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札幌地方裁判所 平成13年(ワ)215号 判決 2002年12月24日

主文

1  被告は,原告に対し,1105万0950円及びこれに対する平成13年2月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,これを2分し,その1を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。

4  この判決は,1項に限り,仮に執行することができる。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(1)  被告は,原告に対し,1965万0950円及びこれに対する平成13年2月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(1)  原告の請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

第2当事者の主張

1  請求原因

(1)  被告

被告は,札幌市東区において,「A医院」という名称の診療所(以下「被告医院」という。)を開設している医師である。

(2)  診療契約の締結

原告(昭和27年4月11日生)は,身体にできた湿疹を掻きすぎて皮膚を化膿させてしまったことなどから,平成10年1月26日,被告医院で受診し,被告との間で,原告の上記皮膚疾患について適切な診療をする旨の診療契約を締結した。

(3)  診療経過

ア 被告は,平成10年1月26日,原告を診察して,せつ腫症(躯幹),痒疹(四肢)と診断した。

なお,せつ腫症とは,黄色ブドウ球菌などが毛孔から侵入したことによる化膿性炎症である「せつ」が身体各所に相次いで発生するもの,痒疹とは,激しい痒みを伴い,慢性,再発性に経過する丘疹又はじんま疹様小結節である。

イ 被告は,平成10年1月26日から平成11年1月20日までの間,原告に対し,数種類の薬剤を投与した。

ウ 被告が原告に対して投与した薬剤の一つとして,デキサメサゾン錠(薬効成分のステロイド剤であるデキサメタゾン0.5mgを含むもの。以下「本剤」という。)があったところ,被告は,原告に対し,1日当たり本剤3錠を連続して7日間服用し,その後7日間は服用しないという服用方法(以下「7投7休法」という。)を指示した。

(4)  原告のステロイド離脱症候群の罹患と症状

原告は,被告の指示に従って本剤を服用したところ,平成11年1月ころ,ステロイド離脱症候群に罹患し,このため,精神不穏,不眠,手足の筋肉が痛くなるステロイド筋症などの症状が発現した。

(5)  被告の責任原因

ア ステロイド剤は,副腎皮質から分泌されるホルモンが強い抗炎症作用などを有することに着目して人工的に合成された薬剤であり,多くの疾患に著効がある反面,副腎機能を衰退させるなどの多くの副作用がある。

イ そこで,本剤と同成分の薬剤の医薬品添付文書には,次のとおりの記載がある。

(ア) 適応として,湿疹・皮膚炎群,痒疹群などの疾患には,外用剤を用いても効果が不十分な場合あるいは十分な効果を期待し得ないと推定される場合にのみ用いる。

(イ) 重要な基本的注意として,本剤の投与により,誘発性感染症,続発性副腎皮質機能不全,消化性潰瘍,糖尿病,精神障害等の重篤な副作用があらわれることがあるので,本剤の投与に当たっては次の注意が必要である。

① 他の治療法によって十分な治療効果が期待できる場合には,本剤を投与しないこと。

② 局所的投与で十分な場合には,局所療法を行うこと。

③ 投与中は,副作用の出現に対し,常に十分な配慮と観察を行うこと。

④ 投与を中止する際には,離脱症状が現れることがあるので慎重に行うこと。

ウ また,本剤の副作用を考慮すると,医師が患者に対して本剤を投与する場合には,患者に対して薬剤の名称,副作用及び服用上の注意を説明し,(イ)投与量,投与期間及び投与方法に留意し,(ウ)患者の訴えに留意すべきである。

エ しかるに,被告は,上記イの医薬品添付文書の記載に反して,原告の皮膚疾患による単なるかゆみ止めの治療のために,非ステロイド系抗炎症剤ではなく,ステロイド剤の中でも薬効の強力な本剤を選択し,また,外用剤(軟膏)の塗布などの局所的投与方法によるのではなく,本剤の経口的投与を選択し,また,上記ウに反して,原告に対する説明をせず,7投7休法という被告独自の投与方法を原告に指示し,原告が被告に対して体調不良を訴えても,投与の継続をするという注意義務違反行為をした。

