札幌地方裁判所 平成17年(行ウ)13号 判決 2008年3月21日
主文
1 小樽労働基準監督署長が原告に対し,平成16年3月17日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償年金,葬祭料及び労災就学等援護費を支給しない旨の処分並びに平成16年3月18日付けでした労働者災害補償保険法による未支給の保険給付(療養補償給付たる療養の費用及び休業補償給付)を支給しない旨の処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
主文同旨
第2事案の概要
本件は,労働者の遺族が,労働者の死亡が業務上の事由によるものではないとして労働者災害補償保険法に基づく各給付の支給をしない旨決定した労働基準監督署長の各処分が違法であるとして,同各処分の取消を求めた事案である。
1 前提事実
(1) 当事者等
ア 原告は,A(昭和37年10月6日生,死亡時39歳)の妻であり,Aのほか,長男,次男及びAの父とともに同居していた。
イ Aは,昭和56年3月,B高等学校を卒業後,日本国有鉄道及び日本国有鉄道清算事業団の勤務を経て,昭和62年7月1日,株式会社C自動車学校(以下「本件会社」という。)に事務員として採用され,平成元年6月1日,技能教習指導員,平成3年8月1日,教務主任,平成13年7月16日,教務係長となり,技能教習指導業務(大型車,普通車,大型特殊車,普通自動二輪車),検定(修了,卒業)業務(普通車,大型特殊車)及び応急救護処置教習業務に従事していた。
ウ(ア) 本件会社の組織等
本件会社は,昭和40年にC自動車教習所として発足し,その後,昭和57年7月1日C自動車学校に改称した。
その組織状況は,平成13年4月当時,総括課,第一課,第二課の3課で構成され,職員は,取締役業務部長以下25名であった。
Aは,上記3課のうち,第2課第2係に配属されていた。
同月当時,本件会社の職員のうち,指導員等は,15名おり(ただし,課長3名を除く),教習車両は,普通免許教習車両,大型特殊免許教習車両,普通二輪免許及び小型限定二輪免許教習車両が導入されていた。
なお,後記のとおり,本件会社は,平成13年6月27日,大型免許指定前教習を開始したが,このことに伴い,同日から大型免許教習車両1台を導入し,同年9月27日,同車両をもう1台導入した。
(イ) 本件会社の勤務時間及び所定休日
本件会社の指導員の所定労働時間は,午前9時40分から午後6時40分となっており,休憩時間(昼休み)は,午後1時40分から午後2時40分までの1時間である。
また,所定休日は,毎週日曜日,国民の祝祭日,時短休日(原則として月曜日),その他,年末年始,ゴールデンウィーク,夏季の特別休暇等と決められ,年間休日を105日以上とされている。
(2) Aの喘息発作及び死亡(以下,下記の喘息発作を「本件喘息発作」という。)(争いがない事実,甲9の1及び2)
ア Aは,平成13年10月19日,午前4時40分ころ出勤し,札幌市D区EF条G丁目H-I所在の札幌運転免許試験場において教習をし,午後7時50分ころ退社した(なお,出勤から退社までの間の労働時間については,後述のとおり争いがある。)。
イ Aは,同日午後9時過ぎころ帰宅し,居間の長椅子に横になっていたが,午後11時ころ,トイレに立った際,原告に対し,「呼吸が苦しい」,「救急車を呼べ」と述べた。
原告は,直ちに救急車を呼んだが,その5,6分後,Aは再び呼吸困難を訴え,自宅から外へ飛び出し,その場に座り込んでしまった。
その直後に,救急車が原告宅に到着し,救急隊員が心肺停止状態となっていたAに対し,心肺蘇生をしながら,同人をJ病院まで搬送した。
ウ Aは,同病院において,「気管支喘息,重積発作」との診断を受け,救急治療を受けたが,意識が回復しないため,さらに高度の救急治療を受けるべく,翌20日午前1時少し前ころ,K病院救命救急センターへ救急車で搬送され,午前1時30分過ぎころ同病院へ到着した。
Aは,同病院で,「気管支喘息重積状態,蘇生後脳症,痙攣,肺炎」との診断を受け,入院治療をすることとなり,平成13年10月30日,L病院へ転院し,治療を継続したが,平成14年9月17日,急性呼吸不全により死亡した(Aは,平成13年10月19日以降死亡までの間,遷延性意識障害の状態にあった。乙A9,60ないし62)。
(3) 提訴までの経緯
ア 原告は,小樽労働基準監督署長に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき,平成14年10月22日付けで遺族補償年金及び葬祭料の請求,平成15年10月16日付けで未支給の保険給付(療養補償給付たる療養の費用,休業補償給付)の請求及び労災就学等援護費の申請(以下「本件各申請」という。)をした。
これに対して,小樽労働基準監督署長は,「本件(気管支喘息重積発作,遷延性意識障害,急性呼吸不全)は,業務に起因して発生したものとは認められない。したがって,本件は業務上の事由によるものとは認められない。」として,遺族補償年金,葬祭料及び労災就学等援護費については,平成16年3月17日付けで,未支給の保険給付については,同月18日付けで,それぞれ不支給の決定をした(以下「本件各処分」という。)。
なお,このとき,小樽労働基準監督署長が認定した時間外労働時間は,本件喘息発作の発症1か月前(平成13年10月19日から同年9月20日まで)が93時間,本件喘息発作の発症2か月前(同月19日から同年8月21日まで)が73時間であった。
イ 原告は,本件各処分を不服として,北海道労働者災害補償保険審査官に対し,平成16年5月18日付けで審査請求をし,同請求が,平成16年9月9日付けで棄却されたため,平成16年11月9日付けで労働保険審査会に対し,再審査請求に及んだ。
原告は,上記再審査請求から3か月を経過しても裁決がされなかったため,平成17年7月13日,本件訴えを提起した。
なお,上記再審査請求については,平成18年9月22日付けで再審査請求を棄却するとの裁決がされた。同再審査請求に係る裁決書では,小樽労働基準監督署長が認定した時間外労働時間から休日数を考慮して一定時間控除し,発症前1か月から6か月前の時間外労働時間を別紙1「再審査請求認定に係る労働時間算出表」(省略)記載のとおりと認定している(甲21)。
2 争点
(1) 業務起因性の判断基準
(2) Aの重積発作,障害及び死亡の業務起因性
第3当事者の主張
1 争点(1)について
(原告の主張)
(1) 労災保険法の趣旨は,業務上の事由による労働者の疾病,障害,死亡等に対して,迅速かつ公正な保護をするため,必要な保険給付をし,あわせて,業務上の事由により疾病にかかった労働者の社会復帰の促進,当該労働者及びその遺族の援護を図り,もって,労働者の福祉の増進に寄与することにある。
かかる法の趣旨からすると,労災保険法における業務起因性が認められるためには,業務と発症・障害との間に関連性があれば足り,業務上の有害因子が当該疾病の発症等にとって相対的に有力な原因となっていることまでは必要ではないと考えるべきである。
(2) なお,業務起因性の判断に当たっては,「喘息予防・管理ガイドライン2003」(乙B1)が,死亡に至る発作の誘因として,ストレス,過労を挙げていることも十分念頭に置くべきである。
(被告の主張)
(1) 労災保険法7条1項1号は,労災保険法の保険給付の内容として,労働者の業務上の負傷,疾病,障害又は死亡といった業務災害に関する保険給付を定め,これを受けて同法12条の8第1項が,業務災害に関する保険給付の種類について規定しており,同項に規定された各保険給付は,同条の8第2項により,労働基準法75条から77条まで,79条及び80条に規定する災害補償の事由が生じた場合に,補償を受ける労働者若しくは遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいてされることとなっている。
原告は,本件で,Aが気管支喘息発作を発症し,それによって死亡したと主張するのであるから,原告がその主張に係る保険給付等の支給を受けることができるかどうかの判断のためには,Aの喘息発作が労働基準法75条1項にいう業務上の疾病に当たるかどうかを判断しなければならないところ,同条2項は,業務上の疾病の範囲について,厚生労働省令に委任しており,この規定に基づく労働基準法施行規則35条・別表第1の2第9号は,第1号から8号に具体的な疾病を列挙し(ただし,第8号については,厚生労働大臣の指定に委ねている。)た上で,「その他業務に起因することの明らかな疾病」を業務上の疾病の範囲に含めることとしている。
そして,気管支喘息は,別表第1の2第1から8号に規定された疾病ではないから,Aの気管支喘息発作の発症が,業務上の疾病かどうかは,結局,別表第1の2第9号の疾病といえるかどうかの判断に委ねられることとなる。
