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札幌地方裁判所 平成14年(ワ)1490号 判決 2003年12月19日

主文

1  被告は,原告に対し,122万5455円及び内金80万円に対する平成3年11月1日から支払済みまで,内金12万5455円に対する平成14年7月1日から支払済みまで,それぞれ年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,これを5分し,その1を被告の負担とし,その余を原告の負担とする。

4  この判決は第1項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告に対し,598万5040円及び内金400万円に対する平成3年11月1日から支払済みまで,内金144万5040円に対する平成14年7月1日から支払済みまで,それぞれ年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,原告が,平成3年に被告の開設する病院で虫垂炎の手術を受けたところ,担当医師が使用したチューブを原告の体内に残置したまま手術を終えたため,精神的苦痛を受けたほか,その摘出手術等のため財産上の損害を被ったとして,被告に対し,不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。

1  前提となる事実(争いのない事実は証拠を掲記しない。)

(1)  当事者

ア 原告は,昭和25年1月11日生まれの女性である(乙1)。

イ 被告は,肩書地において,A病院(以下「被告病院」という。)を開設する医療法人である。

(2)  異物の発見

ア 原告は,平成14年3月18日,腹痛及び下痢を主訴としてB病院を受診し,腹部X線写真を撮影したところ,右下腹部に針金様の異物が認められた。そのため,同病院医師が,原告の既往を確認したところ,平成3年10月,被告病院で虫垂炎の手術を受けていたことが判明した(乙1,原告本人)。

イ 原告は,平成14年4月15日,上記アの内容を記載したB病院医師による診療情報提供書と上記アの腹部X線写真を持参して被告病院を受診した。被告病院のC医師は,CTスキャン撮影をし,原告の腹壁の脂肪内に異物が残存していることを確認した(乙1)。

ウ 原告は,同月19日,B病院に入院し,同月23日,腹壁内の異物を除去するための手術(以下「本件除去手術」という。)を行った。除去された異物は,長さ約9センチメートル,直径約6ミリメートルのシリコンラバー製チューブ(以下「本件チューブ」という。)であった(乙3)。

2  争点

(1)  争点1・被告の過失

ア 原告の主張

医師は,手術の終了に際し,手術に使用した器具等が患者の体内に残存していないかを十分探索する注意義務がある。しかし,被告病院医師は,平成3年10月,原告に虫垂炎の手術をした際,上記注意義務を怠り,原告の体内に本件チューブを置き忘れた。よって,被告病院医師には,過失がある。

イ 被告の主張

争う。原告が被告病院で虫垂炎の手術を受けてから,既に11年が経過しており,事実関係を確認することができない。

(2)  争点2・損害

ア 原告の主張

(ア) 休業損害

原告は,本件チューブを除去するため,平成14年4月19日から同年5月1日までの13日間,B病院に入院し,その後,7日間,同病院に通院した。また,退院後も体調は戻らず,少なくとも同年5月及び6月は外出もほとんどできず,自宅で療養生活を送った。その結果,原告は73日間の休業を余儀なくされた。原告は専業主婦であり,賃金センサス平成10年第1巻第1表によれば,産業計全労働者50歳ないし54歳の平均賃金が635万0800円であるから,原告の被った休業損害は,以下の計算式のとおり,127万0159円である。

計算式 635万0800円÷365日×73日間=127万0159円

(イ) 付添看護費

原告は,B病院での13日間の入院中,近親者の付添を必要とした。その費用は,1日1万円であり合計13万円である。

(ウ) 経過観察のための診察費及び投薬費

原告は,平成14年12月27日から平成15年7月30日までの間,5回にわたり,本件除去手術後の経過観察のため,B病院に通院し,診察と投薬を受けた。これらの診察費及び薬剤費は合計4万4881円である。

(エ) 慰謝料

原告は,被告の過失により,11年もの間,体内に本件チューブを残置されたままとなった。そのため,原告は,本件除去手術を受けなければならない苦痛を味わい,術後の体力の消耗や精神的打撃から体調を崩し,未だに精神的に立ち直ることができない。加えて,被告から明確な謝罪がされていないことからすると,本件の慰謝料としては400万円が相当である。

