札幌地方裁判所 平成15年(わ)701号 判決 2003年9月30日
主文
被告人Aを懲役1年6か月に,被告人Bを懲役2年に処する。
被告人Aに対し,未決勾留日数中30日をその刑に算入する。
被告人Bに対し,この裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。
理由
(犯罪事実)
被告人Aは,平成15年4月13日施行の札幌市議会議員選挙に際し,札幌市a区選挙区から立候補する決意を有していたもの,被告人Bは,前記Aの選挙運動者であるが,被告人両名は,被告人Aの選挙運動者であるC及び同Dと共謀の上,被告人Aにおいては自己の当選を得る目的で,被告人Bにおいては前記Aに当選を得させる目的で,いまだ被告人Aの立候補届出のない
第1同年1月25日ころ,札幌市a区b丁目c番「A事務所」において,同被告人の選挙運動者であるEに対し,同被告人のために投票取りまとめ等の選挙運動をしたことの報酬として現金100万円を供与し,
第2同年2月25日ころ,前記事務所において,前記Eに対し,前同様の報酬として現金100万円を供与し,
第3同年3月26日ころ,前記事務所において,前記Eに対し,前同様の報酬として現金100万円を供与し,
もって,各現金の供与をするとともに,立候補届出前の選挙運動をした。
(争点に対する判断)
弁護人は,被告人両名は,Eに対して,戸別訪問を通じて,被告人Aの後援会への入会を勧誘することを依頼したのであり,Eは,しばらくの間は,その趣旨に従って活動を続けていたが,平成15年1月ころを境にして,有権者に対し,「市議選に立候補予定のAです。」,「決まった候補がいなければ,Aを宜しくお願いします。」などと話すなどして,被告人Aへの投票を暗に依頼する活動を開始するに至っているところ,Eがこのような選挙運動を行ったのは,同人の独自の判断に基づくものであり,被告人両名が,Eに対して投票取りまとめ等の選挙運動を依頼したり,C及びDと共謀の上,選挙運動をしたことの報酬の趣旨で判示の各現金を供与したという事実はないから,被告人両名は無罪である旨主張し,被告人両名も弁護人の主張に沿う弁解をしているので,以下検討する(なお,被告人両名は,金銭授受の認識の点についても争っているが,DとEとの間で判示の各現金が授受されたこと及び被告人両名がこれを事前に了承していたことは,後記認定のとおり明らかである。)。
1 関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
(1) 被告人Aは,大学時代から政治家を志しており,大学卒業直後から衆議院議員の事務所や自分の兄で札幌市議会議員(d区選出)であるFの事務所で働いた後,平成7年ころから叔父であり同市議会議員(a区選出)であるGの事務所で働くようになり,いずれは同人の選挙地盤を譲り受けるなどして市議会議員として活動したいと考えていたが,その期待がかなえられそうもないと感じるようになったことから,同13年ころに同事務所を退職し,無認可保育園を経営するようになったが,同14年1月ころには,翌15年4月13日施行予定の札幌市議会議員選挙(以下「市議選」という。)にa区から立候補して当選を果たしたいと考えるようになった。そして,被告人Aは,父親である被告人Bや,かねてからの知り合いで上記保育園の経営を手伝ってもらっていたC,Dらに対して,立候補の意思を打ち明けてその協力を取り付け,同年5月ころには,いよいよ出馬の意思を固め,父である被告人Bに対して資金援助を依頼したところ,被告人Bは,かねてから被告人Aを政治家として活躍させたいとの強い希望を持っていたことから,3000万円位までなら援助できるとして,これを承諾し,その後必要に応じて資金の提供をしたり,自分が事実上の経営者であるH株式会社から必要な人員を派遣して手伝いをさせるなどしていた。
