札幌地方裁判所 平成13年(わ)368号 判決 2002年3月26日
被告人氏名,本籍,住居,職業,生年月日 (略)
主文
被告人を懲役10月に処する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(犯罪事実)
被告人は,旬刊の定期刊行誌「A」を発行する株式会社B社の代表取締役であり,同誌の編集者兼発行責任者として,同誌に掲載する記事の企画,執筆,同誌の編集,発行等を統括しているものであるが,平成11年3月10日付け同誌第476号の誌上に,C農業協同組合代表理事組合長であるDに関し,「D組合長は人に知られた盗みの常習者」という見出しの下に,「数年前、E店内で数回にわたりポケットに商品を入れている挙動不審の人物をパートの女子店員が発見し大騒ぎになったことがある。ところがこの万引き常習者こそが、その後のD専務と判明し、それ以降、店員の間では同氏を店内で見たら気をつけて見張るように申し合わせたようである。」,「同氏はセクハラの悪癖もあるようで、2~3年前のソフトボール大会の慰労会で女子職員の下半身にさわって問題となった。それに抗議した女子職員はその後、退職したようだ。」,「同氏は若いころから手癖が悪く、何でも手当たり次第に持ち去る人物と言われ、アメリカへの農業実習で渡米する空港でカメラを盗み、警察に捕まったこともある。この時は同伴していた故・F氏が謝罪して、実習は何とか終えたようであるが、こうした人物が農協の最高責任者である組合員として、農家の指導に当たれるものなのか。若いころから仲間内では『Dが来たら物を取られないように注意せよ』が合言葉だと言われている。」,「同氏は休耕奨励金を不正に受給している疑いを持たれ、国税調査を受けているとのうわさもある。」などという内容の記事を掲載した上,同日ころ,同誌約500部を,札幌市a区b丁目c番地所在のG株式会社本店ほか多数の購読契約会員に郵送して頒布し,もって,公然と事実を摘示して前記Dの名誉を毀損した。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法230条1項に該当するので,所定刑中懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役10月に処し,訴訟費用については,刑事訴訟法181条1項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
(弁護人の主張に対する判断)
1 弁護人は,本件公訴提起の手続は刑事訴訟法248条及び256条の規定に違反し無効であるから,同法338条4号に基づき公訴を棄却すべきであると主張する。その根拠は,多岐にわたるが,主なものは以下のとおりである。
(1) 本件公訴事実に記載された記事に関しては,D組合長によって被告人及びB社を被告とする民事訴訟が提起され,原告一部勝訴の判決が確定している。このように当事者間で個人の名誉の保護と正当な言論の保障との調和が図られたにもかかわらず,公訴を提起したのは公訴権の濫用である。しかも,本件について被告人が任意の取り調べを受けている時期に,被告人の知人を被疑者とする恐喝未遂事件に関してB社事務所の捜索が行われたが,その結果,知人だけが脅迫罪で略式起訴され,被告人については本件公訴が提起されただけであった。このような別件の強制捜査及び事件処理は,職務犯罪を構成しかねないものであり,このような背景の下で行われた本件公訴提起は,刑事訴訟法248条に違反する。
(2) 被告人が「A」第476号に掲載した記事は,H警察署がD組合長の告訴を受けて不当な捜査をしているという事実を,「H署がお門違いの取り調べに動く」という見出しを付けて批判的に報道したものである。被告人は,その記事の中で同組合長が告訴するに至った経緯を明らかにするために,告訴のきっかけとなった同誌第445号の記事を引用した。ところが,検察官は,第476号の記事のうち引用された第445号の記事の部分だけを取り上げて公訴を提起した。
検察官は,このような誤った公訴事実を記載することによって,被告人が記事を掲載した正当な動機をゆがめ,裁判官に対し被告人について悪い印象を与えようとした。
本件公訴事実に記載されなかった本文記事の見出し及び内容は,本件記事の掲載が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあったことを明らかにするものであるから,これらを記載しなかったことにより,被告人の防御に実質的な不利益が生じるおそれがあった。
また,検察官は,本件公訴事実中に,被告人が「虚偽の事実を掲載した」と記載した。このような記載は,裁判官に事件につき予断を生じさせるおそれのある記載である。
さらに,本件起訴状には「追起訴予定あり」という記載があったが,このような記載は,前科等の記載と同じく,裁判官に事件につき予断を生じさせるおそれのある記載である。
以上のような誤った公訴事実の記載は,刑事訴訟法256条6項に違反する。
(3) 本件公訴事実に記載された記事は,第445号の記事をそのまま引用したものであるところ,同号に記事を掲載した行為については,本件公訴提起前に名誉毀損罪の公訴時効が完成していたのであるから,本件公訴提起は,実質的に公訴時効の完成した行為について公訴を提起したに等しいことになる。検察官の本件公訴提起は不当である。
しかし,民事訴訟によって名誉毀損であることが認定され慰謝料の支払が命じられた行為について刑事訴追をすることが許されないわけではないし,そもそも本件公訴事実は,民事訴訟の対象となった事実とは後記のとおり別の事実である。本件公訴提起自体が職務犯罪を構成するようなものでないことも明らかである。