(オ) 弁護士費用

原告は,本件訴訟の提起及び遂行を弁護士に委任し,54万円を支払うことを約した。

(カ) まとめ

以上の損害額の合計は598万5040円となり,原告は,被告に対し,不法行為に基づく損害賠償として,前記金額及びうち慰謝料400万円に対する不法行為の日の後である平成3年11月1日から支払済みまで,弁護士費用を除いたその余の144万5040円に対する不法行為の日の後である平成14年7月1日から支払済みまで,それぞれ年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

イ 被告の主張

原告主張の損害はすべて不知ないし否認する。

本件チューブは,シリコンラバー製で人体に無害であり,その残存部位が右下腹部皮下組織(脂肪織)であったことからも,原告の消化管に障害及び病的症状を引き起こすものではない。現に原告は,平成3年10月の虫垂炎の手術後,平成14年3月までの間,特段医師の診察を受けることなく日常生活を送っていた。被告は,本件チューブの残存が発覚した後,原告に対し謝罪するなど,誠実に対応してきた。

また,平成14年12月27日以降の経過観察は,いずれも本件除去手術と無関係である。

原告は,本件チューブが体内に残存していることを平成14年3月18日に始めて知ったことからすると,本件チューブの残存による慰謝料に係る遅延損害金の起算点は,上同日とするのが相当である。

第3争点に対する判断

1  争点1(被告の過失)について

前記前提となる事実に証拠(乙1,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,平成14年3月18日,原告の右下腹部に異物(後日本件チューブであることが判明した。)が認められたが,原告は,平成3年10月,被告病院で虫垂炎の手術を受けただけで,その後,腹部付近に外科的な手術を受けたことがなく,また,本件チューブも上記虫垂炎の手術に使用したものと矛盾がないことが認められ,これによれば,本件チューブは,平成3年10月に被告病院で行われた虫垂炎の手術の際,担当医師が原告の体内に残置したものと推認するのが相当であり,他にこれを覆すに足りる証拠はない。

そうすると,平成3年10月の時点で,原告の虫垂炎の手術を担当した被告病院医師には,患者の体内に手術器具等を残存させないようにすべき医師としての注意義務を怠った過失があるというべきである。

2  争点2(損害)について

(1)  同病院医師の上記行為は,原告に対する不法行為を構成するもので(以下「本件不法行為」という。),同医師を雇用していた被告は,民法715条1項に基づき使用者責任を負うことになるので,原告に対し,本件不法行為と相当因果関係にある損害を賠償しなければならない。

そこで,被告が賠償すべき原告の損害額を検討するに,前記前提となる事実に証拠(甲6,7,10,11,13,乙1,4及び原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められる。

ア 原告は,本件除去手術のため,平成14年4月19日から同年5月1日までの13日間,B病院に入院したが,同手術前に腹痛を訴えたり,同手術による創痛を訴えたことはほとんどなく,その状態は概ね安定していた。

イ 本件除去手術は,当初,本件チューブをその先端から引き抜いて除去することを予定していたが,これができなかったため,手術創を広げて除去することとなったものの,麻酔も含めて1時間半程度で終了し,その後,手術創が瘢痕化し,5センチメートルほどの手術痕となった。

ウ 原告は,平成14年5月1日に退院した後,体調が優れないことが多く,同月8日,退院後初めてB病院で診察を受けていたが,その際,手術痕に問題はなく,痛みも認められなかった。原告は,その後もB病院に通院し,手術痕の痛みや体調不良について診察を受けているが,担当医師からは,これらの症状が精神的なものが関係していると指摘された。原告は,その後も平成14年12月27日から平成15年7月30日までの間に5回,B病院において診察を受けた。

(2)  以上の認定事実を基に損害額について検討する。

ア 休業損害

原告は,平成3年10月の虫垂炎の手術以来,平成14年3月まで,体内の異物の存在に気付くことなく,また,その間において生活に支障を感じることもなかったものであるが,体内に異物が存在することが発見された場合,それが身体にとって有害なものではないとしても,これを体内から除去しようとするのは,社会通念上当然のことというべきであるから,被告病院医師による本件不法行為と本件除去手術との間には,相当因果関係が認められる。