(2) 被告人Aは,このようにして,a区からの立候補を決意するとともに,出馬する以上は是非とも当選を果たしたいと考えていたものの,現職議員である叔父Gの地盤を引き継ぐことができず,むしろ逆に同じ選挙区から出馬するために,強力な競争相手になってしまうことが予想されたこと,長年政治家の事務所で働いていたとはいえ,自分自身の選挙地盤もなく,a区での知名度も欠けていたこと,更には,a区選出の現職議員は全員が今度の市議選に立候補することが見込まれており,激しい選挙戦になることが予想されたことから,これに勝ち抜いて当選を果たすためには,「選挙は歩かなければいけない」との自己の基本的な方針に基づいて,自分の事務所の者達をして,a区内の多数の有権者宅を無差別に戸別訪問させ,自分の政治家としての信条等を記したリーフレット等を有権者に渡して自分のことをアピールし知名度を上げるとともに,反応の良い相手には後援会入会申込書(以下「入会票」という。)に署名してもらったりすることが最善の策と考えていた。
また,被告人Aは,Fが当選した市議選の際に,同人から,「入会申込書が1万枚あって,1万票くらいを取れた。」などと言われた経験上,入会票獲得枚数と,選挙における自己の得票数がほぼ等しくなるとの認識を有していた。
(3) そこで,被告人Aは,被告人Bの援助を受けて,判示事務所(以下単に「事務所」という。)を構え,また政治団体を設立するなどして立候補のための準備を進める一方で,平成14年5月ころから,C,Dや自分の妻Iとも相談しつつリーフレットの原案を作成し,自分の親類であるJに対して,その印刷を発注して,同年6月上旬ころにこれらを納入させ(なお,被告人らは,それとともに多数の後援会入会申込書の印刷をも依頼し,リーフレットより少し前にこれを受け取っている。),その後はこれを事務所の者達に持たせて戸別訪問の際に配布していた。このリーフレットは,3つ折りのもので,第1面に「A」と大きく朱書し,微笑む被告人Aの上半身背広姿を掲載し,「a区」,「33才!」などと付記し,「熱き思い、みなぎるパワー。」などのキャッチフレーズを示し,さらに,同被告人の経歴,子育て支援事業の推進等の政策,決意文等を掲げ,北海道選抜のキャプテンとして出場した大学対抗駅伝大会で疾走する姿,鉢巻き姿で代議士秘書として選挙戦に挑む姿,札幌市議会議員である兄Fが被告人を応援する姿等を掲載し,全面的に被告人Aの若さや活力等を強調し,写真,原色文字を多用して被告人Aの顔,名前,政策等を強くアピールするものであった。そして,このキャッチフレーズ,公約,決意文等は,後に選挙公報に掲載されたものとほぼ同一の内容だった。
そして,Cは,リーフレットが納品される前から,前記Iと共に,当時有力な立候補予定者がおらず「草刈り場」と評されていたa区e地区内の有権者宅を無差別に訪問し,被告人Aの名刺と入会票を相手に手渡して,「今度市議選に立候補予定のA事務所の者です。」などと言って被告人Aのことをアピールするとともに入会票への署名を求めるなどしたが,相手方の反応が非常に鈍かったため,リーフレットがなくては戸別訪問を行っても効果がないとして,1日でこれを中止し,そのてんまつを被告人Aに報告するとともに,リーフレットが納入されてから戸別訪問を再開することとした。その後,Cは,リーフレットが納入された同年6月上旬ころから,被告人Aの意を受けて,Iらと共に再び戸別訪問を開始し,その後これに参加するようになったKやLらと共にa区内の相当数の有権者宅を無差別に訪問し,前同様に,「今度市議選に立候補予定のA事務所の者です。」などと言って,被告人Aが翌年4月に施行予定の市議選にa区から立候補する予定であることを明確に告げた上,リーフレットや,名刺,入会票を渡し,被告人Aの人柄や若さ,その政治姿勢などを相手方にアピールするとともに,入会票に署名してくれるよう依頼するなどしていた。
(4) 平成14年6月下旬ころに,後記のような経緯から,E(以下「E」という。)が戸別訪問要員として事務所に雇い入れられると,その後は同人が手配した者や,それとは別に被告人Aからの依頼でこれに加わることとなった大学院生のMやその紹介で集まった大学生らをも含めて,Eを中心とした十数名の体制で,a区全域を網羅するような形で無差別の戸別訪問を押し進めて行った。
