札幌地方裁判所 平成16年(ワ)193号 判決 2007年11月19日
主文
1 原告A1を除く原告らの訴えのうち,自衛隊の派遣等の差止めを求める訴えをいずれも却下する。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,原告らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告A1の請求
被告は,原告A1に対し,金5000円及びこれに対する平成16年2月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告A1を除く原告らの請求
(1) 被告は,「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」及び「イラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画」に基づいて自衛隊員及び装備品をイラク国内並びにその周辺地域及び海域に派遣又は輸送して,同法及び同計画に基づく活動をしてはならない。
(2) 被告は,原告らに対し,各金1万円及びこれに対する平成17年3月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(以下「イラク人道復興支援特措法」という。)に基づいて被告が自衛隊をイラク並びにその周辺地域及び海域に派遣又は輸送したこと(以下「本件派遣」という。また,イラク及びその周辺地域のことを単に「イラク」ということがある。)につき,原告らが,被告に対し,その平和的生存権,幸福追求権ないし人格権等を侵害されたと主張して,平和的生存権ないし幸福追求権等に基づいて自衛隊員及び装備品のイラクへの派遣及び輸送並びにイラクにおける自衛隊の活動の差止めを求めるとともに(ただし,原告A1を除く。),本件派遣により精神的苦痛を受けたとして,国家賠償法1条1項に基づき各1万円(ただし,原告A1については,亡甲の慰謝料1万円のうち相続に係る5000円。)の慰謝料の支払を求めた事案である。
1 イラク人道復興支援特措法の規定
(1) 基本計画
内閣総理大臣は,イラク人道復興支援特措法に基づく人道復興支援活動又は安全確保支援活動(以下「対応措置」という。)のいずれかを実施することが必要であると認めるときは,当該対応措置を実施すること及び当該対応措置に関する基本計画の案につき閣議決定を求めなければならない(同法4条1項)。
基本計画に定める事項は,①対応措置に関する基本方針,②対応措置を実施する場合における当該対応措置に係る基本的事項,当該対応措置の種類及び内容,当該対応措置を実施する区域の範囲及び当該区域の指定に関する事項,当該対応措置を自衛隊が外国の領域で実施する場合には,当該対応措置を外国の領域で実施する自衛隊の部隊等の規模及び構成並びに装備並びに派遣期間,国際連合,人道復興関係国際機関又は国際連合加盟国に無償又は時価よりも低い対価で譲渡するために関係行政機関がその事務又は事業の用に供し又は供していた物品以外の物品を調達する場合には,その実施に係る重要事項,その他当該対応措置の実施に関する重要事項,③対応措置の実施のための関係行政機関の連絡調整に関する事項である(同条2項)。
また,基本計画の変更の場合も同法4条1項が準用される(同条3項)。
(2) 国会への報告
内閣総理大臣は,基本計画の決定又は変更があった場合にはその内容を,基本計画に定める対応措置が終了したときはその結果を,遅滞なく国会に報告しなければならない(同法5条)。
(3) 国会の承認
内閣総理大臣は,基本計画に定められた自衛隊の部隊等が実施する対応措置については,当該対応措置を開始した日から20日以内に国会に付議して,当該対応措置の実施につき国会の承認を求めなければならない(同法6条1項)。
(4) 自衛隊による対応措置の実施
防衛大臣(平成18年12月法律118号による改正以前は「防衛庁長官」。以下同様。)又はその委任を受けた者は,基本計画に従い,対応措置として実施される業務としての物品の提供(自衛隊に属する物品の提供に限る。)を行う(同法8条1項)
防衛大臣は,基本計画に従い,対応措置として実施される業務としての役務の提供(自衛隊による役務の提供に限る。)について実施要項を定め,これについて内閣総理大臣の承認を得て,自衛隊の部隊等にその実施を命ずる(同条2項)。
実施要項の変更の場合も同法8条2項が準用される(同条9項)。
2 前提となる事実(当裁判所に顕著な事実等)
(1) 自衛隊のイラク派遣の経緯