オ そして,被告の上記注意義務違反行為によって,原告は,ステロイド離脱症候群に罹患させられた。

(6)  損害

原告は,ステロイド離脱症候群に罹患させられたことによって,次のとおりの損害を被った。

ア 休業損害 787万0950円

原告は,ステロイド離脱症候群の治療のため,少なくとも平成12年4月1日から平成14年6月30日までの2年3か月間にわたって休業することを余儀なくされたところ,原告の年間収入は,349万8200円(平成12年の賃金センサス産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の平均給与額)はあるものというべきであるから,この間の休業損害は,下記算式によって,787万0950円となる。

349万8200円×2.25

イ 入通院慰謝料 1000万円

原告は,ステロイド離脱症候群の治療方法としてのステロイド剤漸減療法を受けるために,少なくとも平成11年1月から平成14年6月30日までの約3年5か月間にわたり,病院に入通院をすることを余儀なくされたところ,被告の注意義務違反行為が医療水準を逸脱したものであり,これによって,原告が,就労はもちろんのこと日常生活もままならなくなり,長期間の治療を継続しながら,現在においても完治の見込みが得られない状況にあることなども考慮すると,原告が上記入通院を余儀なくされたことによって受けた精神的苦痛を慰謝するには,1000万円をもってするのが相当である。

ウ 弁護士費用 178万円

原告は,被告が任意に損害を賠償しないため,弁護士に本訴の提起・追行を委任したところ,本件と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は,ア及びイの合計1787万0950円の約1割である178万円とすべきである。

(7)  支払催告

原告は,平成13年2月16日送達の本訴状をもって,被告に対し,上記損害に係る金員の支払を催告した。

(8)  結び

よって,原告は,被告に対し,債務不履行による損害賠償請求権に基づき,損害金1965万0950円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成13年2月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

2  請求原因に対する認否及び反論

(1)  請求原因(1)ないし(3)の事実は認める。

なお,被告が,平成9年9月8日から平成11年1月20日までの間に,原告に対して投与した薬剤は,別紙「診療日・処方・処置一覧表」中の「処方」及び「注射」の各欄に記載のとおりであり,被告が原告に対して本剤を投与した日は,同一覧表の「処方」欄の③に示したとおり,平成10年2月13日,同年4月30日,同年5月26日,同年6月22日,同年7月27日,同年8月10日,同月27日,同年9月9日,同年10月20日,同年11月2日,同月17日,平成11年1月20日の12回である。

(2)  同(4)の事実は否認する。

なお,原告には,平成11年1月ころ,不安神経症,うつ的神経症といった症状が発生したが,その原因は,原告がステロイド離脱症候群に罹患したことにあるものではなく,原告が,その当時,経済的に困窮し,さらに父親の死亡という不幸が重なったことにある。

(3)  同(5)の主張は争う。

被告は,原告に対し,前記のとおり,12回にわたって,本剤を1日当たり3錠として7日分の処方をしたが,それは,①平成10年1月26日以後,抗アレルギー剤(レミカット),抗生物質(ミノマイシン)を投与し,抗アレルギー剤(グルコリンC)を注射したにもかかわらず,原告のかゆみが治まらなかったこと,②被告が,原告に対し,本剤を7日分処方したのは,平成10年中の2月,4月,5月,6月,7月,9月及び10月並びに平成11年1月において各1回であり,平成10年中の8月及び11月は各2回であって,平成10年中の8月及び11月は隔週服用となるが,これは,間欠的投与法として医学的に認められている投薬方法であること,③1日当たり1mgのデキサメタゾンを2週間投与しても,下垂体ACTH分泌能は抑制されず,副作用は発現しないし,どのステロイド製剤でも1日1~2錠以下では副作用の発現頻度は著しく減り,重篤な副作用は起こりにくく,本剤の用法・用量は,成人1日0.5から8mgを1から4回に分割して経口投与するとされており,その最大許容投与量は1日32mgまでであって,7投7休法(本件にあっては1日当たりデキサメタゾン1.5mg)は,医学的に合理的な投与方法であることからしたものである。