もっとも,労災保険法7条1項1号及び労働基準法75条1項の「業務上」,労働基準法施行規則35条・別表第1の2第9号の「業務に起因することの明らかな疾病」といった文言は,抽象的であるから,どのような基準をもって当該要件の該当性を判断するかは,解釈によらざるを得ない。
(2)ア 前記のとおり,労災保険法7条1項1号により保険給付を行うべき事由は,労働基準法により災害補償を行うべき事由と一致するところ,同法による災害補償制度は,使用者の過失の有無を問わず,「業務上」の傷病による労働者の損失を使用者が負担することを義務づけているのみならず(同法75条1項),刑罰をもって使用者に対しその履行を強制している(同法119条)。
このような,労災補償制度は,労働者が,従属的労働契約に基づいて使用者の支配監督下にあることから,労務の提供をする過程において,業務に内在する危険が現実化して傷病が引き起こされた場合には,使用者は,その傷病の発症について過失がなくても,その危険を負担し,労働者の損失の填補に当たるべきであるという危険責任の考え方に基づくものである。
かかる労災補償制度の理念からすれば,業務起因性の有無は,単に業務と疾病との間に条件関係があるかどうかの判断だけでは足りず,それを前提として,両者の間に法的に見て労災補償を認めるのを相当とする関係が認められること,すなわち,相当因果関係が認められるか否かをもって判断するべきである。
イ 条件関係とは,一般に先行事実と後行結果との間についての「あれなければこれなし」という事実関係をいい,その立証には「高度の蓋然性」の証明が必要である。
そして,その判断に当たっては,自然科学の成果を取り入れ,それに基づき必要とされる資料を十分に収集してされる必要があるというべきである。
特に,本件においては,証明されるべき内容が,その性質上医学的知見によってしか証明できない事柄であり,その知見を総合して,通常人が疑いを差し挟まない程度に納得し,真実性の確信を持ち得るものでなくてはならない。
ウ そして,このことを前提として相当因果関係があるというためには,労働者に傷病等が発生した場合には,その原因として複数のものが競合し結果発生に対して絡み合っているのが通常であり,しかも結果発生との結びつきも強弱さまざまであるという事情があることを踏まえて,業務が傷病等に対して他の原因と比較して相対的に有力な原因となっている関係が認められることを要するというべきであり,その判断に当たっては,当該労働者と同程度の年齢・経験等を有し,日常的な業務を支障なく遂行できる程度の健康状態にある者を基準とすべきである。
(3) なお,気管支喘息については,未だ解明されていない部分も多く,その治療に携わる医師において,乙B1の指摘する死に至る喘息発作の誘因が「ストレス,過労,気道感染」であるという命題は,確定的なものとして受け取られてはいないというべきである。
2 争点(2)について
(原告の主張)
(1) Aの喘息の重症度
Aは,気管支喘息の疾患を有していたが,継続的に喘息治療薬を服用していたわけではなく,発作を起こしたときでも吸入で収まる程度(軽度発作)であった。
また,医療機関を受診したときも,外来の点滴処置等で帰宅できる中等度の発作で収まっており,その頻度は,せいぜい年1,2回であり,気管支喘息が原因で,業務を休んだり制限することも全くなかった。
したがって,Aの気管支喘息は,「軽症間欠型」に分類される軽度なものであり,重篤発作に至るような基礎疾患はなかったのである。
(2) 業務の程度
ア 労働時間の過重性
Aの発症直前期の時間外労働時間をみると,発症1か月前(平成13年9月20日から10月19日)の時間外労働時間は91時間,発症2か月前(平成13年8月21日から9月19日)の時間外労働時間は72時間であり,発症前2か月の時間外労働時間の平均は,81.5時間である。
厚生労働省労働基準局通達基発第1063号(平成13年12月12日)によると,「発症前2か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と発症との関連性が強いと評価できる」とされているから,Aの発症前2か月の時間外労働時間の平均は,前記のとおり,この基準を満たしている。
また,後述のように,本件喘息発作直前には,睡眠時間の極めて乏しい生活が継続されていたことに加え,安全確認や運転操作等が自己流になっている大型免許教習受講生は,むしろ初心者よりも気を遣うことを余儀なくされるものであり,このことからも,業務の過重性は大きかったということができる。
イ 特命任務による極度の精神的緊張
本件会社は,平成13年12月中に公安委員会から大型免許資格取得校としての認定を受けることを目標とし,Aに対し,平成13年6月,同月下旬から,大型免許資格取得希望者に対する指導員としての業務に従事するようにとの業務命令を出した。
本件会社が,前記認定を受けるためには,6か月間に不合格者を出すことなく,10名の受講生が連続して大型免許資格試験に合格することが必要であった。
そして,前記認定の取得は,自動車学校を経営する本件会社にとって,少子化による免許取得者の減少という状況下で,会社の命運を握る極めて重要な業務であり,その認定へ向けた業務は,まさに特命任務というべきものであった。
Aは,真面目で責任感の強い人物であり,短期間のうちに,1人も不合格者を出すことなく連続して合格者を出さねばならないことは,同人にとってプレッシャーとなっていたというべきであり,同人自身も,特命任務の重要性を十二分に認識していたのであるから,同年6月28日以降の遂行においては,精神的緊張の継続するものであったということができる。
ウ 勤務場所・勤務形態の変更
Aは,前記特命任務に従事する以前は,小樽市Mの自宅から本件会社のある同市Nまで自家用車で通勤していたところ,特命任務に従事して以降は,札幌市D区O(以下「DO」という。)にある運転免許試験場内の大型免許教習コース(以下「試験場コース」という。)及びP自動車学校の教習コース(以下「総合コース」という。)を利用するため,Nの本件会社に出社後,DOまで大型自動車で移動し,教習終了後,自ら前記自動車を運転して本件会社に戻り,本件会社から自宅に帰るという生活となり,また,同一日にNとDOで教習をすることもあった上,日によっては,何度かNとDOを往復することもあった。
さらに,本件会社は,他の教習機関のコースを借り受けていたことから,空き時間を利用せざるを得ず,各教習機関の教習前の早朝あるいは教習終了後の夕方以降の時間帯を利用しての変則的な教習業務に従事することとなった。
その結果,Aは,平成13年7月下旬以降,午前4時ころ起床し,4時40分ころ出勤し,概ね午後9時過ぎころ帰宅するという十分に睡眠時間を確保できない生活を余儀なくされた(特に,発症の直前である平成13年10月1日から14日までの2週間については,7日及び8日については休日であったものの,その他の日については,せいぜい5時間程度の睡眠時間しかとれていない。)。
このように,Aが特命任務に従事して以降,勤務場所・勤務形態に重大な変更があったといえ,Aにとって心身への過大な負荷となった。
エ 応急救護という異質な業務の介在
Aは,本件喘息発作の発症の直前である平成13年10月15日から18日までの間,業務命令により,札幌市R区にある施設で二種応急救護指導者養成講習を受講した。
この講習は,4日間に渡って新しい知識を詰め込み,また,実技訓練も含むというものであり,それ自体,負荷が大きいものであったことに加えて,Aにとっては,前記特命任務の遂行の妨げになるような全く異質の業務であったから,苦痛以外の何物でもなかったというべきである。
事実,Aは,本講習の受講について,強い不満を述べていた。
かかる異質な業務への従事もまた,Aのストレス増大の原因となったのである。
(3) 発症の原因
ア 前記のとおり,Aは,既往歴上は,入院治療を要するようなことはなかったのであるから,平成13年10月19日に初めて重積発作に陥ったということができる。
イ Aは,発症の約1か月前の平成13年9月16日,救急当番医であるQ医院を受診し,アミノフィリン点滴等の処置を受けている。
また,職場同僚(S)の聴取書(決定書乙22)では,「Aさんとは,平成13年10月13日に一緒に仕事をしましたが,呼吸音がヒューヒューと鳴っていたのを覚えています」「平成13年10月19日にも一緒に業務を行い,昼食も共に取りましたが,その日は10月13日よりも,呼吸音がヒューヒューとひどく,肩で息をしている様子だった」と述べている。
これらの事実からすれば,Aは,重積発作に陥るまでの約1か月間,喘息症状の不良・不安定な状態が続き,特に同年10月13日以降は,同僚にも気づかれる程度の発作を起こしていたが,この段階で適切な治療や対策が講じられる機会がなく,喘息発作の誘因を取り除くことができず,重積発作に陥ったということができる。