ア 平成15年7月26日,第156回通常国会において,イラク人道復興支援特措法が可決され,同年8月1日,公布,施行された。
イ 内閣は,イラク人道復興支援特措法に基づき,平成15年12月,対応措置に関する基本計画を閣議決定した。
ウ 防衛庁長官(平成18年12月法律118号による改正以前。)は,上記基本計画に従って,対応措置として実施される業務としての自衛隊による役務の提供について実施要項を定め,これについて内閣総理大臣の承認を得て,自衛隊に準備命令を発するとともに,航空自衛隊先遣隊に派遣命令を発してクウェート,カタールへ派遣し,その後,陸上自衛隊に派遣命令を発してイラク南部ムサンナ県サマワに派遣するなど,順次,自衛隊をイラクに派遣した(本件派遣)。
エ 陸上自衛隊は,平成18年7月,サマワから撤退した。
(2) 本件訴えの提起
ア 甲は,平成16年1月28日,自衛隊のイラク派遣の差止め等を求めて本件訴えを提起した(当庁平成16年(ワ)第193号)。
甲は,平成18年5月14日に死亡し,その妻である原告A1が訴訟を承継した。
イ 原告A1を除く原告らは,平成17年3月23日,自衛隊のイラク派遣の差止め等を求めて本件訴えを提起した(当庁平成17年(ワ)第480号)。
3 原告らの主張
原告らは,要旨,次のとおり主張する。
(1) 当事者等
ア 甲
甲は,医師であり,昭和42年から平成2年まで通算8期23年間,衆議院議員を務め,その間,防衛政務次官,衆議院安全保障特別委員会委員長,郵政大臣などを歴任した。また,その所属していた自由民主党では,国防部会副部会長を長く務め,同党の副幹事長を歴任するなど,自衛隊問題及びわが国の国防政策に精通し,自由民主党政権で中心的な役割を担ってきた。平成2年に衆議院議員を引退した後は,a市内の病院の顧問を務めるなどしていた。
イ 原告A1
原告A1は甲の妻であり,甲の死亡により,相続人として甲の権利法律関係を承継した(ただし,相続分は2分の1)。
ウ 原告A2
原告A2は,童話作家であり,b文学館館長及びc町図書館館長を務めている。
エ 原告A3
原告A3は,詩人であり,d大学名誉教授(アメリカ文学)であって,○○訴訟の原告団長でもある。
オ 原告A4
原告A4は,哲学者であり,著述業をしている。自立と共生,平和と人権,交流と提案を活動目的とする「e」の共同代表である。
カ 原告A5
原告A5は,牧師であり,d大学附属高校の元校長であって,「f」の理事長である。
キ 原告A6
原告A6は,g大学教授(英語,平和学)であり,「h」の代表である。
ク 原告A7
原告A7は,i大学教授(国際関係論,比較法)であり,j学会の理事である。
ケ 原告A8
原告A8は,i大学教育開発研究センター助教授であり,歴史学や平和学を担当し,兵役及び兵役拒否の歴史的研究をするなどしている。
コ 原告A9
原告A9は,k大学法学部助教授(政治過程論・社会運動論)であり,「l」のメンバーとして活動している。
サ 原告A10
原告A10は,内科医であり,書道家である。なお,原告A10の亡夫乙は,甲と同じ選挙区の衆議院議員であった。
シ 原告A11
原告A11は,元フリーアナウンサーであり,元衆議院議員(1期3年)及び参議院議員(2期12年)であって,周辺事態法等の国会審議に関与した。また,m会の役員を務めている。
ス 原告A12
原告A12は,元高校教師であり,元衆議院議員(4期通年14年)であって,イラク人道復興支援特措法案に対する日本共産党n対策チームの責任者を務めた。
セ 原告A13
原告A13は,元小学校教師であり,元衆議院議員(1期3年4か月)であって,イラク人道復興支援特措法案審議に関与した。
ソ 原告A14
原告A14は,o大学名誉教授であり,元p会常任理事である。また,q会会長を務めている。
タ 原告A15
原告A15は,医師(公衆衛生学)であり,r大学教育学部名誉教授であって,核兵器廃絶を訴え,放射能被害を専門的立場から告発している。
チ 原告A16
原告A16は,神経内科医であり,s会議に連帯する「tの会」の事務局長を務めている。
ツ 原告A17
原告A17は,小児科医であり,「u会」の理事を務め,「x」の共同代表でもある。
テ 原告A18
原告A18は,整形外科医であり,「y会」の幹事長を務めている。
ト 原告A19
原告A19は,平和運動団体である「zフォーラム」の共同代表である。
ナ 原告A20
原告A20は,在日韓国人2世であり,「a1の会」の共同代表である。
ニ 原告A21
原告A21は,日本の戦後補償問題に取り組んでいる「b1」の共同代表である。
ヌ 原告A22
