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札幌地方裁判所 平成17年(行ウ)11号 判決 2007年3月14日

原告

甲野太郎

同訴訟代理人弁護士

高崎暢

竹田美由紀

綱森史泰

同高崎暢訴訟復代理人弁護士

邨山達哉

被告

同代表者法務大臣

長勢甚遠

同訴訟代理人弁護士

吉川武

同指定代理人

伊藤清隆

外6名

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は,原告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

1  札幌東労働基準監督署長が,原告に対して平成14年7月22日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  札幌東労働基準監督署長が,原告に対して平成15年4月11日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

第2  事案の概要

本件は,株式会社北海道銀行(以下「訴外銀行」という。)の従業員であった原告が,在職中の過重な業務が原因でうつ病を発症し,その後増悪したことにより退職を余儀なくされたとして,札幌東労働基準監督署長に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく休業補償給付の支給を請求したところ,平成14年7月22日付け及び平成15年4月11日付けでそれぞれ同署長から同給付を支給しない旨の処分(以下,それぞれ「平成14年処分」「平成15年処分」といい,併せて「本件各処分」という。)を受けたことから,それらの取消しを求めた事案である。

1  前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)

(1)  当事者等

ア 原告(昭和34年*月*日生)は,昭和58年4月に訴外銀行に入社し,薄野支店において後方担当・得意先担当として勤務した後,昭和61年3月に八戸支店へ転勤し,得意先担当・融資全般担当を経験した後,平成2年4月に本店へ転勤して,平成6年1月まで本店の事務管理部,事務部に所属した。この間,原告は,平成4年10月に主任となった。その後,原告は,平成6年1月に名寄支店へ転勤し,得意先担当を経て,平成10年4月1日に野幌支店に転勤し,同支店では,当初は個人融資担当となり,同年5月25日から得意先担当,同年10月26日から窓口新規担当となって勤務を継続したが,同年11月30日をもって同銀行を退職した(乙2の150,183頁)。

イ 訴外銀行は,札幌市に本社を置き,主に北海道内に支店を展開する銀行である。

(2)  訴外銀行における所定労働時間

訴外銀行の所定労働時間は,午前8時40分から午後5時まで(休憩時間はその間に1時間)の7時間20分であり,所定休日は,銀行法及び政令で定める休日(土曜日,日曜日,祝祭日)である。

また,時間外労働として延長できる時間は,月末営業日以外の日は1日につき実働8時間を超える4時間20分(午後10時まで)であり,月末営業日及び監督官庁又は日本銀行の検査等特別の事由がある場合は1日につき実働8時間を超える6時間20分(午前0時まで)であるとされている。

(3)  原告のうつ病の発症とその後の病状の推移

ア 原告は,野幌支店に異動した後の平成10年5月6日,札幌こぶしクリニックにおいて,うつ病により「2週間の自宅療養,通院加療必要」との診断を受けて通院治療を開始し,翌7日から同月20日まで,訴外銀行を欠勤した。その後,原告は,出勤と欠勤を繰り返し,同クリニックにおいて,同年7月7日には1か月の自宅療養が必要との診断を,同年8月18日には約1か月半の療養が必要との診断をそれぞれ受けた。

イ 原告は,同年9月20日,ポロナイクリニックを受診して,うつ病と診断され,同年11月30日に訴外銀行を退職した後も,平成11年11月25日まで同クリニックに通院した。また,原告は,同月26日,医療法人こぶし植苗病院(以下「植苗病院」という。)を受診して「うつ病」「神経症」と診断され,同月28日まで通院した後,同月29日から同年12月21日まで同病院に入院し,退院後も同月22日から同月26日まで通院した。さらに,原告は,同月27日,千歳こぶしクリニックを受診し,「うつ状態」との診断を受けた(乙2の43ないし45頁)。

ウ なお,原告は,平成11年11月,厚生年金(障害基礎年金)の3級13号(精神又は神経系統に,労働が著しい制限を受けるか又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの。)の認定を受け(甲2),その後,同年金の2級16号(精神の障害であって,前各号と同程度以上と認められる程度のもの。なお,2級15号は,前各号に掲げるもののほか,身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする症状が前各号と同程度以上と認められる状態であって,日常生活が著しい制限を受けるか,又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のものとされている。)の認定を受けた(甲3)。

(4)  本件各処分を受けるに至った経緯

ア(ア) 原告は,札幌東労働基準監督署長に対し,平成13年8月16日,原告のうつ病の発症は原告が従事していた業務上の事由によるとして,平成10年12月1日から平成11年11月25日までの期間にかかる休業補償給付の支給請求を行い,さらに,平成13年8月22日,同様の理由で,平成11年11月26日から同年12月26日までの期間及び同月27日から平成13年7月31日までの期間にかかる休業補償給付の支給請求をした。

これに対し,同署長は,平成14年7月22日,上記各請求についていずれもこれを支給しない旨の平成14年処分をした。

(イ) 原告は,平成14年7月26日,同処分を不服として,北海道労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが,同審査官は,同年10月23日,これを棄却する旨の決定をした。

(ウ) 原告は,平成14年11月11日,労働保険審査会に対し,上記(イ)の決定を不服として再審査請求をした(平成14年労第322号)。

イ(ア) また,原告は,上記アの休業補償給付請求の後続分として,平成15年4月7日,札幌東労働基準監督署長に対し,平成13年8月1日から平成15年2月28日までの期間にかかる休業補償給付の支給請求をした。

これに対し,同署長は,同年4月11日,上記請求についてこれを支給しない旨の平成15年処分をした。

(イ) 原告は,平成15年4月18日,同処分を不服として,北海道労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが,同審査官は,同年7月23日,これを棄却する旨の決定をした。

(ウ) 原告は,平成15年8月20日,労働保険審査会に対し,上記(イ)の決定を不服として再審査請求をした(平成15年労第308号)。

ウ 同審査会は,上記ア及びイの再審査請求を併合して審理した結果,平成17年3月9日,再審査請求をいずれも棄却する旨の決定をしたため,原告は,これを不服として本件訴えを提起した。

2  争点

(1)  業務起因性の有無(争点(1))

(2)  消滅時効の成否(争点(2))

3  争点に対する当事者双方の主張

(1)  業務起因性の有無(争点(1))

(原告の主張)

ア 精神疾患における業務起因性の判断基準

労災保険法の趣旨が被災した労働者及びその遺族の救済にあることに照らすと,業務起因性の判断基準としては,業務の過重性と疾病の発症・増悪との間に合理的関連性が認められれば足りると解すべきである。仮に,業務起因性の判断基準として相当因果関係を要するとの立場に立ったとしても,業務起因性がない旨を主張する者に,相当因果関係が存在しないことの実質的な立証責任があるというべきである。

被告の主張する「ストレス―脆弱性理論」は,業務上の要因による心理的負荷と個体側要因を切り離して考察するものであって適当ではなく,精神疾患における業務起因性を判断するに当たっては,これらの要因を具体的かつ総合的に検討し,社会通念に照らして判断するのが相当である。

そして,精神疾患における業務起因性の判断において,同種の労働者を基準として判断するとしても,労働者の経歴,職歴,職場における立場,性格等は多様なものであることからすれば,「同種の労働者」という概念は,通常想定される労働者の多様の範囲において,心理的負荷となりうる出来事等の受け止め方に幅があることを前提とした概念であることを考慮する必要がある。

イ 本件へのあてはめ

原告のうつ病発症は,以下に述べるとおり,訴外銀行における過重な業務によるものであり,それ以外に原因は存在しない。

(ア) 原告は,野幌支店への異動直後である平成10年4月6日から同月10日にかけて,夜に多量の寝汗をかくようになり,この間に体重が5キログラム減少し,体調も崩して,屋上の駐車場に行ったりすると,「死んだらどれだけ楽になるだろう。」などと考えるようになった。そこで,同年5月6日,札幌こぶしクリニックを受診したところ,うつ病と診断された。