また,検察官が被害者の名誉を毀損すると判断した表現だけを公訴事実に記載するのは当然であり,本件公訴事実の記載方法に弁護人のいうような誤りはない。このような記載によって被告人の防御に実質的な不利益が生じるということもない。本件公訴事実中に,被告人が「虚偽の事実を掲載した」と記載したことは,訴因を明示するための方法として不当とはいえず,裁判官に事件につき予断を生じさせるおそれのある事項を記載したことにもならない。
なお,本件起訴状には「追起訴予定あり」と記載された付せんが付されており,弁護人に交付された起訴状写しにはその旨の記載がされていたが,このような記載は,裁判所が合理的な期日指定を行うなど適切な審理計画を立てるために必要な措置であり,これによって裁判官に事件につき予断を生じさせるおそれもない。
さらに,本件記事は,第445号の記事をそのまま引用したものであるが,本件記事が掲載されたのは同号の約10か月後であることや本件記事を引用した本文記事が本件記事の内容が真実であることを前提としたものであると認められること等の事情に照らせば,本件記事が改めて被害者の名誉を毀損するものであることは明らかである。したがって,第445号に記事を掲載した行為について公訴時効が完成していたとしても,本件行為について公訴を提起することは,何ら不当とはいえない。
結局,公訴棄却を求める弁護人の主張は,いずれも理由がない。
2 弁護人は,本件公訴事実は名誉毀損罪の構成要件に該当しないと主張し,被告人もこれに沿う供述をするが,公訴事実に記載された記事の内容が人の社会的評価を低下させるものであることは明らかであるから,そのような記事が掲載された定期刊行誌を公訴事実に記載されたとおり多数の者に頒布する行為は,名誉毀損罪の構成要件に該当する。
3 弁護人は,本件記事を掲載した行為は,H警察署の不当な捜査を報道する上で必要不可欠な行為であり,正当な業務行為であるから,名誉毀損罪には当たらないと主張する。しかし,掲載された記事の内容に照らせば,本件記事を引用することが必要不可欠であったといえないことは明らかであるから,弁護人の主張は理由がない。
4 弁護人は,被告人の行為が公共の利害に関するものであり,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあったという前提で,被告人が摘示した事実はいずれも真実であると主張する。しかし,D組合長は摘示されたような事実はないと明言している上,被告人自身が真実であることを証明することはできないと述べているのであるから,摘示された事実が真実であることの証明がないことは明らかである。
また,被告人は,B社の嘱託記者であったIがD組合長と対立していた組合員から聞いたという風評を,裏付け取材はもちろん取材源の確認すらせずに第445号に掲載した上,同組合長から強く抗議されるなどしたにもかかわらず,その後も十分な調査も行わず,第476号に本件記事を掲載したものであり,仮に被告人が摘示した事実が真実であると信じていたとしても,そのように信じるにつき確実な資料や根拠があったとは到底言えない。なお,被告人は,D組合長がEで万引きをしたという件については,万引きを目撃したパート職員に直接取材をしたと述べているが,その供述内容はあいまいであり信用できない。
結局,被告人が本件記事で摘示した事実が真実であることの証明はなく,また,被告人が真実であると信じるについて相当な理由があったとも認められない。
(量刑の理由)
被告人は,単なる風評に基づいて満足な取材もせずに書かれた記事を,自分が編集,発行する定期刊行誌に掲載して,多数の購読契約会員に頒布したものであり,犯行の態様は良くない。しかも,被告人は,本件の約10か月前にも本件記事と同一の記事を同誌に掲載して被害者から強い抗議を受けたにもかかわらず,その後も事実の真偽を確認するための取材活動を行わず,かえって抗議をした被害者の態度が不当であるという論調で,重ねて本件記事を掲載したのであるから悪質である。
本件記事の内容は,被害者に犯罪歴があると指摘するだけではなく,あたかも被害者には犯罪の性癖があり,今でも犯罪行為を繰り返しているかのように書き立てるなど,被害者の社会的評価を著しく損なうものである。C農協の組合長という立場にある被害者の資質等について批判的な報道をすることが許されるとしても,本件のように根拠のない中傷を繰り返すことは,言論の自由に名を借りた言葉による暴力にほかならず許されない。本件記事によって被害者が精神的に大きな苦痛を感じたことは明らかである。それにもかかわらず,被告人は,今日に至るまで,自分の非を認めるどころか,公判廷でも本件記事に書かれたことは真であると主張し続け,その掲載が正当な言論活動であると強弁して,捜査機関の捜査や検察官の公訴提起を非難している。このような被告人に対して,被害者が厳重な処罰を求めるのは当然であり,被告人の刑事責任を軽視することはできない。
さらに,被告人は,平成9年に道路交通法違反の罪で懲役4月,3年間執行猶予の判決を受けたにもかかわらず,その猶予期間中に本件犯行に及んでいるのであって,上記の公判廷での態度も考え併せると,法を守るという意識が甚だ乏しいというほかはない。執行猶予期間が経過していることを考慮に入れても,このような被告人に,社会内での自力更生を期待するのは相当とは思われない。
そこで,本件記事と同一の記事を掲載したことに関して被害者から提起された民事訴訟で50万円の支払を命じる判決が確定し,被告人が既にこれを支払ったことにより,被害者の損なわれた名誉が幾分かは回復したと認められることを考慮して,主文の刑に処することとする。
よって,主文のとおり判決する。
(求刑 懲役1年)
(検察官本多裕一郎,私選弁護人飯野昌男各出席)
(裁判長裁判官 井口修 裁判官 野村充)
裁判官登石郁朗は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 井口修