戸別訪問におけるEらの有権者に対するいわゆるトーク内容は,Cらの場合と同様に,前記リーフレット及び入会票等を相手方に手渡し,リーフレットを見せたりしながら,「A後援会事務所の○○と申します。来年4月に市議会議員選挙があり,Aはこれに立候補することを予定していますので,その挨拶回りに参りました。」などと言って,被告人Aが今度の市議選に立候補を予定していることを明確に告げるとともに,被告人AやCらからの事前の注意に基づいて,「投票」とか「1票」という言葉は絶対に使わないように注意しつつ,被告人Aの人柄や若さ,その政治姿勢等を強くアピールするというものであった。
Eらは,入会票への署名を勧誘し,署名してもらった入会票を持ち帰っていたが,その際,同人らは,被告人AやCらからの指示に基づいて,上記勧誘を行った際の相手方の応対ぶりや感触など特徴的なことを入会票の余白に記入するとともに,後記の会議の際に,相手方の反応ぶりなどを被告人AやCらに報告するなどしていた。
(5) 一方,被告人Bは,事務所にしばしば出入りし,Cに対して,「2,3人では少ない。」などと述べ,同人らだけでは戸別訪問の人員が足りないと不満を顕わにしていたところ,同年6月下旬ころ,事務所2階において,被告人Bの知人の子であるEを被告人Aに紹介した。被告人Bは,Eが,訪問販売,人材派遣等の仕事を行っていることを聞き,同人に対し,「外回りの仕事をしてもらいたい。若くて生きのいい奴いないか。」などと言って,戸別訪問を行うことを依頼した。そして,被告人Aは,Cに対して,Eとの間で打ち合わせを行うように指示し,これを受けて,CがEとの間で報酬額等の具体的条件について交渉をしたところ,Eから,「アルバイトを3,4人連れてくるのでアルバイト料を払って欲しい。個々への支払いは自分がするから,自分に一括で50万円欲しい。」という申出を受けた。そこで,Cは,被告人AにEの申出を伝えて相談したところ,被告人Aは,「いいんじゃないか。CちゃんとDさんに任せるから,相談して決めて。」などと言ってこれを了承し,Cはその後Dにも相談して同人の了承も取り付けた。そこで,Cは,再度Eと打ち合わせを行って,同人及び同人の雇い入れる者達が戸別訪問を行い,その報酬として毎月50万円をEに支払うこと,その期間を当面3か月とすることなどで合意し,この合意内容をDにも伝えて,毎月末にEに対し50万円を支払うように依頼した。その後,被告人Aも,同年7月20日ころ,Dから「Eさんに50万円支払うことになっています。」との報告を受けてこれを了承し,被告人Bも,同月下旬ころ,Dから,「Eさんに50万円支払うことになっているので,50万円をお願いします。」との連絡を受け,Dに資金を届けるようになった。
その後,Cは,Eらが相当数の入会票を集めるなど,戸別訪問を真剣に行っていること,また,Eから期間を延長して欲しい旨の希望もあったことから,同年9月中旬ころ,その期間を更に3か月延長することとした。被告人Aは,Cから,上記期間延長の報告を受けてこれを了承し,被告人Bも,資金をDに届け続けた。また,被告人Bは,CやDらに対し,「Eはちゃんとやっているか。」,「Eは何人連れてきたか。」,「人数は足りているか。」,「Eたちはどこを回っているか。」,「今何枚集まったか。」などとEらの働きぶりや入会票の獲得枚数等を尋ねるなど,同人らの活動状況に強い関心を示しており,また,自分の弟であるGが被告人Aに選挙地盤を譲ろうとしなかったとして,Gを恨んでいたことから,「早くfに入れ。」などと言って,Cらに,Gの選挙地盤であるf地区に早く戸別訪問を行うよう指示するなどしていた。
(6) 同年12月下旬ころ,Cは,Eから,月額50万円では自分の取り分も少なく足が出てしまうような状態なので,報酬額を月額100万円に増額して欲しい旨の申出を受けた。Cは,その金額が大きかったため,その場での即答を避けたが,被告人Aの当選のためには今後ともEらの活動が是非とも必要であると考えていたことや,被告人AもEらの働きぶりを高く評価していたことから,被告人両名の事前の了承を得るまでもないと考え,Dにその旨相談の上,Eの申出を認めることとし,その数日後,Eに対し,その申出を受ける旨回答した。そして,被告人Aは,その後まもなく,CからEに支払う報酬を月額100万円に増額する旨の報告を受け,また,平成15年1月20日ころには,Dからも,同様の報告を受けて,いずれも了承した。被告人Bも,同日ころ,Dから,Eへの報酬額が100万円に増額された旨の連絡を受けて,これを了承し,同年1月分以後のEに支払う報酬額100万円を含めた活動資金をDに届けるようになった。そして,Dは,被告人Bから受け取った上記資金の中から,判示の各現金100万円を,判示の日時,場所において,Eに手渡した。