(4) 被告の主張への反論
ア 時間外労働時間,睡眠時間について
被告の主張する時間外労働時間の考え方は,本件の特命任務の下でのAの手待時間,通勤時間の実体を無視するものであって失当である。
また,睡眠時間については,全く非現実的で形式的な睡眠時間の確保の可能性を主張するにすぎず,労災保険法の趣旨とは全くかけ離れた主張である。
(ア) 通勤時間について
Aの通勤形態からすれば,自宅からNの本件会社まで30分弱,Nから一般道を利用した後,小樽から銭函までは高速道路を利用し,そこからDまで一般道を利用して1時間弱の時間を要した。
また,Aは,特命任務に従事した以降は,同じ日に何度かDOとN間を往復することがあったのであり,1日数時間を移動のみに要することもあった。
したがって,Aの通勤に関して負担がないかのような被告の主張は,実体を無視し,Aの通勤時間による負荷を軽視したものであって,妥当ではない。
(イ) 手待時間について
a 労働時間とは,労働者が使用者の指揮命令下に置かれた時間をいうが,過労死による労災認定においては,被災者が従事していた業務が過重なもので,被災者に負荷を与えるものであったか否かが問題となる。
したがって,手待時間が存在していただけではなく,手待時間において,被災者が休息できたかどうかも考慮されなくてはならない。
b 前述のとおり,DOから自宅に帰宅するとしても,全体で約1時間半かかるのであるから,日中,教習途中に空き時間ができたとしても,帰宅することは時間のロスになるのであり,Aには,教習用の大型車両を運転して帰宅し,休養する実益があるとはいえない。
また,仮に勤務途中に仮眠時間があったとしても,日中の短時間のうたた寝と,自宅での連続した夜間の睡眠とでは,睡眠の質に違いがあることは明らかであり,しかも,大型免許教習車内では,極端な寒暖が生じやすく,空調を使用しなければ暑過ぎるか寒過ぎるが,空調を使用するためにエンジンをかければ騒音に悩まされるという,十分な睡眠を取るには全く不適当な環境である。
そうすると,Aが昼休みのために帰宅するということは考えられないし,仮眠時間が確保可能であったとしても,夜に自宅で取る睡眠時間と同視することはできないのであるから,これをもって,被災者の労働負担が軽減されることにはならない。
イ 発症の原因について
被告は,アレルゲン又は気象変化がAの喘息発作を引き起こしたなどと主張するが,肝心のアレルゲンを具体的に特定することができていないし,本件において「アレルゲン」の存在を具体的にうかがわせる事実すら指摘できていない。
また,気象変化についても,被告は,Aの発作が,夏及び秋に集中していると指摘しているが,そのような幅広い期間を集中などと表現すること自体失当である。
(5) 結論
前述のとおり,業務起因性の判断に当たっては,業務と発症・障害との間に関連性があるかどうかを考慮すれば足りると解されるところ,前記(1),(2)(3)の事情を総合して判断すれば,Aの発症,障害,死亡が業務に起因するものであることは明らかである。
また,仮に,業務起因性があるというためには,業務上の有害因子が当該疾病の発症に相対的に有力な原因となっていることが必要であるという見解に立ったとしても,前記(1),(2)の事情に照らせば,業務の過重性は著しいといえ,Aの従事していた業務が,同人の発症,障害,死亡の相対的な有力原因であるといえる。
(被告の主張)
(1) Aの喘息の重症度
ア 喘息の重症度分類
喘息の重症度は,喘息症状の強度(発作強度),頻度,及び日常のPEF(最大呼気流量),1秒量とその日内変動,日常の喘息症状をコントロールするのに要した薬剤の種類と量により,軽症,中等症,重症の3段階に分けることができる。
重症度の分類には,いくつかの種類があるが,軽症とは,喘鳴のみないし軽度の喘息症状(小発作)が散発的に出現するもので,治療は原則的に気管支拡張薬の頓用で足りるものであり,重症とは,中等度ないし高度の喘息症状(中・大発作)が頻発して,日常生活がほとんど不能なもので,高用量吸入ステロイド薬800~1600μg/日の連用を要し,また,経口ステロイド薬の追加連用を必要とするものであって,中等症とは,両者の中間の広い範囲を示すもので,慢性的に軽症ないし中等症の症状があり,しばしば日常生活,睡眠が妨げられ,持続した気管支拡張薬と抗炎症薬の投与を要するものをいうという点では,ほぼ一致している。
この重症度判定は治療をしていないときの症状をもとにされるものであるが,実際には患者は何らかの治療を受けているため,医師は患者の症状と治療から重症度を推定して,ステップアップないしステップダウンして適切な治療レベルを設定することになる。
イ Aの症状
平成10年7月21日から平成13年9月16日までの受診歴及び治療内容は,別紙2「Aに係る各医療機関における治療・投薬状況一覧」(省略)に記載のとおりである。
そして,別紙3「発作強度と重症度分類」(省略)表6の日本アレルギー学会の気管支喘息重症度判定委員会基準(乙B1の9頁)は,発作好発期間における任意の4週間の状態により過去1年間の重症度として判定するとの前提の下,ステロイド薬を経口又は注射で必要とする場合には,症状の頻度にかかわらず中等症以上としているところ,Aは,本件喘息発作を引き起こした約1年前である平成12年10月15日,高度ないし中等度の喘息発作を発症し,ステロイド薬の点滴注射を受けている。
そうすると,Aの本件喘息発作の発症前1年間の喘息重症度は,上記基準に照らすと中等症以上であったと認められる。
なお,前記一覧の治療内容から判断できる喘息症状及び平成6年,平成7年に大きな発作を発症していることから見ても,原告の主張のとおり,喘息発作の程度が軽度であったということはできない。
(2) 業務の程度
ア Aの労働時間
(ア) 試験場コース及び総合コースにおける指定前教習は,これらの時間の空き時間を利用して実施されるため,指定前教習の専任として職務に従事していたAは,本件会社に戻る必要もなく,教習を終えた後,次の教習が始まるまで,短いときでは1時間,長いときでは9時間の待ち時間が発生することがあった。
そこで,この待ち時間が労働時間といえるかどうかが問題となるが,労働時間とは,労働者が使用者の指揮命令下に置かれた時間をいい,労働時間に該当するか否かは労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるかどうかによって客観的に定まるものであって,労働契約,就業規則,労働協約等の定めいかんによって決定されるべきものではない。
そして,労働者が実作業に従事していないということだけでは,使用者の指揮命令から離脱しているということはできないが,当該時間に労働者が労働から離れることを保障されて初めて,労働者が使用者の指揮命令下に置かれていないものと評価することができる。
(イ)ⅰ 試験場コースと総合コースは,本件会社から約29km離れており,これらコースの周辺には本件会社の施設は存在せず,Aは,教習生との間で事前に日程を調整して教習時間を決定していたのであるから,教習時間としてあらかじめ決定された時間帯並びに仮免許試験及び本免許試験の立会いに要する時間帯を除く時間帯において,Aが,本件会社のために何らかの役務を提供することを余儀なくされるような事態を想定することはできない。
また,本件会社は,Aに対して,試験場コース及び総合コースにおいて生じる空き時間の過ごし方については,一時帰宅も仮眠も自由として,その利用方法を一切拘束していなかった。
このように,Aは,上記待ち時間において,労働から離れることを保障されていたのであり,本件会社の指揮命令下に置かれていたものと評価することはできず,試験場コース及び総合コースにおける次の教習までの待ち時間は,労働時間に当たらないと解すべきである。
ⅱ 別紙4「指定前教習状況表」(省略)の各日付欄の上段と中段とを比較すると,Aが本件会社を出発してから指定前教習が開始するまでの時間帯や,指定前教習が終了してから本件会社に戻るまでの時間が長時間に渡っている時間帯(以下「往復時間帯」という。)が存在する。
しかし,Aがこれらの時間帯において,本件会社と各コースの間の移動,次の教習の準備,教習後の後片付け以外に何らかの職務をする必要があったとは考えられず,往復時間帯のうち,通常往復に要する時間を除いた部分を労働時間に含めることはできない。
