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札幌地方裁判所 平成12年(わ)249号 判決 2002年3月18日

主文

被告人を懲役5年に処する。

未決勾留日数中540日をその刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は,

第1札幌弁護士会所属の弁護士として,関係人の依頼により訴訟事件その他一般の法律事務を行い,これに付随して金銭の預託を受けるなどの業務に従事していたものであるが,平成10年7月2日ころ,札幌市の被告人が経営していたA法律事務所において,Bらから,同人及びその家族がBの実父から贈与された金員をめぐる,Bとその兄弟らとの間の紛争が解決するまでの間,同人及びその家族名義で定期預金をするなどして保管してもらいたい旨の依頼を受けて現金1076万3598円を受領し,これを同人らのために業務上預かり保管していたところ,同年9月25日ころ,東京都新宿区のC法律事務所内において,ほしいままに,このうち1000万円をDに貸与し,もってこれを横領し,

第2人を欺いて金員を交付させようと企て,平成11年8月4日ころ,札幌市のE方において,同人に対し,真実は旧マルク紙幣等の買い取りに関わる取引に投資しても,高額の利益を得られる確実な見込みはなかった上,同人から同取引に対する投資名下に受領する資金の一部を自己の用途に費消する意思であったのにその意図を隠したまま,同取引により短期間で確実に投資資金を2倍に増やせるかのように装い,「第一次世界大戦の敗戦国であるドイツが,戦勝国である日本に賠償として支払った債券かマルク紙幣の一部を,皇族や旧皇族が保有しており,それらが特殊なルートで市場に出てきて,換金されると2倍になる。」「常陸宮や池田家が関与している。銀行が仲立ちし,日銀も絡む。」「マルク紙幣を鑑定する必要があるが,その鑑定人がお盆のころにドイツに帰国してしまうので,このチャンスに話を乗せたい。」「リスクはない。心配ない。」「早ければ今月の25日か26日ころに現金になると思ってくれてもいいですよ。」「幾ら預けてくれますか。」などと申し向け,前記Eをして,投資資金の全額が旧マルク紙幣等の買取に関わる取引に使われ,同取引により短期間のうちに投資資金が確実に2倍に増やせるものと誤信させ,よって,同月5日午前10時ころ,前記A法律事務所において,同人から現金5600万円の交付を受け,更に同日午前11時ころ,同人方へ電話をかけ,同人に対し,「予定した人が駄目になった。投資の枠がもう少しあるのでどうだろうか。」などと申し向けて追加投資を求め,同人をして前同様誤信させ,よって,同日午後6時30分ころ,東京都品川区内のホテルにおいて,同人から現金2200万円の交付を受け,もって人を欺いて財物を交付させ

たものである。

(事実認定の補足説明)

判示第1の事実について,被告人は,B及び妻のFから,業務として現金1076万3598円を預かったこと,そのうち現金1000万円(以下「本件預託金」という。)を,Dから旧マルク紙幣あるいは旧マルク債(以下単に「マルク券」という。)を入手するための保証金として使いたいので貸して欲しいと依頼されたことから,Bらに無断で,Dに貸与したことは争わないものの,保証金としての性質上,マルク券の清算に関する取引(以下「マルク取引」という。)が仮に不成立となった場合でも,いわゆる元本割れの問題は全く発生する余地はなく,これが成功した場合には2000万円になり,Bの利益になると確信してDに貸したものである旨弁解し,弁護人も,被告人の弁解を前提に,被告人には,横領罪の成立に必要ないわゆる不法領得の意思が存在しない旨主張している。また,判示第2の事実について,被告人は,Eにマルク取引に投資するよう申し向けたこと,同人から合計7800万円の現金の交付を受けたことは争わないものの,2200万円の追加投資は自らが申し向けたものではなく,Eから申し出たものであるとして,実行行為の態様を一部争うとともに,マルク券が清算機構という秘密組織(以下「清算機構」という。)を通じて清算され,その結果,マルク券の所有者や清算のために資金を拠出した者などに一定の金員が支払われるという制度(以下「マルク清算制度」という。)が存在することを確信し,かつ,マルク券の清算の成功によってEの拠出金が2倍になることを確信していた旨弁解し,弁護人も,被告人のこのような弁解を前提に,被告人には,詐欺の故意も不法領得の意思も存在しない旨主張している。

そこで,いずれも,判示のとおり認定した理由を補足して説明する(なお,以下の説示においては,公判廷における供述が証拠になる場合も,公判調書中の供述部分が証拠になる場合も,単に「〇〇の供述」と表記することとする。)。

第1前提事実

関係各証拠によれば,次の事実が認められる。すなわち,被告人は,昭和34年に札幌弁護士会に弁護士登録して同会所属の弁護士となり,昭和37年に独立開業し,一時期は年間7000万円から8000万円ほどの収入を得ていたが,平成5年ころから収入が落ち込み始め,さらに,平成6年及び平成9年の2度にわたり,同弁護士会から業務停止の懲戒処分を受けたことから,顧問先を失うなどし,平成9年ころには年間1000万円程度までに収入が減少し,翌10年には,必要経費が収入を上回る状況となっていた。他方,被告人は,かねてより金融機関数社から当座貸越契約等を締結するなどして金銭を借り入れていたが,平成6年に業務停止処分を受けたころから,自己の雇用する事務員らの賞与等を支払えなくなったほか,借入金の返済を遅滞するようになり,平成7年ころには,自宅兼事務所について競売手続が開始されるとともに,被告人が昭和46年ころに自己の資産を管理する目的で設立した株式会社Gが所有していた不動産についても,いずれも前記借入金の担保となっていたことなどから,ほぼ全ての資産が競売や売却により処分され,平成11年6月ころには前記自宅兼事務所も競落されるに至ったが,なおも4億円余りの借入金返還債務等が残り,加えて,被告人は,これまでの自己の弁護士業務の中で,多数の依頼者に債務を負っていたことから,それらの債務も合わせると,同年7月当時の被告人の債務は少なくとも約4億8000万円にのぼっていた。

第2判示第1の事実について

1  以下の事実は,関係証拠上明白であるか,被告人も自認しているものである。

(1) B及び妻のF(以下「B夫妻」という。)は,平成10年5月11日ころ,Bの実父であるHから,1000万円の定期預金をBの家族4人に贈与されたことから,その定期預金を解約して利息分も含めた合計1001万3598円を払い戻した上,Hから入院費用代などとして預かっていた現金100万円と併せたもののうち,現金1100万円を,Fの弟夫妻名義で定期貯金にしていた。しかし,同年6月28日夕方ころ,Bの兄弟らがBの自宅を訪れ,翌日にHから贈与された1000万円を持参して同人の入院先の病院へ来るよう要求されたことから,弁護士に今後の兄弟らへの対応等を相談することを思い立ち,Fが電話帳で弁護士事務所を調べ,五十音順で最初に掲載されていた被告人経営にかかるA法律事務所(以下「被告人の事務所」という。)に電話したところ,被告人から,これから事務所に来るようにと言われたので,直ちに同法律事務所に向かった。岡夫妻は,被告人の事務所で前記の事情を説明したところ,被告人から「あなた達は,1000万円については贈与を受けたのであるから,お金はあなた達のものになっています。だから,明日は病院に行く必要はありません。」と教示された。