(イ) 長時間労働

原告は,平成10年4月1日に名寄支店から野幌支店に転勤する前後を通じて,長時間労働を余儀なくされていた。即ち,同年3月の時間外労働時間は70時間05分であり,これに自宅での引継書の作成や顧客等の接待への事実上の参加強制を加えると,月間80時間を優に超えており,翌4月の時間外労働時間は月間174時間35分に及ぶ。そうでないとしても,少なくとも156時間を超えていた(なお,実質的な労働時間は,労働契約,就業規則,労働協約の定めいかんにより決定されるべきものでなく,使用者の明示又は黙示の指揮命令下に行われている限り労働時間と評価されるべきものであるから,明示の業務命令がない自発的早出や残業であっても,就業時間内にこなすことができないような業務量が与えられていた場合には,使用者の黙示の業務命令下に行ったと評価されるべきであり,したがって,上記引継書の作成,接待,持帰り残業に要した時間も含まれることになる。)。仮に,自発的残業時間を除くとしても,平成10年3月の時間外労働時間は54時間5分であり,同年4月の時間外労働時間は130時間55分である。なお,被告は,超過勤務命令簿等により原告の勤務時間を主張しているが,これらは勤務実態を正確に反映していないから,これらによることはできない。

このように,うつ病発症前の相当期間における原告の時間外労働時間は月間100時間を超えていたから,原告にとって,相当の心理的負荷となっていた。

(ウ) 名寄支店における引継業務

原告は,名寄支店から野幌支店への異動に際しての引継業務のために,自宅で毎日夜中の2時から3時まで残業せざるを得なかった。これは,野幌支店への異動に際し,後任補充がない形での異動であったため,原告の担当業務が3名に引き継がれることとなり,引継事項の説明を3名それぞれに行う必要が生じ,顧客への挨拶回りも3名それぞれを伴って行うこととなって,通常の異動よりも引継業務が多くなったこと,平成9年4月に名寄支店の支店長となっていた春山一郎(以下「春山支店長」という。)から引継事項書を平成10年3月27日までに作成するよう指示されたこと,顧客への挨拶回りを2回行ったことが原因であった。

(エ) 夏川二郎支店長代理(以下「夏川代理」という。)の職務の代行

原告は,夏川代理が支店長代理として名寄支店に着任した平成8年4月以降,同代理には得意先担当代理の経験がなく,情報系端末の使い方も知らなかったため,同代理が行うべき仕事と自分の仕事の両方を行わざるをえなかったことから,業務量が増大するとともに責任も重くなり,その心理的負担は相当重いものであった。

(オ) 原告に対するいじめ

原告は,名寄支店勤務当時,夏川代理からいじめられており,平成9年4月に春山支店長が着任した以降は,両名から,およそ業務上の指示とはいえないことについて注意を受け,些細なことでいじめられるようになり,ときには「このままでは銀行にいられなくなるぞ。」と退職を強要するかのような発言をされたこともあった。このように,いじめの相手が原告の上司であって,日常業務において接する機会が多く,内容もひどいものであったことから,これによる原告の心理的負荷は相当程度大きいものであった。

(カ) 野幌支店における融資業務

原告は,野幌支店において,それまでに経験のない個人融資が主体となる融資係に配属されたが,同支店への異動当時,融資係は繁忙であり,業務を行うに際し相当な時間と労力を要した。

また,原告は,同支店において,約8年ぶりに法人融資業務及び外貨両替業務を担当するようになったが,訴外銀行は,それまでの間にオンラインシステムを大幅に変更しており,同システム変更に際しての研修を受講していない原告に対し,何らの配慮もしなかったため,原告としてはオンラインシステムの操作方法の習得を本来の業務の他に行わなければならず,相当な心理的負担を強いられた。

さらに,原告が業務に関して相談しようとしても,同支店の秋山三郎支店長代理(以下「秋山代理」という。)は,「主任なんだから自分で考えろ。」と言うだけで,それ以上のフォローをしなかった。

また,原告は,融資業務以外にも,火災保険の管理や外貨両替業務,セーフティケースの鍵紛失に対する対応などを担当せざるを得ず,このような本来の業務以外の業務を行わなければならなかったことが,原告にとって一層の心理的負担になった。

(キ) 本部検査による業務量の増大

原告が野幌支店に着任した当日から4日間,同支店に対する本部検査が実施された。同検査は,訴外銀行本部が各支店に対して行うものであるところ,その結果が支店長の賞与査定に影響を及ぼすものであるため,各支店にとっては減点対象とならないように慎重に対応する必要があった。原告は,支店長から検査官の対応を任せられ,赴任前のものも含めて本部検査に対応したことから,大きな心理的負荷を受けた。

(ク) うつ病発症後の訴外銀行の対応

a 出勤の強要

原告は,うつ病を発症した後の平成10年8月19日,野幌支店の冬木四郎支店長(以下「冬木支店長」という。)に病状を説明するとともに約1か月半の自宅療養が必要であるとの診断書を提出したが,同支店長から「期間が長すぎる。これは認められない。支店長預かりにする。」と言われたため,療養することができず,精神的不安定なまま業務を続けざるをえなくなった。

b 配置換え及び退職の強要

(a) 訴外銀行は,原告がポロナイクリニックの高塚医師から「精神的負担を避けるため,現状では配置換えをしないように。」と言われており,その指示を訴外銀行に伝えていたにもかかわらず,平成10年10月20日ごろ,合理的な理由なく,原告を営業係に配置換えした。営業係は入行1年目の行員が行う仕事であったため,入行15年目で自分の仕事に自信を持っていた原告は耐え難い屈辱を感じた。

(b) 原告は,平成10年7月13日,人事部部長代理と面談した際に,同人から「進退を考えた方がよい。職員向け住宅資金融資も一般の住宅ローンに借換えすれば問題はない。」と暗に退職を促された。

また,同年10月12日,原告が野幌支店に出勤すると,冬木支店長と北野五郎支店長代理(以下「北野代理」という。)に強引に車に乗せられて自宅に連れ戻され,原告の妻や父親の同席のもと,冬木支店長から休暇を取るよう指示された。原告は,退職の強要と感じ,これによる精神的苦痛は相当なものであった。

また,同月20日ごろ,原告が出勤すると,原告の座席が係の一番末席に移されていた。この扱いは,原告を暗に退職させるための準備である。

さらに,同年11月10日から原告が有給休暇を取って休養していたところ,同月14日,北野代理が退職願等の書類を持参して原告の自宅を訪れたが,退職願の書類には,既に原告の氏名のゴム印が押されていた。

ウ まとめ

前記イで述べた経緯に照らすと,原告は,名寄支店に勤務していたころから心理的負荷を受けており,異動先の野幌支店において一層大きな心理的負荷を受けて,うつ病を発症し,その後,原告のうつ病発症が明らかになったにもかかわらず,訴外銀行が療養を認めないなどの対応をとったことにより,原告のうつ病を悪化させたものである。

なお,仮に業務起因性の判断基準について被告の主張する基準によるとしても,①名寄支店から野幌支店への異動及びうつ病発症後の業務によって原告が受けた心理的負荷は,原告と同種の労働者にとって,うつ病を発症させるおそれのある程度の強度の心理的負荷であったといえ,②原告に業務以外の出来事による心理的負荷がないこと,③原告に特段の個体側要因がないことからすれば,原告のうつ病は,業務上の心理的負荷を要因として発症したといえ,原告の従事した業務とうつ病の発症との間には相当因果関係が認められる。

(被告の主張)

ア 精神疾患における業務起因性の判断基準

(ア) 業務起因性が認められるためには,条件関係が認められるのみならず,業務と疾病との間に,法的に労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)が必要である。

また,労災保険が使用者の災害補償責任を担保するための制度であり,労働者が従属的労働契約に基づいて使用者の支配管理下にあることに鑑みると,労務を提供する過程において,業務に内在する危険が現実化して傷病が引き起こされた場合には,使用者は,当該傷病の発症について過失がなくてもその危険を負担し,労働者の損失填補に当たるべきと解するのが相当であるから,相当因果関係が肯定されるためには,当該結果が当該業務に内在する危険の現実化と認められることが必要である。

そして,精神障害については,環境由来のストレスと個体側の反応性及び脆弱性との関係で精神破綻が生じるかどうかが決まること(「ストレス―脆弱性」理論)からすれば,条件関係が認められるためには,業務上の一定以上の大きさを伴う客観的に意味のあるストレスが発病に寄与しており,当該ストレスがなければ精神障害は発病していなかったとの関係が高度の蓋然性をもって認められる必要がある。