原告A22は,c1会議事務局長であり,福祉情報「d1の会」の代表である。
ネ 原告A23
原告A23は,昭和27年に北海道e1郡f1町g1に開拓農民として入植し,その農地の買収を拒否したことから自衛隊g1演習場に囲まれて40年以上になる。
ノ 原告A24
原告A24は,h1学会の理事であり,「i1」の事務局メンバーとして活動している。
ハ 原告A25
原告A25は,女性の人権ネットワーク活動をする「NPO法人j1」の代表理事であり,「k1」の共同代表である。
ヒ 原告A26
原告A26は,アジア,アフリカ,ラテンアメリカ諸国との対等な関係と国際平和を目指すNGO「l1委員会」の事務局メンバーを務めるとともに,「x」の共同代表である。
フ 原告A27
原告A27は,中学校教師であり,「i1」及び「m1」の各事務局メンバーを務め,市民アピール行動「n1」に積極的に取り組んでいる。
ヘ 原告A28
原告A28は,o1市民オンブズマンであり,「p1」の代表を務めている。
ホ 原告A29
原告A29は,中学校教師であり,「q1」の共同代表である。
マ 原告A30
原告A30は,r1の会長であり,r大学農学部名誉教授(農業経営学),k大学経済学部教授である。
ミ 原告A31
原告A31は,s1の行動に反対の意思表示をするなどの活動を行う「t1の会」の世話人であり,株式会社u1の代表取締役社長である。
ム 原告A32
原告A32は,元高校教師であり,甲の訴状を広くa市民に読んでもらう活動をする「甲裁判訴状を広めるa市民の会」の世話人である。
メ 原告A33
原告A33は,「e」の共同代表であり,「i1」で市民活動を続けている。
(2) 本件派遣の違憲・違法性
ア 被告は,憲法9条については,制定当初,純粋な平和主義にのっとった解釈をしていたが,その後,武力によらない自衛権はあるなどとし,自衛隊創設後は,わが国の自衛のために必要な最小限度の自衛力の行使は,憲法9条に違反せず合憲であるとの憲法解釈をとってきた。その後,さらに,集団的自衛権の行使を含む拡大解釈を行うようにもなってきた。しかしながら,この立場によっても,自衛隊が,他国による侵略行為がないのに外国領土に出かけて「武力行使」を行うことは想定されておらず,イラク人道復興支援特措法及び基本計画に基づく本件派遣は,憲法9条に違反するものであることは明らかである。
また,自衛隊法3条は,自衛隊の「主たる任務」が防衛出動であることを明記しているところ,被告は,自衛隊法の附則の一部を改正することで,イラク人道復興支援特措法に基づき自衛隊による物品の提供や部隊等による役務の提供ができるようにし,上記自衛隊法の趣旨を潜脱した。また,自衛隊法は,治安出動及び自衛隊施設の警護等の場合に,一定の要件のもと「武器の使用」を認めるにとどまるところ,本件派遣に当たって自衛隊は重装備の武器を携行し,交戦規則を定めるなどしており,上記自衛隊法の趣旨を潜脱していることは明らかである。
さらに,イラク人道復興支援特措法は,それ自体が違憲なものであることはもとより,本件派遣は同法にも違反しているというべきである。同法2条3項は,「現に戦闘行為が行われておらず,かつ,そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われていないと認められる」地域(以下「非戦闘地域」という。)における活動を実施することを定めているところ,実際にはイラク国内全土が戦闘状態にあり,本件派遣は,上記の現在及び将来の非戦闘地域の要件を充足していない。また,同項1号は,対応措置が実施される地域に関して,外国の領域については,「当該対応措置が行われることについて当該外国の同意がある場合に限る。ただし,イラクにあっては,国際連合安全保障理事会決議第1483号その他の政令で定める国際連合の総会又は安全保障理事会の決議に従ってイラクにおいて施政を行う機関の同意によることができる。」と規定しているところ,日本政府は自衛隊がイラク国内で対応措置を実施するに当たって,「施政を行う機関の同意」は得ていないというべきである。
イ 実際に,イラクにおける自衛隊の宿営地付近等への攻撃や,サマワに建立された友好記念碑が爆破されるなど事件が続発し,イラクに派遣された自衛隊員のうち,幹部ら3人が帰国後に自殺するなどしていることからみても,イラクは「非戦闘地域」とはいえない。