(2) B夫妻は,同月30日,被告人の事務所において,同人に着手金を支払い,前記受贈した1000万円をめぐる兄弟間の紛争の解決を依頼し,前記貯金証書を預けたが,その後,Bの兄弟がBの勤務する厚別郵便局を訪れ,Bの郵便貯金が幾らあるか尋ねたことが判明したことから,このままでは前記貯金の名義人となっている弟夫妻に迷惑がかかるかもしれないとの不安を抱き,前記貯金を解約し,その払戻金を被告人に預けることにし,同年7月2日,被告人の事務所において,前記貯金を解約した1100万円に,自宅から持参した利息分の1万3598円を併せた上,これまでにHの入院費用等で立て替えていた分の25万円を差し引いた現金1076万3598円を,預かり証と引き替えに被告人に預け,その後,家族4人名義の委任状を作成して被告人に交付した。なお,B夫妻は,同月10日にHが亡くなったことから,その葬儀費用等に充てるため,同月中旬ころ,被告人から75万円の返還を受けた。

(3) 被告人は,同年9月24日に上京した際,I銀行浜松町支店で,本件預託金をBの家族4人名義で各250万円ずつ定期預金しようとしたが,行員から,名義人本人が窓口に来ないと口座を開設できないと断られたため,定期預金することを断念した。その後,被告人は,訴訟事件の依頼者であったJと食事をするため,本件預託金を携帯したまま,新宿区にある厚生年金会館に赴いたところ,同席したDから,同預託金をマルク取引のために預からせてもらいたいと頼まれた。

(4) 被告人は,翌25日,判示C法律事務所内において,Dに対し,一時預かり証と引き替えに本件預託金を貸与したが,その際,一時預かり証の「但し,頭書金員は,マルク債売買の手付金として預かりました。」と記載された部分を「但し,頭書金員はマルク債の取引のために,検品のうえ,真正のときに使用されるもので真正でないときは,そのまま(当該現金)返還される性質のものです。」と訂正させた上,保証の趣旨で,預り人として,Dのほか,弁護士のCにも連署させた。なお,被告人は,本件預託金をDに貸与するに当たり,B夫妻に了解を得るなどの措置を取らなかった。

2  まず,本件預託金の委託の趣旨を検討すると,Fは,被告人に本件預託金を預けた経緯や委託の趣旨などについて,公判廷において,概ね,「弟夫妻名義で貯金していた1100万円を解約したが,その現金を自宅で保管した場合,Bの兄弟たちがいつ押し掛けてくるか分からないような状況で不安だったので,弁護士である被告人に預けた方が安心だと思い,被告人にその現金を預かって欲しいと依頼した。その際,Hから家族4人で分けるようにと言われていたので,その言葉どおり,家族4人名義でそれぞれ250万円ずつ定期預金にして欲しいと依頼した。このとき,被告人から,日本の銀行は危ないということや外国の銀行の方が利息が高いということを指摘され,外国の銀行に預金しないかとも提案されたが,Hが死亡する前に早急に親族間のもめ事を解決したかったので,外国の銀行では金員の出し入れに日数を要すると思い,被告人の提案は受け入れなかった。すると,被告人から,札幌の銀行に預金すると,親族が調べて預金を差し押さえられるかもしれないので,東京の銀行に預金した方がいいと提案され,この提案については承諾した。その後,被告人に家族名義で預金してもらうため,家族4人名義の委任状を作成して被告人に渡した。なお,被告人から,1000万円を証券会社に預けませんかとか,証券会社から金融商品を購入しませんかとの話を持ち掛けられたことはなく,自分の方から,贈与税を賄えるだけの利回りのよいところに預けて欲しいなどと頼んだこともなかった。どこの銀行に預けるかとの話をした際に利率の話も出たが,被告人と詳しい話はしなかった。マルク取引に使っていいと承諾したことはない。」などと供述している。

また,Bも,これらの点について,公判廷において,概ね,「Fの弟夫妻名義で貯金していた1100万円を解約したが,現金を自宅に置いておくと泥棒に盗まれるなどの心配もあったので,被告人に預けることにした。被告人に現金を預ける際,Hから,税金の関係もあるから家族4人名義で貯金しておけばいいと言われていたことから,家族4人名義で預金するようお願いした。その際,被告人から,札幌近辺だと親族が調べて預金を差し押さえられる可能性があるので,遠いところへ預金した方がいいと言われた。外国の銀行に預けるかという話も出たが,親族間で相続問題が発生し,遺留分などを兄弟に支払わなければならなくなるかもしれないと考えていたので,直ぐに払戻しができるよう国内の銀行の方がいいと思い,その話は断った。被告人には家族4人名義で定期預金して欲しいと頼み,その後,家族4人名義で預金することを頼む旨の委任状を作成した。被告人から証券会社に預けませんかとか金融商品を買いませんかというような誘いはなかった。少しでも利回りのよいところに預けてくれと頼んだこともなかった。」などと供述している。

そこで,F及びBの供述の信用性を検討すると,両名の供述は,具体的かつ詳細で,特段不自然,不合理な点はなく,その内容も概ね符合し,相互にその信用性を補強していること,他の関係証拠との整合性もあること,ことに,B夫妻が被告人に本件預託金を家族4人名義で預金するよう委託したことは,Bの家族4人名義の委任状が作成されていることや,被告人自身が平成10年12月16日付け念書において,「貴家四人名義で預金のためにお預かりしていた金壱千万円は」と記載していることなどによって裏付けられていることに照らし,十分に信用できるというべきである。

これに対し,被告人は,捜査及び公判において,「利息や利回りの一番高いところに預けて欲しいと依頼されたのであって,銀行に特定されていたわけではなかった。」などと,委託の趣旨があたかも本件預託金を利殖させることであったかのような弁解をしているが,前記認定の,B夫妻が被告人に依頼した事件の内容や本件預託金を預けた経緯のほか,被告人が自らI銀行浜松町支店で定期預金の申込み手続を行っていること,被告人がB夫妻に交付した平成10年12月16日付け念書に「貴家四人名義で預金のためにお預かりしていた金壱千万円は」と記載していること,被告人が利回りのよい投資先などを探した形跡がないことなどの事情に照らすと,その弁解は,明らかに不自然,不合理であるばかりでなく,被告人自身,最終陳述で,結局はB夫妻から銀行に定期預金して欲しいと頼まれたことを認めていることなどを併せ勘案すれば,被告人は,B夫妻から本件預託金を預かった際に利息の話が出たことを奇貨とし,その話を殊更自己に有利に取り上げて強弁しているというほかなく,到底信用できない。

