に対する原爆放射線の関わりについては,明確な結論が得られなかった。
そして,被爆者における肝硬変の成因について,HCV抗体の測定系が一般化(平成2年)する以前の,昭和58年の日本肝臓学会総会におけるポスターシンポジウムでは,B型肝炎ウイルス23.3%,非B型40.4%,アルコール32.4%,その他3.9%であったが,平成3年の同ポスターシンポジウムでは,C型肝炎ウイルス49.3%,B型肝炎ウイルス20.4%,アルコール12.1%,非C型非B型11.2%,その他7.0%であり,以前に非B型と診断された肝硬変の大部分及びアルコール性と診断された肝硬変の多くは,C型肝炎ウイルスと考えられた。Asanoらの剖検例において,HBs抗原の陽性率は広島,長崎でそれぞれ18.7%,18.4%であり,この陽性率は,昭和58年の日本肝臓学会総会におけるポスターシンポジウムの23.3%と大きな差はなく,被爆者における肝硬変の成因に関する解析からは原爆放射線が肝硬変の成因として関わっているとする根拠は得られなかった。
(イ) 「原爆放射線の人体影響1992」によれば,概要以下のとおり報告された。
昭和34年に開始された原爆後障害研究会の第1回シンポジウムにおいて,浦城二郎らにより,肝機能障害の比率は,被爆者と非被爆者とで差がなく,原爆に起因すると思われる肝機能障害は認められないと報告されたが,重藤文夫らによる原爆病院入院患者調査では,肝疾患は第2位の頻度を占め,被爆者における大きな医学的問題であることが明らかであった。
また,昭和37年に実施された志水清らによる広島市の原爆医療認定申請書を用いた統計的調査でも,被爆者の肝疾患の頻度は,国民健康調査と比べて3倍近く高率であり,近距離被爆者で特に高い傾向が認められた。
剖検資料に基づく研究でも,安日晋らは,長崎大学の資料で長崎地方に肝硬変の頻度が全国と比べて高く,その肝がん合併頻度も高いことを明らかにしたが,非被爆者群との差はなく,肝硬変に被爆以外の要因を想定した。しかし,Schreiberらは,ABCCの寿命調査集団の143例の肝硬変剖検例において,電離放射線と肝硬変の間に有意な関係を認めた。
石田定は,原爆病院の外来患者の肝疾患有病率が,2.0km未満の近距離被爆者において高率であったと述べている。また,折免昭雄は,原爆被爆者健康管理所の検診データで原爆被爆者に肝疾患が高率にみられるとしつつ,被爆者における肝疾患は複雑な病態を包含していることを理由に,被爆による一次的肝障害の慢性期像と考えるのは困難であると結論づけている。
ABCCの成人健康調査では,HBs抗原陽性率が高線量被曝者で高い傾向がみられたが,抗原,抗体の陽性頻度はいずれも被曝の程度による統計的有意さは認められなかった。そこで,加藤らは,昭和50年から2年間,成人健康調査集団の1Gy以上の高線量被曝者全員と,これと同数の性,年齢,受診年月日を一致させた0Gyないし0.9Gy線量群について,HBs抗原及び抗体の測定を行った結果,HBs抗原の陽性率は,1Gy以上の高線量被曝群の方が対照群よりも有意に高く,その傾向は,被爆時20歳以下の若年者において,より明らかであった。
(ウ) 「成人健康調査第7報,原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-86年」によれば,昭和33年から昭和61年までに収集された成人健康調査集団の長期データを用いて,悪性腫瘍を除く19の疾患の発生率と電離放射線被曝との関係を調査した結果,概要以下のとおり報告された。
ウイルス性肝炎では,成人健康調査集団には統計的に有意な放射線の影響はみられなかった。
慢性肝疾患及び肝硬変について,1Gy当たりの相対リスクは1.14(95%信頼区間は1.04ないし1.27),10の4乗PYGy当たりの推定過剰疾患症例数は8であり,寄与リスクは8.1%(95%信頼区間は2.1ないし14.6)となり,大きくはないが有意な放射線影響が観察されたが,相対リスクに対する性,市,被爆時年齢,被爆後経過時間の影響は統計的に有意ではなかった。
また,最近の寿命調査集団に関する報告(がん発生率調査第2部)においては,肝臓がんの発生率に線量反応が認められており,また,寿命調査におけるがん以外の死亡率に関する最近の調査(寿命調査第11報第3部)でも,肝硬変による死亡率は高線量群で増加していることが示されている。動物実験においても,肝機能障害が放射線被曝により誘発されることが示されている。
