札幌地方裁判所 平成12年(わ)797号 判決 2002年3月12日
被告人氏名,本籍,住居,職業,生年月日 (略)
主文
被告人を懲役14年に処する。
未決勾留日数中360日を刑に算入する。
理由
(犯行に至る経緯)
1 被告人は,自衛官,タクシー運転手などの職を経て,平成9年3月から,札幌市内の警備会社に勤務し,同社から派遣されて同市a区b条c丁目d番e号所在のA高等学校において夜間常駐警備員として働いていた。
他方,本件の被害者であるBは,同4年3月に高校教諭を定年退職した後,被告人と同様高校の夜間常駐警備員として働いていたが,同9年8月から,被告人と同じA高校に派遣され,同校で被告人と1日おきに勤務するいわゆる反対勤務者として働くようになった。
2 被告人は,まじめに勤務を続けていたが,会社の上司に対して指導内容が一貫していないと不満を述べたり,生徒の下校時刻が遅れたことで教員に執拗に苦情を言ったりするほか,同僚の態度に激こうして怒鳴りつけたりすることもあった。また,Bに対しても,同人がA高校で勤務を始めた当初,警備の手順や注意点などを指導したが,教員や警備員の経験が長い同人から反論されるなどしたため,反感を抱くようになった。その後,被告人は,Bが勤務時間中に寝ているとか,教員や生徒を注意しているなどといううわさを耳にし,そのようなBの勤務態度がいい加減である上に,警備員としての分を越えたことをしていると考えて腹を立てた。そこで,そのことを会社の上司に告げたが,Bに対する指導や処分がなかったことから,同人に対する反感を強くした。また,同年10月ころ,Bから勤務を交代してほしいという申し出があり,被告人は,これを引き受けて3日連続で勤務に就いたが,これが肉体的に大きな負担であったため,Bが人の迷惑を顧みずにそのような交代を申し出たと考えて腹を立て,その後もたびたび同様のことがあったので,やがて同人との勤務交代には全く応じなくなった。さらに,同12年2月ころ,会社の社内報に,Bの文章が掲載されたが,被告人は,その内容がBの普段の勤務態度と相反するものであると考え,ますます同人に対する反感を強めた。
被告人は,健康上の問題から,同年5月下旬,やむを得ず退職することとなったが,退職後もBに対して強い反感を持ち続けていた。
3 被告人は,同年6月10日ころ,A高校の警備員に電話をかけてBの勤務態度を尋ねたが,同人の態度が以前と変わっていないと考え,自分は健康上の理由で退職せざるを得なくなったのに,Bが勤務態度を改めないまま勤務していることに我慢ができず,遂に同人を殺害しようと決意するに至った。そこで,被告人は,Bの勤務中にA高校に侵入し,護身用に持っていた先端を鋭く研磨したドライバーを使って同人の心臓を一突きにして殺害するという計画を立てた。
被告人は,その計画を実行するため,同月15日ころ,A高校から同校職員玄関の鍵を盗み出し,同月26日午後9時ころ,前記ドライバー等犯行に使用する道具を携えて自転車でA高校に向かったが,自転車の鍵を紛失したので,その日は計画の実行を断念した。
4 被告人は,同月30日午後10時30分ころ,再び前記の計画を実行するため,犯行に使用する道具を携えて自転車でA高校に向かい,同日午後11時ころ,同校に到着した。
(犯罪事実)
被告人は,B(当時69歳)を殺害する目的で,平成12年6月30日午後11時ころ,前記のとおり盗み出した鍵を使ってA高校職員玄関の施錠を外して同校に侵入し,同校1階用務員室に入って同人を待ち伏せした上,同日午後11時50分ころ,同所において,校内の巡回を終えて戻ってきた同人に対し,殺意をもって,前記ドライバーでその胸部及び背部等を数回突き刺し,よって,そのころ,同所において,同人を心臓刺創による失血及び心タンポナーデにより死亡させて殺害した。
(証拠の標目) (略)
(事実認定の補足説明)
1 被告人は,本件被害者を殺害したことを否認し,平成12年6月30日の夜中にA高校の校舎内で被害者が数人の者に襲われているのを目撃したなどと述べて,他に犯人がいるかのような主張をし,弁護人も,被告人は殺人につき無罪であると主張する。
しかし,被告人は,捜査段階において,自分が犯人であることを明確に認めているので,その自白の任意性及び信用性について,まず検討する。
2 自白の任意性について
関係各証拠によれば,被告人が犯行を自白するに至った経緯は,以下のとおりである。
(1) 被告人は,本件犯行に関与したのではないかと疑われ,平成12年8月10日午前8時すぎころから午後9時30分ころまで,北海道警察本部に呼ばれて任意の取調べを受けたが,「家族のために絶対に白状できない。」などと言って犯行を否認した。帰宅後間もなく,被告人は,首をつろうとしたため,再び道警本部に同行を求められ,自殺を図った理由などについて警察官から事情を聴取されたが,依然として犯行を否認していた。翌11日も同様に午後4時30分ころから午後7時30分ころまで,道警本部で任意の取調べを受けたが,引き続き犯行を否認した。