(4)  同(6)の事実は知らない。

理由

1  請求原因(1)ないし(3)(被告,診療契約の締結,診療経過)について

請求原因(1)ないし(3)の事実は,当事者間に争いがない。

なお,乙第2号証の1ないし5によれば,被告が,平成9年9月8日から平成11年1月20日までの間に,原告に対して投与した薬剤は,別紙「診療日・処方・処置一覧表」中の「処方」及び「注射」の各欄に記載のとおりであり,被告が原告に対して本剤を投与した日は,同一覧表の「処方」欄の③に示したとおり,平成10年2月13日,同年4月30日,同年5月26日,同年6月22日,同年7月27日,同年8月10日,同月27日,同年9月9日,同年10月20日,同年11月2日,同月17日,平成11年1月20日の12回であることが認められる。

2  請求原因(4)(原告のステロイド離脱症候群の罹患と症状)について

(1)  まず,事実関係について検討するに,上記1の事実に加えて,甲第5号証,第6号証,第10号証,第14号証,第25号証の1,2,第26号証,乙第1号証,第2号証の1ないし5,第4号証及び証人Bの証言によれば,次の事実が認められる。

ア  被告は,原告に対し,平成10年2月13日から平成11年1月20日までの約1年間にわたり,合計12回,本剤を処方し,1日当たり本剤3錠を7投7休法により服用することを指示した。

イ  原告は,被告の指示どおりに本剤を服用していたが,平成10年10月11日,原告の父が死亡し,その対応におわれていたことなどから本剤の服用を忘れ,そのころから,吐き気,食欲不振,不眠,脱毛,異常発汗,胸痛,咳,痰などの症状があらわれた(甲第10号証の四項)。

ウ  原告は,平成10年11月2日,被告医院で受診した際,被告に対し,疲れ易く,毛が抜けると訴えた(乙第1号証の同日の欄)。

エ  原告は,平成10年11月19日,C医院で受診し,同医院の医師に対し,「心臓と肺が苦しくて,痰が異常に出て,咳が止まらない。」と訴え,X線写真撮影を受け,かつ,痰の切れをよくするための点滴を受けた後,同医師から,同医師の処方した薬剤の説明を受けた。その際,原告は,同医師に対し,被告から処方された薬剤を一緒に服用してよいか否かを尋ねる趣旨で,本剤を示した上,「先月ころから,飲んだり飲まなかったりしている。実際,もう,かゆくないから。」と話したところ,同医師から,①本剤がステロイド剤であること,②自分の判断で勝手に本剤を服用することを止めると命に関わる大変なことになりかねないことなどを指摘された。このため,原告は,それ以後,被告から処方された本剤を少しずつ減らしながら服用することとした(甲第5号証,第10号証の四項)。

オ  原告は,その後,手足の筋肉や関節が痛くなり,ベッドから起き上がることもできなくなり,倦怠感,不眠,嘔吐,脱毛,指先の浮腫などの症状があらわれたことから,平成11年1月20日,D医院で受診し,同医院の医師に対し,原告の症状を訴え,被告及びC医院で診療を受けていたことを話したところ,同医師から,①ステロイド離脱症候群の疑いがあることを指摘され,②総合病院で受診することを勧められたほか,③被告医院に行って,本剤を処方してもらった上,それを服用することを勧められた(甲第5号証,第10号証の五項)。

そこで,原告は,同日,2か月振りに被告医院で受診し(すなわち,その前に被告医院で受診した日は,平成10年11月17日であった。),本剤の処方を受けた(乙第1号証,第2号証の5)。

