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札幌地方裁判所 平成12年(ワ)2253号 判決 2003年2月20日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は、原告に対し、2000万円及びこれに対する平成12年10月5日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は、原告が、被告の運営する病院に入院した際に受けた治療行為に医療上の過誤があり、その結果、気管狭窄等の後遺障害や発育不全を招き、肉体的精神的苦痛を被ったと主張して、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償及び民法所定の遅延損害金を請求する事案である。

1  前提事実(争いのない事実及び証拠等により容易に認定できる事実。認定に用いた証拠等は各項に掲記した。)

(1)  原告は、昭和61年9月2日生まれの男性であり、被告は、札幌市a区において、A病院(以下「被告病院」という。)を運営する社会福祉法人である。

(2)  原告は、昭和61年10月6日に被告病院を受診した際、体重増加不良であり、頻呼吸、陥凹呼吸、腹部膨満の症状が認められ、胸部エックス線写真検査の結果、ウィルス性肺炎が疑われたため、精査のため入院したが、はっきりした陽性所見はつかめず、哺乳良好、体動活発なので、同月14日に退院して経過観察することになった(以下、この入院を「第1回入院」という。)(乙1、9の1・2)。

(3)  原告は、昭和61年10月21日と同月28日、外来で被告病院を受診し、頻呼吸が続き、貧血、血小板減少、肝臓・脾臓腫大、免疫グロブリン検査(IgM)結果高値等の症状が認められたため再入院することになり、翌29日被告病院に入院した(以下、この入院を「第2回入院」という。)(乙2、3)。

(4)  被告病院における原告の担当医師(以下「担当医師」という。)は、昭和61年11月9日、原告に左膿胸を認め、原告に対し、呼吸困難に対処すべく、経口挿管(口から気管にチューブを挿入する方法)により、CPAP(自発呼吸下持続陽圧呼吸法)という人工呼吸法を開始した(乙3)。

同月19日、担当医師は、原告とBに対して同月11日に行ったサイトメガロウィルス抗体価の検査結果から、原告の基礎疾患がサイトメガロウィルスの感染症であると診断した(乙3)。

同年12月30日、被告病院耳鼻咽喉科のC医師執刀のもと、原告に対して気管切開術(頸部気管軟骨を切開して気道を確保する手術)が施行され、気管部位にカニューレ(切開した気管内に挿入する曲管)を挿入し、このときCPAPを終了した(乙3)。

原告は、昭和62年11月28日、カニューレを装着したまま被告病院を退院した。

(5)  第2回入院中の昭和62年1月28日と9月4日、原告は北海道大学医学部付属病院耳鼻科(以下「北大耳鼻科」という。)を受診した(乙8の1ないし3)。

(6)  原告は、昭和63年1月にD病院、同年3月3日に札幌医科大学医学部付属病院(以下「札幌医大病院」という。)を受診し、以降札幌医大病院に入退院を繰り返し、現在はE病院に通院している(甲1ないし10、弁論の全趣旨)。

2  争点

(1)  被告に原告の膿胸発症の診断が遅れた過失があるか。

(原告の主張)

原告は、被告病院第2回入院当初から、38度台の発熱状態が続き、入院後1週間を過ぎたころには40度台の高熱状態が発現していた。原告は、肺炎に罹患しており、白血球が増加していて、このような場合に膿胸を疑うのは内科の常識である。担当医師には、膿胸の発症を認識し、速やかに排膿の処置をとるべき注意義務が存在した。しかし、膿胸発症の認識が遅れたことにより、排膿処置が遅れた結果、原告に胸膜肥厚、胸郭変形を生じさせ、また、膿胸発症の認識が遅れたことにより、経口気管内挿管の期間が長期となり、気管狭窄等の症状を発症させる結果となった。

(被告の主張)

ア 担当医師による原告の膿胸発症の診断に遅れはない。

昭和61年10月29日の胸部エックス線写真に異常所見はなく、白血球増多はあるものの、CRP(C反応性タンパク)は正常範囲内であった。同年11月4日の胸部エックス線写真にも肺炎所見はなかった。

同月8日の胸部エックス線写真では、左下肺野にやや淡い陰影が認められたが、血液ガス分析の結果はほぼ正常範囲内にあり、含気は十分に保たれていた。

同月9日、胸部エックス線写真所見が急変し、左無気肺又は膿胸を示唆したため、直ちに胸腔穿刺を行った。膿胸が急激に発症したのは、免疫不全状態にあるところに黄色ブドウ球菌の感染が一挙に進展したからである。