以上のとおり,高い信用性が認められるF及びBの供述によれば,被告人は,B夫妻から本件預託金に関し,同人ら家族4名の名義で定期貯金にして保管する旨の委託を受けたことは明らかである上,委託の趣旨からしても,預金先は,元金が確実に保証され,いつでも返還を受けられることが契約上のみならず社会的にも確立されているところであったことも疑問の余地がないというべきである。

3  ところで,横領罪における不法領得の意思とは,他人の物の占有者が委託の任務に背いて,その物につき権限がないのに所有者でなければできないような処分をする意思をいうと解すべきであるが,前記認定のとおり,B夫妻が被告人に対して本件預託金を預けた趣旨は,Bの家族名義で定期預金することにあったにもかかわらず,被告人は,マルク券を入手するための保証金として貸して欲しい旨Dに依頼されるや,B夫妻に断りなく,自己名義で本件預託金をDに貸与している上,マルク取引などという,利益はもちろん,提供した資金の返還さえ確実に保証されていない,いかがわしい取引に使用するために本件預託金を同人に貸与することがB夫妻の意思及び委託の趣旨に反し,被告人に与えられた権限を逸脱するものであったことは明らかである。しかも,被告人は,同夫妻に事前の了解を得なかった理由として,「一応説明して,分かってもらえばいいなと思ったけど,よく考えてみたら,なかなか分かってもらえそうな人ではなかったから。」「Bさん夫婦に電話で旧マルク紙幣のことを説明しても,Bさん夫婦から『C弁護士らに渡すのは待って下さい。』『C弁護士らに渡されては困ります。』などと言われると思った。」などと述べていることに照らせば,被告人が,本件預託金をDに預けた当時,同預託金を同人に貸与することが,自己の権限を逸脱し,B夫妻の意思ないしは委託の趣旨に反することを明確に認識していたものと認められるから,被告人には,何ら不法領得の意思に欠けるところはないというべきである。

これに対し,被告人は,Dに本件預託金を貸与したのは,マルク券の清算が成功すれば,同人に貸与した1000万円が2倍の2000万円になって返還され,結局,B夫妻の利益になるのであるから,同夫妻の利益を図ろうとしたためであった上,Dに本件預託金を貸与する際,仮にマルク券の清算が成功しなかった場合にも,同預託金を確実に返還させるため,弁護士であるCに保証させるとともに,一時預かり証の但し書部分を前記のとおり訂正させたほか,マルク券の清算が成功し,本件預託金が2倍となっても,被告人にはBに報酬を請求する意思はなかったなどと弁解し,弁護人も,これを前提に,被告人には不法領得の意思はなかったと主張する。

しかし,提供した資金が確実に2倍になるというマルク取引なるものについては,一般的な社会常識を備えた者であれば,いかがわしいものとして,その真実性に疑問を抱くのが当然であるところ,被告人は,社会に生起する法的紛争の処理等を業務とする弁護士の職にあったのであるから,より一層このような疑念を抱くとともに,一旦これに資金を提供すれば,利益を得ることはおろか,その返還さえ受けられなくなる危険性が存在するとの危惧の念を抱くはずのものである。ところが,被告人は,Dに本件預託金を貸与するに当たっても,マルク取引の真実性や安全性等について具体的な調査をした形跡がないばかりか,Cに保証させ,一時預かり証の但し書部分を前記のとおり訂正させたとしても,それのみでは,本件預託金を銀行に預金したのと同視できる程に確実にその返還が担保されたとは到底いえないのであるから,更にDやCの資産関係(返済能力)の調査や,他の債権保全策を講じる必要があるのに,これらの対策を講じた形跡も全くない。このような事情に,被告人が捜査段階において,「Dらから(マルク券の清算が成功すれば)私にも手数料が入ると言われた。Dらには(マルク券の清算が成功すれば)50億円が手数料として払われると聞いたので,私には何千万円かの手数料は入ってくるのではないかとの期待をもった。」などと,本件預託金をDに貸与した目的の中に,自己の報酬を得ることも含まれていた旨認めていることなどを併せ勘案すれば,被告人の意図が,専らBの利益を図ることにはなかったと認めるのが相当である。なお,前記説示したところによれば,仮にマルク券の清算が成功した場合に,被告人において,Bに報酬を請求する意思がなかったとしても,被告人に不法領得の意思があったとの前記認定を妨げるものではない。したがって,弁護人の主張は採用できない。

4  以上説示のとおり,被告人は,B夫妻から「家族4人名義で銀行に定期預金して欲しい」旨の委託を受けて本件預託金の保管を依頼されたのにもかかわらず,委託の趣旨に反することを認識しながら,同夫妻に無断で,本件預託金をDに貸与したのであって,被告人に不法領得の意思があったことも優に認められる。

したがって,判示第1の事実を認定したものである。

第3判示第2の事実について

1  以下の事実は,関係証拠上明白であるか,被告人も自認しているものである。

(1) 被告人は,昭和43年ころ,自己の息子とEの次男が小学校の同級生であったことからEと知り合ったが,その後,年賀状を出したり,同人が郵便局に勤務していたことから郵便局簡易保険に加入するなどして,交際を続けていた。

(2) 被告人は,前記認定のとおり,平成10年9月25日,B夫妻から預かった1000万円をマルク取引の保証金として使用するためDに預けたが,その後,B夫妻から再三返還を求められ,同夫妻が札幌弁護士会に相談に行くなどの事態に陥っても,Dからマルク券の清算が実現していないなどとの理由でその返還を受けられず,平成11年8月当時,B夫妻に返還できないでいた。

(3) 被告人は,平成10年12月下旬ころ購入した夕刊紙に掲載されていた,マルク取引を騙った詐欺が横行しているとして注意を呼びかける内容の記事を閲読(なお,同記事には「ドイツ大使館によれば,これ(旧マルク紙幣)は,当時の『ドイツ帝国鉄道』が発行した一種の商品券で『発行後すぐに法令で回収され,当然,今は換金できない。』」旨も記載されていた。)したほか,平成11年6月ころ,フリージャーナリストのKから,マルク取引はインチキであると聞かされた上,同人が執筆し,月刊誌「L」に掲載されたマルク取引をめぐる詐欺事件に金融ブローカーが暗躍している旨の記事のコピーをもらって読むなどした。また,同年7月ころ,清算機構の構成員を自称するMから依頼され,Oに預けたマルク券が返還されないなどとして,愛宕警察署に被害届を出そうとしたところ,同署で応対した警察官から,マルク券の有効性につき日本銀行に照会した結果によれば,マルク券は紙切れ同然の無価値なものであると告げられた。