カ  原告は,平成11年1月21日,E病院の内科で受診し,F医師の診察を受け,同医師から,薬効成分がデキサメタゾンであるデカドロン錠の処方を受けた(甲第10号証の六項の末尾の括弧内,乙第4号証)。

キ  原告は,平成11年1月26日,被告医院で受診し,D医院の医師からステロイド離脱症候群であると言われた旨を話したところ,被告から,その見解には賛成できず異議がある旨を言われた(甲第10号証の六項,乙第2号証の5)。

ク  原告は,平成11年1月27日,E病院の内分泌代謝内科で受診し,G医師は,原告から,「1年半にわたり,1日当たり本剤1.5mgを1週間服用,1週間休薬という方法で服用し,1か月前から服用を中止しており,その後,倦怠感,食欲不振がある。」という訴えを受け,また,同日の血糖値検査,血漿ACTH検査,血清コルチゾール検査などの各結果に加え,同月21日に原告が同病院で受診した際の一般血液検査,血清コルチゾール検査の各結果を踏まえて,上記各検査結果から確定診断できるものではないものの,原告の話した上記診療歴と自覚症状から,ステロイド離脱症候群であると診断した(甲第10号証の七項,乙第4号証)。

ケ  原告は,その後,上記G医師から,ステロイド離脱症候群であるとの診断の下に,同疾患に対する治療としてのステロイド剤漸減療法を受け,平成12年5月11日以降は,主として,上記G医師の紹介によって受診することとなったH病院のB医師から,同様の診断の下に,同様の治療を受けている(甲第6号証,第10号証の八項,第14号証,第25号証の2,証人Bの証言)。

コ  上記B医師は,原告の診療過程において,原告に倦怠感,筋肉痛,食欲低下,嘔吐,不眠,腹痛,情緒不安定などの症状があると認めている(甲第25号証の2の5項)。

(2)  次に,ステロイド離脱症候群について検討するに,甲第7号証,第8号証の1,2,第9号証の1,第25号証の2,乙第7号証,第8号証によれば,次の事実が認められる。

ア  ステロイドは,正式には,副腎皮質ステロイドホルモン=コルチゾールと称され,副腎皮質から分泌されるホルモンであり,強い抗炎症作用や免疫抑制作用などがある。

ステロイドは,脳にある視床下部や下垂体の支配を受け,下垂体前葉から分泌されるコルチコトロピン=ACTHというホルモンが分泌されて副腎皮質が刺激されると分泌が促される。

イ  ステロイド剤は,ステロイドの有する強い抗炎症作用や免疫抑制作用などに着目して,合成された薬剤である。

しかし,ステロイド剤を長期間使用すると,副腎皮質から分泌されるステロイドの分泌が抑制され,このような状態でステロイド剤の使用を急に中止すると,ステロイドが不足した状態となり,食欲不振,吐き気,嘔吐,全身倦怠感,頭痛,発熱,関節痛,筋肉痛,体重減少,起立性低血圧,精神症状,ショックなどの多彩な症状があらわれる。このような多彩な症状をステロイド離脱症候群という。

ウ  ステロイド離脱症候群を4つに分ける考え方がある。この考え方では,タイプⅠは,「副腎皮質不全」であり,視床下部-下垂体-副腎皮質系の機能不全による臨床症状と生化学的所見を持つもの,タイプⅡは,「原病の再燃」であり,典型的には,視床下部-下垂体-副腎皮質系の反応性が正常なもの,タイプⅢは,「ステロイド依存症」であり,視床下部-下垂体-副腎皮質系の反応性が正常であり,原病の再燃がないもの,タイプⅣは,「症状がないもの」であり,軽度の視床下部-下垂体-副腎皮質系の機能不全が生化学的に証明されるが,臨床症状がないものに分類する(甲第7号証)。このタイプⅢの病因は,ステロイドに対する心理的依存性や長期投与による組織のステロイドに対する順応(血清コルチゾール値が正常であっても,組織が高濃度のステロイド剤に適応しているため,ステロイド剤離脱後も生理的濃度以上のステロイドを必要とし,いわば相対的副腎不全状態となっていること)がその原因と考えられるとする見解がある(乙第7号証)。