イ 胸膜肥厚及び胸郭変形がおこるのは、5年、10年またはそれ以上の慢性炎症の結果である。原告は、退院時には膿胸、気胸が完治しているから、膿胸が原因となって胸郭変形及び呼吸機能低下になるとは考えられない。

(2)  原告に対する経口気管内挿管の期間について、被告の判断に過失があるか。

(原告の主張)

被告は、原告に対し、昭和61年11月9日に経口気管内挿管を行い、同年12月30日に気管切開の手術を行うまで挿管を続けた。挿管期間が長期に及んだ結果、原告の気管の挿入部位に肉芽組織等が発生し、気道閉塞、声帯麻痺、気管狭窄等の病状が発生した。

担当医師は、経口気管内挿管を行う場合、チューブの挿入期間を適切に判断し、気管の挿入部位に肉芽組織等が発生し、気管や周辺組織に狭窄・麻痺等の病状を発症させることのないよう治療を行う注意義務がある。

したがって、被告は、もっと早期に気管切開手術を行うことを選択し、原告の気管にチューブが挿入されている状態が長期に及ぶことがないようにするべきであったのにこれを怠った。

(被告の主張)

担当医師は、昭和61年11月9日、しばしば致死的となるサイトメガロウィルス感染症によって原告に発症した肺炎、膿胸による重症の呼吸不全に対して、救命措置として、原告に経口気管内挿管により人工呼吸器を装着した。

担当医師は、人工呼吸管理の長期化を避けるため、呼吸不全が改善傾向をみせれば直ちに抜管できるように、呼吸方法としてCPAPを選択し、何度か抜管を試みたが、原告の状態は悪化するため、すぐに再挿管しなければならなかった。同年12月27日、気管挿入チューブが抜けて呼吸困難になったため、担当医師は原告に対して気管切開を施行することを決定した。

気管切開手術後、原告が声帯麻痺の状態にあることがわかった。しかし、気管切開手術前は、気管挿入チューブを抜去すると瞬く間に呼吸困難、チアノーゼになるため、精査することはできず、原告が声帯麻痺であると確認することは不可能であった。

原告の声門下腔前壁の赤色肉芽腫及び声門下腔の前壁突出が、仮に気管内挿管によって生じたとしても、救命上必要不可欠な処置の合併症であり、やむを得ないことである。原告の挿管期間は突出して長かったとはいえないし、挿管期間についての被告の判断は相当である。

(3)  原告に対する気管切開について、被告の処置に過失があるか。

(原告の主張)

担当医師は、気管切開を行う場合、切開部位を適切に判断し、気管の輪状粘膜、同軟骨、気管周辺組織等を喪失させることのないよう施術する注意義務がある。

しかしながら、切開箇所の判断を誤り、漫然と切開の処置を行ったため、原告の咽喉部分の輪状軟骨、輪状粘膜の上部が削られ、原告に気管狭窄等の症状が発生し、また本来の声の音域、声量、声音を失った。

(被告の主張)

C医師は、原告に対する気管切開の手術で、通常より高い位置で切開した。すなわち、通常は上から2番目と3番目の気管軟骨輪の間を目標に切開するが、原告に対しては、上から1番目と2番目の気管軟骨輪の間で切開を行った。これは、当時、原告が、左肺の肺炎、膿胸、気胸という重篤な病態の増悪、好転を繰り返していて、通常の位置で逆U字弁形成を行うと、下端が胸腔内に入り、左肺に直接侵襲が及ぶと考えられ、それを避けるためである。

切開部位を上位にすることにより全身状態に与える影響に差はない。

C医師は、切開位置の確認を確実に行い、予定通り手術を順調に終えていて、処置は相当であった。

(4)  損害

(原告の主張)

原告は、生後間もない頃から、数度にわたる手術治療と、長期にわたる入通院を余儀なくされ、小学校への入学も1年遅らせなければならなかった。長期間にわたって、気管に挿入したチューブによって呼吸せざるを得ない生活が続き、チューブ装着が解除された後もカニューレを装着して生活することを長期間余儀なくされた。

原告には、同年齢の男児の健常児と比較して、声帯が小さい、声帯が麻痺して動いていない、気管の太さが3分の1程度しかない、気道が極めて狭い等の後遺症状があり、そのため、声量が極めて少なく、音域が狭く、しゃがれ声である。また、ぜい鳴等喘息様諸症状、夜間の呼吸困難等がある。胸膜肥厚、胸郭変形等が残存し呼吸機能が低下している。身体を動かすこと、運動することを制約されて生活せざるを得ない。