また,イラクにおいては,航空自衛隊が,携行火器を装備したアメリカ軍兵士数人ないし数十人を数回にわたり輸送したり,平成18年7月からは,バグダッドへの多国籍軍の兵員輸送を開始し,また,元陸上自衛隊イラク先遣隊長の丙参議院議員は,自衛隊とオランダ軍が近くで活動中に,オランダ軍が攻撃された場合,情報収集の名目で現場に駆けつけ,あえて巻き込まれることを想定していた旨の発言をしており,自衛隊が,現実的に「駆けつけ警護」から「戦闘行為」へ参加することを想定しいていた事実が判明するなど,自衛隊は,アメリカ軍や多国籍軍と一体となって活動している。
国内においても,平成16年2月27日,市民団体「x1」の市民3人が,自衛隊のイラク派兵に反対するビラを配布するため自衛隊員の官舎に立ち入り,郵便受けにビラを配った行為を住居侵入として逮捕,起訴される事件が発生し,また,自衛隊の情報保全隊は,イラク派兵に反対する運動等を特別な体制で監視し,運動の発生年月日,発生場所,関係者や,各地の市町村議会で行われた「イラク派兵反対決議」について,その発議者,賛否議員数,議会構成などを詳細に調査を行うなど,言論の自由を根底から脅かす国民への監視活動を行っていた。
そもそも,アメリカ軍を中核とする有志連合によるイラクへの武力行使は,国際連合安全保障理事会の決議に基づくものとはいえないし,その武力行為が先制的自衛権の行使ないし予防的自衛権の行使として国際法上許されるものともいえない。そして,平成16年10月6日には,イラク戦争の最大の理由となっていた大量破壊兵器の不存在が報告されており,イラク戦争の正当性が否定され,国際的にもイラク戦争に対する批判が高まっているところである。
こうした状況からみても,本件派遣が戦争行為に加担するものであり,その影響がイラクのみにとどまらず,日本国内をも戦時状態にしていることは明らかというべきである。
(3) 原告らの被侵害法益
ア 平和的生存権
核兵器の恐怖と被害をなくし,国際的なテロを生み出す憎悪の報復の連鎖を断ち切り,国境を越えた平和が求められている現在において,平和を保障され,平和を享受することこそが,あらゆる人権保障の前提であり,平和と人権に関する国際的な展開に照らしても,平和的生存権は,自然権的本質をもつ基本的人権として承認されており,憲法前文,戦争放棄,戦力不保持を定める憲法9条及び13条並びに憲法第3章の諸条項により保障されている。
そして,平和的生存権の意味・内容は,憲法9条によって充填され,具体性を備えた人権として機能し得るものとなり,かつ,憲法第3章の人権条項と相俟って個別の事案において働くこととなるのであり,裁判規範としての性質を有するというべきであり,そのことは,平和的生存権の裁判規範性を肯定する近時の有力な学説によっても裏付けられている。憲法上の「平和」概念は,具体的な内実をもった明確なものであり,少なくとも,最低限の消極的平和の内容として,①武力による威嚇及び武力行使の禁止,②他国への侵略,占領の禁止,③劣化ウラン弾兵器を含む核兵器の使用禁止が認められるのであり,原告らは,こうした平和を享受する主観的利益を有しているところ,本件派遣は,こうした利益を侵害するものであることは明らかである。
本件派遣により,自衛隊はイラク占領軍の武力行使に加担しているほか,派遣された自衛隊員自身も生命・身体の具体的な危険にさらされており,このような意味で原告らは,戦争の加害者となっているのであり,そうした戦争状態は,日本国内においても,基本的人権として保障されている国民の様々な活動をも萎縮させている。また,日本人であるとの理由のみで,原告らがテロ行為等の対象になる可能性も現実に存在しているというべきである。したがって,本件派遣は,原告らの平和的生存権を侵害するものである。
イ 生命・身体,自由,幸福追求に対する権利
イラクにおける戦争によって,国際的なテロの土壌が拡大し,日本国内外で活動する日本人がテロの標的とされる可能性が顕著に増大している。したがって,本件派遣により原告らの生命・身体,自由,幸福追求に対する権利侵害の危険性が具体性を有するに至っている。
ウ 上記のとおり,原告らの平和的生存権及び生命・身体,自由,幸福追求に対する権利は,個人の尊厳に関わる最も根源的な権利であり,人格権そのものであって,これをみだりに侵害することは許されない。
(4) 差止請求
平和的生存権及び生命・身体,自由,幸福追求に対する権利は,個人の尊厳に関わる最も根源的な権利であり,人格権そのものであるところ,本件派遣による原告らの平和的生存権若しくは生命・身体,自由,幸福追求に対する権利の侵害の救済に当たっては,被侵害利益の重大性といったん侵害された後の回復困難性にかんがみるとき,民事上の請求としても,上記侵害行為の事前の差止めが認められるべきである。
(5) 慰謝料請求