(7) 一方,被告人A自身も,平成14年7月ころから,入会票に署名してくれた有権者宅への戸別訪問を開始したが,その際,同被告人は,「市議会議員に立候補予定のAです。この度は後援会に御入会いただいてありがとうございました。今後とも後援会活動宜しくお願いします。後日,うちのスタッフが後援会の総会の案内とか持ってきましたら,御参加のほど宜しくお願い致します。」などと,今度の市議選に立候補する意思を明確に示しつつ挨拶していた。これに対して,有権者の中には,「叔父さんも辞めて譲ればいいのに。」,「○○さんはなにもしてくれないんだよね。市議になったら除排雪やってくれよな。」などと,現職市議や市政に対する不平不満を述べる者も少なくなかった。
(8) 被告人Aは,事務所関係者の人員が増加したため,全員の動きを十分把握することができなかったことから,戸別訪問等の活動状況等を報告させる会議を開催することを発案し,同被告人のほか,C,D,Eらで構成される会議が,同年10月ころから,概ね週1回の割合で開催されることとなった。会議では,被告人Aの了承の下に,入会票獲得枚数の目標値が設定され(平成14年中は6000枚,平成15年3月末まで9000枚),司会役のCが入会票の獲得枚数を発表するとともに,Eらが回っている地区の入会票獲得状況や住民の反応等を報告するなどしていた。被告人Aは,概ね聞き役であったが,時折,入会票の集まり具合が悪いようなときは,「非常に厳しいけど,みなさん頑張って下さい。」などと発言するなどしていた。
また,事務所内では,被告人Aらの発案で,告示日までの日めくりが掲げられ,毎朝行われていた朝礼では,告示日までの残りの日数を確認するなどしていた。
(9) 平成15年に入ると,Dは,その開始時期等について被告人Aに相談するなどした上,女性支援者らに指示して,同年3月20日ころから選挙日前日である同年4月12日まで,入会票に基づいて作られた名簿や電話帳を使用して,事務所内に設置した5台の電話機で電話をかける「電話作戦」を行った。1巡目では,名簿を使用して,「こちらは,A事務所でございます。この度は,後援会に入会いただきありがとうございました。今後とも宜しくお願いいたします。」などと話す一方で,相手方の反応について,感触の良い者については○,感触の悪い者については×,どちらか分からない者については△などと分類していた。
また,1巡目の電話が終了した後,告示日(同年4月4日)までの期間,Dは,女性支援者らに指示して,電話帳に基づいて,「突然のお電話で申し訳ありません。今度の市議会議員選挙に立候補する予定のA事務所と申します。ご支援されている方はいらっしゃいますか。いらっしゃらなければ,何卒,ご支援のほどよろしくお願いします。」などと挨拶をさせる「無差別の電話作戦」を行った。
(10) 同年3月の半ばころには,「N」の4月号に市議選の当落の予想記事が掲載されたが,被告人Aは,当選ぎりぎりという評価が掲載されていたのを見て,Cに対し,「評価なんか気にしないで気持ちを引き締めて頑張っていこう。」などと話していた。
(11) 被告人Aは,同年4月13日の投票の結果,1万2003票を獲得して,立候補者11人中,2位で当選した。
2 Eが当初から投票とりまとめ等の選挙運動を繰り返していたことなど
弁護人は,Eが行っていた戸別訪問活動の内容について,冒頭で述べたとおり,Eは,しばらくの間は被告人Aらの依頼の趣旨に従って後援会への入会勧誘活動を続けていたが,平成15年1月ころから,E自身の独自の判断により,戸別訪問を通じて被告人Aへの投票を暗に依頼するという選挙運動を展開するようになったものである,と主張する。