また,精神障害の発症には,複数の原因又は誘因が競合し,その複数の原因等が結果発生に対して絡み合っているのが通常であり,その結果発生への影響も強弱様々であることからすれば,相当因果関係が認められるためには,①当該業務が危険(過重)であると認められること(危険性の要件),②当該精神障害が当該業務に内在する危険の現実化として発症したと認められること(現実化の要件)が必要である。

①についてみると,ストレスの受け止め方は個々人によって異なることから,当該特定人が受け止めたストレスの大きさを当該特定人を基準として判断すると,精神障害を発症した当該特定人にとっては,そのストレスは常に精神障害を発症させるに十分な大きさを有することになり,ストレスの大きさの問題と当該特定人の個体側の反応性,脆弱性の問題を区別することができなくなるから,業務の危険の程度は,当該業務の内容や性質に基づいて客観的に判断されるべきであり,あくまで平均的な労働者,すなわち,日常業務を支障なく遂行できる労働者を基準としなければならない。業務によるストレスが精神医学的に見て精神障害を発病させる程度に強いと認められない場合には,業務以外のストレスか,または脆弱性という個体側の要因によって発病したと理解するほかはない。

次に②については,仮に精神障害の発病に業務が何らかの寄与をしていることが認められる場合であっても,業務外の要因がより有力な原因となって精神障害の発病をもたらした場合には,当該疾病は,業務外に存在した危険(当該労働者の私的領域に属する危険)が現実化して発病したものであるから,相当因果関係は認められない。

(イ) 平成11年9月14日付け基発第544号労働省労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(以下「判断指針」という。(乙4))は,このような考え方を基本として,①対象疾病に該当する精神障害を発病していること,②対象疾病の発症前おおむね6か月の間に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること,③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発症したとは認められないことの3要因をいずれも満たす場合に,業務上の疾病とすべきであるとしている。そして,業務による心理的負荷の強度の評価に当たっては,当該心理的負荷の原因となった出来事及びその出来事に伴う変化等について,判断指針の別表1の「職場における心理的負荷評価表」を指標として,総合的に検討する必要があるとしている。

同表は,①当該精神障害の発病に関与したと認められる出来事が,一般的にはどの程度の強さの心理的負荷と受け止められるかを判断する欄,②出来事の個別の状況を斟酌し,その出来事の内容等に即して心理的負荷の強度を修正する欄,③出来事に伴う変化等がその後どの程度持続,拡大あるいは改善したかについて評価するための欄から構成されており,業務による心理的負荷の強度の評価は,まず①及び②により当該精神障害の発病に関与したと認められる出来事の強度が次のⅠ,Ⅱ,Ⅲのいずれに該当するかを評価した上,次に③によりその出来事に伴う変化等に係る心理的負荷がどの程度過重であったかを評価し,その上で出来事の心理的負荷の強度及びその出来事に伴う変化等に係る心理的負荷の過重性を併せて弱,中,強の総合評価をすることとされている。なお,②及び③を検討するに当たっては,本人がその出来事及び出来事に伴う変化等を主観的にどう受け止めたかではなく,同種の労働者,すなわち,職種,職場における立場や経験等の類似する者が,一般的にどう受け止めるかという観点から検討されなければならない。

その際の手順は,a,b,cのとおり行うこととされている。

a 出来事の心理的負荷の評価は,同表の「平均的な心理的負荷の強度」欄のどの具体的出来事に該当するかを判断して,平均的な心理的強度をⅠ(日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷),Ⅱ(ⅠとⅢの中間に位置する心理的負荷),Ⅲ(人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷)のいずれかに評価し,出来事の具体的内容,その他の状況等を把握した上で,同表の「心理的負荷の強度を修正する視点」欄に掲げる視点に基づいて修正の要否を検討する。

b 次に,出来事に伴う変化等による心理的負荷は,出来事に伴う変化として,同表の「出来事に伴う変化等を検討する視点」欄の各項目に基づき,出来事に伴う変化等がその後どの程度持続,拡大あるいは改善したかについて検討する。具体的には,仕事の量(労働時間,仕事の密度等)の変化,仕事の質の変化,仕事の責任の変化,仕事の裁量性の欠如,職場の物的,人的環境の変化,支援・協力等の有無を考慮する。

c そして,a,bの手順によって評価した心理的負荷の強度の総体が,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある強度の心理的負荷と認められるか否かについて業務による心理的負荷の強度の総合的評価を行う。

なお,生死に関わる事故への遭遇等心理的負荷が極度のもの,業務上の傷病により6か月を超えて療養中の者に発病した精神障害及び極度の長時間労働が認められる場合には,上記a,b,cに関わらず,心理的負荷は「強」と評価できるものとされている。

業務以外の心理的負荷の強度は,発病前おおむね6か月の間に起きた客観的に一定の心理的負荷を引き起こすと考えられる出来事について,判断指針の別表2の「職場以外の心理的負荷評価表」により評価する。その際,個体側要因として,精神障害の既往症,生活史,アルコール等依存状況及び性格傾向について考慮すべき点が認められる場合は,それが客観的に精神障害を発病させるおそれがある程度のものと認められるか否かについて検討する。業務以外の心理的負荷,個体側要因が特段認められない場合で,業務による心理的負荷が「強」と認められる場合には,業務起因性があると判断して差し支えない。業務による心理的負荷が「強」と認められる場合であっても,業務以外の心理的負荷又は個体側要因が認められる場合には,業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷の関係について検討を行う必要があるが,業務以外の心理的負荷が極端に大きかったり,強度Ⅲに該当する出来事が複数認められる等業務以外の心理的負荷が精神障害発病の有力な原因となったと認められる状況がなければ,業務起因性があると判断して差し支えない。また,個体側要因に問題が認められる場合にも,業務による心理的負荷と個体側要因の関係について検討を行う必要があるが,精神障害の既往歴や生活史,アルコール等依存状況,性格傾向に顕著な問題が認められ,その内容,程度から個体側要因が精神障害発病の有力な原因となったと認められる状況がなければ,業務起因性があると判断して差し支えない。

イ 本件へのあてはめ

原告の主張する名寄支店及び野幌支店における種々の出来事は,いずれも銀行業務における通常業務の範囲内のもので,他の行員に比して過重であるということはできず,客観的にうつ病を発症させるおそれのある業務による強い心理的負荷を認めることはできないから,原告のうつ病は,訴外銀行の業務に起因するものとはいえず,原告の個体側の要因によるものというべきである。

(ア) 長時間労働はないこと

訴外銀行の超過勤務命令簿によれば,原告の平成10年3月の時間外労働は14時間30分,同年4月の時間外労働時間は13時間30分とされており,その10倍以上の時間外労働があったとは考えられない。同年4月は,本部検査が実施されたにせよ,本来業務においては,支店としてそれほど忙しい時期ではなかった。

(イ) 名寄支店における引継業務

後任者への引継書は,大部にわたるものではないし,また,人事異動に伴って後任者が複数であることは通常あり得ることであって,これによって引継業務が大幅に増加することはない。したがって,これにより原告に心理的負荷が生じることはない。

(ウ) 支店長代理業務の代行

夏川代理は得意先担当の経験があるし,そもそも支店長代理の職責を代理経験のない原告が代行したとは考え難い。また,支店長代理の補佐をすることは主任の職務の範囲内であるし,補佐をした場合の責任はあくまで支店長代理にあるから,原告の心理的負荷が大きいとは認められない。さらに,情報系端末の操作はさして難しいものではない。

(エ) 原告に対するいじめ

夏川代理と原告が言い争うことはあったが,これは支店の得意先業務に関して,原告が退職金等について預金獲得のための夜間営業の指示に非協力的であったことによるものであって,いじめをしていたとの事実はない。したがって,原告に,上司との関係における心理的負荷は認められない。

(オ) 野幌支店における融資業務

原告は,八戸支店で融資全般を担当した経験があり,直前の名寄支店でも個人渉外業務の一つとして個人融資の借換えに携わっていた。また,オンラインシステムについては,研修を受けた者も受けていない者も存在し,原告一人が研修を受けていないものではない。