原告は、現在も継続して治療を受けていて、症状は固定しておらず、未だ原告の損害の全容を確定する段階にはなっていない。

以上の原告の損害のうち、本件口頭弁論終結時までに原告が受けた肉体的精神的苦痛を慰謝するには2000万円が相当な金額である。

(被告の主張)

争う。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)について

前提事実(4)のとおり、被告病院が原告の左肺に膿胸を認めたのは昭和61年11月9日である。すなわち、同日、原告の頻呼吸が増強したため、胸部エックス線写真を撮影したところ、左肺に無気肺又は膿胸の所見がみられ、ベニーラ静脈針を留置して酸素を増量したところ、膿汁を得たことから、被告病院は原告の左膿胸を認めた(乙3の19枚目)。この時、左肺の呼吸は不良であった(乙3の19枚目)。

これに対して、原告は、被告病院の膿胸発症の認識が遅れた旨主張する。

被告病院は、第2回入院の前日である同年10月28日及び入院後の11月4日、同月8日にも胸部エックス線写真を撮影しているところ、10月28日には、原告の右下肺に無ガス像が認められるものの、左肺には異常所見はない(乙3の9枚目)。11月4日のエックス線写真に異常があったとする証拠はなく、10月29日から11月7日までの間の診察では、肺に特段の異常が認められず、あるいは呼吸が良好であると診断され、頻呼吸の状態にも変化はみられなかった(乙3の11枚目ないし16枚目)。10月29日に行った原告の胸部エックス線写真の検査の結果でも、特段の異常は認められなかった(乙3の9枚目)。これらの診断にあるとおり、11月7日までの時点で、原告が膿胸を発症していたとか、発症を疑うべき客観的状況があったものとは認められない。また、11月8日には、左肺に不鮮明な陰が認められたが(乙3の17枚目)、それのみで膿胸発症を疑うことができたと認めることはできない。その他証拠上、11月9日に先立って膿胸発症を疑うべき症状を呈していたと窺わせる具体的事情は、何ら見当たらない。

原告は、第2回入院時から高熱が継続し、肺炎に罹患し、白血球が増加している状況にあったのであるから、膿胸を疑うのは内科の常識であるなどと主張するが、結局のところは、単に膿胸発症の認識が遅れたというのみであり、そもそもこれを裏付けるべき証拠が何ら見当たらないことは上記のとおりである。原告の第2回入院時あるいは昭和61年11月9日より前の時点にみられたような症状によって、膿胸の存在が推測されるという見解を示す証拠もない。

以上のとおり、被告病院が原告の膿胸を認めた昭和61年11月9日に先だって、原告に膿胸を疑うべき症状があったと認めることはできず、争点(1)に関する原告の主張は理由がない。

2  争点(2)について

(1)  気道切開術が施行された後の昭和62年1月28日に原告が北大耳鼻科を受診した際、レントゲン撮影の結果、原告の気道の声門より下の部分に狭窄が発見され、また気道切開の穴から上方をファイバースコープで検査した結果、気道内に肉芽が形成されていることが確認された(乙8の1ないし5)。また、同年9月4日に原告が再び北大耳鼻科を受診した際、声帯が開かないことが確認された(乙8の1・2・3・6・7)。

原告は、気管内挿管の開始以前には自力呼吸をしており(乙1、2、証人C)、また声帯の異常も特に認められた形跡はない。これに加えて、長期間の気管内挿管が、声帯麻痺や肉芽形成による気管狭窄を引き起こす可能性があるとされていること(甲11、13、乙6)、肉芽の形成部位が気管切開の箇所とは異なるため、気管切開によって形成された肉芽とは考えにくいこと(乙8の3、証人C)などに照らすと、上記の肉芽及び声帯麻痺が、原告の第2回入院中の気管内挿管の結果生じた可能性があると考えられる。

もとより、原告の声門下狭窄が生まれつき生じていた可能性も否定できないが(証人F)、他方で原告に生じた気管狭窄の症状が気管内挿管の結果生じた可能性があると考えることにそれなりの合理性が認められることは、上記のとおりである。

