大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 平成17年(ワ)17号 判決 2011年4月28日

主文

1  被告は,原告D以外の各原告に対し,次の(1)ないし(8)の金員及びそれら金員に対する平成15年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(1)  A牧場こと原告Bに対し849万6183円

(2)  原告Cに対し368万0560円

(3)  原告Eに対し269万9702円

(4)  原告Fに対し213万3631円

(5)  原告Gに対し128万1888円

(6)  原告Hに対し98万4460円

(7)  原告Iに対し490万5255円

(8)  原告J商事に対し772万2037円

2  原告Dの請求及びその余の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,これを10分し,その3を被告の,その余を原告らの負担とする。

4  この判決は,主文1項に限り,仮に執行することができる。ただし,被告が,各原告に対し,次の(1)ないし(8)の各金額の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。

(1)  A牧場こと原告Bに対し594万円

(2)  原告Cに対し257万円

(3)  原告Eに対し188万円

(4)  原告Fに対し149万円

(5)  原告Gに対し89万円

(6)  原告Hに対し68万円

(7)  原告Iに対し343万円

(8)  原告J商事に対し540万円

事実及び理由

第1請求等

1  被告は,各原告に対し,次の(1)ないし(9)の金員及びそれら金員に対する平成15年8月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(1)  A牧場こと原告Bに対し3591万1598円

(2)  原告Cに対し948万9700円

(3)  原告Dに対し103万7021円

(4)  原告Eに対し292万6000円

(5)  原告Fに対し827万7398円

(6)  原告Gに対し716万1895円

(7)  原告Hに対し389万3123円

(8)  原告Iに対し1629万4989円

(9)  原告J商事に対し772万2037円

2  請求の概要

原告らは,平成15年8月9日から翌10日にかけて,北海道南部の日高地方の沖合を台風10号が通過した際の大雨で,同月10日未明,日高地方を流れる一級河川沙流川の下流部右岸の富川北地区が浸水した水害(以下「本件水害」という。)により財産的損害を受けたと主張し,沙流川の管理者である被告に対し,国家賠償法に基づき損害賠償を求めた。なお,本判決において,水位や地盤高等の高さをいう場合,すべて標高,すなわち,東京湾平均海面をゼロメートルとする高さである。

第2前提事実

以下の事実は,争点摘示の前提となる事実関係である(証拠により認定した事実は証拠番号を括弧内に掲記し,その余は当事者間に争いがない。)。

1  沙流川及び富川北地区

(1)  沙流川は,日高山脈(日勝峠付近)に源を発し,ウエンザル川,ペンケヌシ川,パンケヌシ川,千呂露川等と合流し,平取町で額平川等と合流して,日高町(旧門別町)富川で太平洋に注ぐ,流路延長104キロメートル,流域面積1350平方キロメートルの一級河川である。

河口から約21キロメートルには,二風谷(にぶたに)ダムが設置され,これより下流にダムはない。

沙流川及び額平川には,別紙1(添付省略)のとおり,支川が本川に流れ込む場所の堤防に樋門(ひもん)又は樋管(ひかん)が設置されている。

(2)  富川北地区は,沙流川右岸に沿って,河口近くの沙流川橋より上流の地区であり,同地区では,支川として河口側から順に普通河川コンカン川,同ミドリ川及び同エショロカン沢川の3支川(以下「本件3支川」といい,本件3支川の樋門(順にコンカン川樋門,栄町樋門,富川D樋門)を「本件3樋門」という。)が沙流川に流入している。本件3支川の流域面積は,別紙2(添付省略)のとおり,非常に小さく,それぞれ,コンカン川が0.142平方キロメートル,ミドリ川が4.02平方キロメートル,エショロカン沢川が8.49平方キロメートルである(乙42)。

(3)  本件水害は,本件3支川の流域面積のうち,国道237号線の東側において生じた。本件水害が生じた地区の河川,道路,堤防,樋門の位置関係は,別紙3(添付省略)の略図のとおりである。

本件3支川の樋門水路(堤防下の水路)への流入地点における川岸の最低地盤高は,コンカン川が6.1メートル,ミドリ川が6.2メートル,エショロカン沢川が5.4メートルである。コンカン川流入地点とミドリ川流入地点の間には,堤防の内側に沿って長さ約200メートルにわたり,周囲より標高が低い窪地(以下「窪地部分」という。)が幅約10メートル前後で延びており,その最低地盤高は5.6メートルである。

(4)  原告らは,富川北地区に居住し,店舗を設置し,又は農地若しくは牧場を所有していた者であり,その住宅等の所在地は,概ね,別紙3のとおりである。

原告E宅や原告G宅の裏手(東側)ガレージは窪地部分に面している。

2  沙流川の管理に関する法令の定め

(1)  一級河川である沙流川の河川管理者は国土交通大臣であるところ(河川法9条1項),同大臣は河川の管理に関する権限の一部を北海道開発局長に委任している(同法98条,河川法施行令53条)。

北海道開発局長は,室蘭市,苫小牧市,登別市,伊達市,胆振及び日高支庁(当時)管内における北海道開発局の所掌に係る事業の実施に関する事務を室蘭開発建設部に分掌させている(北海道開発局組織規則(平成13年1月6日国土交通省令第22号)93条1項)。

(2)  室蘭開発建設部は,沙流川左岸は沙流郡a町字bc番のd地先から河口まで,右岸は同字e番のf地先から河口までの改良工事,維持,修繕その他の管理に関する事項を,同部所属の鵡川河川事業所(以下「事業所」といい,鵡川河川事業所長を「事業所長」という。)に分掌させていた(北海道開発局開発建設部組織規則(平成13年1月6日北開局総第2号)38条1項)。なお,事業所は,平成16年4月1日に廃止された。

(3)  河川管理者は,ダム,堤防,樋門の管理責任を負うが,水防責任を負うわけではない。水防は,市町村の責務であり(水防法3条),水防管理者は,原則として市町村長である(水防法2条2項)。

水防管理者は,水防事務を処理するため,水防団を置くことができ,水防団及び消防機関は,水防に関しては水防管理者の所轄下で行動するものとされている(水防法5条。以下「水防機関」という場合,水防管理者を長として行動する水防団及び消防機関を総称するものである。)。

水防機関は,水防のための装備を有し,増水した河川付近で活動を行うが,非常時においても,樋門等の河川設備の管理や操作を行う権限はない。

3  沙流川の整備状況等

(1)  沙流川では,昭和25年の北海道開発法の制定以降,被告により,本格的な改修工事が進められてきた。昭和40年4月1日に河川法が施行された後も国費による改修工事が続けられ,昭和44年3月28日策定の沙流川水系工事実施基本計画に基づき,堤防の新設等が実施された。

平成9年の河川法一部改正に伴い導入された新たな河川整備計画制度の下,平成11年12月に沙流川水系河川整備基本方針(乙3),平成14年7月に沙流川水系河川整備計画(乙1)が策定された。この整備計画は,向こう約20年間の河川工事等を計画するものである。この基本方針・整備計画のとおり築堤された堤防が「完成堤防」と呼ばれ,そうではない堤防が「暫定堤防」と呼ばれる。

(2)  本件水害の時点で,沙流川の右岸では,河口から上流約6キロメートルの範囲で完成堤防であり,その高さは約9メートルである。ここより上流では断続的に暫定堤防が残る状態となっており,河口から7.4キロメートル程度上流の部分(富川G樋門よりも上流)の流下能力が最も小さい(乙5,83,証人K)。

本件3樋門付近の完成堤防は,天端が舗装道路となっている。

(3)  沙流川には,河口からの距離2.7キロメートルの地点に富川水位・流量観測所(以下「富川観測所」という。)が,同じく15.63キロメートルの地点に平取水位・流量観測所(以下「平取観測所」という。)が設置されている。両観測所は,河口から10.4キロメートルの地点を境に,下流側全域を富川観測所が,上流側を平取観測所がそれぞれ受持区域としている。

(4)  河川管理者は,河川管理の対応や対外的な情報提供の目安とするため,水位・流量観測所ごとに,次のとおり4種類の水位の基準を設定し,水位及び流量を時々刻々と観測している。

「指定水位」  水防機関が水防活動を行うための体制を執る目安となる水位である。

「警戒水位」  河岸の崩壊,洗掘等の災害が発生する可能性があるため,災害に備えて水防機関に出動を要請し,警戒にあたる必要がある水位である。

「危険水位」  増水した河川の水が破堤等により氾濫するおそれがある水位である。堤防や川の改修状況に応じ洪水による氾濫等の危険度を判断して設定されている。受持区域内の堤防が全部完成堤防である場合,次の計画高水位と危険水位は同じである。しかし,受持区域内に暫定堤防がある場合,暫定堤防を基準として危険水位が定められる。

「計画高水位」  河川整備の目標としている水位。計画上の堤防や川の横断面が完成している場合に,計画規模の洪水を安全に流下させることができる水位である。

(5)  前記水位は,次のとおりである。富川観測所と平取観測所のいずれの受持区域内にも暫定堤防があり,暫定堤防部分での氾濫が生じるかどうかで危険水位が定められる結果,危険水位が計画高水位を大きく下回っている。