(2) ところが,同日帰宅後,被告人は,妻と息子に対して自分が犯人であることを認め,再び自殺を図ろうとしたため,家族から警察に行くよう説得され,妻に付き添われて被告人方前で待機していた警察官のところに行き,警察官に,「いや,申し訳ありません。私がやりました。」と述べた。そこで,被告人は,豊平警察署に同行を求められ,同署において取調べを受け,犯行を認める旨の自白調書(乙4)が作成された後,同月12日午前5時30分に通常逮捕された。
(3) 被告人は,同月14日に勾留されたが,勾留質問を担当した裁判官に対して,「A高校に行ったときには,Bさんは死んでいました。息子や妻に泣いて自首するように言われたので,近所の人に迷惑が掛からないようにするため,罪を認めました。裁判官には本当のことを言うつもりでした。倒れていたBさんを布団に寝かせました。」などと述べて,本件犯行を否認した(乙19)。
(4) しかし,その直後,警察官の取調べを受け,「勾留質問をした裁判官が,この事件の裁判をしてくれると思い,殺していないと言えば信用してくれると思ってうそを言いました。うそをついたことでみんなに迷惑を掛けてしまうことに気がついたので,本当のことを話すことにします。弁護士さんが面会に来てくれているということですが,裁判官にうそをついたので会いません。」などと述べて,再び自白に転じ(乙20),その後は,捜査段階を通じて,自分が犯人であることを一貫して認めていた。
このような自白に至る経緯に照らすと,被告人の自白が任意にされたものであることは明らかである。
弁護人は,①被告人が普段高血圧の薬を服用していたところ,逮捕,勾留後,処方された量よりも多量の薬を飲まされたり,他人の薬を飲まされたりしたこと,②拘禁反応が生じていたこと,③体調が良くないのに捜査機関が取調べをしたこと,④捜査官から脅迫や利益誘導を受けたことを挙げて,被告人の自白には任意性がないと主張する。しかし,前記の自白に至る経緯に照らせば,身柄不拘束の間にされた最初の自白については,このような事情が影響していないことは明らかである。また,身柄拘束中は,捜査機関において,被告人に持病があることを考慮して必要な薬を与えており,その量も適切なものであったと認められる上,個々の取調べに当たっては,被告人が取調べに応じることのできる体調であるかどうかを事前に確認するなど,相当の配慮をしていることが認められる。さらに,逮捕後,一旦否認し,再び自白に転じたのは,身柄を拘束されてから3日目のことであり,その日に行われた勾留質問で否認した直後に自白に転じているが,その事情について,取調べを担当した警察官は,「勾留質問で否認したというので事情を聴いたところ,1時間くらいで元の自白に戻った。」と述べており,それまでの経緯に照らせば,その供述に格別,不自然不合理な点は認められない。したがって,その際,取調官による脅迫や利益誘導はなく,拘禁反応の影響もなかったと認められる。被告人は,脅迫や利益誘導があったというが,その内容は,あいまいである上,いつのことかもはっきりせず,前記の自白の経緯に照らしても,不自然である。
したがって,被告人の自白の任意性に疑いを入れる余地はない。
3 自白の信用性について
被告人の自白調書は,被害者に対する自分の感情を含めて,犯行に至る経緯,犯行状況等が,自ら体験した者でなければ供述できない具体性及び迫真性を持って詳細に供述されている。そして,使用した凶器,犯行態様,犯行後の隠蔽工作等に係る供述内容は,犯行現場からドライバーが発見されたこと,被害者の死因,身体の損傷状況,犯行現場の状況等と整合している上,被告人の供述に基づいて犯行に使った道具等の一部が発見されるなど,客観的状況によく合致している。さらに,前記のとおり,被告人が任意捜査の段階で家族の説得を受けて自ら進んで犯行を自白していることも,被告人の自白の信用性を高める事情である。
そうすると,捜査段階の自白のうち,犯行の動機となった被害者の行動に関する部分は,被告人の一方的な思い込みによるものである可能性があり,被告人のいうとおりの事実があったとは断定できないが,被害者に対する感情,犯行を決意するに至った心の動き,計画を立て犯行を準備した状況,犯行の状況,事後の行動等に関する供述は,十分信用できるというべきである。
なお,被告人は,公判廷で,前記のとおり,何者かが被害者を襲撃しているのを見たと述べているが,被告人が目撃したという状況やその後の被告人の対応は,極めて不自然であり,勾留質問の際の弁解とも食い違っているので,到底信用できない。
4 以上のとおり,被告人の自白のうち判示認定に沿う部分は十分信用できるから,これとその他の関係証拠を総合すれば,被告人が判示のとおり被害者を殺害したことについて,合理的な疑いを入れる余地はない。
(法令の適用)