本件派遣は,現に人質となった日本人記者が殺害されるなどしていることからも明らかなように,「日本国民」であることが,すなわち,戦争への加担者と評価され無差別に殺されるべき対象と位置づけられており,日本を名指ししたテロ予告が相次ぐなど,原告らの生命・身体,自由,幸福追求への侵害の危険をもたらすと同時に,他国の人々に対するそれらの侵害に加担させられるものであって,これにより受ける精神的苦痛は,人間として平和に生きたいと考えている原告らにとって耐え難いものであり,「平和を求める良心」が踏みにじられることを原告らは到底受容することができない。
原告らは,かかる精神的苦痛に対する慰謝料の一部として1万円(ただし,原告A1は,相続分である5000円。)を請求するものである。
4 被告の主張
(1) 本案前の主張(差止請求について)
裁判所の審判の対象は,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる。
しかし,原告らが侵害行為として主張するイラク人道復興支援特措法及び基本計画に基づく自衛隊の活動は,原告らに向けられたものではないし,そもそも原告らの具体的な権利義務ないし法律関係に対し何らの影響を及ぼすものではない。
そして,原告らが根拠とする平和的生存権は,その概念そのものが抽象的かつ不明確であるばかりでなく,具体的な権利内容,根拠規定,主体,成立要件,法律効果等のどの点を取ってみても,一義性に欠け,極めてあいまいなものであり,具体的権利性を認めることはできない。
また,憲法13条については,個別的基本権を包括する基本権であって,個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体としての幸福追求権を認める見解においても,その具体的内容は一義性を欠き,直ちに個人の具体的権利を導き出すことはできず,本件において原告らが主張する生命・身体,自由,幸福追求に対する権利の具体的中身も判然としないのであって,具体的権利性は認められない。
以上のとおり,本件差止めの訴えについては,原告らがその根拠とする平和的生存権及び生命・身体,自由,幸福追求に対する権利は国民個々に保障された具体的権利とはいえないから,原告らの具体的権利義務ないし法律関係に直接関わらないものであり,裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらず,不適法である。
(2) 本案の主張
ア 差止請求について
本件差止請求は,イラク人道復興支援特措法及び基本計画に基づく自衛隊の活動の差止めを民事上の請求として求めるものであるが,かかる請求が成り立ち得るためには,原告らが当該行為を差し止め得る私法上の権利を有していることが不可欠であるところ,原告らが差止請求権の法的根拠として主張する平和的生存権及び生命・身体,自由,幸福追求に対する権利は,いずれも国民個々人に保障された具体的な権利とはいえず,原告らの本件差止請求は,主張自体失当である。
イ 損害賠償請求について
原告らが被侵害利益として主張する平和的生存権及び生命・身体,自由,幸福追求に対する権利は,いずれも国民個々人に保障された具体的な権利とはいえないし,国家賠償法上保護された利益とも認められない。
また,本件における自衛隊のイラク派遣等それ自体は,原告らに向けられたものではなく,原告らの法的利益を侵害するということはおよそあり得ない。
さらに,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求においては,原告らの国家賠償法上保護された利益が現実に侵害されたことを要するところ,原告らは,権利侵害の可能性・危険性を主張するのみである。
したがって,本件損害賠償請求は,いずれにしても主張自体失当であることが明らかである。
第3当裁判所の判断
1 本件差止請求について
前記第2の1記載のとおり,本件派遣は,対応措置を実施すること及び対応措置に関する基本計画について閣議決定を経て,防衛大臣が,当該基本計画に従って対応措置として実施される業務について実施要項を定め,これについて内閣総理大臣の承認を得た上で,自衛隊の部隊等にその実施を命じて行われるものであり,これらを行うか否か及びその内容の決定は,イラク人道復興支援特措法の規定により内閣総理大臣,内閣及び防衛大臣に付与された行政上の権限に基づくもので,公権力の行使に該当するものと解される。