富川観測所     平取観測所

指定水位   3.50メートル  23.00メートル

警戒水位   4.50メートル  24.10メートル

危険水位   6.30メートル  25.90メートル

計画高水位  7.06メートル  27.55メートル

(6)  事業所は,沙流川とは水系が異なる鵡川沿いの鵡川町(当時)の市街地に置かれ,沙流川からは約10キロメートル離れていたが,河川情報システムと呼ばれるオンライン機器によって,①沙流川流域16地点と流域平均の10分毎の雨量と累計雨量,②所管の水位・流量観測所の10分毎の外水位と流量,③二風谷ダム関係の諸数値,④流域雨量予測(気象協会が3時間ごとに発表するもの)を把握できるようになっていた。

このほか,事業所では,ファクシミリや電話によって,⑤室蘭開発建設部治水課から提供される外水位予測結果,⑥同課からの警戒態勢等の連絡,⑦二風谷ダム管理所からのダムの操作情報,⑧室蘭地方気象台からの気象関係情報等の随時の情報提供を受け,さらに監視カメラ映像によって沙流川の本川や堤防の映像を常時確認できる態勢を整えていた(乙5,36,39,40,82)。

4  樋門

(1)  樋門とは,河川堤防を横断して設けられる函渠構造物で,河川堤防の効用も備えた河川管理施設である(河川法3条2項)。平常時は門扉を開けておくことにより堤内地の雨水,工場等から河川への排水等の機能を果たすが,洪水時に本川の水位(外水位という。一般に本川やその流水は外水,支川やその流水は内水と呼称される。)が支川の水位(内水位)を上回り,樋門水路を通じ本川の水が堤内側に流れる逆流状態になった場合には,門扉を閉じることにより,逆流を防止するという機能を担う。その構造の概要は別紙4(添付省略)のとおりである。

(2)  沙流川における樋門等の管理者は,河川管理者である国土交通大臣であり(河川法9条1項,3条1項),実際の樋門操作は,北海道開発局長が定めた操作要領に基づき,国土交通大臣から委嘱を受けた樋門操作員が行うこととされていた(「直轄河川維持修繕の実施について」(昭和46年3月26日建設省河治発第23号第四の六(1),第四の五。乙20))。

そして,本件3樋門については,北海道開発局長が定めた「北海道開発局水門等管理規程」(昭和55年2月15日北開局建第281号。乙24)を受けて,室蘭開発建設部長が,樋門毎に操作要領(平成6年4月1日室建管第990号。乙26の1ないし3)を定めており,これに基づき樋門操作員に操作を行わせていた。本件3樋門の要領は,樋門の名称,支川の名称,基準として定める外水位の数値が異なる以外,同内容である(以下,まとめて「本件操作要領」という。)。

また,室蘭開発建設部長は,「水門等操作員就業規則」(平成6年4月1日室建管第990号。乙27)を定めており,これにより,樋門操作員は,①操作要領等に基づき樋門等の操作を行う義務を負うほか(2条1項),②警戒体制に入ったときは,1時間又は30分ごとに当該樋門に設置された量水標(水位計測のために設置された物差し)により,外水位及び内水位を目視により観測しなければならず(4条),③病気等により操作ができない場合は事前に事業所長に届け出て承認を得なければならない(2条4項)。

本件3樋門の樋門操作員は,一般職の国家公務員である(乙37)。

(3)  本件操作要領3条は,洪水時の操作として,外水位が基準値(コンカン川樋門で5.2メートル,その他の樋門で5.5メートル)以上のとき,①外水が支川に逆流を始めるまでの間は開扉し,②外水が支川に逆流し始めたときは閉扉し,③閉扉状態で外水位が内水位より低下した場合は開扉するものと定めている。

また,本件操作要領5条は,事故その他やむを得ない事情があるときは,本件3樋門の管理を分掌している事業所長の指示により,必要な限度において前2条の規定する方法以外の方法により樋門を操作することができるものと定めている(乙26の1ないし3)。

5  本件水害以前の浸水等

沙流川流域は,これまで数回の洪水に見舞われており,過去の主な洪水の概要は別紙5(添付省略)のとおりである。

6  本件水害の発生(以下,平成15年8月の日付については,日のみを記載することとするほか,同月9日午後と翌10日午前については時刻のみを表記することがある。)

(1)  沙流川水系では,8日に寒冷前線が通過して降雨があったが,雨は一旦止んだ。しかし,この前線が北海道の南海上に停滞したところに,大型で強い台風10号が接近したため,9日朝から前線の活動が活発化し,台風本体の雨と重なって強い雨が降り始めた。室蘭地方気象台は,同日午前11時,胆振・日高地方全域に大雨洪水警報を発令した。

台風は,同日夜遅くに北海道に近づき,翌10日午前2時過ぎに襟裳岬付近を通過して,十勝,釧路地方の海岸沿いを北東へ進み,午前6時に根室の北で温帯低気圧に変わった。これに伴い,沙流川流域の降雨も10日未明には止んだ(甲1)。

(2)  日高雨量観測所で9日に観測された日雨量308ミリメートルと最大1時間雨量48ミリメートルは,いずれも観測史上最高値であった(甲1,乙8)。沙流川流域では9日午後から非常に強い降雨があり,その影響で沙流川の水位は上昇を続け,平取観測所で9日午後6時50分に,富川観測所で午後7時40分に警戒水位を超過した(甲1)。

(3)  二風谷ダムでは,流入量が増加したことから,9日午後9時19分以降,ダムからの放水量を増加させる措置(洪水調整)を開始した。洪水調整における放水量は,ダム湖への自然流入量よりも少なくするものとされていたが,ダム湖への自然流入量の増加が大きかったため,放水量は増加し続けた。

洪水調整開始後もダム湖の貯水位の上昇が続き,サーチャージ水位(洪水時にダムが洪水調節をして貯留する際の最高水位)に迫ったことから,二風谷ダム管理所は,貯水位の上昇を抑制するため,10日午前1時27分から,放水量を流入量に近づくまで増加させる操作(以下「ただし書き操作」という。)を開始した。

洪水調整開始後の放水量,富川観測所の水位及び流量は,別紙6(添付省略)のとおり推移した(甲2,乙39,53)。

(4)  9日以来の降雨及びただし書き操作により河川流量が増加した結果,沙流川の樋門等の多くは,別紙7(添付省略)のとおり,9日午後5時以降,樋門操作員により順次閉扉された。

事業所長(L)は,10日午前1時5分,本件3樋門の閉鎖を指示することなく樋門操作員を退避させる指示を出し(以下「本件退避指示」という。),実際に樋門操作員が樋門から離れて退避したため,本件3樋門はずっと開扉されたままであった。

本件退避指示の後,本件3樋門で外水位が内水位を上回り,逆流が発生して外水が堤内に流入した。

(5)  沙流川の水位は,最終的には平取観測所では観測史上2番目となる28.29メートル(10日午前3時20分ころに達したと考えられる推測値)に達し,富川観測所でも10日午前2時50分に7.12メートルとなって計画高水位を超過した後,午前4時20分に観測史上最高となる最高水位7.66メートルを記録するなど,いずれも計画高水位を上回る記録的な増水となった(甲1,乙11~13)。

(6)  雨脚は10日午前1時を過ぎたころから急速に弱まり,午前3時にはほぼ雨が止んだ。その後,午前5時40分に平取観測所で,午前9時に富川観測所で,それぞれ危険水位を下回り,同日午後6時に平取観測所で,同日午後8時に富川観測所で,それぞれ警戒水位を下回った(乙13)。

(7)  沙流川流域の被災内容は,平取町で床上浸水45戸,床下浸水25戸,被害額159億0480万3000円,門別町で床上浸水34戸,床下浸水147戸,被害額235億9011万3000円となった。

また,沙流川水系の水害区域面積は,農地292万7600平方メートル,宅地・その他25万1196平方メートルであり,床上浸水が25戸,床下浸水が50戸であった。このうち本件3樋門付近の浸水面積は,55.0ヘクタールであった(甲1,乙14)。

(8)  原告らは,その所有する住宅,ガレージ,馬舎,ビニールハウスがかなりの長時間浸水し,建物,各種動産,農作物などが土砂ないし泥を被るという被害に遭った。

第3争点及び争点に関する当事者の主張

1  本件の争点は,下記のとおりであり,争点に関する当事者の主張の要旨は,次項以下のとおりである。

①  本件退避指示の時点で,事業所長は,なお樋門操作員を現場に留まらせて樋門の操作を行わせるべき注意義務を負っていたかどうか

②  (①と選択的に)本件退避指示の時点で,事業所長が,逆流を予見することが可能であり本件3樋門を閉扉させる注意義務を負っていたかどうか

③  (①及び②が認められない場合,予備的に)本件操作要領に瑕疵があったかどうか

④  (③と選択的に)本件3樋門に十分な排水能力のあるポンプを設置しなかったことが樋門の設置又は管理の瑕疵に当たるかどうか

⑤  逆流によるヘドロの被害があったかどうか

⑥  原告らが被った損害の内容及び額

2  争点①(本件退避指示の時点で,事業所長は,なお樋門操作員を現場に留まらせて樋門の操作を行わせるべき注意義務を負っていたかどうか)について

【原告らの主張】

事業所長は,住民を被害から守ることを第一に考え,逆流が発生するか,樋門操作員に危険が生じるぎりぎりの時まで,逆流の有無を監視させ,逆流が始まるまでは樋門を開いたままにすることによって内水を可能な限り本川に流し,また逆流が始まったときには樋門を閉じることができる態勢を維持し,被害を軽減すべきであった。したがって,事業所長は,本件3樋門の樋門操作員を,差し迫った危険が生じない限りは樋門操作に従事させる注意義務があり,具体的には,外水位の急激な上昇が予測される時点,すなわち,ただし書き操作による放流水が本件3樋門付近に到達すると考えられる同操作開始から1時間(10日午前2時27分)ないし1時間30分後の時点(午前2時57分)まで,樋門操作員を本件3樋門付近に留まらせる注意義務があった。そして,このころまで樋門操作員が留まっていれば,逆流を確認して樋門を閉扉し,外水の堤内への流入を防ぐことが可能であった。