しかしながら,上記1で認定した諸事実からして明らかなように,被告人Aが市議選への立候補を決意した後,程なく,選挙予定日まで残り1年を切った時期に,CやEらによる戸別訪問が開始され,選挙の約20日前まで継続的かつ集中的に行われていること,戸別訪問先をa区内に限定し,a区全域の面識のない多数の有権者を対象に無差別的かつ網羅的に訪問していること,外回り担当者を雇って十数名の者に戸別訪問を行わせるなど,当初から被告人Aらが主導する形で組織的に戸別訪問を行っていること,戸別訪問においては,前述のようなリーフレット等を提供し,被告人Aが今度の市議選に立候補予定であることを明言し,その名前,政治的信条等を強くアピールするなど,一方的かつ積極的に有権者らに働きかけるという形で行われていること,入会票に署名した有権者に対して重ねて行われた被告人Aの戸別訪問や「電話作戦」の態様等を併せて考えると,Eが,戸別訪問を始めた当初から,各訪問相手に対して被告人Aへの投票を暗に依頼するという形で,同被告人を当選させるための選挙運動を繰り返し行っていたことは明らかであるから,弁護人の上記主張は採用することはできない。
3 被告人両名が共同正犯の責任を負うことについて
被告人両名が,Eらが戸別訪問先で行っていた個々具体的な言動等についてまで逐一認識していたとは認められない。しかしながら,戸別訪問によって獲得した入会票の枚数が選挙本番での得票数にそのまま直結すると考えていた被告人Aは,市議選への立候補を決意した後,当選を果たすため,戸別訪問による入会票集めを選挙戦の柱と位置付け,これを中心的に行ったこと,被告人A自身が,無差別の戸別訪問を行うことを発案し,これをCやEらに実行させていたこと,被告人Aは,Eの採用時に同人と面接するなど,Eが前述のような経緯で戸別訪問を担当するに至ったことを十分了解していたこと,戸別訪問の進捗状況,入会票の目標数,獲得枚数等を報告する会議が,被告人Aの立会いの下,事務所で頻繁に開催されていること,事務所での被告人Aの発言内容等に照らすと,被告人Aは,Eらが,その各戸別訪問先において,被告人Aが市議選に立候補する予定であると説明するなどして,暗に同被告人への投票を依頼していたことを十分認識し,かつこれを了承していたことは明らかである。また,判示の各現金が,Eらが戸別訪問作業を繰り返して行っていたことの報酬(対価)として,DからEに供与されたことも,証拠上疑問の余地がない。そうすると,候補者本人であって,当選という利益を直接享受する立場にあった被告人Aは,事務所の会計担当者としてEに対して直接判示の各現金を渡したD,事務所の責任者としてEと条件等について折衝したCとともに,共同正犯の責任を負うべきことは当然である(なお,C及びDにおいても,Eらが以前から選挙運動を繰り返していたことを熟知していたことは,関係証拠に照らして明らかである。)。
また,被告人Bは,被告人Aの当選を強く願っていたことから,その求めに応じて,資力が十分ではなかった同被告人に対して,選挙資金を提供することを承諾し,その後実際に多額の資金を継続的に提供し,事務所開設等について援助するなど,本件において積極的かつ決定的な役割を果たすとともに,Cらが当初行っていた戸別訪問に関して,「戸別訪問をするのに,2,3人では少ない。」などと不満を述べ,Eを戸別訪問要員として自ら被告人Aらに紹介し,Eを採用した後は,「Eはちゃんとやっているか。」,「Eたちはどこを回っているか。」,「今何枚集まったか。」などとCに再三尋ねるなど,Eらが行っている戸別訪問の進捗状況,入会票の獲得枚数等を強く気に掛けており,また,Cらに対して,「早くfに入れ。」などと言って,Eらの戸別訪問活動を通じて,Gの選挙地盤の切り崩しを図ろうとするなどしていたのであって,被告人Bが,戸別訪問によって多数の入会票を獲得することは被告人Aが選挙で多数の票を得ることに直結すると認識していたことは明らかであり,またEらが戸別訪問において暗に投票依頼をしていることも,いわば当然のこととして認識していたことも間違いないものと認められるのである。そうすると,被告人Bは,被告人Aらと共に共同正犯としての責任を負うことも明らかである。