被告人の判示所為のうち,建造物侵入の点は刑法130条前段に,殺人の点は同法199条にそれぞれ該当するところ,この建造物侵入と殺人との間には手段結果の関係があるので,同法54条1項後段,10条により1罪として重い殺人罪の刑で処断することとし,所定刑中有期懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役14年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中360日を刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
(弁護人の主張に対する判断)
1 弁護人は,建造物侵入について,被告人は何者かに襲われている被害者を助けるため校舎に侵入したのであるから,緊急避難が成立し,無罪であると主張するが,被告人が校舎に侵入した目的は判示のとおりであり,弁護人の主張はその前提を欠くから,採用できない。
2 また,弁護人は,本件当時の被告人の責任能力について,責任無能力であったか,あるいは限定責任能力しかなかったと主張する。しかし,被告人は,前記のとおり周到な計画を立て,その計画に従い被害者を殺害するという目的を実現するために合理的な行動をとっている。しかも,被告人は,1度は予測しなかった出来事により発覚を恐れて犯行を断念するなど理性的な判断をしている上,犯行後は,証拠を残さないようにガス爆発を起こそうと工作し,犯行に使用した凶器や靴を投棄するなど,証拠の隠滅を図っている。以上に加え,被告人がこのような犯行の計画,その実行,事後処理等を詳細かつ具体的に記憶し,供述していることに照らすと,被告人が,犯行当時明せきな意識の下で周囲の状況を的確に認識し,被告人なりにその状況に適合した行動をとっていたことは明らかである。
たしかに,被告人が被害者を殺害しようとまで考えるに至った経緯については,普通ならばそこまで思い詰めることはないのではないかと理解に苦しむ面もあるが,被害者に対する反感が高じてこのような凶行に及んだという動機は,それなりに了解することができる。また,鑑定人中山誠の鑑定によれば,犯行当時の被告人に狭義の精神障害はなく,元来の直情径行型の被告人の性格傾向が被告人の思考,行動パターンを規定しているが,その人格に犯罪親和的な性格傾向があったとも思われないとされている。なお,同鑑定によれば,公判廷における荒唐無稽な弁解等に見られる被告人の一見異常な言動は,身柄拘束中に現れる心因反応性の精神状態の変化である拘禁反応によるものと認められる。
以上によれば,犯行当時,被告人が完全な責任能力を有していたことは明らかである。したがって,この点に関する弁護人の主張も採用できない。
(量刑の理由)
本件は,被告人が元の職場の同僚であった被害者の取り立てて問題とすべきでないような言動に対して一方的に腹を立て,反感を募らせた挙げ句,遂に被害者を殺害したという事案であって,犯行の動機は,身勝手で,酌量の余地は全くない。このような理由から殺害を思い立った上,実際に犯行に及び,いとも簡単に被害者の命を奪った被告人の態度は,厳しい非難に値する。また,被告人は,あらかじめ立てた計画に従い,判示のとおり周到な準備をした上,被害者が校内の巡回から戻るのを待ち伏せし,先端を鋭く研磨してきり状に加工した金属部分の長さが約17センチメートルもあるドライバーで,確定的かつ強固な殺意に基づいて,被害者の心臓を一突きにしているのであって,犯行は,冷酷かつ残忍であり,極めて悪質である。これにより,被害者は,何の落ち度もないのに突然生命を奪われたのであるから,結果も重大である。被害者は,定年後も長年勤務した教育現場に関係のある仕事に就き,周囲の人々からも好かれ,妻と2人で元気に暮らしていたところ,被告人の理不尽な仕打ちによって生涯を閉じることとなったものであり,その無念の思いは察するに余りある。また,被害者の妻ら遺族の怒りと悲しみは極めて大きい。それにもかかわらず,被告人は被害者の遺族に対して何ら具体的な慰謝の措置をとっておらず,その見込みもないばかりか,公判廷では,かえって亡くなった被害者の人格を傷つけるような言動に及んでいるのであるから,遺族が被告人の厳重な処罰を望むのも当然である。加えて,教育の場である高校の校舎内で本件が敢行されたことによって生徒をはじめ関係者に与えた衝撃も,無視することはできない。以上によれば,被告人の刑事責任は非常に重いというべきである。
他方,被告人は,任意の取調べを受けている段階で,家族に説得されて警察官に対して犯行を自供しており,このことが逮捕のきっかけとなっていること,古い罰金前科があることを除くと他に見るべき前科がなく,今までまじめに働いてきたと認められることなど被告人のために酌むべき事情も認められる。
そこで,当裁判所は,以上の諸事情を総合考慮した上で,被告人を主文の刑に処するのが相当であると判断した。
よって,主文のとおり判決する。
(求刑 懲役15年)
(検察官本多裕一郎,国選弁護人作間豪昭,同高橋智各出席)
(裁判長裁判官 井口修 裁判官 登石郁郎 裁判官 小野瀬昭)