日本では,ウイルス感染とアルコールの過剰摂取が慢性肝炎と肝硬変の主要原因として知られているところ,成人健康調査集団におけるB型肝炎(HB)抗原と抗体の定量的調査は,抗原の正の度合が重度被爆者では有意に増加していることを示しており,これは免疫能力の低下がウイルス感染の原因であり得ることを示唆している。
(エ) 「原爆被爆者におけるがん発生率第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」は,寿命調査集団における原爆被爆者の充実性腫瘍罹患データとリスク推定についての最初の包括報告書であり,同報告書によれば,肝臓がんの1Sv当たりの過剰相対リスクは0.49(95%信頼区間は0.16ないし0.92)であった。
(オ) 「原爆被爆者の死亡率調査第12報第2部,がん以外の死亡率:1950-1990年」によれば,寿命調査集団のうち,被曝線量が推定されている8万6572人の調査集団について,昭和25年10月1日から平成2年12月31日までの間におけるがん以外の死亡率を調査した結果,消化器疾患(2742人)の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.11(90%信頼区間は0.00ないし0.24),うち肝硬変(920人)の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.18(90%信頼区間は0.00ないし0.40)であり,消化器疾患について,統計的に有意な線量反応関係が認められた。
(カ) 「原爆被爆者の死亡率調査第13報,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997」によれば,寿命調査集団のうち,被曝線量が推定されている8万6572人の調査集団について,昭和25年から平成9年までの期間の固形がんとがん以外の疾患による死亡について検討した結果,その期間における肝臓がんの1Sv当たりの過剰相対リスクは0.39(90%信頼区間は0.11ないし0.68)であった。また,昭和43年から平成9年までの期間における消化器疾患の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.15(90%信頼区間は0.00ないし0.32)であり,うち肝硬変の1Sv当たりの過剰相対リスクは0.19(90%信頼区間は-0.05ないし0.5)であった。
(キ) 「成人健康調査第8報,原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998」によれば,昭和33年から平成10年の成人健康調査受信者からなる約1万人の長期データを用いて,がん以外の疾患の発生率と原爆放射線被曝線量との関係を調査した結果,慢性肝疾患及び肝硬変に対する1Sv当たりの相対リスクは1.15であり,以前の統計と同様に有意な正の線形線量反応が認められた(P=0.001)。
(2) 肝硬変と放射線被曝との関係について
上記(1)エのとおり,当初の報告等では,肝機能障害と原爆による放射線との関係を否定するものも存在したが,その後の調査では,被爆者の肝疾患の頻度が高く,近距離被爆者で特に高い傾向が認められるようになり,肝硬変による死亡率も,高線量被曝者で増加していることが認められる。また,B型肝炎抗原と抗体の定量的調査からは,抗原の正の度合が重度被爆者で有意に増加しており,被爆による免疫力の低下の可能性が示唆されている。さらに,消化器疾患及びそのうちの肝硬変については,いずれも過剰相対リスクに統計学的に有意な線量関係が認められている。
もっとも,肝硬変については,ウイルス性,アルコール性等様々な成因が考えられるため,上記調査結果等から,直ちにB型肝炎ウイルスによる肝硬変についても原爆放射線との相関を認めることはできない。