秋山代理は,原告に対して「分からないときは規程集で勉強するように。」と指導しており,業務としても,原告がしばらく融資業務から離れていたことから,急な融資事案が当たらないようにするなどの配慮をしていた。

(カ) 本部検査による業務量

本部検査は,初日と2日目は準備のために午後10時を超えることはあったが,3,4日目はそれほど作業はなく,また,検査者との対応は,1日中立会いをしているわけではなく,窓口にいて呼ばれると立会いをするという程度のものであって,通常の主任の立場を超えた対応業務をしたものではない。原告の業務量が他の職員に比して特に過重であったとは認められない。

(キ) うつ病発症後の訴外銀行の対応

a 訴外銀行が原告に対して出勤を強要した事実はない。

b 配置換えについては,原告がうつ病を発症したことから,その業務を軽減するために行われた措置であり,座席の変更も担当替えによるものである。

c また,冬木支店長と北野代理が原告を車に乗せて,訴外銀行から原告の自宅まで送って行ったのは,原告のうつ病の状態が良くなく,仕事を続けられる状態ではないと判断したからであり,北野代理が原告の自宅に退職願等の書類を持って行ったのは,冬木支店長と北野代理が原告を自宅まで送って行った際に,原告の父親から原告を退職させる旨の話があったため,退職願を届けたのであって,退職の強要などではない。

ウ 本件においては,原告は気分変調症を発病しているから,前記ア(イ)の①の要件は満たすが,業務による心理的負荷は判断指針の別表1の「強」であるとは認められないから,同②の要件を満たさない。なお,本件のように,たとえ業務以外の心理的負荷や個体側要因に特に問題がみられない場合でも,業務による心理的負荷の総合評価が「強」であると認められない場合には,業務外とすべきである。これは,業務による心理的負荷の総合評価が「強」とならなければ,そもそも客観的に精神障害を発病させるおそれがある程度の負荷とはならないからであり,この場合「ストレス−脆弱性」理論によって,形に現れない脆弱性という個体側要因が原因であると理解されるからである。したがって,本件においても,原告の発病は,外面からは個体側要因には特に問題が認められないが,形に現れない脆弱性が原因であったと理解すべきである。

(2)  消滅時効の成否(争点(2))

(被告の主張)

平成13年8月16日付け休業補償給付支給請求のうち,平成10年12月1日から平成11年8月15日までの休業補償給付請求権(支給決定請求権)については,同支給請求の時点において,各休業日の翌日から既に2年を経過している(労災保険法42条)。よって,被告は,本件において,上記期間258日分の休業補償給付請求権につき消滅時効を援用する。

なお,時効の起算点につき原告の主張を前提としても,原告は,平成10年5月6日に仕事に対する不安等を主訴として受診した札幌こぶしクリニックにおいて「うつ病」等と診断されているから,この時点でその発症が業務に起因するものであることを知ったというべきである。

(原告の主張)

争う。被災者である労働者の救済を目的とする労災保険法の趣旨からすれば,時効の起算点は,請求権行使が客観的に可能であるのみならず,その発症が業務に起因するものであることを知った時とすべきである。そして,原告がうつ病の発症について訴外銀行の業務に起因するものであることを知ったのは,植苗病院の医師から症状の契機が職場の人間関係ではないかなどと指摘された時点であるから,少なくとも原告が同病院に入通院していた平成11年11月26日以降である。したがって,休業補償給付請求権は時効により消滅していない。

第3  当裁判所の判断

1  前記前提事実並びに証拠(甲1,5ないし9,乙2ないし18,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,本件の事実経過につき以下の事実を認めることができ,同認定を左右するのに足りる証拠はない。

(1)  原告の健康状態等(乙2の169頁ないし174頁)

原告は,平成8年7月,平成9年7月及び平成10年9月にそれぞれ定期健康診断を受けているが,平成9年の定期健診で血圧判定について「要精密検査」とされ,各定期健診において肝機能,脂質,電解質,血液等の各判定について「要経過観察」とされたことがあるほかは,特に異常所見は認められていなかった。

原告は,物静かで自分から積極的に話をするタイプではなく,元来神経質で,仕事についてはきっちりとこなし,間違いをせず完璧にしようとするところがあった。

(2)  名寄支店における平成8年4月以降の原告の業務内容等

ア 原告の担当業務等

原告は,平成6年1月に名寄支店に異動してから,得意先係を担当していたが,その主な業務は,出勤後外勤し,昼に一旦戻って,預かった現金等を処理し,午後再び外勤して,午後4時30分ころ銀行に戻り,その日の業務内容を機械入力して報告するというもので,外回り主体であった。また,名寄支店勤務当時,時間外労働は常態化していなかった。

イ 上司との人間関係

平成8年4月に名寄支店の支店長代理に着任した夏川代理は,仕事上の細かい指示を出すことが多く,原告に対しても,同様にしばしば些細なことについてまで注意をしたことから,原告は,次第に夏川代理と衝突するようになり,言い争って,原告が声を荒げることもあった。

また,原告は,平成9年4月に同支店に着任した春山支店長とも折合いが悪く,原告がタブカラーのワイシャツやアームバンドを着用して勤務についていたことにつき,同支店長は,顧客が抱く金融機関としての信頼感や安心感を重視する考えから,原告に対し,これらの着用をやめるように注意をしたこともあって,同支店長と言い争うことも多かった。

平成10年10月ころからは,夏川代理と原告が仕事上のことで衝突した際には,夏川代理が一方的に話をするだけで,原告が反論することはほとんどなく,また,原告は,このころから,飲み会に出ても早く帰宅するようになった。

ウ 野幌支店への異動に際しての引継業務

原告は,平成10年3月23日,名寄支店から野幌支店への異動を告げられた(なお,当時の名寄支店の職員総数は13名であった。)。訴外銀行においては,転勤発令の1週間前に内示があり,発令後1週間以内に新任地に赴任することになっていたため,原告は,同日から同月26日までの間,通常の業務と並行して異動に伴う引継業務を行った(引継業務と通常業務を並行して行うことは,訴外銀行においてはままあることであった。)。

引継業務の主な内容は,①引継書(引継事項のうち,重要事項のみをとりあげたもの。)の作成,②A4版ドッチファイル(引継書を補完するもの。)の作成,③挨拶回り等であった。

まず,引継書については,転勤に伴って通常作成しなければならない書類であり,その内容は,顧客名・顧客の経営状態・預金内容・家族状況・身体状況等を記載する部分(原告が実際に作成した引継書では6頁分)が中心で,作成に手間がかかるが,その余の12頁分は,預金,融資,取引内容をデータ化した顧客条件検索明細表等が添付されているため作成にそれほど手間はかからないものであって,勤務時間中に作成できないとしても,それほどの時間を要するものではなかった(原告の作成した引継書は,全体でA4版にして18頁ほどであった。)。

次に,A4版ドッチファイルについては,新規工作,退職金工作,地権者工作等を対象先毎に,話の内容及び時期,相手の感触,今後の対応等を記載したもので,項目毎に,一覧表と進捗状況,管理表が記載されている。原告が作成したドッチファイルの厚さは約5センチメートルであったが,このうちの半分は,得意先係の担当者から担当者へと引き継がれる顧客カードであって,原告の作業としては,既に従前の担当者によって作成されていた部分に引き続いて,これまでの日常業務の中で自ら作成済みのメモを転記し,それを一覧表にして進捗状況表を作成するというものであり,ドッチファイルの3分の1は,地図等を記載したものであった。

挨拶回りについては,金融機関の得意先担当者として,異動間際の短期間に複数回行った。

エ 平成10年3月当時の所定外労働時間

同月1か月間の原告の所定外労働時間は,おおむね別表1の「認定」欄中の「時間外労働」欄記載のとおり,合計42時間35分であった。

(3)  野幌支店における原告の業務内容

ア 原告の担当業務

(ア) 原告は,平成10年4月,野幌支店(当時の職員総数は19名であった。)に異動し,融資係(個人融資係,法人融資係,外貨両替担当)主任として配属され,主に個人融資を担当した。