本件会社と各コースとの往復に要する時間は,約40分であるが,次の教習開始の準備や終了後の後片付けに要する時間,道路状況による遅延等を考慮する必要があるところ,Aが午前4時50分に本件会社を出発した場合,午前6時から教習を開始することとされ,かつ,これが多数回にわたって反復継続されていることに鑑みると,往復時間帯のうち通常往復に要する時間及び教習の準備又は後片付けに要する時間としては,最大で片道70分を見込み,別紙4「指定前教習状況表」(省略)の各日付欄上段の教習開始又は終了時間と中段の外出時間の始期又は終期を比較して片道70分に至らない往復時間を認定できるときにはそれによるべきであり,また,外出時間が継続しているときには,その間,本件会社に戻らなかったものとして,1往復分の時間を労働時間として認め,外出の間に教務が入っている場合には,その間,本件会社に戻ったものとして,そのために要する往復回数に1往復分の時間を乗じて算出した時間を往復時間と認めるべきである。
(ウ) 以上を前提に,Aの労働時間を算出すると,別紙4「指定前教習状況表」(省略)の各日付欄下段のとおりとなる。
(エ) なお,別紙4「指定前教習状況表」(省略)の用語は以下のとおりである。
・AないしL ・・・教習生
・技-1 ・・・「技能教習第1段階」
・技-2 ・・・「技能教習第2段階」
・技-1(総合) ・・・総合コースでの技-1
・技-2(総合) ・・・総合コースでの技-2
・自教 ・・・自由教習
・自教(試) ・・・試験場コースでの自教
・自教(総) ・・・総合コースでの自教
・自教(試)(総) ・・・試験場及び総合コースでの自教
・外出 ・・・学校コース以外の指定前教習のため本件会社から外出した時間帯
・教務 ・・・技能教習のための準備業務等をしていた時間帯
イ 労働時間の過重性
(ア) 別紙5「労働時間集計表」(省略)は,別紙4「指定前教習状況表」(省略),別紙6「教習(業務)日報内訳」(省略)から認められるAの時間外労働時間を集計したものである。
この別紙5「労働時間集計表」(省略)によると,指定前教習開始後の時間外労働時間は,本件喘息発作の発症1か月前が25時間50分,発症2か月前が18時間10分,発症前2か月の平均が22時間,発症3か月前が22時間20分,発症前3か月の平均が22時間6分,発症4か月前が15時間50分,発症前4か月の平均が20時間32分である。
これに対して,指定前教習開始前の時間外労働時間は,開始前5か月の平均が25時間26分であり,指定前教習開始後に時間外労働時間が増加したということはできない。
また,Aが,指定前教習開始前5か月間に医療機関に受診しなければならないような喘息発作を発症していないことからすれば,指定前教習開始前の労働時間が過重であったとはいえず,これと時間外労働が同程度であった指定教習開始後の労働時間が過重であったと認めることはできない。
(イ) また,Aは,早朝(午前4時50分~午前6時50分)に出勤した日のうち過半数は,午後6時以前に退勤している上,午後6時以降に退勤する日についても,そのほとんどについて,連続4時間以上の休憩時間が確保され,睡眠を取ることも可能であり,早い時間に退勤し,又は待ち時間を睡眠に充てること等により,睡眠時間は十分に確保することができたということができる。
したがって,Aが,睡眠時間の乏しい生活を繰り返していたという事実はなく,この点からも,労働時間が過重であったということはできない。
(ウ) Aの職務のうち,教習及び検定は,教習生又は受験生の一挙手一投足まで気を配らねばならず,かつ,教習生又は受験生及び第三者の生命,身体,財産等を侵害したり,その一生を台無しにすることのないように,十分注意をする必要があるため精神を絶えず緊張させた状態にしなければならないから,教務等他の職務と比べると,労働密度が明らかに高い。
そして,Aの指定前教習前後の教習及び検定の1日当たりの平均時間を比較すると,指定前教習開始後のほうが,その時間が大幅に減少している。
したがって,Aの指定前教習開始後の労働密度が過重であったということもできない。
ウ 業務内容の過重性
(ア) 本件会社が,平成13年12月中に10名連続で合格者を出すことを目標としていた事実はないし,それが会社の命運を握る重要な業務であったこともない。
指定前教習を担当していた教習指導員も,不合格となる者がいてもやむ得ないことであると捉えていた。
したがって,Aが,指定前教習に伴って極度の精神的緊張を強いられていたということはできない。
(イ) 原告は,大型免許教習の受講生は,安全確認や運転操作等が自己流になっているから,初心者よりもむしろ業務の過重性が高いと主張する。
しかし,少なくとも,大型免許教習の受講生は,交通法規の知識はあり,初心者の気づかない危険も事前に予見して行動できるのであるから,この点において,教習指導員側の負担は相当軽減されているということができる。
エ 業務形態の変化
原告は,指定前教習開始以降,勤務場所及び勤務形態に重大な変更があったことにより,Aの心身に過大な負荷を生じさせたと主張する。
しかし,Aは,指定前教習を自分一人にやらせてほしい,朝方と夕方の教習しかできないときは中抜けするので,家に帰らせてほしいという希望を受け入れられて指定前教習が開始されたこと,前述のとおりAの労働時間,労働密度及び職務内容は,Aの業務の過重性を軽減するものであっても,重くするものではなかったこと,指定前教習開始からAの本件喘息発作の発症までには3か月以上が経過しており,新しい勤務場所及び勤務形態に十分慣れていたと考えられることに照らせば,指定前教習の開始が,Aの発症直前に,同人の心身に過大な負荷を生じさせたと認めることはできない。
オ 第二種応急救護措置指導者講習
(ア) 本講習は,平成13年10月15日から17日は,午前9時から午後4時40分まで,同月18日は,午前9時から午後1時30分まで実施されたが,その間に昼休み1時間,1時間ごとに10分間の休み時間が設けられており,その所要時間は,前者については6時間,後者については3時間にすぎない。
内容についても,医師による講演か,日赤指導員による実技等の指導であり,実技による指導についても,心肺蘇生法等の体力をさほど使わないものである。
また,Aは,第一種免許に係る救護措置指導員の資格を既に取得し,基礎知識を有していたのであるから,新しい知識の習得が大きな負荷に結びついたということはできない。
(イ) さらに,Aは,本講習を大変喜んで受講しており,この間,指定前教習は他の指導員と交代して滞りなく実施することが可能であったのであり,Aが指定前教習の遂行を妨げるものとして,本講習を苦痛に思う理由は皆無である。
(3) 発症の原因
ア Aの喘息治療の状況
(ア) Aの喘息症状は,前記のとおり中等症以上であったから,それに見合った喘息管理及び段階的薬物治療が必要であった。
乙B1は,前記日本アレルギー学会気管支喘息重症度判定委員会の基準に対応したものではないものの,喘息重症度の各段階に見合う段階的薬物療法として,吸入ステロイド薬の継続投与等を定めており,Aも,別紙2「Aに係る各医療機関における治療・投薬状況一覧」(省略)のとおり,T医院において,平成10年11月16日,平成11年8月21日,平成12年7月3日に,それぞれ吸入ステロイド薬等を処方され,段階的薬物療法を開始したものの,その後,通院を継続しなかったため,いずれも気道炎症の抑制の効果を上げることなく終了している。
また,Aは,日常生活においても,たばこを1日20本程度吸っており,喘息の管理に意を用いていた様子はうかがわれない。
(イ) 喘息の根本的な病態は,気道の炎症であり,発作が続くと炎症は激しく増悪していく。
そして,薬の中断を繰り返し,中途半端で不十分な治療しか受けていないと,発作と改善を繰り返すうち,4,5年で必ずといっていいほど重症化していく。
Aは,平成6,7年から6,7年もの長期間にわたって発作を繰り返しており,その間十分な喘息の管理及び段階的薬物療法がされなかったことから,喘息の重症度が著しく悪化し,死に至るような発作をいつ起こしてもおかしくないような状況にあったということができる。
(ウ) Aの同僚であったSは,平成13年10月13日の時点で,Aに喘鳴があったことを記憶しており,K病院の診療記録中には,発作までの経過について,数日前から徐々に悪化していた旨の記載がある。
そうすると,Aは,同日の時点で,喘息発作を発症していたということができる。
また,Sは,同月19日昼の時点で,Aの喘鳴が以前よりも顕著になり,呼吸困難感も外見上明らかとなっており,1時間早く業務を切り上げたと供述していること等の事情があり,同日昼の時点で,他人にも明らかなほど喘息発作の程度が高度になっていたことが認められる。
喘息症状の悪化を知る1つの目安は,吸入β2刺激薬の効果であり,何度も吸入しても症状が改善しない場合は,同刺激薬だけの治療では危険な状態を意味している。
そして,Aは,同年9月16日,Q医院から,吸入β2刺激薬の処方を受けていたのであるから,これに以上の事情をあわせて考えれば,早い段階で吸入β2刺激薬の効果がないことを認識し得たはずであり,遅くとも,同年10月19日に帰宅後,直ちに医療機関に受診していれば喘息発作を抑えることは可能であったはずである。