この点,ウイルス性肝炎に対する放射線の影響に関し,肝炎ウイルス感染後の感染持続,肝炎ウイルス持続感染者における肝炎発症,慢性肝炎における肝炎の活動性と線維化(肝硬変への進展)について考察した戸田らの報告によれば,被爆者において,HBV持続感染が成立しやすい傾向にあることが認められるが,HBV感染者においては,被爆者の肝障害発症について統計学的に有意差は認められず,肝硬変への進展についても有意な線量反応が認められなかったとしている。しかしながら,同報告においても,被爆者において,HBV持続感染が成立しやすい傾向にあること,統計学的に有意差は認められないものの,HBV感染者においては,被爆者に肝障害が発現しやすい傾向がみられることが指摘されており,また,肝硬変への進展についても,放射線の関与の有無について明確な結論が得られないとするにとどまっている。
以上によれば,原爆による放射線被曝は,免疫力の低下に影響しているものと解され,その結果,被爆者のHBV感染の持続及び肝炎の発症にも放射線被曝が影響していることがうかがわれ,さらには,原爆の放射線被曝が,肝硬変への進展にも寄与している可能性が否定できないというべきである。
(3) 原告Cの申請疾患の放射線起因性について
ア 前記のとおり,原告Cは,爆心地から約2kmの地点で被爆しており,審査の方針によれば,初期放射線による被曝線量は,0.07Gyとなる。なお,原告Cは,木造の兵舎内の爆心地方向に面して設置された窓から最も離れた位置で,下着の上に軍服を着用という服装で被爆しており,被告が主張するように建物の遮蔽等を考慮して透過係数0.7を乗じた場合,初期放射線による被爆線量は,0.049Gyとなる。
次に,原告Cは,被爆後から昭和20年9月9日までの間,比治山南西の広島市皆実町1丁目の陸軍船舶通信補充隊の兵舎付近(爆心地から約2km)及び比治山中腹の待避所で過ごしているところ,審査の方針によれば,誘導放射能による残留放射線は,0Gyとなる。
そして,原告Cは,被爆後,広島市の己斐,高須地区に長時間滞在したことはなく,審査の方針によれば,放射性降下物による残留放射線量も,0Gyとなる。
以上によれば,審査の方針による原告Cの被曝線量は,0.049Gyとなる。
イ しかしながら,審査の方針は,前記のとおり,特に放射性降下物及び誘導放射能の影響については,過小評価されている可能性が否定できず,原告Cの被曝線量を検討するに当たっては,単に審査の方針を機械的に適用するのではなく,被爆後の原告Cの行動,生活状況,急性症状の有無,内容,程度,その後の既往歴等を総合考慮して判断すべきであることは前記のとおりである。
これを原告Cについて検討すると,原告Cは,爆心地から約2kmの地点で被爆しているものの,その後,比治山付近で3日間にわたり負傷者の救護活動に従事し,その間,比治山中腹の洞窟周辺の仮設テントを寝床としていた。また,その後,昭和20年9月9日までの間,比治山周辺及び元兵舎付近で,仮設の兵舎を造り,そこを寝場所として,皆実町周辺の民家の整理や,死体の火葬などの仕事に従事しており,誘導放射化した遺体や瓦礫等によって被曝した可能性が否定できない。
また,爆心地から南東側にも「黒い雨」が降ったとの報告や爆心地から南東2.4km及び2.8km地点で高い放射能が確認されたとの報告もあることからするならば,原告Cが,比治山周辺及び元兵舎付近で作業等に従事している間に,少なからず放射性降下物を浴びた可能性が否定できない。
さらに,原告Cは,被爆後から,比治山の麓から出るわき水を飲むなどしており,放射性降下物を含んだ水等を経口摂取して内部被曝した可能性がある。
実際に,原告Cは,被爆後から,強い体の倦怠感を感じるようになっており,また,歯茎からの頻繁な出血や白血球数の異常が認められるなど,血液・骨髄障害の症状を呈しており,さらには,便が真っ赤になるほどの血便をするなど,放射線による急性放射線症とみられる症状が複数現れている。これらの症状については,複数の症状が現れていることや症状が長期間にわたっていることなどからするならば,単に栄養不良,不衛生及び細菌等を原因とするものであるとするのはやや不自然であるし,原告Cの上記症状が被爆を境に生じており,他にその原因となるに足りる明確な事情がうかがわれないことに照らせば,上記症状は,放射線被曝の影響によるものと解するのが相当である。
また,原告Cの既往症の中には,高血圧症や心疾患が認められるところ,高血圧症については,有意な二次線量反応が認められており(P値=0.028),心疾患についても,過剰相対リスクが0.17(90%信頼区間は,0.08ないし0.26)であって,原告Cの上記既往症には,原爆放射線の影響の可能性が認められる疾患が含まれている。