(4) 被告人は,同年7月15日に,判示第1の業務上横領事件について,札幌地方検察庁において,検察官から取調べを受けた際,検察官から,「マルク取引など信用できない。年内に被害弁償できなければ起訴する」旨通告された。

(5) 被告人は,同年8月3日ころ,Mからマルク券の預かり保証金として5000万円の調達を依頼されたが,同月4日,E宅を訪れ,同人に対し,「第一次世界大戦の敗戦国であるドイツが,戦勝国である日本に賠償として支払った債券かマルク紙幣の一部を皇族や旧皇族が保有しており,それらが特殊なルートで市場に出てきて,換金されると2倍になる。」「早ければ今月の25日か26日ころに現金になると思ってくれていいですよ。」「リスクはない。」などとマルク取引の概要を説明し,具体的な金額は明示しなかったものの,同取引に資金を投資するよう勧誘したところ,同人から,マルク取引に投資するとの承諾を得た。被告人は,同人から,翌5日午前10時ころ,被告人の事務所において,現金5600万円を受け取るとともに,同日午後6時30分ころ,判示ホテルにおいて,現金2200万円を受け取った。

(6) 被告人は,Eから5600万円を受け取った直後,この中から,マルク取引に関与していたPに対し,その経営にかかる老人保健施設の運転資金として290万円を送金して貸与したほか,自己が負っていた依頼者への金銭返還債務を履行するために165万円を事務員に渡し,70万円を自己の懈怠により競落されてしまった依頼者の不動産を買い戻すために支払い,8万9000円を自己の航空券の購入代金として支払うなどした。その後,同月6日,宿泊先の前記Dにおいて,Pに同様の名目で1510万円を貸し与え,同月7日,自称マルク取引のブローカーであるQに400万円を渡し,同月8日,Mに5000万円を渡したが,結局,同人から2500万円の返還を受けたことから,同月10日,再びPに2000万円を貸し与え,同月12日,同年7月末に購入したマンションの代金の一部として500万円を支払い,そのほか,自己の生活費や借入金の返済などに使用し,同年8月26日ころには,Eから交付を受けた現金全額をほぼ使い切った。

2  そこで,まず,Eが2200万円を追加して資金提供した経緯について検討すると,Eは,公判廷において,被告人からマルク取引に資金を投資するよう申し向けられた際の状況について,「被告人とは昭和43年ころに知り合ったが,最近は付き合いが遠のいていたところ,平成11年8月4日午後4時ころ,被告人が自宅を訪問してきたことから,その用件を尋ねると,被告人は,『実は妙味のある話でしてね。』と切り出し,『第一次世界大戦の敗戦国であるドイツが戦勝国である日本に賠償として支払った債券かマルク紙幣の一部を皇族や旧皇族が保有しており,それらが特殊なルートで市場に出てきて,換金されると2倍になる。』『常陸宮や池田家が関与している。銀行が仲立ちし,日銀も絡む。』『自分の信頼している人にMという人がいて,その人を通じて処理ができる。』『マルク紙幣あるいは債券を鑑定する必要があるが,その鑑定人がお盆ころにドイツに帰国してしまうので,このチャンスにこの話を乗せたい。』などとマルク取引の説明を始めた。そこで,投資する際の元本割れの危険について尋ねると,被告人は『リスクはない。心配ない。』と答えた。被告人から投資した資金が2倍になるまでの具体的な過程についての説明はなかったものの,被告人の説明を聞き,皇族の保有する債券あるいはマルク紙幣を日本の銀行が換金し,最終的にドイツ政府が回収する過程で利益が生まれるものと理解した。マルク取引の話は今まで聞いたことはなかったが,被告人の説明を聞くうちに,マルク取引によって投資した資金が2倍になるというのが本当のことだろうと思うようになった。お金がいつころに2倍になるのかと尋ねると,被告人が『回収は,早ければ今月の25日か26日ころに現金になると思ってくれていいですよ。』と答えたことから,僅か20日間で投資資金が2倍になり,しかも元本割れのリスクもないというのなら,こんな有利な投資はないと思った。平成10年12月ころ詐欺の被害に遭い,4000万円以上も騙し取られ,その被害金額を回復させたいと焦っていたことや,被告人が弁護士であること,また,永年の交際によって積み上げられた被告人に対する信頼などから,被告人の話を信じ,マルク取引に投資することに決めた。被告人に投資する金額を幾らぐらいにすればいいのか尋ねたところ,『なるべく少人数でまとまった方がやりやすい。』などと言われた。このとき,自宅には投資信託の購入資金等として現金5600万円を保管していたこともあり,5000万円ほど投資しようかと考えたが,投資する金額については少し考えてからにしようと思い,『金額は後で連絡します。』と答えた」旨供述した上,更に2200万円を追加して投資するに至った経緯については,「翌5日午前9時ころ,被告人から『幾ら投資してくれますか。』と電話で尋ねられたことから,5600万円を投資すると返答し,午前10時ころ,被告人の事務所を訪れ,一時預かり証と引き替えに,被告人に5600万円の現金を渡した。その後,自宅に戻ると,午前11時ころ,被告人から電話で,『予定した人が駄目になった。投資の枠がもう少しあるのでどうだろうか。』などと追加投資の話を持ち掛けられたことから,更にマルク取引に投資することを決め,この日は東京に行く予定になっていたので,天王洲アイル駅前のホテルで現金の受け渡しをすることを約束し,貯金を解約するなどして現金化した上,同日午後6時30分ころ,約束の場所で被告人と落ち合い,2200万円の現金を渡した。」などと供述する。

Eの供述中,2200万円を追加して投資するに至った経緯に関する部分は,具体的かつ明確で,弁護人の反対尋問にも揺らぐことなく一貫している上,特段不自然,不合理な点は見受けられないほか,その供述態度は真摯で,被告人に対する処罰感情についても,「厳重処罰までは望まず,法律に従って適正に処罰してもらえればよい。」などと述べるなど,殊更に被告人に不利益な供述をしなければならない理由を見いだし難いことなどの事情に照らし,十分に信用できるというべきである。

ところで,弁護人は,R郵便局の回答書によれば,Eが同郵便局から金員を引き出した時間は同日午前9時50分ころと認められるのに,同人は「午前10時ころ,被告人に同人の事務所で現金5600万円を渡して帰宅した直後,被告人から追加投資の申出があったことから,郵便局に行き現金2200万円を引き出した。」などと客観的事実との整合性を欠く供述をしているから,Eの供述は信用性に欠ける一方で,被告人は,捜査公判を通じて,Eから追加投資の申出を受けたと一貫して弁解し,その弁解には高い信用性が認められると主張する。