そうすると,本件派遣の差止めを求める原告らの請求は,必然的に,内閣総理大臣,内閣及び防衛大臣の上記行政権の行使の取消し,変更又はその発動を求める請求を包含するものといわなければならない。原告らは,いわゆる通常の民事上の請求として本件派遣の差止めを求めているところ,上記に述べたところによれば,私法上の給付請求権の行使として,かかる差止請求権が認められる余地はないというべきであり,その余の点について判断するまでもなく,本件差止請求は不適法であるといわざるを得ない。
2 本件国家賠償請求について
(1) 原告らは,前記のとおり,本件派遣による被侵害利益として,平和的生存権を主張している。
確かに,憲法前文は,恒久の平和を念願し,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免れ,平和のうちに生存する権利を有することを確認するとし,憲法9条には,国際紛争を解決する手段としての国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を放棄し,陸海空軍その他の戦力を保持せず,国の交戦権を認めない旨を規定するなどしており,恒久平和主義が憲法が希求する極めて重要な理念であることはいうまでもなく,平和のうちに生存することは,基本的人権の保障の基礎的な条件であって,人権の保障と平和の維持が密接に関連するものであることは否定できないところである。
しかしながら,憲法前文は,憲法の基本的精神や理念を表明したものであって,本文各条項を解釈する指針となり,その趣旨が憲法第3章に規定する各人権の解釈に際して斟酌されるとしても,それ自体が直ちに具体的権利を定めたものとはいい難いところであるし,そもそも,原告らの主張する平和的生存権にいう「平和」とは,理念ないし目的としての抽象的概念であって,その内包する内容も多様なものであるし,その外延も必ずしも明確なものとはいい難い。「平和」とは,必ずしも個人の内心において達成し得るものではなく,他者との関係も含めて達成し得るものであって,これを達成する手段,方法も多様なものであるといわざるを得ないのであるから,憲法前文の定める「平和のうちに生存する権利」自体から,個々の国民が有する平和的生存権の具体的な意味・内容を直接に導き出すことはできないし,憲法9条も,その憲法規範として有する性格上,国民の私法上の権利を具体的に定めたものとはいい難い。
原告らは,憲法前文の「平和のうちに生存する権利」の意味内容は,憲法9条によって充填され,具体性を備えた人権として機能し,公権力が憲法9条に違反する挙に出た場合,平和的生存権の侵害に当たると主張するが,憲法9条は,戦争放棄,戦力不保持等を定めた客観的制度なのであって,個々人の生命,身体等に対する具体的危険の有無等にかかわらず,憲法9条に違反する公権力の行使が,客観的制度の違反というにとどまらず,直ちに個々の国民の平和的生存権の侵害に当たるとするには,なお,その権利としての内容が広範であって,一義的,具体的とはいい難い。
したがって,原告らが被侵害利益として主張する平和的生存権は,原告らの主張するところを勘案しても,これが原告らの個別の人格権ないし人格的利益として考慮されることは格別,それ自体としては権利としての具体的内容を有するものとはいえず,法律上保護される具体的権利とは認められないものといわざるを得ない。
(2) また,原告らは,本件派遣による被侵害利益として,生命・身体,自由,幸福追求に対する権利を主張する。
しかしながら,原告らの主張するいわゆる憲法上の幸福追求権についても,個別の具体的な権利,利益の侵害がある場合は格別,包摂的な幸福追求権なる権利としての意味・内容は必ずしも具体的,一義的なものではなく,前記平和的生存権と同様,その具体的内容を斟酌することなく,それ自体をもって法律上保護される具体的権利として認めることはできないものといわざるを得ない。
(3) もっとも,原告らは,平和的生存権ないし幸福追求権が個人の尊厳に関わる最も根源的な権利であり,人格権そのものである旨を主張し,本件派遣により,原告らがテロの対象となる可能性も現実に存在し,原告らの生命・身体等を侵害される危険にさらされるとともに,他国の人々に対する侵害行為へ加担させられなど,人間として平和に生きたいとの心を踏みにじられたと主張する。そこで,こうした点をもって,人格権ないし人格的利益に包摂される原告らの個別・具体的な権利が侵害され,損害賠償請求権としての慰謝料請求権が発生するか否かについて,さらに検討する。