ウ 以上によれば,原告Cは,誘導放射化の可能性のある遺体の焼却作業等に従事し,また,放射性降下物を浴びた可能性がある上,内部被曝の影響を受けている可能性も否定できず,また,被爆後から,原告Cは,急性放射線症と考えられる症状が複数現れており,放射線被曝の影響の可能性が認められる疾患等を発症していることなどを総合的に考慮すれば,原告Cは,誘導放射能や放射性降下物による相当量の放射線に被曝したものと推認される。
エ そして,前記のとおり,被爆者のHBV感染の持続及び肝炎の発症,さらに肝硬変への進展については,原爆の放射線被曝が寄与している可能性が否定できないのであり,相当量の放射線に被曝したと考えられる原告Cの肝硬変についても,原爆の放射線に起因するものと認めるのが相当である。
なお,被告らは,原告Cの免疫能に異常は認められないと主張している。そして,c病院の外来診療録によれば,原告Cは,平成12年3月9日,HBs抗原陽性,HBs抗体陰性,HBe抗原陰性,HBe抗体陽性となり,セロコンバージョンを起こしていることが認められる。
もっとも,セロコンバージョンを起こしたことが直ちに,免疫機能に異常が認められないことにはならないし,原爆被爆者のセロコンバージョンのメカニズムについて異常が示唆されたとの報告もある。また,c病院の診療録及びe病院の診療録によれば,原告Cの上記白血球数は,平成15年以降,基準値(4000ないし9000/mm3,平成15年以後は3900ないし9800/mm3)を下回ることが多く,基準値の範囲内であっても,低めの数値を示していることがうかがわれる。これらの検査結果等に照らせば,原告Cの免疫機能は正常であったとまではいえない。
この点に関する被告らの主張は,採用することができない。
(4) 原告Cの申請疾患の要医療性について
原告Cは,肝硬変によって,腹水貯留をきたしており,その治療のためには,利尿剤による薬物治療及び塩分制限や飲水制限といった栄養管理を要し,また,肝臓がん発症の危険性があるため,定期検査を要するものといえ,要医療性が認められる。
(5) 結論
以上のとおり,原告Cの申請疾患は,原爆症認定の要件を満たすというべきであるから,原告Cの原爆症認定申請を却下した処分は違法である。
第6本案の争点②(国家賠償法の賠償責任)についての判断
1 審査の方針を原告らに当てはめて,原告らの原爆症認定申請を却下したことについて
(1) 原告らは,被告厚生労働大臣が,非科学的・不合理な審査の方針を機械的に適用していること自体が違法である旨を主張する。
確かに,前記のとおり,審査の方針による放射性起因性の判断には,不十分な点があることは否定できず,原告A及び同Bの各申請疾患については,いずれも平成20年4月に原爆症認定申請を却下した処分が取り消されて,既に原爆症認定がされているし,原告Cの申請疾患についても放射線起因性及び要医療性が認められるから,放射線起因性がないとして同原告の原爆症認定申請を却下した処分は違法なものとして取り消されるべきである。
しかしながら,本件各却下処分が,原告らの申請疾患について,その放射線起因性の判断を誤り,違法とされる場合であっても,そのことから直ちに国家賠償法1条1項における違法性が認められるものではなく,被告厚生労働大臣が,単に本件各却下処分における放射線起因性の判断を誤ったというのみならず,その判断のための資料を収集し,これに基づき放射線起因性等を判断する上において,職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と処分をしたと認め得るような事情がある場合に限り,国家賠償法1条1項における違法性が認められると解するべきである。
(2)ア そして,原爆症認定の基準として用いられていた審査の方針における放射線量算定の基礎となっているDS86及びDS02については,一定の科学的根拠に基づくものであり,特に初期放射線量の計算値については相応の合理性が認められること,審査の方針における原因確率の基礎となっている放影研による疫学調査についても,その調査規模及び調査期間は決して不十分なものとはいえず,その解析手法も十分合理的なものであることは,前記のとおりであり,また,本件各却下処分がなされた当時,DS86以外に利用可能な被曝線量の推定方法があったとは認め難い。