個人融資係は,住宅金融公庫・住宅ローンの借換え業務,有担保ローン・無担保ローン,マイカーローン,リフォームローン,年金担保などの業務を担当する。

原告は,八戸支店で,昭和63年8月から平成2年3月まで融資全般を担当した経験があり,直前の名寄支店でも,得意先担当として個人融資の借換えに携わっていた。

(イ) 原告が野幌支店に異動した当時,同支店の融資係には4名が在籍しており,原告が融資業務を離れていたことを考慮し,融資係全体の担当分担は,次のとおりとなった。

a 秋山代理 融資担当支店長代理

b 南野六郎(主任。以下「南野主任」という。)法人融資

c 原告(主任) 個人融資,法人融資(南野主任の元担当業務)

d 東野花子 住宅金融公庫融資

(ウ) 平成10年4月当時の融資係の業務は,平成9年の旧拓銀破綻の影響による業務量の増加が一段落した時期で,同支店としてもそれほど忙しい時期ではなく,それでも午後8時ころまで残業することは常態化していたものの,遅くとも午後9時以降も残業することはなかった。また,野幌支店は,法人融資より個人融資の件数が多い支店であり,個人の借換えが多い時期であったが,前任者の南野主任が同支店に勤務していたことと,着任して1か月程度であったことから,原告の融資取扱件数はそれほど多くはなかった。

(エ) 融資係の業務は,①支店の窓口で融資に関する受付をし(受付業務),顧客に添付資料の提出を指示して,②書類が整った時点で回議票を作成し(回議票作成業務),支店長決裁を受けた後,③実際に顧客に融資を実行すること(実行業務)である。融資の決定は,支店長決裁又は本部決裁となっているため,原告としては,決裁前の関係資料のチェック・収集が融資係としての重要な仕事となる。

平成10年4月の野幌支店における受付件数は6件であり,回議票作成件数は7件,実行件数は15件であった。このうち,原告が関与した無担保ローンの受付件数は3件であり,この3件について回議票を作成した(ただし,うち1件は融資不可となったため,実行件数は2件であり,この2件についても,実行は5月以降に行われたため,原告は関与していない。)。また,得意先担当が受け付けた融資について2件の実行を担当した。

回議票の作成には,ある程度の時間が必要となるが,実務に要する時間は無担保ローンの場合,2,3時間程度である。融資を実行する場合,融資係では貸付実行票を作成するが,金額,口座番号等を記入するのに要する時間は1分程度である。

融資係のその他の業務としては,窓口で融資に関する相談を受ける業務(相談業務)があり,一般的には,ⅰ行内文書で金利の情勢を把握した上,顧客データを取得し,ⅱ返済明細等で現在の融資の内容を把握し,ⅲパソコンに実際のデータを入力し,当初融資額・金利情報・融資実行日・返済期間・既支払期間・毎月返済額・ボーナス返済額・ゆとり償還の有無・融資残高・総支払予想額を把握し,ⅳ肩代わりに伴う諸費用を実際に計算し,ⅴ提案書(返済明細表を何パターンか作成するというもの。)を作成するという手順で行われる。なお,当時,特段問題のある個人顧客はおらず,大きなトラブル等はなく,一方で平成10年4月に原告が相談業務を受けたもののうち融資実行に至った案件は1件もなかった。

イ 本部検査(平成10年4月6日から同月9日まで)

原告が野幌支店に初出勤した同年4月6日から4日間,訴外銀行本部による同支店の検査が実施された。

融資係は,準備のための関係書類の量が最も多く,各書類の整備・準備・後整理にもかなり時間がかかるため,初日と2日目については,午後10時以降まで残業が必要な状況であったが,3日目と4日目については,全般にそれほど忙しい状態ではなかった。

また,臨店する検査者の対応者は,基本的には,支店長,支店長代理,主任以上であるところ,原告は主任であったが,検査の対象が過去1年間の業務であるため,転入者であった原告の立会いの場は少なかった。具体的には,1日目の現物監査が実施される際,ATMを開けるときや通帳を出すときに立ち会い,2日目,3日目及び4日目(4日目については午前中)に臨店者に説明を求められた際に,全部で10件ほどの融資案件について説明をするために立ち会った。

ウ 平成10年4月の所定外労働時間

同月の1か月間の所定外労働時間は,おおむね別表2の「認定」欄中の「時間外労働」欄記載のとおり,合計85時間35分であった。

なお,原告は,秋山代理の近所に住んでいたため,平成10年4月7日から同年5月7日までの毎朝,秋山代理が自家用車で原告の自宅まで迎えに行き,一緒に通勤していた。

(4)  うつ病の発症及びその後の原告の勤務状況

ア うつ病の診断に至る経緯

原告は,平成10年4月6日(着任日)から同月10日(金曜日)までの間,夜中に大量の寝汗をかき,ほとんど眠れないようになり,この間に体重が5キログラムも減少した。

原告は,平成10年4月11日か12日ころ,家族で買い物に出かけた際,ビルの7階くらいにある駐車場において,ここから下に落ちたらどんなに楽かと思ったことがあり,このように思ったことに衝撃を受けた。

原告は,平成10年5月6日,たまたま看板が目に入った札幌こぶしクリニックを受診したところ,心因反応との病名のもと,「病状は極めて不良で,今後約2週間の自宅療養,通院加療を要す。」との診断を受けた。なお,心因反応という病名は,担当医が,診断名であるうつ病と直接記載すると原告にとって不都合が生じるのではないかと考えて記載したものであった。

イ うつ病診断後の勤務状況

(ア) 原告は,うつ病との診断を受けた翌日である平成10年5月7日から同月20日まで欠勤し,同月21日,野幌支店に出勤した。

(イ) 原告は,その希望により,同月25日に得意先担当に配置換えとなり,同年7月6日まで得意先担当として同銀行に勤務したが,同月7日再度体調を崩し,こぶしクリニックにおいて,心因反応により「今後約1か月間の自宅療養を要す。」との診断を受けたため(乙10),同日から同月31日まで欠勤した。

(ウ) 原告は,その後も回復傾向と悪化を繰り返し,同年8月1日から同月10日まで出勤したものの,同月11日から同月21日まで欠勤し,この間,こぶしクリニックにおいて,同月18日付けで,心因反応との病名のもと,「病状は不安定で9月末までの自宅療養を要す。」との診断を受けていたが,あえて同月22日から同年10月5日まで出勤し,同月6日欠勤(1日)した後,同月7日から同月11日まで出勤した。

(エ) 冬木支店長と北野代理は,同月12日,出社してきた原告の様子がおかしく,躁状態であったように見えたため,仕事をすることは無理と判断し,野幌支店から原告の自宅まで原告を車で送った。その際,冬木支店長と北野代理は,原告の自宅において,原告の妻と父親同席のもと,休暇を取得するように説得した結果,原告は,同日から同月23日までの休暇を取得した。

(オ) 原告は,同月26日から出勤し,同年11月9日まで勤務したが,訴外銀行は,うつ病を発症した原告の業務を軽減する目的で,10月26日から原告を窓口新規担当に係替えとし,原告の座席を係の一番末席に移動させた。その後,原告は,11月10日から同月30日まで欠勤した。

(カ) この間,北野代理は,同月14日に,原告の氏名のゴム印を押した退職願等の書類を原告の自宅まで持参した。原告は,これを受けて同月17日,退職願等の書類を訴外銀行に提出した。

(5)  精神障害(うつ病)に関する医学的知見(甲3,乙4ないし9)

ア 現在の精神医学においては,精神障害の成因は,疾患により程度の差はあっても,素因と環境因(身体因,心因)の両方が関係しており,同一の精神障害でも,両要因の関与の程度はそれぞれの事例によって異なるものと理解されており,精神的破綻が生ずるか否かは,環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で決まるとする考え方(「ストレス―脆弱性」理論)によって精神障害を理解することが一般的に受け入れられている。この考え方によれば,環境由来のストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に個体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが小さくても精神障害が起きることになる。なお,この場合のストレス強度は,環境由来のストレスを,多くの人々が一般的にどのように受け止めるかという客観的な評価に基づいて理解される。また,今までに何の問題もなく就労していた人間が,特に心理的負荷がかからないのに,突然精神障害を発症する場合がある。