(2)  ただ、以上のように、仮に原告の気管狭窄や声帯麻痺の症状が気管内挿管によるものであるとしても、原告は、昭和61年11月19日以降、サイトメガロウィルス感染症であるとの診断を受け、その後、重症の呼吸不全の状態が続いた事実が証拠(乙3、4)により明らかに認められるのであるから、同年12月30日の気管切開術施行まで気管内挿管を続けるなどの呼吸管理に関する処置をとったこと自体は、原告の呼吸を確保して生命を維持するため、避けることができなかったというべきである。

(3)  問題は、原告が主張するように、被告病院において、より早い段階で気管切開を行い、気管内挿管の期間が長期に及ばないようにする義務があったのに、これを怠った過失があるかどうかという点である。

確かに、気管内挿管は2週間ないし3週間を経過すると声帯損傷の発生率が高くなることから、気管内挿管から気管切開に移行するのは、挿管開始後2週間ないし3週間を一応の目安とする見解が存在すること(甲13)が認められるが、他方で、多くの症例では数週間から数か月にわたって挿管を続けても問題なく抜管することができるという見解(甲13)、96日間にわたる気管内挿管の後、抜管に成功した症例(乙7)も認められるところである。証人C及び証人Fの証言によっても、気管内挿管から気管切開に移行すべき時期については、患者の症状や担当する医師の技術などによって、様々なケースがあることが認められる。こうした点から考えると、原告が言うように、2週間ないし3週間等の一定の期間を経過すれば気管切開に踏み切るべきであるという確固とした基準が確立されているとは認めがたい。

むしろ、気管内挿管によって呼吸困難に対処し、その解消後にチューブの抜管に成功すれば、手術をすることなしに呼吸困難を解消することができるのであるから、最終的に抜管に成功する見込みがある限り、気管内挿管で対処した方が、気管を切開するよりも望ましいと考えるのは、それなりに合理性があるように考えられる。要は、気管内挿管から気管切開に切り替えるか否かについては、個々の患者毎に、その具体的な状況を見ながら、気管内挿管の長期化による合併症の可能性と気管切開の必要性とを慎重に比較考量の上、判断するほかないということができる。

その上で本件について見ると、約50日という挿管期間が一般的に見て極端に長期であるとまでは認められないし、重症の呼吸不全の状態が続いたという当時の原告の客観的な状況からして、原告に対する上記挿管期間が適切な期間を超えて長すぎるとか、より早い時期に気管切開に移行すべきであったなどということを具体的に示す事情は、被告病院のカルテ(乙3)、証人C及び証人Fの各証言その他各証拠によっても、何ら窺われないというほかない。気管内挿管の長期化による弊害と気管切開の必要性を比較考量するにあたり、判断を誤ったことを示す事情というのも特に窺われない。

(4)  したがって、仮に気管内挿管によって、肉芽が生じて気管狭窄が発生し、声帯麻痺が引き起こされたとしても、被告病院の医療上の過失を認めることはできないから、争点(2)に関する原告の主張は理由がない。

3  争点(3)について

札幌医大病院のF医師が、昭和63年6月3日に、原告に対し喉頭截開術(輪状軟骨部分に肋軟骨を移植して気道狭窄部分を押し広げる手術)を行った際の手術記録に、輪状軟骨は無事である旨記載されていること(甲2)、同手術の際に原告の輪状軟骨を切開して広げたこと(甲2、証人F)、平成4年3月ころ、C医師がF医師に対し、原告の輪状軟骨に損傷がなかったか確認したところ、問題はなかった旨の回答を得たこと(証人C、証人F)等からすれば、C医師が気管切開術の際に原告の輪状軟骨を損傷した事実がなかったことが明らかである。本件全証拠によっても、C医師が行った気管切開術における何らかの手技によって原告の輪状軟骨及びその周辺の組織が削られたことや、切開箇所の判断を誤ったことは認められない。

なお、平成4年7月24日に、札幌医大病院で、原告の輪状軟骨に正常の形態のものが見られず、全周性の軟骨が見られないと診断されている(甲2)が、これは、F医師が実施した喉頭截開術の際に、輪状軟骨を切開して離れた部分に移植した肋軟骨が、その後吸収されたなどの理由によって全周性を失ったことを指していると認められ(証人F)、C医師の行った気管切開術との関係を認めることができないことは明らかである。

したがって、争点(3)に関する原告の主張はおよそ理由がない。

4  以上のとおり、争点(4)について触れるまでもなく、原告の請求は理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中西茂 裁判官 佐伯恒治 裁判官 別所卓郎)

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