審査の方針については,とりわけ放射性降下物及び誘導放射能による被曝線量が過小評価されている可能性があり,内部被曝の影響について十分な検討が尽くされていないといった限界があることは否定できないが,審査の方針は,当時の疫学的,統計学的,医学的知見に基づいて策定されたものであって,これが全く非科学的で不合理なものなどということはできない。
なお,医療分科会は,平成20年3月17日,審査の方針を改め,「新しい審査の方針」を策定しているが,審査の方針自体が非科学的あるいは不合理といえないことは上記のとおりであるし,また,上記第4の1(1)記載の「新しい審査の方針」の策定の経過等からすると,原爆症認定の基準が改定されたのは,行政上の政策判断による側面があることは否定できないのであって,「新しい審査の方針」に基づいて原爆症認定がなされたとしても,そのことをもって,これまでの審査の方針に基づいてされた原爆症認定申請却下処分が,直ちに職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかったものということはできない。
イ また,多数の原爆症認定申請について判断をしなければならない状況において,審査の方針という一定の基準を用いることは,必ずしも不適切なものとはいい難く,前記認定のとおり,原爆症認定においても,厚生労働大臣は,原則として医療分科会の意見を聴いた上で,原爆症認定を行うものとされており,その際には,審査の方針を機械的に適用して判断するのではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,判断を行うものとされていることに照らすならば,その運用は,必ずしも,機械的で不適切なものとはいい難い。
ウ 以上によれば,被告厚生労働大臣が審査の方針に従って原爆症認定を行うことをもって,その職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と処分をしたと認め得るような事情があるとまではいえない。
2 行政手続法5条1項の「審査基準」について
(1) 原告らは,審査の方針は飽くまで医療分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のもので,かつ,基本的な考え方(審査の姿勢とでもいうべきもの)を示した一応の基準であって,行政手続法5条1項が求めている「審査基準」に当たらないと主張する。
(2) 行政手続法5条1項で「審査基準」を定めることが求められている趣旨は,処分庁の判断の客観性・合理性を担保して,その恣意的な許認可を防止するとともに,申請者においてが審査基準を知ることによって申請の許認可等を予測せしめる便宜を図る趣旨であると解される。
そこで,原爆症認定における審査の方針についてみると,被告らは,これは医療分科会の委員が審査に当たり,共通の認識として活用する趣旨のもので,かつ,基本的な考え方を示したものであって,一応の基準であり,一定の要件が存すれば一定の効果が発生するというような原爆症認定の実体要件を定めたものではない旨を自認しているところである。その趣旨は必ずしも明らかではないが,前記認定のとおり,審査の方針は,原爆症認定における判断の基準として用いられているところ,その判断に当たっては,これを機械的に適用して判断するのではなく,申請者の既往症,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断することとされており,被告らの主張もこのような趣旨をいうものと理解し得るところである。したがって,原爆症認定に当たっては,具体的に実体要件をすべて網羅し,これを充足するか否かにより,機械的にその認定が可能となるような審査基準があるとまではいえないが,全く何らの基準もなく,個別的に判断が行われていたわけではなく,医療分科会の意見形成に当たって原爆症認定についての一定の具体的な基準を示したものである審査の方針という基準が用いられており,これに基づいてその認定が行われているものというべきである(なお,前記認定のとおり,審査の方針が策定される以前においても,一定の認定基準が策定され,原爆症認定における基準として用いられていた。)。そして,原爆症認定に当たっては,当該申請者の被爆状況,急性症状の有無・程度,申請疾患の発症状況,既往症等の個別具体的な認定事実を考慮しつつ,被曝線量等を推定した上で,個別具体的事情を総合的に考慮するという判断手法自体は,やむを得ないものであるし,これをもって,行政庁の恣意的な判断がされていたということもできない。