イ 他原因の可能性
乙B1は,喘息増悪因子として,「アレルゲン」,「気象変化」を挙げる一方,「過労」については,それによる症状悪化を示唆する報告があると言及するに止まっている。
喘息と気象との間に密接な関連があることは,古くから知られており,因子としては,直接的には気温・湿度・気圧などが,間接的には大気成分の量的・質的変化や心理ストレスなど多くのものが挙げられている。
Aの受診歴は,別紙2「Aに係る各医療機関における治療・投薬状況一覧」(省略)のとおりであるところ,夏及び秋に集中しており,特に重い発作は,10月及び11月に見られる。
そうすると,Aの喘息発作を引き起こしたのは,アレルゲン又は気象変化である可能性が高いというべきである。
(4) 結論
以上のとおり,Aの業務は過重であったとはいえず,むしろ,同人は,気管支喘息の基礎疾患を有し,頻繁に発作を繰り返していたにもかかわらず,喘息の重症度に見合う喘息の管理及び段階的薬物療法をせず,いつ死に至るような重大な発作を起こしてもおかしくないような状態に陥っていたのであり,そのような状態下においてアレルゲン又は気象変化が原因となって喘息発作が発症したことに加え,その後も医療機関に受診せず,これを著しく悪化させた末,死に至るような重大な発作を発症したものと考えるべきである。
第4争点(1)に対する判断
1 労災保険法7条1項1号に基づく保険給付は,労働者の業務上の負傷,疾病等(以下「傷病等」という。)について認められる。
そして,同法12条の8第2項によれば,労災保険法上の各種保険給付は,労働基準法75条から77条まで,79条及び80条に規定する災害補償事由が生じた場合にすることとされている。
したがって,労災保険法の「業務上」と労働基準法上の「業務上」とは同一の概念であると解される。
Aは,平成13年10月19日,喘息発作を起こし,蘇生後脳症,遷延性意識障害に陥り,平成14年9月17日に死亡しているが,喘息発作と死亡との間の因果関係自体に争いはないと考えられるから,本件では,喘息発作という疾病の発生が「業務上」のものといえるかどうかについて検討する必要がある。
2 労働基準法施行規則別表1の2第9号は,労働基準法75条2項にいう「業務上の疾病」の1つとして,「その他業務に起因することの明らかな疾病」を挙げているが,その内容は,十分明確とはいえないから,結局,「その他業務に起因することの明らかな疾病」かどうかは,解釈によることとなる。
(1) 労災保険法が,業務上の傷病等に対して補償することとしたのは,災害の危険をはらむ近代企業に雇われなければ生活してゆけない労働者の労働力を,自己の指揮命令下において使用して利益を上げている使用者は,自己の支配領域内においてその危険が現実化した以上は,その災害によって労働者の受けた損害を補償することが公平の観念に適合するという考えが基礎にあると解すべきである。
そうすると,上記趣旨に適合的な補償をするべく,補償の領域は限定するべきである。
したがって,傷病等が業務上発生したものかどうか,すなわち,業務起因性があるといえるためには,業務と傷病等との間に経験法則上相当な関係,すなわち,相当因果関係が必要であると解される。
具体的には,これが疾病の場合,当該疾病の性質,労働の内容及び過重性等諸般の事情を総合的に評価して,業務に伴う危険が相対的に有力な原因となって当該疾病が現実化したものといえるかどうかによって決するのが相当である。
(2) 原告は,業務と発症・障害との間に関連性があれば足りると主張するが,かかる主張は,上記の労災保険法の趣旨と合致しない。
3 また,労災保険法の趣旨からすると,業務の過重性を判断するに当たっては,客観的に判断すべきであり,具体的には,当該労働者と同程度の年齢,経験等を有し,日常業務を支障なく遂行できる状態にあるものを基準として判断すべきである。
本人を基準とすべきとの原告の主張は採用できない。
第5争点(2)に対する判断
1 当事者に争いがない事実,証拠によって認められる事実は,以下のとおりである。
(1) 喘息の病態
ア 定義及び機序
(ア) 喘息とは,成人喘息の場合,気道の慢性炎症,種々の程度の気道狭窄,気道過敏性,臨床的には,繰り返し起こる咳,喘鳴,呼吸困難で特徴づけられるものをいう。
喘息患者の気道は,様々な外因性及び内因性刺激に反応し,容易に狭窄して気流制限が起こるが,この気道反応性が亢進する(気道過敏性)機序は,これまで不明の部分が多かったが,最近の研究により,喘息特有の気道炎症に起因することが明らかとなってきている。
気道の炎症には,好酸球,T細胞,肥満細胞,気道上皮細胞を始めとする多くの細胞と種々の液性因子が関与し,気道炎症が繰り返されることにより,気道構造の変化(リモデリング)が惹起され,平滑筋の収縮,気道粘膜浮腫及び分泌貯留液とあいまって気流制限を起こす(乙B1,8頁,36頁)。
(イ) 気道の炎症が,気道過敏性を亢進させる直接の要因としては,気道粘膜上皮傷害,神経系への影響,気道平滑筋の収縮性及び表現型の変化,気道壁のリモデリングが考えられる。
このうち,気道壁のリモデリングに基づく過敏性の亢進は,その成因から見て不可逆的なものであり,緩徐ではあるが,確実に過敏性の程度を強めていく原因となると推定されている(乙B1,42及び43頁)。
イ 診断,治療
(ア) 喘息の臨床診断の考慮要素としては,①発作性の呼吸困難,喘鳴,胸苦しさ,咳などの症状の反復,②少なくとも部分的には見られる可逆性の気流制限,③心肺疾患などの鑑別可能な疾患でないことが挙げられる(乙B1,4頁)。
その治療については,日常的に薬物を利用して管理することのほか,症状に応じて別紙7「喘息症状(急性増悪)の管理(治療)」(省略)記載のとおりの治療をすることで対処する。
喘息の重症度については,いくつかの基準が存在するが,軽症とは,喘鳴のみ,ないし軽度の喘息症状(小発作)が散発的に出現するもので,治療は原則的に気管支拡張薬の頓用で足りるものをいい,重症とは,中等度ないし高度の喘息症状が頻発して日常生活がほとんど不可能なもので,高用量吸入ステロイド薬800~1600μg/日の連用を要し,また,経口ステロイド薬の追加連用を必要とするものをいい,中等症とは,両者の中間の広い範囲を示すもので,慢性的に軽症ないし中等症の症状があり,しばしば,日常生活,睡眠が妨げられ,持続した気管支拡張薬と抗炎症薬の投与を必要とするものをいう(乙B1,6頁以下)。
喘息の発作強度及び重症度に関する基準の主なものとして,別紙3「発作強度と重症度分類」(省略)に掲げる表4及び5と表6がある(乙B1,8頁以下)。
なお,喘息の重症度と喘息死の関係には緩やかな相関があると指摘される(V21頁)。
(イ) 喘息は,薬物によるコントロールにより,難治性の喘息を除けば,死亡等の重大な結果発生を避けることのできる病気であり,自己管理の重要性が指摘されている(乙B1,64頁,B4,B5,B8,B10ないし12,U,V)。
なお,薬の中断を繰り返し,中途半端で不十分な治療しかしていない場合,発作と改善を繰り返していくうちに,4,5年で必ずといっていいほど重症化していく,そのまま何十年も経過し,高齢になるとほとんど全員が低肺機能になってしまい,息苦しく,早足で歩いたり階段の昇降で息切れするようになるとの指摘もある(乙B2,125頁以下)。
ウ 増悪因子
(ア) 喘息予防・管理ガイドライン2003(乙B第1号証)の記述
a 喘息患者の症状を増悪させる危険因子としては,①アレルゲン,②大気汚染物質,③呼吸器感染,④運動及び過換気,⑤気象変化,⑥食物,食品添加物,アルコール,⑦薬物,⑧激しい感情表現とストレスを挙げた上,⑨その他の喘息増悪因子として過労についても示唆する記述がある(乙B1,32頁)。
また,気道感染(呼吸器感染),ストレス,過労が死亡に至る喘息発作の三大誘因とされている(乙B1,148頁)。
b 本ガイドラインには,「心身医学的側面」(144頁)として,喘息の発症と経過を心身両面から詳細に検討すると,発症前より様々な心理社会的因子により生じる身体的変化の関与が明らかとなる場合が多い,一般にストレスをストレスとして認知せず,あたかも何事もなく振舞い,ストレスに対して適切に対処していないものに重症化・難治化が見られやすく,ステロイド薬の離脱が困難となる場合が多く,喘息死を招くものも少なくない旨の記載がある。
(イ) 喘息予防・管理ガイドライン2006(甲B第17号証)の記載
本ガイドラインの178頁には,「心身医学的治療」の項目に,心身医学の専門医以外の医師でも使用できる背景因子調査表が開発され,これを利用することにより,一般臨床医でも成人喘息の心身症診断が可能となり,発症と経過に関しての理解が深まり,各症例に合った治療を選択できると思われるとの記載がある。