被告は,樋門操作員の安全上,午前1時5分の時点で退避させざるを得なかったと主張するが,本件退避指示の時点で,沙流川の外水位(富川観測所の測定値をいう。以下,水位は特に断らない限り同観測所のものをいう。)は危険水位6.30メートルを超えていたものの,計画高水位7.06メートルまでは余裕があったから,富川北地区の完成堤防が破堤するおそれはなかった。また,本件3樋門の周辺が暗くて危険ということもなく,本件3樋門の樋門操作員の退避路が水没する危険もなかった。したがって,樋門操作員の安全のために退避指示を出さなければならない状況にはなかった。

【被告の主張】

本件水害は,本件3樋門を通じて逆流した外水ではなく,もっぱら,それ以前の内水氾濫によって引き起こされたものであるから,本件水害が逆流によって引き起こされたことを前提とする原告らの主張は失当であるが,仮に,本件3樋門を通じて逆流した外水によって被害が拡大した面があるとしても,本件退避指示以前に,外水位は危険水位を超過しており,沙流川水系直轄管理区間の全域において破堤のおそれがあった。また,堤防周辺は深夜で暗く,目前の危険性を把握することが困難な状況となっていた上,支川において内水氾濫が拡大し,避難路が水没して孤立化するおそれが極めて高くなった。そこで,事業所長は,これ以上樋門操作員らを堤防周辺に配置して作業を行わせるには非常に危険な状況であると判断し,午前1時5分,人的被害の発生を回避するため,被告の国家公務員に対する安全配慮義務の一環として,樋門操作員に退避指示を出したものである。したがって,事業所長が本件退避指示を出した時期は適切であり,それ以降も本件3樋門の樋門操作員を留まらせる注意義務はなかった。

3  争点②(本件退避指示の時点で,事業所長が,逆流を予見することが可能であり本件3樋門を閉扉させる注意義務を負っていたかどうか)について

【原告らの主張】

本件退避指示の時点で,事業所長は,ただし書き操作による二風谷ダムの放水量が毎秒5100立方メートルを超えるおそれがあることや,外水位が危険水位を超えたこと等の情報を得ていたから,ただし書き操作により外水位が計画高水位7.06メートルを超えて急激に上昇することを予測していた。

また,本件3樋門の内水域にのみ集中豪雨的な降雨でもない限り,外水位の上昇(危険水位から計画高水位まで0.76メートル)を上回る内水位の上昇はないことも認識していた。そして,本件退避指示の時点までに,内水氾濫の情報を得ていたから,外水位と内水位が拮抗していることも認識していた。

以上のような事業所長の認識からすると,事業所長は,外水位が内水位よりも高くなり逆流が発生することを予見することができたのであり,本件退避指示を出す際に,樋門操作員に指示して本件3樋門を閉扉させる注意義務を負っていた。

【被告の主張】

内水位と外水位の変動は,流域の地形,地質,林相,降水などの自然的要因と,それに加えて,土地利用,水利用の状況等の人為的及び社会的要因が複合的に関与し,さらに河川の流量を支配する最も重要な降雨という不確定要素を含むものであって,全く規則性に欠けるものである上,降雨予測等のデータの確度にも限界があるから,本件退避指示の時点で,本件3樋門での逆流の発生を確実性をもって予測することなど困難である。

また,富川北地区における外水位の上昇は,ただし書き操作によって生じたのではなく上流域に降った雨によってもたらされたものである。しかも,ただし書き操作を行っても,支川流域の降雨による内水位の上昇が生じれば逆流は発生しない。具体的には,内水域に,9日午後10時発表の流域雨量予測と同程度の降雨量があれば,内水位は外水位とほぼ同程度まで上昇したと考えられる(乙42)。

したがって,本件退避指示の時点で,事業所長が逆流を予見することは不可能であり,樋門を閉扉させる義務はない。

4  争点③(本件操作要領に瑕疵があったかどうか)について

【原告らの主張】

仮に本件退避指示が適法であったとしても,本件操作要領には,樋門操作員が退避した場合の樋門操作についての規定がない。すると,樋門という水害を防止するために設置された営造物が,恒常的に住民に危害を及ぼす危険性のある状態で供用されることになるから,営造物の設置又は管理の瑕疵があり,被告は,国家賠償法2条1項に基づく損害賠償責任を負う。

【被告の主張】

退避指示等により,樋門操作が不可能となった場合の操作方法を規定したところで実現不可能であることは明らかである。したがって,本件操作要領が,樋門操作員退避後の樋門操作に関する規定を欠いていたからといって,公の営造物の設置又は管理に瑕疵があることにはならない。

5  争点④(本件3樋門に十分な排水能力のあるポンプを設置しなかったことが樋門の設置又は管理の瑕疵に当たるかどうか)について

【原告らの主張】

仮に樋門を閉じさせずに樋門操作員を退避させたことが適法であったとすると,開扉のままで内水氾濫やその後の逆流による被害を最小化するためにポンプによる排水が必要となる。ところが,本件水害時に本件3樋門で稼働したポンプは,いずれも,十分な排水能力がなかった。被告が,平均的雨量に伴う支川の水を排水できるだけの能力のあるポンプ設備を備えなかったことは,国家賠償法2条1項の営造物の設置又は管理の瑕疵に当たる。

【被告の主張】

樋門の機能からみても,被告にはポンプ排水を含め堤内側の水を除去する権限及び責任はなく(水防管理者である旧門別町長の権限及び責任に属する。),樋門とポンプ排水設備とは設置権限及び管理権限が異なることからしても,樋門とポンプ排水設備とを一体の公の営造物とみることはできない。

したがって,被告がポンプ排水設備の設置管理上の責任を負うことはない。

6  争点⑤(逆流によるヘドロの被害があったかどうか)について

【原告らの主張】

原告らは,ヘドロ様の汚泥による被害を被った。すなわち,本件水害においては,原告らの家屋や店舗,牧場などに浸水した後,水が引いた後もヘドロ様の汚泥が残留してひどい腐臭を発し,容易にぬぐい去ることができないため,清掃費がかさみ,什器備品等もことごとく廃棄を余儀なくされた。

泥からなる浮遊物質(SS)の濃度は,二風谷ダムの放流地点より下流で著しく増加していたところ,SS濃度を増大させた主要な原因は,二風谷ダム下流で生じた洗掘により,もともと沙流川の河床や大きな浸食を受けた氾濫原のへり,すなわち河岸からもたらされた物質である。

これに対し,本件3樋門の支川の流域面積は極めて小さい上に,流域のほとんどは宅地や水田,畑,牧草地,丘陵地などであって,どれほど大雨が降っても,内水のヘドロ様の浮遊物質が多量に含まれるという事態は考えられない。

何より,本件水害以前の水害や本件水害後の平成18年の水害においては,逆流がなかったため,ヘドロ様の汚泥による被害は発生しなかった。

したがって,原告らが,逆流により沙流川本川からもたらされたヘドロ様の汚泥による被害を被ったことは明らかである。

【被告の主張】

事業所の巡視職員等及び消防署員が目撃したとおり,逆流以前の時点において,既に原告らの住居等は支川から溢れ出た内水に浸かっていた。内水氾濫によっても土砂が堆積し臭気が発生するのは当然であり,平成18年8月18日の洪水でも内水氾濫により同様の被害が発生した。再現計算結果によっても,窪地部分を除く本件3樋門で,全浸水深に対する内水による浸水深の割合が大きくなっているのであり,原告らの住宅等への被害は専ら内水氾濫によってもたらされたといえる。

原告らは,乙第77号証に基づき,逆流によるヘドロ様の汚泥の被害があったと主張するが,同号証は,沙流川下流におけるSS負荷量(SS濃度に流量を乗じた,水域に流入するSSの量的尺度となる値)増大の原因としては支川及び残流域からの土砂流入の影響は小さいと報告しているのみであって,家屋に侵入した泥が本川又は支川のどちらに由来する割合が高いかということにまで触れたものではないから,原告らの主張を裏付けるとはいえない。また,本件洪水及び平成13年洪水のSS負荷量を比較すると,本件洪水の方が平成13年洪水よりも支川からのSS負荷量が明らかに大きいが,このことは,本件洪水の際に,内水氾濫によって支川由来の土砂が平成13年洪水と比べてより多く堤内地に堆積したという可能性を示すものである(乙88)。