確かに,証拠及び弁論の全趣旨によれば,原告らが,それぞれの立場,信条等から,平和のうちに生きたい,戦争行為や人殺しには加担したくないとの心情等を有し,本件派遣に対して不安や嫌悪感等を抱き,その実施に強く反対していることは容易に認めることができるところであり,自衛隊法(昭和29年法律第165号)が成立した際,「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」がされていることなど,我が国における歴史的な経緯等にかんがみれば,原告らのそうした心情等は軽視されてよいものではない。
しかしながら,本件派遣は,原告らに対して,直接的に義務を課し又は法的効果を及ぼすものではなく,原告らの生命,身体等に対する直接的な侵害が生じるとまではいえない。原告らは,本件派遣がされることにより,日本国民である原告らがテロ行為等の対象となる可能性がある旨を主張するが,その可能性自体は抽象的には否定できないものの,その具体的,現実的危険性は必ずしも明確とはいい難く,原告らの生命,身体等に対する侵害の可能性が現実化しているとはいえず,これにより被る原告らの不安や恐怖といった精神的苦痛が,社会通念上の受忍限度を超えるものとまではいい難い。
また,原告らは,本件派遣による国内の戦時状態により,日本国内においても,基本的人権として保障されている国民の様々な活動をも萎縮させている旨を主張するが,原告らの主張する国内の戦時状態による原告らの権利,利益の侵害状況は必ずしも明らかとはいえない。もっとも,証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件派遣に際して,自衛隊情報保全隊による国民に対する情報収集活動が行われていたことがうかがわれ,そうした国民一般に対する情報収集活動自体はゆゆしき問題といわざるを得ない。しかしながら,このような自衛隊情報保全隊による国民一般に対する情報収集活動自体によって原告らが不快感,嫌悪感等を感じたとしても,当該情報収集活動をもって本件派遣の違法性を基礎付ける事情として考慮することは格別,直ちに,原告ら個々人の個別,具体的な権利,利益に対する侵害であると捉えることはできないし,これによって原告らに直接的,現実的なプライバシーの侵害が生じているとまではいえない(なお,自衛隊情報保全隊による原告らに対する個別,具体的な監視活動等の有無は,本件の請求との関係で請求の基礎の同一性があるとは認められず,本件における請求原因とはなっていないから,本件においては,その違法性及びこれによる原告らの個別,具体的な権利,利益に対する侵害の有無については判断しない。)。
さらに,原告らが,平和のうちに生きたい,戦争行為や人殺しには加担したくないとの心情等を有し,本件派遣によりこうした心情等が侵害され,精神的苦痛を被ったとしても,その苦痛そのものは,多数決原理を基礎とする間接民主制の下において,国家が決定,実施する措置,施策が,自らの信条や憲法及び法解釈に反することによって生ずる個人としての反感,不満,不快感,焦燥感,挫折感等の感情であるといわざるを得ない。そして,間接民主制の下において,そうした感情を抱く国民が少なからず存在することは避け難いところであり,原告らが抱く不快感,不満等の感情も,上記領域の問題に留まるというべきである。
したがって,原告らが受けたと主張する精神的な苦痛は,原告らと信条や憲法及び法解釈を共通にする国民一般に広く生じ得るものであって,こうした不利益は,間接民主制の過程において回復されるべきか,間接民主制の下において不可避的に発生するものとして社会通念上受忍されるべきものといわざるを得ないのであって,法的保護に値するものであるとまではいえず,本件派遣によって,原告らの法的に保護されるべき人格権ないし人格的利益が侵害されて,社会通念上受忍すべき限度を超えるような精神的苦痛が生じたものということはできない。このことは,原告らの抱く平和のうちに生きたい,戦争行為や人殺しには加担したくないとの心情等が強く切実なものであるとしても,これによって左右されるものとはいい難い。
(4) 以上によれば,原告らの主張する平和的生存権ないし身体・生命,自由,幸福追求に対する権利は具体的権利とはいい難いし,本件派遣によりこれらの権利が侵害されたことを根拠とする慰謝料請求には理由がない。また,本件派遣によって,原告らの心情等が害されたとしても,これによって国家賠償法上保護に値する権利利益が侵害されたとはいい難く,これに基づく慰謝料請求にも理由がないものといわざるを得ない。
第4結論
よって,原告A1を除く原告らの本件差止請求は不適法であるからこれを却下し,その余の原告らの請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田光広 裁判官 阿部雅彦 裁判官 岡本利彦)