なお,前記調査表には,「喘息が発症する前(直前から1年前までの間)に過労状態,職場や家庭でストレスや悩みごと,生活する上での経済的あるいは精神的に困難なことがありましたか」,「今から振り返ってみて,ストレスや過労が多くなると喘息の症状が悪化し,それらが減り精神的あるいは身体的に楽になると喘息も改善する傾向にありましたか」といった質問項目が設けられている(179頁)。
(ウ) その他の文献について(甲B3,4,18,19,乙B8,11)
その他,喘息に関して触れられた文献の中においても,喘息とストレスとの関連性について言及されている。
(エ) 医師の見解
a U医師の見解(甲B5,U)
U医師は,死に至る気管支喘息大発作(重篤発作)の誘因は,①気道感染,②疲労・過労,③ストレスであるとして,発作のコントロールが不良の場合,前記三大誘因を取り除く治療管理が必要であるとする(甲B5)。
また,②,③が喘息死の要因となることの根拠について,臨床医学の場で喘息死に至った状況を見ると,気道感染が原因になっていることが多いが,そういうものがない場合,過労やストレスというものが原因となったであろうと推察されることを挙げている。
もっとも,②,③については,実験的なことも含めて,十分に証拠として足り得るような研究がないのが実情であるとも述べている(U10,11頁)。
b V医師の見解(乙B10,12,V)
V医師は,過労やストレスが喘息の増悪要因の1つであることは古くから知られているが,重篤発作やその原因を科学的に証明した文献やその頻度を正確に記載した報告は自分の知る限りないとし(乙B10),ストレスや過労が従来から悪いのではないかと言われてきたことから,喘息発作の原因が不明な場合の説明としてきたのではないかと述べている(V9頁)。
もっとも,科学的な証明は難しくとも実際の臨床の現場では,ストレスや過労・疲労等を回避するよう指導することは一般的である,症状を悪くすることに関与していることに関しては幾らでもあり得る,職場の労働環境やその環境等によってストレスや負荷が多い場合には喘息患者に対し,避けるように言うのが当然であると述べている(乙B12,V17,25頁)。
c その他の医師の意見
W医科大学のX医師は,北海道労働局長に対する意見書の中で,「心理的ストレスは喘息を増悪させる」と記述し,K病院のY医師は,北海道労働者災害補償保険審査官に対する意見書の中で,気管支喘息発作の発症や増悪について過労が誘因となることを示唆する記述をしている(乙A24,70)。
(オ) 気象変化及びアレルゲンについて
a 気象の変化と喘息との関係については,古くより密接な関係が指摘されており,喘息発作が季節の変わり目の秋や春に多いこと及び高気圧の接近時や台風,寒冷前線の通過時に多発すること等が知られている。
気象の変化の喘息悪化に対する因子としては,気温・湿度・気圧などがあり,特に気温の急激な変化は,喘息増悪因子として重要であると指摘される(乙B1,153頁)。
b アレルゲンについては,アレルゲンに対する感作が成立していれば,それへの曝露によって喘息発作が誘発されることが,最近の研究により明らかになっている(乙B1,31頁)。
(2) Aの病状について
ア 診療経過(特に証拠の引用がない部分以外は争いがない)
(ア) 平成10年7月21日
Aは,Z救急センターにおいて,アロテック吸入液2%(β2刺激薬)を吸入するとともに,ソル・コーテフ(ステロイド薬)の点滴注射を受けている。
Aが同センターを受診したのは,深夜である。
(イ) 平成10年7月26日
Aは,W1医院において,テオスロー錠200(テオフィリン)を処方されている。
(ウ) 平成10年10月18日
Aは,X1病院において,アミノフィリンの点滴注射を受けている。
(エ) 平成10年11月16日
Aは,喘鳴と呼吸困難を訴え,T医院を受診した。
受診当初の検査値は,SPO2(動脈血酸素飽和度)が87.5%,PCO2(動脈血炭酸ガス分圧)が47.7mmHg,PO2(動脈血酸素ガス分圧)が61mmHg,P(脈拍・通常値60~80)が120であった。
Aは,このとき,ベネトリン吸入液吸入(β2刺激薬),ネオフィリン2.5%10ml(アミノフィリン)点滴,リンデロン(ステロイド薬)点滴及び酸素吸入を施行され,プレドニン錠(プレドニゾロン・ステロイド薬)等の処方を受けた。
(オ) 平成11年8月21日
Aは,鼻閉塞感と喘鳴を訴えて,T医院を受診した。
Aは,このとき,ベネトリン吸入液の吸入を施行されている。
(カ) 平成12年7月3日
Aは,喘鳴を訴えて,T医院を受診した。
Aは,このとき,ベネトリン吸入液の施行を受けている。
(キ) 平成12年10月15日
Aは,喘鳴と胸苦さを訴え,Y1診療所を受診した。
同診療所の医師は,両肺でギュー音を認め,SAT(動脈血酸素飽和度の略と思われる)が90,P139であると認識し,サルタノールインヘラー(β2刺激薬)及びベネトリン吸入液の吸入,ネオフィリン点滴注射,水溶性プレドニン点滴注射を施行した。
なお,同医師は,Aに対し,同年12月15日,診療の中断に対するフォローの電話をしている。
このときの同診療所の診療録には,薬物アレルギーや他のアレルギーはないとの記載がされている(乙C3)。
(ク) 平成13年9月16日
Aは,胸部圧迫感と喘鳴を訴えてQ医院を受診し,ネオフィリン点滴注射を受けた。
(ケ) なお,各薬剤は,いずれも,喘息治療の際に利用されるものである。
イ Aの喘息症状に対する医師の意見
(ア) U医師の意見
U医師は,上記診療経過を踏まえて,Aの喘息の症状の程度について,別紙3「発作強度と重症度分類」表5(省略)の軽症間欠型であったと証言している(U12頁)。
ただし,平成13年の9月以降については,喘息症状の不良・不安定な状態が続いていた,適切な治療管理が必要な状態であったのではないかと類推していると指摘している(甲B5,U30,34頁)。
(イ) V医師の意見
V医師は,上記診療経過を踏まえ,平成10年から平成13年9月16日の発作までのAの症状については別紙3「発作強度と重症度分類」(省略)表5の中等症持続型であったと断定はできないが,平成13年9月16日の発作以降は,中等症持続型であった,同日以降のAの状態はそれ以前と比べると相当危なかった旨証言している(V22,29頁)。
(3) 就業時間の変化
ア 平成13年1月から同年6月26日まで
Aの平成13年1月から同年6月26日までの勤務状況は,概ね別紙6「教習(業務)日報内訳」(省略)記載のとおり(労働時間欄の記載は除く)である(5月16日,14日,4月17日,3月28日,2月21日,1月20日については弁論の全趣旨,それ以外については争いがない)。
なお,この期間のうち平成13年4月23日から同年6月26日までの労働時間は別途検討する。
イ 平成13年6月27日から同年10月19日まで
平成13年6月27日から同年10月19日までの勤務状況については,概ね別紙4「指定前教習状況表」(省略)の各月日欄上段及び中段記載のとおりである(ただし,始業時間については,乙A55号証から,別紙5「労働時間集計表」(省略)始業欄記載のとおりであると認定できる。)。労働時間については,後に検討する。
(4) 業務内容の変化
ア 大型免許指定前教習取組のためのプロジェクト
(ア) 経緯
本件会社は,大型免許の指定教習所の指定を受けることとし,平成13年6月12日,「自動車教習所の届出書」を北海道公安委員会に提出した。本件会社は,このとき,教習実績算定方法として評価期間の中で10分の10方式を選択したことから,指定申請書提出から6か月以内の卒業者が10人連続して公安委員会の本免許試験に合格する必要があった(本件では,6月に申請していることから12月いっぱいまでに指定の条件を満たす必要があった。)。
北海道公安委員会は,本件会社に対し,同月22日,大型免許の指定前教習開始を承認した。
本件会社は,大型免許の指定前教習取組のためのプロジェクト班を結成し,Aも,そのメンバーとなっていた。
同月26日,同指定前教習の教習生が入校し,同指定前教習は,翌日である27日から開始された(乙A42)。
(イ) 指定前教習の内容
a 本件会社は,指定前教習の開始に当たり,大型免許教習コースを整備(以下「学校コース」という。)して教習車を1台購入した。
技能教習に関しては,学校コースを利用しての教習課程修了後,試験場での試験合格が指定教習所指定の絶対条件であったことから,試験場コース及びこれとよく似たコースを持つ総合コースにおいてそれぞれ空き時間に教習を実施した(試験場コースについては,午前6時から午前8時までの間と午後5時から午後7時までの間)(乙A43)。
Aの自宅から本件会社までは,少なくとも片道15分程度はかかり(原告本人),本件会社から試験場コースまでの移動にかかる時間は40分前後である(甲12,乙A29)。