(3)  上記(1)の事実及び(2)の医学的知見によれば,原告の臨床症状は,被告から処方されたステロイド剤の服用を中止したことによって発生したステロイド離脱症候群であると認めるのが相当である。そして,証人Bの証言によれば,平成13年12月に実施した下垂体-副腎機能検査の結果によれば,下垂体-副腎機能がほぼ正常であったことが認められるから,原告のステロイド離脱症候群は,前記(2)ウの分類では,タイプⅢのものと認めるのが相当である。

(4)  そして,原告のステロイド離脱症候群に罹患した時期は,被告が原告に対し,平成10年2月13日から平成11年1月20日までの約1年にわたってステロイド剤を処方していること及び原告がD医院で受診し,かつ,E病院で受診した平成11年1月20日及び同月21日ころに,ステロイド離脱症候群にみられる症状が顕著になっていることから,そのころ,原告はステロイド離脱症候群に罹患したと認めるのが相当である。

(5)  なお,被告は,原告が,平成11年1月ころ,経済的に困窮し,さらに父親の死亡という不幸が重なったため,不安神経症,うつ的神経症といったストレス由来の症状が発生したのであって,原告は,ステロイド離脱症候群に罹患したものではない旨主張する。

しかし,前記認定の(1)の事実に加えて,甲第6号証及び第14号証によれば,原告に対して少なくとも平成11年1月27日から同年12月27日までの約11か月間にわたってステロイド剤漸減療法を行って診療していたE病院のG医師が同日付けでステロイド離脱症候群と診断していること,また,原告に対して少なくとも平成12年5月11日から平成13年1月15日までの約8か月間にわたって同様の療法を行って診療していたH病院のB医師が同日付けで同様の診断をしていることが認められ,これらの事実に照らすと,被告の上記主張は,これをにわかに採用することができない。

3  請求原因(5)(被告の責任原因)について

(1)  請求原因(5)アの事実(ステロイド剤の定義及び副作用など)は,甲第8号証の1,2,第9号証の1ないし3によって,これを認めることができる。

(2)  同イの事実(本剤と同成分の薬剤の医薬品添付文書の記載)は,甲第4号証によって,これを認めることができる。なお,乙第9,第10号証によれば,被告が原告に対して本剤を投与した平成10年2月23日から平成11年1月20日までの間の本剤の医薬品添付文書にも,同旨の記載があったことが認められる。

(3)  同ウの主張(医師が患者に説明をする義務,投与量などに留意する義務,患者の訴えに留意する義務)について検討する。

ア  まず,被告が処方した本剤の組成・効能・効果,用量・用法・使用上の注意等について検討する。

甲第8号証の1,2,第9号証の2,第27号証,乙第5号証,第7号証,第10号証及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

(ア) 本錠の成分は,デキサメタゾンであり,それはステロイド剤の一つである(甲第8号証の1,2,乙第10号証)。

(イ) ステロイド剤投与の主要な目的は非ステロイド系抗炎症剤よりも強力な抗炎症作用と免疫抑制作用にある(甲第8号証の2)。本剤は,湿疹・皮膚炎群,痒疹群などに対しても効果があって処方される(乙第10号証)。しかし,湿疹・皮膚炎群,痒疹群などの疾患には,外用剤を用いても効果が不十分な場合あるいは十分な効果を期待し得ないと推定される場合にのみ用いる(乙第10号証)。しかも,湿疹・皮膚炎群には,重症例以外は極力投与しないこと,痒疹群には,重症例に限って投与することが医薬品添付文書に明記されている(乙第10号証)。