7  争点⑥(原告らが被った損害の内容及び額)について

【原告らの主張】

原告らは,本件水害の結果,床上ないし床下浸水の被害を被ったことにより,経済的被害,健康被害,精神的被害,生活の不便さといった多様な被害を被った。その内容及び額は,別紙12の1枚目ないし20の4枚目(いずれも添付省略)のとおりである(なお,損害①は家屋,②は庭・植木,③は一般家財,④は特別家財,⑤は営業用什器・備品,⑥は営業用商品,⑦はその他の損害であり,請求費目がない部分は欠番となっている。)。

特に,本件水害においてもっとも特徴的なヘドロ様の汚泥による被害は甚大であり,このため,内水氾濫であれば水が引いて乾かせば使用可能となるような物でも廃棄せざるを得なくなって,多大な経済的損害が生じた。また,自分の家その他の財産がヘドロ様の汚物にまみれたことの嫌悪感・驚愕,汚泥除去の労苦,汚泥の悪臭による生活苦は想像を絶するものであり,これらによって原告らの被った精神的苦痛は計り知れない。

【被告の主張】

いずれも否認ないし争う。

第4当裁判所の事実認定(本件退避指示に至る経緯及びその後の事実経過)

前提事実,証拠(証拠番号は括弧内に掲記した。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

【10日午前0時ころまでの状況】

1  9日朝から沙流川流域に強い雨が降り続く中,事業所長は,外水位が未だ2メートル台であった9日午後3時30分,本件操作要領8条に基づき,樋門操作員に対し洪水警戒体制入りを指示し,さらに,9日午後6時ころには,樋門操作員に樋門で待機するよう指示した。また,事業所長は,並行して,堤防や外水等の現地の状況把握のため,事業所職員による河川巡視を午後8時ころまでに2回行った。

本件3樋門の樋門操作員に限らず,当時,樋門操作員には無線通信装置や携帯電話の装備は支給されていなかったし,樋門にも無線通信機器が備え付けられていなかった(乙82,証人L)。

2  本件3樋門の樋門水路敷の高さは,別紙8ないし10(いずれも添付省略)のとおりであり,平常時なら,外水位は樋門水路敷よりずっと低いから,本件3支川の水は何にも妨げられずに速やかに本川に流出する。外水位が上昇して樋門水路を塞ぐようになっても,内水位が外水位を上回っている限り内水は少しずつ流出し続けるが,流出しにくくなって内水が堤内に溜まりやすくなる。

コンカン川樋門及び栄町樋門では,樋門水路の天井が5.5メートル程度であるため,外水位がこの程度に達すると,内水の流出が滞って内水氾濫が発生しやすくなるため,ポンプによって内水を本川に排水するという作業が必要となる。

事業所長は,9日午後8時ころ,コンカン川樋門の呑口の水位が上昇してきたため工事用排水ポンプ2台(排水能力は毎分4立方メートル)を配置し,内水の本川への排水を開始した(甲3,乙82,証人L)。

午後9時ころにはさらにポンプ2台が追加されたが,雨が降り続く中,内水氾濫が発生し,窪地部分に水が溜まるようになり,午後10時ころには窪地部分にもポンプ3台が配置され,窪地部分の内水を本川に排水する作業が始められた(乙42,65)。午後11時5分ころに事業所職員が巡視した際にも,窪地部分には深さ50センチメートルくらいの水が溜まっていた(乙46,48)。

また,外水位の上昇に伴い,栄町樋門では9日午後9時20分から,富川D樋門では9日午後9時40分から,ポンプ車(排水能力は毎分30立方メートル)を1台ずつ配置してポンプ排水が行われるようになった。

3  9日午後10時気象協会発表の沙流川流域雨量予測(それ以前の観測データに基づく予測である。以下「午後10時雨量予測」という。)では,午後10時,午後11時,午前0時までの各1時間雨量は,32ミリメートル,21ミリメートル,17ミリメートルと雨脚は弱まると予測されていた(甲3の11頁)。

ところが,実際には,流域平均の1時間雨量は,午後10時までで36ミリメートル,午後11時までで35ミリメートル,午前0時までで37ミリメートルとなり,午後10時以降はかえって雨脚が強まり,1時間雨量も午後10時雨量予測を上回った(乙36)。

9日午後10時ころから,沙流川の樋門等は,別紙7のとおり,樋門操作員により順次閉扉された。その多くは,本件操作要領のとおり,目視により内水位と外水位を測定し,外水位が内水位を上回る状態を確認して閉扉されたが,うち6樋門では,樋門操作員は,両水位が等しくなった時点で閉扉した。内水位と外水位が拮抗する場面での順流・逆流の判断は,水面に浮遊する木屑などがどの方向に動いているのかを目視して判断することになる。

4  室蘭開発建設部は,午後11時,沙流川に関して水防警報(出動)を発令し,水防機関に対して,出動して危険箇所や堤防その他を見回り,厳重に警戒するよう求めた(甲1の128頁)。さらに,10日午前0時50分には,水防機関に水防警報(指示)を発令し,水防機関に対して,出動体制の強化とともに引き続き堤防その他を見回り水防活動を行うよう求めるとともに(甲1の129頁),事業所長に電話連絡し,門別町(富川北地区は門別町に含まれる。)と平取町に避難するよう助言することを指示し,事業所長は,その指示に従い,午前1時ころ,門別町と平取町に避難を助言した(甲1,3,弁論の全趣旨)。

5  事業所長は,9日午後11時30分には,事業所職員の巡視結果に基づき,①コンカン川樋門の内水位が午後11時5分の時点で樋門呑口の擁壁最上部から5ないし10センチメートルまで迫っていたこと,②窪地部分では午後10時30分に20ないし30センチメートル程度水が溜まっていたこと,③栄町樋門では内水氾濫はないこと,④富川D樋門では内水氾濫があること,⑤いずれの樋門でも逆流はないことをデジタルカメラの画像等により把握した(乙34,46,82,証人L)。

10日午前0時ころ,二風谷ダムより上流ではまだ雨が降っていたものの,富川北地区では雨が止み,富川観測所の1時間雨量は2ミリメートルとなった。

【室蘭開発建設部治水課による水位予測】

6 室蘭開発建設部治水課は,10日午前0時時点で水位予測(以下「午前0時水位予測」という。これは午後10時雨量予測を利用しての予測であった。)をし,事業所長は,午前0時40分ころ,その予測を記載した文書のFAX送信を受けた(乙82,証人L)。これによると,富川観測所の最高水位は午前1時20分ころの6.29メートル,ピーク流量毎秒2700立方メートルというものであり,危険水位を大きく超える水位の上昇までは予測されていなかったが(甲3,証人M),実際の水位の上昇は,午前0時水位予測をやや上回っており,10日午前0時50分ころには富川観測所で危険水位(6.30メートル)に達していた。

7 室蘭開発建設部治水課は,10日午前0時54分,二風谷ダム管理所から,午前1時以降ただし書き操作に移行する予定であり,ダムからの放水量も毎秒5100立方メートルを超えるおそれがある旨の通知を受けた(甲2の○21の1枚目)。ただし書き操作の影響が富川北地区に及ぶのは,ただし書き操作開始後1時間から1時間半後であることが予想された(甲93)。

室蘭開発建設部治水課は,上記通知を受けて,再度,ただし書き操作が行われることを前提とする10日午前1時時点での水位予測を行った(以下「午前1時水位予測」という。)。これによると,富川観測所の最高水位が午前4時から5時にかけて7.32メートル,ピーク流量が毎秒約4100立方メートルというものであり,計画高水位を超える水位の上昇が予測された。事業所長は,午前1時40分ころ,その予測を記載した文書のFAX送信を受けた。

午前1時水位予測は,それほど大きくは外れていなかったが,予測した最高水位・ピーク流量は午前3時10分ころに超え(ただし書き操作開始から1時間40分後),予測を上回る実際の最高水位・ピーク流量は午前4時20分ころ訪れた(水位7.66メートル,流量毎秒4556立法メートル)。

【本件退避指示及び樋門操作員の退避状況等】

8 事業所長は,巡視職員から,午前1時ころ,コンカン川樋門及び栄町樋門でも内水氾濫が確認された事実,しかし逆流までは生じておらず樋門は開扉状態である事実の電話報告を受けた(乙82)。

事業所長は,既に富川観測所で危険水位6.30メートルを超える水位の上昇があることを把握していたこと(事業所は,実際の水位を河川情報システムで随時把握している。甲1,乙8,41,82),水位の上昇が午前0時水位予測を上回っていることも踏まえ,外水位が危険水位を上回ったことから完成堤防である本件3樋門付近の堤防も破堤する危険があり,樋門操作員の身に危険が迫っていると判断し,10日午前1時5分,事業所職員に破堤の危険があるため樋門操作員を退避させるよう指示した(本件退避指示)。本件退避指示は,巡視中の事業所職員から,樋門付近で待機していた樋門操作員に口頭で伝えられた。