確かに,弁護人の指摘するように,Eの公判供述のうち,「午前11時過ぎに貯金を払い戻した」旨の部分は前記回答書と整合性を欠いていることが認められる。しかし,Eは,この点について,検察官に対して,「被告人の事務所から戻った後に2200万円を払い戻したというのは記憶違いだった。改めて考えてみると,被告人に5600万円を渡してしまうと手元にまとまった現金がなくなり,不動産や証券等のもうけ話があったときに,うまく対応できずに困ることになるので,被告人に5600万円を届ける前に,時間があったことから,自分や子供名義の貯金を解約して2200万円の現金を用意した」旨述べて,自己の公判供述が記憶違いであったことを率直に認めた上,記憶違いをした理由についても,「貯金を解約した時間ははっきりしなかったが,解約したのが8月5日であったことは確かであったのと,被告人から追加投資を求められ,それに応じることを決心し,被告人に2200万円を預けたとの記憶が鮮明であったことから,追加投資を決心した後に貯金を解約したものと思っていた」旨説明しているが,その説明は十分了解できるもので,格別不自然あるいは不合理な点はない。また,同人の記憶違いの内容が,時間的な点にとどまるものである上,Eが郵便局から貯金を払い戻したという事実は,同人が,被告人から追加投資を求められてから被告人に金員を交付するまでの一連の事実の中では,中核的なものとまではいえないことなどに照らせば,郵便局で金員を払い戻した時間に関するEの供述部分が,客観的事実と整合性を欠くとしても,直ちにその供述全体の信用性が揺らぐものではないというべきである。

他方,2200万円の追加投資はEが申し出たとの被告人の弁解を前提とすると,Eは,被告人の事務所において,7800万円全てを被告人に交付する意思を有していた上,現に同金員を被告人に交付できるような状況にあったにもかかわらず,同所では被告人に5600万円のみ渡し,わざわざ東京まで現金2200万円を運搬し,これを被告人に渡したことになるが,2200万円もの大金を東京まで持参することの煩わしさや危険性に比べれば,被告人の事務所を車で訪れた際に,5600万円と一緒にこれも被告人に渡した方がはるかに危険や苦労は少ないことは自明の理であるから,この点で被告人の弁解は不自然,不合理といわなければならず,Eの供述に対比して到底信用できない。

以上のとおり,2200万円の追加投資の話は,被告人がEに対して申し出たものと認めることができる。

3  次に,被告人がEにマルク取引に投資するように申し向けた際,被告人にEを欺罔する意思があったか否かについて検討する。

(1) 被告人は,捜査,公判を通じて,一貫して,マルク清算制度が存在する旨供述し,その概要について,概ね,「第一次世界大戦で敗戦国となったドイツが,戦勝国である日本に戦後賠償として1923年発行のマルク紙幣(以下「旧マルク紙幣」という。)で賠償金を支払った。旧マルク紙幣は,天皇家が所持していたが,第二次世界大戦前後に,天皇家から各宮家に渡された。その後,欧州連合が成立し,同連合に加盟している国の統一通貨として,ユーロが流通することとなったことから,ドイツは,旧マルク紙幣や債券を回収することとした。その回収に当たっては,清算機構という秘密の組織が,代金を立て替えるなどして換金(清算)し,それを最終的にドイツ政府あるいは同国の銀行が買い取ることになる。なお,清算の対象となるのは,いわゆる真券と呼ばれるものに限られ,全ての旧マルク紙幣が清算の対象となるわけではないが,清算が成功した場合には,清算機構から,マルク券の清算のために資金を拠出した者に,その拠出金の2倍に当たる額が報酬や手数料として支払われるとともに,清算に尽力した者に対しても一定額の報酬が支払われることになる。」などと供述している(なお,被告人は,この点について,陳述書では,「世界には金融秩序を維持するため各国の通貨の発行等を管理する国際的な金融組織が存在するところ,同金融組織は,1924年,ドイツ帝国が帝国新マルク紙幣を発行する際,その担保として,同帝国から,流通紙幣・流通公債とは異なる,同金融組織の箱に入れられた紙幣・公債を取得した上,同帝国に一定額の通貨発行権を付与し,その紙幣・公債発行の裏付けとなる金地金を同帝国の紙幣発行銀行に渡した。その金地金は,同金融組織の依頼により,第一次世界大戦の戦勝各国の王室,皇室が貸したもので,天皇も前記紙幣・公債を担保として金地金を提供した。ところで,前記金融組織は,十数年間に一度,発券国であるドイツから,前記紙幣・公債を呈示して手数料をもらうことになっていたものの,第2次世界大戦によって日本で保管されていた前記紙幣・公債が世界中に散逸してしまったため,清算機構と呼ばれる組織が,その保管者や仲介人などに手数料等を支払うなどして蒐集しており,これを清算と呼んでいる。」などと述べ,捜査段階の供述とは明らかに異なる供述をしている。)。また,被告人が清算機構の一員だというMもマルク清算制度は存在する旨被告人の前記供述に沿う供述をしている。

しかし,ドイツ連邦共和国大使館財務担当参事官のS作成の捜査関係事項照会回答書によれば,1922年及び1923年発行のドイツ帝国証券並びにドイツ帝国銀行券は,1924年に無効となって通用力を失ったこと,ドイツ政府及びドイツの公的機関が,現在及び将来において,これらを買い取ることはないことが認められる。したがって,被告人が供述するような,ドイツ政府あるいは同国の銀行が最終的な買取主体となるマルク清算制度は,およそその存在の前提を欠いているといわなければならない。また,そもそも,被告人が供述するマルク清算制度の内容をみても,第一次世界大戦の敗戦国であるドイツ帝国が,敗戦直後のいわゆる大インフレ時代に発行したマルク券が,その清算額に変動があるものの,平成10年9月から平成11年7月ころの相場では,1万枚あたり500億円から1000億円もの高額で清算されるというもので,これを行うためには巨額の資金が必要となると考えられるが,現時点において,そのような巨額の資金を投入してまでドイツ政府等がこれを買い取らなければならない理由や必要性を合理的に説明できないばかりか,仮にドイツ政府等がマルク券を回収するにしても,清算機構という秘密組織を関与させた上,拠出金の2倍額という高額な報酬を与えるとの条件を提示してまで資金拠出者を募る理由も全くないことなどからすれば,その内容は不合理極まりなく,荒唐無稽ともいうべきものである。加えて,被告人自身,これまでマルク券の清算が成功し,清算金や報酬金が支払われた例を見聞したことがないことを自認しているのであって,これらの事情を併せ考慮すれば,被告人やMの供述するような,清算機構やマルク清算制度などはおよそ存在しないことが明らかである。

(2) ところで,清算機構やマルク清算制度が存在しないとしても,被告人において,これが存在すると確信していた場合には,詐欺の故意が認められないことになるので,以下この点について検討する。