イ うつ病の治癒については,反復性の認められる精神障害の既往がある場合と異なり,個体側の心理面の反応性,脆弱性があまり問題とされない心理的負荷による精神障害にあっては,その原因を取り除き,適切な療養を行えば全治することが多いとされている。また,適切な療養期間については,目安を示すことは困難であるが,業務による心理的負荷による精神障害(うつ病)にあっては,精神医学上3か月から9か月で治癒する例が多いとされている。

ウ 躁状態になった場合には,一般的に,気分の異常,意欲の異常,思考の異常が現れ,論理の飛躍が目立ったり,万事に誇大的となったりする傾向がある。

2  以上に認定した事実のうちの所定外労働時間につき,原告は,平成10年3月及び4月における所定時間外労働時間は,別表1,2の各「原告の主張」欄記載のとおりであった旨主張するので,この点について検討するに,訴外銀行における所定時間外労働時間は,午前8時40分から午後5時までであるから,これを超える残業並びに土曜,日曜及び祝祭日における休日労働が所定時間外労働に当たることになる。

そこで,まず,その直接の裏付けとなる超過勤務命令簿(乙2の156頁ないし163頁)の正確性ないし信用性についてみると,証拠(乙2の261頁ないし268頁)によれば,超過勤務の管理は,規定上,管理職が,勤務時間終了間際に超過勤務が必要かどうかを行員に確認し,申告があれば必要性を検討の上,超過勤務命令簿に必要事項を記入し,超過勤務終了時に終了時刻を記載して,当日か翌日に支店長の決済を受けることとされており,担当係責任者及び本人(原告)の印鑑が押捺されていること,平成10年4月6日から同月9日までの命令簿には,同月6日は午後8時30分,同月7日は午後6時30分,同月8日は午後7時,同月9日は午後6時30分がそれぞれ終了時刻として記載されているが,原告がそのころ日々メモをつけていたと認められる(原告本人)原告作成の手帳(甲7)のメモ記載と異なる上,当時の野幌支店の秋山代理も,厚生労働事務官に対する聴取書(以下,単に「聴取書」という。)の中で本部検査の1日目及び2日目については午後10時過ぎまで残っていたことを肯定する供述をしていることに照らすと,勤務実態を正しく反映したものということはできない。

これに対し,原告は,平成10年3月,4月当時,自分の手帳(甲7)に始業時刻及び退行時刻を書き留めていたのであるが(原告本人),これは,原告が自分より早くに退行した行員の方が多く超勤手当がついていたために,銀行が行員の勤務時間を把握していないことに危惧を覚え,自分自身で就労時間を把握するしかないという動機から書き始めたものであること(甲9)及びその体裁に照らし,自己の労働時間をおおむね正確に記載しているものと推認できる一方,手帳に記載された以上の時間外労働は基本的にはなかったものと推認できるというべきである。

次に,手帳に記載されていない平成10年4月15日以降の終業時刻については,証拠(乙2の272ないし274頁)によれば,前年である平成9年4月における野幌支店の受付件数は10件,回議表作成件数は11件,実行件数は32件であり,平成10年4月にはほぼ半減していたこと,平成9年4月当時の同支店の人員に比較して平成10年4月当時の人員が特別に少ないということはできないと認められることに照らすと,冬木支店長が聴取書(乙14)において北海道拓殖銀行の破綻が一段落して,おおむね落ち着いており,残業時間は平均して2時間程度である旨供述し,秋山代理も聴取書(乙15)において北海道拓殖銀行破綻後の仕事が一段落して仕事的にはそれほど忙しくなかったが,大体午後8時くらいまで残業していた旨供述していることに信用性が認められるというべきであるから,別表2の「原告の主張」欄中の「終業時刻」欄記載部分を採用することはできない。この点に関し,原告は,「平成10年4月ころは1日に3ないし5件の個人融資の相談を受けており,年金担保貸付けの相談も3件受付しており,江別市の融雪資金特別融資に関する相談も4件あった。住宅ローンでは北海道拓殖銀行破綻による借換相談が急増し,1日5,6件の相談を受けている。」などとも主張し,原告は,その本人尋問においてこれに一部副う供述をするが,他にこれを裏付けるべき客観的な証拠はなく,仮に同主張を前提としても,かかる相談業務をこなすことにより,常態として午後8時を超えて残業をしていたことを認めるべき的確な証拠はない。

また,始業時刻については,平成10年3月2日,同月16日及び同月30日を除いて,原告の手帳には記載されていないところ,原告は,名寄支店勤務当時は午前8時10分,野幌支店勤務当時は午前7時20分にそれぞれ出勤していた旨主張するものの,これに反する秋山代理の前記聴取書の供述記載に照らし,前記認定の時間外労働時間を超えて原告が時間外労働をしていたことを認めるに足りない。

また,休憩時間が30分しかなかったとの原告の主張についても,これを裏付けるべき適切な証拠が見当たらないから,これを採用することはできない。

さらに,平成10年3月5日,同月10日,同月30日及び同年4月10日の飲み会,同年3月23日から同月26日の持ち帰り残業,同年4月12日,同月19日,同月26日及び同月29日の自宅における休日の残業の主張については,飲み会に関しては事実上強制されていたと認めるに足りず,持ち帰り残業及び休日の残業については,休日であっても自分のやるべきことについて詳細に記載している原告の手帳(甲7)にかかる残業の記載が見当たらないこと,野幌支店における融資係の業務はこの当時忙しい時期とはいえなかったことに照らすと,いずれも採用することはできない。

また,原告は,自発的残業時間について,平成10年3月分は70時間5分又は80時間,平成10年4月分は174時間35分か156時間と主張するが,その算定時間は必ずしも明らかではなく,採用できない。

なお,証拠(乙2,原告本人)によれば,野幌支店への転勤に際しての認暇は,転勤に伴う前任地から新任地までの移動距離を考慮の上,会社が必要と認める範囲内において,発着の前後通計5日間を限度として有給休暇を付与する制度であるところ,本件においては認暇は認められなかったことが認められるから,別表1,2に記載の,平成10年3月30日,同月31日,同年4月1日及び同月2日の主位的主張について,これを全部時間外労働と認めることはできない。

3  争点(1)(業務起因性の有無)について

(1)  業務起因性の判断基準

ア(ア)  労災保険法に基づく保険給付(休業補償給付)の対象となる業務上の疾病については,労働基準法75条2項に基づいて定められた同法施行規則35条により同規則の別表第1の2に列挙されているが,精神障害であるうつ病の発症が労災保険給付の対象となるためには,同表9号の「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当することが必要であるところ,業務災害に関する休業補償の給付は,一定の事由が生じた場合に請求権を有する者の請求に基づいて補償が行われる制度であることに照らせば,これらの給付を受けようとする者が,請求にかかる各給付について自己に受給資格があることを証明する責任があるというべきであるから,業務起因性の立証責任は保険給付の請求者にあると解すべきである。

(イ)  そして,業務と精神障害の発症との間に業務起因性があるというためには,労働者災害補償制度の趣旨が,労働に伴う災害が生じる危険性を有する業務に従事する労働者について,その業務に内在し又は通常随伴する危険が現実化して労働者に傷病等を負わせた場合に,使用者の過失の有無にかかわらず被災労働者の損害を補償することにあるという危険責任の法理に基づくものであることからすれば,単に当該業務と疾病との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,業務に内在又は随伴する危険の現実化として精神障害が発症したと法的に評価されること,すなわち相当因果関係の存在が必要であると解される。

イ(ア)  精神障害の発症や増悪は,現代の医学的知見では,環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神破綻が生ずるか否かが決せられ,環境由来のストレスが強ければ個体側の脆弱性が小さくとも精神障害が起きる一方,個体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが弱くとも精神障害が起きるとする「ストレス―脆弱性」理論が広く受け入れられていることからすれば,業務と精神障害の発症との間の相当因果関係の有無を判断するについては,ストレス(業務による心理的負荷及び業務外の心理的負荷)と個体側の反応性,脆弱性を総合考慮し,業務による心理的負荷が,社会通念上,精神障害を発症させる程度に過重であるといえる場合に,業務に内在ないし随伴する危険が現実化したものとして,当該精神障害の業務起因性を肯定するのが相当である。