本件退避指示の時点で,事業所長は,樋門操作員からの電話連絡や事業所職員の巡視を通じて各樋門等の開閉状況を知っており,本件3樋門及び富川E樋門,荷菜樋管が開扉,二風谷A樋門,二風谷B樋門,長知内樋門が開閉未確認,他は閉扉の状態と認識していたが,本件3樋門に関しては,退避に当たり,樋門を閉扉すべきかどうかについて特段の指示を発しなかった(甲19,乙82,証人L)。

事業所長は,本件退避指示の時点で,午前1時以降ただし書き操作に移行する予定である旨の二風谷ダム管理所からの連絡文書(放水量も毎秒5100立方メートルを超えるおそれがある旨の記載があるもの-甲2の○21の2枚目)を見ていたが,室蘭開発建設部治水課がした午前1時水位予測には接しておらず,その予測とは無関係に,本件3樋門付近の堤防で破堤の危険があると判断して本件退避指示を発したものである。

なお,本件退避指示の時点でも,本件3樋門付近は暗くて周囲が見えないという状況ではなかった。本件3樋門の樋門操作員は懐中電灯を持っていたし,コンカン川樋門には近くの国道の街灯があり,栄町樋門には堤外照明があり,栄町樋門及び富川D樋門ではポンプ車が稼働し続けていて車の照明もあったからである。

9 コンカン川樋門及び栄町樋門の樋門操作員は午前1時20分ころ,富川D樋門の樋門操作員は午前1時30分ころ,事業所職員から口頭で退避指示を伝えられ樋門から離れた(甲3の6頁)。

樋門操作員が樋門から離れた時点で,本件3樋門では,内水位と外水位がほぼ拮抗しながら徐々に水位を上昇させている状況であったが,逆流までは生じておらず,本件3樋門は閉扉されなかった。そのため,以後,本件3樋門は,開閉の操作をする者がいないまま開扉状態で放置された(甲19,乙30,証人M,弁論の全趣旨)。

樋門操作員が樋門から離れたころ,ポンプやポンプ車の操作員も,ポンプを稼働させた状態で現場を離れた(甲3の7頁)。

【本件退避指示された後の状況】

10 窪地部分の浸水は,ポンプ排水の効果もあり,午前1時ころまでにはほぼ解消された。これに対し,ミドリ橋(栄町樋門から約100メートル堤内側にあるミドリ川に架かる橋。付近の標高7.0メートル)は,午前1時35分ころには浸水しており,ミドリ橋周辺の住宅のうち,原告Cら及び原告Bの住宅は40ないし60センチメートル程度の床上浸水,原告Fの住宅は基礎のコンクリート部分までの浸水であった。原告Iの住宅は,周囲でも人の胸の高さまでの浸水があり,消防団員が接近を断念するほどであった。

ただし,9メートルの高さがある堤防上の道路は浸水しておらず,原告Bの住宅付近からは堤防上の道路を通って国道まで避難することは可能であった(乙60,65)。

午前1時50分ころも,ミドリ橋付近より堤防側は一面が浸水していて,ミドリ橋も上流からの流水が越流し,橋の上で渦を巻いて滞留する状態であった(乙66)。

11 二風谷ダムのただし書き操作は,実際には,10日午前1時27分に開始され,その事実は,午前1時41分,室蘭開発建設部管理課に通知がされ,その後,二風谷ダム管理所から事業所及び室蘭開発建設部治水課に対しては,午前1時50分及び53分,ダムからの放水量が毎秒3300立法メートルであり,今後の放水量が毎秒6000立方メートルを超えるおそれがあることがそれぞれ通知された(甲2の○23)。

富川観測所では,10日午前1時の時点で,既に危険水位を超える水位を記録しているが,この時点での流量は毎秒2740立方メートルであったから,ただし書き操作が開始された以上,富川観測所では,午前2時30分ころから午前3時ころにかけて,格段に流量が増加することが予測される状況となった。

12 事業所職員は,懐中電灯と雨具という装備で巡視をしていたが,午前2時ころに栄町樋門地先を退避した。また,沙流川ダム建設事業所のN係長も,午前2時15分ころ,栄町樋門の逆流がないことを確認した上,同事業所に引き返した(甲19,乙47,48,証人L)。この間,富川北地区を含む門別町では午前1時50分に住民に対する避難勧告が発せられ,平取町では午前2時5分に住民に対する避難勧告が発せられた(甲3の3頁)。富川北地区でも,午前2時を過ぎたころ,巡回車両などにより住民に対する避難の呼びかけがされた。

13 午前1時の段階で,富川観測所での水位は6.34メートル,それまでの1時間における10分単位の水位上昇幅は最大で5センチメートルであり,その後,水位は午前1時30分には6.45メートル,午前1時40分には6.50メートル,午前1時50分には6.55メートルとなった。

この間,午前1時50分ころから富川D樋門で,午前2時30分ころからコンカン川樋門及び栄町樋門で,逆流が発生した。

その後,富川観測所ではなお外水位の上昇が続き,午前2時50分ころに7.06メートルの計画高水位を超過し,午前4時20分ころ,最高水位(7.66メートル)及び最大流量(毎秒4556立方メートル)を記録した(甲1,乙39)。

14 事業所長は,午前5時40分,巡視を再開させた。このとき,外水位はなお計画高水位を上回っていた。同じころ,ポンプ作業員も現場に戻った(甲3,乙39,証人L)。

富川北地区は,約55ヘクタールに渡って浸水したが,堤防上の道路,道路敷が高い国道237号線,国道235号線が水没することはなく(乙42),完成堤防地帯である富川北地区はもちろん,富川北地区から約2.86キロメートル上流の暫定堤防地帯においても,破堤による被害はなかった(証人L)。

樋門等が閉じられても浸水被害に遭った地区があり,去場樋門,去場樋管,荷菜樋門の地区では,結果的に富川北地区(55ヘクタール)と同程度の浸水被害(55.8ヘクタール)が生じたが,この浸水は内水氾濫によるものである(甲1,弁論の全趣旨)。

15 10日未明の外水位及び内水位は,各種のデータから再現計算によって,実際の水位に近似する数値を求めることができる。再現計算によって,樋門が開扉された状態での本件3樋門付近における堤内最高水位の再現計算値,樋門操作員退避時(コンカン川樋門及び栄町樋門では午前1時20分,富川D樋門では午前1時30分)に樋門が閉扉されたと仮定した場合の堤内最高水位の再現計算値は,次のとおりである(乙42,64)。

開扉での最高水位  閉扉での最高水位

コンカン川樋門付近  8.25メートル  7.35メートル

栄町樋門付近     8.34メートル  7.92メートル

富川D樋門付近    8.34メートル  7.92メートル

窪地部分       8.25メートル  6.51メートル

第5争点①に対する判断(本件退避指示の違法性)

1  洪水時の樋門操作は,外水の逆流を防いで洪水の被害を最小化する目的を持って行われるべきものであり(本件操作要領2条),樋門操作員が行う外水位と内水位の観測も樋門操作を適切に行うためのものにほかならない。したがって,樋門操作員は,洪水時にこそ,適切に樋門操作をするために,できる限り現場に留まることが期待されているというべきである。

もとより,国土交通大臣は,被告の樋門操作員に対する安全配慮義務の一環として,一般職の国家公務員である樋門操作員に対する災害発生の危険が急迫したときには,樋門操作員を退避させなければならず(人事院規則10-4第29条),本件退避指示も,国土交通大臣の当該権限を,事業所長がその事務分掌の範囲内で行使したものということができる。

しかし,樋門操作員が洪水時に樋門を適切に操作する役割を担っている以上,このような急迫の危険がない限り,洪水時であっても樋門操作員を現場に留まらせ,水位の観測や逆流の有無の監視に当たらせる必要がある。したがって,事業所長は,水位,流量及び雨量に関する情報,これら情報に基づく水位予測を適切かつ総合的に考慮して,洪水や破堤による急迫の危険があると判断されるときに限り,樋門操作員に対し任務から離れ退避すべきことを指示すべきなのである。

2  これを本件についてみると,本件3樋門付近一帯の右岸は完成堤防であったから,計画高水位(7.06メートル)までは外水を安全に流下することができる状態にあったといわなければならない。外水位が計画高水位より76センチメートルも低い危険水位に達したからといって,本件3樋門付近の完成堤防に破堤のおそれが生じると考える根拠はないといわなければならない。

危険水位が計画高水位より低いのは,本件3樋門より上流に暫定堤防が残っており,計画高水位より低くてもここから河川の氾濫を生じるおそれがあったためであり,富川観測所の水位が危険水位まで上昇したとしても,本件3樋門付近の右岸堤防それ自体は破堤や越流の危険が迫っている状況には全くなかったのである。したがって,計画高水位まで余裕があった本件退避指示の時点(10日午前1時5分)で,本件3樋門付近の堤防に破堤のおそれが生じたとした事業所長の判断は,誤りである。

3  無論,前記認定の事実経過のとおり,実際の水位上昇は午前0時水位予測よりも速いものであり,実際の天候も午後10時雨量予測に反して雨脚が強まっていたから,危険水位を超えた後も継続して水位が上昇することは十分に予測されるところではあった。とはいえ,流域全体の降雨は午前0時以降は全体にそれまでより減少傾向にあり,このことは河川情報システムで10分単位の雨量として程なく把握されていたし,水位の上昇幅も午前1時までは10分単位で最大5センチメートルにとどまっており,ただし書き操作の影響が本件3樋門付近に及ぶのは午前2時30分ころ以降のことであった。