被告人は,捜査,公判を通じて,清算機構やマルク清算制度が存在すると信じていたと弁解した上,その根拠について,概ね,「平成10年夏ころ,Jの依頼で上京したところ,同人やDなどを通じてマルク取引を知ったが,同年8月ころ,かねてからの知り合いで,マルク買取清算機構の名刺を持つTなる人物から,『旧マルク紙幣というのは,1923年10月に第一次大戦の戦勝国に賠償として発行されたものをいい,日本に対しても色々な種類の旧マルク紙幣が発行された。今回清算の対象となるのは,500ミラーデンマルク紙幣の中の3種類で,かつ,皇族を含む天皇家,五攝家が所持し,5000枚ないし1万枚ごとに皇室で制作された箱入りで保存されたもので,続き番号となっているものである。仲介人は,マルク券を所持している宮家と清算人側と両方に通じていなければならない。マルク券の清算の具体的な手続は,まず,仲介人が宮家にマルク券5000枚につき5000万円の現金又は銀行振出小切手を預けると,宮家が箱入りの券5000枚を出してくれることになり,仲介人が清算人側の者にその旨連絡すると,清算人側が箱に表記されている券の番号を確認した上,ドイツに電話して当該番号の清算の可否を問い合わせる。ドイツからOKの返事が出ると,宮家から仲介人や執事などを清算手続に関する代理人とする委任状を出してもらうとともに,特定の銀行で当該マルク券が真正か否かを検品し,検品に合格すると,銀行からマルク券の預かり証と清算残金の支払証明書が代理人に交付され,数日後,銀行から,宮家には清算金としてマルク券5000枚につき500億円が,仲介者には50億円がそれぞれ支払われ,マルク券の清算が終了する。』などとマルク取引の説明を受け,その際,Tから,額面5000億円の小切手のコピーや清算手続の委任状のひな形などを見せられるなどしたことから,マルク清算制度が実在する旨確信した。その後,多数のマルク取引の仲介人と関わるようになったが,平成11年4月26日ころ,仲介人の1人であるUの依頼で上京した際,昭和天皇の後落胤と称されるPやMと面識を持ったところ,Mについては,かつて仲介人の1人であるVから,Mが清算機構の担当者であり,マルク券の清算を実現する手前までもっていったことがあると聞いていたほか,M自身も清算機構のマルク券の清算に関わる担当者であると自称していたこと,同人がマルク取引に関する多くの書類を所持していたこと,平成11年7月末ころ,Tと同様,Mも額面4500億円ないしは5000億円の小切手のコピーを所持していたことなどから,同人が清算機構の構成員であると確信するとともに,同人のマルク取引に関する話を信用した。」などと供述している。そして,被告人が,Eから7800万円を受取った後,Mに対し,マルク取引に関する保証金とする趣旨で5000万円(その後,2500万円は返還された。)を交付していること,被告人のスケジュール帳の平成11年8月4日の部分に「(E宅を訪問し,詐欺被害に遭ったことを聞き)その穴うめにマルク旧紙幣のことを話したら,損害金を上廻る金で預けてもよい話になり……こちらも責任を痛感してお別れする」旨の記載があるなど,一見すると,被告人がマルク取引の存在を信じていたことを裏付けるかのような事情もある。

しかし,以下に説示するとおり,被告人においては,清算機構やマルク清算制度の存在及びその清算の実現性について確信してはいなかったと認めるのが相当である。

ア 前記説示のとおり,被告人の供述するマルク清算制度の概要は,これに資金を投資する者にとっては,保証金等として資金を投資さえすれば,その後労なくして大金を得ることができるという内容のもので,一般的な社会常識を備えた者であれば,およそ信じるに値しない,いわば荒唐無稽なものであって,増して,被告人が長年弁護士という職にあり,それなりに職務上の経験を積んでいること等に照らせば,これを信じるどころか,架空のもうけ話に藉口した悪質な詐欺などの手口であることに容易に思い至るはずのものである。しかも,被告人は,マルク券の買取主体はドイツ政府あるいは同国の銀行であるとする一方で,マルク券の清算の目的には,日本の皇族救済が一つの目的となっているとか,清算手続に法務省の職員が関与しているとか供述しているのであって,被告人が供述するマルク清算制度は,その内容及び手続が不合理極まりないといわなければならない。

イ マルク清算制度の存在を確信していたとの被告人の弁解は,詰まるところ,TやMの話を信用したということをその根拠とするものであるが,被告人がTやMの話が信用に値すると考えたのは,同人らが,マルク取引に関する多くの書類や額面5000億円あるいは4500億円の小切手のコピーなどを所持していたこと,Mについては,前記Vから,Mが清算機構の担当者であると聞いていたこと,M自身もそれを自称していたということに尽きるのであって,被告人の供述によっても,被告人が見たという小切手は,原本ではなく単なるコピーにすぎない上,Tらが所持していたという書面の真実性や,同人らの話の信用性を合理的に裏付ける証拠を確認したものでもない。それにもかかわらず,被告人は,マルク清算制度の存在等について一度も調査していないばかりでなく,マルク券の清算が秘密であることや清算の対象となるマルク券が皇族等が所有するものに限られていることなど,マルク清算制度の根幹部分について疑問を感じながら,これらの点をMに尋ねると同人から相手にされなくなってしまうとの不安から,結局,同人にその理由を問い質すことさえもできずにいたことなどを自認しているのである。

以上のとおり,被告人がマルク清算制度の存在を信じたとする根拠は,合理的な裏付けを全く欠いているといわなければならない。

ウ 前記認定のとおり,被告人は,平成10年12月下旬ころ,マルク取引を騙った詐欺が横行しているとして,注意を呼びかける内容の記事を夕刊紙で閲読した上,平成11年6月ころには,マルク取引はインチキであると主張するフリージャーナリストのKと会い,同人が執筆したマルク取引をめぐる詐欺事件に金融ブローカーが暗躍している旨の記事のコピーをもらって読むなどしたほか,同年7月ころ,愛宕警察署の警察官から,マルク券は紙切れ同然の無価値なものである旨伝えられ,さらに,同年7月15日に検察官から取調べを受けた際,検察官からマルク取引など信用できないと被告人の主張を真っ向から否定されたものである。