b 運転免許試験場での試験は,指定校における試験よりも難易度は高い(甲10,5頁)。
また,大型免許教習においては,普通免許を取得している者を対象にするものの,安全確認,運転操作等が自己流になっており,試験に合格させる見地から,それらを直さなければならず,その点で,大変な面があった(甲10,5頁,28頁,甲12,37頁)。
さらに,P自動車学校のコースを借りていることから,教習をするには,そこの責任者に気を使う必要があった(甲10,4頁)。
(ウ) 指定前教習におけるAの立場
Aは,指定前教習において,現場の責任者という立場にあり,指定前教習の開始当時は,教習者が1台しかなかったことから,Aの仕事が一番多いという状態にあった(甲10,3頁,31頁)。
なお,教習車がもう1台増えたのは,平成13年9月27日である。
(エ) 指導員の休憩・手待時間等
a 指定前教習の教習車両運転席後部には,仮眠用のベッドが付設されている(甲12,37頁,乙A43)。
b 指定前教習においては,昼間に空き時間(手待時間)が発生することがあった。
この時間について,管理者の側は,空き時間は,現場休憩であり,仮眠するなり,自由に使ってもよい時間と捉えていた(甲10,25頁,甲12,37頁,乙A31)。
指導員は,空き時間について,食事を採る,教習車から外に出て運動をする,仮眠をするなどして過ごしていたが,往復の時間を考えると,自宅へ戻ることはほとんどなかった。なお,仮眠については,寝られるときもあれば寝られないときもあり,仮眠を取りにくい状態にあった(甲10,10頁,甲12,13頁,27頁)。
また,指導員の中には,試験場に長時間車を停めておくと公安委員会に対して見た目がよくないと考え,時々,トラックで移動して時間をつぶしたりする者もいた(甲10,10頁)。
c Aは,指定前教習開始後,午後1時50分又は午後2時50分に退社したときには,昼食休憩時間はなかった(甲25,乙A55,乙D2,16頁から18頁)。
イ 第二種応急救護処置指導員講習
(ア) 平成14年6月1日から,道路交通法の改正・施行に伴い,指定自動車教習所での第二種免許(大型・普通)についても,応急救護措置に関する講習を実施することとなり,公安委員会規則により,救護措置講習を実施する者は,救護講習に必要な指導員(以下「救護措置指導員」という。)を選任しなければならず,かつ救護措置指導員は,都道府県公安委員会が行う応急救護措置指導者養成講習を受講しなければならないものとされた。
(イ) 本件会社は,Aが第一種免許に係る救護措置指導員の資格を持ち,平成14年6月に予定されている第二種免許教習に従事する教習指導員及び技能検定員とされており,普通二種教習指導員・検定員課程で,茨城県ひたちなか市所在の自動車安全運転センター安全中央研修所で開催される平成13年度の研修に入所することが予定されていたことから,将来の構想も考えた上,第二種免許に係る応急救護措置指導者養成講習をAに受講させることとした。
(ウ) 前記講習は,札幌市R区に所在するZ1産業技術教育訓練センターにおいて,平成13年10月15日,16日及び17日の午前9時から午後4時40分まで,同月18日の午前9時から午後1時30分まで行われた。
同月15日及び16日のカリキュラムは医師による講演を中心とし,同月17日及び18日のカリキュラムは,日赤指導員による実技又は実技の指導方法の指導を主とするものであった。
(エ) Aの同僚であるSは,労働基準監督署に対し,この講習について,「今から思えば,私自身応急指導者講習を受けたことがありますが,体を動かし人工呼吸とかの実技もありけっこうきつい講習だったと思います。」と述べている(乙A29)。
ウ 前記プロジェクト開始後のAの言動について
(ア) Aは,前記Sと試験場コース及び総合コースで一緒であったときは,ともに昼食を採ったり,手待時間をスポーツ新聞を読んだりして過ごしていたが,寝て過ごすことはなかった(甲12,14頁,34頁)。
(イ) Aは,同僚に対し,平成13年7月中旬ころ,仕事に関し,「大変だ,疲れる」と述べていた(乙A30)。
また,Aは,同月終わりころからは,夜12時に寝て朝4時ころに起きることが多くなり,原告に対し,同年8月のお盆過ぎころ,「疲れた」と述べたことがあった(甲9の1,甲9の2,2頁)。
(ウ) Aは,原告に対し,同年9月ころ,冗談めいた感じではあったが,「こうやって過労死とかになるんだよなあ」と述べたことがあった(甲9の2,7頁,乙A27,原告本人3頁)。
Aは,このころから,以前とは異なり,子どもの騒ぐ声に対し,ピリピリするようになり,また,同月初めころまでは休日に子どもと一緒にプールへ行っていたが,同月中旬以降の休日は,午前11時ころまで家で寝ているようになった(乙A27)。
(エ) Aは,同年10月には,夕飯を食べることなく寝てしまうことが多くなった(甲9の1,3頁,乙A28,乙A30)。
また,Aは,同僚や原告に対して,第二種応急救護処置指導員講習について,めんどくさいなどと愚痴を言ったことがあった。
なお,Aの呼吸音は,同月13日,ヒューヒューと鳴っており,同月19日には,その音がさらにひどくなり,Aは肩で息をしていた(甲12,18頁,19頁,乙A29)。
2 判断
(1) 喘息の増悪因子について
ア ストレス及び過労
前記1(1)ウ(ア)ないし(エ)の事実に照らせば,ストレス及び過労が,喘息症状ないし発作に対する増悪因子となることは,臨床的に裏付けられた見解であって,医学上も十分に合理的な関連性が肯定されていると評価することができる。
イ 気象変化
前記1(1)ウ(オ)の事実に照らすと,気象変化が喘息悪化に対して一定の関連性を有するということができる。
ウ 気道感染及びアレルゲン
気道感染及びアレルゲンについても,当該患者に気道感染やアレルギーの所見が認められる場合には,喘息の増悪因子となりうる。
(2) Aの病状の評価
ア 前記1(2)記載の事実関係に照らせば,Aの喘息症状は,平成13年9月16日よりも前については,別紙3「発作強度と重症度分類」(省略)に掲げる表5のステップ1「軽症間欠型」ないしステップ2「軽症持続型」であったと評価できる。
これに対し,同日以降のAの喘息症状は,ステップ3「中等症持続型」であったと評価できる。
なお,被告は,別紙3「発作強度と重症度分類」(省略)表6を根拠に中等症以上の症状であったと評価しているが,本件においては,U・V両医師が依拠している別紙3「発作強度と重症度分類」(省略)表5の基準に従って評価するのが相当である。
イ 平成10年7月21日から平成13年9月16日までの発作の程度につい て は , 前 記 1 (2)ア及び 別 紙 7 「 喘息 症状( 急 性 増悪) の 管理 ( 治療)」(省略)を併せ考えると,平成10年7月21日の発作は中等度,同月26日の発作は軽度,同年10月18日の発作は中等度,同年11月16日の発作は高度ないし中等度,平成11年8月21日の発作は中等度ないし軽度,平成12年7月3日も発作は中等度ないし軽度,同年10月15日の発作は高度ないし中等度,平成13年9月16日の発作は中等度と評価できる。
(3) 労働時間及び内容の評価
ア 労働時間の算定について
(ア) 前記1(4)ア(エ)のような手待時間の実態に照らせば,管理者側は,指定前教習に生じる手待時間を自由に使える現場休憩と捉えていたようであるが,現場にいた指導員の行動は,相当程度制限されていたと評価すべきであり,業務起因性を判断するための負荷要素という見地からは,手待時間を非拘束時間として算出した被告主張に係る労働時間は,採用することができない。
(イ) したがって,Aの労働時間は,手待時間を含めて把握されるべきであり,具体的には,手待時間を含めつつも時間外労働時間算出に当たって生じる端数である2日間(30日-7日×4)の時間外労働時間について調整を加えた再審査請求裁決書の認定(別紙1「再審査請求認定に係る労働時間算出表」(省略))を基礎に,前記1(4)ア(エ)cのとおり指定前教習開始後,午後1時50分又は午後2時50分で退社した場合には昼食休憩がなかったことを考慮して昼食休憩時間が存在しなかった平成13年8月1日,同年9月1,6,13,18ないし22,26,27及び29日について各1時間加算した上,前記1(4)ア(イ)aのとおり本件会社と試験場コースの往復に40分前後かかることを考慮して,札幌まで第二種応急救護処置指導員講習受講のために通っていた平成13年10月15日から18日に本件会社から札幌の会場までの往復時間各90分を加算して計算するのが相当である。
そうすると,発症1か月前(平成13年10月19日から同年9月20日まで)の時間外労働時間は89時間,発症2か月間前(平成13年9月19日から同年8月21日まで)の時間外労働時間は71時間と算出される。