原告は,前記認定のとおり,本件除去手術を終えて退院した後も,手術痕の痛みや体調不良を訴え,少なくとも平成15年7月まで通院を続けたものであるが,本件除去手術の所要時間,手術部位,侵襲の程度などからしても,本件除去手術は,退院後の原告の活動に重大な支障を生ぜしめるものであったとは考え難く,また,入院中の看護記録(乙1)によれば,原告は,創痛や創トラブルがなく,大丈夫です,お世話になりましたなどと言って表情良く退院していったというのであり,通院中の担当医師からも,前記認定のとおり,精神的なものが関係しているとの指摘を受けていることに鑑みると,通院後の原告の上記症状と本件不法行為との間に相当因果関係を認めることは困難である。そうすると,本件不法行為と相当因果関係の認められる原告の休業期間は,本件除去手術のための入院に要した13日間に限られることになる。

そして,原告は,本件除去手術の当時専業主婦であって,平成13年の賃金センサス第1巻第1表女性労働者学歴計全年齢の平均賃金が,352万2400円であるから,これを基に13日間の休業損害を算出すると,12万5455円になる。

計算式 352万2400円÷365日×13日間=12万5455円

イ 付添看護費

原告は,本件除去手術のための入院期間中,精神的動揺はあったにせよ,症状は安定していて,本件除去手術の内容,程度や原告の年齢(52歳)に照らすと,原告には近親者の付添が必要であったとは認められない。

ウ 経過観察のための診察費及び投薬費

原告は,退院後もB病院に通院しているが,退院後の最初の診察でも手術痕に変化や痛みはなく,担当医師からも原告の主訴が精神的なものに関係していると指摘されており,本件除去手術の内容・手術痕の大きさなどからみても,本件除去手術から7か月が経過している平成14年12月以降の診察・投薬は,本件チューブが体内に残存したため,本件除去手術を受けなければならなかったことに起因して生じたものであるとはいえない。

エ 慰謝料

原告は,手術時に不必要な異物を体内に残置しないという医師としての基本的な注意義務を怠った被告病院医師の過失により,11年間も体内に本件チューブを残存させられたばかりか,本件除去手術のため,肉体的苦痛を受けたのみならず入院を余儀なくされ,しかも,身体に約5センチメートルの手術痕が残ってしまったものである。その他本件に顕れた一切の事情に鑑みると,原告の被った精神的苦痛に対する慰謝料としては80万円と認めるのが相当である。

オ 弁護士費用

原告は,本件訴訟の提起及び遂行を原告代理人に委任しており,本件訴訟の内容等に鑑み,本件不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は30万円であると認めるのが相当である。

カ 遅延損害金の起算点について

不法行為に基づく損害賠償債務は,何らの催告を要することなく,損害の発生と同時に遅滞に陥るものと解されるところ(最高裁判所昭和37年9月4日判決民集16巻9号1834頁),本件の場合,原告の体内に本件チューブが残存したこと自体が損害であり,慰謝料も本件除去手術のために被った財産上の損害も本件不法行為と相当因果関係のある損害であり,一個の損害賠償請求権の一部を構成するものであるから,その支払債務についても不法行為の時に遅滞に陥ると解すべきである。

本件では,原告が,体内に本件チューブを残存させられた平成3年10月が不法行為時であり,これによって生じた慰謝料を含めた損害賠償債務は,このときに履行遅滞に陥ったものと認められる。

キ まとめ

以上から,被告は,原告に対し,損害合計122万5455円及びこれに対する平成3年10月の本件不法行為の日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払義務があることになる。

3  結論

よって,原告の本件請求は,122万5455円及び内金80万円に対する不法行為の後の日である平成3年11月1日から支払済みまで,内金12万5455円に対する不法行為の後の日である平成14年7月1日から支払済みまで,それぞれ民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し,その余の請求は理由がないから棄却し,訴訟費用について民事訴訟法61条,64条を,仮執行宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 笠井勝彦 裁判官 村田龍平 裁判官 片山博仁)

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