(ウ) デキサメタゾンは,一般に,ナトリウム貯留作用は減弱され,抗炎症作用や糖質コルチコイド作用は増強され,副作用として不眠,精神不穏,高血圧,糖尿病,消化性潰瘍,クッシング様症状,視床下部-下垂体-副腎皮質不全,易感染症,無腐性骨頭壊死,ステロイド筋症,創傷治癒遅延,骨粗鬆症,皮膚萎縮,白内障,粥状硬化症,成長阻害,脂肪肝,精神病,頭蓋内圧亢進,緑内障などの副作用があり,しかもそれら副作用の発現頻度が高いので特別な理由がない限り長期の使用には適切とはいえない。ステロイド剤からの将来の離脱を期待する場合は視床下部-下垂体-副腎系の抑制のため使用しにくい(甲第8号証)。

(エ) ステロイド剤及び本剤が上記のような強い作用及び発現頻度の高い副作用を持つことから,ステロイド剤が抗炎症剤として使用されるのは,生体に惹起されている炎症が強い活動性を有し,その結果,重大な組織障害や生命維持に支障を来すことが予想される場合に使用するとされている(甲第8号証の2)。本剤の投与に際しては特に適応,症状を考慮し,他の治療法によって十分に治療効果が期待できる場合には,本剤を投与しないこと,投与中は副作用の出現に対し,常に十分な配慮と観察を行い,また,患者をストレスから避けるようにし,事故,手術などの場合には増量するなど適切な処置を行うこと,連用後,投与を急に中止すると,時に発熱,頭痛,食欲不振,脱力感,筋肉痛,関節痛,ショック等の離脱症状が現れることがあるので,投与を中止する場合には,徐々に減量するなど慎重に行うこと,離脱症状が現れた場合には,直ちに再投与又は増量することという注意事項がある(乙第10号証)。そして,本剤の薬効成分であるデキサメタゾンでは,その使用に当たっての重要な基本的注意事項として,連用後急に中止すると,時に発熱,頭痛,食欲不振,脱力感,筋肉痛,関節痛,ショック等の離脱症状が現れることがあるので,中止する場合には,徐々に減量するなど慎重に行い,離脱症状が現れた場合には直ちに再投与又は増量することが挙げられる(甲第27号証)。

(オ) ステロイド剤及び本剤は次のような投与をする。

本剤の用法・用量はデキサメタゾンとして,通常成人1日0.5mgから8mg(1錠から16錠)を1回から4回に分けて経口投与し,年齢・症状により適宜増減する(甲第27号証,乙第10号証)。

一般に,ステロイド剤の投与方法として,連日投与法,間欠的投与法,パルス療法がある。そして,間欠的投与法には,隔日投与法と3投4休法がある(甲第9号証の2,乙第5号証)。ステロイド剤はパルス療法などのように数日間以内の使用であれば,その使用量が大量であっても副腎皮質からのコルチゾール分泌は速やかに回復する。しかし,数週間以上にわたるステロイド剤の慢性投与は,コルチゾール分泌を抑制し,一時的に副腎不全状態をもたらす(乙第7号証)。

副作用は,投与量に依存すると同時に,投与期間,累積投与量にも依存する。ステロイド剤は,短期的な投与では超大量投与も可能な安全域の広い薬剤だが,中等量以上の投与が長期間継続すると種々の重篤な副作用が出現する(乙第8号証)。

イ  以上の事実によれば,本剤には多様で重篤な副作用があるから,医師が患者に対して本剤を投与する場合には,患者に対して,主要な副作用及び服用上の注意を説明し,(イ)投与量,投与期間及び投与方法に留意し,できる限り副作用の発現の少ない投与量,投与期間及び投与方法を選択するようにし,(ウ)投与期間中には,副作用の発現の有無に関する患者の訴えに留意すべきものといえる。