発症3か月から6か月前の時間外労働時間については,概ね,別紙1「再審査請求認定に係る労働時間算出表」(省略)記載のとおりである(ただし,平成13年8月8日については1時間加算して発症3か月前の時間外労働時間は67時間と評価する(甲25,15頁)。)。
イ 業務内容の性質
(ア) 前記1(4)ウのとおり,指定前教習開始後のAの言動からすると,業務がAの体調や精神に影響を与えていたということができる。
(イ) 前記1(4)ア(イ)bに記載した運転免許試験場での試験の難易度,指定前教習の教習生の癖,他社のコースを利用していることの心理的な負担,同(ウ)に記載した指定前教習における現場責任者というAの立場及び同(エ)の手待時間の性質に照らすと,指定前教習が,普通免許教習より楽な仕事であったということはできないし,前記1(4)ア(ア)のとおり大型免許の指定校となるためには評価期間6か月の中で10人連続で合格者を出す必要があったことからすれば,平成13年12月末までに10名連続の合格者を出すことは1つの目標となっていたことは否定できず,これらは,Aや同僚にとって心理的な負担となっていたと評価することができる。
また,前記1(3)で認定した勤務状況のとおり,Aは,指定前教習開始後,従前の出勤時間と比べると相当早い時間に出勤しており,これ自体が生活上の大きな変化ということができ,肉体的な負荷となることは避けられないところ,帰宅時間も夜遅いことが多く,それゆえ睡眠不足に陥ることも十分にあり得ることというべきであり,仮眠施設の状況も良好であったとはいえないから,仮に教習車の中で体を休めたとしても疲労を回復することが十分できる状況であったとは言い難い。
(ウ) また,前記1(4)イのように,第二種応急救護処置指導員講習についても,専門的な知識を4日間にわたり身につける内容であり,実技も含んでいることを考えると,負担が軽いということはできない。
ウ 以上の諸点を考慮すると,指定前教習開始後のAの業務は,Aのみならず,同程度の年齢,経験を有し,日常業務を支障なく遂行できる健康状態にあるものを基準としても,時間及び内容ともに過重なものであったと評価できる。
(4) 他原因の存在
ア 前記1(2)アのAの診療経過のとおり,Aは毎年7月から11月に喘息発作を起こし,それぞれ治療を受けていたということができる。
そうすると,Aの喘息発作と気象条件の変化との間には一定の相関関係があると評価することができる。
イ Aが,特定の物質に対してアレルギーを有していたとする証拠はないし,前記1(2)ア(キ)のとおり,Y1診療所の診療録には,薬物アレルギーとともに他のアレルギーの存在も否定する所見も見られる。
なお,Aの発症当時,Aに気道感染があったと認めるに足りる証拠はない。
(5) 前記業務とAの症状との相関性
ア 医師の意見
(ア) U医師の見解(甲B5,U)
a Aの本件喘息発作発生前1か月間は,喘息症状の不良・不安定な状態が続き,特に10月13日以降は,同僚にも気づかれる程度の発作を職場で起こしていた。
この段階で,適切な治療や対策が講じられる機会がなく,また,喘息発作の誘因を取り除くことができなかったため重篤発作に陥り呼吸停止,心停止に至り,低酸素脳症となり,それが原因となって遷延性意識障害を引き起こした結果,死に至ったと考えられる。
したがって,Aの喘息死は,病状が徐々に悪化した結果ではなく,比較的突然に何らかの原因が引き金になって急激に悪化したことによると考えられる。
b Aには,気道感染についてうかがわせる資料はなく,気象の急激な変化等,多数の喘息患者の病状が急激に悪化するような異常気象は確認できない。
他方,Aの労働時間及び業務の性格を見ると,過重であったりストレスが多いものであったと評価することができる。
そうすると,Aの重篤発作発症の原因は,疲労・過労及びストレスが誘因となったと評価するのが相当である。
(イ) V医師の見解(乙B10,12,V)
a 喘息という病気は,その症状が元来不安定性,不確実性を特徴としているため,今日の医学において,気管支喘息の自然経過や発作を正しく予測することは困難である。
喘息という疾患が発作と寛解を繰り返すのは,日常臨床レベルで確認できない気道感染,喘息の原因となっているアレルゲン吸入量,患者側の免疫機能や自律神経機能の変化が関与している可能性はあるが,真相は不明である。
したがって,ある1人の喘息患者の発作が,疲労・過労やストレスによって引き起こされたかどうかについては肯定することも否定することも困難である。
b ただ,Aの場合,確実に言えるのは,平成10年以降,いずれかの時点で適切な治療がされていれば,喘息死という結果は発生しなかったであろうということである。
(ウ) 乙A70について
K病院Y医師の北海道労働者災害補償審査官に対する意見書には,「アレルゲンに関しては不明です。」「勤務実態からは,時間外労働や出張が多かったことが明らかなので,これらによる過労が,気管支喘息の発症や増悪の誘因になったことは十分考えられます。」との記載がある。
イ 評価
(ア) 前記2(1)アからすれば,過労及びストレスが気管支喘息の症状及び発作の増悪因子であるということは医学上も十分に合理的な関連性が肯定されているところ,前記2(2)のとおり,Aの喘息症状は平成13年9月16日以降,それ以前のステップ1「軽症間欠型」ないしステップ2「軽症持続型」からステップ3「中等症持続型」に悪化し,さらに,本件喘息発作が発生したのはいずれも指定前教習開始後であって,しかも,発症2か月前の時間外労働時間は71時間,発症1か月前の時間外労働時間が89時間であることに加え,別紙1「再審査請求認定に係る労働時間算出表」(省略)のとおり指定前教習が開始された平成13年6月27日以降の時間外労働時間はそれ以前の時間外労働時間と比較して増大し続けており,また,前記2(3)イのとおり,Aの業務は客観的に見ても過重なものであったと評価できることとともに,Aには喘息の発作の原因となるような気道感染をうかがわせる症状はなく,本件喘息発作の発生直前に多数の喘息患者の症状が急激に悪化するような異常気象や急激な気象変化があったと認められないことを総合考慮すると,前記2(4)アのようにAの喘息発作が夏及び秋に見られるという季節の影響を考慮しても,本件喘息発作は,過重な労働という業務に伴う危険が相対的に有力な原因となって現実化したものと評価するべきである。
(イ) V医師の見解は,本件喘息発作と業務の関係について,肯定も否定もしていないのであるから,上記のような認定を妨げるものではない。
(6) 被告の主張について
ア 被告は,Aの症状について,別紙3「発作強度と重症度分類」(省略)表6を根拠に中等症以上の症状であったと評価し,Aは,いつ重篤な喘息発作を起こしてもおかしくない状態にあったのであるから,本件喘息発作は,自然的経過にすぎないと主張する。
しかし,前記1(1)イのとおり,喘息の症状と喘息死の関係については,緩やかな相関があるにすぎないから,症状が重いからといって直ちに死につながるような発作が起きるということはできない。
イ 被告は,Aが喘息の発作を繰り返していたのに医療機関を継続的に受診して薬物療法による予防的治療を受けなかったことを問題とする。
しかし,前述のとおり,指定前教習開始後から時間外労働時間はそれまでと比較して増大傾向にあり,業務はしだいに過重性を増していったと評価できるところ,Aの喘息症状は,平成13年9月16日以降,ステップ3「中等症持続型」となり,その後も過重な労働という喘息の増悪因子が加わっていた状況下で本件喘息発作が発生しているという点に照らすと,たとえ,Aが適切な治療を受けていれば,本件喘息発作の発生がなかったということがいえるとしても,そのことによって,過重な労働が,本件喘息発作についての相対的有力原因であることを否定する根拠とはならない。
なお,被告の主張は,Aが医療機関を継続的に受診して治療を受けていなかったという注意義務違反自体を問題とするようにも解釈できるが,労災保険法上,労働者に重過失があった場合にも,給付が制限されることがあるのみで,必然的に保険給付をしないという制度とはなっていない(労災保険法12条の2の2第2項参照)ことから,Aの注意義務違反が業務起因性を否定する事由とはならないというべきである。
したがって,被告の主張は失当である。
第6結論
そうすると,Aの本件喘息発作は,業務上の疾病ということができ,Aは,本件喘息発作の結果,死亡している以上,Aの死亡も業務上のものということができるから,それにもかかわらず,原告の本件各申請を棄却した小樽労働基準監督署長の本件各処分は違法である。
したがって,本件請求にはいずれも理由があるからこれを認容し,訴訟費用については行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中山幾次郎 裁判官 村野裕二 裁判官 渡邉充昭)