また,マルク取引に関する体験等についての被告人の供述によると,被告人は,平成10年夏ころから多数のマルク取引の仲介人と称する者と関わったものの,その中では噂話や伝聞話が飛び交う反面,同人らからマルク券の清算が実現したとの話は一切聞いたことがなく,むしろ,マルク券の清算に期待して半信半疑ながら度々上京するも,結局は同人らの虚言や甘言に翻弄されただけに終わり,うさん臭い者が関与することを身をもって認識していたこと,その後,Mからマルク取引の話を持ち掛けられ,マルク券の清算の実現に向けて行動を共にするようになってからも,同人がマルク券の清算を実現させたことはなかったこと,同人がマルク券を清算させるに当たり採った方法は,清算機構ではなくWという民間企業を関与させるものであったり,Pをマルク券の所有名義人と偽ることを企てるなどしたもので,それまで被告人が認識していたマルク券の清算過程とはかけ離れた方法であったこと,Mからは,しばしば,それまで受けていた説明と整合性を欠く,不合理な説明や弁解を受けたこと,同人から5000万円の調達を求められた8月上旬ころにも,それまで清算が成功して40億円の報酬が支払われると確約されていたのに,結局は「ちょっと銀行の都合で,金は動かなかった。」などと不合理な理由によって支払われなかったこと,Mによる清算と同様,清算機構による清算であると信じていた,いわゆるDルートによるマルク券の清算についても,Bらから保管を依頼された1000万円を貸与してから10か月以上も経った同年7月ころになっても清算が実現せず,かえって,被告人がB夫妻から預託金を返還しないことで弁護士会に苦情を申し立てられるような窮状に陥っても,Dらから種々弁解されていっこうに返還を受けられないでいたことが認められる。

これらの事実によれば,被告人は,平成11年8月当時において,マルク券をめぐる悪質な詐欺が社会問題となっていること,マルク取引の仲介人と称する者の話には一貫性がなく,これにうさん臭い者が多数関与していること,Mの説明が全面的に信用できるものではなかったこと,再三マルク取引が成功すると期待を持たせられながらも,結局は裏切られていたことなど,マルク清算制度の存在に疑念を抱かせる幾多の事情を認識していたものと認めるのが相当である。

エ ところで,被告人は,マルク券の清算が成功し,Eの投資した資金が2倍になると確信していた旨弁解する一方で,Eに資金の投資を求めた当時,マルク券の所在が秘密事項であってその調達が容易ではないこと,清算の対象となるマルク券がいわゆる真券に限られ,その全てが清算の対象となるものではないことなどから,マルク券の清算の実現が極めて困難であることを認識していた旨自認する供述をしているのであって,この点で,その弁解自体が矛盾しているといわなければならない。さらに,被告人は,ドイツの銀行等がマルク券の買取主体だと供述する一方で,清算の対象となるマルク券は,既に通用力を失っており,古銭的価値もないことを認識していたとか,ドイツの銀行がマルク券を買取る理由は分からないなどと供述しているほか,本件の取調べを受けるまで,清算機構で清算の対象となるマルク券が,債券と紙幣のいずれなのか明確には認識していなかったことが認められる上,その弁解も「私にしてみれば,マルク紙幣だろうがマルク債だろうが,金になればどちらでもよかった。」などとその理由を合理的に説明するどころか,かえって開き直るような態度を示していること,「私が関心があったのは清算機構による清算であって,企業がマルクを買い取るというルートには関心がなかったのです。」などと供述する一方で,平成11年8月10日ころ,Mから「Wの関係で必要だ。」などと言われ,Wが清算機構と無関係であることを認識しながら,同社によってマルク券の清算が実現することを期待し,Eから受領した金員の一部をMに渡していることなど,その弁解と整合性を欠く行動をとっていること,「Mは清算機構の構成員であり,マルクの真券についての情報は全てMのもとに集まることになっていましたから,Mが確実に旧マルク紙幣の清算を成功させると確信していました。」「(マルク券の真券を調達することが)難しいことでも,Mは清算機構の人間であり,情報の中心にいるわけでしたから,私は,Mなら近々成功させてくれると期待していたのです。」などと述べる一方で,取調検察官からMの説明の不自然,不合理な点を示された際には,「Mは清算機構の末端にすぎない。」「私は,清算機構という組織を信じたのであって,Mという人間個人を全面的に信じたのではありませんでした。」などと前後矛盾する供述をしている。このように被告人の供述は,不自然,不合理である上,支離滅裂ともいうべき部分が随所にあって,到底信用できないといわなければならない。

オ さらに,前記認定の事実によると,被告人は,平成11年7月当時,少なくとも4億8000万円余りの負債を抱えていた上,過去に2度の懲戒処分を受けていたために弁護士業務による収入は少なく,これによる収入では到底その負債を返済できる見込みはなかったことが認められるが,被告人自身も「私にしてみれば,マルク取引で金を掴んで順次逆転を狙うしか方法はないわけでした。」「私には,金を作れるのはマルクや償還金しかありませんでしたから,家族から小言を言われながらも,マルク取引等への関与を続けるしかありませんでした。」などと,このような窮状を打開するには,マルク取引に関与し続け,マルク券の清算が成功して自己に報酬が入ることを期待せざるを得ない状況にあったことを自認する供述をしている。そして,被告人の自認供述は,被告人が,これまで多数のマルク取引の仲介人と称する者と関わっていたこと,Mからマルク券の清算が実現すれば,自らにも報酬が与えられるとの説明を受けていたことなどの事実によっても裏付けられている。

このような被告人の当時置かれていた状況に照らせば,被告人自身が,自己の負債を返済するためにもマルク券の清算を成功させなくてはならず,そのために,Eに資金を拠出させ,マルク取引に投じさせる必要性が高かったと認めるのが相当である。

以上説示したとおり,被告人の供述するマルク清算制度の概要が不合理で,到底信用し難いものであること,マルク清算制度が存在すると信じた根拠には合理的な裏付けがないこと,被告人がマルク清算制度等について疑念を差し挟むべき多数の体験をしていること,被告人の弁解が到底信用できないこと等を総合すれば,被告人は,清算機構やマルク清算制度の存在及びその清算の実現性については多くの疑念を抱いていたこと,すなわち,マルク取引に投資をしても,高額な利益を得られる確実な見込みのないことを認識していたものと認めるのが相当である。そして,被告人が当時経済的に窮乏状況に置かれていたことを併せ勘案すれば,被告人は,マルク券の清算の実現性について疑念を抱きながら,自己の負債を返済するため,マルク券の清算の成功に一縷の望みをかけ,Eに対し「リスクはない。心配ない。」などと虚偽の事実を申し向け,確実に投資した資金が2倍になる旨同人を申し欺いて,同人からマルク取引への投資資金名下に合計7800万円の交付を受けたものと認められる。被告人は,捜査段階で,「旧マルク紙幣の買い取りについては,本当に存在する話なのかどうかという疑いも持っていたのですが,結局,私が自分の借入金を一挙に返すには,このMの話を信用して突き進んで行くしかないと思い,言ってみれば,一発勝負を賭けたのです。」などと,マルク清算制度の存在に疑念を抱いていた旨の供述をしているが,被告人のこの供述は,前記認定の事実等に符合し,被告人の犯行当時の心境を素直に明かしたものとみることができ,十分に信用できるというべきである。