したがって,計画高水位まで約70センチメートルも余裕があった午前1時の段階で,水位の計画高水位超過を直ちに懸念すべき状況まではなかったといわざるをえない。

さらに,10日午前1時5分の段階では,本件3樋門の近隣住民にさえ避難が指示されていなかったのであり,その中で,樋門操作員を近隣住民よりも先に樋門の任務から離れさせ,退避させるだけの理由があったとは到底認めがたい。

4  にもかかわらず,事業所長は,富川観測所の水位が危険水位を上回ったことから,完成堤防である本件3樋門付近の堤防にも破堤の危険が生じるとの誤った事実認識の下,本件退避指示を発したものである。そうすると,10日午前1時5分の時点で本件退避指示を発した事業所長の判断は,上記人事院規則の「災害発生の危険が急迫したとき」との要件の認定判断を誤ってされたものであり,これにより,洪水の被害を最小化する目的で設置された樋門がその機能を発揮できない状況にしたのであるから,河川管理という公権力の行使に当たる公務員がした違法行為であるといわざるをえない。

5  これに対し,被告は,樋門操作員に危険が迫っていた事情として,現場が暗く,かつ,退避路が水没するおそれがあったことを主張し,10日午前1時5分の時点で避難させなければ,樋門操作員の退避が困難となるおそれがあったと主張するようであるが,前記認定の事実関係に照らせば,その時点で樋門操作員を退避させなければ,以後,樋門操作員が身を守るのが困難になるであろうと考えるべき根拠はなかったというべきであり,被告の主張は採用できない。

そこで,以下,事業所長の違法行為(本件退避指示)がなかったとすれば,本件3樋門からの逆流を防ぐことができたかどうかについて検討する。

6  富川D樋門の逆流について

10日午前1時の富川観測所での水位・流量は,6.34メートル・毎秒2740立方メートルであったが,事業所長が午前1時40分ころ入手した午前1時水位予測では,1時間前に入手した午前0時水位予測とは大きく異なり,午前2時から午前4時にかけて急激に上昇することが記載され,富川観測所での水位が計画高水位を26センチメートルも上回る7.32メートルに達することが記載されていたのである(甲3の14頁)。

事業所長が,ただし書き操作に関する二風谷ダム管理所からの情報を,どの程度の迅速さをもって知らされていたのかは証拠上分かりにくいが,午前0時水位予測を見れば河川管理に携わる者であれば,ただし書き操作が行われる予定であることはすぐに理解できるものと思われる。

そして,事業所長は,午前2時の時点で,外水位が午前1時50分に6.55メートル(計画高水位まで残り約50センチメートル)となったことを認識していたし,ただし書き操作の影響により,それまで10分間に約5センチメートルの幅で上昇してきた水位が,今後,これまで以上の幅で上昇するであろうことも,予測できたはずである。

そうすると,事業所長は,計画高水位まで約50センチメートルとなり,ただし書き操作の影響がほどなく本件3樋門付近に及ぶことを考慮し,退避指示を出してから実際に樋門操作員が退避するまでに要する時間にも配慮し,午前2時の段階では,本件3樋門の樋門操作員に退避を指示すべき状況に陥ったであろうということができる。そして,前記認定のとおり,本件退避指示から実際の退避まで15分程度かかっていることからすれば,事業所長が午前2時に退避指示を発した場合,午前2時15分ころ,樋門操作員が樋門から離れて退避をしたであろうと推認することができる。

したがって,事業所長が本件退避指示を発しなければ,午前1時50分に逆流が発生した富川D樋門においては,既に樋門操作員により閉扉がされ,逆流が生じることはなかったはずだということができる。

7  コンカン川樋門及び栄町樋門の逆流について

10日午前2時の時点では,コンカン川樋門と栄町樋門では未だ逆流は生じていなかったと認められることは前記のとおりである。事業所長が,午前2時に退避を指示するに当たり,樋門の閉扉を指示すべきであったかどうかを検討する必要がある。

まず,事業所長に逆流の予見可能性があったかをみると,前記認定によれば,事業所長は,午前2時までに,富川観測所での流量が午前2時以降急速に増加し,最高水位が7.32メートルに達すると予測する午前1時水位予測を入手していたし,本件3支川の流域面積の雨量が午前0時以降少量にとどまっていた事実を認識していたはずであり,これらから合理的に導かれる推論としては,それほど時間を置かず,外水位が大幅に上昇する一方,本件3樋門の流域の降雨量は限られていて内水位が大きく上昇しないため,逆流が発生することを予測できたと考えられる。

事業所長が午前1時20分に受け取った同日午前1時時点の流域雨量予測(甲3の12頁)では,同日午前1時以降午前4時までの1時間雨量は,それぞれ,20ミリメートル,20ミリメートル,16ミリメートルとなっていたが(この予測を前提とした試算では,栄町樋門と富川D樋門では逆流が発生しない結果になっている-乙第42号証56頁),実際には,午前2時の段階では,沙流川流域の多くの観測所で1時間雨量が1ミリメートル以下と少量になっており,上記雨量予測と実際の雨量とは異なっていたから,ポンプ排水が継続的に行われていた栄町樋門やコンカン川樋門において,内水の急激な水位上昇があるとは予想できなかったはずである。反対に,外水位に関しては,ただし書き操作による急激な増加により確実に水位が上がることが分かっていたのであり,午前2時の時点で,それほど時間を置かずに逆流することは予想可能であったというべきである。

しかも,午前1時水位予測のグラフ(甲第3号証の14頁)を見る限り,一旦,逆流が始まってしまうとかなりの長時間にわたり逆流状態が続くであろうこと,逆流による被害が非常に大きなものになることも容易に予測できたものと推認される。

したがって,事業所長が本件退避指示を発していなければ,午前2時には,コンカン川樋門及び栄町樋門を閉扉して退避するよう指示を出すことは容易であったと認められ,これら樋門からの逆流も回避されたものと認められる。

8  まとめ

以上のとおり,本件3樋門からの逆流は,事業所長の違法行為(本件退避指示)に起因して発生したものということができる。

第6争点⑤に対する判断(汚泥被害の有無)

1  甲第93号証及び乙第77号証によれば,本件退避指示後に発生した逆流により,本件3樋門の内水域には,SS(浮遊物質)濃度が平時より上昇した状態の外水が流入したこと,本件水害時に沙流川橋で観測された外水のSS濃度は,平成13年洪水時の1.5倍程度であるところ,本件洪水時には,二風谷ダム放流地点と比較して下流でより高いSS濃度が観測されていること,したがって,下流域において高いSS濃度がもたらされた主要な原因は,二風谷ダムの湖底堆積物ではなく,ダム下流での激しい洪水流による河床や河岸の侵食によるものであることが認められる。

2  また,甲第17号証によれば,自然河川ではヘドロは生成されないが,ダム湖などの湛水域では落葉や木の枝といった粗粒有機物が沈殿・堆積し,貧酸素状態でヘドロ(汚泥)となり,洪水時の放流でこれが移動し,その一部が下流に流れ出ること,湖底堆積物のような湖底由来のSS物質は,細粒の腐敗した有機物を豊富に含み臭気(悪臭)を有することが特徴であることが認められる。したがって,沙流川下流域において高いSS濃度がもたらされた主要な原因が河床や河岸の侵食に由来するとはいえ,一部には二風谷ダムの固定堆積物の汚泥化した物質も含まれていたと推認することができる。

第7争点⑥に対する判断(損害認定の手法)

1  前記認定のとおり,富川北地区の55ヘクタールの浸水は,外水の逆流だけによって生じたのではなく,先に内水氾濫が発生し,その後に,多量のSS物質を含む外水が逆流して浸水範囲が拡大したというものであるから,事業所長の違法行為と因果関係のある損害は,樋門を閉めた場合の内水氾濫のみによる被害と比較して,増加した部分に限られる。ごく抽象的に言うならば,その増加した被害とは,増加した水量及び汚泥量によって拡大された損害であるが,その認定は容易でない部分が多い。

2  まず,逆流により増加した汚泥量についてみると,本件洪水時の外水のSS濃度は,他の洪水時と比較して1.5倍程度高いものではあったということはできるものの,本件水害により堆積した泥の組成や由来について的確な事実認定を行うための証拠までは見当たらない。

本件水害時の外水のSS濃度が通常の洪水時に比べても高いものであったこと,本件3支川が小規模河川であり,本件水害時,河床や河岸を削り取って多量のSS物質を内水にもたらすほど激しい流れを発生させたとは考えにくいことからすれば,外水のSS濃度は内水のSS濃度よりもかなり大きかったということはできると思われるが,これを数値で「何倍程度」と認定するための証拠までは見当たらない。

原告らは,支川では土砂の侵食はほとんど考えられないとして,内水由来の泥の堆積はないかの如く主張し,その根拠として乙第77号証(本件水害の調査論文)を挙げる。しかしながら,沙流川流域において内水氾濫のみが発生した平成18年の洪水被害でも屋内外に泥が堆積する被害は発生しているから(乙75),本件水害時にも,仮に樋門が閉扉されたとしてもある程度の泥の堆積被害が生じたものと推定するのが相当である。