そして,業務による心理的負荷が社会通念上,精神障害を発症させる程度に過重であるといえるか否かの判断に当たっては,通常人を基準として,精神障害の発症の原因とみられる業務の内容,勤務状況,業務上の出来事等を総合的に検討するべきである。

ところで,個体側の要因については,客観的に把握することが困難である場合もあり,これまで特別な支障なく普通に社会生活を行い,良好な人間関係を形成してきていて何らの脆弱性を示さなかった人が,心身の負荷がないか又は日常的にありふれた負荷を受けたにすぎないにもかかわらず,あるとき精神障害に陥ることがあるのであって,その機序は,精神医学的に解明されていないことが認められる。

このように個体側の要因については,顕在化していないものもあって客観的に評価することが困難である場合がある以上,他の要因である業務による心理的負荷と業務以外の心理的負荷が,一般的には心身の変調を来すことなく適応することができる程度のものにとどまるにもかかわらず,精神障害が発症した場合には,その原因は潜在的な個体側要因が顕在化したことに帰するものとみるほかはないと解される。

業務そのものが一般的に過重なものであるといえない以上,たとえ本人にとって過重であり,他にストレスとなる要因が見つからなかったとしても,業務起因性があるとは認めることはできない。

(イ)  また,精神障害の発症自体については業務起因性を認めることができない場合であっても,発症後の業務が,社会通念上,客観的に見て,労働者に過重な心理的負荷を与えるものであって,これによって,既に発症していた精神障害がその自然の経過を超えて増悪したと認められる場合には,業務起因性を認めることができると解するのが相当である。

ウ この点に関し,原告は,業務の過重性と疾病の発症の増悪との間に合理的関連性があれば足り,仮に相当因果関係が必要であるとしても被告に相当因果関係が存在しないことの立証責任がある旨主張するが,ア,イで説示した労働者災害補償制度ないし労災保険法の趣旨に鑑みれば,かかる主張を採用することはできない。

(2)  本件へのあてはめ

ア 以上の見地から,原告のうつ病の発症,増悪について,業務起因性が認められるか否かについて検討する。

まず,前記認定の発症に至る経緯に照らし,原告がうつ病を発症したと推認できる平成10年4月から5月にかけての期間及びそれ以前並びにその後症状が悪化して訴外銀行を退職するに至る同年11月ころまでの間における,原告に対する業務上の心理的負荷について検討するに,前記認定のとおり,原告は,①名寄支店勤務当時,2人の上司と衝突することが多かったところ,②野幌支店への異動を命じられ,短期間に引継業務を行う必要が生じ,③異動後は慣れない職務に従事しながら,④1か月間で約85時間に及ぶ時間外労働をし,⑤そのうち着任当日から実施された本部検査に際しては当初の3日間,深夜に及ぶ時間外労働をしているのであって,これら一連の事実経過に照らすと,これらの業務による心理的負荷はそれなりのものがあったと推測されるところである。

しかしながら,以上の経過を総合的に考慮しても,以下に説示するとおり,これらの業務が社会通念上,精神障害を発症させる程度に過重であるとまでいうことはできない。すなわち,①上司との衝突があったとはいえ,その内容は,業務に関する細かい指摘が多かったというにとどまり,原告が主張するようないじめがあったと認めることはできないし,トラブルの程度はそれほど大きいものとは解されないこと,②原告は,それまでにも転勤を複数回経験しており,野幌支店への転勤も通常の異動であって,異動前の引継業務に関しても通常の引継業務以上のものであるとは認められないこと,③異動後の融資係の業務自体は慣れないものであったとしても,ⅰ野幌支店における個人融資の主体は住宅ローンの借換えであり,原告は名寄支店において住宅ローンの借換業務を行っていたのであるから,融資係のオンライン作業についても基本的なことは理解できたはずであり,ⅱオンラインシステム変更後に融資係に就いた者は,操作要領等により実務の中でその操作方法を習得しているのであって,原告についても実務の中でオンラインシステムの操作方法を習得することがさほど困難であったとは認められないこと(研修は必ず必要であったものとは認められない。),ⅲ原告は,前任者である南野主任の業務を引き継いだのであるが,同主任はなお野幌支店に在籍しており,急な融資案件が当面当たらないように配慮されていたこと,ⅳ野幌支店における業務はいずれも特殊なものではなく,融資係としての通常の業務であって,同支店の業務は当時それほど忙しいものではなかったこと,ⅴ原告は,八戸支店及び本店事務部において査定書を作っていたため,融資の事務の流れ,作業手順については理解していたことが窺われること,さらに,④平成10年4月の時間外労働時間は80時間を超えており,名寄支店勤務当時(異動の内示が出る前)に比較すると残業は多くなっているものの,野幌支店における業務の繁忙度は訴外銀行の支店の中ではほぼ中位であったことから,この程度の繁忙状況は既に経験済みであると解され,また,80時間を超える時間外労働を行った期間は1か月間にとどまること,⑤本部検査の期間中は深夜に及ぶ所定時間外労働があったが,3日間に止まることなどの諸事情を総合考慮すれば,同種の労働者において,その業務における心理的負荷が,社会通念上,精神障害を発症させる程度に過重であると認めるのは困難であると言わざるをえない。

他方で,原告に業務以外の心理的負荷があったことを窺うことはできず,当時既に顕在化していた個体側要因として顕著なものも見当たらないところではあるが,前記のとおり,業務が社会通念上,精神障害を発症させる程度に過重であるとはいえない以上,原告のうつ病発症が,業務に起因するものと認めることはできないというべきである。

この点に関し,藤田医師作成の平成18年1月23日付け意見書(甲1)には,症状の発生機序として「仕事上分からない事が多いまま,主任業務に適応せざるを得ず,大きな心理的負担を感じていたと思われる。」,「業務負担による反応性のうつ病と診断した。」,また,「仕事から離れている間は安定していたが,復帰に際して,また不安定となっていた。」などという記載があるが,同意見書は,患者である原告の訴えのみを聴取して業務による心理的負荷の大きさを判断していることが窺えることから,仕事を契機としてうつ病が発症したということを述べたにとどまると評価するのが相当であり,また,同医師作成の同年7月18日付け意見書(甲8)には,「脆弱性についての判断は慎重になされなければならず,原告については転勤前に就労に関する問題は起こしていなかったことから,単純に脆弱であるとはいえない。」旨の記載もあるが,通常人であれば精神障害を発症するような業務についていたとはいえない本件においては,上記意見書の記載により業務起因性を認めることはできない。

したがって,原告のうつ病が発症,増悪したことについての業務起因性を認めることができない。

イ この点に関し,原告は,①勤務時間の長時間化による心理的負荷,②仕事の量・質の変化による心理的負荷,③職場の人間関係による心理的負荷,④休業が認められないことによる心理的負荷,⑤退職強要,⑥配置転換による心理的負荷が課せられており,その負荷の程度はいずれも強く,同種の労働者と比較して業務内容が困難であり,過重であったと認められることから,客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷と評価することができ,また,原告には,業務以外の出来事として,特に心理的負荷となるようなものがあったとは認められないことに加え,精神的障害の既往症は認められず,健康状態に特別の異常は認められていなかったこと,これまでの生活史にも特段の問題はなかったこと,原告には同種の労働者において想定される範囲を超えるような性格の偏りもなく,本件異動後にうつ病を発症するまでは問題なく業務を行っていたことからすれば,原告に精神障害の発症する個体側要因はなかったと主張する。

(ア) しかしながら,①長時間労働による心理的負荷の点については,引継業務をしていた平成10年3月23日から同月27日までの間及び野幌支店において通常業務に就いていた平成10年4月10日以降は,前記認定のとおり,原告が主張するほどの長時間労働をしていたとは認められず,原告の主張はその前提を欠く。

また,野幌支店勤務当時には,名寄支店勤務当時(異動の内示が出る前)と比較すると長時間にわたる残業をしていたといえるが,訴外銀行の野幌支店における業務の繁忙さは全支店の中では中間的な位置にあり,過重な長時間労働であったとまではいえないこと,確かに平成10年4月における時間外労働時間は80時間を超えていたが,それは1か月間にとどまること,また,本部検査の期間は午前0時ころまでに及ぶ時間外労働が認められるが,それは3日間という短期間であったことからすれば,同種の労働者において,その心理的負荷が特に過大であるとは認められない。