なお,弁護人は,被告人が,検察官からB夫妻に対して被害弁償しなければ起訴する旨通告されていたのに,Mからマルク取引のために要請されていた5000万円を超える7800万円をEから受け取りながら,B夫妻に被害弁償をしていないことをもって,被告人において,マルク清算制度の存在や清算の実現を確信していたことを端的に示すものである旨主張するが,以上説示したとおり,被告人は,当時,清算機構やマルク清算制度の存在及びその清算の実現性について多くの疑念を抱きつつも,マルク券の清算の成功に最後の希望をつなげていたのであるから,弁護人が指摘する事情は,このような被告人の認識と矛盾するとはいえず,前記認定を左右するものではない。また,被告人がEから交付を受けた7800万円のうちの5000万円をマルク取引のためにMに渡したことや,前記スケジュール帳の記載など,一見すると被告人の弁解に沿うかのような前記事情も,同様の理由から,被告人が清算機構やマルク清算制度の存在及びその清算の実現性について多くの疑念を抱いていたとの認定の妨げとはならないというべきである。

(3) 次に,被告人において,Eにマルク取引に投資するように勧誘した際,交付を受けた金員の一部を自己の用途に費消する意図を有していたか否かについて検討する。

前記認定のとおり,被告人は,Eから5000万円を上回る5600万円の交付を受けるや,何ら躊躇することなく,その全額を受け取った上,更に同人に追加投資の話を持ち掛けて金員を拠出させていること,Eから現金5600万円を受け取った直後,その中から200ないし300万円を事件関係者らに対する返済や事務所経費等として費消し,その後も,自己のマンションの購入代金として500万円を使い,Pに請われるまま合計3800万円を貸し与えるなどして,Eから受領した金員の過半をマルク取引以外の自己の用途等のために費消していること,被告人は当時経済的に困窮していた上,事件関係者らに対する返済金やマンション購入代金の支払を迫られており,他にこれらの資金を捻出する手段のなかったことのほか,被告人が,公判廷において,Eから5000万円を上回る金員を受領した理由について,「要は,倍にして返せばいいわけですから。」と弁解し,自己の用途に費消する意図があったことを必ずしも否定していないことなどの事情を併せ勘案すれば,被告人は,Eにマルク取引に投資するよう申し向けるに当たり,同人から交付される金員の一部を自己の用途に費消する意図を有していたものと認めるのが相当である。被告人は,Eから交付された金員を自己の用途に費消する意図が生じた時期について,自己の事務所で同人から5600万円を交付された時点であると弁解するが,前記認定のとおり,被告人が,Eから金員の交付を受けた直後から,その一部をマルク取引とは無関係の自己の用途等に費消していたことに照らせば,被告人の弁解は信用できない。

なお,弁護人は,前記のとおり,被告人のスケジュール帳に「こちらも責任を痛感しお別れする。」との記載があることから,被告人の意図は,専らEの利益を図るというものであったと主張するが,前記説示によれば,被告人の意図が専らEの利益を図ることになかったことは明らかである。また,被告人は,Eから受領した金員の過半をPに貸与したことなども,広い意味では,マルク券の清算を成功させるためであったなどと弁解するが,Pに金員を貸与することは,被告人がEに対してなした「投資した資金が2倍になって戻ってくる。」「早ければ,8月26日ころには戻ってくる。」との説明とは明らかに相反する使途で,このような資金の使い方をEが予め了解していたことを窺わせる事情は全くないから,被告人の弁解は,到底採用の限りではない。

以上説示のとおり,被告人は,当初から,Eの資金の一部を自己の用途に費消する意図を有していたものと認められる。

したがって,判示第2の事実を認定したものである。

(法令の適用)

被告人の第1の所為は刑法253条に,第2の所為は包括して同法246条1項にそれぞれ該当するが,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により犯情の重い第2の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役5年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中540日をその刑に算入し,訴訟費用については,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は,弁護士であった被告人が,依頼者からの依頼で保管していた現金1000万円を,依頼者に無断で,いわゆるマルク取引の仲介人と称する者に貸与して横領した(第1の事実)ほか,マルク清算制度の存在や実現性に疑念を持つとともに,これに投資しても確実に儲かるとはいえないことを認識しながら,かねて顔見知りの被害者にマルク取引への投資を勧誘し,同人から合計7800万円を騙取した(第2の事実)という事案である。

被告人は,これまで2度にわたり札幌弁護士会から業務停止の懲戒処分を受け,顧問先を失うなどして収入が減少する一方で,金融機関からの多額の借入金債務等を負担し,これを返済するために,地道な努力をするどころか,旧マルク紙幣等の清算が成功すれば,多額の報酬が得られるなどという,荒唐無稽なマルク取引にのめり込んだ挙げ句,本件各犯行に及んだものであって,犯行に至る経緯が,これまでの自己の業務における非違行為や不適切な業務処理に基づく結果であることに照らしても,その動機は甚だ自己中心的で身勝手というほかなく,酌量の余地は全くない。犯行態様も,第1の犯行は,弁護士として依頼者から保管を依頼された現金を横領したもの,第2の犯行は,被害者が,かねてから面識があり,弁護士の職にもあった被告人を信頼していたのを幸いに,被害者を言葉巧みに欺いて,金員を騙取したというもので,いずれも被害者らから弁護士として高い信頼を寄せられていたのに,これを裏切る背信性の高い悪質なものである。本件による被害金額も合計で8800万円と多額にのぼり,被害者らは大きな経済的損害を受けたばかりでなく,信頼していた被告人の背信的な行為により,甚大な精神的苦痛を被っている。ことに,第1の事実の被害者は,被告人の誠実な事件処理を期待して金員を預託したものであって,何ら落ち度を見いだすこともできないことに照らせば,同人の被害感情が厳しいのも当然であり,加えて,本件各犯行が弁護士あるいは法曹全体に対する社会一般の信用を失墜させたことをも考慮すれば,結果もまた重大であるといわなければならない。

こうした事情のほか,被告人が,犯行後も自己の非を認めるどころか,被害者らのために行ったなどと,不合理な弁解に終始し,反省の態度を全く看取できないこと,被害者らに対し,これまで全く被害弁償がなされておらず,今後もその見込みがないことなどを併せ考慮すれば,被告人の刑事責任は重いというべきである。

他方,被告人には,これまで前科前歴のないこと,71歳と高齢であることなど斟酌すべき事情も若干ながら認められる。

そこで,以上の諸事情を総合勘案し,被告人を主文掲記の刑に処するのが相当と判断した。

よって,主文のとおり判決する。

(検察官加藤和宏及び国選弁護人村部芳太郎各出席)

(求刑 懲役6年)

(裁判長裁判官 小池勝雅 裁判官 中山大行 裁判官 河畑勇)

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