また,乙第77号証は,平成13年洪水と比較して支川からの流入による本川の流量増加の影響が相対的に小さいことを根拠に,本川のSS負荷量の原因として支川等からの土砂流入の影響は小さいと結論しているものの,富川北地区の浸水のように,内水と外水が混じって浸水した場合に,浸水域でのSS濃度の殆どが外水由来となるとの結論を述べるものではなく,乙第77号証から,本件水害時に内水域に堆積した泥のすべてが外水に由来するものということはできない。

3  次に,汚泥の臭気をいう点についてみると,逆流した外水には,一定限度で,本件3支川(自然河川)には含まれない湖底堆積物由来のSS物質(細粒の腐敗した有機物を豊富に含み臭気を有する物質)が含まれていたと推認されるから,本件水害による堆積泥による被害も,適切に閉扉がされていた場合と比較して,臭気の点には質的違いがあったということができる。

そこで,本件水害時に内水域に堆積した汚泥の臭気の違いを検討するに,原告らは,本件水害により室内等に堆積した泥は,内水氾濫による泥よりもひどい臭いであったと供述している(原告E本人,原告G本人)。

ダムのない河川の氾濫によっても,被災地域には,下水を含む生活排水が溢れたことによる特有の不快臭が感じられることは経験的に知られたことではあるが,本件水害では,ダムの湖底堆積物が流入した以上,腐敗有機物の臭気が入り混じって,内水氾濫とは質的に異なる臭気がもたらされたものと認めることができる。

しかし,洪水は,内水氾濫であっても不快臭を残すものではある以上,樋門閉扉の有無により,通常の洪水とは質的に異なる臭気が残されたということはできても,両者の臭気の不快感の程度や質の格差を認定し,これを損害として評価することは困難といわなければならない。

4  原告らは,このほかに,外水由来の汚泥は容易にぬぐい去ることができず清掃費がかさみ,什器備品等もことごとく廃棄を余儀なくされたと主張している。

確かに,湖底堆積物由来のSS物質が細粒の有機物を豊富に含むものであることは,前にみたとおりである。しかし,内水氾濫で床上浸水が生じた場合であっても,清掃の実施や什器備品の廃棄は避けられないところであって,泥の質の違いによって原告らの財産上の被害にどの程度の差が生じたのかを的確に認定することは困難である。したがって,汚泥の質の違いについては,財産的損害として金額的に評価することが困難であり,清掃作業に多大の苦痛が生じたという面から慰藉料として損害額を検討するほかないというべきである。

5  結局,増加した水量及び汚泥量によって拡大された損害は,財産的損害に関する限り,浸水によって原告らが失った財産あるいは支出を余儀なくされた費用に,外水に由来するとみられる一定割合を乗じて認定するのが相当である。

もっとも,もっぱら逆流した外水に起因すると考えられる財産的損害については,一定割合を乗じるという手法によらないで認定すべきであるし,慰藉料及び弁護士費用については,敢えて一定割合を乗じるという手法によらないで認定することが可能である。

6  上記一定割合については,浸水した内水量(深さ)と外水量(深さ)を比較し,前者を1,後者を2とする加重平均値とするのが相当である。乙第68号証によれば,原告らの住宅等の基底部(基底部は,原告B,原告C,原告F及び原告Iの住宅が土台天端,それ以外が地盤面である。)の高さは下表の「基底部高」欄に記載のとおりであることが認められ,閉扉での堤内最高水位及び開扉での堤内最高水位の再現計算値は前記第4の15のとおり(下表「閉扉水位」欄及び「開扉水位」欄のとおり)であるから,原告らの住宅等に浸水をもたらした内水の量と外水の量を高さで比較すると,下表のとおりとなる。

基底部高

=A(cm)

閉扉水位

=B(cm)

開扉水位

=C(cm)

内水の量

=B-A(cm)

外水の量

=C-B(cm)

原告Bの住宅

730

792

834

62

42

原告Bの厩舎

720

792

834

72

42

原告Cの住宅

701

792

834

91

42

原告Eの住宅

570

651

825

81

174

原告Fの住宅

767

792

834

25

42

原告Fの倉庫

706

792

834

86

42

原告Gの住宅

590

651

825

61

174

原告Hのハウス

760

792

834

32

42

原告Iの住宅

668

792

834

124

42

原告J商事の倉庫

570

651

825

81

174

したがって,内水の量を1,外水の量を2とする加重平均値は下表のとおりとなり,浸水によって原告らが失った財産額あるいは支出を余儀なくされた費用に,その加重平均値を乗じた額をもって,増加した水量及び汚泥量によって拡大された損害と認めるのが相当である(以下,下表の加重平均値を「外水比率」という。)。

浸水量

内水の量

=D(cm)

外水の量

=E(cm)

加重平均値

=E+E/E+E+D

原告Bの住宅

104

62

42

0.5753

原告Bの厩舎

114

72

42

0.5385

原告Cの住宅

133

91

42

0.4800

原告Eの住宅

255

81

174

0.8112

原告Fの住宅

67

25

42

0.7706

原告Fの倉庫

128

86

42

0.4941

原告Gの住宅

235

61

174

0.8509

原告Hのハウス

74

32

42

0.7241

原告Iの住宅

166

124

42

0.4038

原告J商事の倉庫

255

81

174

0.8112

7  ところで,原告らが浸水被害を受けた家屋や家財を失った場合,当該財産の交換価値を失ったという形で損害が顕在化するというよりも,生活や生計を維持するため再調達費用を支出するという形で損害が顕在化するから,その再調達費用が損害であるとする原告らの主張にも一理あるが,経年劣化が相当程度存在するはずの建物や家財を失ったことによる財産的損害については,公平の見地から,再調達費用について経年減価を考慮するのが相当である。

第8争点⑥に対する判断(原告らの損害)

1  原告Bの財産的損害

(1)  住宅,厩舎関連

別紙12の1枚目ないし5枚目及び7枚目に記載の証拠によれば,原告Bは,住宅関連の損害として①住宅の修理代金として200万円及び住宅の土砂撤去費用として18万円を支出したこと,②再調達費用にして合計366万2380円の一般家財及び合計9万2000円の特別家財を廃棄せざるを得なくなったこと,厩舎関連の損害として③再調達費用合計441万7209円の営業用什器・備品を廃棄せざるを得なかったこと,④馬の移動料等,薬代等として合計98万1234円,放牧地の土砂撤去工事代,後片付け清掃作業員代として合計116万0325円を支出したことが認められる。このうち,②と③については3割の経年減価率を乗じ,①ないし④に外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

(2)  受胎馬の流産による損害

原告Bが主張する馬に関する損害のうち,妊娠している馬の腹が水につかって流産をしたことについては,樋門が閉扉していた場合の72センチメートルの浸水深では腹が水に届かなかったと考えられるから,損害全体が外水に由来するものと認めることができる(外水比率は用いるべきではない。)。

そこで,流産したニシノタカジョ号とシローロビン号のそれぞれの産駒の価額について検討する。甲第112,第113,第116号証及び弁論の全趣旨によれば,ニシノタカジョ号には,本件水害前に,カリブカフェ号を無料で種付けしていたこと,シローロビン号にはポリッシュパトリオット号を10万円で種付けしていたことが認められる。そうすると,その受胎馬は,競りで売却することができれば,30万円以下の低額な種付け価格で生産された未出走の競走馬のうち,平成15年から17年度の日高地方の競りで売却された13頭の平均額である281万6154円に準じた250万円で売却できたものと認めるのが相当である。

ただし,産駒が無事に出生したとしても,これが競りで売却されるまでには生産牧場で1年半もの育成期間を要するのであり,その間にケガをするなどして売却できずに終わる産駒も1割はいて,さらに生産馬のうち競りで売却されるのは3割にとどまり,その余は,自ら保有しながら個別に売却することになるというのである(原告B本人)。そして,競りで売れなかった生産馬の価格は,競りでの競り始めの価格を下回るものということになるから,相当低額になるものと考えられるが,その額を的確に認定できるような証拠はなく,弁論の全趣旨によって半額の125万円と認めることができるにとどまる。

そうすると,原告Bに生じた流産による損害は,産駒が無事に成長した場合のみについて,競りで売れた場合と売れない場合を区別しながら育成期間中の経費相当額を損益相殺した金額の限度で認めることができる。ここで,経費額は競りで売れた場合は売却額の5割,売れない場合は7割と認めるのが相当である。

したがって,流産による損害は,次のとおり2頭分で万円となる。

(2,500,000×(1-0.5)×0.9×0.3+1,250,000×(1-0.7)×0.9×0.7)×2=1,147,500

(3)  繁殖牝馬の処分による損害

甲第110号証によれば,繁殖牝馬4頭のうちニシノタカジョ号及びシローロビン号については,その取得価格から減価償却額を控除した額として,それぞれ18万4980円,36万1550円の損失が発生していると認められ,これに外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである(なお,レイクノーブル号の価格については証拠がない。)。

これに対し,コツパーベイ号は昭和58年生まれであるところ,繁殖牝馬は丈夫なものでも一生の間に13頭程度の産駒を生むにとどまるものであるから(甲103,原告B本人),本件水害当時,その繁殖能力は相当程度衰えていたものと推認できる。そうすると,本件水害後にこれを殺処分したことによっても,損害が発生したか否かは不明であるというほかない。