(4)  そこで,同エの主張(被告の注意義務違反行為)について判断する。

ア  前記1の事実に加えて,上記(1)ないし(3)によれば,被告は,原告の疾患がせつ腫症(躯幹),痒疹(四肢)と診断したのであるから,まず,非ステロイド系抗炎症剤を選択すべきであり,次に,ステロイド剤を選択するとしても,外用剤(軟膏)の塗布などの局所的投与方法を選択すべきであり,最後に,本剤の経口的投与を選択するとしても,その場合には,本剤の主要な副作用及び服用上の注意を原告に対して説明し,また,投与方法についても,医学的に確立した方法を選択すべきであり,また,投与期間中には,原告に副作用が発現しているか否かについて注意するとともに,原告の訴えに留意すべきものであったというべきである。

前記1認定の事実によれば,確かに,被告は,平成10年1月26日から同年2月2日までの7日間は,原告の皮膚疾患の治療のため,非ステロイド系抗炎症剤を選択したものである。しかし,これによって十分な治療効果を得られなかったとしても,被告は,次の診療日である同月23日には,ステロイド剤の外用剤(軟膏)ではなく,経口投与する本剤を選択したのであるから,被告としては,その際,原告に対し,本剤の主要な副作用及び服用上の注意を説明する義務があったところ,本件全証拠によるも,被告が原告に対してその説明をしたことは,これを認めるに足りない。そして,被告は,本剤の投与方法として,7投7休法を採用しているところ,この方法がその当時の臨床医学水準において是認できる方法であったことを認めるに足りる証拠がない。そうすると,その余の点について判断するまでもなく,被告の上記行為は,注意義務に違反したものといわざるを得ない。

イ  なお,被告は,(a)1日当たり1mgのデキサメタゾンを2週間投与しても,下垂体ACTH分泌能は抑制されず,副作用は発現しないし,(b)どのステロイド製剤でも1日1~2錠以下では副作用の発現頻度は著しく減り,重篤な副作用はおこりにくく,(c)本剤の用法・用量は,成人1日0.5から8mgを1から4回に分割して経口投与するとされており,その最大許容投与量は1日32mgまでとなる旨主張する。

確かに,乙第8号証(佐々木俊行,米澤和明「副腎皮質ホルモン(全身投与)医薬ジャーナル32巻1号,1996年)には,「一般に経口剤の場合1日1~2錠以下では副作用の発現頻度は著しく減り,重篤な副作用も起こりにくい」との記載があり,乙第7号証には「デキサメサタゾン1日当たり1mgを2週間投与しても下垂体ACTH分泌能は抑制されず,副作用は発現しない」との記載がある。そして,乙第10号証によれば,本剤の用法・用量は,成人1日0.5から8mgを1から4回に分割して経口投与するとされていること(最大許容投薬量は成人1日8mgであって32mgではない。)が認められる。

しかし,被告が原告に対して投与したものは,1日当たり本剤3錠・デキサメタゾン1.5mgであり,投与期間は,通算12週間にわたるものであるから,被告の主張(a),(b)は,被告の過失を否定する根拠とはなりえない。また,被告の主張(c)に係る点については,本剤の1日当たりの最大許容投与量は,本剤16錠・デキサメタゾン8mgであるが,このような最大許容投与量は,適応症,投与期間,投与方法などを慎重に検討した上で選択されうるものであって,最大許容投与量以下であれば,適応症,投与期間,投与方法に関係なく本剤の投与につき過失がないといえるものではない。

(5)  そこで,同オの事実(相当因果関係)について判断するに,被告が採用した7投7休法は,当時の臨床医学水準において是認されていた方法ではなく,この方法は,当時の臨床医学水準において是認されていた3投4休法よりも,患者がステロイド剤にさらされる期間が長いことは明らかであるから,その分,患者の視床下部-下垂体-副腎系の抑制を生じ,あるいは,患者の組織のステロイドに対する順応(血清コルチゾール値が正常であっても,組織が高濃度のステロイド剤に適応しているため,ステロイド剤離脱後も生理的濃度以上のステロイドを必要とし,いわば相対的副腎不全状態となっていること)を高める可能性が高いものと認めるのが相当である。