(イ) ②仕事の量・質の変化による心理的負荷の点については,原告は,引継書作成のために自宅で毎日夜中の2時から3時まで残業せざるをえなかった旨,また,後任者が複数であったため,通常以上の作業が必要であった旨主張するが,引継書作成の点については,引継書は前記認定したとおりのものであるところ,その内容及び勤務時間中に作成できないとしても,それほどの時間を要するものとは考えられない旨の当時の西宮昭の厚生労働事務官に対する聴取書(乙2の98,99頁)中の同人の供述記載に照らし,また,原告自身,本件各処分に至る手続の中で上記主張とは異なる内容の供述をしていることに照らし,同供述部分をたやすく採用することはできないし,後任者が複数であることは人事異動にともなって通常あり得る事態であって,それによって得意先への挨拶回り等の引継業務が大幅に増加するものでも,業務の質自体が変わるものでもない。

また,原告は,個人融資はほとんど経験がなく,得意先担当の際に行った借換業務や個人渉外業務の際に行っていた借換業務は,融資係とは異なり,オンライン入力を要しない業務であるから,これをもって原告に個人融資業務の経験があるということはできない旨主張する。しかしながら,原告が異動直後融資係の融資業務に慣れていなかったとしても,前記アのⅰからⅴで述べたとおりの事情があることから,本件における異動後の仕事の質の変化は,多大な心理的負荷を与える業務であるとは言い難い。

また,代理が夏川代理に代わったことによって,原告の主任としての業務内容に変更があり,その補佐の業務が増えたとしても,代理を補佐することは,原告が就いていた主任職に求められる職務要件の一つであって,主任がこれを遂行すべきは当然であり,主任が代理の補佐業務を行った場合にも,そのことによる責任はあくまで当該代理が負うものである。したがって,原告が夏川代理の仕事全般をほぼ代行していたとは認められないことを併せ考えると,原告が代理の補佐をすることについて,心理的負荷が大きい業務であるとは認められない。

また,原告は,その他火災保険の管理や外貨両替業務の他,セーフティケースの鍵紛失に対する対応等,融資以外の業務も担当せざるを得なかったことにより,一層の心理的負荷がかかった旨主張するが,野幌支店は,原告の勤務当時19名の勤務体制で,融資係は代理を含め4名の小世帯であり,こうした中で職掌が定められていたとしても,業務全般について,総体としての来客の状況,事務量の一時的増減等により,各人が臨機応変に対処する必要があったのであって,それは小規模の支店においてはおしなべていえることであるので,これをもって原告の心理的負荷が過重であったと認めることはできない。

以上のように,仕事の量及び質の変化に関しては,転勤,引継書の作成,本部検査の対応,主任職のいずれについても,原告はそれまでの勤務の中で既に経験してきたものであって,本件においてもその範囲に収まるものであるから,同種の労働者を前提として,精神障害を発症させるほど,過大であったとは認めがたい。

(ウ) さらに,原告は③職場の人間関係による心理的負荷についても過重であった旨主張するが,前記説示のとおり,この点に関する心理的負荷は原告が主張するほど強いものであったとは解されない。このことは,原告が,平成11年中に植苗病院や千歳こぶしクリニックを受診していた当時,担当医に対し,平成10年4月の転勤時からの上司との葛藤やあつれきを述べるにとどまっていること(乙2の8,10頁),平成13年11月5日の聴取の際にも,平成14年7月26日付けの労災の審査請求書においても,さらに,同年8月22日の聴取の際にも,一貫して野幌支店長の叱責については指摘していたにもかかわちず,名寄支店勤務時における人間関係については問題としていなかったこと,平成14年11月11日付けの再審査請求に至って初めて主張された事由であることからも裏付けられるということができる。

(エ) さらに,原告が主張する④休業が認められないこと,⑤退職強要による心理的負荷についてみると,

a 原告は,平成10年9月末まで自宅療養が必要との同年8月18日付けの診断書を訴外銀行に提出したところ,冬木支店長から「期間が長すぎる。これは認められない。支店長預かりにする。」と言われたため,原告は療養することができず,精神的に不安定のまま業務を続けざるを得なかった旨主張するが,冬木支店長は,前記認定のとおり,平成10年10月12日に原告が出社した際,原告の症状が悪いと感じて,原告を自宅に送り届けていること及び同支店長の聴取書における供述記載に照らし,原告の上記主張を採用することはできない。

b 次に,訴外銀行が平成10年10月20日ころ営業係に配置換えをしたことが退職強要である旨主張するが,原告は同年5月6日にうつ病との診断を受けてから,その病状は一進一退であり,出勤と欠勤を繰り返していた状況にあったことから,業務の負担が少ない部署に配置換えとなったものであり,これをもって直ちに退職の強要があったとまでは言い難く,また,配置換えは原告の出勤状況,うつ病の状態からすればやむを得ないものと解されるから,これにより,ただちに強い心理的負荷が生じたと認めることはできない。

c また,原告は,同年10月12日,冬木支店長と北野代理が原告を自動車で自宅まで送り届け,休暇を取るように説得したことをもって,退職の強要に当たる旨主張するが,同年8月18日には病状不安定で1か月半の休養をとるように医師から指示を受け,同年10月6日に欠勤するなど,原告のうつ病の状態は必ずしも良くなかったことが窺われるのであって,原告の本人尋問における供述によっても,両名は休養するようにと言ったのであって,退職するようにとは言われていないというのであるから,このことをもって退職の強要に当たるということはできない。

d さらに,同年11月14日,北野代理が,原告の氏名のゴム印が押捺された退職願等の書類を原告の自宅まで持参してきたことについては,そもそも北野代理から退職願を訴外銀行まで取りに来るように求められたのに対し,体調不良を理由に取りに行けないことを回答したことから北野代理が届けるに至ったもので(原告本人),事務手続を遂行したに過ぎず,原告自身,上記手帳(乙2の211頁)の11月10日の欄に「退職」と記載していて,この時点で既に退職したと認識していたと推認できることからも,退職の強要であったとは認められない。

ウ  以上に検討したところを総合すると,平成10年3月,4月の名寄支店及び野幌支店における原告の業務は,いずれも原告に対して強度の心理的負荷を与えるものということはできず,うつ病発症後の訴外銀行の対応を含め,本件において,業務による心理的負荷が,社会通念上客観的にみて精神障害(うつ病)を発症させる程度に過重であったということはできない。

エ 判断指針について

判断指針の内容は,被告の主張欄のア(イ)に記載したとおりであるところ,原告は,判断指針に照らしても,業務起因性が認められる旨主張するので,本件において,その認定要件を充足するかについて検討する。

本件において認定することができる具体的出来事を判断指針の別表1「職場における心理的負荷評価表」に当てはめると,名寄支店勤務当時において「上司とのトラブルがあった」(強度Ⅱ)といえ,また,野幌支店へ「転勤をした」(強度Ⅱ),異動直後に本部検査に対応し,時間外労働時間が増加した点で「仕事内容・仕事量の大きな変化があった」(強度Ⅱ)ないし「勤務・拘束時間が長時間化した」(強度Ⅱ)に該当するものの,それらの変化については,前記のとおり,いずれも特に過重であるとまでは認められないから,業務による心理的負荷の強度の総合評価が「強」になるとは認められない。

したがって,判断指針に照らしても,原告に対して加えられた業務による心理的負荷が過重なものであったとはいえないから,原告の精神障害の発症には業務起因性が認められない。

オ まとめ

以上によれば,いずれの業務上の出来事も強度の心理的負荷を与える業務であったとは認められないから,社会通念上,業務上の心理的負荷が精神障害を発症・増悪させる程度に過重であったと認められない。したがって,原告の業務起因性があるとの主張には理由がない。

4  以上に認定,説示したところによれば,原告がうつ病を発症し,これが増悪したことにつき,業務起因性を認めることはできないから,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がないことに帰する。よって,原告の請求をいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・奥田正昭,裁判官・橋本 修,裁判官・川崎志織)

別紙1,2<省略>

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