(4)  その他

甲第103号証及び第107号証によれば,原告Bが怪我をしたと主張する仔馬に関しては,結局は買い手が付いた後,競走馬として一定の成績を収めている事実が認められる。このことに照らすと,これらの仔馬は,売却の時点でも応分の商品価値を有していたものと推認することができる。これに反して洪水に遭ったことで商品価値が下がったと認めるべき的確な証拠はない。

2  原告Cの財産的損害

(1)  家財関係

別紙13の1枚目ないし3枚目に記載の証拠及び甲第33号証によれば,原告Cは,再調達費用にして18万円の冷蔵庫,その他再調達費用にして合計728万円の一般家財を廃棄せざるを得なくなったことが認められる。これに対しては3割の経年減価率を乗じた上,外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

(2)  その他

原告Cは,自宅掃除のための手伝いに来てくれた人に手間賃30万円を支払ったことが認められ(甲32),これに外水比率を乗じた額が財産的損害と認められる。

3  原告Dの財産的損害

原告Dは,本件洪水後,家財の購入,整理などに6か月はかかり,平取町農業協同組合のトマト選果場でのパートの仕事に行くことができず,また,失業保険の受給資格(5か月間のパート勤務)を満たすことができなかったとして,休業損害及び失業保険金相当額を請求している。

甲第38ないし第40号証によれば,原告Dのパート先は,例年5月10日から10月末まで約6か月間パートを雇用するトマト選果場であり,同原告は,そこで働くことにより,雇用保険法上の短期雇用特例被保険者の資格要件である6か月の被保険者期間を充足させ(平成19年法律第30号による改正前の雇用保険法38条1項。なお,同法14条1項所定の期間計算方法により,暦の上では若干足りない期間であっても6か月と計算される。),特例一時金を受給していたものと認められる。

しかし,同原告の住宅は,逆流した外水の影響がなくとも91センチメートルは浸水していたはずで,その場合に堆積したはずの泥の量も相当量に及んでいたということができ,樋門が閉扉されていたとしても,実際に休業した6か月の半分程度は休業が避けられなかったと考えられる。したがって,樋門閉扉がされていなくても,同原告は平成15年10月末までに上記パートに復帰することはできなかったはずであるし,失業保険も受給資格要件を満たさなかったことになる。したがって,主張する損害は,逆流した外水によって拡大された被害と認めることができない。

4  原告Eの財産的損害

(1)  オートバイ関係

本件洪水により,原告Eは,合計486万円のバイク4台及びヘルメット等の装備一式を廃棄せざるを得なくなったことが認められる(甲41,44。マウンテンバイクは息子の物と認める。)。これに対しては3割の経年減価率を乗じた上,外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

(2)  甲第142号証及び原告E本人尋問の結果によれば,同原告は,平成15年8月25日,本件水害により,三井住友海上火災保険株式会社から保険金100万円を受領したことが認められるから,これを上記損害から控除すべきである。

5  原告Fの財産的損害

(1)  家屋関係

甲第56,第67,第68,第77,第78号証によれば,原告Fは,本件水害により,家屋の修理工事代38万7610円及びボイラー工事代金19万9000円を支出したものと認められ,これに外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

これに対し,水道ポンプの整備費及び水道修理代は,逆流した外水がなくとも発生した費用ではないかと考えられ,事業所長の違法行為との因果関係が明らかではなく,被告に賠償を求め得る損害とまで認めることが困難である。

(2)  その他

別紙16の1枚目ないし4枚目に記載の証拠及び弁論の全趣旨によれば,原告Fは,本件水害の結果,①薪小屋復旧工事費として2万円の費用を支出し,②8000円相当の庭木を失い,③合計114万9180円の一般家財を廃棄せざるを得なくなり,④住宅等からの泥排出の労賃として合計24万0500円を支出したことが認められる。

このうち,③については3割の経年減価率を乗じ,①ないし④に外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

(3)  このほか,原告Fは,庭園から流出した黒土も財産的損害として主張するが,黒土は,逆流した外水がなくとも流出したのではないかと考えられ,事業所長の違法行為との因果関係が明らかではなく,被告に賠償を求め得る損害とまで認めることが困難である。

6  原告Gの財産的損害

別紙17の1枚目に記載の証拠によれば,原告Gは,本件水害により,再調達費用にして合計64万1150円の特別家財を廃棄せざるを得なくなったことが認められる。これに対しては3割の経年減価率を乗じた上,外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

7  原告Hの財産的損害

(1)  農作物関係

原告Hは,トマト,きゅうり等の作物が全滅して合計155万6886円の農作物が出荷できなくなったと主張する。しかしながら,甲第82号証によれば,その農作物は,浸水した部分の実が出荷できなくなったのみならず,浸水しなかった部分の実も,根が腐ったり給水が過多になって結局全体が出荷できなくなったものと認められる。したがって,この被害は,逆流した外水がなくとも発生した費用ではないかと考えられ,事業所長の違法行為との因果関係が明らかではなく,被告に賠償を求め得る損害とまで認めることが困難である。

(2)  ビニールハウス復旧費

甲第82号証によれば,原告Hは,ビニールハウス内の泥の排出等のための復旧費用として60万円を支出したことが認められるところ,これに外水比率を乗じて財産的損害を認めるのが相当である。

8  原告Iの財産的損害

(1)  家屋関係

原告Iは,本件水害により傷んだ建物を解体処分した上で新しく土地建物を購入せざるを得なくなり,解体費用と新規の土地建物購入代金相当額が損害として生じたと主張する。しかしながら,甲第86号証によれば,原告Iは,富川農業協同組合の建物更生共済647万0341円を受領している事実が認められる。これは家屋に係る損害から控除すべきであるから,同原告が被告に請求すべき家屋に係る損害はないこととなる。

(2)  家財関係

別紙19の2枚目ないし4枚目に記載の証拠によれば,原告Iは,再調達費用にして合計1021万9500円の一般家財及び合計310万1290円の特別家財を廃棄せざるを得なくなったことが認められる。これに対しては3割の経年減価率を乗じた上,外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

9  原告J商事の財産的損害

(1)  営業用什器備品類関係

別紙20の1枚目ないし3枚目に記載の証拠及び甲第41号証によれば,原告J商事は,①再調達費用にして合計769万2000円の営業用什器備品,②再調達費用にして合計317万6040円の営業用商品を廃棄せざるを得なかったほか,③在庫商品等の除去費用として,45万2000円を支出したことが認められる。このうち,①については3割の経年減価率を乗じ,①ないし③に外水比率を乗じて財産的損害を認定すべきである。

(2)  売上高減少

甲第41号証によれば,原告J商事は,本件水害により数日間にわたり飲食店の営業ができなくなったと認められる。しかし,樋門閉扉がされず浸水が81センチメートル程度にとどまっていたとしても,やはり同程度の営業休止は余儀なくされていたのではないかと考えられるから,その被害は,逆流した外水がなくとも発生した費用ではないかと考えられ,事業所長の違法行為との因果関係が明らかではなく,被告に賠償を求め得る損害とまで認めることが困難である。

10  慰藉料

本件水害によって,逆流した外水には一定限度で湖底堆積物由来の汚泥が混在しており,これが原告らの住宅等に付着し,通常の洪水とは異なる臭気が残されることになったと認められることは前記のとおりである。事業所長の違法行為がなくとも,住宅等は一定限度で内水氾濫により床上浸水をしたはずであるが,外水による臭気によって受けた苦痛は,逆流した外水によって拡大した無形損害として,慰藉料をもって賠償されるべきである。

上記苦痛に対する相当な慰藉料額は,これを請求する原告ら(H,D及び原告J商事以外の原告)各人につき,各70万円と認めるのが相当である。原告Hについては,被災したのはビニールハウスのみであり,清掃作業における苦痛の増加のみを考慮し,慰藉料額を35万円にとどめるのが相当である。

11  雑損

単に雑損というのみでは財産的損害や慰藉料以外に何らかの損害の賠償を求めることはできないものと解される。金銭的評価が困難な損害は無形損害として慰藉料によって考慮されるべきである。

12  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば,原告らは,前記損害の賠償を求めるため,原告ら訴訟代理人に有償で委任して本件訴訟の提起及び追行を余儀なくされたと認められるところ,事業所長の違法行為と相当因果関係のある弁護士費用は,上記認定損害が合計200万円を超える原告らについては,損害額の1割(1万円未満の端数は切捨て),上記認定損害が200万円以下の原告らについては各自20万円と認めるのが相当である。

13  まとめ

上記認定の結果をまとめると別紙21のとおりとなる。原告J商事に生じた損害の額は請求額を超えているから,請求額の限度で請求を認容すべきこととなる。

第9結論

以上の次第で,原告らの請求は主文1項の限度で理由があるからこれを認容し,原告Dの請求及びその余の原告らのその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法64条本文,61条,仮執行及び仮執行免脱の宣言につき同法259条1項,3項を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 橋詰均 裁判官 宮崎謙 裁判官 木口麻衣)

(別紙1ないし20の4枚目は,添付省略)

file_2.jpg別紙

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例