そして,本件においては,当時の臨床医学水準において是認されていなかった7投7休法によって,原告に対するステロイド剤の投与がされたのであるから,特段の反証のない本件にあっては,被告の採用した7投7休法によって,原告がステロイド離脱症候群に罹患したものと推認するのが相当である。

また,前記2(1)認定の事実経過に照らすと,被告が原告に対する上記説明義務を怠ったことによって,原告がその父の死亡の際,あるいは,C医院の医師からの話を聞いた後に,本剤の服用を遵守しないことになったものということができる。

したがって,いずれにせよ,被告の注意義務違反行為と原告がステロイド離脱症候群に罹患したこととの間には,相当因果関係があるものというべきである。

4  請求原因(6)(損害)について

(1)  休業損害 787万0950円

甲第6号証,第14号証,第25号証の2,証人Bの証言及び弁論の全趣旨によれば,原告は,ステロイド離脱症候群の治療のため,少なくとも平成12年4月1日から平成14年6月30日までの2年3か月間にわたって休業することを余儀なくされたものと認めることができる。そして,甲第18ないし第22号証及び弁論の全趣旨によれば,原告は,平成9年3月ころから,古物商の許可を得て稼働していたものであることが認められ,ステロイド離脱症候群に罹患しなければ,その年間収入は,349万8200円(平成12年の賃金センサス産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の平均給与額)はあったものと認めるのが相当である。そうすると,この間の休業損害は,下記算式によって,787万0950円となる。

349万8200円×2.25

(2)  入通院慰謝料 218万円

甲第6号証,第14号証,第25号証の2,証人Bの証言及び弁論の全趣旨によれば,原告は,ステロイド離脱症候群の治療方法としてのステロイド剤漸減療法を受けるために,少なくとも平成11年1月から平成14年6月30日までの約3年5か月間にわたり,病院に入通院をすることを余儀なくされたことが認められる。この事実に,原告の罹患したステロイド離脱症候群による症状及び治療方法など本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると,原告が上記入通院を余儀なくされたことによって受けた精神的苦痛を慰謝するには,218万円をもってするのが相当と認める。

なお,原告は,「被告の注意義務違反行為が医療水準を逸脱したものであり,これによって,原告が,就労はもちろんのこと日常生活もままならなくなり,長期間の治療を継続しながら,現在においても完治の見込みが得られない状況にあることなども考慮すると,原告が上記入通院を余儀なくされたことによって受けた精神的苦痛を慰謝するには,1000万円をもってするのが相当である。」旨主張するが,原告の上記主張のうち,「被告の注意義務違反行為が医療水準を逸脱したものであること」は,本件全証拠によっても,必ずしもそのような評価を下すべきものとも認め難く,また,「原告が,就労はもちろんのこと日常生活もままならなくなり,長期間の治療を継続しながら,現在においても完治の見込みが得られない状況にあること」は,前掲各証拠によって,これを認めることができるが,この点を斟酌するとしても,原告の上記主張に係る金額を直ちに是認することはできない。

(3)  弁護士費用 100万円

弁論の全趣旨によれば,被告が任意に損害を弁償しなかったため,原告は,被告に対して本訴の提起・追行を弁護士に委任することを余儀なくされたことが認められるところ,本件の事案の内容,審理経過,認容額などにかんがみると,本件と相当因果関係のある弁護士費用は,100万円と認めるのが相当である。

5  請求原因(7)(支払催促)について

原告が,平成13年2月16日送達の本訴状をもって,被告に対し,上記損害に係る金員の支払を催告したことは,一件記録上,当裁判所に明らかである。

6  結論

よって,原告の被告に対する本訴請求は,債務不履行による損害賠償請求権に基づき,損害金1105万0950円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成13年2月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は失当であるからこれを棄却し,訴訟費用の負担について民事訴訟法64条本文,61条を,仮執行宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橋本昇二 裁判官 岩松浩之 裁判官 石川真紀子)

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