これに対して,弁護人は,Eは平成15年1月ころから同人自身の判断で戸別訪問の内容を変質させ,勝手に選挙運動を始めてしまったもので,被告人両名はそのことを知らなかったと主張する。しかしながら,Eらは,前記のとおり,戸別訪問を開始した当初から戸別訪問先で暗に投票依頼をするという形で選挙運動を繰り返していたと認められるのであり,被告人両名において,Eらが上記のとおりの選挙運動をしていることを熟知していたことも優に認めることができるのである。そうすると,Eらが,1月以降はより強く投票依頼を暗示させるような「トーク」を展開していた(そのこと自体は関係証拠によって認めることができる。)にしても,被告人両名が以前からEらが選挙運動を展開していることを認識していたという点においては何ら変わりはないのであるから,弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
罰条(被告人両名)
判示各所為のうち
各供与の点 刑法60条,公職選挙法221条1項3号
各事前運動の点 刑法60条,公職選挙法239条1項1号,129条
科刑上一罪の処理(被告人両名) 刑法54条1項前段,10条(いずれも重い供与の罪の刑で処断)
刑種の選択(被告人両名) いずれも懲役刑を選択
併合罪の処理(被告人両名) 同法45条前段,47条本文,10条(犯情の最も重い第1の罪の刑に法定の加重)
未決算入(被告人A) 同法21条
刑の執行猶予(被告人B) 同法25条1項
訴訟費用の連帯負担(被告人両名) 刑事訴訟法181条1項本文,182条
(量刑の理由)
本件は,判示のとおり,平成15年4月に施行の札幌市議会議員選挙に立候補を予定していた被告人Aが,その父である被告人B外2名と共謀の上,投票取りまとめ等の選挙運動をしたことの報酬として,立候補届出前である同年1月下旬ころから3月下旬ころまでの間に,被告人Aの選挙運動者(E)に対し,3回にわたり合計300万円を供与し,いずれも併せて立候補届出前の選挙運動をしたという,いわゆる運動買収,事前運動の事案である。
議会制民主主義の根幹をなす選挙の自由,公正の確保は,民主政治の維持,発展に不可欠な大前提であるが,買収行為は,選挙犯罪の中でも選挙の自由,公正を侵害する最たるものであることに照らせば,買収に及んだこと自体が強い非難を免れない。加えて,供与した現金が合計300万円という多額に及んでいること,投票取りまとめ行為が大規模かつ組織的に行われていること等を併せて考慮すれば,犯行態様は誠に悪質というほかない。
被告人Aは,選挙戦を勝ち抜くための戦略として,無差別の戸別訪問による投票依頼という悪質な方法を自ら選択し,選挙運動者に報酬を支払って積極的に展開した主謀者であって,共犯者らを犯罪に巻き込んだものである。本件のような態様の戸別訪問が違法であることは誰の目から見ても明白であるにもかかわらず,捜査段階から現在に至るまで,自分たちは正当な後援会活動を行っていたのであって,違法な選挙運動をした覚えはない,あるいは,現場の運動員(Eら)が暴走して勝手に投票依頼をした,などと強弁して本件犯行を否認し続け,現職議員の座を守ることに汲々としているのであって,反省の気持ちは全くうかがわれない。以上からすれば,被告人Aの刑事責任は誠に重いといわなければならない。そうすると,被告人Aには前科前歴が一切ないこと,養うべき妻子がいることなど同被告人のために酌むべき事情を十分考慮しても,本件犯行の利益が直接帰属する同被告人に対しては,実刑をもって臨むのが相当である。
一方,被告人Bは,息子である被告人Aが政治家になるという自らの夢を実現するために,求められるがまま買収資金等を被告人Aらに提供するなどしていたもので,本件犯行において重要かつ不可欠な役割を担っていたものであるが,被告人Aと同様,不合理な弁解に終始し,反省の気持ちは全くうかがわれない。また,平成11年5月に選挙違反による罰金前科があるにもかかわらず本件犯行に及んでいるのであり,この種事犯に対する規範意識の希薄さがうかがえるところである。以上からすれば,被告人Bの刑事責任もまた重いといわなければならない。しかしながら,被告人Bは,高齢であり,糖尿病を患っているなど健康状態に不安が残ることなど,同被告人のために酌むべき事情も認められる。そこで,同被告人に対しては,主文の刑に処した上,今回に限り,その刑の執行を猶予することとした。
よって,主文のとおり判決する。
(求刑 被告人両名につきいずれも懲役2年)
(検察官森脇尚史,同志村康之,私選弁護人見野彰信[主任弁護人],同野田信彦,同岸田洋輔,同佐藤光子各出席)
(裁判長裁判官 吉村正 裁判官 田村政喜 裁判官 野村充)