また,原告らが,上記のような審査に当たっての一定の基準を知り得なかったため,原爆症認定についての予測可能性が侵害されたというような事情もうかがわれない。
そうすると,原告らの原爆症認定申請の各却下処分に当たっては,行政手続法5条1項違反によって各却下処分が国家賠償法上も違法となるような手続的違法があったとはいえないというべきである。
3 審査の遅れについて
(1) 原告らは,各原爆症認定申請から本件各却下処分までの期間が長期間に及び,かつ,その正当な理由がないとして,行政手続法7条に違反すると主張する。
(2) しかしながら,原爆症認定は,その申請者の被爆距離,被爆状況,被曝線量及び放射線と申請疾病との関係等について,高度な科学的,医学的知見に基づく判断を要する複雑な作業であり,また,被告厚生労働大臣が,原告らの各原爆症認定申請について,それを失念し,又は意図的に放置したと認められるような事情はうかがわれないことなどに照らすならば,原告らの原爆症認定の審査に141日ないし721日の時間を要したことをもって,直ちに行政手続法7条に違反するとまではいい難い。
4 処分理由の不明示について
(1) 原告らは,本件各却下処分の通知には,実質的な理由は全く明らかにされておらず,ほとんど定型的な文言が記載されているだけであり,理由の明示を定めた行政手続法8条に違反すると主張する。
(2) 行政手続法8条が理由の明示を求める趣旨は,行政庁の判断の慎重・合理性を担保するとともに,申請者の争訟提起等の便宜を図るためであるところ,明示すべき理由の内容・程度については,処分の性質と理由付記を命じた各法律の規定の趣旨・目的に照らして決定されるものと解される。
これを本件について検討すると,原爆症の認定に当たっては,厚生労働大臣は,原則として医療分科会の意見を聴くこととされるとともに,判断は審査の方針に従ってなされるなど,一定の慎重さ,客観性が担保されており,厚生労働大臣の恣意的運用は防止されているものといえ,他方,原爆症の認定は,高度な科学的,医学的,疫学的知見に基づく判断を要する複雑なものであり,処分理由について,具体的,詳細に明示することは困難であるといえる。また,本件各却下処分の通知には,「原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けていないものと判断」した旨が記載されており,少なくとも,いかなる要件で申請が却下されたかは,原告らも理解することが可能であり,争訟提起等に支障を生じるとまではいい難い。
したがって,被告厚生労働大臣の本件各却下処分について,行政手続法8条の違反は認められない。
5 結論
以上によれば,原告らの主張はいずれも採用できず,本件各却下処分について,国家賠償法1条1項の違法性は認められない。
よって,その余の点について判断するまでもなく,原告らの国家賠償法1条1項に基づく各請求は認められない。
第7結論
以上によれば,原告らの各請求のうち,原告A及び同Bの各原爆症認定申請却下処分の取消請求は,いずれも訴えの利益がないからこれを却下し,原告Cの原爆症認定申請却下処分の取消請求は理由があるからこれを認容し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求は,いずれも理由がないからこれを棄却することとして,なお,訴訟費用の負担については,原告A及び同Bの本件各却下処分の取消請求につき,訴えの利益がなくなったのは,本件訴訟がいったん終結した後に,被告厚生労働大臣が自ら当該処分を取り消したことに起因するものであることを考慮し,裁量の上,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田光広 裁判官 田口紀子 裁判官 鈴木清志)
<編注:『※』部分は原文のとおり。>